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別サーバーで書いているホビー系のブログがサイト移転した。何故もっと早く引っ越さなかったのかと切実に思う。その判断の遅れが引越しを困難にしていた。新サイトには今年以降の分をそっくり移した。来週から更新を再開する予定でいる。過去記事には別途サイトを用意し、そちらへの再録作業を進めている。本来なら今月中に過去記事の引越し作業も完了させるつもりだったが、諸般の都合で不可能となったため、更新再開と並行しての引越し作業となった。この作業で何より面倒なのは、ブログの仕様が違う点だ。今まで使っていたブログは「使い勝手を優先するあまり一部のタグ表記が独自仕様だったこと」と「利用者の流出を阻止するために一切のインポート関連の機能をつけない」などの問題点があった。記事中のリンクを修正する作業も手間といえば手間だ。これらが原因で余計な作業が増えてしまい、なかなか記事をアップできない。それゆえ、過去記事の引越しは完了していないが、新規オープンした次第。使い勝手は、新しいブログの方が数倍よいので、この点は時間が解決してくれるだろう。なお、新ブログに興味のある方は、左のサイドメニューの「メッセージを送る」から問い合わせていただきたい。
2007/03/31
うちの庭で育った猫がよく遊びに来る。最近は、私の膝の上にも乗るようになった。そればかりか、そのまま眠ってしまうこともしばしば。そうなると動くに動けず、同じ姿勢でいるから足がしびれてくる。3時間ほど同じ姿勢のまま動けずにいるのはつらい。だが、居心地がよいらしく、一度乗ると気が済むまで降りてくれない。抱き上げられないように丸まったり、わざとくたーっと身体の力を抜いたり…小さな頭で一生懸命考えているようだ。そんな様子を見ていると、無理に降ろすこともできず、しびれた足を我慢してしまう。いい加減、大きくなってきたので重いというのもあるのだけれど…実は、今夜もこんな感じで猫に捕まっていたのだ。それゆえに更新が遅くなった次第。
2007/03/30
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「限界は、自分自身が作る」昔働いていた職場の上司に教わった言葉だ。人間的には少々問題のある最低な上司だったが、この言葉は心に残っている。説明の必要はないと思うが、簡単に解説しよう。人は常に無限の可能性を持っている。その可能性を摘んでしまうのは、自分自身だということを言っているのだと思う。自分自身で、ここが限界とか決めつけていないだろうか?限界は自分で決めるものではない。そして、その限界は固定されたものでもない。自身の成長に伴って、どんどん上に上がるものなのだ。そんなニュアンスをこの言葉から感じ取っている。拡大解釈?結構、それでもよいではないか。より高みを目指すために、今より少しだけ頑張る。その姿勢は、決して間違いではない。そんなことの積み重ねが自分自身を成長させるのだ。だから私は夢をあきらめない。現実を見ないのではなく、現実を見た上でなおあきらめないのだ。A Happy Life
2007/03/29
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/03/28
先日から思い出せずにいた題材をようやく思い出した。きっかけは、何の気なしに見たCMだった。人生こんなものだ。散々思い出せなくて悶々としていたというのに、わかる時はあっさりわかってしまうものなのだ。しかも思い出した題材は、別段たいしたことのないものだったり…なんだか「がっかりだよ」である。
2007/03/27
今日は、計らずとも地元のCDショップ巡りをすることになった。購入しようと考えていたCDを捜して延々と巡り巡る。気がつくと予定にはなかったものを買ってしまったり、購入し忘れていたものを見つけてしまったり…それはそれでいいのだが、肝心の捜しているCDがない。結局、全滅だった。だからといって、交通費をかけて捜しに足を伸ばす気にもなれない。以前にも書いたが、欲しい時に手に入らないと、一気に購買意欲が下がってしまう。家に戻れば、もう諦めもつくに違いない。そう考えて帰途についた。が、家に着いてもまだ欲しい。諦めきれずに選んだ手段は、web通販だった。最初からそうすればいいなんて言われそうだが、送料をかけて購入するぐらいならショップ巡りの労力などたいしたことはない。いや、散々捜してなかったから、web通販の踏ん切りがついたのかもしれない。そんな訳で一件落着。
