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横浜で待ち合わせて、本当に久しぶりに娘と三人でショッピングをした。 目的は、OL一年生の長女の、この時季に羽織るジャケットでも見立ててやろうと思ってのこと。 大学生の次女にも何か欲しい洋服があれば一緒に、と誘ってあった。 大体次女は、こういう何かメリットがないとついてこないのだ。 おしゃれのセンスと金額から、わたしはZARAだと思ったので、長女にメールを入れるとOKの返事が来た。 長女に白のジャケット、薄茶色のインナー用のタンクトップ、そして黒のパンツ。 次女は、傾向が少し違うのか黒のパンツだけで良いというので、それを購入。 わたしの頭の中には、次の行動は描いてあった。 どこかで食事をして、その後カラオケ(娘たちは大好きなのだ)でも良いかなーと。 でも、わたしはダイエット中で、夕飯を一緒には食べられないのだ。 そこで予めダイエット用の代用食を携行し、それをぼそぼそと食べるつもりでいた。 とりあえず、喉の渇きをビールでということで、ビアホールを選んだ。 スペアリブ、ナンピザ、フライドポテトと、ビールに合いそうな料理が運ばれてくる。 わたしは烏龍茶で乾杯し、その代用食をひたすらご馳走の前で食べた。 不味くはないし大量の水分を摂るので、直にお腹は膨れてきた。 目の前の料理は実に旨そうなのだが、少しも誘惑されない自分に驚いた。 いつものわたしだと、「ダイエットは明日から~」とばかりに飛びつくはずなのだが。 結局、小一時間の食事中、ほんのわずかも心が食べ物に動かなかった。 再三、娘達は悪魔のささやきで、わたしを食べ物へと誘うのだったが、本当に動かなかったのだ。 我ながらこれには感動し、「よっし今度こそ乗り切れる!」と実感したのはいうまでもない。 この夏、二の腕を披露できるかもしれない。 大好きなノースリーブから出た、少し細めの二の腕だ。
2005年05月31日
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今朝の体重(-1Kg)AM7:00計測 朝:バナナ2本(172kcal)、コーヒー 昼:(弁当屋さん)スパゲティナポリタン、焼きさつまみぞれ乗せ、 切り昆布の豆板醤炒め、赤しば漬け、車麩と野菜煮(682kcal) 夜:代用食(146kcal)、牛乳200cc(137kcal) 合計:1,137kcal(目安:1,200kcal) 本日:-63kcal
2005年05月31日
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本日の体重を0とする。(AM6:00計測) 朝:バナナ1本(86kcal)、牛乳200cc(137kcal) 昼:(弁当屋さん) のり弁当・茄子の天婦羅、 春雨とキュウリとキクラゲの酢の物、 ニンニクの芽と厚揚げに鶏ひき肉あんかけ、かに巻き卵、 干し椎茸の旨煮、蕗と油揚げの煮もの(798kcal) 夜:代用食(146kcal) 現在少し空腹感あり。眠る前に牛乳200cc(137kcal) 合計:1,304kcal (目安:1,200kcal) 本日:104kcalオーバー
2005年05月30日
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パソコン通信の世界に入って、今日で九年というお祝いメールが届いた。 振り返ってみれば、色んなことがあったなーと感慨も一入。 何より、ニフティのIDを取らなかったら出会えていない友人の、なんと多いことか……。 当時の夢は、高校三年間を楽しく過ごしたクラスメートをネットで繋ぐことだった。 でも悲しいかな、いまだに一部の人としか繋がっていない。 暇がない、覚えるのが面倒だ、今更デジタルじゃなくても…、アナログで十分だ、等など。 子供に優越感を持って教えられるわたしの唯一は、パソコンである。 あ、後いけばなもあったか……。 この二つだけは、尊敬の眼差しを感じることがあって、少し幸せな気分に浸れる。 今日から十年目に突入したわけだ。 何か足跡を残せたら良いなー、と思っているところ。
2005年05月29日
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ソファーにもたれかけていたら、次女がそばに座った。 そのまま身体をずらせて、わたしの膝を枕に眠り始めた。 「お風呂入って眠りなさい。あなたは睡眠不足なんだから」 わたしは思わず頭を撫でながら、やわらかく叱った。 「良いの、このままで。気持ちが良いから眠らせて」 「駄目よ。こんな寝方じゃ疲れが取れないわよ。お風呂は出来てるから」 「じゃ15分間だけ。そしたらお風呂に入るから起こして」 「駄目。じゃ5分だけね」 たちまち寝息を立てている。 そんな次女を見ていると、なんだかとても不憫になった。 学生とバイトと就職活動。 三足のわらじは確かに厳しいと思うし、可哀想だった。 でも、この山さえ乗り越えたら、彼女はものすごく人間が成長するだろうと、心を鬼にするのだけれど、その実はバイトの負担を軽くしてやれない現実が情けなかった。 元々食の細い次女は、失恋という痛手もあって心身ともに疲労していた。 気を紛らすために、ない時間をその癒しに充てるから、削るところは睡眠時間になってしまう。 このままでは早晩身体を壊してしまうだろう。 「バイトやめなさい」 生活はなんとかなるだろう、と口に出した。 ところが「やめない。大丈夫」と強情を張る。 でも、これはわたし譲りだから仕方がない。 どうか彼女が幸せになりますように。 わたしは、ずっと頭を撫でながら祈るだけだ。 「ねぇ、15分経ったよ。お風呂」 「うん。分かった」 ようやく起きて、風呂場へ消えた。 まだまだ問題は山積みで、我々はこの一年の辛抱にかかっている。
