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掲示板にもアップしたのですが…。 わたしはあまり訪問をしないのですが、このところ頻繁に訪問の報告がアップされているので、どういうことなのかとても気になります。当分の間、わたしの方からの訪問は一切致しませんので、それでも足跡が残っているようでしたら、お手数ですがこちらの掲示板に訪問時間の記録と共に、報告していただければ助かります。誰が何の目的で、そのようなことになっているのか、当方では全く見当がつきません。もしかしたら、パスワードを盗まれたのかもしれません。どうかご協力くださいますようお願いいたします。
2005年07月28日
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家の中はものすごく散らかっている。 保険証券を探しただけなのに。 日頃から整理整頓を得意とするわたしなのだけれど、一度何かの理由で動かしたようで、いつもの場所になかった。 保険を見直した方が良いぞ、と元夫からのアドバイスで内容の確認がしたかったのだがこの様になった。 親しくしている保険代理店の社長は、うんと若いが的確なアドバイスをくれるので、早速FAXを入れた。 無駄なお金は払いたくないので、必要最小限ということで、彼の提案を待つことにしている。 早く片付けて元通りに納めたいところ、この際だからとついつい手が伸びてしまうのは、わたしの悪い癖だ。 一体今は何度なのだろうか。 温度の割には、先ほどから心地良い風が吹き込んでくる。 それを身体に受けながら、半ばうんざりしながら片付けに勤しんでいるところであるが、実際はこうやってキーボードを打っているのだから、遅々として進まないのは当然のことである。 それにしてもこの風。 気持ちが良いなー。 纏わりつくような湿気がなくて、すごし易い。 昨日のこと。 アスファルトの火照りをもろに浴びながら、 「暑いよー、溶けそうだ」と、病床の元夫にメールを入れたら、 「もう一度汗を思い切りかいてみたい。汗をかく君がうらやましい」 と返ってきた。 なるほどなー。 人は全てをあるがままに受け入れて、喜びを見出すべきなのだろう。 だから、本日の風はすごく、すごく心地よい。
2005年07月28日
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この映画は、イ・ビョンホンの魅力を充分に発揮した、彼の最高傑作と言えるのではないだろうか。 スクリーンの中の、彼の演技は群を抜いた才能を感じるし、見る全ての人々の感情を巻き込んでしまうに違いない。 特に感情表現がたまらなく良い。 姿かたちが美しいだけでなく、彼自身の内面から溢れ出るものに、思わず心を奪われてしまう。 これを機に、男性ファンが増える気配を感じた。 どう言えばいいのだろうか。 すでにイ・ビョンホンの虜になってしまっているわたしが、更にさらに虜になってしまったほど。 DVDが出たら、絶対に手に入れたい。 わたしのこの上ない宝物になりそうだ。
2005年07月27日
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久し振りに専業主婦をやっている。 楽しくて仕方がない。 わたしは、家事が大好きなのだ。 掃除はいつもの何倍も丁寧にできるし、些細な幸せに今一息ついている。 24年前の今日。 わたしは純白のウエディングドレスと疑いなき幸せに、身を包まれていた。 猛反対を受けた結婚式は、両家の親が列席しないという異例のものだったけれど、限りない未来を信じていた。 どんな困難だって、絶対に負けないと心から誓った。 そして現在、幸せの形は完全に姿を変えていた。 泣いたり喚いたりの日々を経て、わたしはようやく次の階段に足をかけることができた。 離婚したことは残念な結果でも、今はそのことからも学ぶことができたと思えるようになった。 すべての事柄は、上から下へと流れる水のように仕組まれているのかもしれない。 その流れに逆らおうとすると、ものすごいエネルギーを要するし辛いものなのだが、それすらすでに決められていたことなのだろう。 だからそれらを身体で受け止め、山を越えた時、些細なことがものすごく大きな幸せに感じられる。 いつまで続くか分からないこの専業主婦は、わたしの束の間の幸せなのだ。 だから、今のうちにせいぜい満喫しておこうと思う。 でもそれでいて、休んだ日数に日給をかけては、吐息をひとつはいている。
2005年07月26日
