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「記憶の限界」と言っても、「いったいどれだけのことが覚えられるか」という、「量」の話ではありません。「量」に関して言えば、例えば、円周率を延々と言い続けられる人とか、世界中の国旗を覚えている小学生とか、いますね。でも、僕自身は、記憶の「量」は大したことないと思ってる。むしろ、少ない方かな・・・。 で、ここでは「量」の話ではなくて、「長さ」の問題。簡単にいえば、人は、どれだけ昔のことを覚えているものか。転じて、人は、どれだけ長く、ひとつのことを覚えているものか。 これについては、僕は、「すごい記憶力だ」と言われることがあります。「よく覚えてるね」、と。自分ではよく分からないので、そーなんだ・・・って思うしかないのですが、もし細かいこと、古いことを比較的よく覚えているのであれば、それは、ひとつひとつの事象のアタマへの「刻み込み方」が深いと、そのように理解しています。確かに僕は、好奇心が旺盛であって、それは、およそすべての事柄に及び、どんなことにも興味を持てることは、自分の特技であると思っているから。 だから、僕は、色々なことを覚えているというのは、即、色々なことに興味があると同義であると考えています。 その証拠になるかどうかわかりませんが、例えば、食事。これは、僕にとって、最も興味のない事柄のひとつ。そこで、一昨日の夕食に何を食べたかを聞かれたら、まず、間違いなく、答えられない。忘れてしまっている。 「興味があることは覚えやすい」っていうのは、だれしもが言うことで、あまりに当たり前のことですが、「記憶力」の話題になったときに、案外、「興味」との連関は忘れられるもんですよね。 ところで、人はどれだけ昔のことを覚えているもんでしょう。 例えば、僕は、母親のおなかの中から出てきて、初めて「光」をみたときのこととか、おなかの中で、手足を伸ばしたらきゅうくつだったこととか、自分の細胞がだんだん分裂していって、手の指が5本になったのを見ていたこととか…。 … そんなことを覚えていたら、バケモノだ。 で、ホントのところは、2歳のころの記憶が最も古いかな。もちろん、連続した記憶ではなく、断片的なものですが、3歳のときに、来年幼稚園に入るってもんで、通うことになる幼稚園の運動会を見に行ったことははっきり記憶にある。さかのぼって、家の引っ越しがあったのだが、そのときに自分だけ新居のベランダにすわって、荷物を運ぶ大人の様子を眺めていた記憶がある。また、道を歩いていた姉が自転車にはねられたのを見ていた記憶もある。たぶん、これが2歳の頃。 色々な人に聞いてみたのですが、どうも、幼稚園に入るか入らないかのころ、このあたりが最も古い記憶であるという人が多いみたい。 記憶というと、面白いハナシがあります。これは、誰かのエッセイかなんかで読んだのですが、社会人の研修会でのハナシ。社外研修では、見知らぬ人たちが同じ場に参加するので、初めは、なんかよそよそしい雰囲気である。そこで、そのアイスブレイキングとして、みんなで「地図」を書くのだそうだ。 子どものころ、自分が住んでいた家の周囲の地図。 当時の家を中心に、道がどのように伸びていたか、途中にどんなお店があったか、どんな木が生えていたか。 それを、思い出しながらみんなで書いていると、いつの間にか、会話がはじまって、やがて、初対面の人とは思えないほど、会話が弾んでいるのだそうだ。詳しい理屈はわかりませんが、どうなんでしょ、昔の記憶にアクセスしようとすることで、感性、感覚すら、当時にもどって、それで、幼稚園児くらいだとあまり人見知りもしないことが多いので、会話が始まるのでしょうか。 いずれにせよ、面白いですね。 … …ええ~っとずいぶん、まとまりのない文章ですねぇ~。何が書きたいのか、よくわからんですよね~ひとつの文章としては、テーマがよくわからんですよね~。要旨もはっきりしないですね~。ダメな文章ですね~ なんでかというとですね~。 何か、書こうと思ったのですが、その書こうと思った「何か」を忘れてしまったのですね~ これが、人の記憶のフシギなところ…。Kama
2008.07.31
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私が塾の経営を本格的に始めた当時とてもお世話になった・・・いやそんな陳腐な言葉ではない、「私の人生を変えてくれた」弁護士のK先生から暑中見舞いを頂きました。毎年2回(夏と新年)お葉書を頂けるんです。本当にありがとうございます。 当時私は、先生の 「君は会社という組織や、社長という立場に、こだわるのか?それとも、生徒さんたちに教えることがしたいのか?・・・ならば、答えは出ているではないか。」 という言葉で私は、そのとき、生き返りました。 このときからです。「社長だけど社長じゃない」と私が思い始めたのは・・・。 たまに、他社の社長に「社長!」と呼ばれ、「えっ、俺?」って・・・ 社長としての自覚がないと言われてしまえばそれまでですが・・・ 最近も、社長関連の本を数冊読みましたが、やはり、「社長」というものをひとくくりにはできないのだと痛感しました。 でも、世間の「社長像」ってやっぱりステレオタイプの部分はあるんですよね。 世界の社長さんたちがんばりましょうね。(って、俺が言うな、って感じですね) ジュクチョウ
2008.07.31
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夏期講習7日目が終了しました。前にも書きましたが、昨日・今日の2日間は、中学3年生、高校3年生のみを対象とした特別講習。ほかの学年の子たちは、8月2日からの「夏期講習第2期」から再開となります。僕はこの2日間、高校生の古文のほかに中学3年生に「理科」の授業を行いました。 いやー、理科、面白かった~。実を言うと、愛夢舎に加わって、初めての理科の授業でございました。もっとも、「前の塾」では教務主任を務めており、その塾の教務主任は、「5教科担当」が前提であったので、当時は理科の授業もやっていましたが…。実に、10年ぶりの理科の授業でした。質問に答えたり、個別指導を行ったりは愛夢舎でもやってましたが、20人近くを対象に集団授業を行うのは、やっぱりちがう。さすがに、入念に予習したもんです。 でも、理科、やっぱり面白いですね♪ そもそも僕は、大学の学部こそ文系ですが、興味の方向は、どちらかというと理系を向いている。だから、理科の内容は、大変おもしろい。 さて、理科のハナシではありません。またしても、時間のハナシです。 今日の授業、僕が開始時刻の少し前に教室に入ると、生徒たちが言います。 「あと、1分ある。」「あと、10秒…。」 僕は、悲しくなった。 授業開始時刻までの時間を時計を見て、カウントしている。できる限り、自分が勉強する時間を少なくしたい。その思いの表れ。「あと10秒、勉強しなくてすむ。」「10秒たったら、勉強しなければならない。」という思い。 1コマ90分。2コマで、合計180分の授業が進行し、終了時刻が近づくと、彼らの視線は時計に向く。「あと5分…。」そんな声が聞こえ始める。 とても、悲しい。 悲しさの理由は、2つ。 1つは、彼らに時間の経つことを忘れるような授業が展開できない、自分のふがいなさへの悲しさ。「悲しさ」というより「情けなさ」と言った方がいい。まだまだ未熟であることを思い知らされる。 もう1つは、「時間への執着」を彼らに伝えられていないことへの悲しさ。 「授業があと5分で終わる。」そう言わせてしまうのは、ひとえに、僕の技術力の問題。生徒の「やる気」とか、関係ない。「やる気」がなかなかでない子に「やる気」を与えるのも、僕らの仕事であるから。が、授業開始前に「あと10秒で、授業が始まってしまう」と思うのは、必ずしも、授業の内容のせいだけではなかろう。 10秒あったら、色々なことができる。10秒あったら、ひとつの知識を習得することもできる。むしろ、「10秒でも早く授業を始めてほしい」と思ってほしい。下種なハナシであるが、5分早く授業が始まって、5分授業が延長すれば、その分、得をすることにもなる。 が、今の彼らは、まだその境地にない。 つまり、自分にとって「必要」であると思っていない。「得」をしようと思っていない。いや、少しでも多くの知識を得ることを「得」であると思えていない。 これも、僕らの責任だ。受験生にとって、どれだけ時間が貴重であるか、その実感を持たせられていない。 敢えて、自戒のために書くが、「少しでも、授業時間が短い方がラクでよい。」そんなことを思う受験生は、受験生ではない。 1コマ目の授業前に「あと10秒・・・」を聞いた僕は授業の途中で、時計を裏返しにした。多くの受験生にとって、勉強は、楽しいものではなかろう。だから、時計が目に入れば、「あと●●分しか、ない。」と思うより「まだ●●分も、ある。」と思うのは、分からなくもない。 だが、それではダメなのだ。 授業終了後、8月の夏期合宿運営に関する会議を行った。 合宿で、少しでも「時間の貴重さ」を感じてくれることを願います。ウチの夏期合宿で腕時計の携帯が禁止であるのは、こういう理由です。Kama
2008.07.30
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どうも、最近、「カンフー」が流行のようですね。 「功夫」、「カンフー」、「kung fu」…。中国武術のことですが、日本では、こと、映画の題材として有名でしょう。僕は、武術は、観るのはキライではないのですが、いまだ、「拳法」と「カンフー」がどう違うのか、よく分からない。 で、近年のカンフーの流行。きっかけは「少林サッカー」であるように思う。アレで火がついた。で、「カンフー・ハッスル」とか「少林少女」、「カンフー・ダンク」は近日公開予定で、今は「カンフー・パンダ」が大人気。 このあたりの作品はまるで見ていないのですが、いくらなんでも、こりゃ、ないだろうと思ってます。「カンフー・パンダ」って…。 なにしろ、僕はズバリ、1970~80年代の「カンフー映画」最盛期の世代ですからねぇ。 当時、カンフー映画といえば、2人のスターが人気を二分していた。言うまでもなく、ブルース・リー(李小龍)と、ジャッキー・チェン(成龍)である。 実際には2人は結構世代がちがって、ブルース・リーなどは、正確には僕が生まれたときにはすでに故人となっていて、しかしそれでも、少年時代の思い出として強く残っていることを考えるだけでその影響力の強さを思い知らされる。 一方のジャッキー・チェンは未だ現役で活躍しているが、もしかして、最近の人は彼がカンフースターであったことも知らないのかなぁ。当時は、テレビを中心に彼らの映画が何度も放映され、僕も、短編や無名時代をのぞき、彼らの映画は、ほぼすべて観たと思う。それは僕だけではなくて、周囲にはカンフー映画ファンがあふれていた。 で、なにかの拍子で必ず話題になったこと。ブルース・リーとジャッキー・チェン、どっちが好き?あるいは、本当に強いのは、どっちだ? ちゃんとアンケートをとったわけではないから、これは完全に「感覚」なのですが、「強さ」については、ブルース・リーが圧倒的多数の票を集めていたと思う。僕も、ブルース・リーの方が強いと思っていた。また、人気についても、どうやらブルース・リーに軍配があがっていたフシがある。 だが、そんな状況なので大きな声では言わなかったが、「人気」について、僕は、ジャッキー・チェンの方が好きだった。 ブルース・リーの映画といえば、なにしろ「燃えよドラゴン」が有名である。無名時代のジャッキー・チェンがエキストラで出演していることも大分知られている。僕が初めて観たブルース・リーの映画は、たしか、ローマロケで有名な「ドラゴンへの道」であった。その後、「ドラゴン怒りの鉄拳」、「ドラゴン危機一髪」、「死亡遊戯」「死亡の塔」…。全部、観た。全部、大好きな作品であって、例えば「死亡遊戯」については、そのテーマ曲は、いまだ僕の最も好きな映画音楽のひとつである。 が、少年のころの僕にとっては、彼の映画は、どうも殺伐とした感があって、早くいえば「重すぎ」であった。また、ブルース・リーがあまりのあまりに強く、サイボーグ並の肉体を誇っていたことは、自分の筋力にコンプレックスをもっていた僕にとってあこがれの存在にすらならないレベルだったのかもしれない。 一方のジャッキーの映画はコメディ要素も多く含み、その点が、純粋なアクション映画ファンのウケが悪かった点かもしれない。が、当時のジャッキーの映画には、初めは弱い主人公が、何かのきっかけでトレーニングを積み、成長していくという、お決まりのパターンがある。実際、各作品のトレーニング・シーンは、ひとつの見せ場であった。 日本での人気がブレイクしたのは「ドランクモンキー酔拳」であったと思う。無論、僕も大好きな映画だ。そのほか「スネーキーモンキー蛇拳」、「カンニングモンキー天中拳」、「少林寺木人拳」、「蛇鶴八拳」「拳精」「龍拳」「鉄指拳」…。全部、観た。僕が最も好きだったのは「クレイジーモンキー笑拳」だったと思う。 なんでしょう、初めっから強いブルース・リーではなく、泥だらけになって、泣きながら自らを鍛え、やがて夢を達成する、そんな「だらしないジャッキー」に自己投影したといったら、言いすぎでしょうか。 しかし、まぁ、ハマりましたね。だから、ジャッキーが「プロジェクトA」とか「スパルタンX」とか「ポリスストーリー」とか少しカラーの違う作品をやりはじめると、あまり興味がなくなってしまった。 カンフー映画については、ジャッキーの作品以外にも、本当によく観た。サモ・ハン・キンポー主演のやつ、ユン・ピョウ出演のやつ、いわゆる「B級映画」と呼ばれるやつ。本当によく見ました。 衝撃的だったのは、リー・リン・チェイの出現。当時、少林寺拳法を本格的に学び、中国本土における少林寺の武道会で優勝した彼は程なく、「少林寺2」という映画に主演し、大ブレイクした。ブルース・リーよりもジャッキー・チェンよりも、中国拳法という意味では実力の高い人物。それが、今のジェット・リーである。 やがて、カンフー・ブームは去っていった。どちらかといえば、むしろ日本の武道が注目されるようになって、僕もカンフー映画を見なくなった。 ところが何かのきっかけで、昔を思い出すことがあって、一昨年ほど前、ネット・ショッピングである作品のDVDを入手した。「片腕ドラゴンVS空飛ぶギロチン」とんでもないタイトルである。本当にほしかったのは「片腕ドラゴンVS空飛ぶ十字剣」であったが、タイトルだけみれば、どれも一緒か…ウワサだけを知っていて、実際には観たことのない、B級を通り越したC級作品。が、そのC級さ加減、あまりのバカバカしさとそれを真剣に演じている俳優の様子は面白くてたまらない。 さて、昨今のカンフーブームですが、やっぱり、こういうブームというのはサイクルを描くものですね。日々、進歩し、古いものは姿を消すかとおもいきや、ある周期で、こうやって戻ってくる。 でも、今のは、僕にとっては、何かがちがう。「カンフー・パンダ」はちがう。 なんだろう、あまりに洗練されていて、スマートで、オシャレすぎるんだろうな。 やっぱり、「片腕ドラゴン」なみのチャチさ、それを真剣に演じる、その予定調和のベタ加減。それが、カンフー映画にはほしいなぁ・・・。 こんなことを言い出すのも、僕が歳をとってきた証拠でしょう。 ああ、言いたくなかった…。「昔は良かったなぁ・・・」とは。あちょぉぉぉぉぉおおおっっっ!!Kama
2008.07.29
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おはようございます、鎌田です。夏期講習6日目に入ります。正確に言いますと、今日と明日は、中学3年生、高校3年生のみを対象とした特別講習で、他の学年はお休み。この2学年だけ、講習日程が長いのです。中3生は理科と社会を、高3生は、英語と、文系の子は古文、理系の子は数学、午前中3時間、午後3時間みっちり集中特訓を行います。中学生は、私立第一志望の子もいて、この場合には理科・社会は受験科目から外れるのですが、現時点でこの2教科の勉強をやめてしまうことはあまりに危険。今後、公立志望になるかもしれないし、第一、高校生になったって、理科・社会の勉強は必要になる。そこで、志望校に関わらず、この期間はみんなで理社の勉強です。特別講習は、今日・明日の2日間にあわせて、8月中に、あと2日。合計4日間×6時間=24時間行います。…が、毎年、理社を苦手としている生徒は、この4日間を期待しすぎているけらいがある。そんなねぇ~、4日くらいで2教科マスターできたら苦労はしないよ…あくまでも「きっかけ」です。これを機会に、勉強のコツをつかんでくださいな。 さて、今日の一番登塾は、KF中のMさん。ちなみに、本日の担当ですが、塾長はもっぱら、高校生の英語。小田切部長は、高校生の数学と、中学生の理科。田中先生は、中学生の社会でございます。で、かくいう僕は、高校古文と、中学理科。はい、理科もできますよ♪もっとも、最近ではほとんど授業はしませんが。久々の「鎌田の理科」は貴重かもしれませーん。Kama
2008.07.29
