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風になびく長い髪 光透かし水飛沫あげ 砂浜走る君想いを込めて書きかけたラブレター今は空しく褪せてゆく心人はいつか思い出すのさそんな日も あんな日も楽しかった日々のことを涙した昨日も いつのまにか明日へと流れてく 今日もまた夜浮かぶネオン 艶やかにヘッドライトが照らし出す君想いを込めて愛歌った日々も今は夜の街が消し去っていく人はいつか想い出としてそんな日も あんな日も恋してた日々のことを涙した昨日も いつのまにか明日へと流れてく 今日もまた
2006/07/31
午前中に入稿を済ませて、ひと段落。CSで「エクソシスト・トゥルーストーリー」をやっていたので鑑賞した。カトリックのボウダン神父は、第2次世界大戦中、フランスにいた。連合軍のとある部隊に従軍神父として同行していたのだ。だが、部隊はナチスドイツの猛攻の前に壊滅状態となった。進撃してくるドイツ軍は、ひとりたりとも生かしておかないつもりなのか、降伏を申し出る者も次々と虐殺する。そればかりか、力尽きて倒れた者たちまでに銃剣を突き立ててまわった。そんなドイツ兵の目を盗み、地面を這うように進んで、どうにか廃墟と化した建物の影に身を潜めるボウダン。彼がそこで息を潜めていると、ひとりの連合軍兵士が祈りの言葉を求めてくる。負傷兵だ。傷を負い、自らの死期を悟ったのだろう。神父の祈りの言葉に魂の救いを求めたのだ。だが、ボウダンは「声を出したらドイツ兵に見つかる」と祈りの言葉を拒絶してしまう。それでもなお、魂の救いを求める負傷兵。ついに根負けしたボウダンは、彼の魂に救いを与えようとするが間に合わずに事切れてしまう。直後、ドイツ兵に発見されたボウダンは、銃剣で突かれる。悲鳴をあげて飛び起きるボウダン。そう、これは悪夢だった。かつてボウダンがフランスに従軍した時の記憶だ。戦争が終わってから何十年も経つというのに、未だにボウダンの心を蝕む苦い思い出だ。そして今もボウダンの脇腹には、銃剣で突かれた時の傷跡が残っていた…場面はかわって、住宅街の中流家庭。マンガ好きのどこにでもいる普通の少年ロビー。何度か怖いマンガを読んで悪夢にうなされたことから、親からはマンガを取り上げられていた。彼の家に同居する叔母のハンナは自称霊媒師で、時々ヴィジャ盤を用いた降霊術を執り行っていた。ロビーは、この叔母になついていたが、母親はそれを快く思っていなかった。叔母のハンナが亡くなると、彼女の使っていた部屋はロビーに与えられた。そんなある日、ロビーは学校で同級生から叔母のハンナを侮辱される。その直後、机が勝手に動き、同級生と担任教師に軽い怪我をさせてしまう。結果、ロビーは停学になってしまう。激怒した父親がロビーに折檻をしようと迫ると、今度はソファが勝手に動きまわった。ロビーを救いたいと思うものの、お金を使いたくない両親は、ある牧師に相談する。その牧師は、ロビーの実体を知るや否や預かって治療するという。無料ならと同意する両親だったが、その男はいい加減な牧師だった。ロビーを観察した記録を怪しいオカルト誌へ記事として投稿しようと考えていたのだ。ところが、その夜異変が襲う…タイトルの通り「エクソシスト」の物語のモデルとなった実話を映画化したもの。事実と言うことで、いたずらにセンセーショナルな描き方をしていない。神父と悪魔の対決の場面でも「エクソシスト」に比べたら、あまり迫力は感じられない。こういった点から「エクソシスト」の方に毒されている人々からは、あまり評判が芳しくないという。しかし、これはこれでいいのだと思う。この作品は、実際にあった事件を描くことに主題が置かれている。ドキュメンタリー映画を脚色したら“やらせ”にしかならないように、実話を脚色したら“絵空事”にしかならない。(もちろん映画として作られている以上、多少の脚色は否めないだろうが)物語として特別面白くしようとは考えられていない。決してホラー映画として作られている訳ではないのだ。それゆえに「エクソシスト」のように派手に見せる必要はないのではないだろうか。むしろ淡々と描かれるからこそ、実話としてのリアリティが増すようにも思える。そういう意味では、実にドキュメンタリー的な描き方をした映画といえよう。既にDVDの生産は終了しており、店頭在庫を残すのみとなっている。入手したい人は、急いだ方がいいかもしれない。最後に繰り返しておくが、この作品は怖さを期待して観る作品ではない。戦争で病んだ神父の心の葛藤と悪魔に取り憑かれた少年の心の再生を描いた作品だ。ここを取り違えて観ると退屈この上ないことになるので注意して欲しい。
2006/07/31
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2006/07/30
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2006/07/29
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2006/07/28
