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気まぐれな回答ですので、明日になったら変わってるかもしれませんがとりあえず今日はこんな感じです。1.(好きな)動物は? ミツユビナマケモノ へらじか2.(好きな)お菓子は? わらびもち 千寿せんべい あじゃりもち 山田屋まんじゅう3.(得意な)料理は? てんぷら、シチュー 卵焼き4.(好きな)缶ジュースは? りんご系5.(好きな)インスタント食品は? チキンラーメン(誕生日が同じ)6.(好きな)寿司ネタは? かんぱち きんき 貝類 7.(好きな)パンは? ベーグル 志津屋のカルネ8.(好きな)どんぶりは? 海鮮丼 9.(好きな)お酒は? 生ビール 大吟醸10.(好きな)TV番組は? 芋たこなんきん 拝啓父上さま カンブリア宮殿11.(好きな)お花は? コスモス 矢車草12.(好きな)洋楽は? クラプトン スティング13.(好きな)芸能人は? ショーン・コネリー(誕生日が同じ) 市川海老蔵14.(好きな)歴史上の人物は? 俵屋宗達 葛飾北斎 白洲次郎 15.(好きな)作家は? 幸田文、武田百合子 川上弘美 湯本香樹実 16.(好きな)言葉は? たいせつなものは目には見えない。 17.(好きな)雑誌は? なし18.(好きな)マンガは? アニメってことかな? 十二国記・・・早く再開してほしいです。 コミックなら ピアノの森19.(好きな)映画は? フラダンス よかったです。20.(好きな)お店は? 餉餉21.(好きな)洋服は? ワンピース(コミックではない)22.(好きな)靴は? 歩きやすい靴 23.(好きな)香水は? Dior の EAU DE PARFUM (いただきもの)24.(好きな)アウトドアスポーツは? 観るのは、マラソン。 25.(好きな)インドアスポーツは? NBA 26.(持っている)装飾品・貴重品は? ばさまからもらった指輪と時計27.(好きな)季節は? 小春日和かなあ。28.落ち着く場所は? 古本屋さん 29.(好きな)旅行先は? 軽井沢 30.インターネットサイトは? ほぼ日 正剛さん 雲の行き先 31.次に回す方6人指名! しぐれ茶屋おりくさん アトピーママさん 夏見還さん レモングラスさん 水彩画人 俊介さん よろしければオネガイいたします。
2007.02.27
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日比谷線六本木駅から歩くこと5分。角を曲がって進んでいくとこんな建物が見えてくるそれは新国立美術館。色といい形といい、横臥せる波打ちビルディングという感じだ。黒川紀章さんのデザインだという。近づいてみるとその波打ちの表面はこんな感じで出入り口で上を見上げるとこんなふうで内側から外をみるとこんなふうで中はこんなふうで、ちょっとスペースコロニーという感もあるのだけれどひろびろとしていてせいせいする。展示されているのは 異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005ポンピドー・センター所蔵作品展 展示された絵の抽象度が高くなるにつれ、どうも足早になる。色彩と形のバランス感覚の違いなのだろがわたしにはどうも抗体ができてしまっているようで現代詩人の難解な詩を読んだ時と同じような気分になる。まあ、こちらのアンテナが拾える周波数の幅が狭いのだろう。なにがどうこういうことではなく、ただ好き嫌いの問題なのだとも思うのだけれど・・・。そんな館内で、わたしの前をあごひげを蓄えたフランス語を話す男性が幼い娘を抱いて回っていた。むろん、彼がなにを話しているかなんてわかりようもないのだけれどピカソの青い女のひとの絵の前で立ち止まった男性は絵のほうへ指し伸ばした腕を左右に動かしながら娘の耳元へながながとなにごとかの説明をしていた。娘は男性の首に手をまわしあごひげに額をくっつけて、時折うなづきながらその話を聴いていた。それは幸せの構図のようだった。
2007.02.25
