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今日は森田療法と森田理論学習の違いについて述べてみたい。私たちは普段何気なく森田療法という言葉を使っている。しかし厳密に言うと森田療法は、日常生活が滞っている神経症の人に対して行う医療行為を意味する。医療行為は主に精神科医によって行われる。医療行為は医師免許を持った人以外はできない。以前水谷先生が亡くなられた後、長谷川先生が生活の発見会を引き継がれた時、生活の発見会活動は森田理論の学習運動であると明言された。生活の発見会は医療行為は行わないのが鉄則である。だから学習活動の中に治療者としての医師はいない。また現代の神経症は森田先生のころのような純粋森田療法適応者は少ない。うつを抱えたり、躁うつ病、統合失調症、発達障害、引きこもりの人も多い。生活の発見会は神経症で悩んできた者同士が助け合い、体験を共有化して神経症を乗り越えようとする学習活動である。このことは生活の発見誌の1月号で、北西先生も言われている。「治る治らない」は症状であり、そこは医療従事者の領域です。自助グループである発見会は、 「成長モデル」を担うべきだと思います。私も基本的にはその通りだと思います。森田療法は言うまでもなく神経症治療の1つである。神経症治療ということを考えてみると、まず薬物療法がある。その他、心理療法としては、まず認知行動療法がある。その他、精神分析、カウンセリング、論理療法、交流分析、家族療法、内観療法、ピア・カウンセリング、サイコドラマ、意味療法、ヘルスカウンセリングを始めとして 30種類ぐらいある。その中の1つとして森田療法があるということである。昔森田先生が森田療法を開発された頃と比べると、その手法は格段に増えている。相対的に治療としての森田療法の役割は減少しているのである。その役割が全くなくなっている訳ではない。ただ森田療法は神経症治療の万能薬とは言えなくなっているのである。次に森田理論学習よって、神経質性格の持ち主で、不安にとらわれやすかったり、生きづらさを抱えて適用不安に陥いりやすい人が、その打開策を見つけることができる。これは薬物療法や他の心理療法にない大きな特徴である。神経症に陥っている人が、森田理論を学習することによって神経症を克服することは事実ではある。その数はそんなに多くはないし、むしろ専門医に任せたり、あるいは他の精神療法との関連で取り組む方が効率的であるかもしれない。だから神経症治療としての森田理論学習に過度の期待を寄せるのは考えものであると思う。神経症の蟻地獄から地上に這い出ることは幅広い選択肢の中から選ばれたら良いと思う。その中で森田理論を選ばれるのであれば、いくらでも協力はできると思う。でも私が声を大にして強調したいのは、神経症の蟻地獄からはい出したとしても、社会に適応していくことは依然として茨の道なのである。そこで大いに役に立ってくれるのは、森田理論の中の人間観なのである。特に、欲望と不安の関係、生の欲望の発揮、欲望の暴走の制御、自然に服従し境遇に従順に生きる生き方などを理解して、森田的な生活に変化して来れば、すごく実りある味わい深い人生を送ることができる。森田先生がもし仮に現代の時代に生きておられたなら、医師として森田療法をさらに発展させられているだろう。それとともに、時代が抱えた社会問題、人間軽視の経済活動、環境の破壊、人間関係のあり方などについて積極的に自論を展開されているだろうと思われる。むしろそちらのほうに軸足を移しておられるかもしれない。したがって、厳密に言えば森田療法と森田理論学習は、よく似ているが水と油のような関係にある。他に適当な言葉がないので森田療法という言葉を、私たちは普段何気なく使っているが、頭の中ではきちんと整理しておく必要があると思う。
2017.02.28
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私たちは不安、恐怖、不快感、違和感などに取りつかれると、やりくりするか逃避してしまいます。今日は逃避するということについて考えてみたいと思います。逃避するとそのときだけは一瞬楽な気持ちになりますが、なすべきことを放棄してしまうので、暇を持て余すようになります。暇を持て余すようになると、注意や意識は内向して、後悔したり逃避した自分を責めるようになります。森田理論でいうと生の欲望とその制御機能である不安のバランスが崩れているということになります。不安のほうばかりに注意と意識が向いているのです。この欲望と不安の調和がとれているということは、きわめて大切なことです。この場合、バランスを取り戻すためには、不安などに振り回わされないことと、安易に逃げださないということがカギになります。これができれば神経症にならなかったわけですから、ものずごく手ごわい相手です。どうしたらふみとどまって逃げることを回避することができるのか。誰でも新しい事や困難なことが予想される場合は、行動することをためらってしまいます。それはいわば注射針をさされるような痛みを伴います。しかし、そこのところちょっと我慢して耐えることができれば、次の新しい展開へと進むことができます。不安や不快な不快な感情も全く同じことです。着手しているうちに、弾みがついてきて、次第にやる気や意欲が高まってくることがあります。成功すれば自信になり、失敗しても成功のための足がかりを掴むことができます。テレビで「食わず嫌いの一品」という番組があります。これは小さい頃から苦手で、絶対に食べないという一品を当てるものです。森田先生は牛乳は嫌いだという人でも、人がうまそうに飲んでいるのを見たりして、自分も試しに飲んでみることを繰り返していると次第に苦手意識がなくなり飲めるようになることがあると言われています。新しいことや困難なことに最初から挑戦しないということは、 「やらず嫌いの一品」になってしまっているのではないでしょうか。手がけてみれば、思いのほかうまくできたり、たとえ失敗しても次の成功への足がかりを得ることができます。普通の人はそういうことに対して嫌だなぁと思いながらも、その気持ちを抱えたまま、嫌々仕方なく手を出しているのだと思います。そうすると生活がなんとか前に進み、弾みがついて好循環が生まれてくるのだと思います。次に、そういう人は不安になるとすぐに逃げ出してしまうのが自分の癖であるという自覚を持つことが大切だと思われます。しっかりと自覚していると、逃げ出さないためにはどうするか考えるようになります。私が訪問営業の仕事をしていた時、すぐに予期不安に圧倒されてサボりまくっていました。それは自分ひとりになると、つい楽なほうに流されてしまうからでした。そういう時は二人1組になって仕事をすれば、抑止力が効いてサボるということがなくなるということに気がつきました。いつもいつもそういう営業スタイルは取れないでしょうが、時々そういう営業スタイルを取り入れていけば、弾みがついて自分1人のときでもサボるという癖が少なくなっていくような気がしました。確認恐怖の人も、自分一人で確認をして納得しようとするから、乗り越えることが難しくなるのかもしれません。家族や同僚などと一緒になって確認すればうまくいくかもしれません。それから職業の選択についてですが、私は適応不安を感じながらも、安易に訪問営業の仕事選んでしまいました。職業は早くから慎重に選択することが大切だと思います。職業は1万2,000種類ぐらいあるそうです。例えば動物を相手にする仕事、自然を相手にする仕事、飛行機や新幹線などを運転する仕事、物作る仕事、人にものを教えるような仕事。その他色々とあります。高校から大学生にかけての時期は、自分の将来の仕事をみつける時期です。自分がこれならやっていけそうだという職業を早く見つけることが大切だと思います。最後に、森田理論学習では、不安と欲望は対になっており、不安に翻弄されるのではなく、生の欲望に邁進することが大切だと言われています。ここでいう生の欲望というのは非常に範囲が広いものだと思います。たとえば、最初は気が進まなくても嫌々仕方なく、目の前のことに手を出していく。次には実践課題に取り組んでみる。さらに気がついたことを逃さないようにメモして課題のストックを貯めていく。そして、簡単なものや納期の急ぐものから手をつけていく。規則正しい生活を心がける。物、自分、他人、お金、時間をできるだけ有効に活かして使う。人の役に立つことに取り組んでみる。好奇心を生かして趣味などやりたいことに取り組んでみる。大きな目標や課題を設定してチャレンジしてみる。自己実現の欲求ですね。 その他生存欲求、安全への欲求、所属の欲求、称賛への欲求などいろいろとあります。私たちが神経症で苦しんでいるときは、生の欲望の範囲がごく1部分に限られていることが多いようです。このように幅広い生の欲望があるということを意識しておくことも大切です。ここで大切なことはいかに不安がつきまとおうとも、生の欲望の発揮から決して目をそらしてはならないということです。毎日緊張感を持って生活していると、次から次に問題点や課題が見えてきますので、素直にその波に乗っていけばよいのです。不安などがあると、すぐ困難から逃げだすと言うのは、 1つの癖が形成されていると思われます。その癖は新しいクセによって修正することができます。そのために森田理論を活用していただきたいと思います。
2017.02.27
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将棋の米長邦雄九段の弟子に、伊藤能さんという人がいた。この方はプロ棋士になれる四段への道のりは遠かった。奨励会に入ってから実に17年、 3段になってから7年という長年の歳月が流れていた。そして伊藤さんは30歳を迎えた。今年駄目だったらプロで飯を食っていくという夢は諦めなければならないところまで追い詰められた。当時は31歳が挑戦権を得られるギリギリの年齢だったのである。師匠の米長さんは伊藤さんに次のように言った。「このままでは、お前はダメになる。しかし、私はどうしても、お前に四段に上がってもらいたい。人間の脳みそには、変わりはないのだから、お前だって必ず上がれる。みんな死に物狂いで必死にやっている。お前もやっている。問題は勝利の女神が微笑むかどうか、それだけだ。これまでお前には女神が微笑まなかった。それだけのことだ」実力的には問題ないのだが、運命に見放されているのか、最後の詰めの段階でいつも苦杯をなめている。そう前置きして、私は彼にひとつの指示をした。「対局のたびに、その前日でも翌日でも、お父さんの墓参りに行ってくれ」伊藤さんの父親は、彼が20歳の時に他界した。「雨が降っても、風が吹いても月2回の対局日の前後の墓参り、それだけは欠かさずやってくれ。そうすれば必ず上がれるはずだ」これは理屈では無い。 40年近く勝ち負けの世界で生きてきた私の信念、ほとんど信仰に近い勝負哲学である。こうして伊藤さんは最後の三段リーグへと臨んだ。そんなある日、若手棋士何人かと一緒に伊藤が私の家に来た時のことだ。茶菓子を取りに台所へ行くと女房が私に小声で言った。「伊藤さんによく似た人がきていますけど、どなた?世の中にはよく似た人がいるものですね」 誰だろうと思って居間に戻ってみると、伊藤本人はいるが、どう見てもよく似た人はいない。あとでよく聞いてみると、伊藤を別人と見間違っていたのだ。「歳格好はそっくりだったが、目の表情と身体から発散するものがまるで違う。だから別人だと思った」というのである。確かに彼の目は輝いていた。時々自宅で開く研究会に若手の有望棋士たちが集まるが、タイトル戦に登場するような若手棋士は皆目がきれいだ。これは例外はなく、共通してキラキラと輝いた目をしているのである。伊藤の目がそうなっていた。そして、体全体から醸し出される雰囲気、オーラというのだろうか、そういうものが全く別人のソレになっていたのだ。その年度伊藤さんは、プロ棋士である四段に昇格した。伊藤さんは若くして亡くなったが、それでもその後六段まで昇格しておられる。ところが米長九段が、伊藤さんに会ってみると驚いたことに、昨日までのへの輝きは半分になっていた。 1週間後に将棋連盟であったときには、完全に昔の伊藤さんの目に戻っていた。そのことを本人に言ってみたが、まったく自覚はなかった。三段リーグを戦っていた、 4月から9月の半年間、伊藤さんは崖っぷちに立たされていた。そうなって初めて、自分の能力をフルに活用した。だが目が輝いていたのだが、半年しか続かなかった。生きてきた30年の人生のうち、その半年間だけフル回転し、奇跡的なことを引き起こしたのだった。天才と凡人の違いは、この奇跡的な期間の長短、持続性にあるのではないだろうか。勝利の女神は、フル回転の気配に極めて敏感なのである。(運を育てる 米長邦雄 クレスト社 149ページから引用)この話は森田理論学習に取り組んでいる我々にも参考になる話である。森田理論を自分のものにするためには、ある一定期間寝食を忘れるくらいに、のめりこむ時期を持つことが大きな意味を持つ。私の体験で言うと20年、30年当たりさわらずの学習を続けているよりも、1年でも集中して取り組んだ方がはるかに得るものが多かった。実は私は入会して20年間はほとんど森田理論の意味が分からなかったのである。もちろん森田理論のキーワードは何回も学習してそれなりに分かっていたが、自分の生活とはかけ離れたところで理解していたにすぎない。学習のための学習を続けていたにすぎない。森田理論の学習は20年も続けたが、森田的な生活に変化していなかったのである。私が転機となったのは、試行錯誤の末に「森田理論全体像」を自ら作りだしてからであった。これはこのブログですでに紹介しているものである。今までバラバラに理解していた森田理論が、一つの筋の通った理論として理解出来始めたのである。鷹などの鳥が、空から地上全体を見渡して広く獲物を見つけているようなものだった。私は森田理論学習の中で大きな発見をしたのである。一旦掴んでしまうと、一生涯の宝物となった。一旦掴んでしまうと、こんな簡単なことがなぜわからなかったのだろうと思うこともある。森田理論全体像は4本の柱からなっている。生の欲望、生の欲望と不安の関係、認識の誤り、その中でもとりわけ「かくあるべし」の弊害、事実本位・物事本位の養成である。これらが相互に密接に関連性をもっているのであった。これを発見してからは、いろんな人から、いろんな話を聞いた時に、今森田理論全体像のどこらあたりの話をされているのかすぐに分かるようになった。また自分の問題点や課題がよく分かるようになり、努力目標の方向性がはっきりと分かるようになった。この時、私は今までとは違った地点にランプアップしているのだとしみじみと感じることができた。これは野球界で言うと次のようなことだ。野球の選手で二軍にずっとくすぶっていて、一軍に上がれない選手がいる。片や、その選手と実力面ではあまり違わないのに、割合はやく一軍に上がって、しっかりと1軍に定着する選手もいる。どこが違うのか。早く1軍にあたる選手は、もともと能力も実力もあって、2軍に甘んじている選手とは異質なのであろうか。あるいはコーチや監督に対してアピールがうまいのだろうか。それらが全くないとはいえないかもしれない。だが、一番大きいのは、ある時期に寝食を忘れるくらいに野球にのめり込んでいるかどうかであると思う。ドラフトにかかるような選手は素質、能力、実力はアマとは違って、もともとある選手であると思う。その段階からいかに早く1段階、2段階上のステップに上がりきるかどうかの違いのような気がする。広島カープで言えば、菊池、丸、鈴木選手は入団したときは並みの選手であったが、猛練習の末に1軍選手になった。プロで活躍する選手は、入団してから一皮剥けた選手である。プロに入ったときは出発点で、入団してから猛練習によってレベルアップした選手である。これらの選手は、今後怪我でもしない限り5年から10年、あるいはそれ以上にわたってレギュラーが約束された選手となった。そういう意味で、森田理論はしっかりした芯の通った理論として整備されており、後は1年から3年程度はしゃにむに学習に取り組んでいく覚悟があるかどうか。そこが重要である。そうすれば、人間として一回り大きな人間になることができて、さらに今後の一生にかけての宝物を手にすることは間違いのないことだと思う。私は森田理論を自分のものにしようと思えば、ある一定時期森田理論学習にのめり込むことが必要であると思う。