2007/03/27
昨日から思い出せないでいることを、依然として思い出すことができない。思い出せないとなると気になって仕方がない。何かヒントとかきっかけがあれば思い出せるのだろうが、そんなものがあるはずもなく…そんな靄々の気分で今日一日過ごした。いい加減に思い出さないと、精神衛生上よくない。気がつくと思い出そうとして考えているため、他の思考がストップしてしまい、作業能率も低下気味だ。この状態が続くのが好ましくないのは、自明の理だろう。いっそ思い出せないことも忘れてしまえたら、どんなに楽か。中途半端に記憶力がよいと、こういう時につらい。というか、変に記憶力がよいという自負があるから、メモを取ることを怠るのだ。まったく自業自得である(死
2007/03/26
ついさっきまで書こうと思っていたことを忘れてしまった。メモに取っておかなかったことを激しく後悔している。こうして文を綴りながら思い出そうと試みるが、一向に思い出せない。そうなると、今度はどうにも気になって仕方ない。私は、いったい何を書こうとしていたのだ?他人に聞いてもわからないことだけに始末に負えない。例によって何か不愉快に感じたことを書いて、少しでも溜飲を下すつもりだったような気もする。或いは、昨日の夜に見た夢の物語か。それぞれに思い当たるものがあるだけに、どれを書こうと考えていたのかわからない。いや、それらではない“何か”だったのかもしれない。とにかく今は、どうやっても思い出せないのだ。何かの拍子にひょっこり思い出すような気がする。ただ、それがいつなのかは定かでない。明日にでも思い出すかもしれないし、何年も思い出せないかもしれない。そんな状態だから、はっきりしないモヤモヤが頭の中を渦巻いている。まったくなんということであろう。メモを取り忘れたという、それだけのことがこのように影響することもあるのだ。
2007/03/25
旅番組を見ていておかしなことに気付いた。温泉に入る時に「旅の疲れを癒す…」云々と語っていたのだ。この言い回し、おかしくはないだろうか?最寄駅からも遠く、山道を分け入った奥にある温泉宿まで何時間もかけて歩いて辿りついた旅人が語る台詞なら、まぁ心情的にわかる。だが、交通機関を使って労せず宿に辿りついておいて、この台詞はないだろう。だいたい徒歩だけで旅していた時代ならいざ知らず、交通機関の発達した現代において、そういう宿は少数派だ。ましてや、そういった少数派の宿ではない場所で、この台詞を使うのは適切ではない。日常の疲れを癒すために旅に行くのだ。旅自体の疲れを癒すために行っているのではない。その辺がよくわかっていない人間が、単に耳に心地よい言葉を選んで台詞としたように思われる。たったそれだけの誤用で、見ている人々には「こんな程度の低い人間が作っているのか」と、その番組の心象は一気に悪くなる。こういう部分もないがしろにせずに丁寧に作って欲しい。番組は、使い捨てではないのだ。
2007/03/24
昨日に引き続き、今日も造園の作業に明け暮れる。敷石の設置作業が完了し、敷石と敷石の間を“カチカチ君”で埋めていく。この“カチカチ君”なるアイテムは優れもので、地面に敷き詰め、水をかけるとカチカチに固まる舗装材なのだ。もちろん浸透性があるので、雨が降っても心配ない。ぬかるみや砂ぼこりはもちろん、雑草の防止効果も期待できる。この作業で、敷石から敷石をなだらかに繋いでいく。わざわざブロックを大量に購入して、敷き詰めるよりはお手軽で安上がりだったりする。無論、コンクリートで敷石と敷石の間を埋めるよりも遥かに楽だ。ほぼ作業完了♪あとは、乾燥後に盛りの足らなかった部分に盛り足すだけである。
2007/03/23
