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・6、24、日我々は、下記の記事をよく考えるべきであろう。この国は、いよいよ軍国主義の本性を表し始めた。原子力基本法の最後に「原子力は国の安全保障を含む(核武装)」と付け加えられ、宇宙航空研究開発機構法の理念に「核開発」が付け加えられた。そしてこれは国会で話し合われることなく、国民が知らないところで秘密裏に書き加えられたのだ。それを東京新聞が報じなければ誰も知らなかった事実なのだ。もちろんこれは民主主義の日本で犯罪に値する!これで事実上日本は核保有可能の扉を開いたことになる。これをまた消費税増税のごたごたに紛れてすばやく内々に処置された。原発と宇宙開発が核開発に直結していることを暴露し始めたことでもある。下記の記事で考えさせられることだが、民主党は日教組などが母体となった左翼団体であるとは知っていたのだが、何故それがすべて右翼的な行動に出るのかという点だ。自民党と手を組み、核武装、軍事強化の点で全く右倣えとするのはなぜなのだろう。村上春樹が本の中で言っていた通り「右翼と左翼は一人の人間の右手と左手である」というのを形にしたようなものだ。右と左はぐるっと回って一つの円であり、その中で我々国民は包囲されて動けなくなっている。だがこれはいつも言っているように、今に始ったことではない。戦後、いや戦前から着々と計画され、根気の良い働きで進められて来た取り組みが花開いて来たに過ぎないのだ。さて、日本は核武装が必要なのだろうか?武田氏は「核武装する確固とした理由を首脳部は持っていない、ただ他国がそうし始めているから我が国もという乗りである」と言っているが、本当にそんな軽いことなのだろうか?それともう一つ「日本が核を持たなければ、広島・長崎のこともあるので、他国は決して日本に核攻撃できない、だから日本は核武装する必要はない」と述べているが、本当にそんな楽観的なことが言えるのだろうか?僕の考えとしては、日本が懐にナイフを入れてしまえば、低俗な下級動物に成り下がることになり、100年前からの歴史をただ繰り返すばかばかしいデジァビュである。本来はすべての国が核武装を解くべきであり、その未来に向かって一歩ずつ進まねばならないはずである。自民党政権の際は何となく何かがその危険な動きを押さえ込んでいたが、何故民主党では箍が外れて行くのだろう。日本がばたばた動き出すのには、中国の高度成長が大きく関わっているに違いないが、本当に核武装しなければどうにもならないというしっかりした理由があるのならばそれを聞いてもみたい。兎に角原子力などというものを発見し、利用し始めたことがすべての発端であり、これは我々人間を作り出した誰かがそのようなエネルギーを群集に投げ入れて、うまく利用できるか、自滅して行くのかを観察して楽しんだり研究したりしているに違いない。彼らにしてみれば、そろそろ人間という動物にも飽きて、次の生き物をこの星に繁栄させてみたいのだ。ーーーーーー時事寸評:原爆を始める日本・・・民主党・自民党の隠蔽東京新聞が報じたことですが、民主党政権が「原子力基本法と宇宙利用」の二つについて密かに変更を行い、通常の政治的解釈の拡大では少なくとも原爆の研究は可能になったと考えられます.具体的には日本が原子力を行う目的として、「原子力利用の「安全確保」は「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として」行う」と修正されました。「安全確保」の中に「安全保障」が入ったのは「核抑止力」、つまり日本が核爆弾を持って自衛することを意味していますが、これは自民党の修正要求で入ったものです。また同時に宇宙航空研究開発機構法も改正され、宇宙開発に軍事目的が入りました。原子力基本法の改定は、2012年6月15日に環境委員長の名前で提案、可決されたが法案の改正の内容は可決後に公表されるという国民を侮辱したものでした。・・・・・・・・・戦後の原子力の事業、研究分野では「原爆を保有すべきか否か」は大きな問題として横たわっていました.実は私は原子力の研究で「平和利用特賞」というのをいただいたのですが、その当時、よく「武田さんの研究は平和利用に限られるから、日の目を見ることはないよ。日本政府は原爆を持ちたいのだから」と言われたものです.つまりまず一般の人にわかっていただきたいのは、広島・長崎で原爆の被弾を受けた日本は「核兵器反対」のように見えますが、日本の首脳部はそうではないということです。「高度な軍事的な話で、国民には理解が難しい.でも、軍事的には核兵器を持たなければならない」ということではなく、日本の指導部に「日本の防衛をどうすれば良いか」を判断する人がいないので、「他国が核兵器を持つから日本も必要」というぐらいの見識なのです.今回の改正でも、自民党の幹部が「(核兵器を持ちたくないというのは)見たくないものを見ない人たちの議論だ」としています.つまり正面から核兵器の必要性を論じるのではなく、「どうせわからない奴には話さない」というスタンスなのです.自分の意見がないので、このような表現を使っています.・・・・・・・・・本質は次のようなことです。 1985年頃、「戦後政治の総決算」と称して、内需の拡大、自主防衛に踏み切るべきだったのですが、自民党政権はそれに失敗しました。残念ながら1985年という日本の国力が最高だったときでも、現在の日本政府は「肝心なこと」を考えて決めることはできないのです.従って、日本の核武装の問題は「世界に引きずらて日本も核武装がいる」と言うことでもあります。論拠が明確ではなく、信念もないので、日本が核武装をすべきかということに対して真正面から議論をすることを避けて、たとえば私に耳打ちして「君の方法は核武装に役立たないから政府はお金を出さないよ」とか、今度のように「審議をしないで国会を通す」というようなことになるのです.・・・・・・・・・さて、日本の核武装は必要でしょうか? それは日本の自主防衛(再軍備)とどのような関係にあるのでしょうか? いくつかの典型的な方針が考えられます.1)(私の意見)現在の世界では核武装していない国に対して一方的な核攻撃はできないから、日本の場合、核の抑止力は存在しないから、核武装は不要である.2)(偉い人の意見)核抑止力は自衛からいって必要だから、自衛隊でも再軍備でも核爆弾を保有すべき。3)(普通の人)核武装などとんでもない。考えることもできない。・・・・・・・・・2012年6月の時点で、民主党政権が核武装につながる原子力基本法の改定を行ったのはさらにもう一つの意味があります。今の民主党政権の中枢部には、日教組の指導者、左翼の人たちが多くいて、鳩山、小沢議員が中枢部にいないことから、むしろ左翼政権とも言えます.