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いろんな思い出をいっぱい詰め込んで今年という一つの個性が山の彼方、海の彼方へ消え行こうとしています。おりくは今年で59個の個性を送り出し、来年60個目の個性を手に入れようとしています。 顔も知らない遠くの人へ、おりくの考えや思いを汎く遍くお伝えしたいとかねてから思っていました所、ライコスさんのサイトでいとも簡単にホームページを開かせて頂き、その希望が叶えられた時の喜びは筆舌に尽くし難いものがありました。 不幸?にして便利だったライコスサイトが吸収された結果、楽天さんのサイトでお世話になることになりました。不思議な事に、ライコスでお逢いできなかった友が、この楽天さんで逢える事にもなりました。 目に見えない多くのお客様が相手ですから、敬虔に敬虔にお付き合いして参りたいと思って居ります。人さまから多くのパワ~や知識、喜び、哀しみ、感動を頂戴できました事、嬉しく思って居ります。 どうか皆様、こぞって良い新年をお迎え下さい。 言の葉の 絆でつなぐ 去年今年(こぞことし)
2003.12.31
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京都南座の顔見世は師走の風物詩。より選った着物姿に身をやつし、伝統の芝居に酔い痴れていた。豪華俳優の夢の競演に、歳の瀬の煩わしさを、一とき忘れていた。芝居がはねて劇場から一歩外に踏み出した途端、寒い風の所為で現実に引き戻されてしまった。其処にはまごう事無き主婦の顔がある。女には家に帰ると、年中無休の家事が待っている。しかし、女は現実派であるから、女で居られる。現実的でない女は恋愛にのみ生き、家庭という箱には馴染まない。 さておりくは本日昼過ぎまで懸命に働いていました。相棒が入院してしまったので、二人分の仕事をこなしながら、おりくの仕事を引継ぐ人に、一から、イロハのイから教えるという強行軍の年末でした。やっと仕事から解放され、5日間の自由を楽しむことにします。家内は睨み鯛を実家に届けてくれました。2日に集まる姉たちへのお土産のお菓子も若菜屋さんで調達。
2003.12.30
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いよいよ年も押し迫りました。31日、長女は実家のお仏壇の磨きを済ませた後、京都は新風館のカウントダウンに出かけると言っています。おりくは明日いっぱい働いて御用納め。31日は家内と実家の買い物を済ませ、おりくと長男は夕飯を実家で頂き、家内は家内の実家へ急いで直行、やおら正月の準備です。おりくはそのまま実家に泊まり、この家には息子が戻ります。と言う訳で、一家離散に近い、最近のおりく宅の年末風景です。亡父が達者だった頃は、この家ですき焼・年越しそばを親子4人で囲み、11時45分ごろから、除夜の鐘を数箇所で撞きに行っていましたが・・・・。紅白歌合戦の勝負の結果を見るや否や、4人がめいめい自転車に乗って先ず向日神社へ初詣。福引などして、その足で除夜の鐘撞き巡りを始めるのでした。あちこちのお寺で甘酒を振舞っていただき、4人とも鐘を撞きます。長女の撞きは見事なもので、おりくの音にヒケを取らないほど強烈でした。寒い中、数箇所での鐘撞きを済ませて、やっと暖かい風呂で垢を落とします。
2003.12.29
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あちこちのお寺で御仏像を祓い清めて居られるのだから、庶民たるおりくも新年に備えて窓や網戸など、家廻りの大掃除に着手しました。とは言え、昨日の実家から連続のお掃除です。 大小18枚の網戸に、次々ホースで水をかけ、たわし等で磨いて天日に干し、その間をぬってガラス戸磨き、雨戸の埃取り、2階の物干し場の拭き掃除など。 別に喫煙者に嫌味を言う訳ではないのですが、おりくの部屋の網戸の汚れ具合の酷かったこと!おりくの肺は、あのように濃い茶色に汚れていたのですね。「嫌煙権」という権利よりも「嫌汚権」は認めたい気分になりました。 最近、毎日のようにタバコを吸っている夢を見ています。過去、禁煙を破って初めて吸ったタバコの味はそれほど美味いとは思わなかったのに、一旦吸ってしまうと、しばらく止められないものです。 今回の禁煙はずうっとキープして行けそうです。自分自身で、もう吸うまいと決めているからでしょうね。この日記を書き終えたら、また掃除の最後を締めて夜はテレビ(さんまのからくり)でも見るなり、聴くなりしようかな?