2005年05月29日
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イベントウォーク「船」コースに参加した。 元町・中華駅から山下公園へ出た。 潮風に髪をなびかせながら、久しぶりに氷川丸を眺めた。 いつ来て以来かなー。 もしかしたら、マリンルージュに乗って以来で、ざっと5~6年ぶりかもしれない。 辺りは折しも、ドラゴンボートレースの真っ最中で、鉦や太鼓が賑やかに鳴り響いていた。 公園のあちらこちらでは、チーム別にボート漕ぎの練習に余念が無い。 通りすがりのわたしにまで、力の入れようが伝わってくる。 何でも多額の賞金が出るらしい。 優勝を獲得したチームの人たちは、どのように使うのかなーと想像しただけで楽しくなった。 しばらく眺めて、山下公園の人ごみを通りぬけた。 次に入った日本郵船博物館は、中々見ごたえのある展示品の数々であった。 わたしは若い頃に船旅を経験していたので、すごく懐かしい気がした。 もちろん豪華な船旅ではないのだけれど、神戸港から香港までの10日間は、今でも忘れられない貴重な体験だ。 そんなことをとりとめもなく、ふと思い出させてくれた。 残るは、帆船日本丸である。 海と同じくらい船も大好きなので、桜木町で降りてはこの帆船は良く眺めるのだけれど……。 風を充分に孕んだ今日の帆船は、そのまま外海へ飛び出してしまいそうだった。 というより、きっとたまには出たいのだろうなーと思った。 だって、ずっとここに閉じ込められたままなのだもの。 今日のウォーキングの成果は、万歩計が作動しなかったので何歩か分からなかったが、 昼前の腹ごなしにはちょうど良かった。 参照ブログ:皆援隊(実はわたしの後姿も写ってました^^;) すべての帆(29枚)を広げた初代日本丸 山下公園内のはまなす(バラ科)
2005年05月29日
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イベントに参加するつもりで、時間を読んで仕度をしたつもりが、 結局、一時間勘違いして参加できなかった。 しかもたっぷり余裕を持って起きていただけに、がっかりである。 でも、そのお蔭で家事は完璧にできたので、まぁ良しとしよう。 その上、前から見たかった『ターミナル』も借りてきて見えたし…。
2005年05月28日
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わたしの好きなモノの中の筆頭は、実は珈琲だったりするのだけれども。 誰かさんには、いや違うだろ?筆頭は酒じゃないのか?などと揶揄されてしまいそう。 でも、やっぱり珈琲が一番なのかもしれない、と思うのだ。 わたしの珈琲入門は、亡き父の指南によるものであった。 父がパーコレーターなるものを購入し、我が家で珈琲を立てていたのは、まだわたしが小学生の頃だった。 今でも記憶の襞にしっかりと刻まれているのは、家庭訪問である。 先生は珍しい珈琲に気を取られ、最初の数分を覗いては、父の珈琲談義に耳を傾けていたし、その一杯の珈琲が出来上がるまでは、どんなに痺れが切れようと座を辞さなかったのである。 きっとそれほどに美味しかったのだろう。 わたしは大の珈琲好きであるけれど、インスタントコーヒーは好まない。 あれを飲むなら水の方がましであり、外出先で出された場合は、本当に泣きたくなる。 インスタントコーヒーは、全く別物の味がする気がするのは、わたしのわがままな偏見に過ぎないのだろうか。 それほどまでに、インスタントは好きではない。 最近完全にはまっているのが、下の二店で扱っている珈琲豆である。 我が家のコーヒーメーカーは、ミルつきでフィルターも要らない。 がーっと砕いたら、そのままその場所に水が入って珈琲となって下のビーカーに落ちる。 こんなに素晴らしい、手間隙のかからないコーヒーメーカーはもう十年以上の年季が入っているのだけれど、今では生産中止らしくどこにも売ってない。 簡単で美味しい珈琲がすぐ飲めるのに、どうして生産中止してしまったのだろうか? 不思議でたまらない。 最初にこの形式のコーヒーメーカーに出遭ったのは、さらに十年くらい遡る。 海外で見つけて使用していたフィリップ社製。 豆を放り込んで、がーっと回したら後はぶくぶくと終わるまで、知らん振りなのが何よりスグレモノだった。 で、帰国した後にやっと見つけたのが、東芝製の今使っているものだ。 途中ビーカーが壊れたり、部品をなくしたりしたのだけれど、在庫部品でなんとか供給できた。 でも、この先は無理だろう。 だって生産されてないのだから。 あ、スグレモノのコーヒーメーカーの話ではなくて。 本当に安くて香り高くて、美味しい珈琲豆です。 騙されたと思って、どうぞお試しください!!直火焙煎・しげとし珈琲【送料無料】お試しセット(500g)
2005年05月27日