最近繰り返し考えることがある。消費のサイクルが極端に短くなっていることだ。次々と新しいものが古いものを駆逐していく。気に入った商品を買いに行ったら、既に生産してないという。こんなことが日常茶飯事だ。「それは時間の流れであり、自然の摂理だ」と片付けてしまうには、あまりに安易ではないだろうか。かつて「消費は美徳」といわれた時代があった。確かに消費しなければ、経済の発展はない。だが、それも程度問題だ。あまりに行きすぎた消費は、無駄使い以外の何ものでもない。またそれを煽ることは、商品の寿命を更に短くすることに他ならない。時代の流れ的には、リサイクルやエコが叫ばれている。そんな時代にあって、消費のサイクルが逆に短くなっていることに、私は大きな危機感を感じる。「消費者が求めている」だと。冗談もたいがいにしてもらおう。消費を求めているのは、決して消費者側ではない。ものを送り出す側だ。自分たちの無能さを棚に上げて、消費者に責任転嫁するのはやめて欲しい。もっと息の長い商品を育てる努力をするべきだ。そんな活動なくして、ヒット商品は生まれないだろう。心をなくした商人は、商人にあらず。今一度、メーカーには息の長い商品を育てることを望みたい。
2006/07/28
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2006/07/27
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2006/07/26
先日お伝えした行方不明のアイデアノートが未だに発見できない。あれ以来仕事の合間を縫ってずっと捜し続けているので、いい加減見つかってもよさそうなものなのだが…一体どこへ埋もれてしまったのだろうか?発見できていれば、仕事で使う資料も書き留めてあるので、作業効率がいくぶんアップするはずだ。いつもなら、多少の余裕があったお盆進行に、今回てこずっているのはこのためなのだ。しかし、悪いことばかりではない。資料の山を整理することで原稿用紙の束が何束も発見されたり、資料の整理用にストックしておいたクリアファイルの買い置きが大量に出てきたり…その存在自体忘れていたものが再発見されたのだ。もちろんしまいこんであった訳なので陽に焼けているということはない。いわば、まっさらな状態だ。何も問題なく使用できるのは言うまでもない。これで当分は、クリアファイルと原稿用紙は、新規購入する必要がないだろう。もっとも電子入稿が多い近頃は、原稿用紙自体あまり消費しないのだが…(汗それにしても行方不明のノートは、どこに埋もれているのだろう。案外「こんなところにあったのか」という場所からひょっこり発見されるような気がする。
2006/07/26
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2006/07/25
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今日は、最近よく見ているドラマを紹介しよう。その番組は「アキハバラ@DEEP」だ。石田衣良原作のドラマである。実は恥ずかしい話、原作付きのドラマとは知らなかった。最近のテレビ番組に多い、ヲタクとその文化を面白おかしく捉えた差別的なドラマではないのかと思い込んでいた。ところが、いざドラマを見続けると、そんなことは全然なく、秋葉原という街を舞台にした若者たちの青春を描いた群像劇に仕上がっているではないか。タイトルや先入観から判断してはいけないと痛感した。物語は「ユイのライフガード」というホームページをきっかけに6人の男女が知り合うところから始まる。彼らは「アキハバラ@DEEP」という会社を立ち上げて、秋葉原に事務所を構える。それぞれの得意分野を活かして、近所のメイド喫茶の人気ウェイトレス・アキラのアイドルサイトを作成する。これは、ある程度の評判にはなるものの仕事に繋がらない。そこで今度は、秋葉原の「トラブルシューター」を始める。苦戦しながらも街の問題を解決していく6人だったのだが…役者による作られたヲタク像は、誇張して描かれる公算が高いため、ややするとオーバー過ぎて嫌悪感を抱かせることにもなりかねない。このドラマも最初の数回は、それに近い印象を受けた。だが、これは演じている役者自身が役柄を掴みきれていなかったことが原因のようだ。回を追うごとにそういった部分は(若干ではあるが)薄れていっているような気がする。逆にドラマの面白さを堪能できるようになってきた。特に第7話は、出色の出来。いきなり秋葉原の街にゾンビが溢れ…というかなりシュールな展開に驚かされた。もちろん、これには理由がある訳だが…放映もあと数回を残すところまで来た。見逃していた人は、DVDボックスの発売が予定されているので、そちらでチェックしよう。アキハバラ@DEEP
2006/07/25
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2006/07/24
本日午前中、無事入稿完了。また週末には、同じような修羅場が控えているかと思うと、いささか憂鬱でもある。まぁ、この季節この手の商売に携わっている者は皆同じような思いをしている訳で、特に私ひとりが大変な訳ではない。あと少しの辛抱だ。そう信じて頑張るしかない。ホッとしたせいか、ドッと疲れが出た。今も激しく睡魔に襲われている。今日のところは、これぐらいにしておこう。
2006/07/24
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2006/07/23
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2006/07/22
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2006/07/21
