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いささか体調悪く、やらねばならぬこともあったので3日ほど一歩も家から出なかったのですがさすがに用事がたまってきて、今日はメモを片手に出かけたのでした。クリーニング屋さんへ行くとシステムが変わったらしくて新しくカードを作ることなり、名前を書いていると、店の奥さんが「アラッ」といいました。「同じ字の名前です。わたしはふみこですけど」前、千代子さんというおばあさんがやっていた店が閉じたためその店に変えたのだけれど、1年以上たって、今日、はじめて向こうから話しかけられたのでした。「わたしはあやこですが、なかなかそうは呼んでもらえなくて」と答えると「ふみこって読みますものね」という愛想のいい声。真面目そうな整った顔のおくさんなのだけれど隙がない感じでなかなか馴染めなかったのに急にどうしたのかな・・・これは春の陽気のせいかもしれません。そのあと郵便局へ行ってこの文袋↓を滋賀県に住む笑顔のすてきなひとに送りました。それから買い物しようと駅へ向かうとJR沿いの桜が咲いていました。全く持ってよい陽気です。今日は街の桜、どれももうもう見事に開花しておりました。空っぽになった大きな袋に春風をつめて、線路沿いの道をふらふら歩きました。桜並木がさきっぷりが見事で立ち止まるとふわりと花びらがその袋に舞い込むのでした。この道には自転車が通り、バギーが通り、背広姿のひとがケータイ片手に話ながら歩きおばあさんと孫が仲良く歩き買い物袋を重そうに抱えたひとがすれ違うのでした。そんななかでわたしひとり立ち止まってサクラを見上げデジカメを構えているのでした。そんなわたしに道行くひとの視線は普通より長くとどまるのでした。だって、春じゃないの、なんて弁解のようなことをつぶやきながらわたしはアングルを変えて写真を撮るのでした。しばらくたったらわたしも主婦に戻ってイトーヨーカドーへ行って保湿ティッシュと歯磨きと乳液と食卓塩と小麦粉とハヤシライスの材料を買って持ってきた袋につめて、肩から提げていつもの道を帰るのでした。坂の途中のおなじみの桜も咲き誇り木の間から昼間の月が見えました。春ですねえ。夢見る・・・時間であります。
2007.03.29
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立川市民会館に行ってきた。午後1時半過ぎ、会館前、もうじきに咲きますとばかりに膨らんだ桜のつぼみのもとにかつてフォークの神様と呼ばれたおとこにふたたび会うためにかつて同時代を生き、そのうたにこころ打たれたであろう団塊の世代と思しきひとびとが集う・・・ていうような異様とまではいかないけれどいささか平均年齢の高い集団が席に着き午後2時ギターを持った岡林信康が現れると髪の毛の薄くなった男性が「オカバヤシー」と声を掛けた。岡林氏は歌い始めると隣りの席の昔のお嬢さんは涙を流し始めるのだった。ああ、青春だったのねえ・・・。岡林氏の髪は白髪が勝っており、額も後退しているように見える。口ひげを蓄え、目を伏せた感じはジェームズ・カーンに似ている。嗚呼、年は旧る。わがLPレコード購入の歴史の始まりはエルビスプレスリーで、そのあとがアリスで、そして岡林信康だった。だから、わたしは団塊の世代ではないのだけれど「今日の仕事はつらかったー」と歌い出されれば、「あとはー焼酎をーあおるだけー」と歌詞がでてくる。「うちがなんぼはよーおきてもー」とくれば「おとうちゃんはもう、くつとんとんたたいてはーる」とでてくる。あらゆることをどんどん忘れていくのになにも考えなくてもその歌詞が出てくる。ああ、猛烈に懐かしいのだが岡林氏は過去にとどまってはいない。よくわからないけど、未来に向っているのだという。岡林氏の関西弁のMCはなんだかずっこける。おもしろうてやがてあやしいおっちゃんに見えてくる。かつて「山谷ブルース」や「夜明け前」のイメージが強くて新しい曲が受け入れられず、コンサートが150から20に激減し惨憺たる思いをしたことやニューヨークでウツになって、それを歌にしたことなど自嘲気味に話してはウケを狙う。