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「夕焼け」という詩がある。吉野弘の作品。いつものことだが電車は満員だった。そしていつものことだが若者と娘が腰をおろしとしよりが立っていたうつむいていた娘がたってとしよりに席をゆずった。そそくさととしよりが座った。礼も言わずにとしよりは次の駅でおりた。娘は座った。別のとしよりが娘の前に横合いから押されてきた。娘はうつむいた。しかし又立って席をそのとしよりにゆずった。としよりは次の駅で礼を言って降りた。娘は座った。二度あることは と言う通り別のとしよりが娘の前に押し出された。可哀想に娘はうつむいてそして今度は席を立たなかった。次の駅も次の駅も下唇をキュッと噛んで身体をこわばらせて――僕は電車を降りた。固くなってうつむいて娘はどこまで行ったろう。やさしい心の持ち主はいつでもどこでもわれにもあらず受難者となる。何故ってやさしい心の持ち主は他人のつらさを自分のつらさのように感じるから。やさしい心に責められながら娘はどこまでゆけるだろう。下唇を噛んでつらい気持ちで美しい夕焼けも見ないで。*****誰かのために何かをするときにその果てにいつも悩む。その果てで下唇を噛む。誰かのために為しても為しても果てはない。しかし自分に果てはある。自分の果てを情けなく思い果てを越えようとさえ思う。その果てを越えない自分を好きになれない自分を持て余す。誰かのために何かを為さない自分は理想の自分ではないのだと思う。しかし、果てを越えた自分はもはや自分ではないのではないかと思ったりもする。果てを越えることはこうである自分をこうであるべきと考える自分に向かわせる素晴らしいことかもしれないが無理をして果てを越えた自分に復讐されることも少なくはない。姑の遠距離介護と「夕焼け」を重ねてみる。わたしはどこまでいけるだろう。
2007.02.18
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知人のお母さんが病気で足を切断したのだと聞いた。それはショックなことであり不自由なことでもあるだろうが生きるために必要な選択だったのかもしれないとも思う。たいへんでしたねえ、というこちらの言葉に知人は、ねえ、その切った足ってどうすると思う?と訊ねる。どうするって・・・そんなことは考えたこともなかった。言葉は悪いが廃棄するしかないのだと思っていた。ところが知人がいうには足のお葬式をして、お骨にしてお墓に納めることになっているらしい。ヘえーっと驚いた。ほんとのこと?と疑いたくもなった。52年生きてきて、初めて聞いたことだった。生きてる人間の死んだ足が先にお墓に入って持ち主が来るのをずっと待っている、ということなのか。あの世に行って足がなかったら困るからか。しかし幽霊には足がないけど・・・などと冗談をいいたくなったりもする。たとえば髪の毛や爪は切ればゴミになる。抜けた歯は上の歯は縁の下に下の歯は屋根の上に投げる。 任侠の世界でつめた小指の先はどうなのだろう。手厚く葬られたりするのだろうか。胆石の石や吸引した脂肪はどうだろう。病に冒され、摘出した臓器は?捨てると葬るの境界線はどこで引かれるのだろう。だれがそれを決めるのだろう。手術で取ったわたしの顎の骨はどうなったのだろう。お葬式をすることもなく葬られてもいない。手術後、わたしの知らないところへ持ち去られてしまった。あの世にいってもわたしの顎は待っていてはくれないということか。そんなことは考えたこともなかったしことさらにセンシティブになることもなくなった。あの世のことまで心配していては身がもたない。しかし、ひとのありようのいろいろのなかに葬るということがあり自分の足を葬るということがあるのなら自分の顎の骨ともそんなふうにきちんをお別れを言ったほうがよかったのかなと思ったりもしている。
2007.02.15
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京都のばさまの家の近くにちいさな神社がある。おつかい帰りにいつもと違う道を行って知った。おおーこんなところに!と驚きつつ、立ち寄った。嫁いで30年近くたつが、盆暮れに帰省するだけだったせいか全くその存在を知らなかった。この神社には、ひとっこひとりいなくて、ただ、ほころんだ紅梅がわたしを迎えてくれた。その名は霊光殿天満宮という。なんだか光輝いて写っているなあ。この神社、それはそれはもうもうコンパクトでいささかせつなくもなるのだが、これをみるとなんだかすごいところらしい。(ちょっとよくわかたないところもあるのだけれど・・・)なにしろ天下無敵必勝利運というから、ものすごい。拝殿の左右に配置された狛犬(かなあ?)がなんともユニークでかわいい。牛もいる。門の前に植えられた木の根っこも力強い。それにしても、この根っこが吸い上げてきた時間を思うとなんだか気が遠くなりそうになる。自分が生まれて生きて死んでいく時間。なんと微々たるものか。微々たるものの微々たる悩み天下無敵必勝利運で吹き飛ばしてもらいたいなどと思って目を上げると狛犬が豪快に笑っていた。
