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「あのオ、この間、枚方で見せて頂いたンですけど、大変、感激しまして、一日中、あの踊りが頭から離れませんでした。それで、一回、どうしてもお稽古したはるとこが見たいと思いまして」お師匠さんは、濃い眉毛をぴくり動かしただけで、表情ひとつ変わってません。私らは、この風変わりな人の風采を見るのに懸命でした。「先生の踊りには魂が入っています。何と云うか、踊りの厳しさが気品として現れ、踊りを踊っていると云うよりも、踊りの心を踊っている・・・余り巧いこと云えませんけど、あの日は、なかなか興奮が治らなかったンです。」アイロンの効いていないYシャツに、アイロンをかけ過ぎたネクタイを垂らして、二重の折り目のついたズボンが、床の上にだぶついています。「それで、あんたはんは、何してはるの?」「何って・・・学生ですけど?」「あヽ、そうですか。ほんなら其処の隅で・・・ちょっとこの人にお座布団持って来てあげて・・・其処で見とうくれやす」草部という人は慇懃にお辞儀しはると、窓際の、ほんまに隅の方に顔中紅うして座らはりました。「さあ、皆、もう一回さっきのとこ踊って。」お師匠さんの方見て踊るのやけど、なんやら草部という人の視線が来てるような気がして、えらい流行遅れの人やナ、こんな女ばかりのとこへよう来たもんや、そやけど、お師匠さんもよう中に入れはったなアとか、そんな事ばかり考えもって踊ってたンです。一時間ほどして一休みすると、「どうも、有り難うございました。」と、また丁寧にお辞儀して帰らはりました。 (二) それから、草部さんは二、三日おきに、ひょっこり顔を出さはるようになって、だいぶ、お師匠さんとも親しう話さはるようになり、私らの踊りを観る目付きもだんだん厚かましうなってーーーそない云うたら、草部さんをえらい悪う思てるみたいですが、ほんまにその頃はそう思てました。けど、その目付きと云うても、草部さんにしたら、一生懸命私らの踊りを観察してる積もりやったンやろうし、今となっては、あの人はあんな目付きしはって当たり前やと思てますーーー一人一人、じっと見比べたはるのです。 山茶花会まで、あと十日余りになった頃やったと思います。昼過ぎのお稽古の時、窓際にお師匠さんと草部さんが座らはって「草部さんが来はるようになってから、もう一ヶ月になるなア。今日はこの人から、あんたらにちょっと為になる事云って貰おと思うねん。もう皆も分かってるやろけど、この人は好え加減な人やない。あんたらより、ずっと踊りの事知ってはるさかい。」そない云うて、お師匠さんは横目で合図しはりました。
2003.09.30
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(一) お稽古場の窓越しに見える木の葉の揺れる様子から、秋が深なったなぁと感じます。師走の山茶花会を控えて、お師匠さんの顔は険しゅうなって来ました。今日もちょっと濃い目の味噌汁のお膳で朝食を頂きますと、二班に分かれてお掃除と洗濯。お師匠さんと私ら住み込みの弟子の下着は、夏が過ぎて薄物から厚物になって来ましたンで、なかなか馬鹿にならしません。お師匠さんは堅いお人ですので、洗濯機は要らへんと云わはるし、今はどないかやっていけますけど、真冬のこと思たら、ゾッとします。それで今は今、冬は冬やと割り切って考えンと損やし、そない思てやってます。お稽古場のお掃除もーーー近所の子がようけ習てますし、ほんでよう汚れますーーー綺麗好きのお師匠さんのお目玉が恐て、好え加減には済まされしません。 十時の鐘を合図に、お稽古場に正座します。それも、お師匠さんの後から遅れて来たら、只事では済ましません。「明日、あんた独りで掃除しとき」がまだ軽い方で、虫の居所の悪い時は、「独りで洗濯すンのやで」になります。少のうても大変やのに、洗濯物の多い時なんか、よっぽど早よう起きてしなあきません。 時々壊しとうなる録音機を、皆、まるで仇のように見てますと、「昨日振付けしたとこ、もう一遍やってみて」これで、お師匠さんは私らの進退をその鋭い目で見はるンです。獲物を狙うような目が、自分に当たってンのやないか気が気やありません。「あんた!あたしの云うてる事、聴いてンのか?直されへんほど阿呆かいな」来たッと思たら、隣りの雅子ちゃんやったりして、それでも他人事という気もせえへんし、次は自分やーーーと、思わず手に力が入ると案の定、「あんたもや。ちょっと、皆止めて!この人らの踊りよう見とおみ」で、お師匠さんの口三味線に合わして踊らないけません。「皆、なんであたしが注意したか分かってるか?この人らの手の使い方やったら、それこそバラバラ事件やがな。ちゃーんと胴に繋がってなあかへん。」そう云われては、皆、余計手を気にして、何遍もやり直されるンです。そうこうして踊っている時でした。なんやら玄関の方で大きな声がしているみたいやので、皆の顔を盗むようにして見たら、どうも気づいているようでした。すると春子ちゃんが、「あのォ、誰か来たはるようですけど・・・・?」恐々、二、三遍云うてくれました。「へえェ、そうか。ほな往って来」お師匠さんは初めから知ったはったのかも知れませんし、そうでないような気もします。会う人毎に、「お稽古中は来んといて下さい」とか云ったはるのやないかと思います。「あのオ、草部という若い男の人です。」「なんの用や?」「なんでも、お稽古してるとこが見たいと云うてはりますけど・・・?」お師匠さんは、最初、断わる積もりのようでしたけど、急に、「まあ好えわ、お通しして」と云わはりました。背の高い、目の大きい、彫りの深い顔の人でした。
2003.09.29
