全8件 (8件中 1-8件目)
1
人もなき 空しき家は 草枕 旅にまさりて 苦しかりけむ(― 妻が亡くなって虚しくなった家の中は、旅に出ている時よりも苦しく感じる事だ) 妹として 二人作りし わが山齋(しま)は 木高く繁く なりにけるかな(― 妻と二人して造作したわが庭の山水は、いまでは木も高く伸び、枝が繁茂していることだよ) 吾妹子(わぎもこ)が 植ゑし梅の樹 見るごとに こころ咽(む)せつつ 涙し流る(― 愛妻が植えた松の木を見る度に、胸が一杯になって涙が自然に流れてしまう) 愛(は)しきやし 榮えし君の 座(いま)しせば 昨日も今日も 吾(わ)を召さましを(― ああ、愛しいなあ、栄華を極めなされた貴方様がこの世にいらっしゃれば、毎日のように私をお側にお召下さったでしょうに) かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも(― 今思えばこうなることになっていたのに、萩の花は咲いているかとお尋ねになった君は、もういないのだ、ああ) 君に戀ひ いたも爲便(すべ)無み 蘆鶴(あしたづ)の 哭(ね)のみし泣かゆ 朝夕(あさよひ)にして(― 君に恋をして、どうしたらよいのか分からずに、芦辺で鳴いている鶴の様に、声を立てて泣いてばかりいるのだ、朝と言わず晩と言わずに…) ――― どの様な状況であるか、どの様な関係だったのか、具体的は分からなくとも、非常に普遍性のある内容で、誰にでも適応可能な歌であって、つまり、現代の私にもそのままで通用する。その意味で、非常に素晴らしい和歌であると私は思うのだ。私はかつて亡妻の故里の青森で、鶴たちが鳴き叫んでいる様を間近に体験する機会があったが、彼等にしてみれば仲間への単なる挨拶だったのかもしれないが、何故かしら哀切で、胸に迫る調べの如き声音に、こちらの琴線が震えるような感動を覚えた。当時の私の状況は幸せで胸が一杯だった筈なので、この歌の作者とは自ずから異なった感懐を抱いていたに相違なく、通底する調べは 永遠に対する郷愁 の様なものだったのかも知れない。唐突だが、与謝蕪村の歌に背景として流れている懐かしい調べに、どこかで通い合う幸福感であり違和感であり、不協和音なのであろうか。「春の海 ひねもす のたりのたりかな」にも微かに微かに感じられる宇宙の彷徨者の抱く悲哀めいた響きが背景に蠢いて、我々の心を魅惑する体の味わいなのだ。凡作などと軽く見てはいけない。これも、無名詩人の絶唱に相違ないのだから。 遠長く 仕へむものと 思へりし 君座(いま)さねば 心神(こころど)もなし(― 遠く長くお仕えしようと思っていた君が、もはやおいでにならないので、心の張りを失ってしまった) 若子(みどりご)の 這(は)ひたもとほり 朝夕(あさよひ)に 哭(ね)のみそわが泣く 君無しにして(― 嬰児・みどりご が這い回るように、朝夕這い回って泣いてばかりいる、君がいなくなられたので) 見れど飽かず 座(いま)しし君が 黄葉(もみぢば)の 移りい去(ゆ)けば 悲しくもあるか(― いくらお会いしても、見飽きることのなかった立派な君が、紅葉が散るように亡くなられて、悲しいことである) 栲縄(たくづの)の 人言(ひとごと)を よしと聞(きこ)して 問ひ放(さ)くる 親族(うから)兄弟(はらから) 無き國に 渡り來まして 大君の 敷きます國に うち日さす 京(みやこ)しみみに 里家(さといへ)は 多(さは)にあれども いかさまに 思ひけめかも つれもなき 佐保の山邊に 泣く兒なす 慕ひ來まして 布細(しきたへ)の 宅(いへ)をも造り あらたまの 年の緒長く 住まひつつ 座(いま)ししものを 生ける者 死ぬとふことに 免(まぬ)かれぬ ものにしあれば 憑(たの)めりし 人のことごと 草枕 旅なるほとに 佐保河を 朝川わたり 春日野(かすがの)を 背向(そがひ)に見つつ あしひきの 山邊を指して くれくれと 隠(かく)りましぬれ 言はむすべ せむすべ知らに たもとほり ただ獨りして 白栲(しろたへ)の 衣手(ころもで)干(ほ)さず 嘆きつつ わが泣く涙 有間山 雲ゐたなびき 雨に降りきや(― 日本はよい国だという噂をお聞きになり、新羅の国から、話し合う親族も兄弟もないこの国を渡っておいでになって、わが大君のお治めになる国には、都一杯に里や家は多くあるのに、なんと思われたのか、縁もない佐保の山辺に、まるで泣く児が親を慕うように慕っておいでになり、家を作り年長く住まっておいでになったのに、生者必滅ということは免れないことだから、頼みにしていた人が皆、有馬に旅に出ている間に亡くなられて、佐保川を朝渡り、春日野を後ろに見ながら、山辺を指して心細くも隠れておしまいになったので、何と言ってよいか、何をしたら良いかわからずに、ぐるぐると歩き回って、ただひとり居て喪服の涙も干さずに嘆いては、私の泣く涙が、有馬山のあたりに雲となってたなびき、雨と降ったのでしょう)
2022年04月30日
コメント(0)