2007.02.10
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歌姫に会ってきた。このまえあったのは2年前だミーシャライブ三階のスタンド席からみるミーシャはとても小さかった。スクリーンもなくその表情はほとんどわからない。それでも、その声は圧倒的な存在感を突きつけてくる。わたしはここにいるのよと世界に向って叫んでいる。突き抜ける高音、響く低音、踊り跳ねるリズム。恥ずかしながら52歳になったおばさんは今回もまた「踊らにゃソンソン」とばかりに会場の一体感に混じってそれなりに盛り上がってきた。今も耳の奥に残っているバラード。月のうたといっただろうか。その歌い上げがものすごい。ものすごいとしかいえない声量、情感。歌声が精神を揺さぶる。知らないうちに涙がでた。このライブはアセンション(ascension)と銘打たれている。 出会ったもの経験したことを取り入れてより成長していきたいと本人がMCで語った。入場のとき渡された袋のなかにホワイトバンドが入っていた。ミーシャは「ほっとけない世界の貧しさ」のキャンペーンの応援もしている。「生きるということをかんがえています」と語りはじめたミーシャは「いじめはなくさなくちゃならないもの」と言葉を詰まらせ「赤ちゃんっておなかのなかで笑う練習をしてるんですって」と笑顔になる。ああ、このひとは加速度をつけて進化しているのだと肌で感じる。歌のうまさもそうだが、おんなのひととしてのしなやかさのようなものいつくしみいとおしみつつみこむあたたかさやわらかさとそれをささえるつよさそんなものがこのひとのなかでない交ぜになってその歌声をより深くして強いメッセージとなってひとのこころに届く。そんな気がする。それにしてもアンコールのあとの会場の一体感の演出の楽しかったこと。幅広い年齢層の観客たちも拍手やうでふり(?)やウェーブに参加して十分盛り上がりを堪能したようだった。 会場を出ると新横浜の町にはことのほか冷たい風の吹いていた。それでも観客たちはそれぞれに満たされた思いでいたに違いない。*****ミーシャの個人的なことについてはほとんど知らなかったがこんなこともあるらしい。MISIA(ミーシャ、本名非公開、1978年7月7日 - )は、西南学院大学商学部中退。血液型はO型。幼少時代は長崎県の対馬で過ごし、教会でゴスペルに触れ、黒人のヴォイストレーナーに師事。19歳でデビューと同時に、日本人離れした圧倒的な歌唱力とヴォイスパフォーマンス(特に超高音のホイッスルヴォイスが得意)が話題となり、瞬く間に大ヒットを飛ばす。2004年 女性ソロ・アーティストとしての初の5大ドームツアー完全制覇達成。
2007.02.03
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ああ、ゴミ袋が切れてしまった、と思い 9時過ぎにスーパーまで夜のお散歩を兼ねて おつかいに行った。 そこは夜中1時まで営業しているから大丈夫なのだ。 坂を下って路地を出たところの魚加工のお店の前に キンキラしたデコトラが停まっていた。 気がつくと黒いTシャツでニッカボッカ風のパンツをはいたお兄さんが 店の前に置かれていたポリバケツを軽々と持ち上げ ゲートをあげたままのデコトラの荷台に中身を直に投げ入れた。 すばやい動きで中身はしかとは確認できなかったけれど いずれ魚加工の途中に発生した余剰のものであるにちがいない。 だとすればそれは生ものであって それを直に入れたデコトラの荷台は いったいどんなふうになっているのかすごく気になったが おにいさんの剃りこみの入った髪形や 首元に光る金のネックレスや夜中にかけるサングラスや 踊る捜査線の木島丈一郎みたいな風貌を見て 深く考えないことにした。 世の中にはきっと裏事情があるのであって だからこそのこんな時間の回収であって しかもそのデコトラのナンバーは春日部で 荷台には、ちらと同じようなポリのバケツも見えて ここだけじゃなくていろいろまわっていて それはきっとあやしい産業の末端で ひょっとしたらこれはなにかの肥料になって あやしい国へ売られるのではないか、なんて 妄想が湧いてきてしまって首をすくめた。 拘わらんほうがいいと思って歩きすすんで 三叉路の角を曲がって短い路地に入ると トラックが2台停まっていてなんだか作業中らしく おじさんがオレンジに光る警棒もどきで誘導していた。 