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瀬戸内寂聴氏のお話です。心配することが何もないという人はボケますよ。私の義兄、姉のお婿さんがボケたんです。70代でしたけどね、面と向かって私のことを、「あなた、どなたさんですか」なんていうぐらいボケたんですよ。それで姉が心配しましてね、老人ボケだっていうんで、そばを離れないでついていたんです。ところがその看病していた姉のほうがガンで死んじゃったんですよ。そうしたら姉が死んだ途端に、そのボケ老人がシャーンとしてしまいました。それでいま、とてもしっかりしているんですよ。100歳まで生きるかもしれない。だからあれは甘えていたんですね。心配することがないので安心してボケけてたんです。姉が死んで、ボケてたら誰も面倒を見てくれないと思ったとたんに、シャンとしてきた。(わたしの宇野千代 瀬戸内寂聴 中央公論社 182ページ要旨引用)定年退職して、年金が満額もらえるようになり、家でのんびり過ごしたいと考えている人はボケる可能性が高まります。また食事、掃除、洗濯、ゴミ出し、隣近所との付き合いなどを配偶者にまかせている人は危ない。外出するのは配偶者が買い物に行くときについていくだけというのも危ない。年金が少ない人で定年後も仕事を続けざるを得ない人は、物忘れは多いが、ボケることはあまりない。仕事を引退しても家事全般、孫の世話、農作業、動植物の世話、趣味、習い事、学習、親しい人との交流などを心がけている人はボケない。つまり自分でできることややらなければいけないことを、面倒だ、わずらわしいと考えて他人に依存するようになると危ない。三重野悌次郎氏が言われていましたが、雑事を軽視すると人生は活性化しない。雑事を丁寧にこなして、小さな成功体験を積み重ね、ささやかな喜びや感動を味わうことができるようになると、ボケが入り込む隙間がなくなってくると思う。
2023.10.31
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私は比較的人通りの少ないマンションの管理人をしています。来客用駐車場は2台分確保しています。しかし実際にはそこが塞がっていることが多い。その時マンションの前の公道に勝手に車を止める人がいます。少しだから大目に見てくるだろうという甘えがあるのだろうと思います。そういう人が管理人の私に声を掛けずにマンションに入るとまずいことになります。どこからともなくパトカーがやってきて、駐車違反として処理してしまうのです。キップを切られた人は大損害を受けます。私はタイミングを計ったようにたびたびパトカーがやってくるのが不思議でした。その原因がやっと分かりました。目の前のマンションの管理人が、監視カメラに張り付いていて、おおむね5分経過するとすぐに警察に電話していたのです。その事実が分かったときに、今後もたびたび起きるなと感じました。その管理人に会ったときに、これからは私も駐車違反については注意して対応します。でも、目の行き届かない場合があります。そのときには私に知らせてもらえれば、できる限りの対応はしますので、すぐに警察に通報することはやめてもらえませんでしょうかと交渉しました。またお宅のマンションの関係車両が違法駐車されていても、私も警察に通報することはしませんのでと言いました。するとその管理人は、「お前は駐車違反を見逃せというのか。管理人は積極的に駐車違反を通報するのが仕事の一部だ。そんな話には乗らない」というのです。話は物別れに終わりました。それから私は、駐車に関する注意喚起の文章を作成しました。当マンションの前の公道に駐車されますと、近隣マンションからすぐに警察に通報されます。パトカーがやってきてキップを切られます。来客用駐車場が使えない場合は、管理人までご一報ください。これを駐車場使用届を置いてあるところに貼り付けました。この話は森田先生の話がすぐに思い浮かびました。子どもが父親が博打をしているのを見つけて、警察に通報したというのです。そのために父親は逮捕されました。その子どもは学校の先生の言うことをよく守る感心な子どもだという人もいるが、森田先生は低能か意志薄弱者だと言われています。つまり親がどんなに悪いことをしていても、子は親を守るのが普通だ。建前に固執するよりも人情から出発することが大事だ。正直ということにこだわるよりも、相手の気持ちになって行動することを意識しないといけないということです。法律を守ることに固執して、相手に大きなダメージを与えることは、人情を無視していることになります。そういう人は人間関係で苦しむようになると思われます。
2023.10.30
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中国のことわざに、「狡兎に三屈あり」というのがあります。これは賢い兎は隠れ家を3つ持っているということです。住まいが一つだけだと敵におそわれることがある。自然災害で使い物にならなくなることもある。隠れ家が3つあれば、自分と家族の生活と安全を守ることができる。私たち人間は仕事だけしていればそれでOKというわけにはいきません。森田の学習会では、生活のバランスを整えることが大切であると学びました。その内容は多岐にわたっています。仕事、家事、育児、子育て、家庭生活、生活習慣、職場の人間関係、親戚・近所付き合い、生活の発見会活動、趣味、遊び、教養、自己啓発、交友関係、地域活動、心身の健康管理などがあります。健康な人は全てにアンテナを張って、バランスの維持を心がけています。神経症に陥ると症状を治すことばかりに注意や意識やエネルギーを投入しています。その他のことには、無関心になります。あるいは依存的になります。森田では神経症の不安は欲望があるために起きてくると言われます。不安を抱えたまま、生の欲望に向かって努力精進していくのが筋というものです。不安を悪者にして、不安を無くするために悪戦苦闘しているのですから、症状がよくなる訳はありません。森田の基礎的学習が不足しているといわざるをえません。森田学習をしている人は、実践課題を立てておられる方が多いと思います。その際、仕事と職場の人間関係、家庭生活、ゆとり生活(趣味や遊びなど)、地域活動(町内会活動、趣味の会活動、ボランティア活動、生活の発見会活動)、心身の健康管理の5つに分けるのは如何でしょうか。人によっては違う項目が入る場合もあるでしょう。それはそれで結構なことです。肝心ことは、神経症を治すことを唯一最大の実践課題にしないことです。それは、5つのバランスが整ったあとで、時間があれば取り組んでみようと考えることです。実践課題は具体的であることが肝心です。期間は一週間単位、1ヶ月単位、そして1年単位の中期目標を立てる。集談会で1年に一つでも生活の変化が見られるようになると、その人は神経症を克服できると聞いたことがあります。
2023.10.29
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森田理論を36年間学習してきました。途中で森田では自分の悩みは解決しないと思うことがありました。学習の限界を感じて、森田から離れようと考えたことも何度もありました。結果的にはなんとか踏みとどまってきました。それは集談会の中で世話活動をしていたことが大きかった。自分から進んで世話活動をしていたわけではありませんでしたが、結果的に世話活動が森田に踏みとどまる役割を果していたのです。森田から離れていたら神経質者の人生観の確立に至ることは不可能でした。生きづらさを乗り越えることができたのですから世話活動に感謝しています。森田に限界を感じていた時は、「人生の踊り場」にいたのだと思います。人生の踊り場にいるときは、将来の展望が見えない時です。このまま森田にしがみついても何にもならない。時間の無駄だ。他の手段に切り替えた方が得策だと考えるようになります。現代は薬物療法、精神療法、カウンセリングなどいろいろな道が用意されています。苦しいのでその苦しみを和らげることにはなんでも手を出していくようになります。 私が尊敬している玉野井幹雄氏も森田に限界を感じていたと言われています。玉野井さんは大分の片田舎に住んでいて一人で森田の学習をされていました。玉野井さんは30年もかかって神経症を克服された方ですが、その途中でこんなことがあった。私は、「森田」にある種のいきどおりを感じて「森田」を捨てることになりました。この症状が治らないんだったら、「森田」なんかのお世話になる必要はない。そんな余分なものは捨てた方がよい。その時は本当にそう思いましたので、あまり迷うこともなく「森田」を捨てることができました。つまり、自分から「森田」に見切りをつけたのであります。そして「森田」関係の本を目につかないところに隠してしまいました。もちろん「生活の発見誌」がきても読みませんでしたし、とにかく「森田」のことは考えない、見ない、聞かないようにしたのであります。そういうことで、今までいつも心の中にあった「森田理論」というものがなくなったお陰で、私はずいぶんさっぱりとした気持ちになりました。今考えてみますと、当時の私は森田中毒症になっていたように思います。それまでは、こうするのが「森田」だとか何とかいう「かくあるべし」のような理屈がいつも心の中にあって邪魔になっていましたが、そういうものがすっかりなくなったわけです。そうして、私に残ったものは何かと申しますと、症状に苦しんでいる自分と、自分を含めた家族の生活を維持してゆかねばならないという現実であります。生活を維持していくために、私はできる限り少しでもプラスになるようなことをしていかなければならない。そうしなければ自分も家族の生活も破綻することになる。そういう危機感を切実に感じ取ったのであります。治すためにするのではありません。治らないからこそそうせざるを得ないのであります。(いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 73ページ)森田にしがみついておくことも大切ですが、長らく壁にぶち当たっている人は、一旦森田から離れてみることは悪いことではありません。これは海外旅行をすると、日本の良いところや問題点が見えてくるのと同じことだと思います。そうしないと森田の良いところが認識できないという側面があるのです。その間を利用して他の精神療法の研究をしてみる。自分のやりたいことや別のことに取り組んでみる。玉野井氏のように自分や家族の生活を立て直す。子育てや親の介護に取り組む。どうせ壁がぶち破れないのだったら、一旦森田を突き放してみる。そうすると意外にも踊り場から抜け出すことができる場合がある。森田中毒症にかかると、深い霧の中で車を運転しているような状態に陥ってしまう。いったん森田から離れて、森田のすばらしさを再認識した人は本物だと思います。
