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いざ子ども 香椎の潟(かた)に 白妙(しろたへ)の 袖さへぬれて 朝菜摘みてむ(― さあ、みんな、福岡市の香椎潟で白栲の袖までも濡らして、朝菜を摘みましょうよ) 時つ風 吹くべくなりぬ 香椎潟(かしひがた) 潮干の浦に 玉藻刈りてな(― 冬の季節風が吹く頃になりました。香椎潟の潮干の潟で玉藻を刈りましょう) 行(ゆ)き歸(かへ)り 常にわが見し 香椎潟 明日(あす)ゆ後には 見む緣(よし)も無し(― 役所への行き帰りにいつも見ていた香椎潟であるが、転勤する明日からはもう見ることがないのであるよ) 隼人(はやひと)の せ門(と)の磐(いはほ)も 年魚(あゆ)走(はし)る 吉野の瀧(たぎ)に なほ及(し)かずけり(― 隼人の薩摩のせ門の巨岩も、年魚の走る吉野の宮滝の激流の光景には、やっぱり及ばないなあ) 湯の原に 鳴く蘆鶴(あしたづ)は わがごとく 妹(いも)に戀ふれや 時わかず鳴く(― 温泉の湧く湯の原に鳴く蘆辺の鶴も私の様に妹を恋しく感じているのであろうか、時も定めずに鳴いている事だ) 奥山の 磐(いは)にこけむし 恐(かしこ)くも 問ひたまふかも 思ひ堪(あ)へなくに(― 苔蒸した奥山の巨石ではありませんが、畏れ多い事には、歌を作れなどと仰ることです。今そう命じられても十分に考えることさえ出来ません) 大汝(おほなむち)少彦名(すくなひこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ 名のみを 名兒山と 負(お)ひて わが戀の 千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰めなくに(― 神代の昔に大ナムチとスクナ彦名の神が初めて名づけられたのだと言うが、名前ばかりはナゴ山と名付けられているが、私の苦しい恋の万分の一もナグさめてはくれないことだよ) わが背子に 戀ふれば苦し 暇(いとま)あらば 拾(ひり)ひて行かむ 戀忘貝(こひわすれがひ)(― 最愛の夫が恋しい、慕わしい。私にもしも暇な時間があるならば、拾っていこうよ、恋忘れ貝を) 凡(おほ)ならば かもかも爲(せ)むを 恐(かしこ)みと 振り痛(いた)き袖を 無禮(なめ)しと 思(も)ふな(― 普通の御方ならば、ああもこうもしましょうに、恐れ多くていつもならば激しく振る袖を、堪えて振らずにおります。私は身分の卑しい女です故) 倭道(やまとぢ)は 雲隠(がく)りたり 然(しか)れども わが振る袖を 無禮(なめ)しと思(も)ふな(― 今は、大和へ行く道は雲に隠れております。ですから、私の振る袖はお見えにはならないでしょう。しかし、こらえきれずに振る袖を、どうぞ無礼だとは思わないでくださいませ) 倭道(やまとぢ)の 吉備(きび)の兒島を 過ぎて行かば 筑紫(つくし)の兒島 思ほえむかも(― 大和へ行く道の、吉備の国・岡山県 の児島を通ったならば、きっと同じ名の児島・遊女 が思い出されるだろうなあ) 大夫(ますらを)と 思へるわれや 水茎(みずくき)の 水城(みづき)の上に 涙拭はむ(― 涙なぞは流さないものとされる立派な男子である自分だが、福岡県の水城の上に立って、涙を拭うであろう) 須臾(しましく)も 行きて見てしか 神名火(かむなび)の 淵は淺(あ)せにて 瀬にかなるらむ(― ほんのちょっとでも行ってみたい、飛鳥の神名火の社の傍らの川、飛鳥川の淵は浅くなって、今頃は瀬になっていることだろうか) 指進(さしずみ)の 栗栖(くるす)の小野(をの)の 萩(はぎ)の花 散(ち)らむ時にし 行きて手向けむ(― 指をさして進む、ではないが、栗栖の小野の萩の花が散る時になつてから、行って手向けることになるだろう) 白雲の 龍田(たつた)の山の 露霜(つゆしも)に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山(いほへやま) い行きさくみ 敵(あた)守る 筑紫に至り 山の極(そき) 野の極(そき)見よと 伴(とも)の部(べ)を 班(あか)ち遣(つかは)し 山彦(やまびこ)の 應(こた)へむ極(きは)み 谷蟇(たにぐく)の さ渡る極(きは)み 國形(くにかた)を 見(め)し給ひて 冬ごもり 春さり行かば 翔ぶ鳥の 早く來まさね 龍田道(たつたぢ)の 丘邊(おかべ)の道(みち)に 丹(に)つつじの 薫(にほ)はむ時の 櫻花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ參出(まゐで)む 君が來(き)まさば(― 竜田山が露霜によって赤く色づく時に、それを越えて遠い旅にお出かけになるあなたは、五百重にも重なった山を踏み分けて行き、外敵の侵入を防ぐ九州の地に至り、山の果て、野の果てを監視せよと、部下を方々に派遣し、山びこの答える限り、ヒキガエルの渡る限り、国の様をご覧になって、春になったら飛ぶ鳥のように早く帰っておいで下さい。竜田道の丘辺の道に赤いツツジが咲き映える時、桜の花が咲く時に、お迎えに参りましょう。あなたが帰っておいでになるならば)
2022年12月30日
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須磨の海人(あま)の 塩焼衣(しおやきぎぬ)の 馴れなばか 一日(ひとひ)も君を 忘れて思はむ(― 須磨の海人の塩焼き衣がナレているように、私が貴女に馴れ親しんでしまったならば、一日でも貴女を心に忘れていられるだろうか。到底、いられないだろう) 眞葛(まくず)はふ 春日(かすが)の山は うちなびく 春さりゆくと 山の上(へ)に 霞棚引き 高圓(たかまと)に 鶯鳴きぬ もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)は 雁 が音の 來繼ぐこの頃 かく繼ぎて 常にありせば 友並(な)めて 遊ばむものを 馬並(な)めて 行かまし里を 待ちがてに わがせし春を かけまくも あやに畏く 言はまくも ゆゆしくあらむと あらかじめ かねて知りせば 千鳥鳴く その佐保川に 石(いは)に生(お)ふる 菅(すが)の根取りて しのふ草 解除(はら)へてましを 往く水に 禊(みそ)ぎてましを 大君(おほきみ)の 御命(みこと)恐(かしこ)み ももしきの 大宮人(おおみやひと)の 玉鉾(たまほこ)の 道にも出でず 戀ふる此の頃(― 葛の匍う春日の山は春が来た印として、山の辺りに霞が棚引き、高円・たかまと の辺りには鶯の声が楽しげに聞こえる。宮廷に仕える大勢の男達は、雁が次ぎ次ぎに行くこの頃、いつもこんな風だったら友達と打ち揃って遊びをしよう物を、馬を並べて里に出かけただろうと思われるのに、また、待ちかねていた春だというのに、今は皆、法律で禁足を命じられて外出も出来ないでいる。心に掛けて思うのも畏れ多く、口に出して言うのも慎むべき事になろうと、前から知っていたのだったら千鳥の鳴く、その佐保川で石の畔に伸びている菅の根を取って、偲ぶ草でお祓いをしたものを、また、佐保川の流れる水で禊をしたものを。こんな事態になってしまい、大君の御命令を畏み謹んで、大宮人達は外出して道に出ることもせず、野外の春を恋焦がれているこの頃であるよ) 梅柳 過ぐらく惜しみ 佐保の内に 遊びしことを 宮もとどろに(― 梅や柳が散り果ててしまう事が惜しくて、佐保の流域内で 打鞠・うちまり をして遊んだだけなのに、宮廷中が響き渡る程の大騒ぎになってしまったよ。やれやれ、何と言う事だ) *この時に、忽ちに天が曇って雨が降り、雷が鳴り響いた、のを天の神の怒りと受け止めての「禁足令」であったようである。