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久しぶりに宮城野区の幸町付近を通った。ガス局交差点から、鶴ヶ谷に向かう道路。JT工場跡も、すっかり街並みに様変わり。その向かいの白いフェンスに何やら書いてある。みやぎの安全・安心を担う真の消防人をつくる...だそうで、鶴ヶ谷の消防学校がちょっと南に移転してくるようだ。それにしても、役所らしい文章。みやぎ どうして地名を平仮名にしたがるのか安全・安心 どうして「・」必要なのか真の どういう修飾?消防人 どんな人?つくる 人が目的語なら、育てる、とか当ジャーナルなら、例えばこう考える。走れ光のごとく まもれ命とくらし 輝け笑顔 燃えよ情熱やっぱり、燃える、はまずいだろうな。■シリーズ仙台百景 以前の記事です。こんな企画で100枚まで続けるのが目標です。 ○宮城刑務所(シリーズ仙台百景 29)(08年10月12日) ○松森焔硝蔵跡(シリーズ仙台百景 28)(08年8月31日) ○十一面観音堂(シリーズ仙台百景 27)(07年10月23日) ○陸奥国分寺薬師堂(シリーズ仙台百景 26)(07年10月17日) ○県民の森 鶴ケ丘口(シリーズ仙台百景 25)(07年8月26日) ○一時停止だ!三時はお茶だ!(シリーズ仙台百景 24)(07年8月20日) ○風の環(シリーズ仙台百景 23)(07年7月7日) ○冷やし中華の龍亭(シリーズ仙台百景 22)(07年6月29日) ○県民の森(シリーズ仙台百景 21)(07年4月8日) ○数字の練習ボード?(シリーズ仙台百景 20)(07年3月25日) ○半田屋一番町に進出!(シリーズ仙台百景 19)(07年3月1日) ○仙台百景画像散歩(その18 撮影成功!霊気のトンネル)(07年2月6日) ○仙台百景画像散歩(その17 変な漢字の看板)(07年1月28日) ○仙台百景画像散歩(その16 駅前東宝ビル)(07年1月13日) ○仙台百景画像散歩(その15 空から見た仙台)(06年12月29日) ○仙台百景画像散歩(その14 光のページェント)(06年12月13日) ○仙台百景画像散歩(その13 東京スター銀行)(06年11月30日) ○仙台百景画像散歩(その12 建設ラッシュ再来?)(06年11月10日) ○仙台百景画像散歩(その11 E721系電車)(06年7月25日) ○仙台百景画像散歩(その10 ワンコイン端末)(06年7月7日) ○仙台百景画像散歩(その9 ヤギさんの看板)(06年6月19日) ○仙台百景画像散歩(その8 キック治療?)(06年6月18日) ○仙台百景画像散歩(その7 ホテルモントレ)(06年6月4日) ○仙台百景画像散歩(その6 佐々重ビル)(06年5月24日) ○仙台百景画像散歩(その5 車止めポール)(06年4月29日) ○仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) ○仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) ○仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) ○仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2010.02.28
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浅田選手もよく頑張りました。銀は残念ではありますが、キムがすご過ぎる。世界最高レベルの戦いを、讃えましょう。そして、わが東北では、チーム青森の健闘をたたえて、ローソンが6県の全795店で記念商品を販売するそうです。3月4日から15日まで。チームの写真が入ったクリアファイルももらえるとのことです。青森県と協定を結んでチーム青森を応援してきたローソンの計らいで、有り難いですね。記念商品は、9日発売予定のりんごのパイと、ずっしりストーンあんぱんで、どんなものか興味が沸きますが、これに限らず、のみ物3点でもファイルがもらえる、とのこと。クリアファイル、こんなの(ローソンHP)のようです。皆さん、チーム青森とバンクーバーの熱気を、味わいましょう。
2010.02.27
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昨日(25日)は、暖かい日でした。帰りの車、もう日付が変わっていましたがラジオを聞いていると、今日(26日)も全国的に温暖で、東京でも東北でも雨が降る、とか。東奥日報によると、25日は、最高気温が八戸で19度、鯵ケ沢で18.3度と5月下旬並みの陽気。県内23観測地点のうち、17カ所で2月の観測史上最高気温を記録したとのこと。なるほど、記録的な温かさの訳だ。秋田さきがけ新報によれば、秋田は19.8度など、観測26地点のうち18地点で2月の観測史上最高を記録。鹿角では、最低気温が-6.9度、最高15.8度で、1日の気温差22.7度と、信じられないような数字だ。仙台は最低2.4度、最高12.9度。結構高いが、してみると、青森や秋田は、ものすごく暖かいことがわかる。今夜中の1時だが、アメダスを見たら、例えば秋田の象潟では、17.8度。山形の鼠ヶ関18.1度。信じられないが、関東以上の気温で、2月としては、もう熱帯夜の感覚だろう。眠れないんじゃないですか。
2010.02.26
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いつも2月になると気に懸かること。今朝はズバリ子どもに言われました。おひな様 出さないの?期待しているような、人任せのような、その発言。ハイハイ、分かってはいたのですが。もう下旬も下旬。今度の土日しかないな。一応、子ども達も手伝ってくれるそうです。
2010.02.25