今日は、庭の造園作業を行った。無論、造園と言っても重機を入れて派手にやった訳ではなく、敷石の鉄平石(※)を移動したりする程度だ。何週か前にも行った作業の続きである。とはいえ、1枚が100キロ近くある鉄平石を移動させるのは、なかなか大変な作業で一筋縄ではいかない。ディバイダで計測する時のように一方を軸に180度周り、反対側を軸にまた180度周りといった按配で移動する。移動後は設置の作業を行うのだが、この作業がまた厄介だ。鉄平石の厚み分、土を掘って固定するのだが、鉄平石自体に凹凸があるため、簡単には安定しない。ちゃんとできたように見えても、いざ踏んでみるとぐらぐらと動いたりする。この調整が面倒なのだ。ぐらつく度に鉄平石を持ち上げて、下に土を足してやるのである。そして、また戻して確認。何度繰り返したことか。どうにか夕方前に終了。終了から1時間ぐらいして、前線の通過に伴うにわか雨が降った。雨の前に終わってよかった。だが、近日中にどっと疲れが出るのは、おそらく間違いない…(※)鉄平石とは安山岩の一種で、薄く板状に割れる性質を持っていることから、敷石に使われることが多い。
2007/03/22
最近JR東海のCMを見てて胡散臭いと思った。新幹線が環境に優しいというアレだ。CMでは他の交通機関に比べて一番環境に配慮していることを謳っている。だが、本当にそうだろうか?例によって都合の悪いことには目をつぶって、都合のいいことだけ謳っているのではないだろうか?確かに二酸化炭素の排出量に絞って話を進めるなら、CMの主張は間違いではない。しかし、それがイコール環境に優しいかというと激しく疑問だ。どんなに二酸化炭素の排出量が少なくても、騒音を吐き散らしていたら環境に優しくはない。無論、二酸化炭素の排出量も大切だろう。が、騒音はそれ以上に切実な問題だ。365日休むことなく騒音にさらされていたら、体調に変調をきたす人が出てきてもおかしくはないし、実際そういう人は多い。多数のためには少数を犠牲にしてもかまわないというのだろうか?否。そんなことはないはずだ。こんな風に書くと、騒音対策をしているから問題ないとぬかす輩が必ずいる。その対策が充分でないから問題なのである。法令の定める基準値で、補償の対象は定められている。ところがたった一度測定した時に法令の定める基準値にわずかに及ばなかっただけで、補償対象からはずされたりしている現実がある。普通なら継続的に測定して判断するべきところをである。こんないい加減なことがまかり通っている。こういった数字の上だけでの対処で、何が対策だ。杓子定規な対応では、根本的な解決にならない。こんな対応をしている会社が環境に優しい云々など、どの口が言うか。恥を知れ!もちろん環境に対する配慮は大事だし、それを啓蒙するのも大切である。だからこそ、それを謳うなら、こういった部分をもっとしっかりやるべきではないのか。だいたい、どれだけ環境に優しかろうとも、運賃が高かったら誰も好んで利用しようとは思わない。もっと運賃を下げて、利用してもらう努力をするべきだろう。そうしてこそ、環境に優しいという謳い文句が生きてくるのではないだろうか。
2007/03/21
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今日は夕方、激しい眠気に襲われ、遅いシエスタというか仮眠を摂った。昨日はいつもより早く寝たので、睡眠時間が不足している訳ではない。身体が疲れていたのだと思う。おかげで頭もすっきりし、体調も良好だ。この状態を維持するべく、今夜も早寝しようと思う。
2007/03/20
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週末深夜、地上波で「閉ざされた森」を放映していたので観る。パナマ駐留米軍のクレイトン基地から一機のヘリコプターが飛び立った。ウエスト軍曹率いる6名の兵士たちが、訓練を行うためである。訓練の場所は、深い森の中。だが、折り悪くひどい嵐で、雨風が吹き荒んでいた。回収予定時間を大きく過ぎても、誰ひとりとして回収ポイントへは戻ってこない。基地からは、捜索ヘリが出された。訓練開始からおよそ17時間後、森のはずれで3名が発見された。しかし、彼らはなぜか味方同士で撃ち合っており、1名が射殺され、2名のみ救助される。