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今日は久々、待望の日下さん、渡部さんとの鼎談でした。今回もいろいろ楽しいお話で、じっくり実況紹介したいところ、これからまた東京へ火曜日まで出るということで簡単に紹介せざるを得ません。ご容赦ください。毎回、お三方の最近の著作をベースに話を広げていきますが最初は日下さんの「あと3年で、世界は江戸になる!」です。この本についてはすでにこのブログでも紹介していますので、そちらを参照ください。日下さん曰く、日本は大した国で外国には口出ししないし、自分が言ったことは守る国。戦国時代末期から江戸初期にかけて日本はアジア最強の軍事国家であったが、自分から鎖国してしまった。当時、スペイン、ポルトガルがアジアに進出していたが、日本が攻めて来たら自分たちの植民地、フィリピンやインドネシアなど簡単に取られてしまう。それで秀吉に「今なら明を征服することが出来ますよ」と吹き込んで矛先をかわそうとした。秀吉は彼らの意図を知ってか知らずにか明を攻めて敗北した。しかしその後の徳川政権は清に攻められて滅亡寸前の明から救援を頼まれるが断り、「周囲を侵さず、侵されず」で鎖国に入ってしまった。それでも西洋が日本に攻めてこなかったのは日本の強さを知っていたから。当時、鉄砲を1万丁以上装備して戦争の出来る国はいなかったから。また戦後も平和憲法により「周囲を侵さず」でおとなしくしているがそれで周りの国がそっとしておいてくれるのは、世界の国々と3年以上戦い抜き、神風特攻隊によって国を守る姿勢を見せていたから。アメリカが日米安保条約で駐留しているのも、ある意味で日本の強さを知っていうから。しかしそろそろ日本は怖くないかな、と思い始めていて今後は日米同盟を解消するかもしれない。そうすると中国が出てきて沖縄は中国の領土だ、と言い出すかも。そうならないために日本は何を知ればいいか、を書いている。次は渡部さんの「自由をいかに守るか」でこれはハイエクという自由主義者の一番の解説書である、ということです。ハイエクは「隷従への道」という本で企業を国営化する国家社会主義は必ず破綻すると予言し、それはみごとに実現したが、同じように国家が福祉を行なっても破綻すると言っていた。それはまさに今、日本において現実になろうとしている。国家は民間への干渉を極力小さくすべし、夜警国家に徹すべし、ということでしょう。ところが資本主義の祖であるようなイギリスが戦後なぜ社会主義化して国家破綻寸前までいったのか。それはイギリスの階級社会に理由があった。エリート層は自分たちが支配する下層階級がいつかは革命を起こすことを真剣に恐れた。それで福祉を充実する代わりに自分たちの支配を受け入れさせようと考えたのである。だからイギリスが斜陽化したとき、その処方箋、社会主義政策を転換すべきことが分かっていたが、エリート層である保守党は自分たちから言い出せなかった。それができたのは自分自身がローアーミドルであり、女性であったサッチャーさんである。彼女にはエリート層の自己矛盾も遠慮もなく、思うとおりに行動できた。そして彼女の理論的根拠にはハイエクがあった。ここで渡部さんは、日本にも女性宰相出でよ!と叫びます。本当に真に日本を愛し、変なしがらみも遠慮もない中間層から男性でも女性でも出て欲しいと思います。元来日本は男女平等な社会なのです。以前読書日記で書いた「武士の娘」の中でもアメリカの男尊女卑に対して日本では家計の一切を女性が采配している姿が描かれていました。もともとキリスト教の教義では世界の全てはアダムが神から与えられたもので、どうでも好きにしてもいい、それは妻であるイブも含むというものであり、根本から日本の男女平等とは違うのです。またジェノサイトとしてキリスト教を信じないものは殺してもいい、となっています。ここで竹村さんの本の話もでますが、これは佐藤優さんとの対談だそうです。最近、竹村さんは佐藤さんがお気に入りです、いろいろ宣伝されていました。僕も佐藤さんの本はいろいろ読んで面白いのですが、完全な自由主義者かどうかは疑問です。ところで番組の中で三人の共通点がキリスト教への造詣、理解にあることが明らかにされました。渡部さんは確かキリスト教に入信されていますし、日下さんはミッションスクールで6年間過ごした、竹村さんも父親から聖書をもらったり、アメリカ留学時もキリスト教保守派のスクールで影響を受けた、ということです。キリスト教の内実を知っているということで彼らの考えの奥にあることがよりよく分かるということなのでしょう。最後は日本では亭主関白が男の偉さの証明のようにいわれるが、それは違うという話でした。関白とは天皇の下で話をつなぐ人ということでナンバー2である。一番偉いのは天皇、神さまということで日本の家庭では奥さんが「おかみさん」で旦那はその下、なのです。確かに我が家でもその通り、家計も女房任せ、それでうまくいっているごく一般的な家庭ですね。では簡単ですが、このへんで。風が強くてアクアラインが心配ですが何とか正常に運行しているようです。ではまた来週。
2008.02.24
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◇僕がこの頃読んでいるのは、下記の通りです。○将軍と側用人(大石慎三郎)○歴史を記録する(吉村昭)○人間の見分け方(谷沢永一)○やりたいことを始めなさい(日下公人)○バフェットとソロス 勝利の投資学(マーク・ティアー)◇これまでに読んだ本の感想は以下の通り。○父は子に何ができるか(渡部昇一・屋山太郎) 渡部さんと屋山さんの教育論、父親論です。お二人の考えは いろいろな形で読んでいますが、最初に紹介されたお二人の 父親の話が面白かったですね。 まったく違ったタイプでしたが、それぞれに自分を貫き、 強烈な印象を息子に刻み込むことになったと言えると思います。 息子は親の望んだものとは違うかもしれませんが、親の影響 を受けた、まさにその人の息子、という人間になったのだと 思います。 いかに息子に自分を刻み込めるか、それが父親の生きた証し ではないか、と思いました。 屋山さんの父親は一高に入るほどの頭を持ちながら、男気も 天下一品、こうと思ったらどんな人間にも向かっていく、 という男らしい人だったそうです。 そんな父親を見て育った屋山さんは勇気ある人への尊敬の 気持ち、をもたれたのだと思います。 一方、渡部さんの父親は学歴はありませんが、近在では 字のうまい、学のある人であり、その父親を無学な母親が 徹底的に立てたところから渡部さんは、学問のある人への 尊敬の気持ちをもたれたのだと思います。 我が家はどちらかというと、渡部家タイプでしたね。 それも僕が渡部さんを好きな理由の一つかもしれません。 お二人で教育論、組織論を語ります。教育制度も隙間のある 制度でいい、というのが眼目です。 組織は完全なものを作った、と思った瞬間、陳腐化して しまうとして、明治時代の海軍を例に挙げます。 明治維新の戦場をくぐり抜けてきた、いわば経験だけの軍人 が作り上げた軍隊から士官をきっちり教育するシステムを 作り、万全な軍隊になったと思った瞬間、兵学校以外の 昇進ルートがなくなり、人事は硬直化、官僚的な軍人が ほとんどになってしまったそうです。 同様に、政府の高級官僚も東大卒だけで固められて硬直化 してしまったのです。産業界、学会といろいろなところ から入るルートを作るべきだと語ります。 これは学校についても同じ。公立も私立も大きいのも 小さいのも規制せずに全部認める。右翼思想の学校も 左翼思想の学校も認めて、父兄に選択させればいい。 入り口は幅広く、評価を適切にやれば日本もまだやれる。 復活する、と強調します。 ところがこれまでのところ、教育崩壊は「恐竜の法則」 に陥っているそうです。「恐竜の法則」とは、「強くなった生物も組織もひとたび生存の危機になると その強さをさらに強める方向に進化しようとして却って 滅亡に向かう」というもので、かつて丘浅次郎先生が 恐竜の滅亡原因として語ったものです。 巨大化して地上の王者になった恐竜は、大きさゆえに 末端から届く神経情報の遅れで、尻尾を小動物に かじられても反応できない。自分たちの危機を察知した 恐竜はますます身体を大きくして対抗しようとして、 ますます不利な点を拡大させ、遂には亡んでしまった、 というものです。 同様に公立学校が進化のどん詰まりにいるのは確か、 と言います。先生の質が落ちてきたとき、田中角栄は 給料を上げればいい人材が集まると思って20%高くした。 しかしそれが荒廃を加速したそうです。 考えてみると、給料目当ての、試験成績はいいが 教えることに不適で意欲もない人材を集めてしまった からではないでしょうか。 教師の選抜はまず面接をやって適正を見てから学力試験 をすべき、と産経新聞の最近版にもありました。 しつけは4歳までに終わっている。そこまでに親の態度 を見て子供の価値観、倫理観は定まる。価値観を 自ら示すしかないというのが結論のようです。 結局、父親は子に何をすべきか。自分を見せるしか ないのです。 自分の思うような子供に育ってもらいたいなら、自分が そのような人間になる、しかないのでしょう。
2008.02.21
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今週のゲストは元大蔵省官僚で中央大学教授等をされている森信茂樹さんでした。昨日聴けませんでしたので、今朝、英語の代わりに聴いたのですが、今一。お喋りが典型的な高級官僚というか、人に分かってもらおうという感じがなくてただ自分の考えを述べるだけ。内容も税金の取り方、という技術的なもので本当に日本の将来を見据えた税制であるか疑問でした。最後は竹村さんがイライラしたように持論である国家ファンドについて話して終わりました。来週に期待します。
2008.02.18
