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少し良い事があった。 仕事で行き詰まっていたことが、改善される。 それだけで、もやもやと澱んでいた憂鬱が解消された。 仕事が忙しくなった。 わたしにとって、ものすごく嬉しい。 暇だとつまらないから。 何かが動き始めた。 きっとこれが転機となる。
2005年02月28日
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久しぶりに長女と鎌倉を歩いた。 コースはいつも変わらない。 午後の陽射しがまだ背中に暖かい二時過、 北鎌倉のホームに降り立った。 そのまま円覚寺の石段を登る。 総門、山門を経て仏殿で手を合わせた。 今回は少し多めに祈った。 家内安全、次女の就職、元夫の病気快復祈願……。 散策の目的は、わたしのウォーキングと長女の悩み事相談であった。 普段から何かと話し合う親子ではあるけれど、 森林浴をしながらのおしゃべりには、内容の割りに湿っぽさがない。 「ねぇ、今度座禅会に参加しない?いろんなことを一から無の境地で考えてみたいの」 最近、何かと悩み事の多い長女の提案にやんわり乗ってみる。 「そうね。良いかもね。母さんも賛成だわ」 いつから始めるか分からないけど、とにかくそれもまたありだろう。 更に奥に入り黄梅院へと石段を登った。 ここは、茶花が多く植えられているわたしの大好きな場所。 万両の実が下がり、沈丁花がまだ硬いつぼみをつけていた。 次に紫陽花寺で有名な明月院。 クリスマスローズ、大木に小さな花をびっしりつけた蝋梅、紅梅、白梅。 紫陽花が枯れ枝の先に、緑の新芽を付けている。 紫陽花の頃、長女の彼氏を伴って来たことをふと思い出す。 「いろんなことがあるけど、でもなんとか前向きに考えてみるわ」 唐突に、長女が言った。 「そうよ。恋愛だけが人生じゃないしね」 最近、彼氏と少しぎくしゃくしているようだ。 でも、人生はその恋だけではない、とわたしは思っている。 「ああ、気持ちが良いね。母さん、また付き合ってあげるわよ」 「そう?ありがとね。ねぇ、あんみつ食べない?」 「わぉー、大賛成!」 そのまま直行した、山里のあんみつは美味しかった。 少し沈みがちな気持ちに、灯りをともしたようだ。 鎌倉街道沿いにそのまま歩いて、JR鎌倉駅から電車に乗った。 たった半日の、心の休息だった。
2005年02月27日
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誰かに支えてもらいたいときがある。 言葉も無く、ただじっとしているだけでいい。 でも、そこに美味しい料理と酒でもあれば一層嬉しいのだけれど。 不思議な鍋料理を食べた。 とろとろの出汁の中に、地鶏や野菜や豆腐、牛蒡を放り込む。 泡立つ出汁を、煮えた素材にまぶすようにして食べるのである。 これがなんとも暖かくて美味だった。 なんでも出汁の中には、餅を溶かしているのだとか。 ふーふー言いながら、湯気の向こうの笑顔を垣間見た。 同じように、ふーふーと鍋をつっついている。 たったこれだけ。 でも、わたしにはそこはかとなく素敵な時間。 また明日も頑張ろうって、元気になった。 米粒のような、小さな幸せ。 でも、マシュマロのような素敵な時間。
2005年02月26日
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長女が戻ってきたので、ソファーを買った。 以前使っていたものは手狭なこともあって、捨ててしまったのだが、 二人が三人になると、一個のロッキングチェアだけでは確かに不便だった。 くつろぎの時間になると、その一個をめぐって争奪戦となる。 誰もが同じ気持ちで憩いたいのだから仕方がない。 それでも高価なものは必要ではないので、お手ごろなアイボリーのレザー仕様にしたのだけれど。 ところが、これが思いのほか素敵なのだ。 部屋の雰囲気を壊すことなく、それでいてほんわかと収まった。 以前から持っていたムートンの敷物が、またぴったりはまり、 背中にお日様を浴びる位置に配置したのが、これまたグッド。 次女はそのまま横になって眠っている。 時折、眩しそうに陽射しを避けて……。 また三人で、陽だまりを分け合うことになった。