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我が家には結果、大小取り混ぜて4台のPCが存在する。 最近、長女がもらったWinXP搭載機は彼女の友達にあげたのだが、それがあったら5台になるところだった。 実は最新マシーンだったので、あげた後は少しもったいなかったかなーと思ったけれど、ひとまずなんとか間に合っているので欲は出さないことにする。 だからこのあたりで、我が家のOSをそろそろXPにバージョンアップしても良いと思っているところ。 今は仕事を休んでいるので、時間だけはなんとかなるし。 大学生の次女には卒論や就職活動とPCが必須なので、わたしの愛機であるノートパソを渡して、わたしはデスクトップに乗り換えた。 移動に当たっては、モバイルが活躍してくれる。 書く環境を整えて、今日は某雑誌に応募するエッセィを書く予定。 出勤時に長女が言った。 「あたしの理想。夕方帰宅した時、母さんが片手あげて、ごめん、今書いてるから、ご飯まってねってパソに向かっている姿」 あらまぁ。 という訳で、今から大掃除。(デスクトップ機を二年振りに甦らせたため、家の中はぐじゃぐじゃなのだった)
2005年07月25日
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週末は新幹線で病院通い。 もうどのくらい続けているのだろうか。 長女は勤務があるので、必ず日曜日には戻ってくるのだけれど。 でも、病室で他愛も無い会話でふと笑う元夫の顔に救われる。 来て良かったなーと思う。 ホテルの朝食以外は、ほとんどおにぎりやお弁当で済ませている。 少しでも病室に居たいからだ。 「父さんは今時コードレスじゃなくて、繋がれっぱなしだね」 「そうだね。アナログ人間だから仕方が無いかな?」 わたしと長女の会話で、彼は苦笑する。 両腕に点滴の管が三本も繋がって、四六時中何かが体内に入っている。 「そろそろ、我がまま言っても良いんじゃないの?夜は泊まってもらえば?」 大学生の次女はそのために就職活動を一時休止して、父親の実家でスタンバイしていた。 「うん。でもまだいいよ」 少しでも迷惑をかけたくないのだと踏ん張る姿には、すでに限界を感じる。 「ごめんな。約束の世界一周旅行が病院と家の新幹線じゃな」 彼は本当にすまなさそうに言う。 「ハワイ辺りだともう二往復くらいは行けたかな?」 思い切りジョークで返した。 そういえば夫婦で旅行したのは、新婚旅行の他には一度しかなかった。 それも15年目の結婚記念日だけ。 義母がヤキモチを焼くので、とんでもない話だったのだ。 「定年退職したら世界一周旅行に連れて行くから我慢してな」が、彼の口癖だったから、その約束を守れなかったことを病床で嘆くのだ。 「じゃあね。また来週」 わたしと長女は、病室を後にした。 毎度のことながら、後ろ髪を強く引かれた。 だから必要以上に、わたし達はおちゃらけた。
2005年07月24日
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ひとりのつもりが二人増えた。 ベッドですうすうと寝息を立てている。 病院の帰りに二人の娘たちが、わたしの慰問に来たのだ。 なんだか釈然としない状況に、じれったいけど。 仕方が無い。 寝顔はあどけないのに、結構シビアな毒を吐く。 それが大人の入り口に立っている証拠なのだろうか。 「母さんが一人で悲劇のヒロインやってんじゃないわよ」 の次女のセリフは、今もわたしの胸の奥深くをえぐったままである。 「じゃあ離婚しなければ良かったじゃん」 すべて、現実を受け入れてきたつもりになっていた。 そんなわたしの脳天に、強い一撃を食らわせた次女だった。 だけど時間の経過とともに、彼女の言葉が身に沁みてきた。 深いふかい部分で、何かを溶かし始めたのだ。 わたしはもっと己の内面と対峙しなければいけない、と。
2005年07月23日
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いつもの時間に目が覚めた。 ぐっすりと眠れたらしい。 夕べの頭痛は消えていた。 わたしはあまり頭痛がしない性質なのだ。 それが数週間前から、たまらない痛みに襲われる。 変だなーと思って居た時に、先日の占い師はこう告げたのだ。 「最近、ひどい頭痛に見舞われませんか?」 わたしがぎょっとしたのは、こういう部分だった。 「それは怨念です」と。 ひぇーと、背筋が凍った。 本当にほんとうに頭痛などなかったんだもの。 百歩譲って、更年期障害が突如頭をもたげたのかもしれないけど。 朝食のバイキングは先週泊まったのと同じ和洋折衷なので、今朝は和食をチョイス。 味噌汁をあまり好まないのに、ちょっとよそってみたけど一口でギブアップした。 嫌いではないけど、よほど美味しい味噌汁以外は受け付けないなー。 連泊で一日目シングル、二日目ダブルだったら、最初からダブルの部屋に通されるかと踏んでいたのに、しっかりシングルに通された。 どう移るのか朝食後にフロントで訊ねたら、11時にチェックアウトして3時にチェックインだという。 少し意地悪をしたくなった。 部屋で仕事をしたいんですが…。 分かりました、それでは10時にご用意いたします。 ですって。 別に娘と寝るのだからシングルでも十分の広さだったけど、料金は前払いでしっかり取られているのだから、このくらいの意地悪許してね。 わたしは頭の中で、ペロリと舌を出した。 夕方、病院へ行くまでは、ひとりでたっぷりと時間があった。 近くのスーパーで飲み物を調達し、ひとりを満喫中である。
