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突然思い立ってPS2の「想い出に変わる君~Memories Off~」を始めた。購入当時には「Memories Off 2nd」をやっている最中だったのでプレイせずに放置してて、その後に頭の方だけプレイしたものの、他のソフトに目移りしてそのままになっていたのだ。当時のデータが残っているはずだが、どうにも見当たらない。メモリーカードを整理した時に誤って消してしまったのかもしれない。だからと言って悩んでいても始まらない。物語自体すっかり忘れていたので、最初から再プレイすることにした。主人公は、ごく普通の大学1年生で講義をサボって、仲間のたむろする“cubic cafe”という喫茶店に入り浸っている。そんなある日、かつての恋人と、その店で偶然再会するのだが…ゲームは「Memories Off」シリーズの3作目で「Memories Off 2nd」の1年後が舞台となる。当然「Memories Off」や「Memories Off 2nd」と同一の世界観なので、これらの作品のキャラクターが何気に登場する。なんとなく旧友と再会したような気分にしてくれる。これは旧作をプレイしたことのある人だけが味わえる特権だ。特に「Memories Off」のキャラクターには思い入れがあるので、こういう部分は大歓迎だったりする。その反面、旧作のキャラクターを知らない人には「何者なんだ、こいつ」という感じかもしれない(ぇー基本的には、画面に表示されるテキストを読み進めていくアドベンチャーゲームとなっているのだが、時々画面に選択肢が表れる。これを選択をすることでストーリーが分岐するので、適当にテキストを飛ばしながら進めているとシャレにならないこともある(汗メインとなるキャラクターが全員紹介されるまでがプロローグだ。このプロローグが意外と長い。この手のアドベンチャーゲームとしては、かなり長い部類に入るだろう。プロローグが終わったところで力尽きた(ぉぃ…と思っていたら、違った。主人公の状況や世界観が簡単に説明されるまでがプロローグで、それ以降は物語が分岐するまで共通シナリオだった。この共通シナリオで攻略対象となるヒロインと出会うことになる。全員と出会う前に後の分岐に間接的に繋がる選択肢が出るので注意して欲しい。この共通シナリオでの選択肢によって主人公に対するヒロインの好感度が上下して、最終的に好感度が高いキャラのシナリオに分岐する。分岐するシナリオは大別すると3つ。このうちひとつは特定条件を満たすことで発展してトゥルーエンドに繋がるシナリオとなる。また登場するカナタ以外のヒロイン6人をクリアすることでカナタシナリオに入れるようになるので、カナタシナリオをプレイしたい人は全キャラクリアする必要がある。今度は物語を忘れないうちに続きをプレイしたいと思う。
2006/02/28
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かつて東映系列の映画館では、子供向け映画を数本まとめて上映される東映まんがまつりが行なわれた。春休み・夏休み・冬休みの時期に合せて年間3回開催されることもあった。内容は、メインとなる1~3本程度の劇場版オリジナル作品に、テレビシリーズの放送済みの1エピソードを数本加えたものだ。昭和の仮面ライダーの劇場版の多くは、この東映まんがまつりの枠で上映されたものがほとんどだ。もちろん、今回紹介する「五人ライダー対キングダーク」も…立花藤兵衛がタイムを測る中、オートバイレースのトレーニングに勤しむ神敬介。ふたりは、束の間の平和を満喫していた。懸命にバイクで走り込む敬介に、藤兵衛は本郷の姿を重ねて見ているのだろうか。…と、どうしたことか、ストップウォッチの調子が悪い。なにやら胸騒ぎを感じる藤兵衛だった。案の定、ゴッドの襲撃を受ける敬介。だが、襲ってきたのは以前倒したはずの怪人たちだった。Xライダーに変身してこれを迎え撃つ敬介だったが、戦闘の途中で怪人たちは引き上げてしまった。実は、Xライダーの戦闘能力を測るために送り込んだのだ。この戦闘は、密かにゴッドのアジトへ中継されていたのだった。これと前後して都内各地に再生怪人たちが出没し始めるが、帰国した2号ライダーやライダーマンらの活躍により大事には至らずに済む。一方、ゴッドは藤兵衛の経営する喫茶店COLに再生怪人を差し向け、Xライダー打倒を諮るものの、駆けつけた歴代ライダーの前に退却を余儀なくされる。ゴッドのスパイ蝙蝠を逆利用してアジトへ向かう5人ライダーだったが…子供向けながら脚本がしっかりしているため、大人にも物語として充分楽しめるものとなっている。5人ライダーが勢揃いすると言うことで当時の子供達は狂喜乱舞したものだ。だが、1号~V3の変身シーンは過去の劇場版からのバンクを使用したもので、ライダーマンに至ってはテレビシリーズの変身シーンをブローアップしたものを使用している。この部分は、スケジュールの兼ね合いで歴代ライダーの役者を吹き替えにしか呼べなかったためだそうだ。こういった部分は、子供が敏感に嗅ぎ取ってしまうところだけに何とも残念ではある。「仮面ライダーV3対デストロン怪人」に比べて低予算なので仕方ないのかもしれないが…
2006/02/27
■トゥルーラブストーリー 2 (PS/アスキー)かの「トゥルーラブストーリー」の続編であります。正確には今作との間に「トゥルーラブストーリー ~Remenber My Love~」があるのですが、これは1作目のリニューアル版なので「2」と銘打っている今作を続編と位置付けます。とは言っても、おおまかなシステムと絵柄が前作の雰囲気を継承しているだけで、物語に全く前作との接点はありません。システム面での前作との大きな違いは、前作が春・夏・秋・冬の4つの季節に分けられていたのに対し、今回は1学期・2学期・3学期というように学期ごとの3つに分けられていることです。これによって前作以上に学校関連のイベントが盛り込まれています。また4シーズンから3学期に変更になったことで、より一層ひとりひとりのキャラクターを掘り下げて描くようになりました。それゆえ前作以上にキャラクターの描き分けがしっかりしてて生き生きとしています。ただし、その分難易度は前作より確実にアップしています。これは前作に比べて各キャラを深く掘り下げたことから、必須イベントなどが増えてしまったことに起因します。これにより必然的にクリア条件が若干シビアになってしまったようです。まぁ、十二分に許せる範囲での難易度アップなんですけどね。ゲーム自体は比較的短時間でエンディングまで辿り着けます。ハッピーエンドであろうがバッドエンドであろうが、一ヶ月後には別れが待っているのは前作と同様。その辺の設定が強引なのは、御愛嬌ってところですね。そうそう、前作に続いて今作もサポートキャラとして「妹」が用意されています。一部から「妹ゲー」と呼ばれる所以でもあります。
2006/02/26
今日は、先日地上波で深夜放映された「修羅雪姫(1973年版)」を紹介しよう。柴山源蔵という男の元へ紫紺の蛇の目傘の女が訪ねた。刹那、傘の柄に仕込んだ細身の白刃が一閃し、柴山源蔵は絶命した。女は何処ともなく立ち去った。その女が再び姿を現わしたのは、東京の外れにある乞食部落だった。彼女は日本全国の乞食を束ねる乞食の頭領・松右衛門を訪れた。金儲けのため、部落からの立ち退きを迫っていた柴山源蔵は、松右衛門たちにとっては目の上の瘤だった。その柴山源蔵を殺害した彼女は、松右衛門に全国の乞食組織を総動員しての、竹村伴蔵・塚本儀四郎・北浜おこのら3人の探索を依頼する。松右衛門は、彼女にその理由を問うた。彼女が語り始めた理由とは次のようなものであった。明治6年。この年、日本では史上初の徴兵令が布告された。このため、日本中が騒然となり、農民の一揆が相次いだ。そんな時に布告を悪用し、農民から金を騙し取った4人がいた。竹村伴蔵・塚本儀四郎・北浜おこの・正景徳市の4人だ。この4人は、赴任してきた小学校教師を徴兵役人と思い込み、農民から金を騙し取ったことが発覚するのを恐れ、襲いかかった。彼らは、小学校教師の鹿島剛と息子の司郎を惨殺し、その妻・小夜を輪姦すると、村から逃亡し、散り散りになった。小夜は、正景徳市が妻として連れていた。彼女がおとなしくしたがったのには訳があった。もちろん、殺された夫と息子の仇を討つためであった。すっかり小夜に気を許した正景徳市は、ある日小夜に殺される。徳市殺害の罪で無期徒囚となった小夜は、教悔師や看守を誘っては抱かれる日々を重ねた。すべては、子を作り、敵討ちを託すためであった。やがて小夜は、女囚仲間が見守る中、女の子を出産すると「雪」と名付けて息を引き取った。お雪は、間もなく出所した女囚仲間のひとりに引き取られ、元旗本の僧侶・道海和尚の元で、修羅の子として剣術の激しい修業を積んだのだった…お雪の母・小夜の凄まじい半生と、お雪自身の悲壮な決意の前に、松右衛門は快く協力を約束するのだった…「修羅雪姫」と聞くと若い人は、近年釈由美子の主演で映画化された作品を思い浮かべるかもしれない。あの作品の原点となったオリジナルが本作である。時代柄、激しく血飛沫の飛び散る演出は、好き嫌いが分かれるかもしれない。黒澤明監督の「用心棒」のクライマックスを彷彿とさせなくもないのだが、こちらはカラーということもあって、かなりスプラッター表現がどぎついのは否めない。シーンによっては観ている側が痛みを想像してしまいそうにもなる。原作は、小池一雄と上村一夫による劇画。よくも悪くも映像化したものだ。 タランティーノの「キルビル」への影響なども語られているので、ぜひ併せて鑑賞されたい。余談だが、続編「修羅雪姫 怨み恋歌」も翌年に作られている。