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昨日から泊りがけで東京に出ていました。といっても、東京マラソン参加ではありません。娘の受験の付き添いです。まあ、タイトルに書いていますのでバレバレですが、あの方の大学です。それをわざわざ書いたのには理由、ちょっとした偶然があって、不思議だなあと思ったから。娘を試験会場に送り出したあと、16時半まで時間があるので居場所を作らないといけません。それで事前に調べて近くに「野間清治記念館」があったのでそこに行くことにしました。野間さんは渡部昇一さんの本でも紹介しましたが、講談社の創立者でもあり、素晴らしい人生を生きた人です。何となく頭の中の地図だけでテクテク歩いて神田川を渡り、迷わず記念館に着いたのですが、何と改装中で休みでした。これはしまった、とそこからまた居場所探し。地図を見るとすぐ近くに目白台図書館があるのに気づいて緊急避難しました。ところがそこが案外の掘り出し物で、読みたい本がたくさんありました。日下さんと三野さんの共著「組織の研究 日本海軍の教訓」をそこで読みきりました。少々日本にガックリ来る内容ですが、興味深い話がいろいろありました。また紹介させていただきます。この後もう一冊を半分くらい読んだところで14時過ぎ、流石に少し疲れて腰も痛くなったので少し歩こうと思って散歩を始めました。何となくブラブラ路地を抜けていると(信じられないくらい細くて閑静な住宅街がビッシリ)護国寺にでました。立派な構えに感心して参詣したのですが、そのあと何となく境内の立派なお墓に気づいて見てみると、最初は何と山県有朋のお墓でした。ここでなるほど、護国寺というくらいだから偉人のお墓があるんだな、と思ったのですが……そのいくつか左の鳥居まである立派な墓を見ると、何と何と彫られているお名前は「大隈重信」候だったのです。正直言ってこの偶然には驚き、感動しました。娘が受験しているその大学の創設者の墓に、ちょうどその時刻に導かれてたどり着いたとは。これはもう、大隈重信候の引きである、合格は間違いなし、などと一人で悦にいっておりましたが、ほとんど他に人はいず。何千人も受験している中に、付き添いのお父さんで大隈さんのお墓に参ろうなどと思った人はいないのでしょうか。偶然に導かれた僕一人、幸せだなあ、と思いました。そのお陰かどうかは分かりませんが、娘に聴くと「国語の問題が面白かった」と試験を楽しむ余裕があったようで、これはひょっとすると本当に。そんな嬉しさを勝手に伝えたいと思う親ばか、失礼しました。
2008.02.17
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◇僕がこの頃読んでいるのは、下記の通りです。○将軍と側用人(大石慎三郎)○歴史を記録する(吉村昭)○人間の見分け方(谷沢永一)○父は子に何ができるか(渡部昇一・屋山太郎)○やりたいことを始めなさい(日下公人)○バフェットとソロス 勝利の投資学(マーク・ティアー)◇これまでに読んだ本の感想は以下の通り。○人生の歩き方はすべて旅から学んだ(童門冬二) 以前は童門さんの本を若干軽く感じてそれほど読んでいません でしたが、最近はこの軽さ、柔らかさがいいんですね。 年を取ったということでしょうか。 この本の中で童門さんは自分のペンネームの由来を明かします。 細かく説明するのは面倒くさいので人に聞かれると由来は 林家三平の「どーもすいません」ですよと答えるのですが(このギャグを知っている自分に驚きます)、実は若い頃から 崇拝していた太宰治に対する自分を、メフィストフェレスに 対するファウスト博士になぞらえ、太宰というデーモン(悪魔) を名前に頂いてドーモンにした、そうです。 本は日本全国を講演などで回る童門さんが心引かれた町、歴史、 人物を紹介するものです。いくつかの町は僕も訪れていますが、 そこにある歴史を必ずしも知っていませんでした。 その町の歴史、ゆかりのある人物を知って訪れるのは全く違う 感動をもつものだと思います。いくつか挙げておきます。 青森県弘前市は津軽氏の城下町です。まだ独身のころ、夏休み にはるばる車で東北旅行をした際、立ち寄りました。 かなり入り組んだ町並みで城下町らしさを感じました。弘前城 にも立ち寄りましたが有名な桜は当然、緑。いつか桜の季節に 来たい、と思いましたがそれ以来……。 津軽氏初代為信は中央の情報収集につとめ、いち早く秀吉に 臣下の礼を取り南部氏から独立するなど目端の利いた武将で、 秀吉の死後は徳川について所領を安堵したそうですが、 そのために青森県内でも東西でいささかの確執があるようです。 それにしても本州の北のはずれの青森が京都など中央と意外に 密に交流をしていたというところなど、古代の三内丸山遺跡、 中世の十三湊などの伝統があったのでしょうか。 また、津軽氏は全国の大名で唯一維新まで血のつながった大名 だそうです。 越前大野市のところでは、維新直前の藩主土井利忠を初めて 知りました。藩政改革を成功させ、教育、殖産興業の面で 素晴らしい業績をあげるなど、上杉鷹山などにも伍する名君 だと思いました。 また樺太の開発にも力を注ぐなど視野の広い人物だったのですね。 維新史では四賢候といわれた越前藩主松平春嶽が有名ですが、 そのすぐ隣りにこのような人物もいたのです。日本海側は 江戸時代、今以上に中央との交流が活発で一つの文化経済圏を なしていたのであろうと想像できました。・土井利忠http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BA%95%E5%88%A9%E5%BF%A0 兵庫県三木市は城主別所長治が篭城した城兵、住民の命を救う ために自刃したことで有名な秀吉の「干殺し」攻めの舞台と なった町です。山の中というイメージでしたが、地図で観ると 近畿から真っ直ぐ姫路へ向かう交通の要衝だったのですね。 秀吉が三木城攻略後、町の復興につとめ、今の刃物の町三木市 があることをこの本で初めて知りました。 最後は八代市です。八代といえば不知火で有名な八代海は知り ながら、八代の町自身についてはほとんど知りませんでした。 また、加藤清正の武将として八代を治め、独自の都市発展を 進めた加藤正方、その後、肥後熊本に封じられた細川氏の客分 武将として同じく八代の発展に務めた松井康之なども始めて 知りました。 八代には城もあって(一国一城制の例外)江戸時代を通じて 松井氏が治め、別藩のごとく存在したとうことなど面白いですね。 ほかにも興味深い町のことがたくさん語られています。 旅行が好きな人にもうってつけの一冊ではないでしょうか。○老年の豊かさについて(渡部昇一) 渡部さんの提案する、いい老後の送り方です。一言でいえば「生を楽しみ、老いにたじろがず」、これが僕にも切実に感じ られる、そんな年になってきました。 渡部さんがこの本で述べる「老いを豊かに迎える方法」は、 渡部さんがいろいろなところで繰り返し言われていることの 集大成で僕も知っていることです。これらを何度も様々な形で 読んで少しずつ身体に染みこませていく、これを僕は「読浴」 と呼んでいますが、今回も少し余計に染みこみました。 スポーツでイメージトレーニングをしていい結果を出すように、 人生においてもイメージトレーニングをすべきである。 渡部先生は自分の中学の英語の先生の書斎を見ることで 知的生活者の生活を見て、自分もああなりたいと強烈に イメージされたことが今に結びついているそうです。 自分がなぜ財産を子供に残すか、なぜ愛しいと思うのか。 それは共通の記憶を持っているから、人間とは記憶である。 そこから記憶力を鍛えることを思い立って努力し続けて きた結果、若いときに勝る記憶力を持つにいたった、 いつまでも鍛えることのできるのが記憶である、と宣言します。 老年になって欲しいものは少数の友人と安定した財産。 健康に一番悪いのは商売に失敗すること。 落ち着ける居場所を作ることが大切で、渡部さんのお宅は 周囲を壁にして内側に中庭を配す、スペイン風の家になった そうです。 中庭には池があり、井戸水をくみ上げて鯉を飼っている、 と読んだことがあります。 書斎は億単位をかけた完全防音、空調の聞いたもので、 中に大好きな本と共にいる、そんなところのようです。 うらやましいですね。 この本で冷水摩擦、散歩、真向法などご自身の健康法に ついても語っていますが、僕も先生の本で知って真向法を 始めました。 まだ床に腹がつく、にはほど遠い状態ですが、腰痛が ほとんどなくなりました。10年後に150度開脚、腹を床に つけることを目標にして続けたいと思います。 お金についても渡部先生には独特の考えがあり、お金は 持つにつれ、利口になる。卑屈でもなくなる。世界の富豪 と対等に付き合える金持ちを日本も作らなければならない、 とおっしゃります。 その通り。渡部さんも有言実行、今でも衰えぬペースで 本を書き、ご自身、自由に生きていける資産をお持ちです。 一方、子供にはお金を残すより教育を残せ、とも言われます。 子供が本当に何か欲した時、それを惜しまず与える、と いうでしょう。 我が家も子供の教育費は相当にきついですが、本人が望む かぎり、努力するかぎりは協力するつもりです。 自分が人生を恥ずることなく堂々と生きてこられたのは「事に当たって恐るるなかれ」という秀吉の言葉を何度も 自分に言い聞かせてそのように過ごしてきたから、 だそうです。 本当に恐るることなく生きていきたいと思います。
2008.02.15
