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・2.29.水 ガラスの十代さんからご意見をいただいたが、提供下さったデーターご意見が余りに多いため、一つずつに僕の意見を添えることはやめようと思う。 その代わりに、幾つかの点に集約して今までの感想と意見を述べたいと思う。 ●素人の議論 最初に呼びかけたが、こういう話題はとにかく感情的になり易いので、何を言われても冷静に議論するということが大事だろうと考える。 冷静さを失い、お互いに感情的に言い罵り、互いの弱点を突きあい、傷つけあって喧嘩して終われば、今回の議論はすべて時間の無駄になってしまう。 考えてもみて欲しい、どうして東電のことで見知らぬ我々が喧嘩する必要があるのだ? それほどバカバカしいことはない。 ●僕のブログの意味 僕の書く日記は、元々科学的な根拠などどこにもない。 根拠が提示できれば水面下の蠢きの首根っこだって抑えられる力が持てる。 知識を持たない素人に尻尾を掴まれるようなことをするはずもない。 だから想像で文章を書く。 まあご指摘の通り想像で政府を批判することが人道に外れる行為であると言われれば確かにフェアではないかもしれない。 でも税金で運営される政府はいわばプロ野球選手のようなもので、スタンドやテレビの向こうから、野球の知らない素人にヤジと罵倒を受けるのが一つの仕事でもある。 だから要するに幽霊を書くことが僕のブログの目的であるということになる。 僕は専門家でも学者でもない。 ただの世迷い言を書き連ねる町のおじさんである。 「結局最後はそんな風に逃げるつもりか」と言われるかもしれないが、もし学問的にきっちりとした論理でない状態で原発を批判することに我慢がならないというのなら、僕としても日記を書き続ける上で困ったことになってしまう。 素人なりに原発を考え、日本のこれからを考え、とにかく想像で幽霊を描くことが結構楽しかったからだ。 僕のことを随分ご心配いただいているようだが、僕は誰に何を言われようとも、自分の書きたいことを書く。 そのことで批判されたり、信頼性を失ったり、ブログ炎上となってもそれは自分の行動の結果であり、己の責任は己で取る。 誰に助けてもらいたくも、心配してもらいたくもない。 もし見るに耐えないのなら、このブログは開かないようにしていただくしかない。 ●営利を何よりも優先する理由 またこんなタイトルを付けるとお叱りを受けるかもしれないが、発展途上国が原発を受け入れて、豊かになる道を選ぶことが正当であると解くその心は、経済の成り立ち側に立った生き方から来るのだろうか。 でももっと違う考えや倫理もあるはずだ。 地震の例でAとBの信頼性の話をされているが、やはりこれも突き詰めれば都合の良い理論を引き出して、自分の考えを構築してしまっていることにはならないか。 自分の手で研究と実験を重ねて生み出した理論ではなく、ネットで様々な人の意見やデータを読み漁っているだけでは、このA・Bの危険にはまり込んでしまうことにはならないか。 鍼のことについても、自分で治療に通い、その力と可能性を体で体験した経験がないままで、ネットでの資料にだけ依存して論じることは歪みを形成する原因となる。 子供たちの危険に言及したくないということだが、大人が利益を優先すれば、給食に汚染された食材が並び、子供たちは強制的にそれを食べさせられ、スーパーで牛乳を買って飲めば汚染された東北の物が混ざっている。 この言い分も「根拠とデータがない!」と言われるかもしれないが、データが残っていれば大変なことになるし、大人たちの利益が大きく損なわれることになるのだから、政府を上げて調査する訳がない。 すべて水面下から流れて来る情報を頼りに想定して行動するしかない訳で、日本国民を守ってはくれない政府には、当然のことながら信頼を寄せる訳にはいかない。 今利益を優先するという考えはイコール子供たちに病気になれと言っていることにもなる。 うちの家には小さな子供が居るから、ダイレクトに感じる危険なのだ。 未婚者や昔子育てをした年配者はいつの間にか子供たちを遠ざけ、自分の生活を優先し、子供のいる家の大人は常に子供が優先で、国全体の経済や酪農者、漁業者や電力会社関係の人たちのことは見えなくなってしまうのではないか。 「大人たちの利益がなくなれば子供たちの生活も危ぶまれるではないか」という意見が出て来ると思うが、今は健康を重視するべきで、健康だからこそ明日があるのだ。 生活費の問題は確かに足元を揺るがす恐怖ではあるが、それはとにかく次の課題だ。 東電と政府はそれだけの大きな打撃を国民に与えた訳で、怒りを向ける矛先は原発批判者ではなく、彼らだ。 子供を守るためにはコストが掛かり、そのコストが実行に値するか?すなわち他にも健康を害する要因はたくさんあるのに、放射能に固執してコストを書ける必要が本当にあるのかというお話もあるが、このような論理を書かれるから誤解を生む。 子供を飛行機に平気に乗せるのに、東電の放射能は批判することの矛盾も述べられているが、被曝は年間の足し算であると教えられた。 ほんの数時間のフライトによる被曝と、随時身の周りにある放射能物質とを比較することはできない。 これらも東電の責任を回避するために度々用いられる理屈では? ●放射能の被害を出きるだけ小さく考えようとする理由 放射能の人体への影響は、結局世界中の誰にも分らないということだが、もちろんガラスの十代さんにも分らないはずだ。 ということは、人体にとても悪い影響がある可能性だって否定できないはずだ。 とすれば、少しでも注意を払い、少しでも低い予防原則のもとで注意して行くことがどうして気に触るのだろう。 危険を警告することがどうして悪なのだろう。 原発恩恵者ではないとお怒りのようであるが、放射能の危険を一切語らず、原発の危険を一切語らず、東電の責任を回避する発言をし、国と個人の利益を尊重される姿勢は、誰が見ても恩恵者と見えてしまう。 もし恩恵者ではなく(べつに恩恵者を批難している訳ではない)、ただすべてを公平な目で検分したいということならば、恩恵者という一語に神経を逆撫でされずに、放射能の危険に対してだって公平な目を注ぐべきだと僕は思うのだが。 そうして我々は専門家とはちがう、素人の原発を考えるという議論を展開するべきではないだろうか。 要するにとことん研究、実験を重ねた専門家でない限り、プチ専門家のようなつもりになってはいけないということだ。 知らないことは「知らない」「表向きはこう言われているが、本当はこういう危険があるのではないか」と専門家が言えないこと、言うことを許されてはいないことなどを遠慮なく書く、それがただの想像であろうが、幽霊であろうが、学者でもない限り自由だし、それを真面目に考えるか冗談として笑い飛ばすかも読者の自由だ。 要するに言いたいことをまとめると、僕の自論を専門家の議論に引きずり込まないで欲しいということだ。 大丈夫!僕の言うことをそのまま信じるような読者はまずいないだろうから。 ●武田氏について 武田氏を弁護してまわるつもりはないが、彼はとにかく言葉足らずのところがあるようだ。 一年1ミリと言ったり、一年5ミリと言ったりすることには理由がある。 実際には自然放射線も含めて、関西などでは2,5ミリから3ミリは掛る、だからこそ自分では1ミリを目標にしていた方がいいという意味だ。 でもスーパーで買い物をするお母さんの困惑を考えると「一年5ミリでもまあ許せる範囲ですよ」と言ってしまう訳だ。 ここには学者としての人格と、町のお父さんとしての人格の難しい発言が交差している。 正しいことは一つだということもあるが、実際には少々低めに設定したのが一年1ミリシーベルトだから、内部被曝、外部被曝、自然放射線を足して5ミリでも大丈夫な範囲なのだろう。 チッソに寛容であるという話はちょっと調べてみないと何とも返答できないが、もし武田氏の言う「チッソには責任はない」が間違いであっても東電の垂れ流した放射能物質が安全ということにはならない。 上げられた武田氏の不正確とされた点は、これだけでは「信用に値しない」とは言えない。 今僕が武田氏の記事を引用するのは、放射能に対しての知識とその警告が欲しい訳で、他の物質の危険には無頓着であったとしても、それはまた別の問題だ。 確かに武田氏はそそっかしく、言うことが大げさで、世間の常識を引っくり返すような衝撃的な意見ばかりを探しているように見える。 まさにテレビ向きで、本が売れる。 しかし彼のように放射能の危険をあからさまに語り、政府をあそこまで批判し、NHKや東大を批難すれば、行く行くは大学の教員の椅子を奪われ、テレビ界からも追放され、学者としての権利や発言力まで奪われる可能性だってある。 政府の御用学者として利口にふるまっていれば、怖い人たちに人格攻撃をされることもないのだ。 僕の見立てでは、彼にも問題やミスはあるとしても、悪意はない。 この「悪意」があるか、ないかが重要なポイントとなる。 一様に何とか皆を守りたいと思って行動しているはずだ。 もちろん学者だから自分の本が売れれば嬉しいだろうし、大学を追われた時のために学者としての位置も確保する必要があるだろう。 収入も必要だ。 とにかく彼の個人的な営利や学者としての立ち回りは、今の我々にとってはどうでもよい。 正しい情報と、分らない事柄でもその可能性を情報として提供してくれればそれでいいのだ。 爆発がどうとか、温暖化がどうとか、CO2や南極の氷がどうとかは、結局別の話題で、僕が武田氏の記述を引用する本来の理由とは反れたものである政府が本気で我々を守ってくれる心があるのなら、武田氏の記述を引用する必要もないのだ。 ●心配について ガラスの十代さんが僕の演奏を聴いていただき、僕のブログも時々覗いて下さり、ガラスの十代さんなりに僕に親密感を持っていただき、おそらくお会いしたことのない我々でありながら、本当にいろんなことを心配下さっているのだろうと思う。 そのことに対しては感謝している。 でも僕は今までの人生で、心配いただくがゆえにがんじがらめに縛られた経験が幾度かある。 「これだけ心配いただいているのだから忠告を真摯に受け止めよう」「これ以上心配を掛けないようにしよう」として結局相手の様々な指示に随って動き、結果自分を失いすべてがうまく行かなくなる。 そしてそこから逃れようとして「これだけ心配しているのに裏切るつもりか!」と罵倒されて相手との関係が終わってしまう。 こういった例の繰り返しだった。 おそらく周りから見ると、昔から僕のやることすべてが危なっかしく見えるのだろう。 でも経験上長い目で見ると、やっぱり自分の思うように行動する方が自分には合っていることが分るので、結果ガラスの十代さんの忠告もはねのけることとなってしまう。 僕的な他人への心配とは、まず相手の考えや行動を尊重し(例えそれが自分の考えと異なっていようとも)それを遠くから見守るというものである。 他者の生き方は、たとえ我が子であっても自分と同じ物差しでは測れないものだと思っているから。 だから自分の子供に対しても、本人が考えをまとめる前に「こうするべきだ」と指示することは、よっぽどでない限りしないでおこうと思っている。 自分の考えで行動してみてそれが大失敗の結果になっても、その場で次の手立てを考えるという力を養うチャンスだからだ。 そのようにして、人々は独自の生き方と自信を獲得して行く。
2012.02.29
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・2.26.日ガラスの十代さんのご意見に沿って、再び僕の意見を添えたいと思う。●「エネルギー問題の専門家を信頼してください。とりあえず、政府のエネルギー白書を一度ご覧になることをお勧めします」~教えていただいた「2011年度エネルギー白書」のホームページをざっと覗いて見た。今までに持ち上がった問題や、現在の世界の情勢、これからの目標などが書き並べられ、政府が事故以後どのようにこれからのエネルギーを考え、どうやって安定したエネルギー供給を可能にするかを模索する様子が伺え、とても勉強になった。原油価格の騰落・温暖化に対して、CO2削減を目指すクリーンエネルギーの推進・世界の各国のエネルギーに対する考えなどがその内容の中心であるようだ。この公開されたエネルギー白書なるものを丸ごと信用できれば幸せなのだが、悲しいながら何か裏の目標があるのではと疑って読んでしまう気持ちを拭えない。我々の心をそうさせてしまったのは、他でもない政府自身なのだ。原発事故以後のあからさまな政府の隠蔽体質と、嘘の上塗りがそうさせたのだ。補償を少しでも少なく見積もり、東電を匿い何とかして石にかじり付いても原発再開を目指し、海外からのバッシングを防ぐことしか頭にない、いわゆるパニック状態であった訳だ。たとえ今になってこれからのエネルギー問題を真剣に考えたとしても、なくした信頼を取り戻すのは容易ではないだろう。●「つまり放射性物質は人間が扱えます。だから、依然として世界中で原子力発電は続いています」~ヨーロッパやアメリカでは、もう数十年新しく原発を造ってはいないと聞いた。今ある原発を稼動しているだけで、いつか近い将来別のエネルギー開発に移行する目的だと。何故か?それは人類を破滅に導く物質に頼るエネルギーであるからだ。ドイツなどは、僕が住んでいたころからテレビなどで煩くその点を訴えていた。放射能に対する神経質さも、ドイツで教えられ植えつけられた感覚なのだ。だが日本ではもっと原発を増やし、海外の発展途上国に売りつけようとまでしている。そこにはクリーンで安いエネルギー供給の目的以外の利害があるからだろう。そういう意味でヨーロッパやアメリカの原発と、日本の原発では少し意味の違う部分があるということだろう。