日本の左翼、とくに日教組などは日本の核武装に強く反対してきたのですから、原発再開も含めて現政権の首脳部がどのような考えなのか公表しなければならないでしょう。当たり前のことですが、国会での論戦の目的は国民にそれぞれの議員や政党の考えがわかること、それによってさまざまなことを判断することができることです。今度の原子力基本法の改定は、議論がなかったので、政府がなぜこの時期に原子力基本法の改定を行ったのか、これまでの意見とどこが変わったのか、それもわからないでいます。内容的に日本が核武装の道を開くものであり、手続き的に民主主義を愚弄するものなのに、NHKや主要新聞が報じないのですから、いよいよ私たちも断固たる態度を採るべき時期が来たと思います。このところ、比較的、報道らしい報道(政府の発表そのままではなく)をしている東京新聞は急激に販売部数を増やしています.これだけ報道があふれているのに国民が知りたいことを知ることができないでいるのだから、東京新聞の人気が高くなるのは当然でしょう.政府発表をだけを報じたり、やらせ番組までするNHKの受信料不払い運動、東電の事故までは「放射線は危険だ」というキャンペーンを打ち続け、事故が起こると「放射線は安全だ」に変わる朝日新聞を買わない事が「私たちが次にできること」でしょう。子供達の日本のためにも.(平成24年6月22日)「gennbakutdyno.157-(8:11).mp3」をダウンロード武田邦彦
2012.06.24
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・6、21、木 明治時代の小説を読んでいると、驚くべきことに汽車の中で弁当や果物を食べ終わる と、当然のように皆窓からそのゴミを投げ捨てる。 また幕府崩壊後明治の初めに日本はヨーロッパの工業技術を取り入れるために、海外から多くの技術者を呼んだという。 船を造る技術も怖ろしい速さで学習し、指導役のヨーロッパ人も舌を巻いたとやら。 ただ「日本人は所構わず立ち小便をする、造っている船の甲板にでも皆並んで立ち小便をするには驚いた」と記述を残している。 先日インドを旅行した友人が言っていたには、インド人の男は歩いている道路の真ん中でも立小便。 線路の脇でも平気で大便をして、それが電車の窓から丸見えとか。 中国人の男にしても、自分のマンションの廊下で平気で立ち小便をするという。 何故なら、自分の部屋のトイレが汚れるのがいやだからとか。 このように辺り構わず用を足したり、ゴミを町のあちらこちらにばら撒いて平気であるというのは、発展途上国の象徴である。 物質主義の進歩に対してゴミに慣れず、意識が追い付いていない状態なのだろう。 「皆で町を綺麗にして、住んでいて気持ちの良いところにしよう」「自分本意ではなく、他人との共存を重んじ、ルールを守ろう」という意識は、日本でもつい最近になって生まれた感情である。 するとこんどはその国民の意識を利用して、利権を貪ろうとする輩が出て来る。 森林伐採を止める、CO2を減らす、ゴミを出さない、リサイクルで環境に優しく、絶滅動物を救う、これらすべて日本国民が喜ぶ取り組みである。 しかしそれが下りて来る予算狙いの嘘であるとすればどうだろう。 国民が喜ぶことは反対も少なく推進し易く、予算をもらって当然な大事な取り組みということになる。 これから模索されるであろう原発に替わるエネルギーに関しても、様々な予算を狙う官僚と企業と??が群がって、国民の喜ぶ嘘を出して来ることだろう。 我々も調子よくそれに乗せられて、泥棒に礼儀を尽くすようなことにならないようにしなくてはならない。 ーーーーーー だまされるエネルギー2 地熱発電はどうだろうか? この頃、日本の「指導的立場の雑誌」というのは「ゴロ」の一種ではないかと思うこ とがある。先日、ある雑誌で「地熱発電は有望だ。アイスランドでは電力の4分の1が 地熱発電.日本でできないのは温泉業者が反対するからだ」というような趣旨の記事 があった。 これほどばからしい記事に感心する人がいたらその方が問題とは覆うけれど、書く方 も書く方だろう.アイスランドの人口は30万人。日本の人口で考えれば、地熱発電は0 .06%である。現在、日本の地熱発電量は約50万キロワット、電気設備総量の1.8億キ ロワットの約0.3%で、すでに日本の地熱発電はアイルランドの5倍である. 記事ではこのような定量的な数字は一切無く、ただアイスランドの大使の「日本でも 地熱発電が有望だ」というコメントを出している。読者を馬鹿にするのも・・・とい う感じだ. 官僚の世論誘導というのはこう言うのを言うのだろう.NHKもわかっていて地熱発電が 有望だとか、アイスランドがやっているなどという番組を組むに相違ない.視聴者は 近くに電卓がない、電力の常識が無い、どうせ視聴者はバカだという前提で番組作り をするからだ。 ・・・・・・・・・ 大規模な地熱発電がなぜダメなのかというと、きわめて簡単で「熱した岩石から熱を 取って電気を起こす」のだが、熱を取った岩石はすぐひえる。「温泉が枯れる」のと 同じである.岩石はそれほど熱容量(熱を抱いている量)は多くないから、熱を奪う と冷える. ところが、地下に差し込んだパイプはおいそれと熱いマグマに差し込めない.第一、 材料が持たないし、第二にマグマの中に突っ込むだけの巨大な機械を地下深くに持っ て行くことができない。 だから、熱い岩石層を通ってきた熱水などを利用するのだが、温泉ならともかく、発 電所のような巨大なものを動かすことは出来ないので、火力、原子力が100万キロワ ット規模なのに、地熱はその20分の1も行かない. 温泉業者が反対したり、国立公園の開発の問題があるのはむしろ当然である.石炭、 天然ガスがまだまだ1000年もあるというこの時期に、わざわざトリックをかけて日本 の自然を壊そうと言うのだから、日本の将来より別のことを考えているのだろう。 エネルギー産業は東電のように巨大だから、自分が有望だと思ったら国のお金を当て にしないで、自分で有望な電力源を開発するのが良い。またすでに私たちは電気代の 0.15%を「電力の将来の研究のために」拠出している.これも報道されないが. (平成24年6月16日) 「jinetutdyno.141-(5:37).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.06.21