2006/02/25

接客用に購入したまま、未プレイだったD3パブリッシャーのPS2ソフト「激闘! 迷路キング」をプレイした。これは同社がPS用のソフトとして発売していたSIMPLE1500シリーズvol.57「THE 迷路」をPS2用にバージョンアップさせたものだ。このバージョンアップに伴って、内容のパワーアップはもちろん、操作性やグラフィック関係も見直されており、単なるバージョンアップに終わっていない。むしろ発展的改良の加えられた続編と呼んだ方が相応しいソフトに仕上がっている。旧作を未プレイなので操作性がどれだけ向上しているかは語れないが、この手のゲームとしてはボタンを押してから画面上の自キャラが反応までのタイムラグが(体感的なものだが)かなり短い気がする。ほんのわずかなタイムラグが命取りとなるゲームだけにこういう点はありがたい。入手できるアイテムも増え、選択の幅が広がっている。これにより、戦略の自由度もかなり高くなっている。その反面、覚えることが増えてしまい、ゲーム自体の難易度を高くしてしまっていることは否めない。特に操作に迷うことのないCPU相手のプレイでは尚更だ。これはチュートリアルとして用意されたステージにも言える。したい行動に応じてどのボタンを押して操作するのか、これを考えることなく(極端な話、脊髄反射で)選択できるようにならないと、このゲームのクリアは相当困難と言えよう。新しいコスチュームをゲットするには戦いに勝ち抜いて優勝する必要があるのだが、それもまた夢だろう。そういう意味では、身体で覚えるタイプのゲームだ。むしろ純粋に接客用のソフトとして操作に不慣れな者同士でわいわい騒ぎながらプレイする方がいいかもしれない。…とはいうものの、この手のゲームの中では比較的操作が簡単な部類に入るようだ。もっと複雑な操作を記憶することを要求するゲームも存在する。この手の類いのゲームを私自身が苦手としているためにそう感じたのかもしれない。
2006/02/24
昨日の「フライトナイト」には続編がある。多くの続編は1作目に及ばないと言われる中、1作目と同等かそれ以上によくできた続編がこの「フライトナイト2 バンパイアの逆襲」だ。物語は、1作目のダイジェストから始まる。そのダイジェストは、主人公チャーリーの回想だ。彼は、精神科医の治療を受けていたのだ。その精神科医の問いかけに次のように答えるチャーリー。「ダンドリッジは、偽祈祷師で殺人鬼だ。エイミーとエドが誘拐されて、防衛本能が彼を吸血鬼だと思わせたのだ」と。精神科医は、よく3年に及ぶ治療に耐えたとチャーリーを誉める。どうやら事件から3年が経過しているようだ(と、映画を観る者はここで知る)精神科医はピーター・ヴィンセントに会いに行くように促す。かつてのチャーリーと同じようにダンドリッジが吸血鬼であると頑なに信じていることや(正当防衛とはいえ)チャーリーの友達エドを倒したことが、チャーリーの心理面に影響していると精神科医は考えていたのだ。彼は、今のチャーリーがピーターに会っても、もう考えは揺るがないであろうと判断したのだった。チャーリーは大学へ進学し、そのキャンバスで出会ったアレックスと今は付き合っていた。そのアレックスを伴って、ピーターの番組収録が行なわれているスタジオを訪ねる。ピーターはというと相変わらずだった。いや、むしろ例の事件を経験したことで、超自然現象が絵空事ではなく実在するのだということを信じた分、熱の入った語りをしていた。収録が終了すると、チャーリーとアレックスはピーターのアパートへ。そこでは、ピーターの昔話を楽しんだ。ふと窓の外に目をやるチャーリー。そこには、柩のような長方形の箱が3つ運ばれる様子が…あたかも3年前のあの事件の時のように。慌てて、その思いを振り払うチャーリー。ピーターの部屋を後にして、エレベーターホールでアレックスを待つ間、3人の従者を連れたエキゾチックな美女とすれ違う。彼女の美しさは妖艶という形容が相応しいものだった。その夜、チャーリーのアパートに彼女が現われる。偶然にしては出来過ぎだったが、彼女に魅了されているチャーリーは不自然さを感じることもなかった。「火を貸して欲しい」という彼女を何の疑問もなく部屋へ招き入れるチャーリー。勢い怪しい雰囲気になってしまい、彼女と唇を重ねるチャーリーだったが、刹那彼女は吸血鬼になって…チャーリーは、悲鳴をあげながら飛び起きた。吸血鬼の夢を見たことで不安になったチャーリーは再び精神科医のもとを訪ねるが、それは正常な証しだと言われる。精神科医は「気分転換にボウリングでもするように」と勧めた。言われるままにテンションも高くボウリングに勤しむチャーリーを、アレックスはクラシックのコンサートへと誘った。チャーリーがアパートへ戻ると、友人のリッチーがネクタイを借りに来る。アレックスとの待ち合わせ場所へ向かうチャーリーは、途中でリッチーを見かける。彼は、あの美女と一緒にいた。妙に気になったチャーリーは後を追ってしまうのだが…簡単に言えば、1作目の吸血鬼ジェリー・ダンドリッジの妹レジーン・ダンドリッジが兄の復讐を試みるも返り討ちに遭う話だ。だが、もちろん物語がそう単純であるはずもなく、観る者をワクワクさせる要素がいろいろと詰め込まれている。とりわけレジーンの連れている3人の従者がなかなか個性的で面白い。加えてチャーリーが物語の前半にレジーンに血を吸われてハーフヴァンパイア化してしまうのだ。この部分が後半の展開への伏線となっていて…そして何よりロディ・マクドウォール演じるピーター・ヴィンセントがいい味を出しており、作品全体を引き締めている。残念ながら現在DVDは入手不可なので、レンタルビデオ店を利用するか、放映された時にチェックして欲しい。
2006/02/23
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たまたま今日の昼間、地上波で放映したようだ。あいにくと観ることはできなかったが、何回となく鑑賞しているので紹介しておこう。平凡な高校生のチャーリーは、ある夜、隣家に越してきたふたり組が、棺のようなものを運んでいるのを目撃する。それを期に女性の悲鳴を聞いたり、隣家の窓に女性の喉にかみつく男を見てしまう。隣家に越してきた男が吸血鬼だと確信したチャーリーは、ガールフレンドのエイミーや悪友のエドに相談するが、まともに取り合ってもらえない。「殺人を目撃した」と警察に駈け込み、刑事を連れて隣家を訪ねるが、応待に出た若い男ビリーに一笑に附される。自分が気付いていることを知られたチャーリーは「吸血鬼はその家の主人に招かれないと家に入れない」という言い伝えを思い出し、慌てて家へ戻る。だが、母親のジュディは、隣家の主人ジェリー・ダンドリッジを招いた後だった。案の定、その夜、ジェリーは彼に襲いかかって来たが、危ういところでなんとか難を逃れた。万策尽きたチャーリーは、TVの恐怖番組「フライト・ナイト」のホストを務めるピーター・ヴィンセントを訪ねて助力を請うた。初めは乗気でなかったヴィンセントだったが、チャーリーが精神を病んだ少年だと思い、一緒に行くことでチャーリーの気が済むだろうと同意した。まっとうな応待のジェリーに「やはりチャーリーの思い違いか」と判断しかけたヴィンセントだったが、ジェリーが鏡に写らない事実に気付き、顔面蒼白になって早々に逃げ出してしまった。一方、ジェリーはまずエドを襲って仲間にしてしまう。次にエイミーを誘拐した。チャーリーは怖気づいたヴィンセントとともに隣家へ乗り込むのだが…なんといってもピーター・ヴィンセントを演じるロディ・マクドウォールがやたらといい。元々はホラー映画の俳優なのだが、すっかり落ちぶれてしまって、今は深夜のホラー番組のホスト役を務めているというありそうな設定だ。あくまでも役者であって本物ではないから、チャーリーの方がよっぽど本物の吸血鬼に詳しかったりする。いざ本物の吸血鬼が存在するという事実に怖気づいて逃げ出してしまう小心さも映画を見ている我々は笑ってしまうが、実際その場に立たされたら大半の人が同じ行動を取ってしまうのではないだろうか。そう思えるだけに何ともリアルに思えるのだ。彼の存在が、この映画を単に「少年が吸血鬼と戦ってこれを退治する」だけの物語にしていない気がする。全体としてはコメディタッチだが、そこそこハラハラできる映画だ。
