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2005年02月28日
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2005年02月27日
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2005年02月26日
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「折り紙同盟」ただいま会員募集中。●ココを押してみてネ「折り紙同盟」のページ見出しを作成いたしました。トップページのタブ「折り紙同盟」を押してみてください。今日、郵便ポストを整理しましたが、いつもの事ながら大切な郵便物は、ほんの一握りでその、10~20倍はDMやチラシそして2~3のコミュニテイー新聞です。私の住んでいるとことは団地なので特にDM関係が多いのかもしれません。もちろん郵便ポストには「郵便物以外お断り」の張り紙はしてあります。そんなことはお構いなしで、郵便ポストにアルバイトの人がDMを投函するところに出くわしました。すると彼は目を伏せ目がちにしながらソソクサとDMチラシが一杯入った手提げ袋を両手にぶら下げて去って行きます。投函されたチラシをよく読むと「この紙は森林保護のために大豆蛋白で作られており・・云々」。コンビニエンスストーアーでは、「缶」も「瓶」もお構いなしにビニール袋に詰め込んで投函されていると思えば1億数千万もの災害基金が寄付される。こんな光景を至るところで目撃します。私の会社の事務所の前の通りは交通量が多いのですが、丁度、事務所の辺りが上下線とも1車線ほど広くなっていますので、よく車が一時停止(駐車はあまり有りません)をして、携帯電話をしたり、自販機を利用したりされているようです。昼間はまったくと言ってよいほど問題が無いのですが、翌朝は悲惨な状況に出くわすことがよくあります。一番多いのが「煙草の吸殻」です。それも1本2本ではなく、灰皿が満杯になって捨てたと思われる痕跡と、量の吸殻を、それも道路の中央部寄りによく捨ててあります。明らかにドライバーが捨てたにちがいありません。その次に多いのはやはり、スーパーバッグに入ったゴミが道端に投棄されているケースです。特に最近驚いたのは・・「捨てられた物」と言うより、「落し物」でしょうね・・多分コレは。道路の反対側が工場になっているのですが、その脇にも事務所があり、入り口から入ると右側に小さな空き地があります。その物体は・・そこに有りました。丁度その前の日から我が相棒が会社でお留守番をさせていました。「○○さん~『トイチ君』かも知れないヨ~」あわてて見に行きました。『トイチ君』ではありません。それが証拠にそのコンモリとした物体の頂上部には「ティッシュペーパー」が乗っかっていたからです。いくら『トイチ君』が行儀が良くてお利口でもティッシュは使えません。なんたって『猫』なのですから。この物体には「山」では時折出くわします。かく言う私も経験者でっ~す。チョット脱線です。思うのですが・・大体あの物体に出くわすときは必ずと言って良いほど、頂上部にティッシュが乗せて有ります。あれは何故なのか?羞恥心?それとも、動物が郊外でするのと同じように「埋める」儀式の発展形?一度だけティッシュの無い物に出くわした経験がありますが・・あれは・・どうしたんでしょうね?・・・つまり・・・その・・。再度言いますが私の勤めている会社は街の中にあり、前の道路は二車線の道路で深夜でも交通が途絶えるようなことは無いほど「にぎやかな場所」であっても前記のような始末です。私の会社の近くでは先ほども書きましたが「昼間」はそう言った輩は今のところいないようです・・・しかし・・もしかしたら時間の問題かも知れません。まさに今が「宴」は酣です。「おでん」を販売しているお店の駐車スペースでよく見かけます。「車座」になってまるで「お鍋」を突付くがごとく、盛りあがる若者たちの姿を。気の弱いお客様なんかは、お店には立ち寄れないほどの時がありますよ。(去年の夏なんか「花火」をしていましたし・・・・)しかし「店員」は注意をしません。「お客様は神さま」なのでしょうか?こう言った対応が「フレンドリーサービス」なのでしょうか?。彼らが去った後はペットボトル、空き缶、発泡、スーパーバッグ、吸殻、等々のゴミの山のままです。お掃除をされる店員の方も「お仕事」とは言え、やるせない気持ちで一杯かもしれません。汚す人も片付ける人も、ほぼ同年代なのですから・・。若い方に「騒ぐな」とか「こんなところで・・」といえるほど立派ではありませんでしたよ、私も若い頃は。むしろ騒ぐ血を抑えきれないでいた方かもしれません。しかし、多少は「周囲に配慮する」といった心構えがありました。これはその場所を追いやられると、他に騒ぐ場所が無くなることが一因だったのかも知れませんが。しかし今はそう言ったことはなく、いくらでも騒ぐ場所が存在しています。しかし次第に「○○法」とか「○○条例」で一派一絡げ的な規制が施されるのは間違いないでしょうね。そして「注意」をしなかった者も「罰される」時代が・・。ま~ぁ、ある意味私たちの年代の者はすでに、罰されている感がする昨今ではありますが。また「騒ぐ」ことに関して考えれば、昔と今の違いは「騒ぐ事」について、今はそれ自体が目的みたいで、「何処」であろうが、「誰と」は問題ではないみたいです。それに比較して以前はそのプロセスを楽しんだ・・そんな気がします。つまり結果が「騒ぐ」になったような・・・・。実は「楽」と「手を抜く」もこの関係と同じではないのだろうか?このことについても考えてみて、今度機会があれば書いて見たいと思います。
2005年02月25日
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「折り紙同盟」ただいま会員募集中。●ココを押してみてネ御参加有難うございます!!ばらいちごさんハルサクラ2世さん池ちゃん1019さん雪うさぎ6873さん よーちゃん7185さんぱっちょさん7185さん店主軽薄(?)今日の背景は千代紙の「折鶴」です。少し背景が「墨」みたいな色になってしまいましたね。昨日「春一番」が春を謳歌してくれたのに、今日は昨年の年末を凌ぐ勢いで「雪」が降り、今(朝4時)やっと小康状態になったみたいです。降り始めはまるで「牡丹」と言うよりも、「八重桜」に近いような湿気を含んだ「雪」だったのですが、23時頃からは比較的サラサラした状態に変身しました。「なごり雪」のイメージとは若干異なりますが・・・。みなさんは清少納言に「枕草子」を御存知ですよね?なかでも第一段の・・春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の ほそくたなびきたると詠われた「春」は、つとに有名ですよね?その第一段の「冬」は御存知でしょうか?多分御存知だと思いますが・・・書いておきますネ。冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。 つまり・・冬は早朝が一番すばらしく、雪が降っている時はいうまでもなく趣が深く、霜が真っ白におりているのもすばらしい。また、そうでなくても非常に寒い時に火などを急ぎおこして、炭をもって(回廊などを)通って行くのも非常に似つかわしい・・・。といったところでしょうか?まさにそんな感じの朝ですよ、今日は。「春は曙」と問われて「大相撲の取り組みで『(張り手を)張るは(横綱)曙』・・・」なんて訳した大学生が居たそうですよ。そう言えば私の知り合いで「寄生虫」を「よせむし」と読んで、恥を掻いたおかげで猛勉強をして大会社の社長になられた方がおられます。その方は昔の総理大臣の田中角栄氏と同じく「尋常高等小学校」しか卒業されていなかったのですが、持ち前の「努力」と「向学心」そして、「人の縁」を大切にされ立身出生をされました。この方の口癖は「楽をする」でした。曰く「『楽をする』と『手を抜く』は異なる、『楽』はしても良いが『手』は抜くな。」が口癖だったのです。もう少し租借します。つまり『楽』をするためには『工夫』がいる、つまり『努力』が必要でこれは『手を抜く』とは本質的に全然異なることになる訳ですよネ。今日、少し質問が有るのですが・・実は、BBSやコメントに対する「後返事」なのですが・・。私の場合書き込みいただいた方のサイトにお伺いして書き込むように心がけているのですが、BBSやコメントのところに「返事を書く」と書かれたリンクがありますよね?と言うことは「書き込み」に対しては、そのリンクを押して書き込むのが礼儀なのでしょうか?。それとも私のような方法が理にかなっているのでしょうか?よく判りません。こんな感じで今ある機能も理解できていないのに3月の1日にまた『楽天』さんのサービスレベルが数メニューUPされるそうです。中でも目玉は1日に3件まで日記がUP出来る様になるらしいのですが・・・。今から「雪見酒」ですので・・・今日はこの辺で・・・。