(古屋 注) 大君(おほきみ)の 境(さかひ)賜ふと 山守(やまもり)すゑ 守(も)とふ山に 入らずは止(や)まじ(― 大君が境界をお決めになるとて、山守を置いて見張っているという山に、私はどうしても入らないではおかない積りです。天皇が大切にしている女性を、私は意地ずくでも自分の物にしないではおかない決意である。あの女性を手に入れる為なら、この命も惜しくはない) ―― 天皇は名目だけではなく、実質で神そのものであった。これを、この前提を取り去ってしまうと、この歌の真価は見えなくなってしまうだろう。神をも恐れぬ恋心、の極めて優雅で、大人的な表現の素晴らしさに注目して頂きたい。恋とは、まさに狂気なのだ。恐ろしい程に強力で闇雲な衝動なのだ。誰が好んで本物の恋心などに取り憑かれたいと思うだろう。これも宿命、恐ろしい運命の神の思し召しと考えるほかはない。全く、人業などではなくて、何処からともなく突然にやっきて人の気を狂わせてしまうのだ。くわばら、桑原! 見渡せば 近きものから 石隠(いそがく)り かがよふ珠を 取らずは止まじ(― 見渡すと近いのに、石に隠れてちらちらと光っている美しい珠を、取らないでは置かないつもりです) 韓(から)衣(ころも)着(き) 奈良の里の 島松(しままつ)に 玉をし付けるむ 好(よ)き人もがも(― 外来の珍しい着物を着慣らす、のそれではないけれども、奈良の里に生えている島松に、宝石の玉を付ける様な佳い人がいてほしいものだ) さ男鹿(をしか)の 鳴くなる山を 越え行かむ 日だにや君に はた逢はざらむ(― さ男鹿が妻を呼ぶ声が聞こえると言う山を越えて私が行く日だけでも、やはり、貴女にお会いできないのであろうか) 朝(あした)には 海邊(うみべ)に漁(あさり)し 夕されば 倭(やまと)へ越ゆる 雁(かり)し 羨(とも)しも(― 朝になると海辺で餌を探し、夕方には大和の方へ山を越えて飛んでいく雁が羨ましい事だ) さす竹の 大宮人(おほみやひと)の 家と住む 佐保の山をば 思ふやも君(― 栄えある宮廷人達が自分の家として誇りにして住んでいる佐保の山を、あなたは懐かしくお思いになるでしょうか) やすみしし わご大君(おほきみ)の 食國(をすくに)は 倭(やまと)も此処(ここ)も 同(おや)じとそ思ふ(― わが大君がお治めになる国ですから、大和も、この九州も同じだと思う。ですから、大和をそんなには恋しく思いません)
2022年12月28日
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やすみしし わご大君 神(かむ)ながら 高知らします 印南野(いなみの)の 大海(おふみ)の原の 荒栲(あらたへ)の 藤井の浦に 鮪(しび)釣ると 海人船(あまぶね)散動(さわ)き 塩焼くと 人そ多(さは)にある 浦を良(よ)み 諾(うべ)も釣(つり)はす 濱を良(よ(よ)み 諾(うべ)も塩焼く 在(あ)り通(かよ)ひ 見(め)さくもしるし 清き白濱(しらはま)(― わが大君。天皇は神をそのままに、立派にお治めになる印南野の邑美・おふみ の原のの、藤井の浦に、鮪を釣るというので海人の舟が入り乱れて騒いでいる。塩を焼くと言って人々が大勢いる。佳い浦だから成程釣りをするわけである。よい浜だからなるほど塩を焼くわけである。だから、いつも通って覧になるのもよく分かることだ。この清い白浜よ) 須磨の海人(あま)の 塩焼衣(しおやきぎぬ)の 馴れなばか 一日(ひとひ)も君を 忘れて思はむ(― 須磨の海人の塩焼衣が使い古して狎れてしまっている、それではないけども、私が貴女に慣れ親しんでしまっているとしても、一日たりとも忘れてしまうことなどあろうか。いつも絶え間なく、恋しく思って、切なくて苦しいのだよ) 沖つ波 邊波(へなみ)静けみ 漁(いざり)すと 藤江の浦に 船そ動(さわ)ける(― 沖の波、岸の波が静かなので、漁をするというので藤江の浦に舟が入り乱れて、舟人が声を上げて呼んだりしている) 印南野の 淺茅(あさぢ)押しなべ さ寝(ね)る夜(よ)の 日(け)長くあれば 家し偲(しの)はゆ(― 印南野の茅萱を押し靡かせて寝る夜の数が積もったので、家が恋しいことだ) 明石潟 潮干の道を 明日(あす)よりは 下咲(したゑ)ましけむ 家近づけば(― 明石潟の潮の干た道を明日からはにこにこしながら行くことであろう。家が近くなるのだから) 味さはふ 妹が目離(か)れて 敷栲(しきたへ)の 枕も纏(ま)かず 櫻皮(かには)纏(ま)き 作れる舟に 眞楫貫(まかぢぬ)き わが漕ぎ來れば 淡路の 野島も過ぎ 印南(いなみ)端(つま) 辛荷(からに)の島の 島の際(ま)ゆ 吾家(わぎへ)を見れば 青山の 其處(そこ)とも見えず 白雲も 千重(ちへ)になり來(き)ぬ 漕(こ)ぎ廻(た)むる 浦のことごと 行き隠る 島の崎崎 隈(くま)も置かず 思ひそわが來(く)る 旅の日(け)長み(― 妻と別れてその手枕もせずに、桜皮を巻いて作った舟に真楫を貫いて漕いでくると、淡路の野島も過ぎ、印南野のはずれ、辛荷の島の間から振り返って、大和にある自分の家の方を見ると、青い山々の何処と言ってはっきり分からず、白雲も幾重にも重なってしまった。漕ぎめぐる浦ごとに、又、漕ぎ隠れる島の崎ごとに、残すところもなくいつも家を想い続けて來ることであるよ。旅の日数が多いので) 玉藻刈る 辛荷(からに)の島に 島廻(み)する 鵜(う)にしもあれや 家思はざらむ(― 玉藻を刈る辛荷の島で島めぐりをしている鵜でもないのに、私は、どうして家のことを思わずにいられようか…) 島隠(かく)り わが漕ぎ來れば 羨(とも)しかも 倭(やまと)へ上(のぼ)る 眞熊野(まくまの)の船(― 島隠れして漕いでくると、ああ羨ましい、我が故郷の大和へ上っていく熊野の舟よ) 風吹けば 波か立たむと 伺候(さもらひ)に 都太(つだ)の細江に 浦隠(うらかく)り居(を)り(― 風が吹くので波が立つであろうかと、様子を見るために、都太の細い入江に隠れていることである) 御食向(みけむか)ふ 淡路の島に 直(ただ)向ふ 敏馬(みぬめ)の浦の 沖邊(おきへ)には 深海松(ふかみる)採(と)り 浦廻(うらみ)には 名告藻(なのりそ)刈る 深海松の 見まく欲(ほ)しけど 名告藻(なのりそ)の 己(おの)が名惜しみ 間使(まづかひ)も 遣(や)らずてわれは 生(い)けりともなし(― 淡路の島に直に向き合っている敏馬・みぬめ の浦の沖ではフカミルを採り、浦の廻りではナノリソを刈っている。恋しいお前に会いたいとは思うけれども、自分の噂が立つのが惜しくて、使いも遣らずにいて、私は今生きた心地もしないでいるのだよ) ―― しばらく私的な感想を書かないで過ごしたので、この行とは直接に関係のない随想を挿入してみましょうか。私は肉親の他で夢寐にも忘れずにいる人は、妻の悦子だけである。遥かなる未来の極限の彼方で、永劫回帰することを合理的な思考の帰結として私もニーチェとともに確信する者であるが、この永劫などという時間の経過はこの儚い束の間の生に絡め取られている生者たる私にとっては、じれったいほどに 長く 待ち遠しい 時間なのであって、時間の伸縮性に関しては、客観性などは謂わば絵空事であって、各人の感じている私的な時間感覚しか現実ではないわけで、こんな理屈はどうでもよいのであって、私は一刻も早く再び我が最愛の 妹 悦子に直接に会いたいのであります。ええ、ただ、理屈抜きで只に会いたいのであります。本当に愛し合った者同士なら、慣れ親しんだ挙句に「飽きる」などという馬鹿な現象は起きるはずもなく、千年でも万年でも共に生きたいと願うのですよ。愛する人間よ、万歳!
