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こんばんは、鎌田です昨日、愛夢舎最大の企画である、「夏期勉強合宿」から帰ってきました。中学3年生、高校3年生を対象とし、志賀高原において、5泊6日の日程で行われるウチの合宿は「タダモノではない!」という自負、絶対的な自信があります。これだけは、よその塾さんにはマネできないでしょう、そういう絶対的な自信と覚悟があります。今回も、数字的にも数字以外のところでも「大成功」で終えることができました。その成果は、次の記事で報告させていただくとして・・・。 僕は、ウチの合宿が大好きで、それは、たとえば、毎日の小テスト、はっきりいえば、たかが一日の勉強の確認テストごとき、そんなもので、しかし、満点をとれたことのうれしさ、満点を取ることを誓ったにもかかわらずそれが叶わなかったことへのくやしさ、ふがいなさ、自分の気持ちをごまかしてしまったことへの悔恨、そういう気持ちで、生徒たちが涙を流し、そして、涙を流した生徒たちが必ず・・・これは本当に「必ず」なんだけど、翌日にはその涙を糧にしたかのように「結果」を出し、「成長」していく、そういう彼らの涙と、成長の姿をみて、その場に居合わせることができる幸福感につつまれることで、僕はウチの合宿が大好きなんだけど、 何年か前にも書いたことがあるんだけど、 僕は僕で、合宿に参加すると「失うもの」がある。 今回、失ったものは、いまのところ、次のようなもんです。 さきほど、体重計に乗ってみました。「51.9キロ」。体脂肪率7.7%。体重については、持ってるデジカメの重量も含むわけだけど、久々に51キロ台です。失ったもの、その1。2~3キロの体重。 それからそれから、合宿期間中、起きている間は心身ともに100%生徒指導にあたっているわけなんだけど、ギリギリを超えるところで僕らも彼らの成長に立ち会う。午前1時半に寝て、午前5時半に起きること3日間。最終日は、データ集計とか成績表作成があるので、午前3時半就寝、午前6時起床。失ったものの「その2」は、睡眠時間。・・・ゆうべ、しらないうちに寝入っていたようで、今日、気がついたらちょうどお昼。その後、またハッと気がついたら午後4時だったので、どうやら僕は、少なくとも16時間以上はいわゆる「寝落ち」していたようなので、この「睡眠時間」についてはだいぶ取り戻したようですww さらにさらに、合宿期間中、生徒たちに「禁止事項」としつつ、同時に僕ら自身も、時間の無さからテレビを点けることも、新聞を読むことも、携帯でニュースをみることもない。生徒諸君、実は先生の部屋にはちゃんと点くテレビがあります。しかし、おそらく、生徒たち以上に僕らはギリギリの生活を送っているため、僕だけでなく、今回初参加となったこだ・まきの両先生もテレビを点ける余裕はなかったようで・・・ 失ったものの3つめは6日間のニュース・情報。もう、この期間で何が起こったのかいまだにさっぱりわかってないもん。さっきテレビで、「台風が低気圧にかわった」とか言ってたけど、そもそも台風が来てたことを知らない。実は、こちら側からの「情報」については、現地から毎日届けようと思ってまして、しかし、現地には、ブログを書くような設備と「時間」がなく、せめて・・・と思って、Facebookで、僕のタイムラインにだけは毎日の景色をアップしていました。もし、Fbをご利用の方で、ご興味のある方は、さがしてみてくださいな♪ ↑ この写真は、合宿でお世話になった志賀高原・一の瀬の「スカイランドホテル」さんの一室、講師室として使用している部屋の僕の定位置からの光景。いわば、僕の「基地」なんだけど、どこまで効果があるかは別として、この期間中に僕が消費したクスリ類、ユンケル5本、眠気止めの錠剤5錠、QPコーワゴールドプラス1日3錠、「強眠打破」2本、エスカップゴールド(ドリンク剤)1日1本、目薬いっぱい、フリスクいっぱい・・・。これら、カラダにいいんだか悪いんだかわからん「クスリ類」数千円分が「失ったもの」の「その4」。 最後に、生徒たちに対する想い。 今回、50名弱の生徒が参加したけど、かれらひとりひとりに対して僕らが思う「課題」は、ひとりひとり違うわけで、それは強烈に僕の「気持ち」の領域を占有していて、それを彼らに吐き出し、彼らに届けることが合宿における、僕の最大の「仕事」だと思っています。もう、今は僕の「気持ち」は「からっぽ」です。全部、彼らに吐き出した。 失ったもの「その5」。最大限、彼らに対する想いを心の中から「失い」ました。いや、失ったんではなくて、全部、僕のカラダから出ていきました。全部、出しました。彼らにむけて、「ことば」や「叱り」、「笑い」や「涙」という形で、ぜーんぶ吐き出しました。 100%とは言わない。「気化」してしまう部分もあるとして、しかし、僕が「失ったもの」が、80~90%でもいい、生徒たちに届いて、生徒たちの「肉体」の一部となったことを心から願っています。 kama