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おりくの狭庭に、不明なる植物が二つあります。そのいずれもが幹や枝に鋭利な棘が着いて居て、初夏の枝切りには必ずと言って良いほど怪我をしていました。「家のあの植物、蜜柑や柘榴なのか、植物園で確かめようよ」との家内の意見もあって、本日その枝を紙製の箱に入れて植物園に行きました。 烏丸通を北上する地下鉄に乗って「北山」駅で下車。すぐ右手に植物園の入り口がありました。早速会館内の相談所の所員さんに提示しましたら、実生からの蜜柑は全て棘が出るとのこと。ザクロも同じ理由でした。 きっと食後の種を庭に蒔いたからでしょうね。蜜柑は本来、枳殻(からたち)に接木するのです。ネットで検索して調べていたことと同じ意見でした。実生から13年後に花が咲き、実を結んでも苦い温州ミカンしか出来ないのだそうです。 疑問点が解明した後、予め大丸の地下で購入した嵐山「錦」さんの手弁当折り詰めをベンチで広げて頂きました。家内のそばには百日紅の可憐なピンクの花。・・・植物園は出来るだけ自然に近い状態で植物を保護しています。 お彼岸の中日(なかび)に見ることの出来なかった曼珠沙華が、あちらこちらに咲いていました。中には画材にしようと何時間も見入っている女性も居られました。 赤松の林の中を散策していると木漏れ日が草に降り注ぎます。ピーターパンの妖精が金粉を撒き散らすかのように、秋の穏やかな陽射しが草々を黄金色に照らします。 釈由美子?さんがテレビで折々言って居られる妖精を見ることが出来ないものかと、目を凝らして眺めていましたが、結局無駄に終わりました。 夫婦づれ からかふやうに 秋の蝶 揚羽蝶 駅舎の大屋根 越へ行けり 葬要らぬと 遺せし人や 虫しぐれ 一夜漬 仕込み了へたり 虫の声 秋風の さやさや渡る 植物園 秋風に 背押されゆく 賀茂堤
2003.09.28
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或るお人の掲示板に曼珠沙華について詠まれた詩に感動を伝えました。その際、本日の日記は彼岸花にしますと名言しましたので、掲句に寄せたおりくのエッセイから書き始めます。 作者が武家の出じゃないかなと思わせる句の一つ。彼岸花は摘むことはタブーになっている。私もそのことを知っているから物心ついてからは、摘んだ記憶がない。 怖~いイメージが付き纏う。死の花とも呼ばれている。しかし、あの毒々しさから、返り血とまでは思いも寄らなかった。で、この句を改めて読むと、なるほどその通りだと納得するのである。内容は不自然なことではないのである。不思議な感性、見事な感性。 さて実家の母に会う直前、長岡京市人権擁護団体主催の映画鑑賞に家内と行って来ました。http://www.amidado.com/ 「阿弥陀堂だより」・・・寺尾聡・樋口可南子・北村谷栄・田村高廣・香川京子という俳優さんの演技が光っていました。 40歳前半の夫婦が故郷の農村に帰って来たところから物語が始まります。日本中部地方の片田舎でのゆったりとした映画でした。自然と農村の人々との触れあいがテーマになっています。 おりくが俳句のエッセイで時折強調して申し上げる根源的な生き方を、この映画は幽玄にダイナミックに映してくれています。いつも時間に追い立てられる生活。刹那的な都会人の生き様に疑問符を投げかける作品です。 とつぷりと 昏れ秋天の なほ蒼く 野晒しの 陶狸百体 秋入日 秋蝶に 遊歩道あり 野に空に 稲穂見て 曼珠沙華見て 墓参り かまきりの 秀才貌に 見返さる
2003.09.27
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おりくは現在、銀行の子会社のリース会社に勤務しています。職場の同僚の凡そ九割は、ポケットに手を突っ込んで他人と会話しているのが目につきます。 夏の暑い時でも、さして寒くないこの季節でも、仕事やちょっとした会話する段になると決まって、このポーズを取る人が多いのです。おりくは自分以外の者すべて、ヒントを下さる対象と考えていますので、女性は勿論、後輩に接する時も、そんな大それたポーズは致しません。 つらつら考えてみますと、ポケットに手を突っ込むポーズは一種の虚勢に因るのじゃないかという結論に達しました。「男には常に七人の敵がいる」と教え込まれた所為かも知れませんねぇ。 実力以上に虚勢を張っても、勝負すればたちどころに負けるのに・・・。おりくは舞踊を観る時、踊り手さんの目の据えどころをチェックします。 武蔵・小次郎、柳生重兵衛など昔の剣豪は、心の目で相手の動き、剣のさばきを読んだそうです。ポケットに手を突っ込む連中は、その辺のこと解っているのかな。 おりくの日記は癒し系に属するのかな??と皆様の書き込まれた文面から、そう察していますので、お口直しに素朴な女性の心の歌詞を添えておきましょう。 「田舎育ち」・・・この歌詞は3年ほど前のものです。 ①公園の花壇の中で 咲き誇る花よりも 空高くヒバリ囀る 野辺でひっそりと 咲く花で いい 美味しい空気と 綺麗な水があれば それで しあわせ ②浮ついた言葉の中で 抱き締める人よりも 嘘のない澄んだ瞳が いつもしっとりと あるだけで いい この世に生まれた 生き甲斐見つければ それで しあわせ ③ただ若い魅力を武器に 愛されるだけよりも 永久の愛の絆を 二人ゆっくりと 育めば いい 平和な時間と 思い出さえあれば それで しあわせ (テンポのゆっくりとした大らかな曲仕立です。)
2003.09.26
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「秋服を着て膚ざわり楽しめり」(吟者:和子) 軽装の夏服から重みの増した秋服を着る時に、誰でも感じる喜びでは無かろうか。我々男も半袖シャツにノーネクタイで出勤する真夏から背広姿に戻ると、誰も彼もが少し男前に見えるから面白い。 やっと酷暑から開放された喜びと、しっとり着こなすお洒落感覚が相まって、秋に移った気候に感謝する。「膚ざわり楽しめり」はその辺りを巧みに表現できていると思う。 余談であるが作者の和子さんはカット絵にも非凡なものをお持ちで、A4の用紙にマジックで句を認め、右横に簡潔に描かれたカットは実に素晴らしく、何処にも見当たらないオリジナルの句帳であることを申し添えておく。「朝夕の食膳柚子の香り満ち」(吟者:和子) 我が奥様は飲み代に金を浪費するおりくから、給料の僅かな残り分を生活費に貰っても、それなりに生活を切り詰めることのできる努力家である。申し訳ないと何度も心の中で謝っていても、その悪癖はつい数年前まで治らなかった。これは自分の趣味を大切にした父親譲りなのかも知れない。 さて本句、家計のやりくりには甚だ厳しいものがあっても、安い時節ものの食材を上手に調理する肝っ玉母さんの本領発揮、腕の見せ所を詠んだ句である。家計は苦しくても、世間様より豊かな季節感をプレゼントする女房の心意気を味わって頂きたい。 家計簿に 女をつづる 秋灯下 おりく
2003.09.25