2005年02月25日
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久しぶりに肉じゃがを作った。 大きな男爵いもを大ぶりに切って、肉を多めに入れた。 なんともふっくらと美味しい肉じゃがができた。 「良い匂い。味見していい?」 勤めから帰宅したばかりの長女が、手洗いもそこそこにやって来た。 「どう?」 手塩皿に乗せて渡した。 「うまぁーい」 「でしょう?我ながら、ふ、ふ」 「母さんの肉じゃが最高ー」 思い切り目尻を下げた。 「これから彼とデート」 「じゃ持ってく?」 「持ってくー」 お鍋にいっぱい詰めた肉じゃがと、ぬかみそを持って慌しく出かけた。 背中に、『し・あ・わ・せ』の四文字が見えた。
2005年02月24日
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春一番が吹き荒れた。 ものすごい風だった。 今の住まいに越して来て、最初に感じたのがこの風の唸る音であった。 その音はとても恐く、強靭なコンクリートの建物さえもどこかに運び去って、 粉々にしてしまいそうなものすごい勢いであった。 それは、女世帯の心細さをまるで見透かしたように、 これでもか、これでも屈しないのかと、建物の壁をすさまじく叩くのであった。 「恐いね」 三人で布団に包まって、唸る風の音をやり過ごす。 「今までこんな風知らないよね。なんだか台風の時みたい」 「大丈夫だよ。この建物が飛ぶはずないからさ。 こういうのを、もがり笛のようなって表現するらしいよ」 不安をうち消すように、他愛のない言葉を口に出した。 その実、それぞれの胸のうちは地震の次の恐怖で揺れていた。 最初に遭遇した夜。 こうして、まんじりともしないで夜を明かしたものである。 今ではすっかり、風の音は日常に溶け込んだ。 「春一番だったらしいわね。 ベランダの物干竿が飛んでいきそうだったわ」 「そうよ。これからは三寒四温で確実に春はやってくるわ」 厳しい冬が少し緩んだ。 わたしの大好きな瞬間である。 これから大地は目まぐるしい勢いで、目を覚ます。 きっと良いことがある、と希望や漲る力をくれる。 だからわたしはまた、未来へ向かって逞しく生きていけるのだ。
2005年02月23日
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見たくなかった。 さりげなく、その先へ進みたかったのに。 でも手は止まり、釘付けになった。 抗がん剤の投与で頭髪は抜け落ち、眉毛もない。 数年前の面影は、全く失せていた。 すでにわたしが知らない老人が、娘の隣に映っていた。 胸をぎゅうっと締め付けられた。 娘達はどんな思いで連休を、父親と過ごして来たのだろうか。 「父さん、こんなになっていたの?」 「うん。頑張るって言うけど、どう頑張るのよーって言ってしまいたくなるくらい弱っていた」 「そう。辛かったね」 「うん、かなり。でも現実として捉えなきゃと思ってる」 わたしの心臓の真ん中に、剛速球で娘達の本音が飛び込んできた。 事態はかなり深刻を呈している。 「父さんの人生ってなんだったのかしら?」 別れた夫の、数年前の顔を思い浮かべた。 「それを言うなら、母さん。自分の人生は?って思いなよ。 母さんの人生も負けてないから」 「まぁね」 曖昧に笑いながら、わたしは深く傷ついていた。 わたしの選んだ人生の先で、こんなに人を不幸にしてしまったのか。 自力本願で生きて来たのに…。 長女に声をかけられるまで、わたしは放心状態となっていた。 「母さん。落ち込んでも今更仕方がないよ。それより、少し飲もうか」 「うん。そうだね」 父親の所から戻って来た日も今も、娘達は同じだった。 少しも悲観的ではない。 「切ないねぇ」 「うん」 力なくうなだれたわたしに次女が、芋焼酎を渡した。 再び写真を手にとって、わたしはじっと見つめた。 あらためて、この悲しみの深さを思い知らされた。 今夜は思い切り酔いたい、と思った。 わたしたちは静かに焼酎を飲んだ。
