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(私の住む地域は)午前中の晴天も束の間、夕方近くなってから俄かに怪しい天気なった。いつしか降り始めた雨と激しい雷に絶句する。いったんは小降りになるものの、夜になってまた雨は激しさを増してきた。明日の午前3時ぐらいでこんな天気が続くようだ。それ以降は、曇りの予報となっている。朝からどんよりした天気だと思うと、気が重い。まぁ、時折陽が射すと思われるのが救いだが…(何当分は、曇り時々晴れという天気が続くようだ。予報だと6/8ぐらいに入梅らしい。結局このままなし崩し的に梅雨に突入する訳である(ぇー
2007/05/31
小説を書く上で、これは揃えておきたいという類いの虎の巻がある。今回は、そんな虎の巻を少しだけ紹介してみたい。(辞書類も含まれるが、前回説明した複数種所持の対象ではない。無論、複数種所持していても何ら問題はないが…)●類語辞典言わずと知れたことだが、言い換える表現をチェックするのに使用する。これがないと同じような表現が繰り返されるお粗末な文章になる可能性もある。特に言葉にこだわる人種は、気に入った言い回しを無意識のうちに繰り返し使ってしまう。推敲時には、それをチェックし、必ず他の言いまわしに変えよう。●電話帳本来主要キャラクターの名前を考える作業は実に楽しい作業であるが(何作も書いていると)やはり好きな字面の名前に偏ってくる傾向にある。また中には名前をつけるのが苦手な人もいるだろう。そんな時に活躍するのが、これだ。もちろん、載っている名前をそのまま使ってはいけない。適当に苗字と名前を組み合わせて使うのだ。これなら絶対あり得ないような変な名前になることもまずないし、実在する人物と同性同名になることも多少は避けられる。●旅行のガイドブックガイドブックと言っても、そんなに大袈裟なものである必要はない。「るるぶ」などの旅行雑誌とか旅行会社で配ってるパンフレットで充分だ。物語の舞台となる場所を毎回毎回訪問して書く訳にもいかない。そんな場合にこれを使う。舞台となる場所の雰囲気を知るのに最適であるし、その舞台周辺に何があるのかも説明されていることが多い。もちろん、舞台が決まっていない時にイマジネーションを膨らませるのにも活用できる。●I SEE ALLこれは身の回りの色々なものをイラストで紹介し、その名称と英語では何と言うかが載っている辞典だ。物書きをやっていると、実際日常生活で名称を知らないものを書かなければならない場面がある。だがどうやって名称を調べたらよいものか、途方に暮れることがある。そんな時にこの1冊が役立つ。名称は、英訳でも載っているのもありがたい。かなり重宝すること請け合いだ。まだまだ、揃えておけば便利な虎の巻はある。が、一度に揃えるのは大変だろう。とりあえず今回は、ここまで。
2007/05/30
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あなたは「スーパーナチュラル」という番組をご存知だろうか?直訳すれば“超自然”となるこのタイトルの番組は文字通り、超自然現象を題材に取った海外テレビドラマだ。超自然現象といっても、その中心となるのは都市伝説や民間伝承が主体となっている。これがなかなか面白い。この放映時間帯は「LOST」の地上波放映を観ていたのだが、それがいったん終了したので何を観ようかと思ってた矢先に、この「スーパーナチュラル」の地上波放映が始まった。DVDでは既に第1シーズンがリリースされているので、そちらで観た人も多いだろう。物語は、一話完結のロードムービーの形態を取っている。それゆえ、途中からでもすんなり入れるのが嬉しい。アメリカはカンザス州のローレンスに住むウィンチェスター家。ある晩、メアリー・ウィンチェスターはふと目を覚まし、生後6ヶ月になる次男サムが寝ている子供部屋へ行った。部屋には、寝ているサムの傍らに父親であるジョンらしき男の人影が見えた。メアリーは状況を納得し子供部屋を去る。だが、去り際に別の部屋でテレビを見ている夫の姿を確認する。それでは、先刻サムの前にいたのは…メアリーは、急いでサムの元へ駆けつけるのだが…家の中にメアリーの絶叫が轟く。妻の悲鳴を聞いたジョンは、慌てて子供部屋へと駆け込んだ。しかし、そこに彼女の姿はなく、サムがベッドの上でいつものように無邪気な笑みを浮かべているだけだった。ジョンがサムの髪を撫でてやっていると、上から何かがポタリと落ちてきた。思わず手を当てて見ると、それは血である。驚いたジョンは、天井を見上げた。そこには何と妻が腹から血を流した状態で、磔にされていたのだ。と、突然天井のメアリーの周囲から炎が噴き出して、一気にその場は火の海となってしまった。ジョンは、長男のディーンを呼び「弟のサムを守れ」と指示して、先に部屋から脱出させる。何とかメアリーを助け出せないか考えたジョンだったが、火の勢いは強く無理だった。3人は、何とか燃えさかる家から脱出した。そして、12年の月日が流れた。彼らはメアリーを殺害した存在を追い求めて闇に潜む怪物や魔物を退治して旅を続けていたが、4年前からその生活に疑問を感じたサムはひとり離れて普通の暮しをしていた。そんなある日、サムの元へディーンが訪ねてくる。父ジョンが行方不明になったというのだ。最初は渋っていたサムだったが、ディーンと共に父ジョンの足取りを追うことになった。だが、それは深き闇への探索の始まりに過ぎなかった…SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉コレクターズ・ボックス1SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉コレクターズ・ボックス2SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈セカンド・シーズン〉コレクターズ・ボックス1SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈セカンド・シーズン〉コレクターズ・ボックス2
