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あかんっ!阪神優勝してまうっ!さて、緻密なデータに基ずく予想に定評があるねこまんまねこ氏だが、今回ばっかりは予想ではなく願望。テーオーロイヤル・菱田裕二騎手のG1初勝利に期待する。京都出身の菱田騎手は1992年生まれ。今年9月に30歳になる。競馬学校で1年留年し、横山和らと同期のはずが、中井と同期になった苦労人。これまで重賞はG3を5勝。平地の勝鞍は多いのだが、G2やG1の重賞はまだ未勝利。地味ながら着実に成長しており、そろそろ戴冠しても不思議ではない。菱田の4/14のコメント↓「追い切りにあと2回乗ることになると思うんですけど(※取材日4/14)、まずはそこをしっかりこなしたいです。しっかり準備をすれば、いい状態のメンタルで臨めると思うので、1mmでも成長した自分でレースに向かいたいです。かなり相手は強くなりますし、斤量も増えるので、その2点が勝つ上での壁になってくると思いますが、スタミナ面や折り合いは心配ありません。応援よろしくお願いします。」「勝つ上での壁になる」という発言が興味深い。慎重な菱田が「勝つ可能性は十分」という意味の発言をしている。もちろんタイトルホルダーとディープボンドを負かすのは至難だが、菱田のこの発言に懸けたい。今年の天皇賞は京都ではなくて阪神。また、5/1の大阪の天気はかなりの雨予報となっている。この辺りがポイント。特にタイトルホルダーは阪神3000mの菊花賞を勝っていて、コース実績がある。アイアンバローズは隠れた重馬場巧者だと思うので単勝まである。もしかして黙って1-18の馬連買えばいいのかも。
2022年04月30日
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お通し イカとふのり?だろうか さっぱりしてる。 鮮度が高いお造り 鯵の塩焼き 引き締まっている。 岩ガキ まるでミルク。 たいら貝を焼いて海苔で巻いて食べるというオリジナルおつまみ。贅沢〜。 酢の物。だったか。、 全体的に鮮度は抜群で、信頼できる。日本酒の種類も豊富。熱海では、定価がなく時価みたいな飲食店やバリバリの飲み屋さんでは、決してこの店がそうというわけではないが、二重価格が存在する可能性がある。そのため、私は敢えてお店の人に勤務先を明かすようにしている。
2022年04月29日
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久しぶりにもの凄い日本酒に出逢いましたわ。山形県鶴岡市にある「亀の井酒造」さんのお酒。この酒蔵は、くどき上手・くどき上手Jr(ジュニア)・ばくれん というブランドで酒造りをしている。創業は1875年(明治8年)。全商品の平均精米歩合が約46%の全量吟醸酒で完成度の高い酒質にこだわる、名実共に山形を代表する吟醸蔵。この「禁じ手」美山錦を11%まで精米した最高峰の純米大吟醸。で生詰。これはっ!? 何だっ?!?って味。甘くて、旨味の塊。といっても、十四代の純米大吟醸には勿論敵わないんだけど。相当凄いお酒。
2022年04月28日
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二男が大学3年になり、学校で就活ガイダンスがあったそう。で、強制的にマイナビ2024への登録をさせられたそう。それぐらいでよろしい!二男が就職したら私の子育ては一旦終了となる。はず。二男がLINEで「就活ってそもそも何なんだ?」「やりたい仕事考えて」「業種考えて」「会社調べて?」こんな感じ?「インターンとかって、3年の夏?」「風呂入ってきます笑」・・・。。。だと自分のときはどうだったかな。思い出せない。服が好きだったからアパレルの会社沢山受けて。素材の会社結構受けて。。野球の会社に入っちゃった。笑やりたい仕事、入りたい業界とか言う件だけど、なんとも言えん。会社なんて、どこも同じともいえる。例えば、シャンプー作ってる会社と、かっぱえびせん作ってる会社。ボールペン作ってる会社。殺虫剤作ってる会社、靴作ってる会社。売るものはそれぞれ違うが、販路を作ったり売る人は営業、調査とか宣伝とか価格を考えるのはマーケティング、原材料を仕入れる仕入れ担当の人も居れば、工場で生産管理してる人、作った製品の物流を考える人、人事、総務、経理、広報、も会社が違っても同じような職種の人が居るので。全てのメーカーは同じような仕事してる人がいると思う。だから業界による仕事の差はあまりないと思う。だが、明らかに、LINEとか、楽天とか、サイバーエージェントとかの、IT系は、仕事は異なる様な気がする。ちょっと忙しそうだし、毎日目が回りそう。消費者が普通に目にする製品を作る会社は、「有名」だから、学生が応募しやすい。例えば「ブリジストン」。ここは70人採用するとして、仮に7000枚エントリーシート来たら、名目100倍になっちゃう。だから就活難易度5.0。といっても、一人で色んな会社に50枚エントリーシート出したら、その人は1人しか入社出来ないのに、50倍の原因を作ってるから、実質倍率はそんなに高くないのかもしれない。2024入社の就活性が50万人いたとして、みんながESを50枚出してたら、ESが2500万人分提出されることになる。だから企業が50万人採用するのなら、平均倍率は50倍だけど実際の就職者は50万人だから実質1倍。50枚も出すからどの企業に出したか忘れる人も続出。面接には行っても志望度が低い学生も当然居る。それどころか、大学の就職課では「面接の練習の為にいくつか面接行け」と奨励しているから、面接に来る学生の中には全く入社する気が無い学生も居るので企業は時間の無駄をさせられているのである。
2022年04月27日
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日本料理・琉球料理「佐和」 は、沖縄の読谷村に所在する、日航ホテル アリビラ内にある和食レストラン。和食と言っても琉球和食という名で、主に沖縄食材が使われている和食レストラン。ご参考。