2023.10.28
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森田全集第5巻の676ページに赤ちゃんの夜泣きの話があります。安田さんという方が子どもの夜泣きがうるさいので、奥さんに赤ちゃんの機嫌をとって泣かないように対処してくれと言われていたそうです。これに対して森田先生曰く。「アアうるさいな、なんとか泣きやませる方法はないものか」どうすればいいだろう。叱ろうか・懲らしめてやろうか・菓子でもやってみようかと、いろいろ考えながら、自分の仕事をしている間に、いつとはなしに、子どもが泣きやんでくる。なるほど子供は泣くだけ泣けば、泣きやむものだという法則を発見する。安田さんは赤ちゃんが夜泣きするのでイライラしていたのでしょう。その不快感をすぐに取り除きたいと考えて奥さんに何とかしてくれとお願いされています。同じく森田全集第5巻の459ページに次のように書いてあります。この間5つになる女の子を熱海に連れて行った。感冒で熱が38度もあった。機嫌が悪くて、いろいろ駄々っ子をいう。寝ていなければならぬといっても抱っこをしてくれと言って泣く。抱っこをしてやれば今度は「外へ行く、外へ行く」という。熱があって気持ちが悪いから、風に当たればよかろうと、子どもながらに考えるのでしょう。少し訳の分かった母親は、子供の駄々っ子は、いい加減にあしらって、静かに寝かせておくが、気の軽い親は、別に深い思慮も何もなく、子供のねだるままに、なんでもその通りにしてやって決して病のためにならない。普通不快な感情、小さな不安があるとすぐに対処しようと考えます。それは不快感はあってはならないものだと考えているからです。不快感を放置していると、どんどん増悪して手が付けられなくなる。結果的に短絡的で思いついたことを手あたりしだい実行する。とにかくそのときの不快感や不安がなくなるか、弱まればよいという気持ちに支配されています。森田先生は、こういう不快な感情は少し我慢すれば時間が解決してくれる。湧き上がってくる不快感をすべて取り除いてすっきりしようとするのは慎む方がよいといわれています。感情の法則④では、「感情は、その刺激が継続して起こるとき、注意をこれに集中するときに、ますます強くなるものである」とあります。少々の不快感や不安は、我慢する、耐える姿勢が大事になります。不快感は池のなかを泳ぐ錦鯉のように自由に泳がせておくことです。第三者的、客観的な立場に立ってその不快な感情にきちんと向き合うことです。あなたは今わがままな子どもの態度にイライラしていますね。寝不足になると明日の仕事に差し支えると思っていますね。どうしてよいのか分からないでおろおろしていますね。きちんと向き合うと、短絡的で破れかぶれの言動で対応することがなくなります。反対に不快感を払拭しようと考える人は、不快感にとっては格好のカモが現れたようなものです。いつまでもしつこくつきまとい、人間関係を壊し、凡事徹底を軽視させるようになります。
2023.10.27
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you tubeチャンネルで文芸評論家の浜崎洋介氏と芳賀ヒカル氏の対談を見ました。題は「今、日本人に絶対聞いてほしい対談」です。森田理論に関係するところがありました。今日は心に残ったことを取り上げてみました。・人間にとって遊びは大切なものです。遊びをしない人は人間としてはダメです。普通は仕事をしないで、遊んでばかりの人の方がダメなように思われます。必ずしもそうとは言い切れません。遊びというのは主体性があります。本音と建前が一致しています。そう言う意味では、仕事を遊びにしてしまえば、この問題は解決します。仕事を遊びにしてしまうためには、イヤイヤ始めた仕事でも、ものそのものになって問題点や課題を見つけ出すことが欠かせません。そのような気持ちになれば、仕事が生きがいとなります。梁塵秘抄の中で、「人間は苦しむために生まれて来たのではない。楽しむために生まれてきたのである」という記述があります。その真意はイヤイヤ始めた仕事でも、ものそのものになりきれば宝の山に変わるということだと思います。・日本語で「○○しなければならない」という言葉は、英語では「have to」あるいは「must」といいます。この2つの言葉は明確な違いがあります。「have to」は、相手が自分に何かをするように命令・指示・強制する場合に使われます。「must」は、自分が自分に対して「かくあるべし」を押し付ける場合に使われます。2つの違いは、働きかける主体が誰かという点です。「have to」は、相手が「かくあるべし」を自分に押し付けていることになります。「must」は、自分が「かくあるべし」を自分に押し付けていることになります。「must」では、もし事実を受け入れることができれば、状況は一変します。葛藤や苦悩がなくなり、その有り余るエネルギーを課題や目標に投入できるようになります。森田理論学習はこの方向を目指しています。・江戸時代の国文学者、本居宣長は「可畏き物(かしこきもの)を迦微(かみ)とは云うなり」と言いました。この言葉は奥が深い言葉です。「可畏き物」とは、畏怖すべきものという意味です。例えば自然現象などです。自然現象は人間の意のままにコントロールできません。森田では神経症的な不安は意のままにコントロールできないといいます。畏怖すべきものを持たないと、自己中心的で、あくなき欲望が暴走してしまいます。精神的な支柱を持たない社会は、紛争が絶えないということになります。日本人の多くの人は「おてんとうさまが見ているから非道徳なことはできない」という考え方をしています。そういう精神文化を建国以来みんなで作り上げて永遠と受け継いできたのです。外国ではハリケーンなどでスーパーなどが破壊されると、多くの人が略奪行動に走ることは普通のことです。盗んだ商品を戦利品のように高々とカメラの前で誇示しています。また余力ある人はこの際便乗値上げをして儲けようと考えます。畏怖するものを持っていないということは、大変住みにくい社会となります。日本人は困った時はお互い様と考えます。ボランティアで困った人を助けようとします。労力も資金も無償提供します。できる限りの寄付をし、困っている人を物心両面で助けようとします。日本人は一時的に難を逃れてよかったと喜んでいると、いつかどこかでそれ以上の惨禍が自分の身に降りかかってくると信じているからではないでしょうか。さて森田理論は生の欲望を大切にしています。森田理論学習は最終的には生の欲望の発揮に到達します。しかし際限なく生の欲望を追い求めてはいけないと言っています。不安を活用して欲望はきちんと制御していく必要があると言っています。欲望の追及を無制限に放置することは考えものです。「過ぎたるは及ばざるよりもなお悪し」この言葉をかみしめてみる必要があります。
2023.10.26
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柿原美恵さんが森田先生と自動車に乗っていた時のお話です。森田先生が次のようにおっしゃった。「僕が自動車に乗っている時は、片足に体重を乗せて、他の片足の力を抜いておく。こうすれば、自動車が大きく揺れたときでも転ばない」以前森田先生は、人力車に乗っていて、何かに衝突して放りだされたけれども、柔術の心得があったから、怪我をされなかったとのことである。また、「僕は冬の寒いときでも、決して右手の手袋は使わない。右手に手袋をはめていては、とっさの場合に右手を十分に活用できないからだ。だからこの通り、右手は洋服のかくしに突っ込んでおく。ほれ、右手の手袋は一度も使っていないだろう」と言って見せて下さってから、「柿原さんにやろう」と言って、記念に私に下さった。このエピソードは、森田先生は、日頃から次の変化を予想し、その変化に素早く対応することを生活信条とされていたことがよく分かります。このメリットは注意や意識が常に外向きになることです。また目の前に起きていることをよく見る癖が身に付きます。これから起こりそうなことを、分析・察知して前もって対策が打てるようになります。事実が見えてくると、気づきや発見があります。そして感情が動き出します。工夫やアイデアが生まれて、意欲的になります。積極的、建設的、生産的、創造的な行動的につながります。森田先生の場合は、普段の生活は心身ともにほぼ外向きになっています。外向きが8割くらいで、自己内省力を利用するのは2割くらいでしょうか。内向きになることは極端に少ないと言えるのではないでしょうか。自己内省性が強い神経質性格者は、行動力が減退すると内向きになります。目の前のことやこれから起きることに対しての関心はほとんどなくなります。関心を示すことは自分のことばかりになります。もう一つ問題なのは、内向きの場合は感情が停滞気味になります。マイナス感情が悪循環することが多くなります。行動は消極的、依存的、観念的、回避的になります。変化対応力一点に絞って生活改善に取り組むと、森田的な生活に変化してきます。自己信頼感、自己肯定感が養成されてきます。
