2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全8件 (8件中 1-8件目)
1
・8、26、月先日8月8日に地震警報の誤報が日本全国を流れた。至る所で世間は大迷惑を掛けられた訳だが、世間では「まあ気象庁も一生懸命やっていて間違ったんだし、地震を察知するのは難しいことなんだから大目に見ようよ」という感じである。しかし本当にただの誤報なのかと僕は訝っている。気象庁が地震速報をはでにやり始めても、揺れと共に速報している訳で、これは全く意味がない。地震の何分か前に余地するなどということは、おそらく今の技術では不可能なのだろう。にも関わらず「気象庁はこのように頑張っていますよ!」とPRする理由。そこに予算狙いがあるのではと感じない訳にはいかない。だから今回の誤報も、実は誤報ではなく故意に行った予算狙いの一つのパフォーマンスであろうと推測できる。要するに「世間が大慌てして交通機関が止まり、社会が一時凍結しようとも、皆こういうことは大目にみてくれるはずだし、責任問題にはならないはずだから、ここで一つ大きくパフォーマンスするか」という「嘘」であろうと。何もかもこのように懐疑的に、意地悪に考えねばならないこの国の体質がとても悲しい。そんな時に武田氏が今になって下記のような記事を発表した。ここでは真髄は暴露していないが、結局気象庁の腐敗を嘆き、国全体の腐敗をまた一つ思い知らされるものとなった。何につけても独占企業というのはやり放題である。ーーーーーーーー、不祥事が続く・・・地震警報は誤報「jisinyochigohoutdyno.352-(7:16).mp3」をダウンロード2013年8月8日午後5時少し前、ラジオのアナウンサーがけたたましい声で「まもなく激しい揺れが来ます」と叫んだ。緊急地震警報がほぼ本州全土に発せられたからである。しばらくして地震はなく、誤報であることが明らかになった。新幹線も、私が乗るはずの電車も、すべて一時停止し、業務を止め、車は停車した・・・単なる「誤報」ですむ問題ではない。でも、この数年、気象庁という比較的、品が良いと思われていた役所は地球温暖化でいい加減なデータを出し始めた前後から、「利権」にまみれていい加減な事ばかりをやっている。数年前、気象庁に関係する先生と研究会を開いたら、「あまりに酷い測定なので、自費を600万円も出してせめてある程度、正しい気温を測ることができるようにした」と嘆いておられた。気温を測るのに、車の渋滞のある交差点の横のコンクリートの上とか、観測点の上から樹木が覆い被さったり、さらには頻繁にたき火が行われる場所だったりしていた。先生から写真を見せていただき、「気象庁にはまともな技官がいるのか?」と思った。次は、地球温暖化のデータで、ある人に紹介されて気象庁の責任者に合いに言ったときだった。その人と私の話をメモしたりするのに熱心で、気象庁がなぜ日本が温暖化するのかという質問にはほとんど答えなかった。最近では、私は「過去に記憶の無いほどの豪雨」とか「バケツをひっくり返したような雨」などと、真面目な技官ならまずあり得ない用語を使うことを批判した。観測はまず数値のデータである。「過去に記憶の無い」というなら、まず「40年来」とか数字を出した方が確定する事ができ、その後に「多くの人にとって経験がない」というのを着けるのが適切だ。・・・・・・・・・ある組織の腐敗は、徐々にやってきて回復せざる所まで進み、それがいろいろな異常事件として顕在化する。まさに、温暖化を強調するために測定をごまかし、数年に一度の豪雨を「経験の無い」と表現するようでは、地震の誤報ぐらいは充分に考えられる。技術とはそう言うものだ。温暖化の他にもう一つ、東日本大震災のマグニチュードは9.0となっているが、最初の発表はたしか8,4だった。少しずつ訂正していったが、このマグニチュードが従来から気象庁が使っている定義か、あるいは国際定義かすらハッキリしない。日本の技術陣の崩壊は目を覆うような感じがするが、それは「このぐらいで良いだろう」、「そんな厳密なことは面倒だ」という質の悪い文科系文官のいうことに技術陣がおとしめられてしまったからでもある。目の前で原発が爆発しても、まだ「原発は安全だ」というような社会では、誤報は続く。テレビのコメンテーターの中には技術を良くご存じなく、今度の誤報でも「このぐらいは許さないと」といている人もいるが、技術のほころびは「厳密性を失う」ことによって起こる。(平成25年8月23日)武田邦彦
2013.08.26
コメント(0)