2005年02月24日
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「折り紙同盟」発足準備中・・ただいま会員募集中。●ココを押してみてネ私の作品もまもなくUPします。いまデジカメ故障中なんです。是非見て行ってね。そしてよかったら書き込んでネ。重箱の隅を突いてしまった・・今日の背景は千代紙の「蝶文」です。「蝶文(ちょうもん)」は、長寿や、羽ばたく成長の祈願を表す蝶を散りばめた、CANONオリジナルの千代紙です。前日の続きです・・些細なことなのですが、彼は昨日も述べましたがとても好青年で、私の相棒の世話までしてくれています。そして見事なほど極めて普通な人です。しかし、私には『猫』の『餌』を前日の残りの上に新しく「追加」したことがよくわからないのです。私の場合、第一の選択としてはまず、全部食べさせてから、新たに「餌」を与えます。これは『猫』に対する、「躾」でもありますし、同時に「食べ物を残さない」古い人間の感覚がそうさせるのかも知れません。でもあながち「古い人間の感覚」とは言い切れません。と言いますのも第二の選択がそうだからです。第二の選択は残った『餌』の様子と、『猫』の様子を見極め、食べないようだったら捨ててしまいます。私は『猫』に『餌』としてはあまり乾燥状態になったものを与えるのは避けています。出来れば肉や魚、野菜等を加工して与えたいのですが、なかなかそうもいきません。私は基本的に私が食する物とは区別して『猫』に『餌』を与えたいと思っているからです。そこで今はやむなく市販の缶詰のものを与えています。(ここでも『便利』を追求するあまり、又『ゴミ』を出してしまいました。缶の再利用を考えるとともに、『猫』の『餌』を自炊(?)することにも心がけます)そんな関係で、室温に拠っては古くなつた物が腐敗している恐れもありますので、捨てるようにしています。もちろん、『餌』を与えるときは、細かく砕いて、(これは過保護です)さらに混ぜ合わせて与えるようにしているのです。もっとも、その辺りは相棒(猫)の方がよく知っていて、全部平らげますし、腐敗したものは今のところ絶対に食べないようです(ある意味私よりグルメで、ある時なんか「相棒」に牛乳を与えたのですが飲みませんでした、おかしいな?そう思って残った牛乳を確認しましたが、異常は感じられませんでした。で、シッカリ私が飲みましたよ。なんともなかったです当日は。翌日の早朝、見事に私は「下痢」でした。)つまり「全部食べさせる」あるいは「廃棄」することで、「躾」と「餌」の見極めが出来るのと、「相棒」の食器を効率よく清潔にすることが出来る訳ですよね。彼も「猫」が大好きみたいですし、小さなお子さんもいます。昨日「ツケ」についてお話しましたが、こんな心に残る出来事がありました。もう25年ほど前の出来事です。いつものように食堂にいって常連の仲間たちとワイワイガヤガヤお喋りをしながら、食事をしていたのですが、ある仲間が・・「最近D君来ないね?」「そういえばそうだね?どうしたんだろうネ?」すると食堂のおかみさんが「ああ・・D君?・・田舎に帰ったみたいだよ」「え??いつ?」皆が異口同音に尋ねました。と言いますのも現場にいた人の何人かは、わずかですがD君にお金を貸していたからです。「そう~ネ~、1~2週間ほど前に、Bさんから聞いたよ」BさんはDさんがこのお店に連れてきた人で、常連とまでは行かないのですが時たまその後ここ(食堂)に来るようになった人です。一同「え~っ??」一人がおかみさんに尋ねました。「それで・・確かここ2ヶ月ほど食事代が、とどこってる・・って聞いていたんだけど・・」ここは皆でステレオみたいに・・「払っていった?」間髪入れずおかみさん「いいえ・・・」「え~・・??そうなんだ・・・」一気にその場の空気は澱みます。「でもね、それよりDさんが可哀想だよね。あの”子”は優しくていい子だったから・・よっぽどつらかったんだろネ」Dさんのお兄さんが従前より「喉頭癌」を患っていて、お酒に酔う度に「兄貴がかわいそうだ、かわいそうだ」毎日のごとく涙声で語っていたのを思い出しました。「なにかと物入りだったんだね。それに仲間に別れも告げられないほど追い詰められていたんだよネ。だから今日まで皆に黙ってたんだヨ」とおかみさん。一同シ~ンです。ややあって「そりゃ~私も余裕は無いよ、でもDさんに比べればまだ逃げなくて済むもの、それにDさん、いつかキット立ち直ってくれる、そんな優しい心根の持ち主だと信じているよ」一人が「そうだよな・・いい奴だったもの・・それに貸してたお金、「餞別」だと思えばいいのだヨ」。「そうかも知れないな~」「でも、そんなにDさんが追い詰められているの・・知らなかったのは・・俺・・情けないよ」「しょうがないよ、皆大変なんだから・・今、出来ることしか出来ないんだよ」そして再びおかみさんの声です。「ところで、N君、前月分は何時払うんだい?約束の日は過ぎてるんだけど?」「ウヘッ!!やぶ蛇、藪蛇」「まったく!しょうが無いネ~。はい、天ぷら定食、カボチャの天ぷらはおまけだヨ、最近野菜食べてないだろ?」「わ~いいな!!Nさん!!俺も支払い滞ろうかナ?」「駄目!駄目!!。あんたは。あんた常習犯だろ?」・・・。小さな町の片隅で御夫婦でやられていた小さな「食堂」での出来事です。最近の「チェーンレストラン」、綺麗で、お味も「とっても旨い」とまでは行きませんが、なかなかなものです。サービスも良くて頼めば喉に刺さった「骨」まで取ってくれそうな気がするほどの至れり尽くせりの感じが店員の笑顔から感じられます。しかし実際はどうなのでしょう?もし・・「喉に骨が刺さったから・・」と言えば、「申し訳けございません」と笑顔で答えられ「お客様の喉に刺さった骨を抜くのはマニュアルにはございませんので・・」とこれまた笑顔で断わられるでしょうネ。チョット例が極端ですが。前記の「食堂」のおかみさんが言ってました。「周りにどんどんチェーン店のレストランや外食店舗が出来て大変だ」と組合の仲間が嘆いていたけど・・私は反対だね。ドンドン、チェーンのレストランに出店してもらって、お客さんを集めてもらう。そして私んちでは大手では出来ないサービスやメニューで勝負すればなんとかなる。いまさら大手の出店を止めることなんか出来や~しなないしネ。だったら出来る努力と工夫をすればいいだよ。そう言ってやったよ。・・・と。そしてこうも。「な~に夫婦二人が食べれればそれでいいんだから・・なんとかなるよ。そいれで駄目だったら「店」をたためばいいんだよ。あんたたちには迷惑をかけるかも知れないけどネ」どうですか?みなさん?チョット心が温かくなりました?今日の「春一番」みたく。そしてDさんはその後1年ほどして「おかみさん」の元を訪れ「ツケ」も支払い、友人の借金も払っていきました。その日は朝まで「おかみさん」を中心に取り巻いて皆で飲み狂いました。「おかみさん」は一滴も飲めなかったのですが・・・。残念ながらDさんのお兄さんは薬効投薬の甲斐なく半年ほど後にお亡くなりになりました。おかみさんは”連れ合い”を10年ほど前にお亡いになったこともあり、食堂をたたみ、郷里の滋賀県に引っ越されたとのことです。その昔、こんな「お店」、こんな「おかみさん」こんな「御主人」は町中に一杯おられたのですが・・。この「日記」をお読みになって同じような経験をお持ちの御年配諸氏は多いのではないでしょうか?
