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以前読んだものの、すっかり内容を忘れている小説「牙のある時間」を読み返してみた。守谷順一は、幻想画を主題とする画家だ。彼は、職業柄か時々奇矯な行動を取ることがあった。これが原因で転居を余儀なくされていた。そんな彼が妻の久美と共に転居した先は、北海道の小さな町だった。アーティストを受け入れているという、その小さな町は理想的な場所だった。その転居先の隣家には、かつて大地主の一族が住んでいた。今そこに住むのは、農場主の円城正晴とその妻・恭子だ。人付き合いの悪い夫妻と聞かされていたが、彼らは隣人に親切だった。その人間的な魅力に惹かれ、たちまちのうちに意気投合してしまう守谷夫妻。だが、それは退廃と破滅への第一歩に過ぎなかった…ホラー小説と思って読むと思わぬ肩透かしを食らう。ミステリー…しかも官能サスペンスの色彩を帯びている。もちろんホラー小説には間違いないのだが、ホラー色は薄い。ホラー小説が苦手な人もこれなら読めるだろう。物語は3部構成となっており、第1部は守谷久美の視点で、第2部はその夫守谷順一の視点で、それぞれ同じ出来事が描き出されている。第3部は再び守谷久美の視点で、事件の顛末がエピローグ的に語られる。この第1部と第2部の視点が違うだけで、これだけ違ったものに捉えられているという点がなかなか興味深い。こういう物語の構成は、小説を書く人には大変勉強になるだろう。技法を学ぶという点からも読んでおくとよいかもしれない。
2007/04/30
今日は、久しぶりにホームセンターへ行った。目的のものはすぐに見つかったので、帰りに購入することにして店内を見て回る。ホントに見ていて飽きない。あれもこれも「あったら役立ちそうだな」と思うものが目に入る。流石に、だからといって買わないが…ふと見ると、隣りで工具を見ている紳士は少年のように目を輝かせていた。自分もこの紳士と同じように少年の目をしていたのかもしれないな。そんな風に思った。ホームセンターは、いい大人が少年に戻れる空間なのかもしれない。目的のものをレジで精算して帰途に着く頃には、今の自分に戻っていた…
2007/04/29
明日4/29は、今年から“昭和の日”となった。去年までの“みどりの日”はどこに行った?…というと、5/4に移動されたという。今までは“祝日”と“祝日”に挟まれた“国民の休日”扱いだった5/4が正式に“祝日”になったのだ。ただ名目上“祝日”になっただけで、元々“国民の休日”で休みであったため、特別休みの日が増える訳ではない。なんだかカタログ上はハイスペックなのだが、実際に使ってみると今までと変わらない機械のようであまりよい気分ではない。5/4ではなく5/7ぐらいに制定してくれたら、5/6も“国民の休日”になったというのに…まったくお上のやることは、今ひとつピントが外れているような気がする。たまには庶民が「おっ、結構いいことするじゃん」と思うような粋なことをやってもらいたいものだ。まぁ、私の仕事には“祝日”だの“国民の休日”だのは全然関係ないので―関係あるとしたら印刷所の関係で締め切りが繰り上がるぐらいか―どうでもよいことだったりするのだが…(ぉぃ
2007/04/28
以前ビデオで見た「アベレーション」がCSで放映されていた。何となく見たくなってチャンネルを合わせた。雪に包まれつつある森林を何かの調査をしながら歩き回る青年。その青年が調査する森林のすぐ脇に通る道を一台の車が走り抜ける。車の中にはひとりの女性と丸まって寝ている猫、そして水の入ったビニール袋の中でゆられている金魚が2匹。彼女の名は、エミー・ハーディング。遥か昔に住んでいた、山中の家へ戻ってきたのだ。家は久しく住んでいなかったらしく、埃が積もり、ところどころ蜘蛛の巣が張っている。何かの気配を察知したのか、彼女の飼い猫のフランキーは家に入るのを嫌がった。なんとかなだめすかして猫を招き入れると、とりあえず人が住める程度に簡単な掃除を行う。その頃、近くの森では野鳥に吠えかけていた猟犬が、何かに襲われていた…典型的なB級モンスター映画である。荒唐無稽さを勢いと演出の力技で見せ切ってしまう作品だ。ある意味、逃げ場がないと思わせておいて、逃げ場があったりするのはご愛嬌。それでもスピード感があり、意外にもハラハラさせられる。難しい理屈抜きにして楽しみたい映画と言えるかもしれない。どんでん返しがありそうでないラストシーンは、逆にもしかしてこの後…的な想像をする余地がある。そんな部分も楽しむ余裕を持って鑑賞されたし。ちなみに本作品は、ニュージーランド映画だったりする。「アベレーション2」は、アメリカ映画なので注意しよう。当然、2と謳っているが続編ではない。
2007/04/27
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/04/26
