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久しぶりのライブだった。 お腹の底にびんびんと響く心地よさ。 こういう感覚をしばらく忘れていた。 アーティストはChoji。 声と詩がものすごく良い。 帰りに思わず買ってしまった二枚のCD。 ずっと聴いている。 懐かしい音、そして時間。 ふと、少女の頃のわたしに会えた。
2005年04月30日
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今朝、出し抜けにハナミズキが見たいと思った。 先週も鎌倉へ行ったばかりなのに、あまりの好天気にじっとしていられなくなったのだ。 冬物の整理をするつもりで洋服ダンスから取り出したコートやジャケットが、そこら中にだらしなく散乱している。 「今年の花は今年しか見られない」という、わたしの十八番を長女に唱えられて、片付けるのが馬鹿馬鹿しくなった。 「それじゃ今から行くかー、いざ鎌倉へ」と二人で家を飛び出した。 ゴールデンウィークの初日ということもあって、長谷寺や大仏で有名な高徳院へと続く道はさすがに混雑していた。それにくらべて、一本裏に入った光則寺の、海棠の花が終わり新緑に覆われた境内は、静まり返っていた。 時折、孔雀の甲高い鳴き声が、しじまを劈(つんざ)いた。 「なんかこういう時間って良いね」 本堂の廊下に腰掛けた長女が言った。 「本当ね。観光客も海棠が終わったせいか少ないし。のんびりするよね」 わたしも並んで腰掛けた。辺りを見回すと連なる山々を借景に、薄紫の藤が垂れ下がっていた。見上げると、空の地色に新緑と薄紫の藤を織り込んだような空間が広がっている。自然が作り出す色彩は、なんて素晴らしいのだろうか。 わたしは、しばらく呆然とそこへ佇んでいた。折しも、緑をたっぷり含んだそよ風が、頬を優しく撫でていった。 唐突に、別れた病床の夫のことが思い浮かんだ。 彼はすでに「目の前のこの自然を体感できないのか」と思った瞬間、ものすごく申し訳ない気持ちがして、涙があふれ出そうになった。 わたしの傍には大事な娘達が居てくれることや、時にはこうして散策に付き合ってくれることが、どんなに幸せなことなのかを教えられた気がした。 「ハナミズキが見たかったけど、どこのお寺か浮かばなかったから、今日はここだけで帰ろうね」 ハナミズキは見られなかったけれど、都忘れ、宝鐸草(ほうちゃくそう)、小手毬、大手毬、姫空木、海老根(えびね)、熊四手(くましで)、唐種小賀玉(からたねおがたま)、牡丹(ぼたん)、著莪 (しゃが)などを、デジカメに収めた。 気候のせいか、頬を撫でる緑の風のせいなのか、わたしはとても優しい時間を長女と共有していた。(参照『季節の花 300』) (画像は唐種小賀玉:あわせて『ギャラリー紫苑』もどうぞ!)photo by sion
2005年04月29日
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亡くなってもう16年が過ぎたというのに。 わたしは母の誕生日だわ、と今朝起きた瞬間から思い出している。 それなら、生きていたらいくつなのかなどは、全く興味がなくて。 わたしの中の母は、元気に階段をとんとんとん、と駆け上がってた。 それはきっと、今のわたしと娘達の関係にも似て、激しく喧嘩していた頃だ。 でも、母が階段を元気に駆け上がった頃は、今のわたしより十歳は年上だった。 それなのに、わたしはやっと駆け上がって、ぜいぜいと息を切らす。 時々いけないなーと自戒するが、母は本当に元気だった。 色んなことを、言葉には出さないけれど、身を持って教えてくれた。 わたしも、それらをきちんと娘達に伝えたいのに、まだまだ道のりは遠い。 時折、母は幸せだったのかなーと思う。 大好きな母。素敵な母。白い割烹着がよく似合った母。 今日はそんな母の、誕生日。
2005年04月28日
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とっても可愛いものを見つけた。 自分で購入しようかと思ったのだけれど、母の日も近いことだし。 「2000円以内で買えるものが、ソニプラにあるからさぁ。 見つけて母の日のプレゼントにしてくれない?」 「え?なぁに?」 「言ったらつまんないでしょ?もしピッタリ当たったら嬉しいじゃん」 「ふーん。考えておくよ」 それってね、本当に和むから。 当てて欲しいなー。
2005年04月27日
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まぁまぁ美味しいと思ってる回転寿司を、次女と食べに行った。 本当は外食するより、家でお惣菜を作って食べさせてやりたいのだが、 時間の関係で仕方がない。 次女は大の寿司好きで、今日の夕飯はどうしても寿司が食べたいという。 小食なのでほんの少しで満ち足りてしまうし、一皿を半分ずつ食べると、 かなりの種類が食べられるから、その点回転寿司は非常にリーズナブルだと思う。 その上次女は、流れてくる皿の鮮度を瞬時に見極める目を持っているので、 我々は注文しながら新鮮なものだけを頬張った。 そこの店にはまったのは、一年前の生牡蠣の季節だった。 三人で思い切り食べたのに、「えっ?」というくらいのお値段だった。 それ以来、贔屓にしているのである。 今日のお奨めは、うなぎと大トロだった。 ほっぺが落ちそうなくらい、美味しかった。 次女とは中々時間が取れないから、たまには奮発してやるのも悪くない。 取り留めのない会話も、楽しかった。 わたしの左手には、先日の喧嘩の爪あとが痛々しい。 「まだ痛む?」 「もう平気だよ」 喧嘩もするけど、所詮仲が良いということなのだ。 親子って不思議な関係だな。