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準決勝進出ののぞみは絶たれました。しかし、世界を相手に、ここまで良い試合を見せてくれました。青森に集まったからチーム青森。その名を世界にとどろかせて、いいじゃないですか。よく頑張った。ちなみに私も寝ずにがんばりましたが。青森の皆さん、ぜひ温かく迎えて下さい。
2010.02.24
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この時期私は青森県民になったつもりで、クリスタルジャパンチーム青森を応援しています。青森、いや東北から世界へ、と考えましょう。東北のチームが世界の舞台で奮闘しているのです。東奥日報のHPは、さすがにチーム青森のコーナーが充実していて、見ていてワクワクします。また、TVでは、青森市役所に多くの市民が集まって熱く声援を送っていました。近江谷選手は青森市役所所属。本橋選手は青森明の星短大の出身。そして、山浦選手は東奥日報社です。目黒選手は、みちのく銀行。スイス戦に負けて、残り2つ連勝が絶対条件となってしまいました。背水の状況でこそ、チームの力を、東北のパワーを全開しましょう。だいじょうぶです。悔いのない戦いをして下さい。日本時間の明日(24日)2時からスウェーデン戦です。あと5時間。少し眠るか、起きているか、迷っていますが、こちらも頑張って応援します。(4年前のブログを見たら、同じような状況でした! 東北人として有りがたく、幸せなことです。はい。)
2010.02.23
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ちょっと時間が経ちましたが、未明のジャンプ団体は、順位は5位ながら素晴らしい健闘だったと思います。葛西の最後の140メートルジャンプは、震え上がってしまいました。団体は、粒を揃えて失敗なく飛ぶことが大事。他の国がもっと良かったという結果ですが、日本も力を出し切ったと思います。何とか銅メダルに、と期待を最後まで持たせてくれました。最終8巡目で風を見て中断したときには、なぜか長野オリンピックの中断を思い出しました。テストジャンパーが飛んでいましたが、長野では、西方さんがテストジャンパーとなって、日本に2回目の飛躍のチャンスをもたらしてくれた裏話を、思い出しました。ありがとう、と言いたいです。よくやった、日本ジャンプ陣。
2010.02.23
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バンクーバー五輪。越選手も有終の雄姿を示してくれました。結果はともかく、選手たちの活躍を映像で見て楽しんでいます。カーリングも4年ぶりの盛り上がりですね。やっと、ルールも理解できて、子ども達と応援しています。前回は目黒のスーパーショットで英国を突き放して、今朝は、ロシアを大逆転のようです。そして、今日はダブルヘッダーで午後にもあるそうです。頑張れ チーム青森!
2010.02.22
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松島は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭西湖を恥じず。芭蕉が旅の目的とした松島に着いたのは、元禄2年5月9日(1689年6月25日)だ。期待に違わなかった美しさに感動の余り、句を詠むことも出来ずに夜を過ごした。後に訪れる象潟とともに、漢文調の表現で、その自然美の素晴らしさを讃えようとしている。そばだつものは天を指し、ふすものは波に匍匐(はらばう)。あるは二重に重なり三重に畳みて、左に分かれ右に連なる。松の緑こまやかに枝葉汐風に吹きたわめて、屈曲おのずからためたるがごとし。その気色よう然として美人の顔を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山つみのなせるわざにや。造化の天工、いずれの人か筆をふるい、詞(ことば)を尽くさむ。この美しさはことばで言い表すことも出来ない。片雲の風に誘われ、道祖神に招かれて、おくの細道の先につぼの碑で涙し、松島を目にした感動の大きさを、現代に生きる私はどれだけ想像できるのだろうか。悠久の歴史の中に、漂泊する旅人に過ぎない身の上でも、せめて心に浮かぶ歌枕にこの身を置いて、歴史の一点に過ぎないこの目と心ではあるが、千古の遥かな想いや奥ゆかしさを語らせてもらいたい。山が崩れ、川が変わっても、揺らがぬ形が残っている碑を前にした感動は計り知れない。心に描いた松島に出会って、打ち震えもしたのだろう。世界遺産登録断念のニュースがあった。私は、かえって良かったとすら思っている。松島の本質は何だろう。長い歴史の中で一時の人の相対評価に過ぎないレッテルや、或いは、多少の観光客が増加するかという俗な狙いなど、いずれ無理なことならば、さっぱりとあきらめればいい。絶対の美しさが、あるのだから。芭蕉は心の旅の先に松島をめざし、直に目にした感動を素晴らしい文学に残してくれた。美しさが人を動かし、また、文物を通じて多くの人の心に映る。日本人の美意識の最高峰だ。そんな心の中の風景を温めながら、訪れる旅ならば、まさに観光の王道だ。私は西洋人の世界遺産のレッテルなどより、この上ない品格を与えてくれたものと思っている。■関連する過去の記事 松島の世界遺産断念を考える(10年2月18日)■参考 土屋博映(ひろえい)『奥の細道が面白いほどわかる本』中経出版、2003年私は、土屋さんの本の序文で、芭蕉の旅は心の旅だったのだ、という一節が大変印象に残っています。そして、芭蕉文学の崇高さに敬意を払いつつも、人間芭蕉の心の内を、あえて親しみやすく解説してみせる大変おもしろい著作でした。
2010.02.21
