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・4、30、月 今まで周りの人たちと福島原発事故による被曝の話になっても「広島、長崎の原爆の後も、皆さん元気に生きておられるじゃないですか?と反論され、それを否定できず、内心「確かに被曝が癌を引き起こすという確固としたデータはあるのだろうか?」と疑ってもいた。 何しろ現代では何処に居ても癌になる確率は高い訳で、どれが被曝のせいでの発症かが分らないのだ。 しかし下記に紹介されたような論文が権威のあるものなら、これから大手を振って被曝を危惧できる。 先日町中で、ある合唱団の団員の方(60代半ば女性)と偶然会い、電車の中で話していると「30代の終わりのころから甲状腺に問題が出て来て、ずっと病院に掛かっている、今も定期健診の帰りです」ということで、手首を見せてもらうとコブのように一部分が膨らんでいた。 「一体何が原因なのでしょうね」と話していたが、内心1950年前後のアメリカ・中国の数千回に及ぶ原爆実験、またはチェルノブイリなどの影響ではあるまいかと思っていた。 それを言うと皆そんなばかなと笑うが、10代、20代の若い女性の被曝による人体への影響は決して否定できないものだと、下記の記述を読んでも改めて思う。 その団員さんは、その甲状腺の問題が一度癌に進行し、薬で何とか食い止めたと思ったら、今度はリュウマチに変わって体のあらゆる所に出て来たという。 甲状腺とリュウマチの間にどのような関係があるかは分らないが、その本の原因については、誰も調査、研究しようとはしないだろう。 しかし被曝が現代の癌増大の原因であると、僕の中では確信している。 ーーーーーーー 被曝と健康に関する最新論文がでました 読者の方から教えいていただいたので、最新の被曝と健康の論文をご紹介します。 [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_112342453_2。] この研究は広島長崎で被曝した人8万6千人あまりの方を対象として行われていて、被 曝量は高い線量から1ミリシーベルト以下の微量な被曝をした人も対象になっていま す。 そしてこの論文の中心的な結論は、 1)広島長崎の被曝でガンがかなり多いこと、 2)低い線量の被曝でも発がんが見られること(低線量被曝は危険)、 3)被曝量とガンの発生はほぼ比例すること(私はあまり用語が適当ではないと考え て使いませんが、いわゆる「直線仮説」が成り立っているということです)、 4)いわゆる閾値(これ以下は大丈夫という被曝量)という限度はなく、強いて言え ば0ミリシーベルトであること、 などです。 「被曝したら被曝量に比例してガンが増える」という論文はこれだけではありません が、「1年100ミリシーベルト以下の被曝で、ガンが増えるなどという知見はない」と 言い続けた専門家が間違いであったことも同時にこの論文で確認し、ハッキリすると 思います。 もっともこの論文以外にも、低線量で健康障害を起こしたという論文は昔から多く、 「被曝は大丈夫」というのは、「知見がない」のではなく、「論文は多くあるが、私 の考えは違う」ということなのです。つまり簡単に言えばウソだったのです。 ・・・・・・・・・ ところで、日本は科学技術立国といいながら、実際には科学的に奇妙なことが次々と 社会で「常識化=空気的事実」となる原因は、1)理科系文科系が分かれていること 、2)論文の多くが英語で書かれ、日本人の目に触れないこと、3)利害関係者が英 語の文章を故意に誤訳すること、などです。この場合は2)に当たります。 科学が国によらず人類の宝であることから、英語で書かれるのは仕方がないことです が、同時に日本語でも流布されないといけないと思います。でも日本は後進性がある ので、「英語で書かれた論文でないと採用の時の参考にしない」というような大学が まだ多いのです。 英語で海外の論文に投稿し、それを日本語と日本的に直して国内学会誌にだすと「2 重投稿」ということで厳しくおしかりを受けます。でも、日本の科学の成果を日本人 が十分に役立てることはとても大切です。それを実質的にできないようにしている今 の学会、大学などの考え方にたいして私は納得できないでいます。 2011年の大震災と原発事故以来、御用学者という言葉が定着しましたが、この新なる 原因はすでに20世紀の初めにマックス・ウェーバーが指摘しているように「職業とし ての学問」(生活やお金のために学問を道具として使うこと)が定着してきたからで もあります。その典型が「東大教授」です。 日本の学会で利権が固定し、1)研究費を国が握る、2)勲章を国が決める、3)研 究費の配分を東大教授が決める(京大、東北大などの御用学者も参加する)、4)役 所は大学の予算配分を東大に厚くして、その見返りに御用学者になってもらう、とい うことが行われています。 [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_214627034_2。] このグラフは日本(上)、アメリカ(下)の大学ごとの予算ですが、日本は東大がダン トツで、数ヶの大学に予算が集中的に行っていることがわかります。それに対してア メリカは広く「ばらまき状態」です。 日本では「ばらまき」は悪く、「集中」は良いと言われますが、そんなことはありま せん。「集中」はどうしても腐敗を招きます。腐敗した学問と、少しの無駄はあるけ れど腐敗しない学問では、腐敗しないことが大切です。 (平成24年4月26日) 「articletdyno.68-(7:19).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.04.30
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・4、29、日 No2 昨日土曜日は「時にはentertainmentな夕暮れで」の演奏会本番であった。 朝から阿波座スタジオに寄り、販売用CDの箱やギター、衣装などを携えて南港サンセットホールに向かう。 楽屋に到着すると、スタッフがお正月みたいな立派なお弁当をこしらえて来てくれていて、伴奏ピアニストの大橋さんも交えてリッチな昼食。 その後リハーサルを行い、休憩を経て開場。 開場の前にすでに扉の前には長い行列ができていて「まるでジャニーズのコンサートみたいだ」と笑う。 動員数を遥か超えてチケットが出てしまっていたため、椅子はぎちぎちに並べられ、舞台の際まで一杯。 そんな中、我々二人は温かい拍手に迎えられる。 とりあえずプログラムに演奏曲目は記載されているが、その演奏順は気まぐれというやり方。 実は我々二人の内ではすでに念入りに曲順は吟味されていて、僕はわざと「大橋さん、次はどの曲の気分ですか?」なんて尋ねてみたりした。 二人のトークのコーナーもあり、出きるだけ我々の人柄に触れることのできる話題を工夫。 イタリアカンツォーネ、日本歌曲やソング、ドイツ歌曲などをばらばらに演奏し、CDのPRも怠りなく一部を終了。 困ったことに、トイレに行くのにお客様がコーヒーなどを飲まれているロビーを通って向かわねばならず、皆さんに声を掛けられて恥ずかしい思いがする。 二部には新しい試みとして、僕のギター弾き語りで武満 徹の曲を演奏。 ギターというものは音が小さく、どうしても開場の後ろまで響かない。 マイクを設置すると、声までひらって曲にそぐわない。 結果聴こえなくてもそのまま生で演奏することに。 これは、僕本人としてはとても楽しかった。 ピアニストの大橋さんはとても気の付く方で、トークコーナーでの椅子の用意や、ギターの用意などで見えない僕をがっちりサポート下さるその自然な優しさが、舞台の上でとても快い空気を作っていたようだ。 二部も様々なジャンルの曲をランダムに演奏して、最後に「千の風になって」。 アンコールも二曲演奏して、大拍手の中終了。 演奏する僕たちの後ろの一面の窓から見える海の景色は、夕暮れから夜景へと移り変わっていた。 その後ロビーでは、CDお買い求めの方に拙いサイン。 トークでも説明した「芸/entertainment」としてのコンサートは、僕を意外に同企画への意慾にかり立てた。 お越し下さったお客様に、心からの感謝である。
2012.04.29
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・4、29、日 関西電力はとにかくすべての原発を再稼動した一心で、大飯原発再稼動をその糸口と したいようだ。 NHKでは「まあ再稼動も仕方ないんじゃないですか」と応える庶民へのインタビュ ーばかりを放映している。 橋本大阪市長は反対意思を示しながらも「福井市民が再稼動賛成を示すならば、これ 以上は反対できない」と述べた。 もちろんこれらの動きの後ろには政府の意思がある。 あれだけの汚物を日本国内ならず世界にばら撒いておいて、反省もなく、間違いの検 証もせず、たった一年でまた人類破滅の道を歩もうとするその愚かさを、世界はどう 見るだろう。 日本政府として、どうしてそこまで核保有が重要となるのか? 原発再稼動の理由として夏の電力不足を訴える訳だが、最も電力消費の原因が、産業 ではなくオフィスにあるというのは驚いた。 小売業が以外に高く、家庭の電気はほとんど関係なし。 すべて含めて、1985年以前の生活に戻れば電力不足は有り得ないという。 この三十年ほどで、そんなに電力消費量は上がったのだ。 夏の気温が上がったことが大きな原因だろう。 武田氏の計算では「10年前の生活に戻れればOK」という。 熱い夏を、どうやってクーラー使用を最小限に止めるか。 それも家庭ではなくオフィスでだ。 おそらく今まで通りやっていても火力発電を増やせば問題はないのだろうが、まず国 民がそれをやろうとせねば、政府と電力会社の思惑に対抗できないだろう。 でも実際「原発再稼動はやむを得ない」と思っている国民が多いということだ。 このやむを得ない」の理由をじっくり聞いてみたいものである。 ーーーーー 集団自殺を回避する方法(1)・・・誰が節電すると効果的か? 仙谷議員によると、日本が原発を止めるのは「集団自殺のようなもの」らしい。集団 自殺というとかなりの人が死ぬことを意味しているが、集団自殺を回避する方法はあ るのだろうか? 原発を止めると関西電力管内では夏場に10%程度の電力不足が予想されている。関西 電力はこれまで原子力が40%と言っていたので、この数字の意味を少し吟味する必要 があるが、ここでは「2012年の夏に関西の方で10%の電力が不足し、集団自殺に相当 するような被害が出る」と仮定して、どのような対策を取れば良いかについて前向き の検討した。 [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_131440706。] まず、このグラフを見ると、夏場の電気消費量が上がり始めたのは1985年ぐらいだが 、そのときの電力消費量は現在の半分ぐらいだから、1985年の生活に戻ればまったく 問題が無い。それがまず電力消費を考えるときの基本だ。 10%不足という今から10年ほど前の状態だから、自分の歳が今から10年若かったとき 、どんな生活をしていたかを思い出せば、その辛さもおおよそ理解できる。私の場合 はすでに東京から現在、すんでいる名古屋に移っていた。