2023.10.25
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森田理論に両面観という考え方があります。物事にはすべて二面性がある。プラス面があれば、必ずマイナス面がある。神経質性格でも表から見てマイナス面に見えても、裏から見ればプラス面に見える。円錐柱を見る場合、一方向から見ていると、円に見えたり、三角に見えたりすることがあります。角度を変えてみると、すぐに正しく見ることができるようになります。両面観という考え方は、早合点、先入観、決めつけ、思い込みを避けて、事実をできるだけ正しく掴むようにしましょうということです。事実が正しく把握できると、その後の対策が的確に立てられるようになります。どんなに確信のもてる考えであっても、一方法からのみ見て結論を出すことは問題です。田原総一郎氏の「朝までテレビ」という討論番組では、正反対の考え方をしている論客を同時に呼んで喧々諤々の議論をしています。その討論を見ている視聴者は、それまでのかたよった考え方が是正されます。今日は両面観を自分の生活の中で活用するための一つの方法を取り上げてみました。私達は普段ネガティブな気持ちになることが多いように思います。そしてその気持ちを口にすることもあります。イヤだ、ダメだ、ムリだ、嫌いだ、やる気が出ない、失敗するかも、負けそうだ、しんどい、面倒だ、辛い、お先真っ黒だ、うまくいくわけがない・・・この情報が扁桃体に入ると「不快」と判定され、その情報は青斑核から防衛系神経回路を駆け巡ります。いくら生産的、建設的、創造的な生き方をしようとしても、脳が抑制的、逃避的になっているので難しくなるのです。一旦ネガティブな気持ちになっても、それをポジティブな言葉で取り消してやるという方法があります。脳はネガティブな気持ちになっても、最後にポジティブな言葉に置き換えられると、そちらの影響を強く受けてしまうという特徴があります。面白そう、ワクワクする、愉快だ、いいぞその調子、大丈夫、楽しそう、好きだ、俺にはツキがある、これだけ練習したのだから神様が味方してくれるはずだ、あの人に喜びと感動を届けるぞ・・・最初はネガティブな気持ちであっても構いません。森田に心はどんなに荒れていても、形を整えていくように心がけると、心はしだいに穏やかになっていくという話があります。ポジティブな言葉を使うことを心がけていると、脳がだまされてしまうのです。脳は簡単に洗脳されてしまうという特徴を利用すればよいのです。ポジティブな言葉を自分なりにアレンジして忘備録として持ち歩き、ネガティブな気持ちになっているなと思ったときに機械的に読み上げるようにすることを提案いたします。
2023.10.24
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私は4ヶ月に1回歯医者で歯のメンテナンスをしています。主に歯垢を取り除いてもらうためです。その他歯の健康診断をしていただいています。今回歯の定期検診では凡事徹底の奥深さを感じた。歯医者が小さな虫歯ができかかっているところがあるという。特に親知らずの後ろにはブラシが当たっていないと言われる。つまり丁寧に歯みがきをしていないのではないかと指摘された。前、横、奥、上下と順番に磨いているつもりだった。では何分ぐらい磨いているのかと言われるので、時間は計ったことがないので分からない。タイマーで測った方がよいと言われた。あるいは頭の中で数をカウントする。磨くところは、表面、前面、側面、それぞれに裏表がある。まず上下の歯の表面に1分、次に前面の上下の歯の裏表に1分。次に磨きにくい側面の裏表に丁寧にブラシを当てる。これに2分かける。合計4分になる。早速家で実行してみたが、結構な時間である。今までは2分くらいで磨いたつもりになっていたことが分かった。しかもそれを朝昼晩と3回行った方がよいと言われた。せめて朝と晩は必須である。でも歯医者さんはそれだけでは不十分だと言われる。歯と歯との間は歯間ブラシを当てないときれいにはならないと言われた。ブラシでの歯みがきか終わったら、必ず歯間ブラシを当てることを習慣にしてくださいと指導された。この2つの習慣を継続すると虫歯にならない。定期的に歯垢を取り除くだけで、生涯健康な歯で過ごせますよ。プラントや入れ歯になると大変ですからね。それからキシリトールガムを噛むことを習慣にするとよいそうだ。虫歯予防効果と顎を鍛えて嚥下防止効果もあります。歯との付き合いを見直して、森田の凡事徹底を応用していきたいと思いました。
2023.10.23
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多くの評論家は、今年の広島カープを最下位に予想していた。実はカープファンもそう思っていた。監督が代わったばかりで未知数だ。他のチームと比べて小粒な選手ばかりだ。ホームランバッターがいない。軸になるピッチャーがいない。盗塁数が断トツの最下位だった。予想家泣かせの結果になった。広島カープは最終的にセリーグの2位になった。その原因はいろいろあった。7回8回を任せているセットアッパーが頑張ってくれた。盗塁数が78で首位の阪神と1つ差のセリーグ2位になった。鬼門の交流戦を9勝9敗の5分で乗り切った。ホームランは少ないが、相手が嫌がる粘り強いバッターが多い。最初に相手チームに4点5点とられても、簡単にあきらめない。チームとしての仲間意識が強い。チーム為に自分の役割を果す人が多い。新井貴浩監督が選手をやる気にさせている。私は新井監督の選手のやる気を高めている点を一番に取り上げたい。新井監督は、「今までの監督はベンチの奥で眉間に皴を寄せて采配を振るっていたが、私はそんな態度はとりたくない」という。選手の輪の中に入り一緒に闘っていきたい。勝つと先頭に立ってベンチを飛び出していく。新井監督は、その日結果が出た選手に対して、日頃の練習態度や生活態度をたたえる。8月26日のヤクルト戦後の新井語録から紹介したい。デビットソンのホームランに対して、「彼はずっと頑張っていますから。本当にホームランはベンチでも助かりますし、これも彼の日頃の努力と打撃コーチのサポートのたまものと思います」猛打賞の野間選手に対しては、「打ってよし、守ってよし、走ってよし。何も言うことはありませんよ。本当に頼りになる選手です」「序盤4点差がありましたけど、まだこれからいくぞ。ベンチではそうい雰囲気がありました」新井監督は選手が努力して成長し、結果を出してくれた点を最大限に評価している。逆に結果が出なかった選手を叱りつけることはしない。反省して次に活かしてほしいというコメントばかりです。3回の守備のミスとけん制死については、「攻めていった結果のミスだと思います。積極的に攻めていく中でのミスは問題ない。野球にミスはつきものだし、取り返すチャンスはたくさんある。トライしてエラーして、それを繰り返して経験して、力を付けていくものです」4回5失点の森下投手に対しては、「(4回の打席で代打を送ったのは)追いかけないといけなかったので。森下もいつもいつも、いい投球ができるわけじゃない。前回は素晴らしいピッチングだったし、そういう日もありますから。彼ぐらいになったら、自分で客観的に見て、反省して修正できる。次の登板に期待します」佐々岡前監督のチーム成績は5位と低迷していました。新井監督は佐々岡監督が若手投手を育ててくれたことに最大限の賛辞を送っています。今年の躍進は佐々岡前監督が種を蒔いてくれたおかげと言っているのです。新井監督はドラフト6位の入団で、あまり期待はされていませんでした。その後の努力で名球会入りを果たした人です。そういう人は挫折の経験が数多い。これが人間としての包容力をもたらしているのではないか。これは私達にも参考になります。相手をよく観察して努力しているところを評価してあげる。ミスや失敗は批判や叱責をしないで見守ってあげる。許容する。ミスや失敗を次の挑戦の糧にしてほしいという気持ちを伝えて激励する。選手それぞれの飛躍や成長する姿を自分のことのように喜ぶ。これは意識しないとできるものではありません。逆になると、人間関係は簡単に壊れてしまいます。一旦壊れたものは、修復は不可能と心得たいものです。
2023.10.22