2003.12.28
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娘が出かけていたので、実家から戻ってから娘の部屋で久しぶりにテレビを楽しみました。年末に各局が特別番組を組んだりなどしたら、働きたくなくなるのに・・・。だからメディア人のモノの考え方は好みません。 と思いつつも、ついついテレビに見入ってしまいました。笹みどりさんは、今の方が美人だな。クモ膜下出血で二度倒れたのに見事復活できたのは、彼女を支えたお母さんの愛の賜物。 じゅん&ネネのネネさんが、長い髪をばっさり切ったら、昔のネネさんの顔に戻ったのには驚きました。いずれの人も、その昔、舞台の上に立ち、脚光を浴びたスター。 歌を忘れることなく、昔どおりに歌えて居られたので嬉しく思いました。この楽天で親しくお話するメンバーにも、歌の好きな方が多く居られて、之またうれしいことです。 カラオケという文化が日本全土に行き渡り、一億総スターの時代になってはいますが、歌は多くの人の人生の後押しをする役目をも果たしてくれますね。
2003.12.27
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1)野沢の春は 菜花畑 老いも若きも 嬉し顔 おとぎの国の 黄金村 日本一の 野沢菜漬 心をこめて 作ります お出よ 来てね 野沢温泉 それ、お出よ来てね 野沢温泉 2)夏の始まり 水芭蕉 清く可愛い 白頭巾 動く歩道で ご案内 天下を獲った 豪気を得て 真理の道を 肌で知る お出よ 来てね 野沢温泉 それ、お出よ来てね 野沢温泉 3)赤い林檎の 飯山線 野沢の秋は 紅葉山 愛しい人に 逢いに行く 湯元の湯気も 熱い胸 こんこんと湧く 出湯町 お出よ 来てね 野沢温泉 それ、お出よ来てね 野沢温泉 4)冬はすっぽり 雪の国 若人集う スキー村 信越の山 ひと滑り 恋の未練は 断ったぞな 十と三つの 湯場巡り お出よ 来てね 野沢温泉 それ、お出よ来てね 野沢温泉
2003.12.26
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今年も愈々押し迫って参りましたね。小唄の中に以下のものがあります。<和田の原、漕ぎいでてみれば、久方の、雲井にまがふおきつ志らなみと、法性寺の入道、前(さき)のくわんぱく太政大臣よまれたり、さツてもながいお名前ぢや、所詮(しょせん)暮(くれ)には讀めません、まづ春永(はるなが)に。> 落語には「寿限無」と云う長い名前をネタにした噺がありますね。 寿限無 寿限無 ごこうのす~りきれ かいじゃり水魚の すいぎょう松 うんぎょう松 風来松 食う寝るところに 住むところ 油小路 ぶら小路 パイポ パイポの しゅうりんがん しゅうりんがんの ぐうりんだい ぐうりんだいの ぽんぽこぴ~ ぽんぽこぴ~の ぽんぽこな~の 長久命の 長助 もう一つ、長屋に嫁入りして来た 公家奉公の ようえんはく だったか 同じ趣旨の噺があります。 詳しくは「茶漬えんま」さんが補って下さることでしょう。
2003.12.25
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電車の一番前の車両の運転席の横に立って、線路や巡り来る景色を見る時の心境と、逆に最後部車両の車掌席さんの隣りに立って、同じように過ぎ去る景色を見ている時の心境に、おのずと違いがある。前者は現代と未来に挑戦する前向きな陽性の気分、後者は過去を振り返るばかりでメランコリーな気分になる。ここ数日作者は、ちょっとしたことで気が滅入っていたところ、返り花を見つけた。あんなに、か弱き花ですら、暖かい陽射しに反応して咲き始める。年老いた作者に、明るい気持ちを持たせてくれた花に、希望を与えてくれた花に、ありがとう。そういう意味の句なのかな?
2003.12.24
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昨日の晩方から年賀状の準備を始めました。差出人名欄の毛筆書きで昨夜は時間切れ。そして本日の午前10時から2時頃までと、晩方9時前までを費やして年賀状は仕上がりました。 賀状には毎年、拙い句を一句添えています。ゴム版以外は全て毛筆の手書きですから時間がかかります。年賀だけの付き合いになりつつある人も十数名かな? 2時すぎから自転車で一駅京都寄りの駅のスーパーに寄って自転車を一旦預け、阪急電車で「大山崎」に向かいます。急坂を上って行って、「大山崎山荘」へ到着。 前回来たのは6、7年も前の事で桜花爛漫の頃でしたが、この時節は訪問客も程良い人数で、ゆっくり楽しみました。3階にある喫茶から淀川など見下ろし珈琲を味わいました。 毎朝、毎夕、こんな景色の好いところで暮らせたら、さぞや幸せだろうねぇなどと家内と語らいながら、百舌の囀りや滝音を耳に聴きつつ庭園を巡ります。 まるで着物地のように真っ赤な紅葉が幾重にも川の流れの中に沈んでいます。以前の花筏とは趣きの異なった風情に満足しました。 アサヒビールのサービスカーに乗せて貰って再び阪急電車で、今度は東向日駅に戻りました。写真の焼き付けを依頼して待ち時間の合間に買い物を楽しみます。 実は家内がクリスマスケーキ(全国300人の当選者数)を当てたので貰いに来たのでした。一日早い、クリスマスイヴ。鳥の腿肉やその他を買って再び自転車にて家路に着きました。 夕飯を済ませた頃、別の懸賞品が届きました。家内の嬉しそうな表情! メリ~クリスマスだクエッ!! お元気クエ? 今年はどんな年だったクエ? キョロは、楽しい一年だったクエ。 来年も良いことがたくさんありますように 祈ってるクエ。 じゃあまたクエ~!! キョロサンタより♪こんなクリスマス・カードと一緒に森永のお菓子製品が30数個もサンタ袋にぎっしり入っていました。勿論、キョロのぬいぐるみと素敵なキーホルダーも入っていましたヨ♪