岡林氏はこんなにおもしろいひとだったのかと昔、レコードジャケットの写真でみた彼の哲学的で陰鬱そうな顔を思い浮かべては嗚呼、年は旧るとまた思う。そのおっちゃんは懐メロかなでてみんなで思い出に浸るのはなんだか気持ち悪いといい「えんやとっと」と自らが称する音楽へと舞台をシフトさせていく。太鼓や尺八や津軽三味線演者が現れて、遠い時代のフォークの神様の尻尾を霧散させる。岡林氏は日本の音楽にはひとを元気にするちからがあると信じて額に汗を浮かべて歌い続ける。岡林氏が作ったYOSAKOIソーラン祭りのテーマ曲が演奏されるころには、会場では、もはやフォークもロックも姿を消し、祭りのように手拍子がなり、立ち上がった聴衆はその手拍子に合わせてリズムを取った。同じアホなら踊らにゃソンソンという感じで盆踊りのように和風に盛り上がっていったのだった。そう、年は旧る。チューリップのアップリケも夜明け前の闇も自由への長いみちも手拍子のなかに消えてしまったけれどなんだかよくわからないけど、小難しいことが全て消えてしまってみんな元気になったみたいだった。なんか怪しい新興宗教の教祖さまのようでしょう?と自ら言った岡林氏は秋に野音で会いましょうといって4時半に会場を去ったのだった。
2007.03.24
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次に行き先が決まったのはこれ↓行き先はこのひと数日前に彼女からメールが来て「22日木曜日12時30分~新橋演舞場で」とあった。観劇のおさそいである。まあ、なんとうれしいことかと思った。演目は「阿国」木の実ナナ主演の和製ミュージカル。池畑慎之介くんも登場する。それに誘ってもらったこともうれしいのだけれどこのひとに会えることがうれしいのだ。彼女は昨年お母さんを亡くした。12年前に知り合ったころからおりにふれお母さんのことは聞いていた。お母さんには持病があって、具合が悪くなると長女である彼女が横浜から三鷹のほうまで看病に通っていた。どんなことにも決して声を荒げることなく穏やかに出来事を受け入れていくひとだからほおっておけないの、と言っていた。最晩年、少し記憶障害があって戸惑っていることも聞いていた。幕間にコーヒーを飲みながら彼女が持ってきてくれたさっぱりとした甘みのぼた餅をいただきながらお母さんの話を聴いた。すごく具合が悪くなったときにこんななら早く逝ったほうがしあわせなのかもしれない、って一瞬でも思ったことが悔やまれるという彼女の言葉が重くてただうなづいて話を聴いた。ぼた餅を手に「もう今年はこれ、母のところには持っていかなくてもいいの・・・母を亡くしてから昔からずっとおかあさんを亡くしたひとはみんなこんなつらい思いをしていたのかと今更のように思うしみんなこんなつらい思いをしながらそれを胸の中にしまって、気丈に生きてきたのかと思うとそれはすごいことだなって感心するわ」と、彼女は言った。少しずつろ過されていく哀しみはそんな言葉になっていくのかもしれないと思った。そんな思いとは関係なくそのミュージカルは歌も踊りも笑いも出演者のパワー全開でガンガン進んでいった。いささか品がないかなと思わないこともなかったがまことにノリのいい舞台だった。しかし、歌舞伎のお囃子に慣れた耳には上々台風の音楽はいささか刺激が強かったらしくなんだか疲れてしまった。歌舞伎の様式美を見慣れたわたしたちは次々に展開していく舞台を見ながら見得を切る決めの場面が欲しいなと思っていた。そこで互いに一息つけるのになとミュージカルを見ながら歌舞伎を感じていた。それにしても舞台というものはけっこう残酷でごまかしようなく、くっきりと現実を見せ付ける。「くも舞い」を踊る青年二人は鏡に映したようにシンクロして動くのだけれどどうしても片方の青年のほうに目が行ってしまう。確かに同じ踊りだし、同じように練習を重ねてきたのだろうとわかるのにやっぱりどこかちがうと感じてしまう。じっと見てると上手いほうの青年の体の軸がずれないことに気づく。