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美味しかった。 もしかしたら、わたしって料理の天才? てな事を思って見たり。 昨日いただいた蕨は、油揚げと一緒に卵とじにしようと思ったけど。 冷蔵庫の中にはゴーヤとしいたけがあったから、ついつい一緒に炒めた。 味付けは、ひりひり辛。 調味料のベースは味噌で、オイスターソース、味醂に醤油に、豆板醤。 それからヒリヒリする唐辛子系のエトセトラをぶち込んで、さぁ召し上がれ。 ひりひり辛い系が大好物の次女は大喜び。 その上久しぶりの、家de夕飯だったのだから。 「七時半ごろ着くから、夕飯お願いね」 メールが入ったのは、わたしが家に着いて一息入れた時だった。 それなら何か腕によりをかけて作ろうかなーと、勢い込んでみたものの。 次女はものすごい少食なのだ。 長女は、なにやら友達と野球観戦に行くらしいし。 メニューは、冷奴と蕨の卵とじに後は茄子のピリ辛炒めかなー。 ところが、何気なく見始めたテレビに釘付けで、我に返った時には玄関のチャイムが鳴ってしまった。 うわぉー!どうしよう。 慌てふためいた後。 結果、十分足らずで食卓に並べたもの。 冷奴(浅葱、茗荷、生姜をトッピング)、辛子明太子、ゴーヤ、しいたけ、蕨のヒリヒリ辛炒めにキムチと相成った。 「ああ、美味しいなー。家で食べるご飯は久しぶりー」 「でも肉も魚もないねぇ」 「野菜だけのメニューって最高だよ。美味しいよー」 いつもは、超少食でがりがりの次女である。 わたしはその久々の食欲ぶりに、嬉しくなるのであった。
2005年05月27日
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職場の友人に、新鮮な蕨(わらび)をいただいた。 その蕨を手にして、わたしは遠く母との光景を思い浮かべていた。 この季節は、母も近所に住んでいた叔母も山菜取りに余念がなかった。 ワラビだのゼンマイだの蕗(フキ)だのが、山から消えるまで採り続けた。 収穫したそれらは、田舎を思い続ける都会の親戚や知人に送るために、保存食用に干したり、せっせと佃煮にするのだった。 当時のわたしは山の麓まで車で送り届けて、約束した時間に迎えに行くのが日課だった。 あまりの収穫に我を忘れ、約束の時間になっても山から下りて来ないということはしょっちゅうで、わたしは何度となくやきもきさせられたものである。 大きな袋を背中に背負った母と叔母は、いっこうに疲れを見せないばかりか、本当に嬉しそうな顔をして暮れかけた山から下りて来た。 顔を見てほっと安堵するわたしの気持ちなど、二人は全く意に介していないようだった。 それほどに山菜取りは、彼女らの貴重な楽しみの一つであったようだ。 わたしも何度か誘われて山に入ったことがあるけれど、道なき道を歩くので中々の強行軍であった。 時には斜面を登る我々の目の前を、蛇も恐れて逃げ惑い、挙句の果てにはぴゅーっと頭上を飛んで行くというハプニングにも遭遇し、蛇が大の苦手なわたしなどは、それを機に送迎だけに思いとどまった。 でも、どんなにぼろ布のように疲れ果てても、母は家に帰るやその収穫品を丁寧に手間隙かけて処理するのだった。 重労働であったにもかかわらず、人に喜んでもらえるという母の無償の行為は、実はとてつもなく贅沢な無常の喜びだったのかもしれない、と今思う。 誰かを喜ばせるため、喜んでもらうために一生懸命だった母の姿が、 時々ふり向いてはにっこりと笑う母の少し曲がった背中が、手にした蕨の向こうに一瞬垣間見えた気がした。 今夜は、蕨の卵とじだ。 今度は娘達の嬉しそうな顔が浮かんだ。
2005年05月26日
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せっかく休んで出向いたのに、 何度も、何度も聞いたのに、 それを否定した。 「絶対にそんなことはありませんから」 「でも、そういわれたんですけど」 「ありえません」 あまりに自信たっぷりなので、 そのまま帰ったのだけれど、 やはり間違っていた。 もう一度出向いていく派目になった。
2005年05月25日
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貧しい暮らしながらも、母親から学んだことが、今日のわたしの生活の知恵であり、基盤となっている。 二人の娘の躾などのほとんどが、その亡き母からの継承であった。 嫁いでしばらく経ったある日のこと。 食卓の汁わんが左側に置いてあった。 何かの間違いだろうと思わず右側に直した時、姑はわたしをたしなめた。 「あなたはこんなことも知らないの。汁わんは左側です」 「あのぉ、実家の母から教わったのは右なんですけど」 「いいえ。長い間我が家はこう置いてきました」 なんといっても、わたしより長く生きてきた姑のおっしゃることである。 わたしは承服しかねる思いを抑えてそこは引き下がったが、どうにも納得できなかった。 そんな時、親戚の面前でわたしの鼻を明かしてやろう、と少し意地悪な気持ちになったのか、姑は迂闊にもこの話をしてしまった。 「おばさん、彼女が正しいわよ」 親戚の人は、いとも簡単に姑の間違いを指摘したのであった。 その時の悔しそうにゆがんだ姑の顔が、今でも目に浮かぶのだけれど。 人は得てして踏襲し持続してきたことを、正しいことだと勘違いすることがある。 だから、一概に姑を責めるつもりはなかったのだけれど、わたしがこの件に固執したのは、実母の躾云々に至ったからであった。 わたしを貶したり罵ったりするのは良いとしても、その害が実母に及ぶ時、すごく悲しい気持ちになったものである。 という経緯もあり、どんなに貧しい食卓であっても、わたしは二人の娘達にその範を示した。 その甲斐あってか、今では二人とも黙っていても正しいテーブルのセッティングが出来るようになっていた。 これは実母のおかげであり、そしてまた間違った姑のおかげでもあった。 高が汁わんの位置の話であるけれど、わたしは貴重な体験をした、と今でも時々思い出す。 この話には、嫁姑の確執や思惑、そして様々なエピソードをはらんでいるからだろう。 今では妙に懐かしく、ほほえましくさえ思えるから、時の経過というものは不思議なものである。