2005年07月23日
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この二日間。 ものすごく落ち込んでいた。 もしかしたら、このままうつ病になってしまうのかと思うくらい。 今朝起きたときも身体に力が入らないし、何もしたくなかった。 水も飲みたくないし、誰かと言葉を交わしたくないし。 ひどいことは自覚できるのに、身体が動かないのだ。 ただ、海老のように身体を曲げていた。 夕べ長女は心配して、仕事が終わるや飛んで帰ってきた。 わたしの大好きなカサブランカを一輪だけ買って。 「さぁ起きて。これを花瓶にいけてよ」 それでもわたしは反応しなかった。 ただ萎れるのはいやだから、水につけてと頼んだら、自分でやってと突っぱねられた。 仕方なく起きて、花瓶にさしてまた眠ってしまった。 今朝になって。 「やっぱり父さんの所に行く?」 と、長女が誘ってくれた。 その辺りから、身体が動き始めた。 行くためには、家を片付けなくちゃ、あれも、これも済ませておかなくちゃ。 それをきっかけに、少しずつ身体が解けてきた。 すっかり終わって電車に飛び乗ったら、何かの呪縛から解き放たれた気分だった。 ものすごい頭痛はするのだけれど、今は平気になった。 だからこうして、ホテルでキーボードを叩いているのだけれど。 面会謝絶の札がかかっている。 でも、時間の許す限り話ができた。 思い出話は、明るい話ばかりだった。 その話を長女に聞かせたら、 「やっぱり父さんは母さんが好きなんだね。それなのになんでこうなったんだろうね」 と、明るく言った。 本当だね、わたしは心の中でつぶやいた。 人生は、やわじゃない。 不思議なことのてんこ盛りだ。 長女は「じゃあ明日ね」と、父親の実家に行った。
2005年07月22日
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驚いた。 病んでいる人の多さに。 以前もMRIの検査を受けに行った大病院で、その待ち時間の長さに辟易したのだが。 かかり付けのクリニックで書いてもらった紹介状で、検査までは滞りなく受けられたのだけれど、その後の会計までの時間はものすごかった。 結果、三時間も病院でじっと待っていたのだ。 待っている間に感じたこと。 世の中は、病人で溢れていたのだなー。 だから結局、肝心のCTは最短で八月一日の予約となった。
2005年07月21日
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書くことで癒されてきた日々。 この十年近く、わたしは書いて、書いて、書きなぐった。 書くことは自分の内面との対峙であり、少なからず喜びでもあった。 書けるという状態が、自分の精神状態のバロメーターでもあった。 そんなわたしに、唐突に書きたくない日々が到来した。 蛇口を開けた瞬間ほとばしる水のようにあふれ出た言葉が、一瞬のうちに枯渇した。 一滴の雫さえも出てこなかった。 出るものは、僅かばかりのうめき声。 それでも数年続いた後に、わたしは甦った。 やはり、わたしは書くことでしか癒されないことを知ったのだ。 苦しさも、辛さも、言葉に置き換えたいと思ったのだ。 その作業は結構辛かった。 だからうんと冷めた目で、うんと自分を突き放して、哀れな己を眺めてみた。 時には自虐的であり、そして時には自己愛であったりと。 でもそれらは、言葉に置き換えたとたんに、わたしの内部を満たしてくれた。 あああ。 なぁんだ。 こんなことで満たされるわたしって……、笑えた。 だから、やっぱり吐き出そう。 そういう思いをすべて、吐き出そう。 それがわたしなんだから。 それが、紫苑の吐息なんだから。 夕べ、思い切り泣いた。 わたしの背中を、長女がさすった。 「母さんが眠るまで、ずっとこうしてあげるから」 少し情けなくて、少し嬉しかった。 よっし。 わたし、峠を越えたよ。 もう、覚悟した。 形ではないんだから。 距離でもないんだから。 わたしは、わたしの内面に溜めた彼への思い出を大事にすれば良いのだ。 許すということは、そういうことなんだ。 傍に居て上げることではないのだ。 穏やかに、おだやかに。 彼の最期を、せめて祈っていてあげよう。 今のわたしにできることは、それしかないのだ。 その気持ちを、わたしは綴っておこうと思う。 これからも、ずっとずっと……。