ここ何年か放送業界が変わって来たことに気付いた人はいるだろうか?「そんなこと言われるまでもない」とか「何を今更、毎年変わっているじゃないか」とか鬼の角を取ったように言いそうな輩が目に浮かぶ。だが、私が言いたいのはそんなことではない。タイトルにも書いたように番組改変期のことだ。少し前までは、番組改変期といえば、春と秋の年2回だった。ところが、ここ数年は年4回改変されるようになりつつある。これは、ひとつの番組のサイクルが短くなっていることを意味する。番組のサイクルが短くなるということは、連続ドラマなら少ない回数で終わるということだ。「ラッキー、全話DVDが揃えやすくなる」と早合点する人もいるかもしれない。しかし、本当に喜んでいてもいいのだろうか?少ない回数で終わるということは、原作ものなら序盤だけドラマ化されることを意味している。本当に物語が面白くなる前に終わってしまうことだってあるのだ。運よくそのドラマに人気があって、第2シーズン、第3シーズンと間をあけながらドラマ化されたとしよう。本来なら、ずっと続いて盛り上がる話が細切れに放映されたために盛り上がらないということだって充分考えられる。またシーズンごとにDVD化されるため、トータルでは高くつくことも予想される。それと第2シーズンのDVDがリリースされる頃には、第1シーズンのDVDが絶版というケースもあるだろう。細切れになった連続ドラマで、前の部分が見れないのは致命的だ。或いは、少ない回数にまとめるために内容を端折ってしまったりすることも考えられるだろう。こうなったら、どんなに優れた原作も変わり果てたダイジェストなドラマとなってしまうに違いない。そう、メリットばかりではないのだ。むしろデメリットの方が多い。実際、改変回数が増えれば、余計な費用がかかる。本来番組に向けられる予算が改変時の特番に取られてしまうのだ。結果、低予算で作ることを強いられる。これも大きなデメリットだろう。ドラマだけではない、バラエティ番組にしてもそうだ。内容が安定してきて、出演者の特色が出て、いよいよ面白くなるという頃に終わってしまうこともありうる。こんな風に書くと「視聴率が高い番組なら大丈夫」とまことしやかに言う輩もあるだろう。とんでもない話だ。その考えは甘い。どんなに視聴率が稼げる番組でも局やスポンサーの都合によっては、平気で打ち切りになるのだ。「視聴率が高い番組なら大丈夫」なんてデマもいいところだ。この改変が年4回になりつつあるのは、出演者の確保が最大の理由だという。人気のある出演者頼みの番組製作が原因なのだ。しかし冷静に考えれば、それも間違いであることに気付いてもよさそうだ。どんなに人気のある出演者を確保しても番組の内容が面白くなかったら誰も見ない。こんな簡単なことは、わざわざ説明するまでもあるまい。要は作り手が如何に無能か示しているようなものだ。…などと言おうものなら、たちまち「視聴者が飽きっぽいから」と責任を視聴者に押し付けようとする。まったく呆れ返る。その視聴者を飽きさせない内容を作るのがプロの仕事ではないのか。私は、かつてテレビや映画の仕事をしたこともある。それゆえに、その現場を知っているからこそ、今の現状を憂慮しているのだ。プロならプロらしくプロの仕事をして欲しい。視聴者に責任を押し付ける前にプロ根性を見せて欲しいと切に願う。
2006/07/21
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2006/07/20
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今年の春、以前紹介した「封印作品の謎」の第2巻が出た。なかなかまとまった時間が取れなくて読めなかったのだが、業務の合間をぬってどうにか読破したので紹介しておこう。今作で取り上げられる作品は「キャンディ キャンディ」「ジャングル黒べえ」「オバケのQ太郎」「サンダーマスク」の4作品だ。(一部を除いては)比較的知名度の高い作品ばかりである。よもや、これらの作品が封印されているとは思っていない人も多いのではないだろうか。仮に封印されていたのは知っていても、その発端や理由までは知られていないことが多い。実際、web上にこれらの封印に至る経緯をまことしやかに語ったものは多いが、正しく記載しているところは少ない。本書のスタイルは、これらが現在封印されているに至った原因やその事情を可能な限り、関係者に取材を行なって読み解くというもの。このスタイルは、前著「封印作品の謎」と基本的に変わらない。だが、一読してその違いは明らかだ。前著での経験がしっかり活きているのだ。取材過程に無駄がなくなっているといってもいいだろう。前著は読んでいてぎこちなさを感じた取材の内容が、今回は段取りがよくなっているように感じる。これは、読んでいて心地良い。また事実関係も把握しやすくなっている。よくぞここまで調べ上げたと拍手を送りたくなる内容だ。私自身出版関係の仕事に携わっているので、権利関係の話やら裏事情やら知らない訳ではない。それゆえ、より一層深く理解して読めたのは言うまでもない。封印せざるを得ない事情はわかるものの、一日も早くその封印が解かれることを切に願う。封印作品の謎(2)
2006/07/20
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2006/07/19