たしかに今と比較するとク ーラーのないところもあったし、37℃、38℃という日が続いていたが、「集団自殺し よう」と思うぐらい辛いことは無かった。 でも、仙谷議員は「個人のことを言っているのじゃない。物作りの工場が困るんだっ !」と恫喝するだろう。それではデータを見てみたい。 [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_131634431。] このグラフは夏場の電気をどのような産業が使っているかを示したものだが、なんと 言ってもオフィスがダントツで、次が小売業というところだ。つまり、巨大なビルを 作り、そこに本社があって社長がいることもあり、ガンガン冷やしているというのが 現状である。 それでも政府やマスコミは「家庭で節電」と呼びかけるだろう。なにかやるときには 「弱いものを標的に」というのがここ20年の日本の政治家、NHKのやり方だった。日 本人は誠実で日本を愛しているので、協力を惜しまない。でも、それは隠された意図 がある。 この場合でも家庭の節電はほとんど意味が無いことがわかるし、ものづくりの産業も あまり問題ではない。巨大なオフィスが問題なのだ。だから、オフィスのスペースを 今からまとめておいて、夏場はフロアーを1階か2階を閉じれば、それだけでも大丈夫 と考えられる。 もともと、日本の電力のひずみは「アメリカに比べ電気消費量が2分の1、電気代が2 倍」という電力会社の放漫経営と国民犠牲にある。まずは電力消費をアメリカ並み( 2倍)にして電気代を2分の1にするように政府は電力に要請するのが筋である。 ただ、電力に要請すると政治資金は来なくなるし、自分の子供を電力会社に就職させ ることもできなくなり、天下りしようとしている役人からもにらまれる。だから、政 府もNHKも電力に言わずに国民に節電を呼びかけてきたのだ。 節約、もったいない、節電・・・個人の人生や家庭生活には大切なことだが、それを 良いことに「国民は言うことを聞く」という作戦に乗るのは次世代の子供たちにツケ を回すことになる。 そういえば家電リサイクルを始めようと言うときに、ある通産省の幹部が「日本人は 素直だし、官が強く、業界がまとまっているから、家電リサイクルは世界で日本しか できない」と言ったことが思い出される。 今でも、家電リサイクルで回収し、国民からリサイクル代金をとってリサイクルしな いで、資源もほとんど回収していない。それでもうけている割合が50%を超える。そ れでも国民は「良いことをしている」と思ってお金を出す。 こんなことを続けていたら日本は本当に二等国になり、子供たちは苦しむだろう。ダ ーウィンが言ったように「事実を見るには勇気がいる」という言葉を今こそ、大人は 思い出す時期だ。 (平成24年4月19日) 武田邦彦
2012.04.29
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・4、27、金 このところ、まもなく氷河期がやって来ると騒がれ出した。 「ネアンデルタール人が絶滅した前のイリノイ氷期から現代の温暖期が来たのですが」とあるが、これがそろそろ氷河期に進み、1000年後には日本も一年中厚さ5メート ルの氷に閉ざされるという。 こうなると、特別な地底生物以外は生存できないらしい。 でも、今から数十年単位ではどうなのだろう? 実際の我々の生活に、どのような影響があるかはここでは述べられていない。 「1000年後を考えて、CO2を今からせっせと増やさねば」などと暢気なことを言っている限りは、差し当たっての対策は不要なのだろうか? ただ音声の中では「最近の記録では、戦国時代の前と、江戸時代の終わりごろに小氷河期が来た。 これを見ると、寒くなるとバタバタと人が死に、食べるものがなくなって、戦争が起こるという兆候があるようだ」と述べている。 世界中が何となくきな臭くなって来ているのも、その辺を見越してのことか? 「でも、最近の研究では、2007年頃から太陽が17世紀に起こったマンウンダー極小期と同じような不活発な状態になったようでもあり」ということは、結構早く人が住め ないようなことになるのかもしれない。 だからこそ、以前から武田氏が冗談か本気か分らないような「ドーム型都市」なる未 来の暮らし方を想像しているのかもしれない。 寒くなり過ぎてしまえば、ドーム型都市は人間の生き延びる手立てだ。 争う準備よりも、新しい都市作りに予算を掛けるべきだろう。 しかしこのところ、目まぐるしく地球に、宇宙に変化が生じている。 考えれば当然なのかもしれないが、平穏な時期が長く続いたせいで何だか終末を考えて しまうような、自然の巨大さと、我々のミクロの存在が身に染みる。 ーーーーーー 二酸化炭素(CO2)だして温暖化するのはとても大切 最近、ようやく地球の気温は長期的には「上がっている」のではなく、「下がってい る」という科学的事実が報道されるようになってきました。また500年周期、11年周 期の太陽活動もそろそろ下降期に入りつつあることも知られてきました。 多くの日本人(世界でも日本人だけ)が「CO2で急激に温暖化して大変だ」と錯覚し ていますので、この記事はあるいは唐突かも知れませんが、常に「正しいこと」に接 していないと思わぬ被害を受けますので、先入観をとりあえずちょっと横において読 んでください。 まずは岩上さんのユーチューブを見ていただけると若干、楽しい気分になります。 http://www.youtube.com/watch?v=rMniMcY2la8 【温暖化騒動の幻】 1988年にアメリカ農業の補助金獲得を狙って始まった「気候変動騒動」は、その後、 ヨーロッパに飛び火して「地球温暖化騒動」になり、先進国が発展途上国の発展をい かに押さえるか、ロンドン市場の排出権取引でどのぐらい儲けるかに発展していきま した。 最初は「農作物に被害を与える気候変動」で、それをネタに補助金を農業に回そうと いうアメリカ一カ国の政治問題でした。それが少しずつ拡大していったのが「地球温 暖化問題」でした。 もちろん、このような動きは政治的、金銭的な動きであり、気候や環境とは関係があ りませんし、私も長くこのインチキ話についてテレビなどで発信し、書籍をだしてき ました。いくら何でもこのような非科学的なことが大手をふるうような社会は正常で はありません。 火種になったアメリカはその後、農業が好調になったので地球温暖化問題から脱離、 ヨーロッパは排出権取引などで儲けて、今は徐々に手を引いています。その点で、こ の科学的ではない話にだまされたのは日本人(主として庶民)でした。 [3。] なにしろ、地球の気温は現在の温暖期が来て以来、一貫して低下しており、それはこ のグラフに示すように南極の観測でハッキリと示されています。 つまり、ネアンデルタール人が絶滅した前のイリノイ氷期から現代の温暖期が来たの ですが、それがそろそろ気温が下がり始め、あと数1000年でまた氷期が訪れる傾向がでてきたのです。そうなると、日本列島は夏でも厚い氷に閉ざされますから、日本と いう国自体がなくなってしまいます。 [1。] 数1000年後の日本の風景を一応、この写真で推定してみます。一面、氷に覆われて人 間はもとより小さな地下生物以外はほとんど日本にはすめません。原発の事故で「1 年1ミリを1年5ミリまであげられるのは10万年に1回の事故に限る」という基準が原子 量安全委員会の指導にありますが、10万年という時間はこのような状態を含んでいる のです。 CO2は温暖化ガスですから、CO2をだすと温暖化しますが、100年ぐらいの単位では効 果がなく、1000年ぐらい経つと海の水も少し温度が上がって、温暖化させることがで きます。ここで頭を切り換えて「温暖化は悪」からとりあえず「温暖化は良いこと」 と思って読んでください。 つまり100年ぐらいですと、せっかくCO2を増やしても海の水温があまり上がらないか ら、温暖化の効果が上がらないのですが、1000年ぐらいですと少し上がってくるから です。 今のペース、つまり100年で100PPMぐらいのCO2が増えるのがちょうど良いので、積極 的に石油は石炭を使うのが望ましいとおもいます。そしてもし、CO2をだして上の写 真のような氷期が来るのを少しでも遅らすことができれば、本当に良いと思います。 でも、最近の研究では、2007年頃から太陽が17世紀に起こったマンウンダー極小期と 同じような不活発な状態になったようでもあり、CO2をだすのを急がなければならな いでしょう。まして「低炭素社会」、「CO2排出削減」などの活動は環境を破壊する 何物でもないと言われるようになるでしょう。 (平成24年4月21日) 「tdyno.61-(6:24).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.04.27
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読者の皆様へ。 来る4月28日(土)に南港サンセットホールにて開催いたします「時にはentertainmentな夕暮れで」のチケットが本日完売いたしました。 実のところ現在チケットは出すぎております。したがって、当日券をご用意することもできなくなりました。大変申し訳ありませんm(__)m 皆様には、心より感謝申し上げます。 ご希望いただきながら、まだご購入いただいていなかった方につきましては、大変申し訳ありません。 近いうちに同じシリーズのコンサートを別の会場で開催する予定もありますので、その際にはまたこのブログにてお知らせいたします。 なお、28日ご来場いただける方にお願い申し上げます。 当演奏会では、楽屋見舞いをお断りいたしております。 無駄な費用をお使いいただくことなく、是非手ぶらでご来場いただきますことを、心より希望いたしております。 随って楽屋見舞い受付テーブルも用意いたしません。 悪しからずご了承下さい。 楽屋見舞い撲滅委員会:茶木敏行
2012.04.18