2005年07月20日
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せっかくレスをつけてくださったのに、削除してしまいました。 この件は、いつかちゃんともう一度書いてアップします。 今のわたしは、生きてきた中で一番ぐじゃぐじゃです。 思い切りパニくったり。 頼りなくて、子供達も見たことがない親の姿だろうと思います。 いつもだったら、毅然としていられるところ、本当に情けないくらいひどい。 それほどに、切羽詰った状態だということなのでしょう。 あっちによろよろ、こっちによろよろ。 本当に、ほんとうに情けない姿です。
2005年07月19日
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前の会社の同僚と飲んだ。 久しぶりに会ったら、大歓迎してくれた。 十年間居た会社だったから、わたしの思い入れも深い。 途中で長女も合流して、飲みまくった。 美味しかったなー。 料理ではなく、お話。 でも、一体焼酎のボトル、何本開けたのだろうか。
2005年07月14日
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あの瞬間。 わたしや娘たち。 そして彼自身に、今日の笑顔が想像できただろうか。 あの瞬間。 将来、笑い話で懐かしむ日が来ると、誰に想像できただろうか。 絶対にありえないと、だれもががっくりと肩を落としたのだから。 それは、ひりひりとした痛みだった。 それは、びりびりと身を二つに裂かれるような悲しみだった。 喉からひぃ、ともがり笛のような音を立てるのがやっとこさだった。 それから三年の歳月が過ぎ、 薄皮を剥ぐように少しずつ少しずつ、傷は癒えてきた。 今。 わたし達は笑っている。 やっとわたしが水に流せたから。 なのに。 この笑顔は、彼の命と引きかえだった。
2005年07月13日
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生まれて初めて。 胃カメラを飲んだ。 うわぁ。 なにぃ、これー。 お腹の中身が全部出そうなくらい、込み上げてきて。 結果。 異常なし。 きれいです。 ああ、良かった。 でも、先生。 背中の激痛は……。 膵臓かなー。 じゃあ次は、CT予約しますか? あの、いえ。 もう結構です。 これで天下晴れて、酒が飲めるぞ。 肝臓の数値もばっちりだったし。 でも。でも。 背中の痛みは……。 ま、いっかー。 この際みんな忘れて、今夜は早速酒だー、酒。 これから飲みに行ってきます。
2005年07月12日
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仕方がないよね。 一ヶ月半の休職が、退職扱いになっても…。 でも、この一ヶ月が二ヶ月、三ヶ月と続くことは、喜ばしいことだし。 人員不足で本当は強力な戦力であったことも自覚しているから、 「終わったら戻って来てくれるんでしょ?」には、もちろん。 「はい。必ず」で繋げておいたけど。 少し不安が過ぎる。 どこまで耐え得るだろう。 共倒れになりはしないか。 考え始めると眠れなくなる。 すべての灯りを消したけど。 どこかがほの明るくて、見えてしまう。 もしかして。 わたしの選択は、貧乏くじのようなもの? ま、それだっていいけどさ。 どうせわたしは意固地だから。
2005年07月11日
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物憂い日曜の朝。 その上、気が滅入るような元夫の病状。 気分は最高にブルーなのに、長女と表参道のTOD'Sビル見学へ出かけることになっていた。 頭の中を過ぎる不安は、やはり睡眠を大きく妨げた。 目覚めているのに、身体はまだ眠っている。 薄目を開けて目覚まし時計を眺めると、すでに八時を大きく回っていた。 あわててベッドを抜け出したが、とても外出する気分ではなかった。 冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出して、コップに一杯飲み干した。 身体の真ん中を通って胃に落ちるまでが、はっきりと自覚できた。 それと同時に身体は一斉に覚醒を始めたようだった。 「ねぇ、行く?」 「行く」 「なら、起きてよ」 「うん。