・8、22、木「広島の原爆の後もそこに住んで元気な人もいるんだし、結局原爆の被爆で死んだという人は少ないんだから、茶木さんもあまり放射能が危ないなどと言わない方がいいですよ」と二年前に僕に囁いた人がいた。そこのところを僕も科学的に反論することができなかったが、ここに来て武田氏が詳しく説明している。しかし二年経ってからとは、これはかなり遅い。それに一番大事なところがまたあやふやな説明に終わっている。「広島でも長崎でも元気に暮らしているひとがいるじゃないですか、それは何故なんですか?」という読者の質問に対して「インフルエンザでも全員が死ぬわけではないでしょ」なんて、説明にも何もなっていない。まず、今回の福島自己で出た放射線は、広島、長崎の原爆の約200倍。原爆では熱と爆風でほとんどの人が死に、被爆後遺症で苦しむ人は一万人、被爆の影響と思われる癌発症で苦しむ人は十万人という。これでどうして「原爆が落ちても被爆の影響を受けている人はいない」と言うことができるのだろう。中には健康を害せず元気に生きている人もいるから、ここを取って原爆推進派が揚げ足を取る訳だ。何故相当量被爆しても健康を害さない人がいるのかは、おそらくはっきりとした理由が付けられないのだろう。僕個人の意見としては、その人の腎性の強さ、被爆による影響を受けにくいDNAの構造、特殊な解毒能力などの違いではないかと想っている。とにかく、原発推進者の利害発言に乗って、一般市民が利害もないのに被爆を軽んじる発言を垂れてはならない。「もう二年も経ったのに、まだ被曝のことを言っているのか」と思われる人もいるかもしれないが、半減期は三十年から二万年と続くので、話は年月と共に解決するものと思わない方がよい。おまけに毎日何万トンという汚染水が福島原発から出ているようだ。何故汚染水が流出するのかは、武田氏からも詳しい説明がない。これはすでにほとんど報道されなくなった。本当に恐ろしいことは報道しなくなるらしい。ーーーーーーーー【原発】広島・長崎と福島原発との比較2011年に福島原発事故が起こった直後、「広島・長崎でもたいした事は無かったのだから、原発が爆発しても驚くことはない」という話しが専門家でも言う人がいたので、急いで否定しておいたが、それからかなり時間がたっても、まだ、そのようなことを言う専門家がいる。1)原発はウランの量が膨大広島の原爆に使われたウランは約60キログラム、それに対して福島原発のような100万キロ級の原発一基あたりのウランの量は約100トン(100000キログラム)。量から言えば約1700倍。原発はウラン235が3%ぐらいで、原爆は90%だから、ウラン235だけが核分裂して放射性物質を出すとして(厳密に言うとウラン238も反応するが)、約60倍。2)放射性物質量は200倍このように原爆は「小さくて爆発力が大きい」もので、原発は「大きくて放射線量は大きい」という特徴があり、2011年当時、私が急いで計算したときには広島原爆に比べて福島原発事故では200倍ぐらいだった。3)瞬間的と長期的の差原爆は瞬間的に少ない放射性物質がでるので、強く被曝した人は熱線で死んでしまうので、「熱線や爆風で無くならなかった人で、被曝した人が原爆症になる」ということ。それに比べて福島のような場合は、健康被害は被曝に限定される。(注)チェルノブイリの死者は、事故処理のために死刑囚を使って事故が起こった原子炉に突撃させ、約半分が死んだが、日本ではそれほど荒っぽいことはしていない。4)広島・長崎での被曝者数と原爆症認定患者数広島・長崎の被爆者手帳を持っている人は25万人。原爆症認定患者数は最近に認定された人を合わせて1万人弱で、認定には不満が多い。政治的なことを別にすると、広島・長崎の被曝による健康被害は最低でも1万人はいると考えられる。別の論文では原爆による間接的な影響も含めてガン患者は11万人との報告もある。従って、「広島・長崎で被曝してもたいした事はなかったから、福島でも大したことはない」というのは、第一に福島の方が放射線量が50倍から200倍程度大きいこと、第二に広島・長崎でも1万人から10万人程度の被害を出しているという現実から見ると、あまりにも事実を無視した話しだ。それより、私は長い学問的検討を経て、「日本人を被曝から守るには、1年1ミリシーベルト以内」と決めた法令を守るというのが、緊急時にあらゆる検討に先立って、日本人が被曝した人に対して認めなければならないことと思う。(平成25年8月15日)「hiroshimanagasakitdyno.340-(9:12).mp3」をダウンロード武田邦彦
2013.08.22
コメント(0)
・8、16、金68回目の終戦記念日に際して、武田氏のブログでは「終戦を考える」というシリーズが組まれ、また「坂の上の雲」でもやはり大東亜戦争についての原因、日本の歴史を正しく検分しようという記述が続く中、今まで僕が聞いたこともなかった話が出て来る。武田氏の言い分と、坂の上の雲での著者の言い分はほとんどの場合一致している。今読み進んでいるところで著者の論旨として述べられていることだが、日清、日露戦争は中国、ロシアと韓国を取り合った争いであり、特に日露戦争に関しては、膨張主義に興じたロシアが凄まじい勢いで南下して来るのを、日本が韓国の手前で防ごうとしたものであると。ロシアが朝鮮半島に軍港でも開けば、日本にとって枕を高くして眠れない恐怖となる。だから日本にとって韓国は、防衛のためのどうしても必要なクッションであった訳だ。しかし当時の韓国は国が衰退し尽していて、政府も無ければ軍もなかったので、何処かの国が守らねばそのまま自動的に侵略される状態だった。日本は自分たちの防衛の意味で、仕方なく出て行ってロシアから守る必要があった。ロシアから見れば「我が大国ロシアと貧困に見舞われる小国日本では勝負にもならず、軍艦一つを取ってみても規模が違う。そんな日本がロシアに戦争を仕掛けるのは自殺行為であり、いくらなんでもそんな道は選ばないだろうから、いくらでも締め上げて、最後には植民地にしてしまえばいい」と考えていた。