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何度か観る機会がありながら、ちゃんと観ていなかったので改めて鑑賞。若き地震学者の川津陽一は、三原山火口で溶岩を観測していた。ここでの観測データと岩槻の古井戸の調査結果から、彼は近い将来、大地震が東京を襲うのではないかと予想する。幸いにも彼は地震予知学会のメンバーだった。川津は、早速地震予知学会の会合で観測データから大規模な地震が近いことを訴えるが、他の学者たちは消極的であった。防災対策などは政府の仕事で、学者の職域ではないと取り合ってくれないのだ。埒があかないと思った彼は「30日以内に直下型地震が東京を襲う」と口にしてしまう。ここでの発言は公式な記録として残ることから、発言を撤回するように恩師の丸茂会長にも求められるが、川津は聞き入れなかった。そんな川津だったが、私生活では夫婦仲が冷えきっていた。彼の妻は、地震の権威として知られる故川津宗近の娘だった。現在の彼があるのも川津の家に娘婿として入ったからであった。孤立していく川津の心を癒してくれるのは、研究所の所員のひとり・芦田富子だった。所長と所員という関係を超えて、いつしかふたりは愛し合うようになっていた。自説に執着する川津は、燃えない車の開発に協力したり、トンネル火災の避難実験を検証したりと地震学者の域を越えた活動を展開する。川津の行動に関心を覚えたルポライターの橋詰雅之は、彼に接近し、各地の異常な自然現象と来るべき大地震を結びつけた記事を展開する。そんなある日、川津は政財界の重鎮が集うゴルフ大会に駈けつける。前半のラウンドが終わり、レストハウスに一同が集った。様々な談笑が行なわれる中、参加者のひとりである地震予知学会会長の丸茂への社交辞令で「もし東京を震度7の地震が襲ったらどうなる」と首相が質問した。丸茂の背後にいた川津は勝手に答えてしまう。「東京は世界一無防備な都市です」と。この手のスペクタクルものは、題材が明確なだけにいつ来るかいつ来るかと思わせて盛り上げていく。もちろん、この作品もその例に違わない。クライマックスに大地震が来るまでの展開がややおとなしいため、寝ないように心がけたい。徹夜明けの疲れた状態で観ていたら間違いなく寝てしまうだろう。その反面、地震が来てからの展開は(ある程度予想できるものの)首都圏が壊滅するほどの惨状が展開される。映画として派手めに描いているであろうと差っ引いてみるが、それでもこの状況はすごい。一部「日本沈没(1973年版)」の特撮をバンクとして使用ているのは御愛嬌。どのシーンかおわかりだろうか?そういう部分をチェックしながら見るのも楽しいかもしれない。地震列島
2006/07/19
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2006/07/18
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2006/07/17
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2006/07/16
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2006/07/15
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2006/07/14
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2006/07/13
私のところは、7月にお盆を迎える。いわゆる盂蘭盆である。したがって8月ではないのだ。この関係で、見事にお盆進行と重なる。立て込んでいる時期にやたらと来客が多くなるのだ。そこには「今、仕事で立て込んでいるから」という言い訳は通用しない。当然、私は家主なので来客の接待をしない訳にもいかず、その応対で延々時間を取られることになる。もちろん、その間は全く仕事ができずにストップしたままだ。だからといって、暑い中わざわざお盆の挨拶に見えた客人を追い返すこともできない。結果、更新が滞ることになってしまうのは、言うまでもない。…という状態なので、察して欲しい(何
2006/07/13
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2006/07/12
本日は、ブログ記事のカテゴリー分けについて説明しよう。当ブログの記事は(時々変更されたり、一部例外もあるものの)基本的に以下のようなカテゴリー分けを行なっている。・映画鑑賞した映画の簡単なあらすじと感想を書き留めたもの。極力ネタバレを避けるようにしている。・テレビ視聴したテレビ番組の感想を書き綴ったもの。便宜上、オリジナルビデオなどは、こちらにカテゴライズされることが多い。・ゲームプレイしたゲームの進展状況や感想を記録したもの。完全クリアせずに放り出すこともある。・本読んだ本の紹介と感想を記したもの。あまりに読む冊数が尋常でないため、書かれることが少ない。・詞かつて作詞した詞を収録したもの。まだまだあるはずだが、あまり評判がよくないようなのであまりアップしない。・雑記やや時事的な問題に斬り込んだものや保存性の高い雑文のようなもの。その語り口は少々過激だが、意外と的を得ていたりする(ぇー・告知筆者からのお知らせ事項などを告知したもの。時間の経過で告知する意味がなくなったものは、削除することもある。・その他上記のカテゴリーに入らないと筆者が判断したもの。・建設予定地1ヶ月以上経ってから記事をアップしたくなった時のためにエントリーを確保したもの。なお、当ブログにおいて基本的にカテゴリ未分類は、存在しない。もしあったとしたら、それは記事のアップ時に何らかの不具合でカテゴリー指定が反映されなかった場合だと思われる。気付き次第、修正されるので気にしてはいけない。書いてて思ったが、このブログは設定できるカテゴリー数が少なすぎる。結果、インデックスを別途作る必要に追われるのだ。こんな風に感じているのは、私だけだろうか?