2003.12.23
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現役の演奏会の打ち上げ直後、来年から歌える環境にあるので、それならいっそのこと、今年の最終の練習に参加して、楽譜を貰ったり、仲間に馴染んでおこうと思ったのでした。 来年3月中旬で停年退職。時間的な余裕ができるので、母と同居して毎日面倒看ていれば、土曜日や日曜日に外出できます。人と約束もできます。で、それを見越して大学グリーOB会の最終練習に参加してきました。懐かしい、顔、顔、顔!先輩や後輩たち。4年3月も経つと、初顔の人にも会います。おりくを入れてベースは11名。おりくが休部した後、一時5人足らずの日もあったと聞いていました。そのどん底状態を先輩・後輩たちが支えて下さっていたのです。久しぶりにハーモニーの中に浸っていました。初見でどんどん進んで行きます。既にステージで歌ったらしい曲もあって、その遅れを取り返そうと誓いました。午後1時から5時までの練習が終わると三十人余りで、近くの和風料理屋で忘年会に突入。優秀な合唱団体として関西合唱連盟より表彰して頂き、その副賞として貰った酒や、他の団体からの差し入れのワインなどで乾杯を挙げた。しばし多忙な年末を忘れて、先輩・後輩入り乱れて楽しく語り、呑んだ一日でした。
2003.12.22
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京都は桂に居た頃、雪兎を小学館の雑誌などから真似た記憶が微かに残る。九州に行き、大阪住まいが長引いたから、もう何十年もの間、雪兎を目にしたことが無い。真っ白な雪の兎。眼の部分には小豆を押し込み、本物の兎そっくりに見える。北海道の雪祭りでは、精緻に造られた作品が次第に溶け始め、だんだん形がぼうーっと霞んでしまう。危険を伴うので解体してしまうが、盆の上の小さな兎は、とろりと溶けて単なる山の形に変わって行き、やがて水だけになってしまう。小豆が浮くとは時間の経過を見事に表現されていると思う。「霜柱ざくりと踏んで出勤す」(松井敬子)・・・霜でなく霜柱を詠んだ句。雪は、その降り始めの前後が一番厳しい寒さになる。長時間降り積もる雪は、関西地区ではむしろ寒さがましになるような気がする。冬紅葉が散る頃には、霜一面の朝になる日も訪れる。年があらたまって松の内以降になると、地面の表面を覆っただけの霜だけでなく、黒土には霜柱が立つ。前夜が雨降りだとすれば、翌朝、水溜りには氷も張ってしまう。厳寒の季節、通勤者は遅刻が許されないので眠い眼を擦りながら、霜柱を踏んで出勤する。体重をかけた靴越しに感じる触感は正に「ざくり」であり、身体全体に感じる音も、やはり「ざくり」なのである。霜柱の触感が巧く表現されている。 早暁の 野良に凛たる 霜柱 おりく
2003.12.21
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京都の今朝は、かなりな勢いで雪が降っています。昨日、会社に取引先のお嬢さんが退職すると言うことで挨拶に来て下さった。 兵庫県は香住の出身で、実家の都合で帰郷の為退職されると言う話でしたが、つい、降雪の話になりました。彼女が子供の頃の香住地区の真冬には家の二階近くまで積雪があったのだそうです。 二階の窓から飛び降りて遊んで居たそうです。ところが、暖冬続きの近年には20センチ位しか積もらないのだそうです。気候も変ったし、各戸に植えてある庭木も変遷して来ていますね。 花水木、ノウゼンカヅラ、百日紅などはそれ程植えられて居なかったように思うけれど、最近は散歩の都度、そう言った花木が目に止まります。 そして昔も今も変らることなく垣根に植えられているものと言えば、山茶花。 山茶花 山茶花咲いた道 焚き火だ焚き火だ 落ち葉焚き 当ろうか 当ろうよ 北風ピュ~ピュ~ 吹いている 今も耳にする唱歌に登場する 山茶花。椿ほどには種類が多くなく、紅色、白色、そして五色の山茶花。おりくの目には、正月の羽根つきの羽根のように見えます。心の底まで凍えそうな真冬に、私たちを慰めてくれる山茶花はまるで飼い犬の忠実さを彷彿させてくれます。飼い犬で思い出してしまいましたが、何処のお家でも飼っている犬は、一匹数万円から数十万円もする立派な犬ばかり。山茶花のイメージに重なる素朴な「雑種犬」は何処へ行ったのでしょう。日本の愛犬家が、企業のレールに乗せられたのでしょうか?雑種犬の居ない昨今を、哀しく思うおりくです。 山茶花や 世は移ろへど 楚々と咲く おりく
2003.12.20
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停年退職を3月に控えて、最後の年末はてんてこ舞の忙しさの中に居ります。 と言うのは、おりく担当する仕事の引継ぎ者が、いざ、おりくから引き継ごうとする矢先に、彼の相棒が急病で、しばし延長。 それも仕方の無いことと諦めていた矢先に、第二弾!!おりくの相棒が急遽入院してしまったので、年末の仕事の集中する最中(さなか)、おりくは孤軍奮闘を余儀なくさせられています。 従来から常時の3倍の仕事が襲って来ても、対処できるように段取りよく、合理化できる方法をあれこれ準備していましたので、正宗の愛刀でバッサ、バッサ、仕事を撫で斬りにしています。 おりくは貧乏性の生まれつきですから、かように、仕事が集中して襲って来ることを楽しんでいます。それでも、呼吸することを忘れてしまう勢いで、片付けています。 仕事が沢山あることに不平・不満を持つ方も居られるとは思いますが、此処は腕の見せ所、大いに張り切って頑張っているのです。後は健康管理ですね~~。 明日は実家の母のフォロー、明後日は4年ぶりに合唱の練習に参加して気分転換を図ります。そして忘年会も楽しむ積もりです。
2003.12.19
