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文袋を買ってくれた友人からメールが入り結婚式も無事済んで、むこうのおばあさんたちはお菓子の入った文袋をそれは気に入ってくれた、とあった。(くわしいことはこちら)そのメールを読みながら、ああ、文袋はさしあげ袋になればいいんだ、と思った。文袋として誰かにさしあげるのではない。お店で買ってきちんと包装したものでなく手作りの品や思い出の品、おさがりのものとか自作の文章や冊子をいれてそのまま誰かにさしあげる袋にする、という意味だ。買ったものでも小さなものをいくつか組み合わせてさしあげるときに使える。着物地や帯地で作っているので風呂敷感覚で使えればいいなと思う。そこで9個目の文袋はエッセイを教わった師匠のところへ送らせてもらった。大長老というHNにぴったりだと思った。そのなかには、わたしの書いたいくつかの小説のCDを入れた。ごめいわくかな、と危惧しながら・・・。文袋について、いろいろ考えている。一銭も稼いでいない文さんのちょっと生産的な思案である。なかなかまとまりはしないのだけれどひとり企画会議中である。
2007.04.29
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近所の一軒家が建て替えるらしく更地になった。坂の途中のその家は門の前にミドリの郵便受けあった。ポスティングの仕事をしているときその家にもわたしはチラシを入れていた。門を入って左に小さなガレージがあり二階には屋根つき物干しがあった。庭から物干しまで伸びた木はいつも虫食いだった。そんな記憶が更地の前でよりどころを失う。解体屋さんが来た日も重機が土台のコンクリートを砕く日もわたしはこの家の前を通った。思い入れのない人間にとって壊すべき家はただの物だ。やがてやっかいなゴミになる。今日も夕方その家の前を通った。と、その更地の上に一匹のねこがいた。白地にトラ模様が飛んだねこだ。ねこはそろりそろりと凹凸のある土の上を歩く。神妙な顔つきで歩く。そしてかがむ。かがんだかと思うと鼻を土にくっつける。ひくひくひく、鼻が動いている。ねこは土の匂いをかいでいる。時々顔をあげて考え深げな表情になる。それからまた場所を変えてひくひくひくひく匂いをかぐ。更地の中心あたりにきて今度は土の中に鼻先を埋める。ぴたっとそこで動かなくなる。いや口元だけが動いている。ああ、なにか口に入れている。そこは土しかないのに。なにか小さなものがそこにあるのか。いや、そこにあるのは思い出なのかもしれないと思ったりする。かつてそこにあっていまはもうそこにはないということをねこはどんなふうに認識するのだろう。いやそれは見ればわかることだがどうやって思いに刻むのだろう。それを土の味が教えてくれるのだろうか。と、そこで大きな足音を立ててひとが走り抜けていった。ねこはびくんとしてそこから離れそばに止めてあった車の下にもぐった。しかし視線は更地を捉えている。きっとまたあの更地にたってねこはもてる五感を使って時を遡ってみたり今を刻んだりする・・・なんて勝手に決め込んで家路に着いた。
2007.04.23
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自分の書いた小説を読みたいと言ってもらう。何人かのひとに言ってもらう。それはものすごく気恥ずかしい原稿なのだけれどそう言ってもらったことがうれしくもあって、送ってしまう。といっても誰にでもそうするわけではない。申し訳ないがその線引きはくっきりとある。年々そんな線が増えているのではないかと思う。なんともわがままなことであるがそれもまた自分の一部なのだと思う。京都に住む人にその原稿を送った。この文袋に入れて。好みの柄だといってもらった。目の肥えたそのひとにそんなふうに言ってもらえてうれしかった。剥ぎ合せたのはどちらも大島紬で白大島のほうは頂き物だ。そんな高価なものを頂いておきながらわたしはそのかたには不義理ばかりをしている。申し訳ないことなのだがわがままがでてきてしまう。ほんとうにそのかたのみならずふと気づくとわたしは小さな半径の円のなかに引きこもり不義理ばかりを重ねている。メールの返事も出せてないし葉書も手紙も書かないし電話にも手を伸ばさない。いったん結んだひととのつながりを続けていくことその「つづき」のむずかしさを思う。春になるとそんなことが気にかかってくるもう25年近くの付き合いになる友人が言った。年を取ると自分もひともおなじようにわがままになっていくからねますます距離ができるんだけどわがままになってるからそんなこともお構いなしにつきあっちゃうから気づいているほうが疲れるのよね。そんな友人は次男さんの結婚式がちかい。むこうのおばあさんふたりにお菓子をあげたいからそれを入れるのに文袋を購入したいという申し出があった。12個あった文袋も次々に手元を離れてしまってリクエストに叶うようなものが2つは残っていない。とりあえずこの文袋を買ってもらった。(いいというのにお金を出すといって聞かないのは彼女のわがままなのだ)仕方がないのでいまひとつは以前彼女にあげたこれ↓を使うという。結婚式は神戸で行われるという。わが文袋は晴れがましくも遠く旅することになった。見知らぬおばあさんに可愛がってもらえるといいなと思う。そして友人は自分の分がなくなったからまた作ってと言っている。
2007.04.14