2005年05月24日
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夕べ、長女の彼氏がやってきた。 「二日目のカレーって美味いんだよね。まだある?」 「ある、ある。すんごいたくさん作ったから困っていたのよ。食べて、食べて」 早速ご飯を炊いて振舞うと、 「お、甘くてまろやか。うんまいよー。二日も続けてお邪魔してすみません」 と言いながら、全部平らげてくれた。 カレーには目がないと言う。 「ただし、カレー以外は何もいらないから、一切作らないでくださいね」 と、事前に電話をもらっていたのだけれど。 実は、友人から送ってもらった『取れ取れの生しいたけ』が届いていた。 それを素朴な網焼きにして出した。 「これ、絶品です。美味い!」 予想通り、打つ、打つ、舌鼓。 しかし、塩を振っただけのしいたけは、本当に美味かったのだ。 次に『ゆず胡椒』でいただくと、また違った味わいでこれまた一同絶句。 新鮮な食材の、なんと贅沢なこと。 長女の彼氏はダイエット中なんだけどなー、と言いながら満面の笑みを残した。 「ダイエットは、明日から~」ですから。残念!
2005年05月24日
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ありがとう。 変なこと頼んでごめんね。 本当はものすごく恥ずかしかったんだけれど、 親ばか承知で、お願いしちゃった。 でも、ちゃんと電話をくれた。 それだけで、もう充分だから。 いつの間にか、お互い年を重ねたね。 今でも気分は高校生のままだけど、 子供たちはすでに恋愛適齢期。 今度会ったら積もる話聞いてね。
2005年05月23日
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『いつも花を飾りたい』は、大好きな高橋永順さんの著書である。 先日、グリーンアドバイザーをしている友人に、作品集や実際に見てきたイギリスの庭園の写真を見せてもらった。 この勉強を始めて八年になるのだという。 わたしは若い頃いけばなの世界にどっぷり浸かっていたので、目の前の友人の姿は、ある種の懐かしさや愛うしさをもって、わたしを再び花の世界へと誘ってくれた。 両親の元で大好きな花と関わることができた十数年の歳月は、今改めてわたしにとって最高の宝物であったことを教えてくれた。 そんな友人と会った後、なぜか花に関するサイトばかり覗くようになっていた。 そして偶然に見つけたのが、永順さんのブログと著書である。 いつも花を飾りたい( 著者: 高橋永順 | 出版社: 集英社 )高橋永順のダイアリー
2005年05月23日
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朝を抜くようになって、すでに長い年月が過ぎているのに、今朝は気持ちが悪くなるくらいの空腹感である。 そこへ珈琲を飲んだものだから、たちまち吐き気を催してきた。 通勤電車の中で文庫本を出してみたけれど、下を向くとかなりやばい。 一体何なのよー。 職場に着いてから、我慢しきれずにチョコレートを一粒口に入れた。 ようやく落ち着いた。 まるでツワリみたいだ。 長女を孕んだとき、こんな感じだったっけ。 通勤の電車が辛くて何度も途中下車をしては、乗り継いだ。 あの時は若かったから頑張れたんだなー、と意味もなく思い出している。
2005年05月23日
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先日、ダロワイヨのマカロンを食べた。 友人から「美味しいよ」って奨められていたので、ずっと気になっていた。 まん丸な形が可愛くて、なるほど…美味しかった。 ヴァニーユ、カフェ、ショコラ、ピスターシュ、フランボワーズ、シトロン、どれも美味しいけれど、わたしはカフェが好みかな? ダロワイヨ マカロン
2005年05月22日
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献立が決まらないまま、冷凍庫から牛肉と合挽き肉を出して解凍しておいたら、カレーが食べたいと長女が言った。 わたしのカレーは簡単すぎて申し訳ないのだけれど、長女の彼氏がそれならと夕方やって来た。 長時間じっくりと煮込む丁寧なカレーではない。 三十分もあれば、じゃがいもがほっこりと煮えて中々の味を醸し出す。 牛肉も合挽き肉も、ついでに冷蔵庫に残った野菜も全部放り込んだ。 そんなカレーを好んで食べてくれるから、わたしもつい嬉しくなってしまうのだ。 久しぶりに揃って食べると、やっぱり美味しいなー。 家族という、最高の調味料のおかげかな?