早速、同基地のジュリー・オズボーン大尉は、事情聴取を開始する。ひとりは重傷で治療中のため、治療が済むまでは尋問できない。もうひとりは「この基地の人間には話さない」と頑なに黙秘を続けている。オズボーン大尉の上官スタイルズ大佐は、極秘裏にひとりの男を呼び寄せた。麻薬取締局の捜査官トム・ハーディである。最近、麻薬組織に買収された容疑を受け、待機処分中の身である。もちろん、本人はこの容疑を認めていない。スタイルズ大佐が軍属ではないハーディに頼ることにした理由は、ふたつあった。ひとつには、彼の尋問の腕を見込んでのこと。そしてもうひとつは、ハーディ自身がウエスト軍曹の訓練を受けた過去を持っていたからであった。オズボーン大尉は、部外者が関与することに不平をこぼしながらも、現況を説明した。ハーディは、意表を突いた方法で口を閉ざす兵士から話を引き出すのだが…SFかホラーかもと思わせて、実はミステリーな作品。尋問と回想場面で少しずつ解き明かされていく謎。しかし、二転三転するので何が真実なのか観ている方まで混乱すること請け合い。かなり大掛かりなどんでん返しを楽しめる。期待はずれだったら途中で観るのをやめて寝ようと思って観始めたのだが、結局最後まで観てしまった。
2007/03/19
暑さ寒さも彼岸までと言うが、今年は彼岸のお中日ぐらいまで寒さが続くそうだ。とはいえ、先日の謝罪会見が記憶に新しい気象庁の言うこと。どうにも信じる気にならない。世間の人たちは「不祥事のすぐ後だから、しっかりやるだろう」と考えるのだろうが、叩けばまだまだ埃が出てきそうな感じがする。だいたい謝罪会見で済むと考えている根性自体が間違っている。誤った情報を流して被害を被った企業に対して、きちんと賠償すべきではないのか?「タダで提供している情報だから、間違っててもよい」ということにはならないはずだ。また「勝手に情報を鵜呑みにして被害を被ったのだから、自分たちには責任はない」と考えているなら、大きな間違いだ。公的機関として情報を流すということは、それだけの責任が伴うことなのだ。しかも人的ミスによる誤った情報である。賠償請求の訴訟を起こされる起こされないに関わらず、自発的に被害を与えた企業に対してきちんと誠意を見せるのが筋だろう。謝罪会見で頭を下げておしまいというのは、あまりに無責任ではないだろうか?それだけ失った信頼は、回復し難いものなのだ。喉元過ぎれば熱さを忘れるようでは、増々信用ならない。信頼を回復した気になって最近は好き放題している某公共放送にも、もっと事態を厳粛に受け止めて欲しいものである。口先だけで反省を語っていても、誰も信じないのだ。反省したからこういう行動をするのだという、確かな姿勢をもっと明確に見せるべきだろう。「反省した」と言いながら、やってることが今までと同じでは説得力のかけらもない。この程度で信頼回復できると考えているのなら、そう考えている連中はクビにした方がいい。世間は、そんなに甘くはない。大衆の沈黙は、決して承認のしるしではないのだ。正しい行動をすることができるかどうか、様子を見ているのだということを忘れてはいけない。
2007/03/18
最近「LOST」を観ている。以前CSで放映された時に何話か見たのだが、その時は登場人物のアクの強さに辟易して面白さが理解できなかった。今年、知人から貰った年賀に「LOST」にハマっているという一文があった。海外のドラマにハマるなんて滅多にない(であろう)知人からの年賀だったため、そいつがそんなにハマるのならと見直した。特定の登場人物に感情移入したから、アクの強さに拒否反応を示したのかもしれない。そう考えて、特定の登場人物に感情移入することなく、なるべく冷めた視点で見るように心がけた。その結果、大局的に物語を見ることが可能となって、物語本来の面白さがようやく理解できるようになった。物語自体、その回にメインとなる人物の回想シーンを間に挟む構成なので、実はかなりゆっくりとした展開となっている。それゆえに早く続きが見たくなること請け合いだ。あらすじを書くと見た時の面白さが半減するので、その辺はご容赦願いたい。ぜひ騙されたと思って、一度観て欲しい。あなたは、山積する謎を解き明かせるだろうか?