2005年04月27日
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フリーページにエッセィ『解脱』をアップしました。
2005年04月26日
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銀行が不便なので、長女はあらたに郵貯を始めたそうだ。 今までは親まかせであったが、やっと貯蓄に向かって歩き出した。 生活費を除いたら、ほんのわずかばかりしか手元には残らないが、 それを貯蓄してみようという気持ちが、芽生えたらしい。 生まれて始めて客として扱ってもらったことが嬉しかったのか、 妙にウキウキと楽しそうだ。 ついでに勧誘されたかんぽも考慮中なのだとか。 きいた話をわたしに、丁寧に説明してくれる。 「自分の思うようにやってみれば?」 「うん。明日行って入ってくる」 おまけにもらったミニサボテンを、これまたニコニコと眺めている。 些細であるけれど、彼女の心にゆとりが生じたのかもしれない。 そんな長女の笑顔がやけに美しく見えた。
2005年04月25日
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次女が、就職活動の履歴書にスナップ写真も必要なのだと言う。 証明写真より、ややくだけた全身を写したものらしい。 急に言われても……。 でも次女の将来に関わる問題ならと、わたしと長女は早起きをした。 デジカメと使い捨てカメラを駆使し、なんとか間に合った。 せっかく早起きをしたのだから、どこかへ行こうよという長女の提案で、 バイトに出かける次女を見送ってから、鎌倉へでかけた。 前日の某テレビ局の鎌倉編を見ていたら、紹介されていた蕎麦が美味しそうで、 ものすごく食べたくなったからだ。 小さなその蕎麦屋は、全く同じ思いでかけつけた人々で長蛇の列だった。 ブランチにと馳せ参じた我々の胃は限界で、待つ余裕はない。 そこで以前からお気に入りのイタメシ屋に変更したのだけれど、大正解。 こちらは昼時でありながら、適度な込み具合ですぐにランチにありつけた。 春キャベツときのこのクリーミィなパスタが絶品だった。 「こんな素敵なロケーションで持てるゆるやかな時間。 デパート勤務じゃ気持ちにゆとりがなくて味わえなかったわ。 転職をして良かった。今の仕事はちゃんと地に足がついてるし。 こういうのを、早起きは三文の得っていうんでしょ? 昼間のビールの贅沢っていうかねー、幸せ!」 長女は最近、すごく柔和な顔をしている。 たったグラス一杯のビールの幸せを、我々は分け合っていた。
2005年04月24日
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行くと決めたら身体中で抗っていた何かが氷解したのか、一気におかしくなった。 立っていられなくて、椅子にもたれたまま殆どをぼんやりと過ごしている。 何も考えないように頭の中を空っぽにしたら、思考も止まった。 陽だまりの中に身を置くと、つらつらと眠ってしまう。 時折目を開くのだが、直にまぶたが落ちた。 我ながら、不思議な感覚の中にいた。 スケジュールはすべて長女に任せている。 今からだと宿が取れないと、パソコンのモニターとにらめっこ。 途中経過を報告しながら、わたしに同意を求めてくるのだけれど、生返事。 ようやく二日間の宿が決まったらしい。 嬉しそうに笑った。 耐えられなくなった。 気力のない状態。 わたしは、さっさとベッドに入って眠った。 それしか今は自分を支えられない。
2005年04月23日
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フジテレビの社屋や大観覧車をぐるりと見渡しながら、 DAIBA KITCHENへと友を案内した。 少し前、駅の前で配られたクーポン券をわたしは持っていた。 それはなんとロテサリーチキンフルサイズか、 またはワイン一本の無料サービス付きという驚くほど太っ腹なクーポンだった。 半信半疑、恐る恐るドアを押してみたのだけれど、嘘ではなかった。 実に満足度100%というか、味とサービスのてんこ盛りだったのである。 チキンは、レギュラーかスパイシーという味の選択ができたので、 もちろんスパイシーを選んだが、パリパリの皮の美味しかったこと……。 フルーティな生ビール(名前は失念してしまったが)に、メルロー、シャルドネとワインもいただき、素敵な夜はゆっくりと更けていくのであった。 満腹になったところで、地下にあるサントリー直営のBARへ足を運んだ。 それというのも、好奇心旺盛な中年男女の飽くなき探究心の賜物なのであるが。 初めて飲んだ『山崎』の、水割りは美味しかった。 ウィスキーイコール硬い酒、というわたしの勝手な思い込みが、もろくも崩れ落ちた。 中でもバーボンの樽にスコッチを寝かせたという『WHISKY VOICE』は、芳醇な香りとマイルドな味が舌の中を転がって、「おー、至福」な感じであった。 気持ちとしては、最後まで居続けたかったのだけれど、 新幹線に乗る友の時間に合わせて、更け行くお台場を後にした。