2006/02/22
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ここ数年凝っているものがある。入浴剤だ。私が幼い頃には「お湯に色がついて、香りがするもの」といった程度の認識しかなかった。実際入浴剤もピンからキリまであって、科学的な裏付けのある薬効が確立してきたのも比較的最近らしい。私がそれを実感したのは、手足の血行不良に悩んだ時だ。血行促進の効果がある入浴剤を使い始めたところ、あっという間に解消してしまったのだ。これがきっかけとなって、色々と入浴剤を使い比べるようになった。その結果、常時4~5社の入浴剤を各社3~4種類ずつ常備している。最近では薬効だけでなく、アロマテラピー効果を期待して色々な香りを楽しむ余裕も出てきた。各社使い比べた上で言えるのは(香りに関しては好みだが)効果に関しては研鑚を重ねた老舗メーカーに軍配が上がると言うこと。特に薬効を期待して使うなら、ツムラのバスクリンの新シリーズ「ピュアスキン」だろう。使ってみればわかるが、本当に肌がしっとりすべすべになるのだ。さすがに長年入浴剤を研究し続けた老舗のメーカーだけのことはある、肌を「しっとりさせる」のと「すべすべにする」のを見事に両立している。たいていの入浴剤の場合、どちらか一方の効果しか期待できない。稀に両方の効果を持たせようとしているメーカーもあるが、実際使ってみるとどちらか一方の効果しか実感できなかったりする。空気の乾燥する季節だからこそ、老若男女問わず使った方がいい。騙されたと思って試してもらいたい。使ってみれば納得できるはずだ。
2006/02/20
■トゥルーラブストーリー (PS/アスキー)かの「ときめきメモリアル」(以下「ときメモ」)と双璧を成す恋愛シミュレーションであります。その独特の絵柄はプレイヤーを選ぶと言われてますが、私は別に違和感ありませんでした。むしろ比べたら「ときメモ」よりも好きかもしれない、そんな作品です。その理由は大雑把に言うと3つあります。まず特筆すべきは、ゲームの所要時間でしょう。このゲームが登場するまで、繰り返しプレイの単調さはイベントなどでごまかしてしまうのが一般的でした。こういった何回も繰り返し遊ぶゲームは、2回目・3回目のプレイが単純な作業にならないことが大切だというのに。ところがこの作品は作品中の時間を一ヶ月間に限定することで、プレイ時間を見事短縮してしまったのです。結果1回のプレイ時間が短いので、繰り返しのプレイが苦痛になりません。次に癖のある独特の絵柄のキャラクターたちが、実にしっかりと描かれていること。こればかりは(いくら文章で褒めちぎったとしても、伝わらないでしょうから)実際やってみて実感して欲しい部分です。プレイしてみて「ああ、なるほどな」と思うはずです。最後の理由が作品の設定です。転校までの一ヶ月間に告白るのがゲームの目的なんですが、これって切ないと思いませんか?ハッピーエンドであろうがバッドエンドであろうが、一ヶ月後には別れが待っているんですから。というより、別れがわかってるのに告白(こく)る主人公って一体…でも口先だけ「切なさ炸裂」といいながら暗黒舞踏を繰り広げるどこぞのゲーム(ぉぃぉぃ)よりも、よっぽど切なさの表現が上手だと思います。心ない人は「告白(こく)り逃げ」と揶揄しますが、当然却下です。
2006/02/20
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何気に「リーサルウェポン4」が観たくなって鑑賞した。夜の街に、完全武装の男が出現した。防弾の装甲に身を包み、火炎放射器とマシンガンで無差別に破壊を繰り返しているのだ。LA市警のリッグスとマータフは、現場へ急行する。犯人の視野が狭いのを見越して接近を試みるが、気付かれてしまい、なかなか近寄れない。やむなくマータフが囮となって犯人の気を引き、その隙にリッグスが犯人の背負った火炎放射器のボンベを狙う。作戦は見事に成功したものの、火を吹くボンベはボバ・フェットよろしく犯人共々近くのガソリンスタンドへ。しかも運悪くそこにはガソリンを満載したタンクローリーが停車していた。もちろん、それらを巻き込んで大爆発したのはいうまでもない。それから数日後、リッグス、マータフ、レオの3人は、マータフのヨットで夜釣りを楽しんでいた。釣果は、2メートル程度のサメ1匹。しかし、今のリッグスには釣果よりも仲間たちと過ごすこんなひとときが心地良かった。そんなリッグスの想いを断ち切るように突然現われた貨物船。あやうく衝突しそうになった、その貨物船に警告しようとした矢先、いきなり銃撃を受ける。どうやら後ろ暗いことがあるようだ。すぐに応戦するリッグスたち。銃撃戦によって、貨物船の甲板に置かれた燃料の詰まったドラム缶に引火、爆発炎上する。その隙にリッグスは貨物船へ乗り移るのだが、一味は船を捨てて逃げ出してしまう。操船する者を失った貨物船は、近くの浜に座礁した。一方、引火して吹っ飛んだドラム缶のひとつがマータフのヨットめがけて落ちてきた。慌てて海へ飛び込んだマータフとレオだったが、沈んでいくマータフのヨットには釣果のサメが乗っていたことに気付く。ふたりは貨物船から下ろされた救命ボートへ必死で泳いだ。到着した海上警備隊と警察の調査から貨物船は密入国者を運んでいたことが判明する。だが、それは大掛かりな陰謀の幕開けに過ぎなかった…タイトル通り、シリーズ第4作めの作品。3作目で登場したローナと同棲中のリッグスは、本作のラストでついに父親となる。そんな感動的なシーンも、その前に繰り広げられるクライマックスの死闘があまりにすごいので印象が薄い。死闘の相手は、ジェット・リー演じるチャイニーズマフィアの若き黒幕クー。さしものリッグスもいささか分が悪い。このクライマックスの死闘は、アクション映画好きなら必見だ。物語冒頭の火炎放射器男のくだりもコメディタッチながら楽しめること請け合いだ。このシーンも含めて、ところどころコメディ色が強くなっているものの、締めるところはしっかり締めているようで、話運びも相変わらず上手い。観出したら、あっというまに物語に引き込まれてしまうだろう。何度観てもハラハラドキドキが楽しめる作品といえよう。
2006/02/19

昨日はどうにも寝付けなくて、テレビのチャンネルをザッピングしていた。大半の人は素直にトリノ五輪の中継を見るのだろうが、メダルひとつ取ることも叶わない現状からとても見る気にはなれず、チャンネルからチャンネルへ。行きついた末に観たのが、この「ソルジャー」だった。実は裏でやっていた「ノストラダムス」を途中まで観ていたのだが、あまりに手堅い演出過ぎて面白味が感じられなかった。そのため、30分ほど遅れて始まった「ソルジャー」にシフトした次第。生まれると同時に将来を定められてしまう未来の社会。戦士に選出された者は、洗脳教育で人の心を剥奪されて、人間兵器“ソルジャー”へと育てられる。“ソルジャー”は、5歳の時点で脱落した者が抹殺され、17歳まで生き残った者だけが頬に戦士番号が彫り込まれる。ベテランの“ソルジャー”である3465のトッドは様々な戦果を挙げてきたが、遺伝子操作によって開発された次世代ソルジャーとの戦いに敗れてしまう。彼は、瀕死の重傷を負ったまま、宇宙の果ての廃棄物投棄惑星に放棄される。無人と思われた廃棄物投棄惑星だったが、そこは遭難した宇宙移民たちが平和に暮らす星だった。彼らの手当てでトッドは、奇跡的に命をとりとめた。戦いしか知らない彼に訪れる束の間の平和。トッドは、人々の優しさに触れて、親子の絆や友の信頼を知る。