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我が塾の大学受験生12人。 5人がすでに指定校推薦やAO入試で合格を果たしました。おめでとう! 残る7人は、これから一般入試で合格を果たすこととなる。 推薦合格により卒業した諸君お疲れ様。 一般入試で合格を果たす予定の諸君あと5ヶ月弱?がんばりましょう!
2008.09.30
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若いころは、自分は使うことはないだろう、と思っていた。海外に行くのをきっかけに作って、気がついたら、結構お世話になっていた。 クレジット・カードのハナシです。 僕は、今現在、クレジット・カードにかなり頼っている。例えば、今使っているネット回線の支払もカードだし、家賃もカード決済、愛用しているAmazon.co.jpの支払は、全部カード。面倒くさいから、何枚も持っているわけではない。最近は、MASTERかVISAか、どちらかが使えれば、国内外、たいてい問題はない。 僕は10年来、セゾン・カードをメインに使っている。セゾンをお使いの方はお分かりでしょうけれども、これを使っていると「永久不滅ポイント」が貯まっていく。アイテムとの交換ができるポイントだ。 ポイントといえば、実は僕は、累積ポイントとかサービスチケットとかを使うのがとことんヘタである。サービスチケットの場合、店先で出すのが、なんか照れくさかったり、面倒だったりで、あまり有効に使えていない。ポイントやクーポンの場合、貯めてみようとは思うけど、交換する前に期限が切れたり、郵送する場合には、やっぱり面倒くさくなったり、貯まっていることに気づかずにいたり…で、結局、有効に交換できたためしがない。携帯電話はDoCoMoを使っているけど、5月に機種変更をしたとき、「10年使ってて、コレですかぁ!!」と、あまりのポイントの少なさに(つまり、大変効率の悪い契約をしていた・・・)ドコモ・ショップの店員さんになぜか、半分怒られ気味に、あきれられた。 で、セゾン・カードの永久不滅ポイント。 毎月一定の支払があるから、ポイントは自動的に貯まっていく。「せっかく貯まっていくのだから、ムダはいかんよな、うん」と思って、交換アイテムのカタログを、何の気なしに眺めてみた。 そしたら、すごいアイテムがあった。 「プライベートジェット機で行く ハワイ10日間の旅、4名分」。最寄りの空港までリムジンで送迎。そこからプライベートジェット機(専用機!)でハワイにひとっとび。飛行機内では、ファーストクラス以上のサービス。プライベートジェットだから、天候が悪いときは、ハワイの他の島へもひとっとび。10日間のハワイ滞在中は、最高級ホテルに泊まり、専用車と専属ガイドがつく。 いやー、とんでもない、豪勢な旅である。まさに、貴族の旅。これぞ、セレブリティー。いいなー、行きたいなー。 …が、その夢はあっけなく破壊される。 必要交換ポイントは、なーんと、10,000,000ポイント。 マルが多くてよく分からんですね。 「1千万ポイント」です。 … もう、サービスポイントの域を飛び越えてますね、コレ。 ちなみに、僕の毎月の累積ポイントは100とか150とか、今月分は142ポイント。 10,000,000ポイント貯まるまで、70422ヶ月かかることになる。 なんと、5868年だ。 およそ6000年後、「子孫に遺骨をハワイに持って行ってもらえ」とでも言うのか。 たぶん、最も達成の難しいポイントサービスのひとつでしょう。だったら、泳いで行ったほうが、まだ早い気がする。Kama
2008.09.30
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先に断っておくと、今回は「結構、難しい文章」になるでしょう。愛読してくれている生徒諸君、心して、内容の根幹を少しでもくみ取ってほしい。 先日、ジョン・ケージの「ASLAP」という曲を紹介した。(未読の方は、こちらからどうぞ)今現在、ドイツにおいて「演奏中」で、終了予定は西暦2639年、実に、総演奏時間639年の世界最長の曲である。 記事を書いた後、僕は「639年」という演奏時間について、思索を続けていた。大学の卒業論文において、僕は芸術の芸術たるゆえんを「作者の意志が介在すること」と定義づけた。が、この論文は、今読み返してみると大変稚拙であって、現在の僕に言わせれば「作文」の域を出ない。論拠もあいまいだし、だいたい一人称が登場してしまう時点で、ダメだと思っている。だから、「作者の意志」という定義も、もはや「若気の至り」である。いや、そういう瞬間もあるであろう。しかし、その延長線上には、それ以外の「意志」もあり得る。これは、そういう話である。 「ASLAP」という曲は、アメリカの作曲者、ジョン・ケージによって作られた曲で、ト書きとして「できるだけ、遅く」という注意がある。このト書きは、作曲者の「意志」である。が、曲自体は、さっさと演奏すれば20分程度で終了する。その曲を639年にまで引き延ばしたのは作曲者の意志を超えている。ケージは、確かに、「できるだけ遅く」と記した。が、639年という時間を定義づけたのはドイツ人のプロジェクトチームである。 ケージが亡くなったのは92年、639年にわたる演奏が始まったのは01年。「できるだけ遅く」とあるから、それじゃあ、これでもかというくらい遅くやってやろう、そういう「意志」がある。ちなみに、639年の根拠は、演奏されている廃教会が建てられてから演奏開始の2001年までに639年が経過していたから。 さて、現在演奏開始から7年が経過した。曲は、まだ始まったばかり。639年という時間を設定したチームは、残念ながら、この曲を最後まで見届けることはできない。というより、この記事を書いている僕も、読んでくれている皆さんも、99.99999999999…%、見届けられない。 ならば、たとえば300年後に演奏が続いている「ASLAP」。いったい、誰の「意志」によるものであるか。 一見、話がそれるように感じるかもしれないが、先ほど、中学生の生徒たちに「アメリカ」について語っていた。きっかけは、アメリカ大陸に移住したイギリス人について、で、宗教改革を発端とした、歴史・地理を融合した内容である。 「アメリカ」は、誰が何と言おうと、「特別な国」である。たかだか200年程度の歴史しかもたないこの国は、決して他の国と同列には語れない。いわゆる「先進国アメリカ」を築いたのはイギリスを中心とするヨーロッパからの移民たちだった。彼らは、既存の社会に、ある意味、愛想をつかし、理想の国家、「完全なる社会」を創るために新大陸に移り住んだ。 ゆえに、「アメリカ」は必然的に「理想」であり、「完全」である。現実との照らし合わせをしてはならない。ここで語られるのは、あくまでその誕生の由来であり、本質的なレゾン・デートル(存在意義)である。 だから、「アメリカ」がほかの国々を蹂躙し、啓蒙するのは、至極当然のことである。なぜなら、「アメリカ」は「理想・完全」であるから、それ以外の、日本を含めた国々はすべて「不完全」であるから。そして、「完全なるもの」は「不完全」を「救済」するのである。 数々の国を蹂躙するのは、「不完全」なものを「理想・完全」に「導く」ためである。「善」である。 「アメリカ」以外のすべての国々は「後進」であり、「不完全」であり、(これを否定してはならない。 「アメリカ」の成り立ちは、あくまでも「後進」からの超越である。)「理想・完全」である自らのあり方を浸透させるのは、絶対的な「善」である。神が人を神の領域に導くのである。 だが、これは「誰」の「意志」であるか。今もなお、自由の国アメリカを目指す者は少なくないが、では彼らは、他の国を導くことを意図しているかというと、そんなことはない。しかし、先のイラク戦争を見てもわかるとおり、「他の国を導くべき、理想・完全なるアメリカ」は存在する。 ここで断っておくが、僕自身は、「アメリカ」のやり方…。大キライである。 アメリカという国で暮らし、かの地のいいところを知り、帰国後に書いた文章では「アメリカの悪いところは見いだせない」とまで書いた僕であるが、だからこそ、アメリカを受け入れることができない。 完全・同一なる「一」を信じていない。エヴァンゲリオンではないが、行き詰った国々を単体にする補完は受け入れられない。差異による「個」を大切にしたい。そんな僕や、おそらくイラクの人々にしてみれば「アメリカ」の「導き」は、ただのおせっかいである。現に、アメリカ内部でも先のイラク侵攻は誤りであったという論が主である。 では「理想・完全なるアメリカ」は、誰の「意志」であるか。 「アメリカ」の「意志」である。 「アメリカ」は、そうあるべく建国されたがゆえに、未だ、その「意志」を持っている。そこに暮らす「人」の意志とは無関係に。 つまり、人だけが「意志」をもつのではない。無生物も「意志」を持つ。「アメリカ」とか「国」とか、そういう抽象ですら「意志」を持つ。無論、ここで言う「意志」は、人が一般に使う「意志」とは意味が異なる。というより、「意志」という言葉は、本来こういう意味である。 「意志」は「思考・思想」ではない。「意志」とは、たどりつくべき目的に向かうベクトルのことで、行動というより、その方向を自然と指さす「パトス」のようなものである。人の「意志」によって築かれた「アメリカ」。そのアメリカは、誕生の意義をそのまま内在し、「アメリカ」としての「意志」を屈強なものにした。それは、そこに暮らす人の思いを超えた、無生物の「意志」である。 同様のものを、僕はKing Crimsonのリーダーロバート・フリップの「自分は、クリムゾンの成すことに驚きを感じる」という言葉に見出す。また、筒井康隆氏が書いた小説のひとつに人が定義した「時間」という概念に「人」自身が置いてけぼりを喰らうというのがあるが、それも同様だ。ここでは、「時間」が「意志」を持った。 さて、話を戻そう。 「639年」。今現在、最後まで見届けられる「人」は存在しえないだろう世界最長の曲。 その曲が持つ「意志」とは。 639年間、音楽が奏で続けられるための条件は厳しい。640年前といえば西暦1368年。日本においては、ようやく室町幕府が機能しはじめたころ。100年後には、全国を巻き込む応仁の乱に突入する。とても音楽どころではない。 639年間、音楽が奏でられる条件。 それは、西暦2639年時点で人が存在し続けているということ、そして、それまでの間、ドイツが空爆などにあわず、無事に演奏ができる状況であること。 世界中が巻き込まれる戦乱が起こらないこと。 今現在、オルガンの音を響かせる「ASLAP」という曲の持つ「意志」。僕は、こんなことを見出した。これが、本当に「曲」の持つ意志であるかどうか、それは600年後の人のみが判断できる。 今も、ドイツで、曲が奏で続けられている。Kama
2008.09.29
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中学生のみなさん。体育祭、お疲れ様でした。 さぁ、次は中間テストですよ!(中3生はその前に北辰という大物も片付けなきゃいけませんが・・・) 本日から、中間テスト対策授業がはじまりました。 まずは、中3生が先発です。(中1・2生は来週からですよ!) 1:30から上中、向中、藤中の中3生が集まっています。夕方から武中の中3生も合流です。 対策授業のあとは、理解度確認テストの再試験や北辰テストに向けての課題、秋ゼミの宿題等、大忙しになると思います。 受験生、体育祭疲れなんか勉強で吹き飛ばせ!