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・4.17.火 日曜日夜の教育テレビをつけると、1974年に東京丸の内にある三菱重工本社の玄関に時限爆弾を仕掛け、8人の死亡者、300人の負傷者を出した、いわゆる「三菱爆破事件」の主犯であった大道寺将司の特集をやっていて興味を持ったので、少し彼のことを 調べてみた。 彼は1975年逮捕後、1987年に死刑の判決を受けてから、獄中で俳句に没頭し、多くの 作品を残す。 作家辺見庸が彼の作品に感銘を受け、この度句集出版に漕ぎ着けた。 大道寺将司の作品はほとんどが自分の罪に対する自責を読み込んだものだが、その感 性とセンスからは、やはり優れた才能を感じない訳にはいかない。 何故彼が大事件を起こすことになったかという理由であるが、そこには戦後高度成長 を遂げる日本の中で、利益一筋に染まっていく人間の歪みに同化できなかった実直さ にあるのではないかと思った。 1948年北海道釧路に生まれた大道寺が、少年期に見続けた差別されるアイヌの人々。 大学受験のために一年間滞在した大阪釜が崎で日雇い労働の仕事をしながら見た、差 別される在日朝鮮人の人々。 それらが彼の正義感をヒートアップさせ、その後日米安保、日本企業のアジア侵略な どへの制裁へと意識が広がり、天皇が乗った列車の爆破まで計画したという。 この当時こういった正義感が間違った殺人へと形を変えるテロが多く出たが、その一 つの例として大道寺のような頭脳明晰な人物が、どうしてその間違い(罪もない人々 を巻き沿いにしてしまう)にはまり込み、一生その自責に苦しむ道を選んでしまうの か、そこが僕には今ひとつ納得のできないところである。 その時代時代であらゆる凶悪犯が出て来るが、それはすべてその世を映し出したもの だろう。 利益一本の高度成長に移り変わろうとする人の心の歪みに着いて行けない男。 自分が贅沢な暮らしをするために、平気で人を騙し殺害までしてしまう女。 学歴社会の中で、自分の未来の闇に絶望し大事件を起こす少年。 そしてそれが少しずつ形を変え幼児虐待、動物虐待へと進み、その次に待っているの は麻薬、近親相姦無差別殺人などだろう。 他の先進国を見ていると分る。 大道寺は、彼の共犯者たちが海外に逃げているため刑が執行されず(何故だか理由は よく分らないが)37年間今なお3畳の独房にいて、今回の原発事故による放射能の問題 や、津波によって命を奪われた人々に対して自分のことのように痛みを感じ、それら を読み込んだ作品も残している。 「今この国には、こうでなくてはならないという流れのような物に随って皆行動した り言葉を吐いたりしている。 今の空気でこう有らねばならないという流れだけで行動したり、意見を言ったりする 今の日本の風潮はとても危険であり、本当の心、本当の言葉を失い続けることになる 」と辺見庸は強く訴える。 これは、毎日のように武田氏がブログで述べている危惧と全く同じことを言っている 。 大道寺は牢の中で世間の空気も流れも分らないところで、災害について、放射能につ いて俳句を読む。 だからこそ今我々に一番欠けている個人の考え、意見が巧みな言葉で表現されている と辺見庸は言う。 犯罪者を生むのは社会であり、そこに歪みがある限り絶えることなく加害者と被害者 は生まれるだろう。 ーーーーーー エネルギーはどうしたらよいの?(3) 教科書の危険な筋道 学校の先生は「誠実」でなければなりません。それは先生という職業は「他人の心、 それも子供の心を左右する」仕事ですから、尊敬され、誠実でなければならないので す。医師が他人の体を傷つけ、裁判官が他人の自由を奪うように、これらの職業は「 聖職」なのです。 その「誠意」とは、「みんなが言っているから」とか「常識だから」というだけでは 不十分で、自分自身の魂に聞いて見なければならないからです。 今度の原発の事故がそうですが、影響の大きいことに携わる人は「まじめ」でなけれ ばなりません。この「まじめ」とは「間違っていることはわかっていても、社会がそ う言っているから」とか「空気の通りしておけば無難だ」というのではなく、「自分 の専門性から考えて何が正しいか」という魂が必要です。 ・・・・・・・・・ 今の教科書を見ると、エネルギーや電力のことは、「石油・石炭は近いうちになくな る」→「それに石油石炭を焚くとCO2がでて地球が温暖化する」→「温暖化すると南 極の氷がとけてツバルが沈む」→「だから節約して、原発か自然エネルギーにしなけ ればならない」→「もともと節約は大切なことだ」という筋道で仕上がっています。 この説明の中で、「アメリカや中国は脱石油も脱石炭もしていない」、「CO2の削減 (1997年の京都会議の時を基準にしてマイナス)をしているのは世界で日本だけ」、 「温暖化すると南極の氷は増える」、「ツバルの海水面は9センチ下がっている」、 「アメリカ人一人あたりの消費電力は日本人の2倍で、電気料金は2分の1」、「節約 は個人生活での道徳であり、科学とは違う」というような重要なことは一切、触れら れていません。 「お上はそう考えている。君たちもお上に従え」と言っているのが教科書です。戦前 、戦争を賛美した教科書を批判した人たち、今の政府の要人になっている日教組の人 たちは何が信念なのでしょうか? 社会が利権にまみれていても、子供たちは未来の日本を作る人たちです。その人たち が自分でデータを検討せず、自分で考えず、お上の言うことをそのまま子供たちに伝 える現状はきわめて危険です。 私は教育を担当している人が、もう一度、自分が子供たちに伝えているのは、世界で も特異な空気的合意をしている日本社会だけの「空気的事実」ではないか? まずは 「世界の動き」、そして第二に「科学的事実」を子供たちに伝えるという魂を持って もらいたいと思います。 「節約」は大切ですが、それは「事実」や「科学」とは違い、普通の女性を「魔女」 として火あぶりにした時代の考えです。節約は人生を豊かにし、幸福にしてくれます が、それと石油が足りないとか、CO2で温暖化すると言うこととは違うのです。 また、アメリカ人が2倍の電気を使っているという事実は、節約とは関係がありませ ん。日本の電力会社が地方独占で放漫経営を続け、その結果、福島原発を爆発させ、 電気代を2倍にしていたと言うことだけなのです。 「節電は良いことだ」と子供に教え、その基本は「東電を手助けする」のではどうに もなりません。なぜ、日本人だけはCO2を削減して、節電しなければならないのか、 節電は良いことでも、なぜ自分の自由意思ではなく、強制されるのか、それを考えて もらいたいと思います。 もしこのブログをお読みの方の中に学校の先生がおられたら、「思想」を重んじるば かりに子供たちに「間違った科学」や「間違った事実」をお教えていないかをもう一 度、振り返ってもらいたいと思います。 かつて「北極の氷が融けて海水面があがる」という報道があり、それをそのまま教え ていた先生がおられました。環境省は後に「北極というのは北極圏のことであり、北 極圏にはシベリアも含む」という意味の無いいいわけをしていましたが、テレビでは 北極海の氷が融けてシロクマが右往左往している映像が出ていました。 もちろん、アルキメデスの原理があるのですから、海に浮かんだ氷が融けても海水面 は上がりません。もし北極の氷のことを社会科で教えていたら、理科と社会科で異な ることを教えていたことになり、大きな問題です。 「紙のリサイクルをすると森林を守ることができる」とか「森はCO2を吸収する」で も理科と社会で違うことを教えていました。理科では光合成の原理を教えるので、森 はCO2を吸収しませんが、社会では大人の間違いをそのまま子供に教えていたと言う ことです。 エネルギー問題ついて国民の選択が大切なのに、教科書で事実と異なることをこれほ ど長い間教え続けていると言うことに対し、教科書を執筆したり審査したりする先生 、それを使って教える先生は「国が正しいのだから」というのを捨てて、新しい憲法 の下、教育の自主性を発揮してもらいたいと思います。 「educationtdyno.39-(10:16).mp3」をダウンロード (平成24年4月13日(金)) 武田邦彦
2012.04.17
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・4.15.日 僕も周囲を観察していて、全くそう思っていたところである。 「その人物の性格と人間性、頭脳などは、その人が生まれ育った環境や、家庭や学校の教育はそんなに大きく影響せず、やはり何と言っても親から、もしくは先祖代々からのDNAがものを言う」と。 学校の成績について、もちろん努力でやりこなす人もいるだろう。 だがほとんどの場合、遺伝によって決定されるように僕には思える。 親の学校での成績と、子供の成績を照らし合わせて統計を取るというような実験を、誰か行なわないものだろうか。 それから言うと、生れ落ちた家によって成績が悪く親に罵倒され続けても、一計を転じるには相当の工夫と努力が必要ということになる。 その反面、受け継がれたDNAによってさほど影で努力せずとも、学校の授業だけで一番の成績をとり続ける人もいる。 そのような人は「皆なぜそんなに一生懸命勉強するのだろう」と思うだろう。 生れ付きパワーも容量も機能も違うパソコンで競争しているようなものだから「~ちゃんを見なさい、あれだけ良い成績を取って、きっと影であんたなんか想像もできないような努力をしているにちがいない、恥ずかしいと思いなさい!」なんて言われても、不条理な話なのだ。 そう言っている親は、自分の学校時代の成績のことはすっかり棚の上に上げてしまって、まさか遺伝がほとんどのことを決定してしまうとは夢にも思っていない。 僕の見立てでは、親が自分の隠れた才能に気がつかず、子供がそのDNAを開花させるという例もあるようである。 永山 則夫死刑囚が一つのその例ではないだろうか。 彼の父親は、毎日酒を飲んで暴れて働きもしないようなどうしようもない男だった。 母親も、貧苦の生活とは言え子供を捨て、心の暖かみを子に示すことすらできない人だった。 子供たちは屑拾いをして何とかその日をしのいでいたという。 永山氏は著書の中で「私は母に二度も捨てられた」と述べている。 物心ついてからも、永山氏はきつい労働や、飲み屋のバーテンなどで労苦を余儀なくされ、窃盗などの事件を起こしながらも職を転々とした。 彼は四人の人間を殺めた原因として「悲しい無知がそれを引き起こした」と言っている。 だが入牢してからの彼のDNAは別の開花を見せる。 初めて文字を勉強し、あらゆる本を読み漁り、自分が育った環境をバックに思想のようなものを抱き、毎日牢の中で書く日記に独自の哲学を見い出した。 僕もそれをすべて読んでみたが、優れた頭脳と、死を前にした崇高な精神淘汰が見られる。 彼は文字を覚え、本を読むことを覚えてからほんの1年ほどでその能力を発揮し始めている。 おそらく普通の家庭に生まれれば、優秀な成績で学問に打ち込み、国にとって有益な論文を発表するか、優れた小説家に成り得ただろう。 環境も教育もない中で、親に開花出来なかったDNAの能力を子供が開花させた一つの例ではないだろうか。 ただ悲しいのは、開花した場所が死を約束された牢の中であったということだ。 ーーーーーー 軽い話題:「素直に納得できること」の危険性・・・親が子供にできる教育 科学、それも基礎科学を長くやっていると、自分の判断力や自分が正しいと思ってい ることがいかにいい加減なものか、たたき込まれます。そんなことは当たり前と言え ば当たり前で、科学の研究は「今、正しいと考えられていることを覆す」のが主たる 仕事ですから、自分が判断したり正しいと思ったことが間違っている方がむしろ研究 の意味があるので、良いのです。 でも、このようなことは科学ばかりではなく、日常的な生活の中にも多く見られます 。その一つが家庭の教育です。「家庭の教育が子供の人格に影響を及ぼす」と言うこ とはかなり頻繁に言われていて、多くの人がそれを信じています。 特に小さい子供を育てているお母さんは、一所懸命、子供を立派にしようとして怒り すぎたり、褒めすぎたりして失敗し、悔やむことが多いようです。確かに「親の教育 が子供に大きな影響を与える」というのはわかりやすい話ですが、最近の研究ではど うもそうでもないようなのです。 犯罪などの社会的な問題を起こした人や、反対に社会的に尊敬されるようになった人 の小さい頃の家庭教育との関係を調べた研究を見ると、最近の研究になるに従って、 子供の正確に及ぼす親の教育の影響がかなり小さいと指摘されています。その子供の 人格を決めるのは、一にも二にも遺伝的影響が強く、それも小さいときばかりではな く、その人の全人生に大きな影響を与えるようです。 