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小説読解について、ひとつの観方を紹介した。「ウチ」と「ソト」をそれぞれのヒントとして、より理解を深める方法である。その流れで、映像作品における、音楽の効果にまで言及した。つまり、明るいシーンでは長調の曲を、悲しいシーンでは短調の曲を流すことで、人物の心情を表現する助けとすることができる。実に、音楽のこの効果について言及した人として、哲学者・ショーペンハウアーがいる。また、理論的な音楽家であったR・ワーグナーは、「楽劇」と称されるオペラ作品において「示導動機(ライトモチーフ)」という手法を前面に押し出した。ただ、キャラクターそれぞれに、フレーズをあて、そのフレーズを形を変えて演奏することで、人物の登場やその人物の心情を表現するというこの手法は、別にワーグナーの専売特許ではなく、僕の愛するプッチーニでは当たり前に使われる。現代のアニメ文化でもそれはあって、例えば、ドラえもんにおけるジャイアンのテーマ曲が相当する。 しかし、明るいシーンには長調の曲、悲しいシーンでは短調の曲、さらには、男性キャラや「大地」のテーマには低い音域をあてるというショーペンハウアーの解釈は、非常に薄っぺらである。とおり一辺倒なこのやり方では作品は、分かり易くはなるものの、逆に深みという点に欠けてしまう。 そこで、現代ではあえて内容と音楽とのギャップで、深みを表現するという手法がある。簡単にいえば、悲しいシーンで、明るい曲をかける。こうすることで、短調を流すよりもより殺伐した、非情な悲しみを表現することができるのである。個人の悲しみとは無関係に、楽しく過ぎていく周囲の生、それが、より悲しみを増幅させる。だがしかし、こうした「ギャップ」を含む場合、それを観る視聴者には、ある程度の読解力が必要となる。(これを僕は、「ドラマの読解力」と呼んでいる)極端に読解力が不足している場合、その人には内容が正しく伝わらない。例えば、「フランダースの犬」。ラストシーンは、多くの日本人が涙する、悲しいものだ。が、パトラッシュとネロが天に召されるあのシーンを純粋に「楽しく、明るいシーン」と観る人がいる。「そんなバカな」と言わないでほしい。事実である。おそらく、あのシーンでかかる音楽が「明るい曲調」であるということと無縁ではなかろう。 「フランダースの犬」は圧倒的多数の人が「悲しいシーン」として認識するだろう。それは、読解の難易度がさほど低くないからだ。しかし、ここに、非常な難易度の高さを誇るアニメが存在する。おそらく、日本人のほとんどがその音楽によって正しい評価を見失っている作品。それが「アルプスの少女 ハイジ」である。-------------------------------------------この先、ふざけてます。 いや、ここまでもふざけてますが...。 ハイジでふざけたくない方は、ご遠慮ください。------------------------------------------- ハイジの内容については、ここでは一切、書かない。「ハイジが、クララ以上にわがままで、引きこもりだ」とか、「アルムおんじは、人殺しだ」とか、「デーテおばさんは忍耐力がない」とか、そういう話題なら、他の方がいくらでも書いている。公式ページまであるから、そちらでご覧いただけばよい。 僕が話題にするのは、ただ一点。 主題歌と内容のギャップ。正確にいえば、オープニングアニメ(以下、OPとする)の正確な解釈。 それだけである。 ありきたりの話であって、僕自身、よく生徒たちにも話しており、新しい観点でもなんでもないが、改めて書くのである。 早い話がですね、「♪よーろよーろよっほっほー、やっほっほーのやっほっほいっ!」って感じのあの主題歌のせいで、アニメの解釈がごまかされているということだ。みんな、音楽の力にだまされているのだ。OPが記憶にない方は、Youtubeあたりで検索してみてほしい。すぐにみつかるから。もっといえば、僕自身がOPの真実を伝える動画をこしらえてここで公開できればよいのだが、残念ながら、そんな技術もヒマもないので、むしろ誰かに作ってほしいのである。 真実の姿を観るためには、ただひとつ。 アニメはそのままで、曲を別のものにさしかえればよい。そうですねぇ~、僕だったら、「女子十二楽坊」の「自由」って曲。アレにしますね。もう、ばっちりです。あるいは、ブルーマングループの曲でもいいかな。 だからお読みのみなさんは、OPを音声ミュートでご覧になりながら、「女子十二楽坊」をアタマの中で鳴らしてほしい。 OPは、期待感をもたせるアルプスの山々の光景からはじまる。 主人公、ハイジ、スキップしながら、現る。すぐ後ろには、歩調を完璧に合わせた天才ヤギのユキちゃんが、普通のヤギでは絶対にあり得ない、摩訶不思議な足の動かし方で、ついてくる。この時点で、ハイジが動物使いであることは確定する。 そして、大本命だ。 ブランコ。 巨大なブランコ。 これについては、これまで無数の人が話題にしてきたことだろう。ハイジの身長から推定するに、長さ20メートルのブランコだという説もあるが、それは、カーブの半径からの推測で、もっとも長く見えるときには、おそらく30~40メートルはあるのではないか。そして、ここが肝心なのだが、このブランコがどこからぶらさがっているかはわからない。有名なアルムのもみの木では、到底低すぎる。第一、ブランコをこぐハイジの足元は、麓の村まで、何にもない。周りに陸は、見当たらない。数百メートルはあるであろう遠い下に、村の民家が小さく見える。 この事実から推測するに、ブランコは、巨大クレーンかあるいはヘリコプターからつるされ、文字通り、全体が空中に浮いた状態である。ハイジは、少なくとも地上数百メートルの中空で、たった2本の細いロープでつるされたブランコに乗っている。漕ぎ方もハンパない。最も高く上がったときには、すわっているイスがほぼ90度、ハイジは真上を向く形になって、その角度たるや、遊園地の海賊船なみである。それを、満面の笑顔でこなしている。 ハイジは、間違いなく、シルク・ド・ソレイユに入団できる。ドラリオンでも、これは目玉の出し物になる。東京ドームの最も高い地点からホームベースすれすれの長いブランコを吊るし、外野席に飛び込みそうなくらいの勢いでぶんぶんこぐ。そんなことができるのはハイジしか、いない。しかも、驚くことに、このブランコ・イリュージョンをしながらハイジは、動物使いの能力を発揮、鳥たちをてなづけている。 ブランコをこぐハイジの頭には、4羽の鳥たちが一列に整列し、とまっている。伊東温泉ハトヤのハトたちだって、こんなに上手には演技できない。 ハイジのドラリオンは、さらにつづく。 次の瞬間、ハイジは、雲に飛び乗る。この雲が、またえらく、速い高速移動する雲の上で、これまた平気な顔で寝そべるハイジ。雲に乗れるのはノンちゃんか、孫悟空か、百歩譲って、高木ブーくらいだと思ってた。 最後は、親友ペーターとのダンスである。 両手をとりあって、その場でぐるぐる、スキップしながら回る。 それだけの簡単なダンスだが、そこはハイジもシルク・ド・ソレイユの意地がある。 彼女たちが踊る周りには、赤く色づいた紅葉が雪のように降り注ぐ。 「雪のようだ」と思ってたら、ホントに雪が降りだす。足元には結構な深さの雪も積もっている。その雪は、やがて花びらに変わる。 …春になった。足元の草色からすれば、初夏であろう。 半年以上、踊ってたよ、この子たち。これはすごい。完全にギネス記録だ。半年以上、踊り続けるコンビ。 しかも、ハイジは、雪の上でも、ずっとハダシであった。並みの忍耐力ではない。実際、ハイジはもう少し靴をはいた方がよいと、誰もが思うと思うのだが、仕方がない。サーカスの団員が、靴をはいて演技するわけが、ない。 というわけで、ハイジはシルク・ド・ソレイユの代表演者であったと。しかも、同サーカスには珍しい、動物使いでもある。そう考えると、ヨーデルの主題歌はミスマッチでしょう?やっぱりここは、「女子十二楽坊」でないと。なんなら、中国つながりで、上海雑技団にゲスト出演するという手もある。Kama
2008.07.29
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ホントは別のテーマの記事を書こうと思ったのだけれども、先にコレを書いておかないと、今ひとつ、説得力にかけるとか思って。つまり、後に書くであろう記事の、前フリです。僕は国語を教えるとき、中学3年生から大学受験生まで同じことを話します。それは、「小説」と呼ばれる文章の読解についてのメソッドです。まず、僕は「小説は『仕組まれた世界である』ということを強く認識しろ」と言います。小説、物語、フィクション…。呼び方は何でもいいのですが、「作者」=「作り手」がいるわけですから、そこに展開する世界は、あくまでも「架空」であって、作り手の「意図」が反映される。当たり前のことです。そして「問題を解くことを前提に読む場合には、小説の世界に取り込まれるな、むしろ、作者の上位から世界を見わたせ」と続けます。これが、僕自身、「国語がキライである」と言う最大の理由です読書の楽しみは、その世界に「取り込まれる」ことであると思うからです。しかし、問題を解く上では取り込まれることは、あまり得策ではない。「作者の上位に立つ」というのは、ドラマのディレクターになるのと同じです。レベルの高いことです。だから、この考え方を吸収できる子は、そんなに多くないかも知れない。しかし、一旦理解できてしまえば、視野というか世界の認識力というかが、大変広がる。だから、大学受験生のみならず、中学3年生にも同じ話をするのです。僕の場合、中3生にセンター試験の文章読解をやらせることもある。それは、そうしたレベルに耐えうる子は、学年に関わらず必ずいるからです。 さて、「小説・ドラマは『仕組まれた世界』である。」この前提の基で、僕の説明は、至極当たり前のことに触れます。 「全ての文章は『ウチ』と『ソト』の2種類しかない。」『ウチ』というのは「ウチ描写」のことで、心情表現。喜怒哀楽(「~うれしかった」とか「~悲しい」とか)の文や「~と思った」というような文。早い話が、「見えないことを書いてある文」。『ソト描写』は、だから、「目に見えることについての文」。人物の行動や、景色、天候など。 当たり前のことです。全ての文章表現は「目に見えるもの」か「目に見えないもの」のどちらかでしかあり得ない。 が、ここで、僕の説明は、核心にいたる。「全ての文章は『ウチ』と『ソト』の繰り返しである」「『ウチ』と『ソト』の繰り返しは、即、『理由』と『結果』の繰り返しでもある」 小説から離れて、現実でのできごとを考えてみましょう。例えば「彼は私になぐりかかってきた」(行動=ソト) ↓「私はわけがわからず、仰天した」(心情=ウチ) ↓「そこで彼に理由をたずねてみた」(行動=ソト) ↓「彼は『言わなくてもわかるだろう!』」と激昂した」(行動=ソト) ↓「それで、私はひとつのことに思いあたった」(心情=ウチ) ・ ・ ・実に、当たり前のことです。理由が先か、結果が先か、それは時と場合によりますが、必ず、前後関係は理由と結果の形になる。「ソト=行動」は「ウチ=心情」を引き起こす理由となり、「ウチ」は「ソト」を引き起こす。そして、これに「小説は『仕組まれた世界』である」ということを重ね合わせると、こんな言説にたどりつく。 「小説では『偶然』はあり得ない」だって、作者が仕組んだ世界です。仕組んでいるのだから、そこには必ず、なんらかの因果関係が生まれてしまう。ゆえに、必ず「理由」は、直前直後に存在する。 そして、よく出題される「理由を問う」問題。「『ソト』の理由を聞かれたら『ウチ』が答え。『ウチ』の理由は、『ソト』が答え。」なーんだ、そんなことか、と思っていただければしめたもので、だって、実際に問題を解いたときに、これがごっちゃになってる子は大変多いんですもん。 Q「『彼は立ち上がった』とあるが、それはなぜか」とかいう問題に対してA「彼女が○○と言ったから」と答える。 コレは、ソトに対してソトの答えをぶつけているのですから、正解にはなりえません。「彼女が言った」という『ソト』はきっかけではあるでしょうけれども、その後、「彼の心情」はなんらかの動きをしたはずで、その『ウチ』を答えることで正解になる。 この「ウチ」と「ソト」の因果関係に「ひずみ」をつくると、理解の難しい小説になっていきます。例えばカミュの「異邦人」なんかですと、「なぜ人を殺したのか」という理由が「太陽が黄色かったから」ということで説明され、ゆえに理解の難しい「不条理小説」としての評価になる。 そして、「小説は『仕組まれた世界』」ですから、全てが仕組まれる。天候までも。 お分かりですね。ある場面において雨が降っている。現実ではそのことに理由はないでしょうが、「仕組まれた世界」では雨が降ることには理由がある。もちろん、登場人物の「ウチ」が理由です。分かりやすく言えば、「水戸黄門」において一行が旅立つシーンは、必ず、晴天です。事件が解決し、人物たちの「ウチ」が一様に「晴れ晴れ」しているからです。主要人物がケンカをしているシーンは雨が多い。ケンカに決着がつくと、急に天気は回復するのです。故・伊丹十三監督なんかは、意識してのことでしょう、こうした手法をよく使った。 問題として出題される小説はよほどレベルが高くない限り「不条理モノ」ではないので、「ウチの理由はソト、ソトの理由はウチ」はかなり使えます。問題を解くというだけでなく、内容の理解がスムーズになる。だって、天候や景色すら、人物の気持ちを理解する助けにできるようになるのですから。 が、この因果関係がはっきりすればするほど、いわゆる「ベタ」な作品になります。テレビドラマなんかでもそうですね。「水戸黄門」は「ベタ」の極でしょう。印籠を出すのは必ず助さん。昔は、八兵衛が印籠を出したことすらあったというが、それだと、読解にアタマを使う必要が出てきてしまう。水戸黄門のファン層は割とお歳を召した方か、あるいは低年齢層が多く、「アタマを使わずにみることができる」というのは大きな理由でしょう。これに対して、最近のゴールデンタイムのドラマなんかだと、演技する俳優さんも、心情表現豊かになって、「ドラマの読解力」が要求される場合がありますね。木村拓哉さんなんかは、すごく演技がうまいと思うのだけれども、ただ、それは「テレビドラマにおいて、リアリティを出すという意味での演技力」だと思っています。舞台であの演技だと、わかりづらすぎるかと思う。 午後1:30あたりのドラマは、僕もまず観ませんけれども、やはり「ベタ」ですね。たぶん、午前中に家事でお疲れになったお母さんたちがアタマを使わずに観ることができるということを狙ってるのでしょう。ベタである最大の理由は演技が、現実離れして、はっきりしていること。「この、メスブタめっ!!」って言ってるのをみれば、誰だって「この人は怒ってる」とわかる。心情表現が、あまりにはっきりしている。そこで、「昼ドラには、演技のあまりお上手でない役者がキャスティングされる」なんて都市伝説すら生まれる。映像作品では、背景、天候以外にも、人物の心情の理解の助けとして音楽もが使われますね。「ベタ」な手法として、悲しいシーンでは短調の曲、明るいシーンでは長調の曲、やすらぐシーンではテンポの遅い曲…。もちろん、そこに「ひずみ」を手法もあって、たとえばドニゼッティの「ランメルモールのルチア」というオペラでは主人公が死ぬラストシーンで、これでもかという明るい曲がかかる。そうすることで、短調を流すより、はるかに大きな、背筋の寒くなる悲しみが伝わるのですが、これは、やはり「読解力」が必要になる。 …さて、ようやく前フリが完了しました。書こうと思っていた記事は、ドラマの音楽と内容の因果関係についてです。では、次回。Kama
2008.07.28
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小学6年生の国語の授業を担当している。このクラスは、彼らが3年生のときから「算数=小田切、国語=鎌田」の布陣でやってきて今に至り、ありがたいことに、「このままが良い」というお声もいただく。 ところで、男子の多いこのクラスには、なぜか「ガンダム・ファン」が多い。 「なぜか」…。 いや、そりゃあねぇ… ← ところが、便利屋的に色々なことを聞かれる僕ですが、実は、ガンダムについては、全くといっていいほど、知らない。アムロとかシャーとかって人が出てきて、ガンダムだのガンキャノンだのザクだのグフだのってのが出てきて、アムロ君が「オヤジに殴られたこともないのにー」って逆ギレする。 その程度しか、知らない。 僕は常々、どんな内容であっても原稿用紙数十枚分の文章は書けると豪語しており、それは、自分が全く知らないことについても、知らないということ題材をに書けるのであるが、ここでその証明をしたってしょうがない。 そうではなく、昔っから気になるアニメがあるのです。 子どものころに観ていた記憶のあるロボットアニメ。調べてみたら、それはガンダムの後番組であった。 とにかく印象に残っていたのは「♪俺は社長で小学生~」っていう主題歌。それと、公園の噴水が割れて、中からロボットが飛んでいく場面。 このアニメが大好きだった…と思う。ところが「俺は社長で小学生」のフレーズを言っても、「ああ、それ、知ってる!」っていう人が周りにいなかった。 なんと、そんなにマニアックなアニメであったのか。この年齢になって、はじめてそう思った。 「無敵ロボ トライダーG7」は、昭和55年から56年にかけて、つまり、僕が幼稚園年長の頃に放映されていたようだ。「♪俺は社長で小学生」の主題歌が、ストーリーの特異性を物語っている。 主人公の「竹尾ワッ太」は小学6年生で、「竹尾ゼネラルカンパニー」のズバリ、社長であり、自ら、巨大ロボット「トライダー」を操縦する。…っていうか、彼しかできない 彼は「社長」だから、そんなに簡単にロボットを出動させない。会社といっても、社員5人の零細企業で、主題歌でも言ってるが、宇宙のなんでも屋。で、よくわからないけど、宇宙のどっかから、よくわからないロボットが攻めてくる。そうすると、防衛軍から「竹尾ゼネラルカンパニー」に出動依頼がいく。依頼が入ると「専務」は学校で授業を受けている「社長・ワッ太」のもとにかけつけ、ワッ太は学校を早退。ロボットを操縦して、出動する。 会社だから、もちろん、金をとる。1回の出動で、最低料金は100万円。最終回には、会社は比較的うるおって、謎のロボットの襲来もなくなり、危険な仕事がなくなってよかった…となる。 ところで、このアニメは「正義の味方」側のトライダーと敵のロボット帝国との間でのやりとりが皆無である。トライダーは、なんでロボットが攻めてくるのか知らないし、そもそも、どこからやってくるのか、正体がなんなのか、すら、知らない。対するロボット帝国も、トライダーの正体がなんであるか、知らない。 なんとも、フシギな設定であるが、よく考えれば、「ショッカー出身の仮面ライダー」という方が無理があって、これはこれで、リアリティがあるのかもしれない。 …と思っていたのです。ところが、この年齢になって、改めて設定を調べてみて、びっくり仰天。 トライダーを作ったヤツは、敵のロボット帝国の出身だった。 ボクはもう幼稚園児ではないから、もう、だまされないぞー。これは、悪いひとたちがなかよくなっていっしょに悪いことをしてるんだー。敵がおそってきたっていってるけど、ほんとは、こっそりそうだんして、かいしゃがもうかるように、ろぼっとをちきゅうによこしてるんだー。それで、ぼうえいぐんからおかねをいっぱいもらってたんだー。もしかして、ろぼっとはちきゅうでつくってるかもしれないぞ。おとなって、ずるいもんなー。ボクは、だまされないぞー。あれ、でも、しゃちょうはしょうがくせいだしなー、しょうがくせいでも、ずるいんだー。 …って、このアニメが好きだった幼稚園児・鎌田って、いったい…。だいたい、なんだ、主人公の名前、「竹を割った」って…。Kama