2007/05/29
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/05/28
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これも読み出したら止まらなくて一気に再読してしまった。初読の時は「ウイルス汚染機着陸不能!」というタイトルだけで内容が予想できてしまうところが勿体無いと思いつつ読み始めたのだが、その心配は杞憂に終わった。確かにタイトル通りの状況は出てくるのだが、それは物語の半ばを過ぎてからだ。そこへ至るまでの物語がジェットコースタームービーを見ているような展開なのである。パレスチナの狂信的テロリストのひとりが細菌兵器の入った容器を体内に入れてホノルルへ持ち込もうとした。が、そのテロリストの体内で細菌が漏れてしまい、彼は空港で死んでしまう。変死した遺体は、ホノルルの検死官の元へ送られた。検死官は、その遺体を解剖するが、細菌に感染してしまう。一方、そのテロリストを追跡してきたイスラエルのエージェントは、その封鎖し、感染者の隔離を手配した。その頃、ワシントンDCでは、対情報工作部のギフォード中将がイスラエル大使館の諜報部長と会っていた。イスラエルからの情報によると、パレスチナの狂信的テロリストが合衆国へ細菌兵器を持ち込み、大規模なテロを企んでいると言うのだ。さっそく中将は、調査に乗り出すのだが…ほとんど全編見所といえるぐらいなので、あまり内容が書けない。思わず映像で見たくなる、そんな小説である。特にクライマックスのシーンは、絶対映像で見たくなること必至。入手が難しいかもしれないが、ぜひ探し出して読んで欲しい。思わず唸る作品だ。「ウイルス汚染機着陸不能!」リチャード・パリ― 著内田昌之 訳創元ノヴェルズ 刊ISBN4-488-80111-0
2007/05/27
物書きの七つ道具をご存知だろうか?その中でも特に大事なのが辞書だ。「大丈夫、広辞苑が1冊あるから」などと思ってる人はいないだろうか。それは、大きな間違いだ。物書きを生業とするなら、複数の辞書を用意しておきたい。言うまでもなく、同じ出版社の辞書を複数用意しても意味はない。別々の版元から出版されている辞書を用意するのだ。「辞書なんてどれも同じだろ」などと言っているようでは、物書きになる資格はない。版元によって同じ言葉でも解釈の違いから微妙に意味合いが違っていたりするものなのだ。この微妙な違いが重要で、別の言葉に言い換えたい時に画一的にならずに済む訳である。また、その表現の違いからどの辺りまでの表現に使っても差し支えないか計ることもできる。更にその応用で、独特の文学表現にも役立てることが可能だ。辞書を複数用意するだけで、そこまで様々な活用が可能となるのである。もちろん、出版社によって載っている言葉にも違いがあるだろう。「片方には載ってても、もう一方には載っていない」とか「送り仮名が違っていたり、用例が全然違うこと」もあるだろう。その違いがあればあるほど、活用の幅が広がるとも言える。念のために書いておくと、違いがあるとどちらかが間違いと我々は考えがちだがさにあらず。どちらも正解なのだ。これは日本語ならではの言葉の持つあいまいさに他ならない。つまりは、どちらの表現に統一するかの違いでしかない。そう違いがあった場合は、どちらかに統一する必要がある。統一されていないと書き手の質が問われるだろうが…稀に編集の方で統一してくれる場合もあるが、そこまで親切な編集はそうそういない。閑話休題。普段我々が目にしている文章は、本来それだけ手間をかけられている、実に奥深いものなのだ。逆に言えば、プロを標榜しながら複数の辞書を使っていない輩は、文章に奥行きがない傾向にある。つまり知らず知らずのうちに浅い文章になってしまう危険性が高い。そうならないためにも複数の辞書を用意する必要があるのだ。余談だが「辞書なんてわざわざ買わなくてもwebで調べれば何とかなるだろう」などと考えてる人は、いないだろうか?それも大きな間違いだ。言葉は人々の生活とともに変化し、ひとつの言葉がいくつもの意味を兼ね備える。また解釈によって独特の文学表現に用いられることもある。だが、web上の辞書では最大公約数的な意味合いのみ書かれ、文学表現ならではの用法には触れられていないことが多い。仮に触れられていても(全部が全部そういう訳ではないだろうが)その根拠となるソースがあやふやでどこまで信頼できるかわからないこともあったりする。便利な反面、プロの仕事に使うにはいささか物足りないのだ。無論、識者によって微妙に違う解釈の差異を、そこからは読み取ることすら叶わない。こういう文学表現へ繋がる取捨選択や思考プロセスは、web上の辞書で再現することは難しい。というのも各社の使っている辞書が、実は同一のシステムで同一の辞書を元にしていたりするためなのだが…わかりやすくいうとweb上の自動翻訳と同じことである。こういうプログラムは、開発に費用がかかるので自社独自の開発をしているところは少ないのだ。もうひとつ付け加えておくと、電子辞書はプロの物書きの仕事には向かない。あれは、あくまでも日常生活において一般の人が使うレベルですごいのであって、決してプロの物書きが仕事で使うものではない。携帯に便利とか省スペースなどと盛んに利便性を宣伝されているが、プロの使用に耐える内容ではないのだ。プロの使用に耐えるだけのものなら、とっくの昔に従来の辞書は駆逐されて衰退しているだろう。それがいまだに多くのプロが電子辞書に切り替えないのには、やはり仕事に使う上での使い勝手の悪さや従来の辞書ならではの情報量や特色に太刀打ちできていない部分があるからだ。(電子辞書の場合「検索した語の情報しか表示されない」「一度にひとつの語の情報しか表示できない」などの欠点がある)
2007/05/26