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緩和医療医の大津秀一氏のお話です。40代で末期がんの加納さんという女性の方がいました。3人の子供さんがいました。一番上は10代の前半で、下はまだ小学校に入ったばかりです。加納さんの苦悩は、単に病気のことばかりではありませんでした。彼女は、自身が死と直面しているこの時期になっても、ご主人と心を通わせることができないことに苦しまれていたのです。二人は熱烈な恋愛結婚でしたが、いつしか二人の間には隙間風が吹き、仮面夫婦のようになってしまっていたのです。この絶望的な状況中でご主人から提案がありました。残された期間を子ども達と家で過ごさないかというものでした。3人の子ども達を見ていて、君の子育てはよかったんだなと痛感した。子ども達もそれを望んでいるし、介護申請もしておいたんだ。今まで僕は仕事にかまけて、家庭のことはほったらかしだったけれども、いまからやり直そうよ。加納さんは、最初は「もう遅いわよ」と反発しましたが、そのうち泣き崩れました。ご主人の温かさがうれしかったのです。それと同時に、なぜ自分が病気になる前にこうした時間を持てなかったのか、その悔しさもこみ上げてきました。嬉しくて悔しくて泣いたのです。後日加納さんは大津先生にこんな話をされています。先生、人生ってなかなか思うようにならないものですね。先生、生きるって、こんな世の中と和解する過程なのかもしれません。生きて、現実と折り合って、そんな状況と和解することが、生きるって意味なのではないでしょうか。だからたとえ、思い描いた夢が薄らいでも、人には生きる意味があるのではないか。私たちはこの生きる現実と和解するために、生きる意味がある、そう思ったのです。和解するために、心を磨いて、それを受け止め、受け入れる強さを身に着けるために生きる。それが生きる意味なのではないかと私は思いました。(終末期医療現場で教えられた「幸せな人生」に必要なたった一つの言葉 大津秀一 青春出版社 28ページ)加納さんは素晴らしい真実に気づかれました。ここは森田理論と関係があるところです。人生は理想通りに進展ことはありえない。他人とは折り合えないで絶えず衝突を繰り返す。何も悪いことはしていないのに、理不尽な災難に巻き込まれてしまう。そんな時普通はイライラして不平不満でいっぱいになる。それを怒りなどの態度で外にぶちまける。他人に自分の考えや主張を無理やり押し付けようとする。境遇や運命を呪って自暴自棄に陥る。森田では自分、他人、自然に歯向かって何かよいことがありますかと問いかけています。それよりも現実を受け入れて、和解、歩み寄り、妥協、共存共栄の道を目指すことが大切なのではありませんか。その道はたゆまぬ努力が必要になります。面倒で時間がかかります。必ずしも双方が納得する結論が得られるわけではありません。しかしその道を拒否していると、みんながみじめで後戻りのできない悲惨な世界に引きずり込まれてしまいます。
2023.10.21
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元ヤクルトの古田敦也さんは、野球はグランド上のガチンコ勝負のように見えるけれども、実はそれまでにしっかりと準備した方が勝つ可能性が高くなると言われています。古田さんは準備の一つとして、投手の観察をあげておられます。古田さんは投手の癖を分析することを徹底したそうです。まずはボールの握りを見るのです。投手は投球モーションの途中で握りを変えることはりません。ですから、球種によって違いがないかよく見るのです。「どこかに違いがあるはずだ」と思ってみると見えてくることがある。「どうせそんなの分かりっこない」と思えば、見えるものも見えません。またこんな発見をされたそうです。投手がストレートを投げる時、投げる一点を頭に描いています。すると、投げる直前にちょっとした「間」が生まれるのです。ストレートだから、その一点、あの隅を狙わなければと慎重になるのでしょう。それがワンテンポのずれとなってでてくる。古田さんは投手を徹底的に観察することで、プロ野球の世界で飯を食っていけるようになったと言われています。森田理論は現地に出向いて事実を自分の目で確かめることを重要視しています。森田先生は熊本五高時代に、幽霊が出るという話を聞いて、真夜中に一人で確かめに行かれています。また、関東大震災のときには実際に町に繰り出して、流言飛語がどのように拡散されたかを調べておられます。事実を確かめない。他人の話を鵜呑みにする。事実に基づかない先入観、思い込み、決めつけ、早合点で対策を立ててしまう。出発点を間違えてしまうと、問題解決には至らず、どんどん横道にそれてしまう。新幹線で東京から大阪に向かうところを、北海道に向かうようなことになる。しかも間違えたことを認めようとしないで、出て来た問題点をつぶしていけば、問題はそのうち収まるように考えてします。言い訳や責任転嫁、ごまかしや隠蔽を積み重ねるようになると、信頼感は一挙に失われてしまいます。ひと手間かかっても、自分の目できちんと事実を確認するという作業は後々よい結果をもたらします。
2023.10.20
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森田理論に「物の性を尽くす」という考え方があります。人や物や時間やお金には、それぞれに違った潜在価値や能力が宿っている。そこに光を当てて伸ばしていく。世のため人の為に活かしていく。ないものを追い求めるのではなく、自分備わっているもの、あるもの、努力すれば実現可能なところを伸ばして生きていくという考え方です。まだ十分使用価値があるのに無視されることは残念なことです。どうすれば、そのような生き方ができるようになるのでしょうか。1、自分の持ち物に多少不平不満があっても、あるいは型が古くなって故障がちになっても安易に新しいものを買わないようにする。そのためには、最初に買う時に少々高くても丈夫で長持ちするものを買う。特に家具などはそうです。イギリスなどでは、3代続けて同じ家具を使いつづけているという。2、多くの物を所有するのではなく、必要な時に必要なものをレンタルするという考え方を持つ。家に入らないくらいのものを所有して、ほとんど使用しないというのは管理が大変です。3、潜在価値や能力を見極めるためには、できるだけ側に寄り添うようにする。宝の持ち腐れにならないように気を付ける。そしてそのものの居場所を確保する。新たな活用方法を見つける。4、自分の持ち物は時々取りだして整理する。ボロボロになって使用不能になっていないか確認する。埃だらけになっていないか、掃除を兼ねてきれいにする。虫食い、カビなどが発生していないか。たまには太陽に当てる。5、衣類、鞄、靴、書籍、請求書・領収書類、生活必需品、文房具、カード類、小物類、通帳、大事な書類、家電製品、冷蔵庫にあるもの、自転車、自動車などの棚卸をする。毎日1品目30分の時間をとって取りだして見る。見たら元に戻す。中身を確認していると、こんなものが出てきた。また使ってみよう。いろんな再発見があるはずです。棚卸しないと宝の持ち腐れになります。あるいはもう使うことはないので必要な人にあげよう。あるいは、ブックオフやリサイクルショップで処分しよう。こうすれば、自分で活用できなくても、他人に活用してもらうことができます。
2023.10.19
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フォーカシングという心理療法があります。ごく簡単に説明すると、自分自身の心の声、身体のメッセージに耳を傾ける方法です。自分自身の心の声に耳を傾けるとは、森田でいえば不安、恐怖、違和感、不快な感情にきちんと向き合うことだと思います。普通はマイナス感情に対して嫌悪感があるために向き合うというよりも、どうにかして取り除いてしまいたい気持ちが強くなります。その不安の正体に近づこうとしないので、疑心暗鬼になり化け物のようになります。フォーカシングでは、自分の気持、感情、欲望などに対して、いきなり是非善悪の価値判断をするのではなく、きちんと向き合い、その感情を言葉にしてきちんと味わいましょうということです。森田でいわれていることと同じことです。フォーカシングではそれ以外にもう一つ大事なことがあります。不安や恐怖に振り回されているとき、おなかの違和感、肩や首の緊張感、胸のどきどき感、息苦しさなどの身体的な反応が出ます。この体の変化に注意や意識を向けていくというものです。この体の反応をもっと細かくイメージしてみましょう。「胃にキリキリとした痛みがある」「吐き気がする」「首筋が異常なくらい重い」「肩がカチカチに凝っている」「心臓の動悸が激しくなって暴れている」「血管が切れそうだ」「胸に何かピンポン玉のようなものが詰まっている」「得体のしれないものが自分の体に覆いかぶさっている」「手先がぶるぶると震えている」「声が上ずって言葉がうまく出てこない」色、大きさ、手触りなどをイメージしながら、身体の反応を感じるようにする。反応が出ている場所に手を当て、「あなたがそこにいることを知っています。今まで気づかなくてごめんなさい。いつもあなたのそばにいます」と心の中で唱えると、恐怖心が早く収まっていくと言われています。これを1回やるだけで、不安や恐怖心がすべてなくなるわけではありません。しかし、変化や失敗への抵抗感が収まってきます。身体の変化に注意や意識を向けていくというのは、森田理論の心身同一論の立場からすると取り組んでみる価値があるのではないでしょうか。
2023.10.18