2008.07.27
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夏期講習1期が昨日終了し、本日は高3のセンター模試のみの実施。授業はありませんでした。 模擬試験は教務部長に任せて、私は塾長(社長?)の仕事をしようと思い、高3生に目立たないように、出社したつもりでした。 しかし、甘かった・・・ 高3AO入試組みのIさんが、ねらってきたかのように(私は休みだけれども、塾に来るのを覗き見していたかのように~笑)出社したとたん電話をしてきて、 「じゅくちょ~、今から小論文教えてもらっていいですか~?」 「ゴメンねぇ~、俺今日社長の仕事があんだよねぇ~」 無理だ無理だ!絶対に言えん!こんなセリフ・・・。 「お~、いいよ。来いよ!」・・・もちろん、実際に私が言ったセリフはこれでした。 結局、5時間ほど小論文指導。「社長の仕事」には集中できず結局後日に(いいのか?後回しにして)。 そういえば、オタさんもつかまってたなあ。卒業生で明日就職試験があるやつに(笑)!卒業生のT君、久々に、いきなりアポ無しで、やってきたと思ったら、 「オタギリせんせ~、明日就職試験なんす。数学も出るんですけど教えてもらえませんか~?」 「お~い明日かよ!」とツッコミたそうなオタさんでしたがつきっきりで教えてました。 結局、鎌田先生も田中先生も間接業務をするために出社。 「お~い、結局今日は先生達全員お休みじゃないんかい?」ってツッコミを入れられそうです(誰からだ?笑)。 愛夢舎先生方ご苦労様です。 私が先生方を休ませなければいけない立場なんですが・・・(ゴメンなさい。明日は完全オフにしてくださいね。明後日からまた特別特訓で忙しくなりますんで、体調を整えておいてください) バイ・ジュクチョウ
2008.07.27
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おはようございます、鎌田です。夏期講習は5日目に入ります。3期制で行われる愛夢舎の夏期講習、その第1期の最終日です。今日が終わると、明日から2日目の中休み。生徒たちにとって、「学校の宿題」を終わらせるタイミング。実際、学校の宿題については、来月のお盆休みを越してしまうと、落ち着いてできるタイミングがなくなります。体を休息させつつ、頭は、ほどほど動かしましょう。今日の1番登塾はM中学のO君、H君、D君のトリオ。さあ、前半戦の締めくくりです。Kama …にしても、天気予報は、毎日毎日「最高気温35度」を表示する。昨日、一昨日とおんなじ…。ニュースの更新、忘れてるんじゃないかって思う…。
2008.07.26
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現在午後8時。 愛夢舎の夏期講習会は中1・2、高校生の授業時間帯になっています。 「愛夢舎名物停電」で全館エアコンを切らせてもらいました。 蒸し暑いのに、文句を言わずに頑張ってくれた生徒諸君には謝罪の言葉もありません・・・。 先ほど「恵みの雨」が降りはじめたので、少し涼しくはなりましたが、それでもエアコンを付けてあげたいです。 現在、「暑い自習室」で12名の受験生が自習をしています。 ジュクチョウ
2008.07.25
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久々に来た…。愛夢舎名物 停電。 全館の冷房をシャットダウンし、今、起きているPCも、僕のこの一台だけ。さらには、消せるだけの電気も消して、コピー機も落として…。それでも 停電。 なんで起こるのか、さっぱりわからん。このヘンが、「ただの一軒家」の苦しいところです。(↑一軒家でも、そんな簡単に落ちないだろう…)授業中の小学生たち、暑い中、ごめんよー。 雨が恋しいKama
2008.07.25
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夏期講習会4日目にして、授業後残って自習をする受験生が増えてきた。 受験生は朝9時から、お昼休みを挟んで、午後2時10分まで授業(80分×3)・・・ そのあとは、家に帰って宿題をするもよし、塾に残って自習をするのもいいことにしている。 昨日までは、ほんの数人しか夜まで塾に居るものがいなかったが、今日は受験生40人中25名が自習室にていまだに学習している。 講習会から入った新人諸君も「愛夢舎の利用法」を理解してくれたみたいです(嬉)。 ここからどんどん成績上がりそうだな(喜)。 ジュクチョウ
2008.07.25
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おはようございます、鎌田です。夏期講習は、4日目に入ります。愛夢舎の夏期講習は、3期制で行われますが、その第1期は、明日までの5日間。…しかし、毎日毎日毎日毎日…。よーく晴れますねぇ~~今日の埼玉は降水確率50%まで上がるそうで、天からの恵みの水に、わずかな期待。本日の1番登塾は、昨日と同じくKF中学校のMさんでした。今日も1日、夏バテに注意…でがんばりましょーKama
2008.07.25
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おはようございます、鎌田です。また地震がありました。埼玉に住む僕は、揺れを感じませんでしたが、(講習中は早寝早起き…)何か、今年は続きますね。大事にならないことをお祈りいたします。さて、夏期講習は3日目。2日を終えて、新入会の子たちも含めた生徒の様子がだいぶ分かってきます。ここらで、指導内容に若干の修正が必要になる場合がある。例えば、僕に関しては、高校3年生の古文のレベルが目論見と離れていたため、一旦、別の教材を使用することに方向修正。残りの期間を考えて、限られた時間の中で、最大限の効果を発揮するためにどうすべきか、あれこれ先生が思い悩み始める時期でもあります。今日の一番登塾はKF中のMさん。佐々木塾長が「Hクラスは、来るのが遅い!」って嘆いてますよー。今日も入間は暑くなりそうです。Kama
2008.07.24
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おはようございます、鎌田です。夏期講習は2日目に入ります。今日は、埼玉の気温は35度を超えるとか…。ネコ型人間の僕にとっては、寒いのよりはマシですが、さすがに日本の35度は、へろへろになるかも…。生徒たちも、熱中症には気をつけてほしいものです。(気がついたら、IEのツールバーに注目度No.1のキーワードとして「熱中症」の単語が…)さて、今日の一番登塾は講習新人生のSくん。早いもの勝ちではありませんが、「前向き」な生徒は、座席も「前」を確保して、やる気をみせてくださいな。さて、今日も10コマ、頑張りますか!Kama
2008.07.23
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22:15―生徒が全員家路につきました。最後は、高3生の大学受験の相談を受けて終了。中3生のSくんは、朝9時から夜9時半まで勉強しておりました。(途中、食事休憩などをはさんでいますが)ご苦労様。さて、明日からが本格始動です。というのは、今日は慣れない講習会の授業の初日、授業以外の時間の使い方も、手探り状態、生徒たちはだんだんと先生の「使い方」なども分かってきて、「授業以外の勉強こそ、成績アップのカギ」ということを実感していくでしょうから。 長くいればいいというもんではない。仮に12時間、塾にいたとしても、3時間でできるはずのことしかできていないのなら、それは、自分のやり方を見直そう。しかし、まずは、夏休みの1日をずっと塾で勉強してすごす、そのこと自体で、自分はよくやったと、自信をつけてほしいと思います。ところで、講師陣は、生徒が帰ると、突然、空腹感に襲われます。お気づきだと思いますが、夕食は、家に帰ってから。ところが、生徒たちがいる間は、ほとんど気にならないんですね、フシギなもんです。じゃあ、帰りましょう・・・。 …ってわけにもいきません今日行ったテストの採点とか、明日の準備とか、そういう残務を行ってから。 愛夢舎の講習会は3期制。今日、第1期がはじまり、まずは26日まで、あと4日間、このペースが続きます。で、合計20日ほど、こんな感じの毎日となります。 思いつきで、とりあえずやってみた丸一日報告。やっぱり、なーんの面白みもない記事の乱発になりました。失礼いたしました。明日からは、もうやりません。またいつものペースで書こうと思います。いや、むしろ、講習中には落ち着いて書く余裕がないもんで、いつものペースを下回ると思いますが、どうぞ、あきれず、お付き合いくださいませ。Kama
2008.07.22
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21:40―とりあえず、本日の全授業が終了しました。高校生を中心に、まだ自習する生徒が残っています。あとは、質問等の対応です。愛夢舎は22:00閉店でーす。
2008.07.22
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20:40― 8コマ目から9コマ目にかけて、ついに、隙間の時間を作ることができませんでした【9コマ目の担当】 19:40~ 田中先生 : 中学2年生 英語 鎌田 : 中学1年生 国語 【10コマ目の担当】 20:40~ 佐々木塾長 : 高校1年生 英語 小田切部長 : 中学2年生 数学 田中 先生 : 中学1年生 数学 今日の授業は、このコマで最後となります。
2008.07.22
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小学生の授業が終了しました。部活動があることを考慮して、夕方に設定している中学1~2年生の授業がはじまります。【8コマ目の担当】 18:40~ 佐々木塾長 : 中学1年生 英語 小田切部長 : 高3大学受験クラス 数学 鎌田 : 中学2年生 国語・・・そういえば、さっきのコマ、田中先生が高校2年生の英語を教えてました。
2008.07.22
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中3生が、ちらほら帰りはじめました。ホントは、夜10時まで頑張ってほしいところですが、初日ということで、まだまだエンジンがかかりきらないようで・・・。まあ、徐々に慣れていくことでしょう。ときに、「用事がある」って帰ったフリして、その辺で寄り道したりするのは絶対NG。強制退塾勧告の対象となりますので、くれぐれも、ルールは守ること。さて、後半戦の授業に突入です。【7コマ目の担当】 17:30~ 小田切部長 : 小学3年生 算数 鎌田 : 小学6年生 国語
2008.07.22
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16:30―小学4年生、5年生が2教科の授業を終えて、帰ってきました。セミがミンミン鳴いてるし、暑いし・・・。熱中症にならないよう、水分補給を忘れずに。かくいう先生たちも、授業と授業の間には、水分補給。それでなくとも、声が嗄れてしまうので。 【6コマ目の担当】 佐々木塾長 : 小学3年生 国語 小田切部長 : 小学6年生 算数 6年生は、小田切キャプテンの下、恒例の「100マス計算」に入ったようです。6年生は、今年度のベスト記録保持者が多くいるクラス。今年度のベストタイムは、かけ算 1分23秒、たし算 1分10秒、ひき算 1分27秒・・・。…アレ、もう終わったの?Sくん、1分21秒だそうです。(かけ算)この暑いのに、記録更新!
2008.07.22
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15:40―現在、小学生の2コマ目。【5コマ目の担当】 佐々木塾長 : 小学4年生 国語 田中 先生 : 小学5年生 国語僕(鎌田)と小田切部長は、ここは空き。小田切先生は目下、高校生の数学質問対応中です。(難問に挑戦?)僕はというと、自習中の中3生の対応を。この時間、質問が殺到するのは、やはり数学ですね。ついで、英語。国語の質問はあんまりなーい・・・。
2008.07.22
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14:20―受験学年の授業が終了。この後、中高3年生は自習室に残って、今日の復習と宿題、さらには、受験勉強に励みます。ここからは「小学生」の時間帯。先生たちのキャラが変わる時間帯です。【4コマ目の担当】 14:30~ 田中先生 : 小学4年生 算数 鎌田 : 小学5年生 算数
2008.07.22
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12:40―今日の先生たちのブランチは・冷やしたぬきうどん・冷やしとろろそば・中くらいのお弁当・でっかいお弁当・おにぎり2個でした。↓これが、でっかいお弁当。ちなみに、これを食べてた人は、その後、デザートにシュークリームも・・・。誰だかは言いません♪さて、12:50から午後の授業です。【3コマ目の担当】 佐々木塾長 : 中3Hクラス 英語 小田切部長 : 高3大学受験クラス 数学 中島 先生 : 中3Bクラス 英語 鎌田 : 中3Aクラス 国語中3生、高3生は、80分×3コマの授業の最後になります。授業が終わっても、自習です。小田切部長が「宿題終わるまで、帰るなっ!」って叫んでます。
2008.07.22
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12:00―午前中の授業が終了しました。中学3年生と高校3年生は、12:50から午後の授業。この時間に昼食を摂ります。例年、お弁当を持参して塾で食べる子と、一旦、家に帰る子と、いるのですが、今年は、近くのコンビニへ行って買い物をしてくる子が多い様子。先週すぐ近くに新しくコンビニがオープンしたもんで、かなり助かります。(コンビニも助かります?)この1時間は、先生たちにとってもほぼ唯一の休憩時間。次の授業の準備をしながら、ブランチをとりまーす。僕の後ろでは、5人の中学生たちが家から持ってきたお弁当を談笑しながら食べています。こういう時間が、これまであまり話さなかったほかの中学校の人と仲良くなったりするきっかけになるんですねー。
2008.07.22
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10:30―10:20、1コマ目終了。10:30から2コマ目に入ります【2コマ目の担当】 佐々木塾長 : 高3大学受験クラス 英語 小田切部長 : 中3Bクラス 数学 中島 先生 : 中3Aクラス 数学 鎌田 : 中3Hクラス 国語行ってきまーす♪
2008.07.22
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8:59―9:00から一発目の授業です。講習会の最初の授業は中学3年生と高校3年生、いわゆる「受験学年」の授業です。受験生は、夏休みでも早起きして、時間をムダにせず、勉学にいそしむのだ。【1コマ目の担当】 佐々木塾長 : 中3Aクラス 英語 小田切部長 : 中3Hクラス 数学 田中 先生 : 中3Bクラス 国語 鎌田 : 高3大学受験クラス 国語いざ、出動~♪
2008.07.22
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8:351日目の生徒がやってきた。M中学のI君が、最初でした。気合、入っとるなぁ~。今回の講習から愛夢舎メンバーに加わったS君を一緒に連れてきてくれました。
2008.07.22
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そういうわけで、夏期講習会がはじまります。それでは、予告どおり、はじめまーす。愛夢舎の1日夏期講習会 第1期初日実況生中継ブログのはじまりです。・・・これをライブログとか名づけたりしてみたりして・・・。(↑すでに呼ばれてたり・・・)
2008.07.22