某携帯電話会社のCMで予想外犬が登場するものがある。同社のCM自体のセルフパロディだ。しかし、ちょっと待て。そもそも、このCMはパロディとしてきちんと成立しているのだろうか?今回はその辺を少しだけ考察してみようと思う。セルフパロディの元ネタになったのは、同社のCMのひとつ、会議室でのアレだ。予想ガイなる黒人男性が話を聞いていなかったことを咎められる一連のシリーズの一作目と思われる。CMをプランニングした側は、特に差別意識もなく、とにかく意外性とインパクトを全面に出そうと考えたらしい。だがシリーズが続くことで、意図せず差別的に見えるようになってきて人を使うのを止めたのではないか?…などと勘繰りたくもなるほどの突然のシリーズ中断。そして出てきたのが、今回のセルフパロディである。まぁ、犬なら人種差別には当たらない訳で、他意を深読みされることもあまりないと考えたのだろう。それはいい。でも、セルフパロディとしてはどうだろうか?パロディとして機能させるためには、本来なら予想外犬には黒い犬を使うべきだったのではないだろうか?そうして初めてパロディとして機能するのではないか?何とも中途半端な印象を与えているような気がしてならなかった。それゆえに何故黒い犬を使わなかったのか、色々と考察してみたのだ。一番に挙げられるのは(意図していなかったとはいえ)差別的表現と受け取られかねないことを危惧して敬遠したのではないか、ということだろう。いまだに世間には、差別的でないものまで差別だと難癖をつけて葬ろうとする圧力団体が存在する。そんな連中と事を構えるのは、企業としてもメリットはあるまい。最初からわかってる危ない橋を渡らないのは、企業としては当然の選択だろう。そう考えて半ば納得しかけていた時、もうひとつの説を知った。それは「パロディとして機能させることを考えたら、誰もが予想外犬は黒い犬であろうと予想する。ところが、その犬が黒くなかったら、それこそ予想外なのではないか」というものだ。成る程、これなら十分納得できる。つまりは、視聴者の予想もひっくるめてパロディとしているのだ。これは、一本取られた…
2007/04/25
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探し物をしている時、肝心の探し物は見つからず、代わりに他のものを発見してしまうということはないだろうか?私は書庫で資料を探している時、よくやる。当然、探し物もほったらかしで読み耽ってしまう。今回の「鳥頭紀行ぜんぶ」もそうだ。著者は言わずと知れた西原理恵子女史。世間的には(今となっては懐かしい)あの「恨ミシュラン」で記憶されるマンガ家である。彼女が複数の雑誌に渡って連載した体験紀行をまとめたものである。近場の紀行から海外の紀行まで幅広く飛びまわっているものの、どちらも変わらぬ視点で描き出してしまう辺り、何とも言えず楽しい。歯に衣着せぬ語り口も独特のセンスとあいまって、これに拍車をかけているのだろう。懐かしくなってというより、軽い息抜きに再読したはずが、気付くと最後まで読んでしまっていた。それぐらいに楽しい一冊である。不幸にも未読だという方は、ぜひ読むことをお勧めする。ある意味、幸せな気分になれること請け合いだ(ぇー鳥頭紀行ぜんぶ鳥頭紀行(くりくり編)鳥頭紀行(ジャングル編)
2007/04/24
落語には「三題話」というものがある。寄席に来ているお客様から、お題を出してもらい、そのお題を折り込んだ落語を即興で作る、アレである。実は、小説にも同じようにいくつかのお題を出してもらい、それを折り込んだ作品に仕上げるというのがある。この小説版の三題話、アマチュア時代にはよくやっていたのだが、最近は久しくやっていない。一見するとお遊びのように感じられるかもしれないが、見た目ほど簡単ではない。やったことのある方はおわかりだろうが、かなりの筆力を要求されるのである。もちろん、単に物語の中で単語として出すぐらいなら造作もない。しかし、それは「三題話」とは呼ばない。物語を構成する上で欠かすことのできない要素として、物語に密接に絡んだ形で折り込まなければいけないのだ。つまり三題話として書かれたものから、その書き手の実力が浮かび上がってしまう訳である。プロがあまり挑戦しないのは、ここに理由があるのかもしれない。だが、逆を返せば自分自身の実力を測るバロメーターとなる。発表するしないは別として、鍛錬のために挑戦するのはよいことではないだろうか。そして、それが発表できるレベルに仕上がっているなら、臆することなく発表するべきだ。同業者をも思わずにやりとさせるような三題話をぜひ拝見したいものである。
2007/04/23
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紅茶党の私だが、最近は珈琲三昧だったりする。珈琲豆を挽いた粉を真空パックにした缶が大量に出てきたのだ。以前、珈琲メーカーを使っていた頃に購入したものだ。幸いにも賞味期限は迫っているものの、まだ切れていない。もっとも真空パックなので、経年による香りの減少など品質的な心配は全くないが…ただ期限切れが迫っているので、せっせと飲んでいる次第。珈琲メーカーを使って作り置きするよりも、飲む分だけその都度ドリップで作る方が絶対美味しいので、もっぱらドリップで入れることが多い。その時々に応じて、濃いめに入れたり、薄めに入れたり調整できるのも嬉しい。以前にも書いたと思うが、珈琲は飲んでから30分ぐらいしないと眠気覚ましの効果がない。これを逆手にとって、寝る直前に飲めば、30分後に目を覚ますことも可能だ。30分だけ仮眠を摂りたい時には、かなり有効だったりする。もっとも二度寝したら全然意味がない。この点は、注意されたい。