2005年04月22日
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行く。 行くことに決めた。
2005年04月22日
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爪が食い込んだ傷跡。 ひりひりと痛い。 今朝、次女と激しく喧嘩をした。 行き場のない気持ちのぶつかり合い。 本音のような、そうでないような。 腹立たしい感情の交錯。 次女の気持ち。 わかっている。 目頭に、涙の溜まった寝顔。 この坂を越えるための辛い関所がある。 夕べは切なくて、逃げたいと思ったけど。 わたしは、連休にそれを越そうと思う。
2005年04月22日
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意味もなく元気がでなくて、落ち込んでいると。 長女もそうだった。 二人でいると、会話が刺さった。 互いの胸に、ぐさり。 互いの波動がかみ合わない。 もう眠ろう。 ベッドに入ったら、長女も寝た。
2005年04月21日
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最近、娘の洋服とわたしのものがボーダレスになった。 「あれ、ない」と思うと長女か次女のどちらかが、着用している。 「母さんの洋服はダサいじゃなかったの?」 「ダサイんじゃなくて、お行儀が良いのよ。ってことは着る人を選ばないってことなのよ」 わたしの洋服はすべて黒色だ。 就職活動中の次女はスーツの下にひっそりと、 長女は自在に素敵に着こなして、持ち主よりよっぽど似合っている。 我が家は、先に家を出たもの勝ちなのだ。 だから、わたしもさっさと娘の持ち物を着て出かける。 明日は、何にしようかな……。
2005年04月20日
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夕べのことである。 次女が突然、探し物を始めた。 何でも、今日のゼミで必要なのだとか。 卒論の資料というか、まぁ大事なものには変わりはなく。 「母さん、知らない?フロッピー」と来た。 「しらないわよ」 「えー!今から一万字も打たなきゃいけないのー?勘弁してよ」 半べそをかいている。 でも、知らないわよ、そんなもの。 第一、卒論の資料ならもっと大事に管理せぇよー(心の声)。 あたふたしている次女に怒りすら湧いてくるけど、片づけ魔はわたしだし。 早速、膨大なフロッピーの中身を一枚ずつ覗く作業に取り掛かった。 すでに見たというフロッピーの中から、結局わたしが見つけのだけれど。 「ああ、良かった。今日、教授に見ていただくことになっていたのよ」 だって。 人騒がせなヤツだこと。 でも、本当に良かった。 もう一度、一からでは同じものは書けないし、時間の無駄だからねぇ。
2005年04月20日
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生きている人の『命日』とは甚だおだやかではないけれど、その日が死ぬほどの辛い思いをした、或いは勢いで死んでしまったかもしれないような思いを経験した日なら、それを『こころの命日』と呼んで供養をしても良いのではないかと思う。 三年前の今日、一本の留守番電話からわたしは心と身体を切り刻まれ、ばらばらにして投げ捨てられたほどのショックを受けた。 事の顛末をありのままここには書けないが、自分が今日まで存命しているのが不思議なくらいの大きな禍であった。 当時の苦悩など、きっと今の能天気なわたしからは到底誰にも想像もつかないだろう。 魂は身体から遊離してどこかに行ってしまい、肉体だけが存在していた。 悲しみも苦しみも、正面切って受け止めてしまうと、行き場を失うのだと知った。痛いものを痛いと感じない方法、悲しいことを悲しいと感じない術、わたしはひたすらそういう情況の中に、自分を追い込んだ。そうしないと発狂しそうになるからだ。いっそ気でも違えばどんなに楽だろう、と思ったものである。 「死ぬ気になればなんだって出来るから」とは、当時の近しい人々の助言であった。 だけど、何度思っただろう。「死んだ方がましだ」と……。 これでもか、これでもかと、禍の波が押し寄せてきて、わたしが少しでも前向きに歩こうとする前方を襲ったのだ。 しかしながら、失意のどん底にはそれ以上の底など本当はない。どんな方法を使っても、そこから浮かび上がらなければならないのだ。泣いても、喚いても、答えは己の中にしかない。それを思い知らされた。 一年、また一年、とわたしは一人でその日を供養してきた。 当時の出来事を反芻し、何が良くて悪かったのか、いまだに答えは見つからないけど、わたしの二度目の出発地点には違いなかった。 明日から、わたしは四年目の供養に向かって歩を進めるのである。