2007/03/17
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2007/03/17
最近、フレッツ光のCMが何気にお気に入りである。そう、あの「旅立ちの日に」を歌うやつだ。初めてこのCMを見た時、このCM用に作られた曲なのかと思った。だが、調べてみるとどうもそうではないらしい。卒業式によく歌われる歌だと言う。ちょっと待て。私は、歌った記憶がないぞ。卒業式と言えば「仰げば尊し」とか「蛍の光」ぐらいしか歌っていない。これは、どうしたことか。更に調べてみた。すると、この「旅立ちの日に」は、1992年に作られた曲だという。道理で私が知らない訳である。その頃は、もう社会人をしている。できれば、この曲と学生時代に出会いたかった。少し悔しく思った。
2007/03/16
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/03/15
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春分の日より1週早いが、既に春眠暁を覚えず状態である。いや、単に身体が疲れてるだけなんだが…やらなければならないことは山積しているが、睡眠が最優先事項なので気にせず寝る。まぁ、眠い時にしっかり寝ておいた方が作業能率がよいので、この判断は間違いではないだろう。
2007/03/14
先日テレビを見ていたら、とある番組でアナウンサーが「大滝秀治」のことを「おおたきしゅうじ」と連呼していた。もちろん、これは間違いで「おおたきひでじ」が正しい。ここまでは「あぁ、また程度の低いアナウンサーがいるな」と鼻で笑って済まそうと思っていた。ところがである。番組のナレーターまでが「おおたきしゅうじ」と読み上げたのだ。正しい読み方を知らない人がこれを見たら、ナレーターまでがそう読んでいるのだから「おおたきしゅうじ」という読み方が正しいと誤解してしまうに違いない。嘆かわしい。実に嘆かわしい。タレント名鑑などでは、ちゃんと「おおたきひでじ」と明記されていると言うのに…ものを発信する立場の者は、わかりきったことでも必ず確認するのが基本だ。思い込みや間違った記憶で確認を怠ったのだろう。たかが役者の名前じゃないか。そう反論する輩もいるだろう。だが、役者はその名前も商売道具なのだ。間違っていいものではない。名前を商売道具としない一般の人々さえ、名前を間違われてはいい気分しないだろう。我が身のことに置き換えて考えれば、一目瞭然のことだ。影響力を持つメディアは、特に気を使うべきことである。いつまでもこんなことを続けていては、局自体の品位を貶めることになりますよ、日●レさん。
2007/03/13
あなたは「指切り手袋」というものをご存知だろうか?物知り顔で「約束用の手袋」と答えた、そこのあなた。それは一体どういうものか、私の方が教えて欲しい。無論ここでいう“指切り”とは、約束の時にするアレではない。指の部分が袖なし状態になっている手袋のことである。仕事で原稿書きをする時に、私はこれを使っている。原稿用紙に手書きする時は手が汚れるのを防止し、キーボードを打つ時はキーボードが手の脂でてかてかになるのを防いでくれる。もちろん夏場は汗を吸ってくれるし、冬場は手がかじかむのを軽減してくれる。「指切り手袋」が売ってない頃は、普通の白手袋の指の部分を切って使っていた。近年、100円ショップなどで「指切り手袋」として販売されるようになり、大変重宝している。買い置きして使っているのだが、たまに洗濯したものの乾燥が間に合わない時がある。そこで、もう一組買い置きしておこうと100円ショップへ足を運んだ。いつも私が使っているのは、指が5本とも切れているものである。ところが今日に限って、指が5本とも切れているものがない。あるのは、親指・人差し指・中指の3本だけ指が切れているタイプのものだ。別段それでも作業に支障はあるまいと、それを購入。早速、今使ってみている次第だ。思いの他、使い勝手がよい。しかも掌側にすべり止めの加工が施されている。5本とも切れているものよりよいかもしれない。ある意味、怪我の功名といえるだろう。
2007/03/12