「これは世界の外交ルールからいうと、余りにも酷い非人道的なものだった」と著者は語る。結局日本は「日本が勝てる見込みは全くと言っていいほどない」と認識しながらも、閣僚や軍上層部は涙で目を腫らしながら開戦せざるを得ないことになった訳だ。当時の待ったなしの弱肉強食の世界においては、国はどこかの植民地になるかまたは独立するかの二つしか道はなく、日本は後者を選んだのだから。そこで奇跡が起こる訳だが、そのことについてはまた後日検分しようと思う。ここで認識せねばならないのは、ロシアに締め上げられて、日本は国が無くなると分かりながら立ち上がらねば仕方なかったということ。そしてその数十年後の太平洋戦争での日本敗戦後のベルリン会議において、インドの大統領の「日本は連合国に締め上げられ、開戦せねばならない状況に追いやられた」という発言。アメリカ軍司令官のマッカーサー氏による「日本は真珠湾攻撃をせねばどうしようもない状況に追いやられていたのだ」という発言から見て、日本は大東亜戦争を通して白人から非常ないじめに合っていたとも考えられる。締め上げられて、四面楚歌に見舞われた国が、逆切れして自殺行為に出るのをじっと待ち、開戦仕掛けたものを「悪者」として世界に通してしまう。これこそが白人たちのいつものやり方である。司馬氏はここで思い切った結論を示している。「当時も今も、白人たちの中には根強い有色人種への差別意識がある。世界で首を擡げる有色人種が小面憎くて我慢できないのだ。相手が有色人種でなければ広島、長崎に原爆を落とすというようなことはしなかっただろう」と。なるほど、今なお世界で占める日本の位置というのが、すべてここに端を発しているのかもしれない。白人が日本の侵略戦争を中国、韓国に言わし続け、またこのアジア両国もその口車に乗っている理由。白人から見て「中国人は余り気にならないが、日本人はどうも感にさわる」というところがあるのかもしれない。劣等人種、白人から見て家畜同然として見て来た有色人種が自分たちを出し抜かぬよう、常に杭の頭を叩いておく必要があるのだ。
2013.08.16
コメント(0)
・8、15、木「坂の上の雲」の中で、スペイン、ポルトガル、イギリス、トルコ、エジプトなど、一時栄えに栄えた国が、衰退して行く時の共通した症状として、政府の腐敗、国民の疲弊、国の老朽があるという。正に今の日本である。増税に関して下記の武田氏の話をまとめると「補助金事業で多量の予算をおろし、官僚が使いたいだけ使って、そのおこぼれを自民党がいただく。そしていつも下りた予算以上に使ってしまうから赤字が嵩む。そうすると『健全な予算』とか言ってまた国民からせびる。まるで手の付けられない放蕩息子を持った親が国民である。小遣いをいくらプラスしても、またそれ以上使うから際限がない。親が破産するまで続くだろう」こうなれば親としては財布の紐を開かないようにして、一銭も小遣いを与えないようにするのが当然だ。何と言っても最初の教育が悪かったのだ。子供の堕落は、たいがい鏡に映った親の姿だと思った方がいいだろう。具体的に上げると、高度成長に沿って親がヒートアップさせた学歴社会。収入が人間の価値と定めた親たち。結果的に利己主義を尊重した親たち。これら戦後の親たちの考えが今の腐敗した国を作り上げたことは明白だ。それに加えて、古来から日本にある差別主体が腐敗の根っこを支えていると、これは僕の考えであるが、これもやはり親の生き方の反映でもある。とにかくここまで来てしまえば、息子に小遣いを与えないことが先決であり、それは我々が税金を払わないことだ。年金で老後を過ごすなどという考えを止めてしまえばいいのだ。さてそのためにはどうやって老後を食うか。例えば年金制度のない昔なら(そんなに昔ではないのだけど)、商家を大きくして子供に譲る。自分は隠居して子供に食べさせてもらう。先祖から受け継いだ田畑を年を取るまで守り続け、いずれ子供に譲り自分は隠居する。自分の老後は自分で用意するということだが、今のサラリーマン社会でそれができるか。国に頼ること自体が鴨にされる原因であろうし、気が付けば我々の老後を心配してくれる国など、初めからいないのだ。ーーーーーーーーなぜ、増税になるのか?・・・不健全にした人が健全にする??リサイクル工場の悪臭で税金を使った工場が停止している。「国の補助金を使って2012年に建設された、東京都内最大級の民間生ごみリサイクル施設「八王子バイオマス・エコセンター」が、悪臭の苦情が相次いだことで今春以降、停止している。再稼働の見通しは不透明だ。」補助金事業は「税金を知り合いに配っている」と言っても良いもので、こんな事をくり返していては税金は足りなくなり、増税、また増税となる。「足りないから増税」というのは実に奇妙な論理で、収入より多くのお金を杜撰に使ったら破産する。でも政府は「杜撰に使ったから無くなった」と言えば国民からお金を取れると思っている。自民党もお金を官僚に出さないと政治ができないから弱腰だ。そして「財政健全化」というのも実に奇妙な言葉で、予算を決めることができる政府が自ら「財政を赤字」にして、「赤字になったから不健全」と言い、「不健全を健全にするために増税」すると言っている。ということは、増税するとまた使って「財政を赤字」にして、「不健全」と言い、「健全化」として「増税する」ことになる。つまり、今年も赤字を増やしているのだが、「健全化」するとしている年に「使いすぎ」をしているのだから、増税しても不健全の人が健全になるはずもない。(平成25年8月9日)「fukenzentdyno.338-(8:41).mp3」をダウンロード武田邦彦