妹もわれも 淸(きよみ)の河の 河岸(かはきし)の 妹が悔ゆべき 心は持たじ(― 妹も私も、互いに飛鳥の清の河の河岸の崩れるような後悔するような、いい加減な心を持たないようにしましょうね) 愛(うつく)しき 人の纏(ま)きてし 敷栲(しきたへ)の わが手枕(たまくら)を 纏く人あらめや(― 愛しい人が手枕にした私の手枕を、枕にして又共に寝る人がいるだろうか、いないのだ) 還(かへ)るべく 時は成りけり 京師(みやこ)にて 誰(た)が手本(たもと)をか わが枕かむ(― 思えば今は都に帰るべき時になった。が、都で誰の手本を私は枕にしようか。都に帰るのは嬉しいが、愛する妻は都で待っていはしないのだ) 京(みやこ)なる 荒れたる家に ひとり寝ば 旅に益(まさ)りて 苦しかるべし(― 都にある、妻もいなくて荒れた家に一人寝たならば、旅にもまして苦しい事であろう) 大君の 命(みこと)恐(かしこ)み 大殯(おほあらき)の 時にはあらねど 雲がくります(― 天皇のお言葉を恐れ謹んで、お亡くなりになる筈の時でないのに、長屋王はお隠れになってしまった) 世間(よのなか)は 空しきものと あらむとそ この照る月は 滿(み)ち闕(か)けしける(― 世間虚仮の思想を示そうというので、この月は満ちたり欠けたりするのであるよ) 天雲(あまくも)の 向伏(むかふ)す國の 武士(もののふ)と いはゆる人は 皇祖(すめろき)の 神の御門(みかど)に 外(と)の重(へ)に 立ち候(さもら)ひ 内(うち)の重(へ)に 仕え奉(まつ)り 玉葛(たまかづら) いや遠長(とほなが)く 祖(おや)の名も纘ぎゆくものと 母父(おもちち)に 妻と子等(こども)に 語らひて 立ちにし日より 垂乳根(たらちね)の 母の命(みこと)は 斎瓷(いはひべ)を 前にすゑ置きて 一手(かたて)には 木綿(ゆふ)取り持ちて 一手には 和細布(にきたへ)奉(まつ)り 平(たひ)らけく ま幸(さき)くませと天地の 神祇(かみ)を乞ひ禱(の)め いかならむ 歳月日(としつきひ)にか つつじ花 香(にほ)へる君が 牛留鳥(くろとり)の なずさひ來(こ)むと 立ちてゐて 待ちけむ人は 大君の 命恐(みことかしこ)み 押し照る 難波の國に あらたまの 年經(ふ)るまでに 白栲(しろたへ)の 衣も干(ほ)さず 朝夕(あさよひ)に ありつる君は いかさまに 思ひませか うつせみの 惜しきこの世を 露霜(つゆしも)の 置きて往(い)にけむ 時にあらずして(― 遠い国から上ってくる武士という者は、天皇の御殿の外に立って警固し、内にお仕え申し上げて、いよいよ遠く永く父祖の名を継いで行くものであると、母や父や妻や子らに語らって友の龍麿が出立した日から、母は神聖な瓶を前に据えて置き、片手に木綿を持ち、片手に和細布を奉って、息子が平安でいるようにと天地の神々に乞い祈っているのに、何時立派な息子が舟に乗って海を渡って帰ってくるだろうと、立ったり座ったりして、母親が待っていたという龍麿は、大君の命を畏んで難波の国で年を経るままに着物を洗う暇もなく、昼夜勤務していたが、何と思われて死ぬべき時でもない時に、惜しいこの世を捨てて行ってしまったのであろう) 昨日こそ 君は在りしか 思はぬに 濱松が上(うへ)に 雲とたなびく(― 昨日こそは君はまだ生きていたのに、意外にも今日はもう浜松の上に、火葬の煙となって雲のように棚引いている) 何時しかと 待つらむ妹(いも)に 玉梓(たまづさ)の 言(こと)だに告げず 往にし君かも(― 何時帰ってくるだろうかと待っているだろう愛妻に対して、使いの者に言伝もせずに死んで行った君であることだ) 吾妹子(わぎもこ)が 見し鞆(とも)の浦の むろの木は 常世(とこよ)にあれど 見し人そなき(― 私の妻が見た鞆の浦の霊木・むろの木は今も変わらずにあるが、これを一緒に見た妻はもういないのだ) 鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも(― 鞆の浦の磯に生えているむろの木を、見るたびごとに一緒に見た最愛の妻を忘れる事はできないのだ) 磯の上に 根這(は)ふむろの木 見し人を いずらと問はば 語りつげむか(― 磯の上に根を這っているむろの木よ。お前を見たあの人、わが妻は今は何処にいるのだと訊ねたら、答えてくれるだろうか) 妹と來(こ)し 敏馬(みぬめ)の崎を 還(かへ)るさに 獨りして見れば 涙ぐましも(― 妻と共に来た敏馬の崎を、帰る際に一人でみると自然に涙が出て来てしまうことだ) 往(ゆ)くさには 二人わが見し この崎を 獨り過ぐれば 心かなしも(― 行く時に二人で見たこの崎であるが、一人で過ぎる今は心が寂しいことだなあ)
2022年04月27日
コメント(0)