後五分」 長女は、身体を海老のように曲げて背を向けた。 その姿を見て、「今日は家に居たいけどなー」と一人ごちた。 昨日までのことが、すばやく脳裏を過ぎった。 仕事をやめて、別れた夫の最後の看病に行くこと。 夢なら良いのだけれど…。 確かな一日が、まるで遠くの出来事のように感じられる。 それならば、家中を片づけておかなくては…。 ベランダに飛び散った鳩の糞の水洗いもしたいし、いつもより丁寧に部屋中の埃を拭いたい。 洗濯機をフル回転させ、掃除機の唸る音がしても、長女は眠り続けている。 半分くらい、わたしは外出を諦めていた。 「仕度まだなの?」 そんな折、長女が寝ぼけ眼で起きてきた。 もう一度「行く?」と聞いてみた。 「うん。行く」 仕度に小一時間かかって家を出たけれど、二人ともえらく不機嫌だった。 本当は行きたくないのに、なぜか二人ともそれを言い出せないでいた。 それなのに、電車に乗っても歩きながらも、表参道に到着しても言葉は出なかった。 「お腹すいた」 長女の口から最初に出た言葉だった。 「じゃ何か食べる?」 本当は、小じゃれたカフェでブランチをする予定だったのに、二人とも気分は少しも乗らなかった。 長女の気持ちは分かっていた。 しばらく田舎に引っ込んでしまうわたしに、都会の喧騒を味合わせたかったのだ。 表参道でなかったら、銀座を提案してきたのも、そんなところからだった。 「食事は夕飯でちゃんと食べよう。とりあえずは甘味でいかが?」 というわけで入った店で、わたしはみたらし団子を、彼女は抹茶パフェを食べた。 TOD'Sビルは、外見同様に内部も素晴らしく垢抜けていた。 光の入り具合、シャープなデザイン。 そして展示されている商品とのコラボレーション。 そのどれもが、共鳴しあって相乗しているのだった。 長女は、建物も良いけど中の方に興味があるらしく、バッグを一つ持っては値札を眺めている。 「どう?」 「そりゃあ欲しいけど。わたしにはまだ無理かな?でも、もう少し頑張ったら自分の褒美に買ってあげても良いかな?」 などとうそぶいている。 値札を見ると、やはりセレブ御用達。 道のりは遠そうだ。 ようやく気分が上昇してきたのか、周囲の喧騒も建物も身体に馴染んできた。 若い頃、わたしがよく歩いた青山辺りまで足を伸ばして、インド料理の店に入った。 以前、一度だけ一緒に来たことがあったのだ。 本格的なインドカレーにナンは、食欲をそそってくれる。 美味しいものは、ささくれ立った気持ちをすぐに癒してくれた。 最近、よくぶつかる長女だけれど、気持ちはすごく伝わってきた。 「今日はありがとう」 「こちらこそ」 素直になった彼女の『ありがとう』が、わたしの心の奥底までに沁みた。 もう少し、頑張らなくちゃ。
2005年07月10日
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本当は来週行くつもりだった。 三連休だし、12日にはわたしの胃カメラ検診があるので、その結果を持っていけるから。 でも、元夫からのメールの行間には、只ならぬ気配のようなものが漂っていたのだ。 それは、わたしだけが感じる特殊な感情なので、うまく説明がつかないのだけれど。 以前から元夫に何か起きるたびに、わたしの身体は具合が悪くなった。 一番最初に遭遇したのは、旅先で唐突に歩けなくなった。 楽しいはずの旅のほとんどを観光バスの中で過ごし、やっとの思いで家に辿り着いたその時、我が家が転覆する大事件が起ていたのだった。 それからも小さなことは、度々起きていた。 病院に行くと彼は怪訝な顔をした。 「え?来週来る予定じゃなかったの?」 「うん。そうだけど。都合がついたから」 「実はね、今朝方ものすごく具合が悪かったんだ。ああ、もう駄目かなーって。急に一人でいるのが怖くなった。初めてだよ。こんなの。でも、驚いたよ。なんで具合が悪いのが分かったんだろう」 「テレパシーよ。きっと」 わたしは茶化しながら、やっぱりそうだったのかと頷いていた。 担当医にわたしと長女はそっと呼ばれて説明を受けた。 「そろそろですよ」 「具体的には?」 「いつ来てもおかしくない状況です。本人がものすごく病気に対して前向きなので、それで現在があるのですから」 わたしは義母に伝えた。 「来週から看病はわたしがします。最後はちゃんと笑って送ってあげたいから」 「そう。悪いね。苦労ばかりかけるね」 初めての義母からの労いの言葉だった。 わたしは決意した。 今日は不覚にも泣いてしまったけれど、以前の、離婚する前の、彼が愛していた頃の(今でも彼はそう言うのだけれど)、わたしの笑顔で旅立たせてあげようと。 もう、たらればの世界ではないのだから。 頭の中ですばやく仕事を辞める為の段取りを始めた。 (生活は厳しくなるけど、まぁいっかー。