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しらぬひ 筑紫の綿は 身につけて いまだは著(き)ねど 暖(あたた)かに見ゆ(― 九州筑紫産の真綿は、まだ着た事がないが、暖かいそうだ) 憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ そを負(お)う母も 吾(わ)を待つらむ(― 私、山上憶良などは途中で失礼いたしましょう。今頃は子供が泣いているだろうし、その子を背負っている私の妻も、私を心待ちにしているであろうから) 驗(しるし)なき 物を思(おも)はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし(― 甲斐もない物思いなどに耽らないで、一杯の濁酒を飲む方が増しなのであろうよ) 酒の名を 聖(ひじり)と負(おほ)せし 古(いにしへ)の 大き聖の 言(こと)のよろしき(― 中国の魏の太祖が禁酒令を出した際に、酒の名を、聖人と呼んだ大聖人がいたが、その言葉のなんと適切で、良い命名であったことよ) 古(いにしへ)の 七の賢(さかしき)人どもも 欲(ほ)りせしものは 酒にしあるらし(― 晋代に竹林の七賢人と呼ばれた人々も、欲していたのは、酒であったと言うよ) 賢(さか)しみと 物いふよりは 酒飲みて 酔泣(ゑひなき)するし まさるたるらし(― 賢人ぶって偉そうな事を言うよりは、酒に酔って泣き言を漏らす方が、勝れているらしいなあ) 言はむ爲便(すべ) せむ爲便知らず 極(きはま)りて 貴きものは 酒にしあるらし(― 何とも言いようもしようもない程に尊い物は、酒であるようだ) なかなかに 人にあらずは 酒壺に 成りにてしかも 酒に染(し)みなむ(― 中途半端に人間でいるよりも、いっそ酒壺になってしまいたい。そうしたら、酒にたっぷりと染みる事ができるだろうから) あな醜(みにく) 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ人を よく見れば 猿にかも似る(― ああ、みっともない事だよ。馬鹿馬鹿しい、酒などが何になる、と賢げに物を言う人をよく見てみると、ああ、猿によく似ている事だよ) 價(あたひ)無き 寳といふとも 一坏(ひとつき)の 濁れる酒に あに益(ま)さめやも(― 仏教で、評価を超越して貴い宝などと言うが、それも、一杯の濁酒に勝るとは思えないことだよ) 夜光る 玉というとも 酒飲みて 情(こころ)をやるに あに若(し)かめやも(― 夜光る玉などと、大事そうに言うが、それも一杯の濁酒に何の勝ることがあろうか、勝りはしないのだ) 世のなかの 遊びの道に すずしくは 酔泣(ゑひなき)するに あるべかるらし(― 世間の遊興の道、狩猟や歌舞や文筆などで心が楽しまずに荒涼たるならば、酒を飲んで酔泣きするのが良いのだ) 今(こ)の世にし 樂しくあらば 來(こ)む生(よ)には 蟲にも鳥にも われはなりなむ(― この世で楽しく酒を飲めるのであれば、来世では虫でも鳥でも、何になっても私は構わないよ) 生者(いけるもの) ついにも死ぬる ものにあれば 今(こ)の世なる間(ま)は 樂しくあらな(― 生きている我々は最後には死ぬ定めにあるのだから、この世に生を享けている間は、楽しく過ごしたいものだ) ――― これは大伴旅人、文人的知識人風の歌人として知られる人の詠歌であるが、誰もが自然に感じる本音を極めて自然に述べていて素晴らしい。歌の本質とはこのようなものと感じさせる古今に絶する名歌と言っておこう。但し、理解は、共感は誰にでも出来るが、詠じることは天才にだけ許された特異な才能と、蛇足ながらに言い添えて置こうか。 黙然(もだ)をりて 賢(さか)しらするは 酒飲みて 酔泣(ゑひなき)するに なほ若(し)かずけり(― 黙っていて利口ぶった振る舞いをするのは、酒を飲んで酔泣きするのに、やっぱり及ばない事だ) 世間(よのなか)を 何に譬へむ 朝びらき 漕ぎ去(い)にし 船の跡なきがごと(― 世の中の事柄、我々の人生を何に譬えてみようか、例えば、朝に停泊地を出発した舟が後に何の痕跡も残さない様なものだろうか) ――― これもさらりと詠んではいるが、名人の作と言えよう。様々な人生模様を内側に包み込んで、何事もなかったかの如くに静まり返っている港の風景…。理屈を言っているのではないが、内容は奥深いのである。 葦べには 鶴(たづ)が音(ね)鳴きて 湖(みなと)風寒く 吹くらむ 津乎(つを)の崎(さき)はも(― 今頃は、芦辺には鶴が啼き騒ぎ、みなとの風が寒く吹いていることであろう、あの津乎の崎では) み吉野の 高城(たかき)の山に 白雲は 行きはばかりて たなびけり見ゆ(― 吉野の高城の山では、白雲が行く手を阻まれて、横に棚引いている様が見て取れるよ) 縄の浦に 盬焼くけぶり 夕されば 行き過ぎかねて 山にたなびく(― 縄の浦で、海人が塩を焼いている煙が、夕方になると行先が無くて、山に向かって棚引いている) 大汝(おほなむち)少彦名(すくなひこな)の いましけむ 志都(しつ)の石室(いはや)は 幾代經(へ)ぬらむ(― 大汝と少彦名の神がおいでになった、この志都の石屋は一体幾代を経ているのであろうかしらん)
2022年03月29日