逆言(およづれ)の 狂言(たはごと)とかも 高山の 巌のうへに 君が臥(こや)せる(― 高山の巖の上に君が臥せっておられるというのは、人惑わしの、でたらめであろうか…) 石上(いそのかみ) 布留(ふる)の山なる 杉群(すぎむら)の 思い過ぐべき 君にあらなくに(― 奈良県の石上にある布留の有名な杉群のスギではないけれども、私の君を思う深い心は、直ぐに過ぎ去る様なものではないのだが) つのさはふ 磐余(いはれ)の道を 朝さらず 行きけむ人の 思ひつつ 通ひけまくは ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 菖蒲草(あやめぐさ) 花橘(たちばな)を 玉に貫(ぬ)き かづらにせむと 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の時は 黄葉(もみぢば)を 折りてかざさむと 延(は)ふ葛(くず)の いや遠(とほ)永く 萬世(よろずよ)に 絶えじと思ひて 通ひけむ 君をば明日(あす)ゆ 外(そと)にかも見む(― 磐余の道を毎日歩いて行った君が、物思いしながら通ったというのは、ホトトギスの鳴く五月にはあやめ草と花橘とを、玉の様に緒に通して花かずらにしようとしてであったろうし、九月の時雨が降る時には、紅葉を折って頭にさそうとしたのであろうし、いつまで長く永世に途絶えることなくしようと思って通われたのであろうが、その君を明日からはこの世の人でない、他界の人として見ることであろう) 隠口(こもりく)の 泊瀬少女(はつせおとめ)が 手に纏(ま)ける 玉は亂れて ありといはずやも(― 両方から山が迫っている泊瀬の少女が手に巻いている玉は、緒が切れて、その玉は乱れているというではないか) 河風の寒き長谷(はつせ)を 歎きつつ 君が歩くに 似る人も逢へや(― 川風の寒い泊瀬の道を皇女に会いたいと石田王が嘆きながら歩いていたが、その姿に似た人にさえ会えないことだ) 草枕 旅の宿(やどり)に 誰(た)が夫(つま)か 國忘れたる 家待たなくに(― 旅先のこの香久山に横たわって国を忘れているのは誰の夫であろうか。家では家族が待っているであろうに) 百足(ももた)らず 八十隈(やそくま)坂に 手向(たむけ)せば 過ぎにし人に けだし逢はむかも(― 多くの曲がり角のある坂に回向の手向けをしたならば、亡くなった人にもしや会うことが出来るであろうか) 隠口の 泊瀬の山の 山の際(ま)に いさよう雲は 妹にかもあらむ(― 泊瀬の山の山のあたりに去りもやらずに居る雲は、愛妻なのであろうか) 山の際(ま)の 出雲(いづも)の兒(こ)らは 霧なれや 吉野の山の 嶺にたなびく(― 出雲の子は霧なのであろうか。霧ではないのに、吉野の山の辺りに霧のように棚引いている) 八雲(やくも)さす 出雲の子らが 黒髪は 吉野の川の 沖になづさう(― 出雲の子の黒髪は吉野の川の沖に浮いて漂っている) 古(いにしへ)に 在(あ)りけむ人の 倭文飾(しつはた)の 帯解きかへて 伏屋(ふせや)立て 妻問(つまどひ)しけむ 葛飾(かづしか)の 真間(まま)の手兒名(てごな)が 奥(おく)つ城(き)を こことは聞けど 眞木(まき)の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言(こと)のみも 名のみもわれは 忘らゆましじ(― このあたりに昔いたという人が、日本古来の倭文織りの帯を解き交わして伏す、新婚のための伏屋を作って妻問したという葛飾の真間の手児名の墓は此処だと聞くが、真木の木が茂っているせいだろうか、松の根が長く延びているように時が永く経ったからであろうか、その墓は見えないが、手児名の話だけでも、名前だけでも、私はいつまでも忘れないであろう) われも見つ 人にも告げむ 葛飾の 眞間の手兒名が 奥津城處(おくつきところ)(― 私も見た、人にも語って聞かせよう。真間の手児名の奥つ城所を) 葛飾の 眞間の入江に うちなびく 玉藻刈りけむ 手兒名し思ほゆ(― 葛飾の真間の入江で、波に揺れる玉藻を刈ったという手児名が遥かに慕わしく思われる) 風速(かざはや)の 美保の浦廻(うらみ)の 白(しら)つつじ 見れどもさぶし 亡き人思へば(― 広島県の風速にある、美保の入江の湾曲した場所に咲く白い躑躅は、見ると寂しくなるよ、今は亡い美人を思い出すので…) みつみつし 久米の若子(わくご)がい觸(ふ)れけむ 磯(いそ)の草根(くさね)の 枯れまく惜しも(― 厳しく強い久米の若者達が、その昔に手で触れた磯の草の根が今は枯れてしまっているが、惜しいことだなあ) 人言(ひとごと)の 繁きこのころ 玉ならば 手に巻き持ちて 戀ひずあらまく(― 人の噂にあれこれと立つこの頃、もしあなたが玉ならば、いつも手に巻いて持っていて、今のように遠くから恋焦がれて慕ったりしていないのだが)
2022年04月22日
コメント(0)