なんとかなっるっしょ!) 「ねぇ。娘と一緒に写真を撮ってあげようか」 「うん。いいねぇ。とびっきりのやつをひとつ頼むよ」 わたしはファインダーの中の二人が、全く屈託の無い顔で笑っていることに感動を覚えた。 「うわー。良すぎるよー、見る?」 二人が同時に覗き込んで来た。 「いい、いい。上出来だよ。なんと言ってもモデルが良いからね」 「じゃあ今度は母さんと父さんで」 何度か撮り直して、ようやく 「まぁまぁかな?」 長女のOKが出た。 「そろそろ新幹線の時間だから行くよ。来週また来るね。今度はずっと居てあげるから」 「ああ。お願いするよ。楽しみに待ってるからね」 彼は、痛み止めの点滴が始まっていた。 左腕はすでに、点滴液が漏れて紫色の痣だらけである。 今日から利き腕の右手に変わった。 そのチューブがついた手を、彼は軽く挙げた。 わたしは少しおどけて「バイ」と手を振った。
2005年07月09日
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最近は、長女と過ごすことが多くなった。 わたしとしては次女とも一緒に過ごしたいのだけれど、バイトや学校や友人との付き合いで、彼女は中々時間が取れないのだった。 新幹線の回数券を購入し、元夫の住む町へと向かった。 旅といっても目的は病人の見舞いなので、少しもるんるんではない。 それでも東京駅で駅弁と缶ビールを買って新幹線に乗リ込むと、それなりに小さな旅の気分がした。 最終の一つ手前に、滑り込んだ。 座席に腰を下ろした瞬間、景色は右から左へと流れ始めた。 「ふう。ぎりぎりセーフだね」 冷や汗を拭う。 着替えが入った旅行鞄を網棚にあげた時、窓外の夜景が目の端に止まった。 星をちりばめたような街が、新幹線のスピードと共に慌しく飛んでいった。 「食べる?寝る?」 「食べる。お腹ぺこぺこで死にそう」 長女は、鳥弁当をぱくついている。 わたしはアナゴが入った太巻き。 確かに、心配事はさておいて空腹時に食べるものは、すべてご馳走だ。 ささやかな旅は、今から一泊二日で始まった。
2005年07月08日
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七夕のその日が嫌だった。 だから七夕が大嫌いだった。 大好きだった彼の結婚した日は、七夕だったから……。 その日。 ホテルの大きな七夕飾りの下で、わたしは身じろぎもしないでそれを見上げていた。 時折、ほろほろと涙が頬を伝わったけれど、拭いもしなかった。 「何か願い事を書きましたか?」 背後から優しい男性の声がして思わず振り向くと、今は亡き音楽家のM氏がにこやかな顔をして立っていた。 「いえ。願い事はもう叶いませんから」 「おや。どうしてですか?」 「だって、今日は大好きだった彼の結婚式なのですから」 「人生はね、それだけじゃないですよ。きっともっと良いことがこれからもいっぱいありますよ」 M氏はそこに置いてあった短冊に、さらさらと何かを書いて笹にぶら下げた。 「人生ってね、案外捨てたものじゃないからねぇ。諦めないでくださいよ。それじゃあ」 と、右手を軽くあげて、彼はその場を去って行った。 その後姿を見送りながら、わたしは頬の涙を手の甲で拭っていた。 翌年の七夕の日。 わたしは、おかげさまで次の恋をしていた。 七夕の思い出は、大好きだった彼と今は亡き音楽家のM氏を思い出す。 人生は捨てたものでは、なかったなー……、と。
2005年07月07日
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えー、うっそー。 何の予感もないんだけど。 今日は恋愛運、最高じゃん。
2005年07月07日
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職場の人に、声をかけられた。 「ねぇ、3キロくらい落ちたんじゃない?体重」 「うん、そうよ。でも、分かる?」 「なんとなくお尻が小さくなったし、背中についていたお肉が消えたから」 「あらー、やっぱり?!嬉しいなー」 もちろん、わたしは大喜びである。 「例のクッキー?」 「そう。きっかけは何でも良いのよ。でも、ダイエットで身体を壊したとしたら、バカみたいじゃない?リーズナブルな選択が必要なわけよ。そこで、わたしが確信したのがこれだったってわけ」 「へぇ。わたしもやろうかなー」 「でもその後のケアーも必要なのよ。体重は時間を決めてね、毎日朝晩2回測るのよ。それをちゃんとデータとして記録すること。後は食べ物の量とカロリーが頭の中に入ったから、余分なカロリーを摂らないように自分で管理するわけよ」 「なるほどねぇ」 「それとね。後は自己との闘い。時には無性に甘いものとか、カロリーの高いものが食べたくなったりするもの」 現実に減った体重より、見た目が減ったということの方が嬉しい。 健康的にダイエット! 誰もが望むところである。 ところで、あなたならどうします? 豆乳クッキーダイエット
