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世間(よのなか)の 術(すべ)なきものは 年月は 流るる如し 取り續(つづ)き 追ひ來(く)るものは 百種(ももくさ)に 迫(せ)め寄り來(きた)る 少女(をとめらが) 少女(をとめ)さびすと 唐玉を手本(てもと)に纏(ま)かし 同輩兒(よちこ)らと 手携(てたづさは)りて 遊びけむ 時の盛りを 留(とど)みかね 過(すぐ)し遣(や)りつれ 蜷(みな)の腸(わた) か黒(ぐろ)き髪に 何時(いつ)の間(ま)か 霜の降りけむ 紅の面(おもて)の上に 何處(いづく)ゆか皺(しわ)が來たりし 大夫(ますらを)の 男子(をとこ)さびすと 劔太刀(つるぎたち) 腰に取り佩き 獵弓(さつゆみ)を 手握(たにぎ)り持ちて 赤駒に 倭文鞍(しつくら)う ち置き匍(は)ひ乗りて 遊びあるきし 世間(よのなか)や 常にありける 少女(をとめ)らが さ寝(な)す板戸を 押し開き い辿(たど)りよりて 眞玉手の 玉手 さし交(か)へ さ寝(ね)し夜(よ)の 幾許(いくだ)もあらねば 手束杖(たつかづゑ) 腰にたがねて か行けば 人に厭(いと)はえ かく行けば 人に憎(にく)まえ 老男(およしを)は 斯(か)くのみならし たまきはる 命惜しけど せむ術(すべ)も無し(― この人間の世がどうしようもない有様は次のような次第である。先ず、年月は流れるように去って行く。後から後からと、様々な事象が我々人間に詰め寄って来る。例えば、少女等が少女等らしく行動をしようというので、珍しい舶来の宝玉の珠を手に巻いて( 或いは、互いに白栲の袖を振り交わして、赤い裳裾を後ろに引いて )、手を取り合って遊んだだろう娘さかりの年を、そのまま引き止めることなどは出来なくて、その年頃を過ごしてしまうと、黒々とした艶やかな髪にはいつの間にか霜が降ったかのように白いものが姿を現している。美しかった紅顔には、何処から来たのか分からないが、醜い皺が寄っている。( 別の伝えでは、何時もあった笑顔と引き眉が、咲いた花が衰えるように過ぎ去ってしまっていた。人生とは実に、こんなものであるらしい ) 又、大夫が真の男子らしく振舞うと言って、剣太刀を腰に佩き、猟の弓を手に握り持って、赤駒に日本古来からの倭文の鞍を置いて、それに乗馬して遊び回った青春の時代は、永久にその状態であるものであろうか。少女達の寝所の板戸を押し開けて、少女の許に近寄って、玉の様な手を指し交わして共に寝た夜は幾日も無いのに、いつの日にか杖を手にして腰を曲げ、あちらに行けば人から嫌われ、こちらに行けば若者から憎まれる。年寄りとはこうした存在であるらしい。生命は惜しいけれども、人の力では何ともするすべのない事であるよ) ―― 古代人は素朴で純朴で、まるで子供のようにあどけないが、我々現代人は極度に洗練されて、過度の技巧を手中にし過ぎている、云々かんぬん、などと聞いた風な口はきくまい。古代人も現代人も本質は何ら変わらない。幼稚で低脳なのは我々の方なのだと白旗を掲げておくに如くはないのだ。この長詩は人間の人生を見事に縮図化して見せてくれているではないか。しかもこの作者は千年の昔にも、人生とは斯のごときであり、人間の人生とはこうであったと明言している。つまり、こう人性を喝破し得るのは有能なる限られた資質の天才などではなくて、謂わば誰でもが普通に感じる感懐のひとつにしか過ぎないと述べるのだ。そうだろうと思う。進歩とか発展とか、とかく耳に心地よいことにばかり我々の関心が向くのは仕方ないとして、人間のひとりとして、どう己の生に決着をつけるのか。つまりプロセスをどうやって充実させ、完全燃焼に導くか。それに向けて、いざ、全力投球と参りたいものである。 常磐(ときは)なす 斯くしもがもと 思へども 世の事なれば 留(とど)みかねつも(― 磐石のように永久に変わらないで居たいと思うのだが、歳も命も、この世のことは引き止められないのだ。悲しい、などと泣き言を言ったところで始まりはしないのだよ、皆の衆) 龍(たつ)の馬(ま)も 今も得てしか あおによし 奈良の都に 行きて來(こ)む爲(― 今、直ちに大空を翔る竜馬・ペガサスが欲しい。憧れて止まないあの懐かしい奈良の都に行ってまた、瞬時に戻って来たいので) 現(うつつ)には 逢ふよしも無し ぬばたまの 夜(よる)の夢(いめ)にを 繼(つ)ぎて見えこそ(― 現実では逢う手立ては皆無ですから、夜の夢に毎夜、私を夢見てくださいな) 龍(たつ)の馬(ま)を 吾(あれ)は求めむ あおによし 奈良の都に 來む人の爲(た)に(ー ペガサスを伝説の中ではなくて、現実に求めよう。我らが素晴らしい都・奈良に来る人の為に) 直(ただ)に逢はず 在(あ)らくも多く 敷栲(しきたへ)の 枕離(さ)らずて 夢(いめ)にし見えむ(― 直接にお会いできないことも多いのですから、仰せの如くにあなたの枕を離れずに毎夜の夢に見えるように致しましょう)
2022年11月29日