橘を 屋前(には)に植ゑ生(おほ)し 立ちてゐて 後(のち)に悔ゆとも 驗(しるし)あらめやも(― 橘のように魅力的な娘を、庭に植えて、育てて、大きくして、うかうかと人の手に渡して、後になってから立ったり座ったりして後悔しても、何の効験もありはしないのだ。うっかり婿を定めてしまっては大変だ) 吾妹子(わぎもこ)が 屋前(には)の橘 いと近く 植えてしゆゑに 成らずは止まじ(― あなたの家の庭の橘は、私の極近くに植えてしまいましたから、実がならない、事が成就しないということは断じてありませんよ) 家にあらば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こや)せる この旅人(たびと)あはれ(― 家にいれば妻の手を枕にしているであろうに、この旅人は。草を枕にして旅先で伏し倒れておいでであるよ、ああ) ももづたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠(かく)りなむ(― 奈良県の磐余の池で鳴いている鴨を見ることも今日を限りとして、私は死んでいくことであろうか) 王(おほきみ)の 親魄(むつたま) 逢へや 豊國の 鏡山を 宮とさだむる(― 河内王のなれ睦んだ魂と再び会うこともないのに、姿を見るという鏡山を永久の宮と定めることだ) 頂(いただき)に 蔵(きす)める玉は 二つ無し かにもかくにも 君がまにまに(― 頭上に大切に隠し持っている素晴らしい名珠はこの世には一つしかありません。その大切な珠をあなたにお任せしますから、どうにでも、思いのままになさって下さい) 須磨の海人(あま)の 盬焼(しおやき)衣(ぎぬ)の 藤衣(ふじころも) 間遠(まとほ)にしあれば いまだ着(き)なれず(― 須磨の海人が、盬を焼くときに着る荒栲の藤衣ではないが、間遠であるから、いまだ着汚れがしない。その女に会う機会が間遠であるから、未だその女に馴れないでいる) あしひきの 石根(いはね)こごしみ 菅(すが)の根を 引かば難(かた)みと 標(しめ)のみそ結ふ(― 山の岩がごつごつしているので、そこに生えている菅の根を引き抜くのは難しいからとて、ただ自分のものだという印だけを付けることだ。親が許さないので、娘と会うことが難しいと思って、ただ約束だけをすることである) 家にあれば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こや)せる この旅人あはれ(― 家にいれば妻の手を枕にしているであろうが、草を枕に旅先で伏して倒れておられる、この旅人は、ああ) ももづたふ 磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ(― 奈良県の磐余の池で鳴いている鴨を見るのも今日を限りとして、私は死んでいくことであろうか) 王(おおきみ)の 親魄(むつたま)逢へや 豊國の 鏡山を宮とさだむる(― 河内王の慣れ睦んだ魂と再び逢うこともないのに、姿を見るという名の豊国の鏡山を永久の宮と定めることだ) 豐國の 鏡山の石戸(いはと)立て 隠(こも)りにけらし 待てど來(き)まさず(― 豊国の鏡山のお墓に、岩の戸を立ててお籠りになったらしい。いくらお待ちしてもおいでにならない) 石戸破(は)る 手力(たぢから)もがも 手弱(たよわ)き女(おみな)にしあれば 術(すべ)の知らなく(― お墓の岩の戸を破る力が欲しい。手の力の弱い女なので、どうしてよいかその方法が分からないことだ) なゆ竹の とをよる皇子(みこ) さ丹(に)つらふ わご大王(おおきみ)は 隠國(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山に 神さびに 斎(いつ)きいますと 玉梓(たまづさ)の 人そ言ひつる 逆言(およづれ)か わが聞きつるも 狂言(たはこと)か わが聞きつるも 天地に 悔(くや)しき事の 世間(よのなか)の 悔しきことは 天雲の 遠隔(そくへ)の極(きはみ) 天地の 至るまでに 杖策(つゑつ)きも 衝(つ)かずも行きて 夕占(ゆうけ)問(と)ひ 石占(いしうら)もちて わが屋戸(やど)に 御諸(みもろ)を立てて 枕邊(まくらべ)に 斎瓷(いはひべ)をすゑ 竹玉(たけだま)を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂(た)り 木綿襷(ゆふたすき) かひなに懸けて 天(あめ)にある 左佐羅(ささら)の小野(をの)の 七ふ菅(すげ) 手に取り持ちて ひさかたの 天の川原に 出で立ちて 潔身(みそぎ)てましを 高山の巌(いはほ)の上に 座(いま)せるかも(― やわらかい竹のように、たおやかな皇子、紅顔のわが皇子は、泊瀬の山に神々しくお祭りしてあると使の人が言うことである。私が聞いたのは人惑わしの言葉であろうか、出鱈目の言葉であろうか。天雲の遠い果、天地の涯までも杖を突いても突かなくとも、尋ねて行き、夕占や石占をして、家に祭壇を立て、枕辺には斎瓶を地中に据えて、竹玉をいっぱいに垂らし、木綿たすきを二の腕に掛け、天のささらの小野の七ふ菅を手に持って、天の川原に行って禊をしたりすればよかった。それをしなかったので、皇子を高山の巌の上にお鎮めしてしまったことが、いかにも悔しいのだ)
2022年04月18日
コメント(0)