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おりくが小学5年の冬でしたでしょうか?大阪は帝塚山の社宅に住んでいた頃の話です。・・・・おりくは小学館の雑誌、小学5年生の2月号を読んで居ました。 そばに母が座って居て、繕いものか、セーターを編んで居たと思います。いつもは夕飯にきちんと帰宅する父が宴会(新年会?)か何かで不在の9時頃だったと思います。ゴトン、ゴトンと言う音が聞こえます。「母さん、何か音がしてへんか?」と母親に尋ねます。「えっ?・・・・うん、聞こえるみたい」 おりくは西側にある次姉、長姉の部屋にこっそり行って、みんなを呼び寄せました。妹はすやすや同じ部屋で寝ています。ガタン、ゴトン・・・音は4人の耳にしっかり聞こえます。 母を先頭に、長姉、次姉、そしておりくの順で、玄関の方へ行き、電気のスイッチ、ON!! 一旦、音が止んでしまいます。しかし、確かに人が塀を乗り越えるような音が、身近でリアルにするのです。 「誰ですか!?」母の誰何の声が震えています。 当時の黒いプラスティック製の電話機のダイヤル、110番を慌てて廻します。「はい、こちら警察です。どうされました?」 「こちら、住吉区帝塚山中○丁目○○○番地の○○ですが、ドロボウが家に入って来ようとしています!」電話をかけながらも、怖くて恐ろしくて・・・・。 日本の警察は、当時素晴らしかったですね~~。間もなくパトカーが唸りをたてながらやって来ました。4台ほど。 我が家の塀を乗り越えていた男は、その場で逮捕されました。・・・翌日、警察署からの連絡で、犯人は泥酔状態で、昔この辺には家も無く、よく通った道だったので塀を乗り越えて当時の侭、歩きたかった??と言う話で、この犯人の実父は裁判所の裁判官で、由緒正しい家の息子だから訓告だけで帰したと言う話でした。私達が受けた精神的なショックはどうしたら良かったのでしょうね。
2003.12.18
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昨夜は11時過ぎに寝床に入り、寒さに因るのか尿意に因るのか、2時15分頃にトイレに行き、熱めの白湯を少し飲んで再び眠る。 それを破ったのは、けたたましく連続で唸る防犯サイレンの音。一階から長女が階段をとんとんと上って来、踊り場の窓を開けて夜空をチェックしている模様。 我ら夫婦も床から起きて娘の指差す方角を眺める。真っ赤な火焔は見えなかったが、白煙が東の夜空へと流れている。どう見ても火事のようである。 最近、この近辺は此処ひと月の間に15件ものボヤが発生している。連続放火に晒されているのだ。正月を目前に控え、火事で焼け出されたら大変である。 我が家だって、買い置きの灯油2缶、古新聞の大束など燃え易いものが屋外に置いてある。毎日、びくびくしながら運を天に任せているのである。 数年前にも、この地域で連続放火があって、犯人は何と消防署のお偉いさんの息子だったことがある。実の妹を鉄棒で殴りつけた少年など、自己中心的で衝動的な犯罪が後を絶たない。 作曲の楽譜(ソフト)を保存したフロッピーや録音したMDなどを一まとめにしておこうと思った。・・・サイレンを耳にしたのが3時半、それからうつらうつらの浅い睡眠で、二日休暇明けの本日は多忙を極めていた。 帰宅して夕刊を見ると、この家から350mほど先で発生した火事で、2棟が全焼したということだった。火災の発生した時間的なことから放火と思われる。
2003.12.17
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昨日と本日、家内の実家に行ったのは、来年、卒寿を迎える義父にプレゼントする為の準備の為でした。 家内が懸賞マニアであることは、古いおりくのお客様はご存知でしょう。で、この度、江崎グリコの大箱のポッキーチョコ10箱が当ったのですが、写真入りのオリジナルを贈って貰えるということで、義父の写真を写しに行ったのでした。「卒寿 おめでとう 2004.2.11」と書いたプラカードを持った姿を撮影しました。このオリジナルポッキーチョコを義父の兄弟、子供、孫あたりへ配る予定です。 この他、ロト6必勝法(6ケ月間)、クリスマス用ケーキ(サティ)、体脂肪計、イズミヤ商品券などいっときに当りました。
2003.12.16
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今から20数年前、おりくが京都の千本支店に配属されていた頃の同僚の女性から、20年振りの同職会?で再会して以来、毎年、京都府の詩吟・詩吟舞のご招待を受けています。 おりくが初めて詩吟に接したのは大阪は市岡支店の外回りで、或る自動車整備工場の企業を担当した時でした。まだ、社長に挨拶もしていないのに、おりくなら詩吟のお付き合いをするだろうと前任者が勝手に決め込み、段取りをつけた流れに因ります。 その時は渓月流という派でした。つまり、おりくの頭脳の奥には、渓月流の節回しが基本として定着していました。週一度、水曜日の晩に、この会社の会議室で練習をしました。 大阪府の予選に出場し、一次、二次まで通過しましたが、三次選では、数年間、詩吟を続けられて来られたツワモノばかりの中ですから、見事落選しました。 一方、京都は千本支店に移ると、担当企業の中に詩吟好きの社長さんが居られるので、再び詩吟を再開。今度は国風流という流派です。渓月流とは似ていますが、所どころ異なっていましたので、前の渓月流を忘れないと着いて行けませんでした。 京都では一次予選は悠々と通過したのですが、二次で音程(最初の出だしの音)を間違え、高過ぎて余裕の無い吟になってしまい、一次突破だけで敗退し、先生を落胆させてしまいました。 その十数年後、大阪の民間会社に出向したことがあって、其処も詩吟をなさる企業でしたので、再び詩吟に接しました。これで三つ目の流派を渡り歩いたことになります。 おりくは合唱で言えば、ベースかバリトン。