2013.08.15
コメント(0)
・8、12、月何時だったか、サッカー世界大戦の韓国日本戦で日本が勝った時、韓国の戦手たちが猿の物真似をして日本人を揶揄していた。今や経済大国となった韓国も、精神的にはまだまだ発展途上だなと思った。しかし昔からアジア諸国では日本人を猿と呼んでいたようだ。元々はロシア皇太子が猿と呼んでいたことが始まりであるようだが、これは小柄で卑屈そうに背中を丸めている姿からそのように揶揄していたようだ。しかしこの皇太子は、明治時代に日本訪問中に京都の大津で暗殺されかけた苦い思い出からそう悪口を言うのだそうだ。アジア諸国は、明治政府がヨーロッパからすべて学び入れ、服装や軍艦や建物まで西洋化して行く日本を見て「猿真似の猿」という意味でそう呼んでいたようだ。周りがそう悪態を着くほど、日本人は敵からでもどんどん文化を取り入れて行く。客観的に見ていると、この人の真似という意味では恐るべき貪欲さを感じる。それから100年後を見ても、やはり人真似の才能を持って経済大国となった。人の作ったものから、バリエイション化させてもっと良いものを考え出す力もあるようだ。しかし、何もないところから素晴らしい思いつきとアイデアを持って、地道に何かを生み出すという才能は著しく乏しい。よって明治維新以後の開国以来、日本独自の文化なり技術なり、商品なりというものがほとんど生み出されていないように思える。これこそが、経済的なピークを過ぎてしまった時、何も残らないという喪失感となるのだろう。猿真似でインスタントに手に入れた栄光は、やはり泡のように消えて行くのかもしれない。じゃあ我々の独自の文化、商品、技術とは何か?それは明治政府開国のころの無邪気な日本人を見ていれば分かる。勤勉さ、正直さ、素直さ、そして埃。そこにもう一つ付け加えるのならば、独自のナショナリズム。それらが我々の特質であり、おそらくそこからのみ不況に負けない力が得られるのだろうと僕は思っている。ーーーーーーー【普通の歴史】1-6 江戸から明治へ(6)「bakumatusaigotdyno.329-(12:24).mp3」をダウンロード中国とイギリスの間で起こったアヘン戦争は隣国・日本に衝撃を与えずにはおられなかった。当時、長崎でこのアヘン戦争についての詳報に接した吉田松陰は驚愕した。平戸滞在中に松蔭が読んだとされる書物に「阿芙蓉彙聞」七冊があり、松蔭がその後も必読書としてあげているものにも「阿片始末」がある。もし日本がヨーロッパに侵略されたら、日本人は殺され、痲薬を吸うことを強制され、日本は崩壊してしまうと思っても不思議ではない。それが歴史的事実だからだ。吉田松陰自身は安政の大獄に連座して処刑されたが、彼の思想はその後長く日本政治に影響を及ぼした。つまり、世界でもまれに見る「無血」の政権交代、つまり260年続いた徳川幕府が江戸城を無血開城して、内戦をほとんどしないで明治維新を迎えたのは、必ずしも偶然ではなかった。当時の江戸幕府はまだかなりの力を持っていたし、戦闘能力もあった。しかし、ヨーロッパの強い圧力が「そんなことをしていると危険だ」という雰囲気を作り、そこに西郷隆盛、勝海舟という英傑が登場して政権が委譲されたのは日本にとって幸運なことだった。当時、イギリスから派遣されていた大使オールコックなどヨーロッパ諸国は日本の利権の奪い合いをしていたが、日本人はどうも他のアジア民族と違うという意識はあった。オランダから寄贈されたスヌービング号という蒸気船を指導に来たオランダの技師カッテンディーケはちょんまげを結い、刀を差し、白昼でも甲板で所構わず小便をする「武士」という集団が、臆することもなくスパナを握って蒸気船のエンジンに取り組むのにビックリしていた。ヨーロッパの学問や技術をためらうことなく吸収する日本人は指導したオランダ人には奇異に感じたらしい。日本刀を腰に差して結局単独でスヌービング号を江戸に回航した。こんなことは他のアジアアフリカの人にはない特徴だった。また黒船を東京湾に進出させて「一般公開」すると「普通の日本人」が我も我もと小舟に乗ってきて乗船し、物珍しげに船内を見ることも驚きだった。他のアジアアフリカ民族なら遠巻きにするし、上層部は別にしても庶民が平気で近づいてくるなどということは無かったからだ。このような現象は「ヨーロッパの学問的書籍の翻訳」でも日本らしさが爆発した。杉田玄白の解体新書が日本語に訳されたのは有名だが、理工学書の多くが翻訳され、福沢諭吉はヨーロッパの単語を翻訳できるように、膨大な造語辞典を作った。ヨーロッパの言葉がわからなければダメというのではなく、日本人なら誰もがヨーロッパの学問を勉強できるようにしたのも、アジア、アフリカ広しといえども日本だけだった。当時、世界でヨーロッパの侵略を免れていたのは、中国の日本だけだったが、中国は衰えた清が政権交代しないで次々と領土や利権を外国に手放したのに対して、日本は衰退した徳川幕府を明治政府に変えることができたので、ヨーロッパ勢も日本への侵略には躊躇していた。