2005年02月22日
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まだ出会ってから、二度目の約束であった。 一度目は、かれこれ一時間ほど待たされた。 マンウォッチング好きのわたしは、待たされることにさして苦痛を感じない。 ぼんやりと、飽かずに人の往来を眺めている。 でも最初くらい、約束の時間を守って欲しいというのが本音でもあった。 二度目。 十分間は待とう。 それを過ぎたら理由の如何に関わらず、待たない。 そう決めて約束の場所へと三十分早く到着。 こちらの勝手であるけれど、都合40分待った。 来ない。 電話を入れた。 出ない。 出ないことにほっとして、席を立った。 相手がわたしを重要に思ってないと判断し、メールを打った。 『待っていたけどいらっしゃらないので、帰ります。ご縁がなかったということでしょうか。さようなら』 会いたいと、時間も場所も指定してきたのは、あなたでしょう。 社会のルールが守れないような人は、わたしには無用です。 心の中で精一杯悪態をついた。 背筋をぴんと伸ばし、コートの襟を立てた。 今頃、大幅に遅れて待ち合わせの場所に向かっていることだろう。 でも、わたしはもう迷わない。
2005年02月21日
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あなたが好き。 物腰の柔らかさ。 眼差しの優しさ。 最後の、少女の恋は、 今始まりました。
2005年02月20日
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ものすごく甘い親だと自覚している。 時には、子供に対してどこまでしてやれば良いのかと、迷い思案をしてしまう。 そんな時、わたしは必ず亡き母との関係に置き換えてみた。 兄弟が多かったので割合早い時期に、わたしは精神的自立をしていたように思う。 親に構ってもらえない環境は、それなりに生きる術を身に付けるものなのだ。 だから人には懐くけど甘えない、という構造が幼くしてすでに確立していた。 その上にしたたかさをもあわせ持っていたわたしは、効率の良い懐き方をすでに体得していたのだ。 だから、のべつ幕なし人に懐いたりはしなかった。 その辺りの駆け引きは、誰より巧妙にそして無意識にやっていたのだと思う。 ところが、わたしの娘たちはわたしのそれを知らない。 知らないというより、もっと純粋だ。 駆け引きもなければ、単なる人に懐くイコール甘えという構造しか持っていなかった。 だから大人の男にとって、時には愛らしく、日々重い存在と化していくのではないだろうか? ある時は心から甘える相手であり、またある時は毅然と振る舞い、 凛とした女性であって欲しいと望む男性を、わたしは否めない。 むしろ、そういう女性であり続けたいと今も尚思う。 わたしには親に迷惑をかけられない、という思いがいつもあった。 その中で実際には数多く迷惑をかけてしまったけれど、そういう意識で生きていくということが必要なのだと思う。 我が娘達も、基本的には根底にそういう意識が流れているのだけれど、まだまだその道のりは遠い。 亡き母の偉大さは、自分の生き様で人生を教えてくれたことだ。 日々の暮らしの中で伝えることですら、言葉は要らなかった。 わたしの脳裏にある母との関係は、そう簡単に消えてしまうものではないからだ。 甘えることと懐くこと。 これからの様々な経験から、その違いをしっかり学んで欲しいと思う。 もっとしたたかにそして、今よりもっと素敵な自立した女性へと変身するために。 わたしには、意地悪な気持ちなど毛頭なく、 娘達がひたすら幸せで、安穏な道を歩いてくれたらなー、 と切に切に、そう願うのみである。
2005年02月19日