それを詩吟の世界に直せば、水一本という音程が一番歌い易いのですが、この音程を間違えると、コンクールでは上手く浪々と歌えませんね。 長々とおりくの過去を綴って来ましたが、おりくは感受性が強い方ですから、今回の府連の大会を拝聴させて貰うだけで、涙腺が脆く崩れてしまい、暗闇の席でハンカチの世話になるのでした。 おりくをご招待下さった女性の属する流派は他の団体さんより小ぶりですが、舞踊の基本からきっちり教えて居られるようで、余所さまよりも安心して観ていられます。 おりくの書きました「勇み足」(この日記サイトの9月29日から10月3日までの5回シリーズ)という小説はモデルもなく、全く想像だけの世界で書いたものですが、将来に一位を達成する意欲・目標のあるものに、おりくの憧れがあるようです。 野球で言えば、巨人ジャイアンツのような、一位を取るのは当たり前と言うチームには魅力を感じません。で、おりくはパ・リーグの近鉄バッファローズのみ応援しているのです。 おりくは都市銀行員でした。その銀行の合唱団は職場の部で過去何度も金賞を取る団体でした。おりくは2年ほど、この団体に属した時期があったのですが、いとも簡単に優勝できる立場に魅力を感じませんでしたので退団したように思います。 話がすっかり逸れてしまいました。詩吟という世界は、やや右翼色が感じられ、また、ラ・ド・ミの流れ、短調を基調とする「暗い」感じのする世界です。 最近、コンピューターを導入することよって構成吟という新しい手法が採り入れられ、随分大がかりにして夢のある発表の場を作って戴いています。 少年、少女たちが詩吟や剣士舞、詩舞を披露して下さるのを見ながら、次代を担うこれら若い人に受け入れられる新しい詩吟の在り方を関係者と共に思考して参りたいと思ったのでした。
2003.12.15
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2年の終り頃、先ず正式なトレーナー(音楽指導者)の募集がありました。私の属するパート、バリトンからは某君一人でしたので、恰好をつける為?楽譜を初見で読めない私まで、試験に立候補してしまいました。 勿論某君に叶う筈はなく落選(プロの指導者と正指揮者との合議で決議)。次に私が選んだセクションは人事でした。各パートには音楽部門の指導者トレーナーと、団員の面倒をみるリーダーが居て、後者の取り纏めが人事をいう職でした。過去、上から抑えつけるような人事権の発動に疑問を持っていましたので、「歌う家族、歌う兄弟」をスローガンとして3名の立候補者の中から選挙で選んで貰いました。 私たち3年生は人数が多く、役員数以上に一般の同期生が居られました。クラブ運営は野党側に立つ彼らを説得、了解を得る合議制でしたので、時には軋轢(あつれき)の生じることもあり、その軋轢が、実は沖縄演奏旅行の最中に顕著化し、双方で衝突しました・・・・。しかし私たちの運営した年度は「ピーボディ大学」や「エール大学」とのジョイント、コンクール関西第一位、沖縄演奏旅行など・・・輝かしい歴史を刻んだ時代でした。プロの指導者を別の先生(現在、関西二期会の重鎮の方)をお招きした結果、過去一度も関西で優勝できなかった壁を突き破ることが出来ました。沖縄演奏旅行でのゴタゴタが、その後のクラブ運営をスムーズに運べる下地になったのでした。新学期には多くの新入生が入部して下さり、人事担当の私は多忙でした。さして理由も無いのに退部を申し出たメンバーとはじっくり話し合い、納得を得た場合のみ(但し、別の新入部員の紹介をノルマにしました)、退部を認めるようにしました。クラブ雑誌:部報「荒野」も前年度には3冊発行していましたし、クラブ運営上では議論の限りを尽しましたので、悔いの無い2、3年生をこのグリークラブで過ごすことが出来ました。 最近の学生さんの大半は、同好会形式(責任が無く、出欠も自由?)を選択し、資格を取得することに注力されているようですが、社会人への練習という意味で、正規のクラブ活動に若き情熱を捧げて欲しいと思うのです。 数日に亘って書きましたグリークラブの雑感日記は一応、区切りとさせて戴きます。また、折に触れ書き綴りたいと思っています。
2003.12.14
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私が2年生の時は1年上の3年生がクラブを運営します。10数年前、我がグリークラブの合宿で唯一不幸(これは不慮の事故でした)にも亡くなられた先輩を慰霊する意味もあって、小豆島にやって来ました。高原地でないので、寄宿する旅館から練習場への移動は、夏の盛りには大変でしたが、田舎と都会をミックスさせたような土庄(とのしょう)という街を私は好きでした。寄宿する旅館の南側には、その先がやがて入り江となる川が流れていて、小船も幾隻か停泊していました。橋の袂には昼飯兼氷を商う店があって、其処に美しい女性が居られました。後日、その人をイメージして4年の時、学園祭の小説募集に応募して短編「温み」を書きました。もう1編は踊りのお師匠さんを巡る男女の世界を描いた「勇み足」という関西弁ものでした。続きはまた、明日。
2003.12.13