2005年04月19日
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ぎょっとした。 「ねぇ。あそこに居る人誰?」 「え?誰も居ないじゃない。母さんが映ってるだけだよ」 「あの肥った中年の女性が母さん?」 「もちろん。だってほかには居ないでしょう?鏡に映っているのは、あたしと二人きりなんだから」 やっぱり、わたしなのか。 その店には、二人以外に客は居なかったのだから、間違いはない。 職場の更衣室の鏡は、ものすごく細く見える。 だから、ついつい……。 今やわたしは最高に膨らんでいる。
2005年04月18日
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エッセィ『涙の理由』を、フリーページにアップしました。
2005年04月17日
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昨夜の帰宅が遅かったので、少し寝過ごしてしまったけれど、 たまの土曜日だからそれもありだろう。 いつものようにカーテンを開けると、眩い光がベランダから届いて、 リビングで溢れ返った。 こうなったらもう眠れない。 仕方がないから、起きることにしてシーツの洗濯にかかった。 ついでに洗濯するものがないかと部屋を覗くと、 長女はまだぐっすりと眠っていた。 わたしは起さないように、そっとドアを閉めた。 洗濯物を干し終わって、一人でコーヒーを啜っていると長女が起きてきた。 「何か食べるものはない?」 朝食のしたくはまだだった。 「コーヒーが入ってるよ」 「バナナだけで良いわ」 コーヒーとバナナで、長女は簡単に済ませた。 「母さん、今日美容院へ行くつもりよ」 「あ、あたしも行きたい」 「母さんの美容院でいいの?」 ということで、夕方二人で行くことになった。 黒髪でロングヘアーの長女は、それを栗色にのショートにしたいのだと言った。 わたしは少しがっかりして、カラーリングだけを奨めた。 迷いもあったのか、素直にそれを聞き入れたけれど、 ロングヘアーは全体をすいて軽くし、前髪を斜めに流した。 重かった黒髪は、柔らかい栗色に変った。 ところが思ったより軽やかで、今までよりずっと似合っている。 年齢もぐっと若くなった。 彼女は大人っぽいので、実年齢より幾分上に見られるのだ。 「素敵じゃない?年相応になったわよ」 「そう?あたしも気に入っているの」 帰り道、イメージアップした長女はうきうきしている。 美容院で見た週刊誌から、こんなレシピを見つけた。 ニラと豚バラ肉のチジミ。 なんと片栗粉を入れるのを知らなかった。 だから今まではお好み焼きっぽくなったのか…。 早速、夕飯に試してみたのだが、これが大成功。 「美味しい」を連発された。 これはかなり使える。 三時間近く居た美容院での拾物だ。 久しぶりに、ゆったりとした土曜日を過ごせた。 次女は、コンサートから終電車で戻ってきた。
2005年04月16日
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時折、少し疎遠になった友に携帯メールを送った。 どんなに音信不通になっていても、根幹は繋がっていると思っている。 でも、ふと思い出した時は迷わずメールを送ってみるのだ。 すると本当に数ヶ月振りに、返事が届いた。 元気だよ、という言葉の後に、近況が書いてあった。 「あなたのことは、時々ブログを読んでいるので、消息は知っている」らしい。 ブログを読む友人、知人は、全く同じことを言う。 そういうわたしだって、他のブログを書いてる友人に対して同じなのだけれど。 同級生のM君からのメールには、付録がついていた。 ポトマック河畔の見事な桜の画像である。 仕事先のワシントンDCから戻ってきたばかりだとか。 まだまだ現役で頑張っている。 すごいなー。頭が下がる。
2005年04月15日
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たった二人だけの宴会だった。 わたしといつかは酒盛りしたかったのだと言って、 美味そうに生ビールを飲み干した。 彼女は、週に数回訪れる清掃担当の派遣員である。 わたしより一回り年上なのだけれど、全く年齢の差を感じさせなかった。 わたしの居るフロアー内の清掃は、全部自分でやってしまうので、 「いつも楽をさせてもらうから」というのが、本日の主旨のようである。 他のフロアーはすべて担当するので、かなりの肉体労働だろうと想像するが、 疲れを少しも顔に浮かべないで、ただ黙々と働く姿がわたしは好きだった。 だから、ゴミを取りに来てくれた時は、必ずお茶をご馳走するのだ。 「美味しいね」 美味しいものは、人を寡黙にする。 「ねぇ、恋人はいるの?」 一年前に独身になった彼女に、頃合を見計らって訊いた。 「飲み友達ならね」 「あら、いいじゃない」 「うん。でも最近旅行に誘われているのよ」 「あ、そう。素敵」 「素敵じゃないけど、迷ってる」 「迷わなくていいわよ。わたし達、華の独身じゃないの」 わたしは懸命に炊きつけた。 「第二の人生よ。頑張って」 飲むほどに杯が進む彼女も、時計の針が十時を指したころ。 「行ってこようかなー」 ぽつりと言った。 「うん。それが良いよ」 帰りの電車の中で、わたしはものすごく幸せだった。 なんだか、まだまだ先の方で良いことがあるのかもしれないと思った。