2013.08.31
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今日の教室。明朝、合宿に参加する生徒たちを待ちうけている。 これまでの合宿の「実績」については去年の記事からのリンクでどうぞ。 参加する生徒たちの使命はこの大一番で「生まれ変わる」こと。それを支える我々の使命は我々自身が妥協しないこと。ひたすら、成績を上げることに専心すること。一切の妥協をしないこと。そして、語ること、吐き出すこと。初参加スタッフは、生徒以上に緊張し、その責任の重さに押しつぶされそうになっている、しかし、それをはねかえし、ひたすら専心すること。生徒諸君は何が起ころうとも、ただひたすら、「合格」と「完璧」を目指すこと。僕は、生徒・スタッフ全員の「成功」のために身を捧げること。 毎年、出発前日に、汚い字だけど、一文字ひともじ、想いながらしたためる。 「合宿」です。行きます。 kama
2013.08.24
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こんばんは、鎌田です。 少々のご無沙汰でございましたが、昨日、「夏期講習会」が無事終了いたしました。いやー、日数でいえば16日間、(20日間の生徒もいたけど)しかし、7月21日からスタートし、8月22日の終了だから、なんやかんやで一ヶ月、なかなか充実した「夏」でありましたよ^^今回の講習会では、「若手講師」が3人、授業デビューを飾りました。正直いえば、彼らの授業力はまだまだ。「まだまだ」どころか、「ま」とか「まだ」とか、そんなレベルかもしれないよ、ウチのベテラン講師の授業を基準とするとね。・・・って、エラそうに書いてますが、うん、僕らは、それだけの「自信」と「覚悟」でもって授業に臨んでおりますので、若手の彼らには、これからどんどんレベルを上げていってもらわねばならない。今回は、講習会を受けた生徒たちに無記名アンケートに答えてもらって、僕らの授業を評価してもらいました。おかげさまで、僕の授業について、「わかりやすかった」「たのしかった」と答えていただいた生徒さんが大半のようで、満足いただけたのならなにより、と思っております。特に、中学2年生の国語は以前に書きましたとおり、(こちらの記事)「文法オンリー」という、少々かわった方針でやらせていただきました。16日間、オール文法です。これは、講習会の国語の授業としてはなかなか面白い方針だと思うんだけど、どうだろ??16日間かける理由は、本来、そのくらいかけてでもしっかり理解すべきことだと僕自身が考えているからであって、んで、それは、決して、「文法の問題」を「解けるようにする」ことが目的ではない。そんなちっぽけなことではなくて、文法を学ぶことによって、「ことば」の仕組み、「ことば」の奥深さ、それに気づくことによって、その気づきが養っていく「読解力」。そこにつなげるためである。もっといえば、「仕組み」を知り、考えることによる数学的論理力の養成である。やった甲斐はあったと思います。最終日の確認テストではほとんどの生徒が80点以上を得点し、講習会前には誰も知らなかった活用形や品詞の名前などがすらすら言えるようになった。アンケートでも「一番キライだった文法がものすごくわかってよかった」とか「ことばの仕組みをしって、とてもおもしろかった」とかそういう声をいただいたようです。 実際ね、日本語ってのは本当に、奇跡的なほどに整然とした「ことば」ですよ。僕はよく生徒たちに言うんだけど、もし僕がアメリカ人だったとして、外国語を勉強しようとしたときに、日本語だけは選ばないだろう、こんな難しい言語、ほかには考えられない。その難解な日本語を生まれながらにして使うことができるんだから、僕らはラッキーだ。だってね、「私は」と「私が」と「私も」は多くの場合、同じ場面で使えるけど、ぜーんぜん、「意味」と「結果」が変わってしまいますよね。むろん、英語やイタリア語、フランス語などでも同様の表現をすることは不可能ではないけど、日本語の場合、たったひとつの文字、たったひとつの発音で、言わんとするところが変わってしまうわけです。いや、変えることができるわけです。したがって、そんなことばを日常で使いこなす我々日本人は本当に、人の気持ちを察することが得意な民族なんだなー、って思います。さてさて、講習会は昨日の「確認テスト」をもって終了しました。 