2005年07月06日
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逆境に強い人。 これが他人から見たわたしの印象だと思うけど。 実際にはそんなに強いわけではなく、時として消えてしまいたくなる。 ”じゅーん!しゅわしゅわー”と、空気に紛れ込めたらなーって。 ところがそれをしなかったのは、耐えうる精神力があるからだろう。 十八歳から十二年間。 わたしは『いけばな』の世界に、どっぷり首まで浸かっていた。 このいけばなこそが、わたしを支え、逆境に耐えうる精神力を植えつけてくれたのだと思う。 厳しい師匠だった。 家庭の躾を再確認するかのように、挨拶の仕方等、様々なことを求められた。 親に恥をかかせてはいけないと思えば、事前に学びある種の予習をしたものだ。 でも、そういうことが少しも煩わしいことではなく、誉めてもらった時の嬉しさが喜びに変わるまでに、そんなに時間はかからなかった。 人間関係がうまく行くと、すべてが面白いように運んでいった。 師匠は当時銀行員だったわたしに、財産を預けてくれるようになった。 そのおかげでわたしの営業成績は上がり、銀行内でも一目置かれるようになったのだ。 師匠が期待をかけて下さるのが手に取るように感じられ、それに応えたいわたしがいて、いつしかその世界にはまって行ったのである。 花材を前にした時のわたしは、内面がどんなであっても、深い森の奥にある湖のように、心がしんと鎮まりかえるのであった。 一切の邪念が飛ぶというのだろうか、穏やかで真っ白な心になれるのだった。 そこはすでに、わたしの精神修養の場と言っても過言ではなかった。 だから、この生け込む時間がわたしは大好きだった。 怒りも苦しみも何もかもが、この生けるという行為によってすべて昇華されるのだから。 数々の失恋も然り、逆境と呼ばれるすべての事柄の前で、わたしが苦しみながらも穏やかに過ごせたのは、このいけばなのおかげであった。 やがて諸事情により、この世界から離れてしまったのだけれど、いまだに教わった多くの事柄には、感謝の念を忘れてはいない。 これほどの経験を一つ持っていれば、誰もが逆境なんか恐くないのではないか。 だから娘たちにも、それが何であるか、早く見つけてくれることを願ってやまないのだけれど。
2005年07月05日
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最近、立っている場所が分からなくなることがある。 中州に立っているのか、孤島の砂浜に立っているのか。 その不確かさが、とても気味が悪い。 この数年の出来事のすべてを、誰の記憶からも消し去ったとしたら。 わたしはまだまだ頑張れる。 でも、そのすべては、そうできるはずもなく、それぞれの記憶の中でいまだに蠢いている。 今、別れた夫との対峙の仕方が分からない。 もし離婚していなかったら、わたしと彼にはもうすぐ24回目の結婚記念日がやってくるはずだった。 そして来年は銀婚式だけど、そんな記念日を数えても仕方がないのに。 メールが来た。 彼がせっせと送ってくるので、わたしもせっせと返す。 なぜならば、そのことが彼の生への希望だというのだから。 だけど、こんな生やさしさで良いのだろうか。 最後をしっかりと看取ってあげなくて良いのだろうか。 後で悔やんだりしないのだろうか。 元姑は、わたしが看病することを拒むのだという。 頑固に頑なに、拒むのだという。 彼がこの世から消えた瞬間、わたしの居場所は消滅してしまう。 彼が生存してこそ、わたしの立場は擁護されるのだけれど。 だから、来て欲しいけど看病は遠慮してくれ、と彼は言う。 だから、わたしは一歩も動けない。 ひたすらメールの返事を送り、励ますしかないのである。 ☆ 「別れてなければ、もうすぐ24回目だね。数えても仕方がないけどさ」 「昨日俺もそれを思ってたよ。24年だったのかぁ。 こんな筈じゃなかったのに悪かったな。 お袋もあそこまで頑固とは思わなかったよ。 俺自身は貴方と巡り会えて、子供達にも恵まれ幸せだったけど、 貴方に対しては申し訳なかったという後悔の念で一杯です。 本当に今現在のこの気持ちで生涯暮らしたかったし連れ添って行きたかった。 世界一周旅行がY市とM市の往復旅行じゃどうしようもないよね。 お袋より長生きして、夢達成させなきゃいかんねぇ。 貴方に会える日を楽しみにしています。また顔を見せに来てください」 「本当だよ。契約不履行だよ。早く治して履行してよね、世界一周旅行」 離婚した元夫婦間で、こんなやり取りが続く。 本当に、こんなので元気になるのか? でも、今のわたしの役割はこれしかない。 覚悟は出来ている。 彼自身も、子供たちも。 でも、本当に存在しなくなった瞬間、わたしはどこに立っているのだろうか。 わたしは、分からない。 これで良いのだろうか。 こんなので……。
