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人生が終わった、と思った瞬間から起死回生するまで、四年に近い歳月が流れた。 その集大成のような出来事が、元夫の死であった。 凄絶な闘病生活は、健康であるわたしの身には想像をはるかに超えたものだった。 末期がんの彼は、細い管から送られるモルヒネでその痛みを緩和されていたのだ。 きっとその激痛から免れたいと、日々を送っていたに違いない。 自分が一日でも長生きすることが、元家族に償える唯一のできることだと信じて、彼は頑張った。 どんなに辛い病床に居ても、心はわたしや娘に馳せていたのだろうと思う。 諸事情で週末しか見舞えなかったのだけれど、そのわずかな時を首を長くして待っていてくれることに、またわたしが出きる唯一だと信じるのだった。 でも、やはり限られた命だった。 医師から余命宣告されたより、一年だけ多く生きて、この世を去って逝った。 きれいごとではすまされない。 一度は別れた相手である。 気持ちが素直に戻るまでには、わたしの中では人知れぬ多くの葛藤があった。 『死にいく者の勝ちじゃん』という気持ちを、中々拭い切れなかったのだ。 でも、闘病という生き様が、わたしを少しずつ変えてくれた。 死に水は取れなかったけれど、直前まで交信しあった携帯メールは、すっかり元の夫婦に戻っていた気がする。 「絶対に幸せにしますから」と、わたしの父に誓ってくれたのに、志半ばで旅立って逝った人。 その存在の重さを、今になって思い知らされているのだけれど、わたしは残された人生を、まだまだ楽しむ自由を満喫したいと思う。 そうすることが、彼への恩返しのような気がするから。
2005年12月25日
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わたしには、絶対に行けない場所がふたつある。 ひとつは、新婚以来二十数年住んでいた家があったところであり、もうひとつは、そこを追われて住んでいた狭いアパートである。 行こうと思えば、すぐにでも行ける場所にあるその二箇所に、いつになったら行けるのだろうかと思う。 あまりの現実が辛かったからなのか、原因はうまく説明がつかないのだけれど。 ひとつ目の家があった場所は、人手にわたった後建て替えられたらしい。 それを見てしまうと、心の中にある懐かしい風景のすべてが、崩れてしまう気がする。 今でも玄関を入って、左手の階段を上がったところの子供部屋とか、庭の赤い実を見事につけていた千両の木とか、駐車場のコンクリートの裂け目から覗いたスギナが頑固で抜けなかったこととか、そんな他愛のない思い出が浮かぶ。 次に住んだ2DKのアパートは、たった二年足らずしか居なかった。 そこで繰り広げられたシビアな人生の縮図を、現実から逃避したわたしを、どうしても認めることができない。 だから、わたしはこのふたつの場所へ足を向けられないのだ。 いつかは、きちんと正視しなくてはいけないと思いながら。
2005年12月22日
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この年になったら冬は寒いものと観念するが、子供の頃の冬は本当に寒かった。 わたしが生まれ育った中国地方の山間部も、例外なくとても寒かった。 現代のように環境が整っているわけではなく、暖房の手段はせいぜい掘り炬燵で、後年石油やガスストーブが出回るまでは、そんなものだったと記憶する。 手も足もシモヤケで赤く膨らみ、最後にはそこが崩れて痛い思いをしたものである。 その時の名残が、今もわたしの両手にしっかりと刻まれている。 小学校の三年生か四年生の頃。 父が知り合いに預けた自転車を、わたしは取りに行くよう言いつけられた。 正直、断りたいくらい寒い日の午後だった。 川沿いの堤防をとぼとぼと歩いているうちに、天候は急変し粉雪が寒風に舞い始めた。 雪道に自転車は恐いから、わたしは早足で辿り着き、大きな大人の自転車にまたがると、必死で家路を急ぐのだった。 でも冷たい向かい風にあおられて、全く前に進まない。 仕方なく自転車を押して歩いた。 歩いても、歩いても堤防は際限ないように感じられた。 終いには鼻水が涙に代わり、寒くて辛くて情けなかった。 だから、冬は嫌いなのよ、と大声で泣いた。 そんな記憶から、いつしか冬は苦手で大嫌いになっていた。 秋の終わり頃、わたしは本当に憂鬱になったものである。 冬が来なければ、と真剣に思うのだった。 この冬は、近年になく寒いらしい。 今朝の寒さに、わたしはふと幼い日を思い出した。 「お前はよく泣くなー。寒くて泣く子はお前だけだ」 と、大笑いをした父の顔が浮かんだ。
2005年12月18日
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この冬、手袋を二つ買った。 赤い手袋は友達の、紫の手袋は姉の誕生日のプレゼントに。 わたしには、喜んでもらえる自信がものすごくあった。 だって、二つともわたし自身が、大好きだったから。 買うときに、二人の顔が浮かんだ。 正しくは、二人がプレゼントを開封したときの嬉しそうな顔が浮かんだ。 誰かにプレゼントをしたいと思ったとき、本当に欲しいものが手に入ったなら、どんなに嬉しいだろう、と思う。 だからと言って、そんなにうまく行くとは限らないのだけれど。 友達からはメールで、姉からは電話でその嬉しいという気持ちは返ってきた。 本当に嬉しかったのは、わたしの方である。 やはり、プレゼントというものは、どこか自己満足なものなのだから。 来年は、また何をプレゼントしようかなーと、次の笑顔を思い描いた。
2005年12月08日
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