2022年04月25日
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このまぐろ丼は、こちらがもういいよと言うまでお店の人が漬けマグロを載せていくマグロ丼。これで1000円。採算は合うのだろうか。スジ筋が多いということもないまあまあ美味しいマグロなのに。。
2022年04月25日
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エジプトの遺跡を見て感じたのは、圧倒的な石の量、迫力。巨石の質感。何故4000年も5000年も前の人間がこのような巨石で精密な兼特や直線や芸術作品を作れたのか? カルナック神殿では広範囲に遺跡が広がっていた事はかすかに覚えている。しかし王家の谷やハトシェプスト葬祭殿の印象はほとんど残っていない。エジプトどころか、ルーブル美術館やコロッセオや、ヴェルサイユ宮殿の記憶もほぼ無い。 残っている旅の記憶は、旅の中でのトラブル、辛かった事、困難、事件、盗まれた事、そんな負の記憶が何故か鮮明に記憶に残ってる。しかも当時は辛くても今は笑えるような記憶になっている。メキシコでも、アメリカでも、スペインでもモロッコでも全部そうだ。カイロ空港からルクソールまでのエジプシャン航空の飛行機で出た機内食は、食パンみたいな形の茶色いとても固いパン一枚とマーガリンだけ、それとウソみたいな薄い紅茶が出された。凄かった。空港に着いて、どう市街地に行ったか覚えてないが、最初は貧乏旅行者にとっては超高級ホテルチェーンのノボテルで値段を訊いたけど、確か1泊一部屋4000円か5000円ぐらいな事を言われて、スゴスゴと退散し、次に1泊一部屋1500円ぐらいの安いホテルに決めて、ベッドだけども南京虫に刺される可能性があるから、日本から持参している薄い寝袋にくるまって寝た。夜中に、何かおかしいと起きると、顔中を蚊に刺されていて痒くて仕方ない。電気を付けると壁一面に黒い蚊の大群がとまっていた。何処から部屋に侵入してきたのかわからないが、蚊は恐らく3000匹はいた。我々は地球の歩き方というガイドブックを何冊かずつ手分けして持ってきていたので、その本を壁に叩きつけて、一回で蚊を30匹は殺した。これだっ、殲滅するしかない!と、蚊まみれ、血塗れの地球の歩き方を狂ったようにホテルの部屋の壁に100回以上叩きつけて、ほとんどの蚊を殺したが、まだ部屋には蚊が50匹はいると思われた。仕方なく寝袋を頭から被り口と鼻の周りだけを出して寝たが、朝、鼻と口の周りが大変な事になっていた。この記憶も今や笑える。翌日、我々はこの地獄のホテルを逃げ出して、一泊4000円のノボテルに戻って部屋を確保。荷物を預けてカルナック神殿を観光した。ルクソールからナイル川を渡し舟で渡った西側の、ナイル川左岸にはハトシェプスト葬祭殿やツタンカーメンの墓などが密集している王家の谷がある。午後はこの王家の谷周辺を集中して見て周り、ナイル川を再び船で戻ってきて、ルクソールの夜の街歩きをしている頃にはすっかりエジプト人みたいな気持ちになっていた。本当はアスワンまで行きたかったが、アスワンは遠すぎるのでルクソールで我慢した。
2022年04月25日
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1990年の2/24 アテネ国際空港からエジプトのカイロ国際空港までギリシャ国営のオリンピック航空で移動した。到着したのは夕刻で、10ドルで観光VISAを取得しているうちに夜になり、空港の出口には個人旅行者目当てのタクシーやら客引きやら、白タクやら、得体のしれない人々がワンサカと居て、何やら大声でわめいており、、少し恐怖を覚えた。しかし、現代とは異なり、携帯もインターネットも無い情報の乏しい時代。地球の歩き方に出ている安宿などは地図が間違っていたり閉店していたりもしばしばであった。我々のような昔の貧乏旅行者は客引きやタクシーを逆手に使って彼らから情報を得るしかないのであった。タクシーの運転手らしき人間を1人掴まえて「カイロ迄幾らか」訊く。彼は10ドルと答える。「それでは12ドル払うから我々を1泊1部屋10ドルで泊まれる宿に連れていけるか?」と訊く。彼は「もちろん行ける」と答える。これで交渉成立。カイロの街中であれば宿の場所なんてどこでも良いのだから。連れて行ける、と力強く答えたものの、運転手は何度か街の人にホテルの場所を訊いて、探し回ってようやく着いた感じだった。彼がホテルからコミッションを貰おうが貰うまいがそんなことは知ったことではない。我々は1泊1部屋10ドルしかかからないのだから、そうすれば1人700円で1泊出来るのだ。ホテルの小さなフロントには周囲に子供が何人か付きまとっていた。何故かと言うと、子供が荷物を持って部屋まで案内しようとしているからだった。一人の子供が我々のザックを抱えて階段を上がっていく。他の子どもが「アメリカドルで貰え!」と言った。我々から「アメリカドルでチップを貰え」と言っているのである。苦笑した。荷物を置いた子供はその場でじっとしていた。1ドル札を渡すと嬉しそうに受け取って駆け去った。半分はホテルに取られるに違いない。しかしこうしてエジプトの人間は若い時から観光客から搾り取ろうと、商魂逞しく育っていくのだ。この小さいホテルはカイロ考古学博物館からも近い場所にあり、5階にちょっとしたカフェがあって、ステラというビールも飲めて便利だった。イスラムの国は程度の差はあるが、アルコールが禁止されており、外国人向けのバーとか飲食店しかアルコールが飲めない国もある。翌2/25。とりあえずツタンカーメンのマスクを見るべくエジプト考古学博物館に行った。広い空間で「ツタンカーメンのマスクを見たな」という事ぐらいしか覚えていない。この博物館には全ての観光客が来るので、博物館前には無数のタクシーや白タクが客引きをしており、声を掛けて来た。つまり、クフ王のピラミッドなどのあるギザと階段ピラミッドのあるサッカラ、屈折ピラミッドのあるダハシュールを1日タクシーに乗せて観光して50ドル!とか言いながら寄ってくるわけだ。