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岩手と製鉄は深い縁がある。近代の地域開発における鉄の位置づけも、広い意義があった。仙人製鉄所は、我が国の近代製鉄をリードするものだった。和賀郡岩崎村及び湯田村に介在する仙人山鉄山は、日清戦争の頃に、実業界の異才雨宮敬次郎が所有するところとなった。雨宮は、木炭銑鉄のため、原野を開拓し、事務所や飯場を建設。木炭高炉が完成して操業を開始したのは、1900年(明治33年)11月である。地形を有効に利用し、捲揚機械を使わずに運搬を可能にした。1903年には内国勧業博覧会で2等賞、翌年にはセントルイス万国博覧会で2等賞、陸海軍に納入を始めている。官営八幡製鉄所の火入れは1901年であり、技術が確立されたのは1904年以降であるから、仙人と釜石鉱山が、高炉部門の先駆的な役割を果たしたのである。1907年、仙人鉄山は資本金50万円の株式会社仙人製鉄所を改め、雨宮が社長となり、事業の拡張を図るた。一般交通の利便も考え、地元資本と協同して、和賀軌道株式会社を興し、黒沢尻と仙人の間に開通させた。また、仙人の鉄鉱石は、雲母鉄鉱が主体で、リン分の少ない良質の鉱石だが、採鉱の際に大部分が粉鉱となる問題があった。このため、野呂景義博士の指導を仰ぎ、粉鉱の集結技術を確立したが、これは日本の粉鉱処理の先駆けとして歴史的に評価されるべき事である。そもそも仙人鉄山が脚光を浴び始めたのは、1892年(明治25年)に、官営製鉄所の設立をめざして製鋼事業調査委員会が、当時の農商務省内に設けられた際に、釜石、仙人、赤谷、北海道砂鉄の4カ所が挙げられたことである。鉄鋼材の需要に応えて近代製鉄業の確立が求められていた。工部省による官営釜石鉄山の失敗の後、大島高任式の小型木炭高炉により田中長兵衛が1887年(明治20年)に釜石鉱山田中製鉄所を設立したのが、突破口となる。釜石は、大高炉と呼ばれた工部省時代の英国式25トン高炉の改造と復活を計画し、1894年火入れ。同時に、新設コークス炉(骸炭製造竈)で、夕張炭を用いて我が国最初のコークス高炉法を成功させる。田中長兵衛に次いで近代製鉄に情熱を傾けた実業家が、雨宮敬次郎だ。山梨県奥野田村に生まれ、生糸の仲買から身を起こし、東京市水道鉄管疑獄事件で必ずしも高く評価されていないが、甲武鉄道(今の中央線)を起こし、北海道炭礦鉄道を興して室蘭製鉄所の基礎を築くなど、鉄鋼界の恩人である。雨宮は、製鉄と鉄道が国の大本と考え、地域の産業開発を一貫させて考えていたのである。雨宮は、仙人製鉄所を中核に東北の経済発展を企図し、盛岡や東京の財界人や学者と協同で東北鉄山組合を結び、また、農商務大臣榎本武揚を会長に据えて大船渡開港鉄道を構想した。やがて、仙人で先駆的に切り開かれた粉鉱処理の技術は、近くの岩手製鉄に生き、新日鐵発足とともに移設された旧八幡製鉄所の東田第5高炉を機軸に、優れた釜石磁鉄粉鉱を用いて高品質のコークス銑をつくり、釜石製鉄所と並んで東北の産業経済を支えた。■参考 新日本製鐵(株)秘書部広報企画室編『鉄の文化史』東洋経済新報社、1984年 (飯田賢一「明治期東北地方鉄鋼業の再評価」、加世田譲一「反射炉と釜石鉄山の高炉」)
2010.02.20
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工業統計表2007年による。単位は億円。いわき 10668郡山 10199福島 8138米沢 8061八戸 5857仙台 5533北上 5036東根 4951石巻 3816にかほ 3801秋田 3488会津若松 3229鶴岡 3211白河 2982盛岡 2458一関 2723本宮 2675大崎 2569山形 2471奥州 2388伊達 2343須賀川 2313酒田 2243天童 2187相馬 2001岩沼 1890角田 1839二本松 1792青森 1743登米 1687花巻 1684由利本荘 1603寒河江 1517白石 1423横手 1394名取 1358釜石 1229大仙 1134多賀城 1084喜多方 1077気仙沼 1063大館 1059栗原 1046南相馬 1023(以上、市で1000億円以上)金ケ崎町 4424六ヶ所村 3304西郷村 2632大和町 1845柴田町 1767(以上、町村で1000億円以上)八戸や北上の順位など、東北の工業都市の勢力地図を確認しようと思ったのだが、意外と宮城県の各市も東北では上位になっていた。もっとも、リーマンショック以降、次々と機械工場などは休業したから、これを踏まえればさらに順位は変動している可能性がある。ちなみに、この統計で全国トップは、豊田市の132428億円。何と13兆円だ。
2010.02.19
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宮城県の村井知事は特別名勝松島について、めざしていた世界文化遺産登録を断念することを明らかにした、と報じられている。08年に暫定リスト入りが見送られ、再検討を続けていたが、登録は難しいと判断した。大橋松島町長は、冷静に受け止めているものの(毎日)、登録されれば外国人を招くのに非常に大きな要素となっただけに残念がっていたという(読売)。一昨年のリスト入り見送りで断念の方向は見えていただけに、何故今さら、との感もあると不満を口にした(産経)、とも報じられている。現実問題として、世界遺産登録は実現が極めて難しくなっており、断念は仕方がない。かりに登録となれば、さまざまな効果が期待されることからすれば、残念との受け止め方も、これまた頷ける。しかし、考え方を改めて行かねばならない。あきらめが肝心、ということも勿論あるのだが、そもそも世界遺産に登録されなければ一流の観光地ではない、などということは全くない。しょせん人様が(たぶん西洋中心の価値観で)決める話であって、選ばれなくても別に気にすることはない。堂々と松島の美しさをPRしていけば良いだけのことだ。登録されたら世界から人が集まるのに、という仮定法の恨み節は、やめよう。登録されてもされなくても、観光地としての主体的な努力というのは自ずとあるはずなのだ。