2005年05月22日
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今朝は目眩がして、いつもの時間には起きられなかった。 バイトに出かける次女を起して、そのまま眠ってしまった。 普段なら一度起きてしまうと眠れないのに、やはり不調のようだ。 それでも次女が出かける姿は、玄関で見送った。 長女は彼氏のところだし、久しぶりにのーんびりな日曜日。 おにぎりを三個握って、珈琲を入れた。 ロッキングチェアーにもたれたまま、ずっと『のだめカンタービレ』にふけっている。 少しずつ身体が充電されている気がしてきた。 日曜日の午後は、こうして過ごすに限る。 今夜は、久々に三人が揃いそうだ。 何か美味いものでも作ってあげようかなー。
2005年05月22日
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台所で後片付けをしていると、ほとばしる水道の音にかき消されながら、背中で掃除機の音がした。 ずっとわたしの仕事だと思っていたけど、長女がかけてくれている。 ここのところ、身体の不調を訴えたからだろうか。 「母さん、片付けが終わったら散歩に行こうね」 「散歩?」 「うん。運動不足で身体がなまっているんでしょう?だから」 「そうね」 五月晴れと爽やかな緑の風、散歩も悪くない。 遅い朝食に食べた炒めビーフンの皿を、手早く片付けて財布だけを持って外に出た。 散歩と言いながら、実は買い物がてらなのであった。 日用品が何点か切れていて、それらをメモして持った。 ごく最近二人で嵌った『のだめカンタービレ』の二巻から十一巻をまとめて購入し、百均とマツキヨで日用品を補充した。 春には満開の桜を楽しませてくれた並木道が、今は青葉で鬱蒼としている。 見上げると、枝葉の隙間から真っ青な空が見えた。 「いいねぇ、この桜。花も良かったけど、この緑の下を通ると元気になるねぇ」 「いい、いい。中々のものだよ」 長女の両手には、メモのとおりに買った品物がずっしりと重そうだ。 「ねぇ、持とうかって聞いてくれないの?」 「だって、聞いてもどうせ大丈夫って言うでしょう?だから」 「そりゃそう言うけど、聞いてくれたら気分が違うじゃない?」 他愛も無い会話で、ぶらぶらと歩いた。 最近長女と休日を過ごすことが多くなった。 こんな些細なことがそこはかとなく嬉しかったりするけれど、ずっと後になったらもっと懐かしくて、心がほっこりするに違いない。 肌に心地よい緑の風を、思い切り吸い込んだ。 もうすっかり初夏の匂いがした。
2005年05月21日
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ちょっと、変だった。 なんだか、さわさわして、胸騒ぎ。 目を閉じると、大きな二重まぶたが一個だけ見えた。 多分、女性の左目だな。 それ以上、見たくないから目を開けた。 真っ暗な闇。 ううん。 少し違うかな。 廊下の灯りが、一条の光となって入りこんでいたから薄闇だった。 目を凝らしてみると、寝室の中がぼんやりと見えた。 現実の世界は、眠る前と変わらなかった。 もう一度、目を閉じた。 顔も見ようと思ったけど、相変わらず片方だけの目が見えた。 少し恐くなって、飛び起きた。 電気をつけてうつらうつらしていたら、朝が来た。 目を閉じても、もう何も見えなくなった。 オレンジ色をした陽の光が、まぶた越しに見えた。
2005年05月20日
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やっと叶った。 やっと撮れた。 空に向かってまっすぐに伸びたメタセコイヤ。
2005年05月20日
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今朝の青空が、あまりに澄んでいてきれいだから。 メタセコイヤの新緑と一緒に撮ろうと、しゃがんで下から思いきり空を仰いだ。 デジカメの縦のフレームに、空へと伸びるメタセコイヤをいれてシャッターを切ったのに。 撮れなかった。 バッテリー切れの表示が、むなしくチコンチコンと点滅している。 全く、肝心なときに役立たずなデジカメ……。 というか、いつも間の悪いわたし。 電池の予備をいつもは持っているのに、交換したばかりだったから。
2005年05月19日
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別れた夫から届くメールの返事に、いつも戸惑っている。 今の気持ちをどう伝えれば良いのか分からないから。 戸籍上は他人だけれど、子供たちにはかけがえのない父親。 そして二十数年間の、夫婦としてつむいだ歴史。 憎しみや怒りが解けた今、わたしはものすごく気恥ずかしい。 それは子供たちに対してだったり、周囲の人々にだったり、何より彼に対しても。 だから、少しも素直になれないし、また何かが始まるわけでもない。 ただ。 病状の報告や近況のメールが毎日届く。 その返事に、わたしは困っている。 言葉が出てこない。 病魔と闘い、苦しむ姿を見た以上、放っておくことができないけど。 『調子が良いなら素直に嬉しいです。お義母さんと二人で大変ならいつでも行きますよ。わたし達の結婚生活を振り返ってみると、なんだったのかなーって思うけど、今はようやく色んなことが氷解した気がしています。それぞれが大変だものね。ただ怨んでも怒ってみても、すべて過去になっちゃったてこと。少しでも快方へ向かうことを祈っています』 何度も読み返して、エイとばかりにメールを送った。
