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参加している同人誌「停車場」の進行が遅れています。今週中にゲラがあがるはずだったのに月末に伸びました。原因は・・・われらの主宰が、このまえの選挙である弁護士の選挙対策本部総括、なんてのを引き受けてしまったからでした。マラソンしたりしてテレビで名の知れているその弁護士さんと長年の親友なのだそうで、断れなかったのでしょう。しかし、選挙本部というのはマンガのようなおかしなことがつぎつぎ起こるらしく締め切りが投票日の2日前だったのですがつまりは大忙しで原稿が書けなかったということなのでした。それでも選挙が終われば、なんとかなるものと思っていたらその弁護士さん、当選してしまいましてしかもご本人は初めてのことで戸惑い不安がったりするのだからこまごました手続きなどを代理でこなしているうちに時はどんどん過ぎ去り、締め切り何ぞはあってなきがごとくで主宰の原稿はますます遅れたのでありました。それでも、こちらとしては、主宰なのだから、というレスペクトもあり予定変更の連絡もなかったので、なんとか上手くいってるものだと思っていたのですが昨日、ゲラ校正の日程の確かめの電話をかけるといやいや、それが・・・と弁解が始まったのでした。しかし、その数日前、みのさんがやってるクイズに(ファイナルアンサー?というの)くだんの弁護士さんが出ていて電話で仲間に聞く、というコーナーの仲間の四人のなかにわれらの主宰が映っていて驚いたのでした。そのカールした髪も丸眼鏡もわたしは見逃していないしぐははははというわらいごえも決して聞き逃してはいないのであります。ああ、そうなの、こういうことでも忙しかったのね、なんてイヤミたらしく思ったりして・・・。てなわけで、文袋とともにお送りしようと思っていました同人誌「停車場」発行が遅れることになったこと、ご報告です。あいすみませんです。******「蟻を踏む」にあったかなお言葉いただいたがたがたにこころより御礼申し上げます。ありがとうございます。そして文の文、長く読んできてくださった方々に、すこしは明るいお知らせができてよかったです。おばさんなのに不義理もので、礼を欠くことばかりで申し訳なく思っておりますです。こんな書き手ですがよろしかったらこれからもお付き合いくださいませ。
2007.09.10
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今日は定期健診でH先生に会いに行った。あまりにひさしぶりで、予定表を見ないと忘れてしまうところだった。MFHという腫瘍ができて左顎の手術をしたあの暑かった夏の日からもう十二年も経っている。はやいもので、干支がひとまわりだ。おかげさまで再発もせず、生きながらえている。今日は、どういうわけか10時の約束が40分過ぎても呼ばれなかった。ひょっとして日にちを間違えてしまったかと不安になって窓口へ聞きにいく。そういう間違いを何度もしてきたので、ないとはいいきれない。十二年も経つと緊張感が薄れる。いえ、診察に時間がかかっているようです、という答えだった。そのすぐあとに呼ばれたのだがH先生はにこにこしながら「いやあ、抜歯で盛り上がっちゃって・・・」と弁解した。抜歯で盛り上がられても患者はツライかもしれない。つらい思いをした患者を元気にしようと先生はいろいろ話をしたのかもしれない。先生はそんなふうに自然に患者の気持ちを引き上げる。今日も異常なしとの診断だった。その安心のために通っている。そしてそのあとはいつも先生がカルテを書き雑談をする。この前の診察のとき、例の賞の祝賀会のおりに「機会があったら渡辺淳一氏に、小説に書いてあることは全部本当のことか聞いてください」と言われていた。ずいぶん日が経っているが一応報告しておかねばならない。あの日、渡辺氏はわたしの斜め前に座っていて、フレンチを食べながら、拙作にガンガンダメだしをしてくださって「自分のことをお書きなさい。病気のことを」と言われたのだった。わたしは、そこですかさず「実は主治医が聞いてほしいと言ったのですが・・・」と前置きしてくだんの質問をしてみた。「もちろんです」という迷いのない即答だった。「そうかあ。あんなこともこんなこともほんとうなのか」と、H先生はにやにやしながら感心する。それからわたしは、持参した写真や新聞の説明をしながら言った。ホテルベイオークラの一泊40万円のスイートルームで渡辺淳一氏を囲んでフレンチをいただいたのだ、と。これまで何度も口にしたので、滑らかなものだ。そして気がつくと「今回、自分の写真を送れといわれて、困りました」と言っていた。ほんとうはそんなことを言うつもりもなかったのにふっと口をついて出た。きっと、先生にこのことを打ち明けたかったんだな、と後から思う。拙作「蟻を踏む」が最終選考に残りました、という連絡がきたときつきましては顔写真をお送りください、という文が添えられていた。十二年経ってまた最初の難題を突きつけられたような気がした。ああ、自分は片頬なんだ、と。文章を書くということは、そのことから自由になることだと思っていたのにたどり着いたところでも自分の片頬がさらされるのか、と。そして、見も知らぬひとに片頬の写真を渡すということがなんでこんなにツライのか、デジカメで撮ったたくさんの写真のなかの一枚を選びながらわたしは泣いていた。写真は正面から撮ったもの、という指定があった。それではあまりに片頬が目立った。それですこし横向きの写真を自分で撮って送った。するとこれではいけない、とメールが来た。仕方なく息子2に正面から取り直してもらい送った。だから送った写真は愛想のない顔だ。miyaoさんは「憂いがある」と言ってくれたがなんでこんなことになったのだろうと情けなくなっている顔といったほうがいいかもしれない。友人のみどりさんにそのことを告げると「あなたはそんなふうにひとの記憶に残っていくのね」と言った。「あなたの抱えているものは不幸なことだけどだからこそ、ひとはあなたを忘れない。そうやってあなたはひとと繋がっていく」その言葉にわたしは、また泣いた。そんないきさつを多少はしょって報告すると「いいお友達を持ちましたね」とH先生は言った。そう、その言葉でわたしは自分をきっちり計ることができたような気がしたのだった。これからさき自分の欠けた部分をどう抱えていくのかこの顔とどう付き合っていくのかまた腹をくくりなおしたのだった。それから持ってきた文袋を渡した。「奥さんとおそろいです」「ありがとう。女房は今子育てで鬱病になりかかってますよ」と先生は笑いながら言う。歯科の開業医である奥さんにとって、小学校6年のおにいちゃんと2年のふたごの弟たちの子育ては想像を絶するだとうと思われる。しかもご主人であるH先生は週末にしか長野県へ帰れない・・・。そんな話が続いていく。うちの姑ならば「そういうことをいうてるうちが花え」と言うだろう。それぞれの人生に花の時期があり笑顔ばかりが花ではなくしかめっ面だったり泣き出したりするその時期もまた90の齢を越えてみればどれもきれいな花なのかもしれない。
2007.09.04
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