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後(おく)れゐて 戀ひつつあらずは 紀伊國(きのくに)の妹背(いもせ)の山にあらましものを(― 後に残されて恋い慕っていずに、ああ、私が紀伊の国の妹背の山であったらよかったものを) わが背子が 跡ふみ求め追ひ行かば 紀伊(き)の關守い 留(とど)めてむかも(― わが背子が行った後を尋ねて追いかけて行ったならば、紀伊の国の関の関守が私を引き留めてしまうだろうか) 三香(みか)の原 旅の宿りに 玉鉾(たまほこ)の 道の行き合ひに 天雲(あまくも)の 外(よそ)のみ見つつ 言問(ことと)はむ 縁(よし)の無ければ 情(こころ)のみ 咽(む)せつつあるに 天地の神祇(かみ)ことよせて 敷栲の 衣手易(か)へて 自妻(おのづま)と たのめる今夜(こよひ) 秋の夜の 百夜(ももよ)の長さ ありこせぬかも(― 三香の原の旅の宿りの時も、到底手の届かないものと見ていて、話しかけるきっかけがないので、胸が一杯になってつらい気持でいると時に、天地の神のお計らいで、袖をさし交えて自分の妻として安心して心を寄せている今夜は、春の短夜だが、長い秋の夜を百夜もつないだ程の長さがあってほしいものである) 天雲(あまくも)の 外(よそ)に見しより 吾妹子(わぎもこ)に 心も身さへ 寄(よ)りにしものを(― 天雲のように手の届かないものと見た時から、吾妹子に、心も、身までも、寄ってしまったものを) 今夜(こよひ)の早く明けなば すべを無み 秋の百夜(ももよ)を 願ひつるかも(― この夜が明けてしまったら、するすべがないから、秋の長い夜を百夜もつないだような長さを願ったことであるよ) 天地の神も 助けよ 草枕旅ゆく君が 家に至るまで(― 天地の神様も助けて下さい。私が危険な旅を続けて君の家に無事にたどり着けるまで) 大船の 思ひたのみし 君が去(い)なば われは戀ひむな 直(ただ)に逢ふまでに(― 大船のように心に頼みにしていた君が去ってしまったならば、私は再び直接お会いするまで恋しく思っていることであろう) 大和路(やまとぢ)の 島の浦廻(うらみ)に寄する波 間も無けむ わが戀ひまくは(― 大和への路の、島の浦廻に寄せる波が間隔もないように、私のあなたを恋しく思う心は、絶え間もないことである) わが君は わけをば死ねと思へかも 逢う夜逢はぬ夜(よ) 二つ走(ゆ)くらむ(― わが君は私を死ねと思うから、会って下さる夜と、会って下さらない夜と二つの途を御取りになるのでしょうか) 天雲の遠隔(そきへ)の極(きはみ) 遠けども 情(こころ)し行けば 戀ふるものかも(― 天雲の遠ざかって行く極みにあるあなとの所は、ここから遠いけれども、心と言うものはどんなに遠くても通って行くので、恋しく思うというわけなのです) 古人(ふるひと)の食(たま)へしめたる吉備(きび)の酒 病(や)まばすべなし 貫簀(ぬきす)賜(たば)らむ(― 折角、むかしなじみが下さった吉備のお酒であるから、いただいて気分が悪くなったら困ります。その時の用意に、手洗いの貫簀を下さい) 君がため 醸(か)みし待酒安(まちざけやす)の野に 獨りや飲まむ友無しにして(― あなたのために作った待酒を安の野で独り飲むことであろうか) 筑紫船(つくしぶね) いまだも來(こ)ねばあらかじめ 荒(あら)ぶる君を見るが悲しさ(― あなたが筑紫に行く舟はまだ来もしないのに、もう今から私をうとうとしくなさるのを見るのが悲しい) 大船を 漕ぎの進みに 磐(いは)に觸(ふ)れ 覆(かへ)らば覆(かへ)れ 妹に依りては(― 大船を漕いで進んでいく時に岩に触れて転覆するならば転覆せよ。