あれほど人望があり、維新の最大の貢献者が「征韓論」を唱えたとき、鹿児島から明治政府に入っていた人も、その他の重要人物も西郷隆盛から離れた。「我々の敵はヨーロッパ勢だ」ということについてのコンセンサスが日本の上層部にあったからだった。かなり足早に進んできたけれど、歴史はまず「大きな流れ」から整理を進める必要がある。細かい年号も歴史の専門家なら当然必要であるし、細かい年号が決定的な意味を持つこともある。でも、それより遙かに重要なのは「歴史の大きな流れ」であることは間違いない.「明治維新はなぜ起こったのか?」、「なぜアジア・アフリカ・アメリカのなかで日本だけがアーリア人に占領されなかったのか?」ということをまず考えて見ると、もちろん、偶然ではなく、ヨーロッパ勢が世界制覇を進め、その最終段階として中国と日本を取りに来た.中国は「清」という古い政権のまま持ちこたえようとしたけれど、失敗して領土を食い荒らされていた.日本は何とか徳川幕府から体制を入れ替えて近代化を進めて、侵略されるのを防ごうとした.その一つの理由が日本人が科学技術を理解できる民族だったこと、階級制がなくヨーロッパの書籍を翻訳したことなどが考えられる。歴史的事実としては、日本はその後、軍事力によって独立を保って植民地になるのを防ぎ、さらに日本自体がヨーロッパ勢の仲間入りをして国の力を増やしていった. 日清戦争から大東亜戦争にいたる約50年。日本の取った道は、必然的だったのか? 侵略的だったのか? 最も望ましい選択をしたのか? まだ日本の歴史はその見解を示してはいない。でもすでに大東亜戦争が終わって70年。充分に冷静に歴史を考える時間は与えられている.そこでここでは、日清戦争から大東亜戦争までの経過を最小限のスペースで整理をして、さらに理解を深めていきたいと思う.(平成25年8月7日)武田邦彦
2013.08.12
コメント(0)
・8、8、木司馬 遼太郎の「坂の上の雲」も半ばまで読み進んだ。ものすごい長編である。しかし一箇所として退屈するところがない。司馬氏の作品は、小説を読んでいるというよりは歴史書という感じだが、彼の目的でもある「日本人とは何か」という追求としては、かえって大きな功績があるだろう。もちろんそこには日露戦争と太平洋戦争の歴史を背景とした日本人の違いに着目している訳で、よく口にされる「明るい明治、暗い昭和」を考えるものである。もちろんそんな風に一言でより分けてしまうことも危険だが、誠実で真っ直ぐな日本人の勉強意欲や、当時の若者の無邪気さと司馬氏は表現するが、そういった「今から道を開く」というわくわく感と重い責任感が、利害を度外視した向上心となって、思いもよらない大仕事を果たすこととなるのだろう。それが、太平洋戦争のころには風変わりしてしまっている。本の中にも「秋山兄弟が、ロシアからアジアを救ったとは言いすぎかもしれないが~」とある。武田氏の話も総合すると、それは決して言いすぎではないだろう。何故当時の日本人はそこまでの底力、類いまれなき能力を備えていたのか。おそらくそれは奢り、利害、自己顕示というようなものが入り込む余裕もなく、ただもう白人たちからの占領から身を守るためにヨーロッパを堅固しながらも、彼らから素直に様々な学習をし、彼らが5・600年掛かって会得したものを、日本人はほんの2・30年で夢中に盗み取って、ヨーロッパ大国と互角になろうとした。そしてある意味それを成し得たのだ。人間はこの我武者羅に坂を上る姿が最も美しく、上から眼下を見下ろす姿には、滅亡が隠れているということかもしれない。ただ日本の、あのころの登ろうとする若い美徳が、戦争という人殺しでしか表現し得なかった時代を残念だと思う。ーーーーーーー【普通の歴史】1-3 江戸から明治へ(3)ヨーロッパ人が占領した地域の状態「rekishi003tdyno.299-(14:11).mp3」をダウンロード地上の「場所」にはいくつかの政治体制がある。今では、どこにも「国」があるから、昔も「国」があったと思うけれどそれは違う.昔の地球上には、「国」があるところと、「単なる地域」があった。「国」があるところは国境があって王様がいて、軍隊が守っていた.だから、「国」の「国境」を超えて他の国の軍隊が入ってくると、その国の軍隊は負けない限りその国を守るために戦う.でも、このような「現在ではあたりまえの国」ができたのは、メソポタミア、インド、中央アジア、中国、日本、ヨーロッパなどのような場所を別にすると、割合最近で、それまでは多くの地域が「単にある部族がいるところ」で国境もハッキリしていなかった。だから、ヨーロッパの侵略戦争というのは、「ハッキリした国と戦争して侵略したところ」と、「単なる地域でそこにいる部族を殺して侵略したところ」がある。北アメリカのアステカ王国、南アメリカのインカ帝国、インド、インドシナ、インドネシアなどは歴史のある国だからそこにある国と戦争して侵略したのだが、アメリカやアフリカの大部分、シベリアやアラスカ、太平洋諸島やオーストラリアなどはまだ「部族社会」だったので、国と戦争することなくヨーロッパは植民地にすることができた。