ようやくここ数日の睡眠不足が解消できた。と思ったら、矢継ぎ早の雑事に追われ、疲労感が抜けない。そういう時に限って、色々と問題が起こるものだ。避けて通る訳にもいかないので、ひとつひとつ片付けていく。こういった状態の時は、深く考えてはダメだ。考えたら泥沼にはまる。何も考えずに目の前のことを片付けていくのだ。ただひたすらに…
2007/05/25
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充電式の携帯プレーヤーを充電せずに放置してあったことに気付いた。USB接続で充電できるので、慌ててPCに接続して充電しようとしたのだが「充電池が0である」という表示が出たままで一向に充電できない。仕方なく、充電用のアダプタに接続し直して直に充電しようとするが、それでも無反応。充電池がお釈迦になったのかと、いったんはずして、充電池を取り出してみる。見た目は、特に異常ない。再び充電池をセットして、もう一度充電してみる。充電が始まった!どうやら充電池の接触不良だったようだ。九死に一生を得た気分とは、こんなことをいうのだろう。
2007/05/24
早寝するつもりで雑事を片付け、さぁ寝ようと思ったら、このブログを更新し忘れていた。危うく更新し忘れるところだった。冒頭にも「予告なしに更新を休むこともある」と謳っているのだが、実際のところ滅多に予告なしで更新を休んだことはない。更新を休む日も「本日の更新は休み」と書き込むため、結果的に毎日更新していることになっている。こればっかりは性分なので仕方ない。まぁ、そのうちに本当に予告なしで更新を休むこともあると思うので、必要以上に期待しないように…って、誰も期待していないか。そんな訳で(どんな訳だ)今日はもう寝る。Zzzz (o_ _)o
2007/05/23
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最近は、昔読んだ本を読み返すのがすっかりマイブームと化している。今日紹介する本もそんな1冊。バックパッカーとしても知られるグラフィックデザイナー蔵前仁一の名著「旅ときどき沈没」である。これは、氏がかつて旅した先で体験した様々な出来事を紀行文としてではなく、そのエピソードだけ抜き出してまとめたものだ。いわばトラベリング・エッセイとでも呼ぼうか。そんな1冊となっている。短編集のようにエピソードを楽しめるため、ちょっとした時間調整に読むのに向いている。無論、氏はグラフィックデザイナーなので、氏の手によるイラスト(というよりマンガだ)が花を添える。ちなみに書名にもなっている「沈没」だが、これは旅行者用語の「沈没」だ。我々が日常生活で使う(かもしれない)いわゆる「沈没」とは意味が違うので注意されたし。え?どんな意味かって?それは、本書を読んでのお楽しみ。「なるほどな」と思うこと請け合いだ。
2007/05/22
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/05/21
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CSで劇場版ウルトラマンコスモスの一挙放映をしていたので観た。1作目の「ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」と2作目の「ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET」は何度も観ているが、3作目の本作「ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE」は初見だったりする。サンドロスとの戦い(前作「ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET」)から3年経った2015年。SRC宇宙開発センターでは、宇宙輸送ロケット『コスモス・ノア』の打ち上げが迫っていた。この宇宙輸送ロケット『コスモス・ノア』で、ウルトラマンコスモスが救った怪獣たちをジュラン星に移住させるネオユートピア計画だ。人類が怪獣達と共生する方法を模索するためのこの壮大なプランは、何より春野ムサシの長年の夢であった。着々と進む計画の中、かつてチームEYESでコンビを組んでいて今はチームEYESの隊長を務めるフブキケイスケが、出発を控えたムサシの元を訪ねた。戦友のエールに喜びを隠せないムサシ。しかしその最中、突如現われた大型宇宙船より降り立った謎のロボットがロケットの攻撃を始める。この地球の危機に、ウルトラマンコスモスが駆けつけるのだが…正直に言ってイマイチだった。内容が薄っぺらなのだ。前作「ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET」がかなり頑張っていただけに、余計にそう感じるのかもしれない。何故ジャスティスと戦うのかという理由付けも弱いように思った。脚本の段階でもっと練り上げたら、ずっとよくなったのではないだろうか。何とももったいないばかりだ。また物語後半への展開も盛り上がりに欠いたまま淡々と進み、説得力に乏しい。これでは感動も何もあったものではないだろう。見所は前作同様に顔見世するゲストたちぐらいか。そういう意味では、万人向けの作品ではない。テレビシリーズから劇場版までずっとウルトラマンコスモスを応援していた人たち向けのデザート的な作品と言えるかもしれない。
2007/05/20