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皇神祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 敷きいます 國のことごと 湯はしも 多(さは)にあれども 島山の 宜(よろ)しき國と こごしかも 伊豫の高嶺(たかね)の 射狹庭(いさには)の 岡に立たして 歌思(おも)ひ 辭(こと)思(おも)はしし み湯の上(へ)の 樹(こ)群(むら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ繼ぎにけり 鳴く鳥の 聲も變らず 遠き代に 神さびゆかむ 行幸處(いでましところ)(― すめろきの神の命がお治めになる国のことごとくに、温泉は沢山あるが、島や山が宜しい国ということで、嶮岨な伊予の高根の射狭庭の岡にお立ちになって歌をお考えなり、言葉をお練りになった。この温泉のほとりの群がった樹立を見るとと、臣の木も生い代わって成長しているし、鳴く鳥の声も変わっていない。将来永く神々しい姿を保っていくであろうと思われる、この行幸の記念の場所であるよ) ももしきの 大宮人(おおみやひと)の 飽田津(にきたつ)に 船乘(ふなのり)しけむ 年の知らなく(― 大宮人が昔に飽田津で船乗りをしたというが、それは何時のことだったのか、もう分からなくなってしまった事だよ) 三諸(みもろ)の 神名備(かむなび)山に 五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生(お)ひたる つがの木の いや繼ぎ繼ぎに 玉かづら 絶ゆることなく ありつつも 止(や)まず通はむ 明日香(あすか)の 舊(ふる)き京師(みやこ)は 山高み 河雄大(よほしろ)し 春の日は 山し見がほし 秋の夜(よ)は 河し淸(さや)けし 朝雲(あさくも)に 鶴(たづ)は亂れ 夕霧(ゆふぎり)に 河蝦(かはづ)はさわく 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 古(いにしへ)思へば(― 三諸の神名備山に、多くの枝が萌え出て繁く伸びているつがの木、そのつがではないけれども、益々、次々に絶えることなく、常に止まずに通いたいと願う明日香の旧都は、山が高く、明日香河がスケール雄大に流れ、春の日には山が美しく、秋の夜は河音が清涼である。朝に立つ雲に鶴達が乱れ舞い、夕霧の中で、カジカが頻りに啼き立てている。それに接する度ごとに私は涙を禁じえないのだ、過ぎ去った昔を回顧して…) 明日香河 川淀さらず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 戀にあらなくに(― 明日香河の川淀毎に立っている霧がやがては消え去るけれども、私の旧都への恋情は何時までも消える時は、来ないのでありまする) 見渡せば 明石の浦に 燭(とも)す火の 秀(ほ)にそ出でぬる 妹に戀ふらく(― 難波の岸辺に立って見渡すと、明石の浦で灯している海人の燭火・ともしび がはっきりと見えるが、私が心の中に秘めてきた愛人に対する切ない恋心は、もうはっきりと表に現れてしまっている) 大海(わたつみ)の 沖に持ち行きて 放つとも うれむそこれが 生還(よみがへ)りなむ(― この干しアワビを海の沖に持って行って、海中に放ったとしても、生き返る事はありえませんね。その様に、この干しアワビ同然の私は、美しい女性を目の前にしても、男性らしい感情を蘇らせることなど不可能でありましょうよ。あまり、冗談を仕掛けないで、静かにしておいてくだされよ、見目麗しい乙女達よ) あをによし 寧樂(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫(にほ)ふがごとく 今盛りなり(― 嘗ては青丹が美しいと讃えられた奈良の都は、咲く花が芳香を周囲に放つように、今こそその最盛期に達して、素晴らしさを存分に発揮している事だ) やすみしし わご大王(おおきみ)の 敷きませる 國の中には 京師(みやこ)し思(おも)ほゆ(― わが大君の治めていらっしゃる国々の中では、何と言っても帝都の奈良が一番に慕われる) 藤波の 花は盛りに なりにけり 平城(なら)の京(みやこ)を 思ほすや君(― 藤の花が最盛期を迎えて花房が豊かに波のごとくに風に揺れていますが、さぞかし貴方は、奈良の都を懐かしく偲んでいらっしゃる事でありましょう) わが盛(さかり) 變若(をち)めやも ほとほとに 寧樂(なら)の京(みやこ)を 見ずかなりなむ(― 私の若く盛んだった頃が再び戻って来るであろうか。いや、それは無理と言うもの。同様に、あの賑やかな奈良の都が復活することも、不可能であろう。それが、人の世の定めというものなのだから) わが命も 常にあらぬか 昔見し 象(きさ)の小河(をがは)を 行きて見むため(― 私の命は永遠であってくれないか。昔に見た象の小川を見に行きたいので…) 浅茅原(あさぢはら) つばらつばらに もの思(も)へば 故(ふ)りにし里し 思ほゆるかも(― つくづくと物思いをしていると、故里の様子があれこれと心に浮かんでくるよ) わすれ草(ぐさ) わが紐に付く 香久山の 故(ふ)りにし里を 忘れむがため(― 忘れ草を自分は紐に付ける。香久山の辺りの、あの故里をたとえ一時であっても忘れよう為に) わが行きは 久にはあらじ 夢(いめ)のわだ 瀬にはならずて 淵(ふち)にあらぬかも(― 私の今度の旅は、長期間ではないだろう。どうか、夢の、憧れの巨岩に囲まれた名所・わだ よ、どうか浅瀬にはならずに淵のままであってくれないか)
2022年03月25日