2022年12月26日
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やすみしし わご大君は み吉野の 蜻蛉(あきづ)の小野(をの)の 野の上(へ)には 跡((と)見(み)すゑ置きて み山には 射(い)目(め)立て渡し 朝狩(あさかり)に 鹿猪(しし)履(ふ)み起(おこ)し 夕狩(ゆうかり)に 鳥踏(ふ)み立て 馬並(な)めて み狩(かり)そ立たす 春の茂野(しげの)に(― わが大君は、吉野の蜻蛉の小野の、野の辺りに狩りの時に獣の通った足跡を調べて、何時ごろ通ったかを推測したりする役目の人を配置したり、み山に鳥獣を射る為に射手が身を隠す射目を、一面に設け、朝の狩りではシシを踏み立て、夕べの狩りでは鳥を追い立てて、馬を並べて御狩りをなさることであるよ) あしひきの 山にも野にも 御狩人(みかりびと)得物矢(さつや)手挾(たばさ)み 散動(さわ)きたり見ゆ(― 山にも野にも、天皇の狩人が獲物を狩る得物矢を手に挟んで、騒いでいるのが見える。実に壮観であるよ) 押(お)し照(て)る 難波の國は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の 思ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に 績麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 眞木柱(まきはしら) 太(ふと)高敷きて 食國(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 味經(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)は 廬(いほり)して 都なしたり 旅にはあれども(― 難波の国は、古びてしまった所だと、人々が皆、忘れて無関心でいたところが、天皇は、難波の長柄の宮に真木の柱を立派に立てて、国をお治めになられるので、文武百官は、味経の原に仮の家を設けて都を作り上げた。旅先ではあるけれども) 荒野(あらの)らに 里はあれども 大君の 敷く坐(ま)す時は 都となりぬ(― この里は荒野ではあるけれども、天皇がおいでになると、立派な都となったことだ) 海少女(あまおとめ) 棚無(たなな)し小舟(をぶね) 漕(こ)ぎ出(つ)らし 旅のやどりに 楫(かぢ)の音(と)聞ゆ(― 海女の少女が、棚無し小舟を漕いで出かけるらしい。この海辺での宿りの場所に、櫓の音が聞こえるよ) 鯨魚(いさな)取り 濱邊を清み うちなびき 生ふる玉藻に 朝凪(あさなぎ)に 千重(ちへ)波(なみ)寄り 夕凪(ゆうなぎ)に 五百重波(いほへなみ)寄る 邊(へ)つ波の いやしくしくに 月にけに 日(ひ)に日(ひ)に見とも 今のみに 飽き足らめやも 白波の い開(さ)き廻(めぐ)れる 住江(すみのへ)の濱(― 浜辺が綺麗なので、生いなびいている玉藻に、朝凪には千重波が寄り、夕凪には五百重波が寄ってくる。その浜辺の波が、後から後から追い重なってくるように、月ごとに、日毎に見ても、今見るだけで満足できようか。この美しい白波が花の様に寄せては砕ける、住吉の浜の風光は。将来も繰り返し見たいものである) 白波の 千重に來寄する 住吉(すみのえ)の 岸の黄土(はにふ)に にほひて行かな(― 美しい白波が千重に打ち寄せてくる住吉の、細かく赤黄色の粘土で衣を美しく染めて、一緒に行きましょう) 天地の 遠きが如(ごと) 日月(ひつき)の 長きが如(ごと) 押し照る 難波(なには)の宮に わご大君(おおきみ) 國知らすらし 御食(みけ)つ國 日の御調(みつき)と 淡路の 野島(のしま)の海人(あま)の 海(わた)の底 奥(おき)つ海石(いくり)に 鰒珠(あはびたま) さはに潜(かづ)き出(で」 船並(な)めて 仕へまつるし 貴し見れば(― 天地が遠いように、日月が長いように、難波の宮でわが天皇は、いつまでも国をお治めになるらしい。天皇の食膳の料を奉る国の毎日の貢物として、淡路の国の野島の海人が海の底の岩に潜って、真珠を沢山取り出して来、舟を沢山並べてお仕えしている光景を見ていると、まことに貴いことであるよ) 朝凪(あさなぎ)に 楫(かぢ)の音(と)聞ゆ 御食(みけ)つ國 野島(のしま)の海人(あま)の 船にしあるらし(― 朝凪の時に櫓の音が聞こえてくる。それは御食つ国である淡路の国の野島の海人の舟であるらしい) 名寸隅(なきずみ)の 船瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島 松帆(まつほ)の浦に 朝凪に 玉藻刈りつつ 夕凪に 藻塩(もしを)焼きつつ 海少女 ありとは聞けど 見に行かむ 緣(よし)の無ければ 大夫(ますらを)の 情(こころ)は無しに 手弱女(たわやめ)の 思ひたわみて 徘徊(たもとほ)り われはそ戀ふる 船楫(ふねかぢ)を無み(― 名寸隅の船瀬から見える、淡路島の松帆の浦で、海人少女が朝凪の時には玉藻を刈り、夕凪の時には藻塩を焼いていると言うけれど、見に行くきっかけもないので、男らしい強い心はなくて、たおやかな女のように思い屈して、辺りを歩き回ってただ恋しく思っていることである。会いに行く舟も櫓も無くて) 玉藻刈る 海少女(あまをめ)ども 見に行かむ 船楫(ふねかぢ)もがも 波高くとも(― 玉藻を刈る海人の少女たちを見に行く船と櫓が欲しいのだ。たとえ波が高く荒れていようとも) 行きめぐり 見とも飽かめや 名寸隅(なきずみ)の 船瀬(ふなせ)の濱に しきる白波(― 浦を廻って見てはいるのだが、とても満足出来はしない。名寸隅の船瀬の浜に後から後から寄せてくる美しい白波は。余りの好風景なので)
2022年12月23日
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味(うま)こり あやに羨(とも)しく 鳴る神の 音のみ聞きし み吉野の 眞木(まき)立つ山ゆ 見降(みおろ)せば 川の瀬ごとに 明(あ)け來れば 朝霧(あさぎり)立ち 夕されば 河(かは)づ鳴くなべ 紐解かぬ 旅にしあれば 吾(わ)のみして 清き川原(かはら)を 見らく惜しも(― かねてから言葉に表せない程見たいと思い、評判だけを聞いていた、み吉野の真木立つ山から見下ろすと、川の瀬々に夜が明けると朝霧が立ち、夕方になれば河鹿が鳴くにつけてて、自分だけでこの清冽な川原の光景を見るのは実に惜しい。妻を連れずに、衣の下帯を解くこともない旅であるから) 瀧(たぎ)の上(へ)の 三船の山は 畏(かしこ)けど 思ひ忘るる 時も日もなし(― 宮滝の激流のほとりの三船山を見ると、畏敬の念で身も慎まれるが、しかし、大和に残してきた妻を忘れる時は一日片時も無い事だ) 千鳥鳴く み吉野川の 川音(かはと)なす 止(や)む時無しに 思ほゆる君(― 千鳥の鳴く吉野川の川波の音のように、止む時もなく心が寄せられる貴方である) あかねさす 日(ひ)並べなくに わが戀は 吉野の川の 霧に立ちつつ(― 旅に来て日数を経たわけではないのに、妻を恋うる嘆きは吉野の川の川霧となって、立ち渡ることであるよ) やすみしし わご大君(おほきみ)の 常宮(とこみや)と 仕へまつれる 雜賀野(さひかの)ゆ 背向(そかひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚(なぎさ)に 風吹けば 白波騒き 潮干(ふ)れば 玉藻(たまも)刈りつつ 神代より 然(しか)そ尊(とふと)き 玉津島山(― わが大君の永久の御殿として、われらがお仕え申し上げている雑賀野の宮の地から斜め方向に見える、沖の島の清らかな渚には、風が吹けば白波が騒ぎ、潮が干ると玉藻を刈る、神代からこのように尊い玉津島であることよ) 沖つ島 荒磯(ありそ)の玉藻 潮干(しほひ)満ちて 隠ろひゆかば 思ほえむかも(― 沖の島の荒磯の玉藻は、潮干の潟に潮が満ちて波の間に見えなくなってしまったら、恋しく思われることであろうか) 若の浦に 潮満ち來れば 潟(かた)を無み 葦邊をさして 鶴(たづ)鳴き渡る(― 和歌山市の若の浦に潮が満ちて来て、干潟が無くなったので、岸辺の葦の生えている辺りを目指して、鶴が鳴きながら飛んで行く) あしひきの み山もさやに 落ち激(たぎ)つ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上邊(かみべ)には 千鳥數(しば)鳴き 下邊(しもべ)には 河(かは)づ妻呼ぶ ももしきの 大宮人(おおみやひと)も をちこちに しじにしあれば 見るごとに あやにともしみ 玉鬘(たまかづら) 絶ゆること無く 萬代(よろづよ)に 斯(か)くしもがもと 天地(あめつち)の 神をそ祈る 畏かれども(― み山をざわめかしてどうどうと落ちて沸き返る吉野川の川の瀬の清冽な流れを見ると、川上には千鳥がしばしば鳴き、川下ではカジカが妻を呼んで鳴く。