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◇僕がこの頃読んでいるのは、下記の通りです。○やりたいことを始めなさい(日下公人)○バフェットとソロス 勝利の投資学(マーク・ティアー)○人生の歩き方はすべて旅から学んだ(童門冬二)○老年の豊かさについて(渡部昇一)◇これまでに読んだ本の感想は以下の通り。○サダム・フセインは偉かった(高山正之) 高山正之さんのこの新刊は週刊新潮の名物辛口コラム「変見自在」(6年6月~7年7月)を単行本にした、 出来立てホヤホヤものです。 その時期時期の事件をきっかけにその根底にある各国の心理、 歴史的行動、マスコミの意図などが俎上に上ります。 特に自分の出自を考えることもなく反日的、無責任な言動を 繰り返すマスコミを斬り続けます。 これはちょっと読んでいて辛くなる本です。世界は身勝手で 自己中心的な国ばかり、日本にとって心の友になるような国 などない上、頼みの自国にすら反日的マスコミ、学会などが 満ち溢れている厳しい現実を突きつけられることになります。 最初に、状況証拠としては限りなく有罪ながら、人種差別を 持ち出して刑事裁判で無罪を勝ち取ったO・J・シンプソン 事件を取り上げます。 アメリカでは誰もが「Justice」(訳せば正義)を口にするが、 意訳すると「それぞれの勝手な思い」になる。その思いの前 には事実などどうでもいいことになる、と同盟国アメリカ斬り で始まります。 アメリカはかつて正義を言いながら大量殺戮兵器である原爆 を日本に用いましたが、日米の戦死者を少なくするために やむを得なかったという裏では、効果を評価するために京都、 長崎など原爆投下候補都市を決め、通常爆弾による爆撃を 禁止していたのです。 結果的に京都が無傷で残ると「我々は文化財を守った」と 言い出したのだ、とします。 それにしても過激なタイトル、あのサダム・フセインを「イスラム世界の不合理を正した偉人」と持ち上げています。 最初は半分皮肉もこめているのか、と思いましたが、冷静に 考えてみるとその通りかもしれません。 今も宗教対立による混乱が続くイラクですが、この国を より世俗国家化し、女性にも教育の機会を与え、世に出る ことを可能にしたのがサダム・フセインだったのです。 一方のアメリカはいつまでも宗教に支配される無知蒙昧な アラブが望みで、「民主主義を広める我こそが正義」と ばかりにサダム・フセインも殺してしまうのです。 とにかくこの本では世界にあふれる「正義」を徹底的に斬り、 その嘘を暴いています。切れ味鋭い舌鋒はぜひこの本を 読んでお楽しみ(日本の情けなさにあまり楽しめませんが) ください。ここでは代表的なものだけピックアップ。 ミャンマー(ビルマ)は国際社会で異常なくらい非難されて いるがその先鋒は英国。それはビルマが英国を徹底的に 嫌っているからで、その理由は英国に植民地支配され、 国王一族に卑劣な処遇をされ、日本と組んで独立しよう とした人々を謀殺されたからだそうです。 イギリスは自国で育てたアウンサン・スーチーを使って ビルマを孤立化させているのです。 米国はキューバがスペイン支配に反旗を翻し戦っているのを 黙ってみていたが、いざ独立派が優勢になると「虐げられた人々に自由の手を」とスペインに宣戦布告して 勝利、キューバを属国化してしまったそうです。 そして同じことをフィリピンでも繰り返します。 このキューバとアメリカの位置関係は日本と中国の位置関係 と似ていると高山さんは指摘します。中国も米国も強い隣国 を望まない。 だから中国はあらゆる手を使って日本国内の分裂を画策 しますが、その中国に対して日本はずっと教育を与え、 援助もして友好を信じてきたのです。 最近とみに日本の友として人気の高まっているインドにも 厳しい目を向けます。日本はチャンドラボースに協力して シンガポール陥落後、インド解放に向かいますが、 それに応じたのは13万の降伏英印軍中わずか2万のインド兵 だけだったそうです。 しかもインパール作戦で日本兵が5万人戦死したのに対して、 インド兵は3千人だけ。ボースも実は日本嫌いで敗色が 濃くなった日本を見捨てて中国かソ連に頼ろうとしていた とか。結局はインドも自分が一番大事なのです。英国首相 パーマストンは「この世には根っからの友好国はないし、 不倶戴天の敵もない。あるのは自国の利益のみだ」といいます。 中国、ソ連など共産国は盗作癖がある、と十羽一からげで 切り捨てる。新幹線、飛行機、コンピュータに始まり外交 スタイルまでそっくり真似るそうです。 タイタニックの沈没で無理やりボートに乗り込んで逃げた 日本人がいる、と言われていたが、当人は一言の弁解せず に亡くなった。 しかしそれは後日、平気でうそを言う出稼ぎ中国人だった と判明したのです。「バターン半島死の行進」と悪名高い日本軍の捕虜移送も 日本人女性が実際に歩いて検証してみたら、「女だてら 下痢気味でも歩けました」というものだったとか。 それでもアメリカからはすぐに反論が来る、ということで 日本には戦時中のことについて一言も反論はゆるさない のだ、と指摘します。 第二次世界大戦後、日本から賠償を取り立てる行列に 日本と戦って負けた英、仏、蘭、ほかにソ連、イタリア、 スイスも加わっていたそうです。 オランダは二度も賠償を取り、フランスは首相を トランジスタ商人と馬鹿にし、日本の捕虜になったブール は日本人をモデルにして「猿の惑星」を書き上げたのです。 日本はヨーロッパの国には負けなかった、唯一アメリカに 負けただけ。でもそれらの国は日本に負けて植民地を失い、 捕虜にされた屈辱は晴らせなかった。 それが戦後の対日観の根底にある、とのことですが加えて 人種差別もあるでしょう。それにしてもスイスがどうして 日本から賠償を取れるのか、その理屈が分かりませんね。 アメリカはかつてクジラをとりまくったが、鯨油に 代わる合成油が発明されると捕鯨をやめ、日本の捕鯨を 攻撃する側に廻った。 多くの捕鯨とは何の関係もない国が反捕鯨国として 国際機関に参加して日本を非難するようになりました。 日本政府も珍しくこの件では頑張っていますし、日本人も 一貫して捕鯨継続を支持しています。 でも高山さんが言うように「別に日本はクジラが食いたくて 抗議しているのではない」のです。自分たちはさんざん 油のためにクジラを殺しておいて、一言の謝罪も 反省もなく日本だけを非難する、その態度に怒りを感じて いるのです。 もし真摯な反省と共に、日本も一緒にクジラを守ろう、 と言えばきっと日本人は合意するはずです。 この問題で日本人が頑ななのは、靖国やA級戦犯と同じく 他所の国が日本人の心のあり方に口を挟んでくるのを 失礼だと思っているからなのです。 日本は学ぶ姿勢があって過去、世界からいろいろなことを 謙虚に学んできましたが、その恩を忘れません。 一方世界にはそういう恩義をすっかり忘れる国もある、 としてナイキはアシックスの米国スタッフが手法を 学んで立ち上げたもの、韓国のテコンドーは日本の空手を 学んだ韓国人が戦後普及させたものなのに一言の感謝 もないといいます。 さらに韓国では、テコンドーが日本の空手の原型である とまでいうのです。「悲しいことだが、こんな国もある」 と高山さんポツリ。 日露戦争の講和の仲立ちをしたとされるセオドア・ ルーズベルトも実は日本が嫌いで、講和条約は決して 日本に有利なものではなかったのです。 次々と日本を標的にした反日移民法などが可決されますが、 それに対して日本は「まず相手を信じ、反省する」ことを 日本外交の基本姿勢として自分たちの悪いところを正そう としました。 結果は歴史が語るとおり、何も日本の配慮は実らず戦争に 導かれ、完全なる敗北となりました。日本流は通用しない のです。 高山さんの舌鋒は明治の元勲たちにも及びます。彼らは 下級武士や足軽小者たちだったので、武士憎しの気持ち からそれまで行政を担当していた武士階級をみんな首にして、 そのポストを試験に合格した高級官僚に担当させるという 制度、つまり古代からの大陸の悪習慣、科挙の制度で 埋めたのです。 実は古代日本は科挙の制度こそ国家を滅ぼす悪疫の源と 感知して奈良の昔から封印していたのに、伊藤たちは 知らずに千年の禁を破ってしまった、とまで書きます。 この時始まった官僚制度がジワジワと日本を蝕み、 ついには国家を一度滅ぼします。そしてアメリカの占領政策 によって日本の伝統、美風も滅ぼされますが、官僚制だけは 生き残り、再度日本を蝕んでいる、というのが高山さんの 意見。 日本が発明した八木アンテナを無視して、西洋に先行して レーダーを作られたことを始めとし、「日本の敗北は 官僚の無能ゆえ、と言ってもいい。日本は日露戦争後も たゆまず坂を上り続けた。ただ馬鹿な官僚がそれを ことごとく潰しただけ」と断罪します。 中国は昔から白人と戦って勝ったことがないから白人に 対して卑屈になる。列強の侵蝕に対して媚びる清の時代は やむなしとしても、日本がさんざん援助した蒋介石も 最後はソ連に転ぶのです。 毛沢東もアメリカ人にはいい顔を見せ、朝鮮戦争に誘い 込まれたことに対しても、ソ連には文句が言えないのです。 ハンティントンは著書「文明の衝突」で日本を独自文明圏 の一つと認めており、保守の論客もよく言及しますが、 高山さんによるとこれも「ハイチの如き孤立した文明圏」 だといっているだけ、と切り捨てます。 そのハイチとは「ブードゥー教や残酷な歴史が育んだ ハイチ人は言葉も文化も異質」で、カリブ海にあって カリブの国ではない、だから近隣のどの国にも必要と されていない、として日本も「この国も文化を共有する 友邦を持たない。排他的で、広く支持されている宗教(キリスト教)、思想を伴わないから他国と文化的関係が 結べない」とこき下ろしています。 このことは知りませんでした。 一方、こちらはちょっと手前味噌でしょうが、日本の 特徴は優しさであるとします。そして日本発の患者に 優しい麻酔、胃カメラ、超音波診断、虫歯治療に痔の治療 を紹介しています。 同じ治療をするにしても少しでも患者が苦しまないように したいという優しい心根のお陰です。 とにかくもっとも多くのページを割いているのは アメリカのことと日本の反日マスコミについてです。 これらに負けてはいけない、日本は国内さえきっちり すれば外から何を言われても生きていくだけの力はある のだ、そう思いました。
2008.02.13