2005年02月23日
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「折り紙同盟」発足準備中・・ただいま会員募集中。●ココを押してみてネ素敵な「折り紙絵日記」も載っていますよっ!是非見て行ってね。そしてよかったら書き込んでネ。なんだか変?今日の背景は千代紙の「牡丹文」です。ネ!「折り紙」ってこんな利用方法も有るんですよ。↑(チョット自慢)「牡丹文(ぼたんもん)」は、中国などで「百花の王」と讃えられ、幸福、富貴の象徴とされる牡丹の花に、唐草を組合わせたCANONオリジナルの千代紙です。さて今日の話題です。昨日の日記で「便利」は「ごみ」と言い、「ゴミ」ってな~んだ~?との謎の質問を残したまま終わってしまいましたので、その続きです。「便利」=「ごみ」なのですが。新しい機器が発見、あるいは入手されたから「古い"便利"は"不便"」となって捨てられ「ゴミ」となる。と言うことなのです。「ゴミ」とは、つまりそんなものかもしれません。・・・ある人が『必要』としなくなつた時に、その事物は「ゴミ」に変身しているわけなのです。その物や、事が使える、使えないは「ゴミ」とは全く関係がないわけですよね。ですから、「ゴミ」を見て、「わ~!宝の山だ!!」と歓喜する人も居れば、うとましく思う人も居るわけです現代は!。ここが重要なのかも知れません。「現代は」が。その昔、私たちは「日本は貧しい国だ」「貧乏人は麦飯を食え」とまで自国の総理大臣にまで言われた国民でした。その後先輩諸氏の血のにじむ御努力により、東洋、いいえ世界でもトップの経済力と反映を誇っていたのは皆さんも御存知のはずです。しかし、何かを置き忘れてきたような気がしてなりません。”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。と、800年も前に詠まれた「平家物語」のように「世の必定は普遍なり」のごとくです。昨今のありようは。私が思うには今必要なことは「原点に立ち戻る」ことなのかも知れません。私は決して『便利』を全部否定するつもりは有りませんが、一つの新たなる『便利』に対して「本当にこれは必要なのだろうか?」あるいは「今あるもので何んとか出来ないだろうか?」と熟考することが「ゴミ」を減らし、新たな想像力を育む源だと思えるのですが。どうでしょう?私はモチロン「リサイクル」を否定するつもりは有りませんが、一つの例では「牛乳パックのリサイクル」です。牛乳のパックをリサイクルするのに御家庭で「水道水」を使ってパックを洗います。これって?よく判りません。こう書けば、「貴方は森林伐採の現実が判っていない」の御批判の声も上がりそうですが、私は「瓶」の牛乳の方が大好きです。高いですよ。牛乳より流通費が。(私も昔はその一端を担っていました)「たかいで」さんからの引用です。・・・国産杉は伐採・搬出費用や運搬費用がかかって、採算が取れなくなってしまっているのです。家周りに植えて大きくなり過ぎた杉の木は、伐採処理するにも高額な費用負担が必要で放置されるままに大きくなっています。治山治水に有効な雑木山を切り払って、人工杉林にしてしまった国の硬直した林業政策のツケが「スギ花粉症」を道連れに、今の私達の生活と将来に暗い影を落としているのです・・・・以上引用でした。つまり、安く、大量に、便利に、これが「ゴミ」と「便利」の正体で、特に「便利」は悪徳官僚や、悪徳政治家に往々にして活用される見たいです。私たちは目先では安価に見えても、間接的にその代価を「お金」のみならず、「環境破壊」と言う名前を変えた代価を支払わされている。といえるのかも知れませんネ。昔話ばかりで恐縮ですが、その昔「ツケ」なるものがありました。行きつけのお店であれば、食堂でも、服屋でも、銭湯(これももう直ぐ死語ですかネ)すら「ツケ」が効きました。最近はクレジットカード、かプリペイドですね。人と人の信頼感よりも、与信組織が裏付けした社会的信用の方が重要視される変な時代です。だからこそ可笑しな詐欺事件や、偽造事件が横行し、それを真似る模倣犯が跋扈しているのでしょう。最後にこんなお話です。私の相棒は今会社でお留守番をしています。私は遅番なので、朝の世話を同僚にお願いしています。その同僚との話です。「有難うね」「いいえ」「そう言えば昨日ペットショップで「猫」を見に行ったよ」「それで?」「うん、可愛い猫がいて、「買おうかな~?」と思ったんだけど・・」「買ったの?」「ウ~ウン、買わなかった。それで眺めていたら小さな女の子が「猫」がオリの間から手を出していたのを引っ張り始めたんだ」「うんうん」「なんだか力一杯引っ張り続けたもんだからそのうち「猫」が泣き出した」「その子の親は居なかったの?」「居たヨ、傍に。でも何にも注意しないんだ、やがて店員が来て、子供に優しく注意したら、今度は子供が泣き出した」「それで?」「そしたら、えらい剣幕で店員に母親が逆上してた・おかしいよね?」「本当だね。『我が身を抓る痛さかな』が判っていないんだね。で、どうだった?「トイチ君」朝ごはん食べてた?」「少し残していたみたいだけど。。食べてた」「有難うネ、その後『餌』は?」「うん、あげといた」「どうやって?」「残った『餌』の上に新しく『餌』を追加しておいた」う~ん彼も再教育しなければ。。とっても優しくて、真面目な好青年なんです、彼も。まさにわが社の「現代の縮図」です。
2005年02月22日
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世の中が便利になる「折り紙同盟」発足準備中・・ただいま会員募集中。 ●ココを押して素敵な「折り紙絵日記」も載っていますよっ!是非見て行ってね。そしてよかったら書き込んでネ。寒くなったり、暖かくなったり気候の変化が激しい今日このごろですが、皆さんは如何おすごしでしょうか?私の住むここ「埼玉」でも、ここ2~3日はあまり天候も優れず、いつ昨日は雪が朝方に2~3センチほど積もっていましたが、午前中にはほとんど溶けてしまいました。春降る「雪のはかなさ」を感じましたよ。そして昨日は久しぶりの「晴天」でも、お仕事です。日曜日が「晴れ」で有れば吉野梅郷公園まで「梅」でも見に行こうと思っていたのですが、あいにく「小雨」。相棒も病み上がりなので躊躇した結果、断念しました。「梅」といえば私の家の近くは先日(2月2日)の日記で知らせしましたように、もう1月も近く前に「満開」を向かえたにも関わらず、ある人のサイトにお伺いしてみるとまだ東京の「湯島天神」ではまだ「5分咲き」とのことで、いささか日本列島の広さをシミジミと感じています。こうした「プログ仲間」のおかげで、地域にスポットを当てた情報が何時でも、手に取るようにわかる便利な時代ですし、専門家の方もはだしで逃げ出すような地道な活動をされてそれを発表している方々の「知識」や「含蓄」も拝見できる・・まさに「変化する図書館」の感です。「便利になる」と言うことが、前記のような「私にとって都合のよい」場合と、また逆に「都合の悪い場合」もあります。「都合の・・」変な言い回しですが、「便利になる」と言うことは一面「何らかの犠牲を強いられる」ことは否めないですよね?(身近には・・携帯電話だと思っています私は)。しかし、最近チョットこれは?と思う記事がありました。今度の道路交通法の改定で「自動二輪(バイク)」での高速道路での二人乗りが出来るようになるようです。このことは有る人にとっては「大歓迎」のことだと思います。そしてこれも、ある意味「便利」になつたことだと思います。しかし、私は「チョットこれは・・」と思っています。皆さんはどう思われます?私は「短絡」なので「便利」と「ゴミ」は同じようなものではないか?と最近そう思うようになりました。「ゴミ」って一体なんでしょう?考えたことがありますか?謎の言葉を残しつつ・・叔父さんは「会社」の時間なので、いざ「サラバ」です。今度の日曜日こそ「梅」見に行こう~っと。あっ。。そうそう「折り紙同盟」の記事や作品シコシコ創ってます。「千代紙」とか「簡単な折り方」や「ペーパークラフト」なんかも・・「千羽鶴のつながった物(連鶴)」もありますよ。待っててね!
2005年02月21日