2008.09.28
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今日は、生徒たちの通う中学校で体育祭が開催されました。 いやぁ、いいお天気でしたね♪…が、ここは入間市。隣の所沢とも気候帯が異なるのではないか、もうこれは、「入間式気候」としか呼べないのではないか、そんなフシギな入間。太陽が出て、直射日光がさせば、汗が流れる暑さ。雲に太陽が隠れて、日が陰れば、ぶるぶる震えるような肌寒さ。…もう、ワケがわからんです。 愛夢舎には、複数の中学校の生徒たちが通います。今日は、市内の4つの中学校が、同時に体育祭を行った。僕らは、できる限り多くの生徒の活躍をみたいとあっちへこっちへ、走りまわるのですが申し訳ない、全部の中学校、全員の生徒を見るには及びません結局、代表的な2つの中学校を行ったりきたりになる、毎年です。 まずは、生徒の半数以上が通う最も近いKF中学。ここの体育祭は、なんていうか、非常に「のどか」です。どっちかと言えば、「運動会」っていう感じかな…(←失礼!) 若干、寂しく見えます?この中学校は、各学年3クラス(一年生だけ4クラス)ずつという、首都圏としては少人数の学校なんです。そのせいもあるでしょうか、「のどか」で、山里の田舎ではないのだけれども、そういうところの学校の風景のようにも見えますね。実際、↑ こんな感じの競技もある。これは、二年生全員参加の「大ムカデ競走」。 僕、実は、こういう競技はやった覚えがない。僕こそ、長野県の田舎の中学校出身ですが、中学時代は、それぞれの競技に特化した「クラスマッチ」があるだけだった。春に「陸上クラスマッチ」、夏に「水泳クラスマッチ」、秋は「バレーボール」で、冬は「バスケットボール」。いわゆる「体育祭」に一番近いのは「陸上クラスマッチ」だと思うけど、なにせ「陸上」ですから、100メートル走からはじまって、400メートル、800メートル、3000メートル、ハードル競技に、走り幅跳び・高跳び、リレー…という具合に、ホントに陸上大会だった。「ムカデ競走」とか「借り物競走」とか、やったこと、ない。小学生の頃の「運動会」は騎馬戦とか組み体操、大玉ころがし、玉入れなんかをやってて、だから、この中学校の「体育祭」は、僕の中では「運動会」に近いのでしょう。ムカデとか、二人三脚とか、面白そうだなー、と少しうらやましくも思ったりして。 もうひとつ、M中学の方にも、車をとばして向います。(ホント、行ったりきたり…です)同じ市内、車で10分以内の距離にある中学校なのに、大分雰囲気が違います。生徒数は、KF中学の1.5倍くらいはいるのかな? 面白いですね、中学校によって、はっきりとカラーがある。 M中学の体育祭、一番の見どころといえば、全学年男子による「組体操」でしょうね。(上の写真は、全学年女子によるダンス)この組体操を、最初から最後まで全部観たのは一度しかない。今日も、K中学のリレーの時間が迫っていたので、後ろ髪をひかれつつも、男子生徒たちが入場してきたさなか、移動したのでした…。 そのかわり、組体操の様子は、小田切先生にVTRで録画してもらいました。VTRでは、迫力に欠けるだろうと思っていたのですが、後で見てみると、なかなかどうして、やっぱりすごかった。 僕、M中学の組体操は、素で、結構感動するんです。ヘタすりゃ、泣きそうになるほど、感動する。何百人もいる中学生たち。普段は、クラスの中で埋もれてしまっている子、少々「おませ」が過ぎて「荒れてる」というレッテルを貼られる子、色々な子がいるはずだけど、このときばかりは一丸となって、見事な連携を見せてくれる。 そして、非常なる統率がとれる中、「おとうさん、おかあさん、ありがとう!」客席に向かって呼びかける大きな声。大音量の感謝の言葉。実際、保護者の中には感動のあまりに涙を流す人もいるんじゃなかろうか。(…いてほしいと思う) KF中の「運動会的体育祭」とは全く異なる、M中ならではの「体育祭的体育祭」ですね。 僕ら講師陣も、保護者に混じって観戦。バンドライブ以来、珍しく私服で集合、です。…あ、僕は撮影係です 小田切先生の奥さんと、ご子息 達夢くんも駆けつけてくれました♪達夢くん、中学生のお兄さん、お姉さんに囲まれてご満悦のご様子でした♪最近、達夢くんを見て、それから小田切先生を見て、「小田切先生、達夢くんにそっくりーっ!!」って言う生徒が増えておりまして、「ちがう、達夢が小田切先生にそっくりなのっ!」っていう修正が行われております。 さて、KF中学のプログラムには、こんなのがあります。 「PTA参加種目」。こういうのを見ると、「やらねばならぬ…」という使命感に燃える男がおりまして、行きましたよ、やりましたよ、体力自慢、負けずギライのこの人が。「田中先生、 保護者競技で奮闘」の図。生徒に「出てよ!」と言われると断れない、そんな「先生魂」の持ち主の宿命なのでした。 そして、「田中先生、 はりきりすぎて、失敗!」の図。 ただ走るだけだったら、まだまだ中学生には負けないのにね、田中先生 こうして、中学校の体育祭は幕を閉じました。体育祭について思うところはいろいろありまして、他の先生も、何かコメントするかもしれませんが、今日はとりあえず、報告まで。来月には合唱祭も控えていますが、3年生は、まずは一区切り。中学生生活のイベントが、またひとつ終わりました。2週間後には中間テストがやってきます。中学生でいられるのも、あとわずか。テストの回数も、残り少ない…。悔いの残らぬよう、明日からさっそく、テスト対策授業のはじまりです。Kama
2008.09.27
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音楽に関しては、かなり幅広く聴いてきたと自分勝手に思ってる。最近、田中先生に「デス・メタルとブラック・メタルは、どこが違うのか」と質問されたが、そういう類の音楽も聴いてきた。(ブログで書こうかと思ったら、4分の1もいかないうちに10000字を突破したので、あきらめました)ロックとかメタルとか、そういう方面の音楽は黒人がもちこんだディキシーランドとかジャズとかがルーツにあると理解している。形態はともあれ、この流れの上の音楽は、まあ、いろいろとありますね。先日書いた「アヴァン・ギャルド」は、この流れの上と、僕は考えています。 「ノイズ」と呼ばれるジャンルの音楽は、ある意味「究極」ですね。僕の所有する、あるバンドのCDは、クレジット上は58曲入りであるが、実際には300曲以上が収録されているようだ。このバンド、’89年には5643曲入りのアルバムを発表したこともある。 ノイズとかコアとかいう音楽形態は、どちらかというと、「速い」、「短い」という方向に向かう傾向がありますね。 僕の所有するCDの中で、最も短い曲は1秒で終わる。Napalm Deathというイギリスのバンドの曲。あるいは、日本のS.O.B.というバンドも、同じ1秒の最短記録の曲を演っていた。 ハナシは変わるが、ロック方面とは別の流れに、クラシック音楽をルーツとするものがある。「ラプソディー・イン・ブルー」で有名なジョージ・ガーシュインなんかは、この流れとジャズ系の流れを一致させようとした人なのだろうが、やがてクラシックの系統は「現代音楽」に受け継がれる。「現代音楽」の作曲者たちは、実験的な音楽を試みる。既成の音楽に対して、疑問をいだき、新しきものを産もうとするゆえであろう。曲や音楽活動には、強い革命的な思想が吹き込まれる。これは、現代音楽ではないが、たとえばシェーンベルクなんて人は、8音を基調とする作曲法を否定し、12音を均等に扱うという姿勢をとった。…結果、大変分かりづらい曲になった。 「現代音楽」の巨匠に、シェーンベルクに師事した、ジョン・ケージという人がいる。おしくも1992年に亡くなってしまったが、つい最近の人である。例えば、ピアノを、鍵盤を使わず演奏する曲を書いた。鍵盤を使わないので、演奏者は、フタをたたいたり、足をけっとばしたり、弦を直接はじいたり、ひじ打ちをしたり…。そういう演奏をする。そういう楽譜が、ある。 だが、この人の名前が知られるのは、なにしろ「4分33秒」という曲においてであろう。3楽章からなるこの曲の楽譜は、単純である。「第一楽章 休み」「第二楽章 休み」「第三楽章 休み」。本当にこういう楽譜である。 演奏中、すべての楽器は「演奏を休む」。 つまり、曲中、演奏者は、一切、楽器を、弾かない。 結果、4分33秒、音がしない。 これはすごい。音のない音楽だ。(正確には、その4分33秒間に観客が聴いたすべての音、 たとえば、人の息遣いであるとか、会場の外から聞こえる車の音とか、 そういう一切が「音楽」であるという思想。これを偶然性音楽という)僕はこの曲の存在を中学だか高校生の頃に知り、その精神性というか、真意というか、そういうものを大学生の時点で知った。が、演奏そのものを観たことは、なかった。 ところが、あるんですねぇー。先日、YouTubeで検索してみたところ、ありました、ありました、伝説的な「4分33秒」の演奏シーンが。 ピアノで演奏するのは、話では聞いておりました。ところが、なんとオーケストラ・バージョンの「4分33秒」がある! コレ、すごいっすよ! いいですか、繰り返しますよ、この曲の演奏中、演奏者は楽器を一切、弾かないんです。フル・オーケストラが舞台上にそろっている。指揮者が指揮台に立つ。観客席がしずまりかえる。 …。 何も起こらず、第一楽章が終わる。 …まあ、ぐだぐだ言うより、観てくださいな、すごいから。どこがすごいかって、一切の音を発しないのに、フル・オーケストラがそろっている、そのあたりが、すごい。あ、「4分33秒」は、CDでも発売しているようですから、僕は買わないけど、もしご興味があれば、買ってみるのも…。もちろん、無音のCDですけど。 ジョン・ケージという作曲家は、曲の最短記録も更新した。「0分00秒」。これが僕の知る限り、世界で最も短い曲である。 一応、この曲にも演奏方法の指示があるけど、何をどうすればよいのか、僕にはよくわからない。一見すると、何をしてもいいようであるが、でも、すべきことには制限もある。よくわからん。でも、これは理屈上だけの話ではなく、実際に舞台で「演奏」されたことがあるんです。しかも、初演は日本において。(ジョン・ケージは、アメリカの作曲家) さて、短い曲は、このように、いろいろあるのですが、では、長い曲は、というと、これもジョン・ケージによって作曲されていた。 一般に長い曲というと、どんなもんなんだろう。僕が聴いた曲としては、ワーグナーのニーベルングの指輪、アレは、1夜3時間程度が4日分あるから、12時間程度。もちろん、ぶっ通しで聴くわけではなく、あくまでも「連作」である。単一の連続した曲という意味では、エリック・サティの「ヴェクサシオン」がギネスブック上、最も長い曲である。このピアノ曲は、同じフレーズを840回繰り返すため、演奏に18時間以上かかるという。(連続ですよ、連続) …しかし、本当に世界一長い曲は、こんなもんではない。 「ASLAP」。これが世界一長い曲だ。 「As Slow As Possible」。つまり、「できるかぎり、遅く」。 ジョン・ケージ作曲。 この曲は、ドイツ東部、ハルバーシュタットのブキャルディ廃教会で、今現在、演奏中である しかし、残念ながら、僕はこの曲を最後まで聴くことはできないだろう。 なぜなら…。 この曲が終わるのは、2639年の予定。 演奏総時間、なんと639年。 …すごいですねー、何を考えてるんだか、わかりませんねー。「今現在演奏中」というのは、おもりで、勝手に鍵盤が押されていて、音は出っぱなしの模様。この曲2001年に始まってからはじめの一年半は、「全く無音のパート」だったようです。(正確には、オルガンに空気を送り込む音?)開始から7年たった今、どうやら6つ目のコードあたりになったようです。 639年…。 もう、挑戦する気にもなりません。Kama
2008.09.26
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昨夜、イクラちゃんについて書いたところ、多くの方のアクセスと、コメントをいただいた。暴走作家としては、ありがたいことである。そこで、アンコール(←???)にお応えして、過去書いた中で一番のご好評をいただいたコレを再掲載するものである。丁度、一年前のものである。既読の方は、ご勘弁を。--------------------------------------------------------仮面ライダー1号誕生の理由を簡単に書くと、世界制服を企む「ショッカー」によって、「怪人」としてつくられた改造人間本郷猛が、仮面ライダーとして、世界平和のために、ショッカーと戦うのである。なんで「産みの親」であるショッカーと戦うかというと、彼は洗脳手術直前に逃げ出したので、カラダは改造されたけど、アタマは正常なのである。もし洗脳されていたら、仮面ライダーもまた、怪人になっていた。あぶないところだ。 「怪奇 バッタ男」・・・強そうか?コレ。ショッカー、あまりに適当すぎるぞ。大体、世界制服をねらうなら、とっとと「サメ男」とか「ライオン男」「ゾウ男」に「クマ男」をそろえた方がよほど早い。なぜ、バッタ・・・。人の体をいじくって遊んでいるようにしか思えない。あるいは、余程の「バカ」である。仮面ライダーの変身ポーズと変身ベルトは有名だ。だが、変身と「ベルト」の関係を理解していない人が多い。なぜベルトが必要かというと、ポーズを決めたあと、本郷は「とぅっ!」とジャンプするのだが、これが肝心であるジャンプすることによって、風が起き、風車型のベルトに空気が流れ込んで回転する。この空気によるベルト回転で、ライダーは変身するのだ。 ちょっと待て。ならば、あの長いポーズはなんなんだ?!とっととジャンプして、ベルトをぐるぐる回せばよいではないか。時間のムダだ。風がベルトに流れ込むと変身するなら、本郷くんは、毎日かなりヤバイ状態にあることになる。通勤電車に遅れそうになって、駅に向かって走っている途中、ベルトがぐるぐる回って、変身・・・自転車に乗って走っていたら、ベルトがぐるぐる回って、変身・・・銭湯に行って、風呂あがりに扇風機の前に立ったら、ベルトがぐるぐる回って、変身・・・変身の大安売りである。「きっとポーズをとってからでないと、ベルトは回らないのだ」そんな反論が簡単に思いつくが、残念でした、僕だってそのくらいのことは思いつきます。2号ライダーのベルトにはフタがついている。解説によると、このフタの開閉によって、2号は、より能動的に変身できる、とある。ホラ、見たことか。1号は、つまり自分の意志による場合でなくとも変身しちゃうのだ。2号の作者もショッカー。1号を倒すために一文字隼人を改造したのである。が、やはり洗脳直前に1号によってさらわれたので、やはり2号もアタマは正常。ショッカーはこのあとも洗脳手術直前の改造人間を何人も逃がしている。学習能力がない。やっぱり、バカだ。一番かわいそうなのはV3だ。1号と2号は、ショッカーによって途中まで改造されたので、自らの復讐もあって、ショッカーと戦える。V3を改造人間にしたのは、なんと、1号と2号である。おいおい、それじゃキミ達がショッカーだよ・・・。V3本人が改造を志願したということだが、2人のバッタ人間がさびしくなって、うまいこと言ったのかも知れない。だって、何も「虫」にしなくてもよいのだから。V3は、バッタを通り越して、なんか、虫の幼虫みたいな顔になっちゃった。V3の力は「スゴイ」らしいのだが、なぜか「26の秘密」とか言われて、その能力は本人にも教えてもらえない。しかもその内容は、「バイクのランプが光ったら能力が上がる」とか、ファミコンで「AABBAB上下左右・・・」とかやって無敵状態をつくるくらい、本人と関係ない。さらに、なぜか「4つの弱点」まで作ってある。1号、2号、ダメだよ、人のカラダをおもちゃにしちゃあ・・・。能力くらい、教えてあげなよライダーマンはすごい。彼は、改造人間ではない。右腕だけサイボーグになっているけど、ほかは人間のまま。もう、仮面ライダーの定義がゆらぐ・・・。変身はもっとすごい。ライダーマンと言えば、顔の下半分が露出していることで独特であるが、解説にはこうある。特定の変身ポーズをとった後、ヘルメットを、かぶる。もう一度書きます。ヘルメットを、かぶる。もう、変身でもなんでもない。何のためのポーズなのかさっぱりわからない。ただ右腕が変なバイク乗りが乗車前にヘルメットをかぶっただけだ。それでも「仮面ライダー」と言い切ってしまうあたりがスゴイ。アマゾンもスゴイパチンコ台のCMでも一瞬出てくるのでそれを見てもらえば一目瞭然である。絶対、正義の味方じゃないでしょ、アンタは!見た目が、はっきり怪人だワザも怪人的噛み付いたり、引っ掻いたり、飛び掛ったり・・・。子どもにとっては、どっちが悪人か、かなり判断に迷う。彼の招待はジャングルの奥地に捨てられた日本人で言葉もしゃべれない。そんなヤツだ。改造すれば、なんでも正義の味方になるってもんじゃないぞ。誰がそんな「怪人アマゾンライダー」を作ったかというと、そのジャングルに住む部族の族長である。誰もが改造人間を作れるような時代だったらしい。実際、あまりに簡単に人を改造しすぎる。「ショッカーライダー」なる改造人間が、一度に6人も出てきたりする。まるで、惣流アスカ・ラングレーが戦ったエヴァ・シリーズのようだ。Xライダーなんて、一回死んでいる。死んだ人を改造して生き返らせたのだが、それって、フランケンシュタインの怪人か、キョンシーかってことだろう?そんなに簡単にその辺のおじちゃんが人を改造してはいけない。そういう条例も作らねばならない。仮面ライダーは、バイクに乗る。そりゃそうだ。「ライダー」なんだから。ところが、スカイライダーはその前提すらぶっこわす。スカイライダー。名前のとおりである。 ・・・飛んじゃった。 ・・・飛んじゃったよ、この人は!もう、バイクも何も、いらない・・・。もう、ライダーではない。Kama