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世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり(― 世の中は虚しいものだとつくづくと自覚すると、なお一層心の底から悲しさが湧き上がって来る。これは仏教で説く世間虚仮などとは無関係に、人間が人間である以上は、本来「悲しい」存在である事に由来するのだろう) 一見、何の技巧も凝らさずに、極めて自然にさらりと言ってのけている所に、この和歌の真骨頂があるようだ。言葉では表現できない心のあり方、心境、生まれてこの方胸に抱き続けていた感懐を何か劇的な突発事によって強烈に自覚させられる。己を知るとは、この本来的な 悲しさ を深く突き詰める自ずからなる営みなのではないだろうか。してみると、作歌とは本質的に人間的な行為なのだと言わなければならないだろう。意味している所も確かに大事だが、歌の生命はその調べにある。いよよ、ますます と畳み込む調子に乗って、本格的に「悲しさ」が出現させられる運びとなる。これなどは日本の和歌史上でも特筆すべき名歌であろう。 大君(おおきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の國に 泣く子なす 慕ひ來まして 息だにも いまだ休(やす)めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間(あひだ)に うち靡き 臥(こや)しぬれ 言はむ術(すべ) 為(せ)む術(すべ)知らに 石木(いはき)をも 問(と)ひ放(さ)け知らず 家ならば 形(かたち)はあらむを うらめしき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あれ)をばも 如何にせよとか にほどりの 二人並び居(ゐ) 語らひし 心背(そむ)きて 家ざかりいます(― 大君が支配なさる、遠い政庁が存在する場所であると言って、遥かに遠い九州の地まで、泣く子が親を慕っている如くに急いでおいでになって、まだ旅の疲れの息さえも十分に整えることもしないで、年月もまだ経過していないのに、全く思いもかけずに病気になって、妻は床に臥してしまわれたのでした。何と言って慰めたらよいのか、どうしたらよいのかも分からずに、身の周りの石にも木にも物を問いかける術を知らない。自分の家に居るのであれば目に見える形はあるであろうが、恨めしいのは我が奥様の所業でありますが、私にどうしろと期待しているのだろうか、あんなに仲良く語り合った夫婦仲だというのに、私の気持に背いて一人で家を離れてあの世に行ってしまったのです、永遠に) 家に行きて 如何(いか)にか 吾(あ)がせむ 枕づく 妻屋(つまや)さぶしく 思ほゆべしも(― 家に行ったところで、私は何としよう。枕を並べてある妻屋もきっと物淋しく思われるであろう) 愛(は)しきよし かくのみからに 慕ひ來(こ)し 妹(いも)が情(こころ)の 術(すべ)のすべなさ(― ああ、こうゆうことであったのに、私を慕って九州の地まで来た妻の心の、何ともするすべもなく心を打つことだよ) 悔(くや)しかも かく知らませば あおによし 國内(くぬち)ことごと 見せましものを(― 残念なことだなあ。こういうことと知っていたならば、国中を全て見せておくのだったのに) 妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに(― 妻の観た楝・栴檀 の花は散ってしまうだろう。私の涙はまだ乾かないと言うのに) 大野山(おほのやま) 霧立ち渡る わが嘆く 息嘯(おきそ)の風に 霧立ちわたる(― 大野山に霧が一面に立ちわたっている。私の嘆く、嘆きの息によって一面に霧が立ち渡っている) 父母を 見れば尊(たふと)し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞ道理(ことわり) 黐鳥(もちどり)の かかはしもよ 行方(ゆくへ)知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱(ぬ)き棄(つ)る如く 踏(ふ)み脱(ぬ)きて 行くちふ人は 石木(いはき)より 成り出(で)し人か 汝(な)が名告(ぬ)らさね 天(あめ)へ行かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君(おおきみ)います この照らす 日月の下(した)は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み 谷ぐくの さ渡る極(きは)み 聞(きこ)し食(を)す 國のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに 然(しか)にはあらじか(― 父母を見れば尊く、妻子を見れば胸が痛くなるほどに可愛いと思う。この世間ではそれが道理である。この世を逃れて行く所はないのだから、モチに引っかかった鳥のように離れられないものなのだ。穴あき靴を脱ぎ捨てるように、脱ぎ捨てて行ってしまう人は、石や木から生まれた非情な人なのか。お前の名前を言いなさい。天に行くなら、お前の思うままにするがよいが、この大地の上は大君が治めておられる。この照り渡る太陽や月の下は、雲の果、陸の果てまで、天皇の統治遊ばされる麗しい立派な国なのだ。ああ、こうと、自分の思いのままにするのもよいが、私の言う通りではないだろうか。物の道理は) ひさかたの 天路(あまぢ)は遠し なほなほに 家に帰りて 業(なり)を爲(し)まさに(― 天に昇って自由に振舞う道は遠いのだから、素直に家に帰って家業に励みなさい) 瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば まして偲(しの)はゆ 何處(いづく)より 來(きた)りしものそ 眼交(まなかひ)に もとな懸(かか)りて 安寝(安い)し寝(な)さぬ(― 美味しい瓜を食べると子供の事が思われる。又、栗を食べれば一層子供のことが愛しくなる。一体、子供という存在は何処からやって来たのだろうか。何時も目の前に子供の存在がちらついて安眠さえ出来ないのだ) 銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる寳 子に及(し)かめやも(― 人間というものは金銀財宝などと言う化物にとり憑りつかれては、一生を棒に振るものだ。しかし、考えるまでもなく子供という有難くも愛らしい至宝が神様から我々に与えられているのだ。何を齷齪する必要があろう) ―― 子供に加えるに、私は、草加の爺はもう一つ自然環境を加えたいが、如何? 日本は昔から、神ながら(ー 神様の御心のままに人間を始め万物を正しく導いてくださる の意)の国と正当に言い伝えて来ていますが、貴方様はどの様に思われますでしょうか。