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先日私のあまり出来の良くない「折り紙」の作品を見ていただき多くのかたから書き込みを頂きました。そんな中で最近幾何学で「折り紙」を・・と書き込みがありました。そうなんですよ。折り紙が幾何教育に取り入れられる発端となったのは、それまでの伝承の折り紙に対してその折り線に注目したことでした。折り線の法則性に注目しその一般化を考えた堀井洋子氏が有名です。「折り紙」は宇宙科学にも応用され、太陽電池パネルに「ミウラ折り」が使われました。基本形を折って、それを広げたときの、折り目の位置を示した図を、展開図とい。展開図の幾何学的分析によって、新しい基本形が自由に作れるようになりました。数学的折り紙は、前川淳とピーター・エンゲルによって、独立に始められ、彼らは、既存の基本形の展開図が、特定の何種類かの三角形や四角形で構成されていることに注目して、展開図を、そのような「原子」にまで分割してしまうと、それらを比較的自由に組み合わせることによって、新しい展開図を作ることができる。そうすることで、実際に作品を折る前に、作品の設計図を描くことができるようになったわけです。『折り紙設計』と呼ばれる分野も存在していて、幾何学や数学の研究に役立つだけでなくコンピュータのコーディングやアルゴリズムの設計の参考にもなるそうですよ。難しいお話はここまで。千羽鶴について、「さだこと千羽鶴」という感動的な物語があります。それによると、主人公の佐々木禎子さんは、1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されたとき2歳で被爆し、それが原因で11歳の時に白血病になりました。禎子さんは、鶴を千羽折ったら願いがかなうという言い伝えをきき、「元気になりたい」という願いを込めて自分で一生懸命鶴を折りました。願いもむなしく、千羽折り終えることなく禎子さんは12歳で亡くなり、禎子さんの死後、同級生が残りの鶴を折り上げました。また同級生は全国の学校に募金などの支援を呼びかけ、禎子さんを含む原爆でなくなった全ての子ども達のために「原爆の子の像」を作りました。今でもこの像の周りは、世界中から送られた沢山の千羽鶴で飾られています。「再び原爆でこども達が犠牲にならないように」という想いが込められ、「さだこと千羽鶴」の話は平和へのシンボルとなっているそうです。現在「千羽鶴」といえば、一般に折り鶴を千羽折りますが、もともと「千羽鶴」の千羽とは「たくさんの」という意味で、1000という数字を意味するとは限りません。とんでもない「折り紙」もあります。作品です●ココ 折り方です●ココ「折り紙同盟」はそんな難しいものを創る「集まり」ではありません。「ばらいちご」さんが試験的にやり始められた「折り紙絵日記」はなかなか面白い試みですご覧になってください。その人柄や、優しさまで伝わってきます。私はこの試みに協力させていただければ・・そう思っています。「折り紙」を通じてお子さんと遊んだり、チョットマニアックに折って、贈り物にしたり・・・。「折り紙同盟」は「折り紙」を通じてのコミュニケーションを試みる集まりだと思っていただければOKです。折り紙でなくてもいいのです。ペーパークラフトでも、切り紙絵でも・・「紙」であれば・・。もちろん作品の投稿や、新しい技の御披露も感激です。「折り紙同盟」専用のBBSに作品の画像や記事を載せていただければ「折り紙同盟」のページで御紹介させて頂きます。今現在では10名程度の方の御参加を「快諾」いただきました。よろしければ私のBBSでも良いですし、コメント欄でも、上に掲げた「折り紙同盟」専用BBSでも結構ですので書き込みいただければ嬉しいです。「折り紙同盟」専用BBSのメールアドレスは書かれても書かれなくても結構です。皆さんの運営のアイデアと御参加をお待ちしております。
2005年02月20日
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ちょっとページの実験をして見ました。伊豆ガ岳→ここをクリック
2005年02月19日
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/ / / 梅ジャムここ暫く、「梅」の「花」で紙面を賑わしましたが、ある方に「梅味噌」の作り方を教えていただきましたので。今日は「梅ジャム」です。今回私は「梅酒」で使った「梅」を利用しましたが、あいにく写真が撮れませんでしたので、写真は前回に作成した「黄梅」を利用した写真をUPしました。それでレシピも「黄梅ジャム」にしておきました。後3~4カ月で「梅実」の季節です。是非トライしてみてください。同じような要領で、「梅酒」に浸かった「梅」でも「梅ジャム」を創ることができます。このときは砂糖を控えめにするのと「梅ピューレ」を使ってから加熱するときに、100%のオレンジジュースかアップルジュースをヒタヒタになるぐらい加え加熱するのもイイカモネ。(材料) 黄梅1Kg 原料のウメは木で完熟した黄ウメを用いる のが大切です。青い場合はビニール袋に入れて追熟させます。種類は何でも良いです。グラニュー糖800gウメジャムにはグラニュー糖が一番みたいです。爽やかに仕上がりますよ。もしグラニュー糖が無ければ上白糖を使ってください。三温糖や他の精製度の低い砂糖は 使わないほうが懸命です。前処理黄ウメを軽く水洗します。 ヘタは綺麗に取っておきます。 1、黄ウメと黄ウメの2~3倍量の水をステンレス鍋に入れて加熱します。 琺瑯鍋、鉄鍋、アルミ鍋は避けたほうが懸命です。2、緩く沸騰させ、黄ウメが軟らかくなるまで加熱する。果肉の柔らかい品種は沸騰してきたら直ぐに水から出します。果肉の柔らかくなりにくい品種でも5分くらいの加熱で充分です。ウメは85度程度で直ぐに皮にひびが入り、はじけるように剥け始めます。果皮にひびが入ってきたら直ぐに引き上げます。加熱が過ぎると果肉が水に溶けてしまいます。ここではウメの表面の細かい毛や汚れを除くだけです。 3、果肉が柔らかくなった黄ウメを裏ごしして、ウメピューレを採る。ザルか裏ごし器、ストレーナ(1mm目程度がベストかな?)の金網などで裏ごしします。 4、ウメピューレをステンレス鍋に入れて、加熱する。焦がさないように攪拌しながら加熱します。鍋のフチに付いたウメの果肉は濡れ布巾で拭き取って下さい。焦げるのが心配だからといって、弱火でトロトロと加熱すると、ジャムの色が暗くなり、きれいに仕上がりません。焦がさないように強い火で加熱して下さい。浮いてくる泡・アクはレードルですくい取ります。 5、ウメピューレが沸騰したら、分量の砂糖を全部入れます。 梅肉ペーストを攪拌しながら加え、砂糖が鍋底に溜まらないように。 6、攪拌しながら加熱を続け、時々煮詰め具合いを確認する。 煮詰め具合の確認方法 しゃもじについた果肉がサッと流れるなら煮詰め不足。 冷水に果肉を滴下したとき花火にの様にパーッと散るなら煮詰め不足。 皿・プレートにつけた場合、立てたらスーッと流れたら煮詰め不足。 しゃもじについた果肉がモッタリとしてくればOK。 スプーンに採った果肉をちょっと冷まして傾けたときサッと落ちずに ポッリとしているならOK。 コップの底までミズクラゲの様にプヨプヨと沈んでいけばOK。 皿・プレートにつけて、立てたらちょっと流れてスッと止まればOK。 7、良好な煮詰め具合になったら、加熱を終了します。 レンジからおろすと表面にアワ・アクが浮いて来ます。 このアワ・アクを取るため、ジャムの表面にラップフィルムまたは アルミホイルをのせるとアワ・アクが綺麗に取れます。 ここでレモン汁を加えてもいいです。8、殺菌したガラスビンにジャムを入れます。 ビンとフタはきれいに洗って、蒸し器に口を下向きにして入れ、 内部に水が溜まらないようにして加熱殺菌しておきます。 ジャムを詰めるまで蒸し器に入れて、熱くしておきます。 9、ふたを軽く〆て、脱気殺菌する。真温を計っています。この後口に付着した「梅」をふき取り軽く蓋を閉めます。ジャムは熱いうちに、熱いビンに詰めてから、再度蒸し器で加熱します。詰めるときに口いっぱいまで入れないことが大事です。脱気はジャムとフタの間に残る空気・酸素を減らすために行います。 10、脱気殺菌が終了しましたら、蓋を堅く閉め、倒立放冷します。 30分間程度ビンを逆さにして冷却させます。 ビンの口に傷があったりして、すき間があると、 ビンを逆さにしたときにジャムが吹き出してきます。 このジャムの長期保存はあきらめます。早期に食べてしまいます。 11、倒立放冷が終了したら、流水で冷却します。 12、ジャムが冷えたら、ビンの外側の汚れを完全に洗い落とし、 水を拭き取り、製造月日を記入して、冷暗所で保存します。これは3kの梅で出来た「梅ジャム」です。ウメジャムは作ってから時間がたつと色が少しずつ黒くなります。経験では半年は充分と保管できます。3kの「梅」の種ですあと、私の場合は梅酒でつけた梅を使う場合、加熱終了5~10分前に「種」の中身を1~2mmの大きさに砕いて加えます。コレが意外にも歯ごたえがあって良いんです。手間はかかるけれど・・「黄梅」のときは種を加熱して加えてネ。同じような方法で今が旬の「キンカン」でも出来ますよ。「キンカン」の場合「皮」ばかり注目されますが、どうしてどうしてジャムにすると、驚くほど美味しいです。出来上がった「キンカンジャム」に「バター」か「マーガリン」を同量混ぜ込んで瓶詰めして保管して利用しています。ただ長期保存は望めませんので1~2ヵ月程度が目安かな?もし長期にわたって保管したい場合は「梅」でも同じなのですが、「ピュレー状態」まで加工しておいて冷凍保管することをお勧めします。
2005年02月18日