努力とは、何らかの権威を勝ち取ることが中心にあるのではなかろう。ギラギラした派手さは要らないから、日々の営みそのものを、しっかり、良心的に、長く続けていることに尽きるのだろう。いつも思うのだが、松島の良さは、当然ながらその景観であって、施設型のエンタテインメントではない。かつて司馬遼太郎(記憶違いかも)が、竜の形をした極彩色の派手な遊覧船をさして、興ざめで良くないというようなことを書いていた。政宗が寺を再興し、芭蕉が絶句し、アインシュタインが名月を観賞した、天下一の名勝だ。自然の美しさを敬い、畏れ、自然の中に足を運んで体感するのが本道であって、それが文字通りの観光だろう。何も、竜の形の船や、豪華絢爛なホテルが必要なわけではない。もちろん、人を楽しませることは大事だし、ぜひ努力をしていただきたいが、本道を違えてはいけない。松島の主人公は、松島だ。率直に言って、縄文の原風景という「普遍性」の打ち出し方は、私にとっては不自然だった。たしかに、古来、国府多賀城や塩釜神社などと結びついて、中世には瑞巌寺など、松島の持つ文化的価値は非常に高いものがあると思う。だが、文化の衣を無理に強調する必要もない。世界遺産なる制度が何時から始まったか知らないが、大自然の美しさは不動で(何百年もすれば松島の形は変わると言われているが)、これに比べれば、登録するとかしないとか歴史の中で小さなノイズだ。誤解を恐れずにあえて言えば、宮城県民の悪いところとして、他力本願で、自分で切り開く意欲が高くない。世界遺産はダメだ、水族館もなくなる、やれ不況だ、やれ新型インフルだ、客が減ったぞ。行政はどうしてくれる、政治家は何をしてくれる。日本三景の名が泣いているぞ、などなど。やれやれ、だ。では、地元は一体何をしてきたのだろう。これもあえて悪く言わせてもらうのだが、料金ばかり高く、商店は客引きでイメージを悪くして、結局もう行きたくない観光地だなどと言われてしまう。観光の一般に言えることだが、突飛な施設やイベントなどが観光地の中心的な価値を持続的に担うはずはない(そういう「観光地」も有り得るけれど)。永続すべきは、宿泊施設、飲食施設のもてなしの心、観光ガイドなどきめの細かくて多様な観光ニーズに応えてくれる体制、すなわち人の営みだ。これも突飛なことが必要なわけではないし、今の2倍の汗を流せということでもない。毎日の地道な営みこそが重要だ。マックス・ウエーバーではないが、日々の商売を誠実に続けることが、観光地全体の価値を高めていくと思う。松島には、何より永続する自然美がある。これほど強い観光地はない。あとは、地元の人の営みだ。
2010.02.18
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先ほど、突然下の子が目が痛いと言って起き出した。右の目だという。開けさせると、多少赤く見えるが、左目も同じで、特に出血やキズがあるわけではないようだ。しばらく痛い痛いと言って、再び寝入ったが、ちょっと気になる。夜の2時半だ。
2010.02.17
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宮古市には、高さ160メートルもの巨大煙突が、謎を秘めて聳え立っている。旧ラサ工業株式会社宮古精錬所跡地の標高90メートルの山の上にある。高さは160メートル。日本で二番目の高さという。田老鉱山の黄銅鉱を原料に銅の精錬をするため、昭和13年に作られたが、このように高く建設されたのは、亜硫酸ガスの発生による公害の防止のためである。できるだけ高所から排煙を拡散させようとしたのである。この巨大煙突には、謎がつきまとっている。避雷針が純金で出来ているという謎だ。直径30センチ、長さ150センチにもなるという避雷針だが、純金ならば相当な宝物である。噂の根拠は、避雷針が取り付けられる前に、数日間事務所の金庫に保管され、寝ずの番が立っていたと伝えられること。一方では、半世紀の間亜硫酸ガスにさらされたのだから、腐蝕しやすい闇の金属ではないはずだ、というもの。金の避雷針を確かめるため、クライミングを挑んだ若者もいたという。ミステリーに包まれた巨大煙突は、今でも雄姿を市民に示している。参考 : 金野、七宮、駒井編『岩手県の不思議事典』新人物往来社、2003年(宮古市大煙突の秘密(駒井健執筆部分))
2010.02.16
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時は江戸末期、現在の陸前高田市に、巨大な隕石が落ちた。嘉永3年(1850年)6月12日、気仙村大字長部の長円寺の境内に、ものすごい音を立てて落下した。重さは36貫目(135kg)もあり、驚いた住民は、養蚕の守り神だとか、病気に効くなどとして砕いて持ち去る者が多く、いつの間にか28貫目(105kg)余りに減ってしまったという。隕石は、構成する物質により、岩石から成る石質隕石、鉄から成る隕鉄、両者の混合の石鉄隕石の3種に分類されるが、拾われた隕石の97%は石質隕石と言われる。気仙隕石も石質隕石であるが、石質隕石としては日本最大のものである。なお、安政2年(1855年)に、滋賀県田上山で発見された田上隕鉄は、重さ174kgで、隕鉄としては日本最大となる。気仙隕石は、落下して40年ほど経過して、やっと隕石であることがわかり、明治27年9月に帝室博物館に収められた。以来、一度も外部に出なかったが、昭和54年(1979年)7月1日と2日の両日に限って、87年ぶりに陸前高田市に里帰りした。市立博物館開館行事の目玉として、市民の願いが叶ったのであった。昭和51年に、落下地点に、天隕石降落之地の碑が建てられている。■陸前高田市のサイト 気仙隕石■なぜか三重県立博物館サイトで紹介されている 気仙隕石参考 : 金野、七宮、駒井編『岩手県の不思議事典』新人物往来社、2003年(隕石「気仙号」の秘密(駒井健執筆部分))
2010.02.15