2022年11月26日
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言出(ことで)しは 誰(た)が言(こと)なるか 小山田(おやまだ)の 苗代水(なわしろみずず)の 中淀(なかよど)にして(― 言い出しは誰の言葉だったのでしょうか? それなのに、今は山田の苗代水宜しく、途中で言い淀んでしまっているのではありませんか。貴方、男ならもっとしっかりしなさいよ) 吾妹子(わぎもこ)が 屋戸(やど)の籬(まがき)を 見に行かば けだし門(かど)より 返しなむかも(― そう仰っている愛しいお方よ。もしも私が恋しい思いで貴女の家の籬を見に行ったならば、多分、其処から私を追い返してしまうでしょうに) うつたへに 籬の姿 見まく欲(ほ)り 行かむと言へや 君を見にこそ(― 私はあなたの家の立派な籬を見たいわけではありませんで、恋しい貴女に逢いたいから行きたいと思うのですよ) 板葺(いたふき)の 黒木の屋根は 山近し 明日(あすのひ)取りて 持ち參り來(こ)む(― 屋根を板で葺く為の黒木(皮をはがない木材)は、山が近くにあるので、明日にでも伐り出して持参致しましょう) 黒木取り 草も刈りつつ 仕(つか)へめど 勤(いそ)しき奴(わけ)と 譽(ほ)めむともあらず(― 屋根を作る黒木を伐り出し、草も刈ってお仕え致しましょうが、そうしたところで勤勉な奴だと褒めてはくれそうにありませんね) ぬばたまの 昨夜(きぞ)は還(かへ)しつ 今夜(こよい)さへ われを還すな 路(みち)の長道(ながて)を(― 貴女は昨夜、私を会わずに帰させた。今夜までも、あの長い道を帰させないで下さいな) 風高く 邊(へ)には吹けども 妹がため 袖(そで)さえ濡れて 刈れる玉藻そ(― 風が高く強く岸辺には吹いていたが、あなたと言う友の為にと袖まで濡らして刈り採った、玉藻がこれですよ) 前年(をととし)の 先(さき)つ年より 今年まで 戀ふれど何そも 妹に逢ひ難き(― 一昨年の前年から、今年にかけてずっと君に恋焦がれているに、どうしてこんなに会うことが難しいのか。君の心が私には理解できない) 現(うつつ)には またも得(え)言はじ 夢(いめ)にだに 妹が袂(たもと)を まき寝(ぬ)とし見ば(― 現実に起こるならばそれ以上を望む事はありませんが、せめて夢の中でだけでも愛しい君の袂を巻いて寝たと見るならば、幸せですよ) わが屋戸(やど)の 草の上(うへ)白く 置く露の 命も惜(を)しからず 妹に逢はざれば(ー わが家の、草の上に置く露が消えやすい様に、わたしの命が儚く消えてしまっても惜しくはありません。恋しい人、愛する君に会えずにいるのだからね) 春の雨 いや頻(しき)降るに 梅の花 いまだ咲かなく いと若みかも(― 成長を促すかのように春の雨は頻りに降るのですが、梅の花・御身の娘御はまだ咲く気配が見られませんね。まだ大層若いからでしょうか) 夢(いめ)のごと 思ほゆるかも 愛(は)しきやし 君が使の 數多(まね)く通へば(― 最近ではまるで夢でも見ているかのように感じてしまいます。愛しい貴女からの使いが矢継ぎ早にやって参りますから) 末(うら)若み 花咲きがたき 梅を植ゑて 人の言(こと)繁み 思ひそわがする(― まだ枝先が若くて花の咲き難い梅を植えて大切にしていると、娘はまだ若く幼いのに、もう人々があれこれ言っては思い煩うことです) 情(こころ)ぐく 思ほゆるかも 春霞 棚(たな)びく時に 言(こと)の通へば(― 春霞が棚引いていて何とも心が晴れない時に、何度も君からの使が来るので、心が鬱屈したままでむすぼおれたままで居るのだ) 春風の 聲(おと)にし出(で)なば ありさりて 今ならずとも 君がまにまに(― このままでずっと時を経て、今でなくとも、春風がはっきり音を立てて吹くように、目に見えて娘が成長したならば貴方の思いのままにしましょう) 奥山の 磐(いは)かげに生(お)ふる 菅(すが)の根の ねもころわれも 相思(あひも)はざれや(― 奥山の岩蔭に生えている菅の根の様に、私は細かく心を用いてお嬢さんに仕えます) 春雨を 待つとにしあらし わが屋戸(やど)の 若木の梅も いまだ含(ふふ)めり(― 春雨を待つという事であるらしい。わが家の若木の梅もまだ蕾のままで、花を開かずにいます) ―― 真室川音頭などに見られる民謡の歌詞は、こうした古代の歌謡の影響を色濃く残しているのですが、地方色の色濃い方言などに古語が根強く残っているが、地方文化の保守性と言った特色は或る意味で貴重な文化遺産だと言えるのではないだろうか。因みに、正調の真室川音頭の一節を次に掲げて置きます。 私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ あなたまた このまちの鶯よ 花の咲くのを 待ちかねて コーリャ 蕾のうちから 通って来る
2022年11月22日