タクシーの方が多そうなので、40ドルか35ドルに値切ってみて、断られたらそのタクシーから離れて次の白タク、次の白タクと、値切り倒してやっと合意した白タクの運ちゃんに「翌日3/1の朝9時にホテルに来い」と言ってホテルの場所を教えて別れた。当時、観光都市には格安チケットを販売する小さな旅行代理店が密集しているエリアが必ずあって、それが地球の歩き方には書いてあって、我々はそこで各種チケットなどを探した。カイロからルクソールの往復を列車で行くか、安いチケットがあれば飛行機で行くか?と考えていたし、エジプトから出るために、カイロからローマの飛行機チケットも絶対に必要だった。運よくルクソール往復がエジプシャン航空で8000円ぐらいで買えて、アリタリア航空のカイロ発ローマ行きも13000円ぐらいで手に入った。もちろんルクソールや、ローマのホテルは行き当たりばったりだから宿の予約なんて出来ないけど、全く不安はなかった。。ところがルクソールではホテルで酷い目に遭ったのである。。翌日、白タクの運転手は迎えに来て、まずはギザ大地の3大ピラミッドとスフィンクスに向かった。砂漠の駐車場で、運転手は「待っているので45分で帰って来てくれ」と言った。我々はこの広大な遺跡を何分で回れるのかさっぱり見当がつかなかったし、スフィンクスだけでも大興奮して時間を要した。クフ王のピラミッドも登り始めて警察官?に注意されたりしながら、ようやくクフ王のピラミッド内部に入ると、中から出て来る観光客(ほとんどエジプト人で白人がちらほら={日本でも法隆寺や姫路城の来場者はほとんど日本人である})が頭から水を被ったように汗びっしょりで出て来るので一体どういう事なの?と思ったら、内部の通路を上に向かってかなり登ったところに「玄室」という王の棺のある部屋があるのだが、内部の熱気がこの通路を伝って上昇し、玄室に全ての熱が集まってしまい、「玄室」の温度は推定60度以上ある感じだった。本当に「人いきれ」の熱で暑かったし、エジプト人の修学旅行生みたいなのがわんさかと居て人間の体臭も絡み合ってとても臭かった。エジプトでは一応まだ冬なのに、夏になったらピラミッド内部の観光客はどうなるの?と思ったよ。疲れたので他のピラミッドはとても行けないなと思い駐車場に戻ったら1時間半ぐらい経過していた。運転手は「45分と言ったではないか!」と不機嫌そうだったが、せっかくピラミッド観光に来て時間制限されるなんてこっちこそ不機嫌になったので、日本語で「バカヤロウフザケンナヨテメー!」と言ったら少し静かになった。次にサッカラのジュセル王の階段ピラミッドを見に行った。墓の集中する場所をネクロポリスというのだが、北から南に、ギーザ、アブシール、サッカラ、ダハシュールというのがカイロ近郊のネクロポリスであり、ギザの3大ピラミッドが有名だけれども王のピラミッドはこの地域に25個以上あるのだ。ここでも「30分で帰って来い」みたいなことを言ってたが、ゆっくり見て回って50分後ぐらいに戻ったら運転手はまたしてもぶつぶつと不満を述べていた。次に運転手は頼みもしないのに我々を一軒のレストランに連れて行き、「ランチだ。美味しい。」とか言った。1人10ドルで美味しいとか言っている。昼ごはんに10ドル=1400円を使うのは予算オーバーだしそんなレストランに行きたくなかったが、砂漠で他に店も全く見当たらないので仕方ないなと入ってみた。そこは庭に花が咲いているガーデン付きのレストランでテラスで食事が出来る高級そうなレストランだった。当時のエジプトで10ドルの食事は高級と思われた。運転手は許可もしてないのに我々と一緒なテーブルに座り、一緒に食べようとしている。おそらく観光客を連れて来た白タクの運転手はタダで食べられるシステムなのだろうと思われた。エジプトの料理は全てが美味しくないので味は全く覚えていないが、クスクスの様な料理やチキンなど何皿か満腹するまで出て来たと思う。食事が終わって料金を支払う際に、我々は運転手に「お前も料金を払え」と言った。運転手は不思議そうな顔をしていたが、何度もキツく「払えよっ」と言ったので、運転手は紙幣をいくばくか支払って、「払ったぞっ」みたいに言っていた。本当にむかつく野郎だ。次にダハシュールという地域の屈折ピラミッドと赤いピラミッドというピラミッド群を見に行った。どちらもスネフェルという王様が作ったピラミッドである。スネフェルはピラミッドを5個も作ったと言われており、スネフェルの息子が世界最大のピラミッドを建造したクフである。カイロ近郊のピラミッド群を見終わって、白タクでカイロに帰る途中、市街に入ってからポスト=郵便局に寄ってくれと運転手に頼んだ。郵便局から国際電話でイタリアに電話してローマからパリの飛行機便のリコンファームをどうしても1週前までにする必要があったのだ。運転手は「POSTに寄るのは嫌だ」と言ったので、「それなら今日の35ドルは払わないぞ!」と言った。渋々運転手は1件の郵便局の前で車を停めた。POSTの電話は、家に電話の無いエジプト人もそれを使ってエジプト国内の電話に使うのですごく待たされそうな雰囲気だった。そこで、もう既に自分が考えていたよりも時間が押していた運転手がエジプト言葉で郵便局の係員にギャンギャン我々の順番を早めるように言ったらしく、順番を飛び越えて電話することが出来た。国際電話の料金だけでも結構かかったと思う。ホテルに着いた時に運転手に35ドルを払い、POSTに寄って順番を早めたことのチップとして5ドルを追加で渡したら、これまで不和だったのにこの日本人は何故最後に5ドルもくれたのか?と運転手は不思議そうな顔をしていたが、すぐにありがとう!と嬉しそうにしていた。約束以外の場所に立ち寄ったチップくらいは払うのだよ。次に我々はエジプト航空で、ルクソールの王家の谷・カルナック神殿に向かう。
2022年04月22日
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串かつでんがなは、ピザーラを運営しているフォーシーズという企業が運営している。味は普通だが、価格を抑えており信頼できる。昼間のビールは何故うまい??