どんなに早い動きでも、どんなに傾いだポーズでもずれない。しかも指先まで神経が行き届いているのもわかる。ちょっとした手の角度も、体の傾きもそれが一番カッコイイと計算されているかのように感じる。同じ努力を重ねながら、そこに差が生まれてしまう。それが才能というものなのかもしれない。そんなことを口にすると彼女も同じことを思っていた。彼女といると話が通じる喜びがある。会わなかった間のこと、互いの知り合いの話玉三郎や海老蔵や亀ちゃんの話今日見た舞台の感想どこから話始めても、面白い。少々スパイスの効いたジョークがきける。それでいて互いが引いた線の手前できちんと踏みとどまる感じ。そんなふうに付き合ってくれる彼女にチケットのお礼もこめて同人誌の停車場と紹介してもらった神奈川新聞のコピーを入れて文袋を渡した。「あら、うれしい」と言ってくれた。
2007.03.23
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今の展示は志野と織部学生時代にお茶のお稽古で茶器の拝見でしげしげとお茶碗をながめていたけれどなにがどういいのか、よくわからなかった。なんとなくきれいとかどことなく渋いとかそんなことしか思わなかった。まあ今もその延長線上にいるわけなんだけれど、この展示で鼠志野の茶碗と皿を見たときああ、好きだなと思った。深い色だなと思った。それは人間が古くなると好きになる色なのかもしれない。重文の鼠志野の皿には鳥の絵が描いてあって鶺鴒と説明してあった。しかし、この字がなんと読むのか、わからない。うーん、と悩み、隣にいた年上のご婦人にたずねた。「せきれいです」とそのひとは教えてくれた。お礼を言いつつ「いい色ですねえ」と言うとそのひとは「わたし、鼠志野、大好き」と答えた。その言い方がいい、とてもすきだと思った。「わたしもです」というとそのひとは上品そうに笑った。連れ立ってきている年上のご婦人方はいささか耳障りな会話をくりかえされるので閉口する。ひとりで行動している年上のご婦人は話す相手がいないからむろん静かなのだけれどひとりで来るという選択をしたところからたのしみかたが違うのだろうなと思ったりする。それにしてもここの展示の仕方はいいなあ、と思う。と、その前に文章のことを・・・。今回の解説文は格調高くてちょっと近寄りがたい感じがしたけれど声に出して読んでみると(はた迷惑なのだけれど)実に流れがいい。書き手 の持つ文体のリズムがいいのだと思う。さても展示だが・・・たとえば、茶碗に籠目の文様があるとする。すると、この美術館のキュレーターさんは館が所有する屏風や絵巻のなかから籠目の文様の着物を着た人が出てくるものを選び出してその部分をアップにした写真を展示する。やきものの文様は、橋だったり、兎だったり、枝垂れだったり傘だったり、傾きものだったりするのだがそれぞれに絵巻や屏風のほんの一部を参照として展示してある。その記憶力というのか連想力というのか編集力というのかやきものをやきものだけで終わらせない姿勢というのか文化みたいなもののひろい捉え方というのかそこに携わるひとの奥深さが感じられるというのかまあ、そんなことのすごさを感じたわけで・・・。茶碗に描かれた吊るしや垣根やなびくものがそこに結界を作り茶碗のなかに聖性を作り出しているのだという解説になんだかこころうたれてなるほど、だからあんなふうにたいせつにこころして茶器を拝見させられたのだなと今頃になって思ったりしている。
2007.03.21
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パンチを食らってしまった。 こんなのたいしたことない、と思っていたけどいやいやそうではないらしい。だんだんパンチの威力が効いていた。ううう、痛い。殴られたのはこころだ。言葉のパンチ、イッパツ食らってしまった。それに関して言い返すことも出来るしあれこれ反論もできないわけではないしほかのものを引き合いにだしてわが身を守ることも可能だ。だがしかしそのパンチは的確にわたしのこころを抉っている。「一銭も稼いでないのに」そんな言葉にダウンを取られてしまった日曜の午後。