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時々山で遭難する人がテレビに出てきます。原因の一つは、下山するとき、来た道が分からなくなってしまう。それなら主要な分岐点に目印をつけておけばよさそうに思います。また登山計画書の提出やスマホは必需品になります。山にはクマ、イノシシ、毒蛇、スズメバチなどと遭遇することも想定しなければなりません。天候異変や温度変化、霧の発生など最悪の事態も想定する必要があります。防寒具や水や食料の準備も欠かせません。遭難する人は山を甘く見てしまう傾向があるようです。運よく助け出された人は、こんなことになるとは想定していなかったといいます。災害・リスク心理学者によると、引き返す途中でルートを間違えたという事実を素直に認めることができないことも大きいという。素直な人は必死になって来た道へ戻ろうとする。その手掛かりを探し出そうとする。素直でない人は自分の間違いを認めようとしないで、引き返すという選択よりは、この道を突き進めば、「そのうちどこかに出られるだろう」という気持ちが強くなってくる。解決困難な問題が生じているのに、その誤りを認めようとしない。自分の非を素直に認めることが癪なので、自分で考えた打開策にかけてみようと考えるわけです。これは巨大迷路に迷い込んだようなものです。やることなすことのほとんどが裏目に出る。一か八かの行動が益々自分を窮地に追い込んでいく。エネルギーを消耗し、体力も精神も消耗してくる。慌てふためいて、途中がけから滑落してケガをする。そのうちパニックになって、妄想や幻覚も出てくる。森田では神経症に陥るような人は、認識の誤りを抱えていると言われます。私の認識の誤りは、不安は自分の意志の力で無くすることができるというものでした。もう一つは、事実よりも頭で考えたことが大事だと考えていました。つまり「かくあるべし」を押し付けて、自由自在にコントロールしようとしていたのです。その他、すべての人から好かれるような人間にならなければいけないというのもありました。また仕事は食べていくためにイヤイヤしなければいけないものだと考えていました。森田理論、認知療法、論理療法、自分中心の考え方などの学習によって、間違った考え方をしていることが少しずつ分かってきました。神経症で苦しまなかったら、認識の誤りに気づくことはなかったでしょう。一生認識の誤りに気付くことはなかったかと思うとぞっとします。
2023.10.17
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スイスの精神科医・心理学者であるユング博士によると、人は内向的な人と外向的の人の2つのタイプに分けられるという。内向的な人は自分の内面との対話を重視している。外向的な人は他者との関係性を重視しているという。神経質者は自己内省的であると言われています。ユング博士の、自分の内面との対話を重視している人が多い。自己内省性にはメリットもデメリットもあります。メリットは次のようなことがあります。自分の考え方や行動を細かく分析することができます。他人や状況を細かく観察して的確な診断を下すことができます。分析力が鋭く的確で説得力のある説明ができるようになります。事故や不具合の原因を追究するためには必要な能力となります。一方自己内省性にはデメリットもあります。上から下目線で自分の行動、性格、境遇、ミスや失敗を批判的に見るようになる。反省する力が旺盛で恥ずかしい思いをしたことはいつまでもよく覚えてします。イヤの思いをしたことは、「不快」「嫌い」と判定して、二度と手を出さないようになります。制御機能が強力で、行動は消極的、回避的になります。人間の脳では顕在意識と潜在意識が働いています。顕在意識は建前で、潜在意識は本音と置き換えてみましょう。いくら建前で鼓舞しても、本音の部分が賛同しなければ、積極的な行動にはなりません。むりやり行動しても途中で挫折することが多くなります。脳内では湧き出てきた感情を扁桃体が「不快」「嫌い」と振り分けて、神経伝達物質のノルアドレナリンによって、その情報が青斑核に送られて防衛系神経回路が作動することになります。防衛系神経回路が作動すると、行動は回避的、抑制的になります。いくら意志の力で打開しようとしても改善することはできなくなります。自己内省性という傾向を一方的に悪いことだと決めつけるのは問題です。自己内省性は、行動が暴走しないように制御する役割を持っています。ここで問題なのは、内向性と外向性のバランスが崩れていることです。自己内省力が強く働き、注意や意識の外向化が起きなくなっているのです。本来、注意や意識の外向化を最優先することが大事になります。その次に自己内省性を適宜活用していく。自己内省力一辺倒の人は外向化が蚊帳の外になっているのです。バランスを取り戻すことが必要になります。注意や意識の外向化を図るためには、仕事や日常生活の中で、絶えず課題や目標を意識して生活することです。やるべきことをあらかじめリストアップすることが肝心です。次に森田理論で学習したように「ものそのもの」になって取り組むことです。広島三景園 向こうに見えるのは広島空港管制塔です
2023.10.16
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私は現在金魚ちょうちん作りをしています。そこで入院森田で作業療法を実施されている方々に提案があります。金魚ちょうちん作りを作業療法に取り入れてみませんかということです。製作は面白いのではまりすぎないように注意しながら取り組んでみて下さい。そのメリットは、1、目標を持つことができます、目の前の作業に集中できるようになります。製作中は神経症の苦しみから離れられます。2、様々な道具を使いますが、それらを整理整頓する習慣が身に付きます。竹ヒゴ、金物の洗面器、ペンチ、ハサミ、ヒモ、針金、障子紙、糊、霧吹き、木工ボンド、アクリル絵の具、筆、尻尾やヒレの型などいろいろあります。3、一つ完成するのに1週間くらいかかります。忍耐力が身に付きます。8面障子紙を貼りますが、貼り付けたところは十分に乾くまで待ちます。ボンド止めをしたところは、接着するまで一晩放置する必要があります。4、必ずしも考えた通りにはできないことが分かります。障子紙に糊をつけて竹ヒゴに貼っても接着していないことがあります。その場合は再度張り直しです。出来上がったものを見ると、バランスが悪いことに気づきます。でもあきらめなければそのうち納得のいくものが作れるようになります。5、工夫・改善の繰り返しの経験ができます。失敗に学んで次に活かすと成功体験ができます。それが自信、自己肯定感につながります。6、部屋に飾ると癒されます。うちわであおぐとくるくると回りいろんな表情を見せてくれます。同じものはありません。全部一品ものです。どれも個性的です。7、出来のよいものを欲しい人にプレゼントすると喜ばれます。左の写真の長い竹ヒゴは36cmです。ネットで購入しました。これが一番使いやすいです。本格的な金魚ちょうちんは51cmあります。しかも竹ヒゴが太いです。部屋の飾りとしては大きすぎるように思います。もちろん一つで十分という方はそれでOKです。この竹ヒゴを熱湯につけて少しずつ曲げていくのです。そして大きなふくらみにすることが成功のカギとなります。これは75度から100度のお湯に漬けて少しづつ曲げていきます。1回、2回程度で思い通りに曲がるものではありません。特にまんまるに曲げるのは根気がいります。無理に曲げようとすると竹ヒゴがすぐに割れて使い物にならなくなります。集中力、注意力、根気が養われます。あらかじめ作った型に合わせながら曲げていくことがコツです。障子紙を貼っていくのもコツがあります。霧を吹いておくと後でしゃんとします。ふくらみを持たせながら張ることも大切です。ふっくらした金魚が見栄えがよいようです。貼る面はカーブしていますからいきなり上手に貼れません。いくつも作りながらそのコツを習得していきます。私は一週間に1個のペースで取り組んでいます。作業時間は一日30分くらいです。つらいことがあった時、癒し効果があります。関連記事、作り方のヒントが2023年9月7日、9月30日にあります。
2023.10.15
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道幸武久氏の言葉です。小さな目標を達成できない人に、大きな目標は決して達成できません。小さな結果を出すことにこだわらない人が、大きな結果を出せるはずがないのです。(加速成功 道幸武久 サンマーク出版 114ページ)日々の生活の中で小さな成功体験を積み重ねていくことはとても大事なことです。「やった、できた」という小さな成功体験は自己肯定感を育てます。また感動、感激、感謝の気持ちを持つことができるようになります。そして小さな成功体験は、次の小さな成功体験を呼び寄せるようになります。プラスの連鎖が続いていきます。宇野千代さんは次のように言われています。私の現在を支えているものは日々の小さな幸福感である。幸福というものは、とび切り上等の大きなものだけではない。毎日のささやかな幸福感が私の生きがいなのである。(宇野千代 幸福の言葉 海竜社 183ページ)雑事や雑仕事を軽視、無視していると、小さな喜びや感動を味わうことができなってしまいます。いつのまにか、生きていくことが辛くなります。その間隙にむさしさが忍び寄ってきて憂うつな気持ちになります。日々の生活の中で、小さな喜びや感動を数多く味わっている人は、生きていることがむなしい、つまらないなどとは考えないものです。神経質者は細かいことによく気づくという特徴があります。その点を活かしていく道が性に合っているように思います。水谷啓二先生は、「我々は風雲に乗じて成功を収めるタイプではない。日々の生活に丁寧に取り組んでいく。それが10年、20年と積み重ねられていくと非凡な人になれる。神経質者は平凡を軽視しない生活を続けることが極めて大切になる」言われています。我々神経質者は瞬発力で勝負できる能力はない。100mの短距離走で勝つことは難しいが、コツコツと練習を積み重ねれば、42キロのマラソンは何とか完走できるかもしれない。