どうやら、親の責任は「良い環境を作ること」、「何か習慣として身につくことをさ せること」ぐらいしかなく、「良い人柄にする」などの人格に影響のあることは、親 の教育と言うより遺伝的素質や、その子供を取り巻く全体の環境によるもののようで す。 つまり小さい頃、よく本を読んであげたとか、スポーツする習慣をつけさせたという ような具体的なことは身につくのですが、性格自体はなかなか家庭環境や学校の教育 では変えられないということです。 「子供の性質は親の責任」というような誤解が蔓延するのは、それがわかりやすい話 であることと、教育関係者にとっては「教育は意味がある」と言うことはとても聞き やすいことであり、その方向の話を多くの人が同意しやすいと言うことのようです。 教育関係者がどのぐらい「損得勘定」を旨に持っているかは別にして、自分の職業の 影響を大きく見積もりたいというのは自然の勢いです。 つまりここでも「空気的事実」がいつの間にか常識になっている傾向があります。 また、「遺伝的気質が多くの正確を支配する」という結論はあまりにも夢がなく、が っかりしてしまいます。つまり「教育で改善される」というのは多くの人の希望であ り、「遺伝だけ」とすると夢も希望もなくなると言うことでも空気的事実が形成され やすいのでしょう。 最近の研究によると、遺伝的影響は歳を取るとともにむしろ強くなっているという報 告もあります。「考えやすい方」は「小さい頃は遺伝的気質が強く影響し、経験を積 むとともに大脳の影響が増え、遺伝的影響は小さくなる」と考えがちですが、そうで はない、反対だ。むしろ80歳ぐらいになってもまだ遺伝的影響が増えているというの です。 一度、そういう結論が得られると、「その通りだ。遺伝子の活動は、遺伝子にどのよ うに指令があると言うだけではなく、その遺伝的影響が出るためにはスイッチが入ら なければならない。だから歳を取ってスイッチが入るものが多ければ、不思議では無 い」などという解説をつけられると、今度はそっちが本当になってしまいます。 人間は直感的に「これだ!」と思うことがありますが、私のような科学者で長い間自 分の直感が間違っていて痛い目に遭っている人から見ると、人間の直感ほど当てにな らないものは無いと思ってもいます。 (平成24年4月8日(日)) 「educationtdyno.13-(5:11).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.04.15
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・4.14.土 今日はフェニックスホールにて、中川保子さんの追悼演奏会が開催された。 中川さんはほとんど林 光さんの作品しか演奏しないという歌い手であったが、僕がドイツから帰って出版されていない林 光の曲を演奏したいと思った時、楽譜を所有されていた中川さんと出会うこととなった。 そしてその後、中川さんの周りに集まって来た林 光作品に捕らわれた人々と共に、幾度かの演奏会を開催することとなった。 それが「バナナン」というグループである。 バナナンとは、宮沢賢治の「飢餓陣営」という話に、林 光さんが作曲したオペラがあり、その中にバナナの勲章を胸にたくさん付けたバナナン大将という将軍が出て来る。 結局飢えかけた隊員全員でその勲章を食べてしまうのだが、そこから中川さんが取ったグループ名である。 朝からリハーサルが行なわれ、出入りの打ち合わせと場当たりを念入りに行ない、あっと言う間に2時半の開場時間。 慌てて昼食のお弁当を半分だけ食べて、準備に入る。 中川さんと関わった歌い手、ピアニスト、その他楽器の者、合唱団が一同に出演する訳で、とにかく人が多く楽屋もロビーもごったがえしている。 また関西の者だけではなく、東京のオペラシアターこんにゃく座の歌い手も多く掛けつけ、作曲家の萩 京子さんや寺嶋陸也さんも伴奏者として出演された。 ピアニストだけでも7人いた。 東西の林 光さんを巡った演奏者たちがこれほど一同に会することは、おそらく初めてであり、二度とないだろう。 中川さんがそのリンクを打ち立てたのだ。 一部には、主催者でもある関西のバナナンがアンサンブルとソロを演奏。 僕はその中で「歌うな」という中野重治の詩のものを歌い、アンサンブルにも参加した。 この曲は「歌ってみたい!」とずっと僕が中川さんに訴えていたが、いつまで経っても楽譜をくれなかった曲だ。 おそらく中川さん自身も最も大事にしていた曲なのだろう。 後半は、バナナン以外の者と東京勢である。 その中にオペラシアターこんにゃく座の座長である大石哲史さんも出演された。 この人物は、僕が京都の盲学校高等部に在学中のころ、大学を卒業したての非常勤講師として赴任された先生で、僕が音楽の世界に、歌の世界に足を踏み入れることとなった運命の人である。 楽屋も同じで、我々は13年ぶりぐらいに顔を合わせた。 先生は元々あまり口数の多い人ではないが、それでも共通の知人のことなど少し話し、互いには言わないが、何時の間にか降り積もった年月の重さをしみじみ感じた。 なにしろ我々の元々の記憶は、先生が22歳、僕が15歳だったのだ。 先生が舞台上で演奏されている時、袖のモニターから聴こえる歌声を聴いていた。 僕が高校生の時、先生の出演される演奏会に出掛け、興味身心聴き入っていたその声そのままだった。 大石先生との出会い、林 光さんのこんにゃく座に飛び込んで行かれた大石先生、そんなことを通じて僕を繋ぎとめた林 光作品、それが僕を中川さんのところに連れて行き、ぐるっと回って今生まれて初めて大石先生と同じ舞台に立っている。 袖にあるソファーに座りモニターで舞台上の演奏を聴いていると、隣に座っていた東京のピアニストが「中川さん聴きに来ているかな?」と僕に言った。 「もちろん来ていますよ、一つ一つチェックを入れているんじゃないかな?」と言って笑った。 演奏会の最後は、その日の出演者が全員舞台に出て、「バナナン軍進軍歌」を大合唱。 これはオペラ「飢餓陣営」の中に出て来るバナナン軍の歌うマーチである。 中川さんがいつも「200人でバナナン軍進軍歌を歌ってみたいな」と言っておられたことで選ばれた曲である。 200人とは行かないが、会場一杯に広がる壮大な歌声は、まさしく中川さんや林光さんにいや顔にも聞こえるエネルギーだった。 客席からはアンコールの拍手が止らず、もう一度バナナン軍進軍歌を熱唱して、二度とない演奏会は終わった。
2012.04.14
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・4、11、水 武田氏が常に科学者として公平な目で物事を見、一つの思想に捕らわれず、客観的に 見て判断する努力を行なう真似をして、僕も客観的に物事を眺めてみる努力をして みたい。 そうすると、バッシングを受けるような内容になる可能性も出て来る訳だが、現実を 見るということはそういうことでもあるだろう。 一つの議題として、核や兵の保有という点を考えてみる。 僕は基本的な考えとして「ふところにナイフを忍ばせていないと学校に行けない、ま たナイフを忍ばせているぐらいの度胸がなければ友達として認めてもらえない」とい う風潮のグループには入りたくない。 余りにも幼稚だし、僕の言う「スイッチ」が、いつでも入る危険を世界中に蔓延させ ることになる。 先進国が一つでも多く「ナイフは持たず丸腰で生きることこそが強さだし、またそれ こそがこれからの先進国だ」と胸を張り世界情勢に首を擡げることこそが勇気だと思 っている。 だがその反面、もうそんな暢気なことを言っている状況ではないのかもしれないとも 思う。 鎌倉時代、モンゴルのチンギスハンが、兄の源頼朝に日本を追い出された恨み を晴らすべく、彼の息子にその意思を継がせ、大艦隊を率いて日本に攻めて来た。 日本が平和主義を貫いていたら、確かに皆彼らの兵に惨殺されたり、奴隷にされたり して、日本は乗っ取られていたことだろう。 当時勢力を奮っていた北条氏が強い兵を持っていたからこそ、国は存続したのだ。 ずっと兵を持たなかった沖縄の王国に、明治時代薩摩の野蛮な連中が渡って来て、男 たちは惨殺、女や子供はゲームの対象として弄ばれ非業の最後を多くの人々が遂げた 。 平和主義は最も筋の通った理念である。 しかし、庶民は皆地獄を見ることになっている。 「うちは平和主義で、兵も核も武器も持たず、他の国に攻め込むというようなことは 決してありません。 だから皆さんもうちの国をそっとしておいて下さい」なんて言い分を聞く耳を持った 紳士はどこにもいないのだ。 皆がふところのナイフを出し飛び掛って来たら、国民、家族、子供たちを守り戦うこ とになるだろう。 防御のためのナイフ、護身術はやはり用意しない訳にはいかないのか? 全く情けないことだ。 人間は何処まで行っても堂々巡りだ。 船の客船からは、いろんな個人的な思想や勝手な意見をわめくことはできる。 だが舵を握る船長の立場に立って世界との対応を考えたらどうだろう? 本当にナイフをふところに忍ばせない態度を最後まで貫けるのだろうか? でも本能や運命に打ち勝つには、それをあえて貫かねばならないことは論理だ。 どこまで行っても答えが得られないようにも思える。 ーーーーーー 北朝鮮のミサイルと人工衛星 北朝鮮が人工衛星を打ち上げるためにミサイルを発射する。テレビではそれに備えて 東京の市ヶ谷を始めとした自衛隊のパック3邀撃ミサイルの配備を報じていた。そし て誰もが「北朝鮮はけしからん。でも万が一のことを考えてしっかり防衛して欲しい 」という論調だった。 この重要なときに防衛大臣は姿が見えない。大臣に就任して以来、国会での答弁など を見た多くの人がびっくりしてしまった。こんな人が国会議員?!こんな人が大臣? !こんな人が有事の時には直ちに判断を求められる防衛大臣?!と思っただろう。 ・・・・・・・・・いろいろなことが頭を巡る・・・・・・・・・ 今から15年ほど前のことだったが、機械学会で学会発表の範囲に関する「倫理委員会 」があった。その頃、私は機械学会に所属していて倫理委員の一人だった。社会は「 倫理」に目覚め、企業ではCSRなどという言葉が聞かれるようになった時代だ。私は 科学や工学の倫理を研究していたので、倫理委員になっていた。 話題は福岡で数年前に行われた機械学会で自衛隊で機会学会員の研究者が機関銃の部 品についての発表の申し込みをして、発表を断られたと言うことについて、機械学会 の倫理規定に「機械学会での発表は平和目的に限定する」という項目を入れるかどう かの審議だった。 座長は東大の教授、そこにいる10名ほどの委員のほとんど全部が「平和目的に限る」 という条項を入れることに賛成だった。私は一人反対で「もし北朝鮮が先週はミサイ ルを仙台に撃ち込んで2000人が死に、今週は宇都宮が標的になって200人が亡くなり 、来週は東京に落下させると発表しても、防衛も攻撃もしませんか? 平和の時の平 和主義では意味がありません。また武器はアメリカから買えば良いというのは倫理的 には日本で作るのと同じだ。私は「軍」というのは「平和」のために存在するのだか ら、機関銃が軍事目的というのは平和目的と同じだ」と論陣を張った。 場の雰囲気は逆転し、機械学会では倫理規定に軍事研究の禁止を入れなかった。今は どうなっているかわからない。でもその頃(平和だった頃)日本社会には「軍隊は要 らない」という人が多く、特に知識人と言われる人は「再軍備反対、軍隊反対」であ った。 