妹の事によってならば) ちはたぶる 神の社に わが掛けし 幣(ぬさ)は賜(たば)らむ 妹に逢はなくに(― 神の社に願い事の為に私が掛けた幣は、返していただきましょう。願いは叶わず妹に逢えないのだから) 事も無く 生き來(こ)しものを 老(おい)なみに かかる戀にも われは會へるかも(― 悪いことも起こらずに生きて来たのに、老年になってこんな苦しい恋に出会ってことであるよ) 戀ひ死なむ 時は何せむ 生(い)ける日のためこそ 妹を見まく欲(ほ)りすれ(― 恋焦がれて死ぬような時になってからでは、逢ったとて何の役に立とう。生きている日の為にこそ妹と会いたいと思うのに) 思(おも)はぬを 思ふといはば 大野なる三笠の社(もり)の 神し知らさむ(― 思ってもいないのに思っているというならば、大野の三笠の社の神が御存知で、罰をお与えになるでしょう) 暇(いとま)無く 人の眉根(まよね)を いたずらに 掻(か)かしめつつも 逢はぬ妹かも(― しょっちゅう人の眉げをむやみやたらに、書かせていても、-眉を書くと人に逢うという俗信があった-、妹には会えないのであった)
2022年08月30日
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赤駒の越ゆる 馬柵(うませ)の結びてし 妹が情(こころ)は 疑ひも無し(― 赤駒が越える馬柵を堅く結んでおくように、堅く約束して置いた妹の気持は決して変わるはずがなく、何の疑いもない) 梓弓(あづさゆみ) 爪引く夜音(よと)の 遠音(とほと)にも 君が御幸(みゆき)を 聞かくし好(よ)しも(― 弓弦を引いて鳴らす音が、夜、遠くで聞こえるように、ほのかにでも行幸の様子を伺うことは、嬉しゅうございます) うち日さす 宮に行く兒を まがなしみ 留(と)むれば苦し やればすべなし(― 宮仕えに行く児が切ないほどに可愛いので、行くなと引き止めれば心苦しいし、行かせてしまえばもはや逢うことが出来なくて、何とも仕方のないことだ) 難波潟(なにはがた) 潮干の波残(なごり) 飽くまでに 人の見る兒を われし羨(とも)しも(― 難波潟の潮の干た後のなごりを人々がよくよく見るように、人がよく見ることが出来る児だのに、自分は逢えなくて羨ましく思う) 遠妻(とほづま)の ここにあらねば 玉鉾(たまほこ)の 道をた遠(とほ)み 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安からぬものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日(あすす)行きて 妹に言問(ことど)ひ わがために 妹も事無く 妹がため われも事無く 今も見るごと 副(たぐ)ひてもがも(― 妻が遠く離れてここにいないので、道の遠さに、思うにつけ嘆くにつけ、不安な心地でいることであるが、空を行く雲でありたい、高く飛ぶ鳥でありたい。明日にも飛んで行って、妹を訪ねて話し合い、自分のために妹も無事で、妹のために自分も息災で、実際に一緒に連れ添いたいものだ) 敷栲(しきたへ)の 手枕(たまくら)巻(ま)かず 間(あひだ)置きて 年そ經(へ)にける 逢はなく思へば(― 互いに手枕を巻かずに時がたって、一年になってしまった。妹と逢わないことをつくずくと思えば) 飫宇(おう)の海の 潮干の潟(かた)の 片思(かたもひ)に 思ひや行かむ 道の長道(ながて)を(― 飫宇の海・島根県八束郡の中の海の潮が干て出来る干潟のカタという言葉のように、片思いにあなたのことを思いながら、長い長い道を行くことであろうか) 言清(こときよ)く いたもな言ひそ 一日だに君いし無くは 痛(たへがた)きかも(― 何の関係もないなどと、あまり綺麗なことをどうぞおっしゃらないで下さい。