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入院していた息子2が歩けるようになってふたりで病院の屋上に出て見上げた夕刻の空はこんなふうだった。ようやく薄日が射してきた。そんな日だった。何もない日はさらさらと流れていくけれど危機感を持って過ごす時間は濃密だ。白いフェンスに手を置いて彼は言った。「ここはどこ?って感じだよ」救急車で担ぎこまれて今自分がいるところがどこなのかさっぱりわからないんだ、と。それがとても気にかかるようだった。わたしは、君さえ元気になってくれたらここがどこでもよかったしそんなことは全くあたまのなかになかった。毎日君の病状を案じながら同じ道を来て同じ道を帰った。「あっちの森はなに?」あれはたぶん目黒不動尊の森だ。広い敷地にうっそうと茂っている。何年か前、ひとりで来たことがある。こんな形で再びまみえるなんて思いもよらないことだった。「あの道はどこへ繋がってるの?」悪いが、そんなこと知らない。わたしはこれからの君の人生がどこへ繋がっていくのかそればかりが気がかりだ。
2007.10.24
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人生の驚きの場面ってのちのち、ランクつけて思い出すものだと思うけど、夜中になにかの気配を感じて起きたら家の中に救急救命士が三人いた、っていう場面はその上位に来るものだと思われる。息子2が入院したときはそんなふうだった。まったくもって動転した。救急車には乗せられたものの時間帯のせいか、なかなか搬送先の病院が決まらず1時間以上、動き出せずにいた。それがまあ、いろいろあったけれども先日ようやく退院できて、ほっとしていたらまた、今晩、救急車が我が家にきた。今回やってきた救急救命士三人のうちふたりは以前来た人だった。わたしは記憶になかったのだが班長らしきひとから開口一番「このあいだもうかがいましたよね」と言われてしまった。応急の処置をして救急車に乗せようとするときふっくらしたわかいほうのひとに「息子さん、あれからどうでしたか?」と聞かれた。病名を告げ、ようやく退院できたと答えると「それはよかったですね」と笑顔になった。わたしが乗り込もうとすると今度は班長が「あの時は受け入れ先が見つからなくてねえ。でも、よくなってよかったです」と言った。くわしいことはここにはかけないのだが幸い今回は搬送先もすぐに見つかった。搬送先の病院には先客がいてそちらの年配の救命士さんがこちらの救命士さんと言葉を交わしていた。「忙しいかい?」「はい、忙しくなってきました」「こっちもだよ。でずっぱりでメシ食うひまもねえ」そんな会話でふわっと空気が和んだ。病院での処置も簡単でおおごとにならずにすんだのだが救命士さんはその途中で帰って行った。救命士さんが関わるのは現場と病院までで搬送が終わるともう関係がなくなってしまう。「おだいじに」という言葉を残して救急車は去って行く。その結果がどうなったかは、彼らにはわからない。動転している家族は彼らにきちんとお礼の言葉も告げられない。それが今回はこんなふうなやっぱり不幸な巡り会わせではあったがその後の報告とそのおりのお礼が言えた。それにしても救急救命士さんと顔見知りになるって・・・とため息が出たりもする。
2007.10.21
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入院していた息子2が退院してきた。よかったよかった。ほんとに、いやなこと、いろいろあったけど、ネットを長くお休みをして思い至ったのは大事なことはそうたくさんはないなってこと。大事なのは家族と好きなひとたちと縫うこと、書くこと、おもしろがること。それ以外にあまり神経を使うの、やめよう。うんうん、そうしよう。
2007.10.15
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