軽の池の 汭廻(うらみ)行き廻(み)る 鴨すらに 玉藻のうへに 獨り宿(ね)なくに(― 奈良県にある軽の池の、湾曲した場所を行き廻る鴨でさえ、玉藻の上に一人寝をすることはないのに…。自分は何故に、恋しいお人に会えないのか) 鳥總(とぶさ)立て 足柄山に 船木(ふなき)伐(き)り 樹(き)に伐り行きつ あたら船材(ふなき)を(― 慣例に従って、木の末や枝葉の茂った先を山の神様に捧げ、足柄山で舟木を伐り、良い木として持って行った。惜しい木であっものを ―― 良い娘を誰かに先に取られたのを、比喩として詠んだものと言う) ぬばたまの その夜の梅を た忘れて 折らず來にけり 思ひしものを(― 肝心の、あの夜の梅・目当ての女 をつい忘れてしまい、手折らずに来てしまったものだなあ。折ろうと思って出かけたのに) 見えずとも 誰(たれ)戀ひざらめ 山の末(は)に いさよふ月を 外(よそ)に見てしか(― ためらうようにぐずぐずしている月が見えないからと言って、どこに月を見たくないと言う者がいようか。山の端に停滞していてなかなか出て来ない月・女を、外ながらも見たいものだ) 標(しめ)結(ゆ)ひて わが定めてし 住吉(すみのえ)の 濱の小松は 後もわが松(― 自分が占有している印の標を結んで、私が決めてしまった浜松の小松であるから、後になっても私のものは変わらない松であるよ。誰にも手を触れさせはしない) 託馬野(つくまの)に 生(お)ふる 紫草(むらさき)衣(きぬ)に染(し)め いまだ着ずして 色に出(い)でにけり(― 熊本県のつくま野に生えている紫草を衣に染めて、まだ着ないうちに他人に知られてしまった。まだ恋の思いを遂げないのに、自分の恋心を他人に知られてしまった、残念至極!) 陸奥(みちのく)の 眞野の草原(かやはら) 遠けども 面影(おもかげ)にして 見ゆといふものを(― 東北の、福島県の真野の草原は遠いけれど、心に思えば面影となって眼前に見えると、言いますのに。あなたはごく近くにいらっしゃるのに、お目に掛かれないのですね。何と言う悲しい運命でしょうか) 奥山の 岩本菅(いわもとすげ)を 根深めて 結びしこころ 忘れかねつも(― 奥山にある岩の根元に生えている菅・すげ が根深い様に、心深く契り合った気持ちは決して忘れることはないですよ) 妹(いも)が家に 咲きたる梅の 何時も何時も 成りなむ時に 事は定めむ(― 時は何時でも良いが、恋人の家に咲いた梅の花が確かに実になった時に、その事を取り決めようではないか) 妹が家に 咲きたる花の 梅の花 實(み)にし成りなば かもかくもせむ(あなたの家の美しい花、その梅の花が実を結んだならば、どうともしようよ。私の心は動きません) 梅の花 咲いて散りぬと 人はいへど 標(しめ)結(ゆ)ひし 枝ならめやも(― 梅の花が咲いて散ったと人が言っているが、私が標を結って自分の物と印をつけた枝であろうか、そうではないと私は信じているのだが。女を心変わりをしたと人が言うが、まさか貴女ではありますまい) 山守の ありける知らに その山に 標結ひ立てて 結ひの恥しつ(― 山を守る番人、他に女の人があったのを知らずに、あなたを良い婿と思い込んで、恥を掻いてしまいましたよ) 山守は けだしありとも 吾妹子(わぎもこ)が 結ひけむ標(しめ)を 人解かめやも(― もし他の山守がいたとしても、あなたが結ったという標を他の人が解くことはないでしょう) 朝に日(け)に 見まくほりする その玉を いかにしてかも 手ゆ離(か)れざらむ(― 朝にも昼にも、見たいと思うこの美しい玉であるが、どうしたならばその玉が手から離れないでいるだろうか) ちはやぶる 神の社(やしろ)し 無かりせば 春日(かすが)の野邊に 粟(あは)蒔(ま)かましを(― 神社がそこになかったならば、春日の野辺に粟を蒔くのであるが。以前からの愛人がいなかったとしたら、貴女と 粟蒔く お会いしたいのであるが) 春日野に 粟蒔けりせば 鹿待ちに 繼ぎて行かましを 社し留(とど)むる(― 春日野に粟が蒔いてあったとすれば、鹿を待ち受ける様に、貴方を待ちに引きつづいて行くであろうに、神の社が妨げて、行かれないことだ) わが祭る 神にはあらず 大夫(ますらを)に 着きたる神そ よく祭るべき(― 私が祭っている神のことではないのです。あなたについている神こそよく祭るべきなのです。あなたに従っている女の人を大切になさい) 春霞 春日の里の 植子水葱(うゑこなぎ) 苗(なへ)なりと いひし枝は さしにけむ(― 春日の里の植子水葱はまだ苗だと言っていたが、それはもう枝が茂ったであろうに) 石竹(なでしこ)の その花にもが 朝な朝(さ)な 手に取り持ちて 戀ひぬ日無(な)けむ(― あなたが撫子のその花であってほしい。そうすれば、毎朝毎朝それを手に取って愛でない日はないだろう) 一日(ひとひ)には 千重(ちへ)波しきに 思へども などその玉の 手に巻きがたき(― 一日の内には、千重の波が寄せてくるように、幾度も幾度も恋の思いが寄せてくるのだが、どうしてその玉を手に巻くことが難しいのであろうか)
2022年04月14日
コメント(0)