徐々にではあるが、人間らしい感情が生まれてくるトッド。トッドは、ひとりの幼い少年に毒蛇との戦い方を教える。だが、移民たちは、そんな彼をコミュニティから追放してしまう。平和なコミュニティに“ソルジャー”の存在は危険に見えたのだ。そんな中、トッドに毒蛇との戦い方を教わった少年は、寝ている父親に迫る毒蛇を見事に退治する。彼の父親は自分たちの過ちに気づき、トッドを迎えに行く。トッドに非を詫びて連れ戻そうとした時、宇宙船が飛来する。ようやく救助が来たのかと飛び出す人々に降り注いだのは銃弾だった。かつてトッドを倒した次世代ソルジャーの軍団が、訓練の名目でこの惑星に攻撃を仕掛けてきたのだ。怒りに燃えたトッドは愛する者たちを守るため、たったひとりで立ち向かうのだが…舞台こそ未来の惑星で、SF的な仕掛けが施されているが、中身はいわゆるコマンドーものだ。カート・ラッセルが抑えた演技で主人公のトッドに扮している。感情を抑えた存在なので、少しずつ感情が芽生える様子を表現するのには、かなりの演技力が必要とされる。それらをほとんど目の演技でこなしてしまったカート・ラッセルの力量には感服させられた。こういう難しい役柄をしっかり演じている点は、もっと高く評価してもいいのではないだろうか。物語の骨格がありがちなコマンドーものになっていることから、不当に低く評価されがちな本作だが、幼い子供とトッドの触れ合いなどハートフルな見所も多い。しっかりカタルシスの発散できるラストなので、安心して鑑賞できること請け合いだ。
2006/02/18
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本日は「ゼブラーマン」を紹介しよう。八千代区在住の小学校教師、市川新市の家庭は崩壊寸前だった。妻は不倫に走り、息子は学校でイジめられっこ、娘はどこかのオヤジと援助交際をしていた。さらに自分の受け持ちクラスの生徒からは冷めた目で見られ、学級崩壊も寸前の状態。新市の唯一の楽しみは、34年前に放映され、7話で番組打ち切りとなった幻のヒーロー番組「ゼブラーマン」のコスチュームを着ることだった。記憶を頼りにゼブラーマンのコスチュームを自作、その格好でこっそりと夜の街を歩いては、ひとり悦に入っていた。ところがちょうどその頃、八千代区では様々な異変が起こっていた。噂では、UFOが墜落したらしいという。そんなある日、新市のクラスにひとりの少年が転校して来る。ひょんなことから、その少年がゼブラーマンの熱烈なファンであることを知った新市は、ゼブラーマンの話題で意気投合する。半ば強引に少年の家へ訪問した新市は、少年が母ひとり子ひとりの家庭環境であることを知る。ある夜、いつものようにゼブラーマンの姿でこっそりと散歩を楽しんでいた新市は、謎の怪人“カニ男”と遭遇してしまう。なりゆきで乱闘となり、激戦の末その怪人を倒す新市。実は、その怪人は宇宙人に寄生された人間だった。地球侵略を目論む宇宙人が寄生していたのだ。そんなこととは露知らず、ビビリながらも本物のヒーローとして怪人と戦うことに喜びを見出した新市だったが…監督に三池崇史、脚本が宮藤官九郎、主演に哀川翔と最強の取り合わせで作られたヒーロー映画だ。昔見たテレビ番組のヒーローに憧れて、そのコスチュームを作り、こっそりそれを着てヒーローになりきることでストレスを発散していた男が本物のヒーローになるまでを描いた成長の物語でもある。主人公が34年前に観ていたテレビ番組の「ゼブラーマン」は冴えない小学校の教員という部分に主人公が自分を重ね合わせている部分が物悲しくも共感を呼ぶ。肝心のヒーローのゼブラーマンがどことなく哀愁を帯びた雰囲気なのも、そんな部分を反映してのことだろう。哀川翔と正義のヒーローという一見結びつきにくい題材を見事に融合させた手腕は評価に値すると思われる。聞けば「我が子に見せられる作品を残したくて、ヒーローを演じた」という。アラン・ドロンが我が子にせがまれて「アラン・ドロンのゾロ」を製作したという逸話を彷彿とさせるエピソードだ。
2006/02/17
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先日地上波で放映されたのを観たが、紹介し忘れていた(殴釜山市全域で原因不明の火災が頻発していた。85分署の消防隊員のサンウは、かつて火災現場で自分をかばって犠牲になった親友の死を悔やみ続けている。彼は、自分の命を惜しまぬかの如く猛火の中へ飛び込み、無謀とも思える救助活動を繰り返している。それに付き合わされる後輩はいい迷惑だ。このままでは生命がいくつあっても足りない。後輩はコンビの解消を願い出る。一方、保険調査員のミンソンは、次第に放火の可能性を疑う。が、警察の非協力的な姿勢もあって、なかなか決定的な証拠を掴めない。そんな中、85分署に匿名の通報がある。ガソリンスタンドで火災だというのだ。大急ぎで駆けつける消防隊だったが、ガソリンスタンドに火事はなかった。念のためにと調べ始めたサンウたちの目の前で、突如ガソリンスタンドの地下タンクが大爆発を起こす。サンウは、火災現場のやじ馬の中に不審な行動を取る男を見つける。後を追うが、逃げられてしまう。その後もサンウたちをあざ笑うかのように正体不明の放火犯は、街中で放火を繰り返すのだが…世間では“韓国版バックドラフト”などと揶揄されているが、私は「バックドラフト」よりも面白く感じた。もちろん、筋書きの矛盾や破綻などが多少はある。だが、それ以上に物語としての勢いがあり、楽しんで観ることができた。韓国映画では我々日本人が思うよりも丹念に描くことの多い泣かせるシーンも控えめにしてあったり、憎むべき悪役が単なる悪党でないところなどもなかなか工夫しているようだ。また、途中まで主人公格かと思っていたサンウの後輩が、あっさりと爆弾で殺されてしまう辺り、なんとも思い切りのいい展開だと感心した。日本の作品では怪我をしても死ななかったりするし、ハリウッドの作品では爆風に吹っ飛ばされながらも助かってしまったりする場面だ。こんな部分にもこだわりが感じられるようで好ましい。余談だが、タイトルの「リベラ・メ」はラテン語で「我を救い給え」という意味だ。意味深く登場人物に重なってくるので、頭の片隅にこの言葉を置いて観るとまた違った印象を受けるだろう。
2006/02/16
■スーパーロボット大戦α (PS/バンプレスト) 最初に言っておきますが、これからこのゲームをやろうと思っている人は何も言わずにPSの「スーパーヒーロー作戦」をやっておくこと。その上でこのゲームをやると「ああ、なるほどな」と思うはずです。その理由はこれから述べていきますが、流石にネタばれしちゃうかもしれないので、それが困る人は以下の文章を読まない方がいいと思います。今回のスーパーロボット大戦って、たしか今までのシリーズの物語はなかったことにしての仕切り直しでしたよね。でも、実はそうじゃなかったんですね。作中では簡単な説明のみで終わっている“クロスゲート・パラダイム”というタームが、その答えを持っています。つまり今まで色々なハードで発表されたスーパーロボット大戦は、細部が異なる並行世界のひとつを切り出して描いたものであり、各作品は同じ時間軸にそれぞれ並行して存在している、というものです。これは、作品中でも登場人物がたびたび「あれ? 前にもこんなことなかったっけ」というような意味合いの会話を交わしていることからも明らかです。まさに全肯定の大判振る舞い。しかも先ほどの「スーパーヒーロー作戦」のストーリーが密接に関わってきます。この「スーパーヒーロー作戦」のデフォルト状態での主人公の名前を知っていますか?男性キャラを選ぶとイングラム・プリスケン、女性キャラを選ぶとヴィレッタ・バディムになります(!もちろんこれは偶然の一致ではありませんし、キャラクターの流用でもありません。なぜなら「スーパーヒーロー作戦」にはSRXチームやR-GUNもしっかり登場しますし、秘密結社「バディム」も登場するのですから。駄目押しするなら“クロスゲート・パラダイム”ってタームもちゃんと出てきますし、ユーゼス・ゴッツォその人もずばり登場します。違うのは、スーパーロボットたちの代わりにスーパーヒーローたちが活躍するって点ぐらい。口の悪い奴は当時「スーパーヒーロー版のスーパーロボット大戦」と訳のわからない揶揄をしたものです。おまけにエンディングには英文字で「スーパーロボット大戦αにつづく」って出てるし…ってことは、今回の「スーパーロボット大戦α」って「スーパーヒーロー作戦」の続編!?