だから1997年の京都議定書の継続は、日本だけで行なわれている茶番劇である理由である。京都大学の小出弘章氏などは原発廃止を願い、携帯電話・エレベーター・電車などを利用しないことを実行していたという。しかしここに来て、いたるところで関西電力が節電を訴えるから、反対にそれらを進んで使用しているようにしているとひにくっていた。今ほとんどの原発が運転を停止し、各電力会社が節電を訴えて、企業に悲鳴を上げさせ、国民に不便と危機感を与えているが、ひょっとしてこれも計画的な取り組みか?と思ってしまう訳だ。●「武田先生のスタンスは、私にもよく理解できるものです。しかしいくら分かりやすく語っても、正確性を欠いては意味がありません。特に武田先生のような人の場合、正確性が疑わしいので。まずは専門家のおおよそが支持するオーソドックスな見解を尊重しておくべきではないですか」~武田氏の言うことに嘘が多く、正確性を欠いているとしきりに言われている。これは僕としても武田氏を100パーセント信用している訳ではないので、彼の述べているどの部分が嘘で、どの部分に正確性がなく、鵜呑みにした場合それが我々の取るべき行動にとってどのように危険を伴うかという点を具体的に上げていただければ勉強になるかと思う。●「子供について特に言及されてるので、大人は無視していいんですね?」~子供とは20歳までの人を指して述べているが、彼らは我々大人よりも10倍以上放射線に敏感であるという。これから妊娠するだろう若い女性については、未来の国を担う我々の宝物にまで及ぶ黒い手だ。余談だが、それに比べて55歳も過ぎると著しくその危険性は減少すると小出氏は述べていた。子供たちの食生活や行動に気をつけていれば、その周りの大人もまた安全の中に居るということだ。●「今回の事故程度の放射性物質による被曝ならば、他の重大な要因に紛れ込んでしまうほどのごくごく小さな「危険」にだからです」~一体どのような知識をお持ちの中からそのような発言が出るのか想像不可能であるが、空気中に80京ベクレル、海中に80京ベクレルという気の遠くなるような膨大な汚染を垂れ流していて、ごくごくび微量とは何と比べてのことだろう?例えそれ以上の被曝を以前から受けていたとしても、今回の自己を「何でもない」と責任逃れすることは不可能である。これもまた原発側の発言によく聞かれるセリフであるが、この理論を聞くといつも思い出される実話がある。昔ポーランドのアウスシュビッツ収容所で、収容されているユダヤ人たちが建物内の庭に開放されて一時的に皆自由に歩き回っていた。収容所の職員であった一人の若い女性が、突然銃を取り出し一人のユダヤ人女性の頭を打ち抜いた。脳みそは飛び散り、近くに腰掛けていた別のユダヤ人女性の前に落ちて来た。その女性は職員のドイツ人女性に尋ねた。「何故そんなことをするの?!」するとその若いドイツ人女性は答えた。「そんなに睨まないでよ、どうせいつか全員始末するユダヤ人じゃない。今私が一人ぐらい片付けて何が悪いの?」その若いドイツ人女性の職員は、後に裁判に掛けられ処刑された。●「例えば不況がより深刻化してお父さんお母さんが失業した時の子供のストレスが元となるリスクと放射性物質によるリスクと、どちらがより重大で、より効果的に回避可能でしょうか」~ガラスの十代さんとのやり取りの中で、僕も思いやりに欠けた考えであったことにも思い当たった。そして切ない心持にもなった。原発が止り、廃止に向かい倒産すれば、この大企業の恩恵にあずかり生活を営んでいる人たちは数知れない。もちろん原発内で働く人たち。その周りの地区で、職員目当てに飲食店を営む人たち。電力会社の下請けや委託会社。関西電力の場合なら、大阪市内にも無数の恩恵を受けた子会社がある。例えば住友関係の末端の小さな会社まで、もちろんのこと営業停止となるだろう。そこには家族を支える多くのお父さんが働き、子供の教育費や家のローンを抱えている。罪のないそのような人々の生活は誰が補償してくれるのか。誰も見向きもしないだろう。ガラスの十代さんもおそらくそのどれか恩恵組みであるのだろうと想像するが、境遇を自分に置き換えて考えればやはり原発に反対する者を憎むかもしれないし、今回の事故に集まる批判を打ち消す理論を探すだろうし、何とかしてこのまま原発を再開して今までの生活を守りたいと思うだろう。それは当然なことでもあると思う。難しいことだな、と困惑もする。何か大きく強いものに依存して暮らせば、豊かで確信に満ちた生活が手に入りもするが、揺らぐはずがないと思っていた城が突然脅かされ、泡のように消える危険もやはり含んでいるのだ。この世から無くなるはずのない豊臣家と、大阪城が夢と消えたごとくに。
2012.02.26
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・2.24.金 大金持出氏さん、ガラスの十代さん。 いつも読んでいただいて感謝申し上げます。 お二人の議論をとても興味深く読ませていただきました。 というのは、原発のことについて述べても、ほとんどその反論も賛成論も耳にする機会はなかったので、特に「原発をなくすのはよくない」という意見は僕にとっては貴重で、その理由も少し説明下さっているので、一方の意見だけではなくその推進理由が聞けるという嬉しさです。 しかしこういう話題は感情的になり易いので、冷静に意見を述べることが大事かと思っています。 まず最初に、きっちりと論点を定めておくべきだが、原発推進派も反対派も「子供たちの身を守る」という根底の思いを持って議論に向かわねばならないと思っている。 もちろん日本の大人であれば、これは誰しも責任と使命を持っていると確信する。 そこに原発推進派も反対派も異論はないはずだ。 さてそれを踏まえた上で、ガラスの十代さんの述べられた幾つかの興味深い点を取上げ、僕の意見と思いをそこに述べたいと思う。 ●「経済を曖昧にしたまま幸福を論じられません~火力に依存するようになると、電力会社は燃料費のために軒並み赤字になる可能性があります」~ 原発というものはお金が掛からず、火力に頼れば今よりもずっと電気代が跳ね上がる結果となり、企業は営業困難に陥り、家庭でも生活に支障が出るということを危惧されているものと理解した。 確かに火力発電はお金が掛るので、だからこそ日本の経済を考えれば原発が重要なのだという話もよく聞く。 この辺りの事実については僕は全くの無知なので、はっきりした意見は述べられないが、ふと考えると今我々が使用している電気の約70パーセントが火力発電と少々の風力水力で、残りの30パーセントが原発で補われていると聞いた。 それで今までの電気代でやってこれているとすれば、後30パーセントをこれからどうするかという問題になるのではないか。 まあ、どんな話にしても、専門の知識のない我々にとっては、一体誰の言うことが本当なのか?ということだが。 でも経済の問題の前に、放射能というものを人間が扱って許される物質なのかという問題に立ち返ってみることも必要なのではないだろうか。 医学でも放射線は多くの命を救ってきた。 でも同時に多くの危険にも曝している。 どんな利点があろうとも、放射線に頼らずに発展して行く人類の道を模索し始めなくてはならない時期なのではと思う。 ●「武田邦彦先生の記事を鵜呑みにされてきたことに非常に心を痛めていました」~ 以前にも述べたが、僕は決して武田氏を崇拝も尊敬もしてはいない。 ただ、人の書いた文章を読んで、その人の人柄や本当の人格を垣間見るという資質にちょっと僕は自信がある。 顔を合わせて話しているだけでは見えてこない人格が、不思議に文章には表れて来るのだ。 そういう意味では、怖いことである。 原発事故直後にあらゆる専門家のHPを探ってみて、武田氏の文章に表れる人柄に好感を持った。 「家族を守る家のお父さん」という立場で彼の知りうる知識を提供して、少しでも子供たちの被曝を減らそうとする態度は嘘ではないと思う。 専門的な見解を述べる学者は居るが、そのような庶民の立場で、今何に気を付けて、何を試みればいいかというアドバイスを提供してくれる学者が他に存在しないのだ。 ここで我々は個人の批判や攻撃に固執せず、どうやって様々な嘘に巻き込まれず、どうやって危険を回避するかという点を見失わないことだろう。 ●「まともな専門家で武田邦彦を信用する人を私は見たことがありません」~ 今我々の取るべき立場として、様々な専門家が様々なことを言う中で、危険を少しでも回避するということだと思う。 武田氏が言う様々な理論が正しいのか間違っているのかは、知識のない我々には知りようもない。 おまけに被曝に関しては、誰も本当のことを知らないのだ。 一年100ミリシーベルトでも大丈夫かもしれないし、1ミリシーベルトとでも危ないかもしれないということだ。 ただ、武田氏は今回の事故による被曝の危険と、事故の起こった原因として我々人間の群集性の危険を中心に述べている訳で「放射能なんて気にすることはない、大丈夫」とは述べていない。 放射能についての本当の危険が分からない我々にとっては、少しでも危険を回避し「こう考えた方が今は安全」という意見に耳を傾ける方がいいだろうということだ。 怖がりすぎてバカを見ることはあっても、そのことでより危険に曝されることはないからだ。 それこそが予防原則ではないだろうか。 ●「大気圏核実験のために茶木さんの世代は原発事故以上の放射性物質に被曝していますが、そのために発がん率が増加したといった話はありません。また、予防原則を絶対視するなら、タバコはもちろん、酒も一滴たりとも飲めません」~ これは原発推進の人たちの口から度々出る理論である。 「どっちにしろ今回の事故よりも前に、すでに大量の被曝を受けているのだ」「今回の被曝が危険だというのなら、多くの食材はそれよりももっと危険だ」「被曝が癌を発症させるという事実ははっきりとしていない」 これは根本的に論点がずれている。 今我々の住む地球上には、様々な癌の発症原因が満ちている。 「だから今さら福島原発事故の放射能などやいやい言ってももう遅い」というのではなく、だからこそこれ以上危険を増やして子供たちの健康を損なう現実を見逃してはならないと、僕は強く感じる。 おまけにその事故の原因が、利益に塗れた人間の老廃物の成せることだとすれば、今この機会にその元と成る解毒作業に踏み出さねばならない。 さもなくば、日本のこれからはないかもしれない。 かなりの専門的知識が無い限り、僕が武田氏の述べることに感化されているのと同じく、原発推進者の書いたものを何時の間にか鵜呑みにしてしまっている危なさも存在するのではないだろうか。
2012.02.24
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・2.23.木 昨日のうちに二つのテレビ番組に嘆息した。 まずは出かける前に見た朝ズバである。 みのもんたと御用学者が二人声を合わせて「日本国内の各都市で進んで瓦礫を受け入れて、お互いを助け合う日本を目指すべきだ!」と大声で語っていた。 みのもんたはいつもは政府や官僚を批難するようなことを言って、庶民の味方であるように演じているが、実のところはそれもいざと言う時に政府や官僚からの命令で動く手立てなのだ。 原発事故以後すぐの非常事態の際にそれがはっきりと見えた。 絶対に彼を信頼してはならない。 彼の仕事自体が、プロパガンダを確立させるための差しがねなのかもしれない。 もう一つは同じく6チャンネルの朝の番組である。 この番組はお上からの圧力で口を閉ざされたり、報道を曲げられたりしているような様子は見えない。 ある市長が出て来て「私は昨日までアメリカの議会に出席していましたが、そこで日本の沖縄の基地の話題が出ました。 それで彼らが言うには『今や別に日本に基地を置く必要はない。 我々としてはすぐにでも他に移転してもいいのだが、日本側が是非居てくれと言うし、たくさんお金もくれるから、まあいいかということで居るんだ。 我々の海兵隊が沖縄に居たって、抑止力になんてならないよ。 例え北朝鮮が日本を攻めたって、我々が日本を守る義務はないからね』というようなことを言いました。 私はびっくりして、それじゃ何のために沖縄の人たちは長い間苦しんでいるのか、何のために莫大な予算(思いやり予算)を払い続けているのかと思いました」と発言した。 そして米軍海兵隊を日本に繋ぎとめているのは、日本の官僚であると述べた。 一体何のためにそんなことをするのかははっきりとは分らないが、何しろ思いやり予算(アメリカへのワイロ)は、年間10兆円とか聞く。 そこから日本で誰かが掠め取るためとは充分考えられることだ。 こんなワイロが無くなれば、年間の年金問題なども解消に向かうのではないか。 しかしこの番組は思い切った報道をするものだ。 まあでも報道しようが皆で騒ごうが、官僚の壁はそう簡単には破れないようになっている。 だって皆東大在学中に「税金の掠め方」を授業でじっくりと習うのだから。 ーーーーーーー 考える練習(2) 1年1ミリ問題 この1年。「どのぐらいの被曝まで大丈夫なの?」ということが、さまざまなことで 報道され、多くの人が迷いました。でも、この問題は「医学」でもなんでもないので す。被曝の知識が何もなくても、正しいことが判るという練習をしてみたいと思いま す。 ・・・・・・・・・ 解説者:「基本的には放射線の被曝はそれほど危険じゃないんだね。これまでの研究 では、1年100ミリシーベルトまで大丈夫というデータもあるんだ。」 視聴者:「そうですか?! でも、今まで放射線はとても怖いって聞いていたのです が?」 解説者:「世の中にはバカもいるからね。特に反原発の人なんかはなにも判らないの に、危険だ、危険だと騒いでいるんだ。」 視聴者:「なにか、1年1ミリとか聞いたことがあるのですが? 