巷ではDoCoMo2.0が話題になっている。その売りとなっているポイントは3つある(らしい)。今回は、その3つのセールスポイントを考えてみよう。ひとつは、1台分の携帯電話で2台分の機能を持てる「2in1(ツーインワン)」機能だ。月額945円の料金を支払うと、新たな電話番号とメールアドレスが持てるというもの。一見便利そうに見える。確かにケータイを2台持つよりは維持費が安く済むかもしれない。だが、そのサービスを受けるためには対応機種に替えなければならない。また番号の切り替えが簡単なだけに間違えてしまうことも多そうな気がする。多くの人は仕事とプライベートで使い分けるだろうが、仕事先にプライベートの番号からかけたり、逆にプライベートの相手へ仕事の番号からかけてしまう可能性も高い。仕事関係には伏せておきたいプライベートの番号が、間違ってかけたことから露見して流出することだってありえるのだ。便利そうに見えて変な気苦労が絶えないのなら(例え維持費が高く付いても)2台ケータイを持った方がよっぽどよいのではないだろうか。それ以前に仕事とプライベートでそれぞれケータイを必要とする人は、そうそう多くはない。きちんとマーケティングしているのだろうか?ふたつめにマイメニュー登録すると定額料金で音楽をダウンロードできる「うた・ホーダイ」のサービスが開始される。これは、あからさまにauの音楽ケータイへの挑戦だ。それ自体は悪くない。しかし、やはりそのサービスを受けるためには対応機種に替えなければならない。音楽自体は、PC・ケータイのどちらからでもダウンロードできる。価格は月額1980円。こうしてみるとよく聞こえるが、実はこの価格設定が割高だったりする。他の音楽ダウンロードの月額料金と見比べるとわかるはずだ。高くても月額1280円程度なのだ。700円の差は、決して安くない。年間8400円も高く付く計算である。音楽ダウンロードを利用したことのある人はわかるだろうが、そう毎月大量にダウンロードしたりしない。ダウンロードする月とあまりダウンロードしない月があるはずだ。そこから考えたら、ダウンロードしない月も同じ料金が取られる訳で、維持費を考えたら安いに越したことはない。目玉として採用するなら競合する他社の音楽ダウンロードサービスの半額~2/3程度に抑えるべきだったのではないだろうか。3つめは、任天堂の「Wii」のように携帯電話を傾けたり振ったりして楽しめる「直感ゲーム機能」が追加される。これも、もちろん対応している機種への変更が必須となる。新機種でも対応していない機種があるので注意が必要だ。すべての新機種に対応させなければ、目玉にはなり得ないように思うのだが…当然のことながら、各ゲームごとに月額料金が必要となる。以上の3つの機能、ターゲットとなる層が微妙にずれている気がする。全部の機能を必要とする人は、逆に限られてくるに違いない。そのいずれもが、そのサービスを受けるには対応する新機種に変更し、基本料金・通話通信料の他に定められた月額料金を支払わなければならないのである。金食い虫以外の何者でもない。DoCoMoのユーザーは、本当にこれらのサービスが必要なのか、よく吟味する必要に迫られそうだ。何だか方向性が間違っているように思えるのは、気のせいだろうか。
2007/05/19
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先週に引き続いて放映された探偵事務所5シリーズの「探偵事務所5 私立探偵522 ~失楽園~」を観た。川崎の臨海地区に本部を構える“探偵事務所5”の探偵522は、浮気調査が専門。だが、何故か仕事の時間外にカイン美容整形外科を調べていた。もちろん、事務所公認だ。そんなある日、522に591が前回の事件解決後もカイン美容整形外科を調べていることが耳に入る。「カイン美容整形外科の調査はやめろ! カインの裏を暴くのは俺だ!」522は、591の執務室へ怒鳴り込んだ。カイン美容整形外科の悪事が許せない591は522に食い下がるが「522自身が長年に渡ってカイン美容整形外科を調べていること」や「摘発する証拠はあるがその程度の証拠では罰金を払っておしまいになってしまうため、もっと決定的な証拠を掴みたいと考えていること」を知り、522の言い付けを守ることにした。しかし、瞳が先走ってカイン美容整形外科に潜入してしまう。瞳からの連絡ではじめてそれを知った591は、慌てて522の執務室へ飛び込んだ。522は、やむなくカイン美容整形外科に潜り込ませている内偵のモリヤマに瞳を救出させることにするのだが…前作「探偵事務所5 私立探偵591 ~楽園~」の後日談的な内容で、物語もシンクロしている。当然前作に登場したキャラクターの大半は、本作品にも登場する。その中でもカイン美容整形外科の天才整形外科医・村山理沙子を演じた田中美里の鬼気迫る演技は特筆に価する。特に狂気に満ちたその目の演技は、凄まじい。ある意味、彼女の執刀するオペシーンが最も怖さを感じる場面かもしれない。短い作品なので、前作「探偵事務所5 私立探偵591 ~楽園~」と併せて鑑賞したい1本だ。
2007/05/18
何日か前にやらかしたばかりだというのに、またやってしまった。いや、学習能力がない訳ではない。抗えないほどの魅力に満ち溢れた作品なのだ。そんな訳で「汚染 イェローストーン完全封鎖」を再読した。ボストンでひとりの男が強盗に遭ったように見せかけて殺された。男を始末したのは、化学薬品会社ペトロダインの特別顧問を務めるスカンツだ。彼は、ペトロダイン社の荒事全般を受け持っていた。このペトロダイン社は、政府高官との極秘取り引きで、細菌兵器の研究開発から製造までを秘密裏に請け負っていた。欲を出した研究者のひとりが会社を強請ってきたことから、依頼を受けたスカンツが適切に対処したのだった。呼び出されたスカンツは、叱責を受けた。どうやら、その処置の仕方がお気に召さなかったらしい。一方、イェローストーン国立公園は、例年のように夏の観光客で賑わい始めていた。ある日、1台の大型タンクローリーがこのイェローストーン国立公園内で横転した。そのタンクローリーは、ペトロダイン社の車だった。車体に張りついたの文字は、もちろん正しくはない。満タンに積載していたのは、極秘に開発された軍事用の細菌兵器だったのだ…読み出したら止まらない。まさにジェットコースター・ノベルだ。以前読んでから時間が経っていたこともあって、いい感じにストーリーを忘れていたのがよかったのかもしれない。政府の意を受けて事件を極秘裏に処理しようとするペトロダイン社とばら撒かれてしまった細菌の恐怖がダブルパンチで迫る緊迫感は、何ともいえずスリリングだ。間違っても、こんな状況には陥りたくはない。そう切に願いながら読んでいる自分に気付くだろう。本作品は「スピル/最終汚染」のタイトルで一度映画化されているが、内容は小説とだいぶ違う。部分的に設定を借りて作ったような中途半端な出来だったりする。ビデオのみでDVDは出ていない。興味のある人は、レンタルビデオ店を探してみよう。「汚染 イェローストーン完全封鎖」レス・スタンディフォード 著槇野香 訳創元ノヴェルズ 刊ISBN4-488-80105-6