2023.10.14
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この障害は本番など人前に出るとひどい緊張感があり、あがってしまいうまく体をコントロールできなくなるのです。最近私はこの障害で苦しんでいます。大勢の人の前で森田理論の話をすることもありますが症状は出ません。会議などで自分の意見を述べるときにもこの症状で困ることはありません。私の場合、チンドン屋でアルトサックスを吹いているのですが、ソロで吹き始めるときにこの症状が出ます。練習の時は全く出ません。メンバーも練習の時に間違えることなく出来るので、本番でもきちんとできるはずだと思っているのが辛いのです。一瞬で体が凍り付きパニックになります。頭が真っ白になり、体が硬直して指が思うように動かなくなります。最近は本番前に頻尿や腹痛にも悩むようになりました。このことを考えるととても憂うつになります。ありとあらゆる工夫をしましたが、全く改善できませんでした。むしろ症状はどんどん強まっていきました。そのきっかけになったのは、敬老会に呼ばれて高校三年生の曲を始めるときに起きました。その時は中学校の体育館で行われました。中学校のブラスバンド部の人もいました。校長先生や町内会の役員なども大勢来ていました。曲を吹き始める前にリーダーが場を盛り上げるためにしばらく世間話をします。学生時代で一番印象に残っているのはいつですかとお年寄りに聞いています。小学校時代、中学校時代、高校時代などいろんな返事があります。高校時代ですと答えた人に、その中でも特に印象に残っているのはいつですかと聞いています。高校三年生ですという答えを引きだすと、満を持して「高校三年生といえば舟木一夫さんのこの歌です」と私に振ってくるのです。極度の緊張の極みに達していた私は頭が真っ白になってしまいました。案の定うまく吹き始めることができませんでした。仲間が落ち着いてやれば大丈夫だと言ってくれましたがパニックになりました。それ以来自分がソロで拭き始める曲がとても気になるようになりました。決まって緊張するようになりました。夜も寝れないような状態です。さらに間違えるとリーダーが軽蔑したような言葉を投げかけるのが苦痛でした。一度引退を申し入れたのですが、代わりのメンバーの補充ができないため残留するように説得されました。心療内科に行きました。1回目は患者さんがとても多くて予約だけでした。指定された日に行くと、スタッフの問診がありました。精神科医の診察を受けると「あなたはパフォーマンス限定社交不安障害です。薬を出しますので様子を見てみましょう」と言われました。パフォーマンス限定型の場合は、日常での対人関係は特別な問題がなく過ごしているにもかかわらず、苦手なシーンになると急激に緊張が高まってしまうと説明されました。集談会で薬に詳しい人がいるので聞いて見ました。ノルアドレナリンが過剰に出ているのでそれを抑制する薬だということでした。これを本番前1時間前に頓服薬として飲んでください。不安が和らぎます。それからメンバーの協力をお願いしました。最初の部分をしばらく肩代わりしてもらうことにしました。難色を示されましたが、症状が好転するまでの期間限定ということで了解してもらいました。これでまだ2年から3年くらいは続けられるかなと思っています。途中から合流するのは抵抗感がありませんので、なんとか乗り切っているというのが実情です。今回の件でパニック障害の人の気持ちがよく分かりました。パニックになるとすぐにヒートアップしてしまい、どうすることもできなくなるのはつらいです。本人はすぐに解決策がないので苦しんでいるのです。森田に詳しい精神科医に相談し、集談会に参加して話を聞いてもらうだけでもだいぶ落ち着きます。集談会には不安神経症の人もいます。またそういう人たちの体験談の冊子もあります。地元の森田に詳しい精神科医は生活の発見会にお問い合わせください。
2023.10.13
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人間には欲望が起こると、それを抑制するような感情も同時に湧き上がってくるという機能がある。森田先生はこの機能を「精神拮抗作用」と言われている。例えば90分飲み放題の居酒屋で思う存分酒を飲みたいと思ったとき、飲み過ぎると二日酔いになって明日の仕事に差し支えるという気持ちになる。結婚相手にふさわしい人が見つかり告白しようと思ったとき、もし振られたらどうしようという不安も同時に立ち上がる。私の場合は老人ホームなどでアルトサックスで老人たちを楽しませてあげたいと思うと、もし失敗したらどうしようという予期不安が同時に立ち上がる。欲望と不安による抑制力がうまい具合にバランスが取れれば適切な行動がとれます。しかし現実では、精神拮抗作用という機能は備わっているのに、バランスを上手にとることができない場合が多い。欲望一辺倒になると自分の健康を損なう、財産を失う。人間関係が悪くなる。人様に迷惑をかける。不安に振り回されるようになると、神経症になります。行動は逃避的、回避的になります。暇を持て余し自己嫌悪で苦しむようになります。どうすれば精神拮抗作用という機能を使いこなすことができるのでしょうか。まず子どもの時の親のしつけが大いに絡んでいると思います。子どもに欲望が起きた時、親が近くにいて少し我慢する。少しだけ耐えるという訓練が必要になります。過保護に育てられると、欲望が野放し状態になり、抑制力を持った人間にはなれません。不幸にして過保護に育てられた人はどうすればいいのでしょうか。森田先生は次のように話しされています。富士山で強力のような仕事をしている人は、仕事を始めたときは1週間くらい足が痛くて便所でかがむこともできないくらいの痛みが出てくる。そこであきらめてしまっては仕事にならない。その痛みに耐えて仕事を続けていると、痛みがなくなりシーズンを通して仕事ができるようになる。この話は耐えがたい痛みがあっても、そのまま我慢して仕事をしていると、痛みがいつの間にか消えていく。それは過去の成功体験によって分かっている。そうした経験を持ち合わせていると、辛い痛みをがまんすることができる。経験を持ち合わせていないと「この仕事は自分には無理だ」ということになります。不安を持ったまま仕事を続けると、時間が経てば状況は一変する場合があるという体験は大きな意味を持ちます。しんどい、辛い、やる気にならないということは仕事や生活の中でいくらでもあります。それらを回避する、逃げるという対応をとっていると、いつまでたっても不安に耐える、我慢するという体験はできません。イヤで面倒なことであっても、必要な時に必要なことから逃げないということは、精神拮抗作用を正常に機能させるためにはとても大切なことなのです。次に欲望は弾みがついてくるという特徴があります。欲望にはいろいろありますが物欲、所有欲、飲食欲が厄介です。これらを追い求めていると果てしがありません。欲望が暴走しやすいのです。この問題は普段生活の中で抑制することができます。便利で機能のよい商品は次々に発売されています。その結果まだ修理すれば使えるものがどんどん廃棄されてしまう。自分が持っているものでメンテナンスをすれば十分に機能を果たすことができるものは、安易な買い替えは抑制するという態度を堅持することが大事になります。飲食欲も外食すればおいしいものはいくらでもあります。三度の食事は自分で作るという基本姿勢を崩さないことが肝心だと思います。普段から物欲などの欲望を抑制することは「精神拮抗作用」を正常に機能させるために大切なことです。
2023.10.12
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ヨットマンの白石康次郎氏のお話です。水産高校では研修航海に出ます。船の中には危険なものがたくさんあります。マグロなどを釣り上げたときに引っ掛けるでかいかぎや出刃包丁などです。これらを使ったままそこらに放置しておくことは命にかかわる。船が揺れた時に、それらが船の甲板を走るのである。人の首や腹に刺さって亡くなるという事故が実際に起きている。研修航海では、使った道具をきちんと元のところに戻して固定することをきびしく指導される。(人生で大切なことは海の上で学んだ 白石康次郎 169ページ)それがよい習慣となり、単独のヨット世界一周に活かされているという。シート類はきちんとまとめておく。急いで作業をするときに、足に絡まり、転倒するという事故が防げる。部品の一つ、工具の一つも使った後は必ず元へ戻す。急いで何かをしなければならない時に、探し物をするほどストレスがたまることはない。神経症と格闘しているときは整理整頓など眼中にないのではなかろうか。集談会などでも片付け、掃除をしなければと思っても、その気にならないという話を聞きます。片付けを森田の実践課題にするというのはどうだろうか。必要なものを3分以内に取りだすことができるようになることを、実践目標として掲げることを提案いたします。私はインテリアの卸会社でメーカーへの支払業務をしていたことがありました。メーカーからの請求書通りに仕入計上がされていると何も問題はありません。ところが実際には差異が発生しています。返品交換や大量発注による値引きが絡んでいるからです。それが大きな仕入先になればなるほど差異が複雑に絡み合っています。