「単なる地域でそこにいる部族を殺して侵略したところ」としては、アメリカ合衆国をはじめとするアメリカ大陸、オーストラリアなどが典型的で、そこにいる部族を徹底的に殺戮して「人がほとんどいない状態までしてから住む」という方法だった.アメリカ人(もともとイギリス人)が今のアメリカ合衆国に住んでいたインディアンを殺した数は数1000万人とも言われるが、いずれにしても簡単に言うと「皆殺し」にしたので、今ではアメリカ人しかいないような感じだ。オーストラリアもイギリス人が先住民のアボリジニを全滅したので、今ではオーストラリアには実質的にイギリス人しかいない。このような地域は「もめ事」が少ない。先に住んでいた人が皆殺しに遭っているからだ。アメリカ合衆国でインディアンがほぼ全滅した後はもめ事が少ないのがこの例だ.ところが中途半端に殺されたところや、インドのように古い歴史を持っていて、大勢のインド人がいるところはヨーロッパ人も手を焼いた.そのような地域ではヨーロッパ人はどのような手段で統治したのだろうか? 何しろ少人数で大多数の人を押さえ込むのだから、かなりの無理をしている。私が本で読んだり、歴史学者などとの話の中で知った典型的な支配方法には次のようなものが標準的のように感じられる。1)ポルトガルの支配地では、軍隊は女性を連れて行かず、現地の女性を自由に乱暴することを許した。結果として誕生してくるハーフの子どもが男子の場合、ポルトガル名と銃を渡して現地の支配の助手にした。2)イギリスのインド支配では、インドの発展を懸念したイギリスが、優れたインドの若者が出てくると軍隊を派遣して若者の両手首を切り落とした。このような政策によって優秀な人材が育つのを防いだ。3)フランスの植民地では、街角で少しでも怪しい若者を見つけると尋問し、無理やり刑務所に入れた。刑務所に入れられると畳一畳程度のコンクリートの床の部屋に押し込められ、両手錠を掛けられて監禁されるので短期間で死んだ。4)イギリスのオーストラリア支配では、アボリジニを自由に殺害して良いと言う法律が成立し、住民のアボリジニの女性を大きな岩の上に集団で連れて行き、そこから落ちて死ぬのを酒を飲みながら楽しんだ。犠牲者数は100万人と言われる。オーストラリアの南のタスマニアでもほぼ同じ事が行われタスマニア人は絶滅した。5)アメリカ(イギリス人)では、インディアンの男は「人の召使いにならない」という誇りを持っていたので、次々と騙して戦争を仕掛け、推定1000万人が虐殺されたとされる。6)アメリカ人はアフリカから奴隷を連れてきたが、効率的に奴隷船で運ぶために、20人ずつ奴隷を鎖で繋ぎ、嵐になると船の難破を恐れて20人ずつ鎖で繋いだまま海に投げた。アフリカでは民家を襲って希望リストにある年齢性別の人を無理矢理連れ去った.家族は泣きながら別れ別れになった。7)スペインはアステカ王国とインカ帝国でそこの住民(主として成人男子)を皆殺しにした。これらの話には若干の誇張もあるかも知れないし、また日本人には俄に信じられないというところもある。でも、ソ連時代のスターリンの粛正(2000万人)、中国の文化大革命(4000万人)、アフリカの奴隷売買(1600万人)などから見ると、イギリスのインド支配(1700万人)、スペインによる南北アメリカの征服(1500万人)などはそれほど飛び離れた数字ではない。(平成25年7月28日)武田邦彦
2013.08.08
コメント(0)
・8、4、日武田氏の講義ではいろんなことでとても勉強になることも多いし「はー」と関心する視点で考えさせられることもある。しかし下記のような押し付けにまで暴走すると、甚だ遺憾である。文章ではそれほどの内容は記述されていないが、音声を聞くと「常に中立的で冷静な目で物事を見たい」という言葉とは裏腹に、彼の個人的な考えがむき出しとなっている。それは「日本もついに軍を持って、敵国からの経済的、実際的な侵略に備えなくてはならない。そのためには若い男は死を持って国のために、家族のために働かねばならない。もともと男はそのために産まれて来ているのだ。まずは兵役を設けることだ」と、まあこういう言い分である。「集団性の動物の雄は皆そうやって天寿を真っ当しているのだから」という科学者的考えは、それはそれで面白く聞いて来た。しかしここで我々人間は、一人ひとりが生きる権利を持って産まれて来た個人に想いを寄せなければならないのではないか。これからまた再び15歳やそこらの少年の純粋な正義感や責任感を利用して、大人の都合で彼らに誰かも知らない相手を殺させたり、自ら死に向かわせたりしたいのか我々はそのことを散々反省を持って悔い改めて来たのではなかったのか。武田氏のような年寄りが戦争をしたいのなら、武田氏自身が片道分だけ乗せた零戦に乗って、敵艦に突っ込んで行けばいい。それが出来るか?出来はしまい。自分の出来ないことを若い者たちに強要するほど愚な大人であるのか。軍とか核とか以外に、この国を立ち直らせる方法が本当にないのか。人間という動物の悲しいさが。我々がやらねばならないのは、結局のところそれに逆らうことなのだ。今まで誰も成し得なかったことだし、利己主義が横行する現代で、それは不可能に等しいことだ。しかしそれでも、我々はそこだけは動物たちと同じではいけない。自然や遺伝子に逆らう気持ちを持ち続けることこそが、バカの繰り返しにストップを掛ける鍵であろう。