大宮人もあちらこちらに一杯いるので、見る毎に何とも言えず讚歎に堪えない気持になるので、永久に絶えることなく万代までもこうあって欲しいと、天地の神に祈ることである。畏れ多い事ではあるけれども) 萬代(よろづよ)に 見とも飽かめや み吉野の 激(たぎ)つ河内(かふち)の 大宮所(おおみやどころ)(― 万代まで見ても見飽きることはないであろう、この吉野川の激流の壮麗な大宮の地は) 皆人の 命もわれも み吉野の 瀧(たき)の常磐(ときは)の 常ならぬかも(― 人々皆の命も、私の命も、共に、吉野川の激流の辺の岩の様に、永久に変わらずにあってくれないものだろうか) やすみしし わご大君(おおきみ)の 高知らす 吉野の宮は 畳(たたな)づく 青垣隠(あおかきごも)り 川波の 清き河内(かふち)そ 春べは 花咲きををり 秋されば 霧立ち渡る その山の いやますますに この川の 絶ゆること無く ももしきの 大宮人(おおみやひと)は 常に通はむ(― わが大君が立派にお作りになられた吉野の離宮は、幾重にも重なる靑い山々に囲まれて、川波の清冽な所である。春は花が咲き茂り、秋になれば霧が立ち渡る。その山々のようにいよいよ重ねて、この川のようにいつまでも絶えることなく、大宮人達は常に此処に通うことであろう) み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだもさわく 鳥の声かも(ー み吉野の象山の山あいの木の木ずえには、ああ、沢山の鳥が鳴き騒いでいることだ) ぬばたまの 夜(よ)の更けゆけば 久木(ひさき)生(お)ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く(― 漆黒の夜がしんしんと更けてゆくと、この山峡の、久木の伸び繁った清い川原に、千鳥がちち、ちちと頻りに鳴いている)
2022年12月21日
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世の人の 貴(たふと)び願ふ 七種(ななくさ)の 寳も われは何(なに)爲(せ)む わが中(なか)の 生れ出でたる 白玉の わが子古日は 明星(あかほし)の 明(あ)くる朝(あした) は敷栲(しきたへ)の 床(とこ)の邊(べ)去らず 立てれども 居(を)れども 共に戯(たはぶ ぶ)れ 夕星(ゆうつづ)の 夕(ゆふべ)になれば いざ寝よと 手を携(たづさ)はり 父母も 上(うへ)は勿下(さが)り 三枝(ささくさ)の 中にを寝むと 愛(うつく)しく 其(し)が語 らへば 何時(いつ)しかも 人と成り出でて 悪(あ)しけくも 善(よ)けくも見むと 大船((おほぶね)の 思ひ憑(たの)むに 思はぬに 横風(よこしまかぜ)の にふぶかに 覆(おほ)ひ來(きた)れば 爲(せ)む術(すべ)の 方便(たどき)を知らに 白栲の 手繦(たすき)を掛け まそ鏡 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ乞ひ祈(の)み 地(くに)つ神 伏して額(ぬか)づ き かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり われ乞ひ祈(の)めど 須臾(しましく)も 快(よ)けくは無しに 漸漸(やくやく)に 容貌(かたち)つくほり 朝(あさ)な朝(あさ)な 言うことは止(や)み たまきはる 命絶えぬれ 立ち踊り 足摩(す)り叫び 伏し仰ぎ 胸うち嘆き 手に持(も)てる 吾(あ)が兒飛ばしつ 世間(よのなか)の道(― 世間の人が尊び願う七種の宝も私には何の役に立とう。私たちの中に生まれ出た白珠の様な子供古日は、明けの明星が輝いて明けてくる朝は、床の辺りを離れずに、立っていても、座っていても、一緒に遊び戯れ、宵の明星が輝く夕方になると、さあ寝なさいと手を引いて「お父さんもお母さんも私のそばを離れないで。私は二人の真ん中に寝るんだ」と可愛らしく物を言うので、何時一人前の人に成人するだろうか、良くも悪くも、その様を見たいものだと、心の内に頼りにしている時に、思いがけず横様の大風が激しく吹き掛かって来たので、どうしたらよいか手のつけようも知らず、白栲の襷をかけ、真澄の鏡を手に取り持って、天の神を仰いでは祈り、地の神に伏して額づき、病気が治るのも治らないのも神様の御心のままですからと、うろうろしてお祈りをするのだが、しばらくも良いことはなくて、次第次第に顔つきは悪くなり、毎朝言う言葉も言わなくなり、命も絶えてしまったので、躍り上がっては地団駄を踏んでは泣き叫び、うつ伏したり振り仰いだり胸を叩いて嘆き、手に持った我が子を飛ばしてしまった。ああ、これが世間の道と言うものか) 若ければ 道行き知らず 幤(まひ)は爲(せ)む 黄泉(したへ)の使 負ひて 通(とほ)らせ(― 年の端も行かない者なのだから、どう行ってよいかも分からないだろう。贈り物はしますから、黄泉の使者よ、この子を背負って通って下さいな) 布施置きて われは乞ひ禱(の)む あざむかず 直(ただ)に率去(ゐゆ)きて 天路(あまぢ)知らしめ(― 布施を置いて私は祈願致します。どうぞ間違った方向に連れて行かずに、一筋に導いて天路を知らせてやって下さい) 瀧の上(へ)の 御舟(みふね)の山に 瑞枝(みづえ)さし 繁(しじ)に生(お)ひたる 栂(とが)の樹(き)の いやつぎつぎに 萬代(よろづよ)に かくし知らさむ み吉野の 蜻蛉(あきづ)の宮は 神柄(かむから)か 貴(たふと)くあるらむ 國柄(くにから)か 見が欲しからむ 山川を 清(きよ)み清(さや)けみ うべし神代ゆ 定めけらしも(― 吉野川の激流のほとりの御舟の山に、瑞々しい枝がぎっしりと生え伸びたツガの木の様に、つぎつぎに万代までもこうしてお治めになると思われる、御吉野のアキズの宮が尊厳なのは、神の品格によるのであろうか。又、この宮が見たいと思われるのは国の品格によるのであろうか。山や川が澄んで、清らかであるから、神代以来ここを天皇の御殿とお定めになったのも、まことに尤もな事である) 毎年(としのは)に かくも見てしか み吉野の 清き河内(かふち)の 激(たぎ)つ白波(― 毎年このようにして見たいものだ、み吉野の清流に滾り立つ白波を) 山高み 白木綿花(しらゆふはな)に 落ち激(たぎ)つ 瀧(たぎ)の河内(かふち)は 見れど飽かぬかも(― 山が高いので、白い綿の造花のように落ちて、たぎりかえる激流は、いくら見ていても飽きが来ないものだなあ) 神柄(かむから)か 見が欲(ほ)しからむ み吉野の 瀧(たぎ)の河内(かふち)は 見れど飽かぬかも(― 山の神の品格が高いから、見たいと思うのだろうか、み吉野の激流は見ても飽きないことである) み吉野の 秋津(あきづ)の川は 萬代に 絶ゆることなく また還(かへ)り見む(― み吉野の秋津の川が万代に絶えない様に、絶えることなくまた立ち帰って、この景色を何度でも見たいものだ) 泊瀬女(はつせめ)の 造(つく)る木綿花(ゆうはな) み吉野の 瀧(たぎ)の水沫(みなわ)に 咲きにけらずや(― み吉野の吉野川の激流を見ると、何と、泊瀬の女が作る木綿花が、波の泡として咲いているではないか)
