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nkucchanさんComments
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(続き)
突然倒れて市民病院に搬送されたじいちゃんですが、嘔吐が続いていてMRIが撮影できず当病院では手の施しようがない、ということで、A市の民間病院に転送されることになりました。
2016年12月30日(金)
午前3時30分
再び救急車により、A市の病院に転送出発。おいらも同乗しました。
救急車では、救急員の人の呼びかけには、じいちゃん、まだ答えるなどの反応があります。ただし、嘔吐は続いていました。
<午前4時00分>
A病院着。到着後、救急外来の医療チームにより、MRI撮影。
じいちゃんは、まだ嘔吐は続いていましたが、なぜかこの病院では、MRIの撮影ができました。
どうして市民病院では撮影困難でA病院では撮影できたのか、いまだにわかりません。じいちゃんが最初からA病院に搬送されていたら、結果はどうなったのでしょう?
もし、じいちゃんが倒れた日時が、平日であり診療時間中であり、ベテランのお医者さんがいたら、MRI撮影できたかも知れません。
でも、平日ではおいらがいませんし、ばあちゃん一人では、じいちゃんが倒れたことも気づかなかったのかも知れません。
今さら考えても、せんないことです。
診断は、脳梗塞。大き目の血栓(心臓でできたものが脳まで飛んだのではないか、と)が小脳部分の血管を塞いでいる、とのこと。
発症してすぐであれば、溶血剤の投与などもできるが、もう発症から4時間以上経っているので、それもできないし、逆に溶血剤投与により、弱った血管から脳出血を引き起こす可能性もある。
このままでは、脳全体のダメージが進むため、脳血管に詰まっている状況がどうなのか、じいちゃんのそけい部からカテーテルを入れて状況を見てみる、と。
検査といっても、手術に近いものなので、いろいろと危険があります、という説明も受けました。

この間、医師からは手術についての説明を受け、後遺症が残ること、万一の場合もあることなど結果の危険性について承知した(いわゆるインフォームドコンセントというやつでしょうか)という書面、その後の入院で身体拘束が必要になるのでその同意書など、沢山の書類にサインをした記憶があります。
カテーテル検査をするための準備で、医療スタッフがどんどん手術室に集まり始めました。年末の未明に呼び出されたのでしょう、皆さん、本当にありがとうございます。
検査が終了するまで、また数時間待ちました。(どれぐらい待ったか、記憶がありませんが。)
カテーテルで診察した結果、幸運なことに、詰まっていた血栓がとんで血が流れ始めた、とのこと。
ただし、血栓が梗塞していた時間が長く、脳にダメージが残るだろう、どこまで機能回復できるか、今の時点では全く不明、という説明でした。
午前6時過ぎに、手術室から集中治療室へじいちゃん移りました。
この間、じいちゃんは、麻酔が効いていてずっと眠っています。長い夜が明けました。
<午前10時45分>
ばあちゃんが到着。じいちゃんはまだ意識が戻りません。ばあちゃんと一緒に、入院手続きなどを行ないました。
ばあちゃんは、MSWさんなどから、日頃のじいちゃんの生活状況などの聞き取りを受けていました。
その後、おいらは一度、実家に戻りました。
おいらがおらずに、一晩過ごした里おいくんが出迎えてくれました。きっと、彼も救急車がきて人が搬送されるシーンは初めてかと。まあ、家族というのはこういうことがある、ということが体験できたのではないでしょうか。
<午後5時30分>
再度、A病院に出向きました。里おいくんも同行。
東京から長男もやってきて合流。
じいちゃん、少し意識が戻ったようで、軽く目をあけています。
主治医からの説明で容態が落ち着いたということで、全員実家にもどりました。このまま落ち着けばいいなあ、と思ったのですが‥。
(続く)
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