2008.09.25
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僕は、英語も教えている。先日、疑問詞の文を教えた。まず僕は、いわゆる「疑問文」との違いを話す。問題なんかで言うところの「疑問文」ってのは、「Is this ~?」、「Are you ~?」、「Do you ~?」ってヤツで、疑問詞の文は「What do you ~?」とか「Where do you ~?」、「How are you ~?」ってヤツ。いわゆる、「5W1H」ってヤツらだ。 つまり、「Yes」か「No」かで答えられる文が「疑問文」で、答えられないのが「疑問詞の文」。色々と突っ込みどころもあるのでしょうけど、中学生に教える分には、これで十分と考えている。それ以上を求めるのなら、そもそも「疑問文」という日本語の定義から見直さねばなるまい。 「疑問詞の文」を説明するときに、僕はこんなハナシをする。 「現実には、YesかNoかで答えることができる場面の方が少ない。 僕は、これまで生きてきた中で、 YesとNoだけで世の中をわたっている人は、 ひとりしか、知らない。」 …ひとりだけ、知っている。 ここで、彼に登場いただく。 波野イクラ君。サザエさんに登場する、イクラちゃん、である。 彼は、僕が知る限り、唯一、YesとNoだけで過ごしている人物である。 イクラ君はしゃべらないから、一般には、言葉が分からないと思われているかもしれない。 しかし、思い起こしてみよう。彼が使う言葉は、「ハーイー♪」と「バブーッ!」の2種類である。 この二言を、彼は的確に使用している。 「ハーイー♪」が「Yes」であり、「バブーッ!」が「No」である。ただ適当に声を出しているのではない。その場に応じて、自分の気持ちを、この二語で表現している。 この二語の使用だけで、会話はちゃんと成立している。 つまり、イクラ君は、確実に、大人たちの会話を、完ぺきに理解している。そうでなければ、「ハーイー♪」と「バブーッ!」の使い分けは、できない。彼は、周囲でなされる会話をはっきりと理解し、自分の意志を表現しているのである。 となると、ここにひとつの仮説が成り立つ。 実は、イクラ君は、自由自在に話ができるのではないか。だって、大人の会話が理解できるということは、彼の頭の中には豊富なボキャブラリーが存在することになるし、自分の意志を伝えることができる以上、理解力も低くない。喉やベロの生育も、声を聞く限り、十分である。 おそらく彼は、豊富なボキャブラリーを操り、自由自在に話すことができる。 ではなぜ、自由自在に話すことができるスーパー天才児のイクラ君が二語しか発しないか。 答えはひとつしか見当たらない。 面倒くさいからだ。イクラさんくらいになると、大人の会話に自ら言葉を使って参加するのは非常にバカバカしいことなのだろう。そんなことにつきあっているほど、イクラさんは低俗ではない。 そこでイクラさんは、自らを「話ができない」キャラにつくりあげた。わずか2歳である。氏が話ができないと思うのは、フシギではない。そして、そこにたたみかけるように、類まれなる精神力と注意力で、一切の言葉を発しず、「イクラ『ちゃん』は、お話ができない」と大人に思わせることに成功した。 こうなれば、氏の思惑どおりである。自ら言葉を発せずとも、大人たちは「Yes」か「No」かで答えられるようなシチュエーションをつくってくれる。イクラ氏は、あとは「ハーイー♪」と「バブーッ!」の二言で意志表示をするだけで、何の不自由もなく暮らしていける。氏のすごいところは、「どうしたいの?」とか「何がほしいの?」とか、そういう5W1Hを使用した疑問詞の文を大人が一切使わないような環境を自らの存在感で作り上げてしまうところだ。みんな、「氏は話せない」と思っているからYesかNoかで答えられるような質問を投げかけるが、そもそもYesかNoかの判断ができるのであれば、自分の意志は、かなり明確にもっているはずで、当然、おしゃべりもできるに違いない。そのことに気がつかないあたりが、磯野さんとフグタさんのおとぼけぶりである。 タイトルで「最強」と書いたが、実際のところ、イクラ氏は「最凶・最恐の二歳児」である。 「どうせイクラちゃんは、おしゃべりできないし、 言ってることもわからないから・・・」 そう大人たちに思いこませて、何食わぬ顔して密談の場に同席し、その実、すべての内容を非常に的確に把握し、(その的確さといったら、両手両足の指を使わねば計算ができないワカメよりも的確だ)カツオの悪だくみはおろか、国家機密すら、奪いかねない。 恐るべきスパイの素質である。 だから、もしあなたがイクラと出会ったら、彼がどんなに「ハーイー♪」、「バブーッ!」って言っても、引き下がってはならない。 「はぁ?なにぃ?言ってることがわかんないよぉ?ちゃんとしゃべってごらん?ええっ?なんだってぇ?ちゃんと言わないと、だめだよぉぉぉ?!」って、詰問すべきである。 やがてイクラは苛立ちの中、油断をし、うっかりしゃべってしまうだろう。 あ・・・くれぐれも一般の2歳児にやらないようにこれは、あくまでも2歳児のフリをした工作員イクラへの対処法である。 イクラが工作員である証拠として、つまり、彼が実はしゃべることができるという証拠として、いくつかの事実がある。 まず、彼は数年前から、「ハーイー♪」と「バブーッ!」のほかにもう一言、しゃべるようになった。 「チャーン!」である。 親戚であるフグタ・タラオ君。彼を呼ぶときに「チャーン!」を使う。 タラオ君は、工作員イクラにとって、かなり使い勝手のよい、カモなのだろう。タラオ君と一緒にいる機会は多く、また、イクラの意志で、タラオ君に接近することも多い。そのため、「ハーイー♪」と「バブーッ!」で機会をうかがうより、そろそろ、もう一言を覚えたとしてもおかしくない時期だから、「チャーン!」をしゃべれることにして、使い始めたのだろう。 「イクラちゃんが、ほかの言葉を覚えた!」 そう感動する、磯野家の面々の様子は微笑ましい。 と同時に、あまりにおろかである。 なぜ、イクラは、毎日長時間一緒にいる「タイコママ」や「ノリスケパパ」より先にタラオを呼ぶことになったのか。それは、賢いには賢いけど、あまりに純真無垢で、利用価値の高いタラオ君、彼に接近する必要性の方が高かったからだ。ここに、イクラ工作員の狡猾さが見てとれる。 もうひとつ、衝撃の証言がある。 実は、これまでの歴史の中で、イクラは、しゃべったことがあった。 何度か目撃証言はあるが、一番強烈なのは、罰ゲームがかかったジャンケンをしていたときに、彼ははっきりと「ジャンケンポンッ!」としゃべったというのだ。 なんという狡猾さ。なんという計算高さ! おそるべき、工作員イクラ…。 …何の話題でしたっけ? …あ、そうだ …というわけで、Yes、Noだけで世の中をわたっていくには、イクラなみの工作員教育を受ける必要があります。疑問詞の文をおぼえて、まっとうな人生を送りましょう! …はい、すいませんでした。Kama
2008.09.25
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というわけで、先ほどの記事「OL ~山歩き」の続きです。この記事を先にご覧の方は、まず、前編(こちら)をお読みくださいませ。--------------------------------------↑「この直後、ついに鎌田ストップが発動、 2人は今進もうとしていた道が 間違いであったことを知り、引き返す」の図です。 ええ~っとですね~実は、結構な「間違い」と「ミス寸前」がありました。・8番と1番付近で、 間違いの方向にずんずん進みそうになる「彼」を 田中先生が「ちょっと待って!」と制して、かろうじてセーフ。・7番発見後、6番を目指すはずが、 「彼」が猛スピードで違う道を突き進み、 数百メートルいったところでようやく田中先生が異変に気づき、引き返す(数十分のロス)・5番付近、田中先生の地図に「写し間違い」があり、 「彼」の地図で、なんとか発見。・3番から2番の途中、道を見失い、森の中を強行突破。などなど。 …「彼」も、突破力は高いんだけど、もう少し慎重さが必要かな?ただ、フォローするわけではありませんが、「彼」、しっかり地図は読めますし、ほぼ正確に道筋を読み取ってました。それでも間違う。一瞬の判断中止がミスになる。それが、オリエンテーリング。だから、むしろ田中先生が「さすが」ということでしょうね。「異変」に気づくのが早い。(ホントは、「異変」にならないのがベストだけど)周囲の地形のわずかなヒントからの状況判断が適確。山の中では、複雑なはずの等高線の様子から、道の先の様子を予測しながら歩いていた。「等高線で地形判断」は、なかなかできないっすよ。 ……いや、当たり前か。田中先生も社会の先生でした。 さて、我々は3時間ちょうどで、元加治コースを踏破して参りました。…が、ついていった僕の感覚ですけど、走りこそしませんでしたけど、2人とも、歩くペースは結構速かったし、途中、ほとんど休憩なし。生徒たちは、もっとかかるかなぁ・・・。田中先生をもってしても、何度も迷いそうになる、さすれば、生徒たちだけだと、やっぱり心配・・・。数日前に降った雨の影響で、足元がゆるんでいて、2人が転んだ回数は合わせて3回。両側切り立つ崖なんかもあって・・・。 オリエンテーリング、2人が思っていたほど楽なスポーツではなかったようです。ところで、歩く2人の姿を後ろから見ていて、思うことがありました。 今風の服装をした田中先生が、地図と方位磁石を手にして、地図を見つめながら、街中を歩いていく。 その姿が、なんと「滑稽(こっけい)」に見えることか。 えーっと「滑稽」というのとは、少しニュアンスが違うんですけど、うまい言葉が見つかりません。思いつく中で一番近いのが「滑稽」だった。 無論、「僕」が「地図を眺める田中先生」を滑稽に思うという意味ではありません。 なんていうか、「今の社会」において「地図を眺める大人」の光景が、「社会の中」で滑稽であるというか…。大変、不釣り合いで、浮いている。 裾を出したシャツ(「彼」はTシャツ)にジーパン姿の3人の大人の男性。片手に持った地図を眺めて、歩いている。その脇を、携帯電話を眺めながら歩く高校生、自転車で2人乗りなんかをしている中高生が通り過ぎていく。「地図を持った大人」が、なんと社会の中で滑稽であることか。 そして、その「滑稽な光景」を僕は、大変寂しく、それは「悲しさ」に近い「寂しさ」であるのだが、それと、あるいは危機感のようなものも合わさったそんな複雑な気持ちを抱き、眺めていた。 なんていうのかなー。「地図を片手に」は、僕が子どものころはそんなに「滑稽」な光景ではなかった。実際に地図を持って歩いている人はそんなにいなかったろうけど、光景としては自然であった。だから、「地図」はひとつの事例だろう。もっとも、実際に地図を持って歩いていた人もいた。僕も、営業マンをやってる頃は、「地図を片手に」、だった。どこか遠い土地に行く時に分厚い時刻表を調べるのも、普通だった。今は、ああいう時刻表を買う人、いるんだろうか。 今は、みんな、携帯電話を片手に歩く。電車の時刻は、ネットで検索すると一発で出る。 「彼」とこんな話をしていて、「地図」が「携帯電話」になっただけでは…という論にもなった。でも、やっぱり何か、違う。 田中先生と「彼」は、「地図」を眺めて、自分の進むべき道を相談し、時には意見が食い違ったりもして、しかし、自分たちで「選択」し、歩んだ。地図を片手にする田中先生は、地図を、自分の進むべき道を「選ぶ」ための「資料」としていた。「地図」を利用していた。 携帯電話を片手にする人は、携帯を「利用」しているだろうか。自分の進むべき道を、そこから「選びとっている」だろうか。 使われてはいないだろうか。選ばされてはいないだろうか。 人は、主体であり続けているだろうか。 そして、どちらかと言えば、「地図を使う我々」が「滑稽」に見えてしまう現代。僕は、複雑な思いで、田中先生の歩く姿を眺めていた。 というわけで、11月3日の「愛夢舎スポーツ大会」は、たぶんオリエンテーリングをすることになるでしょう。良いお天気でありますよーに。そして、ちょっとでも興味を持ってくれた生徒は、ぜひ参加してほしいと思います。また、この記事を読んで、「そんなスポーツがあるんだ」と思っていただいた方、ぜひ、お近くのパーマネントコースをまわってみてください。(あ、危険な場合もありますから、できれば経験者の方と一緒に…) あるいは、「主体」を取り戻せるかもしれません。 「彼」の言うとおり、明日は、筋肉痛かもしれない…。Kama
2008.09.24
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今日は秋分の日。愛夢舎は、祝祭日はたいてい休館日とさせていただいております。そこで、久しぶりに、オリエンテーリングに出かけました。タイトルの「OL」っていうのは、オリエンテーリングのことです。OLについては、以前にも少し書きました。スウェーデン発祥の、れっきとした「スポーツ」で、世界選手権大会まである。森や山中に複数のポイントが設置されていて、競技者は、ポイントの位置が書かれた地図とコンパスをたよりに、ポイントを探していく。まあ、言うなれば、クロスカントリーと宝探しをミックスした感じ。ドイツ語の「Orienterungs Lauf(方向を定めて走る)」を略して「OL」と呼びます。「スコアOL」とか「リレーOL」とか、いくつかの方式がありますが、一般的なのはあらかじめ規定された順序どおりにポイントを通過していき、ゴールまでの所要時間を競う「ポイントOL」でしょう。大会の場合には、うっそうと茂った森の中にポイントが置かれ、それこそ道なき道を方角と距離感だけを頼りに走るのですが、実は日本全国に、いつでも誰でもオリエンテーリングができるように、「パーマネントコース」と呼ばれる常設コースが設置されています。今日は、4つ隣の駅「元加治」に出かけました。ここに日本第一号のパーマネントコースがある。↑ これが今日まわったコースの地図と、方向・距離を知るためのコンパス。 田中先生と「彼」も一緒に行きました。そもそも、今日出かけたのは、11月3日の「愛夢舎スポーツ大会」で、オリエンテーリングを行う予定で企画が進んでおり、その下見のため。まだ参加人数も何も決まっていないのですが、ある程度の人数になった場合には、いくつかのグループに分けることになって、それぞれのグループに先生がひとりずつ付くことになる。しかるに、田中先生は15年以上前に一度やったことがあるだけ。「先生」ではないけど先生みたいなもんの「彼」に至っては、OLのハナシをしていて「コンパス」って言ったらマルを描くヤツだと思ったくらいで、もちろん一度もやったこと、ない。これじゃあ、生徒を安全に誘導することも覚束ない、ってことで、彼らの希望で一緒に行くことになった。(はじめは、僕ひとりで行こうと思ってた) 僕はというと、20年前は日本全国規模大会の優勝者であって、(年齢・部門別だけど…)おまけに元加治のコースは3年前に一度歩いたことがある。