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如是(かく)ゆゑに 見じといふものを 樂浪(ささなみ)の 舊(ふるき)き都を 見せつつもとな(― こういう事であるから、見たくないと言ったのに、荒れ果ててしまった近江の旧都をむやみに見せて、私を徒に悲しませるのだな) 伊勢の海の 沖つ白波 花にもが 包みて妹が 家づとにせむ(― 伊勢の海の、沖に立つ白波が花であって欲しいものだ。花なら包んで持ち帰り、妻へのお土産にするのだが。こんなに美しいお花畑の如き眺めはざらには見られないからなあ) はだ薄(すすき) 久米の若子(わくご)が座(いま)しける 三穂の石室(いはや)は 見れど飽かぬかも(― 伝説が伝えている、久米の若者が修行のために座ったと言う、三穂の石室はいつまで見ていても飽きないことであるよ) 常磐(ときは)なる 石室は今もありけれど 住みける人そ 常なかりける(― 永久である石室は今もあるけれども、そこに昔住んだ人は無常の掟のごとくに、今はもういないのだ) 石室戸(いはやと)に 立てる松の樹 汝(な)を見れば 昔の人を 相見るごとし(― 石室の戸口に立っている松の大樹よ、お前を見ると、昔の人にさながらに相会っている感じがするよ) 東(ひむかし)の 市の植木の 木垂(こだ)るまで 逢はず久し うべ戀ひにけり(東の市場の植木の枝が垂れ下がるまでも、久しい間会わなかったのだから、恋しいのはもっともなことだよ) 梓弓 引き豊國の 鏡山 見ず久ならば 戀しけむかも(― 自分が毎日見ている豊国の古墳の鏡山を久しく見ないでいたら、恋しく思うであろう) 昔こそ 難波田舎(ゐなか)と 言はれけめ 今は京(みやこ)引き 都びにけり(― 昔は難波を片田舎と蔑んで呼んだであろうが、今では都を移したので、本当に都らしくなった事だ) み吉野の 瀧の白波 知らねども 語りし繼げば 古(いにしへ)思(おも)ほゆ(― み吉野のこの有名な滝の白波よ、自分は昔のことは知らないけれども、人々が代々語り継いでいるので、それを聞くと昔の様々な事蹟が偲ばれることだ) さざれ波 磯越道(いそこしぢ)なる 能登湍(のとせ)河(がは) 音のさやけさ 激(たぎ)つ瀬ごとに(― 小さな漣が磯をこしている、能登瀬河よ。激しく流れる瀬ごとに響き立っている瀬音の、何と爽やかなことであるか。驚嘆に値する素晴らしさであるよ) み吉野の 芳野の宮は 山柄(やまがら)し 貴(たふと)かるらし 川柄し 清(さや)けかるらし 天地と 長く久しく 萬代(よろづよ)に 變らずあらむ 行幸(いでまし)の宮(― み芳野の芳野の宮は山の格が貴くあるらしい。川の性質がさやかであるらしい。天地と共に長く久しく、万代までも変わらずにあることであろう、行幸の宮は) 昔見し 象(きさ)の小河(おがわ)を 今見れば いよよ清けく なりにけるかも(― 昔に見た象の小川を今見ると、清潔明亮の風光がいよいよ新たになった感じがするよ) 天地(あめつち)の 分(わか)れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河(するが)なる 布士(ふじ)の高嶺(たかね)を 天(あま)の原 振り放(さ)け見れば 渡る日の 影も隠(かく)らひ 照る月の 光も見えず 白雲(しらくも)も い行きはばかり 時じくそ 雪は振りける 語り継ぎ 言い継ぎ行かむ 不盡の高嶺は(― 天と地が分かれた時から、神々しくて高く貴い、駿河の国の富士の高嶺を、天空に振り仰いで遠く見遣ると、大空を渡っている太陽も光を隠され、照る月の光さえ見えない。白雲も山に阻まれて行き滞っており、雪は常に降っているのだ。ああ、この霊妙なる神秘の高山、富士山の事を何時までも次々に語り伝え、言い継いで行こう、我々日本人は) 田児(たご)の浦ゆ うち出(い)でて見れば 眞白(ましろ)にそ 不盡の高嶺に 雪は降りける(― 田児の浦を通って、広い眺望のきくところに出てみると、真白に富士の高嶺に雪が積もっている事だよ) なまよみの 甲斐(かひ)の國 うち寄する 駿河の國と こちごちの國のみ中ゆ 出で立てる 不盡の高嶺は 天雲(あまくも)も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上(のぼ)らず 燃ゆる火を 雪もち消(け)ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひもえず 名づけの知らず 霊(くす)しくも います神かも 石花(せ)の海と 名づけてあるも その山の つつめる海そ 不盡河と 人の渡るも その山の 水の激(たぎ)ちそ 日の本の 大和の國の 鎮(しづめ)とも 座(いま)す神かも 寳とも 生(な)れる山かも 駿河なる 不盡の高嶺は 見れど飽かぬかも(― 甲斐の国や駿河の国など、あちこちの国の真ん中から聳え立っている富士山は、天の雲も妨げられて進めず、飛ぶ鳥も飛び上がらず、燃える火を雪で消し、降る雪を火で消しつつ、とても言葉では言い表せず、何と名付ける事も出来ないほどに霊妙神秘な山なのです。せの海と名付けている湖も、この山が包んでいる海なのだ。不尽の河と言って人が渡る河も、その山の水の激しい流れである。日の本の大和の国の、鎮護としてまします神であるよ。宝として成り出でられた神様であることよ。この駿河の富士山は、どんなに見ても見飽きのしない霊山であるよ) 不盡の嶺に 降り置く雪は 六月(みなづき)の 十五日(もち)に消(け)ぬれば その夜ふりけり(― 富士山に降り積もっている雪は、六月の十五日に消えれば、その夜に又降るのであるよ) 不盡の嶺を 高み恐(かしこ)み 天雲も い行きはばかり たなびくものを(― 富士山が高くて恐れ多いので、大空の雲も阻まれて、棚引いていることよ)
2022年03月19日