2005年04月15日
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この言葉を吐くと、きっと傷つくだろうな。 そう思った時、臆病者のわたしはそれを言えない。 言ったら最後でおしまいだからだ。 でも、不満は募り当然顔にも不愉快さを出す羽目になる。 気づいてくれないかな、離れてくれないかな、 そんなことを思ったりする。 彼女は職場に近いので、いつも遅刻をする。 そのことで、乗り合わせる車は待つことになるのだ。 せいぜい五分か十分のことである。 わたしは遠いので、ぎりぎり間に合う電車の二本前に乗る。 だから結局、普段は15分待つところを三十分や四十分待つことになる。 最近は、あまりに頻繁で嫌になった。 「定期を忘れて取りに帰った」 「寝坊をした」 「エトセトラ」 いろんな理由を並べるけれど、もっと早く出て来いと言いたい。 通勤時間が往復で三時間以上もかかる人もいる事を、 なんとか気づいて欲しいのに、今日も彼女は知らん顔。 「ごめんなさーい」で済ませている。 言っちゃえばいいのに、言えないわたし。 悶々、ただ悶々と……。
2005年04月15日
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久しぶりの仲間や新しい仲間が沖縄料理屋に集った。 なんだかごった煮のような関係だ。 ところがこれが中々面白くて、初対面の人もそうでない人も、 本当に楽しそうだった。 なんてことはない。 古くからの友人に、別の友人を紹介しただけの話。 これが思いのほか盛り上がって、また一つの和になった。 二次会に、割とよく行くBARに行った。 お誕生日の記念に作ってもらったカクテル『紫苑』は、 もう忘れられているのかなーと思っていたところ、 「紫苑というカクテルも作れます」 と、覚えてくれていたのだ。 これが、サービスなのだろう。 うまいなー。 もちろん、迷わず『紫苑』をいただいた。 ※焼酎ベースに巨峰ジュースの甘口
2005年04月14日
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早朝の天気予報で、当日の出勤着を決めることにしている。 気温や天候に応じて、上着類の選択や下の衣服を調節するためだ。 でも季節は、はや四月の中旬。 厚手のものは、先週末の陽気にあわせてクリーニング予定の袋に詰めた。 寒いといっても高がしれているだろうと侮ったのが、失敗の素だった。 昨日は、二月の寒さに匹敵したらしい。 昨夜、寄り道をしたので帰宅時間が深夜にかかったのだけれど、さすがに震えた。 ホームで電車を待つ5分間。 真冬でさえ感じたことのない寒さが、足元からぞくぞくとあがってきた。 それでも、綿コートのライナーをまだ外していなかったのが、救いとなった。 電車の暖房が、とても恋しくて有難かった。 この季節の天候は行ったり来たりで、まるでスイッチバックのようだ。 今朝の車窓から見える桜は、すでに花びらを落としガク色に変わっていた。 やがて桜の木は青葉に変わり、そよ風が頬を撫でる。 そして青風が田をわたり、春はどこかへ去っていくのだけれど……。
2005年04月13日
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次女は言う。 「あたしはあたし。お姉ちゃんとは違う」 「そうよ、母さんだってそうだと思っているよ」 でも、彼女は時にはこんな風にも言う。 「お姉ちゃんの時はありで、あたしには駄目なの?」 「だって、あなたとお姉ちゃんは違うでしょ?」 平等を、と主張してみたり、違いを訴えてみたり。 なんなのよー、とは思うけど。 だけど、わたしの方針は同じモノサシで測らないことなのだ。 本当にそれぞれで、同じではないから。 だから、分かって欲しいんだけどなー。 あなたは学生で、お姉ちゃんは社会人。 もう少しの辛抱だから。 今日もまた、次女は就職活動の説明会。 彼女の希望にかなった会社が見つかりますように。 わたしは、そっと祈っている。
2005年04月12日
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次女から、ビデオを返しておいてね、とメールが届いた。 返却しないと延滞料を取られてしまうので、よろしく!とは、まぁ勝手ね。 そんなこんなで、何気なくセットして観始めたのだけれど、 これが思いのほか面白かった。 実際には楽器を演奏できなかった素人の出演者たちが、 jazzを演奏できるようになったのだ、と前評判で知っていた。 へぇ、と思いながらも、それにしては中々の腕前なので、 ついつい物語の中へと引き込まれてしまった。 久々、ヒットな映画だった。 うーん。鑑賞後の清涼感がなかなか良い。
2005年04月11日
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『海棠の咲く頃』をアップしました。