家思(も)ふと こころ進むな 風守(かざまも)り 好(よ)くしていませ 荒しその路(みち)(― 家を思うとて、お焦りなさいますな。よく風を見て出発なさいまし。風がその海路で吹き荒れておりますので) 鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の國に 高山は 多(さは)にあれども 朋神(ふたかみ)の 貴(たふと)き山の 竝(な)み立ちの 見が欲(ほ)し山と 神代より 人の言い纘ぎ 國見する 筑羽(つくは)の山を 冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば まして戀(こほ)しみ 雪消(げ) する山道すらを なづみそわが來(け)る(― 東国には高い山が沢山あるが、中でも二神が並び立つ様子が見事であると、神代の時代から人々が言い伝え、そこから国見をする筑波山を、冬は籠って登山をしない時節はずれの時期だとて、見ないで去ったなら、一層恋しいだろうから、歩きにくい雪解けの山道だのに、行き悩んで苦しみながら、私は今この頂上にやって来て此処にいることだ) 筑羽嶺(つくはね)を 外(よそ)のみ見つつ ありかねて 雪消(げ)の道を なづみ來(け)るかも(― 筑波山をよそからだけ見ているのでは飽き足らないので、雪解けの山道を悩みながら登って来て此処に居ることだ) わが屋戸(やど)に 韓藍(からあゑ)植ゑ生(おほ)し 枯れぬれど 懲(こ)りずてまたも 蒔(ま)かむとそ思ふ(― 家の庭に、韓藍を植え育てて枯らしてしまったが、懲りずにまたも種を蒔こうと思う) あられふり 吉志美(きしみ)が嶽(たけ)を 險(さが)しみと 草とりはなち 妹(いも)が手を取る(― 霰が降る時にキシキシと音を立てるが、そのキシではないが、きしみが嶽が高く険しいので、草を採っていた手を離して、美しい仙女・つみのえの山姫 の手を取った) この夕(ゆうべ) 柘(つみ、山桑)のさ枝の 流れ來(こ)ば 梁(やな)は打たずて 取らずかもあらむ(― この夕方に、もしも仙女が化したという柘の小枝が流れてきたとしたら、梁の杭を打たないで、やはりそれを取らずにいられようか。誰だって、手に取ってしまうに相違ないさ) 古(いにしへ)に 梁打つ人の 無かりせば 此處(ここ)もあらまし 柘(つみ)の枝はも(― 昔にもし柘の枝を拾った人がいなかったならばしかたがないけれども、梁を打っていた人が柘の枝を拾った故実が現存する以上は、今、ここに柘の枝が流れて来ても良いわけだが、山桑の枝よ!) ――― 天女とか仙女とか、人間よりも一段階上の、神に近い存在としての異性への憧れは、日本だけではなく、人類に普遍のものではないだろうか。ごく普通の、平凡な日常から脱出して、異次元の、途轍もない不思議ワールドへの案内者。無意識の内に我々はその様な夢世界への誘惑に常に駆り立てられている存在なのではないだろうか。私にも、柘の枝ではないけれども、異次元空間から突如として出現したとしか思えない女人が、降って湧いたかの如くに現れたタイミンがあった、確かに。尤も、当時は「仙女」だとの認識はなかったが、今となっては、「事件」が全て終了してしまった、「後の祭り」的な感想としては、紛れもなく柘枝仙媛・つみのえのやまひめ の現代版であったことに間違いはなく、なんと現実離れした体験をあの当時、自分は確たる自覚もなく、夢現の裡に酔生夢死的数十年を「竜宮城における浦島太郎」のように、陶酔し、夢現の間に過ごしていたことか…。有難いと心底、神に対して感謝しなければいられないのであります。自分で体験したことには間違いのないことなのだが、今になってみると、自分自身の経験とは信じがたい「勿体無い、有難い」事態が紛れもなく進行していたのであり、それを体験しているという確かな手応えが当時は、現在進行形の中で、夢現の中でもしっかりと感じ取っていたことに間違いないのだ。考えれば、考えるほどに不可思議感は深まるばかりなのだが、当時は当たり前な事が当たり前に生起している如くに、受け止めていた自分の存在がしっかりと「皮膚感覚」で残っているのだから、これまた不思議だ! 海若(わたつみ)は 霊(クス)しきものか 淡路島 中に立て置きて 白波を 伊豫(いよ)に廻(めぐ)らし 座待月(ゐまちづき) 明石の門(と)ゆは 夕されば 潮(しほ)を滿たしめ 明けされば 潮を干(ひ)しむる 潮騒(しおさゐ)の 波を恐(かしこ)み 淡路島 磯隠(いそがく)りゐて 何時しかも この夜(よ)の明けむと さもらふに 眠(い)の寝(ね)かてねば 瀧の上(うへ)の 淺野の雉(きぎし) 明けぬとし 立ち騒くらし いざ兒等(こども) あへて漕ぎ出(で)む にはも靜けし(― 海神は不思議な力を持っているものだ。淡路島を中にどっかと置いて白波を四国の伊予まで廻らせ、明石の海峡からは夕方には潮を満ちさせ、明け方には潮を干させることよ。潮騒の波を恐れ、淡路島の海岸に舟を寄せて、何時この夜は明けるだろうかと見守っているので、眠れないでいると、滝の畔の浅野の雉が夜が明けたと立ち騒いでいるらしい。さあ、舟子たちよ、押し切って漕ぎ出て行こう、海面も静かだよ) 島傅(づた)ひ 敏馬(みぬめ)の崎を 漕ぎ廻(み)れば 大和戀(こほ)しく 鶴(たづ)さはに鳴く(― 島伝いに敏馬の崎を漕ぎ巡っていくと、大和が恋しくて、鶴が沢山鳴いては私の心を掻き立てるのだ)
2022年04月09日
コメント(0)