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ここにして 家やも何處(いづく) 白雲の たなびく山を 越えて來にけり(― ここからは、自分の家はどちらになるのだろうか。白雲の棚引いている山を、はるばると越えて来たものだなあ) わが命し 眞幸(まさき)くあらば またも見む 志賀の大津に 寄する白波(― 私の命が幸いに恵まれ、健康で居られたならば、再び見ることも出来ようが、それはとても覚束無いことでもある、この風光明媚な志賀の大津に今寄せている、琵琶湖の白い美しい波であるよ) 天(あま)の原 ふりさけ見れば 白眞弓(しらまゆみ) 張りて懸けたり 夜路(よみち)は吉(よ)けむ(― 大空を振り仰いで遠くを見遣ると、白木の真弓を張ったような月が白く懸かっている。これならば夜道は良いであろう、嬉しいことだよ) 倉橋の 山を高みか 夜(よ)ごもりに 出で來る月の 光乏(とも)しき(― 倉橋の山が高いせいか、夜遅く出て来た月の光の乏しいことよ。何か、不吉なことが起こらなければよいのだが…) 眞木の葉の しなふ勢(せ)の山 賞(しの)はずて わが越えぬるは 木の葉知りけむ(― 真木の葉がこんもりと美しく繁る背の山を、ゆっくりと賞美せずに、私が越えてしまった気持ちは、木の葉が分かってくれるであろう。私には大切な任務が課せられていたのだから) ひさかたの 天(あめ)の探女(さぐめ)が石船(いはふね)の 泊(は)てし高津(たかつ)は 淺(あ)せにけるかも(― 大昔に、天の探女が天から乗って来た石船が停泊した高津の港は、浅くなってしまったことだなあ) 盬干(しほひ)の三津の 海女(あま)のくぐつ持ち 玉藻刈るらむ いざ行きて見む(― 潮の引いた難波の御津の海女が、手提げ袋のクグツを持って藻を刈っているであろう、さあ、行って見よう) 風を疾(はや)み 沖つ白波高からし 海人の釣船 濱に帰りぬ(― 疾い風が吹き、波が高いのであろう、海人の釣船が浜に戻って来るのが見えるよ) 住吉(すみのえ)の 野木(のぎ)の松原 遠つ神 わご大君(おほきみ)の いでましどころ(― 住吉の、野木の風光明媚な場所は、我々の大君が嘗て行幸なされた記念すべき所なのだ) 廬原(いほはら)の 清見の崎の 三保の浦の 寬(ゆた)けき見つつ もの思(も)ひもなし(― 静岡県にある廬原の清見の崎から眺めると、向こうに見える清水市の、三保の松原が抱えるようにしている入海が、実にゆったりと水をたたえて広々としている感じが、本当に素晴らしいので心の憂いなどは消し飛んでしまうことだよ) 晝見れど 飽かぬ田兒(たご)の浦 大君の命(みこと)畏(かしこ)み 夜見つるかも(― 昼間に見ても見飽きない田児の浦の絶景を、私は天皇様の御意向を恐れ謹んで、私は夜間に見て通過したことであるよ。可能であるならば、昼間に周囲の景色を堪能して旅を楽しみたかったのだが) 亦打山(まつちやま) 夕越え行きて 廬前(いほさき)の 角(すみ)太(だ)河原(かはら)に 獨りかも宿(ね)む(― 亦打山を夕方に越えて行って、廬前の角田の河原にたった一人で旅寝をすることであろう、苦しく寂しい) 奥山の 菅(すが)の葉しのぎ 降る雪の 消(け)なば惜しけむ 雨な降りそね(― 奥山の菅の葉を押さえるように降っている雪が、もしも消えてしまったならば、残念だ。雨よ、どうか降らないでおくれ) 佐保過ぎて 寧樂(なら)の手向(たむけ)に 置く幣(ぬさ)は 妹(いも)を目離(か)れず 相見しめとそ(― 佐保を過ぎて奈良山にかかり、ここの手向の場に幣を置くのは、妻にいつも会わせて下さいという気持です) 磐(いは)が根の こごしき山を 越えかねて 哭(ね)には泣くとも 色に出(い)でめやも(― 岩の根のごつごつした山を越えようとして越え得ずに、声に出して泣いたとしても、恋しい妻の事を顔色に出して愛しさを他人に悟られたりはしない、私は一人前の男なのだから) 兒らが家道(いへぢ) やや間遠(まどほ)きを ぬばたまの 夜(よ)渡る月に 競(きほ)ひあへむか(― 愛しく思うあの娘の家へ行く道は、少し距離が遠いけれども、夜空を渡る月と競争して、月が地平線に入るまでには、それに負けずにあの娘の家に着くことが出来るだろうか) 名くはしき 稲見(いなみ)の海の 沖つ波 千重に隠(かく)りぬ 大和島根は(― 評判の高い稲見の海の美しい波であるが、その幾重にも立っている沖の波で、麗しい大和の山々が隠されてしまったことだよ) 大君の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と あり通(がよ)ふ 島門(しまと)を見れば 神代(かみよ)し思(おも)ほゆ(― 都から遠く隔たった九州の役所であるが、人々が常に往来する島々の間の海峡を目にすると、この島々が生み出された神代の国土創世の頃のことが自然に思われることであるよ)
2022年03月16日