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常夜鍋と書いて、『とこやなべ』というらしい。 お恥ずかしいながら今朝初めて知った。 実はこの鍋料理は、ずっと以前に友人から教わったのであった。 「ほうれん草と豚肉だけで作るお鍋で、じょーや鍋ってあるんだけど、美味しいわよ」 「じょーや鍋?どんな字書くの?」 「知らないわよ。とにかく簡単で美味しいから試してみて」 というわけで作ったのだけれど、さっぱりとして簡単で、本当に旨かった。 で、我が家では冬場の鍋料理で、必ず出てくる定番なのだった。 夕べ、久しぶりにこれを作って食べたのである。 「お母さん、じょーやってどんな字ですか?」 長女の彼氏が聞いた。 「常の夜」 「ああ、そういえば実家のお袋がよく作るなーこれって」 ここで鍋の名前の話は終わり、この時季甘くて美味しいほうれん草を、うまい、うまいと堪能したのである。 今朝、なんとなく検索をかけてみたら、どうやら「とこやなべ」らしいのだ。 オーマイゴーット! きっと、彼氏は実家で食べて名前も知っていたのだろう。 ところが、わたしは「今夜はじょーやなべだから食べにおいでぇ」と誘ったのであった。 ものすごい期待して、彼氏はやって来たに違いない。 「実家ではとこやなべって言うけどなー」とわたしの間違いに気づきつつ、知らない振りをしたのだろう。 ああー、恥ずかしい。 でも、友人は今でも 「じょーや鍋ってね、豚肉とほうれん草だけで作るのよ。美味しいからー」って、広めているのだろうか? 後で、長女の彼氏には訂正をいれておかなくちゃ…トホホ。
2005年02月18日
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「今日の母さんって、ノリノリだね」 「ほんと。珍しい!」 あまり好きではないので、誘われてもついつい二の足を踏むカラオケでの話であった。 わが娘たちは、何しろカラオケが大好きだ。 嬉しいにつけ、悲しいにつけカラオケに行きたがる。 そしてその都度、わたしはスポンサーとして半ば強引に連行されるのだ。 昨日も夕食の後、行く気満々の彼女らを無下に断ることができなくて、仕方なくの同行であった。 実は長女には、かなり真剣な悩み事があった。 わたしはそれを察知して、少しでも気が紛れるのならば、と思ったのだ。 わざと気分をハイにして、歌いまくった。 茶々を入れたり、合いの手をいれたりと、ひょうきん丸出し。 おかげで、みんなが笑顔になった。 「母さんたらぁ。子供みたいなんだから。姉ちゃんの不幸(実際は不幸と言うほどのことではないのだけれど)を、どこか喜んでない?」 本当に仕方がない、という風に次女はわたしをたしなめた。 わたしは無言で更に笑顔を返した。 「多羅ちゃん。母さんは喜んでないよ。本当は心配してくれてるの。だから今日も億劫なカラオケに付き合ってくれてるのよ」 「もちろん、分かってるわよ」 二人の会話がじんと来た。 この姉妹なら、この先もちゃんと助け合って生きていかれる。 わたしは、そう確信するのだった。
2005年02月17日
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ものすごい運気だ。 恋愛運、金運、仕事運。 すべて最高だった。 だけど、何が最高なのさーって頬を膨らませた後。 思いがけないお金が入った。
2005年02月16日
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奥歯が浮いて、噛むたびに顔を顰めていた。 今の所に越してきて、まだ一度も歯科医にかかっていなかった。 ところが日々痛みが増すので、少し遠回りになるけれど、 仕方なく以前の歯科医に立ち寄ってみた。 予約で空きがなかったのに、急患ということで快く受け入れてくれた。 やはり、来てよかった。 新規の患者だと、こうは行かなかっただろう。 「名前も住所も変わったのですが」 保険証と以前の診察券をおずおず差し出すと、両方を見比べながら 「はい。承知しました」と新人の受付嬢は笑顔で受け取った。 「これはひどい。もう少し早くくれば良かったのに。今から抜きましょう」 「え?今からですか?」 わたしは心構えができてなかったので、ほんの少しうろたえた。 「このまま放っておいても痛むだけでよくはならないよ」 「はい。それならお願いします」 「もう少し早くくれば手立てもあったのに。