だから、僕の目的は、コースの整備状況を確認することだった。オリエンテーリングでは、↑ こういう形のポイントを探します。「ポスト」と呼ぶのですが、みなさんのご近所にも立ってませんか?山とか観光地とかで、こっそり立ってるのを見たことがあるかも知れません。しかし、OLに興味のない方は、コイツの正体が分からない。意味不明の鉄棒くらいにしか思わないでしょう。さらに、心無い人もいて、僕も何度か喰らいましたが、いざコースに出て、いくら探しても見つからないということがある。引っこ抜かれたり、倒されちゃったりすることがあるんです。そうなると、もういくら探したって見つかるワケがなく、リタイヤということになってしまう。(見かけられたときは、イタズラしないでくださいね…)生徒を連れて行ったはいいけど、全員リタイヤでは、シャレにならない。だから、念には念を入れ、コースの整備状況を見ておきたかった。 しかし、田中先生と「彼」が一緒に行くことになったので、今日の目的は、彼らの「研修」ということになりました。彼らに地図とコンパスを託し、僕は後ろからただついていくだけ~。子どもたちであれば、大きな間違いになりそうな場合には方向修正をしてあげるんだけど、田中先生たちは大人ですからね~、放っておきましょう。 元加治コースは、全11個のポストを探していく。が、11月3日のプランニングの材料収集のため、通常、「1→2→3→」と見つけていくところを、今日は「逆順」、つまり「11→10→9→」と回ることにした。 14:00、駅前のスタート地点を出発。今日は「暖かい」を通り越して、暑かったですね。田中先生と「彼」は、慣れない地図と格闘しながら、11番ポストを見つけ、10番ポストへと歩を進めていく。途中渡った大きな川の岸では、いくつもの家族おぼしきグループがBBQをやっていた。「アレが、ホントのBBQだよね~。」「ウチのBBQは…ちがうよね~。」そんなたわいもない話をしながら、進んでいく。 9番ポストを見つけたあたりから、彼らの表情が変わってきた。「えっ?こんなとこ、行けるの…?」そういうところだ。 道か、道でないかと言われれば、どちらかと言えば、道ではないだろうというような道、さらには、本当に道のないところ、そういう山の中を登ったり下ったりしていく。なるほど、OL初心者にとっては、「道」と言えば、そりゃあはっきり「道」のことだと思うよね。 終盤戦。桜山展望台というところにたどりつきました。およそ10キロのコース。平地で直線10キロは、大したことないけど、上下左右に曲がりくねった、木が覆い茂った山中の10キロ。その4分の3ほどを超えたときにたどりついた展望台。田中先生も「彼」も、ノンストップで、結構な早足で「疲れた」の一言もなく、ひょいひょい歩いていくもんだから、経験値でカバーしている僕は「体力あるなぁ~。若いなぁ~。」って感心してたら、実は2人とも、結構ヘロヘロだったことがここで判明した。 なんのことはない。「やせがまん」をしてたようだ。まあしかし、「やせがまん」も大事ですよ、ウン。 よく晴れていて、展望台からの景色はすばらしかった。もう少し時間が早ければ、遠くに富士山も見えるであろう。自然の中で、こういう景色に出会えるのも、オリエンテーリングの楽しさの一つです。さて、のんびりもしていられない。展望台を降りて、出発です。 --------------------------------------------------…手みじかに記事を書くつもりが、なんだか知らないうちに長くなってきてしまいました久々に10000文字制限オーバー。というわけで、掲載順がおかしくなりますが、2つに分けまーす。Kama
2008.09.23
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ゴキブリを目撃した。気がついたら、手元に、いた。塾長佐々木は、かるーくあしらって、どっかに避難させていたが、田中先生は、見るだけでゾッとするほど、その「存在」が許せないのだそうだ。 まあ、実際、ゴキブリが好きだという人は、あんまりいませんね。 ただ、僕はというと、実は、そこまでキライではない。 もちろん、好きだというわけではないが、視界に入っても、手元にいたとしても、あまり気にならない。放っておけば、すぐにどっかに行ってしまうわけだから、まあ、どっかに行きなさいって思うだけ。もっとも、こっちに向かって飛んでこられたり、寝ている間に顔の上を歩かれたりしたらそれはさすがにイヤなので自宅にいられると困るけど。でも、たまたまそこにいて、目に入るというだけであれば、ぶっちゃけ、ゴキブリでもカミキリムシでもクワガタでも、僕にとっては大差ない。 大差なく、どーでもいい存在である。 キライということであれば、ミミズとかムカデとか、チョウチョとか、あるいは虫ではないけど、カエルとかトカゲみたいにヌメヌメしたヤツらの方がイヤだ。 でも、ゴキブリ、やっぱり、嫌われ者ですよね。 その昔、さくらももこ氏がエッセイの中で、「不潔・速い・急に飛ぶ・観賞価値がない・希少価値がない」という5点をゴキブリが嫌われる要因として挙げていた。 実際のところはどうだろうと思って、ゴキブリ嫌い代表の田中先生にその理由を聞いてみると、今一つ、はっきりしない。田中先生は、虫全般、あまり好きでないらしいが、それでも昔はセミやクワガタ、カブトムシなんかを捕っていたらしい。それで言うなら、僕は昔っから虫が好きではない。カブトムシに何の魅力も感じたことはない。僕の中で、虫たちは、常に「どーでもいい存在」であって、これぞホントの無視であった。 かと言って、ゴキブリだろうがカブトムシだろうが、いるだけでゾッとするというほどのものでもない。いったい、人がゴキブリを嫌う理由はなんであろう。 蛾(ガ)がキライという人も多い。でも、「チョウチョはいいけど、ガは勘弁」っていう人もいる。 僕にとっては、蛾だろうがチョウチョウだろうが、どーでもいいし、どっちかと言えば気持ち悪い部類であって、「チョウチョウならいい」っていう理由もよくわからない。 なんでだろー。 そんなハナシをしていたら、小田切先生が言った。「蛾は地味だよね。」いわく、チョウチョウは同じような色であってもキレイで、蛾は茶色とか黒っぽいのとか、どんくさい、と。なるほど、これは前掲のさくら氏になぞらえれば、観賞価値がないということであろう。 小田切先生は続けた。 「それに、蛾はどちらかというと夜にやってくる。明かりとか火とかにたかる。ジャマである。」 「ゴキブリもそうだ。ジャマである。ヤツらは、人の家に勝手にあがりこんでいる。不法侵入である。クワガタなどは、勝手に入り込んでいることはない。」 「しかも、人の家に勝手に入っておいて、いざ見つかると、ササ―ッと逃げる。潔くない。コソコソしてる。人に、たかってるくせに。その生き方が気に食わない。」 おおっ!この視点には非常に納得がいく。 ならば、ネズミやハエが嫌われるのも理屈が通る。ネズミだって、勝手に人家に入っておいて、見つかるとササーッて逃げる。ハムスターは、勝手に人家には入らない。ササーッと逃げることもしない。どちらかと言えば、動きはどんくさい。(ちなみに僕は、ネズミも嫌いではない。) この延長で、小田切先生はキノコまで非難する。キノコは、他の植物に勝手に寄生して、ササーッと逃げはしないけど、他人にたかってコソコソしているのは一緒だ。だから、小田切先生は、キノコを好まない。 …味の好み? …いや、きっと違う。その「生き方」が気に食わないのだろう。そうに決まってる。 なんと、ゴキブリの惜しかった点は、人の生活に勝手に入り込み、コソコソ暮らしている、そこにあったのか! ゴキブリが、正面玄関から「こんにちは~」って言いながら人にはっきり目につくように入ってきて、しかも動きはゆったりとしていて、コソコソ逃げ隠れもせずに鎮座していたら・・・。 あるいは、好まれたかもしれない。 …ん?これは、「人」も一緒か?Kama
2008.09.22
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ところで、先日も書きましたが、YouTubeにアカウントを設けました。 とりあえず、「小学英語サークル マーガレット」の様子をアップしてみたのですが、その後、今年4月のライブの様子や、スキー旅行のときの珍事なんかも上げております。 まだご覧いただいていない方は、もしよろしければ、ぜひ、どうぞ。ライブの様子は、ヘッドホンをつけて、大音量でお聴きいただくと、臨場感が増すというか、低音まではっきり聴こえて良いと思いまーす。(こちら、プロフィールページ) 今後、紹介できる動画があれば、少しずつアップしていこうと思っています。さしずめ、次は富士山かな・・・。実は、佐々木にはひとつ、プランがあるようですが、それは実現したら、報告いたしますね。 YouTubeで「愛夢舎」と入力して検索すればヒットするようにしてありますので、今後とも、応援のほど、よろしくお願いいたします。 ところで、今アップしているバンドライブの曲のひとつは、エヴァンゲリオンの主題歌、「残酷な天使のテーゼ」。吹奏楽部の生徒たちと講師によるコラボレーションです。「エヴァンゲリオン」とか「残酷な~」というだけで、再生回数は、他の動画を抜いていく。さすが、一大ブームのエヴァですな~。 それでも6日間で170回の再生回数・・・。 これに対して、「しょこたん」こと中川翔子さんがテレビ番組で歌った同じ曲の再生回数は、7日間で21,000回…。 やっぱり、しょこたん、スゴイですねぇ~~~。 Kama
2008.09.21
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先日、車の免許の更新に出かけて行った。大学1年生の夏、18歳で免許を取ってから、今日に至るまで、僕は無事故・無違反。 ずーっと、ゴールド免許です。 そのため、更新手続きも速い。30分程度の優良運転者講習だけで済む。実際、わずかな気の緩みというか、ミスというか、違反というかでもって、講習の区分が変わってしまうのなら、よほど「ゆとり運転」で優良者講習を受けた方がラクだと思うのだが、いかがか? 2回前に更新したときは、実家の長野の警察署。そのときは、新しい免許ができるまでフロアに流されるビデオを眺めて待ってただけで、講習もなにも、ただ発行を待っているだけだった。入間に引っ越してきて今回で2回目の更新となったが、こちらの警察署では、それ専用の部屋でしっかりビデオを見て、そのあと、担当の方の簡単な講義がある。それでも30分程度。 ハナシは変わりますが、例えば道を歩いていて、「よかったらどうぞ」と本を配ってる人がいる。 僕は、必ずもらうことにしている。というのは、それがどんな本であっても、もしかしたら得るものがあるかも知れないし、別にお金を払って買っているわけでなく、こちら側の姿勢次第で、薬になっても毒になることはなかろうから。それを、むげに「いらんっ!!」って突っぱねてしまうのは、せっかく自分が大きくなるかもしれない機会をみすみす逃していることになりかねない。 何度も書いてきたことだが、僕は、自分の時間を1秒たりともムダにしたくない。何がムダでムダでないかは、僕自身が感じることで、他の人が「それ、ムダじゃん」って言ったとしても、僕自身がムダでないと感じていれば、それで良い。また、「ムダではない」と言ってくれても、僕自身がムダだと感じていれば、自己嫌悪に陥る。 同様に、自分のひとつひとつの行動、生活に、意味のないことを持ち込みたくない。 言いかえれば、全ての瞬間、全てのアクションに、意味を感じたい。 そこで、免許更新のハナシに戻ります。 講習では、交通安全に関するビデオを見る。そうすると、同席している他の受講者の方は、手元の本を眺めたり、ボーっと考え事をしたり、ともすると、居眠りを始めたりする。 これは非難ではなくて、ただの感想なのですが、だから僕は、このビデオすら、真剣に見てしまうのです。 だって、どうせ割かねばならぬ自分の時間なのだから、それを意味あるものにしたい。お決まりのビデオかも知れないけれど、真剣に見れば、「なるほど…」と思う点はある。僕自身、これまで無事故・無違反ではあるけど、ビデオが教えてくれる「『だろう運転』ではなく『かもしれない運転』を」なんてのは、「おお、確かにその通りだ」と思う。 車の運転に限って言えば、「ええ~~っ?!そこで飛び出す?!おばあちゃんっ!!」的なこととか「キミは自殺志願か、ネコくんよ!」的なことはやっぱりあって、うーん、気をつけねばならないなぁーって、思う。 これから運転を続けていくにあたって、少し気を引き締め直したという点で、僕にとってはプラスとなったと思う。 そういうハナシをすると、「(クソ)マジメだねぇ~~っ」と感心されるというか、どっちかと言うと、あきれられる。 だけど、それは僕がマジメなのではないと思う。僕にとっては、そのビデオを見ている時間にぼーっとして時間を「ムダ」にするのがイヤなだけ。 この性向は、実は小学生の頃からそうだったと思う。 「授業中に居眠り」…。 ぶっちゃけ、高校時代なんかは、そんなこともありましたが今にして思うともったいなかったなぁ。 時間がもったいないと言えば、アルバイトの選び方なんかもそうですね。僕は大学時代、ずっとコンビニのお兄さんをしていて、コンビニのバイトとしてはちょいとは「できる人」だったと自負しているのは、やたらレジ打ちとか速い人だったからというのもある。 僕は、とにかく忙しいバイトをしたがった。 だって、ずーっとやることがないなんて、時間のムダなだけだもん。 世の中には変わったバイトがいろいろありますね。 例えば、アドバルーンの監視係。アドバルーンの根本に座って、ただ飛んでいかないように見張ってる。もっとも、見張っていたところで、いざ飛んでいってしまえば、一人でなんとかとどめようと思ったってどうにもならないわけで、つまり、なーんの役にも立たない仕事。(コレ、今もあるかどうか、よく分かりませんが) それから、行列のサクラ。他の人の代りにただ、並ぶ。 そして、お店の新規オープンとか住宅展示会なんかのとき、案内の看板をただ持ってる人。 …いや、人によってはそれが時間のムダに感じない人もいるんでしょうから、そういうのがダメということではなくて、でも僕だったら、とにかく時間がもったいなく感じるんだろうなーって思う。だから、一切、手を出さなかった。 さて、免許更新の講習ですが、ビデオを見終わると、担当の方による講義がある。何十ページもある資料をいただくのだが、そのうち、ほんの2~3ヵ所、前回の更新から変わった点を中心に非常に効率よく、かいつまんで説明される。 だが、ビデオを真剣に見てしまう僕である。もっと、資料全般について、ことこまかに説明してほしいと思ってしまう。 周りの人は、それでも長いと感じているようだから、そんなことを言ったら大ひんしゅくで、だから、もちろん、言わない。なんか、すっきりしない感じで、講習は終わる。 今回の更新で大きく変わったのは、免許証がICカード化されたことだ。なんでも、プライバシー保護のため、本籍地なんかをICチップに記録しているらしく、少し厚くなった。そこで、暗証番号を登録するのだが・・・。 僕は、どうしても気になってしまったんですね。 この暗証番号、いつ使うんだろう。 そこで、免許を頂きながら、「質問していいですか? 僕らが暗証番号を使うのって、どんな場面でしょう?」って聞いちゃった。 そしたら、担当の方は、大変困った顔をした。 「…ええーっと… たとえば、レンタル屋さんで会員証を作るとか…」 僕は、もういいやと思って、「そうですか、ありがとうございます」と終わらせたんだけど、どこのレンタルショップで、本籍地を知らせねばならないと言うんだ? おそらく、受講生から質問があるということは、ほとんどないのでしょう。だから、答えも想定されてない。そんな感じ。 そして、講習を受ける人は、「早く終わんねーかなぁ・・・」という雰囲気、説明担当の方は、「早く終わらせてあげますからねぇー…」という雰囲気。 お互い、時間のムダだな、こりゃ。 そう思った免許更新でした。Kama
2008.09.19
