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花の舞 は静岡県浜松市の酒蔵。このお酒は静岡県産の山田錦を100%使用し、55%まで精米したという。ホウボウのお刺身が売っていたので即購入して万全の態勢で挑んだ。が、う~んん、酒に切れがない。まったくない。美味しくなくはないんだけど~、パンチが全く無く、腰が折れる感じ。フニャフニャなんだなあ~。
2022年03月29日
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↑漁夫の砦 @ブダペスト @ハンガリー。ウィーン中央駅からハンガリーの首都ブダペストまでは夜行列車で移動した。夜行列車の利点は、「ホテルを1泊使わないで済む」・「朝そのまま観光に出れて時間が有効」という点。35日間の旅行というと普通は34泊35日と考えるが、夜行を4回使えば30泊35日とか、宿代が浮くのである。今の自分では考えられない、若いって凄い!昔は、、東ヨーロッパ諸国や発展途上国では、駅や空港に着くと色んな人間が寄ってきたものだ。エジプトの空港なんてわんさか寄って来たもんだ。ブダペストの駅に2/13の朝到着し、荷物を担いで、さあホテルでも探して荷物預けっかな?と思って、駅の外に出ると早速「闇両替」をする男が声を掛けてきた。「闇両替」とは通常の為替レートより割高で両替し、外貨を手に入れようとする個人のこと。ハンガリーの通貨、フォリントを通常レートだと1ドル=80フォリントのところを、90フォリント出すから銀行や正規のカンビオではなく自分と両替してくれと言ってくるような人の事である。偽札を渡されるわけではないから、我々としては、別に利用しても問題はない。正確に言うとその国の法律には触れるかもしれないが、10ドルで800フォリントのところが、900フォリント手に入るならば、それだけ滞在費が多く手に入るから、旅行者にはお得だ。彼らはそれでどういう儲けがあるかと言うと、ハンガリーから外国に出ていく商人や旅人に1ドルを100フォリントなどで売れば差額が差益になるわけだ。それだけ東ヨーロッパの通貨は弱いので、現地の人が外貨を欲しい時、通常レートでは交換できないから、闇両替の商人から買う人も出てくるのである。今はこういう闇両替の商売はもう無いのだろうなー。あるのかな?ハンガリーは通貨が弱く、まだユーロに入れないから、まだあるのかもしれないけど。食い下がって交渉し、1ドル95フォリントで2人で40ドルぐらい交換した。駅を出て数歩行くと今度は、何人か地元の人が寄って来て英語で、ホステルどうか?みたいな事を言って来た。ホステルとは今でいえば「ゲストハウス」を指す。ドミトリーか個室タイプで、シャワーやトイレや給湯器は共同の、簡易宿泊所を自分で所有している人が駅で客引きしているわけ。それで、Gジャンを来た40歳ぐらいの男性と交渉、地下鉄の駅も近いし便利と力説していた。お湯のシャワーが有るか確認したら「イクザクトリー!」とか言ってる。1泊1人10ドルと言っていたが、ドルで払うから、2泊するから1人1泊7ドル、つまり14ドル/2泊にまで交渉して、彼の車でそのホステル迄連れて行って貰う。車はボロいソ連製のトラバントだった。扉を閉めたら把手が取れたから、シートに投げておいた。2泊で約2.000円か。宿の目標額は1日1.000円だったからまあ合格ライン。安く泊まるには多少のリスクを取ってかないと貧乏旅行は出来ない。嫌なら部屋を見てから辞ーめた!と言えば良いだけだから。先払いで建物のカギを渡されて、最後の日にカギは部屋に置いて行ってくれ、みたいなアバウトな感じだった。。観光の記憶はほぼ無いのだが、漁夫の砦やブダ城にある国立美術館は地下鉄で行った。私の後ろのドナウ川を挟んだ向こう岸にあるのが世界一美しいと言われるハンガリーの国会議事堂である。また有名なくさり橋や夜景の名所「ゲレルト(ゲッレールト)の丘」へ白タクで行ったような記憶が。。ここはブダペストの夜景を一望できるスポット。丘の頂上からは、ドナウ川を挟んで右岸のブダ地区、左岸のペスト地区の街並みを一望でき、ヨーロッパでも指折りの夜景の名所といわれる。シェーンブルン宮殿に続き。