2005年04月10日
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風が吹いている。 かなりの強風である。 闇の中を、花びらが雪のように舞い散っているにちがいない。 目を閉じると、そんな情景が浮かんだ。 古語では、こんな風を『花の風巻き(しまき)』というのだそうだ。 満開の桜を散らす風のことで、未練や余韻を断ち切るという意味らしい。 らしいとは、あまりにも無責任であるけれど、わたしの周囲にある限りの文献には、 これくらいしか載っていないので、後日詳しく調べるとして……。 寒い冬を耐え忍んだ桜が、気温の上昇で一気に開花する。 そして野山はこの時とばかりに、あちこちで開花した桜との競演となるのだ。 まだ若い木の桜にも、時代の流れをじっと眺めて来た老木の桜にも、 ものすごい存在感がある。 凍てついた冬の時代を抜けてきた人々の心の中に、 そんな桜は春が来たことを平等に伝えてくれる。 わたしは、ずっと桜の開花を待っていた。 母が愛した桜であり、わたしや姉、そして娘達までもが愛して止まない桜には、 格別の思い入れがある。 だから毎年、どこの桜を愛でようかと、楽しみにしているのだけれど、 危うく見逃すところであった。 久しぶりに、体調を崩して熱を出してしまったのだ。 今年の桜は、今年しか見えない。 わたしは、必死で熱を下げた。下がって欲しいと祈った。 そのおかげもあってか、昨日、今日と桜を見に出かけることができた。 わたしが桜を好きなのは、やはり一気に開花して散ってゆく、この潔さだろう。 己の人生もこうありたいものと、きっと心のどこかで思いを写している。 今しばらく咲いていて欲しいと、誰もが願うところを、この花の風巻きが散らしてしまう。 明日の朝、あちらこちらに薄紅色の吹き溜まりが出来ていることだろう。 わたしはそれを両手にすくって、思い切り空に投げてみよう。 その舞い落ちる花びらを、身体中に浴びてみたい。 幼い頃、そうして遊んだ日々を思い出しながら……。 まだ無垢だった頃の、そんなわたしにきっと会える。
2005年04月10日
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すでに時刻は五時を指していた。 海蔵寺はきっと閉門しているに違いない。 でも、花は遠くからでも見ることができるから、と足を運ぶことにした。 横須賀線の踏切を横切り、建長寺を左に見ながら鎌倉街道沿いをひたすら歩いた。 狭い歩道を行き交う人々と、途中何度もぶつかった。 横に並んだり、縦になったりしながら、長女との他愛もないおしゃべりは続く。 一体、何を話したのかすら憶えていないのに、どこか楽しくて足取りが軽いのだ。 小町通りを入る前の小路を右に取った。 「鎌倉ってさぁ、いつも母さんに案内してもらうから、何度来ても思い出さないんだけど、どっちだったけ?」 長女は、いつも同じセリフを吐いた。 仕方なく、わたしが前に出て水先案内人をつとめる。 「あ、ここ?来たわよね」 「そうよ。でもやっぱり閉まってるね」 竹で入り口をふさいであったけれど、庭の全景は外からでも充分見えた。 「カイドウが満開じゃない?そうすると、光則寺もあしたがピークだわ」 わたしは、少し慌てている。 カイドウは桜の後だから、来週でも間に合うつもりでいたからだ。 「じゃ、明日は光則寺に来ればいいじゃない?」 「え?明日も付き合ってくれるの?」 「もちろんだよ」 海蔵寺の境内に入れなかったのは残念だったけれど、 わたしの心はすでに大好きな光則寺のカイドウへと飛んでいた。 夕方の寒さに、わたしの体内は少し熱を帯びて来た。 それでもせっかくだから、段葛の桜のトンネルをくぐって帰ることにした。 桜を眺めていたら、わたしの風邪はどこかに飛んでいくらしい。 なるほど、これ以上のクスリはあるまいな……。
2005年04月09日
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陽射しが急に翳って、少し肌寒くなった。 念のために持参した上着を、羽織ってちょうど良い。 北鎌倉は、東慶寺の山門をくぐった。 庫裏入り口の枝垂れ桜を思い出したからだ。 わたしはまだ一度も満開に出くわしたことがなかったのだけれど、 枝ぶりを見て、これに花が咲いたらどんなに素晴らしいことかと、 今年こそは、と心待ちにしていたのだ。 胸を躍らせて、そこへたどり着いたのに花はすっかり散り、 緑の新芽がすでに鮮やかだった。 ああ、またも見損なったか……。 「今年も遅かりしよ」 「母さん、この枝ぶりを見ただけでも、咲いたときの妖艶さが目に浮かぶよ。 これは素晴らしい。是非、来年も来ようね」 長女と約束をしながら、彼岸桜であることをすっかり忘れていたのだ。 わたしは、それを忘れては毎年同じことを繰り返していた。 「次は?」 「浄智寺」 瀟洒な山門の向こう側は、春爛漫の花盛りであった。 「お花は、母さんの薬だね。病気なんか吹っ飛んじゃってるもの」 「本当だね」 自分の現金さに、思わず苦笑した。 足元には大好きなシャガの花が、蜆蝶の趣でここにもそこにも咲いている。 「もう一箇所行けるよね」 「どこ?」 「海蔵寺」 「あ、境内にカイドウがある寺よね」 もう、何年になるのだろうか。 そこは、まだ高校生の長女と一緒に訪れた寺である。