2022年12月19日
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神代より 言ひ傅(つ)て來らく そらみつ 倭(やまと)の國は 皇神(すめかみ)の 嚴(いつく)しき國 言霊(ことだま)の 幸(先)はふ國と 語り繼(つ)ぎ 言ひ繼がひけり 今の世の人も悉(ことごと) 目の前に 見たり知りたり 人多(さわ)に 満ちてはあれども 高光る 日の朝廷(みかど) 神(かむ)ながら 愛(めで)の盛りに 天(あめ)の下(した) 奏(まを)し給ひし、家の子と 撰(えら)び給ひて 勅旨(おほみこと) 戴(いただ)き持ちて 唐(もろこし)の 遠き境に 遣(つかは)され 罷(まか)り坐(いま)せ 海原(うなはら)の 邊(へ)にも奥(お き)にも 神(かむ)づまり 領(うしは)き坐(いま)す 諸(もろもろ)の 大御神たち 船舳(ふなのへ)に 導き申(まを)し 天地の 大御神たち 倭(やまと)の 大國霊(おおくにみたま) ひさかたの 天(あま)の御空(みそら)ゆ 天翔(あまがけ)り 見渡し給ひ 事了(ことをは)り 還へらむ日は またさらに 大御神たち 船舳(ふねのへ)に 御手(みて)うち懸けて 墨縄(すみなは)を 延(は)へたる如く あちかをし 値嘉(ちか)の岬(さき)より 大伴の 御津(みつ)の濱邊(はまび)に 直泊(ただは)てに 御船(みふね)は泊(は)てむ 恙(つつみ)無(な)く 幸(さき)く坐(いま)して 早帰りませ(― 神代から言い伝えて来ている事には、大和の国は皇神の稜威・天皇の威勢 が厳しい国であり、言霊の幸ある国であると語り継ぎ言い継いで来ている。今の世の人も皆がそれを目の前に見て知っている。世間に人は多いけれども、神なる天皇の深い御寵愛によって天下の政を御執りになった立派な家柄の家の子として、特にあなた・多治比島の第五子の広成 をお取立てになったので、あなたはその勅旨を奉じて大唐という遠い国に使として差し向けられ、御出発になる。すると、大海原の岸辺にも沖辺にも鎮座して、大海を治めていらっしゃる多くの大御神たちが、舟の舳先に立ってお導き申し上げ、天地の大御神たち、特に大和の大国霊は、大空を天翔ってお見渡しになり、任務を終えて帰っておいでになる日には、再び大御神たちが舳先にお手をおかけになって舟を引いて下さり、墨縄をぴーんと張ったように真っ直ぐに、九州の値嘉の岬から大阪湾の御津の浜辺に御舟は到着するでしょう。障りなく、御無事でいらっしゃって早くお帰りなさいませ) 大伴の 御津の松原 かき掃(は)きて われ立ち待たむ 早歸りませ(― 大伴の御津の松原を掃き清めて、私は立ってお待ちいたしましょう。早くお帰りなさい) 難波津に 御船(みふね)泊(は)てぬと 聞(きこ)へ來(こ)ば 紐解き放(さ)けて 立走(たちばし)りせむ(― 大阪湾の船着場にあなた様の乗られている御船が着いたとの知らせを耳にしたならば、私は大急ぎで取るものも取り敢えずに、馳せ参じましょう。胸をわくわくと躍らせながら少しもお早い御帰還を心待ちに致しております故に) たまきはる 現(うち)の限(かぎり)は 平(たひら)けく 安くもあらむを 事も無く 喪(も)も無くあらむを 世間(よのなか)の 憂(う)けく辛(つら)けく いとのきて 痛き瘡(きず)には 鹹(から)塩(しほ)を 灌(そそ)ぐちふが如く ますますも 重き馬(うま)荷(に)に 表荷(うはに)打つと いふことの如(ごと) 老いにてある わが身の上に 病(やまひ)をと 加へてあれば 晝(ひる)はも 嘆かひ暮らし 夜(よる)はも 息(いき)衝(づ)きあかし 年長く 病みし渡れば 月累(かさ)ね 憂へ吟(さまよ)ひ ことことは 死(し)ななと思へど 五月蠅(さばへ)なす 騒く兒どもを 打棄(うつ)てては 死(しに)は知らず 見つつあれば 心は燃(も)えね かにかくに 思ひわづらひ 哭(ね)のみし泣かゆ(― この世に生きている限りは平らかで、安らかでありたいものを、何事も無く、悪いことも起こらずにありたいものを、人間世界の嫌な、辛いことには、とりわけ痛い傷に更に塩水を注ぎかけると言うように、また重い馬荷には、ますます追加の荷物をつけるというように、こんなに年を取ってしまった私の体に病までを背負わされているので、昼は昼で嘆き暮らし、夜は夜で、ため息をついては明かし、年長く病を続けてきたので、月を重ねて嘆き悲しみ、同じことなら死にたいと思うけれども、うるさく騒いでいる子供を打ち捨てて死ぬ気持ちにもなりきれず、じっと見ていると心は燃えるように灼け爛れる。あれやこれやと思い患って、泣けて泣けて仕方がないことであるよ) 慰むる 心はなしに 雲隠(がく)り 鳴き行く鳥の 哭(ね)のみし泣かゆ(― 心の憂さを慰める事もできずに、ただ、雲に身を隠して鳴いて渡っていく鳥の如くに、泣けてくることであるよ) 術(すべ)も無く 苦しくあれば 出で走り 去(い)ななと思へど 兒らに障(さや)りぬ(― 何ともするすべもなく苦しいので、外に出て行って走り去ってしまいたいと思うけれども、子供達に引っかかってそれもできないでいる) 富人(とみひと)の 家の兒どもの 着る身無み 腐(くた)し棄つらむ きぬ綿らはも(― 富裕な家の子供が、着物ばかりが多くて、着る体が足りない為に無駄に腐らせて棄てると言う悪い絹や綿よ、ああ) 荒栲(あらたへ)の 布衣(ぬのきぬ)をだに 着せがてに 斯や嘆かむ 爲(せ)むすべを無み(― 粗末な荒栲の布の衣をさえも子供に着せてやれなくて、こんなにも私は嘆くのであろうか、何ともしようがなくて…) 水沫(みなわ)なす 微(もろ)き命も 栲縄(たくなは)の 千尋(ちひろ)にもがと 願ひ暮しつ(― 水の泡のように直ぐに消える儚い命も、栲縄のように千尋にも長かれと祈り願い日を送る私なのだ) 倭文手纏(しつたまき) 數にも在(あ)らぬ 身には在(あ)れど 千年(ちとせ)にもがもと 思ほゆるかも(― 私は物の数にも入らない卑しい身分の者であるが、それでも千年の寿命が欲しいと切に願っている)
2022年12月16日
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たらちねの 母が目見ずて 鬱(おぼぼ)しく 何方(いづち)向きてか 吾(あ)が別るらむ(― 母に会うことも出来ず、気持も晴れずに、自分はどっちを向いて、別れて行ってしまうのであろうか) 常知らぬ 道の長手(ながて)を くれくれと 如何にか行かむ 糧米(かりて)はなしに(― 普段は知らなかった長い道の道中を、暗い気持でどのようにして行こうか。糧食もなくて) 家に在りて 母がとり見ば 慰むる 心はあらまし 死なば死ぬとも(― 家にいて母親が介抱してくれるならば私の気持はなぐさめらるだろうに。たとい死ぬことがあったとしても) 出でて行きし 日を数えつつ 今日今日と 吾(あ)を待たすらむ 父母らはも(― 私が出発した日から何日経った、何日経ったと数えては、今日は今日はと私の帰りをお待ちであろう父母よ、ああ) 一世(ひとよ)には 二遍(ふたたび)見えぬ 父母を 置きてや長く 吾(あ)が別れなむ(― 一生のうちに、もはや二度とは会えない父と母を後に残して、永劫に私は別れることであろうか) 風雜(まじ)へ 雨降る夜(よ)の 雨雜(まじ)へ 雪降る夜(よ)は 術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしほ)を 取(と)りつづしろひ 糟湯酒(かすゆざけ) うち啜(すす)ろひて 咳(しはぶ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 鬚(ひげ)かき撫でて 我(あれ)を除(お)きて 人は在らじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさぶすま) 引き被(かがふ)り 布肩衣(ぬのかたぎぬ) 有りのことごと 服襲(きそ)へども 寒き夜すらを 我(われ)よりも 貧しき人の 父母は 餓(う)ゑ寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 吟(によ)び泣くらむ 此の時は 如何にしつつか 汝(な)が世は渡る( 貧者の問 風を交えて雨が降る夜は、何ともしようもなく寒いので、堅い塩を手に取って少しずつ齧り、糟湯酒をすすりすすりしながら、咳を何度もして鼻をぐずぐずさせ、少しばかりの髯をなでては、自分を差し置いては能ある人間はいまいと、大いに自惚れているのだが、寒さは身にこたえるので、麻の夜具をひっかぶり、布肩衣をありったけ重ねて着てもまだ寒い夜なのに、自分より貧しい人の父母はお腹が空いて凍えているだろうし、妻や子達は力ない声を立てて泣いているだろう。