高桉(たかくら)の 三笠の山に 鳴く鳥の 止(や)めば繼がるる 戀もするかも(― 三笠の山で鳴いている鳥の声は、鳴き止むと直ぐに別の声で鳴き継がれるが、その様に、止む時のない恋をしてしまったことだ) 雨ふらば 着むと思(おも)へる 笠の山 人にな着しめ 濡れはひづとも(― 雨が降ったなら、自分が着ようと思っている笠の山、三笠山なのだから、他人には着せるな、びっしょり濡れてしまおうとも) 吉野なる 夏實(なつみ)の河の 川淀(かはよど)に 鴨そ鳴くなる 山陰(かげ)にして(― 吉野の、菜を摘む川の、流れが淀んでいる場所で、鴨が鳴いている、姿は山に遮られて見えないけれども) あきづ羽(は)の 袖振る妹を 玉くしげ 奥に思ふを 見たまえ わが君(ー 薄く透き通った美しい衣の袖を振って舞う美人を見てくださいな、賓客であるあなた様、私は彼女を心の底から思っているのですよ) 青山の 嶺の白雲 朝に日(け)に 常に見れども めずらし わが君(ー 青山に懸かっている白雲のように、朝に日に、いつもあなたを見ているけれども、常にあなたは讃うべく、お会いしたい方です) ――― こんな風に、誰かから言われてみたいと思うのは、今は孤独でひとり身の寂しさからでしょうか。実際は、孤独でも寂しくもないのですが、妻を身近に感じてはいても、直接に肌に接することが不可能な、幽冥境を異にしている悲しさからでしょうか、つい、思ってもいない不平不満が口を吐いて出てしまうのでしたよ。これって、やはり、幸せボケの一種でありましょうかしらん? 人間、生きてある限りは、これで安心立命などという木偶の坊の如き夢世界はないのでありましょう、きっと。私は今現在、ロシアのプーチン支配の野蛮国がウクライナという隣国に闇雲な侵攻を続行している二十一世紀の始まりの時代に、老いの身を引っさげて生かされているわけですが、過去にあったことはいつの時代でも起こりうる、といみじくもコヘレトが言った如く、これからも様々な人類による愚行が繰り返し行われる様を目にすることでありましょう。「万葉集」を味読して、過去の人々と感情を通わすことも私には許されている。私はイギリスの詩人ワーズワースの詩集も並行して「眺め読み」しているが、そのうちに例によって「自由訳的な創作詩」をモノしたいものとも希望しています。どうなることやら、未来のことはまるで見当もつかないでいますから、それで、良いのでしょう、きっとね。我々は同時代人とだけでなく、過去は勿論のこと、未来の人々とも命という非常に貴重な宝物を共有する奇遇に恵まれている。神によってそういう関係に置かれている。支配し、支配されるのはその一部の関係性でしかない。愛し、愛され、憎み、憎まれる…。無視し、無視される。尊敬し、尊敬される。賛美し、賛美される。様々な関係性が可能なのに、何故にこの世には麗しく、美しい相互関係が少ないのであろうか? 個人や、少数者には限られた能力しか与えられていないけれども、出来るならば自他共に満足できる、人間性溢れる関係を築きたいと念願する。悪や犯罪を犯そうとして人間界に生まれて来る人はいないのであるが、どうした風の吹き回しなのか、醜い悪や犯罪ばかりが目についてならない、最悪と思える世界がクローズアップされてばかりいる。一隅しか照らすことは出来なくとも、可能な限り、愛し愛される素敵な関係を、実現させてみたいものと念願して止まない今日この頃なのでした。 古(いにしへ)の ふるき堤は 年深み 池のなぎさに 水草(みくさ) 生(お)ひにけり(― 今見れば、亡くなられた太政大臣の邸の庭では、池の古い堤が年を経て、なぎさには水草が乱れ伸びて、今昔の感に堪えない) ひさかたの 天(あま)の原より 生(あ)れ來(き)たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝に 白香(しらか)つけ 木綿(ゆふ)とりつ付け イハヒベを 斎ひほりすゑ 竹玉(たかだま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)り 鹿猪(しし)じもの 膝折り伏せて 手弱女(たわやめ)の おすひ取り懸け かくだにも われは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも(― 悠久なる天の原から生まれ出て来て、尊い神として存在なさる尊貴なるお方様に、奥山の榊の枝に白髪の如くに麻や楮・こうぞ の類を細かに割いた道具に木綿を取り付けて神器としての瓶を掘って据え、細い竹を短く切って紐に通した玉の竹玉を数多く貫き垂らして、鹿や猪の獲物の膝を折り伏せて、更には美しい乙女が着る上着を添えて、神前にお祈り致す。せめて、こんな風にでもお祈りいたしましょうか、会うことの出来ない君に会いたいと切に願っているので) 木綿畳(ゆふだたみ) 手に取り持ちて かくだにも われは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも(ー 麻や楮・こうぞ などの繊維で編んだ木綿畳を手に取り持って、せめてこんな風にだけでも私は祈りましょう。会いたい君にお会いできないでしょうか)
2022年04月06日
コメント(0)