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秘かに思うこととお礼と最近、お伺いしたページでよく「折り紙」についての記事を目にします。私も以前の日記にも書きましたが、病院に入院していたときに手慰みで「折り紙」や「ペーパークラフト」を教えていただき、一時随分と嵌った経験が有ります。しかし最近の折り紙は「幾何学」を応用した折り紙が多く難解で、また折り手にも高度なテクニックを求められるものも数多く出回っていて「創作折り紙」と呼ばれているそうです。話は少し横道にそれてしまいますが、私のページを見ていただいている方々は御存知だとは思うのですが、私は「お花」が大好きです。しかし勤務の時間が不規則なのと、休日は意外にも結構多忙なので、「花」を育てるのもままなりません。おまけに「団地」住まいなので「猫」の額ほどのベランダでは横着な私がする洗濯物で一杯になってしまいます。そこで私は今年の「春」から植物を育てる感覚で「折り紙」や「ペーパークラフト」あるいは「布」を利用した「お花」や「造形物」創りに嵌ってみようと密かに思っています。モチロン生きてる「お花」の色や、形、香りにはとてもかなうわけはありません。でも逆に「創り物」であるがゆえに本物では「表現できない」あるいは「ありえない」個性も表せるのではないか?と、浅はかな期待を持っています。最後にここ1週間ほどの間「相棒」の病気もあり、御訪問いただいた皆様のところに御訪問することもままならず、また書き込みいただいた方々に、返礼もお書きすることが出来なかったことをお詫びさせていただきます。みなさまの御心使いのおかげもあり、「相棒」は従来をしのぐ元気を取り戻し、畑の中をかけずり回るまでに回復いたしました。重ねて御礼を申しあげます。とりあえず、我が相棒が今一番手がかかる時期ですが、彼も徐々に「大人」になってきているような感じがしますし、まもなく私を相手にしなくなりそうな気配です。外出のトレーニングも順調で、本日は2~3時間表で遊びその後自主的に帰宅できる程度まで成長しました。彼が自主性をもって活動するのは時間の問題と思われますのでその頃を見計らって、「創作造花(?)」の真似事を開始したいと思っております。
2005年02月17日
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最近気になったこと今日は最近気になったことを書きます 最近気になったことがあります。それは先日隊員のページで読んだ記事にも関連が有ります。その隊員の記事とは・・next0209さんの1月10日の日記「今日の報道から」にも関連しているのです。実は書こうかどうしょうか随分と春秋したのですが、これも「日記」と考え書く決心が付きましたので書かせていただきます。まずnext0209さんの日記の引用です・・その1本日の新聞に、財団法人少林寺拳法連盟を含むグループが40年以上使用してきた卍(マンジ)の紋章が変更されると書いてありました。理由は、卍はナチスを連想させ、それによって欧米のユダヤ人団体などから反発が続いていたらしいのです。世界32カ国に支部と、会員約150万人を有する同グループが、更に世界に少林寺拳法を広く普及するにあたっての活動の障害になることが変更要因とのこと・・・以上引用です。詳しくは【四国新聞社2004年12月24日】http://www.shikoku-np.co.jp/news/social/200412/20041224000510.htm「卍の」マークは私たちのとっては社会科の寺院の記号としても慣れ親しんできた記号です。卍(まんじ)とは、サンスクリット語でSwastika(スワスチカ)と呼ばれ仏教で用いられる、吉祥の印でホワイト・マジックといわれています。本来「功徳」などを表す仏教上の文字で、漢字の「和」の元といわれ、逆卍は、「力」の元といわれます。名前の「まんじ」が暗示するように、「万」の元とも。そもそも「卍」自体が漢字なのです。ためしに「まんじ」と入力すると変換されます。したがって私たち仏教徒の多い国々の人々には何の抵抗もなく受け入れられる記号なのですが、しかしながら外国では少しどころかかなり問題視されている印だそうです。「卍」には「左卍」と「右卍」があります。モチロン私たちが良く利用するのは「左卍」でこの文字は左回りに回転することが幸福のエネルギーになると考えられていた仏教徒のシンボリズムです。ここで問題になるのは「右卍」です。これは御存知の方もおられますよね?ナチスの「ハーケンクロイツ」です。ヒトラーは逆に、「卍」の回転方向を右回りにさせ、闇と黒魔術と破壊を呼び起こすシンボルに変えてしまったのです。このマークは降魔、またはブラック・マジックの象徴とされています。「ハーケンクロイツ」はシュタルンベルク出身の歯科医で「トゥーレ協会」会員のフリッツ・クローンが持ってきた図案が元になっているといわれ、一説によれば、チベットがドイツに向けて少人数の義勇軍を派遣して以来、チベット仏教の神秘的な流入とともにドイツでも知られるようになったと言われています。そして、仏教徒に「幸福の護符」として神聖視されていたこの鉤十字は、ナチ・イデオロギーに吸収され、太陽崇拝とも結びついた「アーリア人種の勝利のための闘争」という新たな象徴性を付与されるに至り、あの忌まわしい「ホローコースト」の象徴にも。前置きがまたまた長くなってしまいました。この前置きを踏まえて考えてみていただければ・・・。それで長くなりました。私はこの話を興味深く聞きつつも「前の大戦の傷跡はまだまだ癒えてはいないのだ、そして今もおぞましい出来事が世界で起きている」の感を強く持っていました。そして本題です。私は「サッカー」については熱狂的とは言えませんが、わが国の選手と諸外国の国々の選手との試合に関してはほとんど見ています。先日の「北朝鮮」とのワールドカップアジア予選も仕事中にも関わらず、熱中して見ていました。手に汗を握る好試合でNHKの紅白歌合戦を抜く視聴率だったのもうなずけます。ロスタイムの最後の最後に大黒選手の決勝点で勝ち越し、狂喜乱舞の観客、そして選手、監督。私もTVを見ながら小躍りしていました。そしてカメラがパンしてサポーターの応援席を映しました。そのときです。私はある旗に目が留まりました。「旭日旗」です。「旭日旗」とは・・・最初の十六条旭日旗は「聯隊軍旗」と呼ばれ、1874年に日比谷操練場で日本陸軍近衛第一・第二各聯隊に天皇から授けられた。その後、1889年に「海軍旗章条例」によって軍艦の標識として艦艇の後部に掲げられる「軍艦旗」とされた。ちなみに、艦の国籍標示のために艦首に掲げる艦首旗は、一般の商船と同じく「日の丸」。今では自衛隊でも使用されています。旭日旗→http://www.sarago.co.jp/nfhtm/0g.html周辺諸国のアジアの人たちにとって「旭日旗」はどんな風に見えたのでしょう?何を思い出すのでしょう?このことを私はある方にも意見が聞きたくて当日御相談したのですが・・。今調べましたら翌日の朝日新聞「声」に投稿された方がいたそうです。今回のようなケースはよく見かけます。オリンピックでもそんな風景を見てきましたし、色んな試合の度に目にします。日本は一体何をなすべきなのか?何をしてはいけないのか?。旭日旗の意味を知らないで「格好いい」そう思って利用しているのでしょうか?。今度の平壌での試合でも出来るのでしょうか?また中国の試合でも出来るのでしょうか?。きっと泣いているでしょうね。「旭日旗」を頭に、お腹に捲いて散っていった方々は・・・。少林寺拳法の由緒ある紋章でさえ変更を余儀なくされるこの国際化の波の中で。「ワールドカップ」と冠を頂いた試合の中で・・・理解が出来ません。旭日旗の意味を知らないで「格好いい」そう思って利用しているのでしょうか?。だとすればJFAなり、JOCなり、主催者なりがもっとモラルを持って対処をお願いしたいものです。私は「旭日旗」を否定をしているつもりはありません。あくまで状況配慮が大切だと思っています。そして「国粋主義」でも「左派主義」でもないです。極めてチョット変わった普通の「オッサン」だと思っています。念のため。最後に又引用です.少林寺の新マークは ソーエンと呼び 2005.04.01に正式変更となるようです「卍」をめぐっては九九年、人気アニメ「ポケットモンスター」のカードゲームに印刷された卍に対し、米ユダヤ人団体が抗議し、メーカー側が使用を中止したことがあるそうです。以前中国では日本軍旗(旭日旗)によく似ているとされるデザインのワンピースで雑誌『時装』2001年第9期号のモデルとして登場した趙薇(ヴィッキー・チャオ)をめぐって中国では物議をかもしました。http://news.searchina.ne.jp/2003/1108/national_1108_003.shtml「Microsoft Office 2003」に付属している記号フォント“Bookshelf Symbol 7(以下、Bssym7.ttf)”から不適切な記号を削除するツールを“重要な更新”として公開した。同ツールを実行すると“Bssym7.ttf”から、寺院記号の卍(まんじ)とは回転方向が逆向きの“逆卍”、逆卍を45度右方向へ回転させた“ハーケンクロイツ”、正三角形と逆三角形を組み合わせた星形の“ダビデの星”という3つの記号が削除される。マイクロソフト、「Microsoft Office 2003」からハーケンクロイツの記号を削除。http://www.forest.impress.co.jp/article/2004/02/13/bookshelfsymbol7.html>
2005年02月16日
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2005年02月15日
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さきたま(埼玉)
2005年02月14日
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さきたま(埼玉)
2005年02月13日
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2005年02月12日