ここでも「遂にここまで来たか」という感慨(まだ全然始まったばかりなのに)に浸った記憶がある。夜、歩いていると、ドナウ川のほとりの公園に面した非常に重厚なレストランがあった。闇両替で40ドル=約6000円ぐらいを大量のフォリントに交換して気が大きくなっていたので、余らせても困るし、そのレストランに入ってみた。ピアノとバイオリンと何かの楽器の生バンドがいる広いホールフロアーがあり、小汚いGパン姿のアジアの若者にはとても似つかわしくない店だったが、堂々と入って行き、メニューから良く分からないけど「コルドンブルー」とビールを注文して、どっちも「うまいうまい」と何杯もビールをおかわりした。楽団にわざわざ50フォリントのチップを渡しに行ってから、会計したら凄く安くて驚いた。多分1人1.000円ぐらいだったと思う。それほど当時のハンガリーの物価は安かった。地下鉄は思ったより発達していた。この頃、1989年から1991年にかけて、世界は大きく動いていた。ベルリンの壁が崩壊して、東ドイツは西ドイツに統合され、ソヴィエト連邦は崩壊してロシアが大きく後退した。そういう激動の中、それを体感できる旅であった。ハンガリーはこの4か月前に第三共和国という共和制を樹立したばっかりの国だったが、国全体がエネルギーに満ちている感はなかった。ハンガリー人はマジャール系でつまりアジア系の民族と言われ、髪や瞳は黒い人が多い。それで静かな人が多い印象だった。我々は1990年2月15日、ブダペストからルーマニアの首都ブカレストに向けて夜行列車に乗り込んだのである。つづく
2022年03月29日
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↑シェーンブルン宮殿と32年前のわたくし。ほぼ今と同じエクステリア。チューリッヒは一泊もしなかったので、記憶もほぼ無く、ウィーンの記録から記す。2/10。ウィーン中央駅に着いて、すぐ近くの三つ星ホテルを一部屋一泊20ドルぐらいで2泊取った。1人一泊10ドルね。何しろ1日の予算は5000円だから、スーパーでパン買ったりマクドナルド行ったり、、夜だけは豪華?にウィンナーシュニッツェルとビールを大量に飲んだ記憶がある。ウィーンは、13世紀にハプスブルク家が都と定めた。19世紀に環状道路「リンク・シュトラーセ」を設けたという。このリンクの内側、ウィーン歴史地区に、この街の主な見どころが集まっている。ウィーンのシンボル、シュテファン大聖堂はとても大きく、黒く、威容を誇っていた。最も高い塔は、登るのが一苦労だったが、塔からはウィーン市内を一望することができる。この教会の地下には、ペストで死亡した4,000人の市民の遺骨が積みあがるカタコンベがある。日本人にとって、遺骨は目に触れてはいけない、忌み嫌う物体だと思うが、誰のもかれのもぐちゃぐちゃに全ての「人骨」が物凄い質量で「展示」ではないけど、通路沿いに普通に積み上がって外から見えている。衝撃だった。ベルヴェデーレ宮殿では、クリムトの名画などあるそう。行ったけど全く覚えていない。路面電車で20分ぐらい乗って、シェーンブルン宮殿に行ったのはよく覚えている。どこの博物館も、宮殿も、スチューデント証明書で大体無料だった。ハプスブルク家が、ヴェルサイユ宮殿を模して建てた離宮。女帝マリア・テレジアによって、内装は優美なロココ様式で統一され、両翼の端から端まで約180mもの威容になったという。広かった。鏡の間、というのが有名。部屋は全部で1441室もあり、そのうち45室のみ一般公開されているという。あまり覚えていないが、広大な庭園を進んで、丘を上ると、(上写真)イエローに彩られた宮殿の全景とウィーンの街並みが眼下に広がった。ここで一瞬「もうやり尽くした」感があったなあー。
2022年03月27日