2006/07/12
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2006/07/11
物書きを生業としていると、基本的に○○字詰め原稿用紙○○枚という指定で発注を受ける。指定された文字数に限りなく近く仕上げるのがプロだ。多くてもいけないが、少なすぎてもダメなのだ。中にはヘボい編集者もいてレイアウトを読み間違えて文字数を多く発注かけてしまい、当然そのページに文字が収まりきらずに尻切れトンボになっている雑誌も時々見かけるが、そんなのは言語道断である。「そんな編集者は、とっとクビにしちまえ!」…なんてことをいうと仕事を干されるので、心で思っても口には出さないが。この字数ピッタリに仕上げると言うのは、実はプロでも難しい。一回でピッタリの文字数に仕上げられることはまずない。多くのプロは、推敲を重ねて調整していくものだ。最初に文字数を考えずに書き上げてから、贅肉を削ぎ落とすように文章を削っていくのだ。ただこれにも限度があって、これ以上削ると伝わらないというラインが存在する。では、どうしたらいいのか?難しく考えることはない。スタート地点が間違ってるのだ。削るのではなく、最初から指定された文字数に合わせて書くのだ。一見するとプロがやっているように削った方が簡単に思えるかもしれない。しかし、それが大きな間違いなのだ。プロが削るのは、全体の構成なども考慮に入れて削っているのである。しかも予め削ることを想定して書かれていることが多い。つまり、これ以上削ると伝わらないというラインには抵触しないのである。もちろん、一般の人々に窺い知れない苦労・心労を執筆の過程でしているのは言うまでもない。それと同じことを求められてもできはしないだろう。ならば同じ方法を選択するのは得策ではない。最初から指定された文字数に合わせて書くのが近道となる。そんなことができれば苦労はしない?早合点してもらっては困る。全体の指定された文字数に合わせて書こうとするから難しいのだ。指定された文字数を4等分または3等分にしてみよう。4等分の場合はいわゆる「起承転結」で、3等分の場合が「序破急」だ。そう、構成から考えて書くのである。そして、どうしてもオーバーした分を他の部分から補填して調整する。長文ならば、それぞれのパートの中で更に何等分かしてみよう。要は、構成を把握しやすい単位にするのである。これなら、削っていくよりもまとまりのある文章が構成できるはずだ。
2006/07/11
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2006/07/10
ようやくひと段落した。だが、気を抜けない。来週の月曜…じゃなくて火曜入稿がまだ控えているのだ(汗今月と来月は万事がこんな調子だ。お盆進行というとお盆前には完全に終わってしまうと思われがちだ。また、そう思い込んでる馬鹿な編集者もいる。しかし、本当は少し違う。お盆進行とは、お盆に印刷所が休みになることから入稿が前倒しとなる進行を言う。この進行が終わった直後は、休んでいた分、印刷所が立て込む。そうなると、今までより納期がかかるのは言うまでもない。これを防ぐため、お盆進行直後に調整と称して入稿が前倒しとなるのだ。もし入稿が前倒しにならないとしたら、印刷所にかなりの無理を言っているか、入稿設定されている日が実は相当余裕を持って設定されているかだ。実のところ、書き手には本当の意味でのギリギリのラインは伏せられることが多い。これが書き手の知るところとなると、ギリギリにしか書き上げて来ない輩が出るからだ。手錬の書き手は、ある程度ここまでは大丈夫だろうという日を読むが、それでもまだ編集側には余裕があったりするものだ。敵もさる者である。そう、編集者は書き手より一枚上手であることを求められるのだ。逆に言えば、書き手より一枚上手でない編集者は、二流の編集者だ。元編ゆえに裏表知り尽くしている私は、担当の編集からしたら一筋縄ではいかない曲者だろう。何しろ、あらかた手の内は知っているのだ。締め切りをめぐる攻防は、これからも続く…
2006/07/10
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2006/07/09
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2006/07/08
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2006/07/07
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誰もが知っているような有名な作品に限って、意外と観ていない人が多い。伝え聞いただけで見た気になって、知ったかぶりしているのだ。この作品も知名度に反して、意外と観ていない人が多い…1885年5月。ルーマニア辺境のトランシルバニアの山道を歩む人の姿があった。ジョナサン・ハーカーだ。彼は、ドラキュラ城を目指していた。城主のドラキュラ伯爵に司書として雇われたのだ。日が落ちる前に着いたが、城には誰もいない。しかし、今の暖炉には火が入っている。テーブルの上には伯爵からのメモと食事の用意がしてあった。メモには、所用で出迎えることができない旨と非礼を詫びる内容が書かれている。やむなくハーカーが荷解きをしていると、いつのまにか近くに女性が立っていた。彼女は「ここから連れ出して欲しい」と懇願する。事情がわからずに困惑していると、突然何かに怯えたように去ってしまう。ハーカーが何事かと振り向くと、階段の一番上に人影があった。ドラキュラ伯爵である。