2005年05月18日
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最近、頻繁に耳にする言葉に『がっつり』というのがある。 わたしには、どうにも馴染めなくて意味不明だった。 それで、ネット検索してみたところ。 ≪がっつり≫ しっかり。たっぷり。思いきり。ガッツリ。〔北海道出身のラジオ DJ やまだひさし が地元の方言を用いたことから広まったとする説がある〕goo辞書より引用。 なのだそうである。 世の中の進歩(後退?)と共に、どんどん新語が生まれる。 それはそれで良いのだろうと思うけれど、いつまでも馴染めない。 いえ。馴染みたくないのである。 意固地で頑固なわたしの、ささやかな抵抗なのかもしれない。 でも耳障りに聞こえる本当の理由は、飽きるくらいに誰も彼もが使うからだ。 テレビをつければ、芸能人がタレントが……。 だから聞き飽きて耳障りなのだ。 最近職場に入った二十歳の女性は、「とか」を乱用する。 それってまるで他人の立場のような話し方で、やはり耳障り。 わたしに言わせると、日本語の語彙がなさ過ぎるゆえんだろう。 本来の日本語の持つ美しさや味わい、そして奥ゆかしさ等を、どうにかして伝えたいものである。 『言葉の日』にちなんで…
2005年05月18日
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近隣の方々はもちろん、遠方の方々も大歓迎です!潮風に髪をなびかせながら、こんなイベントウォークに参加しませんか?車からでも電車からでもない目線での、新しい横浜を発見できますよ。イベント参加方法は下記の通りです。『横浜 開港・環境 イベントウォーク』から、抜粋しました。 詳細等、直接お問い合わせくださいね。****************************「開港」「環境」をテーマにしたイベントウォーク!!各イベント共、お問い合わせ・お申し込みはいずれの方法でもOK ●電話:045-441-3048 ●FAX:045-441-3058 または 045-771-6932 ●メール:info@machinet.org または Port150y@yahoo.co.jp■5/28(土)平和の木の植樹 ◆フェリス緑園キャンパス◆ 戦争で亡くなった人のために世界中を歩いて植樹をしている ポールコールマンさんと一緒に歩いて、記念の木を植えませんか。■5/29(日)イベントウォーク「船」コース 船・船・船の船三昧。船に関する施設やイベント、 ドラゴンボートレース、日本丸総帆展帆などを見て歩きます。■5/29(日)環境シンポジウム ◆横浜市教育文化センター◆ 基調講演に C.W.ニコルさん(C.W.ニコルアファンの森財団) パネルディスカッション司会に 小黒一三さん(ソトコト編集長) パネラーに、小田原健さん(森世紀工房親方) ナリンC・アドバニさん(横浜ムンバイ友好委員会事務局長) 本間慎さん(フェリス女学院大学長)をお迎えして楽しいお話を。■6/1,2(水,木・開港の日)イベントウォーク「開港」コース 横浜は「はじめて」尽くし。開港にちなんだ記念碑を巡ったり、 スケッチをするのに適したポイントなどをご紹介。 建築やまちづくり、スケッチの専門家と一緒に のんびりと歩きましょう。 ■6/4(土)グリーンマップ調査隊 ◆みなとみらい地区◆ グリーンマップを一緒に作りませんか!■6/5(日・環境の日)イベントウォーク「環境」コース 横浜の「環境」を感じることができるコースを歩きます。 本格的ロングコースと、ショートののんびりコースがあります。■6/11(土)イベントウォーク「夜景」コース 横浜は夕景・夜景が美しい街。 ちょうど出港する客船を見て、ロイヤルウイングに乗船して、 横浜の街の成り立ちなどをお話します。*****************************
2005年05月17日
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天気予報を見ていたら、今朝の富士山が映っていた。 慌ててブラインドを上げて外を見た。 久しぶりに、富士山がくっきりと見えた。 なんだか良い事がありそうな、そんな気分。 富士山に向かって手を合わせた。 昨日までの、あの身体の痛みは失せている。 良い事は、きっとこれだな。感謝。
2005年05月16日
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トップの画像を変えてみた。 見上げた空との間を、折り重なった木瓜や緑が、なんだか小紋の柄みたい。
2005年05月15日