2007/05/17
物書き、とりわけ小説書きにとって一番大切なことは何だろうか?巧みなストーリーテーリング?魅力的なキャラクターの創造?映画を見ているかのような描写力?どれも大切だが一番ではない。では、いったい何か?それは“引出しの多さ”だ。この“引出しの多さ”というのは、一見簡単そうに見えて難しい。というのも、あからさまに知識量と経験で差が出る部分だからである。昨日今日出た新人がベテランに太刀打ちできない最大の要因はここにある。この差を埋めるべく、多くの小説書きは、他人に見えない部分で魂を削っているのだ。無論、容易には“引出しの多さ”の差は埋められない。それは、ベテランも現在のポジションに胡座をかかずに(胡座をかいていたら、まず読者に飽きられるだろう)精進しているためだ。では、その差は埋められないものなのか?短絡的に結論を急ぐものではない。埋められなければ、別の部分で凌駕すればよいのだ。ベテランには思いつかないような発想やセンスで勝負すればよいのである。「そうは言われても、とてもそんな発想やセンスはない…」そう嘆くなかれ。そんな人には“引出し”を増やす秘策を授けよう。“引出し”を増やす方法、それはずばり読むことだ。それも人並みに読んでいるようではダメだ。人の倍、いや(最近の人はあまり本を読まないから)最低でも3倍以上は読まなければいけない(ぇそんなに本を買ってられない?何のために図書館があるのだ。方法はいくらでもあるではないか。無論、読むといっても単に筋を追う読み方はダメで、しっかりと読解して自分のものにすることが大切だ。全然秘策じゃないって?秘策は、ここからだ。読むのは、紀行文を選ぶこと。紀行文というのは、旅先での様子を綴ったものだ。当然、その現地での様子が描かれている。しかも、読者の大半が現地へ行ったことがない人であることを想定して書かれている。つまり現地に行ったことがない人にもその現地の様子が伝わるように書かれているものなのだ。もちろん、例外もある。だが、そういう例外はごく一部で、読み始める前にパラパラっと中を見ればわかることだ。それでは、なぜ紀行文を選ぶのか?ここが“引出し”に繋がる部分なのである。色々な紀行の色々な場所を知っているということは、それだけ物語の舞台にできる場所を知っているということになる。そう、既に“引出し”が増えつつあるということだ。似たような気候の街でも街によって表情が違う。そこまで描き分けられるようになったら、かなり“引出し”が増えたと実感できるのではないだろうか。これが秘策なのだ。つまり他人の何倍も紀行文を読み、その内容を自分自身の滋養とすることで、自ずと“引出し”は増えるものなのである。差をなくすことはできなくても、差を縮めることは可能なはずだ。ただ、くれぐれも紀行文からの丸写しはしないようにしてもらいたい。そんなことをしたら、盗作になってしまうのは説明するまでもないだろう。あくまでも内容を読解して自分のものとし、その知識を再構成して、自分なりの表現とするように。健闘を祈る。
2007/05/16
資料を捜しに書庫へ入った。目当てのものを捜していると「恐竜クライシス」が目に入る。手にしてパラパラっと見たのが、運の尽き。懐かしくなって再読したくなってしまう。少し気分転換に読むのもいいだろうと、肝心の資料を捜すことも忘れて読み始めてしまう。いつもの悪いクセだ。イギリスの地方新聞“ワーチェスター・タイムズ”の記者デヴィッド・パスカルは、今日も日課の警察署訪問をした。顔馴染となった警官たちと交わす、他愛ない冗談。こんな片田舎では記事になるような大きな事件が起こるはずもなく、ひとしきり冗談を言い合ったらおしまいとなるはずだった。少なくとも昨日までは…だが、今日は違っていた。冗談を言い合っている時に突然電話がけたたましく鳴った。電話に出た警官の口から「そんな馬鹿な…」と言葉が漏れる。近くの養鶏場で、そこを経営するカートライト夫妻が殺されているという。通報してきたのは、その養鶏場で働いているトム・グーチだ。彼が仕事をしに養鶏場へ出勤すると、そこでカートライト夫妻の死体を発見したという。久しく起きていなかった大事件に、たちまちのうちに警察署は騒然となった。パスカルは、現場へ急行するという警官に同行するのだが…結局、途中でやめられなくてラストまで読んでしまった。もちろん、空はとっくの昔に明るくなっている。いやぁ、何度読んでも面白い。タイトルからもわかるように恐竜もののSFだ。…と聞くと、多くの方はマイケル・クライトンの「ジュラシックパーク」を連想されるのではないだろうか。だが、驚くなかれ。この作品は「ジュラシックパーク」が上梓される6年も前に出版されているのだ。しかも恐竜をクローン培養で蘇えらせる展開もこちらが先だ。勉強熱心なマイケル・クライトンが、この作品の存在を知らずに「ジュラシックパーク」を書くとは到底思えず、かなりの部分でこの作品から着想を得たと考えられる。ところが、映画化となると話は逆で「ジュラシックパーク」のヒットにあやかって、この作品を原案とした映画「恐竜カルノザウルス」が制作された。一部の資料では、原作と表記されるが、それは間違い。この作品のプロットを部分的に取り入れただけで、物語も登場人物も違うものを原作にしたとは言わない。まぁ、映画の方はともかく、この小説の方は珠玉の名作と呼べる代物だ。未読の人は、ぜひ一読することを薦める。「恐竜クライシス」ハリー・アダム・ナイト 著 尾之上浩司 訳 創元推理文庫 刊ISBN4-488-57501-3
2007/05/15
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/05/14
