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♪ さ ら ば J A P A N ♪
どこに行けば楽園はあるのだろう。
男はいつも夢のなかで
うなされながら目を覚ます。
ああ~今日もまたつまらぬ仕事を
しなければならないのか””
東京本社の単身者アパートの
寝床のなかでそんなことを
思いながらやっと布団から
抜け出すのであった。
もうこんな生活から一日も
早くおさらばしたいよ。
そう思っている夢次であった。
毎日1時間45分ほどバスと電車に
のって会社に通勤しているのだが
いつもさえない顔をしている。
艶もはりもなくてくすんだ顔色だ。
うつむいて無表情に歩く姿には
淋しさがただよい男としての
みなぎるような活力がちっとも
感じられない。
それにはわけがあった。
毎日の暮らしが面白くない。
仕事を休んでどこかに
行きたいと思っている。
夢次の年齢は45歳で妻は40歳、
そして10歳と4歳の子供がいる。
家族構成からは普通の家族のように
みえるのだが・・・
1年前に東京に転勤を命ぜられた時
妻は行かないといって聞かなかった。
転勤するのは絶対に嫌だといって泣いた。
だから夢次はいま妻子を大阪に残して
単身赴任中なのである。
時折、妻から電話やメールがあるだけで
子供二人との対話は一度もない。
単身赴任前の仕事は激務をきわめた。
いつも最終バスになり自宅に着くのは
夜の12時をまわった。
帰れば妻も子供も眠っていて子供の
寝顔を見に帰るだけの暮らしだった。
だから子供たちは、いまでも夢次のことを
父とは思っていないかも知れないのである。
東京から自宅に帰ると4歳の娘はパパとか
父ちゃんとはいわずオジチャン!!
が来たといったことがあった。
そんな時には、もうこの仕事を
やめようと思うのであった。
時には娘からパパ””とかおとうさん””
とか呼んでもらいたいのだが・・・
10歳の息子にも父さんと呼んで
もらったのは、今までに3回程度だろうか。
それほどまでにコミニュケーション
の少ない父と子であった。
こんな情けない父親なんて
いないのではないだろうか?
夢次は、いつもそのことに
さいなまれている。
単身赴任手当が4万円ほどつくのだが
精神的にも経済的にもとても満足できる
ような金額ではない。
二重生活がもたらすデメリットは
はかり知れないものがあった。
もっと他にいい仕事はないだろうか。
いまの仕事をやめて家族とゆったり
とした時間がもてる生活がしたい。
妻子とともに自己の描く楽園に
行きたいと思っている。
夢の楽園を探して数余年が過ぎた時
夢次のところに課長昇進の話があった。
単身生活3年目になる2月半ばであった。
昇進の噂は噂をよびある同僚からは
「今度、課長に昇進するようだね””
おめでとう!! 次は九州か北海道へ
転勤かも知れない? 大阪だと
いいのになぁ 」
「 昇進したら俺が幹事で
お祝いの酒でも飲もうやっ 」
同僚はそういった。
それ以来、色々考えていた夢次は
昇進する1か月前に意を決して
「 退職願い 」を提出することにした。
退職願いには、次のように書いた。
「 このたび私は、4月1日付で昇進する
ことになっていますが、一身上の都合により
退職させて頂きます。
個人的な万やむをえない事情があり、誠に
勝手ながらここに退職を申し出るものです。
ご迷惑をおかけしますが私の退職願いを
ご承認下さるようよろしくお願いします。」
印鑑を押すとこれで日本とも
おさらばだなぁと少しシックな
気持ちになった。
これで家族ともゆっくり
対話の時間がもてるのか。・。・。・
いよいよ夢にみた楽園に
旅立つ時がきた。
「 もうこんな日本とおさらばだ!!
もっと自由な仕事がしたいんだ。 」
ある日家族は、関西国際空港にいた。
「ああ~家族そろって夢にみていた
楽園に行くのさ”
妻子を連れて南国の楽園へ・・・
妻がしっかり貯金していてくれた
おかげで転勤のない仕事につけるんだ””
自由に暮らしていける目途がたった
からねぇ~ 」
夢次は「 さらばーJAPAN!! 」
そういいながら右手を高くあげて
Vサインをした。
ハイストップ!!
夢次は、やっと南国の楽園にいくことになった。 これで自由な人生となるでしょう。
これからの夢次の人生は、あなたが綴って下さい。
よろしくお願いしますね。 <(_ _)>
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