2007.03.18
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あるドキュメント番組のワンシーンだった。 京都の町のどこかの町内にあるお地蔵さんに 老女がお参りをしていた。 手を合わせ深く頭を垂れて祈っていた。 番組のスタッフは祈り終わった老女に 「なにをお願いされていたんですか?」 と聞いた。 老女は表情を緩めて 「家族のことと、 今日一日無事に過ごせますように お地蔵さんに頼んできましてん」 と答えた。 そして 「毎日参ってますけど お地蔵さん、ようきいてくりゃはりますえ」 と続けた。 「今日一日無事に過ごせますように」 という言葉がこころに残った。 ささやかでありながら 全てをつつみこむ大きな願い。 今日一日。 いのちは今日一日の積み重ね。
2007.03.11
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今日は桜木町のランドマークで横浜の友人ふたりとあった。彼女たちとの付き合いはかれこれ25年にもなる。息子たちはYMCAの冒険クラブというプログラムに参加し丹沢を中心に山登りをしたりキャンプをしたりした仲間でその送り迎えをしていた私たち母親は長期キャンプの打ち上げに差し入れる料理を作る仲間になった。ひとりは何度か書いた親友のみどりさん。横浜の姉のような存在だ。いまひとりのSさんは幼稚園が同じで顔見知りだったが付き合うようになったのはYMCAがきっかけだった。彼女は20年余り前に離婚して再婚もせずインテリア関係の会社で働き一人息子を有名私立大学院までいかせたひとで今はこの息子さんと要介護5の痴呆の進んだ95歳の実母と暮らしている。わたしは自分が病気のときこのふたりにはとてもお世話になった。行動力のあるひとたちでたくさんの心配事をひとつひとつ具体的な仕事に変えて手厚く手当てして乗り越えていくのだった。血のつながりのないひとが自分のためにあんなに親身になって動いてくれるなんて思ってもいないことだったが彼女たちはそれがあたりまえのように振舞っていた。それからの日々もいつも気にかけてもらってきた。今でもみどりさんとはよく映画をいっしょに見たりするが仕事のあるSさんとはみどりさんともども年に1回ほど互いの都合をつけて食事をする。今日がその日だった。ランドマークの展望台の上の階のビュッフェ形式の「シリウス」での食事が一段落ついたころSさんが「これおいしいから」とお土産の昆布を出しみどりさんが「指にたこができちゃった」と自家製のマーマレードを出しわたしはおもむろに文袋をだしそれぞれに交換をした。Sさんにはこの文袋に同人誌の「停車場」を入れてみどりさんにはこの文袋に入籍を済ませた次男さんの結婚のご祝儀袋をいれて手渡した。たがいに「ありがとう」を言い合い「さてっ」とデザートを取りに席を立った。
2007.03.09
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手提げ 1ダースこんなにたくさんなににするの?なんて聞かれるかもしれない。いつか誰かにあげるため、というのが答えになるだろう。ひとにあげるものは自分でも少しもったいないかな、と思うものをあげるものよ、と千鶴子さんに教わった。これらの手提げはひとつを除いて、どれも着物地で作った。いただいたものもあれば、フリマで購入したものもある。値段がどうこうではなくどれも好きな布を使って作った。これでもだいぶうまくなったのだがミシン縫いが苦手でどうもまっすぐ縫えない。たぶんに根性まがりのせいかもしれないが・・・まあそんなことも含めてどれもがわたしが作った世界にたったひとつの手提げ。祝福とか感謝とか友情とかあこがれとかをその中にふんだんに詰め込んでいつか誰かたいせつなひとにプレゼントしよう。そんな日がきますように・・・。
2007.03.02
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