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松川浦まで、普通に走って1時間そこそこで着いた。常磐道山元インターを初めて利用。6号線も相馬バイパスができていて、行きも帰りも、アッサリしたほど早かった。松川浦のカニまつり。正確には、相馬海の味まつり というようだ。カニ汁をいただいて、あとは、長い列に並んでカニごはんを家族の数だけ買って帰る。県道相馬亘理線のサイクリングだろうか、自転車競技のスーツ(何というのか)の人たちも、カニ汁で休憩していた。他にはどこにも立ち寄らず、ただ自宅と松川浦を往復しただけ。以外なことに、亘理や山元あたりは田んぼの雪が一面に残っていた。自宅の辺りはもう融けて土色が広がっているのだが。そんな景色の中を何の渋滞もなく、スーッと隣県まで行ってきたわけで、まったく高速交通文明のおかげだ。
2010.02.14
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年で頭が硬くなったのか、はたまた元来数学センスがないのか。この問題にはビックリした。答えを見てナルホドとは思うが、直観的に、気づくことが出来なかった。【問題】赤道に沿って、地球にピッタリとリボンがかけられているとする。その一カ所をハサミで切り、長さ50センチだけリボンを継ぎ足して、再び地球にかける。さて、リボンは赤道上に、何センチ浮くことになるか。う~ん、円周4万キロもある地球だ。たかが50センチ分だけ継ぎ足しても、それこそ何千か何万分の1センチしか浮き上がらないだろう。と思ったのが、私の直観的なイメージだ。リボンの長さ=円周4万キロという天文学的印象にとらわれるとダメだ。冷静に考えねばならない。【答え】リボンの長さ=2πr 〔rは地球の半径〕継ぎ足した後は、リボンの長さ+50 = 2π(r+s) 〔sが赤道から浮き上がる高さ〕両式から、 s=50/2πすなわち、 s=7.96(cm)約8センチ浮き上がることになる。つまり、地球の円周や半径の大きさは、まったく関係がないのだ。井上うさぎ『世界のパズル百科 イラストパズルワンダーランド』東京堂出版、1997年 から
2010.02.13
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イーグルスのファンクラブに家族で入ったのですが、下の子のキッズクラブだけが、カードが届いていませんでした。お父さんが入力を間違ったんじゃないか、郵便が届いたのに誰かが持ち去ったんじゃないか、などと心配をしていた我が子でしたが、今日帰宅していたら、ちゃんと届いていたらしく、お父さんの机の上に置いてありました。こんな時間なので、もちろん子ども達は寝ていたのですが、届いていたよ という意味で、机の上に置いたようです。良かった、良かった。ところで、深夜によく見ている日テレニュース24を先ほど見ていたら、西武の雄星と工藤が映っていた。工藤投手と雄星投手は、オーバーに言えば30歳も違うわけで、考えてみれば工藤のすごさがわかるというものだ。投球のフォームも、若い頃の力強さが残っている。いつまでも続けて欲しい。心の同級生だから。まだ雪のこる仙台だが、球界は春に向けて着々と動き出した。
2010.02.13
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ズバリ睡眠時間が最長の県は?全国平均で一日当たり7.49時間(10歳以上の男)だが、東北は、山形8.17、秋田8.13などと、高水準だ。1 山形2 秋田3 青森 8.104 岩手 8.098.10以上の上位3県を東北が占める。10歳以上の女の場合。全国平均は7.35だ。1 秋田 7.582 青森 7.55 山形 7.554 岩手 7.537.5以上は、やはりこの4県だ。■前回の日記 東北人はよく眠る、宮城は女性もよく眠る?(06年2月8日) 魚と中華ソバ!東北人の好みを読む(10年2月8日) 豚肉を好む東北(10年2月6日)財団法人矢野恒太記念会『データで見る県勢2010年版』(原データは、2006年、総務省統計局「社会生活基本調査」)による。
2010.02.12
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朝日新聞が大分と佐賀県で発行している夕刊を3月で廃止する、とのニュースがあった。東北人にはなじみがないのが、全国紙の夕刊。大分でも朝日の夕刊があるのか、と実は意外に思った。それでは、夕刊のある地域はどこか。朝日新聞のサイトには、「朝夕刊セット版」と「統合版」の地域が説明されている。朝刊と夕刊をセットで届けるセット版エリアは、下記の通りだ。 北海道(上川・空知・石狩・後志・胆振支庁)・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・東京都・神奈川・山梨・岐阜・静岡・愛知・三重・滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・山口・福岡・佐賀・大分・沖縄なお、この各県でも、セット版と統合版の混在する地区があるという。たしかに、関東、東海、関西と福岡という、何となく常識的な基準で考えると、大分は外れるのも頷けるような気もする。なお、沖縄は何かの事情によるのだろう。読売新聞の場合、セット版のエリアは、北海道(上川・空知・日高・石狩・後志・胆振の各支庁)・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・山梨県・静岡県・富山県の一部・石川県の一部・滋賀県・京都府・大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県・山口県・福岡県・大分県・沖縄県(沖縄は福岡、東京から航送のため、配達は13時頃)とされている。こちらも、これら地域でも統合版と混在があるとされている。朝日と比較すると、富山県と石川県の一部が入っている。北陸支社が存在するからだろう。沖縄については、その日の朝刊と前の日の夕刊が、昼頃届けられるという意味なのだろう。毎日新聞は、朝夕刊セットが、茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・山梨県・静岡県・愛知県・岐阜県・三重県・滋賀県・京都府・大阪府・奈良県・和歌山県・兵庫県・山口県・福岡県・沖縄県。これらの県であっても、統合版が混在する地域があるのは2紙と同様。北海道の夕刊が08年に廃止されたようだ。■関連する過去の記事 読売新聞と東北(08年10月21日)