彼は、ハーカーを部屋に案内すると、翌晩まで再び出かけて不在になるということを伝えて去ってしまう。自分の家のようにくつろいで欲しいという伯爵だったが、言葉とは裏腹に部屋は外から鍵をかけられて軟禁状態にされてしまう。やがて明け方も近い頃、カチリと鍵のはずれる音がする。慌てて扉を開けるが、人の姿はない。鍵を開けた人物を追って広間に降りると、先刻の女性だった。彼女は、再度「ここから連れ出して欲しい」と懇願する。ハーカーが事情を尋ねるのだが、言葉を濁して語ろうとしない。が、何かに怯えていることは確かなようだ。ハーカーが抱きついた彼女をなだめていると、彼女は突然ハーカーの首筋に噛みついた。伯爵が戻ってきたのは、慌てて身を離すとほぼ同時だった。彼は怒って、乱暴に彼女を突き飛ばす。間に割って入ろうとしたハーカーも部屋の隅に投げ飛ばしてしまった。意識を失うハーカー。彼が目を覚ますと、既に日は傾き、まもなく日没を迎えようとしていた。ハーカーは、自分が血を吸われて吸血鬼にされかけていることに気付き、愕然とした。彼は手短に自分の状況を日記に書き残すと、その日記を城の外へ隠し、伯爵の眠る墓所へ向かった。彼が司書として潜入したのは、吸血鬼を滅ぼすためだったのだ。自身が吸血鬼にされかけている今、彼に残された時間は少なかった。墓所には、案の定石棺に横たわる伯爵と女の姿があった。ハーカーはまず、女吸血鬼に白木のくいを打ち込んだ。断末魔の悲鳴をあげる吸血鬼。残るは伯爵だけと目をやれば、石棺は空っぽになっている。そう、女吸血鬼にくいを打ち込んでいるうちに日没を迎えてしまったのだ。墓所の入口に立つドラキュラ伯爵の姿を目にしたハーカーの瞳に恐怖の色が広がっていった…言わずと知れた吸血鬼映画の最高峰。傑作中の傑作だ。これだけたくさんの吸血鬼映画が作られる中、未だにこれを越えたという不動の評価を得た作品が誕生し得ないのは、ドラキュラ伯爵を演じたクリストファー・リーの魅力に他ならないだろう。一時期は、そのイメージが強すぎて役柄に恵まれなかったのは不幸だったが…実はこの作品、かなり原作を大胆に脚色している。このことは、意外と知られていない。ハラハラしながら物語を楽しむのもいいが、原作小説との相違点をチェックしながら観るのもまた一興だろう。
2006/07/07
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ピースランド星は、平和な惑星だった。が、ある時突然ガロガバラン星人の侵略を受け、壊滅に追い込まれる。多くのピースランド星人たちは、家族ごとにパンドラカプセルと呼ばれる脱出用の長距離宇宙船で故郷の惑星を脱出した。直後ピースランド星は、大爆発を起こして消滅してしまう。故郷の惑星を脱出したピースランド星人は、安住の地を求めて流星人間となり、全宇宙に散っていった…その中のひと家族が、地球へ辿り着いた。彼らは地球人として生きていこうとするが、侵略者・ガロガバラン星人の魔の手は地球にも迫っていた。第2の故郷・地球を守るため、彼らは敢然とガロガバラン星人に立ち向かう決心をする。東宝製の特撮ドラマ。内容は完全に子供向けなものの、ゴジラやキングギドラ、ガイガンが登場する回があることから、一部で高い人気を誇っている。かくいう私もそのひとり。ただし、子供向けとは言っても、それは物語に限った話。天下の東宝が作っただけあって、光学合成などの特撮シーンに手抜かりはない。他社の特撮ドラマに比べると(当時としては)かなり高水準であったという。いまだに高い人気を誇るのも頷ける話だ。見所は、やはりゾーンファイターの必殺技“流星ミサイルマイト”に尽きるだろう。ダイナミックかつ美しい必殺技だ。ガトリング砲(orチェーンガン)の爽快感に通じるカタルシスの発散がある。この必殺技だけでも見る価値はあると思う。
2006/07/06
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今日は、第2期平成ゴジラの起点となった「ゴジラ2000 ミレニアム」を紹介しよう。深い霧に包まれた北海道は根室の納沙布岬。別段珍しいことではない。よくある光景だ。だが、ひとつだけいつもと違っていることがあった。ゴジラの上陸だ。日常の平穏を破って突如上陸するゴジラ。そんなゴジラを様々な観測機器を用いて追う人影があった。ゴジラ予知ネット(GPN)主催者の篠田雄二と娘のイオだ、それに取材で同行している一ノ瀬由紀の3人だ。篠田は、車を飛ばしてゴジラを追う。トンネルを抜けた辺りで追いつくと踏むが、逆に接近し過ぎてしまう。車のフロントガラスは、ゴジラの吐く息で簡単に割れてしまう。咄嗟の判断で、ギアをバックに入れてアクセルを思いきり踏み込む。彼らは、かろうじて九死に一生を得た。ゴジラは、既に車への興味は失っており、根室市に向かって歩き出した。市街地を破壊しながら通り抜け、ゴジラが向かった先は発電所だった。炎に包まれる発電所を破壊し尽くすゴジラを見て篠田は、ゴジラが人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのだと確信する。数日後、茨城県は鹿島灘の沖、日本海溝に海洋科学技術センターの深海調査艇“しんかい6500”が航行していた。危機管理情報局(CCI)の依頼により、ゴジラ探知用のGセンサーを搭載して、根室の上陸以来行方の知れないゴジラを捜索していたのだ。しかし、彼らは日本海溝で全く違うものを発見してしまう。地球外の鉱石で構成された巨大な岩槐であった。新たなエネルギー源が期待できることから、CCIは急遽引き上げ作業を開始する。そんな中、東海村の原子力発電所へ向かうゴジラ発見の報が入るのだが…宇宙人ミレニアンの姿が昔懐かしいタコ型宇宙人であったことから、不当に評価の低い作品。物語の構成や人物配置などを見れば(完璧とは言えないまでも)かなり高いレベルの完成度を有していることがわかるだろう。人物の描写に比重を置き過ぎて、肝心の怪獣があまり描写されないという見当違いな批判をする輩もいるが、映画である以上、まず人間のドラマをきちんと描くのは当然のことである。そういう意味では、もっと評価されていいはずの作品だ。デザインが一新され、より生物感の増したゴジラも好印象。世間の評判に流されて未見の人は、先入観を捨てて鑑賞して欲しい。まだまだ捨てたものじゃないと実感できるはずだ。ゴジラ2000 ミレニアム