一昨日・昨日と、書きたい場面からの作劇法・キャラクターからの作劇法を紹介してきた。これらは、カルチャーセンターなどでの小説作法講座ではまず教えられることのない、実戦的な方法だ。カルチャーセンターなどでの小説作法講座では、普通「起承転結」或いは「序破急」で教わる。無論、これはこれで大事なことである。しかし、これは構成上のポイントで、作劇とは視点が異なる。つまり一昨日・昨日に紹介した方法で作劇するにしても「起承転結」や「序破急」は必要とされるのだ。この点を誤解しないように。特に最近は(アニメ・マンガの影響で)必ずしも「起承転結」や「序破急」になっていないものが存在する。だが、それはあくまでも例外なのだ。基本は「起承転結」や「序破急」である。なぜか。読者の立場で考えれば、おわかりだろう。落ちるところでちゃんと落ちなければ、物語として読んでいて楽しくはない。誰もが例外的なものを欲している訳ではないのだ。大半の読者は(特異な形態よりもオーソドックスでも)ちゃんと小説の形を成しているものを求めていることを心に留め置くべきだ。その上で冒険を行えばいい。基本がしっかりできていないまま冒険をしても、読み手がついてこないことを決して忘れてはいけない。以上、少々脱線したが、作劇と密接に絡む事柄ゆえ、注意事項として記しておく。
2007/03/11
昨日に続き、作劇法を伝授しよう。今回紹介する方法は、キャラクターを作って、そのキャラクターたちが出会うことで生じるドラマを書き取っていく方法だ。…と書くと昨日の方法より簡単に見えるかもしれない。が、実は昨日紹介した一番書きたい場面から物語を作り出す方法より数倍難しい。きちんとキャラクターが確立していないと、物語が瓦解してしまうのだ。つまり事前に緻密な設定を作らなければならない。キャラクターの名前・性別・容姿・職業はもちろん、生い立ちや家族構成から交友関係に至るまで、思いつく限りありとあらゆることを事前に設定しておこう。もちろん、そのキャラクターの性格や行動規範もしっかり定めておかなければいけない。言うまでもないことだが、そのキャラクターの性格にそぐわない行動を取らせないように細心の注意を払おう。常に「このキャラクターはこういう性格だから、この場面ではこういった行動をするに違いない」と考えながら書いていく訳だ。物語的にはこういう展開にしたくても、キャラクターの性格的にはそういう行動はしないから、ああいう展開にならざるをえない。なんてことにもなる。だからといって、そこでキャラクターの性格を曲げてはいけないのだ。筋の通った描き方をして初めてキャラクターが生き生きと輝く訳で、物語の展開に合わせてその都度性格を変えていたら薄っぺらな実在感に乏しいキャラクターにしかならない。問題なのは、物語がキャラクターの行動で展開するため、どれぐらいの分量で終わるか予想しにくい点である。原稿用紙●枚程度という形で発注を受ける物書きには、この方法は馴染まない。「書いてみたらオーバーしました」では、プロ失格だ。この方法で分量を予想するには、卓越した構成力と熟練が要求される。このようにデメリットともいえる点を数々内包した、ハードルの高い方法ではある。しかし、この方法は捨てがたい魅力があることも確かだ。何より他のどんな方法で書いた物語よりもキャラクターが生き生きとするのだ。枚数や締め切りのない方は、ぜひこの方法にチャレンジして欲しい。より深みのあるキャラクターを描き出せること、請け合いだ。
2007/03/10
物語を作る方法は千差万別、もの書きの数だけあるといっても過言ではない。そんな中から、今日はひとつの方法を教えよう。まず、とにかく書きたい場面をひとつ思い浮かべる。これは、別にクライマックスである必要はない。ライバルだと思っていたキャラクターが主人公をかばって死ぬシーンであってもいいし、主人公とヒロインが出会うシーンであっても良い。或いは満を持して悪役が登場するシーンでも構わない。とにもかくにも自分が一番書きたいシーンをひとつだけ思い浮かべるのだ。この時、ストーリーとかは一切考えなくていい。思い浮かべたシーンを可能な限り具体的にイメージする。できれば、その情景をメモしておくとよい。その場に何があり、どの位置に誰が立っていて、どんな服装をしているか、できるだけ事細かに思い描いておく。次にその場面に至るには、どういうことが必要かを書き出していく。ここでは、思いつく限りの可能性を書き出しておこう。この段階でもまだストーリーまで考えなくていい。直後の出来事(=一番書きたいシーン)に至る、直接の要因となりうる事柄を書き出していくのだ。この要因の中から一番“らしい”ものを選択する。そして、その要因に行き当たるために必要な事柄を同じように書き出していく。再びこの要因の中から一番“らしい”ものを選択する。そうやって、どんどん原因となる可能性を書き出しながら遡っていく。そうしているうちに物語の発端へ辿りつくことだろう。今度は、一番書きたいシーンの後に続く場面で、同じようにいくつもの可能性を書き出していく。それこそ慣れるまでは無数に出るだろう。その中から一番“らしい”ものを選択する。物語の終盤までこれを繰り返すのだ。気がつけば、自然と物語ができあがっているのではないだろうか?ここまで来たら、次は不自然な部分の辻褄合わせや強引過ぎる展開の微調整を行う。この時、初めて大局的な物語全体の構成を検討する。前後の展開を入れ替えて、回想シーンで描き出したり、伏線を折り込んでやったりする訳だ。慣れないとかなり面倒に感じるかもしれないが、「とにかく書きたいシーンがある」という人には、この方法で書くことをお勧めする。