2017.02.26
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精神科医の榎本稔さんの話です。引きこもりの治療では、 「アメ(母性原理)とムチ(父性原理)とモデル(自己原理) 」のほどよいバランスが必要だ、と言われています。ゆっくりと見守るだけという態度は、そのアメにあたるわけですが、しかし家族を含めて周りの人々がアメばかりでは、 「そのうちに、そのうちに」と、問題を先送りしているだけに過ぎません。私の経験では、引きこもりが3ヶ月ほど続いたら、誰かに「ムチ役」となってもらうことが必要だと思います。普通の家庭では、父親が仕事が忙しくて子供と接する機会があまりないのが現実です。子供の教育は母親任せになっていて、母親がアメとムチの両方の役割を担っているわけですが、それではいずれ子供は暴力に訴えるようになりますので、ムチ役には当然、父親こそがふさわしいと考えています。本来、子供には、成長発達に応じて、いろいろな目標や課題を与えるべきです。小学校の高学年ぐらいまでは、母親が温かく包んであげること(母性原理・アメ)が大切です。しかし、子供は10歳ぐらいから自我が目覚めてきますから、甘やかすばかりではいけません。この頃から父親の出番となります。課題達成のためには社会のルールを守り、困難に立ち向かって努力をさせることで、(父性原理・ムチ) 、自立していくために必要なこと学ばせていくわけです。そうしたことを通じて、子どもが自分の将来像(モデル・自己原理)を自ら描いていけるように仕向けることが必要です。中学2年生の男の子の例です。引きこもりが半年ほど続いているということで、両親が榎本さんのところに相談に来ました。父親は温厚な感じの人で、話を聞いてみると、ご多分にもれず仕事が忙しく、子供は妻にまかせきりだといいます。休日などは、それこそ「優しいパパ」として子供に接していました。そこでまず、父親の教育をする必要があると考え、 「アメとムチとモデル」の教育の理念を中心に説明しました。そして「まず、何よりも父親がしっかりしなければいけない」と伝えました。父親は、幸いにも私の言うことを理解してくれました。早速子供と積極的に向き合う生活を始めました。そして本人は少し登校する気になった頃合いを見計らって、毅然たる態度で学校に引っ張っていきました。子供は泣き喚きましたが、かまわず登校させました。その日から、父親は毎日、朝は一緒に学校へ行き、 1週間ほどすると、子供は1人で登校するようになったのです。この父親の場合は、子供の不登校は自分も含めて「家族全体の病気」だという点に気がつきました。しかしこのようにうまくいく例は、実はあまり多くはありません。なぜなら、引きこもりを生み出した土壌である「家族全体の病気」について、親はなかなか理解しようとしないのです。理解できても、 「わかりました」と答えるだけで、何も改めることができない人がほとんどです。(依存症がよくわかる本 榎本稔 主婦の友社 140ページ引用)このお話の中でわかる事は、子供を育て成長させ親離れさせていくためには、母親1人の力では心もとないということです。子供の成長段階に応じて、母親の役割が重要になる時期、あるいは父親の役割が重要になる時期があります。それぞれがポイントを外さないようにして子供とかかわっていくことがとても大切になってきます。私の場合を振り返ってみると、父親はアルコール依存症でしたので、子供の教育についてはほとんどノータッチでした。母親はとてもよく可愛がって育ててくれましたので、愛着障害は発症することはありませんでした。ところが、小学校高学年から以降については、父親が子供の教育に無関心であったためにいろいろと弊害が出てきました。たとえば、しなければいけないこと、やってはいけないことの区別がつかない。母親に過保護で育てられたため、我慢するということができなくて、わがまま放題に育ってしまった。また、社会のルールやしつけについても十分に身に付けたとは言い難い。父親が一緒になって遊んでくれると言う機会がなかったため、冒険心、困難を乗り越えていくという経験が全くない。外に連れ出して社会体験を積むという経験もなかったため、対人関係については、大人になって右往左往するばかりでどうして良いのか、ほとんど手探りの状態であった。父親と私の関係はそのようであったため、大人になってから大変苦労してきた。また、私が父親になったとき、私と子どもの関係が同じようになってきた。子供の成長にとっては、大変申し訳ないことをしたと思っています。今から子供を育てようと思っている夫婦、あるいは現在子育て中の夫婦、それから孫がちょうど成長途中にある祖父母の方は、是非ともこの事を学習して子育てに生かしてほしいものだと思います。
2017.02.25
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2003年の暮に名古屋で、ドル紙幣をばらまくという事件があった。これは当時26歳の元銀行員の男性が、名古屋市のテレビ塔から約100万円の紙幣をばらまいて職員に取り抑えられたという事件です。この男性はインターネット上の短期的な株取引で利ざやを稼ぐ「デイトレーダー」でした。彼によれば、事件の動機は「瞬時に大金を手にしたが、悦びより空虚さが残った」との事でした。男性は株取引でかなりの利益を上げていましたが、その生活は引きこもり同然だったといいます。終日、誰とも口を聞かず、パソコンに向き合うだけの毎日に孤独感を募らせていきました。彼が警察から厳重注意を受けたとき、 「自由な半面、市場から利益をもぎ取るだけで、世間に何のプラスにも生み出していない。この世界に自分がいてもいなくても同じと思うと、たまらない気持ちになった」と言ったという。このことは金融工学を駆使してマネーゲームを繰り広げている人たちにも同様のことが言えるのではないでしょうか。社会的孤立の状況についてOECDによる調査によると、先進20か国中、日本は15.3%で1位であった。続いて、メキシコが第2位であった。 (世界価値観調査 1992年から2002年 OECD調査)孤独感というのは、実際に1人でいる孤独とは違う。主観的な孤独感のことを言う。孤独であっても精神的に健全で、孤独感を感じない人はいる。反対に、たとえ多くの人と繋がりはあっても、対立的な人間関係の中で、自分はいつ見捨てられるかもしれないという気持ちが強ければより強く孤独感を感じる。孤独感がもたらす影響は深刻です。慢性的な孤独感は人を不安定にさせ、他者に対する被害感を抱かせ、自虐的・自滅的な志向や行動に陥らせるという。さらに深刻なのは、身体に与える影響です。孤独な人は脳血管や循環器疾患、がん、呼吸器や胃腸の疾患などで死ぬリスクが高まります。つまり孤独感には、高血圧や肥満、運動不足、喫煙などに匹敵する悪影響があると言われています。(「社会的うつ病」の治し方 斎藤環 新潮選書参照)考えてみれば、人間は生まれてから親の保護なしには生きて行くことができません。親のお世話になって20年経ってやっと自立して生きていけるようになるのです。自立してからも食べ物から身の回りの必需品まで他人のお世話になっています。つまり、生まれてから一生、他者の世話になり、他者との関わり合いの中で生きているのです。ですから、他の人間から完全に孤立して1人で生きていこうとすると、それは肉体的にも社会的にも死に向かって突き進んでいくといことになります。孤独感を感じるという事は、生命の危機と結びついておりとても危険なことです。対人恐怖症の人は、人の思惑が気になり、自分の自尊心やプライドを傷つけられるような場合、他人との接触を避けるようになります。そうしますと、一時的には楽になりますが、長い目で見ると孤独感や孤立感に苦しむことになります。引きこもり状態になり、外出することがなくなると、家族以外には接触する機会がなくなります。すると急に孤独感に襲われてしまいます。精神面だけではなく、身体面ににも大きな影響が出てきます。そうならないためには、外出を心がけ、小さな人間関係を日ごろからたくさん作っておくことが必要になります。夫婦の人間関係、親子の人間関係、隣近所の人間関係、集談会での人間関係、親戚の人間関係、仕事の人間関係、学校での人間関係、趣味の人間関係、同窓生などの人間関係など。いずれかに偏ることがなく、日ごろから幅広く、薄い人間関係のネットワークを作り上げておくことが必要です。これは森田理論でいうと「不即不離」の人間関係といいます。私の場合は、家族の人間関係、集談会での人間関係、町内会での人間関係、親戚との人間関係、仕事仲間との人間関係、趣味の活動を通じての人間関係、同窓会などの人間関係を幅広く築いています。インターネットやメールなどを通じての付き合いもありますが、 face to faceの付き合いでないためか、あまり心の寄りどころにはならないようです。広く薄い人間関係を築き、臨機応変にその時その場に応じた付き合いを続けています。これが私の精神面と身体面の健康に大きく寄与しているのではないかと思っています。
2017.02.24
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声楽家の佐藤宏之氏は、自宅で声楽の個人レッスンを行っていましたが、ある時期から引きこもりや発達障害の問題を抱えた若者のレッスンに関わるようになりました。しかし、ここで予期せぬことが起こります。なんと声楽のレッスンを続けるうちに、うつ病などの問題を抱えた生徒の状態が次々と改善していったのです。例えば、ある30代の男性は、大学時代にうつ状態を発症し、無気力で引きこもりがちの生活を送っていました。その後、精神科を受診したところ、統合失調症と診断され、薬物治療を受けましたが、ほとんど改善は見られませんでした。その後、自宅で大声を上げる、母親の家庭内暴力、自殺企図などの症状が出現して入退院を繰り返すようになりました。佐藤氏が母親からの依頼で声楽レッスンを開始したところ、約半年後からこれらの症状は次第に改善し、現在は塾の講師として勤務しながら、税理士の試験に合格するなど、社会適応度においてかなりの改善を示しました。音楽療法そのものは既に長い伝統があります。一般には病気や障害の改善を目的としてなされています。その位置付けは代替医療もしくは補完医療というものになります。しかし、佐藤氏のレッスンは、通常の音楽療法とは比較にならないほどの治療的な影響があります。これは、 2010年第42回日本芸術療法学会でその成果を発表し、大きな反響を呼びました。声楽療法では、診断や個人の内面は一切問題にしません。生徒に対しては、ひたすら「うまく歌う」ことだけが目標となります。にもかかわらず、診断や分析、解釈に基づいた治療法よりも高い成果を上げているかに見える。これはなぜなのか。まず、レッスンに定期的に通ったり、人と触れあったりすることによる心理的刺激があります。これに歌唱や筋肉トレーニングなどの生理的刺激が加わり、日常生活全般を活性化する可能性があります。技術的な向上が、達成感や自己肯定感の回復をもたらし、レッスン生同士の交流や合唱活動への参加などは社会性を改善する機会になるのでしょう。こうした改善が間接的に自己コントロールや情緒的な安定、あるいは対人スキルの向上などをもたらすのかもしれません。他にも、歌唱技術の向上過程が常に言語化され、評価されていくことで、客観的な自己認識が可能になるといった側面も考えられます。精神科医の斎藤環さんは、こうした声楽療法の経験を通じて、うつ病治療における「身体性の回復」の大切さを改めて思い至りました。声楽療法は従来の音楽療法とは異なり、強力に身体に働きかけます。発声に関わる筋肉を鍛えたうえで発声練習を繰り返し、身体をいわば1個の楽器に変えていくのです。ここで起きている身体的な変容に、回復へのヒントが隠されているような気がしてなりませんと言われている。ケースにもよりますが、うつ病が重くなると、自分の身体に対してひどく鈍感になることがあります。そうした場合、身体の不調や疲労に気がつかないまま、無理を重ねて燃え尽きてしまう、といったことが起こりやすくなっています。統合失調症などの場合にもよく言われますが、身体感覚の回復は、改善の指標として極めて重要です。単に睡眠や食欲の改善だけではなく、 一種の快癒観とでも言うべき心地よさが感じられれば、その改善は本物と考えて良いでしょう。(「社会的うつ病」の治し方 斎藤環 新潮選書 235ページより引用)これは大変面白い考え方です。普通、うつ病などの気分障害に対しては、まず第一に薬物療法です。しかし、長引いたうつ病は薬物療法だけでは治りきらない人がいるとも言われます。そういう人たちに対しては、認知行動療法や森田療法を始めとした精神療法を併用しています。その一環として声楽療法も付け加えられるのではないかと思います。この考え方は、うつ病そのものにはたらきかけるというよりも、失われていた身体感覚を改善していく方法をとられています。森田先生は心身同一論の立場をとられています。心と身体は密接な関係にあり、どちらか一方を取り上げて治療していくということでは病気そのものがよくなっていかない。両方を同時に回復に向かわせる方法がよりベターであると言われています。そういう意味でこの声楽療法は、うつ病の治療法として意味があるのではないでしょうか。
2017.02.23
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私は以前大阪に単身赴任をしていた時、「関西リフレッシュ懇談会」に参加していた。とても魅力のあり、会合のある日をいつも楽しみにしていた。この懇談会は主に定年退職をした人たちが集まっておられた。懇談会とはいえ、私が参加していた頃は毎回15名以上の参加者があった。プログラムが今の集談会とは大きく違っていたような気がする。今の集談会は何処へ参加しても金太郎飴のように内容がよく似通っている。自己紹介から始まり、森田理論学習、少人数に分かれての体験交流である。定式化されているために、先が読めてしまい、マンネリ化に陥り、参加者が伸び悩んでいるように思う。関西リフレッシュ懇談会に参加していて思った事は、森田理論の学習の集まりであるという柱がきちんとしていれば、それ以外のプログラムの内容は臨機応変に自分たちの都合に合わせて変化させていってもいいのではないか、ということでした。むしろそうしないと魅力的な集談会にすることが難しい。この懇談会は、まず自己紹介から始まるが、症状のことはほとんど喋る人がいない。ここ1カ月間の生活の中で体験したことや経験したことを話される。例えば、最近の体調の事や、最近見た映画のこと、役に立った本、旅行のこと、イベントのこと、役に立つ公共施設のこと、自家菜園の話、最近困っていること、感銘を受けたこと、楽しかったことなどである。持ち時間も普通の集談会よりはずっと長い。 5分から10分ぐらいはあったように思う。最近はあまりに長い人にはチャイムで何分か前に知らせるようにしているようである。この自己紹介は自分たちに刺激を与え、生活にハリを持たせる効果があったように思う。こういう自己紹介は、聞いていてとても新鮮で楽しかった記憶がある。この懇談会には3本の大きな柱があった。 1つは森田理論の学習である。 2つ目は老後の生活をいかに充実させるか。 3つ目はレクリエーションであった。だから、森田理論の学習ばかり行う集まりではなかった。それは基本的には3分の1くらいの時間配分であった。老後の生活については、健康維持、経済的な自立、生きがいづくりなどがあった。その他、家族や近隣の人たちとの人間関係の持ち方についても話し合われていた。レクリエーションであるが、毎回希望者は飲食を伴った懇親会があった。その他レクリエーションの内容はとても多彩であった。実際の老人ホームの見学、落語の鑑賞会、弁当を持参してピクニックに行く。ピザ窯を持って自給生活を満喫している人を訪ねていたこともある。あるいは知り合いの様々な専門家を見つけてきて役に立つ話をしてもらう。