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↑熱海で最も優れたレストラン。ハーバーズ・W。4/17の皐月賞に出走したいが、本賞金が2000万円に満たない馬の陣営にとっては、中2週のこの毎日杯で2着以内に入るのがラストチャンスとなる。2017年に毎日杯優勝から中2週で皐月賞を連勝したのがアルアイン。その他、1999年にテイエムオペラオーが毎日杯と皐月賞を連勝、キングカメハメハは毎日杯を勝った後、NHKマイル→ダービーを連勝し、変則2冠馬となった。毎日杯からクラシックを勝ったのはキズナ(ダービー)もいるが、ダノンシャンティもNHKマイルを優勝するなど中距離路線組にとっても重要な一戦となっている。あっさり勝つとすればコマンドラインではないだろうか?ホープフルSでは1番人気を裏切って12着に沈んだ。よく見ると最後直線で追い込みのスピードに乗ったところで、ルメールにしては珍しく進路が完全に塞がってしまって、行き場を失っている。しかし前が開いていても勝つまではどうだったか?5着ぐらいだったような気がする。ホープフルSはレベルがかなり低かったので、それで5着だった(だろう)としたら、どうなのかな?と疑問符は付く。しかし毎日杯のメンツは非常に小粒で弱いのであっさり迄あるのかな?とも思う。要するに半信半疑なのである。だからやっぱり勝つのはピースオブエイトと考える。この馬が毎日杯優勝からNHK杯に進む気がする。何故かと言うと、名前 が良いからである。時世に合っている。今は世界中がロシアが始めた侵略戦争が終われっ!と思っている。戦争の凄惨さもそうだが、資源高、穀物高から、物価が上がり過ぎているからだ。平和(ピース)が最優先なのである。しかし、この馬名はピース(スペルの違うPIECE、一個・一枚・小片などの意味。ワンピースのピース)のピースであり、平和のピースPEACE、ではない!などと突っ込まれそうだけど、馬名はカタカナ表記だから意味は平和!でも良いのである。本来の馬名意味は1枚で8倍の価値があるスペイン王国のフェリペ王が南米で鋳造した銀貨の名前、らしいのだが、ここでの意味はこの戦争の当事国と言える「8カ国(ロシア・ウクライナ・アメリカ・中国・ベラルーシ・ポーランド・モルドバ・トルコ)の平和」と捉えたいっ!ほとんど極限に苦しいこじつけだけど、ピースオブエイトの単勝で勝負したい。次。日経賞。簡単です。簡単なレースがやってきました。ラブリーデイはかつて5歳の6月から重賞を4連勝、最後は天皇賞秋を勝った。(実年齢は5歳6か月から10か月にかけてピークだった)この馬の全弟がボッケリーニで現在6歳であるが、生まれが4月なので実年齢は5歳11か月である。ラブリーデイ同様に、遅咲きのキングカメハメハ産駒がここから連勝街道をばく進するのが目に見えている。タイトルホルダーの方がほんの少し強いのかもしれないが、菊花賞を勝ったせいで57キロとボッケリーニより1キロ重い。2500mでこの1キロ負担増が効いて2着に敗れる。馬単でボッケリーニ→タイトルホルダー。目つぶってでも当たります。
2022年03月22日
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買っちゃったーーー。石膏像。。家にあると邪魔だなーー。ミニマリスト目指してるのに。反対にどんどんガラクタが増えて行く。。まあ欲しかったんだけどね。画家としては避けては通れない道。
2022年03月22日
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アテネ。1990年2月23日。私は現在までに下記の49の世界遺産を訪問している。(と、数えている)下記は、世界遺産の呼称であり、複数の地域・遺跡を1つの世界遺産として、まとめて呼称している場合もある。例えば沖縄のグスク、は首里城だけでなく全9城からなる。他にも例えば、富士山 は、富士山だけではなく、富士山本宮浅間神社や、山中湖、河口湖、三保の松原、など25エリアがまとめて登録されている。名前は富士山〜信仰の対象と芸術の源泉、という文化遺産なのである。そんな訳なので、一つでも行けばその世界遺産は行ったことにしている。その代わり同じ世界遺産で二箇所行っても世界遺産訪問箇所は1箇所としている。琉球王国のグスクは首里城と中グスクのみしか行っていない。中国の京杭大運河は、北京から杭州まで2500キロの運河が登録されたが蘇州の1キロぐらい遊覧船で乗っただけであるが、大運河に行ったのは間違い無いので、行ったことにしている。シルクロード〜長安ー天山回廊の交易路網、は中国、キルギス、カザフスタンの3カ国、全33遺跡が登録されているが、大雁塔、小雁塔しか行っていないけど、シルクロードという世界遺産にわたくしは行った、としている。