2007/04/22
今日もいい陽気である。ここのところ、かなり暖かい…いや、暑いぐらいの天気が続いている。だが、この天気も明日の午前中ぐらいまでだという。午後からは曇り出し、夕刻からは雨という予報だ。月曜日にはいったん回復へ向かうものの、火曜・水曜が再び雨。せっかく暖かくても、天候がすぐれないのでは、おとなしくインドアしているほかはない。流石の私も、雨の中出かけるほど酔狂ではない。如何ともし難い用事でもなければ、雨の中わざわざ出かけようとは決して思わない。原稿の入稿も済み、やっと自由の身となれば、これである。世の中うまくいかないものだ。まぁ、これは録画したまま溜まっているビデオを消化しろということなのだろう。そう考えることにして、雨の日を過ごしたいと思う。
2007/04/21
本日午前中、無事入稿完了。それにしても便利な時代になったものだ。一昔前は、原稿用紙での入稿がほとんどだったというのに、今ではほとんどが電子入稿である。原稿用紙の買い置きが減らない。こんな風にペーパーレス化が進むから、原稿自体もデジタルデータとなっている。万が一何らかのトラブルでデータが失われたら…と考えると背筋が凍るほど恐ろしい。というのも実は、それに類する想いをさせられたことがあるのだ。以前にも書いたが、PCへ移行する前、私はパーソナルワープロを使用していた。こんなにも急速にワープロが衰退するとは思っていなかったことから、原稿などのデータの半数近くはワープロのフロッピーに保存していた。ある時、私が骨折で入院中、ワープロが故障してしまう。人に依頼して、すぐに修理に出せばよかったものの、退院してから修理に出せばいいやと先延べしてしまったのだ。これがよくなかった。退院後、修理に出す間もなく仕事に追われ、修理に出してる間にどうするかという問題に直面したのだ。車みたいに代車を用意できる訳もなく、新規に買ったら修理から戻ってきた時に2台となってしまう。散々迷った挙句「修理から戻って来ても活用可能なものならよかろう」という観点からPCの導入を決断したのだった。PCなら充分ワープロの代理を務められるはず…そんな考えもあったのはいうまでもない。この考えは、あながちはずれではなかった。いや、むしろ代理どころではなかったのだ。ワープロよりフレキシブルな運用が可能だったことから、当然ながらPCの方が使い勝手がよかったのである。こうなるとワープロの修理などどうでもよくなってしまう。PCがワープロに取って代わるのに多くの時間を必要とはしなかった。気がつけば、世間でもいつのまにかワープロは姿を消し、修理をする機会は失われていた。この時になって、ワープロのフロッピーでのみ保存されているデータがどうにもならないことに気付いた。なんとかPCで読み出せないものか色々調べたが、最盛期のワープロは各社独自規格のため互換性が全くなく、中には同じメーカーのシリーズでさえ互換性がないものばかり。仮にサルベージできたとしても、文字化けしていたら原稿としては意味を成さない。ワープロに保管していたデータが失われたのに等しい状態であった。幸いなことに一部プリントアウトしたものが存在したが、これとて完全なものではない。プリントアウトしたものを手直しした完全版をワープロのフロッピーに保管していたのだ。しかもオリジナルがフロッピーにあることから、プリントアウトしたものはきちんと保管されておらず、一部欠損していたりするものが多数あった。これでは記憶を頼りに書き直さざるを得ないだろう。一時期は、ジャンク品やリサイクル品から稼動可能なものをゲットしようと捜していたのだが、見つからなかった。更にそれに輪をかけて、電気用品安全法なる悪法のために、それらのゲットは絶望的となった。ということは、原稿のサルベージ自体が非常に困難となったのを意味する。こうしてまたひとつ幻の作品が陽の目を見ることなく消えていくのだ。こんな体験をしたからこそ、言っておく。デジタルデータは、複数のメディアに保管し、必ずプリントアウトしておこう。保存する上でデジタルデータは、決して完全なものではないのだ。プリントしたらかさばるって?ご冗談を。データが失われることに比べたら、少々保管場所を取られてもなんのことはあるまい。もっともそれだけのことをする価値のないものなら、そこまでする必要もあるまいが…
2007/04/20
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/04/19