今日もかも 明日香の川の 夕さらず 川蝦(かはず)鳴く瀬の 清(さや)けかるらむ(― 明日香川の、毎夕必ずかじかの鳴く浅瀬だが、今日もすがしいことであろうか) 縄の浦ゆ 背向(そがひ)に見ゆる 沖つ島 漕(こ)ぎ廻(み)る舟は 釣(つり)しするしも (― 縄の浦の背後に見える沖の島を、漕ぎ廻って行く舟は、釣りをしているらしい) 武庫(むこ)の浦を 漕ぎ廻(み)る小舟(をぶね) 粟島(あはしま)を 背向(そがひ)に見つ つ 羨(とも)しき小舟(― 武庫の海上を漕ぎ廻っている小舟、粟島を背後に見ながら漕いでいる、羨ましい小舟よ) 阿倍(あべ)の島 鵜(う)の住む磯(いそ)に 寄する波 間なくこのころ 大和し思ほゆ(阿倍の島の、鵜の住んでいる磯には絶え間もなく大波小波が寄せている。その波ではないが、この頃、絶えず故郷の大和が恋しく思われてならないのだ) 潮(しほ)干(ひ)なば 玉藻刈り蔵(つ)め 家の妹が 濱づと乞はば 何を示さむ(― 潮が干てしまったなら玉藻を刈って蓄えておけ。これでもなかったら、家の妻が土産を求めたならばば、何を示そうか、示す物がないではないか) 秋風の 寒き朝明(あさけ)を 佐農(さぬ)の岡 越ゆらむ君に 衣貸(きぬか)さましを(― 秋風の寒い朝方に佐農の岡を越えていらっしゃると思われる貴方に、衣をお貸しすればよかったのにと、今後悔しておりまする) みさごゐる 磯廻(いそみ)に生(お)ふる 名乘藻(なのりそ)の 名は告(の)らしてよ 親は知るとも(― 猛禽のみさごが棲息する、湾曲した磯に生えるホンダワラの名乗ではないけれども、お名前を仰ってくだいな。私の親に素性が知れてしまうとしても。何時までも他人行儀ではありたくありませんので) 大夫(ますらを)の 弓上(ゆずゑ)振り起(おこ)せ 射つる矢を 後(のち)見む人は語り纘ぐがね(― 大丈夫たる男子は、自分の弓の弓末をしっかりと振り起して射よ。射た矢を後に見る人があれば、それを語り草に、言い伝える材料にするであろうから) 盬津山 うち越え行けば 我が乗れる馬そ 爪づく 家戀ふらしも(― 塩津山を私が越えて行くと乗っていた馬が躓いた、どうやら家人が私を慕っているらしい) 越(こし)の海 角鹿(つのが)の濱ゆ 大船(おほぶね)に 眞梶(まかぢ)貫(ぬ)きおろし いさなとり 海路(うみぢ)に出でて あへきつつ わが漕ぎ行けば 大夫(おあすらを)の 手結(たゆひ)が浦に 海未通女(あまおとめ) 盬焼くけぶり 草枕 旅にしあれば 獨りして 見る驗(しるし)無み 海神(わたつみ)の 手に巻かしたる 玉襷(たまたすき) 懸けて偲ひつ 大和島根を(― 北陸道・越の海の、角鹿の浜ヵら、対の櫓をつけた大船で海に出て、息を切らしつつ漕いで行くと、手結が浦で、少女の海人が塩を焼く煙が見える。旅であるから、一人で見ても何の効用も無く淋しいので、海神が手に巻いておいでだという玉襷を懸ける、それではないけれども、心に掛けて故郷の大和に思いを馳せたことであるよ) 越(こし)の海の 手結(たゆひ)が浦を 旅にして見れば ともしみ 大和思(しの)ひつ(ー 越の海の、手結の浜を旅の途中で目にしていると、美しく珍しいので、故郷の家にいる家族にもこの風景を見せてあげたいと、大和の国を懐かしく思ったことであるよ) 大船に 眞梶(まかじ)繁(しじ)貫(ぬ)き 大君の命(みこと)かしこみ 磯廻(いそみ)するかも(― 大舟に対の櫓を数多く装備して、大君の命令を恐れ多いことと謹んでお受けして、敦賀港から出発して、河野村の海岸に着き、国府に向かう為に、磯を巡ったことであるよ) もののふの 臣(おみ)の壮士(をとこ)は 大君の任(まけ)のまにまに 聞くというものを(― 大君に仕える文武官の男子というものは、主君の御任命のままに従い、任務を遂行するものであると言う。それが当然の在り方なのです) 降り降らず との曇る夜は 濡れひづと 戀ひつつをりき 君待ちがてり(― 雨が降ったり止んだりしてずっと曇っている夜には、濡れるものだからとて、お出でがないかと淋しく耐え忍んで居りました。一方では、もしやお出で下さるかもと、期待も致して居りましたよ) 飫宇(おう)の海の 河原の千鳥 汝(な)が鳴けば わが佐保河の思(おも)ほゆらくに(― 飫宇の海に注ぎ込んでいる佐保川の千鳥達よ。お前たちが鳴けば、私の故郷の佐保川が思われることであるよ) 春日を 春日(かすが)の山の 高座(たかくら)の 三笠の山に 朝さらず 雲ゐたなびき 容鳥(かほどり)の 間(ま)なく數(しば)鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片戀のみに 晝はも 日のことごと 夜はも 夜のことごと 立ちてゐて 思ひそわがする 逢はぬ兒ゆゑに(― 春日山の中の三笠山には毎朝、必ず雲が動かずに棚引いていて、郭公が間断無くしきりに啼いている。その雲のように心は恋する人に靡き寄って動かず、その鳥のように片恋に哭いて、昼も夜も立ったり座ったりしては、私は恋い焦がれているのだ。会うことが叶わない娘であるのに…)
2022年04月02日
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1