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◇僕がこの頃読んでいるのは、下記の通りです。○やりたいことを始めなさい(日下公人)○バフェットとソロス 勝利の投資学(マーク・ティアー)○人生の歩き方はすべて旅から学んだ(童門冬二)○老年の豊かさについて(渡部昇一)○サダム・フセインは偉かった(高山正之)◇これまでに読んだ本の感想は以下の通り。○武士の娘 この本は長岡藩の家老の家に生れた娘が数奇な運命により アメリカ在住の日本人に嫁し、たった一人アメリカに渡って 子を育て、さらに夫の死によって日本に戻り、また子育ての ためにアメリカに渡る。 そんな中で武士の娘としての矜持を保ち、見事に生き抜いて いく姿を自伝的に語ったものです。 それにしても明治初年、長岡の町から出たことすらなかった 少女が、結婚が決まると同時に東京に出て英語を学び、 そのまま一人で海を渡ってアメリカで生きる、そんなことが できたこと、そしてそのような人間を育てていた江戸時代の 教育力に感動します。 この本は単なる個人の人生を描くだけでなく、江戸から明治 へと大変化を遂げる日本とそのなかで消えつつある多くの 日本の風習、昔語りをたくみに取り入れて、外国人に日本人 を紹介する絶好の書になっています。 正直言ってここにある躾、教育、風俗のほとんどは現代日本 から消え去ってしまったものであり、日本人にとっても 自分たちの先祖がどんな風に考え、どのように生きてきたのか を教えてくれる大切な記録になっているのです。 一見して文字が小さく、また難しい漢字が多くて読みにくそう でしたが、読み始めるとその面白さ、内容の豊かさにあっと 言う間に読み通してしまいました。 そしてかつての日本にこのような凛とした社会があった、と いうことに驚きを禁じ得ません。質素だけれどもみんなが幸せ、 身分も安定(固定)して、誰もが「分」を知り、悩まない幸せ もあったのではないでしょうか。(頑張る必要がない幸せ) 数多く名シーンがありますが、戸田さんという古武士が 明治維新に流されながらも、矜持を失わず、孤高に生き抜いて いく姿も感動です。 著者の父が亡くなった翌年の正月、出入りの棟梁が挨拶に来て、 在りし日の著者の父のことを懐かしみ、めでたい狂歌で ざれあったことなど思い出すシーンもいいですね。 棟梁が、「この家を七福神がとりまいて 貧乏の神のにげどころなし」 と上の句を読むと即座に父親が下の句をつける。「貧乏の神七福神の仲直り めでためでたで御門の内は」 古い日本には厳格なうちにもこうして四海同胞の精神は脈々と 流れていたわけです、と著者は語ります。 結婚式で着る白無垢は死に装束、里には生きて帰りません、 という決意の表明。実際に著者の祖母も実家に戻ったことは なかったとか。 そして赤い衣裳は婚家に生まれ変わったことを表わすそうです。 お色直しにもそんな意味があるのですね。だから女たちは 死んで埋葬される時その白無垢を着る、ということですが 初めて知りました。 この祖母がアメリカに立つ著者にいう言葉も素晴らしい。「住むところは何処であろうとも、女も男も、武士の生涯には 何の変わりもありますまい。御主に対する忠義と御主を守る 勇気だけです。遠い異国で、祖母のこの言葉を思い出して 下され。旦那様には忠実に、旦那様のためには、なにものをも 恐れない勇気、これだけで。さすれば、お前はいつでも幸せに なれましょうぞ」 この祖母は知恵にも満ちた人だったようです。アメリカの地図 に書いてある日本の小ささを心配して「こんなに小さな国なんですよ、日本は」 などと慌てる娘に対して「それは当たり前です。その地図は黒船で来た人たちが描いたもの ですから。日本人が描けばもっと大きくなったはず」 と諭します。本気なのかユーモアなのか、地理的真実では ありませんが、精神的真実であることは確かです。 著者は概ねアメリカの自由を賞賛しますが、それでもアメリカ の婦人たちが家計を任されず可哀相な状態にあることを見抜き、 全く逆に家庭全般を守る責任を持つ日本の女性を誇ります。 この違いを日本人が理解していれば、アメリカ発のウーマン リブなど到底日本に入ることはなかったでしょうに。 それ以外にも素晴らしいエピソードが満載。 ガムを噛む習慣とほおずきを鳴らすことの共通性を考えるのも 面白い。娘たちもアメリカ育ちながらとてもいい娘で、日本に 戻ったとき、本当はアメリカに帰りたい(彼女たちにとっては アメリカが故郷)のにジッと我慢しているシーンもグッと きます。 また、下の娘が日本の家にはアメリカにあったものが何もない、 と嘆くシーンで著者は、日本の家に「あるもの」を見せて 納得させるというすばらしい機転を示します。 昔の日本人を振り返り、自信を持つのに、僕がここ数年読んだ なかでベストテンに入る本だと思います。ぜひご一読ください。 いろいろ調べますと、著者は長岡藩家老、稲垣平助の六女 だったそうです。http://blog.goo.ne.jp/eikenmedaka9/e/689a530b8d882cffeb9ce1dfdf9720e5・稲垣平助茂光についてhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%9E%A3%E8%8C%82%E5%85%89 ネットでこの本を検索すると「武士の娘」の読後感として こんなのもありました。僕のとあわせて読んでいただくと よりよく分かると思います。http://www.netpro.ne.jp/~takumi-m/book/174-bushi_musume.htm
2008.02.12
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今日は連休ですが、我が家では受験の娘をかかえ、レジャーはご法度です。ということで3日間家にいて読書日記など進めていましたが、そのおまけです。今ネットでNASAの火星探査写真の中に火星人が写っていた、というのが話題になっています。(例えばこのサイトなど)http://www.telegraph.co.uk/earth/main.jhtml?view=DETAILS&grid=&xml=/earth/2008/01/23/scimars123.xmlそんなところから、昔書いた作品を思い出したので掲載しました。若干ネタバレですが、お楽しみください。 大工事 これは時間との戦いである。 もし今、彼らに見つかれば、我々はおしまいだ。 全てはこの恐るべき隣人の存在を知った時に始まった。 我々は最初、隣人の発見に狂喜した。孤独な世界の中でついに友人にめぐり合えた、と思ったからだ。 しかし、慎重な我々はまず相手に気付かれないように注意しながら彼らを観察することにした。彼らが友人としてふさわしいかどうか、確信が持てなかったからだ。その時点では我々のほうが科学力は進んでいたが、それで安心とはいえない。 ひとたび交流が始まれば、一気に科学レベルが並んでしまうのは過去の歴史から考えても間違いないからだ。 我々は密かにスパイを送り込み情報収集を行なったが、その結果は最悪だった。彼らは我々とまるで違う精神構造、すなわち極めて好戦的で排他的な性質を持っていたのである。 密偵たちは隣人たちがとる恐るべき行動を目の当たりにして長くは耐えられなかった。彼らの中にいると、その凶暴さのゆえに生ずる悲惨な出来事、他の生物に対する容赦ない迫害や彼ら同士の殺し合いに直面せざるをえず、やがて精神に変調を来たすのであった。 もし我々の存在が隣人に知られれば、間違いなく彼らは我われを征服するために大挙してやってくるだろう。その怒涛の侵略熱の前にはいかなる距離も防波堤になることはない。 そうなれば平和を至上のものとし、あらゆる戦いを放棄してきた我々に勝ち目はなかった。 スパイたちからの知らせは、常にこのような言葉で締めくくられていた。「彼らに我々の存在を知られてはなりません。絶対に、絶対に知られてはなりません」 実際、かつて一度、我々は発見される危機の瀬戸際に立たされたことがある。 隣人の科学技術が徐々に進歩して、ついに我々の施設を発見したのである。この施設に興味を持ち、これらを探査する計画が持ち上がった。 しかし、我々も素早く行動した。 大土木工事が行われ、我々の痕跡を消すことに成功したのだ。彼らの探査熱は冷め、仲間同士の殺し合いを再開させた。我われは危ういところで間に合ったのである。 時は流れ、彼らはますますその科学力を向上させた。戦争という悲しい手段によって。そして、再び彼らは我々の存在に興味を示し始めたのだ。 何の魅力もない(ように見せかけている)土地に何故、興味を示すのだ!ほっておいてくれればいのに。 かつて地球人が望遠鏡を手にして我々の星を調べ始めた時、我々の情報員は恐怖のあまりその多くが正気を失った。 しかし、かろうじてそのショックに耐えた少数が火星に危機を伝えることができた。 我々は直ちに地球人の興味を引いた施設を隠す工事に着手し、それに成功した。 今日、地球ではかつて望遠鏡で見つけた火星の運河を、初期の望遠鏡の限られた性能による見誤りと考えている。 しかし今また、地球では我々の星に対する興味が高まっている。次々と探査機がこの星にやってくるようになった。いくつかは事故を装って撃ち落したが彼らは諦める様子はない。 一体どうすればこの凶暴な隣人たちの探索を逃れ、平和な我々の火星を守ることが出来るのだろうか。 我々は工事を再開するしかなかった。 彼らがこの星に意味あるものを見出す前に、さらに完璧な隠ぺい工作を行なうしかない。 それにしても何という大工事だろう。火星中に張り巡らせた運河全てに屋根をかけ、地上から、さらには隣りの惑星、地球から覆い隠すとは。 満々と水をたたえた地下運河のほとりにたたずみ、巨大な頭を5本の手で抱え、火星人たちは立ち尽くしていた。
2008.02.11
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今週のゲストは「セミプロ農業が日本を救う」の著者で日本総合研究所(日本総研)の大沢信一さんです。竹村さんもご自身北海道に100万坪の土地を持ってトマトなどを作っているということで「私もセミプロのようなもの」と興味を持って対談されたようです。・「セミプロ農業が日本を救う 成熟化社会を先導する「農」の新たな役割」http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31872923最初に問題提起として、日本農政の永遠の課題「大規模農家の育成」を取り上げます。農水省は大規模農家の育成という方向でずっと来ているが、その目標は本州で4ヘクタール、北海道で10ヘクタール以上の農地を持つ農家を育成する、そのため、大規模農家に直接資金を投入して(補助金を出して)体質強化を図る、ということです。一見素晴らしい政策のようですが、現実には土地の集約は難しい問題でなかなか進展しない、しかももしそれが実現したとしても、アメリカ農家の平均耕作面積178ヘクタール、オーストラリアの3200ヘクタールには遠く及ばない、と指摘します。規模を競っても太刀打ち出来ないということです。ここで僕の突っ込み。規模の議論はいつも出るものですが、なぜ国土面積が全く違うアメリカ、オーストラリアと比較して、イギリス、イタリア、フランスなどと比べないのでしょうか。日本農業復活の鍵は、同じ規模の国家でどのような農業政策を取って自給率を上げているかを学ぶことではないでしょうか。