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うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴(たづ)の 間無く時無し わが戀ふらくは(― はるばると遠くまで見渡せる奈良県の竹田の庄にある広い野原。そこに無数の鶴が舞い降りていて間断なく鳴き声を発している。そのように、私は休むこともなく頻りに君の事を恋しく思っていることだ) 早河(はやかは)の 瀬にゐる鳥の 緣(よし)を無み 思ひてありし わが兒はもあはれ(― 流れが速い河の浅瀬にいる鳥が頼る所もなくて心細げであったが、まるでそんな風に、愛しい子供が寂しげに物思いをしていたが、その子が労しいことだ) 神(かむ)さぶと 不欲(いな)ぶにはあらね はたやはた 斯(か)くして後に 不樂(さぶ)しけむかも(― 私は年を取ったからと言ってお断り致すのではありません。しかし、もしかしたら、こうしてしまった後で淋しい思いをする事になるのではありますまいか。どうも、そんな予感がしてなりませんの。お互いに大人の判断を冷静に致しましょう) 玉の緒を 沫緒(あわを)によりて 結べらば ありて後にも あはざらめやも(― 互の魂・玉の緒を無理にきつく結ばずに、緩く結んだままで置けば、互の関係を今急に緊迫したものにせずにしておけば、自然に時が経てばお会いする運びになるのではありますまいか。如何でしょうか、何時か無理せずにお会いする時を楽しみに致しましょう) 百年(ももとせ)に 老舌(おいじた)出でて よよむとも われはいとはじ 戀は益すとも(― 百年も年を取って歯が落ち舌が出て、腰が曲がっても、私は厭わないでしょう。恋心が増すことはあっても) 一隔山(ひとへやま) 隔(へな)れるものを 月夜(つくよ)よみ 門(かど)に出で立ち 妹(いも)か待つらむ(― 山が一つ間にあって遠く隔たっているのだが、月の光が折りよく皓々と照っているので、恋人は門まで出て来て私の来るのを期待しているだろうか) 路(みち)遠み 來(こ)じとは知れる ものからに 然(しか)そ待つらむ 君が目を欲(ほ)り(― 道が遠いから来ないだろうとは知っておりますが、きっと今頃はそのように待っておりますでしょうね。あなたのお顔が見たさに) 都路を 遠みか妹が このころは 祈(うけ)ひて宿(ぬ)れど 夢(いめ)に見え來(こ)ぬ(― 都へ通う路が遠いからであろうか、最近では祈って寝ても、夢に愛する女性は出て来ないことだ) 今しらす 久邇(くに)の京(みやこ)に 妹に逢はず 久しくなりぬ 行きてはや見な(― 現在の天皇が支配される久邇の都に居て、妹の顔を長い間見なくなってしまった。早く行って妹に会いたいものだよ) ひさかたの 雨の降る日を ただ獨り 山邊にをれば いぶせかりけり(― 広々とした大空から天の恵みの雨が降っている有難い日なのに、妻と一緒ではなくたったひとりでいると心が鬱々として鬱陶しいことだ) 人目(ひとめ)多み 逢はなくのみそ 情(こころ)さえ 妹を忘れて わが思(も)はなくに(― 人の目が多くてそれが障害となっていて会わないだけですよ。心の中では何時でも最愛の君を恋しく想い続けている私ですよ) 偽(いつわり)も 似つきてそする 顯(うつ)しくも まこと吾妹子(わぎもこ) われに戀ひめや(― 貴女は本当に嘘つきですね。嘘というものは真実らしく上手に吐くものですよ。正気でいて本当に君が私に恋をするでしょうかね、とても信じられないことだ、憎らしいなあ) 夢(いめ)にだに 見えむとわれは ほどけども あひし思(も)はねば 諾(うべ)見えざらむ(― せめて夢にでも会いたいものだと願って私は寝巻きの紐をほどくのだが、君は私を思ってくれないから夢でさえ会えないのは尤もな事なのだよ) 言問(ことと)はぬ 木すら紫陽花(あぢさゐ) 諸茅等(もろちら)が 練(ねり)の村戸(むらと)に あざむかえけり(― 言葉を発しないと言われる木でさえも、紫陽花や諸茅などの一筋縄では行かない心には欺かれたと聞いています。それと同様に、人間である私は巧みな言葉遣いで人を誑し込む、変わりやすい貴女の心に唯々諾々と騙され続けているわけですよ。こんな埒もない恋心などは吹き飛んでしまえば良いのだがなあ) 百千(ももち)たび 戀ふというとも 諸茅等が 練の言葉は われは信(たの)まじ(― 貴女が百度千度私を恋していると仰っても、今後は私は諸茅等の如き千変万化する貴女の言葉に惑わされる事は断じて致さない積りです、貴女の余りに巧みな言葉の綾に翻弄され過ぎましたよ。ああ、情けない、根性無しで女々しい、この俺め) うづら鳴く 故(ふ)りにし郷(さと)ゆ 思へども 何そも妹に 逢ふ緣(よし)も無き(― 草深い古ぼけた場所であった故郷の村に住んでいた頃から恋焦がれていた想い人であるのに、どうして会うことが叶わないのであろうか、せめてそのきっかけだけでも与えられたならばよいのになあ)
2022年11月19日
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夢(いめ)の逢(あひ)は 苦しかりけり 覺(おどろ)きて かき探れども 手にも觸れねば (― 夢での逢瀬は苦しいものであった。びっくりして相手を手で掻き探ったが、手にさえ触れないのだから) 一重(ひとへ)のみ 妹が結ばむ 帯をすら 三重結ぶべく わが身はなりぬ(― 夢で契った恋人が一重に結ぶ帯でさえ、私は用心して浮気されないように三重に結ぶようになったことだ) わが戀は 千引(ちびき)の石(いは)を 七(なな)ばかり 首(くび)に繋(か)けむも 神の諸伏(もろふし)(― 私の恋はまるで千人で引くような大きな岩を七つ程も自分の首に懸けたように重くて苦しいが、これも神様の思し召しと思えば苦痛とは感じないのだ) 暮(ゆう)さらば 屋戸(やど)開(あ)け設(ま)けて われ待(ま)たむ 夢(いめ)に相見に 來(こ)むとふ人を(― 夕方になったなら家の戸を引き開けて用意して私は待とうよ、夢で逢いに来ようと言う人を) 朝夕(あさよひ)に 見む時さへや 吾妹子(わぎもこ)が 見とも見ぬごと なほ戀(こほ)しけむ(― 私が恋人と結婚して一緒に住み、朝に晩に毎日顔を合わせる様になったとしても、それでも日頃見ないかのように私の最愛の女性は、なおも恋しいだろう) 生ける世に 吾(あ)はいまだ見ず 言(こと)絶えて かくおもしろく 縫(ぬ)える袋は(― こんなに素晴らしく縫い上げた袋を私はまだ生涯に見たことがない。