仕事で時間に追われている時に限って、それとは別に書きたいことが思い浮かぶのは何故だろう。そういう時は、たいていモチベーションが高まっていたりする。ところが(仕事を優先的に片付けなければいけないから)思うように時間が取れない。時間が取れた頃にはモチベーションは低下し、書きたかったことは忘れている。このパターンがよくある。以前からこんなことを繰り返していて、何だか大きく損をしているような気がしていた。そこでだ。そういう時には、作業を中断して、書きたいことを書いてみるのはどうだろう。逆にいい気分転換となって、その中断した作業を再開した時に能率が上がるのではないか。そんな風に考えて、やってみた。結果からいえば、失敗だった…(ぉぃ確かにいい気分転換にはなる。だが、中断している作業が気になって、思い浮かんだ書きたいことの1/10も書けない。筆の乗りが悪いのだ。いつもより無駄に時間がかかり、できあがるのはいつもより短い文章。しかもこの寄り道で作業再開までに気力を消耗してしまい、肝心の再開した作業能率は上がらなかった。いや、むしろ作業中断前よりも能率が落ちているかもしれない。これでは、逆効果だ。やはり損をしているように思えても、最優先課題から片付けるのが正解だった…
2007/04/18
以前から少々気になることがある。それは、この楽天ブログのレスポンスの悪さだ。現在、この楽天ブログは「日記を書く」ボタンを押してから実際に書き出せるまでに、平均で40秒近くかかる。もちろん使っている環境によって多少の増減はあるに違いない。人によっては、そんなにかからない人もいるだろう。だが、もっとも時間がかかる環境で使った場合にしても40秒はかかり過ぎではないだろうか。気になったので知人に頼み、他の主だったブログでの書き出しまでの所要時間を計ってもらった。すると大手と呼ばれるブログサーバーの大半は、おおむね15~20秒以内に書き出せるようになっていることがわかった。よそのブログの倍近く待たされるというのは、いくらなんでもひどすぎはしないだろうか。書こうと思っていたことをすぐに書き出せないのは、ブログとしても大きなマイナスである。新機能の追加などにうつつを抜かす前に手を打つべきことなのは、明白だろう。この手の不備は、ひとつが明らかになると次々発覚するもので、例えば管理画面のトップページからリンクスの画面を開くのに意外と時間がかかったり、と問題点も多い。こういった仕様上の問題点を「仕様だから」と目をつぶって使っている利用者が多いことを、もっと真摯に受け止めるべきである。そして、何よりこのような部分での使いやすさの向上に努めるべきであろう。幅広い利用者を確保するというのは、そういうことが大切なのである。最新のハイスペックPC利用者を基準に考えてはいけないのだ。
2007/04/17
毎度のことなんで、改まって告知するのもアレなのだが…入稿が済むまで更新したりしなかったり、更新してもいつもより少ない文章量だったり、いつもとは違う時間に更新してたり…といった状態になるので、覚悟しておくように(何
2007/04/16
ビデオに撮ったまま放置してあった「テキサスチェンソー」を見ようとした。途中までは見たものの、気分が悪くなり見るのをやめた。冒頭の部分はよかったのに、その後に続く展開が見るに耐えない。知らず知らずのうちに「悪魔のいけにえ」と比べてしまっているのかもしれない。よく旧作よりリメイクの方がよいとのたまう輩がいるが、大間違いだ。完成度の高い旧作は、生半可なリメイクでは越えられないのだ。そんな訳で「テキサスチェンソー」のレビューはやらない(何いつもならとっくに終わってるはずの入稿が、今月はまだ終わっていない。今週の金曜日までに入れる予定なので、本当なら今頃は正念場を迎えていなければおかしい。それなのにこうしているのは、余裕なのか、それとも逃避なのか。いや、本人が一番わかってることなので、あえて語らない。それゆえ、更新ペースが落ちる予感(ぇー
2007/04/16
気がつけば、もう時計の針は23時を回っている!最近は、そんな日が多い。こんなことを言ってると「日付が変わってから更新すればいいじゃないか」と思われる方もいるかもしれない。だが、日記を標榜する以上、それではダメなのだ。その日のうちに日記を書いて〆る、それが日記のあるべき姿だ。1日に70回も100回も更新して得意になってる大馬鹿者がいるが、そんなのは日記ではない。思いついて書き込むのは、単なるメモに過ぎない。更新が容易なブログだからこそ、メモ書きを日記として公開してよいということにはならないと思う。どんな文章でも書いたからには、文責が生じるのだ。無責任にメモ書きをアップしておいて、知らぬ存ぜぬでは通らない。それをわかっていて、やっているのだろうか?おそらくは、わかっていまい。更新回数が多ければ、それだけ注目を集めるだろうという極めて安易な浅知恵だろう。そんなことをやっていて空しくはないのか?浅知恵ゆえ、そこまでは考えていまい。なんとも嘆かわしい。基本に立ち返り、自分の心を綴れば、少ない更新回数でも十二分に効果があることをもっと知るべきである。…という御託はともかく、日付が変わる前に更新できた。めでたし、めでたし。
2007/04/15