とにかく、、1箇所でも行っていれば、その世界遺産に行った。と、して数えている。下記には日本国内の11か所も含んでいるので海外は38か所である。死ぬまでに何としても100世界遺産に行きたい!と思うのだ。日本 1 法隆寺 2 姫路城 3 古都京都の文化財 4 古都奈良の文化財 5 原爆ドーム 6 厳島神社 7 琉球王国のグスク 8 日光の社寺 9 富士山 10 ル・コルビュジエの建築作品 11 長崎と天草地方の潜伏キリシタン遺跡韓国 12 宗廟 13 昌徳宮 14 水原華城 15 南漢山城 16 朝鮮王陵中国 17 北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群 18 頤和園、北京の皇帝の庭園 19 天壇:北京の皇帝の廟壇 20 蘇州古典園林 21 明・清朝の皇帝陵墓群 22 中国大運河 23 秦始皇帝陵及び兵馬俑坑 24 シルクロード:長安-天山回廊の交易路網 25 龍門石窟 26 万里の長城マカオ 27 マカオ歴史地区エジプト 28 メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯 29古代都市テーベとその墓地遺跡 30カイロ歴史地区モロッコ 31テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン) 32フェス旧市街 33マラケシ旧市街アメリカ 34グランド・キャニオン国立公園メキシコ 35古代都市テオティワカン 36メキシコ・シティ歴史地区とソチミルコイタリア 37バチカン市国 38ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂オーストリア39 ウィーン歴史地区 40シェーンブルン宮殿と庭園群ギリシア 41 アテネのアクロポリストルコ 42イスタンブール歴史地域 ハンガリー 43ドナウ河岸、ブダ城地区 及びアンドラーシ通りを含むブダペストスペイン 44 古都トレド 45グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区 46セビージャの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館ポルトガル 47リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔フランス 48ヴェルサイユの宮殿と庭園 49パリのセーヌ河岸過去にこれらを訪問した記憶を辿りぼちぼちとアップしてみたい。1990年2月、私は21歳で初めて海外に出た。行き先はスイスのチューリッヒであった。チューリッヒに行きたかったのではなく、ただチューリッヒにIN、パリOUTの35日間オープンの、キャセイパシフィック航空、香港経由便のチケットがABロードで8万円ぐらいで売っていたからである。南回りでヨーロッパなんて今なら絶対無理だけど当時は価格が全てだった。初めての海外なので不安もあり文学部の友人Mとこのチケットを確かHISかどっかで買って、35日間で30万円という旅の予算を立てたのが12月ごろだった。30万円は飛行機込みだから、22万円で35日間の移動費、滞在費、食費、お土産など込みという予算だ。我々は欲張りなので、チューリッヒに入った後、陸路でオーストリアのウィーン、ハンガリーのブダペスト、ルーマニアのブカレスト、ブルガリアのソフィア、トルコのイスタンブール、空路でギリシアのアテネ、空路でエジプトのカイロとルクソール、空路でイタリアのローマ、空路でフランスのパリ、OUT、という10カ国の大旅行を企てた。今と違って、その中でVISAが必要な国は、ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・エジプトの4カ国だった気がする。このうちエジプトは、到着時に空港でアメリカドル10ドルでVISAが貰えると判明し、それ以外の3国の大使館に行ってVISAを貰うことにした。確かハンガリーとルーマニアは3000円ぐらいだったと思うが、ブルガリアだけは8,000円ぐらい取られて、更に3日後に取りに来いと言われるほど面倒だったと記憶する。上野かどっかで安い3500円の45Lザックを買い、にわかバックパッカーとなった我々は1990年の2月10日、成田空港からキャセイパシフィック、ボーイング747型機に乗り込んだのであった。。