2010.02.11
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藩政時代の仙台藩の刑制は、侍に対する士罪としては、牢前斬罪、牢前切腹、其身屋敷にて切腹、遠流、近流、他国御追放、遠川切御追放、他人御預、三郡御追放、二郡御追放、一郡御追放、御城下御追放、親類御預、御改易、半地被召上、逼塞、閉門、蟄居、慎み、呵(しかり)などがあった。侍以外の凡下罪では、竹鋸にて挽磔、火罪、磔、獄門、切捨、遠流、島奴、近流、遠川切御追放、奴、三郡御追放、二郡御追放、一郡御追放、一村御追放、御城下御追放、御扶持被下放、日数牢舎、戸結(とむすび)、押込親類預置、過料などがあった。三郡御追放とは、城下の者は、宮城、名取、黒川の三郡の地内に追放し、在郷の者は、城下又は本所の辺の三郡に年数を限って移される刑であった。流人島の四カ所としては、江島が重罪犯人の流刑地。軽微な犯罪人は、田代島と、網地、長渡が配流の地となった。これは、律令の近流、中流、遠流の制に則ったもので、とくに遠流の処分の手続については、度々改革が行われた。仙台藩では、延享2年(1745年)に名国老遠藤守信が奉行の時、永年牢の刑を廃して、流刑に換えた。■出典 菊地勝之助『名数みやぎ郷土小事典』宝文堂出版、1973年■関連する過去の記事 仙台藩の刑場(2007年09月03日) 仙台藩の牢屋(2007年08月19日) 松原街道(2007年8月18日)=コメント欄に小田原字天還前(刑場跡)、同字念仏壇などの情報をいただいています。
2010.02.10
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宮城県は水産王国なのだ、何たって三陸沖は世界三大漁場なんだよ、と子どもに話したら、それじゃ、世界の三大漁場はどこなのか、と至極当然の質問があった。アレ、それはどこだろう、たぶん北大西洋とかだろうけど... まったく答えられなかった。金野、七宮、駒井編『岩手県の不思議事典』新人物往来社、2003年(三陸の海が好漁場といわれるのはどうして(駒井健執筆部分))によると、世界の海で、四大漁場と言われるのが、 ヨーロッパの北海から大西洋の北東海域北方に広がる海域 北米大陸東岸のニューファンドランド島沖からグリーンランドに広が海域 ペルー沖合 日本近海から北太平洋に広がる海域の4つで、飛び抜けて漁獲高が多いのだそうだ。日本は世界一の漁業国で、なかでも三陸沖は最高の漁場である。三陸沖合は、寒流と暖流が流れ込み、潮目には寒流系の魚や暖流系の魚が集中して、絶好の漁場となる。また、リアス式海岸が多く、漁港として利用されて、全国屈指の水揚げを誇る。我が家の子ども達も、三陸はリアス式海岸だから海に栄養が行くとか、などと世界一の漁場の理由を一生懸命考えていた。私も不勉強を恥じなければならない。三大漁場と思っていたが、一般には四大漁場と言われるようだ。
2010.02.09
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前回は東北地方は豚肉が主流、関西は牛肉、と記したが、他の食料品にも目を広げてみる。■前回の日記 豚肉を好む東北(10年2月6日)財団法人矢野恒太記念会『データで見る県勢2010年版』掲載の世帯当たり年間食料品購入数量(2008年、2人以上世帯。総務省統計局「家計調査年報家計収支編」)による。なお、このデータは都道府県庁所在地の数値。前回の日記も同様です。生鮮魚介 1 青森 64.65kg 2 島根 56.47 3 秋田 52.39 4 鳥取 49.37 5 富山 48.27 以下、新潟、石川、岩手、北海道、10位には何故か埼玉、と続く。全国平均は、年間36.33kgで、ひと月に一家で3キロの魚介類を食べていることになるが、青森はその倍近くの水準になる。八戸の人が朝に新鮮なイカを食べているため!でしょうか。それにしても、埼玉(39.79kg)が宮城(37.06)を上回るのは、何故か。データは、さいたま市と仙台市の消費の違いということなのだが。生鮮果物 1 岩手 119.46kg 2 福島 118.44 3 青森 115.76 4 埼玉 115.30 5 栃木 114.09以下、山形、島根、長野、秋田、徳島と続く。上位3つを東北が独占ですが、ここでも埼玉が奮闘して、宮城(91.53)を上回っています。がんばれ仙台。以下のデータは、2006年から08年の平均です。かつお 1 高知 11587円 2 福島 4948円 3 宮城 4094円さすが高知ですね。福島と仙台も頑張っていますが、桁違いです。まぐろ 1 静岡 14175円 2 山梨 11480 3 栃木 10496大きな市場をもつ静岡はともかく、なんで海なしの甲府や宇都宮なのか?たらこ 1 福岡 10052円 2 青森 5181 3 秋田 5098これは福岡は当然でしょう。かまぼこ 1 宮城 12177円 2 長崎 7531 3 富山 7202出ました。仙台がぶっちぎり。気持ちいいですね。