風呂上りにのんびりとキーボードを叩く。優雅に聞こえるが、全然そんなことはない。入浴で覚めた目も、時間を置けば再び眠くなるのだ。悠長にキーボードを叩いている場合ではない。ちゃっちゃと片付けて、眠りにつくのが正解だろう。明日もよい日であることを祈りながら…
2007/04/14
今日は妙に暖かく…いや、暖かいなんてレベルではない。少々暑かった。が、風が強かったので、かろうじて快適に過ごしことができた。そんな陽気だから、日が沈んでからも暖かい。眠くなる訳だ。実際今現在、睡魔の襲撃を受けてる真っ最中だったりする。寝るにはまだ早い時間なので、一風呂浴びて目を覚まそうと思う。
2007/04/14
昨晩19時から放映された日本テレビの「モクスペ」とフジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」に一部内容が重複する部分があった。「モクスペ」▽アフリカ・ケニアの人喰い巨大ワニ▽宮古島の人喰い巨大ザメ▽マレーシアで羊を丸呑みする大蛇パイソン!!「奇跡体験!アンビリバボー」▽村人300人を惨殺!! 超巨大怪物を決死追跡アフリカ危険地帯潜入軍も出動!! 目を疑う(秘)衝撃正体▽中国の湖に謎の巨大生物!! 恐怖の正体に仰天▽その他一見すると、かぶっている部分がわかりにくいかもしれない。だが、それぞれ1項目めのパートがかぶっていた。前者の番組は、プルンジ共和国の人食いワニの事件に端を発して、同様の大きさのワニを求めて別の川を遡って捜索。後者の番組は、プルンジ共和国の人食いワニの事件そのものを掘り下げて、そのワニ自体を追いかけるという内容。同じ事件を取り上げながら、切り口が違うからとそのまま放映したのだろうか?それにしてもお粗末である。前者の番組は当の人食いワニであるグスターブ(後者の番組ではギュスターヴと表記)が姿を消したので同様の大きさの別のワニを別の川で捜索するという内容だったが、後者によると姿を消してから数年後に再び目撃されているというのだ。明らかなリサーチ不足である。おそらくは現地のコーディネーターに任せた企画だと思うが、ネットの発達した現在において、この手の目撃情報の確認はネットでも可能なことが多い。今回のこれもネットでちょっと調べれば、数年後に再び目撃されていることが確認できた。私にすら確認できたのだ。ましてやプロが確認できないはずがない。そういう意味で、今回のネタは「奇跡体験!アンビリバボー」に軍配が上がると言っても過言ではない。この手の知的好奇心を煽る番組は、情報の正しさはもちろん、情報の新しさも大切である。古い情報で、それらしい番組作りをしてもダメなことをいい加減学習するべきだろう。余談だが、前者の番組では人食いワニの全長を6.5メートル、後者の番組は8メートルと紹介していた。目撃者の証言や映像から推定するなら、およそ7メートルと判断するのが正解かもしれない。
2007/04/13
サーバー側(楽天)から、以下の定期メンテナンス実施のお知らせがありました。下記日程にてメンテナンスを行います。■日時 2007年4月22日(日) 午前2時~午前10時(予定)■影響 楽天ブログ/フォト/リンクス/TagSta.の全サービス上記時間帯におきまして、記載の対象サービス全ての機能がご利用頂けません。
2007/04/13
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/04/12
昨晩深夜「トリハダ~夜ふかしのあなたにゾクッとする話を」が再放送された。本放映の時、見逃していたので見る。(例によってショートドラマなので、あらすじは語らないでおく)簡単に言うと、フジテレビ版の「怪談新耳袋」であった。10分未満のショートドラマで構成されたオムニバスドラマである。ただ「怪談新耳袋」と違うのは、怪異の原因が心霊現象に偏っていない点だ。日常がほんの少しのきっかけで非日常に転じる恐怖に主題が置かれている。そういう意味では「世にも奇妙な物語」のエピソードを彷彿とさせるかもしれない。怖いことは怖いのだが、私の期待した怖さとはちょっと違った怖さであった。表現するなら、得体の知れない怖さではなく、得体の知れてる怖さというのであろうか。そんな怖さであったように感じた。それゆえに“明日は我が身”感があって、怖いのだろう。そう、現実に誰の身にも起こり得る恐怖なのだ。個人的にはイマイチだったが、充分怖い内容に仕上がっていたと思う。今回のように深夜枠での穴埋め的に再放送される機会も多いので、今回もまた見逃した方は次の機会を逃さないようにされたし。
2007/04/11
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本日はガーデニング日和だったので、時間を作って庭いじりをした。植木鉢のものをプランターにまとめたり、別の大きな植木鉢に植え替えたりの作業を行った。植え替えしたい木が何本かあったが、植え替えできる時期ではないので我慢した。一気にできないのは、ストレスが溜まる。明日は、椿の剪定を行う予定。
2007/04/10