2006/02/15
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先日地上波にて放映された「CASSHERN」をようやく鑑賞することができた。言わずと知れたアニメ「新造人間キャシャーン」を実写化したと言われている作品である。監督は、宇多田ヒカルの夫として知られる、紀里谷和明。50年もの長き大戦の果てに、世界は大亜細亜連邦共和国とヨーロッパ連合という、ふたつの陣営に分かれていた。長い戦いの末に、大亜細亜連邦共和国は勝利し、東アジアのユーラシア大陸一帯を支配するに至った。だが、その勝利がもたらしたのは、人心の荒廃、化学兵器と細菌兵器や核がもたらした薬害やウイルス、放射能などの後遺症と荒れた大地だけであった。反乱勢力とのゲリラ戦が活発化する中、学会で解決策を提唱する人物がいた。東博士である。彼は人間のあらゆる部位を自在に造り出す「新造細胞」理論を提唱し、援助を仰ぐ。実は難病に苦しむ妻ミドリのために、東博士はこの研究をどうしても実用化したかったのだ。既得権を奪われまいと、博士の理論を却下する保健省。しかし、軍部は細胞学の権威・東教授が提唱する「新造細胞」理論に注目する。その理論を私欲のために利用したいと考える軍関係者がいたのだ。こうして軍部の援助により、研究は始まった。研究はあと一歩のところまで漕ぎつけるのだが、ミドリの病は進行し、彼女の視力を奪っていた。焦りを感じる東博士。そんな折、志願兵として戦地に赴いていた東博士の息子・鉄也の訃報が届く。彼の遺体は軍の研究所にいる東博士の元へ運ばれて来るという。知らせを受けたミドリも研究所へ向かう。一方、研究所では突然の落雷で、実験場から新生命体・新造人間が生まれてしまう。細胞として培養していたはずが、落雷による暴走から人間が作り出されてしまったのだ。予想外の事態に軍部は、新造人間を処分しようとする。次々と殺されていく新造人間。この人間の所業を目の当たりにして、生き延びた新造人間たちは人類への復讐を開始する…はっきり言って賛否両論に分かれる映画だ。元となったアニメの「新造人間キャシャーン」を知る者には承服し難い代物だといえる。アニメとは別物と考えて云々という意見も耳にするが、それは全くの的外れだ。別物なら、わざわざ「キャシャーン」にする必要はない。キャシャーンを名乗るなら、オリジナルで説明しきれていない部分を補完し、その上で物語を構築すべきだと思う。オリジナルの持つ基本的な要素を損なうことがあってはいけない。本作のようにオリジナルの要素から都合の良い部分だけを抜き出してまとめあげたのでは、リメイクと考えても二流だ。いや、はたしてリメイクの域に達しているかどうかさえ怪しい。長編映画は初メガホンとは言え、あまりにお粗末だ。それは、映画としての作りにも言える。引いた画とアップの使い方がうまく噛み合っていないために、画面の中での人物の動きが大変わかりにくいものとなっている。しかもところどころ画面をモノクロームにしてしまうため、その傾向に拍車をかけている。CGの使い方にセンスがあるだけに惜しい。氏の履歴には渡米して映像を学んだとあるが(映像自体は学んでいても)映画に関してはあまり勉強していないということを物語っているようだ。この作品を評して「斬新」などと誉めるのは、まさに無知極まりない行為といえるだろう。この監督、やはりPVのような映像の方が向いているのではないだろうか。
2006/02/14
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今日は、何度となく取り上げようとして断念していた「大脱走」を取り上げよう。第2次大戦も末期にさしかかった頃。ドイツはサガン近郊にある独軍第3捕虜収容所に移送されてきた連合軍の戦争捕虜がいた。彼らの大半は、過去に何度も脱走を試みた筋金入りの脱走常習者ばかり。その処遇に手を焼くドイツ軍は、特別な監視体制の下へ彼らを集めて脱走を防ごうと考えていた。捕虜のひとりイギリス空軍大佐ラムゼイは、所長の独空軍大佐フォン・ルーゲルに対して「脱走は敵軍を撹乱させるため、我われに残された任務である」と主張する。そんなやり取りがあろうとは露ほども気にかけず、所内に入ると周囲をくまなく点検捕虜たち。隙あらばすぐにも脱走しようというのだ。彼らは、所内の工事に狩り出されてきたロシア人捕虜に混じり、脱走しようと企てた。もちろん、それも失敗に終わる。監視するドイツ軍もそうは簡単に脱走はさせてはくれない。過去17回もの脱走歴を誇る米空軍のバージル・ヒルツは、周囲を取り囲む有刺鉄線の真ん中に監視塔の死角を見つける。彼は、おもむろにボールとグローブを取り出すと、ボール遊びを始めた。そして、わざとボールを取り損ねる。ボールは転がり、鉄条網の下へ…さり気なくボールを拾う振りを装って鉄条網に近づく。もちろん、監視塔の見張りは誰も気付かない。だが、あと少しというところで、折悪く巡回して来た監視兵に見つかってしまう。彼は、到着早々独房送りとなってしまう。その後も機会あれば果敢に脱走に挑戦し、失敗して独房送りとなるヒルツ。いつしか、ヒルツには独房王(クーラーキング)と呼ばれるようになった。数日後、イギリス空軍中隊長のシリル・バートレットがゲシュタポに護送されてきた。バートレットの姿を確認したイギリス軍将校たちは、慌しく動き出した。実はバートレットこそが、これまで多くの脱走計画を指揮してきた“ビッグX”だったのだ。バートレットの脳裏には、既に脱走計画ができていた。その夜、バートレットは仲間たちを集めると、脱走計画を話し出した。それは、書類や通行証と身分証明書などを偽装して、周到な準備で250人が脱走するという壮大な計画だった…何度となくリバイバル上映され、地上波はもちろん、BSやCSでも繰り返し放映される名画中の名画だ。よもや観たことのない人がいるとは考えにくい。もしもまだ未見の人がいるのなら、迷わず観ることを勧める。脱走劇はあたかもゲームのように互いの知恵比べなのだ。本来は血なまぐさいはずの戦争をここまで知恵比べに置き換えて描いた作品も珍しい。しかもこれが実話に基づいていると言うから驚きだ。実際、この脱走によってドイツ軍は捕虜の捜索に7万もの兵士を投入せざるをえなくなったという。そういった部分からもこれが名作と呼ばれる所以なのかもしれない。
2006/02/13
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視野の範囲ギリギリを何かがよぎることはないだろうか?気になって振り向くが、そこには何もいない。合理的な説明をつけたがる人々は、気のせいだとか、飛蚊症だとか、よく調べもせずに決めつける。だが、もしもその説明が間違っていたら、彼らはどうするのだろう。知らん顔を決めこむのか?もしかしたら、我々が思うよりずっと身近に超自然現象は潜んでいるのかもしれない。そして、それが牙を向く時、我々は本当の恐怖を知ることとなる…最近はホラー映画への出演が続いている女優・原瀬京子は、呪われた家をレポートするテレビの心霊特番に出演した。関わった者たちの悲惨な死や行方不明が後を絶たない“呪われた家”のレポートだ。その夜、彼女は婚約者の石倉将志が運転する車に乗って家路へと向かっていた。結婚を控えた京子のお腹には、既に将志の子が宿っていた。将来の話に花を咲かすふたり。途中、車は何かを轢いてしまう。車を止めて確認すると、轢いたのはどうやら猫のようだ。将志は車を発進させるが、京子は将志の足元にいるものに気付く。続いて将志も“それ”に気付くが、車はコントロールを失い、壁に激突して大破してしまう。この事故で将志は意識不明の重体となり、京子もお腹の子供を流産してしまう。しかし、数日後にかかりつけの産婦人科で主治医から「お腹の赤ちゃんは順調に育っている」と告げられる。彼女の知らないところで何かが始まろうとしていた…一方、テレビでレポーターをしているタレントの三浦朋香は、自宅のマンションで毎晩夜中の同じ時刻になると聞こえてくる物音に悩まされていた。彼女の部屋は、角部屋で音の鳴る壁の向こうには何もなかった。その音は、毎晩12時27分になると聞こえてきた。不気味に感じた彼女は、恋人の山下典孝を部屋に呼ぶのだが…前作が心理的に怖いホラーであったとするなら、本作は生理的に怖いホラーかもしれない。匂いとして感じ取れるような怖さなのだ。こればっかりは、どれだけ言葉を重ねても伝えるのはむずかしい。説明されるより見ちゃった方が早いのではないかと思う。前作同様、というか、それ以上に逃げ場のない怖さが追いかけてくる。個人的には、前作の怖さの方が好みであるのだが。まぁ、この辺は観た人それぞれだろう。前作と併せて観ることで怖さが倍増するのは言うまでもない。ぜひ覚悟を決めて鑑賞して欲しい。高い評価も頷けるはずだ。