でも、今朝のニュースを見ていると、また無責任な話だと15年前のことを思い出した ものである。日本社会が平和といている間はミサイルの研究を禁止しようとし、北朝 鮮がミサイルを飛ばそうとするとパック3を配備することを喜ぶ。アメリカが迎撃ミ サイルを供与してくれなかったら、日本が自分で作るだろう。 社会に向かって自分の意見を言ったり、委員会で指導的な立場に立つと言うことはそ の人に見識があり、一定の考え方に基づいて、しっかりとその論拠を述べられなけれ ばならない。機械学会の倫理委員会の委員だから社会的には立派な人だけだったが、 それでも「社会の空気の通りにやれば無難だ。事情が変われば変わったで変身すれば 良い」と言うのでは情けない。 ・・・・・・・・・ もう一つは防衛大臣のことである。彼は新人議員ではない。国会議員になってかなり の年限を経ている。彼は選挙で選ばれてきていて、選挙民は日本国民である。また選 挙民はその議員が大臣になってはいけない人だとは考えていない。つまり、彼が大臣 としてふさわしくないというのを選挙民に聞かなければわからないと私は思う。 選挙民は数10年のつきあい、よく彼を知っていて、国会議員に選出している。それが わずか数週間の国会の答弁で「大臣の資格がない」と言うことはいくら何でも選挙を 馬鹿にしている。議員は選挙民の代表であって、議員が議員だけで独立しているので はない。 防衛大臣がこの重要なときに姿を見せないことについて、現在の報道レベルのことで かたづけず、選挙民は積極的に前に出て、防衛大臣が立派な人であることを強調すべ きだ。そうでなければ選挙自体、民主主義自体が損なわれ、都知事の「黙れっ!」や 、宮城県知事の「宮城の人は数字がわからない」などと選挙民より知事が偉いという 封建時代に戻ってしまう。 国会論戦の場では防衛大臣は、失礼だが猿回しの猿のような感じがした。でもこれは 良いことではない。防衛大臣の愚かさを国民がテレビを見て笑っている状態は、その 時点で即座に任命した首相が退陣しなければならないほど、民主主義の危機である。 ・・・・・・・・・ もう一つは憲法改正である。パック3の配備を歓迎するなら憲法を改正しなければな らない。かなり前に社会党が「自衛隊違憲合法論」などと言うムチャクチャな論を立 て、日本が憲法や法律を守らずに野蛮な国家に戻ることに力を貸した。現在の司法の 堕落にはこのような公党の無責任な態度も問題になっているが、ここは日本国民が「 パック3を配備しなければならないのだから、日本には軍隊がいる」と明確に決心し なければならない。 さらに「アメリカはミサイルも原爆ももって良い。アメリカは平和を愛する国だから 他国に戦争を仕掛けたりはしない。でも北朝鮮は危険な国だから、だめだ」という論 理をそのまま日本が自分の考えのように言うのは問題だ。日本という国は元々他国を 侵略する意図が少ない国で、明治維新からしばらくの間、欧米との対抗もあって他国 に出たことがあるが、元々の思想はそうではない。それもこの際はっきり 「pactdyno.16-(8:50).mp3」をダウンロード させたい。 (平成24年4月9日) 武田邦彦
2012.04.11
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・4、10、火 また明治時代を引き合いに出すが、年金というようなものがなかった時代には、商家 ではおじいちゃんが一代で築いた店を、息子、孫が継いで生計を立て、農家では先祖 代々耕して来た田畑を子や孫が受け継ぎ、年寄りは時期が来れば引退して若いものの 世話になった。 おじいちゃんやおばあちゃんたちにしてみれば、子供たちがいるから隠退しても生活 に困らないし、子や孫はおじいちゃんやおばあちゃんが血の滲むような思いで店や田 畑を築いて来たからこそ裕福に暮らして行ける訳だから、敬意を持って仕事を大事に 守って行った。 国が守ってくれはしない訳だから、自然と家族の依存が成立していたようだ。 さてこれが今の日本社会で成立可能かどうかという点である。 何処かに勤める生活が多い現在、子孫に生活の基盤を残し伝えるということが難しく なった。 そこで年金に頼るということになる訳だが、支給時期がどんどん引き上げられ、その 上支給金額が減らされ、ましてや下記にちらっと述べられているように年金システム 自体が騙しを含むものとすれば、何のために長い間働いた賃金から差っ引かれて来た か分らない。 下記にもあるように、ドイツでは高校(ギムナジウム)を終了したら皆家を出る。 大学に進むものは生活費をバイトで稼ぎながら大学を卒業する(ドイツには国立の大 学しか存在しない)。 何故それが出きるかと言うと、まず学費はすべて国負担。 いたるところに学生寮があり、びっくりするぐらいの安さで5ゼメスタ滞在できる。 学生証明書を持っていれば歌劇場、映画・芝居・電車・ケーブルカー、プール・その 他国営の施設などこれすべて学生割引がきく。 食事も学食(メンザ)でとても安く食べられる。 このようにして、学生は18歳で独立した中で、国の補助を受けながら勉学に力を注ぐ ことができる。 学生に対してだけではなく、国自体が必要なところに予算を注ぎ込んでいるのだ。 そのためドイツ国は大変な赤字ではあるが、確かに国民が国に誇りを持つことができる 。 そのようないわゆる地に足の着いた政策が、今の日本にあるだろうか? 基本的なシステムの問題なのだ。 ドイツは様々な法律が煩く、政治家からホームレスまでが足並みを揃えないと許され ないような空気があり時々息が詰まりそうにはなるが、国の上の者たちの頭の良さが 伺えた。 日本には日本の独自の良さがあったはずだ。 日本のやり方を今一度模索して、地に足の着いた生活方法を見つけ出さねば許されな いだろう。 ーーーーーーー なぜ、年金は崩壊するのか?(2) 一生に一度のインフレ・・それで終わり(1) 年金にもいろいろなタイプがあって、とても複雑ですが、この複雑なものをよく理解 するにはまずは簡単なモデルを作って考えるのが良いようです。おまけに年金には「 賦課型」などの専門用語がありますが、日常的な用語を使うと、「積立型」と「その 年型(使い切り型)」があります。もちろん、中間タイプもあるのですが、それは複 雑になるだけなので割愛します。 ・・・その年型・・・ もともと「年金」が必要になったのは、大家族から小家族になり、「年を取ったら子 供の世話」という昔ながらの人生を送ることができなくなったからです。かつての日 本では「年を取ったら子供の世話」という時代で、もちろん家庭で中では「その年型 」でした。家族はその家の収入を稼いでくる人(昔はお父さん)の賃金で暮らし、そ の中にお年寄りも入っていました。 およそ一人のお父さんが働いて、妻、子供2人、おや2人の5人を養っていたという勘 定です。だから、その年に収入が少ないと家族全員で工夫をして貧乏をしのぎ、収入 の多い年にはたまには旅行に行ったりしたのです。稼いでくる人が病気をしても両親 が旅行に行くなどということはあり得ませんでした。 私が「その年型」の年金をまずは推奨しているのはこれが理由だからです。これを言 うと年金の専門家は「そんなこと言ってもヨーロッパでは・・・」という話がすぐ出 てくるのですが、日本とヨーロッパでは生活、社会、人生、宗教などが違います。親 と子供、夫婦関係も全く違うのに、すぐヨーロッパが出てくるので困ります。 たとえばアメリカやヨーロッパでは子供が18歳になると原則的に家を出て財政的な援 助もあまりしません。大学に進学しても授業料はもとより生活費も自前でやるのが普 通です。だから、大学の講義も休講を喜ぶ(お金を払っているのに授業が受けられな い)と言うことはありません。 つまり、欧米では18歳で子供も家族の一員ではなくなり独立した社会人になりますが 、日本は18歳になっても家族の一員であり、時には結婚してもまだ家族と一緒と言う こともあるぐらいです。こんなに親子関係が違うのに、年金となると「アメリカでは ・・・」と出てくるのがまた混乱に拍車をかけています。 日本の年金を「その年型」にすると、まず第一に「年金がどこから出ているか」がは っきりします。その年(実際にはその前の年)の若い人の稼ぎに応じて年金額が決まり ます。そうするとお年寄りの収入は若い人の稼ぎによりますから、「働いている人を 大切にしなければ」という気持ちが起きると思うのです(だから昔が良いとか大家族 が良いということではありません)。 利回りがどう、分配金がどうというように「お金を中心に年金を考える」のではなく 「人の心の動き」を第一にすべきというのが私の考えです。「お年寄りを大切に」と いうのはわかるのですが、その前に「働いている人を尊敬する」というのが日本の風 習であり、それはとても大切なことと思います。 「その年型」というのは、それ以外に多くの利点があります。それは次に説明する「 積立型」の欠点である、1)インフレが来たら終わり、2)社会保険庁(今は別組織 )のようなところだけが優遇され、年金をもらう方が被害を受けるということがなく なる、という理由もあるからです。それをはっきりさせるために、先に「積立型」の 説明をしておきます。 ・・・積立型・・・ 積立型とは読んで字のごとく、自分が若いうちからお金を積み立てて、65歳になった らそれを年金として受け取っていくという方式です。積み立てるお金は半分ぐらい企 業や国が分担してくれる場合もありますが、これは一種のごまかしともいうべきもの です。 企業がその収益の中から従業員にどの程度、お金を分配するかというのはその社会の 伝統や力関係で決まりますが、とにかく粗利益の中から厚生費や年金などのお金を差 し引き、その残りを重役と従業員で分けるのですから、企業が年金として払うお金を 従業員に渡せば、同じことです。 また国も「税金を使って公務員の年金を分担する」というのも、単にその分の給与を 増やせば良いだけのことです。 つまり、「積み立て年金」では個人が貯金するより、企業や国が出してくれるから得 になるというのはトリックのようなものです。でも、積立型の場合はもっと基本的な 「だまし」があります。それは次回に回します。 「pensiontdyno.15-(9:44).mp3」をダウンロード (平成24年4月7日) 武田邦彦
2012.04.10