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2005年02月11日
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牛丼の「よしのや」が変換できない! 「牛丼」復活だ!!あの「よしのや」の牛丼が2月11日期間限定で復っ~活っ~!。「よしのや」の事を書こうとしていくらやっても「よしのや」が変換できなかったので・・今日の日記は「『よしのや』が変換できない」になりました。・・・なんで?私のパソコンでは、あの牛丼で有名な「よしのや」の文字が入力できません。フォントは全てインストールされていますしOSもバリバリです。皆さんはどうですか?やってみてください。「よしのや」そして変換です。『な~んだ!変換できるじゃない、YUKIさんのパソコンおかしいんじゃない?』そう、思われましたか?・・・よ~く見てください。多分「吉野家」と変換されているはずです。『ん、?そうだよ。きまっているヨ、なに言っているんだい!』『おかしなやつだ!』そうですね。でもよく見てください「よし」の字を・・・。「吉」は「士」と「口」ですが「よしのや」の「よし」は「土」に「口」。は「吉」では無いのです。「吉」は「士」と「口」ですが「よしのや」の「よし」は「土」に「口」。つまり「吉」上の文字の横棒は下のほうが長いのです。証拠をお見せします。ね!。正確にはと表示されなければならないんです。だから「変換できな~い!!」になったわけなんです。チョット意地の悪い振りでしたかネ?そんな訳で今日は牛丼復活!!(期間限定だけど・・)を記念して変換できない「文字」のあれこれを少々綴って見たいと思います。(関係は全然ないけど・・)は「つちよし」と別名で呼ばれていて、PCの文字上には登録されていません。「吉」は「士」(サムライ)で、この意味は刃物の象徴とも、壷の蓋を表したものとも言われています。この吉野家の場合は固有名詞です。で、そんなに普段は必要がありませんが・・・(吉野さんごめんなさい)「高」にも有ります。これも「はしごたか」と呼ばれている「高」の「口」の部分がはしごのようになっている文字です。 この文字はお名前で時々見受けます。(百貨店の高島屋のマークでお馴染みですよね)この文字の苗字の方はどうされているのでしょうか?「外字登録」で処理をしても印刷物ならいざ知らず、ウェーブ上では厄介な思いをされているのでは・・。ね!高橋さん。同じ様に私が以前住んでいた茅ヶ崎の文字にも仲間が居ます。「崎」です。この文字にも「タツサキ」と呼ばれる「崎」の右側上部の「大」が「立」になっている文字も有りますね。ここでおまけなんですが、我が埼玉県の鳩ケ谷市と茅ヶ崎市の「ケ」厳密に言うと違うそうです。茅ヶ崎市の「ヶ」は漢字で、鳩ケ谷市の「ケ」はカタカナだそうですよ。いずれの場合も「三ケ日」の「さんがにち」から転用され「ケ」書いて「が」と発音するそうです。どうでもいいことですが・・でも公式の文章で「ふりがな」と書かれた欄には漢字に「ふりがな」が必要なわけだから、厳密には区別したほうがいいかもね。市町村名では厳密に区分されて利用されているそうです。貴方のお住まいの場所の住所に「ケ」が付いていたら漢字なのかカタカナなのか調べてみるのもいいかもネ。話をチョット戻して・・・。 現在のところ と は近々つかえるようになるみたいですが・・はまだまだ無理なようです。ここでもう一つ書いてみます。このお話は昨日ある方のBBSに書き込みましたのでご存知の方が居られるかもしれませんが・・の文字もなんですよね・・。のは「新」ではありません。「新」の文字の偏は「立」に「木」ですが、のは横棒が一歩多く、その偏は「辛」に「木」をあわせた文字で、6~7世紀の三大書家である、欧陽じゅん←これもIMEではOKなのですがプラウダでは駄目ですね(おうようじゅん)が書いた「大唐宗聖観記」の文字を模したものだそうで、字源的には正しいそうですよ。だから「新」も「親」も「しん(辛)」と読むのだそうです。それで「親」は木の上に立って「子」を見るのではなく、辛いときに添え木のように寄り添って「辛さ」を支え、見守る存在なのだそうです。以上は旧書体や、字源についての私のささやかな「文字」に対する疑問と調べた答えですが・・あっ!それで牛丼だけど・・2月11日だけだからね!復活は!300円だそうだよ。忘れてた・・コレが茄子の花だ!!・・です・・
2005年02月10日
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お花ってイイヨね 5/5 シリーズ(シリーズだったの?)「お花っていいよね」北信州編は本日で終了です。いや~ヤッパ4泊5日になってしまった。最終の目的地は「熱海湿原」と「姫川源流」です。途中のトンネルを越えところで突然見えた白馬連峰は圧巻でした。下の2枚は同じ場所からの3DのCGです。おなじみカシミールで作成しました後ろの山は白馬連峰雪を薄っすら被り青紫に輝いていました。 姫川源流自然公園。この姫川源流の近くの「佐野坂」には「分水嶺」が有ります。この分水嶺によって南に分けられた雪解け水は遠く太平洋に流れ込み、北へ分けられた水は「姫川」「屑川」「千曲川」などに流れ込み約60kmほど離れた日本海に流れ込みます。そして親海湿原の北側にある荒神の森を隔てて姫川の源流があります。ここの涌き水を源とする姫川は、60Kmの距離を国道148号線と平行して糸魚川へと流れ日本海に注いでいます。こんな身近にある「源流」は全国的にもまれです。姫川源流湧き出しているところ碑「姫川」 北には青い海がある。姫川は山の憂うつを、日本海へ吐き出している。この詩は、田中冬二の詩です。姫川は糸魚川・静岡構造線にそって南から北へほぼ一直線に流れ、全長は、60Kmあまりですが平均勾配が13/1000という急流です。大糸線は、ほぼこの川沿いに走っています。水芭蕉私と「カタクリ」の花との本当の出会いはここだったと思っています。日に背を向けながらもひたむきに咲く「カタクリ」。花弁も折れよとばかりに、普段は控えめな「カタクリ」もこのときばかりは、まだ肌寒い北風に逆らって咲いていました。姫川源流の湧水は青木湖の水が地下で漏水しているのだと言われています。日本の名水百選にも選ばれています。源流部では、春浅く雪融けを待ってカラマツ林の下に一面に福寿草が開花し、続いてキクザキイチゲ、カタクリ、ニリンソウ、エンレイソウが咲き乱れ、大きな群落をなすヒメザゼンソウのひと際鮮やかな緑の芽生えも、目を楽しませてくれます。また河床は細かい礫になっており、水中にはアオハナゴケやバイカモの群落があり、夏には可憐な梅の花に似た小さな花を川面に咲かせます。また、涌き水近くの川面はオランダガラシで一面に覆われ、川辺には水芭蕉は言ううに及ばず、ネコノメソウやミツガシラも見られます。水深が増すとセキショウモやエビモなどの沈水植物が清流の中に繁茂し、その中に岩魚の泳ぐ姿も見ることができますよ。源流から1km程下流の小姫川左岸一帯は、湿地帯でハンノキ、ハルニレ、ヤチダモ、サワグルミ、タチヤナギなどが林となって、源流にふさわしい景観を作り出しています。そして林原には、エゾアジサイ、エゾユズリハ、ガマズミ、ニワトコ、ハイイヌツゲ、クマヤナギなどが。ともかくお花と植物の自然の大展示場といった感で訪れる季節をいといません。近くの「青木湖」でもキット今頃は「北帰行」に備えて白鳥たちが飛行練習に余念がないことでしょうネ。一度機会があれば是非とも、訪れてみてくださいね。
2005年02月09日
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お花ってイイヨね 4/? 今日は『牟礼水芭蕉園』と併設されている『二輪草園』です~。その前に今日発見しました!「ホトケノザ」です。もうそこまできています!春が!!牟礼水芭蕉園。水芭蕉についての説明・・。水芭蕉は清流の水際に咲いている花で、花が終わると大きな1m位の葉っぱを出します。その葉っぱの形が芭蕉の葉っぱに似ているところから名付けられたのよ。それと白く見えるのは花ではなくて「仏炎包」と呼ばれるもので、座禅草と同じようなものなの。ショウジョウバカマも・・花は黄緑色の棒のような所です。ザゼンソウも同じ仲間なんですよ。分類 サトイモ科ミズバショウ属の多年草。学名は「Lysichiton camtschatcense」。ミズバショウ属には、 他にアメリカミズバショウ(L. americanum)があります。形態 花びらのような白いモノは、実際は葉が変形した物(仏炎苞;ぶつえんほう)。仏炎苞の中央にある円柱状の部分が花序(肉穂花序;にくすいかじょ)で、その表面に小さな花が多数ついています。 ミズバショウには花びらはありません。参考・芭蕉です花が終わった後、本格的に葉を伸ばし始め、花を咲かせる株ならば、最低でも30cm、 大きな株であれば1m近い大きな葉を広げます。少しお勉強です。分布国内.............北海道の沼沢地や兵庫県以北の多雪地域の湿原など湿原に生息する植物ですが、日本の湿原の大部分が北緯36度以北に存在すると言われています。本州での分布は、年平均気温10度以下の地域に限られ(日本水生植物図鑑)、熱帯地方を分布の中心 とするサトイモ科植物の中では独特の生活形を示す植物のひとつ)。多雪地域に分布する理由として、雪の保温効果が予想されています。