私の時は資産運用の専門家に投資信託の話を聞いたことがある。その他、整形外科の医者や歯科医の人の話を聞いたこともある。いずれも直接生活に役立つものであった。今月号の生活の発見誌に、瞑想やストレッチ、ヨガのようなことをメインにする集談会を作ればいいのではないかという記事があった。私もこの考え方にある程度賛成している。ただ私は神経症に苦しみ、なんとか森田理論学習を続けることで乗り越えたいと思っていた。ある程度日常生活が軌道に乗ってくると、今度は森田理論によって神経質性格者としての生き方を模索するようになった。森田理論にはそれに応えるだけの内容があると思っていたのだ。集談会がそういう役割を持たなかったとしたら、公民館活動で色々とあるサークルとほとんど変わらなかったのではないかと思う。むしろそちらの方が趣向をこらしていて面白そうだ。でも実際問題、集談会は森田理論の学習という大きな柱があった。その柱をなくするということは、存在意義がなくなってしまうということではなかろうか。森田理論の学習を継続してきた結果、生き方の指針を持つことができ、実際に生活に大いに活用させていただいてきた。これこそが集談会の生命線であり、それが無くなったら私は参加したくない。ところが定例会で、最初から終わりまで森田理論にどっぷりと漬かっていると、息が詰まってくるのも事実である。それはいくら好きでも毎日刺身が出されると、しまいにはうんざりしてくる。また、霜降りの牛肉がうまいと言って、毎日出されてもそんなに食べられるものではない。だから関西リフレッシュ懇談会のように、森田理論学習はプログラムの中で3分の1程度に抑える。それ以外の時間は別のことをする。例えば、みんなで絵を書いてみる、面白小話や川柳を作ってみる、クラシック音楽を聴いてみる、みんなで歌を歌ってみる。一人一芸大会を開催する。ピクニックに出かけてみる。工場見学をしてみる。パソコンやスマートフォンの使い方を勉強してみる。生活森田・応用森田のコーナーを拡充する。そして、それぞれの人の持っている知識や特技を紹介してもらう。指圧やマッサージ、ストレッチなどの実技を行う。その他、役に立つ公共施設の情報を交換し合う。私がちょっと思いついただけでも色々と出てくる。これらを森田理論学習に続いて、集談会進行上の大きなプログラムの柱とする。あとはレクリエーションをもっと充実させる。たとえば、集談会の中でサイフォンでコーヒーを振る舞っているところがある。あるいは集談会が終わった後、喫茶店に行ったり居酒屋に行っているところもある。レクリエーションも集談会の大きな1つの柱と考えれば色々とそのアイディアは出てくるであろう。私は森田理論でプラス面マイナス面のどちらかに極端に偏った考え方をしてはならないと学んだ。ところが集談会は、症状から回復された人ばかりの集いであっても、いつまでも森田理論をこねまわしている。その理論が自分の生活の改善とは無関係になっていてもだ。これでは変化に対応して状況に合わせることは難しいのではないか。そうした集談会があちこちにできていることを教訓として学んで、一刻も早く金太郎飴のような集談会から、オリジナリティーのある魅力のある集談会へと脱皮することが必要なのではないでしょうか。
2017.02.22
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今月号の生活の発見誌に、 「ガスの元栓が閉まっている」という情報を脳はどうやってしているのかという説明があった。健康な人の情報収集が、 「五感から情報を取り入れている」のと異なり、強迫行為を行う人は、 「閉まっている」と言葉にして、 「思考回路」を使って情報を取り入れており、 「感覚(五感) ・直観回路」は機能していないのが最大の特徴です。こうして、 「思考回路」を使うことから「しまっていないのでは? 」という「反対観念」に悩まされることになり、 「葛藤の世界」を越えることができずに苦しむことになるのです。強迫行為者が、こうした自分の「確認スタイルの特異性」を認識できるようになると、 「なぜ、なんども確認を繰り返すのか」ということが自然に納得できるようになる。(生活の発見誌 2017年2月号 59ページより引用)これを私の体験からご説明します。私は人前でアルトサックスの演奏をします。演奏するまでは、徹底的に練習をします。最初は楽譜を見ながら、小節に区切って、少しずつ指の動きを確かめていきます。試行錯誤の段階です。この時点では、脳の中では、前頭前野が盛んに活動しています。全てが終わると、録音機に吹き込み、違和感がないか確かめていきます。問題がなければ、何回も練習して、最終的には暗譜で演奏できるようにします。暗譜で演奏できるようになっても、そこからさらに30回も50回も繰り返して練習します。この時点では何回演奏してもほぼ完全に演奏できる状態になってきます。この時点になると脳の中では、前頭前野が休んでおり、感覚運動野から直接指に電気信号が伝わっていると思われます。そして演奏当日を迎えます。演奏当日はとても緊張します。もし途中で間違えてしまうと、観客の人を白けさせてしまうという予期不安が出てきます。また間違えてしまうと、他の演奏者にも迷惑をかけてしまいます。私は対人恐怖症なので、その点の不安がとても大きくなりやすいのです。この時の不安や恐怖は、脳で言えば前頭葉が大きく活動している状態です。前頭葉は、あーでもないこーでもないと、様々にチャチャを入れてくるのです。この時点では前頭葉がおとなしくしていてくれることがなによりも大切なのです。にもかかわらずといった感じです。今までの猛練習によって、感覚運動野に記憶が刻み込まれているわけですから、本来前頭葉の役割はないはずです。それなのに、前頭前野が活動してくる。これは迷惑な話ですが、自然現象なのでどうすることもできません。これは完璧な演奏をして聴いている人から称賛を得たいという欲望があるために、それに応じて不安や恐怖が発生しているのです。本来の目的は素晴らしい音楽を聴衆に届けたいということですから、不安や恐怖ととらわれることなく、本番に備えて着々と衣装を整え、ウォーミングアップを続けていくことしかありません。そうした行動をとっていると、多少なりともそちらのほうに注意や意識が向けられて、前頭前野の働きが抑制されてきます。このことの重要性が今までの経験上よく分かっています。あとは、本番の時間が来ると、不安や恐怖を抱えながら、舞台に向かって思い切って飛び出していくことです。まさに背水の陣と言った感じです。今までそうしたやり方で、ほとんどの演奏会はほぼ80%から90%の出来でなんとか事なきを得ているのです。考えてみれば、イチロー選手、羽生結弦選手なども本番前にはとても緊張するそうです。彼らを見ていると、本番を前にすると、ルーティーンをとても大切にしています。本番に向けて、いつも同じ時間に同じ動作を繰り返しています。そのことに意識を向けています。そうしないと、前頭前野が働きだして本番前にネガティブな不安や恐怖を生み出し、パフォーマンスに影響してしまうのです。ルーティーンに専念することは、勝手な前頭前野の働きを抑制する効果があるのではないでしょうか。
2017.02.21
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1962年(昭和37年)にできた歌で「サラリーマンドント節」があった。元東京都知事の青島幸男氏が作詞している。サラリーマンは 気楽な稼業ときたもんだ二日酔いでも 寝ぼけていてもタイムレコーダー ガチャントと押せばどうにか格好がつくものさ酒を飲んでも デイトをしても三度に一度は 親父のツケさ遠慮するなよ グッと開けろツケの効く店 また探そう社長や部長にゃ なれそうもねえが定年なんて まだ先のこと競輪競馬にパチンコ麻雀負けるやヤケ酒また借金もはや戦後ではないと経済白書で高らかに宣言され、経済成長まっただ中の時代に作られた歌である。新幹線の開通、東京オリンピックの開催へと続く時代である。国民全体が精力に満ち溢れ、将来に大きく夢が膨らんでいた時代である。ところで青島幸男氏はどんな気持ちでこの歌を作られたのであろうか。 多分その当時の日本人の働きぶりはちょっとおかしいのではないかと思っておられたのではないか。家族団欒は置き去りにされ、深夜残業は当たり前、土曜日、日曜日出勤も当たり前。会社を大きくすることで、働き蜂と揶揄されるような日本人がいたのだ。給料はどんどん上がる。欲しいものは何でも手に入る。そんな物質的に豊かな世の中を正面切って批判することは誰もしなかった。日本全体が我が世の春を満喫していたのだから。オイオイ、そんな生活で満足していていいのかい。こんな時こそ生活を見直してみたらどうだい。青島幸雄氏は、そんな気持ちを、植木等とクレイジーキャッツに歌わせたのではないだろうか。植木等はこれ以外にも、 「無責任一代男」などの歌も歌っている。とにかく働き蜂のような人生は、それでいいのかと問題提起しているのである。今の時代にこんな歌を歌うとどうなのだろう。きっとひんしゅくを買うことだろう。どこの企業もグローバルな生き残り競争の中に巻き込まれ、生きるか死ぬかの戦いを強いられている。そんな企業で働いている人たちは、いかに会社の業績に貢献したのか、いわゆる成果主義で判断される。成果に貢献して、勝ち進んでいけばもてはやされるが、負け癖がついてしまうと、見向きもされなくなるような風潮である。以前は人間が1人会社にいるということは、それ自体が戦力であった。ところが現在は能力のない者、成果を挙げない人はお荷物となる。会社はそういうお荷物を放り投げて、身軽になって闘いたいのである。厳しい査定の下で、給料や賞与の減額、リストラや解雇が待っている。現在は生存すること自体が脅かされている時代である。日本国憲法でいう生存権が危機にひんしているのだ。いったん正規社員から振り落とされてしまうと、派遣社員やアルバイトなど低賃金の職場しか残されていない。経済的にも精神的にもゆとりは全くない。必死に食い繋いでいくことしか残されていない。そんな中で、うつ病などの精神疾患はどんどん増えている。そんな競争社会で生きぬいていくということはしんどいことである。こんなにも人間を軽視してグローバル競争を勝ち抜いていく意味はどこにあるのだろうか。政府や大企業の経営者は、競争に負けると日本が立ち行かなくなってしまうという。果たしてそうなのか。昔から「国破れて山河あり」と言うではないか。経済成長はこの先ずっと続かなければ、国が潰れてしまうともいう。でも、国が潰れても、国民が幸せになるのだったらいいのではないかと反論をしてみたくなる。こんな時代の中で森田理論の考え方は助けになるのであろうか。森田理論は神経質性格を持っている人がいかに生きていくべきかをはっきりと教えてくれている。森田理論を勉強していくと、物質文明至上主義、拝金主義、飽食や使い捨ての生活を続けていくことに警鐘を鳴らしている様に思う。今の世の中はお金がすべての時代であり、少し気を抜くとすぐにその流れに巻き込まれてしまう。そうした生き方については、ある程度歯止めをしなければならない。豊かな物質生活を追い求めるのではなく、多少不便であっても、ほどほどの生活を受け入れていく生活に切り替えなければならない。そして、お金を出せば何でもかんでも他人に依存するという生活から抜け出し、自分の出来る事は自分で行っていくという人間本来の生活を取り戻すことが今現在求められている。ただ、今現在の時代はお金がないと生活が回っていかない時代になってしまっている。そういう社会の仕組みに巻き込まれてしまっているのである。しかし際限のない物質的に豊かな生活を追い求めて行っても、心豊かな生活が訪れることはない。これは今や多くの人が感じておられることであると思う。あくなき欲望の充足に制御をかけて、物質的にある程度の豊かな生活と心を豊かに保てるような生活のバランスをとっていくという方向に舵を切っていくことが大切なのだと思う。ポスト資本主義の時代は、効率や利潤追求が第一優先の世界ではなく、人間の心の豊かさや人間の温かい触れ合いを目指していく時代になると思う。森田理論はそのような生き方の問題提起をしているような気がする。
2017.02.20
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先ほど、男子フィギアスケートのフリーの演技を見た。結果は優勝がアメリカのネーサン・チェン選手だった。総合得点は307.46点だった惜しかったのは羽生結弦選手だった。ショートプログラムでは3位と出遅れたが、フリーはまさに圧巻であった。別次元の演技を見た思いだった。フリーの得点は206.67点だった。総合得点は303.71点だった。羽生結弦選手はショートプログラムとフリーの4回サルコーが2回転になった。これが惜しかった。フィギアスケートで優勝するような人も、得点経過を見ていると、必ずしも申請通りの演技ができているわけではなかった。優勝したネーサン・チェン選手は素晴らしい演技であったが、 1回だけ失敗をしていた。羽生選手も4回転サルコーで失敗をした。3位に入ったのは宇野昌麿選手であったが、転倒があった。パトリックチャン選手も転倒があった。フィギアスケートはちょっとしたことでジャンプが成功したり失敗したりする。それでも選手たちは果敢に4回転ジャンプに挑戦している。また、すべての演技を正確にこなす人はほとんどいない。それは金メダル、銀メダル、銅メダルをもらう人でも技術点が減点になっている場合がほとんどだ。つまり、完全な演技を狙ってはいるが、思い通りの演技ができている訳ではないということだ。でもたとえ失敗をしても、次の演技に引きずらないように、次の演技で練習した通りの演技をすることに集中している。ここが1番大切なのではないかと感じた。感動すら覚える。私は今日の男子のフィギアスケートを別の視点から見ていた。私は昨日、今日とアルトサックスの演奏で出かけていた。私は演奏の前にはできるだけ100%の演奏ができるように練習を積み重ねている。ところが、練習で間違いなく吹くことができたとしても、本番で間違いなく吹けるとは限らない。100%完璧に吹くことができる方が珍しい。大体80%から90%の出来に終わってしまうことが多い。昨日と今日の演奏を振り返ってみても、小さいミスが何箇所かあった。観客の方にはほとんどわからなかったであろうが、完璧を目指してる私にとってはとても気になるのである。でも、先程のフィギアスケートを見ていて、世界最高峰の舞台で演技をする人たちも完璧という事は有り得ないのである。私の場合は、失敗したことに対して自分の能力の無さを嘆いたり、もう演奏活動から手を引いてしまおうか、などと短絡的に考えてしまうことがある。フィギアスケートの選手たちの演技を見ていて目が覚めた。たとえ本番で失敗しても、さりげなく、次の入りやすいところから演奏を再開する。そしてさらに、次の演奏予定に向かってまた100%の演奏ができるように努力を重ねる。本番で失敗しても、笑って自分を許してあげる。ただし、リーダーは厳しい人でなかなか手厳しいことを言うが。でも、できるだけ失敗を少なくし、演奏仲間にあまり迷惑をかけないようにする。つまり、失敗にとらわれて、投げやりにならないようにして、最後まで丁寧に演奏する。失敗しても命まで取られるわけではないので、気分を入れ替えて、精進していくようにしたい。考えてみれば、演奏仲間も何らかの間違いを犯していることがある。そんな時は私がホローしてあげている。そういえば、「心の健康セミナー」で20分程度の演奏を頼まれているので、そろそろ曲目を選定して練習に取り組みたい。今回はエルガー作曲の「愛の挨拶」と谷村新司の「すばる」は候補曲としたいと思っている。とにかく100%の準備だけは怠りなくしてゆきたい。あとは当たって砕けろだ。
2017.02.19