日本では国民を被 曝からまもる法律もあるとか?」 解説者:「人体と健康の関係はね、LNT仮説、閾値仮説、ホルミシス効果など多く の学説がある。LNT仮説を採れば1年1ミリもあるが、閾値仮説なら1年100ミ リもあるし、ホルミシス効果から言えば被曝した方がよいということになる」 視聴者:「世界的にも被曝量で合意した量があると聞いていますが?」 解説者:「その通りだ。ICRPという機関が合ってね、国債放射線防護委員会とい う公的な委員会なのだが、そこで1990年に国際的に合意している。原発の事故が 起こったときには、1年100ミリまで認めようという機運もある。」 視聴者:「なんだか判らなくなってきたので、最初の質問に戻らせていただくと、日 本の法律で決まっている量はあるのですか?」 解説者:「ある。原子炉の作業員は1年20ミリだし、医療に携わる人の場合はそれ ぞれ決まりがあって、厳格に守られている。」 視聴者:「私はどのぐらいですか?」 解説者:「えっ?あなた?あなたは関係がない。放射線の法律は放射線を出す人は機 関を規制するものだから、放射線を出さない普通の人の規定はないよ。車だって運転 している人には最高速度の規定はあるけれど、歩行者にはないのと同じだ。」 視聴者:「なるほど??判ったようでどうも判らないのですが、そうすると、私たち は被曝から守られていないということですか?」 解説者:「そんなことはないよ。最高速度の制限があるように、守られているんだ・ ・・(困ったな。ついに言わなければならないか・・・でも、時間かせぎをしている 間に、放射性ヨウ素は半減期が8日だからもう無くなっているから、ごまかせたかも しれないな)・・・1年1ミリだね。法律では。」 視聴者:「えっ!1年1ミリなんですか? 法律?! 被曝量は法律で決まっている のですか?」 K:「当然じゃないか。日本は法治国家だよ。それに50発以上の原発はあるし、医 療関係でも放射線をずいぶん使うのだから、国民を被曝から守る法律はあるよ。決ま ってるじゃないか。」 S:「その法律を決める人は誰ですか?」 K:「最後に決めるのは国会だけれど、最初は医者や被曝の専門家が委員会で決めて 、それを官僚が法律の形にするんだ。もちろん、委員会の医師や専門家は大きな機関 の長や責任者が多いね。その意味では当たり前だけれど法律の数値を決めるのだから 「権威ある専門家が決めた」と言っても良いんだ。」 S:「その人たちが決めたのは1年何ミリシーベルトですか?」 K:「ん? 1年1ミリだよ」 S:「えっ! 1年1ミリ?! さっき、1年100ミリと教えていただいたと思う のですが?」 K:「それは君。そういうデータもあるという意味だ。学問だからね。いろいろな学 説があるんだよ。」 S:「福島の原発事故の後、NHKを見ていても「法律で1年1ミリと決まっている 」ということはまったく聞いたことがないのですが」 K:「福島の原発事故は非常時だからね。法律より学問の方が大切と思ったんだろう 」 ・・・・・・・・・ 1年1ミリ問題の場合は、政府、自治体、マスコミ、専門家は国民に真実を知らせる ことをできるだけ先に延ばし、放射線が減少してきたところで正しいことに移るとい う作戦でした。 それは放射線が高いときに被曝させることになったのです。専門家のごまかしの一つ にこのように「ポイントになることを言わずに、その周辺を解説する」というのも常 套手段のようです。でも、論理的に少しずつ追い詰めることはできます。 この場合は「法律はあるのですか?」の一発です。なお、政府が盛んに「従わなけれ ばならない上司」のように口にしていたICRPという組織はグリーンピースやシー シェパードなどと同じようなNPO(任意団体)です。政府がICRPに従うなら、 シーシェパードに従って捕鯨を中止する必要があります(実にバカらしい!)。 (平成24年2月22日) 武田邦彦
2012.02.23
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来る4月28日(土)に、僕としてはあまり行なわないタイプのコンサートを開催する。 自論としては「芸術」(誰に何と思われようとも、自分が演奏したい曲を自分のために歌う) 「芸」(お客様に楽しんでいただけることを第一にプログラムを組み、親しみやすい舞台を企画する)の二つの演奏会があることを以前の日記で説明した。 演奏者としてはどちらも大事な演奏会である。 しかし後者はなかなか行なう機会がなかった。 今回CDをリリースした記念に行なうコンサートとして、このような企画を試みてみた。 耳慣れたカンツォーネ。 味わい深い日本の歌曲。 CDに収録されたドイツ歌曲から数曲を紹介。 ちょっと砕けた曲や、僕がギターでの弾き歌いもやってみようと思っている。 それにお話も入れて、親しみ深いものにできればと楽しみにしている。 会場は南港のサンセットホールで、演奏者の後ろが一面海の見えるガラスになっていて、17時30分に開演を設定したのは、うまく行けば海に沈む夕陽を見ながら開演を待ち、コンサートが進むにつれて日が暮れて夜になり、夜景を見ながら演奏を聴いていただけるという趣向である。 雨が降ればすべてアウトではあるが、ひょっとしたら雨の夕暮れの海というのも素敵なのかもしれない。 皆さん、是非「芸」としての僕のコンサートに足をお運びいただきたく、ここにご案内差し上げます。 *詳しくはフリーページの「時にはentertainmentな夕暮れで」をクリックして下さい 。 チケットお求めの方は、そこにある「CA声楽コンセルヴァトワール事務局」のアドレスにお名前と住所とお求めチケット枚数を添えてメールいただくか、お電話かFAXを下さい。
2012.02.22
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・2.20.月 No2 「石油は後40年で枯渇すると言われているにも関わらず、大きな石油会社は悠々としている」 なるほど、そういうところになかなか気が付かない。 だから常に嘘がここそこに隠れていると思っていなければならない。 「茶木はまたそんなことを言って、人を疑ってばかりいて何が楽しい」と言われるが、やはり疑わなくてはバカを見る世界なのだ。 これは身の周りの小さな社会においても同じことだ。 しかしロックフェラーなどは100年前からすでに石油に目を付け、掘り起こして利用する会社を運営していたなんて、さすがユダヤ人である。 誰も気が付かないところに頭をめぐらす知恵を備え、それを実行できるだけの財力を持っていたということか。 だから我々は小学校で融点というものを習い、マイナス40度が例えマイナス20度にまで上昇しても氷は解けないと知っているにも関わらず「南極の氷が解けている」と言われ続ける放送に納得していることも同じことで、抜け目無く頭を働かす必要がある。 ここで一つ、武田氏の説明に対しても疑問が浮上する。 テレビでは毎日のように温暖化が訴えられ、アルプスや南極の映像が流れ、居場所を失って放浪する痩せ細った白熊や、アルプスに住む人たちの嘆きが放映されている。 これらは何処かにトリックがある映像だということか。 なかなかそうは思えない。 武田氏がもう一つはっきりと言わない点は~ 温暖化は本当に進んでいるのか、それとも進んでいないのか? 温暖化が進んでいることが事実なら、その本当の原因はどこにあるのか? 温暖化が進んでいるというのは嘘で、全く進んでいないとすれば、世界中の気温が上がり、夏は肌に感じて熱くなり、全体的には雪の量も減っていると誰の目にも明らかなのはどうしてか? カリウムを摂った方がいいのか、摂らない方がいいのかというようなことも含めて、はっきりと言わないまま世界の常識をくつがえす発言が多い。 この辺りは、僕にとって読んでいていらいらさせられるところである。 ーーーーーーーー 考える練習(1) (明るくなる話) 石油の寿命40年? そういえば、かなり前から「日本政府」というのは無かったのかも知れません。でも 長い自民党政治の中で、なんとなく「政府」というのがあるような錯覚襲われていた ような気がします。 でも、原発事故で「国民を守ろうとする政府」がすでにいないことがハッキリしまし た。かくなる上は国民が一人一人で自分と自分の家族を守らなければならない時代が 日本にもきたということになります。 そこで、このシリーズ(三日坊主にならないように!)では、「政府無し、NHKが ウソをつくとして、自分で考えて正解を見つける」という練習を「知識を増やさずに 、今のまま判る練習」を目指したいと思います。 「知識がなければ正しい判断はできない」というのが普通ですが、どうも今の日本は それ以前のことが多いように思うからです.知識は小学生でも良く頭を巡らすことが できれば、かなりのことまで判るし、それから質問するとその質問もかなり的を得た ものになるからです。 ・・・・・・・・・ 解説者:「石油会社が確認している油田の量を「確認埋蔵量」と言うが、それはわず かに40年分なのだ。だから、確実な石油の寿命は40年で残りが少ない。」 視聴者:「えっ!あと40年しか無いのですか?! ところで、むかし石油の会社は大 きくて「メジャー」と言われていたような気がしますが、大きな会社が油田を持って いるのでしょう?」 解説者:「そう、かつてはセブン・シスターズなどと言っていが、今は、エクソン・ モービルやロイヤル・ダッチ・シェルなどを「スーパーメジャー」と言っている」 視聴者:「大きな会社ですから、歴史も古いんですね?」 解説者:「そうだ。ロックフェラーが作ったスタンダード石油が1911年だから、今年 でちょうど100年になるな」 視聴者:「創立100年の会社なのに、これから石油が40年しかないということになる と、会社が40年しか持たないのですから、不安ではないのですか?」 解説者:「ん? 会社が40年しか持たないって?」 視聴者:「だって、石油が40年しかないんでしょう? 石油が無くなったら石油会社 は売るものがなくなるんじゃないですか?」 解説者:「えっ?石油が40年しかない? 何で?」 視聴者:「さっき、そういわれませんでしたか?」 解説者:「ああ、それは「確認埋蔵量」だよ。私は確認埋蔵量って言ったはずだが」 視聴者:「だって、石油はあと40年って言われたでしょ」 解説者:「慌てちゃだめだよ。私は「確認埋蔵量」の解説もしたはずだ。確認されて いる石油は40年っていうことだよ」 視聴者:「それじゃ、今から石油ショックの時に「石油があと40年」と言っていたの も「確認埋蔵量」ということですか?」 解説者:「そうだ。無くなるわけじゃない。」 視聴者:「それじゃ、石油が無くなって、そのスーパーメジャーとかいう会社が仕事 ができなくなるのはいつ頃なのですか?」 解説者:「スーパーメジャーが別の仕事をしだしたということも聞いたことがないか ら、まだかなり先なんじゃないか。第一、スーパーメジャーは40年先の油田しか探し ていないし、もしそれで無くなるというなら先を争って探すから、かえって確認埋蔵 量は増えるだろうから」 視聴者:「確かにそうですね。40年までしか油田を探していないということは、探せ ばすぐ見つかるという自信があるからでしょう。それにしても「石油が無くなるから 節約しろというのはどういうことなのでしょうね」 ・・・・・・・・・ 石油は探査を始めてから生産まで30年ぐらいかかります。でも、石油はたっぷりあり ますので、メジャーはギリギリにならないと新しい油田を探査しません。つまり、油 田の候補地は多いし探査をし始めたらすぐ見つかるので、他の会社に先を越される心 配もないからです。でも、この解説者はそれを説明するのを巧みに逃げ、日本人に「 石油はまもなく無くなる」という錯覚を与えているのに成功しています。 こういう解説者を「頭が良い」と言うことがありますが、頭というのはそんなことに 使うのですか? ・・・用語解説・・・ 「確認埋蔵量」:すでに石油会社などが開発している油田にある量。寿命は40年ぐら いが普通で、40年前からずっと40年と言われている。 「究極埋蔵量」:確認埋蔵量などから推定した最終的に人間が掘ることができる石油 で、その寿命は550年から600万年(600万年であることに注意)。 (平成24年2月18日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.430-(8:11).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.02.20