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今日は、「海の日」らしいですね。僕らの仕事は、休日とかあんまり関係ないので、ともすると、曜日の感覚がすぐに無くなってしまう。 ところで、「海の日」って、なんだこの日が制定されたのは、1996年のことだから、僕が大学を卒業した頃のこと。当たり前だけど、それより前にはなかった。 だいたい、祝祭日ってのは、由来が気になりますよね。「体育の日」は、もともと東京オリンピックの開会式が行われた日で、なるほど、記念にしてもよいか、と思う。それぞれ「なるほど」と思うような由来があって、それは、「昭和の日」、「天皇誕生日」ですら、「ああ、そういう由来か…」と思わされる。 ところが、「海の日」の由来は、かなり弱い。なんでも、明治天皇が航海から帰った日というのが由来のようだが、そんなことを言い始めたら、こりゃあ、毎日が祝日だ。毎日、「今日は何の日」であるかを教えてくれるサイトは充実している。僕のお気に入りはこちらである。 ところで、「海の日」はどんな日かっていうと、ちゃんと記されている。 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う日。 いやぁ~、これはでっちあげもいいとこでしょう?そんな事を言い出したら、「海」の部分を「山」にしても「川」にしても、「田んぼ」でもなんでもできてしまうぞ。実際、「山の日」、「川の日」も作ったらどうだ。 そして、海の日を祝日にして、それで日本は繁栄するだろうか。たった一日とはいえ、GNPは下がってしまうのではないか? はい、ここまでは「いちゃもん」です。でもですね、僕が気になったのは、近年の祝日の具合をみていて、日本人としてのルーツがだんだん失われてきているのではないか、ということ。 例えば、日曜日。名前の由来はおいといて、日曜日がなんで休みか、それを考える人、かなり少なくなってますよね。 日本で日曜が休みであることには、なーんの理由もない。ただ、欧米がそうだから。 もちろん、キリスト教文化の影響でしょう。キリスト教の教えでは、神様は世界を作った後、7日目にお休みをとられた。いわゆる「休息日」。神様も休んだのだから、ヒトも働いてはいけない。そんなキリスト教文化が日本にも浸透した。 ところが、日本は古来農耕文化の国である。農耕文化においては、神様が働いたとか休んだとか、あまり関係ない。それより、晴れてるか、雨が降ってるか、作物の芽が出たか、花が咲いたか、虫がやってきたか、鳥がやってきたか、そういうことで、働き具合が決まる。実際、農耕民族日本人は、お日さまとともに生活してきた。7日ごとに休みという慣習は、農耕民族には、合わない。7日目に休んでいるうちに、作物が枯れてしまったら、神様が責任をとってくれるとでもいうのか。 だからですね、そもそもの日本人は、いつ休むとか、そういう部分に「規則性」の必要を感じず、「必要なときに働き、また、必要であれば休む」という文化であったはず。時期によっては、30日間、畑に出っぱなしなんてこともあったでしょう。 ところが、なんだかよくわからないけど、7日に1日のペースで、決まったスケジュールで休みという文化がやってきた。どうも、30日間働きっぱなしってのは、欧米ではよくないことらしい。 そこで、日曜は休みということになった。 それだけでやめときゃよかったのに、今度は、土曜も休みでないと、効率が悪いとか、記念すべきできごとのあったときには祝日にするとか、そんなのが始まった。 いやいやだって、僕らのご先祖は、必要なときには必要なだけ、畑に出てたわけでしょう?なんだ?休まなきゃいけないって。 僕ら日本人の遺伝子には、自然とともに生きる、必要なだけ働き、必要なら休むという習慣がしみついている気がする。 ところが、その遺伝子に従って働いていると、今度は非難の対象になってきて、そのうち、本気で「もっと休みたい…」と思うようになってきて、祝日が増え、ハッピーマンデーなる、記念ぶちこわし企画が始まって…。 結論。 「海の日」。 ただ、休みたかっただけでしょ?正直に言ってごらん? 農耕民族日本人は、別に、よその国の人と比べて、そんなに勤勉であるとは思わない。必要だから畑に出ていただけだろう。ところが、毎日働くというその部分が、欧米人には「勤勉」に見えたようだ。 日本でこれだけ祝日が乱立しているのは、日本の経済成長を恐れ、ひがんだ、欧米…いや米国の策略じゃないかとすら思える。 日本人をこれ以上働かせないようにするための策略。 「海の日」。ウィキによれば、海の記念日を国民の祝日にしている国は世界で日本だけだということだ。 なんか、だまされてる気がしてきたんですけど…。Kama
2008.07.21
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梅雨が明けたので、デザインを変えてみました。「ケロケロ」が「ミンミン」になりました。
2008.07.21
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こんばんは、鎌田です。 ええ~っとヘンなことを思いついてしまいました。おかげさまで、愛夢舎の名前も、少しは知られてきたようです。こうして、ブログを始めたことで、地元で塾を探していらっしゃる方々のほか、全国の方に、知っていただくことができました。本当に、嬉しいことです。 が!いざ考えてみると、「それで、結局、愛夢舎ってなんなんだ」っていうことを書いてこなかった!いや、もちろん、塾だっていうことは、皆さんおわかりになるところだとは思いますが…。でもですね、例えば「先生が1日8コマも9コマも授業を担当する」っていうと、「ははぁ、個別指導の塾か」って思われているかもしれない。愛夢舎は、完全・集団授業の塾です。(1クラスの生徒数は、1名~15名程度)中学生は、通常時、120分の授業を受けています。それを8コマとか9コマとか。つまり、学校の授業が6時間目までだとして、僕らは、同じ形態の授業を、1.5倍程度、行っていることになる。 また、「先生が複数教科を指導する」というと、「ははぁ、答え合わせをしてるだけだね」とか、思われかねない。ではなく、僕らの複数教科というのは、それぞれ、プロの教科担当として、ちゃんと、ツボをおさえた授業を心がけている。 「月に100時間以上、生徒が塾にいる」っていうと、「ははぁ、部屋が空いてるだけか」って思われかねない。 …いや、そんな風に思われていなければ何よりなのですが、それにしても、愛夢舎という塾の様子は、あまりにもブログで書いてこなかった。 例えば、こうして記事を書いている僕・鎌田は、塾長でもなんでもない。じゃあ、何なんだって言われれば、「鎌田です」としか答えようがなく、「ふざけんなっ!」って怒られそう… 塾長・佐々木や、教務部長・小田切や、専任講師・田中、時間講師・中島…。結局、誰が何をどうやっているのか、今一つ、ブログでは分かりづらかったと思います。 ウチは、ブログとは別に、ホームページを開設しておりまして、例えば僕について言えば、「そっちで塾の紹介をしているから、ブログでは普段みせない、素の部分を赤裸々に公開すりゃあいいか」とか思って、おわかりかと思いますが、半分意図的に、ブログでは塾のことを書いてこなかった。ブログで愛夢舎に興味を持っていただいたら、ぜひ、ホームページで、と思って…。 しかしですね、毎日200件前後のアクセスをいただくこのブログ。わざわざ足を運んでいただいた方々に「ブログでは見せないよーん」っていうのも、どうかな…と思った。 っていうか、単純に、このブログをご覧いただいている皆さんに、例えば僕の脈絡のないハナシ以外に、「愛夢舎」という「塾」の様子も知っていただきたいと思った。ただ、僕は、やっぱり、このブログは、僕ら講師陣が日々思ったことをとりとめもなく書く場とするのがいいと思っていて、じゃあ、どうしようか、と考えて、愛夢舎お得意の「イベント」にしちゃうことを思いついた。 というわけで、完全に実験的イベントですが…。7月22日(火)。 この日、愛夢舎の夏期講習会が始まります。そんな7月22日。愛夢舎の丸1日を実況生中継するのはどうだろう?もちろん、僕も授業がパンパンに入っていまして、でも、今年はクラス設定の関係上、奇跡的に、数コマの空きもある。また、授業の合間には、10分の空き時間もある。 そこで、可能かどうかわかりませんが…。 やってみましょう。 7月22日(火)午前9時より、「愛夢舎の1日 ~ 夏期講習会 第1期初日 実況生中継!」を強行敢行いたします。 もう、どんな形になるか、まったく分かりません。他の先生方の協力も仰ぐことになるでしょう。でも、他の先生方には全く相談していないので、きっと僕は、「なんてこと、言ってくれた!」って怒られるでしょう…。 ただでさえ、体力の限界に挑戦する夏期講習会。初日にやるのは、せめて、まだ体力に蓄えがあるであろうから。でも、途中で力尽きたら、ごめんなさい。 とにかく、やってみるのだ、実況生中継。 …先に断っておきますと、生中継っていったって、みんな授業が最優先ですから、各コマの間にほんの1~2行、とことことこって、書くだけのことになると思います。そこは、生徒たちに迷惑のかからぬよう、Yahooタイピング検定1級の手腕を活かしましょう♪ でも、どうなるか分からないことを分からないままやってみる。これが大事だ…。とか言ってみたりして…。 間違っても、実況中継にお付き合いなさらぬよう…。どーせ、大した内容は書けないので、後でまとめて読んでくださいな。あ、それと、なにせ、生徒最優先ですから、質問とかが殺到したら、崩壊するかも…。可能な限り、やってみようと思います。 …あ~あ、書いちゃった…。もー、やるしかないもんねー。こうして自ら背水の陣を敷いて、強行突破するのも、僕のやり方です。 お楽しみに!Kama
2008.07.21
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きっかけは、「猫論.2」に対する、ぽてにゃさんのこんなコメント。>猫をさわりたいときは、>いやがっていても、さわりますし、>猫と遊びたいときは、>迷惑がられても、刺激(パンチとか)します。>あげくのはてに、逃げられちゃいますが・・・(苦笑)>「そんなことするから、きらわれるんじゃない」>なんていわれてますが、>ぜーんぜん嫌われてないみたいです。(喜!) そう、これが、ネコですね。(いや、ぽてにゃさんではなくて…) 猫は、自分勝手だとよく言われますね。しかし、この場合の自分勝手は、何か強いポリシーとかあってのものではなくて、きっと、そのときの気分によるだけ。だから、人のそばに来たい気分だと寄ってきて、なんか虫の居所が悪くて、いじられたくないときには聞こえないフリをして、無視する。人にいじられてノドをゴロゴロ言わせるときもあるかと思えば、気分によっては、フーッって威嚇する。やー、自分勝手ですねー。 でもですね、ただ自分勝手なだけではない。言うなれば、「他人勝手」でもある。 例えばですね、自分が人に寄って行きたいとしますね。でもそのとき、人の方の気分が悪かったら、人の顔色を見て、それ以上しつこくしないんですね。おお、これではある意味、実存主義者ではないか。 というのは、実存主義者というのは、自分の自我・意識が大切なので、その認識を他に干渉されることをよしとしない。「実存」ではないけれども、フッサールなんて人は、現実世界そのものについて一旦、「判断中止」なんてことをしちゃって、自分の意識の中での立ち現れ方だけで認識しようとした。ある意味、自分の意識、認識がすべてであって、いや、すべてではないけれども、他は、意識の中に存在して…。ところが、そんな実存主義者は、他者に自己を強制もしない。だって、他者には他者の自我があるはずだから。 分かりやすくいうとですね、周囲の様子や場面、他者に、自分のふるまいを合わせることはあんまりせず、その基準は、結構、気分次第であるけれども、例えば、諸々の要素によって、気分が悪いときには、それを無理やり正そうとはしないけれども、しかし、そのかわり、他者が気分が悪いことも、また認めるのです。だって、自分も気分によって行動パターンが変わるのだから、他者だって、気分によって変わるだろう、そりゃ、と考える。だから、ネコは、人の顔色をよーくみることになるのです。で、人の機嫌が悪そうだと、その「機嫌」を直そうと努力したり、媚びを売ったりするのではなく、ただ、近寄らない。では、人の機嫌が良いと、ひょいひょい近寄ってくるかというと、そのときに、自分自身の「機嫌」が悪かったら、やはり、寄ってこない。自分勝手といっても、他者の自分勝手を認めたうえでの、勝手である、というわけです。結局、難しくなりました? そして、ネコ型人間も、同様の部分がかなりあると思います。 先ほど、自分がネコ型人間であることを、改めて認識しました。 昨日から今日にかけて、実家に帰っておりました。昨日の夕方、ピューっと車で帰って、先ほど、やはりピューっと、戻ってきた。 で、高速道路を走ったわけですが、夜の高速道路って、自分がネコ型かそうでないかそれがわかる気がする。夜、高速道路を走っていると、自動車って、かならずグループになりますよね。全車線、結構な台数の車がライトを点けて走っていて、おっ、こりゃ混んでるな、って思ったら、全然、自動車が走っていない空間もある。マラソンの「第●集団」ではないけど、必ず、集団化する。 そんなとき、みなさんは、どう走りますか? 確か、教習所で習ったと思いますが、夜、そうやって集団化するのは、やはり暗くて見づらいというのが影響するようで、つまり、前の車のライトを目標物として、それに合わせて運転するのが楽なのだ、とかなんとか…。昼でも、同じような現象はありますね。 ところが僕は、とにかく集団から離れようとする。時速何キロって決めているわけではないのですが、そのときの「気分」で、僕はスピードメーターとにらめっこしながら、高速道路を運転します。できるだけ、そのとき心地よいスピードがずれないように。 で、集団に出くわす。 集団が僕のペースより速い場合、つまり、後ろから来た場合には、おとなしく一番左によって、わざわざ自分のスピードを落としてまで、全台に先に行ってもらう。集団が僕より若干遅い場合には、今度は追い越し車線に入って、少々ムリなペースに一時的に上げて、やはり全台を追い越す。 で、前後がクリアな状態になったら、またメーターとにらめっこしながら、運転する。 集団のペースが微妙なときには、しょうがないから、最後尾につく。呑みこまれたら、たまらない。もう、落ち着かない。しかし、集団もペースは一定ではないわけですよ。どういうわけか、遅くなることがある。そうすると、前の車に合わせて自分のペースも落とすけど、やがて追い越し車線に入りたくなる。 これ、僕だけですか? 実際、集団を離れて走っている人ってあんまり見ないから、やっぱり珍しい方なんだろうな。 この辺にも、自分のネコ度が表れてる気がしました。前後の車に合わせて、ペースを上げ下げするのは、大変、気を遣う。僕は、メーターを見て、走りたいのです。そもそも、夜に走りたいのも、一般道を含めて、自分のペースで走れる可能性が高いから。 ところで、今日は、一台の車の後ろについて、気がついたら30キロ近く走ってた。 きっと、心地よいペースだったのだろう。あるいは、そういう「気分」だったのでしょう。 ネコ人間ですから。Kama
2008.07.20
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先ほども書きましたが、昨日17日の木曜は、僕はオフをいただき、お出かけしておりました。例えば、「本屋に行く」と言ったら、普通の人はスーパーに買い物に行くとか、そういう感覚なのでしょうか。僕が「本屋に行く」と言う場合、それは、そういう気軽な感覚ではなくてですね、ちょっとしたイベント、小旅行に近いものがある。帰り道の途中で、ふらりと立ち寄って、ぶらぶら本を物色するという場合には「本屋に行く」とは言わない。「ツタ●に行く」とか、そういう言い方になる。 で、昨日は、「本屋に行きました。」夏期講習も近いので、そこで使う副教材とか、合宿のテキストを作るための参考書とか、そういうのを見つくろうのが目的で、この場合、残念ながら、地元の本屋では全く不十分である。だから、僕は「本屋に行く」場合には、必ず池袋まで出ることにしている。そこで、僕が「池袋に行く」と言う場合、それは「本屋に行く」と同義なのである。さて、僕が「本屋に行く」とどうなるかというと、まず、池袋駅にたどり着いたら、西口を出て、まっすぐ右へ。そして、ジュンク堂にたどりつく。12時頃には店にいたのだが、帰りの電車にのったのは17:00すぎ…。5時間くらい、書店にいたことになる。この「ジュンク堂書店」は、僕にとって「魔城」である。ジュンク堂は、池袋店に関して言えば、地下1階から9階まで、ビルまるごとひとつがひとつの書店であるという、夢のような場所である。しかし、僕にとっては「魔城」…。 例えばですね、テレビなんかでよくある企画ですが、そうだな、10万円くらいポンと渡されて、「ハイ、この店で全部使ってください!」って言われて本屋に放り込まれたら、普通の人は困るのかな?僕にとっては、そんなのたやすいこと。50万円くらいあっても、へのかっぱ。っていうか、毎回毎回、そうやって自分が散財しないように我慢する。 ジュンク堂に入ったとたん、自分との闘いが始まる。 まず、とにかく、9階まで上がってしまう。9階は、「芸術書・洋書」の階である。 いきなりの強敵だ9階の奥には、外国から取り寄せた洋書が数多く並び、大変魅力的である。昨日は、小学生の英語の授業で使おうと思って、4冊ほど、イギリス版の小さな本を買い物かごに放り込んだ。でも、これは結構我慢した方だ。できれば、外国で販売されている日本の紹介の本とか、ペーパーバックの本とかにも手を出したい。しかし、洋書は、高い。だから、ぐっとこらえて下の階に降りようとする。するとエスカレーターに向かう途中に、画集なんかのコーナーがある。ここは、見なかったことにするコーナーに入ってしまって、気に入った画集でも見つけようもんなら、1冊1冊が高価な「画集」である、とんでもないことになる。さらに同階には、充実した楽譜コーナーがある。これが一番の強敵だ。昨日も、ピアノ譜を4冊ほどと、ギター譜を2冊くらい、かごに放り込みそうになった。が、これもなんとか、ぐっとこらえた。よく頑張った、ボク。 ある意味、僕にとって一番魅力的な「9階」を脱出した。8階に降りる。8階こそ、僕の一番目的の場所である。「学習参考書・語学・児童書など」。ここで1時間以上は、ゆうに費やす。昨日の目的はここでの買い物だから、この階だけで10冊以上の本を買い込んだ。 7階に降りる。ここはあまり我慢の必要がない。「理工書」の階だからだ。言ってみれば、僕にとっては「ザコキャラ」だ。6階も、基本的には通過する。6階は「コンピュータ・医書」。エスカレータに乗っている間にパソコン関係の本とか目に入ると、ヤバい。法律関係の5階もあまり我慢の必要はないが、4階がヤバい。「歴史・宗教・哲学・思想・教育・心理」ここは大ボスだ。すべての書架の前で立ち止まってしまう。それこそ、上限額の設定がなければ、各書架から4~5冊ずつ、かごに入れてしまうだろう。昨日も、教育関係の前で数冊、言語学の前で数冊、ポスト構造主義の前でさらに数冊、心理学の前で数冊、手が伸びた。が、これを全部買ったら、この階だけで10万円近くなってしまう。ここはぐっとこらえて、昨日はこの階での買い物はゼロ冊に抑える。3番・4番・5番のクリーンナップを三者凡退に追い込んだ、そんな見事なピッチングであった。よくしのいだ、ボク。こうして、9階から数々の強敵に打ち勝って、僕は1階のレジにたどりつくのである。だったら、エレベーターで一気に目的の階に行けばよいとも思うが、そうもいかない。もう、見たくて、ほしくて、しょうがないのだから、それに目もくれずに帰宅するというのは、なかなかできない。 魔の4階をしのいだ僕は、さらに3階、2階へと降りていく。 3階は、新書・文庫のコーナーであった。大ボスを倒したと思ったら、実はそれは影武者で、真のボスは他にいたっていう気分である。もう、どうでもよくなってくる。昨日はここで、5冊、かごに入れてしまった…。 こうして、僕は、毎回毎回10冊以上の本を抱えて、ジュンク堂という魔城を脱出することになる。 まさに、満身創痍である。 両手に抱える紙袋はいっぱいであるが、財布は確実にスリムになっている。やー、今日はなんとか4階をしのいだぞ。それでも、文庫と文芸にはやられたなぁ…。 そう思いながら池袋駅に向かう僕の前に、それは魔の口を開けて待っている。 池袋駅にはもうひとつの巨大書店「リブロ」への入口がある。Kama そして、リブロでさらに3冊、買うハメになったのでした…。