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トランプ大統領が大統領令を連発している。トランプ大統領を批判する人は多い。でも大方の予想を裏切ってトランプ氏が選ばれた事を思い出してほしい。それだけ、既存の政治家に対していかに国民の怒りがたまっていたかということである。そうでなかったら過激発言を繰り返してきたトランプ氏が大統領に選ばれるはずがない。今までのいずれの大統領も、1%の富裕層、巨大な大企業、ウォール街の人達、ロビイストの息のかかっていない人はいなかった。いずれの歴代の大統領もそれらの人から多額の政治献金を受け入れていた。ヒラリー・クリントン候補も例外ではなかった。彼女の1回の講演料は2000万円だという。そのお金はその人たちの献金の一環である。政治献金は必ずそれ以上の見返りを要求する。本当にアメリカを動かす権力を手にしているのは、大統領を金でバックアップしているその人たちなのだ。多額の献金をして、政界に自分たちの仲間を送り込んで、自分たちの業界に都合のよい法律を作らせて、儲けるだけ儲けるというのが彼らのやり口だった。今や大統領は署名するだけになってしまった。欲望の暴走がエスカレートして麻痺してしまっている人たちの言いなりになっているのだ。国民皆保険というオバマケアを見てみるとよい。これは保険会社が法律を作っていたのだ。オバマ大統領は当初「チェンジ」と言って国民の正義の味方のようなことを言ってみんな期待していた。ところが8年の任期を終えた今総括してみると、実態は就任前より悪くなった。国民の不満が強い。でも、オバマケアのおかげで保険会社と製薬会社は思惑以上の最高の利益を上げた。国民は保険料が上がり、高い薬を自費で買うはめになり、医療で自己破産する人が激増した。これは共和党、民主党のどちらの候補が大統領になろうとも、強欲資本主義の旗手たちの操り人形になることに変わりはないということを物語っている。トランプ氏は、今までの大統領とは全く違う点があった。ヒラリー・クリントン氏とは違って、強欲な資本主義の担い手からほとんど献金を受け取っていない。そういう意味では自腹で選挙資金を払っていた。アメリカ国民は共和党でもない、民主党でもない。献金でがんじがらめに、はがいじめにされている候補者より、利害関係のない大統領を選んだのではないか。政策としては、国内雇用を減らすNAFTA、米韓FTA、TPPにはすべて反対している。これらは1%の強欲な資本主義の担い手からすると、とても容認できるものではないのである。オバマ大統領はどれもこれも強力に推進していた。強欲資本主義の旗手たちの思惑どおりだった。トランプ氏は国民目線に立った、国民皆保険強化、公共事業で国内投資拡大を目指している。高齢者への年金保証などを推進していくと言っている。これらの財源は、富裕層の増税で賄うと言っている。もしこれらが実現できたとしたらこれまでにない大統領の誕生ということになる。でも周りは抵抗勢力だらけなので予断は許さない。これと同じことは、大統領指名選挙を戦っていたバーニー・サンダース氏も同様の発言をしていた。期待の持てる人だった。サンダース氏曰く。「アメリカ大統領と議会が国民のニーズに応えていない大きな原因は選挙資金です。お金持ちや大企業がお金で政治家を売り買いできるような制度になっていて、金持ちはより金持ちになり、貧しい人々はますます貧しくなります。普通のアメリカ人が政治から締め出されているのです」まさに状況を的確に分析しています。ちなみにサンダースの政策は、次のようなものである。・1%層が巨額の献金で支配する金権政治に終止符を打つ・富裕層への増税で、公教育の無料化と国民皆保険を実現する・軍事費を減らし、富裕層に適切な納税をさせることで、全国民にまともな暮らしを保障する・外国やグローバル企業の儲けのために国内雇用を流失させる自由貿易協定は止めて、国民がまともな仕事につけるようにする。・国民の、国民による、国民のための民主主義を取り戻す。これらはトランプ氏の公約と非常によく似ている。公約としての方向性がよいと思う。私はトランプ氏が大衆の支持を得られたのがよくわかるような気がする。それほどアメリカの政治や経済を操っている人は、強欲にもほどがあるのである。自分たち以外の人の生活がどうなろうと知ったことではない。その人達を踏みにじって、自分たちに富が集まればよいだけのことなのである。儲かることには何でも手を出す。その結果アメリカ国民は貧困であえいでいる。それは国内にとどまらず世界に打って出ようとしている。この日本は第一ターゲットになっている。日本はこのままいけば、食料、農業、医療・介護、教育などの分野で禿鷹の餌食にされてしまうかもしれない。これらは直接命にかかわるものである。もっともやりやすかった食料はすでに首根っこを捕まえた。食料で日本を支配できる布石は打ったようだ。この先食糧不足が起きたときに、日本という国でとんでもないことになるのが目に見えている。何しろ先進国で自給率は最低に落ち込んでおり、輸入が滞ると日本はアウトなのだ。日本国民のほとんどを不幸のどん底に陥れても、とれるものはなんでも奪い取るというのが、アメリカの国民を貧困に追いやった彼らのやり方なのである。私は実りある人生、納得できる生き方を求めて森田理論学習を続けてきた。でもそれらが、強欲資本主義にどっぷりと漬かり、薬物中毒で麻痺したような人たちから、簡単に我々の生活を破壊されるような事態がすぐにでも起きようとしているのだ。日本政府がアメリカのお金もちの子分のような旗振り役を買って出ているのは如何なものだろうか。森田理論とともに、その方面にも視線を向けて真実を分かろうといる努力を怠らないようにしたい。私のブログでは森田理論、子育て、強欲資本主義の戦略について投稿を続けゆきたいと思う。どれ一つとして欠けていては、いい人生には結びつきようがないのではないかと思っている。
2017.02.19
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以前、生活の発見会の理事長を務められた斎藤光人先生は次のように述べられている。人間は欠けるところの多い生き物である。どんな人にでも、人格者だと言われるような人も、内面には猥雑なもの・醜いもの・汚いもの・好色なもの・意外と稚拙なもの・狡猾なものなどを仕舞いこんでいる。物には影となる部分があるように、表があれば裏の面があるように、だれでも、人に知られたくない嫌な部分がある。そして、それが時々存在を主張する。困ったことだが、だれでも完全ではありえないし、それこそが人間の人間たるゆえんだとも言える。しかし、どうにもこうにも仕方がない部分なのである。それは原罪とも業とも言ってよく、人間存在そのものと深いところでかかわり合っている。神経質者は完全に欲が強い。完全に欲が強いという事は、一面、要求水準が高いという事であり、決して真の劣等者には起こりえないことである。だが、神経質者においては、これがしばしば幼弱性と結合すると完全欲は正しい機能を果たさなくなる。例えば、人に対して不用意な言葉を口にしてしまった。仕事の上で1つ失敗をする。すると「もう自分はダメだ」という風に自分の全てを否定してしまうのである。私たち神経質者は、内面には猥雑なもの・醜いもの・汚いもの・好色なもの・意外と稚拙なもの・狡猾なものなどを抱えたままにしておくことができない。そういう面を攻撃したり、隠してしまう。そうしないと、人間関係がうまくいかないと思っているようだ。別にとりたててあからさまにする必要はないが、それらを取り繕うとすると、無駄な神経を使うことになり、かえって人間関係はギクシャクしてくる。自分が考えていることと反対になるのだ。私達は皆、人格者ではないし、プラス面もマイナス面も含めて1個の人間であると認めることが大切である。どんなに悪人と言われるような人であっても、その人の考えることのすべて、あるいはやることなすことの全てが悪で塗り固められているということではない。それは先入観が決め付けでその人を見ているからそうなるのである。片面しか見ていないということだ。そのような見方や考え方は自分のみならず、相手も不幸にしていく。メンタルヘルス岡本記念財団の岡本常男さんは、 「人間には10の欠点があれば、10の長所がある」と言われていた。そして出来る限り長所で勝負しなさいと言われていました。私たちは注意や意識が短所に向けられて、長所と短所のバランスが崩れています。バランスを取るためには、自分の長所を活かすことばかり考えていくことが大切です。調和、バランスをとることが一番大切です。スーパーニチイの副社長だった岡本さんは、くそ真面目で融通がきかない。だが、責任感は人一倍強く、あいつに任せておけば間違いないと言われていたそうです。その性格は、外交的で行動力のある人、リーダーシップがあり包容力のある人、ユーモアのある人達とうまく絡み合い、会社の中で存在感を示していたと言われています。自分の長所を評価しないで欠点を修正することにばかり注意を向けている人は、自分の長所にヤスリをかけて削っている様なものだと思われます。その結果、思うように欠点が修正できないばかりか、自分の長所は目立たなくなってくる。それでは元もこうもありません。方向性は間違っているとしか言いようがありません。また、岡本さんは、管理者は部下の長所をみつけ、適材適所に人員を配置して、長所を伸ばし、部下を育てあげることが最大の義務であると言われています。部下の欠点ばかりを責め立て罵倒するのは最も下品で品性に欠ける行為であると言われています。これは夫婦や友人たちとの人間関係にも言えることです。
2017.02.18
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私は冬寒い時、時々スーパー銭湯に行く。私が行くスーパー銭湯は車で15分のところにある。サウナに入らなければ料金は400円である。薬草風呂も用意されており、体が温まり、とても気に入っている。そのスーパー銭湯は、他に競合の銭湯が多いにもかかわらず、淘汰されることなく続いている。他の銭湯と違うところがいくつかある。まず利用料金が安いこと。また、リーズナブルなレストランが併設されている。次に銭湯から出た後、リラックスルームが完備している事である。多くの人がテレビを見たり、新聞を見たり、雑誌を見たりしてゆったりと過ごしている。中には、リラックスして横になりいびきをかいて寝ている人もいる。私はいろんなスーパー銭湯に行ってみたが、リラックスルームが充実している銭湯は少なかった。風呂から上がったら速やかにお帰りくださいと言わんばかりのスーパー銭湯が多かった。スーパー銭湯が生き残っていくためには、レストランとリラックスルームを充実させているかどうかにかかっていると思うが、なかなかそこにまで気をまわしている経営者は少ないようである。さて先日、アクシデントがあった。露天の薬草風呂に10分ぐらい浸かっていた。そこから出て洗い場に行く途中、急に頭がフラフラしたのである。頭の血管が切れてくも膜下出血や脳出血で倒れるのかもしれないという不安が襲ってきた。気分が悪くなり、しばらく横になって休んでいた。すると、のぼせてフラフラした感じがなくなり、やっと落ち着いて安心感を取り戻した。このことを後で振り返ってみた。露天の薬草風呂に入っているときは、心身ともにリラックスモードに入り、血管が拡張し弛緩状態にあったのだと思う。つぎに急に立ち上がって風呂から出ようとしたとき、頭にあった血液が急に少なくなってきたのではないか。今まで、拡張して弛緩状態にあった血管が、急に寒い状況にさらされ、収縮して緊張状態にさらされた。体が環境の変化にすぐさま対応ができなかったのではないかと思った。森田理論では周囲の環境の変化に素早く対応していく態度を養成することを学んだ。ただ、現実には私たちの心身が周囲の変化に素早く対応していくことは大変難しい。この場合は、変化の波を少しずつ作り出してやればよかったのではないか。最初、全身を薬草風呂に浸けていた。そして、出るときに急に立ち上がった。そして雨が降っている露天の中に身を晒した。これは弛緩状態から緊張状態に急に切り替えたことになる。これがまずかったのではないか。弛緩状態から緊張状態に徐々に切り替えるとどうなるか。肩までつかっていた状態から、今度はしばらく腰から下を湯船に浸ける。そして体を慣らす。それから時間をおいてゆっくりと立ち上がる。ゆっくりと洗い場で向かう。ならし運転のようなものだ。急に切り替えるのは体によくないようだ。そういえば森田先生も風邪をひくということは、家の外で心身ともに緊張感を持って動き回っていて、急に暖かい家の中に入り、コタツの中にもぐりこんでうたた寝をすると言うような場合に、いちばん風邪をひきやすいと言われている。これは心身の緊張状態が一挙に解けて、急に弛緩状態に切り替えた結果起こり得たことである。人間の活動はリズムで成り立っている。つまり緊張状態と弛緩状態が波のようにうねっているのである。普通はその切り替えは徐々に行われている。ある一定の時期に緊張状態がプツリと切れて、急に弛緩状態に切り替わっているのではない。スポーツ選手で激しい運動した場合、その運動を終了するにあたって、クールダウンが行われる。これは、急に激しい運動をすぐに中止するのではなく、徐々に運動を減らして心身の緊張状態を緩めていくやり方である。ソフトランディグの手法である。私たちもこれにならい、緊張状態から弛緩状態へ、あるいは弛緩状態から緊張状態への波を作っていくためには、急激な変化を求めるのではなく、少しずつ徐々に切り替えていくということを心がけたいと思う。
2017.02.17
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森田理論の「純な心」というのは、直感というものをすごく大事にする。直感の反対は「かくあるべし」である。森田理論では「かくあるべし」を前面に押し出しで生活をしていると、事実と理想のギャップに苦しみ、神経症の発症の原因になると言っている。ですから、生き方としては、 「かくあるべし」をできるだけ小さくして、直観を重視した事実本位、物事本位の生活態度の養成が重要となる。直感というものを粗末に扱っていると最初の直感はどんどん感度が薄まっていく。そういう性質がある。それは、風呂で最初に湯船に入る時、とても熱く感じることがある。そこのところを少し我慢して湯船に入ると次第に体が順応して熱さを感じなくなるものだ。それどころか、最初熱いと思っていたのに、次第に適温よりは冷たく感じることさえある。お湯を足さないととても寒くて湯船から出られなくなることもある。またプールに入る時、最初はとても水が冷たく感じることがある。ところが、我慢して入り、しばらく水泳を続けていると、あんなに冷たく感じていた水がとても心地よく感じられる。これらは身体の方が環境に順応してきた結果です。体のほうが自然に変化に対応してきたのである。それではここで、最初に感じた熱さや冷たさはどうなったのであろうか。身体が環境に順応したした結果、最初の直感は忘却の彼方へと忘れ去られてしまったのである。変化に対応してきたという面ではよいのであるが、直感をスルーしてきたというのは問題ではないだろうか。こうしたケースでは問題にならないかもしれないが、森田理論を学習してきたものからすると、直観を無視するということは大変問題であると思う。こんな話がある。カエルが鍋の中に飛び込み、次第に水が暖かくなり、温泉気分を満喫しているうちに、知らぬ間に茹で上がって、命を落としてしまったというのである。カエルは、鍋の水がが温まってきて、ちょっと熱いなと感じた瞬間はあったはずである。その感じを重視して鍋から飛び出せば助かったはずだ。ところが、その直観という感情を無視した。直感を無視して、惰性に流されてしまった結果、自分の命を落としてしまうという最悪の結果を招いてしまったのである。直観を無視すると神経症に陥ってしまうこともあるというのが森田の立場である。森田先生はことさらこの直感を大事にされている。例えばこんな話がある。酒について言えば、自分が酒が好きか嫌いかという感じから出発するとよい。酒が嫌いな人は、人に酒をすすめるとき、 「どうしてこんなものが飲めるのだろう」と言う気持ちでつぐと、無理がいかないで、酒好きもうまく飲まれる。 「あの人は酒が好きだから」と自分の嫌いと言う事を離れて考えると、加減なしにやたら追いかけ、追いかけ酒をつぐので、酒好きもたまらなくなる。自分の好き嫌いという感じから出発すると、相手の立場に自分を置き換えて考えることができて、思いやりということができる。 (森田正馬全集第5巻696頁より引用)確かに自分は飲まないで、次から次へつごうとする人は親切の押し売りをしているようにも見えてしまう。直感を軽視する人は、一般的には観念で考えたこと重視する人である。観念で考えた事は、事実、現実、実態からかけ離れてギャップを生じる。これが神経症に陥る原因となるのである。それを回避するためには、最初に感じた感情、第一に感じた感情、直感を宝物のように取り扱うようになるとよい。直観を宝物として丁寧に取り扱い、いつもそこから出発することである。「純な心」というと大変難しい事のように感じるが、 「かくあるべし」を少なくして、最初に感じた感情を重視する生活態度を身につけるということである。我々人間は「かくあるべし」を全くなくすることはできない。しかし立ち止まって振り返ってみることができる。つまり人間は失敗に学んで反省できる動物なのである。そういうことができる能力を身につけることが森田理論学習によって可能となるのである。