2006/07/06

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2006/07/05
貴方のことを愛してる でもいけないわ貴男(あなた)は貴女(あなた) New Half女の私を見てくれないわ自慢じゃないけど この私並(ただ)の女(ひと)より綺麗なはずよそんじょそこらの男の人に恋する貴方の気が知れないの男なの 女なのどうでもいいのよ貴男(あなた)は貴女(あなた) New Halfどちらの貴方も あぁ 愛してる貴方のあと追ってる でもいけないわ貴男(あなた)は貴女(あなた) New Half女の私を感じてくれないの自慢じゃないけど この私並(ただ)の女(ひと)より綺麗なはずよそんじょそこらの男の人に恋する貴方の気が知れないの女なの 男なのどっちでもいいのよ貴男(あなた)は貴女(あなた) New Halfどちらの貴方も あぁ 愛してる男なの 女なのどうでもいいのよ貴男(あなた)は貴女(あなた) New Halfどちらの貴方も あぁ 愛してる
2006/07/04
今日、テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」を見てて、とんでもない報道があったので紹介しよう。それは、Jのこだわりというコーナーでのことだ。本日のお題は「~凶暴“カメパニック”~」で、各地で発見されるワニガメを追ったもの。よくあるテーマだ。ここまではいい。その中で、ワニガメが目撃されて捜索中の池の報道で、現場となる池のある神社の名称が伏せられたのだ。聞けば、神社側から名前を出すのを控えて欲しいと要望を受けたという。もちろん、取材する立場上、そう言われたら名前を出せないのはわかる。だが、それによって近隣住民の安全はどうなるのだろうか?その現場となる神社と隣接する公園は、近隣の小中学生が授業も含めてよく写生に来る場所だ。休日には、近隣の親子連れも訪れる。その子供たちに被害が遭ってからでは遅いのではないか?一宗教法人のエゴと近隣住民の安全、天秤にかけて近隣住民の安全は二の次になってもいいということなのだろうか?報道機関の姿勢としては、間違っているような気がする。名前を出せないまでも、近くの番地を報道するなどして近隣住民に注意を促すようなことはできたはずだ。普段から散々きれいごとを言っていて、蓋を開けたらこのざまである。知人が同放送局に電話してこの旨を確認したそうだ。案の定、杓子定規な対応で、誠意のかけらも感じられなかったとのこと。私の中で、一気にテレビ朝日の好感度が落ちた…
2006/07/04
このカテゴリーでは、私の発した名言や機会があったら是非使いたいと思っている名言を紹介していこうと思う。「かつての自分に戻れないなら、新しい自分になればいい」初回は、我が師匠のO氏が落ち込んでいる私を見かねてかけてくださった言葉である。どん底まで落ち込んだ人間に再びいつも通りの自分に戻れといっても無理な話。ならばいっそ0から新しい自分を築いていけばよい。そういった意味の言葉だそうだ。無理に過去の自分を再構築するより、気持ちの整理をして新たな一歩を踏み出すように促しているといった方がより正しいかもしれない。遠回しな言い方だが、前向きに生きろという気持ちのこもった素敵な言葉だと感じた。
2006/07/03
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今日は、蒸し暑い夜にところどころ冷やりとさせるも、手に汗握るスリリング作品「恐怖の報酬(1952年版)」を紹介しよう。舞台は、中米はベネズエラにある小さな村ラス・ピエドラス。退廃的な空気が流れ、けだるい雰囲気が漂う。アウトローや食い詰めた者たちが流れてくる片田舎の村だ。マリオというコルシカ島出身の男もそんな連中のひとりだった。彼が入り浸っているのは、村唯一の酒場。その酒場の看板娘のリンダと恋仲なのだ。だが、まとまった金のないマリオには、彼女と一緒になることすら叶わぬ夢であった。ある時、ジョーという男が村に流れ着く。パリで食い詰めた札つきのワルとうそぶくが、本当かどうかはわからない。しかし、ひょんなことからマリオと意気投合して親しくなった。そんなある日、村から山へ500キロほど入ったところにある油田で火災が発生する。この村からも大勢の男たちが雇われて働いている油田だ。多くの犠牲者を出しながら、懸命に鎮火に当たっているが、消火に至らないという。石油会社の緊急会議で、ニトログリセリンの爆風で鎮火を試みることが決定された。ニトログリセリンの運搬は、著しく危険なことから、多額の賞金を報酬に運転手が募集される。応募は殺到したものの、選ばれたのはマリオ、スメルロフ、ルイジ、ビンバの4人だった。ジョーも応募したのだが、選に洩れてしまっていた。腹を立てるジョーだったが、こればかりは仕方ない。運転手に選ばれた男たちの集合時間は、翌朝の3時だった。まだ夜が明けぬうちに集う男たち。