2022年04月20日
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和福飯店は大井町駅徒歩3分にある、大陸系本格中華。久しぶりの来店。酸辣湯麺は美味しいけど本格的激辛度。950円。半チャーハン五目そばセットは700円。
2022年04月20日
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新宿に来たのは多分2年ぶり。アウェイ感満載で人混みがキツい。もはや都民ではなくなった。池袋に至っては5年は行ってないな。。マトリョーシカは、上野と新宿の2店舗のみの、ロシア料理の店。窓際の1人席を確保。 サラダとストロガノフと、壺焼き、つぼ焼きとは、シチューの器の蓋をパイ生地のパン?で包んで焼いたすーぷの一種、パイ生地を潰しながらシチューと食べる。全て水準以上で美味しく満足。場所柄もあるかもしれんが、私以外客は全部女性。。。若い1人客が多いが、中には年配の女性グループがしゃべくりやがってる。コロナは何処へ行った??東京の中では一等地的な場所で、これで1.111円はコストパフォーマンス良いのではないかな?日本の外食の値段は海外に比べたら安すぎる。しばらく行ってないがハワイなんかレストランの値段は驚異的に跳ね上がってるらしい。
2022年04月19日
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ヘンケル・トロッケン ドライ・セックHenkell Trocken Dry Sec は、世界100カ国に輸出されているドイツのスパークリングワイン。ドライ、というがほんの少しだけ甘いのだけれど、泡が細かくてコストパフォーマンスはとても良く、信頼できるワインだ。香りは弱いけど、クリーミーで、ちょっとだけイースト香もあり、少し複雑な香りが嬉しい。楽天で1200円から1500円ぐらいで買える。
2022年04月19日
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隣地に5階建ての賃貸マンションか建設される事になった、自宅は3階建てなのであまり嬉しい話ではない、まあ仕方ないのだが、施工の大和ハウスが、4/16に無断で私の土地を掘削し配管を埋設していた事を4/18に発見した。現場管理の東京本店の社員は、インターホンを鳴らしたが不在だったので、、と言った。大和ハウス工業株式会社といえば、超大手である。不動産大手の社員でも、末端の現場管理人ぐらいだと法律を知らないのだろうか?完全に違法行為である。不思議な話である。4/19.現場管理者に、誰の判断でやりましたか?施主さんは知ってるのか? と訊いた。私の判断です。施主様も知ってます。と答えた。なぜ許可無く他人の土地を掘削し配管を埋設したのか?よくぞやりましたね?違法行為ですよ。マスコミに大和ハウスに無断でこんなことされたと言ったら何社か来るかもしれませんよ。工期が遅れるのが嫌だったのか?私の自宅の建物幾らしたと思います。雨降ってたし、地盤が緩んで傾いたらどうしてくれます?と訊いた。静かに話している。脅したわけではなく事実と現実を述べた。家には基礎を10トン打設してるし重量鉄骨だから傾くわけないのだが、木造家屋だとしたらそういう可能性もある事してるよと教えてあげている。現場管理者は無言だった。申し訳ありませんと小さく言っていた、社名を書いているが、私にはフォロワーが数十人しか居ないからたまたま大したダメージではないが、何万人もフォロワーがいる人がこんな事書いたら大変なダメージになるよ。大和ハウス工業株式会社の少なくとも東京本店のトップの名で、社印を押印、施主の署名、印鑑も押印した連名の詫び状を書いてこいと伝えた。また、ただちに配管を除去し。土地を埋め戻すという念書を連名で提出することも要求した。金員を要求しているわけではない。上と相談して、、、とか言った。こういう事は口約束で終わらせてはいけない。多くの人はここまでやらないと思うが、あと後の事を考えて、事実を書類で残すのが重要である。2時間後に、明日全て元通りに原状回復させていただくと連絡あった。それは当たり前だが。詫び状は絶対に提出ですよと言った。早く作れっ。
2022年04月19日
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真鶴産のヒラメ刺身を生酒のアテにしようと楽しみに買ったら凄く不味かった。。季節が合わなかったのか??3歳牡馬戦線で現在トップ集団の中でも実績でトップ2を形成しているのがドウドュースとアスクビクターモアで、それに続くのがホープフル優勝のキラーアビリティだろう。経験が少なく実績としては威張れないが、勝ちっぷりなどから「大器」としての未知の魅力があるのがイクイノックス、ダノンベルーガ、デシエルトであろう。特にデシエルトはセレクトセールで2億7千万円税別という高値もハロー効果で人気を高めている。繰り返すが、後者は「先物買い」による人気で買われており、実績が伴っているわけではない。半面、前者の中ではアスクビクターモアは、ドウドュースに勝った唯一の馬なのにフロック扱いされていて、田辺ということもあり人気は伸びていない。ドウドュースは武豊なので人気。なお、京都2歳S勝ちのジャスティンロックは、明らかにスローで前残りの展開で、ビーアストニッシド(スプリングS優勝)やフィデルをまとめて差し切っている。隠れてはいるが、実績ではキラーアビリティクラスのトップ集団形成馬といえる。戸崎というのも人気にならない要因であり、中山で戸崎は有利なはずなのに、馬券に絡みそうな確率よりも明らかに人気が下回っている。馬券の鉄則は、3着までに来る確率も高いけど人気も高い馬(ドウドュースなど)よりは、確率が高い割には人気していない馬(アスクビクターモア・ジャスティンロック・キラーアビリティ)を馬券的には同等に扱って買うべきである。3着以内確率が不明な先物買いされている人気は高い馬(イクイノックス、ダノンベルーガ、デシエルト)は思い切って馬券対象から外すべきなんだけど、或いは少額に留めるか、或いはどれか一頭に絞るべきであろう。今回は16.18枠は不利なのでデシエルト・イクイノックスは外したいから買ってもダノンベルーガだけ。こういうレースはジャスティンロックの単勝、アスクビクターモアの単勝で、それぞれ24倍と13倍つくなら黙ってそれだけ買って見ているのが効率的。外れても痛くない。もし当てたいならば3連単2.4.6.122.4.6.12.12.4.6.12.148点で!