2017.02.16
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以前テレビで、聾唖者同士の夫婦のドキュメントをやっていた。まったく耳が聞こえない。それで手話を一生懸命勉強している。聾唖学校に入り、そこで知り合った可愛い女性が奥さんだ。奥さんも手話でしか話せない。「どうして自分はこんなに不幸なの?どうしてこんなに酷い目にあわなきゃいけないの? 」と、やはり、散々悩んだと奥さんは言う。 「でも、それでも、人は生きていけるんだ」とも言われる。その夫婦に待望の女の子が生まれたときに、アナウンサーが、 「この子は耳が聞こえるかどうか、気にならなかったですか」と言うような質問をした。赤ちゃんの面倒は二人で見ているのだが、泣き声自体を聞いてミルクを飲ませたり、オシメを取り替えてやったりすることはできない。赤ちゃんが泣くと、その音をとらえてピカピカ光る装置があり、それを見て世話をするのだ。そこまで不自由しながら、立派に自分の子供を育てている。先のアナウンサーの質問に対して、私は、この夫婦は「耳が聞こえる子が生まれて、とても嬉しい」と答えると思っていた。ところが、ご主人は、 「聞こえなければ聞こえなくてもいい、健康であればそれでいいと思った。もちろん、聞こえたら聞こえたで良いことだし、聞こえなければ聞こえないで、それもまた良いことだ」と淡々と答えていたのである。(不安な心と上手に付き合う本 大原健士郎 、 PHP 188ページより引用)この聾唖者の夫婦は自分たちの過酷な運命に対して愚痴を言ったり、投げやりになってしまうという態度が見られない。一般の人から見ると世をはかなんでしまいかねない過酷な運命である。でもこの人たちは、自分の運命を呪うことがなく、耳が聞こえないという事実を素直に受け入れている。そこにしっかりと足をついて、自分たちの出来る事に精一杯取り組んでいこうとしている。神経症で苦しんでいるような人は、人から自分の容姿の弱点、欠点を他人から指摘されると、それを真に受けてしまって、人前に出ること躊躇してしまう。例えば、背が低い、太っている、ハゲている、ホクロがある、ダサい、根暗であるなどと言われると、立ち直れないほどの心の痛手を受けてしまう。また、そのことが予期不安となり、憂鬱な気分になり、イライラしてくる。次第に目の前の勉強や仕事に取り組むことができなくなり、逃避的生活に甘んじてしまう。また、そういう人は、他人が自分をどう取り扱ったのかという事はとても神経が過敏であるが、自分は他人をいかに傷つけているかということについては、とても鈍感になってくる。それは注意や意識が常に内向的になっており、自己中心に偏っているからである。そのことで、ますます人間関係がぎくしゃくしてしまう。自己保身が強くなってくると、他人を受容し、共感するという思いやりの心は、ほとんど湧いてこないという点を自覚する必要がある。さらに、他人の言動に一喜一憂している人は、 「かくあるべし」の強い人でもある。他人の思惑が常に気になるという傾向と完全主義、完璧主義が結び付くと目の前の仕事や勉強などには手も足も出なくなってしまう。こういう人こそ、森田理論学習をしてほしいものだ。森田理論では自分の神経質性格、容姿、弱点や欠点、ミスや失敗などについて、自分自身を非難したり否定することは戒めている。そもそも神経質性格は、マイナス面だけではなく、外交的な性格の人にはないプラスの面が多い。この世は自己内省力のある神経質性格の人がいないと、リスク管理が脆弱になり、うまく回らなくなる。容易に将来を見誤って、取り返しのつかない事態に追い込まれないとも限らないのである。また、容姿が見劣りすることが必ずしも悪いとは言えない。一見非の打ちどころのないイケメンや美人の人が、それゆえに過酷な運命に翻弄されて人生につまずいている例はたくさん見てきた。容姿が見劣りするために自分の想いが実現できないと思っているが、却って無謀な行動の抑止力となっていることを忘れてはならない。また、有頂天になることもなく、他人の痛みも思いやることができるのである。弱点や欠点は一面的に見て、劣等感に苦しむのではなく、そのものが持っている逆の面からも見て、正当に評価することが大切である。ミスや失敗については、その経験を数多く持てば持つほど、次の展開が有利になることがある。それはミスや失敗を自分を否定したり批判したりするのではなく、問題解決や目標達成のための貴重な教訓として活用することが大切となる。ミスや失敗のない状態での成功や目標達成は、将来思わぬ落とし穴が待っている場合が多い。以上述べてきたことは、事実、現実、実態がいかに自分の考えていることとかけ離れていようとも、そこにしっかりと足をつき、そこを土台として生きていくことである。そういうことができるようになるということは、森田理論学習によって1つの能力を獲得したことになる。「かくあるべし」を少なくして、事実本位の生活態度を身に付けたことになる。人生を意味のあるものとして、あるいは味わいのある人生を送るためには、この能力を獲得することが、きわめて重要であると考えます。
2017.02.15
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ロスアンゼルス自殺予防センター所長だったシュナイドマン博士が、自殺者を調査したことがある。それによると、戦争中には自殺やうつ病が少なかったことが報告されている。この理由として、 1つには、人々は孤独でなかったということである。戦争中には、我が国を例に挙げれば「隣組」という助け合いの組織があって、お互いに近所同士が助け合いながら生活をしていた。孤独ではないということが、うつ病や自殺防止に役立っていたのであろう。2つ目は、人々は人生目標をしっかりと持っていたことである。戦争はもちろんよくないことではあるが、 「戦争に勝つまで頑張る」という人生目標がはっきりしていた。これがうつ病や自殺の防止につながっていたのである。戦後10年を経て、人々はようやく息を吹きかえしてきた。やっと生活するのに困らなくなってきたのである。すると、皮肉なことに自殺は増加し始めた。これは、生活にゆとりができても、 「生きがい」が存在しないために、少しのストレスが加わっても生きる力を失ってしまったのだ。人間はもともと、 「生きがい」や人生目標を持って生まれてきた訳では無い。両親の都合で生まれてはきたが、生まれてきた以上、生きなければならない。そのためには、自分自身の生きがいを見出さなければならないのである。生きがいは他人から与えられるものではない。自分で作り上げるものである。しっかりした「生きがい」がないとなると、生きがいを探すことを生きがいにしなければならない時期もある。また、生きがいは、決して趣味や遊びからは生まれてこない。生きがいはあくまでも建設的な姿勢に宿ることも心得ておくべきであろう。(不安な心と上手に付き合う本 大原健士郎 PHP 166頁より引用)人間の人生には、だれでも自分の意に沿わない生育環境、問題や課題が用意されている。それらを何とかして乗り越えようとしている限りにおいては、うつや自殺などを考えることが少ない。 自分に与えられた仕事や家事、育児、問題や課題、夢や目標を失ったとき、人間は生きる張り合いをなくし、緊張感がなくなる。生気がなくなり抑うつ的になっていく。人間の脳では前頭葉が次第に廃用性萎縮を引き起し、認知症などの症状を引き起こす。 サムエル・ウルマンは、 「青春の詩」の中で次のように述べている。「年を重ねるだけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増やすが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悩や孤疑いが、不安、恐怖、失望、こういうものこそ恰も長年月のごとく、人を老いさせ、生気ある魂をも芥に帰せしめてしまう」大原先生と同じことを述べている。ここで、大原先生は、生きがいは決して趣味や遊びからは生まれてこないと言われている。趣味や遊びは人間に意欲や潤いを与えてカンフル剤にはなっている。でも1日中趣味や遊びで塗り固めたような生活をしているとそのうち空しくなってくる。他から与えられた楽しさというのは、刹那的喜びにすぎないものだと思う。それを追い求めていくと耐性がついて、どんどんとエスカレートしてくる。そのうち本来真っ先に手をつけるべき日常茶飯事、子育て、仕事、勉強などが放棄されてくる。このような状態は砂浜に家を建てるようなものである。土台がしっかりしていないので、どんなに立派な家を建てても次第に家が破壊されてくる。森田先生も、本来やるべき事を放棄して、趣味などにどっぷりとつかるような生活態度は厳しく指摘されている。次に、うつや自殺に追い込まれそうな時、大事なことは助け合いの人間関係を維持することであると言われている。人間関係については、森田理論学習では、つきず離れず、 「不即不離」ということを学んだ。その中でも最低限、集談会での人間関係は大切にしたいと思う。それ以外にも、できるだけ幅広い人間関係を築いていくことに注力していく。そして、何かあった時は自分1人で解決しようと思わないで、適宜適切に相談して解決にあたりたい。特に退職して話し相手が配偶者だけというのは出来る限り避けたい。趣味や町内会、あるいは同窓生など幅広い人間関係を築いて、臨機応変に多くの人と交流を持ちたいものだ。
2017.02.14
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第一生命保険が主催しているサラリーマン川柳100句の発表があった。この中から気に入った川柳を選ぶと、うまくいけば景品がもらえる。私がよかったと思うのは、次の川柳であった。主婦業も 36協定 結びたい効率化 提案するため 日々残業久しぶり 聞くに聞けない 君の名はポケモンで 希望者増えた 外回り新人は ペンを取らずに 写メを撮る会議する 準備のために また会議備忘録 書いたノートの 場所忘れ結婚線 あまりの薄さに ペンで書く
2017.02.13
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子供を育てる上において母親のみならず、父親の役割も大切である。子育てにおいては、まず愛着の形成が順調に行われることが極めて大切である。これは主として母親の役割である。期間としては主として1歳6ヶ月までの間である。この期間に愛着の形成に失敗するとその後何らかの不都合が生じる。この期間は母親が常に子供に寄り添い、身の回りの世話をする。母子密着が大切な期間である。そうすることで、子どもは人間に対する信頼感や安心感を得る。その期間を過ぎる次の段階として、母子分離が始まる。こころの母親の後ろ盾を得た子供は、安心して徐々に母親から離れていくのである。母子分離は子供が2歳のころから始まる。これはもちろん一足飛びに始まるのではなく、試行錯誤を繰り返す。たとえば3歳の頃、再び母親にべったりとなる時期を迎える。この時、子供は外界を探索したいという欲求と、母親の庇護に頼りたいという不安との間で葛藤している。でもこの葛藤を乗り越えられないと、母親と子供は共依存の関係になってしまう。この時期をうまく乗り越えられるかどうかが、子供が安定した自立・独立を獲得できるかを左右すると言われている。この段階を順調に経過するためには、父親の役割が重要である。父親が子供の不安を緩和し、安心して歩み出せるように手を引くことで、子供はスムーズに母親との分離不安を乗り越えていく。この時期に、父親がそうした役割を担えないと、子供は母親に執着し、融合したままの状態にとどまる。それは自立したアイデンティティーの獲得の失敗にもつながりやすい。子供は母親に執着し、依存する一方で、母親に対し支配的で攻撃的になる。依存と反発の入り混じった両極端な態度を示しやすい。その他に、父親には2つの役割がある。1つは、子供を外に連れだし、様々なことを経験させるということである。外界のことや未知のこと色々と経験させる。そうすることで、子供に好奇心、探究心、冒険心などが育つ。こうした経験や体験を持たないと子供の自立心は育たない。これらは大人になって様々な困難を乗り越えていく上で役に立つ。また、複雑な人間関係なども学んでいく。父親は子供を社会に適応させるためにきわめて重要な役割を担っているのである。もう一つは、父親は子供にやりたい放題を許すのではなく、子供の行動に一定の制限をかけてコントロールするという役割がある。父親が不在だったり、いても、抑止機能が働いていない場合には、子供は行動のコントロールを失い、無軌道で放縦な生活に陥ったり、我慢したり抑止力の働かない大人になっていく。また困難に対して立ち向かっていく勇気に欠けて、すぐに逃げまくるひ弱な子供になっていく。そうならないためには、甘いだけの父親ではダメなのだ。ましてや父親の育児放棄は許されない。こういう役割を母親に一方的に押し付けてしまうということは問題である。母親がその役割を果たそうとすると、一面では子供を保護しながら、もう一方では子供突き放すという相反する役割を担うことになる。こうしたアンビバレンスな役割を一人の人間が持つことは子供に混乱と反発をもたらす。母親は子供を庇護する役割、父親は子供を厳しくしつけると言う役割を果たすことが大切である。こうしてみると、子育てと言うのは母親と父親がそれぞれの役割を持っており、それぞれの役割を協力しながら果たしていくということが重要である。現在、父親は会社での仕事に追われ、子育てについてはほとんど母親に任せきりという家庭が多い。私の場合を考えてみても、父親はアルコール中毒でほとんど子供と関わりを持とうとしなかった。どこかへ連れて行ってもらったという記憶は全くない。いつも叱られてばかりで父親から逃げまくっていた。いくら思い出してもよい思い出がないのである。ただ父親から引き継いだ神経質性格は今になって思うと唯一よかったと思っている。母親には可愛がられて成長していたように思うが、次から次に兄弟が生まれたためと仕事で忙しかったため、手が回らなくなり、祖父母に預けられた。特に祖父が自分を甘やかされて育てたため、その後の人生がうまくいかなかった。衝動的な行動が目立ち、わがまま放題に育ち、良好な人間関係を築き、維持していくことができなかったのは、このような両親の子供に対する接し方にあったのではないか、と思うようになった。私は最近、生きていくうえにおいて、どうしても学習しなければならないこと、あるいは学習しておいた方が役に立つことが3つあると思う。生き方の指針を得るためには、森田理論学習である。子供を育てるにあたっては、親学の学習。仕事をするにあたっては、管理者としての教育である。これらの学習に取り組み、若い頃から勉強して、確固たる方向性を持つことができていたら、その後の人生は大きく変わっていたのではないかと思う。(続・親学のすすめ 高橋史朗編 モラロジー研究所参照)
2017.02.13