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先日の「予言」同様、ビデオに録画したまま観ていなかったので鑑賞。タイトルから受けるイメージであまり怖くないのではないかと思い込んでいた。実際観ると、かなり怖い。救いのないアンハッピーエンドなので、その手の作品が苦手な人は見ない方がいい。日常の中で次々に起こる怪異現象。ある者は知らない人間の顔が携帯の画面に映り、ある者はぶつかった人物がいなかったり…その一方で、ホラー映画作家で知られる松村郁夫は、実話を元にしたホラー映画の準備に追われていた。その実話とは、昭和45年に群馬県の粕川郡にある尾野観光ホテルで起きた無差別大量殺人を題材としたものだった。事件の犯人は、とある大学の法医学教授・大森範久。この大森教授の手による犠牲者は11人。その中には、大森教授の幼い娘も含まれていた。犯行直後に大森教授は自殺してしまったため、その動機は解明されず、狂気に走ったという説が有力視された…松村監督が手がける、この作品には「記憶」というタイトルがつけられていた。この作品の出演者を選ぶオーディションが行われる。森田由香、杉浦渚ら女優の卵や新人女優が居並ぶ。ホラー映画とはいえ、松村監督の作品に抜擢されるということは、注目度も大きくなる。当然、役者として大きくステップアップすることになるのだ。杉浦渚は、このオーディションの帰り道、マネージャーの村田忠司に弱音を吐く。オーディション中、ずっと監督に睨まれていたような気がすると…そんな渚に「オーディションとはそんなものだ」と村田。すっかり弱気の渚を叱咤激励する村田だったが、彼の言葉は渚に届いていなかった。気味の悪い人形を抱いた少女が渚のことをじっと見ていることに気付いたのだ。「おい、話を聞いているのか?」という村田の言葉に一瞬我に帰る渚。気付くと少女はいない。ほっとした瞬間、すぐそばに少女が立っていることに気付く。その時、電車は駅に着き、降りる客の波に流されて少女が転ぶのが見えた。駆け寄ろうとする渚。ホームと電車の間から見つめる少女の姿が見え、ドアが閉まる。これこそが悪夢の始まりだった…アバンタイトルに描かれる様々な怪異現象がひとつに収束して物語の本筋に繋がる構成は見事。「呪怨」での凝った構成を昇華させると、こういうスタイルになるのかもしれない。ただ、ひとつに収束して物語の本筋に繋がる構成ということが、あらかじめ観客には知らされていないため、少々わかりにくく感じる人もあるのではないだろうか。とはいえ、輪廻転生をテーマにしていながらも、あまり観念的な話にならず、かなり怖くまとめた手腕は大いに評価していい。アバンタイトルに描かれる怪異現象も自分の身に起きることとして考えると、結構ゾッとするのではないだろうか?
2007/04/09
昔は、一度読破した本を二度読んだりはしなかった。せいぜい滅茶苦茶気に入った作品のみ、繰り返し読む程度であった。それだけ一読しただけで内容を把握できる自信があったし、実際に私の読解力は同世代の人間に比べるとずば抜けて高かったらしい。そんな私だったが、必要に追われて、過去に読んだ本を再び読む機会に恵まれた。何年もの間隔を開けての再読。この時、ようやく再読することの意味を理解した。人は齢を重ねることで成長し、理解力も深くなってくる。物の見方も変化し、より大局的に物事を捉えられるようになる。当然、書かれていた内容はもちろん、その行間の裏に秘められている作者の本意までも、汲み取ることができた。つまり当時のレベルでは理解したつもりになっていたことは(実は正しく理解しておらず、読み返した今)より深いレベルで理解し直すことが可能となる。「そんなのは、当たり前だ」そう言われる人もいるだろう。だが、当たり前だからこそ、人は見落としがちなのだ。どうか、騙されたと思って再読して欲しい。新たな発見があるはずだから…
2007/04/08
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ちょっと前に地上波で深夜「予言」が放映された。さすがに深夜リアルタイムで見る気はなかったので、ビデオに録画しておいた。なかなか時間が取れなくて今頃になったが、ようやく観ることができた。大学講師を務める里見英樹は、帰省した田舎からの帰途にあった。妻・綾香の運転する車の中で、彼は大学助教授への昇進がかかった論文にかかりきりになっていた。車中で論文を仕上げた彼は、妻に無理を言って途中通り過ぎたISDN端末を備えたグレーの公衆電話のところまで引き返してもらう。路肩に車を停めてもらい、早速グレーの公衆電話で論文をメールに添付して送信する。データ量が多いためか、送信は遅々として進まない。車では、妻の綾香と娘の奈々が待ちくたびれている。退屈した娘は、シートベルトをはずそうとするが、服を挟み込んで留めたらしく、はずれない。一方、里見は足元に置かれた電話帳に挟まれた一枚の古びた新聞に気付く。その新聞には、停車中の乗用車にダンプカーが突っ込んで、車中にいた子供が死亡したという記事が載っていた。そして、その記事の子供の名前は“里見奈々”と書かれていた…言わずと知れた、つのだじろう原作の漫画『恐怖新聞』を基にしたJ-ホラー。しっかり“鬼形礼”も登場する辺り、原作ファンへのサービスだろう。とはいえ、あくまでも“恐怖新聞”は、物語を彩る重要な要素のひとつであり、本筋はこの“恐怖新聞”によって知らされる予言に人生を狂わされる人々の悲劇を描いている。怖いには怖いのだが、原作の怖さとはまた別物の怖さといえる。特に終盤クライマックスの展開は、かなりしっかり見ていないと混乱必至なので注意されたい。ちなみに主人公・里見英樹の妻・綾香を演じるは、酒井法子であったりする。「呪怨2」劇中でのホラー・クイーンの異名を取る女優さながらの活躍も堪能しよう(ぇー