2022年04月15日
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この映画怖そーー。現段階で、勝つのはジャスティンロックではないかと考えている。弥生賞では川田騎手が明らかに脚を測った(皐月賞でどれだけの上がり3ハロン、上がり4ハロンを使えるかを試しに後ろから安全な大外を回して行った)節が見て取れた。それでも差のない4着に来ており、うまくインで立ち回ったドウドュースよりも長く走っているため差は無かった。 本番では戸崎が乗るようだが、マイナスはないだろう。ドウドュースは凱旋門賞に登録したそうだけど、そこまでの馬なのだろうか。凱旋門賞に行く馬は皐月賞で馬券圏内には居たいよなー。単純に。アスクビクターモアは外枠からロスのあった先行策でも押し切ったように底力もある印象。田辺騎手もやる気になってる。共同通信杯ではルメールが完璧なレース運びをしたジオグリフであったが、ダノンベルーガはあっさり交わして突き放していたように、ジオグリフがダノンベルーガを逆転することはない。ダノンベルーガはダービー狙いだろうけど注意は必要か。ルメールはイクイノックスに乗るようだが、この馬は何故ぶっつけになってしまったのか??しかもルメールのコメントに、勝つ自信あるが、もし負けても次は勝つ!って何なのだ?? ダービー向きって事なのか?デシエルトはパワー型で厳しいと思う。またホープフルステークスはタイムとか、レベルが低かったので、ホープフルステークス上位馬は優勝馬以外は軽視する。
2022年04月14日
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良い映画かそうでもない映画かといえば、良い映画だと思う。家族の物語であり、ふるさとの物語。英国の中でベルファストという街の位置づけを、日本でいえば、八戸市とか佐世保市みたいな感じだろうと考える、ロンドンからは距離的にも精神的にも遠い街なんだろう。今61才のケネス・ブラナーが7才の時の話しなんだろうか? 82点
2022年04月13日
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この頃の俺はポチャポチャしていて恥ずかしい。今でもポチャポチャしているが。。アテネは2月でも非常に暑かった。この写真からもわかるように、パルテノン神殿が建つアクロポリスの丘は、ギリシャの首都アテネの街の「ど真ん中」にあって、街のどこからでも、丘を目指して登って行けば到着する。道を間違えるとかそういう事は絶対にない。この当時はアクロポリスの入場料とかは無くて、無料だったと思うのだが、今は知らない。2009年に博物館が出来て、当然その入場料とかもかかるはず。昔は博物館とか説明書きは一切なく、勝手に観てくれ、2500年前の遺産でっせ~!と、あっけらかんに、世界遺産の神殿がそこにあり、普通に存在し過ぎていたし、勿体つける感が全くなかったのが清々しかった。アテネから65キロ南に、海に突き出した断崖の上にポセイドン神を祭った神殿があるスニオン岬という場所があり、夕日の沈む時刻には素晴らしい景観とのことで、午後2時ぐらいにどうやって行くのかな~とバスの広場でウロウロしていると、日本人の男性(多分30代半ばぐらい)が何か困ってるのかと声を掛けて来て下さって「スニオン行きたいけど、どのバス乗れば良いのかわからないんです」と言った。その男性は少し家族の方と相談したのか、「私たちも今日休みでどこに行く当てもなかったので久しぶりにスニオン行ってみるから君達を車で送ってあげる」と言って下さった。その日は日曜日だった。男性はコニカの社員でギリシャの駐在員だった。当時は、携帯電話が無いから、日本人は、旅行者であっても、現地在住者であっても、お互いに声掛けあって助け合ったり、情報交換したりしたものだ。旅行者でも日本人でザック背負ってれば男女問わず必ず情報交換したし、時間が有れば必ず一緒にご飯を食べたりは当たり前だった。そういうスタイルの旅行は無くなったのだろうか??コニカは、今やコニカミノルタになったけど、当時はどちらもカメラのフィルムのメーカーというイメージだった。男性は同年代の奥様と4才の娘さんと車に我々を乗せてスニオン岬まで行ってくれ、帰りはバスで帰るからと言っても、陽が沈んだら駐車場に来ればまたアテネまで送ってあげる と言ってくれて恐縮しきりだったが、バス停は長蛇の列だったから助かったーという気持ちだった。男性は、ギリシャの人の運転はかなり荒いけど、カイロの運転はもっと酷くてメチャクチャだよと言っていたが、後でカイロに行くとその通りメチャクチャだった。カイロの人々の運転は車線は守らないし、速度も守らないしそこらじゅうで事故が起きていた。アテネに戻って、ギリシャには名物料理、ムサカ、というのが有り、我々はムサカを食べることが目的でもあったのだが、それもそこらじゅうにムサカを食べさせるビストロみたいな店があって、ビールとワインと美味しいムサカが安く食えた。ムサカとは、グラタンの様な、ラザニアの様な、茄子やキノコが沢山入った、とにかく美味い代物だったので、二晩続けて、ムサカをガシガシ食い進み、酒を飲みアテネを堪能したのであった。
2022年04月13日
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アンビュランス は、マイケル・ベイ監督の2022年公開のアクション映画である。撮影はロスアンゼルス全域で行われている。マイケル・ベイ監督に加えて、ジェイク・ギレンホールが主役という点でも興味を持った。ジェイク・ギレンホールの1999年映画「遠い空の向こうに」は、私の永久不滅映画になっている。本当に素晴らしい!また「ミッション8ミニッツ」もSF映画として素晴らしい。原題では、AMBULANCE の LA の部分が赤字・太字になっていて。ロサンゼルスを強調している。マイケル・ベイはトランスフォーマーの監督として有名。この監督の映画は、現実離れしたストーリー、ド派手なアクションシーン、カーチェイス、有り得ない展開と途中で話が急展開を何度もする、という特徴があるそう。特に、アルマゲドン、はNASAが選ぶ最もリアリティーの無いSF映画に選ばれた。この映画も、銀行強盗の話しなんだけども、そもそも3200万ドルを銀行から強奪というから、約40億円もの現金を盗むのにあたり、逃走計画とかほとんど何にも無さそうな稚拙な強盗犯たちで、そのあたりから話しが全く有り得ない内容になっていた。とにかくもう逃走犯が救急車をジャックするのが目的の強盗になっていて、その後のカーチェイスやアクションシーンに持って行きたいそれだけの映画。内容が全くない。が、アクションがド派手なのでまあまあ許せるし面白い。82点出演は・エイザ・ゴンザレス・ジェイク・ギレンホール・ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世