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・4、9、月 福島を中心としたセシウム降下量が減らないどころか増えているその理由。 土地に積もった放射能物質が、今年に入って急に風で舞い上がり飛散するという理 由は考えにくいし、第一原発のどれも爆発、メルトダウンなど起こっていないはずだ 。 となると、秘密裏に瓦礫を焼却していると考えるのが自然だろう。 どうしてそんなに慌てて町を片付ける必要があるのだろう。 阪神淡路大震災の時とは、80強ベクレルの放射能物質がそこにある限り事情が全く違 う。 「早く住人に元通りの生活を取り戻してもらいたい」という表向きの理由だけではな く、原発を再開するために着々と進めなくてはならない何かがあるのだろう 。 原発にしがみ付くことには利権のことの他に、核保有に関する政府からの要請がある はずだ。 核を持たないとどうにもこうにも世界の中で太刀打ちできず、丸腰では日本国自体が 没落するとでも言うのだろうか。 日本がアメリカの犬である限り、かの国から受ける悪い影響は限りない。 ところで、この福島のセシウム飛散は、もちろん関西にも大きく影響するだろう。 降下量も然ることながら、一層汚れた食材が多く我々の口に入り、給食にも長く被害 が出るはずだ。 事故直後の注意をもう一度体験しなければならないのは必至だ。 「政府は30年から100年にわたる日本人の被曝量を推定し、それを元に基本政策を立 てないと、日本に住めなくなる可能性もある」と武田氏は言う。 事故直後「10年後日本という国はあるだろうか?」と言った科学者がいたが、日本人 が我が手で終わらせることになりはしないか? ーーーーーー 食材情報 春野菜に注意 福島の定時降下物(セシウムがそらから降ってくる量)が減りません。減らないどこ ろか少し増えてきています。このデータは文科省の月別集計をしたデータですが、毎 日の積算値と少し違うので、その点、心配ですが、論旨には影響がないので、公開さ れているデータのまま掲載しました。 [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_xxx-xxx-xxxxx。] この表でわかるように、3月の事故以来、セシウムの降下物は徐々に減ってきて、201 1年の10月、11月ごろにはこのまま無くなっていくと思われましたが、意外にも12月 から急増し、今では昨年の6月より降下量が多いという異常な状態が続いています。 これについて、政府も県も「大丈夫」を繰り返していますし、マスコミも報道してい ませんが、これはなかなか危険な状態です。まず第一に、その値が結構大きいという ことです。もし、この文部省の集計通り(少し多めのように思う)とすると、一日で 数100ベクレルが降下してますので、葉物野菜はかなり汚れて、新基準の1キロ100ベ クレルを上回る野菜がでますし、すでに実質的な法律基準である1キロ40ベクレルを 超えているでしょう。春野菜は要注意です。 [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_xxx-xxx-xxxxx。] また、この図は2度目ですが、今の時期(1年も経って)にこのぐらいのセシウムが降 ってくるということになると、「繰り返し被曝」になるということです。2011年4月5 月の被曝もかなりでしたが、もしこのデータが正しいと、約30年間、この降下物で被 曝することになります。 そうすると、福島はもちろんのこと、東京(データは新宿)でも事故直後の福島の被 曝より多い被曝を受けることになります。将来の問題ですから、私たちの子供が被害 を受けることになりますから、原発を運転した私たちの世代でけりをつけておく必要 があります。 それなのに、瓦礫、花火、薪ストーブ、中古車・・・なんでもそうですが、汚染され たもの、あるいは長期的に汚染原因となるものが国内に拡散しています。瓦礫の運搬 に反対している人を「非国民!」と呼ぶ人がいますが、それは自由としてもせめてこ のような再飛散が起こらないことを「科学的」に証明して欲しいものです。一度限り 、10年ぐらいのスパンで「私たちだけは大丈夫。子供は知らない」というのでは、私 にとってはそちらの方が日本人ではないような気がします。 これまで私が「政府は30年から100年にわたる日本人の被曝量を推定し、それを元に 基本政策を立てないと、日本に住めなくなる可能性もある」と言ってきたことがこれ に相当します。 12月から始まった再飛散が何を原因としているのか、真剣に検討しなければなりませ ん。環境省は(もとから国民の健康など考えていませんが)、相変わらず日本国土を 汚染させるのに熱心ですが、今こそ識者が立ち上がり、環境省に被曝を止めるように 言うべきでしょう。 それにしても、このようなブログを書くたびに、「どうしてだろう?」とつい思って しまいます。福島原発事故が起こる前まで、NHKはどうかわかりませんが、日本のマ スコミの報道関係者の多くが「被曝は怖い。放射性物質をまき散らすなどとんでもな い」と糾弾していました。それも1年や2年ではなく、ここ30年はそうでした。 被曝の限度が1年1ミリでも、その100分の1でも「100分の1だから大丈夫だなどとと んでもない。被曝は少しでも避けるべきだ!」と言っていたのに、なぜ、今、このよ うにセシウムが再飛散しているのに、それを報道しないのか、本当に不思議です。 1945年8月15日、終戦を迎えた瞬間、日本人は「鬼畜米英」から一日にして「親米」 に変わったと言われます。そのときの日本人の心境はどんなものだったのでしょうか ? でも、そのときには戦争中と戦争が終わったという変化がありましたが、今回は 「被曝は危険か」という普遍的なことなので、私は本当にわからなくなります。どな たか、変身した方が心の内を吐露してくれると良いのですが。 「vegitdyno.10-(5:11).mp3」をダウンロード (平成24年4月8日) 武田邦彦
2012.04.09
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・4、6、金 4月から暫定基準値が厳しくなり少し安心ということだが、この測定が本当に信頼の 置けるものなのだろうか? 魚でも茸でも米でも、一つずつ、一匹ずつ測定することは不可能だし、ざっと何となくという測定になるはずだ。 それにいつも思うのだけれど、野菜の内部、魚の体内まで測定できるのだろうか? おそらく外側に付着している物質だけだろう。 それで「基準値以下だから大丈夫」と言えるのか? 測定方法の基準も作成する必要がある。 愛知県の保育園の給食から、おそろしい数値の放射能物質が検出されたらしい。 このようにして、一年間東北の危険な食材を全国の給食に使用していたのだ。 日本の大人は鬼だ。 自分たちが被害を蒙らないために、子供たちを犠牲にすることに何の心の痛みも感じ ない化け物だ。 今回の基準改正が我々にとって本当に安心を齎すのか、まだ信頼はできないが期待も したい。 ーーーーーーー 食材新基準と食生活・・・いろいろ方式 食材の新基準が出ました。基本的には「食材の内部被曝だけで1年1ミリ」ですから、 まだ食品安全委員会も腰が据わっていませんが、それでも、今までの1年5ミリよりも ずっと改善されました。 結論から言えば、「あまり神経質になって食材選びをしなくてもお子さんを守ること ができるようになった」と言うことです。そこで「あまり神経質」ということの程度 問題をはっきりさせたいと思います。 まず、第一原則は「いろいろなものを買い、いろいろなものを食べる、もしくは食べ させる」ということです。ここでいう「いろいろなもの」というのは、外国産の小麦 を使ったパン(ほとんどのパン)、西日本のお米、大手以外の牛乳、遠くでとれた魚 、これまで普通にはあまり手を出さなかった食材、オーストラリアの牛肉などを指し ています。 スーパーに行って今日の食材を買うときに、目の前にある食材のうち、20ヶに1ヶが 「汚染されている」と思ってください。あとの19ヶは食べても大丈夫ということです 。そして、その20ヶのうち、1つだけが100ベクレルということになります(半年前は もっと危険だったが、現在、つまり4月からの状態です)。でも問題なのはその20ヶ のうちの1つがどれかわからないということです。 そこで、「いろいろなもの」を20ヶ買うと、その中の1つが汚れていると考えます。 実際に運のよいときにはどれも汚染されていない場合もあるのですが、子供を安全に 育てるときには最悪でも大丈夫ということが大切だからです。だから「運悪く汚染さ れたものを買ってしまう」と言う場合を考えています。「いろいろ買う」ということ はそのうちの1つが汚染されていますから、100ベクレルを20で割って平均として5ベ クレルになります。これは1年に0.05ミリシーベルトですから、他のものとの「足し 算」をしても大丈夫ということになります。 反対に「2種類だけの食材を買う」、つまり「いろいろ買わずに1つか2つにする」 ということになると、1ヶが100ベクレルだったり、または悪徳業者がいて500ベクレ ルの食材を買ってしまうと、50ベクレル、あるいは250ベクレルの食材を子供に食べ させることになってしまいます。 1日に20種類を食べる必要はありません。たとえば1日に5種類で、4日で20種類なら、 そのうち一つだけが汚染されていますから、普通なら5ベクレル以下、悪徳業者にぶ つかっても25ベクレルですから、子供に許される40ベクレルより下回ります。 ・・・・・・・・・ 現在、注意をする食材は「外食の米、露地栽培のキノコ、神奈川から宮城までの太平 洋側の都県の川魚、神奈川から北海道までの太平洋側の魚」だけです。これらも含ん でいても「いろいろの食材を選ぶ」という方法をとれば子供にも安全です。ただ、空 間線量が0.11マイクロシーベルト(1時間)を超えるところにお住みだったり、昨年 の3月、4月にあまり注意をしないで子供を被曝させた場合、「外食の米、露地栽培の キノコ、神奈川から宮城までの太平洋側の都県の川魚、神奈川から北海道までの太平 洋側の魚」は買わない方がよいでしょう。 つまり、あまり被曝せず、東京ぐらいの場所に住んでいる人は「いろいろ買う」こと だけできれば「食材は何を買ってもよい」と言うことです。その分、気が楽になると 思います。この際、これまで手を出さなかった食材などや外国産なども取り入れてく ださい。 ・・・・・・・・・ ところで、水と牛乳ですが、これがかなりやっかいです。普通に考えると、水も牛乳 も大丈夫です。私もはっきりした情報を持っていないのですが、牛乳は昨年の4月、5 月は測定するとヨウ素が多い可能性があったので、大手の牛乳メーカーは本当に測定 をしなかったようです。測定値を出すとそれが会社の中にあって内部告発されるから 、測定しないで出荷したということを聞きました。確かではありません。ここは牛乳 メーカーが子供の健康に関することでしたから、全データを公表するか、あるいは測 定していなかったことを発表する必要があります。 今回の規制では子供の場合の規制を考えましたので、大丈夫になりましたが、それで もあまり大手の牛乳だけにせずに、地方の牛乳を手に入れられればその方がよく、こ こでも「いろいろ」ができればやってください。 水は水道水が安全という状態が続いています。井戸水は測定していないことが多く、 またいつどこで突然というのがありますから、それに注意してください。 ・・・・・・・・・ 地域の問題では、福島県とその周辺、岩手県から神奈川まで、それ以外の3つの地域 に分けて考え、それぞれの線量率をよく見てください。4月27日の夜9時から竹書房で ニコニコ生放送をしますが、そのときに安い線量計をご紹介する予定です。 これから長丁場なので、線量計で測り、食材はあまりストレスにならないように「い ろいろ」方式で食べ、少しの間、外食を避けるという生活で大丈夫です。福島の人は セシウムの再飛散がまだ続いていますので、さらに注意をする必要があります。 (平成24年4月2日) 「tdyno.10-(9:32).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.04.06