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鼯鼠(ムササビ」は 木末(こぬれ)求むと あしひきの 山の獵夫(さつを)に あひにけるかも(― ムササビは木の若くて伸びた枝先を求めに行って、不運にも猟師に出会ってしまったことであるなあ) わが背子が 古家(ふるへ)の里の 明日香には 千鳥鳴くなり 島待ちかねて(― あなたの古い家がある明日香の里には、千鳥が鳴いているのが聞こえる。美しい林泉を求め兼ねて、都が移って家々が荒れてしまったから) 旅にして 物戀(こほ)しきに 山下(やました)の 赤(あけ)のそほ船(ぶね) 沖へ漕ぐ見ゆ(― 旅にいて、何となく物恋しいのに、山の下に見える赤い土を塗ったそほ船が、沖へ沖へと漕いで行くのが見えて、一層寂しさが増してくる) 櫻田へ 鶴(たず)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しおひ)にけらし 鶴鳴き渡る(― 桜の田の方へ鶴が鳴きながら渡って行く。年魚市潟の潮が引いたらしい、鶴が鳴きながら渡って行くことだ) 四極山(しはつやま) うち越え見れば 笠縫(かさぬひ)の島 漕ぎかくる 棚無し小舟(をぶね)(― 四極山を越えて見渡すと、笠縫の島に漕ぎ隠れて行く、側板の無い棚無し小舟が見える) 磯の崎 漕ぎ廻(た)み行けば 近江(あふみ)の海(み) 八十(やそ)の湊(みなと)に 鶴(たづ)多(さわ)に鳴く(― 磯の崎を舟で漕ぎ回っていくと、琵琶湖の多くの湊で鶴が数多く鳴き交わしている) わが船は 比良(ひら)の湊に 漕ぎ泊(は)てむ 沖へな離(さか)り さ夜更(ふ)けにけり(― 私の乗ったこの船は比良の湊に停泊させよう。沖の方に離れては行くな、夜も更けたから) 何處(いづく)にか われは宿らむ 高島の 勝野(かちの)の原に この日暮れなば(― どこに今夜は宿を取ろうか、琵琶湖の西岸、高島の野で今日の日が暮れてしまったならば) 妹もわれも 一つなれかも 三河なる 二見(ふたみ)の道ゆ 別れかねつる(― 貴女も私も一心同体であるからだろうか、二つの街道の分岐点の三河の二見でも、別れることができないのだから) 三河の 二見の道ゆ 別れなば わが背もわれも 獨(ひと)りかも 行かむ(― 三河の二見の道で別れてしまったならば、愛しい貴方も私も、又ひとり身に戻ってしまうではありませんか。そんな薄情な事をしないでくださいな) ――― 男の洒落に対して、女も軽妙に洒落で返す。何ともモダーンで、粋な遣り取りではないか。大人の恋、行きずりの恋と言ってしまえば、恋愛などと言うものは、初めは皆、そうした出会いから始まるので、それがどう発展するのか、しないのかは神のみぞ知る。有難くも、悩ましい、恋の病などと言われる所以でありましょう。 とく來ても 見てましものを 山城の 高の槻群(つきむら) 散りにけるかも(― 早く来て見るべきであった、本当に残念な事をしてしまったよ、山城の多賀鄕の槻の木の林は、今来て見ると、もう既に美しい紅葉は散ってしまっていたことだよ) 志可(しか)の海人は 藻(め)刈り盬焼き 暇(いとま)なみ 髪梳(けづり)の小櫛(をぐし) 取りも見なくに(― 志賀の海人は、藻を刈ったり、塩を焼いたりして多忙なので、髪を梳く櫛を手に取って見ることさえしないそうだ) 吾妹子(わぎもこ)に 猪名野(いなの)は見せつ 名次山(なすぎやま)角(つの)の松原 いつか示さむ(― 大切なあの人には猪名野は案内して見せた。名次山や角の松原は何時連れて行こうか、楽しみだなあ) いざ兒(こ)ども 大和へ早く 白菅(しらすげ)の 眞野の榛(はり)原 手折(たを)りて行かむ(― さあ、人々よ、懐かしい大和へ早く行こうではないか。白菅が生えている真野の榛原の榛を手折って行こう) 白菅の 眞野の榛原 往(ゆ)くさ來(く)さ 君こそ見らめ 眞野の榛原(― 白菅の真野の美しい榛原を、あなたこそは御覧になられるでしょうがねえ…、有名な真野の榛原を) つのさはふ 磐余(いはれ)も過ぎず 泊瀬山(はつせやま) 何時(いつ)かも越えむ 夜(よ)は更(ふ)けにつつ(― まだ磐余さえも通り過ぎていないというのに、泊瀬の山は何時越えることが出来るのであろうか、夜は次第に更けていくのに…) 住吉(すみのえ)の 得名津(えなつ)に立ちて 見渡せば 武庫(むこ)の泊(とまり)ゆ 出づる船人(ふなびと)(― 住吉の得名津に立って見渡すと、武庫の港を出て行く船人の姿がはっきりと見えることだ) 焼津邊(やきつべ)に わが行きしかば 駿河(するが)なる 阿倍の市道(いちぢ)に 逢ひし兒らはも(― 焼津のあたりに行った際に、安倍の市へ行く途中の道で出会った女が慕わしいことであるよ) 栲(たく)領巾(ひれ)の 懸けまく欲(ほ)しき 妹が名を この勢(せ)の山に 懸ければいかにある(― 口に出して言いたい愛妻と言う言葉を、この 背の山 と男の名が付いている山に付けたならばどうだろうか。出来ればそうしたい気持ちであるよ) 宜(よろ)しなべ わが背の君が 負ひ來にし この背の山を 妹とは呼ばじ(― わが背の君が、ふさわしくも自分の名として来た、勢・せ と言う山を、妹・いも などとは呼びますまいい、決して)
2022年03月11日
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稲日野(いなびの)も 行き過ぎかてに 思へれば 心戀(こほ)しき 可古(かこ)の島見ゆ(― 西から東に上る海上で、稲日野も懐かしくて行き過ぎ難いと思っていると、恋しい可古の島も見えて来た、本当に懐かしく嬉しい事だよ) 留火(ともしび)の 明石大門(あかしおほと)に 入る日にか 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず(― わが舟が、明石の海峡に入る日には、いよいよ故郷の大和と漕ぎ別れる事であろうか。