農業復活の処方箋を話し始めれば百家争鳴、門外漢の語ることではないでしょう。番組に戻ります。「農業規模の拡大だけでは所詮無理な問題、それなのにある程度の規模拡大をやった後でどのような農業経営をするのか、農水省にもビジョンがないのです」と批判します。竹村さんも「到底太刀打ちはできないといっても、一方で食料自給率の問題も考えなければならない」と返します。食料自給率について大沢さんは楽観的というか、日本の農業は自由貿易体制に組み込まれてしまったので、どうしようもないと半ば諦め気味。家畜の飼料を始めとし、農機械を動かすにも製品を消費地に運ぶにも燃料が不可欠であり、その原油は海外に依存している、とお手上げ状態です。日本の農業は自由貿易体制を前提として、21世紀にどのような形を目指すのかを考えるしかない、とします。ここで始めて話は「セミプロ農業」につながります。日本の農業には見るべきものはなにもないか、いやそうではない、これから期待できるのは地方の農産物直売所だ、ということになります。直売所とは兼業農家や女性農家が副業的にやってきた販売チャンネルですが、うまく運営しているところはかなりの売り上げを上げており、利益率も高いのです。繁盛している直売所の商圏は50km四方とかなり広く、車で買いに来ているそうです。松山市郊外の直売所の成功(松山市内から高速道路を使って野菜を買いに来る客がいる。それは新鮮だから。新鮮さを維持するためには携帯電話などITを活用して、売れる都度畑から収穫する)のようなものがもっと広がれば(現在3%これを20%くらいまで広めたい)農協も自己改革せざるを得なくなり、日本の農業は発展するというように論理を展開します。拡大させるためのアイデアとしては、農業の世界にこれからリタイアする団塊の世代が参加すればさまざまな技術が導入できて、ITを使った新しい農業に脱皮できるかもしれないとの可能性を提示していました。すくなくとも団塊の世代が年金で一応の生活を保障されながら全員が農業を始めれば、莫大なパワーとなって農業生産は拡大するかもしれません。ここにはもはや効率のファクターは不必要で、健康のため、精神衛生のため、時間つぶしに農業を楽しんで満足が得られ、しかも食料自給率を上げることができる社会も面白そうです。少し怖いことを考えれば、この団塊の世代もあと20年~30年で一斉に人生からリタイアする訳ですから、そのときは人口も急減し、食料自給率も一気に上昇、なんて社会も想像できます。竹村さんは「そうは言っても巨大組織である農協がそんなにすんなり認めるのか、農協を納得させるような具体策がなければうまくいかないでしょう」と注文をつけますが、「これは簡単な問題ではないけど、直売所の割合が増えれば農協自身が考えざるを得なくなる。改革の第一歩になる。そのためにも団塊世代の技術を持った人を引き込みたい」と答えるのみで、それ以上有効な反応はありませんでした。これらのミニ改革が日本全体の食料自給率の向上にどうつながるのかとか、最大の農産物である米が輸入米とどう競争していくか、などの考えも聞きたかったのですが、時間が来てしまいました。ネットで検索した大沢さんの著書「セミプロ農業が日本を救う」の目次を見ると、それなりに対応策があるような気もしました。時間が無くて上手に説明できなかっただけなのかもしれません。第1部 日本農業の現状/ 日本農業で進行する三つの注目ポイント―セミプロ農業こそが日本を変える ダウンサイジングが進める農業革命 団塊世代の退職と農業―セミプロ農業の可能性 「食の安全・安心」と農産物流通のダウンサイジング第2部 日本農業再生の意味―なんのための農業再生か 食料自給率と農業 人口減少・高齢化が農業に与える影響 日本農業のミッション―サステイナブルと地域個性第3部 日本農業の21世紀ビジョン 日本の食を支える二つの食農システム―「経営所得安定対策」を考える 日本農業の競争力 セミプロ農業の創出プログラム―農業ビッグバンのトリガーをいかに創出するか「あなたは具体的な提案をしているわけだから、これから理論武装されて農協との折り合いがどうつけられるか、考えたいと思います」と竹村さんがまとめて終わりです。それにしても、これほど農家1軒あたりの耕作面積が減ったのは、戦後の農地改革のせいです。農地改革がなければ大農家が存続して、彼らが農業生産の効率を競ってさらに巨大化し、世界に伍する農業が日本でも誕生していたかもしれません。あのときあれだけの荒療治をしなくても、いずれ小作農たちは戦後の経済発展の中で製造業、サービス業に吸収されていったはず。そして一部が大農家の中でサラリーマンとして働く農業労働者になっていたのではないでしょうか。そうなっていれば今頃、門外漢の企業が株式会社として農業に参入していく必要はなかったのです。本当に農業の問題も奥が深いものです。ではまた来週、と言いたいところですが、来週は所用で日曜日、都内にでますので多分アップできないと思います。ご容赦を。読書日記は随時書き込みます。
2008.02.10
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◇僕がこの頃読んでいるのは、下記の通りです。○バフェットとソロス 勝利の投資学(マーク・ティアー)○人生の歩き方はすべて旅から学んだ(童門冬二)○老年の豊かさについて(渡部昇一)○武士の娘○サダム・フセインは偉かった(高山正之)◇これまでに読んだ本の感想は以下の通り。○技術は人なり。丹羽保次郎の技術論(東京電機大学編) この本は東京電機大学創立100周年を記念して出版された、 初代東京電機大学総長丹羽保次郎さんの生涯と業績、 若き技術者のために語った言葉などをまとめたものです。 僕は知りませんでしたが、丹羽保次郎さんはファクシミリ(電送写真)の発明者で、昭和天皇即位式の写真を京都から 送ることにも成功した日本の十大発明家の一人で産業界、 教育界で長く活躍し、文化勲章も受章した偉人です。 しかもこの学校は僕が好きな人物、廣田精一創設とは不思議な 偶然でした。 丹羽さんも東大を首席で卒業しながら、常に現場の技術者を 励まし、働く若き技術者を育てるために夜間大学をつくるなど 本当に素晴らしい人物です。・十大発明家とは(以下はHPの解説です) 我が国の工業所有権制度は、昭和60年4月18日をもって 創設以来百周年を迎えました。この間、本制度は技術開発を 促進する基盤的制度として我が国の産業の発展に重要な役割 を果たしてきました。 現在まで、我が国では約250万件もの特許権や実用新案権 が生まれてきました。この膨大な発明・考案の中には我が国 のみならず世界の経済の発展に大きく寄与したものも数少なく ありません。 そこで、工業所有権制度が百周年を迎えたのを機に、これら 発明・考案をした歴史的な発明者の中から永久にその功績を たたえるのにふさわしい方々を選定し、顕彰することに いたしました。 選定は、茅誠司東京大学名誉教授をはじめとする学識経験者 にお願いいたしました。選ばれた10名の方々につきましては、 レリーフを作製し広く国民に紹介していきます。 これによって、顕彰者をその功績とともに永久にたたえると 同時に、現在技術開発にあたっている技術者、研究者の励み ともなり、もってこの顕彰が我が国の技術開発の推進に役立つ ことを期待するものです。・豊田佐吉 自動織機・御木本幸吉 養殖真珠・丹羽保次郎 写真電送・本多光太郎 KS磁石鋼・島田徳七 MK磁石鋼・八木秀次 八木アンテナ・池田菊苗 グルタミン酸ソーダ・高峰譲吉 アドレナリン・鈴木梅太郎 ビタミンB1・杉本京太 邦文タイプライター 丹羽さんはさまざまなことを語っていますので、いくつか 取り上げてみました。 産業はたった一つの技術で成り立つのではなく、さまざまな 技術の総合である。そして一国の総合技術の水準は構成技術 のうち、最低の技術で決定される。そこが芸術などと違う ところ。芸術は最も高い人のレベルで表される。 技術者は同時に科学者であるべき、少なくとも「科学する心」 を持って日々を過すべき。逆は必ずしもそうではない。(科学者は同時に技術者である必要はない) 書名にあるように、「技術は人なり」というのが丹羽さんの 思想です。建築家の設計物に設計者の構想が現れるのと同じく、 技術者の作った製品には技術者の個性が現れる。 立派な技術には立派な人を要する。だから技術者になる前に「人」にならなければなりません。技術者は常に人格の陶冶を 必要とするのです。 単に設計ばかりでなく、製作に当たっても工員の精神が こもって出来上がるのです。またそういう製品でなければ、 立派な技術製品ではないのです。 業績と名声には運不運がつきまとう。同じように大きな仕事 を完成し、人類に貢献した人でも世に認められず不遇の生涯 を終わる人もあれば、名声一代に輝き、幸福を一身に集めて その一生を閉じる人もいます。これらはみんなその人の運命 なのです。 技術者として心がけたいことは、いたずらに報奨に憧れる ことなく、技術そのものを愛し技術の意義を解し、仕事に 邁進する修養を必要とします。 技術に求められる妥協性について。技術の完成のために、 時に相反する要求をもつことがある。そのとき、構成技術の 担当者がどこまでも自説を主張していては、総合技術は 生れない。お互いよく検討しあって、適当なところで 折れ合わなくてはなりません。 技術には妥協ということが必要なのです。 丹羽さんが卒業生に送る言葉としていくつか、いい言葉を 引用していたので紹介して終わります。・ベンジャミン・フランクリンの言葉 Be civil to all 全ての人に礼儀正しく Serviceable to many 多くの人に奉仕し Familiar with few わずかな人と親しくし Friend to one 一人を親友とし Enemy to none 一人の敵も持たない・ドイツのことわざ Gelld verloren,Nichts verloren 財を失うとも何らの憂いなし Mut verloren,Alles verloren 意気を失えば万事休す・丹羽さんが好んだ歌、言葉 うきことのなおこの上につもれかし かぎりある身の力ためさん Do your best,your very best and do it every day.