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・2.20.月 No1 最近気が緩んで来て、茸や肉、牛乳などにも余り注意を払わなくなって来ている。 「武田氏もあまりやいやい言わなくなって来ているので、食材に関してはそろそろ落ち着いて来ているのかな」などと甘い考えでむしゃむしゃ食べているが、下記の記事を読んで「いやいや、このまま政府と東電の思惑に乗ってはいけない」と思う。 イオンやセブンイレブンなどは、少し消費者の立場で仕入を心がけているのかなとちょっと思ったりしていたが、やはり企業なる悲しさなのか、原発の近くで汚された野菜や魚を使うと表明しているとやら。 もちろん、こんなこと表明せずともやっている企業がほとんどだろうが。 その上、各市長による瓦礫受け入れ、焼却で二度目の汚染が進んでいる。 またまたその上、春からの放射能物質をくっつけた花粉の飛散も大きな問題だ。 いやなことばかり言うようだが、これが我々の現実だから仕方ない。 現実を無視すれば、東電と政府の思惑通りだ。 それだけ大きな犯罪を東電は犯し、それを政府は共犯している訳だから。 ーーーーーー 被曝防止情報 被曝を少しでも減らすために最近の重要なニュースを読者の方のご協力も得て、ピッ クアップしました。全体としてはそれほど危険な状態ではありませんが、食材の種類 を多様にしたり、西日本、日本海側、外国のものをできるだけいれることが大切。キ ノコ、外食のコメ、東日本太平洋側のサカナ、乳製品は避けよう。 1)埼玉県の上田知事は2月13日の記者会見で東電に逮捕者や自首する人が出ない ことに怒りを示した。中小企業ならすぐ警察が逮捕することと比較しての発言だが、 マスコミも相手が東電であれば敬語を使ったり、報道を弱めたりしている。日本人を 差別せず「法の下の平等」の精神をあらゆるところで実現して欲しい。 2)東京の公園から高い放射性物質を含む植物が見つかり密かに処分したことが伝え られているが、ネットによると国分寺の落ち葉が750ベクレル(1キロ、以下同じ )、町田市の牛フン120ベクレル、練馬区の剪定枝200ベクレル、多摩市の落ち 葉400ベクレルなどが測定値として出ている。 3)(すでによく知られていますが)南相馬で放射線量の高い粉(黒い)が見つかり ました。セシウムで110万ベクレル(1キロ)という途方もない数字で、普通なら すぐ警察が駆けつけ、マスコミが大騒ぎするのが普通ですが、「国民が被曝する方向 」の時には政府の目が怖く、責任のあるところはなにもしないという状態が続いてい ます。政府はないも同然なので、自衛する必要がある。 4)2月16日茨城県生活環境部原子力安全対策課は土壌中のストロンチウム、プル トニウムの分析結果を発表し、いずれも検出限界内であること、その多くが福島原発 由来ではないことを強調した。しかし、原子炉の中ではセシウムとストロンチウムが 同じ量発生し、3号機はプルトニウム9%の燃料を使っていた。それとの関係は国の 責任者はなにも発言していない。私たちは「散っているかも知れない」という警戒を 続けなければならない。 5)1月31日、農林水産消費安全技術センターに堆肥の分析によると、福島市13 00ベクレル(1キロあたり、以下同じ)、伊達市1900ベクレル、桑折町370 0ベクレル、郡山市8700ベクレル、いわき市600ベクレルである。高いものは 出荷を自主規制しているが、堆肥は危険。 6)2月19日の報道によると、福島の医師は71人が他県に移り、医師の減少に歯 止めがかからない状態が続いている。 7)原発に近いところの野菜を使うと表明している企業:イオン、セブンイレブン、 イトーヨーカドー、華屋与兵衛、ビッグボーイ、モスバーガー、サイゼリア、リンガ ーハット、マックなど(注)モスバーガーは自主検査しているとしているが検査結果 は公表していない。原子力予算4500億円の10分の1ぐらいを補償に使えば、汚 染された野菜をすべて買い取ることができる。そのことを報道せず、ベクレル表示を していないで販売する流通が多い。「セシウムを含む野菜を出荷する農家は誠意ある 国日本の「農家」ではなく、消費者の被曝を増やす商品を売る流通は誠意ある国日本 の「流通」ではない。」 8)1キロ1500ベクレルを超えるシイタケが静岡で加工。 [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_xxx-xxx-xxxxx。] (注)セシウムが入っていてもカリウム(放射性)もあるということを言う人がいる が、セシウムは筋肉に入る。もともと法律の規制を決めるときに臓器ごとに検討して 決めている(日本は法治国家だ)。 9)汚染された食材が沖縄に流れているという噂が絶えないが、沖縄で未使用の薪で 1キロ500ベクレル、焼却灰で4万ベクレルを検出。この放射性物質は30年消え ずに沖縄に蓄積する。放射性物質が入った農作物、瓦礫、薪などを持ち込むが危険な のは「煮ても焼いてもなくならず、繰り返し人体が被曝する」からで、1つ1つを計 算して「基準値以下」であるというのでは安全ではない。 10)横浜市瀬谷区の二ツ橋小学校の校庭に隣接する水路の跡地で、1時間あたり7 マイクロという高い放射線量を想定。土砂を取り除く。ヤブ、水路、くぼみ、枯れ草 には子供を近づけないように。 子供を被曝から守るためには、大人が子供を1年1ミリ以下にするように注意するし か方法がありません。すでに日本には政府や市民を守ろうとする自治体はないので、 アメリカ人が銃を持つように、日本人は「自分と家族を守るための知識」を持たなけ ればならない時代です。 次の選挙では「汚染されたものを国民に提供しない」、「放射線を持ち込まない」と いう人に投票しなければなりません。国を取り戻すために。 (平成24年2月19日) 武田邦彦
2012.02.20
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・2.19.日 下記の記事は、ある都市の府庁にお勤めの生徒さんからの情報である。 お仕事柄こういった政府からの通達も受け取ることもあり「何か環境の問題で重要な内容の情報が流れて来たら、機密事項以外で差し支えのないものについては聞かせて欲しい」とお願いしている僕に転送下さったのだ。 木を燃やして出た灰が、製麺、アク抜き、凝固剤などに使用されているということは、恥ずかしながら僕は知らなかった。 とすれば、当然放射能物質が入り込むであろう木の灰を、食品に使用することは危険極まりない。 キログラム258ベクレルという数値は、はっきりとは分らないが、国が定めた安全規準値の7倍ぐらいになるのではないだろうか? 「危険な灰を使用しないように」と呼びかけても、おそらく誰も聞かないだろうし、この情報は役所内だけで通達されているもので、一般国民には知らされていない。 「知っているものだけが気を付けろ」ということだろうか? それに、もう遥か遅過ぎると僕は思うのだけれど。 さて、こうなると何も口にできなくなる。 汚染の魔の手は、ちゃくちゃくとその触手を日本全国に広げつつあるのだ。 ーーーーー 薪等を燃焼した後に出る灰を、加工に用いた食品から、放射性セシウム(258ベクレル/kg)が検出される事例がありました。17都県で 生産及び保管された薪等の燃焼によって生じた灰を、食品の加工(製麺、 アク抜き、凝固剤等)に用いないようにしてください。 農林水産省が以下のとおり通知を出し注意を呼びかけていますので、 お知らせします。 薪、木炭等の燃焼により生じる灰の食品の加工及び調理への利用自粛について http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/tokuyou/120210_1.html 以下林野庁ホームページから貼り付け。 3.対象とする薪等 食品中の放射性物質に関する「検査計画、出荷制限等の品目・区域の設定・解除の考 え方」(平成23年8月4日原子力災害対策本部決定)に定められた総理指示対象自治体 及びその隣接自治体の17都県(青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、 茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、山梨県、長 野県及び静岡県。以下「17都県」という。)から採取される原料、採取された原料か ら生産された薪等及び17都県で保管された薪等。
2012.02.19
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・2.18.土 今、とうとう夏目漱石の書いたものを読んでいる。 ずっとどうしても彼の書いたものに手が出せなかった。 その理由は、やはり余りに有名人であるからだろうし、「坊っちゃん」「三四郎」「わが輩は猫である」などは、何だか100年ほどの間に様々な人に読み続けられて、立派な桐箱に入れられて近寄りがたい祭壇に飾られているように思えたからだ。 でも何故急に彼の作品が読んでみたくなったかというと、武田氏の記事の中で「智に働けば角が立つ情に棹させば流される」という夏目漱石の言葉が出て来たからである。 もちろんこれは知っていたが(僕が子供のころにCMで使われていたから)、こんな面白い文章を巧みに生み出すことのできる人物とは、ということで興味が出た。 とは言え、有名作品を読んでみる気にはならなかったので「硝子戸の中」という本を選んだ。 それは39編の短い話からなる短編集のようなものであるが、どうやらそれは新聞への連載を頼まれて書いたものらしい。 調べてみると、何とそれらは彼が亡くなる一年前の作品で、49歳で死去していることから見ると、47・48歳ぐらいに書いたものと推察する。 明治時代の小説などを読んでいると、50歳と言えば今の80歳ぐらいの感覚で、全くのおじいさんである。 彼も胃の病気が何度も再発する中で、ほとんど部屋から出ずに寝たり起きたりという生活を送っていて、その中で考えたこと、感じたこと、小さい世界ながらに体験したことなどを小説にしている。 初めてこの有名すぎる作家のものを読んで感じたのは、年老いた彼は気難しく、無愛想であるにも関わらず、とてもオチャメなところがあるということだ。 さりげなく書くちょっとしたところに独特なかわいさと滑稽さがあって、ついクスッと笑ってしまう。 そしてその文章自体は、やはりとても巧みで魅力的なものである。 もっと別の作品も読んでみたいと思わせた。 それは、彼も苦痛な人生を抱えたただの一人の男であるという親しみを持てたからだろう。 ところで、彼が朝食にトーストとミルクと卵を食べるシーンが出て来る。 大正時代にトーストなんてもんがあったのかと不思議に思う。 当時パンなどを何処で手に入れるのだろう。 外国人の友達が家で焼いたものを貰ってくるぐらいしか考えられない。 島崎藤村の小説で、皆が羽織袴でテニスをするシーンが出て来る。 明治時代に、すでに若者たちはテニスを楽しんでいたのだ。 平安時代にも、戦国時代にも、江戸時代や現代にも僕はほとんど興味がない。 ところがこの明治、大正の時代にとても強く引かれるのだ。 何千年あまり変わらなかった日本人の生活から、一転西洋の良い影響も悪い影響も取り入れ、昔から変わらないものと入り混じって存在するこの一瞬が魅力的なのかもしれない。
2012.02.18
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・2.14.火 何にでも時間が経てば老廃物がたまる。 その通りかもしれない。 組織、群集にたまる老廃物をそのつど排除して先に進むことができれば、これは最も知恵のある組織だろうし、必ず目的を遂行することができるだろう。 しかし悲しいながら、人間は甘い汁を老廃物とは見なせない。 下記にもイギリス帝国の衰退のことが出て来たが、僕は以前イギリスのことを調べてみたことがあり、その時に見つけた記事に愕然とした。 経済的にも、権力的にも権勢を奮っていたイギリス軍の上層部が、黒人に行なっていた差別は凄まじいもので、ナチスのユダヤ人虐殺と匹敵する行いである。 つい最近までこのような非情な行為は繰り返されていたのだ。 老廃物がたまりにたまった状態がこれであろう。 我々の周りの身近なところにもその老廃物は存在するし、自分自身の中にもそれはたまるものだ。 老廃物を憎んで、人を憎まず! 人を恐れず、老廃物を恐れよ! ーーーーーー まともな日本に02 東大廃止のチャンス 組織が腐敗するのは、その組織にいる人が悪いからではありません。 第二次世界大戦の後、あれほどの戦争をし、敗戦国は焦土と化して優れた人の多くが 命を落としたのに、負けた日本とドイツが30年もしないうちに世界一になり、勝っ たイギリスやソ連は没落したのはなぜでしょうか。 人間の心には「今を良くする改善の心」と「老廃物を捨てられない未練の心」があり ます。人間に今を良くする改善の心があるかぎり、人間社会は将来に向かってさらに 良くなっていくのは間違いありません。 それと同時に老廃物を捨てられない未練の心が強く、それが社会を腐敗させます。日 本やドイツは敗戦という現実によって否応もなく未練を捨てましたが、イギリスやソ 連はそれを捨てられませんでした。 ・・・・・・・・・ 人類の歴史を見ると、国の大きさにもよりますが、おおよそ50年で老廃物がたまり はじめ、100年でその老廃物(ゴミ)のために没落します。超大国は面積が大きい ので時間の過ぎるスピードがルートの法則で遅いので、50年が100年ぐらいにな ることもありますが、結局は老廃物のために没落します。 でも、それが歴史的教訓なら、人智を活かして没落する前に老廃物を整理してしまっ たらどうでしょうか? 老廃物の中にいる人は自らを整理することができませんから 、外から整理する必要があります。 選挙で自民党が没落しました。その数代前の自民党総裁が「自民党をぶっつぶす!」 と言いましたが、やはり内部からは老廃物を捨てることはできませんでした。まして 、東大などのように外部からの打撃を受けない組織は老廃物がたまるばかりです。 東北大震災と福島原発事故で東大教授がウソを連発したのは、その人の責任というよ り東大に蓄積した老廃物の力です。東大の先生方も心の奥底では「東大をつぶしてく れ!」と叫んでいるに違いないのですが、哀しいことに本人たちではどうにもならないのです。 東大が「9月入学」を実施しようとしています。これで東大の命運は尽きるでしょう 。そして入学者ゼロのもとで東大が瓦解してくれれば、日本の老廃物組織の一つが無 くなります。それが日本の子供たちの希望でしょう。 (平成24年2月9日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.421-(7:50).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.02.14