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昨日からの続きです。合宿の候補地は正規の役員になる前の、サブマネージャーが自分たちの運営する年度の根回しをして、一年前に予約を取っています。私が1年生の時は下諏訪湖、2年生:小豆島、3年生:信州の霧ヶ峰高原、4年生:蒜山高原でした。では、最初の合宿はと言えば、ゆったりとしたスケジュールの練習、楽譜読み、パート練習、そしてトップテナー、セカンドテナー、バリトン、ベースが一堂に会しての音合わせ。指揮者の考えや各フレーズへの注文など。男性合唱には女性の声が無いと思って居られるでしょうけれど、それは大きな間違いです。皆さんもお経を聴けば理解できると思いますが、女性よりも1オクターブ低い音で歌うので、その倍音であるオクターブの音が幾重にも聞こえているのです。こんど、厭だったお経を聴いてご覧なさい。お坊さんの声より、もっと高い音程の女声のお経が聞こえるようになります。脱線しましたが、昼飯や夕食も、そこは戦場さながらの光景。例えばカレーライスのメニューなら、1杯目は呑み込むようにして平らげ、すぐお代わりの列が出来てしまいます。2杯目をキープして、やっと味わいながら食べる・・・。浅ましい光景ですが、何となく微笑ましい男どもじゃ~ありませんか?更に続く。就寝時間が来て消灯になっても、枕投げやらいろんな悪戯の応酬が繰り広げられます。「俺の枕は何処や~」「そりゃ~、真っ暗やから」なンて洒落も飛び出て興奮は治まりません。まるで高校生の修学旅行並みのはしゃぎようです。恋愛論や艶話など尤もなことですが、クラブ生活での悩みや音楽理論などへと、其処かしこで真面目にトークされ、やがて高いびき。幾つかの曲の仕上がりも荒削りながら一応音楽的にハーモニーする頃、合宿の最後の夜を迎えます。この日は学生生活最後の夏合宿となる4年生への愛情表現、お礼奉公?として、予め決められた範囲内で、4年生を開放してあげます。20分後に下級生たちは各々、こん棒?や茹で卵、馬糞などの小道具を携え、4年生を追いかけます。命を失わせるような危険行為だけを除外して、何をしても許されるのです。気の弱い4年生などは夕食も喉を通らない程の怯え様。私の1年生の折の4年生たちは巧みに包囲網をかわして制限時間の果てた時分に、焚き火を組んで宴会準備の整った場所に、それは流石!と思わせる綺麗な曲をハモラせながら戻って来られました。女体よりも美しい背中やお尻を見せるヌード(この方はテレビで著名なお笑い企業のれきいとした現重役さん)、卑猥な歌など飛び出る楽しい男だけの宴が、信州の闇の高原で繰り広げられるのでした。続きは、また明日。
2003.12.12
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一昨日の日記に絡んで現役時代の思い出日記を載せていませんでしたので、急遽ここに書き込みなす。この文章はライコス時代に書いた今年の3月15日のものです。 私の学生時代にはグリークラブなるもの、グリーンクラブ(植樹サークル?)と聞こえる人も居るほど知名度の低い名称であった。男性のみの(本来)無伴奏で歌う合唱のことであることは、今なら大概の人が知っている。大学に入学した当時、ESS(英会話)、速記、そして軽音楽クラブ辺りが好いかなと思っていたが、講堂で聴いた男性合唱団の迫力と繊細な音色に心奪われてしまった。もう、迷わず是だと決めてしまって居た。初心者である一年生にはサブの指揮者や音楽指導者によって基本から叩き込まれる。学内をマラソンし、ラジオ体操、腕立て伏せ、腹筋運動、ぴょんぴょん兎跳びまで。歌を歌いたい為に入部したのに、何だこりゃ~。同期と首を傾げながらの一ヶ月。またコーリューブンゲンを教材とした音程、音階の練習も無機質で面白くない。しかし、いつか上級生と一緒の舞台で歌うのだという信念が、戦場離脱から守ってくれた。東京の私学との交歓演奏会のスケジュールを聞かされ、ついに舞台に出して貰えるという希望が、再度の怠け心を追いやってしまう。長い練習時間の中の僅かな時間を先輩連中と同じ練習場で特別に認められた時の嬉しさ。先輩の面々が大きな人に見えて仕方無かった。東京に遠征して某大学との合同練習も始まる。宿舎は東京のメンバーの巣(自宅の者も居れば、寮生活の者もいる)で二宿の恩を受けることになる。関西気質と関東気質が「合唱好き」という絆で結ばれる瞬間である。無事、演奏会も成功裡に終わり、我ら関西の者はもう一宿を借りて帰阪した後、翌週には大阪で逆の接待役にまわるのである。 さて次はコンクールとリサイタルに向けて新たな活動が始まるのだが、夏休みを利用して、新入生と先輩とが合流して、信州などの国民宿舎で夏季合宿を行う。この模様は後日触れることにして、二学期(後期)からはヒヨコだったフレッシュメンも晴れて正式の団員として練習に取り組むことを許されるのであった。ここまで耐えて来た新入部員は、余程の事情が無い限り、合唱狂いの人生を刻んで行くことになる。・・・続きは、また明日に。
2003.12.11
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山々の化粧が剥げ落ちそうになると、通勤電車の座る定位置を変えます。出入り口近くは冷たい風が入って来るし、出来るだけ真ん中の、そして東に向かうように座ります。 ねずみ色した東の空が、ぼうっと赤系統に染まり始め、山の天辺がオレンジ色になって来ると、いよいよお日様が顔をお出しになります。 有史以来、人間が太陽を崇拝してきたことが、この日の出の瞬間に理解できます。まるで無垢の赤ん坊の笑顔のように、辺りを赤く染めながら、お日様も、この瞬間は赤ちゃんのようなおとなしい、穏やかな光を投げかけていきます。 朱色と言えばいいのか、橙色と言えばいいのだろうか。今日一日を平和に包んでくれそうな素敵な色合い。 やがて本来の勢いが次第に溢れ、ビルの窓ガラスにも真っ赤に写ります。寒い冬の朝、冷え込んだ心を温めてくれるストーブのような太陽が、大空へ昇って行きます。東雲(しののめ)の曙光は平和のシンボルですね。
2003.12.10