2008.02.09
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「漂流五千粁」 これは松永さんの「次席将校」に記された漂流脱出のエピソード ですが、相当に面白いですね。映画にすれば最高の冒険もので、 日本人のたくましさや素晴らしさをアピールして、戦前の社会を 見直すこともできるものになるのではないか、と思います。 このストーリィを松永さんの本から書き出してみました。 終戦前、フィリピン群島の一つ、ポリリオ島に数十名の陸軍小部隊 が駐屯していた。米軍の侵攻によってルソン島との連絡は途絶え、 補給もなくなった。 米軍の残敵掃討によって犠牲者が増え、最終的には17名が 西田班長の下に残り、行動するだけとなった。生きるために 原住民の食料を奪う必要があったが、それによって米軍に所在を 知られ攻撃されるので、付近の島々を船で逃げ回っていた。(これは後に丸木舟の操船に慣れることにつながった) この一団は終戦も知らず、捕虜には絶対にならない、との決意から 困難と欠乏に耐え、密林を逃げまわっていたが、アメリカ軍の 最終掃討作戦の近いことを知り、遂に丸木舟に運命を託して台湾 に帰ることを計画した。 その間、南国の果物、魚を食べ、塩や椰子油も作って健康維持に 努めた。ボロボロの服をつくろうために針金を潰して釘で穴を開け、 針を作り、靴下を解いて糸にしてつくろった。靴の代わりに 木の皮でゴムぞうり、椰子の皮で火縄を作って双眼鏡のレンズで 火種を作る。地図も大事に保管。ロビンソン・クルーソー的生活。 敵を避け、逃げ回っているうちに月と潮の関係、月の位置と時刻、 セーリング技術を磨く。それに自信をもった電信員は西田班長に、 台湾行きを進言、遂に決断する。安全より自由を目指して。 食料は米、椰子の実、バナナ、塩漬けの魚介類、水は一週間分、 あとはスコールを集めるつもり。 外洋性のカヌー(アウトリガー付)をつくり、米の保存場所、 雨水利用方法の工夫までする。木の皮で縄を作る。 乗り組むのは、西田、沓掛、藤原、山田、小林、柳本、鈴木、 会田、剣持の9名。米軍の投降勧告ビラを発見して緊急脱出を 覚悟、食料調達に出ていた別船の6人、武田、水野、林、森、 杉本、吾妻とは出発時はぐれてしまう。運命の別れ。 17日の夜半に出発、ルソン島を西方はるかに望みながら北上、 数日すると解放感で叫びたくなるほど。それほど島では緊張して いたということである。 この先、突然敵が現れるか天候異変で死んでもそれで諦めが つく、と一同この自由を喜ぶ。 5日目にルソン島北端の岬を過ぎる。23日にバリンタン海峡など を通過。ここでボートと遭遇するが気づかれずに過ぎる。水道の 潮流に引っ張り込まれそうになるが何とか逃れる。 そしてついにフィリピン、台湾間のバシー海峡に至る。 ところがここでものすごい悪天候に出会う。進路は保てず、ただ しがみついているだけ。ついに腕木が折れてしまうが、 鈴木一等水兵が海に飛び込んで腕木を回収、そのまま海の中で 応急修理を終える。(絵になるシーンだと思います) そのまま運を天に任せてなおも流されるがついに島を見つける。 そして必死で漕いで島に上陸。出発以来10日目であった。 車座になって食事をしていたら「せんない丸」という漁船が やってくる。 乗っていたのは台湾人、そこは台湾の南東80キロの紅頭島、 この島には蕃人が住んでいる、と聞く。そこで少し休んでいると 12,3歳の少年がやってきた。少年ははっきりした日本語で 話す。「日本語うまいんだね」と褒めると、「日本人だもの、日本語なんでもわかるよ」 そこで詳細を聞くと、「戦争は終わり、日本人の先生は内地に帰った。兵隊も日本に 引き上げ、アメリカと中国軍がいる。日本は負けたが小さい国 だから仕方ない。もっと大きかったら負けるものか」 などと話す。 ショックに全員茫然自失。台湾の少年から引導を渡され、運命を 感じる。少年と一緒に村に行くと村人全員が歓迎してくれた。 このあとどうするか、議論になるが、結局「このまま内地まで 行こう」ということになる。死を恐れる神経が麻痺していた のかもしれない。捕虜になりたくないの一念。蕃人たちも協力 してくれて食料を調達、全員の見送りを受けて出発した。 そのまま台湾を西に見ながら北上、やがて南十字星は水平線に 消える。3日目に石垣島に近づくが日没、夜に風雨が強くなり 最後の試練。方向を失い、がむしゃらに漕ぐ。 やがて風が吹いてきたので帆走を始める。眠くなる。身体を船に 縛り付けてしのぐ。 台湾をでて5日目に小島に上陸。水が湧いており、日本の女学生 の学用品もあった。その沖合いに漁船が現れたので合図をすると 寄ってきて話す。 船長は台湾に行こう、と誘うが、西田班長は「支那の捕虜には ならない」と言って断る。 船長は言う。「私も日本人です。あなたがたを海に失いたくないので意見を 申しました。皆さんの気持ちも分かります。みなさんはここまで 立派に航海されました。内地までの航海も可能でしょう。 ここは魚釣島です。沖縄には米軍がいるので捕まる可能性が あります。ここから北に進み、そこから北東に進めば九州の 一角につくでしょう」(何とここは尖閣列島の魚釣島だったのだ!!) お互いに氏名と住所を交換する。西田班長は別れ際に船長に 依頼する。「もし内地に無事に着いたら礼状を書きます。もし礼状が 届かなかったら、この住所宛に手紙を書いてください」 手紙の文面は、「この人たちが、丸木舟でフィリピンから脱出し、魚釣島に到着 していた時、お目にかかりました。台湾に連れて行きましょう との当方の奨めも断り、彼らは丸木舟で内地に帰ると主張して 荒海に乗り出していきました。おそらく、東シナ海で時化に 出合って人知れず死んだのでしょう。しかし、彼らはそれが 本望であり、後悔しないと言っていました」 そして船長は地図や食料を渡してくれた。尚しばらく荒海を 航海するが、だれも愚痴を言うものはいなかった。そして 6月15日に屋久島の一角にたどり着いた。 昭和21年6月15日、屋久島海岸に丸木舟で西田班長以下 9人の陸軍兵が漂着。10ヶ月前に戦争は終わっているのに、 そこに9名の旧日本兵が武装して上陸したので騒動に。 彼らは警察署に出頭していきさつを説明、署長の武装解除要請 をうけ、即座に応諾した。 彼らのその後は分かりません。でもこの話は本当に素晴らしい 冒険映画(こういっては失礼でしょうが)になると思いました。 岡田中将の「明日への遺言」に続く、日本軍人の立派さを 知らせる格好の映画になるのでは。
2008.02.07
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◇僕がこの頃読んでいるのは、下記の通りです。 読んでいる本がどんどん増えていますが、実際は読み終わって いるのもあります。ここに残っているのは、単に感想が追い ついていないということです。○バフェットとソロス 勝利の投資学(マーク・ティアー)○人生の歩き方はすべて旅から学んだ(童門冬二)○老年の豊かさについて(渡部昇一)○武士の娘○技術は人なり。丹羽保次郎の技術論(東京電機大学編)○サダム・フセインは偉かった(高山正之)◇これまでに読んだ本の感想は以下の通り。○次席将校(松永市郎) 以前読んだ「先任将校-軍艦名取短艇隊帰投せり」が面白くて、 松永市郎さんに注目しました。正直いって遅すぎる発見ですが、 全く気づかないよりまし、と思っています。 また著者の松永さんは、ドコモIモード開発で有名な松永真理さん の父親であるとWikipediaにありました。「次席将校」は副題「“先任将校“アメリカをいく」にもある通り、 松永さんが著書「先任将校」をきっかけに、自分の乗艦「名取」 を沈めた米潜水艦ソードフィッシュの艦長と文通を始め、実際に 艦長マックマスター少佐に会いにアメリカに渡る話から始まります。 この旅では、アメリカ旅行の不安、相手の必ずしも感動的とは いえない出会い、会話なども正直に語ります。そうした中でも 少しずつふれあい、友情の芽生えを感じさせるところはいいです。 この本では海軍軍人のネットワークの素晴らしさにも感心 しました。多くの方々が戦後日本再建の過程で、持ち場立場で 日本のために頑張った、ということが分かります。 その軍人ネットワークの語り部の一人として、松永さんは自在に 動いていたのだなあ、と感じました。 つい最近、映画「南京の真実 七人の死刑囚」や「明日への遺言」 が製作されるなど、日本人の大東亜戦争を見る目も少しずつ 変わり始めています。 もう少し早く、まだ多くの戦争体験者が生存されているあいだに 今のような時代が来ていれば、日本人ももっと彼らの話を 受け入れることができたであろうに、と悔やまれます。 少々遅すぎるのかもしれませんが、今からでもこれらの本を 読んでくれたら、と思います。 松永さんが海軍のネットワークから「小耳に挟んだ」話も 非常に興味深いものでした。 西洋人と日本人のマインドの違いとして彼らの「あれはあれ、 これはこれ」の精神と日本人の「坊主憎ければ袈裟まで憎い」 精神を比較しています。 英米の海軍は潜水艦開発の初期、故障で浮上できなくなった 潜水艇の中で空気のなくなっていく中、冷静に状況を記録して のちの改良につなげようとした佐久間艇長(と持ち場を離れず、 粛々と死んでいった乗組員たち)を真の勇者として讃え、 その姿勢は戦争中も変わらなかったそうです。 戦争をしている日本は憎いが、勇者は勇者である、まさに「あれはあれ、これはこれ」の精神です。一方日本は「敵国の言葉を学ぶのは非国民」などというところがあったとか。 しかし一方で、時間がたてば水に流す日本といつまでも忘れない 西洋という違いもあります。単なる寛容の精神とも違いますね。 上意下達と下位上達という意味で、下級武士の意見、行動を 生かして明治維新を成功させた日本本来の知恵が、昭和には パイロットの「とにかくゼロ戦を作ってくれ!」という現場の 意見を無視して多種多様な飛行機を作り続けた無策、 ヨーロッパ情勢から日本の敗戦を予期して講和交渉準備を提言 した藤村中佐を黙殺した上層部まで、おかしな精神になって いたようです。 武士道と騎士道ということで戦時中の軍人同士の相手を 思いやる行動のいくつかが語られている中に駆逐艦「雷」の 人命救助の話がありました。 