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おととい深夜、地上波で放映していたので視聴。もちろん、初見ではなく、何度も観ている作品だ。一定の年齢層以上の方には「ヒッチコックの鳥」と表記した方が通りがよいかもしれない。メラニー・ダニエルズは、注文していた九官鳥を受け取りにある小鳥店へ訪れた。だが、入荷が遅れていて、まだ入ってないという。彼女は宅配の手続きを頼むが、念のために確認してくると店員。その間、宅配の届け先を書き込んでいると、彼女を店員と間違えた男性が声をかけてきた。彼は、妹の誕生日にインコを贈りたいという。メラニーは店員のふりをしたまま、彼に説明をして回るが鳥に関しては素人の彼女にちゃんと説明できるはずもなく、知ったかぶりばかりでその説明はいい加減なものだった。挙句の果てに籠に入った小鳥を1羽、逃がしてしまう。そこへ店員が戻ってきて、あわや大騒ぎになりかけるが、その男性の機転で逃げた小鳥は無事籠の中へ。彼は、悪ふざけで裁判沙汰となったメラニーを法廷で見かけて、その顔を覚えていたのだ。それゆえに同じように悪ふざけされたら、どう感じるか理解させるために、わざと店員と間違えたふりをしたのだという。彼は、そうメラニーを諭すと店を後にした。一方のメラニーは、収まらない。ちょっといいなと思った男性に鼻っ柱をへし折られたのだ。彼に一泡拭かせてやりたいと考えたのだった。彼女は、去り行く彼の車のナンバーを控えると、父が社主を勤める新聞社へ電話し、車の持ち主を調べるように依頼する。そして小鳥店でインコを大至急取り寄せるように注文した。車の持ち主は、ミッチ・ブレナーという若き弁護士だった。彼女は、ミッチのアパートメントへインコを届けるが、あいにくと彼は週末を利用して実家のボデガ湾へ帰った後だった。メラニーは車を飛ばし、彼の故郷へ向かった。郵便局でミッチの自宅を訊ねると、ボデガ湾の向こうだという。「海岸沿いの1本道をまっすぐ行けばよい」という郵便局員に「裏道はないか」と訊ねるメラニー。彼女は、こっそりインコを届けて驚かせたいのだ。「それならボートで湾を横切ればいい」という郵便局員に、彼女はボートの手配を頼んだ。はたして彼女の思惑通りにことは運び、誰も訪問していないのに届けられたインコにびっくりしているミッチ。そんなミッチの姿を湾上のボートからこっそり見ているメラニー。ミッチは、湾上にボートを認めると反対岸の船着場へ向けて車を走らせた。気の済んだメラニーは、ボートを船着場に向ける。あと少しで船着場というところで、突然、舞い降りてきた1羽のかもめがメラニーを襲った。彼女の額を突ついて飛び去ったのだ。しかし、これは事件の発端に過ぎなかった…ヒッチコックの作品だけあって導入の仕方が見事である。サスペンスの“サ”の字も感じさせない、まるで恋愛映画かと思わせる展開。それが徐々に起こる異変から動物パニックものに転じる様は、その温度差が大きいだけに大変効果的だ。また(当時としては難しかった)動き回る動物と演技する人間との合成も(CG合成が主流の今の目で見ると少々厳しいものの)なかなかよく頑張っている。本作は、同監督にしては珍しく即物的なショック描写が目立つこと、この手の作品は本作のみであることなどから、同監督の熱心なファンの間では評価が二分されるという。だが、だからこそ、よりこの作品の魅力が増しているようにも思える。そういう意味では、貴重な1本といえよう。この作品を見ずしてヒッチコックを語るなかれ。
2007/05/13

最近コレピクが大盤振る舞いのアップデートをした。有料会員向けのコンテンツを無料会員向けに大幅に解放したのだ。(具体的には、有料会員に限定されていた釣り場が全面開放されたことなど)それだけでもすごいのに、更に追加アップデートを行ない、新しいゲームをこっそり盛り込んでいたりする。新たに設置された交番で「お手伝いします」を選択すると、特定の家を訪問して不審者を捕らえるように指示を受ける。で、その先方の家に着いたら「家に入る」を選択、すると案の定家の中に不審者が潜んでいる訳だ。この不審者を発見したら、もぐら叩きの要領でカーソルを合わせてクリック。ヒットするたびにダメージを与えることができ、不審者のHPのゲージが0になったら捕らえることに成功となる。この時、不審者が各種ゲームアイテムの入った玉を落とすようになっている。そのゲームアイテムは、基本的に“とっかえ屋”での交換でしか手に入らないレアアイテムをゲットする時に必要とされる。(“とっかえ屋”というのは、いらないオフィシャルアイテムやダブッてしまったオフィシャルアイテムを別のオフィシャルアイテムへと交換してくれるショップだ)無論、潜んでいる不審者はひとりとは限らない。何人も潜んでいる場合もあるし、別のフロアに潜んでいることもある。中には一定のダメージを受けると別のフロアへと移動する不審者もいる。また落とす玉もひとつとは限らない。ふたつ落とす場合もある。ここで注意して欲しいのは、そのミッションの途中で他の家へ移動したり帰宅してしまうと、まだ捕らえていない不審者がいてもミッションを放棄したと見なされ、すぐに同じ家に戻ってもゲーム再開できないのだ。改めて交番に行くところからやり直さなければならない。間違って置いてあるアイテムをクリックして移動してしまうと、この羽目になるので気をつけて欲しい。その家で不審者をすべて捕らえると交番に戻ってくる。警官と会話して不審者を引き渡そう。この時、不審者が更に玉を落とすことがある。それも忘れずにゲットすること。よく考えたものだ。これならおのずと新しいところへ訪問することになり、自然とコミュニケーションの輪が広がる。当然それぞれの家へのアクセス数も増えるという、一石二鳥の効果もある。ぐんとコレピクの魅力が高くなったように思う。まだコレピクをやったことがないという人は、ぜひ一度遊んでみることをお勧めする。無料会員でも十二分に遊べる奥深さがあるのだ。
2007/05/12