りんご(全国5080) 1 長野 12134円 2 岩手 11628 3 青森 11186なし(全国2124) 1 鳥取 9060円 2 島根 7076 3 高知 4505ぶどう(全国2403) 1 山梨 7812 2 岡山 5658 3 広島 3742もも(全国1367) 1 福島 7692 2 岡山 5098 3 山梨 3045いずれも、産地ほど消費も多い。しかも、全国平均に対して飛び抜けています。桃太郎の岡山を見事に破った福島!いいぞ。清酒(全国7183) 1 新潟 13471円 2 秋田 12829 3 石川 12115我が家では1万円以上購入しているでしょうか。飲んではいますが、お父さんの小遣いなので、仮に家計調査が回ってきても把握されないでしょう。■関連する過去の記事 東北と種類消費量(続 18年度のデータ)(07年10月8日) 東北と種類消費量(07年10月8日)日本そば・うどん(外食)(全国5302) 1 香川 12250円 2 愛知 9016 3 栃木 8776中華そば(外食)(全国5422) 1 山形 14521円 2 福島 10516 3 宮城 10316すし(外食)(全国14307) 1 石川 24403円 2 奈良 18586 3 静岡 17903外食の中華そば。東北が表彰台独占です。素晴らしい!■関連する過去の記事 喜多方の朝ラーを考える(08年10月11日) ラーメン消費日本一の山形市(08年1月20日) 東北のめん類データを見る(06年11月14日)
2010.02.08
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伊坂幸太郎さん原作の映画ゴールデンスランバーを観て来ました。たまたま市の図書館で下水道ロケ地を紹介するパンフレットをもらっていたので、帰宅してからジックリ読んでみました。パンフと同じ内容が市のホームページにも出ているようです。犯人に仕立てられて逃げる青柳が最初に下水に降りるシーンは、このパンフによると、長町南三丁目のロケのようで、その後、長町第一雨水幹線と第二雨水幹線の中を、青柳に扮する堺雅人さんが走ったようです。もっとも、実際のストーリーでは、青柳は病院(ロケ地は厚生年金病院のようです。)から逃げ出して、勾当台公園の近くに出ているという設定のようですから、長町はロケに相応しい場所として、新しい管路が選ばれたのでしょう。パンフには竹内結子さんが奮闘する勾当台公園駐車場脇のマンホールも紹介されています。大きな花火の後に、青柳が再び勾当台公園のステージ前のマンホールに潜り、早朝の広瀬川に抜け出ますが、これは設定通りの実際の下水道放流管でのロケのようです。明治33年(1900年)に完成したレンガ造りの下水道管、今でも現役で使われていますが、西公園北のSL汽車付近のマンホールから降りて、ロケを行ったそうです。オール仙台ロケの映画なので、ロケ地を調べる楽しみ方も、できるわけです。花火大会、仙台駅、そしてなぜか加茂団地、などなど、観ていて子ども達も楽しんだようでした。ところで...映画やドラマで警察が登場する場合、どのように描かれるか気になります。あさま山荘事件の映画などでもそうですが、警察庁と地元との関係なども、気になります。今回は当然宮城県警が登場します。記者会見をしていた警察本部長は、竜雷太さんでした。そして、会見の模様を流すテレビ画面のテロップでは、たしか大杉憲司本部長(記憶は不確か)とかいう名前だったようです。あれあれ、ちょっと、これは、昨年まで実際に本部長をしておられた方を借名したようです。了解は得ているのかも知れませんが、そこまでやるものか。かなり意外でありました。
2010.02.07
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今朝も冷え込んだ。仙台は未明からマイナス4度の寒さ。ちょっと風も出ている。県内では、米山でマイナス11度となり、駒ノ湯を上回る寒気だ。ところで、岩手県では、薮川が4時のアメダスでマイナス19.8となっている。最低気温時点では、もっと下がっているだろう。今朝の岩手県は、ほかにも、花巻でマイナス13.9(3時)、江刺でマイナス13.4(4時)など、宮城の米山が冷え込んだことと関連しているのだろうか、北上川沿いの盆地地帯で軒並みマイナス10度以下の寒さを記録した。ところで、岩手県と言えば盛岡市(旧玉山村)の薮川が冬の最低気温で有名で、ニュースでおなじみだ。盛岡市街地にも遠くなく、奥羽山脈の高地という訳でもないのに、考えてみればどうしてなのだろう。今朝もそうだが、冷え込んだ北上盆地よりさらに低く、例えば盛岡とは実に10度の差がある。ちなみに遠野はマイナス8度程度。岩手の寒さについては、「一に薮川、二に田代(区界)、三四が無くて五に遠野」と言われるそうだが、薮川は北上高地の寒さを代表する場所で、戦前には何とマイナス30度台を記録している。なぜ、薮川は寒いのか。標高が680メートル、そして、北上高地の西斜面にあり、小本街道沿いの峡谷に位置するため、両側から山が迫る。地形は盆地状で(地元では薮川盆地と呼ぶ)、夕刻頃から山頂も盆地も同時に冷却が始まり、冷気は斜面に沿って滑降する。やがて盆地内には冷気が上へ上へと積み重なり、盆地の底はますます放射冷却が強くなる。特に、この地域は風が弱く、冷気で埋まってしまう。加えて、冬季の積雪の密度が非常に小さいので、乾燥した雪面からの放射冷却によって、接する空気の低温を助長する。局地気温の変化の要因は他にもあるわけだが、薮川はそのほとんどを兼ね備えた地点である。そのため、現在のところ、本州ではもっとも低温の所となっているのだ。(金野、七宮、駒井編『岩手県の不思議事典』新人物往来社、2003年から、「岩手で薮川が最も寒い理由」(工藤敏雄さん著作部分)を参考にしました。)
2010.02.07