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森田先生は、普通の人が休息をとる場面でも活動されていたようである。高良武久先生は、 「森田先生は病気で寝ている時でも、平熱のときには一番精力のいるものを書く仕事された。熱が37度以上になったときは、本を読む程度の仕事をされた。それ以上の熱の時は、本を人に読ませて聞いていた。熱の状態によって、無駄にならないよう、ふさわしく仕事をした」と言われている。森田先生はよく病気をされていたが、すべてを放り投げて療養に専念するというわけではなかった。全く休むのではなく、自分の病気の軽重によって活動内容を臨機応変に変えられていたのである。森田先生が富士山の登山をされた時にもこんなエピソードが残されている。前の日から下痢をしていて、母親子どもらとともに、 六合目まで歩いた時、喘息が起こって、それ以上登ることができず、一同に分かれ、強力を1人連れて、山腹を横に回り、須走口の五合目に向かったときのことである。霧雨は降る、行きは苦しい。山を降りるかと思えば、なかなか登ることが多い。ついでに、すべての想像・予想を絶って、この後、幾万歩あるか、永久に歩く心構えで、足元ばかりを見て、歩数を数えていた。何千歩であったかは忘れたが、窟部のところへ到着した。それが目的の五合目の宿であった。この時は何の苦痛もすでに忘れていた。ただ、永久に、足に任せて歩くという気合があるのみであった。 (森田全集五巻 140ページ)活動することがしんどいからとか、自分は体が弱い、あるいは自分は病気であるということで、完全休養をしてしまうと、体のみならず精神状態も緊張が解けて弛緩状態に陥ってしまう。弛緩状態に陥ってしまうと、その時はほっとして楽になったように感じるかもしれないが、後から後悔の念で苦しむようになる。私たちの身体や精神状態は時が経つにつれて常に変化をしている。体調が悪かったり、やる気や意欲が湧かない時は、そうでない時に比べ100%の活動を期待することはできない。完全主義を目指す人はそんな状態で行動するとミスや失敗が多くなるから、何もしないでじっとしている方がよいと考えます。最後には逃避的な態度になり、目の前のやるべきことなすべきことに全く手足が出なくなってしまう。森田先生はこうした態度を自らの体験で諫めておられるのだと思う。森田先生の「生の欲望の発揮」の考え方はこういうものであった。イヤイヤ、仕方なくぼつぼつと取り組むことで、注意や意識が自己内省することから外向きになる。実践行動することによって、たとえ失敗しても、その失敗から何かを学ぶことができる。また、実践行動すると、辛い感情や不快な感情が流れて、別の感情と入れ替わっていく。神経症のもとになる辛い感情や不快な感情はこのようにして雲散霧消していくのである。私たちは森田正馬先生に学んで、体調の悪い時ややる気や意欲が湧かない時は 「超低空飛行」を心がけて嫌々仕方なくでもよいのでぼつぼつと実践・行動することを心がけたい。会社に行くのが嫌で仕方がないという時は、有給休暇をとるのではなく、「月給鳥」という鳥になって会社に行くことである。ただ、このやり方はうつ病で苦しい時は適応できない。その場合は主治医とよく相談することが必要である。
2017.02.12
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若いお母さんで「授乳時間がいちばん楽しみ」という人がいるそうです。その理由は、「おっぱいを飲んでいると、子供が静かなので、メールができるから」と言うことでした。お母さんは赤ちゃんの顔を見ているのではなく、スマホやテレビに釘付けになっていると言うのです。赤ちゃんは目を上げても、お母さんの目が自分に注がれているのではなく、スマホやテレビ画面に向いていたら、信頼を裏切られ、拒絶されたことになるのではないでしょうか。そんなことが繰り返されたら、心は満たされる事はないのかもしれません。ある新聞の投稿欄に、 3歳になる息子が母親にいった言葉が紹介されていました。「僕、生まれてきていけなかったの? 」母親は驚き、 「えっ、どうしてそんなことを言うの? 」と聞きかえしました。すると、 「だってお母さんはいつも言っているよ。子供を育てるのは大変だって。友達といつも電話で話しているよ。子供がいて、自分の自由な時間がないって。僕、お母さんに迷惑をかけているの? 」高橋徹著「日本人の価値観・世界ランキング」 (中公新書ラクレ)という本があります。それによると、 「親は子犠牲になるのはやむを得ない」と答えた親は、世界の平均は73%ですが、日本人の親は38.5%で、 73カ国中、 72番目だったそうです。日本より下の国はリトアニアです。子供のことより、自分たちの生活を楽しみたいという気持ちの方が勝っているのでしょう。厚生労働省の調査によりますと、 「子育てを負担に思う」と答えた親が、 3年連続して8割を超えています。そして、なぜ子育てが不安かという理由を尋ねたら、第一位は、自分の自由時間を奪われるからということです。内閣府の世論調査を見ると、 「子供を育てていると、自分のやりたいことができなくて焦る」と答えた人が3分の2います。子供を育てているとイライラすると答えた人が4分の3います。いつごろからイライラする母親が出てきたのかと歴史的に振り返ってみると、昭和56年のアンケート調査では10%でした。平成12年では30.8%です。つまり、子育て負担感、子供を育てるのは大変という意識が急増しているということです。果たして平成29年度はどんな結果が出ているのでしょうか。(続・親学のすすめ モラロジー研究所 参照)こんな話を聞くとぞっとします。そして、動物行動学のケーニッヒという人の話を思い出します。この人はアオサギを買って実験をしていました。餌とかいろんなものを十分に与えて飼ってみると、最初はどんどん増えていくそうです。ある所まで増えていくと、そのうちどんどん減ってきて、そして最後には絶滅したそうです。同じような実験はネズミでも行われていて、環境を整えていくと、最初はどんどん増えていくのですが、やがては減ってしまう。どういうことが起きるかというと、卵を産んでもかえさないとか、子供ができても餌もやらないとか、つまり子育てをしなくなるのです。自分が楽しく生き延びることばかりを考えるようになるのです。自分が成長したら、今度は自分のことは横に置いて、子孫を残して育てるという本能が脆弱になってしまっているのです。この話から分かることは、親に十分な食料がある環境で生活していると、子供を産んで立派に育てようと言う意欲が減退してくるということです。さらに電気、ガス、下水道、冷暖房完備の環境の下で飽食三昧の満ち足りた生活を謳歌し、娯楽やレジャーに取り囲まれた生活をしていると、その傾向にさらに拍車がかかっています。自然界の稲などの植物で言うと、最初のうちは盛んに栄養成長を行っています。でもそのうち、しっかりと自分の体が出来上がってくると、栄養成長から生殖成長に切り替わってきます。つまり、子孫をいかにして残すか、という方向に切り替わってきます。例外はありません。しかしこの場合、人間が十分な肥料などをやって育てていると、植物そのものはどんどん大きくなっていきます。でも生殖成長に切り替わる時期が遅れたり、そのうち脆弱に育って、病害虫等にやられて植物そのものが本来の生殖成長の機能を果たさなくなります。人間の場合も、自分たちが何ひとつ不足ない生活の中に身を置いていると、楽しむことでいっぱいになり子孫のことを考えるゆとりがなくなってしまうのかもしれません。飽食三昧の生活や物質的に豊かな生活を求めるとことは、無制限に追い求め続けるというのは問題だと思います。ほどほどの生活を心がけて継続する必要がありそうです。 「腹八分目の食生活に医者はいらない」と言われます。欲望は野放しに放任するのではなく、ある程度の制限を加えるということが必要なのかもしれません。それが自然な人間の本来の生き方なのではないでしょうか。これは森田理論学習の「欲望と不安」の単元の中でとくに強調されている事です。
2017.02.11
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少年非行を専門にされている弁護士の高橋一郎さんのお話です。非行を犯す少年たちは我慢する心が不足している。我慢できる子供は母親と父親が躾の中で身につけさせる必要がある。3歳までの子供のしつけは特に母親の役目だと思います。子供の年齢と成長に応じ、日常の挨拶、身の回りの始末、歯磨き、洗顔をはじめ、子供にしなければならないこと、してはならないことをきちんと教え、それを守らないときは、しっかりと叱ることが必要です。しかし、母親のしつけは母性本能が強いため、どうしても甘やかす傾向になると思われます。母親は子供が3歳を過ぎたら、子供との距離を次第に置いていくべきです。子供を溺愛したり、甘やかしては絶対にダメです。ここからのしつけには父親が参加することが欠かせません。我慢する心を作るのは、母親の協力を得た上での父親の役目です。そのためには子どもにとって父親がえらくて恐ろしい存在であることが必要です。すなわち父親に権威がなければ歯止めがかからず、子供には我慢する心はできません。もちろん父親が、いくら自分で子供相手に威張っていてもダメです。だから母親は、 「お父さんはえらくて怖い」 「いつもは優しいが悪いことをすると怖い」ということを教えこむことです。子供に我慢することを教えるのに1番良い方法は、子供が欲しがるものをむやみに買ってやらないことです。親が子供に物を買ってやらなくても、子供はみじめではありません。子供は単にその時、そのものが欲しいだけで、子供がみじめというのは大人が勝手に考えることです。もちろん、夫婦で相談して、子供の成長に役立つものは、子供が5つ要求したら1つくらいは買ってあげてもよい思います。そして、買ってあげる時も、子どもが指折り数えて待つようにさせ、すぐに買い与えてはいけません。子供が欲しいと言えば、すぐに何でも買い与えてしまう親がいます。どういうことになるのでしょうか。子供はすぐにそれに飽きてしまい、またすぐ別のものを欲しがります。それを続けると、一回でも買ってやらないと、子供はお店の中でも泣いてバタバタと暴れ要求するようになってしまいます。つまり、自分の要求は何でも通る、両親の言うことなど聞かないで、我慢など全くしない子供に成長するだけです。がまんできる子どもは、父親がちょっとした小さいことを継続することで可能となるのです。次に父親は子供が小さい時ほど、必ずその場で叱らなければなりません。特に子供が幼い頃、子供が目の前で行った悪いことに対して叱るのです。後で母親から聞いて、昨日のことや前のことを叱っても無駄です。非行を犯した少年のほとんどが、親に叱られたこと、特に父親から叱られたり、さらには体罰を与えられたりした経験がないのです。父親がこどもから離れていて、母親任せになっているのです。子どもが言うことを聞かないことがあって、父親が子供を叱ったならば、母親は「だからダメと言ったでしょう」 「 2人で謝りましょうね」と言って、子供と一緒に父親に「お父さん、ごめんなさい。もうしません」と謝る形をとることです。そして、父親が「そうか。よし、わかったか」 「お前はやはり私の思った通り良い子だ」と子供を褒めてやればそれで決まりなのです。そのような繰り返しが、さらに父親をえらくて恐ろしい存在にするのです。ところが、現状は全く逆です。母親は子供に対し、父親をえらくて恐ろしいなどと教えるどころか、 「お父さんみたいにならないようにしなさい。お父さんは勉強もできなかったので、万年平社員で、また家庭も顧みず、酒ばかり飲んでいる」などと話し、父親の権威を否定してしまっています。これでは父親がえらくも恐ろしい存在ではなくなり、子供は我慢するどころか、何でも思い通りにやり、ついには非行に走ってしまうのです。よく、子どもが問題行動を起こすと、父親が母親に向かって、 「お前は今までどういう教育をしていたのだ。子供の教育は全部お前に任せていたのに」と叱責することがあります。的外れな発言です。こういう父親は子供の教育に関しては、仕事で忙しいのを理由にして放棄していたということです。本来子供のしつけや教育は、母親と父親が一体となって協力して取り組むべき課題です。特に我慢のできない子供は父親によって作り出されると言っても過言ではありません。考えてみると、私の場合も、父親は留守がちで、子供の教育については母親に任せきりでした。その結果として、社会的に迷惑をかけるような本能的な衝動的な欲望に対して、制御機能が働かない大人になってしまった。また、自分の思い通りにならないことや腹が立つときなど、我慢することができなくて、その気持ちをストレートに相手に爆発させてきた。そしてそれまでに積み上げてきた人間関係を簡単に壊してきた。今思う事は、 「やってはならないことは絶対にやらない。やらなければならないことは、どんなに辛い事でもやるという子供を育てるのだ」という信念を持って、親が子育てにのぞんでいるかどうかが、その後の子供の行く末を左右してしまうのだと思います。(続・親学のすすめ 、高橋一郎 、モラロジー研究所 244ページ参照)
2017.02.10
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平成29年1月23日のプロフェッショナルは「色彩復元絵師」の荒木かおりさんだった。現在は京都の清水寺の400年前の獅子の彫刻の絵付けの復元に挑んでおられる。最初は表面の顔料をはがし、下地の色を見つけることから始められていた。でも、詳しいことは分からない。次は大学の研究室と組んで科学調査を行っておられた。顕微鏡で拡大して、下地の色を調べるのである。さらに蛍光エックス線装置で詳しく調べていた。この検査でかなり詳しいことがわかる。その結果、赤、青、黄が複雑に組み合わさており、混迷を極めているばかりで、見通しが立たないでいた。なかなか打開策が見つからない。壁にぶち当たり、獅子の復元は暗礁に乗り上げたかのように思えた。そんなとき、幕府お抱えの狩野派の絵師が二条城、清水寺、岩清水八幡宮、高野山金剛峰寺の絵画や装飾を手がけていたことがわかった。狩野派の絵師は1626年に二条城、 1631年清水寺、 1634年岩清水八幡宮、 1641年高野山金剛峰寺の仕事に携わっていたのである。 一連の流れの中で清水寺の獅子の彫刻の絵付けをしていたのである。荒木さんは、視点を変えて二条城、岩清水八幡宮、高野山金剛峰寺を調べ上げた。そこにヒントがあるとみたのである。その中でも荒木さんが注目したのは、高野山金剛峰寺の獅子の絵画だった。そこに描かれた獅子の姿は、今修復を手がけている清水寺の獅子に姿形がそっくりだった。ここの獅子は色彩が鮮やかに今に残っていた。荒木さんはピンときたようである。今まで自分が調査して掴んでいた事と不明な点が、高野山金剛峰寺にあった獅子の絵画と重なりあったのであった。清水寺は幕府お抱えの絵師狩野派が二条城を始め、有名な神社仏閣の絵画の制作の一環で取り組んだものであるということが分かったのである。事実をつかむということは、目の前にあるそのものだけを見ていても分からないことがある。でもその周囲に、真実の事実を見極めるヒントが隠されていたのである。目の付け所が違うようだ。この話は森田理論学習において大変参考になる話である。森田理論は事実本位の生き方を大変重視している。そのためには事実をよく観察して真実をつかむことが大変重要になる。一般的に、私たちは事実をよく観察するということが不十分である。事実を見ても、見れども見えずというケースはよくある。また先入観や決めつけによってすぐに事実を類推してしまう。その結果、事実とは全く違ったもの事実と誤認してしまう。森田先生は事実をつかむにあたって自ら足を運んで自分の目で確かめることを心がけておられた。事実をつかむには自ら現地に赴き、自分の目で見る。自分の耳で聞く。自分の鼻で匂う。自分の舌で味わう。自分の手で触ってみる。私たちは五感を働かさないで、ちょっと見ただけで全体を類推し、勝手に判断してしまう。それは事実を見たことにはならないのだが事実を間違いないと決めつけてしまうのは大変問題である。荒木かおりさんは400年前の狩野派の絵師が、異論を挟まないだけの忠実な復元に精魂を傾けておられた。事実に基づかない、復元は、製作者の意図に反することであり全く意味がないと言われていた。これは森田理論学習をして事実本位に生きていこうとする我々こそ見習わなければならないことである。その態度が「かくあるべし」を少なくして、事実本位に生きていく原点になると思われる。