何という芸の冴えであろう) 吾妹子(わぎもこ)が 形見の衣 下に着て 直(ただ)に逢うまでは われ脱(ぬ)かめやも(― 最愛の女性の形見である衣を上着の下に着ていて、夢ではなくて直接に会うまでは私は絶対にこの下着は脱がないよ、金輪際) 戀死なむ そこも同じそ 何せむに 人目他言(ひとごと) 言痛(こちた)みわがせむ(― 君に恋焦がれて私は死んでしまおう。それで本望だ。どうして他人の無責任な視線や噂を私が辛いなどと思ったりしようか、断じてしないのだ) 夢(いめ)にだに 見えばこそあらめ かくばかり 見えずしあるは 戀ひて死ねとか(― せめて夢にだけでも見えるならば、私が生きていく価値はあるだろうが、こんな風に夢にさえ姿を現さないのは、私に死んでしまえと言うことなのだろうか、そんな薄情過ぎる事があってよいだろうか) 思ひ絶え わびにしものを なかなかに 何か苦しく 相見そめけむ(― 当時の私はすっかり断念して、気力が抜けて、諦めきっていたものを…。何だって性懲りもなく再び相見て、恋を復活させてしまったのだろうか? ああ、又もやあの地獄の様な苦しみと焦燥をやり直さなければいけないなどとは! 失恋も絶望なら、一時的な得恋もそれ以上の過酷な試練が待っているのを熟知していながら…) 相見ては 幾日(いくか)も經ぬを ここだくも 狂ひに狂ひ 思ほゆるかも(― 会ってから何日も経っていないのに、もうこんなにも物狂おしく恋しいのであろうか…、分かりきっていた事とは言え、腸が千切れる様に痛むかの如くに苦しいのだよ) かくばかり 面影にのみ 思ほえば いかにかもせむ 人目繁くて(― こんなに恋しい君が面影になって見えるのはどうしたことだろうか。人の目が繁くて、とても会いには行けないと言うのに) 相見てば しましく戀は和(な)ぎむかと 思へどいよよ 戀ひまさりけり(― 会う事が出来たので暫くの間はこの激しい恋心は和らぐだろうと考えたが、どうだろうか、こんなにも益々恋しさが募って来てどうしようもないのだ。恋は思案の外とはこの事を言うのか) 夜(よ)のほどろ わが出でて來れば 吾妹子が 面(おも)へりしくし 面影に見ゆ(― 早朝の夜のまだ明け際に私が恋人の寝屋を出て来た時の、彼女の悲しそうな表情がありありと目の前に見えることだ) 夜のほどろ 出でつつ來らく 遍多(たびまね)くなれば わが胸截(た)ち燒くごとし(― 夜の明け際に帰って来る事が度重なったので、私の胸は切るように、焼くように苦しいことだ) 次の数首は仲の良い姉妹の間で交わされたもの。但し、一種の恋歌と解してもよい。 外(よそ)にゐて 戀ふるは苦し 吾妹子を 繼(つ)ぎて相見む 事計(ことはかり)せよ(― よそに離れていて懐かしく思っているのは苦しいことです。あなたに続けて会えるように計らって下さい) 遠くあらば わびてもあらむを 里近く 在りと聞きつつ 見ぬが術(すべ)なさ(― 遠くに離れているのでしたらがっかりもしながら諦めもつきますが、里近くに住んでいると聞きながら会えないのは堪らない事です) 白雲の たなびく山の 高高(たかだか)に わが思(も)ふ妹を 見むよしもがな(― 白雲の棚引いている高い山を仰ぎ見る様に敬愛している妹に会う手立ては無いものかしら) いかならむ 時にか妹を 葎生(むぐらふ)の きたなき屋戸(やど)に 入りいませなむ(― 一体何時になったら、恋しい妹に雑草の生えている陋屋においで頂くことが出来るでしょうか。実に心もとない事で御座います)
2022年11月16日
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わが名はも 千名(ちな)の五百名(いほな)に 立ちぬとも 君が名立たば 惜しみこそ泣け(― 私の悪い噂は、千人中で半分の五百人位にも既に立ってしまっておりますよ。それは意にも介しませんが、もしも仮に私ではなくてあなた様の名前が悪く言いふらされてでもいるのでしたら、私は悔しくて泣くに泣くでありましょう、きっと。その事をよくよく考えて下さいませ) 今しはし 名の惜しけくも われは無し 妹によりては 千(ち)たび立つとも(― 私は今はもう名が惜しいことは全くありません。ましてや、あなた様の如き素晴らしい美人とならば、悪い噂が千を超えて無数に立ったとしても何らの痛痒も感じは致しません) ―― 言葉というものは面白いもので、過度に何かを強調しようと試みると、その意図とは逆に、程度が非常に軽い印象を与えてしまう。そればかりではない、真剣度そのものが揺らいでしまい、相手を茶化してでもいるかのように見えてしまうのだ。つまりは、それが真の狙いだった、と言わんばかりに。自己韜晦の極致とも、深読みすれば、解釈出来なくはない。ここで、私も含めた近代人が我知らずに陥っている陥穽がある。曰く、古代人は 素朴で、純粋 である。その通りでも、あるし、そうではないかも知れない。つまり、そんな余計な事を考えずに、虚心に文脈の流れに沿って素直に、自然に文意を読み取れば良いので、現代人は昔の人に比べてソフィストケイトの度が過ぎているなどと知ったかぶりをしていると、御当人が損をするだけなのだ。人間は、人の心は時代ではなく、空間的な制約をも受けているのは至極当然のことなのだから。地理的な環境は、特に我が日本の様に明治維新後に激しい環境の変化を経験した場合には、様々な文化的な影響を受けていそうではなかった昔に比較すれば、同じ国の民とは一見思えない程の変貌を遂げていると考えなければならず、人の心の内部にも激しい違いが見られて当然と考えるのが普通だろう。