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データブックを眺めてみた。通常はネットで調べるのだが、やっぱり本を開くのが、目に優しいし、楽だ。(財団法人矢野恒太記念会『データで見る県勢2010年版』)パラパラめくっていて、面白そうな地域比較をあれこれ頭の中で行ったのだが、その中で一題。世帯当たり年間食料品購入数量(2008年、2人以上世帯。総務省統計局「家計調査年報家計収支編」による)をみると、肉の東西差が顕著だった。牛肉 1和歌山 2奈良 3山口 4愛媛 5滋賀(以下、大阪、京都、熊本、広島、兵庫と続く)豚肉 1青森 2秋田 3北海道 4埼玉 5新潟(以下、静岡、宮城、岩手、山梨、福島と続く)ちなみに、東北各県の豚肉購入数量(kg)は、青森 24.16(全国1位)岩手 19.93(3)宮城 20.02(7)秋田 23.26(2)山形 18.46福島 19.44(10)となっている。これに対して、牛肉は、例えば宮城で 4.36kg と少なく、豚と牛の差は相当開いている。牛肉が全国第1位の和歌山の場合、牛肉が 11.45kg に対して、豚肉は17.01kg であり、差の開きは少ない。ちなみに、鶏肉は、1位福岡、2位大分、3位滋賀、となっている。
2010.02.06
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NHKニュースでやっていた。松島水族館のタロちゃん。そう、NHKは、タロちゃんと表記している。TVに出ていた女性の方が、マリンピア日記を担当している福澤さんなのだろう。海に戻っても大丈夫なように育てている、ということだ。映像では、元気に魚を食べるタロちゃんや、水槽で泳ぎ回るタロちゃんが映っていた。■関連する過去の記事 タロちゃん、タロウちゃん、そして「たろちゃん」(10年1月25日) タロちゃん?タロウちゃん?(10年1月20日) 松島のタロちゃんを考える(10年1月19日)今日も寒かった。タロちゃんがやって来たオホーツクは、もっと寒いだろうけど。盛岡は今日も最低を記録。マイナス12.4度だそうだ。
2010.02.05
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立春だというのに、随分と冷やされた朝だった。ちなみに、大寒は暖かかったのだが。今朝の仙台は、-6.1度だそうだ。築館は、何と -13.3度とのこと。今週いっぱいは寒さが続くらしい。仙台が氷点下6度を下回るのは、06年のやはり2月4日以来で、4年ぶり。ところで、盛岡は、 -11.6度、この手のニュースではおなじみの同市藪川では、-24度だったという。さて、今日の東北地方はいったいどれほど冷え込んだのだろうか。各気象台のアメダスから拾ってみた。青森市 最低気温 -7.4八戸 -9.5むつ -8.6盛岡 -11.6宮古 -10.2大船渡 -6.6秋田 -5.6山形 -4.9酒田 -3.8新庄 -5.6仙台 -6.1石巻 -6.7福島 -6.2会津若松 -8.9白河 -9.0小名浜 -4.5ちなみに北海道は2年ぶりにマイナス30度を記録し、占冠で-34.4度だそうだ。富士山山頂より冷え込み、今季の国内最低気温の記録という。すごい。暑い方の20度と30度は随分と感じ方が違うが、マイナスの10度とか30度と言われても、どうもピンと来ない。アメダスの最低気温は、札幌 -12.6 旭川 -17.8 紋別 -18.4 釧路 -22.1 帯広 -22.4 など。
2010.02.04
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いろんな百選があるもので、山形新聞によると、第3回農林漁家民宿おかあさん百選に34都道府県の52人が決まり、これで過去2回と合わせて合計100人が選ばれたという。農林水産省と観光庁の主催で、都市住民との交流を通じて地域活性化に貢献する経営者を選ぶ趣旨のようだ。山形から今回選ばれた2人とは、飯豊町の「いからし本家」と、鶴岡市福田で農家民宿「農家の宿母家」のそれぞれおかあさん。第2回では、金山町で「暮らし考房」を主宰するおかあさんが選ばれているそうだ。では、東北の状況はどうか。(サイトにあった「おかあさん」の名は割愛しました。) ひばのくに迎賓館(青森県大鰐町) ペンション「ル・カルフール」(青森県弘前市) まめぶの家(岩手県久慈市) 有賀の里 たかまった(宮城県栗原市) のんびり村(宮城県石巻市) おりざの森(宮城県加美町) 農家民宿「花袋・天王」(宮城県加美町) 農家民宿 季節の郷 ふるさと(秋田県大仙市角間川町) 農家民宿「泰山堂」(秋田県仙北市) 農家の宿 母家(おもや)(山形県鶴岡市) いからし本家(山形県飯豊町) 知憩軒(ちけいけん)(山形県鶴岡市) 暮らし考房(山形県金山町) そばの里(福島県会津坂下町) 四季彩菜工房(福島県塙町)の15人の方だそうだ。
2010.02.03
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ファミリーマートで宣伝していた。恵方巻のことなのだろうか。たぶん。恵方巻という言葉を使えないのか、それとも独自色で売り込もうとしているのか。そもそも私は、恵方巻という語や風習は、ずっと知らなかった。相当最近のことだ。まるかぶり寿司なんてものも、実は日本のどこかにしっかりと存在した言葉なのだろうか。気になっている。
2010.02.02
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仙台は午後に雪が舞った。帰り道は、銀世界とまでは言い切れないにしても、白く輝く静かな世界を、ソーッと運転して家までたどり着いた。写真は、月明かりと街路灯に浮かぶ庭。子供の頃、雪の降った後の夜の世界を家の二階から眺めてみたら、田畑や木々がみんな真白になって、月に照らされたその風景は、手を伸ばせば届く模型のようで、とても不思議だった記憶がある。明日の朝は、凍り付いて、すこし苦労するかも知れない。
2010.02.01
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