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昨日深夜地上波で「探偵事務所5 私立探偵591 ~楽園~」をやっていたので観た。これは、林海象監督による探偵物の集大成的作品群のひとつだ。ある任務を受け、外国人労働者ばかりの現場へ潜入した青年・小林芳雄。潜入先で発見されるも、咄嗟に「班長が呼んでいる」とやり過ごそうとしたが、相手は班長だった。たちまち正体が露見して捕らえられてしまう。拳銃を突きつけられて誰の指示で潜入したのか、問い質される小林。しかし、彼は頑として口を割らない。オートマチック拳銃のスライドが下げられ、いよいよ撃たれるかというところで、彼は見事「合格」となった。川崎にある創立60年を迎える「探偵事務所5」と呼ばれる探偵事務所。そこの探偵採用のための実技試験だったのである。無論、受ける当人には潜入調査としか伝えられていなかった。そんな訳で晴れて探偵として採用された小林芳雄青年は、支給された制服に身を包み、翌日颯爽と出社するのだった。見るものすべてが珍しいといった感じの彼だったが、まずは探偵事務所幹部の501の執務室へ出頭する。そこで彼は「ここでは5で始まる3桁の数字で呼び合うこと」と「任務の振り分けがあるまでは各探偵に与えられた執務室で待機していること」を指示される。小林には“591”のナンバーが与えられた。自分の執務室を持てたことが嬉しくて仕方ないといった風の591だったが、やがてやることもなく待機していることに退屈してくる。彼は「待機していろ」と言われた指示に背き、広大な事務所内の散策に出かける。既に他のメンバーは待機しているのか、出かけてしまったのか、事務所内に溢れ返っていた他の探偵たちの姿はなく、広大な事務所内はひっそりと静まり返っていた。少し探険しただけで自分の執務室に戻る591。すると、彼の部屋にはひとりの女子高生がいた。彼女の名は、宍戸瞳。この探偵事務所の創立者にして会長の“500”の孫娘だ。彼女は、591にある取り引きを持ちかけるのだが…予備知識なしで観たのだが、面白い。観ているうちにすっかり物語に引き込まれてしまった。内容的には現代が舞台なのだが、何かノスタルジックな雰囲気が全編に漂っており、なんともいい感じなのだ。スパイ映画の秘密兵器よろしく、いろいろな探偵の七つ道具が登場する辺りも楽しい。もちろん調査中の仲間をバックアップする様々な仕掛けもワクワクすること請け合い。ぜひ騙されたと思って観て欲しい。観てよかったと思うはずだ。来週の同じ番組で同作品の「探偵事務所5 私立探偵522 ~失楽園~」が放映されるそうだ。忘れずに観ようと思う。
2007/05/11
どっと疲れが出た。いつもより2時間ぐらい多く眠った。それでも起きるのが辛い。が、そのまま寝ている訳にもいかず、無理矢理起きる。全身に残る疲労感。疲れが抜けきってない感じだ。起きてしばらくすれば普段通りになるかと思っていたが、その気配はない。やはり蓄積した疲れが抜けきっていないのだ。こんな時は、疲れが抜けるまで休むほかない。いつもなら寝る前に入る風呂を夕方ぐらいに入る。ぬるめの湯に時間をかけて浸かり、少しでも疲れが抜けるように。あとは、早めに寝るだけだ。これで疲れが抜けるとよいのだが…
2007/05/10
周囲を睡魔に取り囲まれた状態で必死で眠気と戦っています。さすがに限界です。今日は、もう寝ます。おやすみなさい。
2007/05/09
とんでもなく時間がないという訳でもない。さりとて自由になる時間がある訳でもない。片付けなければいけない問題は山積。何から手をつけたらよいものかと思案している間にも、無情に時は流れる。気ばかりが焦って、何も手につかない。作業効率はどんどん低下し、それと呼応するかのようにモチベーションも下がる。当然更新したいという意志とは裏腹に書きたいことを思ったように表現できないでいる。それが今の状態。鬱状態に陥らないのが不思議なぐらいである。スランプという言葉で片付けるのは簡単かもしれない。しかし、そう単純なものではないような気がする。気分転換に走って気を紛らわせるのもひとつの選択肢だろう。だが、それは“逃げ”だ。この後に及んで“逃げ”たくはない。今は、のた打ち回ってでも己で答えを見つけるべき時だ。壁を超えるのは、自分自身の力と想いなのだ。ゆえに立ち向かおうと思う。いかなる答えが待っていようとも…
2007/05/08
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/05/07
ごーるでんうぃーく終了~遊び倒した方々、お疲れさん。(私のようになんだかんだ言って)仕事してた方々、もっとお疲れさん。ぐーたらな休日を送っていた方々は「明日は仕事にならん」と諦めないで、少しずつ元の調子に戻そう。焦っても焦らなくても同じなのだ。だったら焦らずにマイペースで元の調子に戻した方が無理はない。変に無理をして体調を崩すよりはマシだ。少し早いが、もう寝てしまおう。「宵越しの疲れは引きずらない」に越したことはない。
2007/05/06
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/05/05
今日は“みどりの日”である。先日の“昭和の日”の時にも書いたが、今日を“みどりの日”にした意図がわからない。どうせなら5/1か5/7を“みどりの日”にするべきだったように思う。特に5/1を“みどりの日”とした場合、4/29と5/3が祝日なので4/30と5/2が国民の休日で休みになったのだ。飛び石連休を防ぐ意味でも意義深かったと思われる。政治家といい、学識経験者といい、己らの目は節穴か。庶民が何を求めているのか、まるでわかっていない。これでは、いたずらにカレンダー業者と手帳業者をいじめているようではないか。いや、そればかりか、庶民を休ませたくないようでもある。一方で働き過ぎと言いつつ、他方では休ませない。こんな矛盾したことがあるだろうか。働く時はきびきび働き、休む時はゆっくり休む。何事も緩急が大事なのだ。名ばかりの大型連休ではなく、名実ともに大型連休を実感できる日は来るのだろうか?