こういう時には、お前はどうして暮らしているのだね) 天地は 廣しといへど 吾(あ)が爲(ため)は 狹(さ)くやなりぬる 日月(ひつき)は 明(あか)しといへど 吾(あ)が爲は 照りや給はぬ 人皆は 吾(あれ)のみや然る わくらばに 人とはあるを 人並(ひとなみ)に 吾(あれ)も作(つく)るを 綿も無き 布肩衣(ぬのかたぎぬ)の 海松(みる)の如(ごと) わわけさがれる 襤褸(かかふ)のみ 肩にうち懸け 伏廬(ふせいほ)の曲(まげ)廬(いほ)の内に 直土(ひたつち)に 藁解き敷きて 父母は 枕(まくら)の方(かた)に 妻子(めこ)どもは 足(あし)の方(かた)に 圍(かく)み居(ゐ)て 憂へ吟(さまよ)ひ 竈(かまど)には 火氣(ほけ)ふき立てず 甑(こしき)には 蜘蛛の巣懸(か)きて 飯(いひ)炊(かし)く 事も忘れて 鵺(ぬへ)鳥の 呻吟(のどよ)ひ居(を)るに いとのきて 短き物を 端截(き)ると 云へるが如く 楚(しもと)取(と)る 里長(さとをさ)が聲は 寝屋戸(ねやど)まで 來(き)立ち呼ばひ 斯くばかり 術(すべ)無きものか 世間(よのなか)の道( 窮者の答え 天地は広いと言うけれど、自分の為には狭くなってしまったのか。自分は身の置き所が無いように感じる。太陽や月は明るく照ると言うけれど、自分の為には照って下さらないのか。世の中は闇の様な気がする。誰でもそうなのか、自分だけがこんななのだろうか。稀な機会を得て人間に生まれてきたものを、自分は人並みに耕作をしているのだが、綿もない布肩衣の、海松の様にばらばらに破れぶら下がったボロばかりを肩に打ちかけて半分潰れたような家の中で、土の上に直に藁をばらばらにして敷いて、父母は枕の方に、妻子達は足の方に、この頼りにもならない自分を囲んで、坐っては、嘆き哀しみ、かまどには湯気も上がらず、こしきには蜘蛛が巣を掛けたままで、穀物が手に入らないので飯を炊くことも忘れ、細々とした声を立てているのに、格別に短い物の、そのまた端を切ると言う諺の通り、悪い上にも悪い事が重なって、ムチを持った里長は寝屋の戸口にまでやって来て立ちはだかり、呼び立てているのだ。こんなにも何とも仕方のないものか、この世に生きて行くと言う事は) 世間(よのなか)を 憂(う)しやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば(― この世の中を辛いと思い、身が細るような気持がするけれども、何処かへ飛んで行ってしまうことも出来ないでいるよ、鳥ではないからなあ) ―― これが万葉集の中でも最も人口に膾炙している山上憶良の貧窮問答歌であるが、そのリアリズムの持つ迫力には改めて圧倒されるばかりであります。
2022年12月13日
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松浦懸(まつらがた) 佐用比賣(さよひめ)の子が 領巾(ひれ)振りし 山の名のみや 聞きつつ居(を)らめ(― 松浦県の佐用姫が領巾を振った山の名を聞いているだけで、このままじっとしているのだろうか、行ってみたいものだよ)帯日賣(たらしひめ) 神の命(みこと)の 魚(な)釣(つ)らす と 御立(みた)たしせりし 石を誰(たれ)見き(― 神功皇后が魚をお釣りになろうとして、その上にお立ちになった石を誰が見たことであろうか) 百日(ももか)しも 行かぬ松浦路(まつらぢ) 今日行きて 明日は來(き)なむを 何か障(さや)れる(― 百日などはかからない松浦への道は、今日行って明日は帰って来ることが出来るだろうに、どういう差支えが起こって行かれないのでしょうか) 遠つ人 松浦(まつら)佐用比賣(さよひめ)夫戀(つまごひ)に 領巾(ひれ)振りしより 負える山の名(― 松浦佐用比売が夫を恋うて領巾を振ったことから、この山の名前は領巾振りの嶺と呼ばれている) 山の名と 言ひ繼げとかも 佐用比売(さよひめ)が この山の上(へ)に 領巾(ひれ)を振りけむ(― 山の名として言い継げというわけで、佐用比売が、この山の上で領巾を振ったのであろうか) 萬代(よろづよ)に 語り繼げとし この嶽(たけ)に 領巾振りけらし 松浦佐用比売(まつらさよひめ)(― 万代までも語り継げと言うので、この山の上で領巾を振ったらしい、松浦佐用比売は) 天(あま)飛ぶや 鳥にもがもや 都まで 送り申(まを)して 飛び帰るもの(― 大空を自由に飛ぶ鳥でありたいものだ、都まであなたをお送りして、直ぐに飛び帰る事が出来ますから) 人もねの うらぶれ居(を)れに 龍田山 御馬(みま)近づかば 忘らしなむか(― あなたが帰京の道にのぼられて人々が皆悄然としているというのに、大和への入り口の龍田山に乗馬が近づいたならばあなたは私達のことなど忘れてしまっていることでしょうね) 言いつつも 後こそ知らめ とのしくも さぶしけめやも 君坐(いま)さずして(― こんなことを言っていても、後になってからよく分かるでしょう。あなたが居なくなったならば随分と淋しいことでしょう) 萬代に 坐(いま)し給ひて 天(あめ)の下 申(まを)し給はね 朝廷(みかど)去らずて(― 万年の後まで長寿をお保ちになられて、天下の政治をお取り下さい。朝廷を決して去らずに) 天(あま)ざかる 鄙(ひな)には五年(いつとせ) 住(すま)ひつつ 都の風習(てぶり)忘らえにけり(― 片田舎に五年も住んだので、都の風習をすっかり忘れてしまった。私も都に住みたいものだよ) 斯くのみや 息衝(いきづ)き居らむ あらたまの 來經(きへ)往(ゆ)く年の 限知らずて(― こうしてまあ溜息をついていることであろうか、来ては過ぎ去っていく年の、際限も知ることなしに) 吾(あ)が主(ぬし)の 御霊(みたま)賜ひて 春さらば 奈良の都に 召上(めさ)げ給はめ(― あなた様の御心入れを賜って、春になったならば私を奈良の都に召し上げて下さいまし) 音(おと)に聞き 目にはいまだ見ず 佐用比売(さよひめ)が 領巾(ひれ)振りきとふ 君松浦山(まつらやま)(― 評判に聞いていても、まだ実際には見ていないことである、佐用比売が領巾を振ったという松浦山をば) 國遠き 道の長路(ながて)を おぼぼしく 今日や過ぎなむ 言問(ことどひ)もなく(― 故郷の国も遠い、長い道中で、心も晴れずに今日死んでいくのであろうか、家の者に物も言わないで) 朝露(あさつゆ)の 消易(けやす)きわが身 他國(ひとくに)に 過ぎかてぬるかも 親の目を欲(ほ)り(― 朝露のように消え易いわが身であるが、他国では死にきれないものであるよ。ひと目、親に会いたくて) うち日さず 宮へ上(のぼ)る たらちしや 母が手離(はな)れ 常知らぬ 國の奥處(おくか)を 百重山(ももへやま) 越えて過ぎ行き 何時(いつ)しかも 京師(みやこ)を見むと 思ひつつ 語らひ居(を)れど 己(おの)が身し 労(いたは)しければ 玉桙(たまほこ)の 道の隈(くま)廻(み)に 草手折(たを)り 柴取り敷きて 床(とこ)じもの うち臥(こ)い伏して 思ひつつ 嘆き臥せらく 國に在らば 父とり見まし 家に在らば 母とり見まし 世間(よのなか)は かくのみならし 犬じもの 道に臥(ふ)してや 命(いのち)過ぎなむ(― 都へのぼるというので母の手元を離れ、普段は知らなかった国の奥を、百重にも重なった山々を越えて通り、何時、都を見る事が出来るかと思って何時も話の種にしていたけれども、自分の身が病気になってしまったので、道の曲がり角に草を手折り、その上に柴を取って敷き、床のようにして、その上に倒れ臥し、嘆き伏して思うには「もし国にいれば父が看病してくれるだろうに、もし家にいれば母が看病してくれるだろうに。世の中というものは全くこんなものであるよ。犬の如くに道に倒れて命を終えることであろうか。 一に云う、私の一生は終わるのであろうか)