2005年04月09日
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起きるか、どうか迷った。 トイレに行くために、ゆっくりとベッドから降りてみる。 少しふらついたけど、どうやら大丈夫そうだ。 ついでに、冷蔵庫を開けて喉の渇きを潤した。 夕べのうちに長女が補充しておいてくれたらしいゼリーが、 つるんと喉を越していった。 食べ物を嚥下するのが、あんなに困難だったのにこちらもOKだ。 よっし!これで大丈夫。 わたしは、わたし自身に行動を促した。 「母さんどう?」 眠そうに目を擦りながら起きてきた長女が、少し心配そうに訊いた。 「平気。だから午後から鎌倉に行くよ」 「うん。じゃ夕べ看病しなかった罪滅ぼしにお供します」 本当に久しぶりの熱だったので、彼女も心配なのだろう。 わたしは、大急ぎで洗濯や掃除に取り掛かった。 大体片付いて仕度できた頃には、三時を少し回っていた。 それでも、わたしは桜が見たかった。 日が暮れたなら、夜桜がある。 二人で連れ立って、初夏の兆しを帯びた陽光の中に飛び出した。
2005年04月09日
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めったに寝込むことはないのに、午後から熱が出てきた。 体温が低いわたしのことだから、せいぜい37度程度に違いない。 でも、今日は花の金曜日で、友人と約束をしている。 ドタキャンが嫌いなわたしは、なんとか行こうと思っていた。 ところが、身体の力が抜けていく。 徐々に関節痛が増してきた。 思考力が落ちてきて、頭は全く回転しなくなった。 ごめんなさい。 ドタキャンをした。 帰りの電車は、座れない。 悲しくなるくらい混んでいた。 どうにか家に辿りついた。 誰も居ない家で、薬を飲んでとにかく眠った。 明日は、絶対に桜を見に行くんだから。
2005年04月08日
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ランディさんのブログを読んで、うんうんと頷いている。 わたしも怒る。 怒りたくなる話だ。 体勢に入っていて、しかも扉を開けてくるなんて。 ふつふつ。 怒りが沸いてくる。 最近のわたしは、かなり怒りっぽいらしい。 先日の病院の件といい、感情の抑制が効かなくなった。 これをもしかしたら、更年期障害というのではないだろうか? でも、わたしの更年期はさておいて、このトイレの話は、わたしも釈然としないなぁ。
2005年04月08日
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この街は、ものすごい進化を遂げている。 住み始めた頃、駅の周りは何もなかった。 坂道から吹き降ろす風に向かって歩く冬は、泣けてきた。 それが十年、二十年と経つうちに、 いつの間にか見違えるような街になっていた。 この街を離れて、もうすぐ三年になる。 わたしは今でも、時折、この街を訪れる。 二十数年暮らしたこの街は、わたしの存在など知りはしないけど。
2005年04月07日
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花粉の影響だと思っていたから、じっと耐えてきた。 今年の症状は半端ではないらしいから。 元々、わたしはアレルギーには悩まされてきた。 物心ついてからというもの、春が来るたびに憂鬱になった。 肌の弱い部分にびっしりと湿疹が出て、むずむずと痒いのだ。 汗がじわーっと出ると、その不快指数はぴーんと跳ね上がり、 わたしはいらいらと落ち着かなかった。 それでも、二十五歳を過ぎた頃。 症状は落ち着き、なんとなく治っていた。 病院をたらい回しにされ、様々な薬や治療を試みても、 効果がなかったのに、である。 あれぇ?今年は出なかったよ、何で? 心当たりは、一つだけあった。 前年の夏に、妙な治療を受けたのだ。 あまりに神がかり的といおうか、納得出来なかったので、 治療の半ばで投げ出していた。 でも、実はそれ以外の何も受けてなかったので、 それかなーと思わざるを得なかった。 で、長いこと、アレルギーというかアトピーのことは、忘れていた。 なのに、この春突如として、蘇っていた。 花粉症という言葉に変えて……。 でも、そのうちに治るさ、と放って置いたところ。 喉が痛くなった。 風邪かなー?花粉症の症状かなー? そのうちに痛みが激しくなったので、仕事を休んでようやく病院へ。 ところがー。 それなのにー。 二時間も待たされて、たったの数分の診察で終わった。 訴えていることを、ちゃんと聞いてくれなかった。 鼻先で、ふんふん。 花粉症でしょう、あ、喉ね、少し赤いかな? 喉の痛み止めを出しておきましょう。 あ、目が痒いのね。それじゃ目薬をーーー? むかーと来た。 わたしは、診察料を払って薬も受け取らずに帰ってしまった。 おかげで、いまだに痛みからも、かゆみからも解放されずに、悶々。 医者といういものは、患者の話をちゃんと聞く耳を持つべきだ。 それで治る病気は、山ほどある。 襟を正しなさい!! いまだ、怒りが収まらない、わたしである。