しかし、我々の「夏」は終わっていません。むしろ、これからがスタートです。 いよいよ、愛夢舎最大の企画であります「夏期勉強合宿」。明後日25日より、中学3年生・高校3年生とともに志賀高原において5泊6日、勉強合宿に入ります。 しつこいようですが、ウチの合宿は厳しいです。廊下での一切の私語厳禁、1秒の遅刻も許さず、部屋のテレビは点かず、携帯電話は持ち込み不可、あいさつの声が小さければ何度もやり直し。そんな中、文字通り「勉強しかない」環境で毎日のテストで合格・不合格をつきつけ、毎日、順位づけをし、クラス編成をかえていく。参加する我々は生徒たちが「甘え」から脱却できるよう、あえて、「鬼軍曹」と化します。ええ、僕も「修羅」に入ります。今日と明日は修羅道に入るため、僕はひとり密かに精神統一。時間がなくて実際にはできないけれど、気持ち的には、滝に打たれて精神修養しております。僕は不器用な人間だから、そうでもしないと、愛する生徒たちを容赦なく叱り飛ばすことが難しいのです。ええ、僕らも相当な覚悟で臨みます。なにがなんでも生徒たちを毎日のテストで合格させる。なにがなんでも、生徒たちの成績を上げて帰ってくる。なにがなんでも、生徒たちを「生まれ変わ」らせて帰ってくる。そのために、修羅に入ります。 今年は、若手非常勤講師たちのリーダーである児玉・牧の2人もスタッフとして参加する。彼らは、生徒として合宿に参加したことはあるけど、講師として参加するのは初めて。そのため、ここに至るまで、6月中に特別研修を行ったほか、ことあるごとに考え方を共有すべく、研修会を重ねてきた。そんな彼らに、最後に求めること。 「僕もやります」ではない。「僕はやります」でもない。 「僕がやります」。 生徒たちにも同様です。 「僕も」ではない。「僕が」やるのだ。 「僕がやる」という人には周りの人がついてきます、応援したくなります。 2人の若手講師には「ほかの誰でもない。 オレ『が』、生徒たちを合格させるんだ!」、そう決意して臨んでほしいし、生徒たちには、合宿を通じて「僕『が』、合格するんだ!」と、そう思えるような人になってほしい。 むろん、僕は決まってます。 今回の合宿は、僕が、やります。kama
2013.08.23
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こんにちは、鎌田です久方ぶりの記事となってしまいました><さすがに、夏期講習中は、なかなかこっちまで手が回らないもんです、今は、第4期に向けて、しばしのお休み中、気の向くままではございますが、ぼちぼち書いて参りますので、どうぞご勘弁を。さて、ふだん数学や理科、社会なども教えている僕ですが、一日に全学年の授業がある講習会ではもっぱら国語を指導しております。中学1年生の、講習会初日の国語の授業で、こんなことがありました。彼らはふだん、塾で国語の授業を受けていないので(中1・2生は、国語は選択受講です)「ちょいと難しいハナシをするよ」と前置きをしておいて、現代文読解の考え方・・・・・・いや、そんな大げさなもんじゃなくて、「文章の読み方」をお話しした。 だいたいにおいて、「国語がニガテ」という子の大半はニガテ以前に「読んでいない」。あれですよ、読解問題を前にしたときに、まず設問をみて、指定のカッコや傍線部を探し始める子です。んで、傍線の前後をみて、それで回答しようという子。こりゃあ、ダメだ。なにせ、問題にはしっかりと「次の文章を読んで、後の問いに答えなさい」って書いてある。傍線前後だけをながめて答えを書こうとして、それで「わからない」ってったって、当たり前だ。だいたいにおいて、設問を1番、2番、3番と、順番に埋めていこうとすることが、国語に限っては間違っている、1番の答えが最後の最後まで読まなければ分からないってことはよくある。 それで、だから当然のこととして、文章をちゃんと読みましょうね、そのかわり、キミたちはまだまだ、まだまだ、設問に正解することは、まったく気にしなくていい、なんなら、どんどん間違った方がいい、よくわからないけど正解しちゃったら「よくわからんけど、まあいいか」ってなっちゃう、むしろ間違えた方が「なんでこれじゃダメなんだろう?」って考えるきっかけになる、「正解」にこだわるのは3年生になってからでいい、さあ、どんどん間違えよう。でも、文章を読む場合にひとつ大切なことがある。 それは、文章を読むときに、読んでいる箇所を、指やペンで、なぞっていくこと。これはですね、考え方や集中力とか、そういう以前の問題で、人の「眼」と「脳ミソ」の問題です。人の目というのは「面」をみると、あたかもカメラのレンズのように「面」全体を「パシャッ」ととらえます。