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・4、4、水 これは僕も普段から大変興味のある問題である。 下記の記事では、資本主義も共産主義も失敗であるというような示唆に書いてある。 そうなのだ、人間という動物も他の動物と同じ「欲」で形成されている。 それを倫理や学問やルールで押さえ込んでも、本能は消えた訳ではない。 むしろ押さえ込むことなど出来ないのかもしれない。 羊の群れが常に順位をはっきりさせ、定期的に下の者が上を狙う喧嘩があり、上が弱 るとこの時とばかり戦いを仕掛けて来て、自分が上にのし上がる試みに出る。 それが我々動物の自然な本能なのだ。 何と悲しいことだろう。 殺し合うことこそが本来の姿なんて。 そして歴史を振り返れば、確かに我々は戦争と戦争の合間に平和を夢見て生きて来て いる。 いくら知識人が集まり、二度と間違いを起こすまいと努力しても、気がつけば本能に 支配されている。 共産主義は時間を経て独裁主義に帰参し貧民を生み、資本主義は勝つ者と負ける者を はっきりとさせ、そこに貧民をやはり作る。 ぐるっと回って、我々は一つの本能に帰り着く。 そしてまた戦争が始り殺し合いに明け暮れ、殺しつかれたら平和を唱え共産主義が始 る。 つまり無限の苦悩である。 「決して信じて安心してはだめだ、戦争はないように見えて必ずある。 だから下の町には絶対に下りないで、ここでこうして羊の皮をかぶって隠れて生きる んだ。 憎くもない相手を殺したくないし、殺されるのはもっといやだからね。」と羊男の言 ったことは本当なのだ。 ーーーーーーー なぜ、年金は崩壊するのか?(1) AIJ問題が起きた原因 かつて、「共産主義」という「理想的社会体制」というものが提案された時、世界の 多くの人が飛びつきました。19世紀の末からその情熱は世界を駆け抜け、日本でも戦 後、東大教授を中心として「文化人」の多くが共産主義を支持したのも特徴的です。 今回の原発事故や大震災では、東大教授のレベルの低さと御用学者ぶりが目立ちまし たが、当時、共産主義を支持した多くの東大教授と同じ、頭脳のレベルがあまり高く なく、人格が成熟していないという特徴がよく出ています。このような東大教授の特 徴は少しずつ明らかにしていきたいと思います。 ・・・・・・・・・ さて、共産主義とは、その根本に「みんなで心を一つにして一所懸命働く」、「働い て得た富は平等に分配する」、「お互いに同志と呼んで差別をしない」、「国家の計 画は統一して共産党が作るので効率的だ」を想定していますから、確かに理想的であ ることは間違いありません。 今から約230年ほど前にフランス革命が起こり、「お殿様」の時代から「民主主義」 の時代へと大きく変化しました。お殿様の時代はそれなりに社会秩序が保たれていた のですが、「誰でも指導者になることができる」ということになりますと、へんてこ なことが次々と起こります。フランス革命当時は「ギロチン」という首切り道具が人 気になり、なにかあるとすぐ「あいつはギロチン行きだ!」と断頭台で首をはねるこ とが続きました。 さらに、身分制も何もなく自由に活動するのですから、お金のある人(資本家)はズ ルをしてどんどん儲け(搾取)、お金のない人(労働者:プロレタリアート(労働者 階級))は働くだけ働かせられて、メリットなしというような社会になったのです。 後に共産主義の指導的立場になるエンゲルスは、民主主義が誕生して70年ばかり経っ た時代のロンドンを次のように描写しています。 「貧民には湿っぽい住宅が、即ち床から水があがってくる地下室が、天井から雨水が 漏ってくる屋根裏部屋が与えられる。貧民は粗悪で、ぼろぼろになった、あるいはな りかけの衣服と、粗悪で混ぜものをした消化の悪い食料が与えられる。 貧民は野獣のように追い立てられ、休息もやすらかな人生の楽しみも与えられない。 貧民は性的享楽と飲酒の他には、いっさいの楽しみを奪われ、そのかわり毎日あらゆ る精神力と体力とが完全に疲労してしまうまで酷使される。」 エンゲルスがイギリスの社会をこのように描写したとほぼ同じ頃、日本は江戸幕府が 鎖国政策をやめたので、多くの外国人が日本にやってきた時期でした。エンゲルスと 同じイギリスから大使としてきたオールコックは日本の社会を次のように書いていま す。 「封建領主の支配と全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧については当然の ことのように思っていた。だが、(日本の)これらの良く耕作された土地、豊かさの なかで所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそうな日本人を見て、こ れが圧制に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて窮乏している土地とはまったく信じ られない。 むしろ、反対にヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きの良い農民はいないし、ま たこれほどまでに穏和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという印象を抱かざるを 得なかった。気楽な暮らしを送り、欲しいものも無ければ、余分なものもない」 この二つの描写からすべてがわかるわけではありませんが、19世紀のヨーロッパで共 産主義が誕生したのは、1)ヨーロッパ人というどう猛な民族、2)封建主義から民 主主義へ変わった経験不足、3)人間の頭脳は完璧だと考えたヨーロッパの信仰、の 3つだったように思います。 ・・・・・・・・・ それはともかく、初期の民主主義、資本主義があまりに未完成だったこともあり、ま たその考えは未熟な世界ほど共感を得たという性質もあり、当時、ヨーロッパ社会と 比較すると格段に野蛮で、未発達なロシアで世界で初めての共産主義国家ができ、そ れがソ連邦でした。 つまり初期の民主主義(資本主義でもあった)の矛盾がもっとも大きかったイギリス は共産主義にはならず、フランスもドイツもそのままだったのに、まだ資本主義の矛 盾などなかったロシアが共産主義になったのですから、もともと、「共産主義が必要 な理由」のないところにできたとともいえるのです。 さらに、ソ連はそれまで当たり前だった「国」、「宗教」なども否定しましたので、 コミンテルン(ロシア語)を作って各国の共産党はその国より国際組織であるコミン テルンに忠誠を尽くしました。幼児性を持つ日本の知識人や東大教授もまたコミンテ ルンを支持したのです。 ・・・・・・・・・ でも、共産主義理論には大きな欠陥がありました。それは「人間が人間ではない」と いう仮定があったからです。人間という生物は、数ある生物のうち最初に「頭脳が本 能を制御することができる生物」という特徴があります。 DNA情報量を10の10乗ビットとしますと、哺乳動物はその10倍程度の頭脳情報を持っ ていますが、そのぐらいでは強力な遺伝情報を押さえることはできません。しかし、 人間は100倍ちかくの脳情報を持っているので、かろうじて本能を押さえることがで きます。 しかし、それは本能を押さえることができると言うだけで、本能がなくなったわけで はありません。「自分より弱い相手をやっつけて、自分はよい思いをしたい」という のは生物の根本原理であり、私たちの体の中のDNAはまさにそれを基本として発達し 、複雑になってきたのです。つまり、人間の存在自体、他の動物を圧迫し、まずは「 自分たちだけ」が快適な人生を送ることができるようにし、さらに人間の間で競争し て強いものが勝つようにしているのです。 このことは私のような科学者の目で見れば、あまりに当たり前のことですが、社会学 、政治学、哲学などを専門とする人たちは「本能が発揮されない人間」がいると思っ たようです。 そういう人間を考えると、先に書いた「共産主義の基本的考え方」、つまり「みんな で心を一つにして一所懸命働く」、「働いて得た富は平等に分配する」というのがい かに「非人間的」であるかがわかります。 「サボれればサボる」、「富は自分が少しでも多く取る」などということが起こるは ずもないのです。少し長くなりましたので、次回に続きを書きますが(列車が上野に 着くので)、慧眼な読者はAIJ問題がなぜ起きたのか、その半分ぐらいの理由が共産 主義の失敗と同じ理由・・・つまり、人間がDNAで動く生物であることを無視した結 果であることを推定していただいているかも知れません。 「tdyno.09-(9:15).mp3」をダウンロード (平成24年4月1日) 武田邦彦
2012.04.04
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・4、3、火 これもまた少なからずショックな内容である。 国内の森林を守ることは、我々の住みやすい国を守るのに最も大事だと思っていたか らである。 それが林野庁、環境省、森林保護派の利権による騙しだとすれば「またか!」という 嘆息しかない。 一本の木から材木を切り出せば、五分の四までが残りの材木となるので、それを割り 箸や紙に利用するという話も驚きだ。 ということは、割り箸は何も罪悪ではないということになる。 天然林と人工林の割合を知らない庶民の無知を利用した、巧妙な嘘であるということ か。 花粉症まで人災であるなら、これは立派な訴訟の対象だ。 ひょっとすれば、日本で人工林まで伐採を止めるため、必要な木材は海外で伐採し、 中国の砂漠化を引き起こし、その結果黄砂という形で報いが帰って来ているのか? 「日本は人災だらけですね」と武田氏も書いているが、彼の言うことがすべて本当だ とすれば、国のために我々は日々苦悩させられていることになる。 そう、ここで問題は、武田氏が言うことが本当に事実なのかという疑いだ。 温暖化・CO2・南極の氷・森林・絶滅動物などの一般常識への彼の疑惑がすべてでた らめだったら、大変なことだ。 それを確証することは僕にはもちろんできないが、感としてはおそらく彼の言う通り なのだろう。 その裏で、年金負担料を上げられ、配当を削られ、税金を上げられ、末端の公務員の 給料と退職金はお大幅に削られている。 さて、日本国民はどこまで耐えられるか? 日本国民の忍耐力はいつ底を突くのか? ーーーーーー 新しい環境学(1) 森林・・・花粉症、紙のリサイクル、割り箸、CO2 (新年度、原発事故から1年ということで、頭が「まとめ」の方にいってしまいます 。) 1990年に日本では突如、「環境学」というのが現れ、「ゴミが増えてゴミだらけにな る」とか「ダイオキシンは人間が作り出した猛毒だ」というような話になり、最近で は「CO2で地球が温暖化して大変だ」というようなこと(すべて間違い)を言い続け ました。 学問ができたばかりですから少し間違うのはよいとしても、あまりに幼稚なレベルが 続いています。もう20年も過ぎましたので、「小学生でもおかしいと思う」というこ とが多い環境学を少し修正しておかなければならなりません。 また、「環境とはこういうものだ」という間違った空気を作り出し、それが「空気が 事実だ」と変わり、「正しい環境学の人」を誹謗中傷するまでになったのです。でも これは修正しておかなければなりません。 ・・・・・・・・・ 簡単なことから始めますが、日本では「花粉症」、「紙のリサイクル」、「割り箸忌 避運動」、それに「森林がCO2を吸収する」というような森林に関する基本的な機能 に全く反する「幼稚な環境認識」が蔓延しています。 「自然界の中の森林の役割」、「人間との関係における森林の役割」から森林の環境 問題を考えなければなりません。