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・2.13.月 武田氏が自分はたばこを吸いもしないのに、酷いバッシングを覚悟してこのたばこの問題を取上げる理由は分らなくもない。 たばこは人体に悪い影響があると最初から先入観を持って話が始っている。 群集意識でとにかく社会から悪を追放するのだと、その風潮で雪崩のごとく口を揃えて皆で指を差して罵倒する。 吸う人、周りの者への悪い影響を冷静に科学的に解明しようと誰もしていない。 自分は正義を貫き、悪をくじくという自己満足でたばこ排除を訴えるものもいる。 要するに、これは古代ヨーロッパの魔女狩りと同じ現象であると訴えているのだ。 もっと身近なことで言えば、クラスのイジメ、マスコミの巨大な力の乱用、神の国日本の力を世界に知らしめるというような間違った群集性が止められない流れとなる危険である。 確かに科学者の目から見て、感情だけに走った行動をいさめることは大事だ。 武田氏の言い分を充分に理解した上で、さて僕の言い分を述べる。 以前にもこの日記で述べたが、たばこを吸いたい人がたばこを吸うのは一向に構わない。 それでその人が肺癌になろうが胃癌になろうが脳腫瘍になろうが知ったことではない。 だが周りの煙を吸った者が脳腫瘍になれば、これは犯罪だし、脳腫瘍との関係が立証されていなくても、僕は目が痛くなり、鼻の奥が乾燥して、喉がいがらっぽくなり、気管支が痛くなり声が出にくくなる。 これだけですでに工場の煙突からもくもく上がる黒煙と同じことだ。 要するに周りに迷惑を掛けているのだ。 もし喫煙者全員が誰にも迷惑を掛けずにたばこを吸うことができれば、もちろんたばこを社会から排除する必要はないと思う。 だが、実際には阿波座スタジオのドアの前には吸殻が常時ころがり、どこのレストラン、喫茶店に入っても、食べるものの味が分らないほどの煙がもうもうと店の中を白く覆っている。 たばこを吸う人間は、煙の迷惑を考えて行動したりはしないのだ。 他人の立場に立ってものの考えられる人間なら、たばこなど吸いはしないとでも言いたくなる。 実際にはこの問題は「魔女狩り」ではなく「人に迷惑を掛けてることを認識できるか」というレベルの問題だ。 社会の中でのモラルであり、人柄の資質の問題である。 だからたばこが云々ということよりも「皆がやっているから正義だ」という今までの風潮に大きな危険が含まれていると思う。 車の窓から平気でゴミを捨てる人種と同じ「人格」の問題である。 ーーーーーー 知の侮辱(8)・・・副流煙(結論が先にある罵倒合戦) これまでこのブログを10年ほど書いてきましたが、その中でもっとも読者の方の反 撃が厳しかったのが「タバコ」の問題です。日本人の40%がまだ喫煙しているとい うのに、タバコのことを話そうとすると、猛烈なバッシングを受けるのですから、こ れも異常な社会現象の一つでしょう。 タバコを忌避する人には2種類があって、一つは日本人を健康にしなければならない という強い使命感を持った医師で、この人たちは他人が「不健康」な生活をするのに 異常なほどの嫌悪感を持っています。 私の知っている医師で、大きな病院に勤めていて「タバコを吸っているような人は健 康に注意をしていないのだから、診察は断る」と言っている先生がいます。そこまで になると、職業倫理としてもやり過ぎと思います。 もともと医師というのは戦場でも負傷兵を治療しますが、「戦争など、人殺しをやる 人の治療はしない」というのではなく、「医師は患者がどんな状態であっても、治療 する」というのが医師の大切な倫理なのです。 もう一つは、「煙が臭い」、「タバコを吸う人は図々しい」ということで喫煙を嫌っ ている人たちです。確かに日本人はきれい好きで臭いのない国で生活をしていますし 、タバコの臭いはタバコを吸う人が少なくなればなるほど敏感になりますから、気持 ちはわかります。 また、タバコを吸う人は確かに図々しく見える人が多いようです.特に人混みでタバ コを吸って、プーッと息を吐いているときなど実に図々しい人に見えるし、こちらが タバコも吸わずに仕事をしているのに、「タバコを吸わないと続かない」などと言っ て仕事中にサボってタバコを吸っている集団を見るとイヤな気がしない方がおかしい と思います. でも、それだけでは社会的にタバコを排斥する理由にはなりにくいと思います。臭い については人によって違いがありますし、体質的に臭いのきつい人もいて、うっかり すると差別になります.現在の日本のようにタバコを吸うところが限定されていて、 日常的にはそれほどたばこ臭いところが無いのですから、問題は無いように思います 。 また、「図々しい」というのは人の感じですから、これも排斥しようとすると危険で しょう.日本国憲法で保証された基本的人権とは、過度に人に迷惑をかけなければそ の人の自由な人生を保証しているのです。多くの人が一緒に住んでいる日本、この素 晴らしい規定の精神も尊重したいものです。 ・・・・・・・・・ ところで、タバコの問題を「知」として取り扱う場合、喫煙が吸う人の健康に関わる かという問題と、タバコを社会から追放しなければならないほどの毒物かという疑問 の二つがあります。喫煙と吸う本人の健康の問題については少し前に整理して、まだ 未完成ですが、ここでは「副流煙」を取り上げます. 副流煙の人体への害を最初に証明したと言われる有名な平山論文を読んでみましたが 、すでに多くの人が指摘しているようにこの論文で「副流煙が肺がんの元になる」と いうことはまったく言えません.ただ、平山先生が意欲的なご研究をされたことに敬 意を表します. この論文を読むと、タバコを吸う人と長年、一緒にいると脳腫瘍になる可能性が高い ことは判りました。しかし、この脳腫瘍が一緒に暮らしてきた方のタバコの煙による ものか、別のものが原因かはわかりません。先日のブログに書きましたが、私が学生 に注意すること「なにかが原因ではないかと考えて、それで整理をするとほとんどの ものが何らかの関係があることになる」という原理原則があるからです. 肺がんは脳腫瘍よりかなり少なく(タバコを吸わない人と一緒に住んでいる場合に比 較してですが)、副流煙での影響は肺より脳に強いようです。実験結果を忠実に整理 して「肺より脳」と言いますと、「そんなことはない。タバコが脳に影響があるはず がないじゃないか」という反論があるのですが、それならもともと「実験や調査」を する必要はありません。 人間の脳は不完全なので、実験や調査を行います。その時には、「自分はタバコを吸 う人と一緒に住んでいたら肺に影響を受けるとおもうが、(それは自分の浅はかな考 えなので自然に聞いてみるという意味で)実験や調査をしよう」ということですから 、意外な結果がでるのが大切なのです。 その他の資料にも目を通しましたが、現在のところ科学の心を持った人はこの問題に 近づかない方が良いように感じました。というのは、どれもこれも非常に感情が高ぶ った論文や調査、論評が多く、先入観や最初から「タバコの副流煙は肺に悪いに決ま っている」という前提で行われているからです。まるで「魔女狩りとその対抗勢力」 のような状態です. ことは人の健康、子供の健康に関することですから、もう少し冷静に議論できないの でしょうか? データは不十分で先入観に満ちていますし、あまりに攻撃が激しいの で、反論もまた科学とは言えない状態にあります. 私たちがもし「知」というものを尊重するなら、それは相手を誹謗することでも、自 分の得になることでもありません。あくまでも人間の「知」を信じて、お互いに憎し むことなく、少しでも前進することです。 日本に住む誇るべき民族:アイヌは平和を愛し、戦争をしなかった民族ですが、人間 が戦争をしないというのはかなり大変なことで、それを達成するためにアイヌはタバ コを愛しました。ケンカをしそうになると相手にタバコを勧め、一服して争いを収め たのです. 人間には体の栄養とともに、頭脳の情報を整理するための栄養が必要です.多くのタ バコを吸うかたの随筆を読むと、タバコが情報整理の栄養になっていることを否定す ることは難しいように思います. 人間は理解しがたいものであり、体は複雑で、人は多種多様です.その中で、このタ バコというものをどのように考えるのか、それを冷静に進めることで人間の「知」を 一つ高める方向に行けばと願うところです. (平成24年2月9日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.419-(11:54).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.02.13
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・2.12.日 昨日の日記で述べた「定年80歳」の件だが「60代、70代の人たちも確かに元気だが、でもやはり70代を超えるときびきびした頭の回転は難しくなるので、会社などでの一線の仕事は難しくなる。 その人たちのノウハウは会社も欲しいので嘱託などで週三回ほど出勤してもらいご意見番として座っていてもらうが、仕事はほとんどなくぼーっとしている一日。 これは一番辛いのは本人ということで、一口に定年80歳などと理想を言っても、60歳以上の人たちの居場所をきっちりと確保して、入社して来る若い人たちの妨げにならない方法が定められての話だ」という現役会社員からの意見をいただいた。 なるほど、やはり現場のことも知らずに適当な理想は言えないと反省。 「幸福は求めるものではない。自分は真心だけで、向こうから幸せは来る。来なければそれが自分の幸せなのだ」 これは一つの哲学だ。 1000年前と、現在、1000年後で其々の幸せが違う。 違う時代を覗き見たら「あんな酷い生活で気の毒」と思うが、環境も価値観も違うものを一つの物差しでははかれないということを言っている。 これは、今の我々の小さな人生哲学にも通低することかもしれない。 「あの子は美人でどんな男もいちころ。 学校でも仕事でもうまく周りの人を引き付けてうまくやる。 それに比べて、私はあの人一人の気を引くことすらできない」 「あいつは親の財力を使ってどんなものでも手に入れる。 地位、名誉、高額な給料に天下り先。 それに比べて俺の生まれた家は貧乏で、運もない」 これらはすべて他者がいての自分の位置の確認である。 ヘーゲルの言うところの「自己の客体としての他者」ということでは。 もし無人島に一人で生まれ住んでいたら、何が幸せで、何が不幸せかをはかり知ることもできない。 別の視点からこれを見ると、今我々は共に同じ時間と環境を過ごしているが、其々が同じレールをはっ走てはいない。 生れ落ちた場所、与えられた肉体、育った環境、生まれ変わっている回数、前世の肉体、経験して来た事柄、これすべてが全く違う訳であり、違うレールを走る上で同じ物差しではかることは最初から不可能なのでは。 だが群集性の強い動物である人間はどうしても客体を求め、それに傷つき、自分に失望し、自ら命を絶つことにもなる。 己を知って、幸せを獲得する。 難しいことだが、やらねば自分の人生がもったいない。 生き抜くには、小さな自己哲学が必要なのだ。 ーーーーーーー 好きな言葉 ・・・向こうからの幸せ・・・ 紫式部の時代、今から1000年も前だからテレビもなければ瞬間湯沸かし器もない 。冬の寒い日にはパックリと赤く口を開けたアカギレの手をさすりながら冷たい水で お椀を洗った。 たびたび、飢饉がきて多くの農家は家族を身売りしなければならない辛い日々が続い た。今年も凍てつく大地と格闘し、身も心もぼろぼろになった。それでも神様に感謝 し、幸福な人生だった。 今から1000年後の日本人は私たちの生活に驚くだろう。えっ!傘がオチョコにな るってなに? えっ!雨や風の中ですんでいたの?! えっ!交通事故って車同士が 衝突することなの? 何でそんな車が販売されていたの?! ひどい生活だったのね ! ・・・・・・・・ でも、1000年前も、今も、そして1000年後も私たちは幸せな人生を送ること ができる。人間の幸せというのは、「こうなれば」ということはないからだ。幸せと 思えば幸せ、不幸と思えば不幸。 人生には希望や目標がある場合もある。したいことはやまほどある。でも、幸せはこ ちらから望むことではなく、向こうから来るものだ。 私は彼女を愛する。だから明日は彼女に告白しよう。 「愛しているから結婚してくれ!」 3回言おう。それでもダメだったら諦めてお酒 を飲みに行く。 幸福は求めるものではない。自分は真心だけで、向こうから幸せは来る。こなければ それが自分の幸せなのだ。 (平成24年2月9日) 武田邦彦
2012.02.12