2005年07月04日
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これから鎌倉に行ってきます。 目的は夏椿&半夏生の花。 あいにくの曇り空。 うまく撮れると良いけど。 あ、凌霄花(ノウゼンカズラ)も咲いてると嬉しいし。 紫陽花@光則寺(7/3 photo by sion) 紫陽花@光則寺(7/3 photo by sion) 都忘れ@収玄寺(7/3 photo by sion) アガパンサス@収玄寺(7/3 photo by sion) 涙を溜めた空模様は、とうとう途中で泣き出してしまった。 そんな空の下で、初めて会えた半夏生。 白い蝶々の群れのようなその花が、光則寺の境内を今埋め尽くしている。 春には、見事なまでに艶やかな姿を見せてくれたカイドウの下で、境内のあちこちで。 わたしは不思議なものを見る思いで、しばらく佇んでいた。 楽しみにしていた凌霄花(ノウゼンカズラ)も夏椿も、 すっかり盛りを過ぎてしまっていたけれど、半夏生に遭えただけで充分だった。 長谷寺近くに戻ってきたら、うなぎ屋さんから美味そうな匂いが漂って来た。 思わずのれんをくぐってしまったが、たくさん並んで待っていたので諦めた。 結局、食べ物にはありつけなくて、雨の隙間を縫って家まで戻ってきた。 今は空腹感よりも数倍の、半夏生に会えた充足感がわたしを優しく包んでいる。 ※冒頭画像 半夏生(はんげしょう)光則寺@鎌倉(7/3 photo by sion)
2005年07月03日
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長女が、寂しさを持て余している。 今は、わたししか支えてあげられないからと、ぐずぐず言うのをじっと聞いている。 でも恋の病ばかりは誰がなんと言おうと、本人が自力で脱出するより他に手はない。 だから、せめて愚痴の聞き役にと思っているわけだけど、まだまだ情緒不安定だ。 わたしは、いつも娘たちとの体験に、亡き母を重ねてしまう。 母もきっとこんな風な気持ちだったのだろうなー。 自分の失恋より、うんとうんと切ないのは何故だろう。 夕べは、前後不覚で帰宅した。 『しっかりしなさい!』と、怒鳴りつけてやりたかったけど、我慢した。
2005年07月02日
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夏至から数えて11日目を、二十四節気、七十二候で半夏生と呼ぶのだそうだ。 夏至は6月21日だったから、その11日目は7月1日になる。 でも我が家の暦には2日(土)と記されていた。 そこで気になったので、インターネット検索をかけてみた。 やはり数えた通りだったのだけれど、一日くらいの誤差はどこかで生じるのかもしれない。 由来は、この頃に半夏(はんげ)(カラスビシャク:サトイモ科)という毒草が生えるところから来ているようだ。 いわゆる花の半夏生(ドクダミ科)は、この時候の半夏生が名前になったもので、前述の半夏とは全く別なものである。 名前の響きや文字から受ける印象からすごく気になる花なのであるが、わたしはまだ一度も見たことが無い。 今年こそ絶対に、と思いながらもうっかりと時季を逃してしまうのだ。 わたしの大好きな鎌倉のどこかで、今ごろはひっそりと咲いているのだろうか? デジカメ持参で、明日にでも出かけてみよう。 ※上記画像は、7月3日に鎌倉・光則寺にて撮影。(photp by sion)
2005年07月01日
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早いものである。 雪花が舞う季節が桜に変わって、紫陽花になって……。 大好きな花を追いかけているうちに、気がつけばもう一年の半分が過ぎていた。 その目まぐるしい季節の変化と共に、いろんなことが周囲で起きていた。 今年の下半期は、何が待っているのだろうか。 娘達の失恋話を、別れた夫に知らせたら、 「あなたには生涯父親役との兼務をさせて、ごめんな。後をよろしく頼むよ」 の返事がきた。 ある日、突然メールが届かなくなるのだなーと思ったら、つーと涙が頬を伝った。。
2005年07月01日
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