と、どうしたことかスメルロフが姿を現わさない。そうこうしているうちに、ジョーが現れた。彼がスメルロフに代わって参加することになった。先発は、マリオとジョーの組だ。彼らのトラックは、荷台に積まれたニトログリセリンに大きな振動を与えないように慎重にスタートした。そして、その30分後、ルイジとビンバの組が出発した。2台のトラックは、500キロ彼方の油田を目指して危険な道をひた走るのだが…とにかくハラハラし通しだ。暑い中米が舞台でありながら、これだけ冷やりとさせられるとは思っていなかった。ただ主人公らは善人ではないため、ピカレスクロマン的な雰囲気も少しあって、感情移入しにくいかもしれない。しかし、様々な知恵を絞って困難を克服して行く姿は(動機が何であれ)感動的である。本作は、1977年にロイ・シャイダー主演でリメイクされている。基本的な大筋は同じながら、微妙に設定とラストを変更している。こちらもなかなかスリル満点だが、インパクトでは本作の方に軍配が上がる気がする。機会があれば、見比べてみるのもいいだろう。恐怖の報酬(1952年版)
2006/07/03
あなたのことが好きだから少し背伸びをさせてくださいあなたのことか好きだから少し後から追っていきますあなたのことが好きだから私はあなたを見つめますあなたのことが好きだからそっと私は別れを告げますあなたの道と別の道あなたのことが好きだからあなたのことが好きだから…
2006/07/02
仕事で使っているノートが一冊行方不明となった。設定やらアイデアやらを思いつくままに書き留めた覚え書きノート(芸人で言うところのネタ帳)である。普段から複数のノートを併行して使っているために、気付くのが遅れた。もちろん仕事場からは持ち出していないので、仕事場の中にあることは確かなのだが…おそらくは、前回使った時にポンと資料の山の上に置いて、その後気付かずに他の資料をその上に置いてしまい、行方不明になったのだと思われる。ならば捜せばいいと言われそうだが、問題はそんなに単純ではない。仕事場には高々と積み上げられた資料の山がいくつもそびえているのだ。その中から、埋もれた資料を捜すのは、砂漠で一粒の星の砂を捜すようなものだ。しかも、お盆進行の真っ最中である。それを捜す作業に没頭する訳にも行かない。とはいえ、見つけ出さないと手をつけられない仕事もある。まさにジレンマに陥っているような状態だ。少しずつでも、いらない資料を処分しなければなるまい。そう心に誓った。
2006/07/02
I LOVE YOU… ちょっと気障かしら?I LIKE YOU… 照れ隠しI WANT YOU… 少しストレート?I NEED YOU… もうこれしかない!この気持ち 君を恋する気持ちいつの日か 伝えたいI LOVE YOU… ちょっと嘘っぽい?I LIKE YOU… 遠回りI WANT YOU… 少し強引過ぎる?I NEED YOU… 他に言葉が出ない!この想い 君を愛する想いいつまでも 変わらないこの僕を 僕を信じて欲しい君だけを 見つめてるいつまでも いつまでもいつまでも 愛してる
2006/07/01
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CSで「ヴァイラス」をやっていたので観る。以前地上波でも放映した気もするが、観ていなかったので…宇宙を漂う非定型の電磁波生命体が宇宙ステーション・ミールを襲った。この電磁波生命体は、その時たまたま交信中だったロシアの衛星追跡船ボルコフ号に侵入する。が、幸いなことに過負荷によってアンテナは爆発してしまう。一方、巨大な台風に巻き込まれたアメリカの物資運搬船シースター号は、暴風雨を避けるために台風の目の中に逃げ込む。彼らは、台風の目の中でボルコフ号を発見してしまう。調査のためにシースター号の面々は、ボルコフ号に乗り込む。船内の電源は落とされ、真っ暗だ。その中を何グループかに分かれて捜索するシースター号のクルー。生存者をひとり発見するも混乱状態で状況を聞き出せず、とりあえずブリッジへ連れて行くことに。一方、工作室を調べていたグループは、突然小さなロボットから攻撃を受ける。何かがおかしい。彼らがそう気付いた時には、既に手遅れだった。突如作動したボルコフ号の錨によってシースター号が沈められてしまう。ボルコフ号は、電磁波生命体に乗っ取られていたのだ。しかも台風の速度から逆算して、台風の目の中で嵐を避けられる時間は約2時間だった。シースター号の乗組員たちが生き延びるためには、この電磁波生命体を撃退して、ボルコフ号で近くの港に向かうしか方法は残されていなかった…「ノイズ」のようなタイプの映画を想像していたら、全然違った。電磁波生命体は、人類をヴァイラス(=病原体)と認識して滅ぼそうとするのだ。しかも単に人類皆殺しを企むのではなく、自分たちが物理的な活動をするための部品として人類を使おうとする。この辺の描写が割とグロテスクで生々しい。意外とスプラッター要素が高いので、その手の映画が苦手な人はご用心。派手さはないが、洋上の閉鎖空間である船内での追いつ追われつの攻防はなかなかおもしろい。もちろん、定番通り、ひとりまたひとりと人類は、電磁波生命体に狩られていく訳だが…典型的なB級映画ながら、あまりチャチに見えないところは流石か。キーファー・サザーランドの父ドナルド・サザーランドが、ひと癖もふた癖もある船長役で出ている。なるほど親子だけあって、最近のキーファー・サザーランドが段々父親に似てきたのを再認識できた。こんなところも、ぜひチェックして欲しい。ヴァイラス
2006/07/01
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