2008.07.19
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実は、昨日はオフ日だったので、昼間、ず~~~~っと、書店におりました。で、「教育」に関するコーナーにも立ち寄ったわけですが、書架に並ぶ本のこんなタイトルが目に入った。 「教師だって人間だ」売れてるんだか、売れてないんだか知りませんが、だから、こういう態度、スタンスが諸々の問題の原因である気がしますね。「教師」が「人間」なのは、誰だって分かってます。イヤなこともあるでしょうし、サボりたくなっちゃうこともあるでしょうし。でもですね、それを言っちゃあ、おしまいでしょう。言ってしまったら、ただの「開き直り」になってしまうでしょう。いわゆる、「逆ギレ」です、これじゃ。 同様に「教師は『聖職者』ではない」なんてのもありますね。聖職者ではないでしょうし、なり得ないのですが、でも「聖職者でありたい、近づくべきだ」という想いというか、覚悟というか、それが大切な気がします。 教師は人間でしょうけれども、それはですねー、悪いことをしてしまった子どもに対して、周囲が「子どものすることだから・・・」とおもんぱかるものであって、だから許されるのであって…。子どもが自分で「だって、ボク、子どもだしー」とか言い始めたら、なんか、ほっぺた、つねりたくなりません?その子どもの親が「子どものすることなんだから、目くじらたてなくても…」とか言い始めたら、やっぱりカチンときません?そういうことだと思うのですが…。 で、あんまりダメ出しばっかりしてると、僕も結局、文句しか言わないヤツになってしまうので面白い、明るいエピソードもひとつ…。 ある学校の校長先生にお伺いした話です。若い、女性の教員志望者を面接したときのハナシ。昔の話ですから、その志望者は、校長先生のお知り合いからの紹介で会ったそうで、ここまでだと、いわゆる「コネ」です。(無論、金銭等は動いていません)紹介されちゃったから、しょうがないから会っておくか。正直、校長先生はそんな風に思っていたようです。だから、「え~、まあ、そうだな~、 とりあえず、志望動機か、 そんな感じのこと、聞いておこうか。」と。 するとその志望者は元気ハツラツ、明るくこう答えた。「私は、この学校の教壇で過労死したいです!」 即、採用となった。 これ、くらーく、アブナイ目つきで「採用してくれなきゃ、死んでやる…」だったら、もう完全に、一生先生になれないパターンで、その意味では紙一重なのですが。でもその女性は、大変明るく、眼を輝かせながら、そう言ったというのだ。「この学校が大好きです。 ここで、自分の持っている力のすべて、 精神力も体力も能力もなにもかも、はきだして、 頑張りたいんです!」その強い思いが校長先生に伝わったのだろう。そこまでの思いの人だったら、そりゃあ、採用でしょう。ここで過労死したいというほどの覚悟ですよ。この場合、校長先生が大変ウィットに富んだ方であったというのと、そういう人が大好きな方だったというのがありますから、あんまりマネしない方がいいと思います。しかし、それだけの強い思いは伝わる人には伝わる、と。 2つのことを書きましたが、共通するのは「覚悟」。これはどんな職業でも大切なことなのかも知れませんね。Kama
2008.07.18
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教員採用をテーマに、いくつか書いてきたがそれらの記事についての補足をしよう。 記事の文面において僕の真意が伝わりにくい部分があると思ったからで、言ってみれば、これは「種明かし」である。大前提として僕は、学校の先生方を敵視していない。むしろ、同じ教育現場に立つ同志と考えており、産業的に矛盾するかもしれないが、だから、学校の先生方には協力したいし、また、学校教員を目指す方の応援もしたい。もっとも、僕が学校教員採用の現場に立っていたのはもう5年以上も前のことで、だから「古い」上に、公立採用にはタッチしていなかったので、「古い私学の採用事情」に限られるのであるが、この補足が、これから教員を目指す方にとって少しでもヒントとなればと思って、書こう。同テーマの僕の発言への注釈という体で。 【学力のない教員は、教員ではない】 先ほど書いた記事の一文である。 「では、鎌田はさぞかし学力が高いのであろう」 そう思われるかも知れない。 が、実際のところ、 僕自身は、自分は学力が低い、と思っている。 謙遜ではない。 たとえば、出身大学について言えば、 僕は三流どころか、四流・五流の大学を卒業している。 早慶上智、MARCH、日東駒専…。 いずれの大学より、格段に偏差値の低い大学の卒である。 それで 「なんだ、バカの言うたわごとか」と思う方は、仕方がない。 その通りだから。 「偏差値と学力は違う」というのは詭弁である。 少なくとも、大学入学時の僕は 学力が低かった。 これは、事実である。 が、それで 僕に先生の資格がないとも思っていない。 僕は、 自分の学力に、常に不安を持っているからだ。 先生と呼ばれる以上、生徒にウソを教えるわけにはいかない。 僕は東京大学の出身ではない。 まして、東大だったとしても その東大は世界レベルで言えばトップ10にも入らないレベル。 自分の知識が正しいと考える方が、フシギである。 だから、知識・学力に不安のある僕は 生徒に語る際には、必ず「準備」をする習慣がついた。 「学力のない教員は教員ではない」の真意はここにある。 今さら、ソクラテスの「無知の知」を持ち出すつもりはないが、 自分自信に疑いの目を向け、 自分を向上させる姿勢を持ち続けられるかどうか。 僕は、「自分が完成した」と思ったときが、 自分が引退するときだ、と思っている。 3~4年ほど前まで ある会社に招かれて 教員志望の学生を対象に講演活動をしていた時期があった。 ある講演の後 一人の女子学生が僕の許に眼を輝かせながら駆け寄ってきて、こう言った。 「感動しました! 鎌田さんの塾って、『学校』みたいなんですね!」 彼女は慶應大学の学生だった。 僕より、はるかに、偏差値が高い。 【学校の先生にはならない】 そこで、補足が必要となる。 正確にいえば、僕は、 現体制での公立学校でやっていくことはできないと思った、ということ。 学校がキライなわけではない。 実は、愛夢舎塾長である佐々木には 「愛夢舎」の理想形がある。 それは、現在の法体制では 少なくとも東京・埼玉においては すでにあるものを買収するという形以外には実現できないのであるが、 関東以外では、 それを実現した塾もある。 僕自身は、形は「どちらでもいい」というのが本音であるが、 少なくとも、 「愛夢舎が学校みたいだ」という評価を嬉しく思う、 その点は、佐々木と同じであると思う。 ちなみに、講演活動は、3年ほど前にきっぱり辞めた。 昨年も、ある大学から依頼を受けたのだが、 丁重にお断りした。 僕が教員採用の現場にいたのはもう5年も前で、 いい加減、僕も「昔の人間」である。 今、のこのこ出かけて行っても、学生たちに有益な話ができるとは思えない。 だから、たとえばこのブログを見て、 メールなんかで相談を受けた場合、 僕のできる限りのことはするけれども、 それはもう「昔の話」だから、そのようにご理解いただきたい。 にもかかわらず、 なんでこんなことを書いているかといえば、 それでも、この記事があくまでも経験に基づくものであり、 塾の一講師が、何の根拠もなく、 自分の主張を垂れ流ししているわけではないと思っていただきたいからだ。 僕も、これだけ書く以上は、それなりの覚悟をもって、やっている。 【安定を望む人は、不採用】 だから、これは、人による。 正確にいえば、 志望動機として、そのように答える「22歳の大学生」は低い評価であった。 40歳の方が同じことを言えば、それは別の評価になる。 【自分には、教えるのが向いている も不採用】 同じことである。 経験を積んできた人が言うなら、よい。 しかし、22歳の若者が言うのは、もってのほかだ。 だって、やったこと、ないでしょ? 先生に限らず、「職業」は「バイト」ではない。 感覚と表面的な印象だけで やったこともないのに 「向いている」と自己判断されてはたまらない。 第一、 向いているからやるというのであれば、 実際にやってみて、 「ああ、実は自分には向いていなかった…」という場合には 簡単に職を辞するとでもいうのか。 だから、 職選びに「向き・不向き」という視点を持ち込んだ時点で、 面接では、負けだ。 実は、それは 40歳の方でも同じことだ。 向いているからその仕事につくのではない。 その仕事につく以上、 その仕事に向いている自分になるのだ。 そういう覚悟がなければ、 こと、教育という生身のぶつかり合いの現場ではやっていけない。 【自分の知識を子どもに与えたい も不採用】 22歳の学生の知識が、万能とでも思っているのか。 ある講演のとき 「五者の心」の話を例に出した。 教師たるもの、 「学者」、「医者」、「易者」、「役者」、「芸者」 この五者の心をもって、教壇に立つべし。 有名な言説である。 が、講演後、 ある学生がアンケートの紙面上で、僕にかみついてきた。 「役者・芸者である必要はないと思う。 教師は知識を教えるものだ。 芸人のように、パフォーマンスとかで生徒の笑いをとったり、 面白がせて、本質でないところで人気をとるのは、邪道だ。」 そんな内容だったと思う。 大変立派な志だ。 言っていることは正論である。 しかし、もし僕が面接官をしていたら、 やっぱり不採用だ。 理由は、もはや書かずとも、おわかりいただけるだろう。 【子どもと一緒に成長したい も不採用】 だからといって、 「子どもと一緒に自分も成長したい」と言ってしまうのもダメ。 いや、そう思っていてよい。 そう思うべきだろう。 でも、生徒の前で、それを言ってはならない。 何を甘えたことを言っているのだ。 キミは、先生になるのだ。 どこの世界に、「生徒に教えてもらう先生」があり得る? 心の中では生徒に教えられることが多いと思っていてよいし、思うべきだし、 でも、それを表に出してはいけない。 生徒に 「私を信じろ、私についてこい!」と言えない教師は、 尊敬されないし、信頼されない。 「尊敬されなくてもよい」 という教師も、だから、やっぱりダメなのだ。 それは、教師であることからの逃げにすぎない。 …手短かにするつもりだったのですが、長くなってきました。またそのうち、書きます。Kama
2008.07.18
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夏期講習を目前にして「入会ラッシュ」です! 久々に「行列」ができました。 うれしい悲鳴なんですが、ご迷惑おかけしてしまった入会希望者の方もいらっしゃいました。 本日7時半からは私も含め全講師が授業でしたので、その時間に飛び込みでいらっしゃった方のためにお時間を作ることができませんでした。 後日にお時間をとらせていただきましたが、無駄足を踏ませてしまいました・・・大変申し訳ありませんでした。 中3は、もうそろそろ教室がパンクします(笑)。 ウワサによると、まだ「愛夢舎入塾希望者」がいらっしゃるとのこと。ありがたいことです。 希望者の皆様に、落ち着いてお話を差し上げる時間がなくなってしまっているこの状況、本当に申し訳ありません。 それでも、精一杯対応させていただきますので、よろしくお願いします。 夏期講習会のお申し込みは7月22日(火)講習会開始日までとなっております。まだまだ、どうぞ! ジュクチョウ
2008.07.17
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このブログは、愛夢舎という「塾」が運営するものであり、この僕も、「塾のセンセイ」あるが、このテーマに関しては、塾の人間という意識では書いていない。かつて、学校教員採用の最前線にいた人間という立場で、書いている。(同テーマの過去の記事は、↓こちらから 『教員採用に想う.1』 『教員採用に想う.2』 また、 僕のかつての活動については、こちら→『愛夢舎Sub History.2』からどうぞ) 教員採用に関する不祥事が、ずっと話題になっている。ついに、不正によって採用になった教員の解職、不合格となった受験者の再試験という方針が報道された。 だから、ダメなのだ。僕は、私立学校の教員採用にかかわってきて、各校の考えを、お聞きしてきた。 まず学校の質とは、何によるものであるか。言うまでもない、「教員力」だ。校舎や制服ではない。 そして、高い「教員力」とは何をもっていうのか。これには諸々のご意見があったが、抽象で言うと「人柄」である。ゆえに、私立校の多くは「面接試験」を最重要視するのである。学科試験の得点ではない。 しかるに、公立採用試験ではこの学科試験が非常に大きなウエイトをしめる。今回の不祥事もテストの得点を改ざんしたというのが、一番分かりやすいケースだろう。無論、面接において、「口きき」があったとか、そういうこともあるのだろうが、金銭等の授受があったことによって、価値は180度変わってしまったものの、実は、面接等における、第三者の意見を参考にする態度自体は糾弾されるべきでない。「人柄」を重視するのであれば、たかが数十分の面接での印象で判断は危険であって、その人を長く知る人の意見は、大変信頼できるからだ。 教員はコネで採用すべきと言っているのではありません。その点、ご注意いただきたいのですが、しかし、公立採用は本質からずれている気がする。その原因として、公の親方が、民間の市場原理を変な風に取り入れ、それを推し進めてきてしまったことがあると考える。「面接」という、人によって基準のかわる曖昧な方法ではなく、「学科試験」という、客観性の高い試験方法で合否判定を行う。大変、理にかなっており公平であるように思われるだろう。しかし、ここに大きな落とし穴がある。採用となった「教員」は生徒・保護者たちと、毎日のように「面接」をし、あいまいだろうがなんだろうが、その印象によってのみ、信頼を勝ち取り、評価されるという点が考慮されていない。生徒たちは、先生を「テストの点数」で好きにならない。子どもたちの「あいまいな目」が「この先生が好き!」と思えるかどうか、それこそが、最大の評価観点であろう。考えてみればよい。学科試験で、他の受験者より5点か10点、良い点数をとった。そのことが、その教員が優れていることの証拠になるだろうか。 こういうことを書くと、今度は「じゃあ、勉強ができなくてもよいというのか」という極論をぶつけられることがある。 僕は、こう答えることにしている。「学力のない教員は、教員ではない。 が、学力のない『教員志望者』は その理由において、不採用とするべきでない。」おわかりいただけるだろうか。採用前の時点での学力は、それは、高い方がよいに決まっている。学力が低いというのは、志が低いことにもつながりえる。しかし、採用になってから学力を磨くことをしないのであれば、同じことだ。 教員採用試験の高い競争率に、志望者たちは試験前の学習にはいそしむものの、いざ採用となった後、それほど勉強をしない人が多い。だから、生徒の英語の質問に答えられない教員が現れる。 そして、もうひとつ。公立採用試験においては、教科の専門知識の比重は、相対的に考えると、そこまで高くない。では、何が重視されるかというと、「教職教養」、「一般教養」である。このうち、「教職教養」とは例えば教育史、教育心理、教育関連法などについてのテスト。そんなものに詳しくたって、生徒の前で実践できなければ意味がない。そして、教育法に詳しくたって、教科の知識が不足しているのであれば、本末転倒である。例えば、私立校の採用試験においては当然、学科の専門知識は重要視される。英語の教員であれば英検1級、TOEIC900点以上という人は、ザラにいる。 私学の教員採用についてはこんな面白い事例がある。東京都では、毎年「私学教員適正検査」という統一試験があって私学での教員を目指す者がこれを受験すると、結果が各校に配布され、学校はこのデータを参考に、志望者に声がけをするという仕組みである。試験は「専門教科知識」と「教職教養」の2つがあって、僕が携わっていた頃はそれぞれA~Dの評価がついて、学校に配布されていた。これから受験を考える方はよーく心した方がよいが、「専門教科」でD評価がつくと、これは、絶対に、採用されない。だったら、受験しない方がマシである。そのくらいの破壊力がある。 では反対に2つとも「A」がつくとどうなるか。これはこれで、ほぼ「教員」になれる。 ところがある学校でこんなご意見を聞いた。「専門が「A」ってのはいいけど、 教職教養も「A」って子は、 気持ち悪いよね・・・(だから採用しない)」全ての学校のことではないが中には、そういうところもある。これが、私学現場での採用の考え方だ。教育法とかをカリカリ、コツコツ勉強する学生。それはそれで悪くないが例えば同じ期間、外国を旅したり、サークル活動にいそしんだり、色々な人と出会って、多くの経験をした人の方が生徒に「語ること」ができそうだ。それは、保護者の意見も同様なのではなかろうか。中には「子どものころ、少々「道を踏み外した」くらいの人の方がよい」という保護者もいる。 ところで教員志望者、採用試験の受験者には今回の事件に関して、何の責任もない。極端にいえば贈賄して、子女が教員になることを援助したおエライさんも、悪の根源ではない。 だって、そうでもしなければ教員になれないシステムなのだから。つまり、改めるべきは、教育委員会のあり方ではない。そうではなく、採用方法そのもの。すなわち、大親分である文科省が、採用についての考え方を現場主義にすべきなのである。 今度は不正があった教員を解職するという。そんなことをして、誰が困るか。 もちろん、生徒たちである。 「不正をおかした先生より、実力のある先生の方が子どもたちのためになる」?そんな次元ではない。しょせん、あまり役にたたない学科試験における若干の点数の違いにすぎない。今現在、教壇に立つ教員は、「不正」があったとしても、子どもたちの大きな信頼を受けているかもしれないではないか。不正なき教員が信頼されていないという事例もあるのだから。そんなことより、信頼していた先生が突然教壇を去り、「あの先生は悪いことをしたからです」とか言ってみろ。子どもたちは人を信じることをあきらめてしまうかも知れないではないか。 はっきり言ってテストの点数なんて関係ない。経過がどうあれ彼らは「教員」になってしまったのだ。なった以上、子どもたちのために尽くしてもらわねば困る。ただ、それは不正なき教員だって、同じことだ。テストの実施内容の調査、その結果による現職教員の解職。それは、しょせん、「点数が良いものが偉い」という市場原理を一面的にとらえたうえでの、大人社会のことだけしか考慮しない、悲しき判断であると思う。Kama