2022年04月12日
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三浦透子=小池栄子年齢以外見分けがつかないほど似ている。好きな顔ではない。久し振りに観たスーパー・ナンジャコリハ?映画である。俺の3時間を返して欲しい。三浦透子は、RADWIMPSの洋次郎から天気の子の挿入歌「グランドエスケープ」という曲のボーカルに抜擢されたので、何かスペシャルなモノがある!と思って、昨年この映画を観ようと思っていたのだが、3時間と長いため、なかなか時間が合わずに見逃していた。そんでアカデミー賞の作品賞にノミネートされたもんだから、これはやっぱり絶対観なければならぬっ!と観てみたら、何のことはなくスーパーくだらない映画だった。主人公の家福がサーブ900を大事に15年も乗っているという理由が全く説明されていないし、岡田将生の車をわざと同じスウェーデンのボルボに合わせて来たのも何か気に食わない。映画というのは、観客を2時間の感動や非現実やファンタジーやワクワクする世界に誘うモノであるべき。作り手や見せ手の独りよがりはやめて欲しい。この映画はこんな深遠なテーマの芸術的な作品を創ってやってぜオラこれが君たちにわかるかな?的な感じがある。しかし「ハリー・ポッター」や「スパイダーマン」では作り手は絶対に、これ面白いですかね?売れますかね?と観客の反応を気にしながら作っている。観客を試したりはしない。映画と言うのは楽しいか面白いかは観客が評価するものであり、観客が試されるものであってはいけない。試された日本人はこの芸術性が分からないというと、芸術を解さない恥ずかしい人になってしまうから面白いとか素晴らしいとか反応してしまう。面白くないし全く理解できない。これまで多くの作品を観て来た私が言うのだから間違いない。こういうつまらない映画を芸術性が高いとか持ち上げるのがフランスという国なんだろうな。劇中劇なんて舞台でだけにしてくれ。見る価値無し! 70点。濱口竜介という監督はカメラワークにそこそこ技量がある様だ。例えば広島と青函連絡船の海面の使い方。車の後方の風景が過ぎ去っていく事で何かが遠ざかる感じ。ほかにも。
2022年04月11日
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↑ イスタンブールの世界遺産「アヤ・ソフィア」。1990年2/17午後、 ルーマニアのブカレストから、ブルガリアの首都ソフィアに向けて列車に乗った。指定席を取ったコンパートメントに同乗してきたのは、ブカレストで美術の大学教授をしている年配の男性とその奥様。とても上品な感じで、男性はネクタイを付けていた。ご夫婦は少し英語が話せて、イスタンブールに旅行に行くとのことだった。 教授は国内の内戦状態が終わり、日本人に会ったのが嬉しいらしく、ギターを取り出して歌を歌い、我々に自分で作ったという石膏のレリーフをくれた。レリーフには女神が彫られていた。我々に出会わなかったとしたら、レリーフをどうしようと思っていたのか?また、なぜギターを持って旅行していたのか?全く分からない。 夫婦は食べ物はあるか、と「肉とパンだ」と言って食べ物をくれたけれど、肉というのが、白くてどう考えても冷えた肉の生の脂身の塊で、パンもガチガチに硬く、不味くて臭くて食えた物ではなかったが、ご夫妻がニコニコして見ているので涙を堪えて呑み込んだ。申し訳ないが本当に不味かった。。ある程度お金持ちであろう教授夫妻でもルーマニアの食糧事情なのかと思い知った。 この列車はブカレストからソフィアを経由してイスタンブールまで行く長い時間走行する列車で、食堂車が付いているのを事前に知ってて、我々は楽しみにしていたので、教授夫婦には申し訳ないがトイレに行く様な感じで食堂車に行ってしっかり夕飯を食べた。 我々は深夜にソフィアで降りるが、教授夫妻はそのままイスタンブールまで行くので、3日後にグランドバザールの入り口で待ち合わせて、教授の知ってるお店で一緒にご飯を食べようと教授が言ってきて、地図を描いてくれ、16時に待ち合わせした。(しかし、結論から言うとイスタンブールのその時間、その場所にご夫婦は現れなかった。。)ソフィアに到着したのは夜遅くで、駅近くにホテルなど全く無くて、困ったのだけど、ソフィアの良い思い出は無く、観光も特に無かったので割愛する。ソフィアで一泊して、教授の乗った列車から一日遅れの列車に乗り、ソフィア中央駅から539キロ走ってイスタンブールのシルゲジという駅に2/20の午前到着した。パリからイスタンブールまで走る夜行特急の特別列車オリエント急行というのは、ワゴン・リーという会社が運行を始めたのだが、ようは、我々はオリエント急行の反対行きを途中から走って来たのだ。イスタンブールは坂の多い街だった。ほとんど覚えていないが、シルゲジから坂を少し上った辺りの、日本円で1人一泊600円ぐらいのホテルにすぐに決めた記憶がある。ここで2泊し、次はアテネに行く。腹が減っていたので、トルコ独特のケバブ料理の店で食べて満足した記憶がある。ソフィアに比べて格段に民主的で物が溢れている印象だった。この宿は「グランドバザール」にも「トプかプ宮殿」にも「アヤ・ソフィア」にも近くて便利だった。世界遺産が集中するガラタ橋の南側は旧市街であり、ガラタ橋の北側が新市街で発展しているらしいのだが、新市街には行かず、「ガラタ塔」まで行っただけであった。何日目か忘れたが、ガラタ橋のたもとの船上で売っている、有名な『サバサンド』を100円位で買って食べた。小型のフランスパンの中に焼いたサバと生オニオン、レタスのコンビネーションが絶妙である。