懐かしい家のあたりを、もはや見ることなしに) 天離(あまざか)る 夷(ひな)の長道(ながぢ)ゆ 戀来れば 明石の門(と)より 大和島見ゆ(― 遠い田舎からの長い航海を経て、故郷を恋い慕いながらはるばるとやって来てみると、明石海峡を透して遥かに大和の島・生駒や葛城の連山が望み見られる、ああ、懐かしさに胸が躍るようだ) 飼飯(けひ)の海の 庭(には)好くあらし 刈薦(かりこも)の 亂れ出づ見ゆ 海人(あま)の釣船(― 飼飯の海の海面が静かであるらしい、海人の釣り船が入り乱れて漕ぎ出ていくのが見える) 天降(あも)りつく 天の芳來山(かぐやま) 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 櫻花 木(こ)の晩茂(くれしげ)に 奥邉(おきべ)は 鴨妻(つま)呼ばひ 邉(へ)つ方(へ)に あぢむら騒き 百磯城(ももしき)の 大宮人(おおみやひと)の 退(まか)り出て 遊ぶ船には 梶棹(かぢさを)も 無くて不楽(さぶ)しも 漕(こ)ぐ人無しに(― 天下って来た天の香久山は、霞の立つ春になると、松風に池の波が立ち、桜の花は木の下が暗くなる程繁り、沖辺では鴨が妻を呼び、岸辺ではあじがもの群が騒いで、かつて大宮人が宮殿から退出して遊んだ船には、今は梶も棹も無くて、寂しい。漕ぐ人も無くて。 人漕がず あらくも著(しる)し 潜(かづ)きする 鴛(をし)とたかべと 船の上(へ)に住む(― 水にくぐるオシドリとコガモとが舟の上に住んでいるのを見れば、人が漕がずに捨ててあることがはっきりと解かる) 何時の間(ま)も 神(かむ)さびけるか 香山(かぐやま)の 鉾椙(ほこすぎ」が本(もと)に コケ生(む)すまでに(― いつの間にかまあ、こんなに古めかしくなってしまったのであろうか。香久山の鉾杉の根元に苔が生える程に) 天降(あも)りつく 神の香山 打ち靡く 春さり來れば 櫻花 木の暗茂(くれしげ)に 松風に池波あがり 邉(へ)つへには あぢむら騒き 沖邊(おきべ)には 鴨妻呼ばひ 百式(ももしき)の 大宮人の まかり出て 漕ぎける舟は 棹梶(さをかぢ)も 無くてさぶしも 漕がむと思へど(― 天来の神の香具山に春が来ると、桜の花は木の下が暗くなるほどに繁り、松を吹く風で池の波が立ち、汀ではアジ鴨が騒ぎ、沖では鴨が妻を呼んでいる。その昔に大宮人達がやって来て漕いだ舟は、今は棹や舵もなく漕ぐにも仕様がない。寂しい限りであるよ) やすみしし わご大王(おおきみ) 高輝(たかて)らす 日の皇子 榮えます 大殿のうへに ひさかたの 天傳(あまつた)ひ來る 白雪(ゆき)じもの 往きかよひつつ いや常世まで(― 我が日の皇子の栄えておいでになる大殿の上に、大空から降ってくる真っ白な雪の様に、頻りにこの御殿に通い、いよいよ年久しく、いつまでもお仕え申したいものです) 矢釣山(やつりやま) 木立も見えず 降りまがふ 雪にうぐつく 朝(あした)樂しも(― 矢釣山の木立も見えないほどに降り乱れる雪の中を、馬を走らせて御殿に来る朝は、本当に楽しい事だ) 馬ないたく打ちて な行きそ 日(け)ならべて 見てもわが行く 志賀にあらなくに(― 馬をひどく鞭打って、急いで行ったりしないでおくれ。多くの日数をかけて、この美しい風光を見ながら行く事のできない、志賀の国なのだからねえ) もののふの 八十氏河(やそうぢがは)の 網代木(あじろき)に いさよふ波の 行く方(へ)知らずも(― 武勇で知られる侍達が大勢輩出しているその名門の誉れではないけれども、宇治川の網代木に、上流から激しく流れて来ては漂い、停滞する川波であるが、その流れ行く先が全く分からなくなってしまう。その様に、我々の未来も不確定である。不分明で先のことは誰にも知れないのだ…) ――― 古今に卓越した名歌であると、私、草加の爺は思わず感嘆の声を上げずにはいられないのでありました。調べと言い、条理の通った理屈と言い、間然する所が無い。けだし、柿本人麿はこの一首だけでも歌聖の名に相応しいと思うし、この伝統は正しく西行に受け継がれている様を、確認しておきたいと思う。 苦しくも 降り來る雨か 神(みわ)の崎 狭野(さの)の渡(わた)りに 家もあらなくに(― 困ったことに降り出した雨であるよ。神が崎の佐野の渡し場には、近くに家もないというのに) 淡海(あふみ)の海 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 情(こころ)もしのに 古(いにしへ)思ほゆ(― 近江の湖の夕波に、飛び交う千鳥たちよ、お前達が悲しげなその声を絞って鳴くと、私の心は何故かしら自然に靡き寄せられて、古代の事が切実に思われて淋しく、悲しい心に誘われてしまうのだ…) ――― これも人麿の代表歌のひとつ。歌の調べが素晴らしく、鑑賞者も理屈抜きで古代の王朝文化に誘われてしまう。千鳥は古代人の魂そのものとして自然に表現されているので、余計な知識などを持たなくとも、鑑賞の障害とはならない。素晴らしいの一語に盡きる。この様な歌に接すると、心が洗われると共に、稀有な銘酒を飲んだ時のように心地よく酩酊してさながら、極楽浄土に遊ぶ心境に誘われている。有難いことであります。
2022年03月08日