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・6、20、水最近、お殿様を中心にした封建制度の方が、秩序という面ではうまく社会が回るのではと思うことがある。ただ誰か一人罪を犯せば、その家族までが処罰されたり、お殿様の子供が防ぎようのない病気で死んでも、世話する係りの者が腹を切らねばならなかったり、「王あるところに貧民あり」で、城中や町に厳しい階級が出来たりすることは問題ではあるが、お殿様を中心に忠義を持って、自らのお役目に誇りと責任のもと仕事を遂行し、お殿様に嘘をついたり、愚弄したりするとただちに死罪になる厳しい規則の基だからこそ、人々に節度と倫理が生まれる。この場合、忠義は一つの宗教なのだ。森鴎外の、また別の江戸時代の資料を基にして書いた小説で、我が家の経済状態が苦しいため、思わずワイロに手を出してしまった役人が、3日間曝されて処刑される話が出て来る。つい良くない金を手にしてしまっただけで死罪なのだ。何故ならそれはお殿様を侮辱したことになるからだ。これから言うと、民主主義の今国民がいわゆるお殿様である訳だから、日本国内に猛毒を撒き散らした東電、それを庇ってスピーディーのデータ、アメリカ軍が提供した放射性物質の飛散状況のデータなどを隠蔽し国民をたっぷり被曝させた政府、汚染米を綺麗な米と混ぜて出荷している農協、その他様々な嘘つきはすべて警察の捜査によって摘発され、3日間町の真ん中で曝されて、磔獄門であるはずだ。しかし実際は、役人と警察とマスコミと大企業と??が裏で手を繋いでいるから、無力な国民は皺寄せを食らい、尻拭いをさせられ、その上官僚が遊ぶための小遣いと原爆を作るための金を財布から抜き取られている。江戸時代で言えば、この国の民全体が政府、大企業、官僚、マスコミ、警察の下に抑圧された奴婢なのだ。この無法状態は、おそらく正して行くことは不可能に近いことだろう。でもとにかく民主党から政権を奪い返さなければならない。と言っても自民党や他の党でも、磔獄門に値する嘘つき政治家という意味では同じことになるだけだろうが。法律が通用しない今の日本で、お殿様を愚弄した場合に、それを罰する独立した機関がないのだ。ーーーーー原発短信・・・汚染米はどこに行った?長野県の大手コメ卸業者が26トンのお米を長野県産(21トンが福島産)として販売、兵庫でも県がJAS法違反でJA兵庫に改善を命令しています。お米の汚染は日本人の主食であり、神棚に飾るものであることから、産地を偽装したお米の販売は日本人の魂を汚し、体を痛めるという意味で放置することは出来ません。・・・・・・・・・日本で生産されるお米は年々、少なくなっているものの約900万トン。そのうち4%程度を福島県が生産しているから、35万トンが福島県産で、茨城など周辺の汚染地域の田んぼを含めると約40万トン程度が汚染されたお米と思われる。これらのお米のうち、いったい何万トンが1キロ40ベクレルを超え、そのお米はどこに行ったのだろうか? お米は日本人にとっても大切なもので、たとえ何ベクレルでもその情報は必要なものである。仮に1キロ10ベクレル、40ベクレル、100ベクレル、500ベクレルと基準の違いはあっても、それを参考に自分や自分の子どもに食べさせるかどうかは、食べる方が決めることだ。無農薬野菜があっても、かえって危ないと思う人と、絶対、無農薬が良いと言う人がいる。人、それぞれであり、自分が食べるものを自分で選ぶ権利は当然、食べる側にある。一方、出荷する方は「消費者が安心して食べて欲しい」と願うはずだし、「安心して」というのが人によって違うことは良くご存じのはずだ。そしてお米を汚したのは、消費者でも、子どもでも、心配するお母さんでも、私でも、反原発派でもない。東電であり、責任は政府にある。お米を出荷する農家は、攻撃の矛先を消費者に向けるのではなく(汚染されたお米を消費者に食べさせるのではなく)、責任のある政府に引き取ってもらったら良いと思う。もし政府がそれが安全と考えるなら、「1キロ何ベクレル」という表示をつけて希望者に販売するのが適当だろう。・・・・・・・・・ところで、「日本の子ども、土地、コメ」を大切にしたいということから言えば、政府は公約違反を堂々とやる集団だからどうにもならないが、私が信頼していた日本の農家、愛国的立場を取ってきた人たちの態度が理解できない。日本の農家は誠実な人たちだ。だから放射性物質で汚染されたコメはたとえ国の基準を下回っていても出荷したくない、国民が餓死しそうだから無理矢理、出荷してくれというなら別だが、自分の職の魂をかけて出荷したくないと思うはずだ。まして誇りある福島のお米を他県の名前を冠してこそこそと売るのが福島の農家の希望とはとても思えない。でも福島から「そんなものを売ってもらっては困る」という声が上がらないのはどういうわけだろうか?日本を愛する人たち、愛国的立場の人たちが「法規を破っても良い」と言って子ども達を被曝させているのも不思議だ。私が今まで愛国的立場の人を信頼していたのは、彼らが日本の子ども、土地、コメを守ってくれると思っていたからだ。でも、原発事故以来、すっかり政府側について日本を見捨てている。酷い場合は日本の法律を馬鹿にして、「欧米ではこう言っている」と白人に媚びているのは本当にビックリした。日本は石炭と天然ガスで悠々とやっていけるのだから、なにをびくびくしているのだろうか?・・・・・・・・・いずれにしても日本の家庭はそれぞれで子どもを守らなければならない。そのためには、宮城(偽装あり)、山形(偽装あり)、長野(偽装あり)、兵庫(偽装あり)のお米は買わないことだろう。(平成24年6月10日)「tdyno.123-(7:36).mp3」をダウンロード武田邦彦
2012.06.20
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・6、19、火 大飯原発が再稼動してしまう大きな原因は、一番反対すべき福井の人たちが再稼動に賛成だからだろう。政府としては福井の人たちは必ず再稼動に賛成すると見込んでいるから、大飯原発を手始めにしたのだ。皆それほど原発事故以前のリッチな生活を取り戻したいのだ。札束が目の前に積まれても、プライドを守り立ち上がる福井県民はいないのか?しかしこれは福井だけの問題ではない。大飯原発が事故を起こせば、滋賀、京都、大阪などの関西地区はすべて避難区域だ。それでも特に男たちは「経済が上昇するためには仕方ない」と思っている。武田氏が言うように、福島の原発事故以前は、国民は事故が起こるとどういうことになるか分かっていなかった分真剣に反対しなくても仕方ないが、大飯原発の場合は再稼動がどのような恐ろしさを意味するか理解できるだけに罪である。実際には原発反対を唱える人は意外にも少ないのだ。だからどうしても大きな力にならない。ここで落胆すべきは橋下市長の「再稼動容認」の一言だ。密かな期待を寄せていたのが橋下市長と側近の古川さんだった。しかし結局「政府に押さえ込まれた」という説明を残して、あっさりと容認を口にした。本当に再稼動反対を唱えるならば、政府に負けようが、福井県民に罵倒されようが、ごり押しで再稼動した後まで反対を唱えるのが筋だ。「結局政治家などは、初めから自分の利益になることを推進するために駆け引きとして原発再稼動反対に声を上げる手立てなのか」と勘繰ってしまう。