2008.07.17
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猫論を、手みじかに…。(「猫論.1」はこちらから)先ほど「彼」とネコの話をしていた。どうも、「彼」の言い分は、僕のせいで、徐々にネコが好きになってきたらしい。よしよし… そこで、彼に「『ねこ鍋』を知ってるか?」と聞いてみたところ…。 「食べるんですか?」と、恐ろしい一言が… 『ねこ鍋』を食べモノだと思ったのは、僕の周りでは、「彼」で2人目だった。 そんな彼に、ネコの愛らしさを分かってもらおうと、「空飛ぶネコ」を見せてみた。 大爆笑だった。このネコの無邪気さ、無鉄砲さ、純粋さが、「彼」にも伝わっただろうか。 さらに、ネコの必死を知ってもらうべく、人気の動画、「本気でネコに襲われてみた」シリーズを見せてみた。 やはり、大爆笑であった。 そして「彼」は僕に尋ねた。 彼:「そんなにネコが好きなら、一緒に暮らしたいでしょう?」カマ:「うん。」彼:「でも、ネコ、自分勝手だから、 たとえば、鎌田先生がネコとたわむれたいってときに 寄ってこないこともあるんじゃないですか?」カマ:「そうだね。」彼:「そういうときは、どうするんです?」カマ:「どうもしないよ。」彼:「いいんですか、それで?」カマ:「だって、その子たちの事情もあるでしょ?」 彼は、大爆笑した。 ネコたちの「事情」、そんなにおかしいですか?Kama
2008.07.17
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どの塾さんもそうだと思いますが、ウチも、夏期講習会を目前にして、その準備に追われる毎日でございます。講習会をきっかけに、新たに入塾される方も多く、愛夢舎でも、数多くのお問い合わせを頂いております。本当にありがとうございます。 先ほどまで、社員一同で、校舎の大掃除をしておりました。しかし、この炎天下なので、もう、みんな、汗だくでございまして、この後、夕方からは授業を控えておるのですが、もはや、ヘロヘロです・・・。(でも、し~っかりやりますよ!プロですから) ところで、夏期講習に向けて、ウチも募集広告を出しました。もっとも、プロの方にお願いするような規模ではなく、イラストも含んで、ひたすら、手書き…。それを、ごく近所の狭い地域にだけ、配布しました。一般に、学習塾の広告のレスポンスがどのくらいの率なのか勉強不足で確かな数字は分かりませんが、しかし、ウチの場合には確実に平均値を大きく上回っていることだけは分かります。本当に、ありがたいことです。 さて、先ほども大掃除中に、1件、お問い合わせをいただきました。(全員、外にいなくてよかった…あぶねぇ~)なんでも、お子さんが大手塾に抵抗があって、ウチみたいなところなら大丈夫ではないかというお母さんのお考え。一枚の手書きのチラシで、それまでご存知なかった、愛夢舎のカラーをよみ取っていただけたようです。「チラシをみて、すごくアットホームな塾だな、と思って・・・」とのこと。 実に、ウチはよく「アットホーム」であると言われますし、ある意味、僕らもそれを心がけているかもしれません。アットホームというのは「馴れ合い」ではありません。「ごっこ」でもありません。生徒の先生の距離感の問題。もっと言えば、信頼関係。相当厳しく指導にあたっても、お互いを見限らない、強い信頼関係を築きたい。そういう「アットホーム」でありたい。 しかし、ともかく、愛夢舎が「アットホーム」であるというのは、もうこれは、何をどうしたって、そのとおりです。 だって…。これが校舎ですから。「アット・ホーム」。「家にて」。 家です。これ以上なく、「アットホーム」です。「アットホーム」以外の何物でもありません。 そんなわけで、愛夢舎の夏期講習は7月22日からはじまります。当日まで、受付中でございます。Kama
2008.07.16
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私は、中3になってすぐ愛夢舎生となりました。私は、もともと「塾」というものがあまり好きでなかったし、受験も適当に勉強してれば受かるだろうと思っていました。しかし、それはまったく、ものすごく、間違った考えでした。もしあの時、愛夢舎に来てなかったら...。今思うとゾッとします。 中3の初めの頃、私は授業しか出ていなくて、塾長に注意されたことがあります。「お前、全然来てないじゃないか。他の奴らを見てみろ。みんな早くきて、自習したりとか、授業が無い日も頑張っているんだぞ。」みたいなことを言われたと思います。私は、もっとしなきゃダメなのか...と頭では思ってたものの、なかなか行動に表せませんでした。しかし、塾長だけでなく小田切先生や鎌田先生、田中先生など、全員の先生が私に声をかけてくれて、こんなに応援されてんのに、やらないなんてダメだと思い、それからは少しずつ、自習にも行くようになりました。毎日塾に行くようになったのは、夏合宿のあとでした。なぜかと言うと、その夏合宿で「今までの自分」を捨てることができたからです。今までの自分は、確かに勉強はしていたけど、どこかで気を抜いてて、本気では勉強に取り組んでいませんでした。そこからなぜ、それを捨てられたかというと、先生方のおかげなのです。夏合宿で、厳しく、でも心から指導してくれる先生たち。信じてついていってよかったです。それに、そこで友だちとも深くなれたし。今でもその気持ちを忘れないように、『愛夢舎 夏合宿心得』を部屋のよく見える場所に貼ってあります(笑)。冬になって、さらに受験への気持ちを高めていきました。お正月特訓は、朝から大変だったけど、頑張ってやりました。私は、こう、色々やってきて、最終的に、私立2校と公立1校を受験しました。私立で、S高校の方は偏差値、内申ともに少しずつ足りなくて、確約が取れませんでした。でも、絶対に受かりたい...。それだけを考えて勉強しました。結果、見事合格いたしまして。合格通知を見たとき、驚いてホントに跳び上がりました。絶叫しました。すごくうれしかったです。その後、S学園も合格しました。よし、じゃあこの波に乗って公立も合格していこう!とさらに気合いを入れました。公立はT高校を受験しました。ここは、私が受かる確率は5%くらいしかなくて、受かったらすごいな!という所でした。でも、第一志望だし、絶対に行きたいと思ってましたから、勉強するしかありませんでした。特に私は、公立を受験するのに理・社がダメダメで、社会なんかなんの知識もなかったので、社会を中心に1からやり直していきました。そして、ついに中3最後の受験を終わらせました。受からない確率の方が大きいのは分かっていたけれど、でも少ない確率に自分が入っていたら...。と考えながら、合格発表を見に行きました。はり出された合格者の番号の中に、自分の番号はありませんでした。見た瞬間は、「ああ、やっぱりダメだったか。」そう思っただけでした。でも、親や塾長に電話したとき、今まで私のためにたくさんの協力をしてくれた人たちに対するもうしわけなさと悔しさでいっぱいになって、号泣してしまいました。塾長に電話で謝りました。すると、「大丈夫。精いっぱいやったんだろ?なら、それでいいんだよ。」と言ってくれました。すごくうれしかったです。その時改めて、私っていろんな人に支えられてるなぁ。と思いました。 長々とまとまりのない文章を書いてしまいましたが、結局私が言いたいのは、ありがとうございました。です。私は本当に愛夢舎に入って良かったと思うし、幸せでした。先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。表せないくらい。でも今度は、感謝と一緒に良い報告もしたいので、今回の失敗を活かして頑張りたいです。第一志望の高校ではないけれど、精いっぱい、またさらに自分のもう一枚の殻をやぶっていきたいです。本当にありがとうございました。では最後に、愛夢舎、サイコー!!―19年度中学部卒業生(女子) 原:私立高校1年生
2008.07.15
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西武池袋線だの、仮面ライダーだの、ムーミンだの、色々と、マニアックな記事を書いてきた。それなりに好評を頂いてきた。ところが最近、新しい着眼点にたどりつかない。これは、困った。このブログをお読みいただいている方の中にはそういう記事を期待されている方もいらっしゃるかも知れないから。そこで、ついに、一か八かの「大暴走」に踏み切るものである。-------------------------------------------「ウルトラマン」は、あまりに有名だ。僕が物心ついたときに見ていたのは「ウルトラマン80」であるが、そんな世代の僕でも、「初代ウルトラマン」の姿は知っている。 あまりに有名すぎて、みんなが忘れていることが、いくつもある。「ウルトラマン」は、言うまでもなく「ヒーロー」であるが、他のヒーローと決定的に違う点がある。例えば、戦隊ヒーローたちは、コスチュームを着こむとか、変身するとか、する。表情が豊かなあの「キン肉マン」ですら、あれはマスクであるのだ。 しかして、ウルトラマン。 あれが、裸の状態であることを忘れてはならない。あれは、コスチュームではない。また、変身した姿でもない。むしろ、変身する前の姿であって…。つまり、いわゆる、「生まれたままの姿」である。 その証拠に、目にははっきり、瞳のようなものもある。表情が動かなく、皮膚もしわしわであるが、それはしょうがない。例えば初代ウルトラマンは推定年齢約2万歳であっておじいちゃんもいいとこだ。そりゃあ、表情筋も固くなるし、皮膚だってしわしわになる。 が、ともかく、おじいちゃんだろうがなんだろうが、アレはすっ裸の姿である。 彼ほど大っぴらにハダカでテレビに出れるタレントもいまい。つるべだったら、とっくに謝罪会見だ。 じゃあ、なんで彼が素っ裸でテレビに出れるかというと、それには2つの理由がある。1つは、ヒーローだから。地球を守ってくれるヒーローなのだから、ちっぽけな人間観による放送倫理なんて無視してもよい。「裸だから出てきてはいけない」というなら、地球はとっくに滅んでいる。ここはひとつ、目をつむろう。 もう一つの理由は、彼が「宇宙人」だから。宇宙人だから、我々地球人の観点からすると性別すらわからないその姿に、卑猥な感じは受けない。誰が、服を着ないで歩いているイヌやネコをしかるだろうか。 が、この2点によって、地球人は疑うことを忘れてしまった。 果たして、ウルトラマンはヒーローであるのか。 結論を先に書くと、僕は彼を、ヒーローと認められない。その理由は、彼が地球で滞在しているその理由と彼の諸々の行い、そして、彼の「呼び名」そのものに内在する。 彼はなぜ、「スーパーマン」ではなく「ウルトラマン」であるのか。SuperとUltraは、ともに「超」と訳される英単語であるが、その違いが気になって、ジーニアス英和辞典をひいてみる。すると、形容詞の「Super」には「すばらしい」、「最高級の」という意味があるのに対し、形容詞「Ultra」にはこんな意味がある。 「思想などが極端な」、「過激な」。 … これがウルトラマンの正体だ。 「極端で、過激な人」。そう、極端なのだ。 人は、あるいはそのことに気づいていた。というのは、「初代ウルトラマン」は「マン」とも呼ばれる。 人だ。 もう、ただの人だ。ちなみに、「帰ってきたウルトラマン」は「新マン」と呼ばれる。地球人は、無意識のうちにウルトラマンを「ただのマン」にしてしまっていた。 彼がただの「極端な人」である理由は、そもそも初代の「マン」が地球にとどまることになったきっかけにも感じられる。 彼は、「宇宙の墓場」へ護送中であった宇宙怪獣ベムラーを逃がしてしまうという失態を演じ、ベムラーが逃げ込んだ地球まで追いかけてきて…。科学特捜隊のハヤタ隊員をはねてしまう。 ただの交通事故だ。しかし、「マン」のカラダだかなんだかが固すぎて、ハヤタ隊員は死んでしまう。体当たりで人を殺してしまうのは「マン」以外には「アラレちゃん」くらいしかいまい。さすがに、うかつに地球人をはねてしまった「マン」は責任を感じて、ハヤタ隊員に命をあたえる。 自分が憑依するという形をとって。 そう、驚くことなかれ、ウルトラマンは、地球人の体に勝手に憑依しているのだ。 で、普段は地球人として何食わぬ顔をして暮らし、いざというときに、3分間だけ、本来の自分の姿をとる。昔、「遊星からの物体X」という映画がありましたが、ウルトラマンも、この意味では「物体X」と大差ない。 「帰ってきたウルトラマン」なんて、もっと、かなり、はっきり、かわいそうだ。郷秀樹という地球人は少年と仔犬を守るために命を落としてしまうが、その勇気と心につけこんだウルトラマンはまたしても、勝手に憑依する。ところが、郷は、別にウルトラマンになりたいわけでもなんでもないから、普通の人間としての自分となんだかワケが分からない怪獣と戦うハメになった自分とのはざまで悩み、苦しむのである。これ、メリーポピンズよりも迷惑な天災としかいいようがないではないか。 だいたい、地球を守るためという理屈もどうも、アヤシイ。そもそも、なんで怪獣が来るのかといえば、水戸黄門いるところに犯罪が起こるのと同様、ウルトラマンがいるからに違いない。彼さえ出て行けば、きっと怪獣も来ないのだ。その証拠に最終回でウルトラマンたちが地球を去った後、地球は怪獣に襲われず、こうしてちゃんと、平和に存在しているではないか。 だから、彼らを「ヒーロー」として讃えるのは少し短絡的である。地球人よ、「放送禁止的素っ裸バトル野郎」の本来の姿を考えよう。 そんなウルトラマンにも、認めてあげたい点が一つだけある。それは、怪獣たちと戦うときに、「ここじゃあ、店の人に迷惑がかかる。表へ出な!」という、ちょっとした心遣いだけは持っていることだ。言うまでもなく、バトルの舞台である。日本に、あれほどまでに建物のない空き地はないと思うけど、それはおいといて、少なくともビル群のど真ん中で戦わないだけ理性が残っているといえる。 しかし、それにしても、初代ウルトラマン以来、あまりに多くのウルトラマンたちが地球にやってきた。短絡的な地球人によって歓迎される彼らだが、近年では色さえおかしくなってきた。さすがに自分たちの罪を体が認識してきて、青ざめてきてしまった。 だから、本当に問題であるのは、それぞれのウルトラマンではない。彼らをひょいひょい地球に送りこむ、悪の親玉…。身長45メートル、体重5万トン、年齢16万歳、時速1000キロで走り、マッハ15で空を飛び原子爆弾10発分の威力のキックを放つ、恐るべき「恐怖の大王」。ウルトラの父である。Kama
2008.07.14
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先日、カマティーが「英単語・熟語速習会」というウチの企画について書いてくれました。 今日はその「会」が実施されたわけですが、例年に比べレベルが高かった。 午後4時から10時までの6時間で英単語・熟語を300個覚える会なのですが、例年、最後のステージまで行って完全制覇するのは1人か2人だったんです。 しかし、今年は 最後のステージまで行った生徒は9名。(ほとんどが中3でしたが、中2のS.K君が健闘して中3の中に入ってきました!すごいぞ!) そして、完全制覇したのは5名! その覇者を発表します!(本人の了解が取れたので実名でいきますね) 1.大美賀 裕紀君(所要時間3時間36分) 2.熊倉 菜摘さん(所要時間3時間58分) 3.原島 秀幸君 (所要時間4時間15分) 4.新屋敷 剣也君(所要時間4時間33分) 5.鈴木 七海さん(所要時間4時間37分) 例年、6時間の制限時間ギリギリ(滑り込み)で達成するというパターンが多かったように思いますが、今年は完全制覇の5名全員が5時間かかっていないという快挙です。 余裕で合格する生徒が出る可能性も考えて、「隠しステージ」なるものも用意しておりましたが、そちらのプリントが足りなくなるといった、うれしい誤算もありました。 1年に一度の「お祭り」のような企画ですが、夏期講習前のいい刺激になったかな。 「ファイナルステージ」をクリアできなかった参加者も単語力は格段に上がったはず、自信を持って夏期講習に臨んでくださいね。 今日はみんなよく頑張りました。ジュクチョウは満足です。