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大君は 神にし座(ま)せば 天雲(あまくも)の 雷の上に 廬(いほ)らせるかも(― 天皇は神でいらっしゃるから、大空の雷の、その上に廬していらっしゃることだ) 不聴(いな)と言えど 強(し)ふる志斐(しひ)のが 強語(しひがたり) このころ聞かずて 朕(われ)戀ひにけり(― 聞くのが嫌だというのに、強いて聴かせる志斐の嫗・おうな のしい語りを最近は聞かないので、私は恋しくなった) 否(いな)と言へど 語れ語れと 詔(の)らせこそ 志斐いは奏(もを)せ 強語(しいがたり)と詔る(― 嫌だ嫌だと申し上げても、語れ語れと仰るからこそ、私はお話申し上げますものを、しい語りだと仰せなさるとは。本当に、ひどいお方ですこと) 大宮の 内まで聞ゆ 網引(あびき)すると 網子(あご)調(ととの)ふる 海人(あま)の呼び聲(― 宮殿の中にまで聞こえてくることだよ、網を引くというので、網を引く網子に掛け声を掛けて調子を整えている海人の声が) やすみしし わご大王(おおきみ) 高照らす わが日の皇子(みこ) 馬並(な)めて み猟立たせる 弱薦(わかこも)を 猟路(かりぢ)の小野(をの)に 猪鹿(しし)こそば い匍(は)ひ拝(をろが)め 鶉(うづら)こそ い匍ひ廻(もと)ほれ 猪鹿(しし)じもの い匍ひ拝み 鶉なす い匍ひ廻ほり 恐(かしこ)みと 仕へ奉りて ひさかたの 天(あめ)見るごとく 眞澄鏡(まそかがみ) 仰ぎて見れど 春草の いやめづらしき わご大王かも(― わが長皇子・ながのみこ が馬を並べて、御猟に出かけていらっしゃる猟路の、小野の地に、ししが這って礼拝しており、鶉が這い巡っているが、そのししの如くに這い拝み、鶉の如くに這い巡って、恐れ多いとお仕え申し上げ、大空を仰ぎ見るように仰いで、いくら見ても、春に萌えだす草の懐かしく愛らしいように、いよいよ讃えるべき我らが皇子であらせられまする) ひさかたの 天(あま)ゆく月を 網に刺し わご大王は 盖(きぬがさ)にせり(― わが皇子は神でいらっしゃるから、大空を行く月を網に留め取り、きぬがさ・貴人の後ろから差しかける傘 にしておいでであるよ) 皇(おほきみ)は 神にし坐(ま)せば 眞木の立つ 荒山中(あらやまなか)に 海を成すかも(― わが皇子は神でいらっしゃるから、檜・杉・松などの真木の立っている、荒れた山の中にも海 人造の池 をお作りになられることであるよ) 瀧の上(へ)の 三船の山に 居る雲の 常にあらむと わが思はなくに(― 三吉野の激流のほとりにある三船山に、動かずにかかっている雲が、やがて移って行くように、私・弓削皇子(ゆげのみこ) もいつまでも長らえるだろうとは思っていないことだ) 王(おおきみ)は 千歳(ちとせ)に座(ま)さむ 白雲も 三船の山に 絶ゆる日あらめや(― 皇子は千年も永く、このまま栄えていらっしゃるであろう。白雲も三船の山に湧き出て来て、絶える日があるでありましょうか、ありはしないのですから) 三吉野の 御船の山に 立つ雲の 常にあらむと わが思はなくに(― 三吉野の御船山に立ち上っている雲が常にそうであるようには、私はこの世にずっと生きて在るとは考えていないのだが) 聞くが如(ごと) まこと貴(たふと)く奇(くす)しくも 神さび居るか これの水島(― 噂に聞いていた通りに、本当に貴く、不思議な神々しい力を発現しているようだ、この、筑紫の水島は) 葦北(あしきた)の 野坂の浦ゆ 船出して 水島に行かむ 波立つなゆめ(― 葦北の野坂の港から船出して、水島に渡ろうと思うので、波よ荒くは立たないでおくれ、決して) 沖つ波 邉波(へなみ)立つとも わが背子(せこ)が 御船の泊(とま)り 波立ためやも(― 沖の波や浜辺近い波が立っのは良いが、私の親友の乗っている船の停泊港には、どんな波も立たないで欲しいものだ) 隼人(はやひと)の 薩摩(さつま)の迫門(せと)を 雲居なす 遠くもわれは 今日みつるかも(― 九州の最南端に住む異人種である隼人の地の海峡を、私は今日は、遥か遠くから眺めやったことである。はるばると国の果てまで来てしまったものだなあ) 三津の崎 波を恐(かしこ)み 隠(こも)り江の 舟漕ぐ君が 行くか野島に(― 三津の崎周辺では荒い波が常に立ち騒いでいる。その恐ろしい波を避けて、人にあまり知られていない湾に舟を浮かべて、夫は漁をする為に野島を目指して舟を漕いでいるのです) 珠藻刈る 敏馬(みぬめ)を過ぎて 夏草の 野島の崎に 舟近づきぬ(― 美しい藻を刈る敏馬を通過して、夏草の生い茂った野島が崎に、今舟が進み近づいた) 淡路(あはぢ)の 野島が崎の 濱風に 妹が結びし 紐吹きかへす(― 私は今、淡路の野島が崎にいて、愛妻が愛情を込めて結んでくれた紐を、浜の風に吹き晒していることだ) 荒栲(あらたへ)の 藤江の浦に 鱸(すずき)釣る 泉郎(あま)とか見らむ 旅行くわれを(― 人はきっと藤江の浦で鱸を釣る漁師と見るだろう、困難な旅の途中を進んでいる私を)
2022年03月04日
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玉藻よし 讃岐の國は 國柄(くにから)か 見れども飽かぬ 神柄(かむから)か ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月とともに 満(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 繼(つ)ぎて來(く)る 中の水門(みなと)ゆ 船浮けて わが漕ぎ來れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見ればとゐ波立ち 邉(へ)見れば 白波さわく 鯨魚(いさな)取り 海を恐(かしこ)み 行く船の 梶(かぢ)引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狹岑(さみね)の島の 荒磯(ありそそ)面(も)に いほりて見れば 波の音(と)の 繁き濱べを 敷栲(しきたへ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に 自伏(ころふ)す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 來(き)も問はましを 玉鉾(たまほこ)の 道だに知らず おぼぼしく 待ちか戀ふらむ 愛(は)しき妻らは(― 四国の讃岐の国は、国柄が見ても見飽きないのか、それとも神柄が非常に貴いせいなのか、天地日月とともに整っていく神の御面であるとして受け継いで来ている、中津の港から、私が船を浮かべて漕いで来ると、定まった時に吹く時つ波が大空に吹いて、沖を見るとざわざわと恐ろしくどよむトヰ波が立ち、岸を見れば白波が立ち騒いでいる。