2007/03/09
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/03/08
ここ最近、録画したビデオを観る時間があまり取れない。当然、DVDで映画を観る時間も同様に確保できずにいる。もちろん、この状況は私自身あまり歓迎していない。いや、むしろ不満である。観たくて録画しているのに観れないのだ。観たくてDVDを購入しているのに観れないのだ。ストレスがたまる一方なのもおわかりいただけるだろう。このところ、映画のレビューがほとんどないのもこういう状況にあるからだ。たまに時間が取れて観れたにしても、レビューしようという気になる作品でなかったりする。先日無理矢理にレビューしてみたが、案の定後悔した。やはり「これは紹介したい」と心底思う作品に限定するべきであった。語り尽くされた感のある作品は、意識してレビューを避けているのは、実はそういう訳なのだ。安直に観た作品を何でもレビューしちゃうのは、私の性に合わない。そういった理由で(楽しみにしている人には申し訳ないが)充分な時間が取れるまでは、映画のレビューを控えようと思う。その反面、テレビ番組のレビューが増える可能性もある。…などと書くと「テレビを見てる時間があったら、映画を観ろ!」とお叱りを受けそうだが、私の中ではテレビも映画も別個のものではあっても、どちらが上とか下とかいうものではない。それぞれに価値を見出しているのだ。つまり逆のケースもあり得る訳で、この手のご意見はありがたく拝聴しても気に留めるつもりは一切ない。大きなお世話である。それゆえ、これからもマイペースで行くので、あしからず。
2007/03/07
最近、立体パズルに凝っている。各メーカーから様々なものが発売されているが、中でもお勧めなのは「クリスタルパズル」のシリーズだ。もちろんパズルとしても一級品である。ピースの数は決して多くはないが、ピース数の多い少ないは難しさに関係ないことを教えてくれる。透明なピースは反対側の凹凸が見えてしまい、迷わされること必至なのだ。それでいてある種カタルシスの発散がある。カチッカチッと寸分の狂いもなくピースが納まっていく様は、組んでいて気持ちがいい。あたかも職人芸が生み出したかのような感覚に陥る。とても大量生産の工業製品とは思えない。しかも完成後に光の差す場所においておくと、クリスタル状なので美しいことこの上ない。見た目もおしゃれなので、ちょっとしたインテリアにもよいだろう。ホワイトデーに悩む男性諸氏、こんな贈り物もよいのではないだろうか?
2007/03/06
アップしては消し、アップしては消しを繰り返す。なかなか定まらない。いつもならアップする前に思い留まったり再考するのだが、今日はアップしてしまってからやっぱりやめようと思い直す。そんなことをさっきから延々繰り返している。時間だけがどんどん流れていく。先程まではあんなに高かったモチベーションが、繰り返されるたびにどんどん低くなっていくのがわかる。躁から鬱へ転じる瞬間だ。はっきりしない天気のせいにするのは、容易い。でも…こんな時は、何か気分転換をするに限る。これ以上時間を浪費しないために。
2007/03/05
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たまたまレンタルしたビデオか何かに収録されていた予告編で大変気になっているのだが、どうにもはずれっぽくて手を出せない作品はないだろうか?今回ご紹介する「ワイルドグリズリー」がまさにそれだった。先日、深夜地上波で放映されたので観た。モンタナの国立公園でキャンプをしている親子連れ。喉が乾いたと言う妻と子に車まで飲み物を取りに行く父親。クーラーボックスを開け、飲み物を手に戻る。だが、彼はクーラーボックスのふたを閉め忘れていた。開けっ放しのクーラーボックスの中には冷凍の肉が入っており、周囲に肉の臭いを振り撒いていることに男は気付かない。その臭いに誘われて野生のグリズリーが近寄ってくる。グリズリーの接近に気付いた父親は、家族に車へ乗るように促す。間一髪、車に乗り込んだと思ったところ、後部ハッチが開いていることに気付く。慌てて後部ハッチを閉める父親。皆の注意が後部ハッチに向いている時、一番下の子がぬいぐるみのクマを取りに外へ出てしまう。父親はその後を追って、車外へダッシュする。迫るグリズリー。テントに逃げ込む父子だったが、腹を空かせたグリズリーの前にはテントはないも同じだった。