2022年12月10日
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わが盛り いたく降(くた)ちぬ 雲に飛ぶ 藥はむとも また變若(を)ちめやも(― 私の人生の盛りの頃も過ぎて、ひどく衰えてしまった。たとい雲に飛ぶという薬を飲もうとも、私は再び若返ることはないであろう) 雲に飛ぶ 藥はむよは 都見ば いやしき吾(あ)が身 また變若(を)ちぬべし(― 雲に飛ぶという妙薬を飲むよりは、懐かしい奈良の都を一目見たならば、田舎にいる卑しい私の身もまた若返ることであろう) 残りたる 雪にまじれる 梅の花 早くな散りそ 雪は消(け)ぬとも(― 残雪に混じって咲いる梅の花よ、早く散らないでおくれ。たとい雪が消えてしまおうとも) 雪の色を 奪ひて咲ける 梅の花 今盛りなり 見る人もがも(― 雪の白い色を奪い取って純白に咲いている梅の花は、今が盛りであるよ。私の他にも見る人がいればよいのだが) わが宿に 盛りに咲ける 梅の花 散るべくなりぬ 見む人もがも(― わが宿に真っ盛りに咲いている梅の花が、もう散りそうになってしまった。誰か私と一緒に見てくれる人がいればよいのだが) 梅の花 夢(いめ)に語らく 風流(みや)びたる 花と我(あれ)思(も)ふ 酒に浮(うか)べこそ(― 梅の花の精が夢の中で私に語って云う事には、私は風流な花であるから無駄に散らさないで、盃に浮かべて賞美してくださいませ) 漁(すなどり)する 海人(あま)の兒(こ)どもと 人はいへど 見るに知らえぬ 良人(うまひと)の子と(― 漁をする海人の子であるとあなたがたは言うけれど、一目見て知られました、あなたがたは貴人の子であると) 玉島の この川上(かはかみ)に 家はあれど 君を恥(やさ)しみ 顯(あらは)さずありき(― 私どもの家はこの玉島川の川上に御座いますが、あなた様に対して恥ずかしく思ってお明かし致しませんでした) 松浦川(まつらがは) 川の瀬光り 鮎(あゆ)釣ると 立たせる妹が 裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れぬ(― 松浦川の川の瀬はきらきらと光り、鮎を釣ると言って立っている妹の裳は裾が濡れています) 松浦なる 玉島川に 鮎釣ると 立たせる子らが 家路(いへぢ)知らずも(― 松浦の玉島川、此処は仙境の入口、に鮎を釣ると言って立っている若い女性達の家へ行く路を知りたいが、知るすべが無いのだ) 遠つ人 松浦の川に 若鮎(わかゆ)釣る 妹が手本(たもと)を われこそ巻かめ(― 心密かに待望していた憧れの女性、松浦川で若鮎を釣ると言うので立ってた人の、二の腕を巻いて共寝がしたいものだが、如何でしょうか? お嫌ですか…) 若鮎釣る 松浦の川の 川波の 並(なみ)にし思(も)はば われ戀ひめやも(― 言葉に尽くせないほどに恋焦がれていたからこそ、こうして此処であなた様をお待ち致しておりました) 春されば 吾家(わぎへ)の里の 川門(かはと)には 鮎兒(あゆこ)さ走(はし)る 君待ちがてに(― 春になるとわが家のある里の川門では、若鮎達が勢いよく走っていますわ、あなた様のおいでを待ち侘びて) 松浦川 七瀬の淀は よどむとも われはよどまず 君をし待たむ(― 松浦川にある多くの淀は澱んでいても、私の心は淀むことなどなく、あなたをひたすらお待ち致しておりまする) 松浦川 川の早瀬も 紅(くれなゐ)の 裳の裾濡れて 鮎か釣るらむ(― 松浦川の川の瀬が早いからであろうか、裳の裾を濡らしてあなたは鮎を釣っているのでしょうか) 人皆の 見るらむ 松浦の玉島を 見ずてやわれは 戀ひつつ居(を)らむ(― 人皆が見るという松浦の玉島の淵を直接に見ずに、私は遥かに遠くから恋い慕っているのであろうか) 松浦川 玉島の浦に 若鮎(わかゆ)釣る 妹らを見らむ 人の羨(とも)しさ(― 松浦川の玉島の浦で若鮎を釣る妹・美人 達を見たという人が何と羨ましいことであるか) 後(おく)れ居て 長戀ひせずは 御園生(みそのふ)の 梅の花にも ならましものを(― 後に残っていて、長い物思いをしていずに、あなたの家の庭の梅の花に、なれるものならなりたいものです) 君を待つ 松浦の浦の 娘子(をとめ)らは 常世(とこよ)の國の 天娘子(あまをとめ)かも(― あなたを待っている松浦の浦の少女達はきっと理想の国に居る天女なのでありましょうよ) 遙遙(はろばろ)に 思ほゆるかも 白雲の 千重(ちへ)に隔(へだ)てる 筑紫(ちくし)の國は(― 白雲が千重にも重なって隔てている筑紫の国は、遠く、遥かに思いやられまする) 君が行(ゆき) け長くなりぬ 奈良路なる 山齋(しま)の木立(こだち)も 神(かむ)さびにけり(― あなたの御旅行は既に時久しくなってしまいました。奈良の庭園の木立も相当に古びてしまったのですから)
2022年12月07日
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梅の花 咲きたる園の 青柳を 蘰(かづら)にしつつ 遊び暮らさな(― 梅の花が咲いている庭園の青柳を蘰にして、一日を遊び暮らそう) うち靡く 春の柳と わが宿の 梅の花とを 如何(いか)にきあ分(わ)かむ(― うちなびく春の柳のたおやかさと、我が宿の高雅な梅の花の美しさをどの様に区別出来ようか、出来はしないのだ) 春されば 木末(こぬれ)隠(がく)れて 鶯そ 鳴きて去(い)ぬなる 梅が下枝(しづえ)に(― 春になると、木の枝先に隠れて鶯が、梅の下枝に、鳴きながら移って行くのが聞こえる) 人毎(ひとごと)に 折り挿頭(かざ)しつつ 遊べども いやめずらしき 梅の花かな(― 人ごとに梅の花を折って、頭にさして遊んでいるが、いよいよ愛すべきは梅の花であるよ) 梅の花 咲きて散りなば 櫻花 繼ぎて咲くべく なりにてあらずや(― 梅の花が咲いて人々の心を楽しませて散ったならば、その後を継いで桜の花が咲くようになっているのではありませんか。季節の神様は何と素晴らしい恩恵を私たちに惜しげもなくもたらしていて下さるではありませんか。飲めや歌えや、踊れや、人々!) 萬代(よろづよ)に 年は來經(きふ)とも 梅の花 絶えることなく 咲き渡るべし(― 万世まで絶えることなく年月は継続して行くであろうし、梅の花も又、我々の目と鼻を楽しませる為に咲くことを止めないであろう。人間として生まれて、これ以上の後生楽なことはない。有難い、有難い) ―― 人間万歳、八百万の神々万歳、万歳万歳! 雪月花・紅葉・山河・海・湖・雲・雨、太陽神・天照大御神、様々な動植物。思いつくままに言挙げしてみたが、何と素晴らしい国土なのであろうか、私たちの国、日本は。この一見何気ない和歌も、古今に絶した名歌と称すべきなのでありました。 春なれば 宜(うべ)も咲きたる 梅の花 君を思うふと 夜眠(よい)の寝(ね)なくに(― 春になったから成程、梅の花が咲いたわけであるよ。私が壱岐の守だった頃、壱岐では春が遅く、梅の花の咲くのも遅かったから、私は君・梅の花を思うと、とても眠れなかった事を思い出す) 梅の花 折りてかざせる 諸人(もろひと)は 今日の間(あいだ)は 樂(たの)しくあるべし(― 梅の花を折って挿頭にしている人々は、今日一日は楽しいことであろう) 毎年(としのは)に 春の來たらば 斯しこそ 梅を挿頭(かざ)して 樂しく飲まめ(― 毎年、春が来たならば、こうして梅の花を挿頭にして、楽しく酒を飲もうではないか) 梅の花 今盛りなり 百鳥の 聲の戀(こほ)しき 春來たるらし(― 梅の花は今が盛りである。