最後に来てからすでに一年ですよ。 後二本、放って置けない歯がありますから、ちょっと通ってくださいね」 目の前のレントゲン写真で、丁寧に説明してくれた。 最初、カルテとわたしの顔を見比べて、少し戸惑いの色をにじませた。 わたしは意味もなくにこっと笑った。 先生は軽くうなずいた。きっとわたしの事情を察してくれたのだろう 帰るときは新しい名前で呼んでくれた。 「また来週。どうぞお大事にー」 そこには、かれこれ二十年近く通っていた。 たったそれだけのことが、故郷に帰ったみたいでものすごく嬉しかった。 通りの喧騒も、街の灯りも、どこかすでに身体に馴染んだものだった。 麻酔のかかった奥歯のあたりを舌先がまさぐっている。 舌先に鉄分を含んだ血の味を捕らえた。 馴染んでないのは、空洞になった元の奥歯のあった場所とわたし自身だった。 わたしは以前住んでいた家路に背を向けて、懐かしい道を駅へと急いだ。
2005年02月15日
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美味しいものを食べると、人はとっても幸せになる。 昨日は職場の人たちに、勤めて一年が過ぎた記念にと、 魚料理をご馳走になった。 まるでテーブルの上で魚が跳ねているくらい、新鮮だった。 実に旨かった。 美味しいものをいただくと、気持ちがまぁるくなるのはなぜ? またまた、体重計のメモリがピーンと上がってしまったけど、 幸福をくれたから、まぁ良いか。
2005年02月14日
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二泊三日を、別れた父親と過ごして娘達が帰ってきた。 土産の日本酒で、いっぱいやろうよ、と夕食にはすでに遅い時刻から、小さな酒宴は始まった。 辛口、ちょい甘口、と冷えた日本酒を酌み交わす。 「どうだった?病人を元気だったかって聞くのも妙だけど」 「うん。まぁまぁ。夏のときとあまり変化はないと思ったけど」 「そう。それなら良かった」 「おばあちゃんと父さんが並ぶと夫婦みたいで、あたし達は孫みたいに見えるよ」 その言葉で、彼がどれだけ憔悴しているかが想像ついた。 「おばあちゃんの言葉がちょっと胸に来たけど」 「なんて?」 「来てくれるのは嬉しいけど、あんた達が帰った後、しょげてしまうのが可哀想で…って」 「そう」 光景が浮かんだ。 それぞれが、いつになったら楽になれるのだろう。 切ないなー。 「飲みましょう。おかあさん」 長女の彼が、場を盛り上げるように、少し陽気に杯を上げた。
2005年02月13日
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文明の利器に、苦笑している。 いとも簡単に、証拠撮影できるなんて…トホホ。 先日、酔ったとき。 わたしは相当騒いだらしい。 そうそう。 あの、泡盛のロックをしこたま呷った夜。 「母さん、すんごい面白い映像があるよ、見る?」 「なぁに?」 「母さんの醜態」 「うっそー!」 「ほんと。ほら」 携帯のモニターが動いてる。 「踊ったんだよ、憶えてないの?」 「うっそーーー!」 「ほら~ったら。みなよ」 ひょいと覗くと、阿波踊りと思しき動きが垣間見えた。 「きっと別人格じゃない?母さんじゃないよ。母さんの皮を被った狐かな?」 「おいおい。これはあんただろ。どう見たってあんたじゃん」 それは、それはものすごく笑えた。 おなかが捩れて切れそうだった。 「これちゃんと保存しとくんだー。証拠だもん」 まぁ良いか。 これも生のわたしだもん。 ドジ伝説、再び更新…みたいな。ふぅ~。
2005年02月12日
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わたしも彼も、同じ親なのだ。 だから子供達には、同じ距離。 どちらが大事ってものではない。 そんなこと百も承知さ。 でも、なんだか、ふと、ものすごく。 さみしくて、かなしくて。 「行ってらっしゃい。父さんによろしくね!」 精一杯の笑顔で送り出した。 昔、仲良し家族だった。 その中に自分だけが居ない。 その疎外感がたまらない。 わたしが悪いんじゃないのに…って。 でも、本当はわたしが悪いのだろう。 夜。 友人と飲んだ。 カラオケでシャウトした。 思い出の曲に出あうたび。 訳も無く涙があふれ出る。 深い穴にまた落ちた。