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もちろん、毎回目を通してます。批判ではありません。もっとたくさん生徒たちの「いいところ」をフィーチャーした「明るい話題」を載せて頂ければもっと楽しく読めると思います。(勝手なお願いですが・・・) 以下「某中学校だより」から抜粋 平成20年度全国学力・学習状況調査生徒質問調査の結果から見られる《本校生徒の傾向》 今回はまず分析が進んだ問題点・課題点からお知らせします。 ここに現れた傾向の原因を分析して、今後学校としての改善策を策定し実行していくことになります。 「生徒質問紙」 県や国と比較しての本校生徒の課題○家庭環境・朝食、夕食を家族と食べない生徒が多い。家庭内での親子の会話が少ない家庭が増えてきていることがうかがえる。・夜更かしの傾向の生徒が多い。睡眠時間が少ない。・家庭学習の時間が少ない。全くしない生徒が全国平均の2倍である。・家庭で学校の話をしない生徒が多い。○学校生活・宿題をやってこない生徒が多い。・予習や復習をやってこない生徒が多い。・好きな授業のない生徒が多い。県、全国平均の2倍・読書をしない生徒が7割である。・学校の規則を守らない生徒が多い。○個人の問題・夢や目標を持っていない生徒が多い。・最後までやり遂げようとするねばり強さにかける。・あいさつのできない生徒が多い。「しない生徒」は県、全国の3倍・世の中の情勢に対して無関心な生徒が多い。・地域への関心が薄い。以上抜粋 誤解を恐れずに言えば、ある意味中学生なんてこんなものかもしれない。心配する必要なんてないのかもしれません。 私だって、似たような中学生だったような気がするし。 しかし、私が中学生だった頃、こんなに大々的に回覧板で「このような内容の記事」が回ってきただろうか・・・私が覚えていないだけかもしれない・・・ 確かに「問題点」を地域に公開することは大切ですね。というより、義務なのかもしれませんね。地域で子供を育てるのですから。 ただ、この記事の字面だけを読むと、みんなが暗くなってしまう気もします。(私も塾生たちにグチを言うことがあります。いけませんね) 地域のみなさん、子供たちの良いところをどんどん見つけましょう。そして、トピックとして取り上げ、褒めていきましょう。 なんにも特別な意味はありません。(特別に誰かを中傷したりということではありません)ちょっと悲しくなっただけです。 これは私自身に対する戒めでもあります。 ジュクチョウ
2008.09.16
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私が塾に入ったのは、中学一年の冬のときでした。学校のテストで、あまり点数が取れなかった時に、仲の良い友達のお母さんにさそわれて、その友達と入ることに決めました。最初はあまり入りたくありませんでした。なぜなら、塾に入ると遊べなくなってしまうし、勉強したくないし、愛夢舎を見た時に、ただの古い家にしか見えなかったので「本当に点数が上がるのかな!?」って思っていたからです。でも、見学に来ちゃったし、友達に「一緒に入ろう」ってさそわれてしまって断れなかったので入りましたが、最初は、しぶしぶOKでした。しかし、それから2、3回授業を受けたら、塾が少し楽しくなってきました。先生たちは明るいし楽しいし、同じ中学校の友達が多かったのもあると思います。塾に入って3ヶ月ぐらいして、中学2年生になりました。中2になっても、そんなに勉強もせず、授業の日だけ塾にきてました。そして、愛夢舎生になって初めての中間テストが2週間後ぐらいにせまった日、「定期テスト対策」のガイダンスがありました。そこで、たくさんのプリントをもらいました。あんなにたくさんのプリントをもらったのは初めてだったので、「やっぱり塾って厳しい...」と思いました。そのプリントには提出日があって、遅れたら先生に怒られると思ってはじめはやっていました。テストが終わり、返された答案の点数を見ると、英語以外の教科は前回と比べて10点くらいずつ上がったけど、英語はあまり上がりませんでした。プリントをたくさんやったのに上がらなかったので、とても残念でした。そこで私は、勉強時間が少ないからだと思って、次のテストから3年の一学期にかけて、定期テストの2~3週間前からは塾に毎日来るようになりました。夏休みになり、そろそろ志望校も決めていく時期になりました。私は高校のパンフレットなどを見て、部活や行事、制服などがきっかけで、ある私立高校に行きたいと思いました。夏期講習も始まり、朝の9時から夜の10時まで勉強をして、毎日とてもつかれて家に帰る生活が結構続き、やっと夏期講習が終わったと思ったら「合宿」の時期になっていました。合宿に行った先輩たちから、合宿の厳しさを聞いていたので、合宿に行く1週間ぐらい前から緊張していました。合宿の日がきました。朝、塾にきた時から、愛夢舎も先生たちも、雰囲気がいつもみたいに楽しく明るい感じではありませんでした。とてもピリピリしていて、その時点で家に帰りたかったです。何時間かバスに乗り、やっとホテルに着いたと思ったらすぐにテストでした。その時のテストの偏差値は北辰テストとだいたい同じくらいでした。次の日から「授業→自習→テスト」という時間割で、英語と数学をやりました。毎日夜には、その日にやったテストの合格発表がありました。2日目のテストは合格しました。しかし、3日目のテストは不合格でした。不合格の人は、テスト直しと勉強をして、再テストを受けます。私は、その再テストも不合格でした。くやしくて泣いてしまいました。先生たちは泣いている私にとても優しく元気づける言葉をかけてくれました。私は先生の言葉でも泣いてしまいました。でも私は、泣いた日から勉強に対する気持ちが少し変わった気がします。次の日のテストも不合格だったけど、再テストでどちらの教科も100点を取ることができました。最終日のテストでも、初日の時よりも偏差値が上がりました。そして、合宿から帰ってきてすぐ北辰テストがありました。この北辰テストでは、偏差値が2~4くらいしか上がらなかったと思いますが、この後から上がり始め、時には10近く上がったときもありました。また、この頃から毎日塾に来るようになりました。そして、あっという間に冬休みに入り、受験まで1ヶ月ぐらいになりました。冬期講習も朝の9時から塾にきて、夜の10時に帰っていました。冬期講習の間には、正月特訓もありました。正月特訓では、プリントをたくさんやりました。プリントをやると、自分が分かっていないところがたくさんあることに気がつき、とても焦ったし、パニクりました。正月特訓は、合宿みたいに毎日テストもしました。1日目は合格だったけど、2日目は不合格でした。テストで間違えたところを必死に先生に聞いたりして、自分なりに努力したと思います。あっという間に学校が始まり、すぐに出陣式がありました。出陣式の日は、受験までちょうど一ヶ月前でした。塾に来て、教室の黒板に「出陣式」と書かれているのを見て、なぜか急にパニクってきて、泣きそうになりました。出陣式が始まると、先生たちから一人ずつ話がありました。それを聞くと、私は泣いてしまいました。塾長から合格祈願のお守りをもらう時が一番ピークでした。出陣式が終わると、先生たちから「なんで泣いてるんだ?」って言われました。自分でもなぜ泣いたのかは分かりませんが、なぜか悲しくなったし、感動したような気もします。出陣式が終わってから2週間後ぐらいに最初の入試がありました。この入試は面接と作文だけだったので、あまり受験って感じがしませんでした。作文は受験前に3回ぐらい練習したので、すらすら書けました。面接は中学校で1回、教頭先生を相手に練習しましたが、とても緊張しました。私は面接は5分くらいと思っていたけど、1分くらいで終わってしまったので、すごく不安でした。発表の日は次の日でした。高校につくと、たくさんの人が並んでいました。私の受けた学校は、合格通知が手渡しだったので、「合否によって封筒の厚さが変わるのかな?」とか、「不合格の人は何も渡されないのかな?」とか考えて、余計緊張してしまいました。そして私の番。もらった封筒をはさみで開けて見てみると「合格」と書かれた紙が入っていました。私は塾の先生たちに、この時受けた入試は絶対受かると言われていたけど、とても嬉しくて、早く塾の先生に知らせたくて、すぐ電話したけど、朝早かったので、誰も出なくて少し残念でした。その日の午後、塾に行き、合格したことを先生たちに伝え、この受験は終わりましたが、私はこの2週間後にコース上げ受験がありました。この入試は難しく合格することはできませんでした。でも、自分の実力をすべて出し切れたのでよかったです。 最後に、私は愛夢舎に入って本当によかったです。先生たちの授業を受けたり、おしゃべりするのがとっても楽しかったです。卒業するのはすっごくさみしいけど、暇な時は顔を見せに行くので、その時はよろしくお願いします。今までありがとうございました。私は愛夢舎も先生たちも大好きです―19年度中学部卒業生(女子) 現:私立高校1年生
2008.09.16
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愛夢舎では、中学3年生向けの秋の特別授業、『入試実戦力養成講座』、通称:秋ゼミが始まった。僕は、この講座群のうち国語・社会・数学の3教科にわたって6講座を担当する。 先日、手始めとして社会の講座の第1回授業を行った。埼玉県立入試における地理分野というのは、比較的、点数を取りやすい部分とされる。膨大な知識を問うというよりも、グラフをはじめとする資料を正しく読みとる、地図上の特徴を見出す、そうした「読解力」で解けるものが大半だからだ。もちろん、都道府県名とか、ヨーロッパ・アジア・南北アメリカあたりの国名や位置関係、農作物、工業製品の統計など、基本中の基本は覚えていないと始まらない。しかし、それらの知識は重箱の隅どころか、重箱のフタの題字を読むくらいごくごく基本的なことであるから、僕の地理の授業においては、資料・地図の読み取りのポイントを指導することが中心になる。ぶっちゃけ、今年の受講者も、残念なことにこの「基本中の基本」の知識が欠けておりだからそれは早急に覚えるように、補習していくのであるが…。 先日の第1回授業では、手始めに、地形図の読み取りをやってみた。 例えば、地図上に矢印が書いてある。この矢印は、●●君が歩いた軌跡である。●●君が歩いていく途中で見えたのはどんな光景か。そういう種類の問題がある。このテの問題の場合、北とか東の方とか、方角によっての指示ではなく、(さすがに、地図の上の方が北であることくらいは知っている)「右」とか「左」とか、●●君の視点で語られるから、そのとき●●君がどっちを向いているかを正しく読み取らねばならない。 するとですね、こんな光景に出くわすのです。 地図に合わせて、体をあっちこっちにぐるぐる回そうとして、四苦八苦する生徒。地図で示された矢印の方向を向こうとする生徒。 …。 … 地図を回せぇぇぇ~~~っ!! ある年の県立入試では、こんな問題が出題されました。 ▲▲さんが日本を出発して、「船」で世界旅行をする。途中、オーストラリアだの南米だのニューヨークだのに寄港し、ヨーロッパ、アフリカをめぐり、インド洋をわたって日本に戻る世界一周旅行。(実際の入試では、別の土地ですが、こんなイメージ)▲▲さんの航路を地図上に矢印で示すという問題。 ただのお絵かきである。僕なんかは、寄港するそれぞれの土地を想像しながらやるもんで、実に楽しい ところが、ある生徒はとんでもない航路を描く。 矢印は、大陸を突っ切る。 …。 … 「船」だっつーの!!「船」は陸地を進まないのっ!!! どうですか?滑稽に思われます?あるいは、あきれてしまう?…それとも、ごく自然のことと思われます? 最近の子たちの「地理感覚」というのはどーにも、とんでもないことになってる。中学生で47都道府県を位置関係も含めて全部指摘できる子はほとんどいないのではないでしょうか。 国と首都の関係もぐちゃぐちゃ。パリの中にロンドンがあったりします。 地球そのものについても、わけのわからん世界が展開しています。 さすがに地球が丸いということは知ってます。 そこで、こんな質問をぶつけてみる。 足元に穴を掘って、どんどん掘り続けて、やがて地球の反対側まで突き抜ける。つまり、地球を貫通するトンネルを作る。 もちろん、実際にはそんなことはできませんが、まあ、できることにしておいて・・・。 さて、そのトンネルに「えいっ!」って飛び込んだら、どうなるか。だから、物理的にそんなことはできないのですが、もしできるとしたら、僕の仮説だと、その人は地球の中心部分で固定されるのではないかと思う。質量の中心であるから、そこに向かってすべての重力が集中しているはず。(だから、地球の中心に空洞ができるわけはないのですが、あくまで空想として) 結構な割合の生徒たちが「そのままトンネルを突き抜けて、反対側に落っこちる」って答えます。 … どのみち空想のハナシだから、どうでもいいといえばそうなんですが、ちょっと想像してみてくださいな。 トンネルを通過して、反対側に落っこちる。 もし今、僕やあなたの足元に「穴」が開いていて、その「穴」が、このトンネルの「出口」の方だったとすれば、その穴から、突然、人が飛び出してくることになる。 足から。 突然、穴から人が、足の方からすぽーんって飛び出してくる。 …いや、だから空想なんですけどそれにしても、少し考えれば、その不自然さに気がつくと思うんだけど、どうもそういうことに思い当たらないようです。 「地球の穴」はどーでもいいとして、でも、僕は、実は「どーでもよくない」と思ってて、それは、そういう仮説を立てたくなることは重要だと思うからで、そのへんのフシギさに思い当たらないことは地理に対する興味が薄くなっていることのひとつの現象であるといえば言いすぎでしょうか。 カーナビなんかの「悪」影響もあると思いますよ。ナビでは、「次を右」とか「次の交差点を左」とかは教えてくれるけど、その結果、地図そのものを眺めて、自分でルートを選んだりする必要がない。 何年か前、「地図が読めない~」という本がありましたが、だから、今の生徒たちは「地図は読める」のです。ただ、読んだときの不自然さに思い当たらず、また、アタマの中で、すでにある「地図」を描けない。 そこで、保護者会なんかでは、僕は、「家に日本地図と世界地図を貼ってほしい」と保護者にお願いしています。ただ貼るだけではなく、それぞれの国がどんな様子か、百科事典とか、「地球の歩き方」とか、そういうものも併用して、アタマの中で土地を思い描けるようになってほしい。 だから、というわけではありませんが、11月3日のスポーツ大会の企画が進んでいます。 塾長佐々木の提案で、何年か前に一度だけやったスポーツ。オリエンテーリング。まだ決定ではありませんが、これをやる方向で考えています。 何を隠そう、僕は小・中学生時代にオリエンテーリングをやっていて、地元にはクラブなんかはなかったので、個人で大会に参加したり、あちこちのコースを回ったり、(日本全国に、パーマネントコースという、誰もが回れる常設コースがいっぱいあるのです、実は)そんな活動をしていた。今から20年前、全日本大会に次ぐ、全国レベルの大会朝日新聞主催の大会で、年齢別クラスで優勝したことがある。だから地図が得意なのかもしれないけど、どちらかといえば、地図をみるのが好きだったからオリエンテーリングを始めたような気がします。 ぜひぜひ、ご家庭には世界地図と日本地図と地球儀、そして日本各地、世界各国の様子がわかる観光案内的な資料、それらを置かれて、親子ともどもそれを眺めて楽しむ、そんな時間を作られることをおすすめします。(そのうち、勝手に子どもは地図を眺め始めると思いますよ)Kama
2008.09.15
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以前、「バンドライブ」の様子を動画で公開しておりました。まだご覧になっていない方は、こちらからどうぞしかし、サイズの関係で、演奏のごく一部を、小さい画面でお伝えするのみでございまして、僕は、どうにも、それが気に喰わなかった…そこで、乏しいPCの知識を絞って、なんとかYoutubeで動画公開できるように社内PCをチューンしました。手始めに、佐々木が担当している「小学英語サークル マーガレット」の様子をアップしてみました。(うまく記事内に取り込むことができなかったのでとりあえず、こちらからリンク)今後、色々な動画を公開…していければよいな、と。 ただ、公開する動画はおそらくイベント関係が中心になるだろうから・・・。「愛夢舎」と検索した結果、ライブだのスキーだのBBQだの、遊んでばっかのイメージになったりしてKama
2008.09.14