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・2.11.土 そうか「高齢化社会によっての年金制度の崩壊」を訴え税金を上げよう上げようとす るのも政策の一つか?と思うのは捻くれが進んだ僕の考えなのだろうか? 下記の記事で述べられたことは、僕も普段から感じていたことである。 今の60歳と言えばまだまだ若く「さてこれから何をしてやろう」という感じである。 もし80歳が定年とすれば、年金は出す必要が減り、皆が長く所得年金を払うことになる訳だし、景気も上がることに繋がるかもしれない。 とすれば、消費税増税も必要ない。 「定年」と言われるとすごく年取ったように思ってしまうし、社会の制度で高齢者に押しやられて行くものなのかもしれない。 60歳で還暦、77歳で喜寿というのも何百年前の決め事で、これも排除するか、還暦を80歳に変更しなくてはならない。 島崎藤村の小説などでも、50歳の教師が定年を迎えるシーンが出て来る。 明治時代には、何と50歳が定年なのだ。 その教師の言うことや行動は、確かに今の80歳以上である。 政府が打ち出してくる「高齢者」なる決め事は、半世紀古いままなのだろう。 我々は社会的風潮による年齢を自分から取り込んで老けるのではなく、自分の体力の衰えを、または元気さを、自分の秤で感じ取れる前向きな生き方を心がけたいものである。 ということで、僕は今青春真っ只中ということとなる。 ーーーーーーーー まともな日本に01 「高齢化社会」の間違い 「高齢化社会」とか「超高齢化」とかいう用語があります。60歳、あるいは65歳 以上の人が多い社会を「高齢化社会」というのが一般できですが、この用語はいかに も視野が狭く、適切な用語ではありません。 なぜ、60歳、65歳以上の人を「高齢者」と言うのかというと、平均寿命が70歳 の頃、年金制度ができ、大家族制が無くなったころの社会を基準にしているからです 。平均寿命が短いのですから、当然、60歳、65歳の人の数は少なく、若い人を基 準にすると「高齢者」と感じられたのでしょう。 でも、かつて中学校を卒業したら勤めに出ていたのに、今は高校全入、大学の進学率 も半分ぐらいになりました。就職の平均年齢は15歳が20歳になっています。また 女性の結婚年齢は20歳ぐらいから30歳になり、35歳を過ぎた出産もそれほど珍 しくない時代です。さらに閉経年齢も明治時代の40歳から50歳代半ばすぎになっ ています。 つまり年齢とその人の一生という点では、おおよそ1.5倍になっているとしてもそ れほど間違いでは無いでしょう。今後、平均寿命は21世紀末に95歳から100歳 になるのは間違いありません。そうなると80歳以上が「高齢者」で、定年も80歳 になります。つまり20歳まで教育、20歳から80歳までが仕事、80歳から10 0歳までが引退後の晩年とするのが適当でしょう。 80歳以上の人の数は少し少ないと思いますが、医療費などがかかるので、簡単に予 測すると、人生20年が教育、60年が仕事、20年が晩年ですから、他人の世話に なるのが40年、自分が稼ぐのが60年ですから、年金ができた頃とあまりかわりま せん。 それに加えて、女性の職場進出、電子化による労働生産性の向上、社会システムの効 率化などが進みますから、むしろ仕事をする人の負担は「重くなる」のではなく「軽 くなる」と考えられます。増税の必要なし!! ・・・・・・・・・ 私のエッセイに「老婆の時間」というのがありますが、縁側でひなたぼっこしている 老婆が家の前の道を忙しく走り去る若い学生を見送って、「ああ、私の人生いも・・ ・」と思う情景を書いています。本当はまだまだ人生の時間を楽しめる老婆が、社会 の「常識」に押しやられて人生を諦めているように思われたからです。 老婆でも若い学生でも人生の時間は同じく貴重であり、それを社会的に封殺すること は良いことではないと思います。 ・・・・・・・・・ 私がテレビで「50歳以上の男性は意味が無い」と言っているのも同じことで、現在 のような停滞している社会では、比較的年齢が高い人の権力が強くなり、若い時代に 活躍する芽を取られることがあります。仕事をする時間はかつては15歳から55歳 までの40年だったのに、これからは20歳から75歳までの55歳になるのですか ら、50歳以上の男性は30年の仕事の前半生に区切りをつけて、若い人の人生の時 間を考える方がよいという意味です。 つまり、一見して「老婆の時間」と「50歳以上の男性は意味が無い」というのは矛 盾しているように見えますが、私が言いたいことは「どの人も年齢によらす、同じ価 値を持つ時間を過ごすように日本人全体が考えた方が良い」という意味なのです。 ・・・・・・・・・ 人間の人生は、若い頃は20年ぐらい自分を鍛えるのに使い、その間に、兵役、ボラ ンティア、外国生活なども2年ぐらいは経験した方が良いでしょう。でも、若い頃は 長い間、教育を受けるより、少し早めに社会に出た方がよいので、平均はやはり20 歳ぐらいというところでしょう。 一方、仕事を辞めて引退が今のように65歳とすると、100歳までの35年、する ことがないのはやはり歪んだ人生のように思います。そこで80歳を定年にすること になりますが、体力的には今の70歳が100年後の80歳になるでしょう。 明治の人の随筆などを読むと、当時の50歳の人は今の80歳と同じぐらいの体力の 衰えを感じています。人間のように集団性の動物は全体の動きに合わせて個人の体力 まで変わるのです。 今、消費税率を上げるために、「高齢化社会」が問題になっていますが、私はその前 に、日本会の50年後、100年後のイメージを作るべきでしょう。1960年に始 まった年金を考えた社会はあまりに「その時」だけを視野に入れていたので、破綻を しました。今度、改めて日本国民の人生を考えるときには、「高齢化社会」という言 葉を使わないことが大切と思います。 従って、「高齢化社会がきて大変になる」と暗くなるのではなく、「長く人生を楽し むことができるようになるぞ!」と考え、「どんなに寿命が延びても高齢化にはなら ない」とするのがまともな日本にする第一歩を思います。 (平成24年2月9日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.418-(9:16).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.02.11
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・2.10.金 確かにそう言われてみれば、なんとなく常識として世間に伝えられていることで、実は確固とした裏付けのないことがたくさんあるのかもしれない。 ここで例として挙げられた「野菜を食べると癌になりにくい」という常識が、そのような想像で言い伝えられているという人間の群集性というか、情報社会の疑わない流れというか、それが野菜のことぐらいだといいが、もっと危険な様々なことに反映することを危惧しているのだ。 「なんとなくそうかもしれない」という事柄にも「実際にはよく分っていないけれど」と付け加えることが大事だということだ。 でも話を面白くしようとすれば、断定した方がドラマチックに会話を楽しめるから、とんでもないことになる訳だろう。 しかしその勘違いが、教科書に潜り込むことは防がねばならない。 「学問」というものの正しい定義を常に見詰めなおすことは、我々にとっての「社会」という群集の中で生きるルールとも関連する問題なのかもしれない。 極端な例だが、「王のために喜んで命を捧げる」もしくは「彼女は魔女だと誰かが言ったので、皆で火あぶりにする」というような群集性の流れも、その先に待ち構えている危険であると常々思う。 ーーーーーーー 知の侮辱(7)・・・「野菜と健康」に関する知の偽装 福島の被曝の問題が出てくると日本の医療関係者、特に国立のガン研究の医師たちは 一斉に「被曝はたいしたことはない。それより野菜の不足の方が発がんには危険だ」 と奇妙なことを言い出しました。 野菜とガンの関係については、今から20年ほど前から研究が始まり、初期のころに は次の表にあるようにどちらかというと「野菜はガンを防ぐ」という研究報告が多か ったのです。 それを受けて、マスコミなどを中心として「野菜を食べよう!」という運動がはじま りました。でも、もともと人間のガンの発生というのは非常に複雑なことなので、「 野菜とガン」などという簡単な関係はおそらく存在しないのではないかと思われます 。 その証拠に、その後、調査人数が増えてくると必ずしも野菜不足がガンをもたらさな いという大規模な調査が2005年以後は増えています。 ある程度、学問や科学というものを研究した人ならわかることですが、ガンというの は非常に複雑な反応ですし、一口に「野菜」といっても内容はさまざまですし、また 「野菜を食べたので、相対的に食事が減り、その中に発がん性のものがあった」とい うこともあり、その場合は「野菜」というのは要因の一つにはなりません。 だから、仮に初期の研究のように「野菜を多く食べる人にガンが少ない」と言うこと が判っても、それ故に「野菜はガンを防止する」ということにはならないということ です。また、「それでも事実、ガンが少ないのだから」というのも学問ではなく、最 近の野菜の研究の中には、カリフォルニア等の20万人の調査で、野菜をとると病気 の比率が高いという研究もあります。 ・・・・・・・・・ 私は科学者として、少し別の見方をしています。先回、「相関関係」だけでは何の結 論もでないことを示しましたが、科学では「因果関係」についても常に同時に考えて おかなければなりません。 人間は雑食性の動物ですが、主として「肉、穀類(実)」などを食べる動物で、「草 」の類はそれほど取りません。人間が野菜を食べるようになったのは農耕文化に変わ ってからで、日本ではさらに10世紀から15世紀になってから意識的に野菜をたべ るようになってきました。 草食動物ではない人間は草は消化できませんが、コメ、麦、イモ、豆、リンゴのよう な「実(種)」は主食や副食として積極的に食べてきました。そして、多くの研究が 示しているように、動物の体は「数万年間の環境の中でもっとも適切な防御系になっ ている」ということですから、500年前頃から食べ出した「葉物野菜」などが人間 の体に良いということになると、かなりこれまでの学問とは異なる結果と言えます。 ・・・・・・・・・ 現在の日本ではほとんど宗教ではないかと思われるほど「野菜主義」のようなものが 常識化していて、「野菜は健康に良い」というのを疑う人はいません。そしてそれが 「科学」や「学問」の裏付けがあると錯覚をしています。でも、そのような情報の伝 え方は「知の侮辱」でもあります。 私は学生(研究生)に対して、「「Aを変えればBがどうなるか」という実験の整理 は危険です。自分ではBに対してAが一つの因子として関係があると考えていると、 どんな物でもある程度の相関性がありますから、間違った結論が得られます」と指導 します。 このようなことは「科学者の基礎教育」ですが、現代の社会はあまりにも「知の初歩 的制限」を無視したものが多く、お医者さん、科学者や学者の方は注意をされた方が 良いと思います。 (平成24年2月8日) (注)記事のデータに一部に(財)食生活情報サービスセンターのものを使わせてい ただきました。 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.420-(9:33).mp3」をダウンロード [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_223510458。] [Bandicam_2xxx-xxx-xxxxx_1xxx-xxx-xxxxx。] 武田邦彦
2012.02.10
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「今日一日生きて」 ・2.9.木 結局、被曝による人体への影響ははっきりしていない。 一年の被曝が2ミリシーベルトで癌になるかもしれないし、100ミリシーベルトでも平気かもしれないということだ。 分らないのは、人によって差があるからではないのか? とにかくそこで我々人類がとるべき行動は、予防原則というものを皆できっちり守って、安心できる生活を確保するということだ。 ところがその危険な値が実の所分らないということを逆手に取る輩が、利益を守ろうとする。 すべてこの国の法律が力を持たないことが大きな問題である。 法律が力を持たないということは、警察と裁判所と政府と大企業の癒着があるからだ。 その内容はさておいて、近頃の武田氏が音声の説明でチラッと口にすることが気になる。 一つは、バナナによる被曝だ。 バナナに多く含まれるカリウムという成分が、セシウムなどとは被曝の場所も状態も違うとしても、被曝には違いないらしいのだ。 そんなことを言えば、カリウムを多く含む食べ物はたくさんある。 カリウムは体に必要な成分であり「セシウムを取り込まないためにもカリウムを取りなさい」と教授して来たばかりではないか。 バナナの話はまだ詳しく説明されていないので、気ばかり引かれてほったらかしである。 それと、宇宙人存在をさりげなく当然のように話したことだ。 「宇宙を汚すことは、宇宙人が居るからだめだ」というような内容の一言であった。 科学者の間では、宇宙人の存在はもう当然の事実なのだろうか。 これももっと詳しく説明が欲しい。 ーーーーー 知の侮辱(5)・・・被曝:現代人の知恵の彼岸 最近の原発の事故に関係することで、もっとも大きな「知の侮辱」は「被曝と健康の 関係が学問的に判っている」という「学者」が多かったことです。学問というのはそ れを専門とする人がデータや理論で論理的に納得し、定説となったものをくみ上げて 作るものですから、ある学者は1年0.1ミリ(ドイツの学者が中心)、ある学者が 1年100ミリと1000倍の違いがあって、学問とは言えないのです。 学問と言えない段階のものは、学問的には不明と言うのが学問です。学問は、社会の 利害、自分の思想、反原発派が憎らしい、神経質な人がいる・・・などと言うことと は全く無関係で、学問的に被曝と健康の関係が判っていれば明確に答え、判っていな ければ判らないと答えるものだからです。 