しかし、人間は何時でも、何処でも、人間であったし、これからも人間で有り続けるだろう。そうあたふたとして右顧左眄する必要もないと、高を括っておくに如くはないだろう。 うつせみの 世やもニ行(ふたゆ)く 何すとか 妹に逢はずて わが獨り寝(ね)む(― 人間の住む世は二つの世界が同時に並んで存在しているのだろうか。同じ世界に居ながら恋しい女性と会えないなどとは、理不尽であり、どうして私は一人寂しく寝なくてはならないのか。やんぬるかな、やんぬるかな) わが思(おも)ひ かくてあらずは 玉にもが 眞(まこと)も妹が 手に巻かれむを(― こんな悲しく淋しい憶いばかりしていないで、ああ、美しい宝玉になってしまいたい。そうすれば恋しい女性の手にぴったりと巻かれて、何時でも一緒にいることが出来るのに…) 春日山 霞棚(たな)びき 情(こころ)ぐく 照れる月夜(つくよ)に 獨りかも寝む(― 春日山に春霞が棚引いていて、私の心が恋の煩悶のためにもやもやとしていることを暗示しているようです。この霞に遮られてぼんやりと照っている月の光の下で、私は独り寝をせざるを得ないのですが、何と切なく苦しい事でありましょう、御推察下さいませ) 月夜(つくよ)には 門に出で立ち 夕占(ゆうげ)問ひ 足卜(あうら)をそせし 行かまくを欲(ほ)り(― 月の出ている美しい夜には、我が家の門のところに出て、道行く人の言葉を聞いて吉凶を占う夕占をし、又、歩いて行って右足、左足のどちらが先に目標につくかによって占いをする足卜をして、恋しいあなたに逢いに行くか否かを決めようと、弱くなった自分の心だけでは決めかねている、心弱い私になってしまっているのですよ。こんな軟弱な男ではなかった筈なのにねえ…) かくかくに 人は言ふとも 若狭道(わかさぢ)の 後瀬(のちせ)の山の 後も逢はむ君(ー 世間の人たちは様々に噂しているようですが、若狭道にある後瀬の山ではありませんが、次節をしばらく待って、後に又お逢いしたいと存じます、元気をお出しくださいまし、敬愛申し上げている我が君様) 世間(よのなか)の 苦しきものに ありけらく 戀に堪(た)へずて 死ぬべく思(も)へば(― この世の中とは今更のように苦しいものと切実に感じておりまする。恋心の苦しさ切なさで死にそうだと思われておるます故に) 後瀬山 後も逢はむと 思へこそ 死ぬべきものを 今日までも生(い)けれ(― 後瀬山の のち ではないけれども、後にこそはあなたと会いたいと願ったからこそ、私は今日の日まで生き長らえているのです) 言(こと)のみを 後も逢はむと ねもころに われを頼めて 逢はざらむかも(― 貴女は言葉だけでは後で会いましょうと心を込めて仰り、私を心頼りさせていながら、遂には会って下ださらないのですね。何と酷い仕打ちをなさるのでしょう)
2022年11月12日
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大夫(ますらを)と 思へるわれを かくばかり みつれにみつれ 片思(かたもひ)をせむ(― 立派な男子だと思っている自分なのに、こんなにも身をやつれさせて片思いで恋をしているなどとは、一体全体、どういう事なのであるか、自分でも訳が分からずにいるのだ) 村肝(むらきも)の 情(こころ)くだけて かくばかり わが戀ふらくを 知らずかあるらむ(― 心が砕けに砕けて、こんなにも乱れきってしまっている。恋心の為なのだが、その対象であるあなたは知らないでいるのだろうか、それは、あり得ることだが、悲しい事なのだよ、実に) あしひきの 山にしをれば 風流(みやび)なみ わがする事(わざ)を とがめたまふな(― 辺鄙な山奥に住まいして居りますので、風流な恋の遊戯などをしている暇などは御座いません。どうかこうした私の生き方を咎めないでいて下さいな) かくばかり 戀ひつつあらずは 石木(いはき)にも ならましものを 物思(も)はずして(― ああ こんなにも恋ひ慕っていないで、非情な存在である石や木になってしまいたいものだ。さすれば、こんな苦しい感情になど苛まれることはなかったであろうに。人間になど生まれてしまったばかりに、ああ…) 常世(とこよ)にと わが行かなくに 小金門(をかなと)に もの悲しらに おもへりし わが兒の刀自(とじ)を ぬばたまの 夜晝(よるひる)といはず 思ふにし わが身は痩せぬ 嘆くにし 袖さえ濡れぬ かくばかり もとなし戀ひば 古郷(ふるさと)に この月ごろも ありかつましじ(― この世を離れて遠い常世の国に私が行くわけでもないのに、物悲しそうな顔で門の所に立っていた我が娘・大嬢(おおいらつめ)を夜となく昼となく常に思い出されてしまうので、私の身は痩せてしまうことだ。嘆くにつれて袖まで濡れてしまう。こんなにも無性にお前が恋しいのでは、私は自分の実家に一月も滞在していることは出来ないだろう) 朝髪の 思ひ亂れて かくばかり なねが戀ふれそ 夢(いめ)に見えける(― 寝起きの朝の頭髪のごとくに思いが乱れて、これほどにお前が私を恋い慕っているから夢に見えたのだった) にほ鳥(どり)の 潜(かづ)く池水 情(こころ)あらば 君にわが戀ふる 情示さね(― かいつぶりが嬉々として潜水している池の水よ、お前に心があるのならば、私が我が君に対して恋しく慕わしく懐っている心を私に替わって示してはくれないだろうか。私は晩熟・おくて だから上手く表現できないのですよ) 外(よそ)にゐて 戀ひつつあらずは 君が家の 池に住むとふ 鴨にあらましを(― 外側に居てあなた様を恋い慕っているくらいなら、人間ではなくても、いっそあなた様の家の庭の池に住み着いている鴨に変身してみたい。そうすれば、いつでも御側近くであなた様のお姿を拝見する栄誉には浴する事が可能ですもの。