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朗読教室からの帰り道、前を歩く白髪の老婦人の手押し車のなかに淡いグレーの鉤針編みのニット帽をかぶった大きなキューピー人形が見えた。そのひとは歩き方が少し不自然だったけれどござっぱりとした身なりでズボンには真っ直ぐ折り目が入っていた。お人形が気になったのでわたしは早足で横に並んで囁いてみた。「キューピーさん、かわいいですね」老婦人はこちらを見てにっこりして言った。「ありがとう」眼鏡をかけたそのひとはなんとなく学校の先生のような雰囲気のするひとだった。「お帽子は手編みですか?」「ええ、この子のものは全部わたしが作ってるの」「どれくらいの大きさなんですか?」「55センチよ」「ずっとごいっしょなんですか?」「もう35年になるわ。わたしはひとりだけどこの子がいてくれるから寂しくないの」「まあ、そうなんですか。あの、おなまえはなんておっしゃるんですか?」「はなこよ。買い物も映画も旅行もどこへでもつれていくの。呆けてるとか馬鹿にして言われるけど、それでもいいの」「・・・・・・」「ただねえ、たったひとつ心残りはこの子と富士山に登れなかったこと。いつか行こうって思ってるうちにわたしの足が言うこときかなくなっちゃったの。この子をお山に連れて行ってやりたかったわ」「それはざんねんでしたねえ」「この子は横浜から来た子なのよ」「あ、わたしも横浜に住んでましたよ」やがて別れ道が来た。「お元気で」と言って違う道を行った。踏み切りの音を聞いているとため息が出た。なんだかわからないけれど涙が出そうになった。通過する電車を見ながらキューピー人形のはなこさんと暮らしてきた老婦人の年月を思った。1972年からの35年。その年わたしは17歳だった。青春と呼ばれる時代の真っ只中にいた。老婦人はいくつだったのだろう。そのときなにがあったのだろう。何か人生のたいせつなものをなくしてしまってうつろになったこころが、はなこさんを求めたのだろうか。勝手な想像が一人歩きする。どの想像も幸せな路線を進んでは行かない。35年間なにがあっても変わらぬ丸い目で見つめ返すはなこさんにあのひとはどんな思いを語りかけたのだろう。はなこさんにだけ告げた思い、見せた涙もあったにちがいない。いや、そんな特別な日だけではなく35年間、毎日、老婦人ははなこさんにおはようと声をかけ、おやすみと囁いてきたのだと気づく。犬や猫だったら35年も生きてはくれない。ああ、そうだ、はなこさんは死なない。だから安心して、日々をいっしょに生きられるのかもしれない。遮断機があがって線路を渡っているとき、手押し車の買い物した品々の隙間から見えたはなこさんのお洋服はやはり手編みの鮮やかなピンクのセーターだったことをふっと思い出した。
2007.04.11
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向島百花園でであった老女の手の中には ごつい望遠のついた一眼レフカメラがあった。 そのひとは園のなかを歩くときは 歩行補助車を押していく。 膝の関節が少し変形しているように見えるので 多少痛みがあるのかもしれない。 ところがいったん被写体を見つけたら 重いカメラを手に補助車から離れる。 花や木の位置によって 見上げもするし、中腰にもなるし 不安定な格好にもなる。 赤いツツジのそばで 何度もカメラのファインダーと実物を見比べ 構図を思案していた。 納得できるものが撮れたのか そのあとカメラをしまい始めた。 大事なカメラを専用の袋に丁寧にしまっていた。 「お花もいいですけど、 柳の新芽の色がいいですね」 と声をかけると そのひとは、にっこりして 「ほんとにやわらかない色で 食べてしまいたいくらい」 と答えてくれた。 「失礼なんですが、おいくつですか?」 「もう、80歳を越えてます」 「お元気ですね」 「カメラを持つとなんだか元気がでてきちゃうの。 まあ、他にたのしみもないしね」 「どのくらい、されてるんですか?」「まだ、2、3年よ」「現像が出来上がったらまたおたしみでしょう?」 「そうね、ながめちゃ、ああでもないこうでもないってね」 「いろんなかたにお見せになるんでしょう?」 「まあ、ねえ」 まんざらでもない顔になる。 「じゃ、これからもがんばってくださいね」 「はい」 たくさんの花や樹に出会った。 盛りを過ぎた花もこれから咲く花もあった。 ひとにも会った。 これから花の咲くひとだった。
2007.04.06
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52回目の春。52回目の桜。あと何回?向島百花園にて
2007.04.05
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4月1日京都で30年ぶりの同窓会があった。むかしのお嬢さんたちが三十数人集った。名簿順で前半と後半に分かれての講義が多く全体としてのまとまりの少ない学科だったので共通の思い出はたくさんはない。それでも多感な時代に同じ景色を眺め同じ空気を吸っていたこと同じ先生から共に学んでいたということが土台にある安心感とどこかに残る見慣れた面影が時間の扉と互いのこころを開く。結婚したひと・していないひと旧姓に戻ったひと・2度も戻ったひと同じ苗字のひとと結婚したひと4年間英語を学んだことを今も生かしているひと・そうでもないひと先生になったひと・僧侶になったひと取締役になったひと教育委員になったひと陶芸をやるひと・乗馬を始めたひと留学生のホームステイを引き受けているひとバスケットを始めたひとバトミントンをやり続けるひと登山を始めたひと親の介護問題を抱えるひと子供の問題を抱えるひと自分自身の心身の健康に問題を抱えるひとそんなそれぞれの自己紹介が乾杯もしないうちにおばさんらしくながながと続いたけれど女子大OGは辛抱強く礼儀正しく聞き入ったのだった。30年の時が流れて、もうたくさんの夢は見られないのかもしれないけれどそれでもなにかしら前を向いて歩いていきたいという願いのようなものがそれぞれに感じられる言葉だったから。***個人的に交流のある同窓生ひさしぶりにあった富山の友人にこの文袋不義理を重ねている東京の友人にこちらをそれぞれ同人誌「停車場」を入れて渡した。文袋が誰かの手のなかにあるのを見るとなんだかうれしくなっていまう。「まあかわいい」なんて言ってもらうと尻尾を振る子犬のようなこころもちになってしまう。
2007.04.02
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