冬芽が雪に埋もれることによって 刺激の強い寒風のために芽が傷まないようにするのだと思われています。国外.............ロシア(サハリン、千島列島、シベリア東部など)カムチャッカ半島のものは黄色い仏炎苞をつけます(図解植物観察事典)。ちなみにアメリカミズバショウは北アメリカ太平洋岸に分布(南限北緯40度)。 生態花期は低地で4月、高地で7月(日本水生植物図鑑)。個々の小さな花は、仏炎苞が開いてから数日は雌しべしか露出していません。雄しべは花序の表面の下 に隠れています。やがてその雄しべが露出し、雌しべは枯れてしまいます。このような開花の仕組みを「雌性先熟」と呼ぶそうです。 ぎっしりと生える根は収縮性をもち、このため株は年々少しずつ地中に沈み込みます。地下茎の長さを 調べることで株の年齢が判るそうです、大きな株は40年以上生きているそうですよ。 植物が発熱する?多くの人にとって意外なことかも知れませんが、いくつかの植物では、花が咲くときに熱を発すること があります(セイモア)。花が発熱する現象は、ハスや、サトイモ科植物で知られており、とくにザゼンソウが有名です。この植物は、早春の寒さの中で、花は15~35℃の温度を保っていますどうやって?さて、発熱するサトイモ科植物は、どうやってそんな高い熱を発生さているのでしょうか?サトイモ科植物は、花の、ひとつひとつの細胞の中にある「ミトコンドリア」と呼ばれる「エネルギー 発生器官」の働きを活発にさせることで、高い熱を作り出しています(Meeuse,1984)。このとき細胞の酸素消費が大きくなり、呼吸が活発になります。なんのため?では、なんのために熱を出すのでしょうか? これには2つの理由が考えられています。どちらの考えも、虫を誘い寄せるためだとしています1.虫を誘う匂いを、強く放つためです。花を訪れる虫が、その花粉をあちこちに運んでいって、その タネができるのを助けることは良く知られていますね。虫を誘う匂いを、強く放つためです。その匂いを広めるためには、花が温かいと都合がよいそうですよ(ホットコーヒーの方がアイスコーヒ ーより香りがしますね)2.あたたかさで、虫を誘うため 。虫の体温は、とても気温の影響を受け、寒くなると虫は動けなくなるので、温かい花は、虫にとって、とても魅力的ですよね。ザゼンソウでは、発熱は昆虫を誘うという効果よりも、寒い気候の中で花を守るという意味合いの方が強いそうです。ミズバショウは?ミズバショウの話しに戻ります。ミズバショウは匂いもしますし(アメリカミズバショウはひどい悪臭がします)、気温の低い早春に花を咲かせます。発熱する上記の理由が、2つとも当てはまるでしょう。ですが、ミズバショウは発熱しない
2005年02月08日
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お花ってイイヨね3/? やっと「丹霞郷」に到着だあ~ぁ!!アップル街道の八重桜大きなぼんぼりみたいで綺麗だな~。これからがお花一杯で~す。♪あちらこちら迷いながらも車は目的地である丹霞郷にようやく到着しました。桃の開花は例年より、やはりすこし早くピークを少し過ぎた様子です。しかし3000本の桃は中々強烈で、盛りを一歩逃したとはいえ、圧巻です。丹霞郷下の写真はカレンダーに加工したものです。絶景です・・・・。 妙高山 黒姫山お山も綺麗です。それにしてもあまり人がいません。ここいらの人は見飽きているのでしょうか?空気は美味いし。景色はいいし。日よりはポカポカしているし・・・長生きはするもんです。最近写真の失敗が多い私は、なげなしのお小使でデジカメを買いました。風景写真はまだしも私としては、姫の写真だけは大切なものをあつかう様に写しているつもりです。前回2回の写真が駄目だと判った時の落胆ぶりは、可哀想すぎます。山桜八重桜の様な派手さもなく、桜の様にあでやかさもありません。どちらかといえば、控えめで、小振りです。でも私はそんな山桜が大好きです。山の木々に抱かれてひっそりと訪れる季節をまちわび、またゆく季節を惜しむ様に咲き待ちする花です・・・。林檎の花私は嬉しくて仕方がありません。私は何度もこの国にきて、林檎の花を何度もみてきました。そしてその都度「いつか姫と一緒に見たい」と思いこがれていたからです。いつぞや姫からの間違い電話が掛ってきたときは、爺がこの国にいて、丁度花咲き乱れる林檎畑の横を走っていて、「ああ・・姫と見たいものだ」と感慨にふけっているときの事でした。ちょっと季節は遅いのですが、それでも私は満足でした。エゾタンポポ?私は姫のお供をしてかれこれ20年になりますが、色んな姫を見ています。優しくて包み込まれそうな姫。か細くてひ弱で想わず抱きしめたくなる姫。そして勝気で利かないお転婆な姫。数え上げたら限がありません。ですがいつも最後には姫と私は仲直り。一体この二人はどんな仲なのでしょうか?いつか姫は爺やを「空気のよう」と私に語り、私は姫のことを「宝物」と語っていたのですが・・・・。戸隠山 飯綱・霊仙寺合成写真です。逆の方が良かったみたい・・。明日は丹霞郷を後にして牟礼水芭蕉園に向かいます。 明日の前振りです。チョットだけよ。併設されている「二輪草園です」
2005年02月07日
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お花ってイイヨね 2/? 昨日の続きなのだ!「更埴」といえば・・私は「杏(アプリコット)」です。杏の花です。花も綺麗ですし、「実」は6月頃に熟します。それで杏シロップや杏仁豆腐に。中のアンニンという部分には強力なせき止め、鎮静作用がありますし、ベータカロチンがたいへん多いのでジャムや果実酒などにも!!アーモンドの花です。花は桜やアーモンドに似ているし実も桃や梅ともそっくり。花のときによく見きわめておかないと間違えちゃいます。杏の花と実です。「種」は「炭」になり、「備長炭」よりも火持ちが良いのですよ!知ってました?そして長野の隠れた名産品の「自然薯」の産地「松代」に到着です。松代1 PAからの飯縄山・戸隠・皆神山松代2 松代PAから南東方向を見る。潰れたプリンのような皆神山は30万年ほど前の溶岩ドーム。この辺りは第二次大戦末期、本土決戦のために松代地下大本営が置かれました。又、長野県は地震他の天災も少ないために郵政局の郵便貯金の原本も保管されたりしています。松本ICからの美ヶ原・鉢伏山(以下3枚) いまいち写りが良くないですが・・ガマンしてね。梓川SAから梓川SAは上下線とも北アルプスの大展望台であり、実際にそのことで知られています。しかし、実はそれだけでなく、北アルプス、中央アルプス、南アルプスを同時に展望できる貴重な存在です。写真の枚数が多いけどがまんしてね。梓川1 梓川2 松本の市街地越しに南東方向には鉢伏山が。 梓川3 塩尻峠付近の前山の上に顔を出しているのは、北岳、仙丈ヶ岳をはじめとする南アルプスの峰々。撮影している時は北八ヶ岳だと思っていましたが・・。 梓川4 経ヶ岳と木曽駒ヶ岳。これも経ヶ岳を撮影したつもりだったのですが・・・、木曽駒ヶ岳も写っていて再びびっくり。 梓川5 鉢盛山山塊。北アルプスと中央アルプスの中間に位置する広大な山塊。 梓川6SAの展望台から見た常念岳から餓鬼岳に至る稜線。燕岳が樹木に隠されてしまっているのと画像処理を失敗しました・・。 梓川7餓鬼岳から白馬大池に至る稜線。残念ながら多くのピークが雪雲に覆われてしまっています。 梓川8常念岳の拡大画像。日本百名山にもあるように、見事な金字塔ですね。大天井岳は僅かに先端が覗いているだけです。 梓川9燕岳と有明山の拡大画像岩だらけの険しい山頂部が分かれています。 梓川10 餓鬼岳の拡大画像長い稜線が目を引きます。 梓川11 白馬大池火山。白馬大池火山は北アルプスの支稜線上にできたもので、白馬乗鞍岳や風吹岳など溶岩流と火砕流堆積物からなり、白馬大池、風吹大池などの湖が形成されています。画面右端の平らな部分は天狗原と呼ばれ、栂池と同様な湿地で知られています。 左の写真にもある白馬に毎年同じころに現れる雪形の話はどうでしょうか?白馬山系(五竜、八方尾根、白馬、)には毎年同じころに大体同じ場所に同じような形の雪形が現れるそうです。五竜岳東面(五竜岳頂上あたり)に4月中旬頃、武田菱(武田信玄の家紋)が。5月初旬頃八方尾根南面(八方池山荘下あたり)に種をまく人間のような形(長沢武著の「北アルプス物語」の登場人物といわれています)の雪形が。白馬乗鞍南面に4月中旬頃、鶏の形をした雪形が現れます。そして白馬岳と大日岳の鞍部辺りに5月初旬頃、「代掻馬」の形をした雪形現れるそうです。「代掻馬(しろかきうま)」は転じて「代馬(しろうま)」となり「しろうま」が転じて「白馬(はくば)」の名前の由来にもなっているそうです。五竜岳の由来北アルプス立山連峰のなかで、ひと際男性的な山容をもつこの山は、古くは「御領山(ごりょうざん)」と呼ばれていました。戦国時代、信州が武田信玄の支配下に置かれると、この峰に現れる雪形(岩形)が武田家の家紋であり武田菱に似ていることから、御領地の意をこめて「御菱岳(ごりょうだけ)」とよばれるようになりました。五竜岳と言われるようになったのは明治41年からのことだそうです。やっと信州中野ICに到着です(2日もかかった・・)もうすぐアップル街道に入りますれば遅咲きの八重桜が見えま・・・アッ!文字制限です・・そんじゃ~明日に続くの巻き!