2022年03月20日
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この拓本は或る高名な書家・篆刻家さまから譲って頂いたもの(購得)。調べたらたいそうな人物の妻の墓誌銘だった。長い中華の歴史の中で名君は誰か?という問いに必ず名前があがるのが、唐の太宗「李世民」である。その他、後漢の光武帝「劉秀」、北宋の太祖「趙巨胤」、清の聖祖「愛新覚羅玄燁」(康熙帝)等は、同様に必ずあがるらしい。同じく、中華最強は誰か!?という問いも目にする。三国志で有名な「関羽」、「張飛」の義兄弟コンビ、楚の覇王「項羽」、北魏の車輪眼「楊大眼」、抗金の英雄で万人敵こと「韓世忠」、救国の英雄「岳飛」などの名前がよくあがる。その最強を決める問いで先にあげた英雄たちに負けず劣らずの大豪傑が、「尉遅敬徳」うっちけいとく、である。敬徳 は、字名で本名は恭 きょう、という。敬徳の妻の蘇娬(そぶ、589年 - 613年)は、24歳の若さで亡くなり、鄂国公夫人を追贈された。この拓本は彼女の墓誌銘であり、李世民の墓である昭陵に陪葬された200人の中の1人である。尉遅敬徳(うっち けいとく、中国語 尉遲敬德、尉迟敬德 Yùchí Jìngdé、585年 - 658年11月26日)、尉遅恭(うっち きょう、尉遲恭、尉迟恭、Yùchí Gōng)は、中国の唐の軍人。 唐の統一に貢献した二十四功臣のひとり。 [経歴] 隋の儀同の尉遅羅迦の子として生まれた。 大業末年、高陽で従軍して、翟松柏・劉宝強らを討伐して功績を挙げ、朝散大夫となった。 ある時敵将が隋の皇帝の馬をこれ見よがしに乗っていた。李世民は部下に対し「誰かとるにやあらんか」と聞くと尉遲敬德はたったの2騎を連れて敵将を見事撃破し皇帝の馬を李世民に献上したという。また劉黒闥という武将が唐に反乱を起こした際に完全なる奇襲だったため李世民は完全に包囲されてしまい絶体絶命の危機に陥ったのだが、尉遲敬德はたちまちにその囲みを破り李世民の命を救ったというエピソードもある。たった1人で呂布や項羽や趙雲などの豪傑のエピソードを合体させたような武将である。唐代の多くの墓誌の4周に12支が刻されているが、昭陵博物館に現存する尉遲敬徳墓誌とその夫人の蘇氏墓誌の12支は、造型的にも、細工の技法的にも石刻芸術の珍品といえるらしい。確かにペルシャ絨毯と間違えるような細密な紋様である。
2022年03月20日
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DCやマーベルの映画は、あまりにも数が多いため、2019年ごろから一切見ない事にしていた。てっきりこの映画が話題になったころは、バットマンのブルース・ウェインに息子が出来て、その息子がバットマンを継いだ物語かと思っていた。そのぐらいDCには疎かった。まあとにかく、この映画は、バットマンの誕生から2年目を描いた全く新しい解釈の映画なんだということらしいので、見てみる事にした。ちなみに私はバットマン物は「ダークナイト」しか見ていないが、それでもこの映画は、まあまあ楽しめる内容になっていた。ただし、時々理解できない内容も多かった。アクションシーンは素晴らしく、特にバットマンの車が登場するシーンでは感動で泣く人もいるはず。。私が感じたのは、この映画はヒーロー物ではなく、これは一種のサイコ映画であり、「サイコ」(昔の1960年のヒッチコックの)、「ゾディアック」、「羊たちの沈黙」、「ケープ・フィアー」などに通じるし、映画全体の背景の印象は「ブレードランナー」に酷似している。雨のシーンが多く、4DXスクリーンは雨のシーンでは雨が、水が降ってくるし、バイクに乗れば風が吹いてくるし、エンジンが唸ればケツが振動する。だから他のことをあまり考えないで済む。ゴッザムシティはニューヨークの様でもあり、シカゴの様でもある。93点/誰もが楽しめる映画で3時間はあっという間だろう。
2022年03月18日