2005年04月06日
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起き抜けに、遮光カーテンを勢いよく開けた。 薄暗かった部屋が、たちまち朝の光で満ち溢れた。 ついでに白いレースのカーテンも……。 眼下に薄紅色の桜並木が広がった。 いえ、実際は全体の一割程度しか開花していない。 そればかりか、くすんだ茶色の幹が枝葉を広げているだけであった。 この季節の、桜の幹全体を眺めるのが好きだ。 幹から妖気が立ち上り、全体を薄紅色のベールで包み込んでいるように見えるから。 もちろん気のせいで、妖気など立ち上っているはずはないのだけれど、 わたしには、少なくともそう感じられるのだ。 これから咲くからねー。 眼下の桜並木から、そう声をかけられたような気がした。 今朝の暖かな空気に乗って、甘い桜の匂いが立ち上ってきた。
2005年04月05日
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枕元の窓を打つ雨で、夜半に目が覚めた。 時折、唸る風の音。 来る春となごる冬の闘いみたいだ。 そんなことを、とり止めもなく考えていたら眠れなくなった。 否、眠れないわけは、元夫からメールであった。 縋る彼の気持ちを、少しも和めてあげられない自分が、情けない。 一度は、助けてあげたいと思ったのに、その気持ちがどこかに消えてしまった。 「あなたたちは、あんなにラブラブだったじゃないの。 一度は会っておかないと後悔するわよ。あなたにだって責任はあるでしょ?」 姉はいう。 わたしはいつだって、後悔するのよ。 でも、仕方がないじゃない。 気持ちがどうにもならないのだもの。 信じていた人から受けたダメージは、 許すとか許されるとか、そんなことじゃないのよ。 気持ちが堂々巡りして、元の木阿弥で、それをどうしても払拭できない。 そこに至るまでの葛藤を、誰が分かってくれるの? わたしのこの胸の内に渦巻く、溶岩のような思いは、 絶対に、誰にも理解できっこないから。 わたしは、言葉にしないで黙りこくった。 分かり様もない気持ちを説明しても言い含められて、 相手を思ってわたし自身が妥協するだけなのだ。 でも、それこそが本心ではないことを、伝えられない。 人間じゃないのかもしれない、と自分でも思う。 これは、夢なのかうつつなのか。 春の嵐は、いつしかわたしの耳元から遠ざかっていた。
2005年04月04日
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よっし! 今日の運勢は、愛情運、金運ともに最高だ。 こんな日は、少々テンションをあげて前向きに行こう。 で、素敵な出会いでもあれば文句なし!^^)
2005年04月04日
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横浜駅から海に沿って、中華街を抜け元町まで歩いた。 セットした万歩計は、15,000歩を超えた。 久しぶりにしっかりと歩いたのに、疲労感もなくまぁまぁと言ったところ。 天候に恵まれて空は真っ青。 途中で出くわす桜の木は、今日の陽気で今にも開花しそうだ。 いつもは車や電車で通過する街が、全く違った顔を見せてくれる。 聳え建つ建造物の群れ。 建設中の工事現場。 歩かなければ、出遭うこともなかった風景たち。 休日の官庁街は静かで、中華街には人が溢れていた。 ちょっとおしゃれな、元町でお茶を飲んだ。 たまには、家を抜け出して、こうして散歩するのも良いものだ。
2005年04月03日
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母の植えた桜が満開になった日、母は旅立った。 いつもの年より、うんと寒い春だったのに。 母の為に桜は咲いた。 そんな風に思えた春だった。 母を見舞った帰りの電車の窓から、母の入院している病院が見えた。 思わず涙が溢れて止まらなくなった。 悲しくて悲しくてたまらなかった。 怪訝な顔をして、わたしの顔を覗き込む娘達が、涙のわけを知りたがったけど、 うまく説明のつかない涙だった。 胸の奥から湧き上がる悲しみだった。 母の死を予感したのかもしれない。 婚家に戻り着いたら、母の死を知らされた。 あれから16年、今年は17回忌である。
2005年04月02日
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今朝も通勤電車で、座れなかった。 このところ、ついてないなー。 そう思って窓外に目をやると、満開の白木蓮の大木が見えた。 堂々として気品のある木蓮は、わたしの好きな花木である。 実家の庭には、白木蓮と紫木蓮が植えてあった。 母が好きだから植えていたのだろうけれど、結局そういうものは、 わたしにも乗り移っていて、いつの間にか母と同じように季節を堪能している。 座れなかった代わりに、今朝わたしは実家の庭の様子を思い出した。
2005年04月01日
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