4リラ也(240円)。まあまあ美味い。当時、大都市には格安チケットを販売する小さな旅行代理店が密集しているエリアが必ずあって、それが地球の歩き方には書いてあって、我々はそこで各種チケットなどを探していた。トルコからギリシャのアテネに行きたかったので、着いたその日にオリンピック航空のイスタンブール~アテネ、アテネ~カイロを買った。値段は忘れたが、アテネで2泊したあと、カイロに夜到着する便だった。夜到着には不安もあるが仕方なかった。昔はブルー・モスクと言ったが今は「スルタンアフメト・モスク」というらしいオスマン帝国時代に建設されたモスクと、昔はギリシャ正教の教会だったものをモスクに転用した「アヤ・ソフィア」(写真)、トプカプ宮殿、王立博物館は当然に見て回ったがあまり観光は覚えていない。記憶に残るのは現地の人との会話やイレギュラーな出来事ばかりである。グランドバザールの印象は強烈だった。迷路のように入り組んだ巨大なお土産屋街というか日用品も売っている巨大市場である。日本人の男は全員「空手の達人」だと思われていた。どこに行っても空手を教えてくれと言われ続ける。僕は柔道が出来るので、背負い投げを途中まで掛けて、相手の身体を背中で持ち上げてあげると非常に喜ぶ男性が多かった。わけわからん。グランドバザールで100ドルぐらいで革ジャンを買った。店員は必死にライターの火で商品の革ジャンバーをあぶってちゃんと革製だから溶けないアピール…。イスラムの国は羊を大量に食べるのでラムの革が沢山生産されている。日本からここまで着て来た白い綿の分厚いブルゾンは最後イスタンブールの安ホテルに置いてきました。
2022年04月11日
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品川中央公園 3/31 の桜単勝予想オッズは1 16 サークルオブライフ 3.02 18 ナミュール 3.13 6 ウォーターナビレラ 6.44 14 プレサージュリフト 12.25 10 ライラック 13.36 1 ナムラクレア 14.17 11 ラブリイユアアイズ 14.4 となっている。3歳牝馬限定の今までのレースで最もハイレベルだったのは阪神ジュベナイルフィリーズである。このレースで勝ちに行ったのがウォーターナビレラであり、サークルオブライフとラブリイユアアイズはやや展開が向いた。なお、ナミュールは2馬身出遅れてしまったが、ウォーターナビレラと差のない4着に入っており、出遅れていなければ勝っていたかもしれない。前哨戦のチューリップ賞では、ウォーターナビレラと、サークルオブライフは余裕残しの仕上げだったと思われ、上昇余地は大きい。対してナミュールは賞金も足りない可能性があり、目いっぱい勝負に来ていた。この3頭の力は抜けているような印象。 あとは追加登録料を後から200万円支払ってでも出走してきたライラック。福永が乗ってくるのも勝負がかり。この4頭の争いにピンハイの3着、または2着は十分考えられる。そんな当たり前の結論しか出てこないのが今年の桜花賞。
2022年04月08日
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↑ルーマニアの首都ブカレストの中心部。道路の真ん中に革命で犠牲になった人々の献花台がある。中東の街の様な、色が無い都市だった。ブダペストからルーマニア行の夜行列車に乗り込んだのは1990年2月15日だった。これよりほんの2か月前、ルーマニアでは革命が興り、1989年12/25に絶対的独裁者として君臨していたチャウシェスク夫妻が銃殺刑になっている。そんな場所に行って大丈夫なのかという不安もあったが、それより好奇心が10倍勝っていた。我々はブダペスト駅でこの夜行列車の指定席を買っていたが、自由席の車輌は凄まじい混雑で阿鼻叫喚、荷物の置き場も無い戦争状態になっていた。あー指定席買って良かった~!と思い、指定のコンパートメント(当時ヨーロッパの列車は車輌の片側が通路になっており、3人が向かい合わせの6人個室が通路に向けて並んでいる。通路との間にドアがある。)に行くと、そこは大荷物を抱えたルーマニア人の男性グループに占領されていた。チケットを見せてそこは我々の席だと言ってもニヤニヤしてて全くどかないし、荷物は網棚に満載してある。こういう時には日本語でブチ切れて喚くしかないと思い「オメーらふざけんなよっとっととどけバカヤロウッ」などと大声で怒鳴ったら年配の男性が「まあまあ」みたいに言ってきて他の男性に網棚の荷物をどけさせて席も空けさせて我々に座れ座れみたいに言っている。彼らの荷物は食料品や生活雑貨の類い。ワインや酒などだった。ルーマニア国内は革命の影響で物資が無く困窮を極めているようで、どうやら、彼らはルーマニアからハンガリー又はオーストリアに「商品の買い付け」に行って来た国境を跨ぐ商売人集団のようだった。国境で揉め事になって買いつけてきた商品が没収されるのを極端に恐れていた。私が怒りを大爆発させたために我々をなだめすかそうといきなりワインを2本開けて「飲め飲め」と私たちに差し出す。商品の缶詰なども開けて我々の機嫌を取ろうとしてくるので、そうですかそれではいただきまっか、と酒と肴を貰ってすっかり機嫌を治したのであった。通路からコンパートメントの中の荷物をじ~~っと見ながら歩いていくトルコ人が2人居た。ルーマニア商人たちは「あいつらはかっぱらいだから寝てはいけない。寝たら荷物が無くなる。」と言った。寝ては行けないって、あと何時間乗ると思ってんの?確かに彼らはずっと立って何か話したり煙草を吸ったり酒飲んだりしていて、眠りはしなかった。国境で軍人みたいなのが乗り込んできて検問に来た時には、自分たちの荷物を、この日本人の荷物だ!と言っていた。こんなに山の様な荷物を持ってルーマニアに行く日本人がいるかよ、と思ったが、我々は何も言わずに黙っていてやった。検問が終わると「お前たちのおかげで検問がスムーズに終わった」とまた酒をくれた。確かにトルコ人のかっぱらいグループは何度も通路をうろうろし、コンパートメントを除いていたので、我々は寝ない様にしていた。一度うつらうつらしていると、トルコ人が通路とのドアーを開けて個室に入ろうとしたので、ドアーの把手を思い切り蹴っ飛ばしてドアーを閉めてやった。