2017.02.09
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先日テレビを見ていたら、職業で額縁の制作をしている人の紹介があった。額縁といっても絵を飾る額縁ではない。本人や家族などの思い出の品を収納する額縁である。だから、その額縁はかなり厚みがある。その中で、娘さんがお父さんに贈った額縁があった。お父さんは、若いころ自動車の修理工場を立ち上げ、多くの従業員を雇い、一心に働いてきた。そのお父さんがガンになり、余命いくばくもない状況であった。娘さんがお父さんに贈った額縁は、現役の頃仕事で使っていた帽子とスパナなどの道具類が入っていた。このプレゼントをもらった闘病中のお父さんはとても感激していた。娘さんの感謝の気持ちがこもっていたからだ。それから2ヶ月後お父さんは旅立っていった。家族に見送られて、さぞかし穏やかな気持ちで旅立つことができたのではないかと思った。続いて紹介された人は、理髪店を営んでいる人であった。その人の父親も田舎で理髪店を営んでいた。昔の田舎の理髪店は近所の人たちが集まり、情報交流の場であったという。その方は家を出て、別の理髪店の師匠について修業された。今では若い人たちにその技術を伝えている。その方は、父親が使っていた道具、亡くなった師匠が使っていた道具を額縁に収めた。これを店の玄関に飾った。これを見ると初心を思い出すという。この額縁が自分を励ましてくれる。その他、自分の子供が生まれて初めて履いた靴をとって置いて額縁に収めた人もいた。それを子供が結婚するとき、プレゼントとして贈るのだ。ほとんどの親は子供が生まれると、とても嬉しい。子供を一人前に育てようと決意を新たにする。しかしその感激も、子育てで奮闘しているうちに、次第に薄れていく。そんな時、子供は果たして自分は望まれてこの世に生まれてきたのだろうかと疑心暗鬼になることがある。でも、両親が自分が生まれて初めて履いた靴を保存しておいて、結婚式の時に額縁に入れてプレゼントしてくれたらどうだろうか。わだかまりが一挙に融解して、何とも言えない感謝の気持ちが湧いてくるのではなかろうか。この額縁は家族の人間関係がどことなくぎくしゃくしている人にとって、取り組んでみる価値があるのではないかと感じた。どんなに憎み合っている親子であっても、所詮は親子である。生まれてきた子供の幸せを願わない親はいないはずだ。老人になった人、誰に聞いても、一番にかわゆくていとおしいと思うのは子どもたちのことなのだ。さて、この額縁は自分が自分に対して贈ることも効果がある。苦しい時に歯を食いしばって頑張っていた時の思い出の写真や品物。自分が勉強やスポーツで頑張っていた時の思い出の品。初めて就職して希望に胸膨らませて仕事に取り組んでいた時の思い出の品。あるいは、初めて家庭を持って頑張っていた時の思い出の品。などなど。私で言えば、初めてトライアスロンの大会で完走した時の完走賞やメタル、ゼッケンや写真。自転車の部品などである。また国家試験の合格を目指して頑張っていた時のテキストや合格証。会社で大きなプロジェクトを任され、大きな成果を上げた時の感謝状と副賞の思い出の品。子どもの誕生時の子供の手がたと足がた。これらは困難な状況で苦しい時に、額縁の中に収められ、いつも目のつくところに展示されていれば無言で自分を励ましてくれる。私の知っている人で、奥さんの誕生日に、100個の感謝の言葉をしたためて、それを額縁に収め、プレゼントした人もいた。いつも夫婦けんかの絶えない人ではあったが、この時ばかりは奥さんが泣き崩れたという。このようなことをしようと思うと、相手のことを思い続けたり観察することが必須である。注意や意識は自己内省することはなく、常に相手や物事に向けられる。外向きになるのである。こういう気持ちで生活をするということは、神経症の悪循環のスパイラルに陥ちいらないコツであると思う。相手を気持ちよくさせて、人間関係が好転してくる。
2017.02.08
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森田正馬先生の言葉に「前を謀らず、後ろを慮らず」 (まえをはからず、うしろをおもんばからず)というのがある。森田先生曰く。例えば、私が自分がこんな病気がなかったらよかろうに、あの大正10年に、流感をおして講演をやらねばよかったのに、とか既往の失策の繰り事を言わないのを、 「後ろを慮らず」と言います。 「前を謀らず」とは、自分は旅行の途中で、つい大患にかかったら、九州で死ぬようなことがあっては、というふうに未来の取り越し苦労をしないことである。結局は自分が欲望に乗り切るために、その現在、現在において、戦々恐々 、注意に注意をして、間違いのないようにし、その上、もしいけないことがあれば、それは天命であって、倒れて後やむのみである、という風に、その時々の現在になるのである。人間は、動物と違って、今現在に集中することはできない。過去のミスや失敗にとらわれていつまでもくよくよと悩む。また、他人の理不尽な言動をいつまでも根に持ってその人を恨んだりする。それらは夢の中に出てきて、自分を責めたり、他人を攻撃したりする。また、将来のことについては、取り越し苦労が強くなり、行動としては、手も足も出なくなる。動物は、過去や未来のことについて思い悩むことはない。人間は過去や未来のことについて常に思い悩んでいる。考えていることの40%は過去の事。そして考えていることの40%は未来のことであるという人もいる。今現在のことを、考えている割合がわずか20%である。これはいかに今現在の事を、おろそかにしているということではあるまいか。過去の出来事を思い出して反省し、現在に生かすことができればよい。ところが、普通は自己否定や他人否定、運命を呪ったり、懺悔の気持ちに陥っている。私の場合は、アルコール中毒だった父親を批判する。子供の教育についてはどう考えていたのか。私自身はもっと子供を上手に育てることはできなかったのか。どうしてもっと勉強しなかったのか。どうしてクラブ活動しなかったのか。自分の将来について、どうして真剣に考えてこなかったのか。どうして安易に就職決めてしまったのか。森田理論学習をもっと早く始めるべきだった。仕事はいつもサボっていた。会社にも同僚にも多大な迷惑をかけた。また部下を1人前に育てることができなかった。自分に任された課をきちんと管理できなかった。どうして管理者教育を怠ったのか。これらのことが夢に出てきて息苦しくなり、急に目が覚めて自責の念にとらわれる。夢に出るということは自然現象であって自分の意思の自由はない。ただ、夢に出てきたことをくよくよ悩んで他人や自分を攻撃しても、将来につながるものは何も出てこない。過去のことを反省して分析するというのは、そのミスや失敗の原因を明らかにして現在に活かしていくということが最も大切なことだと思う。だから過去のことで、いくら恥ずかしいこと、思い出したくない事などで、いたずらに自分を苦しめたり、他人を否定することはやめた方がいいと思う。思うだけならいいが、それに振り回されるのはよくない。自分の心の内に留めておくだけにしておく。そんなことに悩むよりは、今現在をどうするのか。そちらのほうにエネルギーを振り向けるべきだ。そのほうがよほど建設的である。現在に集中することによって、過去のミスや失敗はいくらでも取り戻せるのではないか。将来の危険を察知して、事前に対策を立てる事は大事である。しかしながら、将来のことで予期不安に振り回されて、やるべきことややりたい事に手も足も出なくなるということも残念なことである。失敗を恐れ、他人から非難されたり、からかわれたりするのを恐れて自分の殻に閉じ籠ってしまうというのは、本来の人間の姿ではない。森田理論に目標は大きく、実践目標は小刻みに、というのがある。将来うまくいくかどうかはやってみないとわからない。たとえ失敗しても、次の成功に向かって何か得るものがあるはずである。予期不安に振り回されるというのは誰にでもあることである。また、これは自然現象でもある。いやになったり億劫だと感じる事は誰にでもある。しかし、安易にその気分に振り回されて、現在をおろそかにしてしまう事は考えものである。いやになったり億劫になったりしても、今やるべき事に嫌々仕方なく取り組んでいくことである。そうすれば、感情が流れ、次第に仕事がはかどっていく。森田先生は、過去や将来のことでエネルギーを使い果たすのではなく、今現在にエネルギーの大半を投入すべきではないのか、と盛んに言われている。
2017.02.07
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ブータンは、GNP(国民総生産)で測られる経済的な成長よりも、国民の幸せ度を上げることを重視している。それは国民総幸福量、GNH(Gross National Happiness)と言われるものである。消費は美徳であるという国に育った人が、ブータンを旅行すると不便なことが多いため必ずしもよい評価を得られているわけではない。先進国ではガス、電気、下水道、冷暖房、交通、社会インフラが整備され、有り余る消費財や娯楽に囲まれて生活している。食べ物もぜいたくの限りを尽くしている。これ以上何が不足だというのかという生活ぶりである。こちらの方がよりよい生き方だと思っており、それを疑う人はいない。これで満足だという人がいる一方で、文化的な生活を維持するために過労死を招きかねないような労働を余儀なくされている。家族や親しい人達との関係も希薄となっている。それよりも、もっともっと贅沢な生活をめざして、あくせくと働いている。身体や精神が異常をきたして苦しいにもかかわらずだ。これが本来人間が目指していた生き方なのかと疑心暗鬼になってしまう。でも今や多くの人は、そんなことすらも考える余裕は全く持たなくなってしまった。どっぷりとその生活に身をゆだねて、あくなき物質的に豊かな消費生活を追い求めている。ブータンの人々は将来こうなるかもしれないと思い悩むよりも、今この瞬間に心地よいかということを重視している傾向があるという。ブータンの現地語ゾンカ語で「幸せ」を示すのは「セムゲェ」という言葉ですが、その言葉は直接的には「心が気持ちいい」「快い」という意味を表します。ブータンの人は、物質的な満足よりは、こころが喜ぶ事を優先しているのだと思います。ブータンの人々は非常に穏やかで譲り合いの気持ちがあるという。信号は1つもないので、人々は譲り合って通っています。ブータンには野良犬が多くて、道を横切っていく犬も多いのですが、そういったときものんびり待っています。自然の景観を壊すような電線は地上に張り巡らせないといういうような考えを持っているそうだ。自然豊かなブータンの景色を背景に、まるで昭和初期のような長閑さがある国だという。我々先進国の人間は、もはやブータンの人のような自給自足を中心にした、地域の人間的なつながりを重視した生活には戻ることはできない。社会や経済の仕組みがそれを拒んでいる。資本主義の流れに沿って、すべての人が、常に物を奪い合いながら、競争を駆り立てて、物質文明を謳歌し続けることしか生きていく道は残されていない。しかし一人間としては、そんな生活を抑制することはできるのではないか。たとえば何かを欲しくなった時に、「これは必ずしも必要なものではないのではないか」「これに変わるものは家の中を捜せばあるのではないか」「あるいは自分が買わなくても何人かでシェアすれば済むことではないのか」と踏みとどまることはやろうとすればできるはずだ。今政府は車は13年を超えると、車検時の税金を15パーセントも高くしている。森田的に言うと1台の車を大事に扱い、15年、20年と大事に使い続ける人には、「物の性を尽くす」人として表彰してもよいと思う。その方が資源の浪費を抑制して無駄使いを防ぐことに繋がるからだ。今の政策は早く買い替えてくれた方が経済の成長につながるので、買い替えてくれた方がよいのだ。つまり物を大切にするよりは、経済成長の名のもとに、使い捨て、物を粗末に扱う考え方を助長しているのである。政府や経済学者に言わせれば、GNP(国民総生産)の大半は消費であり、そんなことをされれば経済が成り立たなくなると反対されるかもしれない。モノが売れなくなって、デフレの経済ではダメだというのだ。これは資本の論理で考えると必ずそうなる。しかし人間そのものは、経済成長を維持させるための手段や道具ではないはずだ。経済成長よりも「人間第一」「人間の生活が第一」という考え方が先にこないとならないのではないか。今は資本主義の社会でみんなが欲望の充足に向かって突っ走っている。でも矛盾が大きいので、将来ポスト資本主義の時代は必ず来ると思う。その時未来の人からみれば、昔の人はどうして人間を無視した資本主義の社会の中で、身体も精神も病みながら、よく我慢して生活をしていたものだというような見方をされるのではないかと思う。それは現在の私たちが、戦国時代、封建主義、軍国主義の時代を見て、どうしてあの時代は非人道的なことが平然とまかり通っていたのかと感じることと同じことだと思う。資本主義の時代にどっぷりとつかった生活をしていると、霧の中で車の運転をしているようなものでその社会の矛盾に気がつかなくなっているのではなかろうか。本来森田理論は、そういう人間の生き方や社会の在り方について、鋭く切り込んでいく内容を持った理論であると思う。
2017.02.06
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現在、私の生まれた故郷はどうなっているのか。人口がどんどん減って、高齢者だけの家が増えている。歯の抜けたように空家も増えてきた。あと20年もすれば、限界集落、つまり村落自体が維持できない状況になるだろう。農地はどうしているのか。高齢者は重い物を運ぶことができないため、米作りを断念した。山に近いところから耕作放棄地となっている。耕地整理された広い土地は農事組合法人などがまとめて管理している。その場合、小作料はごくわずかである。または小作料はゼロである。そうしないと引き受けてもらえない。しかし、固定資産税は依然としてかかる。今の米作りは機械化されている。大型のトラクター、田植機、コンバイン等を取り揃えないと米作りはできない。機械を手放していったん米作りをやめたものが、多額の投資をして米作りを始める事は難しい。そうかと言って耕作地を売ることもできない。買い手がいないのである。もし売れたとしても二束三文である。里山はどうなっているか。昔は里山から薪などの材料調達していた。里山は松茸などキノコが沢山生えていた。そのために山は隅から隅まできれいに手入れをされていた。自分たちの生活を維持するために里山はなくてはならないものだったのである。現在はどうかというと、山に入るものは全くいない。つまり山が荒れ放題になっているのだ。今の山は無残だ。まず松茸が生える赤松が枯れてきた。枯れ木だらけになってきた。そして山の中に野生動物が沢山増えてきた。猪、鹿などである。そういう動物が餌を求めて民家の近くに出てくる。そしてやさい畑を荒らす。ジャガイモやサツマイモなどはすぐに掘り返されてしまう。夜中に公道を我が物顔で走り回るので夜に家の外に出ることができない。山の周りにはそういう野生動物が民家の近くに出てこないように、金網が張り巡らされている。ところが、あまり効果がないのが現状だ。枯れた山を見るのはあまり気持ちのいいものではない。そこで森林組合が動き出した。国の全額出資を受けて、山をすべてヒノキ林にしてしまおうという提案である。その事業はすべて森林組合が引き受ける。植林や手入れなんかも全部引き受ける。そのために地権者がすることは山林を提供することだ。話がまとまると地権者は、山には入ってもいいが、自由に使うことは許されない。木が大きくなって販売できるまで、 80年かかるという。その時点ではヒノキを売った代金は、地権者のものとなる。願ってもないような話だった。この話に地元住民はほとんど異論もなしにみんな飛びついた。つまり、自分たちの燃料を里山から調達することはなく、野生動物の害で苦しんでいる状況から解放される。飛びつくのも無理は無い。今はお金さえ出せば、炊事、風呂、暖房、冷房も電気やガスで済ますことができる時代だ。今や山は無用の長物と化してしまっているのだ。トイレも水洗トイレになり、都会並みに浄化槽が整備されている。今や山林を持っていることは、自分たちの生活を豊かにするものではなく、お荷物そのものになっていたのだ。現在の暮らし向きは、都会の住民との差は全く無い。ただ田舎にはその生活を維持するための働き口がほとんどない。ましてや高齢者にとっては受難の時代である。細々と年金で食いつないでいる。つまり文化的な生活を維持するためのお金がないのである。そうかと言って、昔の生活の仕組みを全く壊してしまったのだから、昔の生活にもはや戻ることはできない。しかし、都会の人と同じような文化的な生活を維持することは困難なのである。ここにジレンマがある。私の故郷は今こんな状態になっている。都会の人と同じように完全にお金に振り回される生活になっている。このような生活が、本当に私たちが求めていたものなのだろうかとても疑問である。森田理論学習を続けてきて思うことは、お金がある人にとっては物質的に豊かな生活が可能になった。しかし、それに比例して、心の豊かさも同時に満たされているのであろうか。むしろお金儲けのために、自分の身体と心を切り売りしているのではないか。私は、今の仕事をリタイヤしたら、田舎で自給生活と地域の人たちとの交流を楽しみたいと思っている。それこそが、心の豊かさにつながるものではないかと考えているからだ。でも田舎に帰って、同じような考え方を持って生活している仲間がいるのだろうかと心配している。