その時納品書がメーカーごとにきちんとファイルされている。売上伝票が連番に整理されているとすぐに差異が特定できることを経験しました。ここで3分以内に目的の伝票を取りだせるというのは、大きな能力だと思いました。私の場合、蔵書が大量にあります。森田関係のノートもたくさんあります。それから森田関係、仕事関係、パソコンのファイル、マンション関係、趣味の関係、近隣・親戚関係、通帳・財産関係、小物、事務用品、請求書や領収書、衣類関係などいろいろと整理しなければならないものがあります。目的物を3分以内に取りだせるようにするという目標があると、整理整頓に工夫をするようになります。まず大まかに分類することから始まります。意識としては大分類、中分類、小分類を意識しています。蔵書でしたら数か所にまとめておく。私は森田関係の本は一ヵ所にまとめています。あとは著者ごとにまとめております。お気に入りの著者はすぐに取り出せます。そしてよく利用する本は前面に出しておきます。あまりみない本は半年に1回くらいは確認するようにしています。必要な書類が山のようにあります。これはKOKUYOのA4-1Fという黄色の個別フォルダーというのが役に立っています。これに見出しをつけて、100均で手に入れたストッカーボックスA4に入れています。これは特に日付ごとにはファイルはしていません。これだけでもすぐに必要書類を取りだすことができます。整理整頓の方法は人様々だと思います。整理整頓の必要のあるものも人様々だと思います。これらの工夫例を情報交換することは大切なことだと思います。
2023.10.11
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子供の頃に身につけた「かくあるべし」は、大人になってもそのまま引きずっています。サキさんのお父さんは、サキさんが少しでもヘマをすると、怒鳴ったりぶったり蹴ったりしていました。サキさんはいつもお父さんの顔色をうかがって身構えていなければなりませんでした。いつ雷が落ちるか分からないので、行動、表情、口のきき方など、お父さんの前ではいつも細心の注意を払っていました。でも、どんなに注意してもいきなり爆発が起きることがあるので、そういう時は下を向いて小さくなって、ひたすら謝るしかありませんでした。そんなサキさんに子どもが生まれました。その子どもにいきなりキレる母親になってしまいました。子供だけではなく、ときどきご主人にもキレてしまいます。あんなに嫌っていたお父さんの行動パターンと同じことをしていたのです。大人になると力関係が逆転して、言いたい放題になっているのです。キレた後はいつも後悔ばかり。自己嫌悪でやりきれない気持ちになります。会社でも問題を抱えていました。上司からパワハラを受けていたのです。これはサキさんの言い分で、上司は上司で別の見方をしていました。所内会議のとき、上司が「君はどう思う?」とサキさんに聞いても、彼女は下を向いて何も答えない。チームで仕事をしている時は、みんなの顔色ばかりうかがっていて、自分から積極的に仕事に取り組む姿勢が見られない。言われたことをイヤイヤこなしているように見える。サキさんは幼いころの父親との人間関係の中で、四六時中父親の意向を忖度しなければならない。父親の気に障るような行動、発言、表情は決して見せてはならないという「かくあるべし」を身に着けました。その「かくあるべし」が大人になったあとも尾を引いていたのです。子供や夫の場合は、父親とそっくりで突然キレてしまう。上司との関係は、借りてきた猫のようになり、オドオドして自由にふるまうことができない。どちらに転んでも問題です。本人は苦しくて仕方がない。幼いころに確立した「かくあるべし」を捨て去ることはできないものでしょうか。最近そのヒントをゲシュタルト心理学の中で見つけました。ここでは、小さい頃に身につけた「かくあるべし」が大人になっても多大な影響を与えている。自分の気持ち、感情、本音、欲求などが軽視されて問題を引き起こしている。つまり「かくあるべし」と現実や現状が対立する構造になっている。人間は観念と現実の狭間でのた打ち回っているというのです。ファシリテーター(カウンセラーのこと)とクライエント(相談者)がワーク(カウンセリングのこと)という共同作業をしながら呪縛を取り除いていくことができるというのです。その中で強調されていたことは、過去や未来、他人の言動、境遇や運命、自己嫌悪などに振り回されないで「今、ここ」に集中することが大切になると言われていました。この点は、マインドフルネス、森田理論でも同じことを指摘されています。最近はマインドフルネス認知行動療法という言葉も聞かれるようになりました。今後は森田理論と他の精神療法との融合も視野に入れていくほうがよいのではないかと考えています。他の精神療法には、精神分析、交流分析、ゲシュタルト療法、行動療法、認知療法、論理療法、マインドフルネス、ACT、来談者中心療法、内観療法、家族療法、SST、アサーション、芸術療法、ポジティブ心理学などがあります。森田理論と重なるところも多いですし、森田理論で取り上げていない部分もあります。他の精神療法のよいところはどんどん取り入れて、新しい森田理論として発展させていくべきではないでしょうか。(キレたくないのにキレてしまうあなたへ 岡田法悦 朝日新聞出版参照)
2023.10.10
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今日は田舎での農作業でした。草刈りが主な仕事です。柿が豊作でした。この柿はとても甘いです。小作に出している田んぼの米をもらいました。30キロの袋で4つです。米をいただけるのは今年が最後になりました。ニンジン、白菜、キャベツ、サツマイモなどがだいぶ大きくなっていました。タマネギの苗を予約しました。植え付けは11月中旬です。野菜の手入れをしている時は、不安やストレスは全くありません。
2023.10.09
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あるところに、大酒飲みのどうしようもない男がいました。男には双子の男の子がいました。男の子たちは、父親が毎日酒を飲んでは母親に暴力を振るうという劣悪な環境で育ちました。この双子の兄弟は、大きくなって別々の道を選びます。一人は弁護士になり、もう一人は父親と同じ大酒飲みになったのです。同じ環境で育ちながら全く違う選択をした二人に、なぜ今の道を選んだのかインタビューすると、同じ答えが返ってきました。「そんなのあたりまえじゃないか」と。弁護士になった息子は、「父親がああだったから、僕は将来、自分と同じ環境で苦しむ子供たちを助けたいと思って弁護士になったんだ」と言いました。一方、大酒飲みになった息子は、「父親がああだったんだから、僕も同じようになってしまったのさ」と言ったのです。この話からもわかるように、未来は環境によって決まるわけではありません。(加速成功 道幸武久 サンマーク出版 136ページ)大酒飲みになった息子は、父親を嫌悪していた。いつも注意や意識を父親の醜態に向けて、事実を否定していたのです。事実を否定するにも相当なエネルギーが必要になります。そこで多くのエネルギーを消耗していると、課題や目標を向かうエネルギーが少なくなってしまいます。父親を恨んでいるうちに、立て直すことができなくなり、ついに自分も大酒飲みになってしまったのです。弁護士になった息子は、悲惨な状況を否定しないであるがままに受け入れました。批判や反発しなので、結果的にエネルギーの温存が可能になりました。事実を否定しないので、酒におぼれるような人間にはなりませんでした。そのエネルギーを自分と同様の環境で苦しむ人の為に役立てようと考えました。父親を反面教師として、自他ともに活かすことができるようになりました。私の父親はアルコール依存症でした。仕事もしないで昼間から酔っ払っていました。子どもを立派に成長させたいという気持ちはほとんどありませんでした。その結果、私は2つの大きな問題を抱えました。大人になっても他人が怖いという気持ちがぬぐえない。また気分に振り回されて行動はつねに回避的な人間になりました。永い間その呪縛で苦しんできました。これは大きなハンディになりました。今ではそういう環境で苦しんでいる人はたくさんいるのではないかと考えました。森田理論学習と応用によって掴んだ解決方法を公開すれば、人の為に尽くすこともできるし、自分の活躍の場にもなる。神経症の渦中にいるときは濃霧で車の運転をしているようなものでしたが、森田理論学習によって霧が晴れたところに出てみると、その経験を持っていることは大きな強みだと実感するようになりました。父親を批判・否定するのではなく、人生をより深く考える問題提起をしてくれた父親に感謝しなければならないと考えるようになりました。この道しか我を活かす道なし。愚直に真摯に突き進みたい。
2023.10.09