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「一体どうしたの?家事の手抜きなんて母さんらしくないじゃない。家事は趣味だったでしょう?」 そう言って、長女はせわしなく掃除機をかけてくれた。 わたしはその間中、ベッドに突っ伏していた。 なるべく身体に負担をかけないようにそっと動かすのだけれど、うまく寝返りも打てなくて、ひーひー悲鳴をあげた。 それなのに。 「ちゃんと埃は拭ってくれた?隅々まできちんと掃除機をかけてくれたの?」 と、人にさせておいて口うるさいのだった。 その時、わたしは思い当たった。 亡き母のことだ。 そうか、母もこういうことだったのか……。 母は、ある日突然、家事をしなくなった。 丁寧できちんとしていた母を解せなくて、ものすごい憤りを覚えたことがあった。 昨日までの母が急にそうでなくなったことに、なんだか許しがたい思いがしたのだ。 それからの母は、父に対して口うるさくなったし、ぶつぶつと人が変わったように、不平ばかりを吐いていたっけ。 思い返せば、きっと今のわたしのように、身体が痛かったに違いない。 理由も無く、ただ痛む身体のことなど、周囲に分かるはずがなかった。 元気が売り物だった母と、今のわたしがわずか重なった。 そうか。 人が通る道なのか。 少し気分が明るくなった。 思い切りだらだらとしたら、元気が戻ってきた。
2005年05月14日
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いろんなことを覚悟したら、気持ちはずっと楽になったけど。 肩こりというか、身体の痛みがものすごい。 首筋から両肩を襲うこの激痛。 なんだか切ないなー。 これがいわゆる、女の卒業式なのかしら。 まだまだ、卒業するつもりはないんだけれどねぇ。
2005年05月13日
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わたしが一番好きなこと。 それは日々の家事。 でも最近は、それらがものすごく億劫になった。 なんだか腹立たしい気持ちになったり、苛立ったり。 丁寧に埃を拭った後で飲む一杯の珈琲の味。 至福だったのに。
2005年05月12日
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運動不足の日々。 こんなイベントを見つけたのでご案内&参加します。 以下は『横浜 開港・環境 イベントウォーク』より冒頭部分からの抜粋です。*****************************************************● 横浜開港150周年 6月2日は、1859年の日米修好通商条約で定められた「開港の日」 ライブやバザー、花火など、様々なイベントが開催されます。 開港150周年になる2009年に向けて、市民が横浜を盛り上げます。 ●● 環境元年 環境をまじめに考えよう! 6月5日は国際人間環境会議で定めた「環境の日」6月は環境月間。 今年は、京都議定書発効…横浜はG30(ゴミゼロ)本格化…●●● 葦船を「環境」のシンボルに! 2005年5月8日、葦で作られた船が高知・土佐清水港を出港。 黒潮に乗って5月末に伊豆諸島に漂着・・・ 「環境」のシンボルとして、葦船を横浜港に誘致しよう!●●●● 「開港」「環境」をテーマにしたイベントウォーク 「開港」「環境」に関連したイベントや施設を専門家とウォーク。 一番身近な「環境」=「健康」のために楽しみながら歩け!歩け!■■■現在、参加募集中の、申込みが必要なイベント■■■・5/28(土)ポールコールマンと平和の木の植樹・5/29(日)環境シンポジウム (先着400名)・5/29(日)イベントウォーク 「船」コース・6/2(木・開港の日)イベントウォーク 「開港」コース・6/4(土)グリーンマップ調査隊・6/5(日・環境の日)イベントウォーク 「環境」コース・6/11(土)イベントウォーク 「夜景」コース ****************************************************** 詳しくは下をクリックしてね。 横浜 開港・環境 イベントウォーク
2005年05月11日
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今日は、三つ違いの(正確には二歳と三ヶ月)妹の誕生日。 名前は、薫子。 五月生まれにふさわしい名前である。 彼女が大学を卒業して結婚するくらいまでは、ものすごく仲良しだったのに、 今では姉妹の中で一番険悪な関係になってしまった。 そうなった理由は様々あるけれど、それとて互いが抱えている家庭の事情なのだから仕方がない。 ずっと長い間、些細なプレゼントを交換したり、 何もしない時は、せめて電話でお祝いを言いあったものである。 大学生活を都会で送っていた彼女からのプレゼントは、 いつも目新しくてファンシーだった。 そんな彼女がある日こう言った。 「我が家は誕生日に重きを置いてないので、もう電話はいらないから」 と、実に素っ気なく。 一抹の寂しさを覚えながらも、わたしは頷いた。 姉妹といえども、それぞれなのだから仕方がない。 でも、誕生日にはこうして、妹のことを思い出す。 元気で幸せでいれば良いなーと。
2005年05月10日