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パコ・デルガド、はカナリア諸島出身のスペイン人衣装デザイナー。この映画の衣装やアクセサリーは凄まじい。これまで、映画で最も衣装がすごいと思ったのは、アンタッチャブルのラルフローレンであり、当然のようにアカデミー衣装デザイン賞にノミネートされたが、ラストエンペラーに負けて取れなかった。この映画はアカデミー衣装デザイン賞を取るかもしれない。映画のストーリーは、まあ、あり得ないお話し。でもでも、まあエンターテイメントとしては面白い。ワンダー・ウーマンに主演している、イスラエル人女優の、 ガル・ガドット。スカーレット・ヨハンソンに似ている。テイラー・スウィフトにも似ている。。エマ・マッキーはエマ・ストーンに似ていて、名前と風貌が共に似ているから何が何だかわからなくなる。。92点!特に、わたくしは32年前、エジプトに8日間ぐらい行ったので、とても懐かしい。 上の写真で、ピラミッドに登り始めて、兵隊に笛吹かれて怒られたのだが、、こんなところで、映画の様に「凧揚げ」なんてしないし、出来ないと思うよ。下の写真は、「サッカラ」という地域の、ジュゼル 王の階段ピラミッドの近くだと思うが、遠くにギザのピラミッドが写っていて、その上空にUFOが写っている。この後、ルクソールまで、エジプトの飛行機で往復8000円ぐらいで行った。上空から見るとナイル川の両側にだけ緑があり、畑があり、あとは全て砂漠だった。。ルクソールでは、ホテルの部屋で蚊の大群に襲われて、500箇所は刺された。カルナック神殿は壮大で、考えられない規模だったなあ。ナイル川を船で渡って対岸に「ハトシェプスト葬祭殿」や「王家の谷」を見に行った。全部観光客向けに白タクが案内していて、交渉が面倒だったなあ。エジプトはこの映画では優雅な風に描かれているが、こんなに優雅に観光出来る国ではない。いまは分からないけどね。
2022年03月17日
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このアジの絵が上手いとは全く思っていない。しかし、15分で描いたとすればそんなに悪くは無いのではないか。この調子でいけば、釣ってもいない魚の魚拓を描くぐらいは出来そうだ。
2022年03月14日
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秋田県山本郡八峰町の酒蔵、山本酒造の生酒。素晴らしい。少し発泡系の酸味あり。素晴らしい。
2022年03月13日
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魚磯 は、伊豆高原の国道135号線沿いにある回転寿司店。熱海から行くとグランパル公園の交差点の約500m手前の左側にある、! トリ貝、カツオ、ブダイ、太刀魚。ブダイは生まれて初めて食べたけど、滋味深く美味しい魚だな。地物を使っていて、安価でかなり美味しい。生魚が得意ではない妻は干瓢巻きや茶碗蒸しやつみれ汁を飲んでいた。。 全体的にネタが大き目。イナダのネタの大きさが怖い。
2022年03月09日
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半分以上散っていた。。。2/28に来れば満開だったろうなあぁ〜。あと15年生きられるとして、河津桜を見られる回数は最大15回ぐらいか。。と。。思ったり。。
2022年03月09日
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ここは、稲取にある素戔嗚神社というそれほど大きくない神社である。118段飾り、588体の雛人形を毎日出し入れしているらしい。雨の日は出さないようだ。意地と執念の重労働、コロナ禍でそんなにお客さんは多くない。ご苦労様です。〜3/13
2022年03月09日
