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姑の介護に京都に帰ったおり、仏壇の前に座った。かつてこの家ではそれは儀式のようにそうするものだったのに姑がひとりになってからはうやむやになっている。日ごろ手入れされていない仏壇には、前回にあげたお供えがそのままになっていた。お水をあげ、お寺の友人からいただいたお菓子を備える。忘れられたひとびとに向かい合い線香に火をつけ、鉦を鳴らし、手を合わせる。 手を合わせはするが、わたしはもう何かを強く願わない。強いちからが一箇所に働いたら他の箇所に不具合が出るのだともう十分知っているから。願い事が全て叶った次の瞬間奈落に落とされるようなことが起こる・・・こともあるから。今はただ、遠い昔習ったようにわが身の非力を嘆きながら「南無阿弥陀仏」とばかり唱える。こころの波立ちが穏やかになっていく。シンと冷えた仏間に線香の香りが広がった。何の気なしに過去帳に目が行き、手が伸びた。手の中にすっぽりと納まるそれをぺらぺらとめくってみる。達筆とは言いがたい字で名も知らなかったご先祖さまの命日が書かれてある。初代、2代目、3代目。その妻。その子どもたち。明治から今にいたるこの家のひとびと。赤ん坊のときに死んだひとがいる。100歳まで生きたおばあさんもいる。60代で死んだひとが多いようだ。名前の後に家出不明、と書かれたひともいた。そういう時代だったのだな、納得する。姑の母親の命日は9月26日とあった。享年24歳。まだ幼いおんなの子を残して死んだ。姑の記憶はまだらなのだがこの年若くして死んだ母親のことを聞いたときはちがった。姑の言葉は豊かに返ってきた。姑は学校を卒業してすぐ、若くして死んだ実母の死因を探った。もしも遺伝する病であったなら、考えなければならないと思ったからだ。まだ成人もしていない少女がそんなことを考えていた。死因は腸チブスだった。食べ物を扱う仕事をしていたため、巷の風聞を気にして年寄りが病院へ行かせなかったから手遅れになってしまったのだという。そんな、と思うことでひとは死んでしまう。その頃まだ小学校にも行っていなかった姑自身にはどうして伝染しなかったのかしらねと聞くと姑は「わたしはよっぽど健康体なんやろなあ」と笑った。「24歳で死んだおかあさんの寿命をもらっているのかもしれないし」というこちらの言葉をフフンと聞き流し姑はもう一度「なんやわからんけど、よっぽど健康体やねえ、わたしは」とくりかえした。姑は今年の春、92歳になった。
2007.11.26
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情けない話だ。ちゃんとした言葉を選べずに唇を噛んだ。朗読の「声で描く会」で日ごろの練習の成果を聴いてもらうために発表会をしようという話が持ち上がった。ただ読んでいるだけではつまらないし目標があるほうが絶対に上達するから、といわれた。メンバー六人の会だ。今日はひとりがお休みで、ひとりが遅刻だったのだが四人いるうちの三人が発表会の話に乗り気だった。もうもうやる気マンマンの風であった。残るひとりがわたし。わたしひとりが反対だった。「未熟で恥ずかしいから」と理由を言った。人生の先輩でもあるかたがたはそんなことは慣れればなんてことはない、とお導きの言葉を重ねて言うのだった。だまっていると遅刻のひとが入ってきた。そのひとにそれまでの経緯が告げられ「いい案だと思うんだけど反対のひともひとりいるのよ」と続いた。その雰囲気はいささか居心地が悪く腹をくくった。「わざわざ大勢の見知らぬひとの前に立ってたくさんの視線が自分に集まるのがちょっと耐えられないかもしれなくて・・・」どうしても曖昧な言い方になってしまうがわたしはなくした左頬を押さえて、そう言った。片頬の人間が人前に立つときの抵抗感。浦安文学賞で「写真を送れ」と言われたときの胸の痛みが蘇ってきた。その言葉がどんなふうに伝わったのかはわからないがその場の空気がシンとなった。ずっしりと感じられる沈黙のあと「待とう」と言われた。みんなの総意で始めたいからわたしがその気になるまでGOサインは出さない、と。いや、そんな、わたしごときのためにそれは困ります、と思っていたのに言葉はごにょごにょして、誰の耳にも届かず、口腔内で消えてしまった。ほんとうにそうして欲しかったのか?と自問する。そんな申し訳ないことになるとは思っていなかった。わたし抜きで進めてもらえばよかったのに・・・「待とう」という言葉がわたしを息苦しくもさせる。真横にいたメンバーが「そんなの全然気にならないしいつもきれいって思ってるのよ」と言った。そんな慰めがかえってせつなくて俯いた。
2007.11.14
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同人誌と文袋を送るために毎日のように郵便局へ通っている。いっぺんには送れないから何度も通っている。家のそばの公園を突っ切っていくと欅の木から葉が舞い落ちる。落ちた葉は連れ立ってカラカラと鳴りながら楽しげに地面を撫でて転がっていく。まるでいいことがなかった10月がようやく過ぎておずおずと11月がやってきて長い時間、懸案だったことがふっと解消し我が家にも笑顔の日が来た。どれもまだまだ波乱含みで先行きはわからないし依然として嫌なことはたくさんあるのだけれどひとつふたつは好転した、のだと思う。四月からの長かった半年を振り返ってお腹の底からふーっと大きな息を吐いた。呼応するように黄葉した欅の枝が大きく揺れた。
2007.11.13
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本来ならば9月に発行していたはずの同人誌がここにきて、ようやく出来上がりました。今回はこういう色合いです。なんかイメージが違うのですが出ただけで御の字です。わたしは「ぶびんや」という小説を書いております。もはや目を通されたかたもおられるかもしれませんがなんだかのんびりとしたおはなしです。ながながと書いてしまったのでページ数が増え、高いお金を払う羽目になりました。なにやってんだか・・・ですがそういう事情で取り分が増え手元にある84冊をなんとかせねばなりません。4冊は家族分だから、80冊ですね。友人、知人、ダイスキな人々はもちろんいろいろあって不義理をしてしまっているひとなんだかいつのまにか気まずくなってしまったひといささかこころが行き違ってしまったひとそういうかたがたに相手の迷惑かえりみずこちらの都合で勝手に文袋に入れて送らせていただきます。また、ご希望があったかたにも送らせていただきます。その際、お届け先など、こちらからお知らせください。はー、これで、気がかりな不義理が解消するかもと思いつつしばらくは郵便局通いです、ほほほ。
2007.11.06
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たとえばずっとひとりでいて誰とも話してない長い時間があっていざ、このひととたっぷりと話そうぞ!と思った時の声の調子の悪さ会話のとりとめのなさのようなものが作文にもあるのだな、と思っている。ここ数年、その出来はともかく他の家事なんかとは比べ物にならないくらいの熱心さで誰かに何かを伝える文章をブログ等に間を空けずに書き続けてきた。それがここ一カ月あまりなんだか気が進まなくなっている。憑き物が落ちたように。モチベーションの低下は更年期と人間関係のせいだろうけれどそうこうしているうちに文章を書く筋肉がよわよわに衰えたのかもしれないと思ったりして、不安になる。それにしても小説のほうはなんとか書けているのに今日あったことことがうまく書けない。そんな瑣末なこと書かんでもいいなんてすぐ思ってしまう。過ぎ行く日はいずれ瑣末な日々なのかもしれないがただただ滑り落ち居ていくばかりで言葉にならない。どうもいかんねえ。
2007.11.02
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