2005年02月06日
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お花ってイイヨね1/? 追伸、先ほど専用BBSに嬉しい知らせがありましたので、尻切れトンボの日記で今日はやめておきます。サ~飲むぞ!!ヤッホー!!私はなぜか長野が大好きです。もしかしたら長野の人より長野が好きなのかも・・(言いすぎです)今日から以前訪れた長野旅行記を何回かに分けてUPしますが・・何回になるかは判りませ~ん。今回はほとんどが「お山」ですが・・カンベンね、「看板におお偽りありですゾ~」丹霞郷はまだか~~!長野市北部の牟礼村にある桃の花の名勝地で名前の由来は丹頂鶴が羽根を広げたような華麗さになぞらえて命名された説と、「丹(丹・・古式の桃色)」が霞むほどの多くの桃の花が咲き乱れる様をなぞらえて「丹霞郷」と命名されたとする説があります。いずれにしろ、二重式火山の妙高山や、勇壮な黒姫山を背景に約3000本の桃の花が咲き乱れて見事ですよ。まっすぐに中央道に行けばよいものを、なぜか東名経由です??海老名PAより富士山の高さはご存知の3,776Mです。しかし車では頂上まで行けません。ところが、アメリカでは4,233Mまで車で行ける山があります。コロラドにあるPikes Peakは独立記念日にヒルクライムレース行われる山があり、この山登りレースは2輪車からトラック、サイドカー、そして改造無制限車までカテゴリーがあり、標高2,821M地点から頂上4,233Mまで標高差1,412M ,距離23Kmを約10分で駆け上るアメリカでは1916年から行われている歴史あるレースなのですよ。このパイクスピークレースでは、驚くべきことに日本人が何度も優勝しているのです。 車は御殿場から川口湖、都留を経て中央道へ。河口湖から都留インターへ向かう途上で遅咲きの山桜が僅かですが咲いていました。空は何処までも青く、道は混雑もなく順調すぎるほど、順調です。そして音楽箱からは軽快な音楽が流れ出し、機嫌も上々。しかしいい天気です。前回のお出かけのときは少々肌寒く感じたのですが。もう桜も終わり・・・ああそういえばここいらあたりに「神田の大糸桜」があります。JR小淵沢駅とJR長坂駅の中間あたりの緑の草原の中にまるで翼を広げた様な姿で立って居るのです。是非一度見にお出かけください。 遮るものが無い大空の下にそびえる大樹の背景に、残雪をまとう八ケ岳連峰の白と高原の風に揺れる枝垂桜の淡紅色・・・。空が次第に夕闇の色に暮れなずむとき、ライトアップされた夢幻の姿・・・夜桜の怪しい磁力・・・考えただけでもゾクゾクしてきます。ずいぶんロマンチックな表現です。張り切り過ぎていない??。八ヶ岳です。見れば観るほど勇壮で壮大なお山です。少々お疲れのようなので諏訪SAでも立ち寄りました。諏訪SA1諏訪湖SA2諏訪の町は精密産業が盛んで、中でもオルゴールが有名なのです。愛知県の尾西市もオルゴールでは有名ですね。若かりしころの映画で・・確か・・西尾三枝子と東山敬二のラブロマンスものだったと記憶しているのですが・・が・・・その映画の舞台が尾西市だったと・・確か題名は・・エ~ッと・・ああそうだ!! [街に花咲く乙女たち]とか言ったような・・・。この先の[みどり湖PA]のラーメンがおいしのです。仕事でこちらの方面へ来ることが多かったので良くたべました。そろそろ空腹なので立ち寄りました。みどり湖PAからの北アルプス以前のみどり湖PAは駐車スペースだけの狭く展望があまり利かなかったPAだったのですが、現在では広くなって売店も出来ました。ご覧のとおり展望もある程度得られるようになりましたが、十分ではありません。幸いにしてバス停が併設されているので、PA外へ容易に出ることができます。 まずは北アルプスを代表する山の一つである穂高連峰の拡大画像。残念ながら背後に雪雲が迫り、東側の山稜の一部だけが見えている状態です。 大滝山は常念岳から南に続く稜線上のピーク。北アルプスの主稜線の一つで、東を走っているこの稜線は、大滝山で東西に分かれ、西へ向かう稜線は徳本峠・霞沢岳方面と続き、東に向かう稜線は鍋冠山を経て、手前の黒沢山や天狗岩へと続きます。画面右手に先端が僅かに覗いている赤岩岳は、槍ヶ岳、天井岳を結ぶ稜線上のピークです。 常念岳の拡大画像。松本盆地から見る均整の取れた金字塔とはやや異なる姿です。大天井岳は先端が僅かに覗いているだけ。 常念岳の右手に見える燕岳と餓鬼岳。常念岳から北へ続く北アルプスの支稜線上のピークです。この支稜線は餓鬼岳の北で高瀬川の谷に落ち込んで終わります。鉢盛山は松本盆地、梓川、木曽谷に囲まれた広大な山塊の主峰で,小鉢盛山から西へ続く稜線が、境峠を経て野麦峠の南で北アルプスの主稜線に繋がっていて、一方で南に続く稜線は鳥居峠を経て中央アルプスに繋がっていますが一つの独立した山地と見なしても良いみたいです。ここから信州中野ICまでは長野道、上信越道を北上するに連れ、山岳パノラマが堪能できます。以下の写真は長野に行くたびにとり貯めたものです。わかる範囲で山名も編集しましたが、間違っていたらゴメンネ。やがて車は長野の一つの名所「田毎の月」にほど近い姥捨てに・・姨捨SAの背後には冠着山(1252m)があり、別名を姨捨山といいます、働けなくなった老人を山に捨てるという悲しい姨捨伝説で知られています。塩尻北こちらは塩尻北ICを通過中の本線上から捉えた鉢伏山。前鉢伏山の左上に月が出ています。更埴五里ヶ峰の下を断続する長いトンネルを抜けるといよいよ上信越道は善光寺平に入ります。更埴JCTで長野道と合流する手前で正面に飯縄山が大きく、また戸隠の高妻山が前山の上に鋭い先端を覗かせています。怪無山は飯縄山の側火山、霊仙寺山は外輪山上のピークです。これから訪れる牟礼ニリン草園までの途上に位置します。そして上信越道との合流「更埴JAC」を過ぎます。ここは「杏」で有名な町で「アーモンド」や「桜」の花に似た小さな可愛いお花があたり一面にあふれとても綺麗です。まぁこんな話ですがの・・明日は更埴からだ!!4泊5日の日程か?今回の旅行は?(相変わらず長い前振りですネ~)
2005年02月05日
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川越・喜多院「寒緋桜」今日はおかしなスタイルのままで掲載します。明日修正します。これも「お勉強」なのです。 川越の観光名所の中でも、ことのほか人気の高い喜多院に行ってきました。あまり人が多く混雑しているのは嫌なので午後の五時ころに行きましたが、すでに節分祭りは終了していて閑散としたもので、露天商の方が後片付けをしていました。 川越の喜多院の見所は数多くありますが、独断と偏見で、私は「五百羅漢」と「寒緋桜」が好きです。五百羅漢が作られた時期 「五百羅漢」は日本三大羅漢の一つに数えられます。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明二年(一七八二)から文政八年(一八二五)の約五〇年間にわたり建立されたもので、 十大弟子、十六羅漢を含め、五百三十五尊者のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊、普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で五百三十八体が鎮座しているらしいです。 (数えたことはありませんが・・)。 羅漢(らかん)ってなにさ? インドの古代サンスクリット語で仏教の究極の悟りを得た人々を表すアルハットが中国で阿羅漢と訳され、更に羅漢と省略されたものです。漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味です。鎌倉時代に禅宗とともに中国から入って来た羅漢信仰は、当初、釈迦の命を直に受けた十六羅漢あるいは十八羅漢が対象でしたが、江戸時代の中頃以降に「死者に会える」という信仰およびその庶民性から、釈迦の滅後に経典をまとめた五百羅漢の造像と信仰が流行しました。 また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っています。似ていたお爺ちゃんいましたか?潮音殿 喜多院の本堂である慈恵堂(大師堂)のことを「潮音殿(ちょうおんでん)」とも呼びます。お参りする時に少し上を見上げると、「潮音殿」の額がかかっています。(今回の写真では見えません。ひねくれ者なので側面から映したのです)それは昔、広くて静かなお堂の中に入り正座し、耳を澄ませていると、なんと不思議なことにザザザー、ザザザーと、まるで潮の満ち引きのような音が聞こえてきた、といいます。これには人々も驚き、「まるで潮の音のようだ」というようになり、「潮音殿」といつしか呼ぶようになったということです。罰が当たってはいけません、正面です。(引用) また、大昔、喜多院の近くは見渡すかぎりの大海原でどこへ行くにも舟を使っていたそうです。それを仙芳仙人というお坊さんがお寺を建てるために海の主である竜神にお願いして陸地にしてもらったというお話も伝わっています。喜多院のすぐ近くの小仙波三丁目には「小仙波貝塚」(市指定史跡)もあり、近くまで海水が来ていたことが分かっています。さて「寒緋桜」ですが・・時期はまだ早すぎます(当然です)そこで以前に撮影したものを掲載します。沖縄では桜といえばカンヒザクラ(寒緋桜)を指すらしいですね。九州南部では旧暦の元日に咲くのでガンジツザクラ(元日桜)とも呼ばれるそうです。花は平開せず釣鐘で下垂し、花序は散形状で3枚。花弁は5枚で、濃紅紫色の卵状楕円形で先端に切れ込みが見れます。開花期は喜多院では三月中旬ですが・・。萼筒に花弁と雄ずいが着いたまま落花してしまうのです。最後はお参りですよね画面下のスライダーを一番右に寄せてから読んでください明日修正します。
2005年02月04日
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今日は『心』の鬼と戦ってます鬼は外!!。鬼は外!!
2005年02月03日
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こんなに梅が満開だぁ今日は梅の花全開です!。こんなに寒くてももう「梅」のお花は全開です。一番上の「梅」は、我が家のベランダから望まれた「梅」です。ネ!満開でしょ?。そしてその次はズームで撮影したもので一番上の写真の左の「梅」です。季節は間違いなく「春」の方へ一歩ずつ歩み続けています。天気予報によりますと、ここ2~3日は今年、かってないほどの寒波襲来とのことです。そして過去最大級の「花粉」の飛来が予想されるそうです。大丈夫ですか?皆さんは?でもお花が咲いたり、明るいニュースも届いていますよね。「三宅島」のことです。やっと、帰島されるらしいです。昨日の22時過ぎに第一陣の方々が出発されたそうです。もう皆さんも御存知ですよね?。朝日を浴びた故郷の「島」を万感の思いでキット見詰め続けられる映像が今日の朝のニュースを賑わすことでしょう。でも本当に大変なのは、これからかなのかも知れません。ほんの一例ですが、先日のニュースで見たのです。島の東部は人間が立ち寄らなかった分、随分と自然環境がケアされ、「タカベ」や「伊勢海老」の大群が生息しているらしいのですが、島西部は「泥」や「火山石」が海に流れ込み岩礁に張り付いて生息していた「海苔」や「海藻」を無残にも削り取り、海底は「泥流」で埋め尽くされ「魚」一匹見当たらないほぼ「死滅」状態でした。そしてまだまだ高濃度の有毒ガスが島のいたるところで確認され、全ての人が帰れるまでにはまだまだ時間がかかりそうだそうです。モチロン帰島された方々の生活の糧も・・・。大変なことですが、がんばっていただきたいものです。昨日、私はいろんな方から「励まし」や「激励」のメッセージを沢山頂きました。とても嬉しかったです。そしてなんだか胸が一杯になってしまって、日記を書くことが出来ませんでした。でももう大丈夫です。これからも、自分の感じたことや、日々の些細な出来事を前にもまして、偏見と、独断と、そして助平根性を大いに発揮してパワーアップして書いていきますので、これからもどうぞヨロシクね!
2005年02月02日
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2005年02月01日
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