本気で増税反対を唱えてなどいない小沢議員と同じだ。下記の記事は少し前のものになるが、武田氏が定義する、電気を巡ってA・B・Cの階級に分けられた国民であるが、このCの人々とは何だろう。お金も貰わずに再稼動に賛成しているということだろうか。ひょっとすれば大阪府民もそのCクラスに当たるのではないか。事故が起こらなくとも、運転されれば秘密裏に漏れている放射能は今までも、そしてこれからも我々の肉体に影響を及ぼすはずだ。そこにある使用済み核燃料や燃料棒の問題はあるにしろ、運転が停止しているということがとても大事だったのだ。大飯原発再稼動を皮切りに、これから各地で再稼動を推進し始めるに違いない。もう一度大事故が起こらない限り止りはしないだろう。結局福島の事故は何の教訓も残さないまま、再び黒い手に落ちて行くことになる。国民が何を思おうと、何を拒否しようとも、大きな流れに抗うことは不可能であることが何とも口惜しい。ーーーーーーー緊急考察・・・大飯原発はなぜ再開されるのか?(1)大飯原発は再開される可能性があります。福島原発ほどの事故があり、その原因もまだハッキリしていないのに、また地元の町も県も原発の電気が必要なわけでもないのに、再開するのはとうてい理屈では考えられませんが、かつ「日本社会では当然のこと」が起こっているのです。もともと日本人は原発が危険だと思っています.だから、東京や大阪で電気を使うのに、福島、新潟、そして福井県が東京や大阪に作るべき原発を僻地に作っているのです.つまり、日本中の人が「原発は危険だ。だから僻地に作る」ということを知っているし、納得もしています.しかし、そんな国は日本だけでアメリカもヨーロッパも基本的には、「電気の消費地に近いところで内陸で淡水で冷却できるところ、可能な限り地震がなく、もちろん津波もないところ」に立地しています.[Bandicam_20120614_233340906。]大飯原発は「危険でも再開される」と言うことですが、それは「これまでも原発が危険だからへき地に作ってきた。今更、原発が危険だから再開できないという理屈はない」と言うことなのです.・・・・・・・・・日本国民は、3階級に別れています.Aクラス日本人は、東京、大阪、名古屋などをはじめとした大都市に住んでいる人たちで、その特徴は「原発の電気は使い、原発の立地も廃棄物もイヤだ。お金だけ出す.そのお金は生産地からピンハネしたものだ」ということです。Bクラスの日本人は原発の立地のところの日本人で、「原発の立地を引きうけ、危険を被るが、お金をもらう。生産地だが大都市にピンハネされているので子どもを危険にさらしてもお金は欲しい。電気はご主人様のものだからもらわない」ということです。そして、Cクラスの日本人、この人達については言うと悪いので、ここでは控えますが、私は本来平等であるはずの日本人が3つの階級に分かれているのを許すことは出来ません.でも、私が息巻いても仕方が無いことで、原発の電気も使わないのに、大都市のご主人様に電気を送るために自らBクラスの日本人になるという人たちがおられるのですから、それは本人の決断です.私ならプライドが許さないということですが、それは人によって違います.でも今回の福島事故でわかるように、原発の事故は他県に被害をもたらします.それも覚悟の上で引きうけていると思いますので、原発が爆発したら、立地のところは「被害者」ではなく「加害者」になる事になります。今まで、つまり福島原発事故が起こる前は「事故が起こるかどうか、事故が起こったらどういうことになるか、は専門家しかわからない」ということでしたから福島は加害者ではないような気がします。つまり政府が「安全神話を言ったのでそれにだまされた」と言うことが言えますが、すでに福島原発事故が起こっているのですから、今度は事故が起こったら福井県の人は加害者になります.日常生活ならお隣さんに甚大な被害が及ぶようなものを家に置くのは誠実な日本人はやらなかったのですが・・・(平成24年6月14日)「tdyno.136-(4:39).mp3」をダウンロード武田邦彦
2012.06.19
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・6、17、日先日友人と話していて「私は毎年きっちりと検査に行く、何かおかしいと思ったら半年に一回でも行くことがある」と述べた。「病院ではどんな検査をする?」と尋ねると「レントゲン・CT・血液検査・尿検査・~」ということだった。友人によると「周りで友達が癌でばたばた死んで行くのを見ていると、検査に行かずにはいられない。この間同窓会で元気に話していた友人が、数ヵ月後に急に癌が見付かり亡くなるという例がものすごく多いので、とにかく常々から検査しておかなくてはならない。ぼーっとほっておくから手遅れになるんだ」と説明した。「あまり検査ばかりするから癌になるのかもしれない」と言ってみたが、もちろん友人は聞く耳はもたない。友人は僕より随分年上なので、そういう周囲の急病も身近に捕らえ始めているのかもしれない。先日ある医療雑誌で知ったことだが、一回のCT検査で何と7ミリシーベルト被曝するという。法律で定められた一年間の内部外部被曝の予防原則の7年分に当たる。もし病を防止するための病院に行くことで、かかるはずのない病気になっているとすればどうだろう。そう言われてみれば、怪我などで病院に通っていて、急に発癌した例を幾つか覚えている。何しろ証拠がないから誰にも証明できない話ではあるが、40歳も過ぎると、男女共にやたら検査を受ける傾向が出て来る。それが必要のない被曝に繋がっていることは考えられないだろうか。だがその反面、たまたま市の勧める検査をして、初期癌が見付かり助かったという例も多くある。女性の乳癌、子宮癌検診も、話を聞いているとどうかと思う。原発事故後年明けぐらいに、多量のセシウムが検出され、瓦礫焼却が原因か、それとも医療放射線か?という騒ぎがあった。そのような多量なセシウムが、空気中に医療放射線として流れ出ることがあるのだとびっくりした。我々の命を守り、そして蝕む放射線は、今の我々の手には負えない不気味な存在である。ーーーーー原発短信・・・医療被曝の問題下の図に示したように「被曝は足し算」ですし、その中で「医療被曝」はかなりの部分を占めます.原発事故が起こらなければ医療被曝はお医者さんにお任せしておけば良いのですが、どうしても原発の被曝が1年1ミリを超えるようなところは、できるだけ医療被曝を減らすようにしなければならないでしょう.[Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_111901567。]このブログに前に出した「被曝の4階建て」の図はそれぞれの被曝の幅が少し厳密ではなかったので、今回は自然被曝1.5ミリ、医療被曝2.2ミリ、核実験被曝0.3ミリ、そして原発被曝1.0ミリの寸法を数値に合わせています.