2006/02/12
既に報道されているので御存知の方も多いと思うが、テレビ朝日系列で放映している「大改造!!劇的ビフォーアフター」が3月でレギュラー番組として終了するという。同番組は視聴者から依頼を受け、古くて使い勝手の悪い家などを「匠(たくみ)」と呼ばれる一線の建築設計士が大胆にリフォームするというもの。ところが、昨年、アスベスト関連法が施行され、家の解体にはアスベストの調査・分析に時間がかかるようになった。これにより、1軒のリフォームに半年かかるようになり、週1回の番組としての制作が困難になったのが原因らしい。私は比較的最近この番組を見るようになったので、特別この番組には思い入れはない。とはいえ、番組に登場する家族がリフォームされた家を引き渡されるシーンは、なかなか感動的に思う。おそらく視聴者の大半も同じような想いから見ているのではないだろうか。そういう部分では少し残念でもあるのだが。唯一毎回思うことがある。リフォームと言いつつ、リフォームの範疇を遥かに超える大改築が行なわれているのだ。ひどいものになると、元の家は骨組みだけしか残らない。これでは新築と変わらないのではないだろうか?また骨組みだけになった時点で、骨組みや土台に欠陥が見つかり、そこからやり直すケースもある。これなどは、間違いなく新築だ。このリフォームという言葉の定義が曖昧な点は、なんともすっきりしない部分として引っかかる。新築とほとんど変わらない改築が本当にあの値段で可能なのか?視聴者の多くもその辺は大変気になることだろう。
2006/02/11
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本日は、ハマーフィルムの「魔獣大陸」を紹介しよう。一隻の船が、アフリカから南米のカラカスへと向かっていた。貨物船カリタ号である。本来は貨物船だが、金さえ払えば乗客も運ぶ。乗り合わせた乗客といえば、訳ありの連中揃い。没落した独裁者の情婦で国を追放された女、悪徳医師、不良少女、アル中…と一癖も二癖もある連中が乗り込んでいた。航海を続けているうちに船は暴風雨警報を受ける。なんとか乗り切ろうとするも、船底への浸水を知るや否や船からの退船を命じる船長。実は、船には10トンを越える亜リン酸を積んでいたのだ。亜リン酸は水に濡れると爆発する危険な薬物だ。船長は一獲千金を夢見て、亜リン酸の不法輸送という仕事を請け負っていたのだ。一行は救命ボートに乗り移ると、嵐の中へ漕ぎ出していった。どうにか嵐をしのいだものの、漂流は数日間に及んだ。その間にアル中のタイラーは酒を切らして半狂乱となり、悪徳医師のウェブスターは海に落ちて大鮫に食べられてしまう。そんな彼らの前に乗り捨てたはずのカリタ号が姿を現わす。船は沈まなかったのだ。喜んで再びカリタ号へと乗り移る一行。だが、それも束の間。カリタ号は、いつのまにか魔の海に迷い込んでいたのだった…つい最近までは「ハマー・フィルム怪奇コレクション SFアドベンチャー編」というDVDボックスを購入しなければ、鑑賞もままならない状態だった作品。いわゆる海洋冒険ものだが、かなり癖のある作風の演出で、好き嫌いの大きく分かれる作品だ。怪異な生物がいろいろ登場するが、ハリボテ状であったり、動きが単調なため、見劣りするかもしれない。だが、物語自体はあまり複雑な話ではないので、それなりに見られる。作り手の目で見ると、やりたいことはわかるのだが、技術がなくてできなかったという点がよくわかる、愛すべき作品でもある。単品リリースされたばかりなので、比較的鑑賞しやすくなったはずだ。ぜひ未見の人は鑑賞してみて欲しい。
2006/02/10
何らかの事情で更新できなかった日のエントリーを「建設予定地」として確保しておくことにした。「建設予定地」のエントリー本文には(このエントリーには後日記事をアップする予定です)と表記。これは、このブログの仕様が前月までしか遡って記事をアップできないための苦肉の策である。(一度アップしているエントリーは、数ヶ月を経てもタイトルや本文が変更可能なため、ある意味裏技的手法かもしれない…)もっと早くこのようにすべきだったと痛切に反省する次第。
2006/02/10
本日は、川越の蔵造りの街並みと菓子屋横丁へ。古い街並みと言うのが結構好きで、旅行をした時に時間があるとよく散策する。川越は首都圏に比較的近いこともあって、意外にもゆっくりと散策したことはなかった。のんびりと散策するつもりだったので、バスを使わずに川越駅から歩いて行った。無論、徒歩で行くには、かなり距離がある。とはいえ、歩けない距離ではない。少なくとも健脚には自信があったので、バスは使わなかった。途中で簡単な昼食を取り、なおも歩みを進める。風が強く、少しばかり寒い。蔵造りの街並みにさしかかる辺りで少し後悔。人力車もあったのだが、誰も乗っていない。乗ったら相当目立つこと請け合いだ。流石に目立ちすぎるのもどうかと思い、思い留まる。そうこうしているうちに菓子屋横丁に到着。店々を眺めながらまわる。いくばくかの駄菓子を買いながら、見て歩くのも楽しい。帰りは名所巡回のレトロバスで一気に駅へと向かった。たまにはこんな一日もいい。
2006/02/09
あなたは、『超』怖い話を御存知だろうか?同名の書籍のことではない。テレビドラマの話だ。そう、『超』怖い話がテレビドラマ化されたのだ。以前紹介した「連鎖怪談」の後番組として始まったのが、この『超』怖い話だ。基本的に一話完結で進むが、各話を繋ぐカタチで登場するのが、心霊話を収集する三島という男だ。この男、役場に勤めているのだが、怖い話を集めるのが趣味だったりする。その趣味が時として家庭生活よりも優先されるため、妻は夫に不満を持っている。男には一人娘がいるのだが、この娘も問題を抱えている。不登校なのだ。このように家庭に様々な問題が山積することから、妻は半ばノイローゼ状態になりつつある。しかし、男は家庭を全く顧みない。男には霊感がないらしく、怖い話の取材中に霊的な現象に遭遇しても気付かなかったりする。一方、不登校の娘には霊感があり、男が知り得ない事件の顛末を見てしまったりする。そんな綱渡りのようなバランスの家庭から、あたかも逃避するように男は毎回心霊現象の起こった場所へ赴き、怖い話を取材するのである。この基本設定からして、見ている側まで不安になってくる。安定感がないのだ。活字の恐怖は読み手のイマジネーションに委ねられる部分が大きいが、映像の恐怖は見せ方ひとつにかかってくる。ましてや原作と比較されたら、かなり厳しい評価に晒されるだろう。そういった意味でも見る前は心配だったが、それは杞憂に終わった。かなりテンポよく、ぼかすところをぼかしながら、恐怖を描き出すことに成功している。まさにタイトル通り、『超』怖い話なのだ。放映開始日をついうっかり失念していて第2話からの視聴となったが、一話完結のスタイルであったため、難なく物語に入り込めた。現在放映は、第5話ぐらいまで進んでいる。全12話の予定なので、視聴開始はお早めに。制作は、KBS京都・TVK・テレビ埼玉・ちばテレビの4局が共同で行なっている。つまり視聴は、この4局のいずれかが見れる地域、またはこの4局のいずれかが見られるCATVと契約している人に限られる。見られない人は、DVD化されるよう祈ろう。