2005年02月11日
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つくづく思う。 なんてわがままな母親なのだろう、と。 折角の、些細だけれど、わたしのためのパーティなのに、 わたしはずっと仏頂面で気乗りしない。 次女の得意な稲荷寿司が並び、大好きなカサブランカは長女の彼氏から。 威勢良く蓋が飛び、シュワシュワと注がれるシャンパン。 ローソクに灯をつけて、歌いだすハッピーバースディ。 嬉しいはずなのに、どこかに穴が空いている。 数日前に無くした手袋と定期入れがプレゼントだった。 全く別な角度から、わたしは私を眺めている。 心が今日は冷めている。 二人で遠慮がちに、手作りカードを作っている。 父親の誕生日プレゼントに添えるためだ。 額を寄せ合っている背中が、喜びを押し殺している。 でも、本当は互いが何もかも分かっていた。 明朝、父親に会いに行く娘たち。 少し困らせて、わたしがいる。
2005年02月10日
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ああ、また飲みすぎた。 禁酒宣言でもしなきゃ、止められないのかなぁ。 30度の泡盛をロックで飲み始めたのは良いけれど、 水を飲むのを忘れて、くいくいと。 これはいけません。 それでも事前に肝臓系のサプリメントを飲んでおいたので、 それほど酷くはないけれど。 でも、午前中は話になりません。 娘からはメールが入り 「生きてる?大丈夫?」 「生きてる。大丈夫。」 と返信しておいた。 さぁ今夜も飲み会だ~^^)
2005年02月09日
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お気に入りの手袋を落とした。 友人から誕生日の祝いにもらった、高価な黒の皮製である。 故障したので機種変更したばかりの携帯電話の操作に、 気を取られていた隙のことだった。 頭の片隅に、『あれ、何か落としたかな?』と思った瞬間があった。 それは満員のエレベータの中だった。 気になりながら、人の流れに押されて電車に乗った。 会社に着いてバッグを探るが、やはりなかった。 あの時、一瞬掠めた不安は的中していたのだ。 がっかりである。 わたしは物をものすごく大事にする。 それは、過剰ともいえるほどの強さであった。 特に頂き物となると、愛着も一入なのだ。 自分の不注意なので誰をも恨めないけれど、 悔しくてたまらない。 ごめんなさい、Kちゃん。 右手だけ残った手袋を、じっと見ている。
2005年02月08日
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最近とくに感じることがある。 テレビ等でこの寒いのに、肌を露にしているタレント。 やはり、ほんの少しの季節の先取りは素敵だけど、 この寒い季節のノースリーブやもろ肌は、どうかと思う。 四季のある日本は、本当に素敵。 思い出のすべての背景となる。 ああ、花びらが舞う桜の頃だった、 そういえば、若葉の季節だったわ、 燃えるような紅葉を愛で、やがて粉雪がしんしんと積もる。 そのめぐる季節が、思い出をしっかりと彩ってくれるのだ。 ところが、そんな季節感などお構いなしな人たちを見ると、 一体今の季節って?、な気分になってしまう。 もっと四季のファッションを楽しんで欲しい。 それこそが本当のおしゃれであり、粋というものなのではないのかしら。
2005年02月07日