一日でもあなたなしでは到底耐えられないことです) 他辭(ひとごと)を繁み 言痛(こちた)み 逢はざりき 心あるごとな思ひ わが背子(― 人の噂が多くて、煩わしいのでお逢いしなかったのです。気持が変わったように思わないで下さい。わが背子よ) わが背子し 復(また)は逢はじかと 思へばか 今朝の別れの すべなかりつる(― 我が背子に二度とお会い出来ないかも知れないと思うせいであろうか、今朝の別れの、どうしようもなく切ない気持ちがしたものである) 現世(このよ)には 人言(ひとごと)繁し 來(こ)む生(よ)にも 逢はむわが背子 今ならずとも(― 現世では人の噂が繁くてとても思いを遂げることができません。来世でお会いしましょう、わが背子よ。今でなくとも) 常止まず 通(かよ)ひし君が 使來(こ)ず 今は逢はじと たゆたひぬらし(― いつも止まずに通って来た君の使がもはや来なくなった。今はもう私に会うまいと、君の心は動揺してしまったらしい) 大君の 行幸(みゆき)のままに 物部(もののふ)の 八十伴(やそとも)の雄と 出で行きし 愛(うつく)し夫(つま)は 天飛ぶや 輕(かる)の路(みち)より 玉襷(たまたすき) 畝傍(うぬび)を見つつ 麻裳(あさも)よし紀路(きじ)に入り立ち 眞土山(まつちやま) 越ゆらむ君は 黄葉(もみちば)の 散り飛ぶ見つつ 親(むつま)しみ われは思はず 草枕 旗を宜(した)し 思ひつつ 君はあらむと あそこには かつは知れども しかすがに 默然得(もだえ)あらねば わが背子が 行(ゆき)のまにまに 追(お)はむとは 千重(ちへ)におもへど 手弱女(たわやめ)の わが身にしあれば 道守(みちもり)の 問はむ答を 言ひ遣(や)らむ 術(すべ)を知らにと 立ちて爪(つま)づく(― 大君の行幸のままに、物部の多くの伴の男と共に出かけて行った私のいとしい夫は、軽の道を通って畝火山を見なっがら紀州への路に入り立ち、今ごろ真土山を越えていると思われるが、紅葉の散り飛ぶのを見ながら、私を可愛い女だとも思わずに、旅は面白いと思っているだろうと薄々は知っているけれども、それでもじっとしてはいられないので、わが背子の行くに従って追って行こうと頻りに思うけれども、か弱い女の身であるからら、道守に尋ねられてもどう答えたらよいのか分からないので、出かけようとしては爪づいてためらってしまう)
2022年08月17日
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白栲(しろたへ)の 袖解きかへて 還り來む 月日を數(よ)みて 行きて來(こ)ましを(ー 白栲の袖を互いに解きかわして、帰ってくる日は何時と数えあった上で出かけてくるのだったのに、それをせずに別れて来てしまった) わが背子は いづく行くらむ 奥つもの名張の山を 今日か越ゆらむ(― 私の夫は今頃何処を旅しているだろう。名張の山を今日越えているだろうか) 秋の田の 穂田(ほだ)の刈(かり)ばか か寄(よ)り合はば そこもか人の 吾(わ)を言(こと)なさむ(― 秋の田の、穂の出た田を刈る量ではないが、私とあなたが互いに寄り合ったならば、そんなことでさえも世間の人々は私のことをあれこれ言うであろうか) 大原の この市柴(いつしば)の 何時(いつ)しかと わが思(も)ふ妹に 今夜(こよひ)逢へるかも(― 奈良県の高市郡明日香村の大原に生えている茂った小木ではないが、何時逢えるであろうかと、私が恋い慕っている恋人に何時あえるであろうか) わが背子が 著(け)せる衣(ころも)の針目落ちず 