ああ、ああ、畜生である鴨の身がこんあにも羨ましいなんて、嘗ての昔には、考えてさえみたことが無い事で御座いますわ) 忘れ草(ぐさ) わが下紐に着(つ)けたれど 醜(しこ)の醜草(しこくさ) 言(こと)にしありけり(― 恋の憂さをすっかり忘れることが出来ると言う萱草(かんぞう、忘れ草)を私の下着の紐に附けたけれども、何の役にも立たなかった。このバカ草め、真っ赤な嘘ではないか) 人も無き 國もあらぬか 吾妹子(わぎもこ)と 携(たづさ)ひ行きて 副(たぐ)ひてをらむ(― 他に人のいない国は無いものだろうか。在れば、其処へ愛する女性と一緒に行って、二人きりで居たいものだが) 玉ならば 手にも巻かむを うつせみの 世の人ならば 手に巻きがたし(― あなた様がもしも美しい玉であったならば、私の手に巻きつけて離さずに置きましょうが、生憎とただのこの世の男性でしかありませんので、手に巻いて身に着けていることは不可能ですわね) 逢はむ夜(よ)は 何時もあらむを 何すとか かの夕(よひ)あひて 言(こと)の繁(しげ)きも(もし会う気持があれば夜は何時でもある筈なのに、どうしてあの晩会ってしまって、こんあにも世間の噂の的になったのでしょうかしら。私が悪いのでは、決して御座いません事よ、如何でしょうかしら)
2022年11月09日
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かくしてや なほや退(まか)らむ 近からぬ 道の間(あひだ)を なづみ參(まゐ)來(き)て(― こんな風にしてやっと来ることが出来たというのに、やはり帰らねばならないのか。近くもない道を困難を犯してまで到達したというのに…) はつはつに 人を相見て いかならむ いづれの日にか また外(よそ)に見む(― 心に恋しく想っていた女性にほんの僅かに会うことができたけれども、どんな、いつの日にか再び余所なながにでも再会することが叶うのであろうか、実に覚束無い事であるが) ぬばたまの その夜の月夜(つくよ) 今日までに われは忘れず 間(ま)なくし思(も)へば(ー あなた様とお会いしたあの夜のお月様の美しかった事を私は決して忘れることはないでしょう。何故ならば一時たりとも思い出さないでいる時などはないのですから) わが背子を 相見しその日 今日までに わが衣手は 乾(ふ)る時も無し(― 私の最愛の旦那様、私はあなた様の事を考えると自然に涙が出て来て止まりません。それで、涙ばかり拭いているので着物の袖が乾く暇がありませんの) 栲縄(たくなは)の 永き命を 欲(ほ)りしくは 絶えずて人を 見まく欲(ほ)れこそ(― 栲縄の様な長い命を欲しいと願ったのは、長く生きて絶えずあなた様にお会いしたいと考えたからです。他に望みはありませんもの) 葉根蘰(はねかづら) 今する妹を 夢(いめ)に見て 情(こころ)のうちに 戀ひ渡るかも(― 鳥の美しい羽を蘰・装飾用の髪飾り にした童女を夢に見てから、私はその少女にすっかり恋してしまい、心を奪われた状態でいるのです。そちらには心当たりはありませんでしょうか) 葉根蘰 今する妹は 無かりしを いづれの妹そ 幾許(そこば)戀ひたる(― その様な少女はこちらには居りませんが、何処のどなたを、チャーミングな少女として、際限もなくあなた様は恋い焦がれていらっしゃるのでしょうかしら。その少女が羨ましいことで御座いますわ) 思ひやる すべの知らねば 片(かた)モヒの 底にそわれは 戀ひなりにける(― この思いを晴らす術が分からないので、蓋のない椀の底に沈んで、私は片恋をするより仕方がないでしょうに。それで椀の底にこの和歌を書きましたよ) またも逢はむ 因(よし)もあらぬか 白栲(しろたへ)の わが衣手に 齋(いは)ひとどめむ(― 恋しいあなた様にもう一度逢う方法も分かりせんので、せめて神様にお願いして私の白栲の袖に呪・まじな いしてあなた様の心を引き止めておこうと思うのです) 夕闇は 路(みち)たづたづし 月待ちて 行(ゐ)かせわが背子 その間(ま)にも見む(― 夕闇は道がはっきり分かりませんので、手探りして進むしか術がありません。最愛のあなた様、月の出をお待ちになってお帰りなさいませ。月をお待ちになられる間でも、あなた様の御側近くに居たいのです、私は) み空行く 月の光に ただ一目 あひ見し人の 夢(いめ)にし見ゆる(― あなた様のことばかり想い続けているからでしょうね、大空を渡って行く月の光の御蔭でただ一目だけ目と目を合わせただけのあなた様を、昨夜の夢に見たことでありまする。どんなにか嬉しく感じたことか、今の私は有頂天ですわ) 鴨鳥の 遊ぶこの池に 木の葉落ちて 浮かべる心 わが思(も)はなくに(― 鴨が泳いで遊んでいるこの池に木の葉が落ちて浮かんでいる。如何にも軽々と浮かぶ木の葉の様な軽薄な気持であなた様を恋しているのではありませんよ) 味酒(うまさけ)を 三輪(みわ)の祝(はふり)が いはふ杉 手觸(てふ)れし罪か 君に逢ひがたき(― 神聖な三輪の神職の祝・はふり らが大切に斎き祀っている神の杉に私が謬って手を触れた為でしょうか、こんなにも心で慕い焦がれて居りますあなた様に会うことが難しいことでありまする) 垣穂(かきほ)なす 人言(ひとごと)聞きて わが背子が 情(こころ)たゆたひ 逢はぬこのころ(― 神域を厳しく守護する垣根でもあるかの如き世間の煩い噂話を聞いて、私がお慕いしている愛しいお方様が御心を動揺させなされたのでしょうか、お会いしては下さらない今日、この頃でありまする) 情(こころ)には 思ひ渡れど 緣(よし)を無み 外(よそ)のみにして 嘆(なげき)そわがする(― 心の中ではずっと君の事を想い続けているのだが、会う方法が無いので、よそに見るばかりで私は嘆きをするばかりで居りますよ) 千鳥鳴く 佐保の河門(かはと)の 清き瀬を 馬うち渡し 何時か通はむ(― 千鳥が鳴いている佐保川の川幅が狭まった浅瀬の所、そこには清浄の気がいつも漂っているのだが、その河門を馬に騎乗して何時の日にか渡って、君に会いに通う事を夢に見ている私なのだ) 夜晝(よるひる)と いう別(わき)知らず わが戀ふる 心はけだし 夢(いめ)に見えきや(― 夜と昼と言う区別を知らずに私は心の中で君の事を恋しく想い続けている。