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高校生に現代文の授業をしていて、「前衛」という言葉と出会った。 最近は「前衛」という言葉も通じなくなってきたのかな・・・と思い、意味を知っているかどうか、あるいは、「前衛芸術」なるものを知っているかどうか、尋ねてみると、やはり、すべての生徒が知らなかった。「アヴァンギャルド」という言葉に置き換えて、ほんの一部の子が「聞いたことはある…かな?」という程度。 「前衛」。もちろん、テニスの前の人のことではありません。 辞書で調べると、こうある。「芸術活動で、既成の概念や形式にとらわれず、先駆的・実験的な表現を試みること。また、その集団。」 それでもピンとこないようなので、僕の知る限りの「前衛芸術」を紹介することになった。 僕の知る前衛芸術は、「舞踏」と「音楽」に限られる。絵画における、シュルレアリスムも含むのかどうか、そのあたりの分類はよく分からないので、ここでは外しておく。 音楽に関しては、およそ、あらゆる範囲の音楽を聴いてきたと思う。僕の音楽のルーツは、クラシックなのであるが、そこから大衆音楽方面への分岐点にいたり、ロック方面ではメタル、ハードコアにたどりつき、メタル方面では、おそらく最も極端であろう、ブラックメタルまでいきついた。(最近流行の「DMC」については、別の記事で書きます)また、究極系かもしれない「ノイズ」音楽まで聴くようになった。 クラシックの延長としては、現代音楽に手を出すことになった。 そして、アヴァンギャルド。初めて「そっち」の音楽を耳にしたのは、大学生のころだったろう。サークルの先輩に、少し変わった音楽の趣味の人がいて、その人の熱弁に興味を持って、自分でCDを買って聴いた。 それが、JohnZorn(ジョン・ゾーン)だった。サックス奏者である彼は、日本のミュージシャンとの親交も深く、また、グラインドコアバンドの重鎮、NapalmDeathへの協力活動もしている。ジョン・ゾーンを知ることで、山塚アイや、灰野敬二などを知ることになった。 そのジョン・ゾーンの音楽であるが…。 ぴぎーっ!ぴぎょーっ!きーっ、きーっ、きーっ!ぴぎぃーっっっっ!!…って感じでサックスが叫び声をあげる …よくわからんですね。まあ、聴いていただいた方が早いのですが、さすがに「普通の耳」の方に、わざわざジョン・ゾーンを買わせるのはしのびないので、そうですね、Youtubeあたりで動画を見ていただくと分かりやすいと思います。Painkiller名義の音楽は、フリージャズとして充分成立しているので、あえてアヴァンギャルドな世界をお好みの方は、それ以外を。おススメは、ジョン・ゾーン、山塚アイ、灰野敬二の夢のユニット。(「Keiji Haino Yamatsuka eye John Zorn」で検索すれば、ほぼ絞り込めるはず) で、これをいろいろな人に聴いてもらったところ、「こんなのは音楽じゃない」とか、「ふざけてんのか」とか、「アタマ、大丈夫か」とか、怒られた…。 さらに今日は、前衛舞踏を紹介した。僕の知る前衛舞踏集団というと白虎社と山海塾くらい。 そもそも、前衛舞踏とは全員白塗りの半裸の人たちが逆さづりになったり暴れまわったり、地べたを這うような動きをしたりするアレであるが、それをやはりYoutubeで見せたら、今度は「怖い…」って、引かれた…。 僕がアヴァンギャルドに興味を持っているのは、観客に鑑賞を委ねられるというその点にある。 舞踏(バレエ)でも音楽でも、古典(クラシック)の場合には、観客は少なからず、作者の意志を読み取る。極端な言い方をすれば、意志の押しつけがある。それはそれで、芸術の楽しみ方として最も普通のことであり、僕自身、それを楽しんでいるし、僕が作曲する場合にも、何らかの意志が作品に込められる。 が、アヴァンギャルドの場合、繰り広げられるパフォーマンスがあまりに難解というか、常軌を逸しているようにすら感じられるため、観客はその「意味」を求めることになる。 そしてたどりつく解釈。 それはおそらく、作者の意志とは異なるもので、また、観客ひとりひとり、異なる解釈であるかもしれない。 そこが魅力である。 じゃあ、僕がアヴァンギャルドの何たるかを分かっているのかと言われれば、それすらも分からない。そして、アヴァンギャルドの楽しさは、そこにこそあると思う。もし、作者の意志を読み取ることが要求され、そしてそれができる人のみが正しい鑑賞者だとすれば、その鑑賞者こそ、現実社会から外れた人であろう。 実際、山海塾の公演を観て、僕はそういう体験をした。実際に劇場に足を運んだわけではないが、もう20年近く前になるのではなかろうか、たまたま衛星放送で、山海塾の公演が2時間程度、放映されたことがあった。はじめは、やはりワケが分からない。白塗りの人が、ステージ上で、ワケの分からない動きをひたすらしている。チャンネルを変える理由もなかったので、なんとなく観ているうちに、目が離せなくなった。 そして、そのステージの最後のパート。まさに、人が逆さづりになって、わずかな動きを繰り広げる。 2時間見続け、ラストを目撃した僕は、「何か」が見えた。それは、なんというか、言葉では表現しきれないものだが、人間というより生き物、しかし、生き物というより人間、その生命の理由というか意義というか、なんていうか、プリミティブな根源というか、そういうものが見えた気がした。 そうですね、こういうと大変おこがましいのですが、禅における「悟り」って、こういうものではなかろうか、そんなものでした。 前衛音楽も同様。実際にそういうCDを何枚も所持している僕に「彼」なんかは、「そんなCD、どうするんですか?」的なことを言う。もちろん、そんな音楽らしくない「音楽」を始終聴くわけはないが、聴くと、やはり「何か」を感じる。何が見えるのか、それは人それぞれだろうし、そもそも、アヴァンギャルドでなくとも「見える」ものは「見える」のかも知れないが…。 ただ、思うのは、アヴァンギャルドに背を向けて、拒否してしまうのは、もったいないな・・・と。 山海塾などは、海外での評価が非常に高い集団である。「芸術」と認められているのだ。 「恐怖の白塗り」だけで終わらせてしまうのは、喰わずギライもいいところ、ある意味、世界で認められている芸術を吸収することができない、そんな自分の狭量さの証明にすらなりはしないだろうか。もちろん、「分からない」というのがダメということではない。僕だって、分かってないかもしれない。でも、「分かろう」とすることは、大切な気がする。 みなさんも、これを機会にアヴァンギャルドの世界に足を踏み入れてみては、いかが?Kama
2008.09.13
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夏休み、終わってました。昼も短くなってきました。そろそろ秋でした。そこで、デザイン、変えてみました。去年は確か、お月見でした。お月見も、そろそろシーズンでなくなる気がするので、秋にしてみました。「もみじ」にしてみました。「もみじ」というのは、植物の名前ではないということを、結構多くの人が知らないのでした。今後ともよろしく…です。
2008.09.12
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先日、今年度の合格第一号速報をお伝えしました。これは、高校3年生のAO入試による短大合格でしたが・・・。 本日、さらに2名、大学合格です。やったー!(理系T大生物学科、文系B大服飾学部) 今回も、AO入試によるもので、前回の短大合格も含めて、3分の3の合格率。しかも、第一志望校。しかも、数回の機会のあるAO入試で、いずれも一回目での合格。 合格率100%これは、自信を持って言わせていただきましょう。 やっぱり、愛夢舎は、A O 入 試 に 強 い !!(実は、過去の受験においても、AO入試・公募推薦での勝率は100%) 繰り返しになりますが、AO入試は、面接や課題(=小論文、レポートなど)提出を中心とした入試です。それだけ書くと、「なんだ、面接なら、ラクじゃんか・・・」と誤解されることもあるようですが、僕は、学科試験での得点勝負よりある意味難しいと思っています。面接においては、マニュアルどおりの答え方をしても、そんなものは一発で見抜かれてしまうからです。本当に志望動機が強く、自分の気持ちを充分に語れないと、合格にはたどりつかないはず。ちなみに、今回合格を勝ち取った子たち、来年にならないとデータは公表されませんが、過去のデータから推測するに、競争率3倍以上を突破しているはずです。 じゃあ、なんで「愛夢舎」がAOに強いと言い切れるかというと、それは、点数を取ることだけではなく、「学問の本質」を説いているから・・・かな?小手先の技術では合格できません。なぜその学問に興味があるのか、「明るい部分」と同時に「暗い部分」も理解してのことなのか、どこまで「こだわれる」のか。その他もろもろ、彼らの「志望動機」を明確に、顕在化させてあげる、それが僕らの役割なんでしょう。 だから、実際に合格したのは、もちろん、彼らの「やる気」が成したことで、完全に彼らの力なのですが、それを引き出してあげるという「お手伝い」は、そんなに簡単でもないと思います。とにかく、「本質」を問われます。面接官もシロウトではないでしょうから。 ちなみに、僕が面接官として働いていた頃、それはそれで色々なことを勉強したのですが、例えば、その人の印象が面接官の中でできあがるまで、どのくらいの面接時間が必要か・・・。 6秒。 たった6秒で、人の印象は決まってしまうといいます。 そして、その後の面接の内容で「逆転」は不可能ではありませんが、基本的には印象どおりの結果となる。 つまり、面接の合否は、はじめの6秒で、ほぼ決まっている。面接官は、話している「言葉」の内容で判断するのではなく、その人が全身で発するオーラのようなものを感じ取るのです。 じゃあ、その6秒で何がわかるか、その6秒の対策に何をすべきかというと・・・。 それはヒミツです。 さて、そんな「本質」を身につけ、AO入試を突破した彼女たちですが、今日、その報告に来て、言ったこと。 「勉強、しよう!」。 受かったから、もう勉強は終わり。愛夢舎の生徒たちは、だから、そんなことにならないのです。 合格したからこそ、勉強しよう。これが、本質です。Kama
2008.09.11
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我が塾も9月で8周年を迎え、やっと地域でも知られた存在になってきたのでしょうか(狭い範囲ですが)。 あらためて、塾生たちの顔ぶれを考えてみると、口コミによって集まってもらってるんだなあ・・・と感謝の気持ちでいっぱいになる。(もちろん、最近では広告のレスポンスも増えたのですが) 全員、鎖のようにつながっています。 特に口コミの究極のカタチ(?)である 兄弟姉妹入会が多い。 兄弟(姉妹)の2人は当たり前。 すごいご家庭は、長男、次男、三男、そして長女と4人の兄弟姉妹を通わせてくれているご家庭もある(驚)!(実はこのご家庭四男もいる5人兄弟姉妹!四男は入塾するのか・・・?) このようにウチに対する絶大な信頼を頂くと俄然やる気になります(プレッシャーも大きいですが)。 これからも、「弟妹も通わせたい!」と思ってもらえるような塾でありたいと強く思っております。 ジュクチョウ
2008.09.09
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ハンバーガーは、お好きですか? …唐突だけど、ハンバーガー、「キライ」という人は、あまりいない気がする。 「国民食」なんて言われる食べ物があるけど、そして、それは何の定義もなく、統一性もないけど、カレー、ラーメンに並んで、ハンバーガーは「国民食」のひとつである。 誰がそんなことを言ったかというと、それは僕が言ったのであって、なにしろ何の定義も統一性もないから、僕のような者が言ってもいいのだ。そういうことにしておこう。 ある調査で、「カレー」、「ラーメン」に次ぐのは「牛丼」だというのがあるけどそれはこの際、無視しよう。 「国民食」を「キライ」だという人は、あまりいない。 しかし、「ラーメン」については、それがどんなラーメンかによって、好き嫌いは分かれる。例えば、僕もラーメンは好きだけど、実を言うと、白濁した、ニオイぷんぷんの、「ズバリ豚骨ラーメン」は苦手であるラーメンではないけど、「冷やし中華」も食べられない。 しかし、カレーについてはかなり「国民食」度は高いと思う。カレーがキライという人と出会ったことは、ない。また、誰がどのように作っても、「まずいカレー」というのは、なかなか作れない。実は僕は、市販のルウを使って「まずいカレー」を作る方法を知っているけどそんなことを書いてもしょうがないから、ここでは書かない。ともかく、カレーは間違いなく、「国民食」の代表だ。 そして「ハンバーガー」も、かなり高い「国民食」度を誇っていると思ってる。カレー同様、「まずいハンバーガー」を作ろうとしても、なかなか作れないでしょう。 なんで突然「ハンバーガー」のハナシであるか。実は、7月末、愛夢舎の近所に「モスバーガー」が開店したのです。モスバーガーは、僕が入間に引っ越してきた当初はあったのですが、その後閉店し、数年経って、今度は別の場所にドライブスルー付きで、再度出店した。モスバーガーは、僕が入間に引っ越してきた当初はあったのですが、その後閉店し、数年経って、今度は別の場所にドライブスルー付きで、再度出店した。 これで、入間市武蔵藤沢地区には3大ハンバーガーショップがそろった。 マクドナルド、モスバーガー、ロッテリア。 この3店で「3大バーガーショップ」というのは、誰がそんなことを言ったかというと、やっぱり僕が言ったのだが、あながち間違いではないと思う。ほかにも「サンテオレ」とか「ドムドム」とかあるけど、そういうのは、おいておこう。それから、ちゃんとした軽食店、レストランのハンバーガーのおいしいお店も、ここでは無視しよう。そういうのは、他の方が専門のページを作ってる。僕も「T.G.I.FRIDAY'S」なんかのハンバーガーは好きですが、だからここでは言及しない。おわかりだと思いますが、ここでは、あくまでもファスト・フードとしてのハンバーガーを扱おう。 さて、愛夢舎にはファスト・フード大国、アメリカ帰りの佐々木がいる。当たり前のように、ファスト・フードが好きである。僕を含めた他のスタッフもハンバーガーは好きなので、そうですね、週に1度くらいは昼食にマクドナルドを食べている。 マクドナルド、ロッテリア、モスバーガー。 みなさんは、どこのファンですか? 僕らがマクドナルドをよく食べるのは、一番近くにあるからであろう。もちろん、味だって好きである。が、マクドナルドの最大の魅力は、値段の安さにあるような気がする。 ロッテリアは、買いに行くのが若干面倒な立地なので、ほとんど愛夢舎では食されない。が、もし食べるなら、やっぱりエビ・バーガーは欠かせない。 今回、モスバーガーができたことによって、マクドナルドの地位はあやうい地位って言ったって、愛夢舎内での地位だから、どうってことはないけどモスバーガーの魅力は、やはり明確な戦略に裏付けられた「高級感」にあるだろう。が、「高級感」があるだけでなく、ホントに「高級」なので、そんなに頻繁には食べられない。そこが難しい。しかし、テリヤキバーガーの元祖であるという点も含め、モスバーガーの魅力は、値段の高さを補ってあまりある。 僕も、モスは大好きだ。特に、モス・チーズなんかは大好きなのだが、あの独特な、たっぷりのソースがおいしいのだが、どうしても、あのソースをダラダラ垂らさず、キレイに食べることができない。実際、モスバーガーは、食べるのに相当な技術が必要だ。僕の知り合いのひとりなど、スプーン片手に、ソースをすくいながら食べるという。みなさん、どうですか? ロッテリアは、立地的に不利なので、ちょいと勝負にならないけど、今後、マクドナルドとモスバーガーの「ハンバーガー戦争」になるのは避けられないようだ。 愛夢舎内だけのハナシだけど。 さて、マクドナルドもモスバーガーも、そしてロッテリアも好きな僕であるが、じゃあ一番好きなハンバーガーはどれかと言われると、実は、そのどれでもない。 バーガーキング。これに尽きる。 たぶん、アメリカで食べたのが最初だと思うけど、「肉!」って感じのパティがおいしくて、日本ではあまりお目にかからないけど、食事時に見かけたら、迷わず、買う。ファスト・フード店でなければ、「肉!」って感じのパティも珍しくないのだろうけど、「ファスト」でありながらの「肉」感は、貴重だ。一度は日本撤退したものの、去年、再進出を果たしたバーガーキング。どうか、武蔵藤沢にも出店してほしい。 でも、僕が武蔵藤沢に最も作ってほしいファスト・フード店…。 それは、KFC。 ケンタッキー・フライドチキンである。 …ベタですねKama