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亡父は美術にも造詣が深く、京都市立美術館の催しには必ずと言って良いほど、出かけていたようです。そして記念の美術書を購入していました。実家にはそんな美術書や専門書が揃っています。朝日新聞の日曜版の画を大切に保存していました。 おりくは手先が器用な方でないし、小学校、中学校に居た時分に描いた程度ですが、後日、童(わらべ)の顔や、東郷青児画伯のような女性をクロッキー風に描いたことがあります。退職して自由にできる時間が増えると、絵にも挑戦したいと思っています。油絵は得意でないので、水彩画に走ろうかな。 おりくの場合、夜、蒲団の上で目を瞑っていると、真っ暗な世界にいろんな絵模様が見えてきます。それらの模様は今まで記録していませんので、画用紙に再現できるかどうか不明ですが、その絵模様というのは幾何学模様のようなもので、実にカラフルで、鮮明で美しいものです。 ネットの知人の友人が画を何度か出展されていて、何度も入賞して居られます。近々その展覧会が催されるとか。その方は赤系統の抽象画がお得意分野ですが、凡人で出せない独特の色彩を個性的に表現して居られます。 いつか素敵な人と景色を観たり、画を描いたり・・・そんなデートもしてみたいと夢見ることだけは一人前のおりくです。
2003.09.24
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先週土曜日から音楽会などに出かけて居ましたが、本日は午前中は買い物、午後からご先祖様のお墓参り、そして紙人形展鑑賞と多忙でした。 国道9号線は京都市内では五条通りになります。河原町五条を西に入った処に、おりく家のお墓があります。父が鬼籍の人となってから母は出不精になりましたので、おりく夫婦が墓守をしています。 既に叔母のご家族が参って下さっていました。親戚同士がいつまでも仲良くして居られるのは有り難いことです。今年は気候が異例だった加減で、道中も、そしてお寺にも彼岸花が咲いて居ませんでしたが、もう二日ほどすれば咲きそうな具合でした。 京都の高島屋で中西京子さんの紙人形展が催されていました。おりくはこの日記に何度か書きましたように歌舞伎のファンです。本日のテーマは歌舞伎に関するものでしたから、感激も一入(ひとしお)でした。 http:www.washi-doll.com/をご参照下さい。但し作品の画像が小さいので雰囲気が伝わらないかも? 中西京子さんは世界的にも著名な方で日本国内には何箇所にも教室があるようです。 紙で拵えてあるのに、まるで布地で作ったように繊細で、凹凸や陰影、人形に動きのあるポーズが見事でした。亡父にも観て欲しいなぁと思いました。 先生とお弟子さんの手による人形の数が生半可でなく、江戸時代を彷彿させるに足る懇切丁寧な演出でした。今年は阿国歌舞伎発祥400年で、実にタイミングのいい展示会でした。
2003.09.23
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1)幸せが永遠に 続くとは思ってなかった 予想より 早く来ただけ 人それぞれの 愛する心が 迷路のように 入り繰んでいる 夏過ぎの 夜空の月は 兎が確かに 跳ねている あヽ この恋は 終わった 2)前向きに歩く事 人にはよく言ってたのに いつまでも 過去振り返る 三年坂を 腕組歩いた あの一コマが 焼きついている 秋深く 積み重なった 落葉が音たて こだまする あヽ あの人よ さようならこの曲はヴァイオリンの前奏から始まります。ドシラドシーラーミーラソファラソーラーミー ファミレファミーレーラ ソラソミレーファーミーラーラーと言う感じです。
2003.09.22
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古巣の練習から遠ざかること三年にもなります。本来なら、おりくは本日のステージにライトを浴びる人でしたが、実母のフォローを疎かに出来ない故に、聴衆の席に甘んじて居ました。 合唱団のメンバーとしてのおりくの力量は微々たるものですが、ムードメーカーとしての役割は少々あるのかな??彼女等が女学生現役の折り、一時日本合唱界の覇者たる金字塔を建て、そして岡山の雄たる地位を築かれた女性コーラスとのジョイントも最終ステージにありました。 年中無休の主婦業に耐えて居られる女性が、実に、晴れやかな表情で青春時代に戻って居られたのが嬉しかったなぁ~。勿論私たちの仲間は万年青年の血潮を滾(たぎ)らせる面々ではありますが・・・。 団体行動は現在の若者の最も苦手とするところですが、経済重視の時代から衣を脱ぎ捨て、政治不信や将来展望の不透明さに因る不安から、漸く癒しを求める世の中となりつつあります。個性をキープしながら一つの細胞となって己のエネルギーを主張するには、合唱は恰好の自己表現の場であります。観客席から仲間の演奏を聴きながら、来年こそは歌に生きるぞと誓ったひと時でした。
2003.09.21
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相変わらず土曜日になると雨降り。実家の母に逢う為、本日はタクシーに乗りました。もうすっかり秋ですね。野原や古びた屋敷の門口には、萩の花が零れています。 おりくの棲む町には聖徳太子がお建てになったと言われる乙訓寺があります。今は春の牡丹寺として名が知れるようになっていますが、おりくの青春時代には、このお寺には萩が満ち溢れて咲いていました。 大きな声で言えませんが、このお寺、昔の萩の零れる素朴な寺だった頃の方がおりくの好みに合っています。 参道は いよいよ深し こぼれ萩 白萩の いざなふ果ての 崩れ寺 乱るほど 乱るるほどに 萩めける 掲句は、もう35年も昔に詠んだ拙い句です。萩を花瓶に活けるとすれば、上品に飾っても萩らしくありませんね。十二単の姫君の、よよよと泣き崩れる髪のような乱れる風情が、萩の萩らしいところだとおりくは思っているのです。 さて今夕は家内とチェンバロの演奏会に行き、先ほど帰って来ました。調律を再々しなければならない楽器ですね。最近は人気があって演奏者も随分多彩です。おりくの作曲しました「心の四季」と言う曲にはメロディラインをチェンバロで奏でています。 チェンバロと言う楽器は、爽やかな澄んだ音でなく、何処か哀愁の漂う音色がしますね。今夕のこの演奏会には、ヴィオラ・ダ・ガンバと言うビオラとチェロを併せたような楽器、そしてフラウト・トラヴェルソと言う木製のフルートも加わって、古典や近代の音楽を楽しませて貰いました。 ものを書いたり、曲を作ったり、詩を詠んだりするには、何らかの感動が無くては叶えられません。漸く秋らしくなって来たここ数日は、人それぞれの気持ちを綴るに相応しい季節です。・・・さぁ、貴方も何か創ってみませんか?