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温泉のピンポンには不思議な魅力がある。 運動大嫌いで、ひとりいじけムードのようなわたしにさえ、ラケットを握らせる。 子供の相手をするのが面倒で、高校時代卓球部に所属していた話は伏せていた。 それがあまりにも楽しそうに興じている様は、見るものをその気にさせた。 卓球部に所属していたと言っても、大したことはない。 だって、一年の一学期しかやらなかったのだから。 毎日、毎日素振りだけ。 これには飽きた。 部長(男性)に、つまらないから打たせて欲しいと願い出ると、 十年早いと却下された。 七時限が終わって部室に駆けつけると、部活終了時間までいくらもなかった。 だから、わたしはひたすら素振りで終わった。 毎日、毎日。 その甲斐あってか、フォームだけは出来ているらしい。 いきなり、うん十年ぶりに握ったラケットが動き出した。 「お、すごい。母さんできるじゃん、知らなかったなー」 誉められたのか、貶されたのか。 その両方の歓声の中で、わたしは若者達を負かしたのだ。 スマッシュが入ると、やはり気持ちが良い。 ついでに 「こう見えても、テニスだってやったのよ」 「知ってるよ。テニスは」 言わずもがなだった。 ピンポンなら程よい運動なのかもしれないなー。 運動のために、やってみても悪くない。 ただし、悪くないと思う程度だけれど。
2005年02月06日
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MOA美術館へ行った。 所蔵名品展(国宝 光琳筆紅白梅図屏風)を観るためだ。 これで何度目だろうか。 光琳に恋焦がれた二十代は、遠く岡山の地にいた。 会いたくても、一般公開のこの時季に来るには遠すぎた。 比較的近くに住むようになっても、その機会はすこぶる少なかった。 それがようやく毎年行事となった。 今回は長女も観たいというので、結局家族旅行のような形になった。 もっと落ち着いて丁寧に観るのかと思ったけれど、前日の寝不足が祟ったのか、そうでもなかった。 それでも後で、絵について感想を述べていた。 「もしこの屏風を一つだけくれると言ったらどっちが欲しい?」 の問いに「赤の方。理由は白は寂しいから」と言った。 へぇと思いながら、わたしは白梅の方が好きだと思った。 一双で一つの作品でありながら、白梅図はそれだけで素晴らしい。 構図や動きに無駄が無く、計算され尽くした美を感じるからだ。 絵を堪能した後は、梅園の観梅。 白梅はほぼ満開で、その中に紅梅が色を添えていた。 ふと目にした鮮やかな黄色。 ソケイに似ていると近付いてみた。 ひとまずデジカメに納めて、調べてみるとどうやら雲南黄梅らしい。 まだ春には遠いけれど、こういう鮮やかな色に会うと、心が華やぐものである。
2005年02月05日
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節分がすぎた。 今日から暦の上では春である。 庭に下りたら、沈丁花の紅い蕾がやや丸みを帯びていた。 義母はどういう訳か、沈丁花を次々と挿し木をしては増やしていた。 それほどに好きな花だったのだろうか。 それとも単純に増やすことが楽しみだったのだろうか。 義母が家を出てからも、この花は何度も咲いた。 少し気温が緩み始めたら、一気に芳香を放つのである。 その香りを楽しみながら、義母の気持ちに添えなかったことが頭を過ぎるのであった。 冬は精神的に辛くなる。 なぜだか運気が下降線を辿る。 寒さが心の中まで凍みてしまうのか……。 そんな時、梅が開いた。 薄桃色や白い花を見るとき、気持ちがほっとする。 殺風景な景色が急に華やいで、春の訪れを教えてくれる。 「春の来ない冬はないよ」 実母の口癖だった。 落ち込んだ時は、この言葉を噛み締めた。 「ね、一雨ごとに気温は緩んで、暖かくなるでしょ?」 実母は絶対に振り向かなかった。 前へ前へと歩を進めた。 わたしも頑張らなくちゃ! 空元気だけがからから空回りするけれど、 沈丁花が一気に花開いたら、本当の春はやって来る。 02/02/04(月) 00:03 紫苑
2005年02月04日