父親はグリズリーに襲われ、生きたまま足を貪り食われる。そこへ1台の車に乗った男が駆けつける。彼は麻酔銃でグリズリーを眠らせるのだった…こんなアバンタイトルで始まる。ここまでは、まだ期待できそうに思われるかもしれない。しかし、冷静に見るとおかしなことに気付かないだろうか?グリズリーに限らず、野生の動物は獲物を仕留めずに食べたりしない。必ず獲物の息の根を止めてから食するものだ。そして、グリズリーが足から食べることはまずない。普通内臓から食べるのである。少しばかり動物の生態に知識があれば、すぐわかることだ。このアバンタイトルで観るのをやめた人、正解である。予告編の時点での危険な予感は、見事に的中していた訳だ。やりたいことは伝わってくるのだが、予算と演出力が伴っていない典型的な映画だった。特にグリズリーの殺戮を期待している人は、がっかりだと思う。グリズリーに食われる人間は、わずか3人だ。しかも最後までグリズリーは退治されない。カタルシスの発散がないまま、半ば強引にハートウォーミングな方向へ持っていって終わってしまうのである。グリズリーに食われた人にも家族がいるだろうに…その家族の気持ちは、置いてきぼりなのだ。ハートウォーミングな方向へ持っていくのはよいとしても、この部分をほったらかしなのはいただけない。かなりシナリオの練り込みが、足りないのではないだろうか。そういう意味では、反面教師となる映画である。たまには、こんなダメ映画もよいのではないだろうか?ダメ映画をいろいろ見ているからこそ、本当によい映画に出会った時の感動が大きくなる…かもしれない。
2007/03/04
基本的に物書きは、大衆に迎合しない。大衆とは少し違った視点から物事を捉え、独自の価値観でそれを判断する。つまり物書きの立ち位置は、いつもアウトローなのだ。だからこそ客観的に物事を見ることができ、本質を見定められるのである。それができて、初めて物書きのスタートラインに立てると言う。大衆に迎合する意見しか言えないようでは、物書きとしては失格なのだ。誰にでも書けそうで書けないというのは、そういうところから来る。例えば、ある人物の功罪を語る時、世論が罪を断じる場合はその人物の功の部分を、世論が功を誉め囃す時はその人物の罪の部分を、語らなければいけない。もちろん、大衆に迎合しない意見を述べる時は、説得力も伴わなければならない。「ひとり天邪鬼がバカ言ってら」で終わってはいけないのだ。ここに物書きの腕の見せ所がある。言葉巧みに自分のペースへ引き込み、何となく納得させてしまうのだ。こういう部分は、ある意味話術に共通するかもしれない。言うまでもないことだが、論拠が弱い時には何も発言しないこと。勝てない戦いをしてはいけない。
2007/03/03
また書き忘れそうになった。日付が変わる前に書き上げられそうなので、慌てて筆を取る。まぁ、実際にはキーボードを叩いている訳だが…細かいことは言いっこなしだ。楽天ブログにタグが設定できるようになった。他のブログでは、アンカーとか呼び名が違うのでイマイチわかりにくかったが…ただ、このタグが検索できるのがTagSta.のみというのが寂しい。タグ検索サイト自体があまりないというのもひとつの理由だろうが。はたして、どれだけ実効性があるのか疑問だ。また間違ってタグ設定した時の対処などもはっきりしない。おそらく一度登録したら取り消せないに違いない。その辺の説明は一切されず、メリットしか謳っていないのはいかがなものか。こういう部分もしっかりサポートしなければ、利用者自身が人柱になるしかないということになる。これでは、怖くてみんな使えないだろう。やはりサービスを提供する側は、考えられるあらゆるケースに対して答えを用意しておくべきだ。利用者が問い合わせてから初めて答えるというのは、お粗末過ぎる。競合他社に差をつけたいなら、まずはこういった基本的な部分に力を入れるべきだろう。目新しいものに飛びつくのは結構だが、肝心の部分がしっかりしていないのはいただけない。
2007/03/02
早いものでもう3月。新年を迎えてふた月が過ぎた訳だ。このふた月の間、自分は何をしていたのかと振り返る。そう、振り返ることは、有意義だ。こうすることで浮かび上がった問題点をどうすれば解決できるのか検討し、それを解消すべく行動すれば…改めるべき点は身氏に反省し、改めるべく行動する。当たり前のことだ。だが、それがなかなか行動に移せないのも人間である。だからこそ、こうして言葉にして、それを思い出す必要があるのだ。一歩踏み出さなければ、自分の望む頂には決して近付かない。たとえそれがどんなに遠く険しい道程でも…
2007/03/01
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