多くの鳥の声が恋しい、待望の春が来たらしい) 春さらば 逢はむと思(も)ひし 梅の花 今日の遊(あそ)びにあひ見つるかも(― 春になったらば先ず最初に会いたいと念願していた梅の花に、今日の楽しい遊宴で会う事が出来た) 梅の花 手折(たを)り挿頭(かざ)して 遊べども 飽き足(た)らぬ日は 今日にしありけり(― 梅の花を折って挿頭にして遊んでいるが、何か物足りない気がする今日の遊宴であるよ) 春の野に 鳴くや鶯 懷(なつ)けむと わが家(へ)の園に 梅が花咲く(― 春の野に鳴いている鶯を手懐けようというので、わが家の庭園では美しい梅の花が咲いている) 梅の花 散り亂(まが)ひたる 岡傍(おかび)には 鶯鳴くも 春方設(かたま)けて(― 美しい梅の花が繽紛と散り乱れている岡の辺では、鶯がしきりに鳴いている、春になったので) 春の野に 霧立ち渡り 降る雪と 人の見るまで 梅の花散る(― 春の野に霧が立ち渡って、見る人が、あれは雪であるかと思うほどに、梅の花が散っていることだ) 春柳 蘰(かづら)に折りて 梅の花 誰(たれ)か浮べし 酒坏(さかづき)の上(へ)に(― 蘰にするために折った梅の花を誰が盃に浮かべたのであろうか) 鶯の 聲(おと)聞くなべに 梅の花 吾家(わぎへ)の園に 咲きて散る見ゆ(― 鶯の声を聴いていると、我が家の庭に咲いた梅の花が満開になって、散っているのが見えることであるよ) わが宿の 梅の下枝(しづえ)に 遊びつつ 鶯鳴くも 散らまく惜しみ(― わが宿の梅の木の下枝で遊びながら、鶯が花の散るのを惜しんで鳴いているよ) 梅の花 折り挿頭(かざ)しつつ 諸人(もろひと)の 遊ぶを見れば 都しぞ思(も)ふ(― 梅の花を折って挿頭にしながら人々が遊ぶのを見ると、奈良の都が偲ばれる事だ) 妹(いも)が家(へ)に 雪かも降ると 見るまでに ここだも亂(まが)ふ 梅の花かも(― 妹の家に雪が降るかと見えるほどに、梅の花が繽紛と乱れ散っている) 鶯の 待ちかてにせし 梅が花 散らずありこそ 思ふ子が爲(― 鶯が待ってもなかなか咲かなかった梅の花よ、どうか散らずにいてくれないか。私が心に思っている大切な女性の為に) 霞立つ 長き春日を 挿頭(かざ)せれど いや懐かしき 梅の花かも(― 霞の立つ長い春の日を一日中かざしにしているのだけれども、いよいよ益々懐かしい梅の花であることよ)
2022年12月06日
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如何(いか)にあらむ 日の時にかも 聲知らむ 人の膝の上(へ) わが枕(まくら)かむ(― 或る名器の琴が歌った、どんな日の、どの様な時に、真に音楽を解する人の膝を枕にして安心を得ることが出来るであろうか) 言問(ことど)はぬ 樹にはありとも うるはしき 君が手馴(てな)れの 琴にしあるべし(― 人間と違って物を言わない樹木ではあるが、立派なお方の愛蔵の琴にきっとなるでありましょうよ) 言問はぬ 木にもありとも わが背子(せこ)が 手馴れの御琴(みこと) 地(つち)に置かめやも(― 物を言わない木ではあっても、それでも、私の最も敬愛いたしておりまするお方様が御愛用なされる大切な御琴ですから、直接に地面に置いたりは致しません) 懸(か)けまくは あやに畏(かしこ)し 足日女(たらしひめ) 神の命(みこと) 韓國(からくに)を 向(む)け平(たひら)げて 御心(みこころ)を 鎮(しづ)め給ふと い取らして 齋(いは)ひ給ひて 眞珠(またま)なす 二つの石を 世の人に 示し給ひて 萬代(よろづよ)に 言ひ繼(つ)ぐがねと 海(わた)の底 沖(おき)つ深江(ふかえ)の 海上(うまかみ)の 子負(こふ)の原に み手づから 置かし給ひて 神(かむ)ながら 神(かむ)さび坐(いま)す 奇魂(くしみたま) 今の現(をつつ)に尊きろかむ(― 口に出して申し上げるのは非常に恐れ多いことでありまするが、神功皇后が新羅の国を平らげられた時、御心を鎮めなさるということで、御とりになって呪いをなさった真珠の様な二つの石を、世の人にお示しになって、万代まで語り継ぐようにと、深江の海のほとりの子負の原に、御手づから御置きになり、それが今も神そのままに神々しく残っている、不思議の精霊の石は、只今現在もなお尊いのでありまする) 天地の 共に久しく 言ひ繼げと 此の奇魂(くしみたま) 敷(し)かしけらしも(― 天地と共に永久に語り継げと言うので、この精霊の籠った石を此処に敷いて置かれたらしいな) 正月(むつき)立ち 春の來たらば 斯くしこそ 梅を招(を)きつつ 樂(たの)しき終(を)へめ(― 正月になって新春になったならば、このように梅の花を招き寄せて、楽しいことの極みを尽くそうよ) ―― 今日では春の花といえば桜が主流であるが、古代には桜よりも更に早く早春を告げる花として、専ら梅花が持て囃されていた。私・草加の爺は何事に関しても奥手と言うか、総じて自分自身が意図的に体験してみないと、その物の味わいなり、良さを理解できないで過ごしてきている。人が桜の花を誉めそやすのを見たり聞いたりしても、それを我が身に置いて強く体感しないうちは、私は「本当に、そうなのだろうか」と得心がいかない。ある時、祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩で砧の撮影所に向かう住宅街の中で、突然に桜の花が、ソメイヨシノであっただろうか、目に入って、目を奪われてしまった。切ないほどに美しい、のだ。全く思いもかけない世にも希な桜花との出会いであった。クラシック音楽との出会いも、四十歳を超えてからむしろ強制的に邂逅を意図して、辛うじて成し遂げている。梅花とは、幸か不幸か、まだ「出会い」がないままで今日に至っている。そう言えば、悦子との出会いはそれに代わるものなのかも知れない。悦子は 桜 と言うよりは 梅 なのかも、とふと今感じたのだが。 梅の花 今咲ける如(ごと) 散りすぎず わが家(へ)の園(その)に ありこせぬかも(― 梅の花は、いまこんなに咲いているように、いつまでも散らずに、わが家の庭にあって欲しいものだ) 梅の花 咲きたる園の 青柳(あおやぎ)は 蘰(かづら)にすべく 成りにからずや(― 梅の花が咲いたこの庭園の青柳は、蘰にして頭を飾るほどに綺麗に芽吹いているではありませんか) 春されば まづ咲く宿の 梅の花 獨り見つつや 春日暮(くら)さむ(― 春になると先ず一番に咲くこの家の梅の花を、ただ一人で見ながら、春の長い日を暮らすのであろうか) 世の中は 戀繁しゑや 斯くしあらば 梅の花にも 成らましものを(― この人間の世は恋心が頻りにして苦しいものだ。こんなことであったならば、梅の花にでも成れたらいいのだがなあ) 梅の花 今盛りなり 思ふどち 挿頭(かざし)にしてな 今盛りなり(― 梅の花が今盛りである。心の合った者同士、挿頭しにしよう。梅の花が美しく咲き、今が盛りなのだからなあ) 靑柳(あおやなぎ) 梅との花を 折りかざし 飲みての後は 散りぬともよし(― 柳の花と梅の花とを取り揃えてかざしにして、酒を飲んだ宴会の後では、花は散ってしまっても良い) わが園に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より 雪の流れ來るかも(― 今まさに我が家の美しい庭園に梅の花が散っているところだ。いや、そうではないぞ、これは空から雪が流れ落ちてくるのである) 梅の花 散(ち)らくは何處(いづく) しかすがに 此の城(き)の山に 雪は降りつつ(― 梅の花が散るのは何処の話であろうか。この城の山では目下しきりに雪が降っているのだが) 梅の花 散らまく惜しみ わが園の 竹の林に 鶯鳴くも(― 梅の花が散るのを惜しんで、私の家の庭園では今、鶯が妙なる声を発している)
2022年12月02日
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