・・・・・・・・・先日、ランセットという世界で最も権威のある医学雑誌で「CTスキャンを3回から7回程度受けると脳腫瘍や白血病が3倍程度に増える」という論文が出ました.脳腫瘍の方が少ない被曝量(CTスキャン回数)で発症するようです.この指摘は、2004年にでた同じランセットの論文(日本の医療被曝でガンの発生が多い)に次ぐ医療被曝の警告です.今回の報告は子どもの調査によるもので、大人も含めると少し感度が下がるかも知れません。また自然被曝や医療被曝などを単純にミリシーベルトだけで比較することは出来ませんが、おおざっぱに言って日常的な被曝でもっとも多いのは医療被曝です.「医療」は「良いこと」なので「医療被曝」も「良いこと」ということはありません.被曝の原因が良いことでも悪いことでも、被曝による人体への影響は同じです.その点では、「医療被曝は適正なのか?」は常に医師側でも関心を持つ必要があります.一方、被曝側は、「原発での被曝が多いときには医療被曝を減らす」という方法があることもわかります.できるだけお子さんの健康に気を配り、医療被曝を受けないように生活することは自衛の一つになります.・・・・・・・・・ところで、医療被曝が減らない原因は二つあります.一つは、検査や治療で患者さんや一般人を被曝させる医師は、その後の診断をしていない例が多いということです。よく「被曝は健康に問題は無い」と言っておられる医師で、被曝させた人の健康を追跡している医師はほとんどいません.医療に放射線を使いたいから安全と言うという不誠実な人も見られます.つまり被曝による障害は確率的に起こるので、自分の患者さん100人は大丈夫だったというだけではダメなのです.むしろ「検査や治療のために必要だから被曝させるが、その後は追跡調査をしていない。患者もどこかに行ってしまうから」というのが普通なのです.その点では電子化の時代ですから、個人別カルテをすべての病院で共有するなどのことで、医療の質を画期的にあげるなどが考えられます。もう一つは「放射線を使うと儲かる」という現実的な問題です.放射線治療は検査も簡単で、点数も高く、患者も検査をすると安心するので儲かるし、便利です.しかも機械の値段が高いので業者との癒着も問題です.医師がお金と無関係に人の健康だけを考えてくれると良いのですが、すべてはお金の世の中ですから、被曝と健康の関係がよくわかっていない現在では「被曝させても病気になることは少ないが、確実に儲かる」ということになると、その誘惑に勝てない医師も出てくるのです.とくに日本の医療被曝が欧米の3倍程度というランセット論文について日本の医師はもっと謙虚にその影響について検討する必要があるでしょう。何かにつけてアメリカが、ヨーロッパがという日本の医療界が、被曝になると欧米より格段に高くても「問題ない」という姿勢に疑いを持つのは私だけではないと思います.この際、日本の医師はもう一度、被曝と医療について深く考え、研究する必要があると思います。また政府は国民を被曝から守ってくれません。このような時は医師という社会的に大切な職業から見ると、福島原発事故で被曝量が増えているので、患者さんがそれ以上の被曝をしないように配慮していただきたいと思います.「tdyno.132-(6:44).mp3」をダウンロード(平成24年6月13日)武田邦彦
2012.06.17
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・6、16、土合唱団で二つの団が合同で演奏会を企画すると、必ず何処でも起こって来る症状がある。異なった団どうしで強い競争心を意識しだすということだ。これは大体において女性同士の言葉にしない空気テレパシーのようなものでヒートアップして行くようだ。その点男性は団が違おうが、初めて一緒に歌おうが、全く気にせず仲良くやって行けるようだが。さてこの女性特有の厳しい意識の戦いは、いわゆる「団が違うから」というところから来るようである。所属する団が違う、所属するグループが違う、住んでいる町が違うというような枠の違いが大きく関わって来るようだ。おそらく合唱団でも「~混声合唱団大阪支部」「~混声合唱団東京支部」と団名が同じなら、おそらく同じ演奏会を企画してもいがみ合うことは少ないのではないかと思うことがある。これと同じ原理が民族戦争の発端ではないだろうか。住む場所が違う、言葉が違う、見た目(目の色、肌の色、顔付きが違う)。それで無理からにでもグループを作っていがみ合う。でももし今宇宙から別の星の者が攻めて来たらどうだろう。「我々地球人は一丸となってこの星を守るのだ!」と言って、そこにもっと大きな規模のグループが出来て、互いの仲間意識が確立するに違いない。我々地球人は手と足があり、頭に毛がはえていて、二本足で前向きに歩くが、宇宙から攻めて来た者たちは全く違う形をしていれば、なおさら地球人の結束は強くなり、もはや肌の色、目の色、言葉や習慣の違いなど何の弊害にもならないだろう。要するに、我々は何かの対象を見つけていがみ合うことが自然な行動なのだということになる。本来世界平和は自然に逆らう意見なのだ。多くの人々が寄り合って、長い年月いざかいもなしに協力し合って生きて行くことは不可能ということだろうか。もしあるとすれば、独裁者がいて、リーダーとしての才覚と慈愛に満ちた広く強い心を持つ者が治める町にだけ可能性があるとも言える。動物や鳥、虫の生き方を見ていると分ることなのだ。「共に生きる町はあるんですか?」という曲があるが、空しい問い掛けが悲しく響く。
2012.06.16
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・6、14、木 男性と女性が全く同じ土俵に立てば、能力は全く同じなのだと思う。 互いに感じ方や物事の処理の仕方に違いはあるにしろ、能力に差はないであろうと考える。 つい最近まで仕事の分担などと言って男女は違う土俵で活動し、男性は女性に学問と選挙権と仕事を与えないようにして、じぶんたちの分野に踏み入れないようにしていたからこそ、女性からすれば自分たちにない能力を男性が有していると思い込んでいただけなのだ。 今同じ土俵に立ってみれば、何のことはない、男性が女性より優っているのは腕力だけであり、すべての能力においてはむしろ女性の方が優っているかもしれない。 だから戦争と畑仕事がない今の日本では、男はすでに無用であると言われるし、50歳以上の生殖能力まで失せた男は生きる意味がないとまで武田氏に言われるのだ。 それは何故なのか? 元々男たちというのは、とてもつまらないところにプライドや優越感や自信を持つ者だからだ。 精神的な男らしさというようなものは、今の社会に必要とはされない。 いや、必要なはずだが、脚光を浴びない。 