2006/02/08

D3パブリッシャーのPS2用ソフト、SIMPLE2000シリーズの「THE ピンボール×3」をひさびさにプレイした。このゲームは、かなり個性的なフィーチャーを有する3種類の台が用意されたピンボールゲームだ。よくテレビゲームのピンボールをゲームセンターのフリッパー(本物のピンボール)と比較して全然違うと否定する人がいるが、これはナンセンスな比較だ。ゲームの中の仮想現実と現実が同じ訳ないではないか。そんな簡単なこともわからないのかと嘆きたくもなる。したがって、ここでは実物のピンボールに比較してどうとか言う気は毛頭ない。要はゲームとして楽しめるか否か、それでいいのだと思う。難しい理屈なんて必要ないのだ。脱線ついでに語っておくと、私と家庭用ゲーム機のピンボールゲームの出会いは、PCエンジンに遡る。当時、ナグザットからPCエンジン用ゲームソフトとして販売されていた「デビルクラッシュ」が最初だったように記憶している。メガドライブにも移植されたので記憶に残っている人も入るだろう。これは同社の「エイリアンクラッシュ」というピンボールゲームの第2弾に当たる。ソフトの開発を担当したのは、あのコンパイルだ。完成度の高さは、言うまでもない。テレビゲームならではの、現実にはありえない多彩なフィーチャーにすっかり魅了されてしまったのだ。それゆえに、私のピンボールゲームの評価基準は「如何に個性的かつ楽しめるフィーチャーをバランスよく取り入れているか」が優先される。決して「実機に近いか否か」は評価基準にならないのだ。閑話休題。この「THE ピンボール×3」には3種類の台が用意されている。ひとつめは「Attack the Dragon」これはファンタジーの世界をモチーフとした台で、一定条件を満たすと巨大なドラゴンが現われる。このドラゴンにボールを当てて倒すことで高得点がゲットできるようになっている。ふたつめは「Love Songs アイドルとピンボ~ル」この台は同社の恋愛アドベンチャーゲーム「Love Songs アイドルがクラスメ~ト」をモチーフにしており、同作品のヒロインが各種ボーナスを獲得していくことにより登場する仕掛けになっている。みっつめが「Operation Thunder Storm」これは、戦場を舞台としたシリアスな戦闘がモチーフとなった台で、各種ボーナスを獲得していった後に出現する敵側の最終兵器を倒すことで高得点を得られるようになっている。難易度で言えば、みっつめの「Operation Thunder Storm」が一番難しいかもしれない。私が一番遊ぶ台は、ひとつめの「Attack the Dragon」だ。巨大なドラゴンの演出ももちろんだが、そのドラゴンを倒した時の爽快感は何とも言えない。どの台を選んでもマルチボールプレイは、可能となっている。(台ごとに条件は違うので、その点だけ注意するように)いずれにしても値段の割に楽しめると思う。私的には十二分に元が取れた。だいたい楽しくなければ、何度もプレイしたりはしないだろう。繰り返しプレイするのは、楽しめる証拠だ。
2006/02/07
昨日は、PS2のメモリーカードのデータの整理をしていた。「すぐに終わるだろう」と思って始めてしまったのが運の尽き。PSのメモリーカードと違って「所持枚数が少ないから」と油断したのも敗因のひとつだろう。データのコピーや不要なデータの削除にかかる時間はPSよりかなり早いのだが、それでも意外とかかるものだ。更にひとデータごとに確認しなければならないものもかなり存在した。そういうものは、いちいちソフトをセットして、何故ここでセーブしてあるのか確認しなければならず、この作業が輪をかけて時間を費やすこととなった。結果、予想以上に時間がかかってしまったのだ。大幅に予定が狂ったのは言うまでもない…(泣
2006/02/06
あっちこっちのサイトで語られている電気用品安全法。今回はこれについて少し考えてみたい。あなたは電気用品安全法というものを御存知だろうか?ほとんどの人は知らないか、今回のPSEマーク騒動で知ったというのが大半だろう。電気用品安全法は、平成11年に電気用品取締法(旧法)が改正されたもの。施行は、平成13年4月1日からだ。この法律の対象となる電化製品には、PSEマークを表示することが義務付けられている。電化製品による事故を防ぐため、一定の安全基準を満たしていることを示すマークだという。これだけ聞くと決して悪いものではないように感じられる。だが、問題はそこではない。このPSEマークがついてない製品の扱いだ。法律でPSEマークのついてない電化製品の販売を認めないというのである。PSEマークがつけられる以前の電化製品は、中古であっても販売することができなくなる。もちろん猶予期間というものが設けられていたのだが、そもそもこの法律自体の存在が一般の人は知らなかった訳で、猶予期間が猶予期間として機能していなかったとも言える。また猶予期間自体も最短のものは5年と短く、仮に告知が徹底されていたとしても問題があることは明白だ。経済産業省は(告知の不徹底こそ認めたものの)強行する姿勢を崩していない。古い電化製品による事故を未然に防ごうという意識は正しいと思うが、電化製品の種類によっては、もっと規制緩和する必要があるのではないだろうか。web上で一番問題視されているのは、中古のゲーム機だ。既に生産されていないものばかりなので、中古に頼るしか入手が難しいというのに…ゲーム機の場合、特に問題となる部分はACアダプターだという。ここが電気用品安全法の規制対象に含まれるのだ。この影響で既にほとんどの中古ショップで2月から買い取りを止めているという。また同じように問題視されているのが、ビンテージものの楽器だ。これも同じように電気用品安全法の規制対象に含まれるという。杓子定規に電化製品を取り扱おうとする安直な法律のせいで、いくつもの文化が日本国内から失われようとしている…何か間違っているのではないだろうか?経済産業省によると同法は、個人売買に関しては対象外だそうだ。つまりフリーマーケット等で個人的に売る場合は規制されない。ただし販売数が多い場合は業者と見なされて規制を受ける可能性があるという。また同様にネットオークションも対象外となるらしい。これも販売数が多い場合、業者と見なされて規制を受ける可能性があるとか。一見、抜け道のように思われるが、実はそうではない。フリーマーケットの場合もオークションの場合も主催者側が販売を規制する可能性があるのだ。これは個人で出しているのと業者が出しているのを判別できないためだ。そのため、これは決して抜け道とはなり得ない。だいたいPSEマークの有無による安全性は、本当に信頼できるものなのだろうか?おそらく各家電メーカーはPSEマーク導入前も自主的に安全基準を定めて満たしていたであろうし、その安全基準自体法律で定めた安全基準とそう大きくは変わらないような気がする。むしろPSEマークがついているからといって、盲信することの方が危険なのではないか?PSEマークがついているからといって、100パーセント安全が保証されているというものではないだろう。今の時代、環境を考えてエコとかリサイクルが盛んに叫ばれている。中古は、リサイクルの一環なのだ。このリサイクルの輪を断ち切ってしまうのが、今回のPSEマークだ。これは時代に逆行するものだ。