放射線が外部から体を貫くと、たまには遺伝子や体の重要な部分を損傷する可能性が あります。また放射線が活性酸素を作り出し、それが体のどこかを酸化する可能性が あります。さらにはヨウ素やセシウム、ストロンチウムが体の一部に蓄積し、それが 病気の引き金を引く場合もあります。 自然放射線は1年1.5ミリですが、それに何ミリぐらいが加算されると健康にどん な害があるか、カリウムには放射性を出す物もありますが、それとセシウムが入った 牛肉とを単にベクレルで比較できるのか?そんなことは学問的には判っていません。 研究例があり、調査結果があるに過ぎず、それは相互に大きく異なった結果を与えて いるからです。 このような場合、「環境を守る」という点では世界での合意があります。この合意は 水俣病などの辛い経験をもとに人類が築き上げてきたもので、それを「予防原則」 と言います。予防原則はそれ自体が学問と言えるものですが、「科学的に判らないが 、危険の可能性もある場合、社会的合意によって規制することができる」というもの で、論理的には立派な学問的成果です。 被曝と健康の関係は学問的に判っていないのですから、社会的に必要なら予防原則で 規制するわけで、それが「1年1ミリ」です。もちろん、1年1ミリでも「膨大な実 験データと調査結果」に基づいて「詳細な被曝計算」をするのですが、実はそれらは 「学問」ではなく、「技術」に属することなのです。 つまり、1年0.1ミリまで安全という学者のグループと、1年100ミリまで安全 というグループがいるのですから、当然、学問として結論が出ていないのですが、た とえば、それらのデータの平均値を取るとか、安全側を採用するなど、一応のデータ に基づくことはできるのです。 ・・・・・・・・・ 科学が社会の信用を得るためには、科学者の発言が信用できるものでなければなりま せん。それは若干、慎重なことになるかも知れず、生産現場や医療現場はそんなこと は言ってられないと思いますが、それは現場に限ることで、現場でもないところに非 科学的なことをそのまま伝えるのは誤解を招く原因になります。 現在、被曝を心配している一般の人に対して、原子力や放射線の学者は次のように言 わなければならないでしょう。 「残念ながら多くの学説はありますが、まだ学問の段階には至っていないので、どの ぐらい被曝したらどうなるということは判っていないのです。そこで、社会的には予 防原則を採用して「外部被曝と内部被曝の合計が1年1ミリ」を被曝限度としていま す。それが現在の人間の限界で、日本の法律もすべてこの基準を適応していますし、 それから食品や土壌などの1キロ何ベクレルという基準も作っています。」 学問は圧倒的な数のデータがあり、再現性があれば「相関関係(何かの変数を変える と結果が変わる)」だけでも、なんとか学問になることがありますが、普通は「相関 関係」だけではなく、その関係が何らかの科学的な「因果関係(原因と結果が論理的 に明確であること)」を持たなければなりません。 その意味で、被曝と健康の問題は私たちの現在の学問が及ばざるところで、まだ「彼 岸」にあると言えるでしょう。私が原子力委員会の研究開発部会で原子力の安全研究 を促進するように進言したのはこの様な認識だったからです。 「なんだか判らないけれど、このような傾向だ」というのはまったく学問ではないので、「どのぐらい被曝したら、患者さんがこの程度でた」というデータはあまり役に 立たないのです。このことを温暖化の時、「CO2が増加すると気温が高くなる」と いう科学者が多かったので、それなら「武田の年齢が増加すると気温は高くなってい るのですが」と冷やかしたことがあります。 今度の福島の事故で、私は多くの方が学問とはどういうものか、なにが科学的でなに が非科学的かということを考えていただいたのはとても良かったと思っています。で も、学問的な結論もないのに「大丈夫」などと言い、5歳の子供が大人を信じて被曝 して15歳で発病したら私たちはどうしてそれを償うことができるのでしょうか? 私たちは判らないのですから、謙虚で慎重でなければなりません。子供は私たちを信 じているのです。 (平成24年2月6日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.417-(8:17).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.02.09
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・2、8、水 福井県の大飯原発の再開は、何としても阻止しなくてはならない。 福島の事故が日本を変える大きなチャンスなのだ。 大飯原発となると、もちろん関西は直に我が身に降りかかる危険の問題だ。 「せめて大飯原発ぐらい稼動しないと、夏の電気は供給仕切れない」と関電は述べているが、よろしい、すべて稼動を停止して、どうなるか見てみようではないか。 どうせ関電は余る電気を隠して、皆が困るように電気の供給を止めたりするかもしれないが、彼らにも利益が必要なのでずっとそうはできないはずだ。 それぐらいの覚悟で掛からなければ、常に彼らの思惑通りことが運んでしまう。 ストレステストなどというまやかしに総理もGooを出すようでは政府も何もあったものではない。 関西全体で署名集めをするとか、何とか打つ手はないのだろうか。 大飯原発の周りの人たちの反対運動だけでは微力過ぎる。 ーーーーー 「ストレステスト」の保安院の審議は法律違反 大飯原発3号機と4号機の再開のために経産省の原子力保安院というところが、「ス トレステスト」をして「安全を審議した」とニュースは伝えています。伝える方も問 題だが、政府も政府です。 日本は原子力基本法の成立と原子力政策を作るときに、「日本は被爆国であり、原子 力の安全を保つために、原発を推進する方が安全を審査してはいけない」としている 。つまり、原発推進は原子力委員会と経産省が行い、それとまったく違う組織(原子 力安全委員会)で安全を審査することになっています。 安全の審査を独立の機関でしないと安全は保てない・・・これは原子力というものを 日本でやるときに政府が国民に約束したことです。でも、現実的には保安院というの が経産省にでき、約束を実質的に反故にしてその結果として福島原発事故がおこった にも関わらず、またそれを繰り返しています。 それに加えて、ストレステストというテストは地震も津波もなく、ほとんどの原発が 内陸の川で冷却しているというヨーロッパで使用されているもので、その点でも日本 で無批判に使えるようなものではありません。 でも、もっと基本的なこと、原子力の安全を保つためには、原子力を現実にやってい る人が絶対に安全を審査してはいけないという基本方針がこれほど無視されていても 、それを政府も、専門家も、報道もなにも言わない社会は気持ちが悪いほどです。 (平成24年2月8日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.420-(4:13).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.02.08
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・2.7.火 この武田氏の説明は、もう一つ分ったようで分らないところがある。 なぜ武田氏が木はCO2を吸収するという常識を否定するのかというのは、木は昼に光合成を起こすのでCO2を吸うが、夜にはすべて吐き出すので、結局木がCO2を減らしてくれる訳ではないということらしい。 この「吸って吐く」というところをもっと明確に述べなければ、何を言ってるのかはっきりとは理解しにくくなる。 これは僕も「木が二酸化炭素を吸ってくれる」と習っていた。 だから呼吸によって二酸化炭素を出す人間とうまく行くのだと。 しかしドイツにいるころに「木は吸った二酸化炭素を夜に吐き出す、だから朝の森で美味しい空気と感じているのは、二酸化炭素なのだ」と誰かが教えてくれた。 朝の新鮮な木々の香りが二酸化炭素であるのかどうかはよく分らないが、とにかくその時に「日本で教えられたことと、様々な部分で随分違うな」と思ったものだ。 こういった「常識の勘違い」が、ただ間抜けが原因でのことなら「恥ずかしい日本人」で終われるが、狡猾な人間の予算獲得や、誰かの利益に繋がる計画的な嘘だとしたら(近頃は僕も世間というものがやっと分って来て、すべて疑わしく思えてしまう)税金の盗み取りを見逃す訳にはいかない。 それにわざと間違と知って教科書に掲載し、子供たちに間違った知識を植えつけるとは言語道断だ。 ーーーーー 知の侮辱(2)・・・森林はCO2を吸収しない このことを「知の侮辱」の最初に書こうと思ったのは、理由があります。今から10年 ほど前でしょうか、小泉純一郎内閣の時です。当時、政府に「科学技術戦略会議」と いうのがあり、ノーベル賞学者や東大教授が多く名前を連ねていました。 ある学問のシンポジウムで、私が環境と国際関係の話をしたのですが、それをお聞き になっている人の中に科学技術戦略会議の議員の先生がおられました。実直な先生で したから、私が「森林はCO2など吸収しないのに、このような科学的な間違いが蔓 延するのは科学者として残念だ」ということを言いましたら、話の後で真っ先に手を 上げられて「森林がCO2を吸収しないって本当ですか?!」と言われました。 その時、私は懇切丁寧にその理由を説明しましたが、十分には理解されなかったと思 います。それでも、「これは大変なことだ。本当に武田先生の言われることがただし ければ・・・、科学技術戦略会議では吸収すると言っていた!!大変なことだ!」と 言われました。 「科学技術戦略会議」とは「正しい科学技術の認識のもとで日本国家の方針を決める 」という会議ですから、そこで科学技術に反することが前提になるとは考えてもおら れなかったのでしょう。 ・・・・・・・・・ 1997年の京都議定書で、日本は国際的に大きな不利を被りました。このことを少しで も回復しなければならない環境省は、日本が削減すべきマイナス6%(6%は形式的 な数値で本当はマイナス19%)を実質的に減らすために国際会議で「森林吸収分を 参入する」という交渉をしました。 ヨーロッパ勢は日本だけが不利だったのですから「ま、しかたないか」ということで 「科学的には無関係だが認める」というコメントを出しています。いわば国際的にも 日本の恥をさらしたことになります。 これに基づいて政府は国際的な間違いを国内に持ち込まざるを得なくなり、「森林の 働きでCO2を減らす」という非科学的方針を打ち出したのです。これに乗ったのが 、森林関係のお金を取ることができる林野庁や森林総合研究所、森林関係の学者など でした。 すべてはお金で動く時代ですから、その人たちが一斉に「森林はCO2を吸収する」 と言い始め、マスコミはそれに追従し、ついに子供たちまで科学的な間違いを教え始 めたのです。学問的に間違ったことが社会的な常識になったのです。 ・・・・・・・・・ これについて私が名古屋市の経営アドバイザーになった時に、一つのもめ事がありま した。当時、名古屋市は(どういう理由か)CO2の削減を市民に指導していました 。その一環として名古屋市でもっとも賑やかな「栄の交差点」に大きな「CO2監視 計」を市民の税金で作っていたのです。 私が正しい経営のアドバイザーとして「CO2の濃度を測定しても意味がないですよ 」と言いましたら、担当室長は色をなして「先生!なに言っているのですかっ!そば に樹木があって昼間は光合成でCO2を吸収するから値が低くなって、夜は光合成が 止まるのでCO2が増えているんですっ!小学生や中学生にCO2と樹木のことを教 えるのに役に立っていますっ!」と言いました。 これこそロンドン天文台長が「現代社会では自分の学問に忠実な学者は絶滅した」と 言った意味なのです。社会に誤解が蔓延し、それに学者が合わせて生活をする。だか ら、誰も学問的に間違ったことでも指摘できなくなるのです。 昼間にCO2が減って、夜、光合成が止まるのでCO2が上がるのは確かですが、そ れは「樹木がCO2を吸収する」ということにはなりません。樹木がCO2を吸収す るのなら「昼と夜の合計」を測定して、その増減を調べなければならないのであり、 「昼と夜の差」を調べても結果は得られないのです。 もちろん、栄の交差点はオープンな場所ですから測定自体がCO2の増減を調べるこ とはできないという基本的な問題もあります。 「科学的な心」というものの一つは、「何を測定したら何が判るか」ということです から、残念ながら名古屋・栄のCO2計は「子供たちの科学の心を破壊する」ものな のです。これでは先生方が一所懸命「科学の心」を教えても、子供は成長しないでし ょう。 お金で子供の発達を阻害するという典型的な例の一つだったのです。 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.415-(8:32).mp3」をダウンロード (平成24年2月5日) 武田邦彦
2012.02.07