だから収入の量や顔の良し悪しや乗っている車の車種などに、プライドや自信や生きがいを持つしかなくなるのだろうか。 しかしこの不況で、それどころか昼食にコンビニでカップヌードルをかき込むしかない現実が横たわっている。 そのようにして、男たちは財布の心配と家のローンと、削られ続ける月給と退職金のことばかり考えて、大きなスタンスでものを見る心を無くして行くのではないだろうか。 この国の社会が男たちを骨抜きにして行く。 我々男は、今何をどうすればいいのか。 男独自の素敵な生き方を新たに手にするには何が必要で、何を捨てねばならないか。 不況と上げられ続ける税金と削られ続ける給料の中で、バブルのころの感覚を縮小し、金の計算以外に自分の誠心誠意を傾けられる何かを手にできるよう心がける。 そして社会の中の自分ではなく、自分のための自分を探す。 まあ言うのは簡単だが、僕に言わせるとそういうことだ。 もちろんこれは僕自身の目標であり、周りの男たちを見て感じることだし、生き延びるためのプチ哲学である。 ーーーーーー 男と女の深い関係(2)・・・草食性男子誕生の深層 男と女の深い関係が密かに大きく変化していたのが1950年から1990年までの40年間で した。この時期、男は一所懸命になって「男は要らなくなるように」と言うことに全 力を注いでいました。 この活動が終わりかけていた1990年頃、私は「廃人工学」という言葉を使い、「私た ち男性は、全力を注いで私たち自身が廃人になろうとしてきた。それは正しいのか? 」と書いてきました。それは今の私の発言としての「男は生きている意味を失った」 と言うことでもあります. ・・・・・・・・・ 1945年に大東亜戦争、つまり日本が戦うのは終わったのですが、朝鮮では朝鮮動乱が 残っていましたから、硝煙のにおいがし、さらには見ない太平洋での核実験、インド ネシア、ベトナムなどの独立戦争などがありました。 でも、戦争は次第に消滅し、東西ドイツの統一、ソ連の崩壊でほぼ最終的に「戦争の ない社会」になりました。 それと並行して、家電製品、NC旋盤、アクチュエーター、電子制御、コンピュータ、 高速度通信、センサーなどを発展させ、労働自体を追放していきました.つまり「仕 事の追放」です。これによって男性の仕事は大幅に消失、女性は家事労働から解放さ れたのです. 1000年ほど続いた「男は戦争と生産、女は子どもと家事」という役割分担のうち、戦 争と生産がどんどん縮小してきたので、男が存在する意義がなくなってきたのです. もちろん戦争も小競り合いは残りますし、仕事も「仕事を作って仕事をする」という のはありますから、まだ新しい時代の全体像はハッキリしていません. この時代に、男と女にどのような変化が現れたかというと、男性の「草食化」と女性 の「男性の仕事への進出」でした。何しろ戦争がないのですから敵に向かって突撃す る勇気は要りません.また大規模工業などが衰退してサービス業主体になったのです から、肉食系より草食系が大切なことは言うまでもありません。 「短期的視野、腕力不要、機械無し、対人関係重視、保守志向、優しい、穏やか」が 求められるのですから、草食系男子と女性が望まれるようになったのです。このよう な社会的な変化の中でやることを失った男性は「亭主元気で留守が良い」とか「粗大 ゴミ」という人格を傷つける言葉で呼ばれるようになります。 ・・・・・・・・・ 現代の世界、アメリカの苦悩、ヨーロッパの通貨危機、日本の停滞などは「男がやる ことを失った」事に大きく関係していると私は考えています。男性が「長期的視野、 腕力、機械に強い、改善志向」が求められなくなって、目先の利益を追求する社会に 変わっていったのです. 1000年間の戦争と仕事の時代に形づけられた男性の性格は乱暴なところはありますが 、良いところもありました。たとえば、「我が身を捨てても家族や祖国を救いたい」 と願って敵に向かって突撃したり、「少しぐらい損をしてもプライドを守る」などで す。 なにせ、家族はともかく、「国のため」というような抽象的なことで我が身を捨てる のですから、「長期的視野、プライド」がなければできるものではありません.逆に 女性は赤ちゃんのわずかな変化に気を配り、生育を見ていたのですから「今日、明日 のこと」と「ともかく子どもを守る」ということで精一杯だったのですから、国のた めに命を捧げていては赤ちゃんも死んでしまいます. その意味で、「女性の社会進出」というのは男性の仕事(医療制度、家電製品など) によって「育児、家事」が簡単にできるようになって「滅び行く男性の仕事」に参入 してきたことを意味していました. それに対して男性は自らの役割を失い、「廃人」となってうろうろしています.その うちの何人かは草食に変化して女性化し、何人かはかつての男性の「長期的視野」に よって「不要なこと」を創造して社会を混乱させています. アメリカの金融騒動、日本やドイツの環境幻想などがそれに当たります.つまり悪い 言葉で言えば「マッチ・ポンプ」で、本来は普通の生産活動を支えるお金を、お金だ けで仕事になるようにし、本来、環境は良いのに「悪い」という幻想を抱かせて仕事 を創造するということです。 このように廃人工学の発達によって、男性も女性も変革期の苦しみの中にいます。そ れは新しい時代への助走・・・産みの苦しみであり、それが故に日本でもこれほどの 矛盾、虚偽、詐欺が追う横行しているのです. 私は自らの役割を自ら崩壊させた男性が、これも自ら「社会の発展のために何をなす べきか」とハッキリさせることがまずは第一にすべきことであると考えています. (平成24年6月12日) 「tdyno.127-(10:15).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.06.15
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・6、12、火これは以前僕も落胆に暮れて述べたことである。今の熟年層の言動、考え方、性質には目を見張るものがある。僕の調査によると、それは個人差はあるにしろ、特に今の60代、70代に多く見られる。それは昔言われた「三無(無気力、無関心、無責任)」の世代なのかもしれない。僕の周りのその世代独特の傾向として、周りを気にせず大騒ぎする・派手な目立つ行動は喜んでやるが、こつこつやることにはこらえ性がない・勢いはあるが支離滅裂・やばくなったらすぐ逃げられるように体半分で物事に関わり、うまく行きそうだと見込んでから我先に美味しいところを取りに掛る・自分の立場を守るためには簡単に嘘を付く・何よりも利益(自分の財布の中の心配)を重んじる。まあこのように並び立ててみると、何もその世代に限ったことでもないが、我々のリーダーであるべき世代への失望から出る苦言である。以前ある合唱団に、その辺りの世代の男性が数人入団して来たことがある。