さだめし君の夢の中に私が頻繁に姿を現しているでしょうね) つれも無く あるらむ人を 片思(かたもひ)に われは思へば 侘しくもあるか(― 私のことには無関心である人を一方的に恋しく思って、心の中で恋焦がれているので、それを考えると実に侘しいことであるよ) 思はぬに 妹が笑(ゑま)ひを 夢(いめ)に見て 心のうちに 燃えつつそをる(― 思いがけず恋しい君の笑顔を夢に見たので、もしや君の方でも私を思ってくれているのかと希望が湧き、私の心はいま燃え立っています)
2022年11月06日
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照らす日を 闇(やみ)に見なして 泣く涙 衣(ころも)濡(ぬ)らしつ 干(ほ)す人無しに (― 明るく照らす太陽さえも闇の如くに見做して、私は涙を大量に流しております。誰も私の涙などを乾かしてなどくれないのに…) ももしきの 大宮人は 多かれど 情(こころ)に乗りて 思ほゆる妹(― 晴がましい宮中にお仕えする女官は数多くおりますが、私の心にぴったりする女性は愛する貴女だけですよ) 表邊(うはへ)なき 妹にもあるかも かくばかり 人の情(こころ)を 盡(つく)さく思へば(― 全く何という愛想なしの女性なのであろうか、心底呆れて言葉もない次第だよ。こんなにもこの私が心を砕き、神経を擦り切らすほどに恋焦がれているのに。実際、どうかしているよ) かくのみし 戀ひや渡らむ 秋津野(あきづの)に 棚びく雲の 過ぐとは無しに(― このように恋い続けて行くのであろうよ。秋津野にいつも横たわっていて消え去る事がない雲のごとくに絶え間も無しに) 戀草を 力車(ちからぐるま)に 七車積みて 戀ふらく わが心から(― 恋というものはきっと後から後から際限もなく生えて来て私を悩ます苦悩の妄念なのでしょう。その恋の草を数え切れない程の分量荷車に積んでも運びきれないほどに抱え込んでは、私はどうしようもなく恋焦がれているのだ、昨日も今日も、そして明日も) ―― 私・草加の爺には、悦子という守護神が憑いていてくれるので、現在ではそれ程には苦しみを感じてはいないけれども、今だって人を愛するエネルギーにかけては人後に落ないと自覚している。生きているとは、人を愛すると同義なのでありましょう。生老病死が主たる人間の苦しみの種であるとは、誰でも気づくであろうが、お釈迦様程にこの命題に拘泥し、徹底して考え抜いたお人は空前絶後であった。釈迦牟尼は人間を結果として四苦八苦の娑婆苦から解放する道を開拓した。私のような平凡人であっても、釈迦の有難い教えに素直に従いさえすれば、容易に涅槃の境地に到達することが可能だ。涅槃とはサンスクリット語でニルヴァーナで「吹き消す」という意味があり、煩悩の火が消え、人間が持っている本能から開放され、心の安らぎを得た状態の事、を言う。仏教の理想である悟りであると同時に、釈迦の死、つまり人間の死を意味する。つまり、生老病死とは苦であると同時に、楽の種でもあった。老いることは無条件で「楽しいことであり、嬉しい事」なのであり、同様に、病気とは厭うべき物であると共に「喜ぶべき状態でもある」、死もまた然り。何故なら、人間の理想的な状態であるのだから。 以上、仏教徒でなくとも、お釈迦様の弟子でなくとも、論理的に人間は自分の心持ち次第で、生まれる以前から「安心立命」すべき存在者として「生み出されている」生命体なのだ。命・い のちと言う有難い乗り物に乗せられて存在する、実に奇跡的な生存者なのでありまする。実際の話が、下手な考えは、無用なのですよ、そもそもが……。 戀は今は あらじとわれは 思へるを 何處(いづく)の戀そ 摑みかかれる(― もう恋心などとは無縁になった自分だと、現在の私は感じていたのに、この狂わしい恋心は一体何処からやって来て私を襲うのであろうか。訳のわからない感情であるよ、恋とは) 家人(いへひと)に 戀ひ過ぎめやも かはず鳴く 泉の里に 年の歴(へ)ぬれば(― 家に残してきた最愛の妻に対する恋心を私は忘れてしまうだろうか、いや、そんなことは出来はしないのだ。妻を呼ぶ声が姦しい泉の里に住んでから長い年月が経過してしまったとは言いながら、私は夜毎に妻を忘れられないのだ、たった今でさえも) わが聞きに かけてな言ひそ 刈薦(かりこも)の 亂れて思ふ 君が正香(ただか)そ(― 私の耳に聞こえるようには噂話でさえ言わないで下さいな、刈った菰がバラバラに乱れている如くに、乱れに乱れている私の恋心を刺激し続ける、最愛の恋人その人なのだからね、頼むよ) 春日野に 朝ゐる雲の しくしくに 吾(あ)は戀ひまさる 月に日に異(け)に(― 春日野には朝方に幾重にも重なる雲が動かずに居座っておりますが、その様にしくしくと、幾重にも恋心が次から次へと湧いて来ては止めどが無いのですよ、月毎に、日毎に) 一瀬(ひとせ)には 千(ち)たび障(さは)らひ 逝(ゆ)く水の 後(のち)にも逢はむ 今ならずとも(― 一つの浅い瀬では数え切れない程の回数、岩や岸にぶつかって停滞しながら流れて行かざるを得ない川の水の様に、後で一緒になれるように、今でなくとも後でゆっくりと一緒になりましょうね。きっとですよ)
2022年11月01日
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