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・2.5.日僕が住んでいる河内長野の山を切り開いて造った住宅街を出ると、外環状線が走っている。これは30年足らず前に通った道で、それまでは人里離れた静かな山村だったそうだ。毎朝の犬の散歩で時々この外環まで出て、その脇の歩道を歩く事がある。するとその歩道の上に夥しいゴミが散乱している。コンビニ弁当の殻やスナック菓子の袋、空き缶や牛乳パックなどである。最初、夜中にこんなところで中学生などが屯して汚したものと思っていたが、周りの人に尋ねると、どうやらそれらは行き交う車の窓から捨てられたものだという。一旦誰かがそこにゴミを捨てると、それを見て通る車は皆そこがゴミ箱とでも思うのだろう、今や大変な量となって、歩道の上や、脇の草むらなどのあちらこちらに散乱している。「自分の家や自分の車以外はゴミ箱」というこの感覚は、一体どの時点の間違いから起こることなのか、どの時点でこういった大人が出来上がってしまうのか、僕はいつもそのゴミの前で立ちすくんで考えてしまう。年齢層から見ても、今の年配者がそれを行なっていないとはおそらく言えないだろう。となると、その年配者に育てられた中年層、その子供の若い層が正しく倫理を持つということは期待できない。高度成長期が人々の何かを狂わしたのか、それに伴う学歴社会が「皆で他人を慈しみ、皆で温かい社会を育む」というようなルールを崩壊に導いたのか、またはそのような「自分がよければそれでいい」という精神は今に始ったことではないのか。このままでは使用済み核燃料だって、世論が煩いから他の国にそっと捨てて、知らん顔をして帰って来るなどということもいずれ起こるだろう。とにかくこのまま「ルールがどうした、法律がどうした」という風潮が蔓延して行くと、行く行くは「殺人がどうした、虐殺がどうした」ということになるだろう。事実、ネコを虐待して何とか日々の自己存在を確認しているような手合いが、どんどん増えているのだ。町に捨てられたゴミの問題は、もっと大きな人道の問題、命に関わる問題に繋がる、人々の脳の破壊と言える社会問題だと僕は確信する。ーーーーー瓦礫引き受けに関する考え方(1)・・・なぜ、瓦礫を引き受けてはいけないのか?瓦礫の引き受けが全国で拡がっています。これまで「他の自治体のゴミを引き受けるなんてとんでもない!」と言って来た首長さんはずいぶん、豹変するものと感心してしまいます。それには「ウラ」があるのですが、まずは瓦礫の引き受けを止めようとしている多くの人のご参考にと思い、具体的な話から入ります。・・・・・・・・・長い間、日本人を被曝から守ってきたこと・・・日本は原爆を落とされた国として被曝に対してしっかりした考え方でやってきましたが・・・、それは「法律を守る」ということです。人間に対しては1年1ミリシーベルトという厳格な規則があります。まず、第一に、被曝に関して法律があり、瓦礫を引き受ける自治体は「法律を守る」ということを宣言しなければならないということです。自治体の多くは今まで「被曝の法律なんかあるの?」という態度でしたから、まずそれを確認することが大切です。ここで、言い訳がでてきますので、それに対抗する必要があります。それは「日本にはもともと原発の事故を想定した法律などない」というものです。でも、これは間違っています。原発の事故に関する法律とその考え方は次の様になっています。1)原発の事故が起こっても起こらなくても、日本人の被曝と健康の関係は変わらない(これは、被曝に関するすべての法律が同じ基準値であることでも判ります。つまり日本国内の法律で「この法律では1キロ100ベクレル、この法律では1キロ1000ベクレル」などとなっていると混乱するという理由と、もともと被曝の発生源などが違っても日本人に与える影響は同じだからです。)2)従って、どの法律を使っても同じ結論になる(悪意で誤魔化さなければ)。3)原発を運転している限り、事故の可能性はあり、日本政府はそれほど無責任ではないので、事故の想定をしている。それによると希な事故(およそ1万年に1度)の場合は1年5ミリまで被曝限度を上げることができる。およそ10万年に一度程度の事故の時には、1年5ミリからあまり離れない被曝量を設定できる)の場合、被曝限度を現行法を超えて設定できるとしている(これは原子力安全委員会指針)。今回の事故は原子炉が運転し始めてから100年以内。津波の規模は1000年に1度以上だから、指針によって1年1ミリシーベルトを超えられない。4)食品基準、物品基準、廃棄物基準、土壌基準などは、1年1ミリシーベルトをスタートとして計算される。ベクレルは人間に関係の無い数値で、シーベルトを決めるとベクレルが決まる。従って、すべて1年1ミリシーベルトが最初の基準になっている。従って、食品でもゴミでも現行の基準を変えることはできない。5)このほかに、原子炉については核種が多いので、特別な注意をされていて、「クリアランスレベル」という別の概念が適応される。これは「1年0.01ミリシーベルトのものは自由に取り扱っても(捨てても)良い」というもので、1年以内懲役、100万円以下の罰金を伴っている。6)今回の福島原発事故は、原子炉の中のものが飛び散ったので、クリアランスレベルを適応するべきである。7)瓦礫の処理には「今、東京にあるゴミより放射線量が低い」という理屈を持ち出すことがあるが、そんな法律はない。Aが泥棒をしたのだから、Bの泥棒が許されることはあり得ない。法律違反は法律違反である。もし東京のゴミが基準値以上なら、基準値以上のものを持ち込んでも良いというのではなく、東京のゴミを東電が処理しなければならない。おおざっぱにいって、瓦礫に関して日本人を被曝から守るための法律は上記の様になっています。もし自治体の首長さんが良心的なら、クリアランスレベルを守るでしょう。それほど良心的でなければ、被曝の一般法を守るでしょう。もし、住民の健康よりお金が欲しければ、法律があることを知らないふりをするか、いろいろな理屈を言うでしょう。なお、被曝に関する法律は「法で定められている」と言うほかに、「現在の医学では最良の値を決めている」ということでもあります。時々、「法律で決まっていると言っても学問的にはどうなのか?」などと言う人がいますが、被曝限度のような数値は日本の学者のコンセンサスでできています。法律に反することを言う学者は法律を決めるときに、相手にされなかったか、もしくは論争に負けた人です。急ぐので、まず、ここまでで第一回を終わります。(平成24年2月4日)「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.413-(10:33).mp3」をダウンロード武田邦彦
2012.02.05
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・2.2.木 下記の記事にある「東海地震が近々起こると唱えるのは、東大が予算を貰うため」という話を聞いて、それはもうあるだろうことだし、全くエリートの連中は予算をかすめ取ることしか頭にないのかと憤慨する。 日本を守る、または再建し直すためには、このエリートと言われる連中を考え直さねば、問題の根っこは掘り起こせない。 学歴があるということは、試験の成績が良いということ、試験の成績は、ある程度記憶力の高さとも比例するようなシステムであるようにも思える。 成績が良くて真っ当に東大に入学できるということは、もちろん記憶力だけでは無理だとは思うが、思考し国全体の幸せを望み、そのために自分はどんなことに汗をかかねばならないかと頭を働かすのは、記憶力の良さだけではもちろん何の役にも立たない。 そこに「人柄」が欠かせないポイントとなって来る。 おそらくそれは東大の入学試験では点数を付けることはできないのだろう。 その先にある人生を掛けた目的が「国益の私物化」「利権を思うがままに」「ばかな国民を騙し、自分の利口さに満足する」などであるなら、どう考えても頭の良い人種とは思えない。 それらが国のトップエリートたちの環境であるなら、エリート道中に何かしらの決定的な間違いがあるのだ。 学歴社会というものがなければ、もしくは人の能力を個別に評価するだけの裁量が国の大人たちに備わっていれば、もっともっと明るい、愛すべき日本が存在しようものを。 その間違ったエリートをこしらえたのも、我々の社会なのだ。 ーーーーーー 地震の避け方、かわし方(1)・・・東海地震がなぜ注目されたか? 物事はそれほど偶然ではなく、それぞれに理由があるものです。特に、かなり大きな ことはそれなりに理由を見いだすことも大切です。 「東海地震が来る」と言われて40年。その間に、阪神淡路大震災と東北大震災の2つ が日本列島を襲い、今、また関東に大地震があると言われています。なぜ、東海地震 が来なくて、阪神と東北に大地震が来たのか? それも1000年に一度というような大 規模な地震が予測できなかったのか? それほど予測精度が悪いのに、なぜ「次回だ けは予測できる」のか? ジックリと考えたいと思います。 ・・・・・・・・・ 東海地震がすぐにでも来ると言われる少し前、松代群発地震というのがあり、それが キッカケとなって「地震予報を出そう」ということになりました。このような時に世 論を作っていくのは、普通は「若手官僚―東大教授―マスコミ」の連合軍です。 最初はそれほど悪くはなく、「日本は地震国だから、地震予測を進めなければならな い」、「仮に地震が予測できたら、人命ばかりではなく、経済損失を少なくする上で も貢献できる」ということで前向きの議論になります。 ところがその直後に問題が発生します。それは「予測を誰がするか」ということです 。政策の原案を作るためには「官僚と東大教授」という組み合わせで行われます。日 本は議員の政策立案力が無く、官僚がほとんどをやっていますし、東大教授だけが優 れているのではないのですが、東京にいることと、官僚と同じ大学(多くは東大)の 出身で個人的に知り合いが多いということがその理由となります。 「予測をどのようにするか」という検討段階に入りますと、「全国を一律にやるのも 予算がかかる(官僚)」、「東海地震が近いからそこを重点的にやったらどうか(東 大)」となって、「東海地震の予知からはじめ、東大がそれを担当する」という筋書 きができます。 ここに大きな問題が発生していますが、議論がまともですから、反対もなく、マスコ ミも特に不思議と思わずに報道します。 「松代群発地震も起こり、社会は地震に対する関心が深くなっている。かつて関東大 震災で大きな被害を受けた日本だから、世界に率先して地震予知を進めなければなら ない。地震学者によると太平洋から日本列島の下に潜り込んでいるプレートのひずみ が大きくなっており、次の巨大地震は東海地方がもっとも確率が高い。」 実に論理が通っていて、この報道に反対する一般の人はほとんどいませんでした。そ れにNHKなどの「よい子報道」を優先する報道機関は「地震予知の研究が始まる」 と報じ、それを東大教授が「近々、起こると考えられる東海地震の構造」を解説、多 くの人が「プレート」、「エネルギーの蓄積」などに話題が集中します。 このとき、「なぜ、東海地震なの?」と疑問を呈すると、袋だたきに遭います(この 瞬間が原発事故も含めて日本の大きな問題を生じる瞬間なのです)。袋だたきにする 人は、政府、東大教授、NHK、権威に追従する性質をもっている知識人、「常識」 を重視する人、「みんなで渡れば怖くない」と考える人などです。 しかし、この瞬間に「なぜ、東海なの?」と疑問を呈することが、その後、40年にわ たるムダなお金、阪神・東北の地震の犠牲者を少なくすることができる大きなポイン トと思います。 ・・・・・・・・・ 学問を議論する「学会」が、オープンで、どんな発表でも、どんな批判でも許されて いるのは、人間が難しいことに取り組むときには、オープンで自由な議論が必要であ るという経験によっています。「権威のある人」が「正しい」ということではなく、 山片蟠桃が言う「大知(多くの人の知恵の方が少数の優れた人の知恵よりレベルが高 い)」を実践する方法が学会です。 誰でも参加でき、誰でも発言でき、かならず記名、身分をハッキリさせて議論すると いうのが絶対に必要なのです。 日本での地震予知、予知研究のはじめの段階で「疑問を呈する人」と「それを取り上 げるマスコミ」があったら、阪神淡路か東北大震災の一つぐらいはある程度の警告が でき、それに基づいた対策がとられ、犠牲者を減らすことができたと思います。 ・・・・・・・・・ なぜ、東海地震が来ると言われたのか? それは「東大が研究費をもらえるから」で あって、「科学的に東海地震が先に来る」と言うことではないのです。官僚の東大教 授の議論では、東大に研究費をだすという以外の結論にはなりません。まさか政策準 備の段階に席に着いていない東北大学や大阪大学には研究費が行くはずも無いからで す。 現在でも、それは同じなので、まず第一に阪神淡路大震災と東北大震災を予知できな かった東大関係の地震学者へ研究費を出さないようにすることでしょう。そして、第 二に地震学会を再構築して、自由な雰囲気で議論するようにすることですが、そのた めには「役に立つ研究」を止めて「研究費を一律に配る」ということに変更する必要 があります。 そして第三にNHK、マスコミ、国民が「決定された経過がオープンでないものは、 疑い、批判を試みてみる」という習慣をつけることでしょう。これまでの失敗を反省 し、あるいは批判するとともに、将来のことを考えてより進んだ社会にする必要があ ります。 特に、阪神淡路大震災と東北大震災で犠牲になった方々の無念を晴らすためにも、「 なぜ、東海地震の前に2つも大地震が来たのか?」を問わなければなりません。 (平成24年1月31日) 「takeda_2xxx-xxx-xxxxxno.402-(9:53).mp3」をダウンロード 武田邦彦
2012.02.02
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