入りにけらしも わが情(こころ)さへ(― わが背子が召しておいでになる着物の針目毎に、縫い糸のみか私の心まで入っていったようです) 獨り寝(ね)て 絶えにし紐(ひも)を ゆゆしみと せんすべ知らず ねのみしそ泣く(― 独り寝たのに切れてしまった紐が不吉に感じられて、どうすればよいか分からずに、ただ泣けるばかりである) わが持(も)てる 三相(みつあひ)によれる 絲もちて附けてましもの 今そ悔(くや)しき(― それなら、私の持っている三本より合わせた丈夫な糸で付けておくのだったのに、今になって後悔されます) 神樹(かむき)にも 手は觸るとふを うったへに人妻と 言へば觸れぬものかも(― 神木にさえ手を触れると言うのに、人妻と言うと決して手を触れないもであろうか) 春日野の 山邊の道を 恐(おそり)なく 通ひし君が 見えぬころかも(― 春日野の山辺の道を恐れることもなく、通ったあなた様の御姿が最近では見えないではありませんか。寂しくて悲しくて仕方がありません) 雨障(あまつつみ) 常する君は ひさかたの昨夜(きぞのよ)の雨に 懲(こ)りにけむかも(― 雨が降ると濡れるのを厭って、いつも閉じこもっておいでになるあなたは、昨夜の雨でさぞかしお懲りになったでしょうね) ひさかたの 雨も降らぬか 雨(あま)つつみ 君に副(たぐ)ひて この日暮ららさむ(― 雨でも降らないものかなあ。雨ごもりして帰らないでいるあなたに寄り添って今日一日を暮らそう) 庭に立つ 麻手(あさで)刈り干(ほ)し 布(ぬの)さらす 東女(あづまをみな)を 忘れたまふな(― 庭に立っている麻を刈って干し、布をさらしている東国の卑しい女である私を、どうぞ忘れないで下さい) をとめ等(ら)が 珠匣(たまくしげ)なる 玉櫛(たまくし)の 神(かむ)さびけむも 妹に逢はずあれば(― 少女たちの美しい玉櫛のように、私は老い込んでいることであろう。妹に久しく会わないでいるから) よく渡る人は 年にもありとふを 何時の間(ま)にそも わが戀ひにける(― よく辛抱し続ける人は一年でも待っていると言うが、いつの間にか、私は恋しさに耐えられなくなっていることよ) むしぶすま 柔(なご)やが下(した)に 臥(ふ)せれども 妹とし寝(ね)ねば肌(はだ)し寒しも(― 柔らかいカラムシの寝具にくるまって寝ているけれども、妹と一緒でないから、からだが冷たくてならない) 佐保河の 小石(こいし)ふみ渡り ぬばたまの 黒馬(くろま)の來(く)る夜(よ)は 年にもあらぬかも(― 佐保川の小石を踏んで渡って黒馬に乗ったあなたの来る夜は、一年中毎夜であって欲しいものだ) 千鳥鳴く 佐保の河瀬の さざれ波 止む時も無し わが戀ふらくは(― 千鳥の鳴く佐保川の浅瀬に立つ小波のように、私の恋心は止む時もない) 來(こ)むといふも 來(こ)ぬ時あるを 來(こ)じといふを 來(こ)むとは待たじ 來(こ)じというものを(― 来るつもりだと言ってこない時があるのに、来ないつもりだと言うものを、来るだろうと待つことはしまい。来ないつもりだと言ういうものを) 千鳥鳴く 佐保の河門(かはと)の 瀬を廣み 打(うち)橋渡す 汝(な)が來(く)とおもへば(― 千鳥が鳴く佐保川の川門は、瀬が広いので打橋を渡しておく。あなたが通って来ると思うので) 佐保河の 岸のつかさの 柴(しば)な刈りそね 在(あ)りつつも 春し來らば立ち隠るがね(― 佐保川の岸の高い所の柴を刈らないで下さい。このままで春が来たならば、立ち隠れるよすがとなるでしょうから)
2022年08月06日
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