2017.02.05
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引き続き、米長邦雄さんの話である。将棋の対局はほとんどの棋士が羽織袴である。通常の手合は背広にネクタイ姿で対局している。これは誰かが見ているとか見ていないとか言う問題ではなく、自分が職業としている将棋というものへの敬意である。ところがある時ジャンバー姿で対局している若者がいた。たとえ嫌われても、うっとうしがられても、こういう時に注意をしてやるのが先輩というものである。対局後、私は彼を別室に呼んで話をした。「競輪場へ行くような格好で対局してはいかん。みんな背広とネクタイできている」努めて高圧的にならないように言ったつもりだったが、たちまち反論されてしまった。とにかく、こう言えばああ言う、ああ言えばこう言うのである。全ての出来事は、自分の頭で判断でき、それが必ず正しいと思い込んでいる。自分の頭では判断不能なことがあり、判断できたことでも誤っている場合があるということは、プロとして将棋を指していればすぐにわかるはずだ。であるなら、先輩に注意されたら、 「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」という気持ちで聞くほうがよい。もし、 20代でタイトル戦に出場し、 5番勝負、 7番勝負を戦っているような棋士に、私が同じような注意をしたら、このようなやりとりにはならない。想定しうる反応は次のようになる。「心得違いをしておりました。申し訳ありません。ご忠告ありがとうございました」と言って、以後、必ずネクタイを着用してくる。これは、 99%の確率でそういう答えになると思う。米長さんは、熾烈な勝負を繰り広げている棋士にとって、素直に忠告を聞かない人には、勝利の女神は、決して微笑まないと言われている。つまりどうしても自分の考え方を押し通そうとしているのである。将棋の世界は、自分のやりたい放題のことを仕掛けて勝てるというような甘い世界ではない。攻撃にかける時間以上に、客観的な立場から戦況について検討を加えていくということが必須なのである。よく将棋の対局で長考しているのはその作業を繰り返しているのである。(運を育てる 米長邦雄 クレスト 96頁より引用)このことは、森田理論学習で言うと次のようなことであると思う。新版森田理論学習の要点の中に行動の原則がある。その9番目に、 「外相ととのえば内相自ずから熟す」とある。この意味は、心の中はどんなに苦しくても、まず形だけ整えてみる。 「やる気」になるのを待つのではなく、外側(行動や態度)をひとまずととのえれば、不快な感情も、その外側につられて後退してゆくものです。月曜日の朝、いくら出勤することが苦痛であろうとも、起き出して歯を磨いたり顔を洗い、スーツを着て出勤の準備を始める。そして足を引きずるように、最寄りの駅に向かう。会社に到着しても気分は重いかもしれない。気分は重いまま、目の前の仕事に少しずつ手をつけていく。このように、気分はいかに苦痛であろうとも、最低限の外装を整えていけば、そのうち内相は変化していく。次第に苦痛だった気分が小さくなって、最終的には消えていく。これを気分に引きずられて、例えば月曜日に有給休暇をとって休んだりすると、不快な感情は流れることがなく、どんどん増悪していく。どちらの方法がよいか一目瞭然である。この棋士のように服装は個人の自由であって、人から指図を受けなくても良いという考えだと、真剣勝負に挑むという気持ちはいつまでたっても湧いてこなくなるのではないか。すると、 四段に昇段して、プロ棋士として成功するという夢はいつまでたっても達成できなくなるのではないか。三段と四段の差は紙一重だといわれる。でも、待遇面では雲泥の差がついているのである。その違いがこんな些細なところにあるのだとするとみすみすチャンスを捨てていることになる。実力はあるのにその壁を乗り越えられないひとはもったいない事をしているのである。米長さんは、外相を重視するということは、プロの将棋の棋士にとっては、勝利の女神をたぐり寄せることになるのだと言われているのだと思います。そう言えば、意識してみていることはなかったが、名人戦等ではみんな羽織袴ですね。
2017.02.04
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将棋の米長邦雄さんが、「夫婦仲が良いということが非常に大事で、これが子供の将来を決めることになる」ということをあちこちで力説していたら、 40歳くらいの女性から相談を持ち込まれた。この方は交通事故でご主人を失い、息子を女手1つで育てている。相談というのは、最近息子の素行がよくないのだという。米長さんはその方にこういった。「私の言う通りにしたら、息子さんはすぐにまともになって、勉強するようになりますよ」半信半疑の未亡人に、米長さんは自信を持って答えた。「お教えする前にお伺いしますが、あなたの家には位牌はありますか」すると位牌はあるという。お盆とお彼岸の時にちょっとお花を供えるだけだが、一応仏壇もあるという。「それじゃ、もう一つだけ聞かせてください。あなたは、そのお化粧具合から察するに、恋をしていますね」「 ・ ・ ・ええ、まぁ、いろいろと事情がございます」「そうですか。お好きな方がいらっしゃる。もうこれ以上、立ち入った事はお聞きしません。それじゃ、どうしたらいいかを簡単にお話しします。明日からは、息子さんが起き上がった頃を見計らって、仏壇の前に正座してチーンとやって手を合わせる。それから、巡ってくる毎月の命日には陰膳を、鯛の刺身でも、目刺しの焼いたのでも何でもいい、とにかくもう一膳、陰膳をテーブルの上に置いてください。そうすれば、息子さんは、きっとこう言います。「今日は誰かお客さんが来るの?」あなたは、「これはお父さんに召し上がっていただくの」と答える。これを毎月1回続けてください。息子さんは必ず、近いうちに勉強するようにになります。子供は、理由もなくグレるのではない。何か家の中に理由があるのだ。「うちのお袋は、もう親父の事なんか完全に忘れているんだろうな。あの男と、どうもできてるじゃないか」この未亡人のケースなら、原因は十中八九これだろう。ところが、毎朝、母親が仏壇に向かって手を合わせている。 「私は、あなたのお父さんを大切にしています。今まで忘れたことなど、ただの1度もありません。結婚できたことを誇りに思っています。尊敬しています。愛しています」こういうことを息子に無言で語りかけているとすれば、 「お前、グレてみろ」と言われても、グレられるものではない。それが人間というものだ。一生懸命勉強して、いい会社に入るか、お金をたくさん儲けて、母親に楽をさせてあげよう。こういう具合に考え方が変わっていくものなのである。夫婦というものは、一緒に生活している形態が1番自然なのだが、片親であっても、それが生き別れの場合でも死に別れの場合でも、夫婦仲と言うものは子供にとって絶対なのである。夫婦仲が良ければ、子供の教育なんて心配する必要はない。そういうこと説明して、これで問題は解決かと思ったのだが、未亡人のほうは、依然として何かもじもじした感じである。「あの、いまおつきあいしている男性とは、どのようにしたらよろしいでしょうか」「朝チーンとやって、その後ろ姿を見せることが教育なんです。息子さんが学校へ行ったら、もう関係ありません。息子さんが家を出たら、口紅をひいて外へ出なさい。人生は楽しまなければいけません」「ありがとうございます。米長先生は人生相談の神様です! 」(運を育てる 米長邦雄 クレスト社 192ページより引用)子供は親のことをよく見ているということだと思います。子供は親の不自然な行動を敏感に感じ取ります。それが子供の心身に大きな影響を与えます。だから親としては、心がどんな状態であろうとも、行動面に力を入れてなすべきことをなしていくということではないでしょうか。故米長邦雄九段は将棋界で大活躍されましたが、人生についても奥が深いことを言っておられます。
2017.02.03
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私は毎年「生活の発見」誌に川柳を投稿している。今年は次の作品が優秀作品だった。不眠症 集談会では 大いびき昨年は最優秀作品で田中貞行さんの額入りイラストをいただいた。自己開示 懇親会で 全開放以前の作品では会議中 自分のいびきで 飛び起きる (優秀作品)ウカツにも 焼肉食べて 筋痛め@が分からずに aに図形の ○をつけ仕事する ふりをするのに 一仕事 (優秀作品)悩む前 掃除洗濯 最優先退屈だ そんなことより 歯を磨け苦しいが 仲間とともに あるがまま苦しさも 宴会芸で 発散し逆らわぬ いつも笑顔で 無視をするストレスで 仕事できるが 胃潰瘍私は以前編集部会員だったため選者だった。森田関連、自由部門のそれぞれに150を超える応募がある。読んでいって、これはと思うものに印をつけていく。編集部会員がそれぞれの部門で3つずつ選び、重複して選ばれたものの中から最優秀作品が選ばれる。数が多いので、選者を引き付けるきらりと光るものがないと、選考されることはほとんどない。どういう川柳を選ばれるかというと、次の項目で抜きんでているものである。できれば次の4つのすべてに当てはまるものがよい。1、 明るいもの、ほほえましいもの2、 現実と理想の落差が激しいもの3、 和やかで笑いを誘うもの4、 意外性、ハッとさせられるもの集談会で題材が見つかるとよいのだが、その他、懇親会、忘年会、新年会、リェクレーション、記念イベントなどが狙い目だ。絶えずネタを求めて観察を怠らず、材料を見つけたらメモしておくことが肝心だ。川柳は急に求められても出てくるものではない。来年1月号の最優秀作品のイラストの獲得を目指して今から準備を始めることである。またたくさん作って、全部を提出しても選ばれるとは限らない。4つの視点から見て、文句のつけようのないものを3点ずつ選ぶことが大切である。川柳は面白いもので、自分がこれは絶対選ばれるはずと思ったものが選外になり、たいした作品ではないが、他に適当なものがないのでつけ加えて応募しようと思ったものが意外にも選ばれたりすることがよくある。そういう訳で、私も来年の1月号に向けて早くも始動を始めた。とりあえず50点ぐらい作り、その中から3点に絞り込みたい。懇親会 皆勤賞で 飲み放題新年会 一人一芸 花盛り来年は 森田誕生 早100年神経質 裏目に出ると 無神経好奇心 神経質の 宝物ところで、川柳ではないが、今年の広島カープの新人選手が座右の銘を披露していた。その中でおもしろかったものを紹介しておこう。アウドゥワ誠選手失敗するのは当たり前 成功するのは男前加藤拓也選手偶然は準備の出来ていないものを助けないなるほど、やりますぞ。今年の新人も。
2017.02.02
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先日紹介した宮崎県の精神科医水野昭夫医師は、引きこもりや不登校の子供は、そのままの状態がいつまでも続いたら、子供は精神的に参ってしまうと言われる。引きこもりは、吐いたり下痢をしたりするのと同じに一時的なもので、続けていたら自然体が弱ってしまいます。閉じこもりは防衛反応なのだけど、いつまでも閉じこもっていてはいけません。また引きこもりや不登校は、家族全体の問題であるので、そのまま家庭に居座った状態で改善することはほとんどない。水野医師は彼らを家庭から救出し、宮崎市にある「自立支援アパート」に収容しておられる。ここで、いきなり社会に出られないから、いろいろな体験をしたり訓練をするのだそうです。今までのしがらみを洗い落とすのだそうです。とはいえ、今まで家に閉じこもっていた子供たちを、家から連れ出して収容する事は困難を極める。水野医師は2回も3回も通って粘り強く子供を説得し、子供を連れ出すようにしている。東京など関東圏の病院では、収容のために消防庁や国土交通省の許可を受けた精神障害者移送のエキスパートを使うことがあるが、このような有無を言わせない強制収容は家族への恨みをさらに深め、心の歪みはさらに大きくなるばかりであるといわれる。水野医師は、何回も往診をして、患者さんに心の準備をさせたうえで、最終的には強制的に収容するようにしている。なかなか言うことを聞かなかったり、暴れる子供も多いが、いったん連れ出して収容し、治療が進んでいく段階で、たいていの子供が、 「あの時、ああしてもらっていなかったら、今の自分はない」と言ってくれる場合が多いという。痛みを伴うが事態は確実に好転してくるのである。「自立支援アパート」は宮崎市内に12箇所あり、年齢、性別、職業、病歴を問わず、多種多様な人間が住む場所となり、大きな1つの家族になっている。ここを拠点にして、フリースクール、職業訓練施設などが用意されており、活動を通じて同じような境遇の人たちとの交流を進めていく。水野医師は、ここで彼ら自身が両親に変わる人を探すことが大事だと考えています。また、患者の中に、本当の友人を見つけたり、 「あいつがよくなったのだから、おれもよくなろう」と尊敬できる同世代の仲間を見つけたりしたときによくなっていきますといわれている。これは森田先生が神経症で苦しんでいる人たちを、一般社会から隔離し入院森田療法で行われていたことと同じことです。森田先生のところへ入院される患者さんは、社会生活に行き詰まり、切羽詰まった人達でした。このような人たちを、いったん家族、職場、学校から切り離し、森田先生の目の届く範囲内に収容して直接指導していくことで神経症を乗り越えていくことができたのです。隔離療法は大変有効であったのだろうと思います。今は残念ながらほとんどなくなってしまいました。不登校や引きこもりの場合も、普通の生活に行き詰まり、本人はもとより、家族を巻き込んで大変大きな問題になっているわけです。そんな時、水野医師の行われているような往診家族療法と自立支援を組み合わせた治療方法が大いに役に立つものと思われます。まだ日本には数は多くはないのでしょうが、こういう施設があるということは心強い事だと思われます。(ひきこもり500人のドアを開けた 精神科医・水野昭夫の「往診家族療法」37年の記録 kADOKAWA)
2017.02.01
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