2003.09.20
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男を慕い切ない愛を捧げる場末の不幸な女を描き続けた竹久 夢二。彼がこの句を見つけたら、巧いと一言発するであろう。夢二の愛した優しい心とは、→見返りを求めない、自分が一方的に犠牲を強いられる愛でも構わないとする心栄えのことで恋愛だけに限らない・・・であったろうと、私は勝手ながら決めている。 従って本句を恋の句として鑑賞するも良し、恋愛感情を伴わない大らかな優しさの句として鑑賞するも良しである。下5の月光にが効いている。「朝顔の 小さくなりて 秋涼し」(祐子) 毎年夏は朝顔の花を愛でることにしている。庭に朝顔の無い夏の過ごし方など考えられない。それほどまでに、吟者は朝顔の愛好者なのであろう。悲しい哉、立夏を過ぎると、次第次第に朝顔の花は小さくなって行く。嗚呼、今年の夏も、もうお終いだ。 脳裏なる ネットの人や 星月夜 おりく
2003.09.19
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①夜が好き ラララ 夜が好き 虫の音すだく 秋の夜 窓辺の闇に 零れゆく 貴男ゆかりの モダンなスタンド 灯りがとても せつないわ ②夜が好き ラララ 夜が好き 人も草木も 眠ってる 夜のしじまに 奥深く 貴男がくれた ピンクのスタンド 淡い灯しに 酔ってるわ パソコンの前に座ってネットを楽しむ女性たち。自分の伴侶には一言もささやきはしないけど、心に棲んでる愛しい男に、素直な気持ちをつぶやいている。 女はちょっとした気遣いや、たった一言の優しさを胸に仕舞いこむ。そのちょっとしたことが女にとっての宝もの。
2003.09.18
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午前中の組は8人程度、検査は昼前までかかりましたが、アットホームで健康であることをチェックすると言った雰囲気でした。 大阪扇町に在るこの病院は、おりくに取って忘れ得ぬ病院なのです。そのことは過去日記(おりくの故郷、大阪編)にも書いてありますが、銀行に勤めて一年目の検診でレッドカードを貰い、都合9ケ月間入院した所でした。 昔は鉄格子のある窓、古い建物でしたが、今はシティホテル並みの豪華な病院と化しています。五階のフロアはホテルの待合のようにゆったりしていますし、エレベータも窓があって、14階まで吹き抜けの中を上下しています。 検査料金はそこそこしましたが、お食事券付きでした!500円程度の麺類、エビフライ、トンカツ定食、一番上等が鰻定食で850円。・・・血を採られたので、おりくはトンカツ定食にしました。それに飲み物も自由でアイスコーヒーを小声で頼みました。 検査結果の粗筋は良好でした。おりくはストレスを溜めない楽天家ですので、病気の入り込む余地が無かったのかな~?同じ生きるなら、クヨクヨ考えないで気分転換を図り、楽しいことだけを追い求めて行きたいですね。 心をオレンジ色にしておけば、寂しがり屋の同士、悩んで居られる同士、怒って居られる同士の心を包んで差し上げられますからね。おりくには落ち込んでいる暇が無いのです。これは60年ほど馬鹿なりに生きて来た中で会得した人生観なのです。
2003.09.17
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40歳を越えて以来、古巣の銀行そして関係会社の現職場においても年一度の人間ドックを受けるよう義務づけられています。人間ドックでの問題点が無かったから安心だとは言えません。と言うのはおりくの直ぐご近所のご主人さんがドック検査の後、4ケ月でお亡くなりになったからです。 しかしやはり一応の目安になるので制度には従っています。まだ胃カメラを飲まずにバリュームだけで来ていますが、あれも後遺症がいろいろあるから、嫌ですね。 本日は食べ物と健康について私見を述べさせて戴きます。戦後の物資の乏しい頃は主食の米とおかず少々でした。学校給食は大正時代に被災地の人々に食事を配ったことに端を発しているそうです。 この学校給食がおりくの時代と様変わりの内容になっています。それから高度成長の波で所得倍増路線が引かれ、折りしもインスタント食品が生まれました。これは化学化合物の産品です。加えてスーパーなどが急増、個人住宅持ち家の普及に比例して、共稼ぎ夫婦が増加、その需要に応えてインスタント食品や冷凍食品が主流になって来ました。世の中の時計がカチカチ音を立てる忙しい時代に入っています。 アトピーや癌患者・高血圧の患者が若年層、中年層に急増しています。丁度昭和35年生まれの大人の人から、こう言った病気が増えています。先述した化学合成食品の普及に符合しているように思えます。 現代は栄養の取り過ぎですし、米や麦、芋などの昔の主食品に代わってパン食やその他の粉食品が毎日のように摂取されています。米の胚芽にはたんぱく質やビタミンなどが豊富に含まれています。今一度、食事のあり方を考えてみたいものです。 固いお話を和らげる為、悪乗りですが歌詞を付録にしておきましょう。2003/03/05(水) 歌詞:「京 暦」・・・京の四季を織り込みました。 趣味日記-創作・ネタ,恋愛日記-片思い,感想日記-音楽 ①恋という字に 心を染めて 焦がれる女と 知りながら 哀れ散る散る 桜花 京は円山 花かがり ②いつも泣き言 言っては拗ねる それでも貴方を 許してる 哀れ降る降る 五月雨に 京は加茂川 杜若(かきつばた) ③どうせこの世で 添えないのなら 死んでも貴方の 影法師 哀れ鳴る鳴る 鐘の音(ね)に 京は嵐山(らんざん) 紅葉山 ④夢か現(うつつ)か 幻なのか 貴方に抱かれた あの宿の 哀れはらはら 舞い落ちる 京は鞍馬の 雪景色
2003.09.16
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ライコスから楽天に引っ越す時、過去の日記をライコス日記からかなり削減しました。ネタが切れた時、繋ぎにできるかなと思って別ファイルに保存しておきました。これは3月6日の一部です。歌詞:「勝負」・・・これも演歌仕立て。 夢に敗れて 野に下る 苦節十年 起ち上がる 男の錦は こころざし 人生人生 勝負だよ 惚れし女は よそに嫁(ゆ)く 受けし傷心 訓として 男の錦は 思いやり 人生人生 勝負だよ 心豊かに 日々処せば 期せず人の 集い来る 男の錦は 侠気魂(だま) 人生人生 勝負だよ 国は廃れる 気配あり 誓うこの身を 捧げんと 男の錦は 興国の 人生人生 勝負だよ