2007/04/07
今日は、比較的よくされる質問に対して答えようと思う。まず「同時進行で複数の作品を執筆する時、混乱しませんか?」というものだ。答えから言えば「混乱しない」となる。逆に何故混乱するのか、私から訊ねたいくらいである。物語の道筋が作者の中でできていて、世界観を含む設定や登場するひとりひとりのキャラクターがきちんと確立されていれば、何を混乱することがあろうか?そう、混乱する原因は、そこにある。作者自身の中で、その作品を執筆開始できる要素が揃っていない状態でスタートしたのが原因なのだ。そんな状態で、同時進行でもう1本書き始めたら、混乱して当然だ。結果、作品に勢いのある方(=作者自身に対して印象深い方)に引き寄せられてしまうに違いない。無意識のうちに似たような展開となり、それを修正しようとして混乱状態に陥る。こんなところではないだろうか?これでは、力量不足の謗りを受けても反論できまい。繰り返すが、執筆開始前に作者自身の中では99%できあがっていて、あとは執筆するだけという状態ならば、決して混乱することはない。そこまでできないのなら、同時進行で複数の作品を執筆するべきではないだろう。次に「登場キャラクターの性格や配置がパターン化しませんか?」というもの。これは、私の場合「基本的にあまりない」と言える。確かにキャラクターの言動や考え方が似てしまうことはある。(作品によっては、伏線でわざと似せてる場合もある)或いは、登場キャラクターの配置が似通ってしまう場合もある。これに関しては、定石とか黄金率と言うものがあるので、多少はやむを得ない。何しろキャラクターたちは、作者の分身なのだ。よくも悪くも、どこかしらに作者自身の反映される部分があるかもしれない。だが(例えそうであっても)それが前面に出ないように工夫するのが、作者の腕の見せ所である。ただし注意して欲しいのは、パターン化云々を論じられるのは、作品を何十本も書いている人間だけだ。まだ2本しか書いてなくてパターン化云々なんて言うのは、間違いということ。だいたい2本しか書いてなくてキャラクターが似通ってしまうのは、それは作者自身の想像力が足りない証拠だ。引出しがないようでは、物書きは続けられない。これもよくされるのだが「発想の源は何ですか?」という質問だ。これに関しては「すべての事象」としか答えようがない。ご存知のように物書きは、年中無休である。定休日もなければ、休業日も基本的にない。労働時間も24時間フルタイムだ。食事していても入浴していてもテレビを見ていても仕事中なのだ。それこそ寝ている時も仕事をしているといっても過言ではない。四六時中アンテナを張り巡らせて、発想に繋がるものを収拾し続けている。もちろん、その中には結果的に仕事に繋がらない情報もある。だが、それだけ玉石混淆だからこそ、思いもよらない発想に結びつくのだ。ただし、そんな事情を理解できない周囲の人間からは、ぶらぶらして遊んでるようにしか見えなかったりするのが、非常に腹立たしいのは言うまでもない。
2007/04/06
(このエントリーには後日記事をアップする予定です)
2007/04/05
前から気になっていたのだが、このブログで小説を公開している人は、規約をきちんと把握した上で公開しているのだろうか?概してこの手の利用規約は、サーバー側に有利なことが書かれている。他のサーバーでも多かれ少なかれ同じようにサーバー側に有利になるよう書かれているから、仕方ないなどと思っていないだろうか?だが、ちょっと待って欲しい。サーバー側に有利になるにしても限度があるのではないだろうか?かつて著作権までサーバー側に帰属するような規約変更をしたサーバーがユーザーの猛反発を招き、著作権はユーザー側にあるとする規約に戻したことがあった。当然である。サーバーは無料でスペースを提供する代わりに、ユーザーからコンテンツを提供してもらっている。ユーザーからコンテンツを提供して貰えなければ、サーバーは成り立たないのだ。いわば対等な立場にある。サーバー側に有利な規約というのがいかにおかしいかおわかりいただけるだろう。ちなみに以下は、楽天の規約から著作権に関する項目を抜粋したもの。第4条(著作権) 1. ブログデータ等の著作権は、当該ブログデータ等が公開または投稿された管理サイトの管理者に帰属するものとします。