この法律の施行によって、中古電化製品をメインに扱っている業者の大半は、業務が成り立たないという。しかも中古業は、取引先や届出の関係などから簡単に取り扱い商品を変更できないのだ。運良く取り扱い商品を変更できても前月と同じような売上は期待できない。既にその商品を販売している中古業者が存在しているからだ。結果、路頭に迷う者が出たり、首をくくる者が出てくる可能性は極めて高い。いつから法律は、社会的な弱者に牙むくものとなったのだろう。否、決して法律は弱者を責めるものであってはならないはずだ。どんなに良法でも、それを施行することで生活できない人が生じるなら、その人たちに対する策を事前に講じるべきだろう。このままでは、電化製品メーカーを優遇する悪法となりかねないし、経済産業省主導の中古業者潰しと見られても仕方ないだろう。本来は、電化製品の安全性を確保するために改正された法律なのに、大半の人は不利益しか被らない法律。いったい誰のための法律なのだろうか。この法律で得をするのは、家電メーカーしかいない。中古をなくして、PSEマークのついた製品を買わせようという思惑が見え見えだ。そして何年かして今度はPSEマークのついた中古電化製品が増える頃、また法律が改正されて新しいマークに変わるのだろう。何やら家電メーカーと経済産業省が結託しているように思えてならない。
2006/02/05
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今日はCSで「スズメバチ」をやっていたので鑑賞した。舞台は(おそらく)現代。パリ祭を控えたフランス北東部の街ストラスブール。窃盗団が大掛かりな窃盗を計画していた。一方、東欧マフィアの大物の幹部が潜伏先のドイツで逮捕されていた。公判のため、特殊警察によって護送されることになった。2台のバイクを先導に護送車と護衛の車が幹部の護送を始める。だが、マフィアの連中も黙って見ていない。幹部を取り戻すためにストラスブールの手前付近で襲撃を仕掛けた。かろうじて襲撃現場を脱した護送車だったが、彼らの逃げ込んだ先は、窃盗団が盗みに入った倉庫だった。後を追ってくるマフィアの襲撃にやむなく、窃盗団と手を組む彼らだったが…激しい銃撃戦が何よりの見所。迫り来るマフィアは、暗視ゴーグルまで装備した完全武装をしている。かなり特殊部隊っぽい格好だ。この連中がほとんど喋らない点がやたらと怖い。また、クライマックスの攻防戦は、本当に息つく暇を与えない。まさに手に汗握る展開となっている。決してハッピーエンドとは言い難い、余韻のあるラストも必見。登場人物が多いので誰に感情移入していいのか迷うかもしれない。そういう意味ではとっつきにくい作品だが、いったんストーリーに入り込めばノンストップで見られるだろう。
2006/02/04
著名な作家が、物書きを目指す人向けに書いた文章にろくな物はない。考えても見たまえ。将来的に自分の地位を脅かす可能性のある奴に成功のノウハウを教えるだろうか。否。間違っても大切なことは教えない。将来の憂いは、まだ芽のうちに摘んでおくのが普通だろう。つまりは前述の結論と相成る訳だ。では何ゆえそんな代物が後生大事にもてはやされるのだろうか。これこそ活字の持つ説得力やその作家のネームバリューにのせられていることに他ならない。しかも相手はプロ。あらゆるテクニックを弄して騙しにかかるのだ。素人にかなう訳がない。結果、箸にも棒にもかからない、もの書きがまたひとり誕生するのである。更に物書きを目指す人向けに書いた文章を注意して読むと、決して難しいことは書かれていない。これも騙される要因である。よく「真理は単純である」などと言われるが、その言葉に騙されてはいないだろうか。例えば「1たす1が2になること」を法則として覚えている我々は、実はなぜそうなるかを説明できない。これと同じ理屈だ。知らず知らずの内に、単純であるがゆえに真理と勘違いしているのだ。無論、その通りに実践してプロになれた者はいない。はっきり言って、もの書きだけで生計を立てるのは並大抵のことではない。多くのもの書きは、他に収入源を確保した上で、もの書きをしているのが現状だ。もの書きだけで食べていける人間は、それこそ一握りの存在なのである。そんな世界に飛び込むのだから、生半可な気持ちならやめておいた方がいい。端にも棒にもかからないもの書きが食っていけるほど甘い世界ではないのだ。
2006/02/03
ワンフェスというのは、ワンダーフェスティバルというイベントの略称です。どんなイベントかといえば、乱暴な言い方だけど「模型の人向けのコミケ」と言えばわかるでしょうか。コミケで売っている同人誌の代わりにガレージキットという模型を売る即売会です。この頃は、比較的毎回のように参加していました。でも、いつも根性が足りなくて朝起きられず、昼頃になってしまう私。この時は少しばかり気合を入れて、前日から寝ないという荒業で臨みました。「始発で行けばなんとかなるだろう」そんな思いがあったからです。しかし世の中、そんなに甘くありません。始発で行ったのにもかかわらず、会場前には長蛇の列。まぁ、毎回のことなので半ば予想していたものの、最近は徹夜も禁止されていることだし、前ほど長い行列にはなっているまい。そう考えたのが、失敗でした。そう、世間は夏休みだったのですね。現地到着は午前6時半(!)頃でしたが、ゆりかもめの有明からお台場海浜公園付近まで続く列でした。ほとんど死にかかって並んでました。午前8時を回ったあたりで、編集者時代の同僚にTEL。この電話で事態は急転します。なんと「担当している作家さんからもらった招待券がある!」というじゃありませんか。で、彼と合流。列に並ぶ大勢のうらやましそうな視線を背に、VIPとして入場してしまったのでした。持つべきものは、よい友人ですね。
2006/02/02

今回は(他のブログで以前少し書いたことはあるが)「みずいろ」をクリアした時に感じたことを書き留めておこう。「みずいろ」というのは元々PCゲームで、後にPS2に移植された、いわゆる恋愛アドベンチャーゲームだ。PS2に移植される段階で18歳以下の人も遊べる仕様に変更されている。PCゲームとはいえ、かなり評価の高いゲームであったと記憶している。ただPC版は致命的なバグがあったことから色々と問題になったりもしたのだが…私がプレイしたのはPS2版の方である。で、実際プレイしてみて感じたことは、意外に一筋縄では行かないということだ。その最大の要因は、攻略キャラクターごとに用意されたシナリオへの分岐であった。ゲーム冒頭にある過去のシーンで、どのような行動をしたかによって、攻略キャラクターごとに用意されたシナリオへ分岐するようなのだが、この分岐がわかりにくいのだ。簡単に行けるのは、メインヒロインの日和と雪希のふたりぐらいだ。事前に何も情報のない状態で、メインヒロイン以外のシナリオへ行ける人などいないのではないだろうか?それぐらいわかりにくい。凝っているという評価を得たくて、こういう仕様としたのだろうが、逆効果だ。プレイしている人に不必要なストレスを感じさせてはいけないと思う。…といったマイナスポイントはあるものの、シナリオ自体は素晴らしい。一部展開が読めるモノもあるが、しっかり感動させてくれる。プレイし始めた頃は「なんだかなぁ、こいつ」と思っていたメインヒロインのひとり日和のシナリオも泣かせられる。(余談だが彼女のシナリオのみ、2種類用意されている)詳しくは語らないでおこう。あなたがプレイする時のために…ちなみに「みずいろ」は、既にベスト版が発売となっている。ベスト版となったことで大幅値下げされているので、店頭に並んでいる内にゲットすることを勧める。
2006/02/01
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