もうすぐブカレストに到着する時に、トイレに行ったら、商売人の中の若い男が、俺に向かって言い難そうに小声で「チェンジ・マネー?」と言って来た。彼らは大量のドルやシリングを持っている、それは見ていた。いつでも、いくらでも外貨が欲しいのである。一応幾らだか訊いた。オフィシャルレートは1ドル=21レイだが、1ドル=80レイで両替する、お前はフレンドだから90レイで両替してやる。と言い難そうに若者は答えた。フレンズだから両替はやめておこう、と言ったら若者もその方がいいと思ったのか握手して別れた。ほかにも色んな国の人が乗った今までで最も不思議な列車だった。朝、ようやく列車はブカレストの駅に到着した。我々がホームに降りるより前に商売人集団はすごい勢いで荷物を担いで消えて行った。何故かはわからない。ホームを進むと人形やお皿みたいなお土産を売る人がわんさか寄って来た。その中に人相の悪いヒゲの男が「チェンジ・マネー?」と言って来た。闇両替である。他に闇両替を言ってくる人間はいなかったから、この男と交渉するしか無かった。商人の若者が1ドル=90レイなら交換すると言ったのを聞いてるから、1ドル=100レイで交換すると言ってやったら、駄目だと言っていたが、結局は追いかけて来てそのレートで両替した。公定レートの5倍のルーマニア・レイが手に入ってしまった。ブカレストには2泊した。安ホテルには一階に薄汚いカフェーがあり、朝食が付いていたが、その朝食のパンは固くてとても噛めなかった。パンは何日経ったらこんな鋼鉄の様に硬くなるのだろうと思われた。とてもじゃないが食える物ではなかった。今と違い、携帯電話なんて無いから情報が無い。食べ物がどこにも売ってないので、地球の歩き方に出ていた高級ホテル、インターコンチネンタルまでタクシーで行き、ホテルのレストランなら何か食えるだろうと、行ってみた。流石に超高級ホテルには身なりの良い外国人が沢山居て、Gパンの我々は奇異に見えるけど、そんなの関係なくレストランに入って行って、豪華な昼を食べたが、それでも両替した100レイ(140円)で足りた。タクシーはどこまで乗っても1ドル出せば運転手は喜んで乗せてくれた。中心街で、変なデブオヤジが声掛けてきた。俺はサッカーのナショナルチームに居た時日本に行ったから、日本が大好きだから、ブカレストの観光案内してあげるとか何とか。明らかに嘘だけど歩くのも面倒だからデブオヤジの車に乗り込んでみた。英語が話せてよく喋るオヤジだが、口が異常に臭かった。処刑されたチャウシェスクが建てていた巨大な宮殿?とか、色んな場所を案内してくれた。最後中心街で下される時、いよいよ、チップを少しくれないか?と言って来た。どうせそんなこったと思ったけど、確かに案内されたしガソリンも使っただろうと、俺たちは2ドル出した。そしたらオヤジは10ドルくれみたいな事を言った。俺たちは2ドルを引っ込めて5ドル札をシートに置いて急いで車を降りた。オヤジは運転席で何か言ってたが、もう振り返りもしなかった。700円であれだけ走らせれば安い観光タクシーがわりだった。夜もタクシーでインターコンチネンタルホテルに行って特大の分厚いステーキを食べて、ビールとワインを飲んでもやっぱり100レイしかしなかった。物価はどうなってんの?と思ったし、あんな硬いパンを一生懸命に食べてる市民は悲惨だった。今はルーマニアも裕福になったのだろうか。
2022年04月06日
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グラスに注いだらすぐリコリスやコーヒーリキュールなどの香りが立ち上がって来て、それらの香りが強く、香りだけでとても素晴らしいワインだと一発でわかる。酸味、タンニンは細やかで、アタックはそれほど強くないので、ボディとしてはミディアムだが、全てに、安心出来るでしゃばらない味覚の調和と、ナパバレーに相応のボリュームというか膨らみ、料理に負けないパワーがある、素晴らしい出来栄え。本日私はワイン5000本完飲を達成しました。、私がワインを飲み始めたのは、26歳で結婚して、江戸川区に住んでいた頃。はっきり言って江戸川区はほぼ千葉県。市川コルトンプラザでワインの豊富な店があり、良くそこで買って床下に収納したものです。ま、正確に言うと5000本のうち、妻が300本分を呑んでるかもしれませんが、、それでも、ワインを、人生で、5000本飲める人はそうザラには居ないと思いますし、ほとんど誰も私には追いつけない。このせいで? 健康を相当害してはいますが、健康と酒ロマンとどっちを取るかと言われれば答えは一つ!今後も孤高の未到達地点!ワイン10000本完飲目指して死ぬ気で呑みたいとおもいます!!味わった、ではなく 完飲 なので、飲み干した、なので、そこがお勉強してソムリエ資格とか取っただけの、アルコール耐性の無い人とは異なる。
2022年04月05日
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阪神が勝った。1勝しただけで、今年もしかして優勝するのではないかと本気で思ってる自分がやや不思議。1勝9敗なのに、優勝するかも?!と思ってる、、、それが筋金入りのタイガースファンなのだよ!兼松の輸入。兼松は昔は兼松江商という名門商社であった。そこが輸入してるんだからまあ間違いなさそう。少し甘いけど、泡も細かくてまあまあ飲みやすい
2022年04月05日
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馬振拝造像記(ばしんぱいぞうぞうき)龍門二十品の一つ。前の持ち主様が軸装になさっていた。この軸をするすると広げると、あら不思議、部屋の温度が下がり、部屋の空気が北魏時代になる。読み:邑子像。馬振拝。意味:邑子像。邑主である馬振拝。馬振拝造像記は、景明4年(503)、信仰団体の主である馬振拝と張子成ら許興族34人が皇帝のために石像一区を造ったことを記したもの。これが現存する、世界遺産 龍門石窟 を訪れた時のことは、カテゴリー海外旅行の中の、西安一人旅2019-3 に記してある。とにかく暑い日だった。
2022年04月05日
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