そのとき救出された一人、元英国外交官ファーレ卿が自身の体験 をアメリカの軍事機関紙に発表し、日本にも騎士道精神に あふれる軍人がいたのだと述べたのに対して、それを読んだ 駆逐艦「雷」の砲術長だった海軍中尉田上俊三氏が「それは私の 船での出来事です」と名乗り出て感動的な再会があったという のです。 つい先日、僕もこの事実を「敵兵を救助せよ」で読んで知って いましたが、その本では工藤艦長の人格の素晴らしさが際立って いました。工藤さんはこの美談を一言も語らず亡くなったのです。 一方の田上氏はそれを自分たちです、と名乗り出たわけですが、 この人のお陰で戦後の交流が始まったのです。 それにしてもこの救出劇がすでに松永さんによって語られている ことに驚きます。 さらに硫黄島の章では「硫黄島いまだ玉砕せず」で読んで知った 戦没者の慰霊に活躍された和智大佐も登場されて、懐かしい ような感覚を持ちました。 僕が最も感動したのは、フィリピンから台湾を経由して屋久島まで 5000キロを丸木舟で漕いで戦後帰還を果たした9人の陸軍兵士 の話でした。「漂流五千粁」として本にもなっているようですが、残念ながら 国会図書館以外では見つかりませんでした。 後半は「予科練生みの親」であり、硫黄島で玉砕した海軍中将 市丸利之助司令官の戦いを描いてここもなかなかの感動、 栗林中将は有名ですが、海軍軍人も同じように孤立無援の中、 国土、国民を守るために戦って死んでいったのです。 本当にもっともっと日本人は歴史を振り返り、感謝し、再び 立ち上がるべきだと思います。 明日、「漂流五千粁」の抄録を掲載したいと思いますので、 お楽しみを。
2008.02.06
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◇僕がこの頃読んでいるのは、下記の通りです。○技術は人なり。丹羽保次郎の技術論(東京電機大学編)○サダム・フセインは偉かった(高山正之)○武士の娘○次席将校(松永市郎)◇これまでに読んだ本の感想は以下の通り。○日本人の足を速くする(為末大) 為末大さんはハードルの選手として名前くらいは知って いましたが、このタイトルには引かれました。 僕も子供のころから早く走れるようになりたいと憧れて いましたから。 この本で為末さんは「走る」ことを科学し、日本人の身体を科学 します。 よく言われるように日本人の身体と特にアフリカ系アメリカ人の 身体は構造的に違っていて(足の腱の長さ、筋肉のつき方) 早く走ることについてはポテンシャルが違います。 それを承知の上で為末さんは、能力を75%しか発揮できない アフロアメリカンには、120%能力を発揮すれば勝つことも 不可能でない、と断言します。 そして日本人誰でも日本人にあった方法で体を鍛え、正しい体の 動かし方をマスターすれば誰でも必ず足が速くなると語ります。 100m走でいえば国民平均が0.3秒早くなるそうです。 この0.3秒は日本記録保持者伊東浩司さんに適用すれば9.7秒に なって、世界新記録を超える水準です。本当にそんな夢を 国民全部で見るのも楽しいですね。 為末さんは日本人の体にあった走り方、早く走る方法も伝授して くれます。詳しくはこの本を読んでいただければと思いますが、「前傾姿勢になって前に倒れるのを防ぐために足を前にすり出す」 感じで走ればいいそうです。 そのためのいろいろなトレーニング方法も公開しています。 全く独自に同じ結論に到った伊東選手はお辞儀走法を完成させ、 日本記録をだしたのです。 またハードルが日本人向きの競技だということも初めて知り ました。単純に、足の長いアフロアメリカンのほうがハードル にも向いている、と思っていましたが、長い足をたたんで ハードルを飛ぶのは結構大変なのだそうです。 その点、日本人は前傾姿勢が得意で(何世代も前かがみで 農作業を続けてきたことによる進化?)足をコンパクトに 引き上げてハードルを越えていけるのだそうです。 フッと思いましたが、遠い将来日本人がハードルで活躍し 始めると、ハードルの高さを高くするようなルール改正が あるかもしれませんね? こんな話から次第に為末さん自身が経験してきたハードル勝負 に移行していきます。ここで日本人と外国人のマインドの差 まで分析しています。 外国人も頑張るのは一緒だが、あるところまでいくと平気で 諦めるそうです。日本人はどんな場合でも必死で頑張り、 力尽きてズルズルと後退するのですが、彼らはフッと足を 止めてしまう、ことを観察します。 為末さんは「勝負ごとは根性、ハードル競技も最後は根性が 物をいう」と信じているので、彼らの態度が理解できない、と 言います。 そしてさらに考え、その諦めは彼らのスポーツ観の根底にある「楽しむ」という気持ちのせいではないか、と思い至ります。「うまくいかないときもあるさ」というクールな割り切りが、 そこから生れるように感じるのです。 このマインドは両面に働きます。同じコインの裏表で、彼らは ひとたび調子に乗るととんでもない爆発力を見せ、スコーンと 突き抜ける強さを持っています。 行けるときはとことん行ってやれ、というノリのよさ。 日本人はその反対でダメな時でも粘る代わりに、いけるとき なのに変に冷静になろうとして自ら勢いをそいでしまう、という 損なところがあります。 謙遜を美徳としてきた民族特有の慎み深さは、勝負となると 精神性が弱みになっている。平均を取ってしまう癖がある。 行ける時には後先考えないで行けるところまで突き抜けてみる、 風が吹いてきたら、その風に乗っかって、自分でも考えて いなかったところまで運ばれていく。 ちっぽけな人間の力では推し量れない何かに身を任せてみる、 ある種の潔さを持っていると、勝負の世界というダイナミズム の中で、日本人はもっと活躍できるのではないでしょうか。 最後に為末さんは自分を「私はまぎれもない「一発屋」である」 と宣言します。そして「少なくとも、五輪や世界陸上と いった大一番で結果を出したければ、一発屋に徹するべきだ、 ということです。 高いレベルでアベレージを維持して目標に臨むのではなく、 あえて大きな波を作り反動を利用し、助走をつけて、最大限 の力を狙ったレースにたたきつけなければ勝負にならない のです。私は一発屋です。ただし、一発で終わらない一発屋 なのです」と語ります。 本当に脳みそで走るランナー、走る思想家でしょうか。 すばらしいですね。北京オリンピック以後の為末さんが どのように成長するのか、楽しみです。
2008.02.05
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◇僕がこの頃読んでいるのは、下記の通りです。○サダム・フセインは偉かった(高山正之)○日本人の足を速くする(為末大)○武士の娘○次席将校(松永市郎)◇これまでに読んだ本の感想は以下の通り。○江戸の教育力(高橋敏) 明治の日本の発展を支えたのは江戸時代の教育、武士の教育も さることながら、文盲率が世界で最も低かったといわれる 江戸時代の庶民のレベルの高さを支えたのは寺子屋教育だった と思い、この本を読みました。 そして知ったのは、寺子屋教育の素晴らしさは読み書きそろばん だけではなくて、躾もきちんとやっていた、ということでした。 親への孝、目上の人への礼儀、兄弟仲よく過ごす、などまさに 教育勅語の世界を実践していたのが江戸時代、と知りました。 逆にいうと、教育勅語自身が江戸時代の庶民の知恵を天皇陛下 からの言葉として語られただけ、だからあれほど早く広まり、 徹底したのかもしれません。 江戸時代を否定しなければならない明治政府にあっては、 教育勅語という形をとらざるを得なかったのだろうと思いました。 こう考えると、現代の学校で躾をするというのもあながち 間違っているとはいえないかもしれません。昔から親が躾を するほうが、つい甘やかしたりで難しいのかも。 もう一つの驚きは授業の質の高さです。テキストは人の名、 国名、商売の心得など実用性に富んだものが中心ですが、 そこに出てくる字の難しいこと。 テキストの一つ「商売往来」の例です。 凡、商売持扱文字、員数・取遣之日記・証文・注文・請取・ 質入・算用帳・目録……貫・目・分・厘・毛……分銅無相違。 割符可令売買也、雑穀・粳・糯・早稲・晩稲・古米・新米 ……蕎麦・粟・黍・稗・胡麻・…… こんな言葉をひたすら書いて読めるようになるわけです。 参った。 躾のためには寺子屋の先生に全てを任せて言われるとおりに いたします、という念書を入れる場合もあります。 またここまで教育してくれる先生に対して弟子たちが感謝の しるしとして、筆子塚という記念碑を立てることも多かった ようです。本当に濃厚な師弟関係があったのです。 これら寺子屋の師匠の多くは地域の文化人で彼らが教養を維持、 盛んにしていたのが俳人ネットワークだそうです。 日本全国に張り巡らされた俳諧同好の士のネットワークが 素晴らしい。日本全国をつないだ「知のネットワーク」と よぶに値するものでした。 今の日本のネットワーク、メールの流行りもご先祖様の このDNAを受け継いでいるのかも、と思ってしまいました。 ○東アジア・イデオロギーを超えて(古田博司) 前回読んだ「東アジア反日トライアングル」がすごく面白かった ので続けて読んだ本。 出版の順序は「東アジア・イデオロギーを超えて」のほうが先 だったけど。正直言ってかなり難しい内容で全体を理解することは 断念しましたが、なかにいろいろ興味ある考えがあったので、 考察と共に書き抜きました。 かつてアジアNIESが経済発展を遂げつつあった時、その理由に「儒教文化圏」論なるものがもてはやされたそうですが(日本に 続いて韓国、台湾などが発展したのは共通する儒教文化を 持つから、という論でしょう)実はこの地域に包括的な 儒教文化圏など存在せず、その代わり中国発の中華思想の分有(それぞれが自国中心の中華思想を持つ)があるといます。 儒教で最高のものとされる「礼」とは古代中国にあった国「周」 の礼儀作法のことで、その作法を継承、実践する中原の諸民族 が自らを中国と仮想し、自分以外を夷狄と呼んだそうです。 実際はただの形、習俗にしか過ぎない礼をよりどころとする 中華思想はある意味でどんな民族にも継承し易いものです。 