よくみると「雨ます清掃中」という幕をつけていた。 おじさんたちは道路わきの鉄のふたをあけてその中に バキュームを突っ込んでくらがりをのぞきこんでいた。 と、そこへ消防車がサイレンと共に入ってきた。 あたりは点滅する消防車のライトの赤にそまり 緊張感がはしる。 この時間にも火事は起こる。 あるいはレスキューか必要になったりする。 いずれにしろこの空のしたで そういう事態になってるひとがいる。 ああ、たいへんだ。 そんなこんなで雨ます清掃車は 大慌てで路地のさきの大きな道へ出て やりすごすことにしたらしい。 かろうじてすれ違った消防車が通りぬける。 「雨ますチーム」がやれやれと思っていると つづいて春日部デコトラがやってくる。 こちらのライトもそうとう明るい。 デコトラは当然のごとく消防車のあとをついていく。 雨ますくんたちはなおはしっこに寄る。 こんな時間だからいいだろう?と思っている同士が こころのなかで、おいおい、まじかよと言いながらすれ違う そんな風景にみえた。 そこを抜け信号わたりスーパーの駐車場の前を通る。 そばの枯れ枝を見上げると何もないはずの枝に なにかしら丸いものが影になって見える。 ああ、みかんや林檎をぶら下げて 小鳥の訪問を待っているのだ。 駐車場の出口で警棒もどきを持って立っているおじさんたちが そうしたのだろう。 反対側の植え込みを見ると、観葉植物に花が咲いている。 えっ、なんで?とよくよく見ると造花だった。 それをだれがしたのかはわたしにはわからない。 それでもなんだかしらないけれど、わたしはせつない。 そこから道なりに曲がるとバス停がある。 60代後半に見える女性がベンチに座って おもむろにファンタグレープをのみ始めた。 なんでファンタグレープなんだろう、と思ってしまう。 通り過ぎたあとなんだか気になって振り返ると スカートが豹柄だった。 なんだかしらないけれどわたしはますますせつなくなった。 ゴミ袋と息子2の大好物のお茶漬けのりと グレープフルーツ2個を買った。 グレープフルーツは輪切りにして 先割れスプーンで掬うのではなく ひとふくろずつ皮を剥く。 これはさかむけのできた指にはけっこうつらいのだけれど こうすると輪切りのときと味が違うような気がする。 ちょっと悩むことがあって親友の家に相談に行ったとき 彼女がそんなふうにしてひとふくろずつ剥いてくれた。 そのときわたしはものすごくうれしくて とても大切に扱ってもらっているような思いになれた。 自分だけが特別だと思わせてくれたことに感謝した。 話をきいてもらうこともありがたいのだけれど このクレープフルーツでわたしは元気になれた。 そんなことを思いながら来た道を戻ると バスをまつ男性がみな寒そうにポケットに手を突っ込んで 縦震えをしていた。 そのなかに夕べ電車のなかで見た上着をきたひとが立っていて驚いた。 そんなことがあるのかと思うが なにしろ茶のツィードのキルトのジャケットに シマのマフラーをぐるぐる巻きにしている後ろ姿が 乗ってるあいだ中目の前にあり 同じ駅でおりて、ふっと顔をみるとロシア系顔立ちで コサックダンスがうまそうなかんじだったのだから 忘れようがない。 なんだか不思議な気分になる。 なんだか夜は面白いとおもって坂をのぼりはじめると 前をいくおばあさんがしきりとこちらを振り返る。 足音が気になるらしい。 停まってわたしをやり過ごす。 襲われるとでも思ったかな。 わたしにそんな趣味はない。 「おかあさんあけてー」 坂の途中の家の前で インターフォンに向っていうおんなのこがいた。 「おそいじゃない、鍵はどうしたの?」 「カバンのなかに見当たんない」 「ほんと、ばかねえー、よくさがしなさい」 「だって暗いんだもん。早く開けてよ」 「ほんと、いいかげんにしなさいよねー」 そんな夜もある。 公園に差し掛かる。柳が揺れる。 なじみのホームレスのひとはいない。 あのひとが台車を押してローソンのゴミ箱から カン・ビンを回収してるのをみたことがある。 いろんなコンビニ回っていっぱい集めて売りに行く。 それがあのひとの稼ぎ。 黒にいろとりどりの水玉のマフラーをしていたっけ。 なかなかおしゃれなんだけど それもなんだかせつなかったのを思い出す。 そうして自分のマンションの前に立つ。 長いおつかい、ご同行おつかれさま。
2007.02.01
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