ーーーーーーーー【男と女】1-2 人生(2) 男25才「otooonna02tdyno.300-(9:43).mp3」をダウンロード女は25才までに子どもを2人産まなければならない。もちろん、一人一人の女性ではなく「平均」として2人だ。なぜ、子どもを産まなければならないかというと「次世代を作ること」であり、「次世代がいなければ人間という生物は意味が無い」からでもある。次世代を作るには、第一に子どもを産むこと、第二に子どもが生きていく大地があることだ。もともと子どもが誰もいなければ日本という国がなくなるのだから、女性が子どもを産むのが第一条件であることはだれでも判る。もう一つは、次世代の人が生活をする場所(国土)が必要ということだ。尖閣諸島を取りに来ている中国の機関誌「人民日報」は、2013年6月「沖縄は中国の領土だ」という論文を掲載し、少し前、私の知っている中国からの留学生(研究生)は、「先生、心配することはないですよ。私たちの時代には日本は中国領になります」と言った。日本が中国領になるのに賛成の親(日本の親)もいるだろうけれど、もし「子どもは日本の領土に住んでもらいたい」と思えば「国土の防衛」が必要になる。そのために、かつては「兵役」というのがあり、男は軍隊の訓練をした。いざというときにそれから鉄砲などの操作を勉強していては間に合わないからだ。兵役は1年半から2年が普通だ。この年限は、「女性が2人の子どもを産むのに1年半から2年は自由な生活ができない。だから男性にも次世代のために同じ期間は次世代のために義務を果たしてもらう」という論理だ。つまり人間は若い頃、自分自身を磨くために教育を受けたり、少しの準備をするが、それと共に、次世代のために子どもを産み、兵役を終えておくという「集団としての義務」を果たすのだ。ところが現代の日本は戦争がないように見える。そのために軍隊も兵役もない。それは良いことでもあるけれど、その結果、若い男性は「次世代への義務」が無くなってしまい、子どもを産む女性と大きな差ができてしまった。これが草食系男性の出現、社会不安、女性の不満などの根源になっている。この問題を解決しなければ、具体的な結婚、出産、家庭等の問題は解決しない。このブログではこの歴史的本質に迫りたい。最後に音声では私の大学の講義の時の体験をお話しして終わりにします。(平成25年7月25日)武田邦彦
2013.08.04
コメント(0)
・8、3、土今司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み始めている。今まだ一巻の途中だが、下記の武田氏の記事とほぼ同じころの話である。徳川幕府が倒れ、薩長による政府が始まった。何故徳川幕府を倒さねばならなかったかというと、結局やがて攻めて来るだろう外国の攻撃を食い止めるだけの武力を、早急に整えなければならなかったからだ。白人に対してほとんど無抵抗であったアジア諸国の中、維新以後わずか数年で日本は大国ロシアのバルチック艦隊を全滅させるという偉業を成し遂げることになる訳だがその時の日本と、またその数年後の太平洋戦争のころの日本では大きな違いがあることをこの本から教えられた。明治に入って新政府の舵取りの下、イギリスやフランスから技術者を招き軍艦の作り方、軍隊の作り方などを習い、目覚しい速さで軍備を整えて行った。日本の若者などはまだ「鉄の船が水に浮かぶものか」と思っていたころのことである。そんなころ、ドイツのプロシア軍隊がナポレオン三世率いるフランス軍隊の要塞を包囲し、ナポレオン三世共々10万人の兵士を捕虜とした。これには世界が仰天し、日本でも「これからはドイツの時代か」と考え、ドイツ政府に対して日本への海軍指導者を要請した。ここで不思議なことは、ドイツ政府はプロシア軍きっての有力士官であるメッケル少佐を送り込んで来ている。ドイツのノウハウを教授して、後に敵国として邪魔な存在にはなりはしないかという危惧はなかったと見える。そこまで未熟な国と見られていたのだろう。メッケル氏はモルトケ参謀総長の門下であり、このモルトケなる人物が独自の戦法を生み出し、それが世界の強国ドイツを確立した。メッケル氏はまずそれまでのイギリス・フランスのやり方をすべて否定し、新たなドイツ戦法を日本海軍に一から叩き込んだ。数年後にロシアと相対した時も、日本海軍はすべてメッケル氏から受け継いだ戦法を用い、アジアの最果ての小さな国が大国ロシアの艦隊に勝つという、世界を戦慄させる結果を齎した。日本の指揮官たちは戦場からすぐにメッケル氏に「貴方の教えによって、日本はこのように勝利することができました」と手紙を出している。それに対してメッケル氏は「万歳日本人、メッケルより」と返事を返している。メッケル氏は晩年まで「日本をあそこまで育てたのは私だ」と自負していたそうである。司馬遼太郎氏の記述によると、日本が維新後数年で大国ロシアを負かせたのは日本人独自の能力ではなく、メッケル氏の教えがあればこそだったということである。ところが人間というのは哀れなもので、日露戦争に勝利し一旦一等国になれば有頂天になってしまい、明治が終わるころにはロシア戦線に参加した士官たちもすべていなくなり、メッケル氏の名は完全に忘れ去られてしまった。