彼らはとにかく僕が前で説明していようが、他のパートが音取りをしていようが、全く意に介さず大声でしゃべり合って笑い合っていた。僕が何度注意しても彼らは一向に黙る兆しがなかったので、僕も堪忍袋の緒を切らし「しゃべりたいなら駅前の居酒屋に行け!ここは合唱団だ、出て行け!」と怒鳴り散らしたことがある。その時も彼らは僕の顔を見てへらへら笑っていた。僕からすると父親と言ってもいいぐらいの熟年層だ。「最近の若いもんは」のセリフは完全に死語となった。さて、何故彼らの世代が国のリーダーとしての人徳を蓄えることができず、身勝手なちゃらんぽらん主義となってしまったのか。どうしても思い当たるのが高度成長との関わりだ。猫も杓子も会社に勤め、企業戦士と呼ばれて日本の高度成長を推進して来た。その結果日本は経済大国となった訳だが、企業というものはいわゆる会社に利益を齎した者が優遇される訳で、今わざとらしく言われる友情・絆・思いやりなどというものが、本当の姿で存在する世界なのだろうかと訝る。当時はものすごい数の男たちが、まるで卵子に向かって競争する精子のごとくポストを巡って争わねばならなかっただろう。社会は利益と成長と学歴と出世一色であり、サラリーマンでなくては男でないという風潮まであったのではないだろうか。そんな彼らの環境が、彼らよりも前の世代、また後の世代とも違う欠落を導いたとも想像できる。こんな決め付けはまた問題でもあるが、企業内の中間管理職だった人に特にその傾向があるように見受けられる。ただ、国のリーダーでさえ無責任・逃げる・平気で嘘をつく・辛いことは人に押し付ける」が蔓延していることに怖ろしい危惧を感じる。最後に断っておくと、もちろんその世代でも尊敬に値する人も僕は多く知っている。ただその悲しい傾向があるということだ。ーーーーーー社会短評・・・感心しない熟年旅行団体(私も含めてですが)旅をする機会が多いので、修学旅行の生徒、若い人の団体、それに熟年の旅行団体に遭遇することがあります。公衆道徳という点から採点するなら、最悪:熟年、まあまあ:若い人、比較的純情:修学旅行、という感じです。最近はあまり言われなくなりましたが、よく「近頃の若い者は」と言いますが、私には(私を含めて)熟年がもっとも悪いように見えます。なんと言ってもその「傍若無人ぶり」が目につきます。お年を召しているから仕方が無いところもありますが、まず第一に服装が汚らしいという点があります。一人ひとりは一応、ちゃんとしていても集団となると酷いことになっています。これはデザイナーの問題でもあるでしょう。自分の服装は自分勝手ではありますが、それでも集団が動いていると、「異様な感じ」とか「汚い」というイメージですと、街の雰囲気に影響を与えます。黒、薄い茶などをメインにした服装は集団ではどうも問題です。第二に「うるさい」ということです。熟年の集団と一緒になるとまずあきらめなければならないのは「静かな空間」です。男はお酒を飲んで大声、女はしゃべり通しという状態が普通です。特に、ヒコーキや列車で熟年団体と一緒になると、降りるまで喧噪の中にいなければなりません.グループの中の道徳は守っているようですが、グループの外は全く見えないという感じです.「俺たちは老人なのだから、何をやっても良いのだ」という態度がグループ全体にみなぎっています.かつて農協団体が海外で顰蹙を買ったことがありましたが、まさにその現代版が熟年旅行団体のように感じられます.上品で綺麗な団体に見えるように、なにか私たち熟年で相談し、研究し、尊敬される熟年になりたいものです。このブログで今の熟年層がどのような日本を子ども達に残そうとしているのかを描写しようとしています。そこに示されるものは熟年団体の身勝手さ、醜さと共通しているように感じられます。確かに戦後、日本の復興にあたってよく働いてきたのは確かですが、だからといって年金も、核廃棄物も、沈滞した日本も、就職先のない産業界も、同時に子ども達に引き継ぐのは合意できません。最近まで私は高度成長を支え、控えめだった日本の熟年に敬意を表してきましたが、どうも問題があるのではないか、このブログの連載のように子ども達にあまり良い社会を引き継ごうとしていない様子に疑いを持ってきました。やはり我々、熟年層はさまざまな意味で子ども達のことを考え、自らは遠慮する存在でなければならないと思うからです。(平成24年6月7日)「tdyno.114-(4:59).mp3」をダウンロード武田邦彦
2012.06.13
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・6、11、月 武田氏の「日本だけ」シリーズは続く。 今回もまた植民地の話であるが、他国を攻めて植民地にしたという事実を正確に知らねばならないというテーマから来る。 もちろんそれは悪い行為である。 しかしヨーロッパやアメリカ、中国がやって来たことと、日本がやったことを比べてその規模の違いを知らねばならないという。 「それとまず、日本が植民地にしたフィリピン・インドシナ・インドネシア・朝鮮半島などは、その時其々他国の植民地であったということ。 フィリピンはアメリカ、インドシナはフランス・インドネシアはオランダ・朝鮮は中国の領地であって、其々アメリカ、フランス、オランダ、中国から日本は領土を奪ったということになる。 その後日本は敗戦し、それらの植民地は解放され独立の道を辿った。 よってそれは日本が独立へ貢献したとも言える」という理論である。 これはまた乱暴な意見だ。 確かにアメリカ、フランス、中国から領土を奪い取って、その後日本が敗戦したから偶然それらの国は独立し、日本が奪わなかったら今でもそれらの属国だったかもしれない。 だがそれを日本の貢献と言うのは自分勝手だ。 もし日本が敗戦していなかったら、それらの国の人たちに対してどんなことをしていたか、想像するだけで怖ろしい。 「例えば長い歴史の中で、朝鮮は何度も何度も中国に攻められ、植民地と独立を繰り返して来ている。 日本からは豊臣秀吉がちょっとちょっかいを出したのと、明治に攻めたぐらいで、中国がやって来たことに比べればかわいいものだ」とも述べている。 武田氏の発言は必要以上に日本を美化し、日本国民の正当化をはかり、優秀な民族である日本人を誇張する、賛成し難い話である。 だがその反面、我々は頭から自分たちをこれまた必要以上に卑下し、卑下するが故に世界から遅れ、堂々と強く発言することが出来ず、背中に何かしらの十字架と責任とを背負いながら他国と接している奥に潜む感情も否めないのでは。 「また、ローマ帝国やイギリス帝国、ナポレオンやアメリカを批判する日本人は皆無でありながら、他国と共にナチスドイツだけは批判する」と指摘する。 もしこれが他国からの策略としての、外交としての、日本人とドイツ人を何処かで抑え付けるための策だとすればどうだろう。 海外では、反省と責任を感じる真面目なところが強い日本人とドイツ人の性質を知っているのかもしれない。 ーーーーーーーーー 日本だけ(9) ローマ帝国と日本帝国 世界史を見ると、ある民族は突然、大膨張して帝国を作る。それまでジッと我慢をし てきたエネルギーが爆発するのである。日本は1941年、ハワイ奇襲、プリンスオブウ ェールズ撃沈を機に、大帝国になった。この歴史的事実は後の植民地解放に大きな役 割を果たしたのだが、日本ではほとんど知られていない。奇妙なことである。 [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_2xxx-xxx-xxxxx。] 「japan9tdyno.99-(7:23).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.06.11