2007/05/04
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ここ数日、集中的にBSで『怪奇大作戦』を放映していたので観た。昨晩は、リメイク版の『怪奇大作戦 セカンドファイル』から「人喰い樹」が、オリジナルの『怪奇大作戦』から「美女と花粉」と「霧の童話」と「人喰い蛾」の3本が放映された。今更言うまでもないことだが、どれだけ撮影技術や特撮がすぐれていようともリメイクはオリジナルを超えられないということを痛感させられた。見比べてしまうとオリジナルの方が面白いのだ。リメイクの方が尺も長く、物語を端折らなくても描ける余裕があるというのに…おそらく予算もオリジナルより贅沢に使えるだけあると思われる。それだけ好条件が揃っていても、オリジナルを超えられないのは、それだけオリジナルがよくできているからだろう。予算がないのは創意工夫で補い、尺の短さは極限まで無駄を削ぎ落とした演出でカバーする。こういう先人の努力が結集して作られたものだからこそ、生半可なことでは超えられないのだ。
2007/05/03
物語を書く上で欠かせない要素に情景の描写が挙げられる。この描写というのが曲者で、作者自身はわかっているから、ついつい疎かになってしまう。結果、作者以外の人間が読むと、どんな場所にどんな位置関係でキャラクターが位置しているのか、はっきりしないまま物語が展開するという、空恐ろしい状況に陥る。これはシャレにならない。おそらくプロとアマチュアの最大の差は、この描写に集約されるかもしれない。無論プロでも描写力の乏しい、プロと名乗るのはおこがましいような書き手も存在する。そういう書き手は、次のように言い訳するに違いない。「いちいち描写していたら、文章のテンポが崩れる」笑わせてくれる。自分の描写力のないのを棚に上げて文章のテンポだと?文章のテンポなどとほざくのは100年早い。本当にプロなら文章のテンポなど崩さずにきちんと描写ができるはずである。いや、描写をちゃんと行った上で、テンポのよい文章が書けて当たり前なのだ。この描写力を磨く方法を今回は少しだけ伝授しよう。描写力を向上させることは、観察力を磨くことに他ならない。だが、言葉では簡単に言えても、実際やるとなるとそう簡単には観察力は磨けない。それでは、どうしたらよいのか?一番簡単なのは、映像を見ながら、そこに描かれる情景を書き出していくのだ。それには旅行番組などがいい。特に外国の街並みを歩くような番組がお勧めだ。もちろん街並みを歩かないような番組でも観察力を磨けなくはない。しかし、徒歩は移動手段の基本となる。描くのが人間である以上、その基本である徒歩に合わせた描写をマスターするのは必須だろう。中にはテレビ番組ではなく、実際に街中を歩いて観察力を磨くという人もいるに違いない。確かにそれも大切な方法だ。とはいえ、手放しに薦められる方法ではない。普段我々は意識していないが、外を歩くということは周囲の色々なものに注意を払いながら歩いているものだ。そこに観察力を養うべく、ひとつ行動を加えるのは、意外と難しい。観察力に集中すれば、普段無意識に注意を払っている身の安全が疎かになる。逆に普段通りに歩いたら、観察力を養うどころではないはずだ。つまり集中して観察力を養うのなら、歩き回るよりも映像を活用した方が効率的なのだ。以前紹介したヒアリングでの描写力の鍛錬と組み合わせれば、より効果が上がるだろう。私自身、決して他人様に誇れるような描写力はないと自分では思っている。それゆえに前述した方法で日夜描写力の向上に努めている訳である。実際、上記の方法で観察力を養った結果、著しく描写力が向上したことを報告しておく。
2007/05/02
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劇場公開時には、もちろん映画館まで足を運んで観た作品。「ウルトラマンティガ」と「ウルトラマンダイナ」の間を繋ぐ時間軸にある物語となっている。ニュージーランド沖に姿を現わした超古代遺跡ルルイエ。かつてガタノゾーアの復活で大打撃を受けた地球平和連合TPC(=Terrestrial Peaceable Consortium)は、その関連を危惧し、ただちに調査隊が派遣された。調査隊には―特別捜査チームGUTS(=Global Unlimited Task Squad)の隊長であり、地球外生命体との交渉計画の責任者でもあった経歴を買われた―イルマ・メグミがオブザーバーとして同行することになった。遺跡内を進む調査隊は、その深淵で禍々しい雰囲気を持つ3体の巨人像を発見した。この3体の巨人像に不吉なものを感じたイルマは、調査を一時中止し、本部に指示を仰ぐように進言するが聞き入れられない。調査責任者のサエキは、警務局副長官のナグモから極秘の計画を指示されていた。“F計画”のために完全な巨人の確保を命じられていたのだ。だが、その計画は闇の巨人を蘇えらせる引き金となった…テレビシリーズの「ウルトラマンティガ」を観ていなかった人には、少々人物関係がわかりにくくなってしまっている。ある意味、一見さんお断りのファンサービス的な作りの映画なので、仕方ないといえば仕方ないのだろう。とはいうものの、複雑な設定でありながら、一気に見せてしまう演出力は特筆もの。テレビシリーズからこの作品に関わってきた監督ならではの完成度といえるかもしれない。無論テレビシリーズでレギュラーキャラクターの性格を知り尽くした監督だからこそ、キャラクターの性格が変わってしまうようなこともなく、安心して観ることができる。
2007/05/01
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