だから次々と主人を入れ替え続いた異民族興亡、断続の歴史の 舞台、中国大陸で中華思想はあたかも連続していたように 見えるのだと思います。 現代ヨーロッパ世界がギリシア・ローマ文明の継承者である かのように歴史の連続性を装っていますがこちらでは明らかに、 ギリシア人によるギリシア文明は滅び、ローマ人による ローマ文明も亡んでいます。 それらは精神性、芸術性、政治性を帯びたものであり、 別の民族にそっくりそのまま継続させられるようなものでは なかった、ということです。 中華思想では「礼」を行なわない周辺国を夷狄と見なすため、 周囲の国は反発すると共にその「夷狄視」を学び、当然の 帰結としてそれぞれの国がお互いを夷狄と見なす中華思想の 分有が始まるのです。 朝鮮では代々、中国の一番弟子として小中華を自負していた のが、中国が夷狄であったはずの満州族に征服されて「清」 になったことから、自分たちこそ真に中華を継承する国で あると考えます。 一方、日本は江戸時代に、中国が異民族に征服され王朝も 断絶して戦乱に明け暮れるのを見て、一度の断絶もない皇室 をもつ自分たちこそ中国である、という中華思想を持つ ようになったとします。 この幻想の文明圏である東アジアの中華、儒教文化圏の中で、 実際は漢籍による文化交流程度でしかなかったのを、「同文同種」と幻想した日本は明治以降、西洋文明を取り入れて この文明圏から離脱したことに、心理的補償、負い目である とします。 この文明圏に留まった中国、朝鮮にはこの負い目はなく、 逆に日本のこの負い目に気づいて政治問題化していることが、 歴史問題の根本にあるのではないでしょうか。 この本では北朝鮮に多くを割いていますがここはよく分かり ませんでした。ただ、北朝鮮の金正日体制は日本の天皇制を 学んだものである、というところは興味深いです。 確かに金正日様、将軍様と崇める映像は、天皇は現人神で あると崇めた日本の戦前と似ているかもしれません。 しかし、天皇は国民をわが子としていつくしみ、身を清めて 日々、国の発展を祈りますが、北朝鮮では多くの国民を犠牲 にして体制を維持しようとしているのです。 なんと言っても親子2代と天皇家125代の歴史の重みが 違います。 中国、朝鮮の中華思想では西洋の素晴らしい文明、社会体制 も全て自国の中にあったもの、としているそうです。 西洋は単にそれを先に見つけただけ、自分たちもやがては 自分で見出し、発展できたはずと考えています。 韓国が日本の文化をなんでも韓国にルーツがあった、と いうのはこのことかもしれません。普通に考えると駄々っ子 ですね。
2008.02.04
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首都圏は大雪ですが、みなさんのところはいかがですか。いつもの通り起床して、外を見るとかなりの積雪。まあ、これくらい歩くのには気になりませんので、さて「竹村さん」を聴きながら一回り、と思ってMDを出そうとすると、なんとMDを入れ忘れているではありませんか。きちんと予約はしたのにとんだ失敗。というわけで今朝は竹村さんを聴くことができませんでした。そろそろ渡部さん、日下さんとの鼎談かな、とも期待していただけに残念です。代わりに、と言ってはなんですが、久々の首都圏大雪にちなんで?大雨に関係した自作SS(ショートショート)を載せました。お楽しみいただけたら、幸いです。箱舟「最近の人間たちの行状は目に余る!」「その通り、われわれの言うことをまるで聞こうともせず、勝手なことばかりやっている」「導き方を間違ったのかな。このままではこの国を滅ぼしてしまう。何とか手立てはないものか」 大和の国の神様が出雲大社に集まり、このところ増長気味の人間たちの扱いについて相談していた。「聞くところによると西のほうでも同じような問題が生じたそうだ。その時、向こうでは篤い信仰心を持ち、日々の行いが正しく、自分に従順なノアという男とその家族を残してあとは全て一掃、最初からやり直したらしい」 スサノオノミコトのこの情報に神様たちは震え上がった。「ブルル、あっちの神はなかなか過激なことをやるものじゃのう」「やむにやまれぬ、切羽詰った事情があったのだろう。残念ながらここも似たような状況になりつつある」 オオクニヌシノミコトも悲しそうに首を振る。「しかし、どのような方法で神を恐れぬ不埒な人間どもを一掃したのだろうか」「なんでも大洪水を起こして人間も動物もみんな溺れさせてしまったようだ。一方、神の教えを守り、正しく生きるノアの家族には箱舟を作らせ、命を救ったのだ」「そういうやり方しかないのじゃろうか。我々に従順な家族を選び、警告を与えると共に箱舟の作り方を教える。神を信じぬ人間たちは警告を無視して洪水で死んでしまう。自業自得というやつだ」「やってみるか。悪しき人間がこれ以上この国にはびこるのを防ぐ方法は他にないだろう」「それではいいな。洪水は1ヵ月後に起こすとしようか」「よし」「やむをえないな」 …… やがて天地をひっくり返すほどの大雨が降り始めた。 雨はノアと同じく四十日四十夜降り続き、大和の国は富士の頂きも含め残らず水に沈んだ。箱舟で難を逃れるよう神から教えられた家族とそれぞれが集めたつがいの動物たちを除いては。「どうだ、うまくいきそうかな」「神を信じぬ不届きものは確かに一掃されたが、これで本当に効果があるのだろうか」「われわれの選んだ人間がみな、善人ばかりと誰に言えよう」「ノアの方法は日本では無理があったのかもしれん」 神様たちは暴風雨に翻弄されながらもけなげに浮かぶ八百万艘あまりの箱舟を見下ろし、諦めたように、またどこかホッとしたように頷き合っていた。
2008.02.03
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◇僕がこの頃読んでいるのは、下記の通りです。○次席将校(松永市郎)○江戸の教育力(高橋敏)○東アジア・イデオロギーを超えて(古田博司)◇これまでに読んだ本の感想は以下の通り。○尊敬される国民 品格ある国家(岡崎久彦・渡部昇一) 渡部さんの岡崎さんの対談は何度か読ませていただいて いますが、毎回何かしら新しい考えにインスパイアされる 興味深いものです。 自虐史観、歴史認識についてはお二人とも何度もあらゆる ところで語られています。日本の自虐史観は占領後の アメリカのウォーギルドインフォメーション活動によって 植えつけられたものであり、不満はあるが今となっては 日本人自らが拭い去らないかぎり、誰も消してはくれない ものです。 とくに日本の自虐史観が自国の利益になるのであれば。 歴史認識も国ごとに違って当然、自分の国を子孫に対して 夢のある、自信を持てるものにするために、暗い話でなくて 明るい話をしなさい、ということです。 歴史を貶めると言うことは自分の両親、祖父母そのまた先の 先祖を貶めることです。西洋の侵略を戦って食い止めた先祖を 貶める権利は今の日本人には絶対にありません。 日英同盟の歴史的意味とイフ、まだ現代の日米同盟への歴史 の知恵について語られたところも興味深いです。 もし日英同盟が続いていれば(日英同盟解消の流れの中で、自分 からは言い出せない英国に対して、4カ国同盟を提案したのは 幣原さんとのこと。本当に残念です)対中国で対応を誤らず、 ブロック経済下でもイギリス連邦と貿易が行なえて、中国大陸 への深入りも不要だったかもしれないとのことです。 ただし、その場合は中国を含めアジアの独立はかなり遅れていた のかもしれませんが、資本主義でまっすぐ発展する中国をみる ことができたのではないでしょうか。 これを考えると、今の日米同盟は何が何でも維持して、世界の中 で方向を誤らずこの厳しい時期を乗り切るべき、との岡崎さんの 持論に賛成です。 ただし日本人はアメリカ政府と付き合うのではなく、つねに アメリカの世論を第一とし、アメリカの「皆の衆」の好意を 失わないようにすべし、ということだと思います。 国民を幸せにする指導者の条件とはなにか、そこで「政治家は 濁富でいいのか、あくまでも清貧を求めるのか」という悩ましい 問題を提示し、例として井上馨と小村寿太郎を挙げています。 いまだに「汚職と癒着の井上馨」のような認識が主流ですが、 富豪の手法を活用して国を豊かにする方向に進むところに 庶民の嫉妬感情を持ち込むべきではないと思います。 小村寿太郎はあれだけ立派なことをやりながら生涯貧乏であった、 ということで周囲も豊かにはなれないのでしょう。 どちらがいいのか。これは現代にも通じる選択です。(古代ギリシアにもテミストクレスとアリステイデースの話が あります) 渡部さんはリンカーンのゲティスバーグの有名な演説の「人民」は「皆の衆」に置き換えるべき、と話します。「人民」するとどうしても対立概念として「王」や「民衆に反対 する政府」を考えるが、アメリカには人々、皆の衆しかいない、 と語ります。 そこがアメリカの強さであり、弱さでもあるそうです。 アメリカでは大統領といえども世論(皆の衆)に従わねば ならないのです。(今の選挙戦を見ているとよく分りますね) そしてその世論はしばしば過ちを犯します。イギリスはそれが 分っていて、アメリカのわがままにもじっと耐え、皆の衆が 眼を覚ますのを待つ知恵があるようです。 民主主義はなかなか戦争をしたがらないが、一旦怒ると 徹底的にやるのも民主主義、ということで、このアメリカの 特性に見事に嵌って失敗したのが大東亜戦争の日本でした。 西郷隆盛を評して、人格者に政治を任せるのは理想だが、 そうなると民主主義ではなくなるとし、ピューリタン革命を 例示しているところも面白いです。 日本は戦後アメリカから民主主義を与えられたのではない。 明治以降、先輩の営々たる努力の末、大正期に見事に日本なり の民主主義が花開いていた、とはこれも渡部さんの持論です。 日本人が自らの手で作った大正デモクラシー、もしこのまま 共産主義が到らず、またアメリカ発の世界不況が克服できて いれば、とは見果てぬ夢。 尊敬される国になるために、明治の外交に学べ、というのは 自らを知り、謙虚に、しかし誇りを失わず、過去と未来を信じて いきていけ、ということではないでしょうか。 日本は眠れる獅子だ、怒らせると怖いぞ、と岡崎さん。
2008.02.02
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