2008.09.08
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この4~5日間、VTRと「にらめっこ」しています。 明日、夏期合宿の様子を保護者皆様に報告させていただく、「VTR上映会」を実施します。その上映用のVTRの編集作業に数日がかり…。 が…。 初めて間もなく気がついた。 こりゃあ、無茶なハナシだ…。 今回撮影したVTRは、テープ7本。都合11~12時間。それを明日の上映会では2時間まで、編集しなければならない。 正直言って、12時間丸々ご覧いただいても合宿の真髄というか、そういうものが十分伝えられるとは思えないのに、それを2時間に縮めるとなると…。 何しろ、時間の密度がメチャメチャ濃い5泊6日ですから、それは例えば、ドラゴンボールの「精神と時の部屋」並に濃いわけで、うまい例えになってるんだかなんだか、分かりませんけどとにかくですね、どこをどうとっても、一瞬たりとも見逃すことのできない瞬間の連続なわけで、むしろ、24時間×5日間、テープを回しっぱなしでないのが悔やまれるくらいですから、もうね、カットのしようがないわけですよ、これが。 でも、さすがに「12時間の映像をご覧ください」ってわけにもいかないので、泣く泣くカットしているのですが…。 …まだ完了しておりませんが、すでに編集VTRは2時間を超えました。失敗…。明日の会では、お時間がございましたら、3時間近くの映像をご覧くださいませ。(無論、ご都合がおありでしたら、途中で切り上げていただいても…) とりあえず、明日の会については編集VTRを上映するのですが、実は、それとは別に、「12時間ノーカット版」も、保存用として作成します。こっちは上映する機会はないかも知れませんが。 「12時間の映像」っていうと、とんでもない長さだとお感じかも知れませんが、実は、そういう映像というか、舞台がございまして…。R・ワーグナーの楽劇、「ニーベルングの指輪」。指揮のスピードにもよりますけど、1夜3時間程度の4日連続上演ですから、これをぶっ通しで観たら12時間かかる。 僕は、大学の卒論の関係で、パトリス・シェロー演出の「指輪」のLDをぶっ通しで観ましたが、これは、疲れる。目も、耳も、アタマも、疲れる。だから、ワーグナーは、そんなに好きではない。僕にとって、オペラはやっぱり娯楽で、「観た結果疲れる娯楽って…」と思うからで、あんまりアタマを使わないイタリア物が好き。 …何のハナシだか分からなくなってきましたたまには、こういうオチなしの、尻切れトンボ的文章もアリ…ってことで。Kama
2008.09.06
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今日、9月5日から、愛夢舎は二学期の授業が始まりました。早速、中学3年生を中心に、生徒たちが元気な顔を見せてくれました。特に、中3生は、授業がない子たちも自習にやってきて、明後日の北辰テストに備え、勉強。「合宿効果」は、まだ続いているようで、感心感心 そんな中、良いニュースも飛び込んできました。 今年度第1号となる大学受験合格。やったー!(正確には、短期大学) 「この時期に入試?」と思われるかも知れませんが、現在の大学受験事情はフクザツでございましてAO入試(アドミッションオフィス入試)を利用する場合、まさに今の時期が佳境であったりする。今回の合格も、AO入試利用によるもので、8月中に、1次試験として「グループディスカッション」、通過後に訪れた2次試験の「面接」を乗り越え、見事合格を勝ち取ったわけです。 前にも書きましたが、僕は、AO入試という仕組みが好きでして、それは合格のしやすさとかそういう問題ではなく、AOに挑むに際しては、自分自身の志望意欲を再確認することが必要で、例えば、今回合格した生徒は、今後、幼稚園の先生を目指すことになるのですが、面接や処々の準備の段階で、「なぜ自分は、幼稚園の先生になりたいのか」、「幼稚園の先生とは、どういう仕事であるのか」、「先生に必要なもの(=覚悟)」など、改めて考える場があった。 高校生にとっては酷かも知れませんが、いざ、志望動機を掘り下げていくと、その「薄っぺらさ」に自分自身が気がつき、生徒たちは「甘かった…」ともらす。 自分の考えの甘さにたどりつき、それを乗り越え、断固たる決意を固めた生徒たちが受験していく。ある意味、学力試験のみで、大した意志もなく進学していくより、よほど大変ですし、なおかつ、重要であり、そして、本来的である。だから、好きです。 だいたい、大学というところは、「何かを教えてもらう場」では、ない。大学は、あくまでも「研究機関」であって、意志のない者にとっては、実りの少ない時間が過ぎていく。 逆に言えば、強い意志が固まった生徒であれば、誰しもが受け入れられてしかるべきところで、そして、だからこそ、大学卒の価値は、大学にどうやって入ったかではなく、在学中をどう過ごしたかに集約される。 そこで、今回合格を勝ち取った彼女にとっては、実は、これからが本当の闘いになります。もっともそれは、自分の夢を実現するための、充実した、楽しく喜ばしい「闘い」なわけですが。頑張って、僕らが尊敬するような先生になってほしいと思います。(僕は個人的に、今の世の中、幼稚園の先生こそ、カギを握る方々だと思っています。) ともあれ、おめでとう♪ようやく、スタートラインに立てましたね。 …そんな中、明日は明日で、数名の生徒たちがAO最終試験に臨みます。点数勝負ではないので、就職試験同様に「相性」もあるので、「ダメで元々…」で受けてこい、と送り出しましたが、そうは言っても、入試本番。緊張しないわけがない。普段、深刻な表情をしない生徒が青ざめておりました。大丈夫、その緊張を体験することだけでも、キミにとって、大きな財産であるのです。真剣に自分の進路を考えた、それがもう、大きな財産。 …ぶっちゃけ、こっちも気になって、なかなか眠れないのですがKama
2008.09.05
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合宿で伝えたかったことはたくさんありまが、生徒諸君は多かれ少なかれ、合宿参加前には理解できていなかったことを、理解してくれたように思います。感謝しています。 最近ずっと考えていました(ここ半年くらい)。 「曲がらないもの」をごり押しで曲げようとする人のことを・・・ 実は私は、この世に「曲がらないもの」なんてない、と思っているんですが、「曲がらないもの」を曲げるにはその人の強い信念、覚悟、説得力(実績)が必要だ・・・ということなんですね。 自分が置かれた環境に不平不満を持ったとき、自分で何か行動することなしに、逃げたり、他者のせいにして、自分を正当化する・・・この行動の延長線上に本当の意味での解決や成長はありません。 理不尽だと思っても、自分でなんとか解決できないものか、ともがき苦しんでみる。これが大切なんです。この、もがき苦しみ、はとてもつらいですが、気づいたときには、本当の意味で乗り越えられたという実感をもつことができているはず。 まったく、先生の言うことも聞かず、宿題もやらず、結果を出していない子が 、「僕(私)は上のクラスがいいんです。上のクラスに入れてください」・・・これは「曲がらないこと」です。 でも、「そうか、僕(私)は上のクラスに入るだけの努力をしていないのか。それなら、上のクラスにいけるだけのことやってやろうじゃないの」・・・と思い、もがき苦しみ、結果を出せば、「曲がらないこと」は曲がってしまうわけで、実は「曲げられるもの」なのです。 「曲げられる」はずなのに、「暑いから勉強に集中できない」「家では弟がうるさくて勉強できない」「風邪をひいて熱があったので勉強ができなかった」「お母さんが仕事に行っててご飯を作れなかったので腹が減って勉強できなかった」 全部、環境や他者のせいにしてしています。 暑ければ、塾の自習室や図書館に行けばよい。 弟がうるさければ、塾の自習室や図書館に行けばよい。 風邪をひかないように自己管理すればよい。 自分でご飯を作ればよい。 中高生ともなれば、これらのことは。すべて自分で解決できるはずです。 「合宿の心得」に私が書いた『結果が出ないことを「他人」や「環境」(まわり)のせいにするな・・・必ず自分に原因があるはず。客観的に原因を探して、落ち着いて対処せよ』 とはこのことである。 合宿では、みんな、厳しいルールも守れたでしょ?いままでできないと思っていたこと、自分の力でできたでしょ? そう、誰もができるんです。「他人」や「環境」のせいにしなかったときに。 つらいとき、うまくいかないとき、「他人」や「環境」のせいにしたくなるよね。うん。わかるよ。 でもね。その延長線上に成功はないの。 だから、つらくても、「自分で解決を試みる」その気持ちを忘れないで欲しいな・・・。 君たちは「他人」や「環境」をも変えられるすごい力を持っているんですよ。 遅ればせながら「塾長の合宿後記」でした。
2008.09.04
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今日は、少しハードボイルドにやってみようじゃないか。 俺の朝は、凛々子(リリコ)と共に始まる。たいてい一番鶏の声を聞き、午前4時すぎにベッドに入るのが俺の日課だ。朝と言っても、時計の針は間もなく頂上の「12」の数字にたどり着こうとしていることが多い。そんな俺は、朝食をとらない。もっとも、このタイミングで何かを口すれば、自動的にブランチになる、そんな軽い冗談を思い、煙草をくゆらせる。 だが、そんな朝に欠かせぬ存在。それが、凛々子だ。凛々子は、深夜の晩酌にも付き合ってくれる。 始めて彼女と出会ったのは、いつの頃のことだろう。彼女の存在自体は、幼い頃から知っていた。だが、坊主の俺には、凛々子は扱いきれなかった。 彼女との出会いは、そうだ、やはり酒の場だったな。酒と言えば、ビールとスコッチしか知らなかった俺に誰だかがカクテルを勧めたのだった。 ふっ、冗談じゃないぜ、俺は女でもガキでもないんだ。そんな甘ったるいもの、口にできるか。 周りがスクリュー・ドライバーだ、モスコーミュールだ、あるいはシンガポールスリングだ、カルーアだのさわぐなか、俺にはお気に入りのカクテルができた。 「ブラッディ・メアリー」。血を連想させる、その真紅の色から、16世紀にプロテスタントを大量虐殺した女王メアリー1世の名前が由来となったこのカクテル。ウォッカにトマトジュースを混ぜるだけのシンプルなヤツ。レモンなんかで少し味を引き締める。 甘い、軟弱なヤツが多いカクテルの中で、コイツは独特な味わいを放つ。「レッド・アイ」とか「レッド・バード」「ブラッディ・ブル」など、亜流は多いが、俺はもっぱら、ブラッディ・メアリーを好む。思えば、この頃から甘いものが口にできなくなったようだ。 やがて、アルコールの入っていないトマトジュースも好むようになった。ふん、トマトジュースが軟弱だというなら、笑えばよいさ。ストロングのブラックコーヒー同様、俺にとってはトマトジュースは安らぎのひと時だ。ワイアット・アープがミルクを飲んだらおかしいかね。 この国でトマトジュースを飲もうと思ったら、カゴメかデルモンテになるだろう。俺は、まあどっちでもいいのだが、デルモンテは少しサラサラしすぎだ。 それよりも許せないのは、食塩無添加のトマトジュース。アレじゃあ、トマトのうま味が全然引き立たない。スイカだって、塩をかけて喰うだろう?トマトには、塩だ。もちろん、ジュースにしたって塩が利いていなければ話にならん。 それから、水分で薄めてあるヤツ。アレもいただけない。 俺は、トマト味のジュースがほしいんじゃない。トマトジュースがほしいんだ。薄めたり、塩を入れなかったりするヤツは、そのあたりがまるでわかってない。 トマトジュースは、缶から直接飲むより、グラスにそそいで、真っ赤な色を楽しみながら飲むのがうまい。体調によっては、塩の利き具合に違和感を感じることもあるから、そういうときは、グラスに注いだ赤いヤツに、白い塩をふりかけて、自分で味を調えるんだ。 店なんかでやるときには、タバスコもいいな。店のヤツだと、レモンがしぼってあったり、余計な小細工がしてあることもあるから、そういうときには、塩とタバスコで味をひきしめる。 刺激に飢えているときには、タバスコを少々多めにする。そうすると、さわやかなトマトの味、ともすると甘ったるくなるのを抑える絶妙な塩味についで、喉をほんのり焦がすようなタバスコの刺激がたまらない。 よく、ジュースは甘くないと…というヤツがいるが、トマトジュースの魅力がわからないなんて、哀れだな。人に甘えず、ただひたすら、清涼感と塩による引き締め、これこそ大人の男の飲み物だ。 自家製のヤツも悪くない。そう、あれは長野県の秘湯、仙仁温泉の朝食で出されたトマトジュース。アイツはうまかった。 凛々子は、俺にとってはなくてはならない存在だ。俺の体を気遣ってくれる、そんな優しさもあるが、俺にとって、それは重要ではない。彼女が、常に冷蔵庫の中にいて、毎晩、毎朝、俺に至福の時間を与えてくれる。それだけで十分だ。 凛々子…。 …あっ、言うの忘れてた 「凛々子(リリコ)」って、カゴメのトマトジュースに使われてるトマトの品種名でーす。いやホント、凛々子のトマトジュース、なくてはならんのですよ、僕にとっては。トマトを、「合宿不人気食材No1」と自ら書いてしまって、僕としてはトマトジュースのおいしさを分かっていただき、どんどん普及させていきたいなぁーっと思って、書いてみました。 他意はありませんよ。何か、誤解でも招きました?(ヒッヒッヒッ…)Kama
2008.09.04
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穏やかでないタイトルですが正直、つい先ほど、心臓が止まりそうになった。 塾のメイン・コンピュータに不具合が発生…。 愛夢舎ではサーバーをたてておらず、比較的、容量の多いタワー型PCをメイン機として、ピアtoピアながら、擬似クライアント方式をとっています。この「メインくん」がクラッシュしたら、過去8年間、積み重ねてきたデータやらなんやらが一気にぶっとぶ…。全データの修復は不可能。同レベルの運営状態に持っていくまででもおそらく半年はかかるでしょう。 「メインくん」が逝ったらきっと僕はふて腐れて、塾に来なくなる。冗談半分で、そう公言しているのですが・・・。 先ほど、「メインくん」を起動したら、どうも穏やかではないメッセージが・・・。 「1台のハードドライブが故障しました。」 …。 … ふて腐れて、帰ろうかと思った。実家に帰ろうかと思った。土に返ろうかとすら思った。気分はマリアナ海溝をつきぬけて、気分はリオデジャネイロ状態。 しかし、壊れたのは「RAID0」とかいう部分だかなんだかで、「RAID1」の方が生きていて、データそのものは助かった様子。急いで、カスタマイズした愛器「ビブロくん」でデータの救出。最悪の事態だけは逃れました。 でも、このRAIDという仕組み、まるで分かりません。システム復元を試みてもダメ、ネットで調べてみたら、もう外すしかない的なことが書いてある。とりあえずデータ自体は「ビブロくん」の活躍のおかげで生きているので、最悪、再セットアップしてみようとは思うのですが・・・。 こういうとき、コンピュータの専門家が社内にいると助かりますね。いないと、ホントに困りますね。田中先生がその「メインくん」で作業をしていますが、治ったわけではないので、言ってみれば、2つある腎臓の片方がなくなった状態でムリヤリ働かせているようなもの…なのか? いやー、焦りました。キオクが走馬灯のように・・・ 心臓に悪いですKama
2008.09.03