2003.09.15
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俳句の世界では空が澄み渡り、空気の清浄な秋の季節感を「秋の声」と言う季語で表すことがあります。虫の音もその一例ですね。 おりくの棲んでいる処は、阪急京都線とJR東海道線に挟まれています。JRの線路は直ぐ近くを走って居て、引越して来た当時は東の窓から、長い長い貨物列車や上等な特急列車が見えました。現在は住宅と住宅の隙間から少し覗ける程度になっています。しかし、列車の行き交う音は手にとるように聞こえます。 阪急の線路までは徒歩5分程度の距離で、秋になると踏み切りの警笛が、かすかに聞こえて来ます。本日は空気が澄んでいるから、カンカンカンと言う信号機の音まで届くのでしょう。 ところで秋は清涼感の目覚める季節でもあります。俳句では「新涼」と言う季語でも表現します。こんな句があります。 新涼や 足袋を真白に 僧を継ぐ(角野 彰子) 真新しい足袋の白さと秋の清涼感、そして仏に仕えることを生業とする清潔さがよく季語に合っていますね。おりくの場合なら 新涼や ガラス無きかに 飾り窓 カフェテラス 新涼風の 通りみち ポップスに 飽み新涼は ソナタ聴く
2003.09.14
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台風の影響で雨やも知れぬと危ぶんでいましたが、何のなんの、すっかり晴れて北陸地方ではフェーン現象があったとか?残暑お見舞い申し上げます。 月見の季節に残暑というのも変な話です。実家の母に会いにゆき、その後、長岡天満宮主催の「名月祭」を見て参りました。例によって自転車を境内の隅に駐車して、この度新築された「神楽殿」に行きますと前の方に空席がありました。 神楽殿の両サイドに篝火が炊かれ、やがてお神楽が始まりました。神事での太鼓は文様鮮やかな代物です。冠をつけた巫女さん二人が静かに、ゆっくりとした舞をご披露されました。笛や笙などの生演奏が、平安時代に私たちを誘います。おりくの別の名は光源氏ゆえ、それになりきって楽しみました。 次はお琴の演奏です。小学6年生ぐらいの少女を一番前に据え、三人の琴の調べと少女の唄。少女が舞台を退くと、盲人の女性がその席に座りました。「六段の調」の始まり。・・・少女と、その方と入替わっただけなのに、力強く、奥床しく、澄んだ琴の音。岡田多栄子先生がその方だったのです。 演奏は「荒城の月変奏曲」そして新曲らしき「憧れ」と移ります。江戸時代の武家の婦女子が嗜(たしな)んだであろう頃とは、また趣の異なった現代楽器としての音色がハーモニーして、とっても斬新でした。お琴は弦の数も多く、指の撥ね方、駒のそばを押す手加減でいろんな趣向が楽しめます。 この楽天のマ~コさんがお子様の誕生日にお琴をプレゼントなさったと言う書き込みを頂いたばかりの今夜なので、因縁の不思議さに戸惑いました。 最後は琵琶の演奏でした。浄瑠璃三味線とチェンバロとを合わせたような音色。今で言うギターの弾き語りそっくりでした。演目は「一ノ谷」勿論平家物語の一節でした。 「月出でよ 天神の森 琴の調べ」 「琴の音に 篝火はぜる 月の宴」 「台風の 逸れて琴の音 澄み亘る」
2003.09.13
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秋の夜更けに虫の音を聴いていると、ついクラシック曲を作りたくなってきます。中古のノートパソコンを手に入れてからというものは、専らネットの世界に深入りしてしまい、昔のように作曲を楽しむ度合いがなくなってきました。 おりくの拙い曲凡そ150曲の中で、クラシック系が80曲程度かしら・・・。おりくはピアノを習ったことがありませんので、和声は理解しても、その移動については基本ができていません。合唱を永年やってきた経験から我流で曲を作っています。 バッハ、ヘンデル、ベートーベンよりも、もっと旧い時代の作家:パレストリーナーの時代は、音符(♪)の丸い部分が四角だったンですよ。昔の宗教曲は二部音符や全音符が並んでいて、ゆったりしたテンポでした。これを合唱するには腹筋が強くないと音がどんどん下がってきます。 ミサ曲は一つのお経ですから楽譜やハーモニーは単純です。今流行りのロックと正反対ですが、ハモっていると(合唱していると)、まるで温泉に浸かっているような安らぎを感じます。 さて対位法と言うのは、一つのメロディ部分をずらしながら和音を構成する手法、解りやすく言えば、輪唱の手法です。静かな湖畔の森の陰から・・・・。 おりくの曲には、この対位法を使った曲が数曲あります。澄んだ虫の音を聴きながら、ふと作曲に思いを馳せました。
2003.09.12
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今夜はお月見。生憎台風の影響なのか、月を見ることができません。サザエさんの4コマ漫画に、かつお君が抜き足差し足で月見団子に近寄り、そぉ~っと一つ摘まんでみたら、何と全部糸が通してあって、数珠状態でみんな引っ張り上げて驚いているマンガがありました。 長谷川町子さんは、丁度おりくの少年期に活躍なさった方で、その時代を見事に風刺して居られた。また季節感のある作品が多かったように思います。 さて無風に近い暑い夜ですが、小さな虫たちが澄んだ音色でストリングスを奏でていますね。残暑の真昼にはキリギリスが、そして夕闇迫って来ると、鉦叩きが半鐘を鳴らしています。 大阪の住吉に居た時分、祭の夜店で買って貰った鈴虫。リ~~ン、リ~~ンと息も継がないで鳴いていました。羽を擦るだけで、よくもあんなに見事な音色を出せるものだなぁ~。 夜店の虫売りは40がらみのおっさんで、ふとその指を見れば、太い、ごっつい指でした。おっさんの指と稚(いとけな)い虫の命の対比を詠んだのが掲句。 京都の嵐山の近くに「鈴虫寺」があって、幸運をもたらせるという評判で、お寺はいつも観光客で賑わっています。冬を越させて毎年、鈴虫の数が増えているように思います。・・・そろそろコオロギも鳴きだすのかな。 鉦叩 柱時計の 背に潜む 小夜ふけて 虫の音近く 近く在り
2003.09.11