ただし、管理者が、別の著作権者から許諾を受けて公開または投稿しているブログデータ等(投稿者により投稿されたブログデータ等を除きます。)については当該著作権者に帰属します。 2. 投稿者は、管理サイトに投稿したブログデータ等について、その著作権に関する全ての権利(著作権法第27条及び第28条に定める権利を含みますが、次項にて定義される出版等の権利を除くものとします)を、投稿時に、当該管理サイトの管理者に無償で譲渡するとともに、当該管理者及び当該管理者から権利を承継しまたは許諾された者に対して著作者人格権を行使しないことに同意するものとします。 3. 当社は、管理者または投稿者へ通知することなく、本サービスの広告、宣伝を目的として、ブログデータ等の全部または一部を自由に利用(但し、次項にて定義される出版等に該当する利用を除くものとします)できるものとします。 4. 管理者は、ブログデータ等の出版、有償配信その他有償での利用・頒布(但し、利用・頒布の取引毎に対価の発生するものに限るものとし、以下、「出版等」といいます)に関して、当社または当社のグループ会社が以下の優先交渉権を有することを承認します。 (1) 当社が、管理者に対して出版等を申入れた場合、管理者は出版等について誠意をもって交渉に応じるものとし、当社の申入れに応じない場合、出版等の拒絶の意思を当社に通知してから1年間は、当社の提示した条件よりも有利な条件でなければ、第三者からの出版等の申入れに応じないものとします。 (2) 管理者が、第三者から出版等の申入れを受けた場合、遅滞なく、かつその諾否の回答を行う前に、当社に通知するものとし、その後30日間は諾否を留保するものとします。当該期間中に当社が管理者に出版等を申入れたときは前号に従うものとします。一見、よくある規約に見える。が、よく読むととんでもないことまで書いてある。第2項と第4項がそれだ。まず第2項に書かれていること。おそらくは、掲示板の投稿やブログへのコメントを指すと思われる。この第2項に書かれていること自体は間違いではない。ただ利用規約に含めるのはおかしい。利用規約を読む立場にない人も掲示板に書き込んだり、ブログにコメントしたりする可能性があるのだ。そういう人々にいちいち読んでもらっているというのだろうか?何らかの配慮が求められる部分だろう。そして、それよりも遥かに問題なのが、第4項である。本来どんな著作物でも著作者は、自由に誰とでも出版の交渉に臨める。ところが、この規約はそれに制限を設けるものだ。優先交渉権?笑わせるな。何様のつもりだ。では、既に他のメディアで出版し、そちらに優先交渉権のある著作物を再録したらどうなるのか?それでも優先交渉権を主張するつもりなのか?いかにデタラメな物言いか、おわかりだろう。だいたい、物書きの多くは自分の著作がどこから出版されるかに非常に気を使う。その出版社ごとのカラーがあるからだ。そういう部分を考慮せずに優先交渉権を振りかざして、利を得ようなどとは言語道断である。この項目が承服しがたいから、私はここでの公開作品を引き上げて、ちゃんと権利を守ってくれるサイトへ移したのだ。もしこういうことをわからずにこのサーバーで作品を公開しているのなら、もう一度作品を公開するサーバーを検討した方がよい。あとで泣くのは、著作者自身なのだから。
2007/04/04
ちまちまと色々雑事に追われていたら、こんな時間になってしまった。書きたいこと書こうと思っていたことは、日を改めよう。今から書いたら、明日になってしまうし…寒の戻りで、今日はやたらに寒い。しかも朝から雨。春とは言え、こんな日はまだまだ炬燵が恋しい。早く暖房の必要ない本当の春になぁれ。
2007/04/03
結局昨日は、あのあと2時近くまで頑張って力尽きた。久々に7時間近く眠ることができた。それなのに…それなのに激しく眠い。疲れが抜けきっていないというのだろうか。否、そんなはずはない。それでは、この眠気は何なのだ。よもや何者かによる呪詛ではあるまい。これこそは、陽気のせいだろう。「春眠暁を覚えず」というアレだ。季節柄、いくらでも寝れてしまうというのは、あながち間違いではないのかもしれない。さて、どうしたものかと思案しているうちに睡魔は退散したようだ。
2007/04/02
今日はエイプリルフールだったが、特にこれといった嘘もつかないまま終わろうとしている。たまには、こんな年があってもよいのではないだろうか。やらなければいけないことは、たくさんあるのにモチベーションが上がらない。眠い…激しく眠い。早くも睡魔に襲われている自分がいる。しかし、寝るには早過ぎる。確かに早寝して、その分早起きして作業するのなら、その選択もアリだろう。だが、おそらくはその分早く目覚めても起き出して作業することはない。時計を見て、まだ時間があるからと二度寝するに決まってるのだ。人間の意志の力は、そんなに強いものではない。だから、睡魔に抗ってみる。無駄な抵抗かもしれないが、やれることをやれるところまでやってみようと思う。
2007/04/01
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