脳ミソに、画像として映し出します。速読というのは、これを応用した能力でして、とらえた画面の情報を総合的に読み取るんですね。速読ならそれでよい。だいたいの内容をとらえるというのは人の目と脳ミソができる、大変すぐれた能力である。しかし、文章読解においてはだいたいの内容ではなくて、言葉のひとことひとこと、1フレーズの論理のつながりを、正しく正確にとらえる必要があって、その場合、人の目というのは「見るべき『点』」を指示してあげると今度は「点」に注目します。レーザーポインタなどで指示されるとそこに目がいくじゃないですか。それと同じく、指先やペン先で読むべき「点」を指示すると人の目はそこに注目する、だからなんでもいいから、なぞるべき。(このとき、自分の読むペースを「自覚的」に調整するということも可能です) 人の目が「面」をとらえるというのはたとえば、自分がなにか文章を読んでいて、その行を読んでいたとしても実はひとつ隣の行まで目に映しているということは実感できるし、だからこそ小説を読むことの楽しさにもつながります。(一瞬先を事前に読み取っているから)僕が、電子辞書ではなくて紙の辞書をおススメするのも同じ理由。ほかの単語を調べるまでもなく、眺めるまでもなく、自動的に僕らの目は、その前後の単語まで目に映してよみとっています。 それの、一番わかりやすい例が映画における日本語字幕の読み取りです。日本語字幕は、1秒当たりに4文字、一度に最大20文字まで表示されるので、実際に表示されている時間はほんの4~5秒です。ところが僕らは、この字幕の「内容」を一瞬で読み取り、同時に俳優さんの動きや背景をも読み取っている。と同時に、字幕によって、人物が「どんなことを言ったか」はわかっても「なんという語が表示されたか」は覚えていない。これが、面を読み取る目のチカラです。 「でも、映画の字幕のように 現代文の文章を読んじゃだめなんだよ~~」 ・・・ってハナシをするわけなんだけど・・・。 「ほら、映画観にいくでしょ?」「ああ、行った行った♪ モンスターズ・ユニバーシティをちょうど観に行ったんだ!」「そっか、じゃあ、それでさ 『字幕』ってあるじゃない?」 「・・・え? ・・・字幕のヤツ、観ない。」 はい、ここです。実はこの数日後、中学3年生たちにも聞いてみたんだけど、 なんともまあ、驚くべきことに、今の中学生たちは字幕版で映画をみることは極めて少ないようです。 映画館で日本語吹き替え版です。 もう、これは大ショックでございます。。。 実は、かつて現代の日本人学生たちがアジア近隣諸国から非常にバカにされている、というそういう記事を書きました。こちらの記事を、ぜひどうぞ。 その中でも、日本人学生が吹き替え版で映画をみるということについて「ありがたいくらいバカ」と評されていたのですが、ホントにそういう時代になってきてしまったようです。僕が小さい頃はそもそも吹き替え版がなかったということもあるけど、とても考えられなかったもんなぁ。だって、演じてる俳優さんの声じゃないわけでしょう。仮に英語のセリフ内容がわからなかったとしても雰囲気すら変わっちゃうわけで、でも、最近の子どもたちにはそんなのどーでもいいらしい。なんで吹き替え版なのかといわれたら、とにかく「めんどくさい」らしい。もうね、アタマをハンマーで殴られたようなショックですよ。これは国語の話をしてるんじゃなくて、「字幕を読むのがめんどくさい」という子が大量増加しているということ、洋画は「日本語」で観ることが常識になりつつあるということ。これは、どう考えてもダメですよ、ダメ。僕は別に、英語力とか国際的とかそんなことを言いたいのではない。字幕映画をみる、というたったそれだけのことすらめんどくさくなってしまった今の子たち、これはダメですよ。でも、なぜ彼らは字幕をみないのか。 それは、たぶん、「字幕版」を見せられることがないからでしょう。 和田さんに聞かれました。「もし鎌田先生に子どもがいて、 映画館に行って、字幕版と吹き替え版があったら どうしますか?」考えるまでもなく、字幕版です。「でも、それでお子さんが嫌がったらどうします?」たぶん嫌がらないと思う。最初っから、それが普通だとしたら、そんで、字幕で内容を理解しているとしても、英語の会話の中に身をおいていることの「カッコよさ」を教えてあげればきっと嫌がらないんだと思うけど。。。 そこで、どうかお願いです。特に小さな子を映画につれていくときには迷うことなく「字幕版」を!!! ・・・実際、日本語吹き替えって、ホントにいらないと思う・・・。kama
2013.08.11
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