2008.07.13
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アツイデスネ。キョウハ、サイタマケンハ、キオン、セッシ35ドマデ、ナルソウデス。ネッチュウショウニ、ゴチュウイクダサイサテ、ボクガ『ロボット』デハナイカトイウ「ギワク」ガアルヨウデスモチロン、ワタシハ、『ロボット』デハ、アリマセン。 …って、読みづらいので、もうやめます。僕のことを「機械だ」、「マシンだ」、「ロボットだ」って面と向かって言うのはもっぱら「彼」なのですが、先日、高校生の授業中、こんなことを言われました。 「先生、汗をかかなそうだよね」。そんなはずはない。僕は、れっきとした『人間』ですから、汗のひとつや二つは、かきますよ。 ほかにも、「ごはん、食べなそうだよね」とも言われる。そんなはずもない。死んじゃいます。 でも、そういうイメージがあるみたい。生徒の前で何か食べてると、「うわぁ~、先生が、食べてるぅぅ~っ?!」ってビックリする子もいる。いやいや「ドラえもん」だって、もうちょい、食べるイメージがあるよ。 なんでしょう、確かに「暑い」とか「おなかすいた」とか、そういうことは、あんまり言わないかも知れないですね、ボク。それで、そういうイメージなのでしょうか。 ときに、僕がなんでそういうことを言わないかというと、別にガマンしているわけではないのですが、どこかに「侍」的なことを目指しているというか、そういう風に教育されたというか、それがきっかけの一つにある気もします。 23歳の頃、オニのような研修を会社で受けた。昔、「モーレツ社員」が流行ってた頃の研修です。富士五湖のひとつ、西湖のほとりのキャンプ場に、11月、テントを張って5日ほど、暮らす。その間、食事は制限がつき、例えば僕の頃は、1回の食事でソースなしのパスタが100グラム程度。あとは、塩味だけのおかゆ。(その前は完全断食だったけど、病院送りになった人がいて、やめた)朝6時に起床し、10キロのマラソン。戻ってすぐ、立てなくなるまで筋トレ、跳べなくなるまで縄跳び。これが一日3回。要するに、体力を極限状態に追い込んだ上で自己啓発の研修を行う。そして、意識がモウロウとするまで、酸欠状態で、『幹部訓』とやらを絶叫させられる。これ、完全に「洗脳」の手法ですよね。10年以上たった今でもそれが潜在意識の中にしみついている気がします。「リーダーとは、 ハードワークを気軽にやってのけることである。」っていうヤツ。要するに、どんなにハードな状態であっても、部下には苦しい顔をみせず、へっちゃらであると感じて働けるくらいでないと、上には立てないんだそうな・・・。きっとこれが「会社人」としての僕に染み付いていて、「疲れた」とか「キツイ」とか、そういうのも含めて、なんか人前で言うのが憚られるようになっちゃった。いわんや、「腹減った」とか「暑い」とか、そういうことは、あまり言えない。損な性格というか、不器用なタイプになっちゃったと、自分でも思います。 が、場合によっては、そういう部分も必要かもとも思う。「武士は喰わねど高楊枝」なんて言葉があります。また、「心頭滅却すれば火もまた涼し」とも言います。人の体、肉体の生理的な反応って、ある程度は精神力でカバーできると思ってます。「武士は喰わねど~」は「やせがまん」かも知れませんが、そうではなく、反応自体もおさえられる。例えば、芸能人の方って、まあ、化粧の仕方によるかも知れませんが、少なくとも「顔」に汗をかかない。あれだけのライトを浴びれば、素人は汗だくになります。ところが、芸能人の方は、そうならない。実際には、カメラに映るところ以外では汗だくなんだそうです。つまり、服の下とか。となると、これはガマンというより、精神力がそういう体質にしてしまった、新陳代謝すらも操作できるということになる。 そこで、僕のロボット疑惑ですが、僕もある程度、そういう部分がある。つまり、僕は、実は、汗を抑えることができる。「ウソだ!」と思われるかもしれませんが、事実です。(さすがに許容範囲を超えることもありますが)ほかにもあって、例えば、発熱した場合、それがインフルエンザとかではどーにもなりませんが、風邪とかそういう場合、38度くらいの熱なら、気合で36度台に下げることができる場合もある。 「やっぱりロボットだ」とか言わないでください。誰しもが、そういうことができる、ということを言いたいわけです。 人間は「理性」の生き物で、無論、動物的な「本能」に左右されることもあるわけでしょうけれども、「理性」の使い方によっては「本能」に逆らうこともできる。 …ちょいと大げさかな?僕が「暑い」を言わないのは、単純にネコ型人間で、「寒い」のに弱いからだっていうハナシもある。Kama
2008.07.13
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本日、愛夢舎において「数学検定」を実施しました。元は、数学担当、小田切教務部長の発案で、今となっては、この地域では珍しい「数学検定準会場」となって、今日も、塾生以外の受検者も集まりました。計算分野中心の一次試験と、図形・関数分野中心の二次試験。今回は、小学5年生から中学3年生までが受検。結果をお楽しみに…。 ところで、「検定」・「資格」。僕も好きでした。 一番初めに取得したのは「電話級アマチュア無線技士」。今は4級になってるのかな?確か、小学6年生のときでしたが、終身免許であるので、僕の「無線」の免許には、一生小学生の頃の写真が貼られっぱなし… 思いつきでとったこの資格をきっかけに、色々と取ってみたい、と思うようになりました。危険物取扱とか、電卓とか、ワープロとか。もっとも、試験を受けに会場に行くのがおっくうで、結局、そういう資格を手にすることなく、学校で受験できる「英語検定」くらいしか増えなかった。英検も、ある年齢をさかいに受験しなくなったので、2級までしかもってない。 その後、社会人になってとったものとして、「派遣元責任者」なんかは、特殊ではあるのでしょうけれども、派遣会社に勤めていればだれでも取得できる。一番新しいものとしては、Yahoo検定の、タイピング1級。これは去年とりましたが、インターネット検定であって、あまり信頼度が高くないと思うので、まあ、半分冗談で受けてみました。 実際、Yahooのインターネット検定には色々なものがありますね。お金がかかるので、ちゃんとしたヤツはあまり受けませんが、ユーザーの方が作った「みんなの検定」は、面白半分で、たまにやってます。(ご興味のある方は、こちらから) これまでに合格したものは、「スラムダンク検定」数種。「エヴァ検定」。「ジブリ作品セリフ検定」。「創聖のアクエリオン検定」。「これ何時代?検定」。「サザエさん検定」。「白地図検定」。「世界地図検定」などなど…。 …やばい、これだけみると、完全にオタクだ…。 …ええ~っと検定・資格ですが、何で受けるのかってハナシ。 世の中には「就職や受験に役立つから」という意見があって、それは確かにウソではないけれども、じゃあ、実際問題、英検や漢検、簿記やワープロ、P検などがどれほど役立つかといえば、実はクエスチョンマークが並ぶのではないでしょうか。英検も、1級くらいになればともかく、2級や準1級くらいだと、それが仕事上、大きく役立つかどうかは、わかりませんよね。簿記検もってなくても、経理のプロ的な人も多い。だから、検定を受ける動機として、「役に立つから」というのは、実はかなりマイナーな意見、ぶっちゃけ、後付けの理由なのではないでしょうか。 では、なぜ受検するのかといえば、もっとプリミティブな理由が大きいように思います。つまり、単純に、「合格したい」。もっといえば、「認められたい。」という欲求。それが、人を試験に駆り立てるのではないでしょうか。 世の中には、検定・資格マニアと呼ばれる人が数多くいます。そういう人たちが、資格をとって職業に役立てたいと思っているかといえば、絶対に、ない。無論、司法試験とか会計士とか、そういうのは別ですよ。でも、ソムリエ資格をとって、ソムリエをやりたい人がどれだけいるかと言えば、正直、そんなにいないのではないでしょうか。 だからですね、「検定」を受ける意義って、結局は「挑戦すること」そのものにあるような気がします。少なくとも僕は、「ジブリ検定」に受かったところでなーんの役にも立たないし、タイピング1級だって、別にそれを活かした仕事をしようとは毛頭思わないし。でも、受けてしまう。それは単純に好奇心と、自己満足、それだけのためであると思う。実利を離れたところに、人としての豊かさがあると思う。以前、「イキ」について書いたときも似たようなことを書いたと思います。 そこで、調べてみると、いやぁ、役に立たなそうな資格・検定試験がいっぱいです。この、「役にたたない度」が高ければ高いほど、「検定」としての価値が高まるというのは言いすぎでしょうか。 たとえば、こんなのがあります。 「お墓ディレクター検定」 日本のお墓とお墓文化の発展と お墓の正しい理解と普及をはかるための資格。 …「お墓の発展」って、いいのか、それで? 「カニ検定」 ズワイガニの生態、漁、食文化などを中心に カニ全般に関する問題と、 カニ以外の水産物に関する問題を出題。 カニ以外を出題しちゃったら、カニ検定じゃないでしょう…。 「森林インストラクター」 森林、林業および野外活動、 安全および教育についての試験。 今の日本では、森を探すのが大変そうです。 「タオルソムリエ」 タオルの歴史、タオルの製造過程、 タオルの種類、タオル関係用語、タオルの流通、 タオルをお客様におすすめする方法など。 これはスゴイ! こんなに役に立たなそうなのは、あまりないぞ! …と思ったら、 公式HPが落ちてました…。 役に立たなすぎ…なんですね、きっと。 「高崎山サル博士検定」 高崎山の歴史・自然、サルの生態など。 中には、サルの顔の識別問題もあるそうで。 しかし、高崎山でしか役に立たないあたりがステキ…。 「花火観賞士」 花火を知的に、かつ楽しく鑑賞するための技術向上をはかる。 いやいや… もう、ステキすぎですね。 知的な鑑賞って、 「たまや~」のタイミングとか、そういうのもあるのだろうか。 あと、玉の開き方とか? これは、持っておきたい資格かも。 ええ~、これらはご当地検定、おもしろ検定の中ではかなりマトモな方でございます。これ以上ディープなヤツだと、あまりに地域密着すぎて、僕にもさっぱり…。 でも、こうして人々の知的好奇心を満たしてくれるテスト。実に、良いと思います。 なので、そのうち、やりますよ~。 「愛夢舎検定」。Kama
2008.07.13
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先ほどの記事の続きです、長くなって恐縮ですが、それほどまでに、今回はマジメに書いております。 僕が私学教員採用をしていた頃、全国で6000人以上の休職教員がいたところまで書きました。そして、報道はそうした「休職教員」を擁護し、ともすれば、保護者や制度に責任を押し付け、教員が精神的に追い込まれているということを必要以上にアピールしてきた。 確かに、学校教員は、大変な職業でしょう。しかし、ならば、早々に現場を去るべきなのである。今回の事件ではないけれども、たとえ自分が精神疾患に追い込まれるとしても現場での「真剣勝負」に臨みたいと考える、若き教育者は多いのだから。それなのに、そうした休職教員の中にはさも、「自分はそれでもがんばってる」ことをアピールしたいかのように、本を出版する輩すら、ある。まず彼らは、誰に迷惑がかかっているのかを考え、自分の健康管理にひたすら集中すべきである。偉そうに本が書けるくらいなら、休職している場合ではない。とっとと、指導現場に立つべきだ。 が、それもまた、ごく一部の話であって、実際には、学生たちの多くは、真剣に教育に取り組もうとし、自分が未熟であることを強く認識し、身を呈する覚悟で、学校現場に入っていくのである。が、その熱い思いは、長く続かない。現場では、「どうせ給料は変わらないんだから、適当にやっとけばいいんだよ」というベテランがはびこっているからだ。「細かいことは、若いのに任せとけばいいんだ」という風潮。それに耐えながら数年を過ごすうち、いつしか「熱い想い」は絶え、自らもそんな「ベテラン」になりさがってしまう。 これは想像ではないですよ。僕は、事実、そういう憂き目にあった20代半ばの公立教員たちから「助けてくれ!もう公立はイヤだ!」って何度となく泣きつかれたのだから。 実際、公立の現職先生方にはよーく泣きつかれました。テレビの特番で、学校現場の現状を伝える、島田伸介あたりがMCを務めるヤツがあるが、あの場に出演する、著名な公立の先生方の中に僕の見知った顔が何人もいる。何十人もいる先生たちの最前列に座る都内のK先生なんかは、公立校での限界を感じ、私立への道を開こうと、僕のところへ来た方だった。信念のはっきりした、素晴らしい先生で、僕は、いずれかの私立校で教頭以上の職をお願いしたいと思っていたのだが、公立校の次年度校務分掌と私立の採用スパンが合わず、なかなか手配できないうちに、今となっては、公立で教頭だか校長だかをされている。 そう、中には素晴らしい先生もいっぱいいらっしゃるのだ。 その点は、強調させていただきます。今回の事件で、公立校の先生を、十把ひとからげで判断してほしくない。 前述のK先生なんて、ふたまわり近く年齢の違う僕に、熱い想いを語ってくれた。ある都立高校の校長先生は、「管理職になって、はじめて現場の大切さがわかった。私立で「講師」として、一から出直したい」とおっしゃった。 だから、今回の事件は、極端な例であると思いたい。 しかし。しかしである。僕が「学校では働くまい」と思ったその風土はやはり今も残っている。近隣の中学校にも、休職教員が複数いる。1年近く休みをとったあと、何食わぬ顔で戻ってきて、さっそく悪い評判をまき散らしている。考えられないことだが、生徒が描いた絵に水をぶっかけて流してしまう、そんな美術教師がいた。自分の配偶者を空港に迎えにいくために休暇をとった教員がいた。自分の子どもの授業参観に出かけるため休みをとった教員がいた。 授業をマトモに行わないのは、当たり前。毎回授業にやってくるだけでまだマシな方。 これが、現実である。この惨状を、制度や家庭教育のせいにするのはお門違いであろう。 悲しむべきは、その惨状を目にして教育に絶望する若き教員たち、大人、「先生」に絶望する子どもたち、そうした本当の被害者があまりに軽視されていることであろう。 何度も繰り返して申し訳ありませんが、だから、今回の事件で全ての学校の先生を評価することはできません。特に、僕は、私立校の先生方は心から尊敬しています。例えば、現・東京私学協会会長のY学園K先生。先生は、元ホテルマンでいらっしゃって、学校を継いだあと、7年間、1年365日、1日も休まず学校に通われ、学校改革を見事に成功なされた。そんな先生が、僕のような若輩者に対しても、非常に低姿勢に、真面目に語っていただける。先生を慕うY学園の先生方は、みな美しい目を強靭な体力・精神力をもって1日12時間以上の激務をこなしていらっしゃる。また、公立校の先生の中にも尊敬する方が少なくない。そして、我々、塾の人間。僕は、学校の先生になれないから塾をやってるのではない。塾をやりたいから、学校ではできないことをやってみたいから、塾でやってます。 今回の事件の最大の被害者は、実の親の浅はかな考えで「夢」に絶望したであろう、「教育」の力を信じる、若き教員志望者兄妹であり、また、「教育」への不信感を思ってしまった全国の子どもたちであろう。 だからこそ、僕は、子どもたちを裏切らず、「学校」に類するものではなく、しかし、学校に敵対するものでもない「塾」という形態でもって、やっていこうと、再度決意するものである。学校の先生は、だからダメなんだ、とか言うつもりはありません。学校の先生だろうが、塾の先生だろうが、子どもたちにとっては、等しく先生であって、等しく、その責任を負うものであると考えるからです。 エラそうなことを書きましたが、全て、僕の経験、キャリアに基づくもので、「エラそうだぞ!」と思う方がいても仕方がない、偉いかどうかは知りませんが、少なくとも5000人以上の学校教員および教員志望者の面接を行って来た者の感想でした。 言いたいことが、うまくまとまっておりません。またそのうち、整理ができたら書くかもしれません。お読みいただき、ありがとうございました。鎌田
2008.07.12
