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式年遷宮の今年、一度はお伊勢参りに行かねばならない気がしてならなかった。新社殿も見てみたかったし。おそらく秋の遷宮後はとんでもない人出になるだろうから、今のうちに参拝しておこうと、暑いさ中に出かけた。参道はお祭りでもあるのかというくらい賑わっている・・・と思ったら、当日は式年遷宮の一環である神事が行われていた。どうりで・・・。新社殿の前あたりから、現在の社殿までは精霊に満ちている空気感だ。玉砂利を歩くだけで穢れが拭われていく感覚である。大島優子や前田敦子がお忍びで訪れることがあるらしいが、すれ違う人々にどんなに目を凝らしてもそれらしい人は見当たらず。残念。
2013年07月27日
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母がお掃除ロボット「ルンバ770」を購入。 初作動現場に立ち会った。ピポパ♪と電子音が鳴り、ウィーンという作動音で快活に動き出した。まるで部屋の中で幾何学模様を描くように、予測不可能な動き方をする。あっちへ行ったかと思いきや、こっちでグルグル回転したり。家具の下へ滑り込んで、見えなくなったかと思うとキチンと出てくる。ついついずっと目で追ってしまう。なんだか可愛い。ペット感覚だ。 その能力は、人が掃除機をかけるのには劣るが、想像以上の集塵力だ。価格だけの価値はある。玄関の三和土の段差を察知してギリギリのところで落ちないという優れもの。んー、「ルンバ」あなどりがたし! スケジュール機能を使って、今後は寝静まった夜中にお掃除するよう設定した。翌朝にはお掃除を終了して「ベース」に戻って充電している・・・という優れたペットである。ちょっとうらやましい。。。
2013年07月21日
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二十代の頃はよくパルコなどに出かけてブランド服を買っていたが、結婚して子供ができると、「汚れてもいい服」ということでユニクロが多くなった。ポールスミスやアバハウス、タケオキクチからユニクロへ。それはそれで低価格が魅力的だった。安くて丈夫。いつしかそれが服を選ぶ基準に変わっていた。 離婚して独りになり、子どもに服を汚されることも無くなったのに、ブランド服に戻ることはなかった。せいぜいユニクロからライトオンに変わったくらい。40代になると、さすがにライトオンは若すぎるということで、タカキューに変わったりしたが、そもそも衣服にお金をかける感覚を失っていた。被服費は年間で2万円前後で、そもそもあまり買わなくなった。 過日、一泊旅行に適した鞄が欲しくなり、アウトレット・パークに出かけた折、まずそこに来場している人々のファッションに怯んだ。オシャレなのだ。みなブランド服を身につけて颯爽と歩いている。カッコいい男性はよりカッコよく見え、女性はより美しく見える。品格を感じさせるのだ。無論、なかには服に負けている人もいて、着こなしによっては体型等ブランド服でカバーできない事実を目の当たりにもした。 良い服を着ていても、その人の人格までは分からないが、一種のコスプレと考えれば、オシャレを楽しむというのはお金をかけるだけの価値、趣味としての価値はあると思った。合気道やスキーにお金をかけるのと同じだろう。などと頭の中で理屈をこねつつ、じつにじつに久しぶりに、ふだん入ることのないブランド店へかなり気後れしつつ歩みを進めた。 Tシャツやシャツ一つをとっても上質なものはイイなと改めて感じた。素直にほしいと思ったし、こういうものを普段着にできる人になりたいと思った。 鞄はビームスで購入。この夏、また息子と娘と三人で旅行する予定なので楽しみだ。
2013年07月13日
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