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久しぶりに会った友人と、小部屋で盛り上がった。 小部屋は純和風でホリコタツスタイルだった。 四人も入れば、きゅうきゅうするくらいの狭さなのだけれど、定員は四人だとか。 二人で差し向えば、つい妖しげな雰囲気になりそうなくらい席は接近している。 最近の外出はほとんど着物だというRさんに合わせて、本当に久々にわたしも着物姿だ。 着慣れてないので仕上がったときは汗だくだくで、甚だ落ち着かない。 帯が気になり、着崩れが気になり、途中で引き返してしまいたいくらい。 それでも出掛けに 「いつも真っ黒けな洋服より、少しましかもね」 という長女の言葉に助けられ、居直ることにした。 その小部屋の丸窓を背景のRさん。 縞模様の紡ぎが実によく似合って、素敵である。 さりげない着こなしが感じられ、短時間によくぞここまで、とわたしはいつも感心しているのだ。 「紫苑さんのスタイルは娼婦だよ。黒って男をそそる色なんだから。そのワンレンのヘアースタイルも真っ赤な口紅もすべて、娼婦のアイテムだ」 と、Rさん。 「えー!そんな風に思って黒じゃないけど。ずっと若いときから黒が好きで…」 「いいかげん自覚しなよ。自覚したらまた違った展開が訪れるから」 すると横からKさんが続ける。 「そうなんだよね。下着も黒でしょう?」 「もちろんそうだけど。でも誰も誘ってないけどなー」 色の中には、そんな潜在意識があるのか……。 いや、あるにはあるだろうと想像はつくけれど。 二十代からひたすら、黒と赤しか身につけてこなかったわたし。 どうやらひたすら男をそそっていた、らしい。 今更ほかの色には馴染めないけど、でもどうして黒を好きになったのだろう。
2005年05月08日
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夕食後。 長女が二本の筒を取り出した。 わたしと元夫へのプレゼントだと言った。 筒の中には製本された、長女のエッセイが入っていた。 これまでのことが、長い文章で綴ってあった。 数々のエッセイを読んできたけれど、これほど泣かされたものはない。 泣くまいと思っても、はらはらと涙が頬を伝う。 彼は涙もろくなったから、後で誰も居ない場所で読むからと、 大事にしまいこんだ。 後で、彼はきっと号泣したに違いない。 だって。 別れた夫と、わたしの娘で良かった。 生まれて来て良かった、ありがとう、と結んであったのだから。
2005年05月04日
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決断がつかないまま時間は過ぎた。 だからゴールデンウィークぎりぎりとなって取れたのは、 スキー客用のペンションだった。 病人と泊まる宿が、狭いペンションというのも気の毒だった。 体調の悪い元夫がとても同行できないというので、一度はキャンセルしたのだけれど、 少し容態が良くなったので、再予約をし旅を決行した。 中でも気がかりなのは、食事であった。 ただでさえ食欲がないのに、フランス料理のフルコースでは、 聞いただけで減退してしまう。 それでも一緒に行くという彼を伴って、我々は温泉地へと向かった。 大食漢だった彼が、ほんの僅かばかりしか食べられない様は、やはり胸が痛んだ。 小鳥みたいに少しつっついては、申し訳無さそうに皿に残すのだ。 そんな父親の残した皿を、長女は次々と平らげた。 「気分だけでも完食気分でしょ?」 折しもダイエット中の彼女には、かなりきつい行為であった。
2005年05月04日
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スキー場近くのペンション。まだ桜が咲いていた。遠くの山には雪がある。 山々は春にさしかかり、萌木色の里。初めての北国の春に、わたしは、ただひたすらいきをのむばかりだ。
2005年05月04日
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身体中が痛い。 ぎしぎしと音を立てている。 心と身体が一体化していない、そんな不協和音が痛みへとすりかわる。 今のわたしの心の中を、どういう風に言えば理解してもらえるのか。 とうとう、長女は泣き出した。 きっと、わたしの態度や言動が許せないのだろう。 本当に、こんなことですべてが解決するのだろうか。 頭の中を、さまざまな思いが駆け巡る。 亡き両親の諍いを見て、母を激しく責めたことがあった。 もう少し素直になればいいのに。 少しぐらい我慢して、父の言うなりになればいいのに。 でも、これらはすべて、子供サイドの勝手な願望だったのだ。 今になって、そんな母の気持ちがわかるなんて……。 皮肉なものである。
2005年05月03日
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料金清算機の前にいる後姿が、誰かに似ていた。 記憶の襞を思い切り手繰った。 あ、…。 今は、顔を合わせたくない人だった。 どんな挨拶を交わせばいいのか、言葉が浮かばない。 わたしは、知らぬ素振りで通り過ぎた。 きっと向こうだって困るはずだから。 でも、本当ならとても懐かしい人なのに。 それが無性にさみしかった。
2005年05月02日
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こんな日がたまにあっても良い。 充分に取った睡眠は、身体を元気にしてくれる。 目が覚めたら、十時を過ぎていたなんて何年ぶりだろうか。 これで好天気だったら、じっとしていられなかっただろうけれど、 あいにくの曇天で、なんとなくだらだらと。 こういう日って、何もしたくないものだ。 なにもしないで夕方までいたら、こころなしか体が重い。 きっと、また増えたんだろうなー。
2005年05月01日
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