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先ほどまで、週末にAO入試で大学を受験する生徒の面接対策を講じていました。 僕の経験上、実はどーでもいい質問のひとつ、「あなたの長所と短所をお答えください。」について、一応、答え方を確認しておこうと思ったら、なかなか自分では「コレ!」というものを見出せずまあ、それはそうに決まっていて、だったら友人にでも聞いてみたら?…ということで、メールで「自分の長所と短所って、なんだろう?」とやってみた様子。 間もなく返事がやってきて、見ると…。 「長所は『バカなところ』。 短所は『バカなところ』。」 当の本人は「ええ~っ?!」と言っておりましたが、密かに、僕は、思った。 (…コレ、究極の答えだぞ!)もちろん、そのまんまの言葉では使えませんけどね。面接攻略(←そんなものがあるかどうか、分かりませんが)のキモをついている。理屈を詳しく知りたい方は、リクエストでもくださいな♪ ちなみに、長所を聞かれたときに「明るく、元気なところです」的な答えはなーんのプラスにもならない、NG発言です。 長所も短所も「バカなところ」。 いいね、この返し♪その後のやりとりは必要ですが、充分な時間のある、大人対象の面接の場では、これは合格・採用ラインにたどりつくのではないでしょうか。Kama
2008.09.02
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先月30日に終わった、愛夢舎の夏期合宿。先日も書きましたが、なんだか遠い昔のような気がしています。 ところで、ウチの合宿は、まあ、とにかく、ルールが多い。無論、数多くの「理不尽」なルールで生徒たちを拘束することで、非常なる集中力と向上心を引き起こし、感情の起伏を大きくすることが目的でそうしており、決して故なきことではないのですが。 そのルールの中に、こういうのがあります。 「食事で出されたものは残さず食べること。 好き嫌いは言わないで食べること。」 (アレルギーをもっている人は、あらかじめ先生に報告しておくこと) 食事にまつわるルールにはほかに、「いただきます」「ごちそうさま」を大きな声で言うとか、残したら「お菓子を食べ過ぎた」とみなして全部取り上げ、とか、食器をひとつにまとめる、とか、あるのですが、とにかく、この「残さず食べる」は、生徒たちにとって一番の悩みのタネであったようです。毎年のことですが、四六時中勉強をすることより、食事を残さず食べる、キライなものを食べる、この方が、出発前の彼らにとってはよほど大きな問題。 今回も、多々ありました。これまでの経験上、不人気食材No.1は「トマト」のようです。マヨネーズも不人気ですが、これにはアレルギーなんかもあったりして、さすがに僕らもアレルギー性のものを食べろとは言わないので、はずしておきましょう。(全部食べるのは、あくまでも健康維持のためで、食べた結果、体調を崩したり、勉強に集中できなくなるのでは本末転倒。) 他には、そうですねー、梅干とか、ブルーベリーとか、プリン・ケーキ類とか、お肉とか、漬物とか、ココナッツとか・・・。 …あこれは全部、講師陣が苦手なものでした。(どれが誰のだかはヒミツ) さて、いざ食事の時間になると、何人かの生徒が言い出す。「コレ、食べられないんです・・・。」 こういう場合、僕らはさすがに叱ったりはしませんが、「食べられない」の意味を聞きますね。例えば、食べるとジンマシンが出たり、もどしてしまったりするのか、ただ単に、味がキライなだけなのか。もちろん、大抵は「食べられない」ではなくて「食べたくない」なわけです。でも、「食べたくない」にも色々あって、確かに味や食感が合わないというのもあり、こういう場合には「はい、じゃあ頑張って食べてみよー!」と、僕らとしては極めて明るく、彼らに頑張らせるわけです。 ところが中には文字通りの「食べず嫌い」も少なくない。「見た目がイヤだ。」とか「これまでに食べたことがないから」とか。 ほーそうか、ならば今回キミは生まれて初めての体験をするわけだ。記念すべき挑戦の場だ。はい、食べてみよー ・・・まあ、そうなるだけのハナシなのですが。 ただ、ここで思うことが一つあります。 果たして、好き嫌いはいけないことなのだろうか。出された食材は、全部食べなければならないのだろうか。 はい、またしても、全部ぶち壊し的なことを言い出しましたね、ボク。 「そういうルールにしてるのはお前らだろうが、食べなくてもよいなら、初めからそんなルールにするな!」って? ここで思ったのは、そういうことではないのです。例えば、世の中には全く野菜を食べないという人もいますね。その反対に、肉を極度に嫌う人も少なくない。誰しも、絶対に口にしない食べ物のひとつやふたつ、あるもんです。それは僕ら講師陣だって同じこと。それを百も承知で合宿のルールとしており、それはなぜかと言われても、「ルールだから」としか言いようがない。ウチの合宿のルールは、「ルール」としてあるために「ルール化」しているのです。このあたりのニュアンス、伝わるかな?考えてもみてください。ひとつひとつのルールに「なぜ?」という根拠を求めることはある場合には大切だけれども、多くの場合には邪魔になる。守らねばならないことは守る。それだけ。 が、こと食事に関しては、面白い現象が起こる。 例えばですね、いくらルールといっても、「先生に廊下で会ったときには、その場で『でんぐり返しを2回して、立ち上がってさらに2回回って、一礼二拍手一礼をした上で『ワン』という」というルール。もちろん、なーんの意味もなく、さすがに合宿でも、こんなアホなのはありませんが、でも、合宿で「ルールです」って言えば成立する。しかし、やってる側もこっち側も、「コレ、意味ないよな・・・」と思いながらそのルールを遵守することでしょう。 が、食事の場合には違う。関わるほぼ全員が「大変意味のあること」として捉えているフシがある。子どもたちは子どもたちで、イヤな食べ物を、ともすれば泣きながら食べて、そんなにイヤならやめればいいのに、でも「自分のためだから・・・」って言って、がんばる。おそらく、多くの親御さんが、「全部食べさせるのはいいことだ。ぜひやってくれ」と思っている。僕らは僕らで「良いことだ」と思ってやっている。 が、それが「良いことである」ことに根拠はない。 まして、当の本人である子どもたちが「自分は『食べられない』けど、自分のためには食べなきゃ」って思ってる。 この構造、おもしろいですね。 さて、結論です。少々苦言めいた、あるいは、皮肉めいて聞こえるかもしれませんが・・・。 彼ら子どもたちに「好き嫌いはいけないことだ」と思わせたのは、誰でしょう?そして、そんな子どもたちがある食材を食べられなくなったのは、誰のせいでしょう?(むろん、アレルギーをのぞき) そういうことで言えば、もうひとつあります。お箸の使い方です。 僕も、箸のマナーが完璧かといわれれば、多分かなっていない部分もあるだろうからそんなにエラそうには語れないのですが、それでも周囲には「マナーにうるさい」と思われているようで、だからそれを逆手にとって、以前こんな記事を書きました。ところが、生徒たちの箸の持ち方を見ていると、「嫌い箸」どころか、なんだかもう、手がドラリオン状態でマネしようと思ってもなかなかできない箸づかいの子がいる。僕なんかは、「よくそれで食べられるなぁー」と逆に感心してしまうのだけれども、何かの拍子で「箸」の話題になると、どうも彼らは別のことを思っている様子。 自分の箸の持ち方がダメだと思ってる。 いや、そりゃあ、いわゆる「箸の正しい持ち方」ということで言えばダメに決まってるんだけど、でもそれを言ったら、やっぱり大人でも正しくない人は多いし、ではそれで相当困っているかといえば、礼法が問われる場に立たない限り、まあ、ほとんど影響はない。その持ち方だと食べ物が口に運べないというのであれば、これは生命の危機であろうが、仮にそうであったとしても、今の世の中、フォークだってスプーンだって、そのミックス形だって、ある。なんなら、ストロー式のゼリー食品だけで生きていけるかも知れない。フツウに会社員をしているレベルであれば、接待の場で、箸の持ち方が悪くて商談がおじゃんになったとか、聞いたことない。(僕の周りでは)また、お見合いの席とかで、「相手の箸の持ち方が悪いからお断りしたい」というような人がいたら、そんな人は、こっちの方から願い下げだ。 つまり、実生活において、箸の持ち方がどうであっても、そんなに困らない。 ところが、箸の持ち方が「正しくない」生徒たちは、言う。 「大人になって困るから直したい。」 じゃあ、直せばいいのにと思う一方、どうしてキミはその持ち方になったんだろうね、誰にその持ち方を教わったんだろうね、誰が「大人になったとき困る」って吹き込んだんだろうね、とも・・・。 あの・・・くれぐれも、何が悪いとか何が良いとか、そういうハナシではありませんから、誤解のないよう。ただ、面白いな、と思っただけです。Kama
2008.09.02
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たった今、辞任表明会見がありましたね。記者の誰かも言ってましたが、内閣改造したばっかりで、こりゃあ麻生さんも何のためだったんだか・・・。親分、機嫌、悪そうでしたね。そりゃ、言い訳ないけど、周囲への不満たらたらで、最後には記者に向かって、「あなたとは違うんだっ!」って…。 まあ、大変だったんでしょうね。個人的には、何を言われてもふんばってほしかったんですけどね。だって、誰がやったって、これは大きなカタストロフィでも訪れない限りにはスピードの緩急がつくだけで、ベクトルの向きは変わらないもんね。そんなことより、あーだ、こーだ言われて、イヤになっちゃって、イヤになったら、ふてくされた表情をして「辞めればいい」と、そういう風に、子供たちが印象を持たねばよいな、と思う。 まあ、正直、「えっ?辞めるの?今?…ふーん、そうなんだ。あっそう・・・。」程度の感想しかありませんね。 僕は、枠組みを変えようとは思わないから。アメーバ的に、自然の摂理として、変わりゆく枠組みの中で、その構造の中において、自分が如何にあるかということが最も重要な実存主義者であるから。だから、政治については、公の場では語りません。 TVタックルで官僚の腐敗について論議している中、ニュース速報で首相辞任が流れたときにゃあ、今世紀最大のギャグじゃないかと思った。 ・・・ともかく、この国は、とんでもない方向に向かっているようですね。Kama
2008.09.01
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おはようございます、鎌田です。 …「おはよう」って言ったって、ぜーんぜん、早くはありませんね。もう2時です。そういうわけで、オフを過ごしております。 さて、一昨日で僕の「夏」が終わったわけですが、合宿期間中、「彼」に「大変ですねぇ~、休日も返上して…」というようなことを言われた。「彼」だけでなく、いろいろな人に「大変な仕事」をしていると思われているようだ。 実際のところ、久々の完全オフである。例えば、誰かに「夏休みの間は、何をしました?」って聞かれれば、「いや、塾に行っておりました。」としか言いようがない。 誤解を招く恐れがあるので、あまり自分では言わないことにしているのだが、実は、昨日、およそ一ヶ月半ぶりに「塾に行かない日」にした。7月の半ばくらいから8月30日まで、時間の長短はあるものの、毎日、完全に一日も欠かさず、塾に出勤していた。(合宿中は志賀高原だが)言うなれば、45日間連続出勤ということにでもなるか。去年もそうだった。僕にとって、夏のスケジュールはまあ毎年こんなもんだ。夏以外にも、時期によっては60日間連続出勤とか、そういうのは、別に珍しくない。 で、こういうハナシは、なぜか暗い空気を引き起こすというか、憐憫の情をあおるというか、そういう傾向があるので、また、誤解を招くことが多いので、あまりしないのであるが、ふと「大変な仕事」と言われることについて考えてみた。というのは、僕自身は、この生活をまったく「大変」だとは思っていないからである。 しなければならないことは、多いかも知れない。が、それとて、誰かに指示されてやっていることではなくて、どちらかと言えば、自分で勝手にやっていることも多い。そうすると、今度は「すごいですねぇ」って言われるんだけど、やはり自分では「すごい」とも思っていない。 で、思い当たることがあった。僕にとって、コレは「仕事」ではないのだろう、と。 例えば、愛夢舎に戻る前の僕は派遣会社の営業マンであり、またコーディネーターであり、その頃は、やっぱり休日返上することもあったけど、週休2日あるうちの1日は、確実に休んでいた。たいていは週に2日、休んでいた。職場まで1時間かかるということも原因にあったかもしれないけれども、当時はやはり、「仕事に行く」という感覚が今よりはあったかも知れない。ちなみに、その週休2日のうちの1日で、僕が加わる前の愛夢舎に出かけるということもあった。 つまりですね、今の僕の状況、「愛夢舎の先生」というのは、どうも僕にとっては「仕事」では無いようなんです。 では、「仕事」ってなんだろうって始めると、これは大変なことになる。この定義は難しい。一般論としての「労働」を考え始めると、例えば貨幣経済社会のなんたるかというハナシにもなりかねない。僕は実存よりの人間だから、自己実現とかそういう方面に思考をもっていきがちだが、逆に、資本家と労働者とを分け、労働者は自らの時間と体力を「搾取」され、自らを「疎外」することになる的なマルクス主義の方面も語らねばならなくなり、そして僕自身、「労働=搾取」とする考え方は弱者の発想であるという持論を展開するハメになって、哲学史大会になりかねない。だから、やめるが…。 もっと単純に言えば、「先生」というのは「職業」・「仕事」にはなり得ないのではないか、と、思った。これは客観的な評価ではなく、その環境に身を置く者の主観としてのハナシですが。 だって、「先生の仕事はなにか」っていう命題を立てたとして、「知識を与えること」ではないですもん、絶対。僕の『教育観』(←エラそうだけど…)では、先人が後輩に見せる自らの姿はすべて教育であって、そこに啓蒙の要素が入っているかどうかは、受け取り側の問題。また、教育に携わっているかどうかということも、客観的な事実ではなくて、やはり発信側の意志の問題。そして、僕は自らを「教育に携わる者」として意識しているから、ならば、職場にいようがどこにいようが、僕の一挙手一投足がすべて「先生」であって、また、僕が何を考えるかも「先生」である。そこで、僕が「先生たるように立派でなければ」と常に考えているかといえば、やはりそんなことも考えていなくて、まあ、言ってみれば、「素」で現場に立っている。何が立派で、何が「先生」としての要点だか、そんなことは決まっていないと考えるからだけど、少なくとも、ひとつの思考においてすら、手抜きはしないようにしている。もっとも、これは性格の問題だろうが。だから、職場に行くとしても、「仕事だ」と意識していくことは、ない。 これが事実ですね。うーん、やっぱりうまく表現できないなぁ。だから、この話題、書くのをためらってきたんだよなぁ…。 でもですね、だから「先生」という立場において、「オン」も「オフ」もないと思うのですよ。だって、手先の作業でできる「仕事」ではないし、いわゆる「営業トーク」の練習でごまかせるものでもないし。 他の塾の先生方のブログなんかを読んでいて同じ感覚を感じるときもあります。 そこで、気がついたのは、「先生」というのは「職業」ではなく「属性」であろうと。つまり、僕の職業はよくわからんけど、僕は「何」かと言われれば、「先生」なんだろうな、と。 ならば、オフもオンも、ないでしょう? だって、「先生」を「仕事」と考えて、「たまには『仕事』のことを忘れて…」というのは、「お前は『鎌田』だけど、たまには『鎌田』であることを忘れて…」というのと大差なく、無論、そんなことはできないから。 「先生」に限らず、そういう立場の方はいらっしゃいますね。僕は「芸能人」のことは、そこまで詳しくないけれども、例えば「会社経営者」の方なんかには、このタイプは多いように思います。「先生」とか「経営者」の方が、婚期が遅いとか、家庭の匂いがあまりしない、というのも、無縁でないと思います。もちろん、そこがすごいとか、そうでない場合にはすごくない、とか、そういう短絡的なことを言うつもりはありません。だって、このタイプ、そういう意味では「不器用」であるという、ただそれだけとも言えるだろうから。 何が言いたいのか、ワケがわからなくなってきましたのでそろそろやめますが、まあ、なんていうか、「先生」は僕の「属性」、血液型とか星座みたいに、備わっているもの、それだけである、と考えて、自分の行動パターンに理由をつけたら、少し気が晴れた・・・。 そういうことでした。言葉足らずで伝わりづらい部分、論拠の乏しい部分、多々あります。失礼いたしました。Kama
2008.09.01
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