13位 Ozzfest 2000 (OZZY, PANTERA, GODSMACK, STATIC-X) PANTERAがOzzfest 2000のヘッドライナーとして破壊的なサザンメタルをもたらしたが、残りのラインナップはニューメタルがまだ力を持っていることを示したのみだった。DISTURBEDがThe Sickness発売後数か月でフェスデビューを果たし、GODSMACKが2年連続の出演となった。TAPROOTやTommy LeeのMETHODS OF MAYHEMのような他のバンドはそれほどでもなかった。興味深いニューカマーとしてはカリフォルニアのデザートロッカーであるQUEENS OF THE STONE AGEや、Zakk WildeがOzzyのバンドに再加入したあとにはフェスの中心となる、当時あまり知られていなかったBLACK LABEL SOCIETYがいた
12位 Ozzfest 2002 (OZZY, SYSTEM OF A DOWN, ROB ZOMBIE, P.O.D.) SYSTEM OF A DOWNは2002年にチャート入りしたToxicityで3回目のOzzfest出演を果たした時には世界的に最も有名なバンドの一つになっていた。ROB ZOMBIEもホラーカーニバルをステージに持ち込み、Phil Anselmoはストーナーメタルのスーパーグループの支配者として帰ってきた。残りのラインナップはニューメタルとしての実績のあるバンド(P.O.D, DROWNING POOL, SOIL)とパンクとポストハードコアバンド(THE USED, GLASSJAW, ANDREW W.K.)の組み合わせが主であり、ヘヴィミュージックの定義のシフトのヒントとなった
8位 Ozzfest 2017 (OZZY, PROPHETS OF RAGE, DEFTONES, CHILDREN OF BODOM) Ozzfestは、再びKnotfestとのタッグとなる2017年の1日開催においてジャンルの拡大という点で頂点を迎えた。フェスのヴェテランであるDEFTONESは新しいラップロックのスーパーグループであるPROPHETS OF RAGEを伴い帰ってきた。一方でメロディックデスメタルの巨人であるCHILDREN OF BODOMがようやく登場した。KREATOR, HAVOK, IRON REAGANはスラッシュファンを歓喜させ、HIGH ON FIRE, ORANGE GOBLIN, BARONESSはドゥ―ミーでスラッジ―な環境を創り出した。この回はメタルの耐性のある文化現象のひとつとして多様性のある強烈な回だった
7位 Ozzfest 2006 (OZZY, SYSTEM OF A DOWN, DISTURBED, AVENGED SEVENFOLD)
5位 Ozzfest 1999 (BLACK SABBATH, ROB ZOMBIE, DEFTONES, SLAYER) Ozzfest 1999はメタルフェスティヴァルの成功に3つのカギとなる要素を提示した:ヘヴィ、有名、不気味である。Rob ZombieはショックロックのクラシックであるHellbilliy Deluxe to the massesを披露し、PRIMUSはファンを達人的で奇妙で楽しいファンクメタルの融合で魅了した。DEFTONESとSYSTEM OF A DOWNはニューメタルの境界線を不完全な違う方向にもっていった。SLAYERは忠実に観客を熱狂させた。もちろん9人のマスクをかぶったオレンジのつなぎの集団が毎晩サイドステージを震撼させたことを忘れている人はいない。SLIPKNOTはOzzfest 1999の最中にセルフタイトルのデビューアルバムを発表していた事実はあまり知られていないが、それから数年後に彼らは世界を席巻することになる
4位 Ozzfest 1998 (OZZY OSBOURNE, TOOL, MEGADETH, LIMP BIZKIT) Ozzfest 1998のラインナップであり、ジャンル拡大のラインナップにはどんなタイプのメタルファンにもアピールする何かがあった。TOOLの知的なオルタナティヴメタルはLIMP BIZKITのFred Durstのラップメタルの胸を打つまくしたてる歌唱と相性がよかった。MOTORHEADは若者に荒々しいスピードメタルを提示し、METGADETHは主に1997年のCryptic Writingsからセットリストを組んだことで商業的なハードロックへの進出を果たした。SYSTEM OF A DOWNは猛烈で奇妙なオルタナティヴメタルの攻撃を放ち、すぐに世界最大のバンドの一つになった。一方、ニューメタルの申請であるINCUBUSはオルタナティヴロックのメジャーに入り込む数年前にサイドステージを揺るがしていた
3位 Ozzfest 1997 (OZZY, BLACK SABBATH, MARIYN MANSON, PANTERA) Ozzfestは2年目から適切なロードショーになり、それに対応してラインナップも強化された。Ozzyはソロバンドでダブルヘッドライナーのひとつを務め、3/4がBLACK SABBATH(ドラマーのBill Wardを除く)と再会した。これは1978年以来のグループとしての最初の長時間のショウだった。PANTERAはビール飲みで地獄創造のような騒乱でファンを狂喜させた。MARILYN MANSONの悪魔のような悪魔的なシアトリカルなショウはショックによる多くの抗議を引き起こした。FEAR FACTORYとPOWERMAN 5000は当時のインダストリアルメタルの主役であり、ゴシックプレイボーイズであるTYPE OF NEGATIVEは切望されていたセックスアピールを提供した
2位 Ozzfest 2004 (BLACK SABBATH, JUDAS PRIEST, SLAYER, DIMMU BORGIR) BLACK SABBATH, SLAYERと1991年以来初めてRob Halfordとツアーに戻ったJUDAS PRIESTの垂涎のトリプルヘッドライナーであるOzzfest 2004に勝るのは難しいだろう。シンフォニックブラックメタルの巨人であるDIMMU BORGIRはブルータルでシアトリカルなショウで観衆の心をつかみ、SLIPKNOTとLAMB OF GODはリアルタイムでスーパースターになるにつれ、ステージに大爆発を起こした。一方でATREYU, UNEARTH, EVERY TIME I DIEなどの熱狂的なメタルコアの新進気鋭のバンドたちはOzzfestの常連にいまだモダンメタルの血が流れていることを証明した
1位 Ozzfest 2005 (BLACK SABBATH, IRON MAIDEN VELVET REVOLVER, MUDVAYNE) 純粋な火力としてOzzfest 2005は競争で圧勝する。フェスティヴァルの最初の初戦を目撃したファンは、BLACK SABBATHとIRON MAIDENという強烈なダブルヘッドライナーを体験した。後者はEddir Rips Up the World Tourの壮大な最初の4枚のアルバムからのヒットとディープカットをミックスした(音楽とは関係なく花火も感動的であった。MAIDENはステージ上の停電に悩まされ、他のバンドから卵を投げられた後、Sharon Osbourneと公に衝突することとなった)。MAIDENは7回フェスティヴァルに参加し、チャートトップ入りしたデビューアルバムContrabandを発表したVELVET REVOLVERにスロットを譲った。2005年のオープニングではIN FLAMESやROB ZOMBIEなどのメタルのベテランと、KILLSWITCH ENGAGE, AS I LAY DYING, MASTODON, TRIVIUMなどの将来のメタルコアやプログレッシヴメタルの巨人がタッグを組んだ。これらのバンドは全てその後メインステージのアクトになることになる。最初から最後までOzzfest 2005にはひとつも隙がなかった