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すれ違ってばかりの娘達と、久しぶりに外で会った。 長女は転職したばかりだけれど、今の方が時間のゆとりがある。 次女は今まさに就職活動の真っ只中で慌しいのだけれど、バイトが休みだった。 だから、久しぶりに三人が顔を合わせたのだった。 成長した子供を眺めるのは、親としては嬉しいものがある。 でも成長を喜ぶ反面、少しずつ溝を感じるのも否めない。 かつてわたしが親を越え、対等に口を利き始めた頃。 きっと、両親は同じ思いを感じたに違いない。 こんな後になってそのことを思うなんて、予想だにしなかった。 わたしはその寂しさに、愕然とした。 そういう時わたしは、沈んでしまう。 時の隙間をくぐって、ものすごく母に会いたいと思う。 そして「ごめんなさい」と謝りたくなる。
2005年02月03日
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自分でしみじみ思う。 過保護かなーって。 でも、わたしも母にそうしてもらった。 だから子供達に返しているのだ。 大人になってからの過保護っていうのは、 受ける方にしたら嬉しいものである。 わたしなんか自慢じゃないけど、娘時代何もしなかった。 掃除(これは趣味だからさておき)以外、ほとんだやったことがない。 料理も洗濯も全部母任せ。 湯気の立つ味噌汁のにおいで起こされて、 仕事を終えて家に戻ると、夕飯の仕度は整っていた。 これはかなり心地良いものだった。 それに比べれば、わたしがやることなんて大したことではない。 昨日も、今日から新しい職場入りする長女のために、 都内に二箇所しかないという菓子を買いに行った。 それくらいのことである。 でも、それが過保護なのだと周囲は笑った。 だから多分、過保護なのだろう。 就職活動中の次女が、コートがないと言った。 すでに春物が並び冬用のコートは売ってない、 という彼女のために、わたしは走った。 そしてコートをゲットした。 次女は嬉しそうな顔をした。 たったそれだけのこと。 でも、そうだよなー。 過保護だよなー。 まぁいいか。 彼女達はわたしと違って、実は何でも一人でできるんだから。 今のうちだけだ。 だから笑って見逃して。 ねぇ。
2005年02月02日
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父が逝ったのは、如月の底冷えのする夕刻だった。 あれからどのくらいの時間が、わたしの頭上を通過したのだろうか。 頑固で利己的な父には、我々子供達は随分泣かされたものである。 でも、どんなに理不尽で許せないと思っても、 父を心から憎んだことなど一度もなかった。 今では、すべてが素敵な想い出にすりかわっていた。 わたしは父との親子関係を思うとき、 同時に娘達と元夫との関係に思いを馳せるのだった。 「もうすぐ誕生日だけど」 言いにくそうに長女が言った。 「そうね、何か考えてるの?」 「うん。お見舞いに行ってこようかと思ってる」 「そう。きっと喜ぶね」 「だから母さんの誕生日、 一緒に過ごしてあげられないけど良い?」 わたしと元夫の誕生日は近い。 彼が先で、わたしが後だった。 わたしの誕生日に近い三連休を、 父親と過ごしてやりたいと言うのである。 「良いわよ。母さんのことは」 「本当?」 「うん。良い」 「でね、メールを入れたんだ。 そしたらね、頑張って生きてきてよかったって。 良いことがあるもんだって、嬉しそうなの。 病院の許可をもらって、外泊するって」 「そう」 「うん」 それっきり二人は黙り込んだ。 たとえ何があったとしても、親子の関係は永遠である。 小憎らしく思った父のことだって、真から憎むことはできなかった。 まして、娘達と元夫はすこぶる良い関係にあったのだから、 そうしてあげたい気持ちが、痛いくらい伝わってきた。 元夫からメールが入った。 「連休に会いに来てくれるそうです。 感謝します。ちゃんと育ててくれてありがとう。 これからも娘達を、僕の代わりによろしくお願いします」 わたしは、返事を返さなかった。 「お願いされなくたって、面倒みるわよ……」 心の中で精一杯の声をあげた。 わたしは、父のことを思った。 ただ、22年前に逝った父のことを……。
2005年02月01日
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