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午後11時45分からこの日記を書いています。帰宅後すぐうがいして寝巻きに着替えての、この日記です。 さて本日はおりくの大学グリークラブ45回定期演奏会に馳せ参じて来ました。おりくの時代と親子以上に離れた現役の演奏会、ドキドキしながら聴きました。 学歌(大学の校歌のこと)のハーモニーを聴いた瞬間、「とんしゃん」じゃないけれどバタッ! 状態でした。 今クラブを運営する現役は精一杯頑張っているのだし、何ら罪は無いのだけれど、累々と築いてきた私たち先輩の歴史の重みは、何だったのだろうと思うほど後退していたのでした。 おりくのこの日記の一覧から検索して戴ければご理解して貰えるでしょうが、ランニングに始まり、ラジオ体操、そして発声練習をして培って来たソフトは胡散(うさん)していました。 そして驚いたことに、今の若者は低い声が出せないという事実なのでした。元来、我が大学はバンカラ気風の男っぽい個性によって、ベースを基礎としたハーモニーが売り物だったのに・・・・。 現役の人数が17名という、この厳しい現状から言えば、それは仕方のないことでしたが、大いなるショックを受けた本日のリサイタルでした。 幸いにしてOB会の男性合唱団は来年、東京混声合唱団とのジョイントも確約され、このほか目白押しのスケジュールが敷かれています。 おりくも実に4年ぶりに合唱に復帰致します。現役をサポートしながら、男の夢、ロマンを貫いて行きたいと誓ったのでした。
2003.12.09
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1)子供たちよ 俺の言うこと かすかに 憶えておくれ どんなことにも 関心を持て 自然と友達に なることだ 子供の頃に 覚えたことは 一生 忘れはしない だから 遊びなさい 2)子供たちよ 俺の言うこと 何処かに 残しておいて どんなことにも 逃げたりせずに 勇気とファイトを 呼び起こせ 子供の頃に 覚えたことは 一生 身につくものさ だから 遊びなさい 現代の子供は可哀相だなぁ。道端で遊んだり、原っぱで時間を忘れて遊ぶことなどできないから。 人間がパソコンと言う不思議な箱に埋め込んだゲームに躍起になって闘う、ただ、それだけのワンパターン。 おりくの時代は自分たちで遊び道具を作ったり、ルールを決めて遊びをアレンジし直したものだが。 遊び相手の顔も見えないほど、とっぷり暮れた外で時間を惜しむように遊んだものだが。 大将になる兄さんが居て、年下の子はその家来になるけれど、やがて自分にもお鉢がまわってくる日を夢見ていたのだが。 風のそよぎ、空の青さ、広さを肌と目で覚えていた・・・。遊びの中からいろんな工夫も出来たし、新しい発見もあったのだが。
2003.12.08
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この晴天の中、おりくは月一度の俳句会に出かけました。京都市内を走る市バスに女性の運転手さん。タクシーでは珍しくは無い京都ですが、市バスでは初めて見ました。 女性運転手さんのマイクから丁寧な挨拶が聞こえます。女性が働き易いよう、託児所などの充実を行政にお願いしたいものです。それが年金や労働人口を増やす要因にもなるのだから。 さてリアルな夢というのは、夢の中で書物を校正しているシーンでした。何故、このような夢を見たのでしょう?きっと誰かさんのホームページの日記が焼きついて、一緒に本を出版しようという夢の設定のようでした。 そして面白かったのは、夢の中でも俳句を一生懸命ひねっているのでした。本日の句会の兼題は「北風」「熱燗」 北風や 元は武士(もののふ) 羅漢たち あまつさえ 北風の中 選りし人 北風や 母の胎内 懐かしく 熱燗の 胃の腑を辿る ナビゲーター 玉子酒 何やら父母の 仲の良き この最後の句は夢の中で考えたものですが、覚えていて、結局この句が主宰の選に入りました。 昔、仕事の工夫を必死に考えて居た時も、すべて夢の中で思考していたような・・・・。嗚呼、不思議といえば不思議。
2003.12.07
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おりくはサル歳生まれで、来年は年男。午前中に年末の散髪までのつなぎとして、神さんに整髪して貰いました。昔は散髪代3000円ほどは何でもなかったけれど、この景気ではね、どうしても大衆理髪店で済ませてしまいます。 雨上がりの中、自転車で実家に行きますと、ちょうど植木屋さんの伐採が木曜日に済んだところで、実家の庭も毛づくろいしたように、実にすっきり刈り込んでありました。 こうして思いっきりバッサリ刈り込みされると庭の奥まで歩いて行けるし、庭も広く感じるのです。人が散髪を終えたこと以上に、その違いに気付きます。 庭に積もっていた枯葉やおりく達が刈り終えて放置してあった枝まで一切合財ゴミ捨て場まで運んで下さったので、地上空間も、地面も、スッキリとしました。
2003.12.06
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剣士の佐々木小次郎なら舞い落ちる銀杏の葉を二度太刀のつばめ返しで四枚の切片に切ることなど何ら造作も無いことだろうと思い乍ら、今年のフィナーレを楽しんでいる。 生来、イチョウなど眼中に無かったが、父の死を境にして二人三脚に近い間柄になっている。存在感のあった父の呼吸が停止した瞬間から、いろんな歯車が狂い始めた。 別に大した反目でもないのだが、母、そして姉妹三人、そしておりくの中にそれぞれ別世帯であることに起因する某かの変化が生じて来た。 趣味の多かった亡父の「夢の跡」の片付け方、相続財産のことなど、これまでの雰囲気とは少しずつ変っていった。その距離感から生じる辛さを慰めてくれたのは、実にイチョウの木であったのだ。 会社の隣りのドトールコーヒー店の決まった席から斜交いに見える銀杏の新芽の鮮やかさに、鬱積した心が癒された。 目に浸みる 銀杏若葉に ありがとう 御堂筋 銀杏今しの 芽吹きかな 5月になるとリズムが加わって来る。 小揺らぎの 銀杏若葉は 歌が好き 若葉映ゆ 八分音符を 撒きながら 若葉映ゆ そんなポストを 選びけり やだて真夏を過ぎると大人色に濃ゆくなって来た銀杏の葉 逆光の 銀杏に翳あり 今朝の秋 暫くおりくとの間に距離を隔てていた銀杏の樹は 神の留守 銀杏は何を 語らむや 黄八丈に 公孫樹の染まる 御堂筋 大銀杏 黄葉積み重ね 狐来よ 落銀杏 路の窪みに 渦高く 落銀杏 足よりライト 浴びるごと そしていよいよ終焉に至って 銀杏散る 糊の剥がるる やうに亦 枯れ銀杏 一葉の揺らぐ 蝶のごと 一年の歳月を銀杏を通して詠んでみたが、之、正しく人生の縮図のように思われる。