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2003/02/10(月) 歌詞:「だから信じたの」 趣味日記-創作・ネタ,恋愛日記-秘密の恋愛,感想日記-音楽 1)泊まって行けばと 自然に言えた あの時そんな 気持ちがしたの 家を離れて 独りの暮らし いいことばかりじゃ 済ませない 人の温もり 欲しくなる 話し相手も 欲しくなる 女の本音は 女に言えない だからあなたを 信じたの 2)一緒の布団に 入ってもいいと あの時そんな ことさえ言った いつもおんなじ 仕事が続く 変化のない日が 待っている 涙流して みたくなる たまに抱かれて みたくなる 本当の悩みは 誰にも言えない だけどあなたは 信じたの 3)心が燃えたわ 身体も燃えた あの夜のことは 秘密にしてね 愛の宝は 大切だから 想い出小箱に 鍵かける 恋の名残は 消さないわ 夢の名残も 消さないわ 素敵な出来事 誰にも言わない そしてあなたを 信じたの (ドラファドラーファドー レーシーラッソラー) この曲は独り住まいのOLさんをモデルに仕立てて、歌詞を考えて見ました。男もそうだけど、独り暮らしは気楽な反面、孤独感に苛(さいな)まれがちです。女性なら、尚更そうなのかな~~と想像して綴りました。 おりくは亡父から「女性を傷つけてはいけない。泣かせるようなことはしてはいけない」と、折に触れて言われていましたので、結婚するまで1対1で付き合ったことがありません。 それでも独り暮らしの1DKマンションは、狭い靴脱ぎ場、小さな冷蔵庫、即席ラーメンを作れるほどの狭い流し台とガスレンジ、整理ダンスに小さなテレビ、そしてベッド。これだけで部屋は満タン状態・・・であろうことはスナック嬢さん達との会話だけで頭の中にイメージされています。 女性が一生を託す相手を決断するのには、自分もその責任を半分持つ覚悟がないと難しいだろうなと思います。伴侶が幸せにしてくれる・・・そのような依存心では夢破れることが多いでしょうね。結婚は異性同士の共同生活の場に過ぎないから・・・。
2003.09.10
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いきなり本句から離れた話で恐縮だが、邦画で「鬼婆」という映画を過去二度見たことがある。音羽信子主演、吉村実子助演のもので、薄(すすき)や葦の生い茂る茫々たる景色から物語が始まる。戦国時代の農民の生活を、男と老若二人の女の心理を描いたストーリーで強烈な印象が残っている。 戦に行ったきり帰って来ない息子を待つ姑とその嫁が、かつかつの生活をしている処へ、中年の農民武士が仲間入りして共同生活をするようになる。 女たちは勿論手伝うが、男は瀕死の落武者の兜・鎧などを手際良く剥いでは売り物にして生活費を稼いでくれる。その内、男と嫁とに特殊な関係ができたのを快しとしない姑が、高貴な落武者から奪い取った般若の面を被り嫁を脅す。 初めの間怖がっていた嫁も、般若面の主が義母であることに気づき、反撃するという話である。葦や薄の原っぱには大きな穴があって、死体が山積みされている気色の悪い部分もあった。 幽霊の正体見たり枯れ尾花という句もある。月見の頃のススキは薄茶色ながら艶があり、まるで乙女のキューピクルの髪に似ているが、夕風にそよぐススキを凝視していると、何やら物悲しくなって来る。芒(すすき)が寂しく感じさせるのか、秋の落陽がそう思わせるのか・・・・。 薄(すすき)の穂で「ふくろう」を編んでいたお婆さんは、その後どうしたのだろう。テレビで、とんと見ない。
2003.09.09
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ここ一週間、遅まきの夏休みを貰って、久しぶりに通勤者の一員になりました。朝の電車では、さほど季節の移り変わりを感じませんが、定時きっかりの五時半に退社して電車に揺られていると、高槻市辺りに差し掛かる頃、夕方の景色になります。 西の空に山の稜線がはっきりと見え、赤く焼けた雲がビー球の模様のように、ひと筆、ふた筆流したように長く漂っています。 ウイスキーでお馴染みのサントリーの工場が車窓近くに見えて来ます。「何も足さない、何も引かない」で有名な「山崎」は、天王山(秀吉、光秀の天下分け目の戦いで有名)の中腹で醸造されています。 後鳥羽院の「夕べは秋」と読まれた歌を清少納言が反論していますが、水無瀬辺りから山崎にかけて、四季折々の風景はとっても美しく、おりくも好きな場所です。 向日町の駅に下車して少し歩むと、この間まで明るかった同じ時刻の景色が薄暮に移り変わっています。会社を出た時間から一時間ほどの間に、日暮れはどんどん進んで行くのです。 以前出張などで東京から五時過ぎの新幹線に乗って、車窓から眺めていると、暮れ初めて、そしてやがてとっぷり日が暮れゆく様が舞台の景色のように思えますね。 贅沢な話ですが、ここ半月余り、そんな景色を楽しみながら帰宅できるようです。 秋落昏 西山連峰 火の茜 とっぷりと 昏れ秋天の なほ蒼く 飄然と 来て野に融けし 秋遍路
2003.09.08
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2003/02/01(土) 「占い」・・・コミカルな、そして勢いのあるメロディ仕立て。 テーマ日記-バレンタインデー,恋愛日記-結婚,感想日記-音楽 ①占いを信じますか? 見料少々 高いけど やっぱり気になる 近頃の運勢 彼は真面目ですか 彼をゲットできますか 彼を旦那にできますか 自分じゃ分からない 手相の溝みぞ ②占いを信じますか? 今までお金に 縁がない やっぱり気になる 将来の金運 彼は金の成る木 彼は出世できますか 部長夫人になれますか あれこれ欲張っても 根も葉も無いない ③占いを信じますか? チャンスに何度も 負けたけど やっぱり気になる この次の勝ち運 石田君を狙います 勝てる見込みありますか 後に退けない本気です 真底祈ってる プライド捨てすて (ソラドードードー ミレドードドドー ソラレーレーレーファミレーレレレー ドシドミー ラソミソーレミレーソー ラソミドーー ・・・こんなメロディです)・・・少し年配のOLさんをテーマに 占いの滑稽さを皮肉ってみました。 ところで女性は何故、占いが好きなんでしょうね。一部の方からお叱りを受けるかも知れませんが、女性は本来子供を産み、育てるように神様がお創りになりました。女性は子供を護るように洗脳されて居られるけれど、その手助けとして男の力を頼りにします。 ところが、男は本来風来坊。頼ってばかりも行かないから、勢い女性は自分の直感を補佐する拠り所を求めます。それが占いであるのかも知れません。直感の冴えは女性が男性を超えるものの、その選択・判断が正しいという太鼓判が欲しい故、女性には相談癖があるように思うのです。