自然には海、平野、森林などがありますが、それら は地質学的な成因に応じてできていて、それぞれが全体として調和しています。これ らは人間が決定したり左右したりすることはできず、自然をそのまま受け入れるとい う性質のものです。 一方、人間と自然、その中でも人間と森の関係はこれまでの歴史的な経験でかなりの ことがわかっています。標準的に言えば、森は天然林と人工林の比率を半分半分ぐら いにして、ドングリなどの実がなりやすい天然林を山の奥の方に、定期的に切り出し て運搬する必要のある人工林を人里の方にと配置するのがよいとされています。 このことでわかるように、人間と森林の関係では、人間が森林の半分を利用すること が望ましいと言うことです。そしてその指標として「森林利用率」というのがありま す。この指標はかつて「森林保護派」と言われる人たちによって間違った使い方をさ れました。 森林保護派の人は森林のことはよく知っていましたので、おそらくは「森林を守るた めに嘘をついてよい」と思ったのでしょう、「森林利用率が90%などけしからん!森 林が破壊されてしまう」と言ったのですが、実は森林利用率は「今年、新しく伸びた 樹木量」が分母で、「人間が切り出した樹木量」が分子ですから、100%の時にちょ うど森林はよい状態になるということです。 森林を大切にしているスウェーデンなどの北欧の国の森林利用率が90%であることか らもわかります。でも、日本では「森林保護派」と言われた人たちは、今の環境省の ように名前だけで実際には森林を保護する気持ちはなく、それを通じた利権を狙って いました。 かくして、戦後、植林した日本の森林の利用率は40%まで減りました。40%というと 60%が伸びたまま放置されたと言うことを意味していますので、日本の森林はひどい ことになったのです。何しろその年に伸びた樹木がそのまま放置されたのですから、 自分の家の庭を想像してみればわかりますが、森林がひどいことになったのです。 もう一つの原因は、戦後のうちの方はある程度改革しましたが、林野庁がサボって森 林の改革をしませんでした。そのため小さい地主がいたり、山の奥の方に植林したり したので、有効な利用ができなかったのです。 ここでも日本の官僚の能力不足で、日本の森林が利用できなくなったという事情が見 られます。仮に戦後に森林の改革をして山の奥の方は天然林、人里に近く伐採、運搬 に便利なところに杉を植えていれば、1950年に植林した樹木は1980年ぐらいになって 利用できたのです。 樹木の利用は太陽エネルギーの最も優れた利用方法ですから、現在の太陽光発電など より効率もよく、「再生可能エネルギー」を支持している人はまず杉を伐採すること から始めなければならないのです。 ・・・・・・・・・ 森林の利用と言ってもほとんどが樹木ですが、樹木は単位面積あたり150立方メート ル伐採しても、そのうち30立方メートル、つまり5分の1しか材木としては利用できま せん。それは間引き、枝打ち、伐採のための道路、断面積が円形であるので四角い材 木との関係で「みみ」がでることなどが主な理由です。 伐採した樹木のうち5分の4が無駄になるのですから、これをどのように利用するの かがポイントとなります。それが「割り箸」、「ベニア」などだったのですが、ここ でも森林保護派が割り箸の忌避運動を展開して森林を破壊してしまいました。 つまり、森林保護というのは半分を自然林にして、そこが野生動物と人の緩衝地帯に なり、計画的な地形と植林で災害を防ぐなどの意味を持っています。しかしそれが成 立するには、1)林野庁が計画的な森林の改革をすること、2)5分の4出る「劣位の資 源」を有効に利用すること、にかかっているのです。 世界の3大森林国である日本が森林を放置しているのは「人災」であることがわかり ます。この人災は林野庁、環境省、そして森林保護派の共同人災で、その結果、1980 年代に伐採して利用するべき杉が利用できず、杉の花粉による花粉症が蔓延した原因 を作りました。 その意味では日本人の健康を損ねたという点で、林野庁はサボりによる傷害の原因を 作り、環境省、森林保護派は積極的に花粉症を作り出したという点で罪深いのです。 紙のリサイクルも、森林がCO2を吸収するという非科学的なことも、すべては森林を 愛し、大切にすることよりお金、利権、名誉などを追求した結果でした。日本は人災 だらけですね。 今からでも改善はできるので、森林の利権者の話し合い、杉の伐採などにこそ太陽電 池の補助金の予算を回して、日本の自然を守り、自然からに恵みを大切にしたいと思 います。 (平成24年4月1日) 「foresttdyno.11-(10:00).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.04.03
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・4、1、日 内部外部の各被曝の基準値についてようやく一目で分るようにまとめてくれているので、 これを頭に叩き込んで、様々な嘘やごまかしに対応して行かねばならない。 「私は終始一貫、『学問的に被曝と健康の関係がわからないのだから、3月11日以前 の法律の基準を守っておけば、原発事故前の状態の中で生活するのだから、それで安 心するしか方法はない』という考えで、それは「被曝総量1年1ミリ、少し我慢するな ら1年5ミリ。子供は可能か限り1ミリ。内訳は、外部0.4ミリ、内部0.4ミリ、水0.1ミ リ、土ほこり0.1ミリ。住むところの土壌は1平方メートルあたり4万ベクレル以下、 物質は1キロあたり1000ベクレル以下(セシウム)、食材は1キロあたり40ベクレル。 水1キロあたり10ベクレル」というところです。」 さてここで述べられているのが「遅発性」の問題である。 やがてはっきりと見えて来る体調の変化、病気の発症を考えるととにかく怖ろしい。 皆そのときになって大慌てするのだろうが、すでにどうしようもない。 ここで関西地区への遅発性について考えてみると、実際にはどれほどの被曝を受けて いるか一向に分らない。 空気中の降下量は通常の三倍ほどか、それで済んでいればいいのだがという感じ。 食材については、東北、関東のものも多く流通しているはずだから、スーパーで買い 物をしても、外食しても何を食べさせられているか全く分らない。 そのような我々の今の生活が、遅発性という点にどのような結果を見せるか、それは 始ってみないと誰にも分らないということだ。 新たな心配を増やさないためにも、とにかく今は瓦礫受け入れを拒否しなくてはなら ない。 しかし実際に市長や知事にそれを訴えたくても、どうすればいいのだ。 結局は最終的な決定は彼らの一存だ。 瓦礫を焼却すれば、次に何が起こるか皆で正しく把握することが大事だ。 ーーーーーー 原発事故を混乱させたもの(これから―1) 発病時期(直ちに・・・の問題) 原発事故から1年。原発事故後に起こった日本の混乱について考え、必要なら対策を 打つべき時期にきました。また、1年前のことを正しく理解することは今後の生活に も大いに役に立ちます。その意味で批判も前向きな行為でもあります。 まず、第一には有名になった「直ちに健康に影響はない」と官房長官や保安院が繰り 返したことです。後に官房長官は「7回しか言っていない」と釈明していますが、官 房長官ですから間違っていたら1回の発言でも修正、説明などが必要です。修正がな いと正しいステートメントだったことになるからです。 このグラフはチェルノブイリ原発事故の時の子供の甲状腺がんの発生状況です。この ようなデータは内閣府に専門家がそろっていることを考えると、当然、官房長官など の方はご存じだったと思います。つまり、放射線の被曝によって発症するがんなどは 4年目から、妊娠などの障害は15年目などの遅い発症があります。 だから、「直ちに健康に影響はない」ということを政府が繰り返したことと、強制的 な避難手段(バスなど)を提供しなかったことから、「直ちに健康に影響がないから 、政府は国民を被曝させた」ということになります。 その後、有識者、マスコミなども「福島原発事故で死んだ人はいない」、「原発の上 を元気に鳥が飛んでいる」、「原発周辺の住民に被爆の疾病が認められない」などを 繰り返しました。 この記事に示したグラフを出すまでもなく、放射線による被曝による疾病は遅発性( 少し時間がたって発症する)ことは一般的にもよく知られているので、それに反する ことを発言する専門家はなぜ即発性の疾病だけを言ったのかを明らかにするべきでし たし、そのような専門家を登場させたマスコミもその理由を1年を経た現在、発言し た専門家やマスコミが「誤っていた」ことをはっきり言う必要があるでしょう。 これをごまかすと、今後のことを考える人もどう考えてよいかわからなくなるでしょ う。少なくとも日本国民を被曝からまもる法律に大きく反したことを公の人が言った のですから、訂正かなにかをしなければ今後、被曝を避けることを考えるにも大切と 思います。 ・・・・・・・・・ 今、多くの人が「このままここに住んでいて大丈夫だろうか?」、「このままの食生 活でOKか?」と不安を感じておられます。この原因は「直ちに健康に影響がない」と いうし、「法律では1年1ミリ」だし、とダブルスタンダードだからです。 私は終始一貫、「学問的に被曝と健康の関係がわからないのだから、3月11日以前の 法律の基準を守っておけば、原発事故前の状態の中で生活するのだから、それで安心 するしか方法はない」という考えで、それは「被曝総量1年1ミリ、少し我慢するなら 1年5ミリ。子供は可能か限り1ミリ。内訳は、外部0.4ミリ、内部0.4ミリ、水0.1ミリ 、土ほこり0.1ミリ。住むところの土壌は1平方メートルあたり4万ベクレル以下、物 質は1キロあたり1000ベクレル以下(セシウム)、食材は1キロあたり40ベクレル。水 1キロあたり10ベクレル」というところです。 このような値は被曝の内訳(外部0.4とか)が決まれば自動的に決まるもので、被曝 の数値はとにかく「外部、内部、水、土」からの被曝量を決めないと計算ができませ ん。また注意が必要なことは「東大教授はじめ偉い人」は「足し算ができない」とい うことを親としては欲知っておくことです。 足し算は、1)外部、内部・・という足し算、2)これから30年間の足し算、の二つ が必要です。つまり、たとえば「瓦礫の危険性」という意味では、瓦礫だけを考えれ ばOKでも、薪ストーブからの被曝、焼却炉からの被曝・・・などを足しているかとい うことです。 ・・・・・・・・・ また数年後に子供に被曝による病気が起きたとき、政府や自治体はいいわけをし、1 年1ミリ以上でも大丈夫といった専門家は逮捕されない可能性がありますし、そのと きに責任者が罰を受けても、子供の健康とは別問題です。このところを親として覚悟 を決めておく必要があります。 つまり1年1ミリ以上の被曝は「これまでの日本人が経験していない長期被曝」になり ますから、その責任は親や学校の先生にあると言うことです。 (平成24年3月31日) 「tdyno.08-(6:30).mp3」をダウンロード [Qa1702。] 武田邦彦
2012.04.01
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