海が恐ろしいので梶を引き撓めて、行く島は多いけれども、有名なあの名前もよい狹岑の島の荒々しい磯に廬を結んで見ると、波の音が頻りにする浜辺を枕にして、荒床に自ら伏している屍がある。家が分かるなら、行っても知らせましょう。妻が知っていたならば、来ても問うだろうに。ここに来る道すらも知らずに、不安な気持で待ち、恋い慕っていることだろう、貴方の愛しい妻は) 妻もあらば 採(つ)みてたげまし 佐美(さみ)の山 野の上(へ)のうはぎ 過ぎにけらずや(― もし妻でも傍に居たならば、摘んで食べたであろうに、佐美の山の野の嫁菜も、食べる時が過ぎてしまったではないか…) 沖つ波 來よる荒磯(ありそ)を 敷栲の 枕と枕(ま)きて 寝(な)せる君かも(― 一体、何とした事であろうかなあ、沖から荒々しく打ち寄せる海岸の波を枕にして、寝ている貴方の姿はまあ…) 鴨山の 岩根し枕(ま)ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ(― この鴨山の岩根を枕にして死のうとしている私を知らないで、新妻はさぞかし私を恋い慕って待っている事であろう) 今日(けふ)今日と わが待つ君は 石川の 貝に交りて ありといはずやも(― 今日は来られるか、今日こそは来られるであろうと、私が待っている夫は、石川の貝に混じっていると言うではありませんか、何でその様な酷い事がありましょうか) 直(ただ)の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲(しの)はむ(― 愛する夫は直接にお会いすることは出来ない相談ですから、せめても、石川に雲が一面に立ち渡ってくれないだろうかなあ。そうしたら、それを見て亡き夫を偲びましょうから) 荒波に 寄り来る玉を 枕に置き われここにありと 誰(たれ)か告げなむ(― 荒い波に打ち寄せられて来る玉を枕辺に置いて、自分がここにいると、誰が家の者に知らせてくれるであろうか。その様な者は一人もいないのだ) 天離(あまざか)る 夷(ひな)の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生(い)けるともなし(― 都を遠く離れた辺鄙な田舎の、荒野にあなたを一人置いて、恋い慕って居ますので、生きている実感も持てずに居りまする) 妹が名は 千代に流れむ 姫松の 小松が末(うれ)に 蘿(こけ)むすまでに(― おとめの名は千年の後までも伝わっていくであろう。乙女に相応しい名の姫島の、小松の梢にコケが蒸す、その世までも) 難波潟(なにはがた) 潮干なありそね 沈みにし妹が光儀(すがた)を 見まく苦しも(― この難波の海浜には潮干というものがなくてほしい。沈んでしまったあの乙女の姿を見るのが苦しいから) 梓弓 手に取り持ちて 大夫(ますらを)の 得物矢手(さつやた)ばさみ 立ち向ふ 高圓(たかまと)山に 春野焼く 野火(のび)と見るまで もゆる火を いかにと問へば 玉ほこの 道來る人の 泣く涙 こさめに降りて 白栲の 衣(ころも)ひづちて 立ち留(とま)り われに語らく 何しかも もとな唁(とぶら)ふ 聞けば 哭(ね)のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き 天皇(すめろき)の 神の御子(みこ)の いでましの 手火(たび)の光そ ここだ照りたる(― 高円山に、春の野を焼く野火であろうと見るほどに、沢山燃えている火を、「あれはどういう火か」と訊ねると、道を歩いて来た人は、泣き悲しむ涙が雨のように落ちて、着物を泥に汚して、立ち止まって自分に話して言うには、「どうしてお前はよしなくも、そんな事を訊ねるのか。それを聞くと、声を上げて泣かれ、話をすれば胸が痛む。あれこそは、天皇のお子様の御葬列の人々の手に持つ松明・たいまつ の光なのだ、あのように沢山に照っているのは) 高圓(たかまと)の 野邊の 秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人無しに(― 高円の野辺の秋萩は、虚しく咲いては散っていることであろうか。御覧遊ばす皇子様も、もはやいらっしゃらないで) 三笠山 野邊行く道は こきだくも 繁(しじ)に荒れたるか 久(ひさ)にあらなくに(― 三笠山の裾野を通る道は、大変に草が繁く荒れたことであるよ。皇子様がお隠れ遊ばしてから、久しいことでもないのに) 高圓の 野邊の秋萩 な散りそね 君が形見に 見つつ偲はむ(― 高円の野辺の秋萩の花よ、どうか散らないでいておくれ。お亡くなり遊ばした皇子様の形見として、眺めつつ御偲び申し上げようから) 三笠山 野邊ゆ行く 道こきだくも 荒れにけるかも 久にあらなくに(― 三笠山の裾野を通る道は大層荒れてしまったことだ。皇子様がお隠れ遊ばしてから間もないと言うのに)
2022年03月01日
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