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さて、今回は、一切の冗談抜きです。別に隠していることではないので、ウチの生徒たちに聞かれれば話していることですが、こうしてブログで書くのは、たぶん初めてとなります。大分県の公立校教員採用試験における汚職事件が世間を賑わせています。(字数の関係で、事件の詳細は省きます。) まず、大前提として、今回の事件で、すべての学校の先生を評価してはならない。また、僕は塾側の人間を代表するつもりもないので、これは僕の個人的見解であって、やはり、この記事で全ての塾の先生を評価してはならない。 しかしながら、僕は前職においてズバリ、学校教員採用に携わっており、「事実」を「事実」として書けるとも思っている。僕の「前職」については、サブヒストリーをご覧いただきたい。簡単にいえば、私立中学・高校、ALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー)、幼稚園・小学校教諭などの教員採用を業務としておりました。僕が直接携わっていたのは、一都三県の学校が中心ですが、逆にいえば、首都圏のほとんどの私立校に関係していた。 さて、今回の事件についての報道で、あまり知られていない公立教員の採用方法がクローズアップされた。事実として、教員になるのは大変難しい。公立教員を目指す場合、県や教科によっては、採用ゼロの年もある。教員免許をとったとして、実際に教壇に立てるのはほんの一部の人。だからこそ、このような事件が発生しうる。 ところで、今回の報道においていわゆる「教職浪人」についても紹介されていた。例えば、教員採用試験に合格したとしても、欠員を待つ「候補者」に回った場合、「合格」の有効期限は1年間。1年間は、いつ声がかかるか分からないので、定職に就くのがはばかられる。かといって、なんらか収入を得ねば、暮していけない。で、塾で勤務し、食いつなぐ人も多い。これは事実である。僕の前職においては、親会社が日本最大手進学塾も経営していたため、ズバリ、その塾で勤務しながら、教員採用に挑戦できるというシステムをとって、若者を集めていた。 今回、この記事を書こうと思ったきっかけは、この報道があったからです。「教職を目指しながら、塾で勤務する人がいる。」それはウソではない。が、それは、大分の汚職事件同様、ほんの一部の話であって、塾のわれわれを、学校教員になれないから塾でやってると思われてはたまらない。どうも、公立の学校の先生と塾の先生は「仲が悪い」と思われているフシがある。こっちにそのつもりは、ない。僕は、学校の先生を尊敬したいし、本来、僕よりよほど忙しいはずだと思ってるし、子どもたちの未来のために、手をとりあって、やっていきたいし、学校の先生方と協力し、お手伝いをしたいと思ってる。が、どうも学校の先生の中には、そう思ってもらえない人もいるようで、そういう人は「しょせん、塾の先生なんて、学校で働けない人だから」的なことを言うこともある。(事実として) 冗談ではない。ウチの生徒たちに「先生が学校でやればいいのに」と言われる。また、「どうして学校でやらないの?」と聞かれる。 はっきり言いましょう。僕は、教育実習に行って、学校の先生にはならないことを決意した人間です。正確にいえば、公立校では働くまい、そう決意した。「学校=公立」という田舎出身で、当時は私立校と縁がなかったからそう思ったのであるが、後に私立校の採用に関わるようになってもやはり「学校で働く」という選択肢は僕には生まれなかった。負け惜しみではありません。僕は、私立校の教員を採用していたのです。自分が教員をやろうと思えば、いくらでもできた。「学校の先生になれない」ではないのです。「学校の先生には、ならない」です。現に、私学を回っていた頃は「鎌田さん、ウチで先生をやらないか?」って誘われたことも何度もありました。が、すべて断ってきました。 では、なぜ「教育実習」で見切りをつけたか。残念かな、大学4年生の僕にとってさえ、公立学校現場は、人生をかける場所に感じられなかった。僕は、母校である公立高校で社会の先生として実習にあたったのだが、一日に2つか、多くて3つの授業。それ以外の時間、指導教官の先生は何をしているかといえば、ボーっとしている。まあ、教材研究なんかもするけれども、とにかく、やたらとヒマに見えた。実際には、いろいろと忙しいのだと思いますよ。でも、学生の僕にすら、「なんか、覇気がないっていうか…なんだろう」と思えてしまった。僕は一般企業の就職活動も並行していて、企業の「熱さ」とのあまりのギャップに、「ここで身を粉にして、ってムリそうだな…」と思った。そのときは、塾への就職は全く考えていなかったけれども、実習から帰って、ある塾の会社説明会におもむき、その「熱さ」に、「ここだ!」って思った。以来、いろいろな塾の先生と会い、「熱さ」を感じてきた。だから、少なくとも僕は「学校の先生になれない」のではなく、「ならない」ことに決めているのです。 では、なぜ今回の事件の当事者たちは何百万円も払って、先生になろうとするのか。なんでそんなになりたい人が多いのか。繰り返しますが、これはひとつの「例」であって、あるいは少数派であるかも知れず、これですべての学校の先生を評価しないでほしいのですが。例えば、私立の採用を行っていた頃、「公立第一志望」の学生たちの面接も、数知れずしてきました。 「なんで、キミは公立がいいの?」そう尋ねる僕に、彼らは答えた。「やっぱり、安定してるからです。」「私立は、大変そうだから。」事実です。「塾」ではなく「学校」というのは、まだ分かります。事実と異なっているとしても、「塾=受験・教科指導」というイメージはあって、教育の三本柱、「知育」、「徳育」、「体育」のうち、塾は「知育」に特化していると思われてもしょうがない。「徳育」、「体育」にも力をそそぎたい。そういう学生が「塾」ではなく「学校」というのは分からないでもない。が、「私立」ではなく「公立」というその理由は、「安定」であり「楽」である。 僕は、私立校の採用をしていたので、「安定」を望む人は、不採用にしていた。また、「楽そう」という人、「自分には教えるのが向いている」という人、「子どもに自分の知識を与えたい」という人、その反対に「子どもと一緒に成長したい」という人。基本的に、全部、不採用候補としていた。(理由はそれぞれ、異なる) 公立教員になるために数百万を積む親。その理由は、いざ、先生になれれば、それ以上の「おつり」が来ると思っているから。 例えば、公立教員は、滅多なことではその職を解かれない。不祥事を起こしたとしても、しばらく謹慎の後、別の地域で復職するだけだ。また、これほど自己都合で休職しても簡単に復職できる職業も珍しい。 僕が採用活動をしていた頃、6000人以上の休職教員がいた。ちなみに、私立校では、「自己都合休職=退職」であるが、公立はそうならない。その事実に対して、報道は「それほどまでに、教育現場は大変だ」と擁護する側に回るが、落ち着いて考えてみれば、あまりに不自然である。一般企業において、精神負担で休職したら、ひと月もしないでクビになったっておかしくない。 …まだ書ききれません、続きます。Kama
2008.07.12
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さきほど、日曜日に行うイベント、「英単語・熟語速習会」について、「えっ?いいのっ?」ってくらいにルール詳細を書きました。(実は、続きがあるんだけど…)このイベントが人気企画であるのはホントで、今回も多くのチャレンジャーが参戦する予定。ところで、コレについて紹介したのは、企画そのものを紹介したかったわけではなくて、実は、今書いている、こっちを書くための布石…。愛夢舎では、僕も含めた全先生が「いい加減にしろっ!」って言いたくなるほどのイベントがある。とにかく、毎週末、必ず、何かが、ある。(ちなみに、「英単語~」の前日は、数学検定実施…) これらのイベントは、ムリヤリやっているわけではありません。やりたくなっちゃうんですね~、コレが。色々と思いついて、やりたくなっちゃう。 そこで、例えば僕が、どーしてやりたくなっちゃうか、っていうハナシです。 簡単にいえば、「僕が子どもだったとして、やりたくなっちゃうこと」それを具体化しているだけです。 例えば、「英単語・熟語速習会」ですが、これには、僕の長年の夢が投影されている。 「アメリカ横断ウルトラクイズ」をご存じですか?愛夢舎の生徒諸君は、B教室の奥にある、早押しボタン、「♪ちゃっちゃっちゃっちゃらちゃらっちゃちゃ~ん」っていうメロディーの流れる、アレ。アレがウルトラクイズのゲームです。僕は周囲の人の影響を「これでもか」っていうくらい、受けてきた。音楽については、姉の影響であると憚らず公言しているし、母方の従兄のお兄さんの影響で、自転車旅行に出たり。「ウルトラクイズ」を知ったのは、小学一年生のときだった。ウチの家族は、僕以外、誰もクイズに興味がなく、だからそれまで全く知らなかったのだが、やはり、従兄のお兄さんが教えてくれた。 今でもはっきり覚えている。お兄さんは実に楽しそうに、番組について語った。なんでも、希望する人は誰でも参加できるらしい。クイズに挑戦して、成績が悪いとそれ以上は進めない。例えば、せっかく飛行機に乗って、南の島まで行ったとしても、クイズの成績によってはタラップを降りたところで「ブーッ!」って鳴って、そのまま帰らなければならない。どんどん挑戦者が少なくなっていって、最後は1対1の戦いになる…。小学1年生の僕は、スゴロクっていうか、人生ゲームっていうか、そういうののリアルなヤツを知って、まだ番組そのものは見ていないのに、もう、ウルトラクイズのファンになってしまった。従兄のお兄さんは、「いつか僕も参加したいんだ」って言っていた。 その年の秋、「第6回アメリカ横断ウルトラクイズ」をテレビで観た。お兄さんから聞いたときには、タイトルも聞かなかったし、いつ放映するとか、あの有名な「ニューヨークへ行きたいか~!」も知らなかったが、番組を見て、「…ああ、これが…」と一発で分かった。当時、ウルトラクイズは日本テレビの木曜スペシャル、19:00から21:00の枠でなんと、4週間連続で放送していた。初めて観た「第6回」大会はもう25年以上も前のことなのに、未だによーく覚えている。優勝賞品は「世界一周旅行」だった。優勝したのは、メガネをかけた、サラリーマン風の男性。決勝戦は、パンアメリカン航空のパンナムビルの屋上。有名なグアム島でのタラップ直後のブーブーゲート、泥んこ○×クイズ。モニュメントバレーで行われる、バラマキクイズ…。全てが新鮮で、その中で繰り広げられる、人間ドラマ。 6歳の僕は、もうとにかく、木曜日が来るのが待ち遠しくて、ハマりにハマった。 今にして思えば、アメリカの地理を知ったのは、ウルトラクイズのおかげでもある。なにせ、放映のときには、必ず地図帳を広げて、「ああ、ここでやったんだ…」ってやってたんだから。 以来、僕にとっては、毎年毎年、秋のウルトラクイズ放映が待ち遠しくて、夏くらいになると、それを楽しみにしていた。 クイズが先か、「ウルトラ」のスゴロク要素が先か、それは分からないが、いつしか僕はクイズが好きになって、また、得意にもなって、「アタック25」などの正統派クイズ番組を欠かさずみるようになって、やがて、思うようになった。「僕も、必ず、出場しよう!」 高校2年のとき、親友であった僕の同級生が快挙を成し遂げた。ウルトラクイズの弟分的な番組、「高校生クイズ選手権」の予選を勝ち上がり、全国大会に出場することになったのだ。が、僕はまったく、うらやましくなかった。自分が出たいとも思わなかった。きっと、高校生クイズは「3人組」であって、また、地区予選があって、決勝まで残っても、しょせん国内どまりであるから。そして、4週連続放送ほどの規模もなく、各ポイントで脱落していくのは、1組だけではない。(ウルトラクイズの終盤戦では、1人ずつ、脱落)なんだろ、バッタもんだと思ったのかな。僕はとにかく、「『高校生~』なんてどうでもいい。僕は『ウルトラ』に出るんだ!」って決意していた。 大学に進学した。僕の出身大学にはクイズ研究会があって、当時僕はバンド野郎だったので、さすがに「クイズ研」には入らなかったけれども、なんと、その研究会には前年のウルトラクイズで6位だか7位だかに入賞した人がいた。よし、僕はそれを超えてやる。まあしかし、3~4年はかかるかもしれない。早押しには自信がある。でも、まずは「ハワイ」まで行かないと。そこまでは○×クイズが中心で、正直、運もあるから、いきなり第一問で脱落することもあるだろう。なんとか「早押し」の舞台までたどりつければ…。 実は、大学に入ったこの年が、僕にとっては最初のチャンスだった。ウルトラクイズは、アメリカを単独で旅することにもなるので、「18歳以上であること」という参加資格がついていたのだ。高校生の僕は、準備期間を整えていた。そして、いよいよ18歳になる。いよいよだ・・・! もう、絶望以外の何物でもなかった。 僕が18歳になったその年、ウルトラクイズは実施されなかった。前年の大会が最後。 終わってしまったのだ…。 なんと残酷な…。12年間温め続けてきた、出場への思い。いよいよ参加できる年齢になって、「いざ!」と思ったら、なんと打ち切り…。 これには、さすがに投書した。「予算がかかるのも分かるし、商業ベースでないのも分かるが、頼むから、実施してくれ。」日本テレビにハガキを送った。もちろん、なしのつぶて、だ。それが原因だろうか、就職試験においても、日本テレビは、やたら、印象が悪かった。 以来、突発的に「ウルトラクイズ」が復活することがあったが、僕はもはや、社会人になっていた。もう、ムリだ。 今となっては、かなわなかった僕の夢のひとつである。 …ええ~っと何のハナシでしたっけ?そうだ、「英単語~」だった。 で、「生徒たちが英単語を集中的に勉強するような企画ができないだろうか」と、4年前に思った。「速習会」というアイデアは、すぐに思いつく。っていうか、どこでもやってる。僕はそこに、自分のあこがれであった「ウルトラクイズ」的要素、すなわち、スゴロク的、勝ち抜け的要素を取り入れた。 だって、12年間出たかったんだもん。ウルトラクイズとは違うけど、もし僕が中学生だったとして、そういうイベントがあったら、こりゃ、絶対面白がるだろうな、って思う。英単語でも漢字でもクイズでも、それはぶっちゃけ、どーでもいい。勝ち抜け・スゴロクゲーム。これがやりたかった。 だから、どっちかと言えば、僕はプレイヤーとして参加したいくらいなのだ。自分で企画しておいてなんだが、いいなぁ~、生徒たち…。他にも、スキー旅行だのスポーツ大会だの、ウチのイベントは、だいたい、こうやってできています。Kama
2008.07.11
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おだやかなタイトルではないですね大丈夫、「内部紛争」ではありません。(あたりまえか…) 7月13日、今度の日曜日に行う、英語学習のイベントのことです。 「英単語・熟語速習会」と言います。 イベント名で、多くの方が「ははぁ、ありきたりのソレね」とお思いだと思います。 これに参加するのは、中学生たち。 16:00丁度。時計はカウントダウンを始める。 制限時間は6時間。22:00になったら、強制的に「失格」となる。 16:00。プレイヤー(=参加者)は、愛夢舎の3つの教室のうちのいずれかに飛び込む。一度入ったら、その部屋を攻略しない限り、出ることは許されない。(トイレだけ、許可♪) 各部屋には、それぞれ「管理人」が待機している。部屋を脱出するには、その部屋に用意された「脱出テスト」を合格しなければならない。「脱出テスト」を受けることができるのは、その部屋に用意された「小テスト」を全て合格した者のみ。 「小テスト」は、それぞれ英単語10個。日本語を見て、単語を書く。「小テスト」は、全問正解で合格。これを各部屋、10枚クリアする。つまり、単語100個を覚えたら、ようやく「脱出テスト」に挑戦できる。部屋に用意された「脱出テスト」はそれぞれ5種類。100個の単語の中からランダムに20個が出題される。18個以上正解できれば、その部屋をクリア。「通行手形」にその部屋の管理人のハンコをもらえる。 1つの部屋を脱出したプレイヤーは、次の部屋へと挑戦する。3つの部屋を攻略したプレイヤーは3人の「管理人」のハンコが捺印された「通行手形」を手にすることになる。 ここまで到達したプレイヤーは300個の単語を覚えたことになる。 最後のテストである「確認テスト」に合格するとゲームを完全制覇ということになる。が、やはり数種類用意された「確認テスト」は3つのハンコが押された「通行手形」と引き替え。 「確認テスト」では300個中、やはりランダムに50個の単語テストが出題。50問全問正解で、完全制覇の称号を得られる。 もし1問でも間違ったら…。手元にはすでに「通行手形」は存在しないので、ハンコの集め直しとなる。 これが、夏の愛夢舎名物、「英単語・熟語速習会」のルールである。中には「one、two、three…」とか「Sunday、Tuesday…」とかそういう単語も混じっているので、「6時間で300個くらい…」と思われるかもしれない。 しかし、今年で4回目となるこのイベント。 これまでに「完全制覇」を果たしたのは、たったの3人。 毎年、1人しか制覇できない。 他のメンバーは、3つの部屋は攻略するものの、「確認テスト」を何度も受けている間にタイムアップになったりしている。 TBS系「SASUKE」とか「KUNOICHI」並みの難易度なのだ。 開催まであと3日。 このイベントは、実に生徒が、やる気になる。16:00から22:00までの6時間。生徒たちは「腹がへった~」とも言わず、一心不乱に単語の練習を繰り返す。最も進まなかった生徒でも、200個くらいの単語は習得する。…っていうか、全員、6時間もの間、一心不乱に単語を覚えようと夢中になる。それがすごい。 愛夢舎における、近年一番のヒット作品です。普段、地道な練習を嫌う中学生たちがこれほどまでに楽しそうに、単語練習とテストを繰り返すとは!ポイントは、RPGとかAVGとか、そういうゲームの要素を最大限、取り込んだこと。「風雲!たけし城」とか「SASUKE」とかに夢中になる僕らオトナの心境を考えれば、容易にわかる。もっとも、6時間ぶっとおしなので、僕ら「管理人」も大変ではあるのですが、子どもたちが、眼をキラキラさせて英単語の練習をしているのを見ると、こっちも楽しくなってきます。 というわけで、「英単語・熟語速習会 ~300単語を習得し、魔城を脱出せよ!」は7月13日(日) 16:00ジャストよりスタートです!今年は、4人目の完全制覇が現れるか?! …あ、まだ受付中です。…それと、各部屋には、脱出のための裏ワザがあって、例えば、「T先生に腕相撲で勝つ」とか、「O先生と、10分以上ガンダムの話で盛り上がる」とか…。絶対ムリなので、挑戦しないように…。Kama
2008.07.10
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