日本人は自分たちが天才的な人種だと錯覚し始め、自分たちの力で世界に立ち向かえると誤解して行く。「成金の息子が傲慢と思い上がりで、自己を見失うことと一般である」と司馬遼太郎氏は評している。日露戦争の前に日清戦争というのもあったが、これは日本軍の参謀たちが伊藤博文総理が止めるのも聞かず、独自で清国を威嚇するために起こしてしまった戦争であるようだ。当時清の軍備に比べて、日本のそれはかなり貧弱なものだった。誰もが日本が清に勝てるわけがないと思ったが、何故だか日本海軍はこの戦いにも勝ってしまう。その戦法はとても幼稚なものだと後に評したものも多かったようだが、中国人の怠慢な性質が、かろうじて日本に勝利を齎した。「今回は何とか勝利したが、このような愚を繰り返せば、必ずや他国に滅ぼされる」と主人公は批評している。驚いたことは、時の総裁、伊藤博文は大変な平和主義であり、できるだけ他国との争いを避ける処置を好んだため、当時の風潮からはどうも煙たがられる存在でもあったようだ。当時日本の行く末を左右する大きな戦争が、リーダーを無視して暴走した一部の軍上層部のせいとは情けないことと言えるだろう。ーーーーーーー【普通の歴史】1-2 江戸から明治へ(2) 世界の国「rekishi002tdyno.295-(9:23).mp3」をダウンロード先回に整理したように、20世紀までにヨーロッパ人(後にイギリス人がアメリカ人になって、アメリカもヨーロッパと同じになった)がほぼ全世界を支配していた.それを簡単にまとめると、北アメリカ大陸:イギリス領カナダ、フランス領カナダ、アメリカ、スペイン領メキシコ南アメリカ大陸:スペイン領南アメリカ、ポルトガル領ブラジルアフリカ大陸 :イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダ領アジア方面 :イギリス領インド、フランス領インドシナ、オランダ領インドネシア、スペイン領フィリピン(後にアメリカ)、ドイツ領太平洋諸島、アメリカ領ハワイアジア大陸 :ロシア領シベリア、ロシア領樺太、ロシア領アラスカ(後にアメリカ)オセアニア大陸:イギリス領オーストラリア、イギリス領ニュージーランドヨーロッパ以外の独立国:完全に独立(日本)、一部独立(中国)のみ地名ばかりが続き、地図があった方が見やすいので、この「異常な事態」を地図でもう一度、見てみたい.[Photo_2。]まず先行したのがポルトガルとスペインでアメリカ大陸の中心部、アフリカ大陸の沿岸部、フィリピンなどを占領した.その後、イギリス、フランス、オランダ、ドイツが進出してアフリカ、インド、アジアなどを占領した.ロシアは17世紀にシベリアに進出、もともとはモンゴルなどのアジア民族の土地を侵略した.アメリカは少し遅れてアメリカ大陸を占領して、その後、太平洋の諸国を侵略した.その結果、世界でヨーロッパ人に侵略されなかったのは、中国(清)と日本ぐらいだった.明治維新というのはちょうど、そんな時のことだった.というより、ヨーロッパ人が世界を征服し、西からはイギリスとフランス、東からはアメリカ、北からはロシアが日本と中国に襲いかかってきたから日本も鎖国ができなくなり、徳川幕府が倒れて新しい時代になったと言った方が因果関係がわかるから良いだろう.つまり、簡単に言うと明治維新の頃、ヨーロッパ人から見ると世界で「日本と中国だけがまだ取っていない」という状態だった.「そんな歴史、習っていないよ」という人が日本には多いだろう.徳川家康から始まった江戸時代も260年経って、幕府もそろそろ弱ってきたし、ペリー提督が率いるアメリカ艦隊に驚いて開国し、日本も近代化しようとしたけれど江戸幕府ではあまりに古すぎるので、大政奉還して新しい明治時代になった・・・という日本の中からだけ見た日本史を学ぶのが普通だからだ.そう言う見方もある。でも、世界の中の日本という点では、日本と中国だけしかヨーロッパの植民地になっていないのだから、江戸幕府の鎖国はすでに無理だったのだ.なぜ日本と中国だけが残ったのかというと単に地理的なことだけで、ロシアは陸路で西から、イギリス、フランスは海路で西から来ると中国と日本が「さいはて」、つまり「極東」になる.逆にヨーロッパ人がアメリカを通り過ぎてくると、やはり日本と中国が「さいはて」、つまり「極西」になる。そこで最後に、ロシア、イギリス、フランス、オランダ、アメリカが中国と日本を襲うのは、当然でもある。なにしろそこしか残っていないのだから.この節を終わるに当たって、これまで江戸末期、明治維新、明治時代、そして近代ヨーロッパの歴史などを学んできた人は、違和感があるかも知れない。というのは日本の歴史家はヨーロッパの影響を受けているので、露骨にヨーロッパの植民地の歴史からものを見るということはしない。それはヨーロッパ人にとってとてもいやなことだからだ。でも、事実は、150年から100年前頃の日本はまさに吹き荒れるヨーロッパの世界制覇の中にあったという事実が大切で、それで始めてその後の日本の行動を理解する事ができるし、それらが「良かった、悪かった」という評価も正当に行える。(平成25年7月26日)武田邦彦
2013.08.03
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1
![]()