2003.09.07
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このネットの世界の中には、病気と闘っている人、ご主人がぐうたらでその役目を果たせず生活苦に困っている人、旦那様が不倫真っ最中で氷の心溶けざる人、不倫は好ましくないと解りつつ癒してくれる人に恋焦れる人、表面だけで判別され未だ素敵な彼女の居ない人、現状で一応満足半分の人、いろいろ居られることでしょう。 どんな環境に置かれていても、自分を律することができるのは自分をおいて他には有りません。 昔、こんな言葉を聞いたことが有ります。やること為すことすべてが好転していて人生の絶頂期に在る時には、有頂天になってはいけない。自惚(うぬぼ)れないで他人の意見を受け入れるようにしよう。反対に、やること為すこと空回りしてどん底に在る時は、へこたれないで自分を信じて前進しよう。 人類は海から生まれた生き者ゆえ、汐の満ち退きに大いに影響され、所謂(いわゆる)バイオリズムに支配されぬでも無い訳です。自分の体調の波に巧く合わせることが大切でしょうね。女性は複雑な身体を持っているから尚更でしょうね。 私たちの身体は病原菌など、招かざる客に埋(うず)もれて生活しています。身体を構成する細胞や血液の中にある抗体の働きで、外敵から我が身を護っているのです。 そしてそれはホルモンの働きにも大きく影響を受けます。このホルモンを活発にさせるものはと言えば、自分自身の心の持ち方だと思います。 同居の人、職場の人、親戚の人、外で擦れ違う人々、そういったあらゆる人との接触でストレスが溜まります。ついつい弱音を吐く自分自身の悪玉が、悪い方へ悪い方へと誘惑します。 しかし、此処が勝負どころです。自分の善玉を総動員して、一笑に伏すことで悪玉をボイコットしましょう。 風邪の黴菌、癌などの強敵が日々私たちの身体を襲います。健気(けなげ)に闘う善玉も、時には新手の敵に負かされます。それが病気をしている状態です。 近代医術に精通した医者は抗生物質という文明の利器で黴菌と闘う細胞や血液に「援軍」を送ります。この援軍と自分の体力との勝負で戦っている10日ほどの間に抗体が形成されて、ついに頑固な悪魔を退けているのです。 精神的なものが身体に作用することはいろんな実験で証明されています。良きにつけ悪しきにつけ、心の持ち方が自分の身体を左右させます。 さあ、今日から新しい自分を発見しましょう。新しい自分を形づくりましょう。マイナスに作用する羨望や、憎悪や悲観とはきっぱり別れを告げましょう。 自分に得な笑い、喜び、プラス指向と言う協力な武器を備えて逞しく生きて行きましょう。善玉は貴方自身が育てましょう。70、80歳のお年寄に目を向ければ、プラス指向で歩いて来られた方のお姿からいろいろ学ばせて貰えますね。 15日は敬老の日。人生の波を克服して来られた鑑から学びましょう。いつか私たちも素敵なお年寄になりましょうね。
2003.09.06
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四つある季節の中で、一番美しい空を仰ぐことができるのが、他ならぬ秋です。地球がまるいと気づくのも秋。日本の住宅地に走る電線が否応(いあやおう)なしに目についてしまう季節ですね。 もくもくと力強かった入道雲がいつしか鱗の雲に変わり、空の高さに驚いててしまいます。夕闇迫る頃、小さな命の虫たちがストリングスを奏でます。 恋人たちは腕を組み、夜のしじまに消えて行き、歳の大小にかかわらず人は越し方を振り返ります。秋というもの哀しいピエロは、生きることをしみじみ考えさせてくれますね。 煌々と 過去を映すや 月の影 ナ 望月や 並べてもの影 まろくする ケフ 遠き人 何語らむや 今日の月 今日の日記は舌足らずで、我ながら物足りませんので、ライコスに載せた歌詞の一部を付録としてくっつけておきます。2003/02/09(日) 歌詞:「夢見てるだけ」 趣味日記-音楽,恋愛日記-ノロケ,感想日記-TV・芸能人 夢見てる ウエディングドレス 街の小さな教会で いかにもクリスチャンめいた神父が 二人に永久の愛を 誓わせるの そんなそんな夢を見てるだけ 夢見てる 静かな街の 白い小さな スイート・ホーム いかにもヤングミセスめいたわたしの エプロン姿 鼻歌クッキング そんなそんな夢を見てるだけ 夢見てる ハネムーン・ベイビ 黒い瞳の かわいい児 いかにも聖母マリアのような仕草で お餅のように柔い わが児を抱(いだ)く そんなそんな夢を見てるだけ
2003.09.05
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昨日は帰宅してふらふらの状態で日記を書きました。夜9時に弱冷房の部屋にて2時まで転寝(うたたね)。深夜にHPなどのチェック。4時に二階の蒲団で寝ました。 都合8時間も寝ることができたのは久しぶり。元気なおりくに戻ったのでしょうか? 旅日記に入る前に、いつか日記に書いたけれど、今年は冷夏だったので白い百日紅は立派に咲いていたものの、紅いのは元気が無く、色も淡かったり精気に欠けていましたが、9月に入って真夏日が続くと、あら嬉しやな、紅色濃く咲き始めおりくを喜こばせてくれています。 表札の 古びし邸や 百日紅 ほろほろと 花弁零すや 百日紅 恋ふ人に 簪(かんざし)挿そか 百日紅 随分道草してしまいました。さて旅日記を綴りましょう。紅鮎旅館にて11時ごろ就寝しましたが、深夜目覚めてしまいました。静かに部屋の露天風呂の傍に行って、夜空を見ます。 隠れてしまった三日月の在った辺りに、赤く光る一際大きな星。紛れもない6万年に一度の火星です。工場など少なくて澄んだ琵琶湖の空には視力衰えたおりくの目にも、星の粒が点在している様が鮮やかに見えました。時間の贅沢・・・素敵だな。 6時過ぎ家内を起こして大浴場へ。おりくは二階、女性の家内は三階へ。夕景と趣(おもむき)の異なった清涼たる琵琶湖の朝。水鳥が湖面すれすれに飛翔すると、その影が湖面に映ります。 朝食は凡そ7組のお客さんが一堂に会して、湖と海の幸をいただきました。豆腐が特に美味でした(ごめんね)。出発までフロントの傍の休憩場で望遠鏡を覗きます。家内が「来るな!」って赤で書いてあるというので確かめると「乗るな」の間違い、養殖作業のブイだから危険ゆえ、素人さんへの注意書きがいきなり望遠鏡の丸窓に写っただけのこと。アホ!と家内の頭を指で打ちました。 