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・6、3、日この「日本だけ」というシリーズは、日本人の本来の能力を今一度検証してみようという取り組みだが、その知られざる能力の検証が戦争でのことばかりに傾いている。ちょっとどうかなと思う発言も続くが、とりあえず内容としては興味深いものなので僕も知らなかった歴史を学びたいと思う。音声で語っているには、太平洋戦争の初戦で、フィリピンのマレー沖で大英帝国東洋艦隊のプリンスオブウェールズとレパルスという世界最強の船を、イギリスからすればカトンボぐらいにしか思われていなかった日本空軍が沈めたということである。これはもちろん様々なことを駆使して成し得た結果で、先のロシア艦隊に勝った例も合わせて、ヨーロッパ、アメリカにとっても油断ならない強国と思われ始めた。今でもそうだが、白人は何処かで黄色人種を蔑んで見ている。当時でも能力も知恵もない、しかもゴミのような小さな国である日本が、まさかロシアやイギリスの軍隊を負かすことなど、白人だけならず他の東洋人でさえ驚天動地の出来事であったそうな。まあ確かに冷静に見てみると、徳川幕府が崩壊して、たった数年ほどで世界から工業技術を学び入れ、恐るべき速さで他の国と同等に戦えるほどの技術を発展させるなど、全くその能力には感服するしかない。そのころの日本人の優秀さがあったからこそ、確かに他の国に攻められ、侵略されて植民地にならずにいられたのだろう。そういった世界征服を大国が目論見始めた時期でもあり、それを日本でも察知して急速な軍備を用意したのだ。しかしもちろんそれは殺し合いの中での成果だ。日本人が優れた能力を備えた可能性は認めるが、その部分の賞賛が過ぎると、少しずつ殺し合いが正当化されて一人歩きし始める。その果には、力で他人を抑え込むことしかできない恐怖国家に落ち込んで行く。「戦争は良くないというのも相手が善人である場合で、イギリス帝国のような悪逆非道が相手ならやり任せて当然だ」と武田氏は発言している。僕もイギリス帝国が様々な国でどのような悪逆非道を繰り返して来たかは調べてみたことがあるから知っているが、兎に角この頃の武田氏はイギリス帝国の歴史に我慢ならないようである。そしてこれからの日本人は、軍備でもなく、企業の世界進出でもなく、地に足の着いた道徳と考え方と生き方を誇れる国を目指すべきだろう。経済はその後から付いて来るとは考えられないだろうか。信頼の置ける製品、嘘のない取引、仕事上の戦友を重んじる心、ヴィジネスを超えた誠意。ふと思い当たると、これはすべて武士道?ーーーーー日本だけ(8) プリンスオブウェールズ日本だけの第8回は第二次世界大戦の緒戦の様子です。日本の歴史上、世界の歴史上、実に大切な海戦で私たちがその詳細を知らなければならないものの一つです。科学と同じに歴史もできるだけ思想を排して事実を見つめる勇気が必要です。当時、マレー沖でなにが起こり、それが世界にどのような影響を与えたのかを話しました。[Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_2xxx-xxx-xxxxx。]「japan8tdyno.98-(8:18).mp3」をダウンロード(平成24年6月2日)武田邦彦
2012.06.03
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・6、2、土今森 鴎外の「阿部一族」という短編小説を読んでいる。舞台は江戸時代の徳川家光のころで、熊本の細川家に勤める武士たちの生活や考え方を、当時の資料を基に小説化したものである。それを読んで驚いたことは、武士たちは何か自分の意に沿わないことや、恥をかかされたりするとすぐ自害するということである。彼らは死ぬことを本当に何とも思っていないように描いてある。ただ死ぬ理由と、死に方には大変にこだわる。細川家に召抱えられていた一人の武士が、君主が病死したにも関わらず殉死せずに幕府の役人として毎日詰め所に出勤していると、周りの同僚が陰口を叩いたり、口をきかなかったりして、今で言うイジメに合わせる。どの時代でも、人の集まるところには同様の陰湿な空気が生じるということだ。それで彼は侮辱を受けたとして瓢箪で腹を切って自害する。この他様々な武士が「どうしてそんなことで腹を切るのか?」というような理解不可能な理由で簡単に自害してしまう。まるで「命などいくらでもあるのだから」という感じだ。大体君主が死んだからと言って、10代の若者を含む家来たちが次から次へと殉死して行く事自体が、何とばかばかしいことをと思ってしまう。でもふと考えると、それが彼らにとっての「そのままの人生」なのかもしれない。現代では腹を切る訳には行かないが、嘘を付くことを一切やめて、誤りを素直に認め自分の意見や論旨を阿ることなく発言し、他人の意見に耳を傾ける勇気が持てれば、他者の腹を探る面倒や、結論を導くのに大変な回り道をする必要もない。だがしかし、実際そのままに生きれば他人に疎まれ、イジメに合い、人の輪からは弾かれてしまう恐れにびくびくして生活している。この傾向が、日本を含むアジアの社会では特に強いようだ。間違いとは気付かず、自分の意見が正しいと思い込んで発言し続けていることはあるかもしれないが、嘘がない、間違いを認めるそのままで生きる勇気が持ちたいと強く思う。そしてこの歳になって、ようやく少しそのような境地にも近づけてこれたように思える。「皆とうまくやりたい」「美味しい仕事を貰いたい」「周りのすべての人々に良い人と思われたい」というようなことをすっかり諦めればよいだけなのだ。誰に嫌われようとも、自分の考えをはっきりと口にできる者に、これからも近付いて行きたい。そしてアルプスの上のオンジを目指すのだ。
2012.06.02
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