2003.12.05
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寒さが本格的になるにつれ、歳の瀬も迫って参りましたが、その後お変りございませんか?ご多忙の中、お便りを戴き有り難うございます。 お互いこうして、一年一年歳の数を増やして行くのですから、一年ごとに想い出に残ることを脳裏にしまって置きたいものですね。 そう言った意味で、すばる(亡父)との別れと引換えに、私はこれまでにない有意義なひととせを過ごすことが出来ましたが、それは一重に諸先輩方のお蔭と感謝して居ります。 筆不精だった私が拙い文章を綴る喜びに目覚め、手紙を受け取られた方が辟易なさるほど、時には頻繁にお便りを押し付ける恰好になってしまいました。 皆さん寛容な方ばかりで、それをいいことに甘えさせて戴いて居ります。文通している間にも、怪我をされた方や、入院された方、ご家族に病人を抱えられた方など、人生模様いろいろでしたが、江国 滋氏がその俳句読本で書かれているように、人に係わることでは、凶事よりも圧倒的にめでたいことの方が多いということですから、来る年も、また、良いことが待ち受けている筈です。 今年の十月、二十年ぶりで昔の同僚が男女三十名ほど一堂に会しまして、恩・讐いずれも懐かしい思い出となり、お互い歳は増えても昔のままで、和やかな楽しいひと時を持ちました。全てがそうだとは言えませんが、人の記憶は浜辺の硝子破片のように、まろやかなものとなって残されて行きますね。今年から将来に向けて、皆様と俳句などを通じて、良い想い出を積み重ねることが出来たらな と思う次第です。 湯豆腐や 赤子抱き取る ごと掬ふ 亡父すばる手製の句集「花小紋」「小望月」の一部に寄せた随想を同封致します。お暇な折にご笑覧下されば幸甚に存じます。87歳のペンフレンド様からのお便りが此処しばらく途絶えていますが、色紙200枚ほどを、そのファンの為に描いておられるのでしょう。 邪魔をしてはいけないので、そうっとしています。皆さんパワーフルな方ばかり、負けないようにこちらも頑張らなきゃーと心諌めた私です。寒さ厳しくなります昨今、ご自愛下さい。さようなら。 平成12年12月12日 星子 ・・・3年前のおりくの手紙でした。
2003.12.04
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①トランプのハートの キングが化けたのは 愛を届ける サンタです なみだ目をした あの女(ひと)に クラブのジャックを 遣わした ②トランプのクラブの キングが化けたのは 呪いをかける サタンです 女騙した あの男(ひと)に スペードクイーンを遣わした ③トランプのダイアの キングが化けたのは 幸を届ける サンタです 親を亡くした みなし児に ハートの女神を 遣わしたこの歌詞はハートはハートのマークを、クラブはクラブのマークを、スペード・ダイヤもみんな あのマークで書きたいのです。 呪いなどは掛けたくないのですが、女性陣の気持ちを推し量って、2番に入れました。 物質的でない、ほのぼのとするサンタのお爺さんがいいですね。 あぁ、それからトランプのキングがサンタクロースになると言う発想は おりくが初代ではありません。創作において一番醜いことは人の作品を盗むことだから、この点は、ここではっきり表明しておきます。 クレハホームソングで、中村メイコさんがもう40年ほど前に歌って居られました。 トランプのトランプのダイアのキングがねぇ~え サンタクロスに化けたとさ 冠脱ぎ捨て赤頭巾 真っ赤なベレーが良く似会うという歌詞だったと思います。 この他、迷子のサンタクロースというホームソングも素敵でした。 去年の暮れは 此処いらに あの子のお家が あった筈 迷子の迷子の サンタクロース あの道この道 ウロウロと あの子のお家は 何処だっけという可愛い歌詞でした。
2003.12.03
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1)しあわせという 言の葉を 千も弐千も なぞっていたら 貴方の顔に 行き着いた コバルトブルーの 果てなく高い 秋の空 両手を広げて 差し招いてる その大きな胸に 飛び込んでみたい コバルトブルーの その胸に・・・・・ 2)信頼という 言の葉を 百も弐百も なぞっていたら 貴方の眸 そこにある サファイア色に 輝くような 情熱の 光を宿し 差し招いてる めくるめくよな 渦に 飛び込んでみたい サファイア色の 眸の渦・・・・・ 本日、或る人からグリーティングカードを貰いました。突然の贈り物に、びっくりしましたよ。 ネットというバーチャルな世界だからこそ、そばにいる人よりも真心が伝わって来るのかも知れません。
2003.12.02
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1)今夜は クリスマス・イヴ おあつらえ向きに 雪でも降りそうな 空模様 彼の居る人 いいな 彼がなくても 友達の多い人 いいな むなしく ひとり淋しく 馬鹿番組 観るしかない 2)ドラマは クライマックス おあつらえ向きに 雪降る教会の ラストシーン たかが芝居の 世界 創りものだと 無理やりに 冷めた 目で見ちゃう 大声 出してみたいな 二度とこんな イヴはごめん
2003.12.01
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