水鳥は番(つがい)でいることが多く、魚を探して首から頭を突っ込むから、丁度スリッパ立てのスリッパのように半身だけ見えます。それがとっても可愛い。望遠鏡で覗くと、肉眼で気づかないのですが、遠くの湖面や湖上には、驚くほど頻繁に鳥たちが群れをなして飛んでいるのでした。 旅館の車で河毛という駅まで延々15分ほどの道のりを送って戴いて、新改装した駅で時間待ち。長浜駅に着くと観光案内所で「鮎茶屋かわせ」の場所と営業有無を確かめて貰いました。幸いなことに営業中とのことだから昼食は其処に決めました。 長浜は観光客の多いスポット。シーズンオフでも余所者(よそもの)が結構観光を楽しんでいます。一度訪問した「黒壁ガラス館」にレンタルサイクルを留め、繊細な硝子細工の妙を楽しみました。町並みをゆるり運転しながら、帰りの土産をあれこれ吟味します。 さて炎天下にハードなロード開始。自転車道をずんずん走る。左手にはちょっと汚れた感じの琵琶湖。ロードは左へと歪曲するのに抗わず、ひたすら自転車を漕ぎます。 さして利用されてもいない石畳の木陰路。涼しいなと思いきや、すぐ元の自転車道に戻ってしまいます。およそ25分ほど頑張っているとぶどう園やヨットハーバー、キャンプ施設のある場所に着きました。 目的地の鮎茶屋かわせを探すのに一苦労。道行く農婦に尋ねたり、信用組合に居られたお客さんに親切に教えてて貰って、村はずれの鮎茶屋かわせに辿り着きました。 きっと人気抜群なんでしょう。炉辺焼きに似た雰囲気の店内で数種類を注文。串刺しにされたまま動いている鮎を熱板に乗せる残酷な世界。ごめんね鮎君。お刺身も鮨も戴いて、「かわせ」を後にしました。 炎天の中、地で獲れた野菜やその他を見学。哀しい哉、いつも愛用する冷保存可能バッグ(家内のお手製)を持って来なかったので、触手の動くグッズを全て諦め、再び炎天下、私たちの勘を生かしてできるだけ樹木の植わった道を長浜の町を目指して漕ぎました。 帰りの電車では井筒屋の弁当が人気があると言うので、米原での停車時間5分の間に3種類のお弁当4つ買いました。おりくは眠りを誘うべく缶ビールを飲みました。 <旅のまとめ> JRの職員さんはそれほど親切でありませんでしたが、道行く人の人懐っこさ、余呉湖畔にあるレストランの低料金にも拘わらずその美味しいメニュー、数えればキリがありませんでした。残暑と言うより猛暑の中、ゆっくり時間を費やせたのが印象的な小旅行でした。
2003.09.04
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9月2日、朝6時起床。PC電源ONにしてからシャワーを浴びお茶を沸かす。PCへの書き込みへの返信を簡単に済ませOFF。 自転車にてJR向日町へ向かう。京都駅にてモーニング。予定よりも早い新快速に乗る。米原を過ぎるとやっと空席が目立った。 長浜から高月町へ乗り継ぎ、炎天下、渡岸寺十一面観音さまを拝観(国宝)。さすがに作家井上靖氏が虜(とりこ)になられたことが頷ける必見の観音さまである。 夏休みが終わり観光客激減で、至るところが休業状態であったが、一路、余呉湖を訪ねる。駅前にて自転車を借り、湖を一周する。正に鏡のような穏やかな湖面であった。 木ノ本に戻り、観光案内所で情報を集め(ここの小父さんは親切で、JR職員さんと雲泥の差)、賤ケ岳リフト前まではタクシー利用、家内が運転手の美声を誉め、声だけでなく顔もとおりくがフォローした結果、割引券を貰った。 急斜面をリフトで運んで貰ったものの、その後は自分の脚に鞭打って何度も休憩しながら頂上に達する。右に移動すると本日一週した余呉湖が、左から見下ろせば奥琵琶と竹生島が地図を広げたように見える。 バスでJRまで戻り旅館に、次の高月町まで送迎車を寄越して貰えるよう連絡。旅館は紅鮎という全国でも人気のある宿。 女性のみ部屋の浴衣以外、フロント横の和箪笥(たんす)から好みの浴衣を選べる。さんざん迷った挙句、家内は地味な色柄のを選んだ。 浴場は琵琶湖を真近に眺望できる総ガラス張りで、その前にも露天風呂がある。湖上には仲睦まじい水鳥の番(つがい)。山の上には赤い夕陽。ユリカモメや雁が群れをなして飛翔する。 紅鮎は最近リニューアルしたばかりで、建物も室内も真ッさらで嫌味の無い贅を施してある。当番の仲居さんは×1の独り者だったが、家内やおりくの軽口に身体を捩じらせて笑う。 七本槍という銘酒の美味さ。料理と器の妙。この宿を選んで良かったという満足感と一緒に料理を口に入れる。フロントの傍の休憩所には俳句の本、金子みすずの詩集、その他写真集や素敵な書物が並んでいて、足湯の設備もあった。 女将さんに火星の出る方角を教えて貰いながら、会話が弾む。部屋に戻って部屋の温泉にも浸かる。三日月が美しい。 大琵琶の 湖鏡は汎し 月の宿 大琵琶に 月の架けたる 雲母(きらら)橋 紅鮎の 宿に滞まる 月今宵 まだ、疲れが残っているので、今日の日記はこの辺で。
2003.09.03
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苦労ばかりかけている家内が余呉湖がみたいと言いますので明日から行って参ります。昨夜、実家の母がめまいしたと電話して来ましたので、本日、近くのかかりつけのDrに診て貰おうと思っていましたが、その後、すっかり落ち着いたから、医者には行かない、金曜日(5日)にちゃんとお医者さんに説明するから・・・と母はかたくなに拒むものですから、姉にも報告、母の意思を尊重(甘やかせる)することになりました。 父を亡くして以来、その束縛から解き放された母は、此処に来て長女の我儘振りを覗かせています。おりく夫婦が長男で家も近いことから介護のメインになって居りまして、旅行などなかなか行けませんでしたが、おりくの連続休暇の今週、息抜きの旅を急遽考えました。携帯から日記を書く方法もあるようですが、明日は日記を休ませて戴きます。 9月に入っても冷夏を悔い改めたのか、残暑厳しい中、この近くでは年寄りを優しく扱ってくれる総合病院という噂のある病院の見学に行って来ました。洛西ニュータウンの一角にあります。この辺りは善峰川やその他の支流が交錯していて、自転車で走るには幾たびか橋を渡ります。病院は思ったよりは小規模でした。しかし4人部屋などゆったりしていて、将来母が入院しても悪くない感じでした。 涸れもせで 滝連ねたる 夏の河 母の血流もさらさら、いつまでも流れて居て欲しいな!
2003.09.01
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