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史記 武帝記 全7巻 北方謙三の古代中国前漢時代を舞台とした歴史小説。頭の回転が悪く、遅読極まる私にとって7巻の小説は重たいが、割と惹かれながら読了。しかしなぜこの小説を読んでみようと思ったのか。定かではないが、三国志や水滸伝と比較して地味な時代のものだったので却って面白いかもと考えたし、秦の時代が崩壊し、劉邦が起こした国、前漢を良く知らなかったからかもしれない。。若いころに北方謙三のハードボイルド小説をいくつか読んだが、その後北方謙三は歴史小説の大家になり、日本史では特に南北朝時代と江戸時代の作品を書いていたようだが、その後北方謙三は中国史の「三国志」や「水滸伝」を描いて来た。本作品の主人公、武帝とは古代中国の前漢時代の第7代皇帝。劉徹(前141年~前87年)のこと。この小説は、劉徹の皇太子時代から死去迄の時代を、劉徹の視点だけではなく、側近の:桑弘羊や、漢の将軍:衛青、霍去病、大月氏に派遣された張騫、歴史家として名高い司馬遷、霍光、漢の将軍で匈奴に降った李陵、蘇武、それら取り巻く人々や、漢と敵対した匈奴の王:単于(ゼンウ)や匈奴の将軍の視点や語り口からも描く超壮大な物語である。惹き込まれる秀逸そのものの、名作中の名作。大将軍が、最初は10人将から100人将、500人、2000人を率いて、5000人、何万人を率いる様になるまでのリーダーシップ。匈奴と漢の大軍による激しい戦闘シーン。張騫や蘓武のサバイバル。男の友情。部下と上司の信頼・絆。親子の絆。人を育てるという事。官僚制度における昇進や左遷にまつわる嫉妬。悲喜こもごも。帝=皇帝の権威と近づき難さ、そして何よりも老いと死を見つめた小説である。武帝はじめ、衛青、霍去病、らが非常に若い時期から老いて死ぬまでの時期を克明に描いている。死の瞬間、その心境も素晴らしく劇的に書いている。そして死の恐怖と死ぬという事を見つめている。国の姿、経済、死、生の循環、そういう壮大な視点で展開する。テーマが詰まっている。これほど凄い小説があるだろうか?空想の小説ではなく、史実に沿っているこの点が凄い。本当に当時の人々がそう考えていたのではないか?こんな事が展開していたのではないか?と、そこにある様にストーリーが動いて行く。おそらくは李陵を書いた短編小説や、霍光を書いた小説もあるので、さまざまな資料を基に組み立てたのであろうが、このような超大作を書き上げる頭脳構造は正に天才の所業である。この物語で大きな役割を果たすのは、僅か13歳で武帝の持中となった桑弘羊である。彼は武帝の死(紀元前87)後、7年後に燕王の劉旦,上官桀らと謀反を起こして誅殺されるという史実がある。これを北方謙三は国の為に故意に謀反を企てたことにしている。この辺りの史実を知りたいのだが、知るすべは無いのであろう。極めて素晴らしい格調とエンターテイメントに富んだ小説であり、中国史に少しでも興味あればお勧めしたい。
2022年03月04日
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陸茶坊 りくちゃぼう函南町役場近くにある中華のお店。近くに駅は無い。昔、料理の鉄人に出演して陳建一に勝った、という事で有名。前から気になっていた。兵馬俑 の、よう 俑、が何体か店先にある。兵馬俑の本物は灰色というか、砂の色、黄土高原の色をしている。ココのは真っ黒に塗られている。中国の西安には等身大の兵馬俑のお土産もあるが、それを中国から持ってきた物ではないだろうと思う。因みに、もしも兵馬俑から発掘された本物の俑ならば一体1億円は下らないという。ハッキリ言って中華料理にはうるさい俺。一番美味しいなと思ったのは、ザーサイ 笑。あと椎茸のシュウマイ。サラダ。エビチリは普通かな。他の物も食べてみないと実力は分からない。また来よ。
2022年03月03日
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金子半之助の天丼は多分3回目ぐらい。以前は美味しいと思ったけど、今は美味しいとは思うものの、完食出来ない。なんか油っこすぎるのよ。胃袋の力が無くなったもんだ。。 松戸 つけ麺 富田このつけ麺も麺がうどん的で小麦の塊です。つけ汁も塩分15グラムは固いドロドロ汁で、冷静に考えるとこんな身体に悪い食べ物はない! 食べては駄目です。ま、妻は完食していたが。
2022年03月02日
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