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昨日の投稿で藤井先生が自分を客観視することが大切だと言われていました。自分自身を第三者的な立場から眺めてみるということです。これができるようになると、今まで無意識で行っていた問題行動が見えてくることがあります。問題行動が意識できれば、それを修正、改善したいという意欲が生まれます。私はある講演会での自分の姿の映像を後で見て驚いたことがあります。関心のない話を聞いているときに爪を噛んでいたのです。無意識的にストレス発散行動をとっていたのです。これには唖然としました。それ以降は気を付けるようになりました。自分が話している映像を見ると方言丸出しといった感じでした。これでは聞いている人が不愉快な気持ちになることが分かりました。なかなか直せないのですが、注意することはできます。また最初にお断りすることもできます。カラオケには自信がなくて音痴だとばかり思っていました。とにかく自分の声は普通の人と違う。変な声をしている。救いようがない。そこでビデオを持って一人カラオケに行きました。自分の歌唱を何曲もビデオに収めました。その時採点機能を使いました。音程が映像で表示されました。音程が合っているか外れているかは映像で確認できました。それで分かったことは、声は個性的だがそんなにみっともないということはない。それよりも音程が不安定なのが気になりました。ビブラートがかかりすぎている。私は男性としては高音部分がよく出る。第九の合唱団に加わっていた時に次のように指摘された。一口にテノールといっても幅があって、私の場合は低音が出にくい。高音が出やすいという特徴がある。今島津亜矢の「相生」を練習しているが、低音部分がとても苦しい。あらかじめキーを2度あげてやると途端に無理なく歌えるようになります。普段のカラオケの練習はIC録音機が欠かせない。自分の歌唱を吹き込んで後で聞いてみる。違和感がないかどうかすぐに分かります。お手本となる歌手の歌声をリピート機能を利用して、小節ごとに区切って練習すれば何とかものになることが分かってきた。私は一人一芸をやっております。アルトサックス、どじょう掬い、傘踊り、腹話術、獅子舞、しば天踊り、浪曲奇術、手品などです。それらは定期的にスマートフォンで動画撮影をしています。1ヶ月に1回は点検のつもりで撮影しています。撮影は簡単です。自分の所作を動画で確認することはとても重要だと思っています。特に人前で何かをする場合は、他人に見てもらうか、自己点検が必要です。自分が審査員になって自分の所作を観察すると、改善点がいくつも見つかるのです。それを積み重ねると違和感が少なくなり、自信を持って本番に臨むことができます。下の写真のように譜面台を横にして100均で買った三脚を立てています。高さ調整が自由自在にできます。またリモートで撮影開始が可能です。それは一旦Googleフォトに保存されますが、パソコンと同期すればパソコンのGoogleフォトで見ることができます。その他、重要なものはGoogleドライブを利用してファイル管理をしておけば動画保存は楽になります。ICレコーダーやスマホの動画撮影機能は自分を客観視するためには強力なツールだと思っています。最初は自分の実際の姿を音声や動画で見ることに抵抗がありましたが、そのうち抵抗感がなくなりました。慣れてきたのでしょう。これらは自分を客観的に観察するために、必要不可欠なことだと思っています。
2023.10.08
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藤井英雄氏のお話です。心は、いつも「今、ここ」から離れて思考しがちです。それが心の役割なのです。具体的には、過去の失敗を思い出しては後悔し、未来の取り越し苦労をしては不安になり、他人がこうしてくれたらいいのにと不満に思い、こんな自分ではダメだと自己嫌悪に陥っては憂欝になるのが人間です。(平常心と不動心の鍛え方 藤井英雄 同文館出版 49ページ)藤井氏は、未来への不安、過去の後悔、現在の他人や環境への不満、そして自己嫌悪などのネガティブ感情に振り回されている状態は、心が「うわの空」になっていると言われています。心が「うわの空」になってしまうと、心を「今、ここ」に引きとどめておくことができません。葛藤や苦悩はそうした状態の時に忍び寄ってくるといわれています。ではどうすればよいというのでしょうか。簡単です。「今、ここ」を感じればよいのです。感じることと考えることは同時にはできないという特徴があります。「今、ここ」の感情にフォーカスして生き生きと感じることができるようになると、心の中に心配事が入る隙間はなくなります。藤井氏によると、これはマインドブルネスの中心的な考え方だそうです。マインドフルネスとは、「今、ここ」の現実に、リアルタイムかつ客観的に気付くことです。この考え方は少し難しいようです。森田理論と合わせて考えると理解しやすいと思います。森田先生は注意の集中ということについて次のように説明されている。私が講話をするとき、精神が集中するとはどういうことかというと、普通の精神の集中とはちょっと意味がちがう。1、自分の挙手動作に注意する。つまずいたり、コップをひっくり返したりしないように注意するのである。2、みなさんの状況、周囲の変化、すなわちある人が聞きたそうな顔をしているとか、後ろから出入りする人、戸外の自動車の響きなどにも、よくこれを感じ分けるようになり3、自分の講話の筋道を工夫するという風にこの四方八方に心が散った有様が、禅のいわゆる無所住心であって、周囲の全てのことに気がついて、しかも何事にも心が固着しないで、水の流れるがごとくに心が自由自在に流転適応していく有様である。あたかも明鏡に物が映るがごとく、来るものは明らかに映り、去れば直ちに影をとどめないという風である。(森田全集第5巻 580ページ要旨引用)ここで私がポイントだと思うのは、注意はいろいろな方面に分散しているのですが、一旦気になる一点に注意を向けたとき真剣に向き合うということです。他のことを考えながら「うわの空」で向き合うと、後で不安になります。例えば戸締りが気になる人が、仕事のことや会社での人間関係のことを考えながら施錠してしまうと、後からカギを締めたのか締めなかったのか確信が持てなくなってしまいます。このときカギを締めることにきちんと向き合っていると、隙間からカギがかかっていることをしっかりと確認できますのであとで疑心暗鬼になることはありません。きちんと向き合うと目の前の不安からはすぐに解放されます。次に不安から解放されたら、次の不安に飛び乗ることが大切になります。こういう意識で生活することが、「今、ここ」の現実に集中するということになります。分かりにくいという方は、2023年7月27日、8月25日、9月7日投稿をご参照ください。特に7月27日の投稿記事で理解していただけるのではないかと思っています。明日は藤井英雄氏が指摘されている「客観化」の方法を考えてみたいと思います。
2023.10.07
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陸上競技に400mリレーというのがあります。4人でチームを組み、バトンを手渡しして勝ち負けを競います。小学生でチームを組んで競争させるとどんなことが起きるか。負けたチームは、負けた原因を仲間のせいにしてしまう。あの子がまともに走っていたら負けることはなかった。あの子と同じチームではいつまでたっても勝てることはできない。自分のせいで負けたと思う子供は自己嫌悪してしまう。次に走る距離は自分たちで自由に決めてももらう。走るのはちょっと苦手という人は30mでバトンを渡す。走るのが得意な子どもは150m程度、あるいはそれ以上を走る。4人それぞれ走る能力に差があるので、どう組み合わせるかはチームにまかせる。チームは勝つために話し合うようになる。練習では距離を変えて試走を繰り返す。一番良い記録が出せる組み合わせが見つかるとチームがまとまってくる。仲間への誹謗中傷はなくなり、レース中は仲間の応援に夢中になる。これは人それぞれ得手・不得手があるという前提に立っている。それを最大限に活かすにはどうすればよいのかみんなで考える。勉強はからきしだめだが、運動能力抜群という子どももいる。リーダーとなって仲間を鼓舞するのが得意な子どももいる。長距離はなんとかなるが、短距離で必要な瞬発力がないという子もいる。スタートダッシュが得意な子もいる。苦手という人もいる。前を走るライバルがいると、力以上のものを出す子どももいる。バトン渡しの阿吽の呼吸を心得ている人もいる。ぎこちない人もする。苦手な人を最初か最後に回すと、バトン渡しは1回で済むので勝つ確率が上がる。怪我を抱えている人もいる。本番に強い人、弱い人がいる。4人が意見を出し合って、それぞれの能力を見極めて適材適所に配置する。みんながやる気になる。自然にチームのまとまりが生まれてくる。これは森田では「物の性を尽くす」と言います。「己の性を尽くす」「他人の性を尽くす」という考え方です。硬直した考え方をしていると、こういう発想はなかなか生まれてきません。人間は誰でも欠点や弱みを持っているが、長所や強みも持っている。ないものねだりをするよりも、自分が持っているものを最大限に活かしていく。自分の好きなこと、得意分野では意欲も高まり、成果を出しやすいものです。欠点や弱みの部分は他人に助けてもらい、逆に長所や強みの部分はさらに磨きをかけて、大いに人の為に尽くしていく。そういう風に助けたり、助けられたりする人間関係を築くとみんなが幸せになるという考え方です。
2023.10.06
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私は過去の生活の発見誌の記事で気に入ったものは切り抜きをしています。その中に平成5年(1992年)12月号に、岸見勇美氏が藤沢周平の「霜の朝」に収録されている「嚏」という小説の紹介をされていました。岸見氏は生活の発見会会員で優れた本を数多く残されています。その中でも「森田正馬癒しの人生」「ノイローゼをねじふせた男」「高良武久 森田療法完成への道」「運命は切りひらくもの」は森田正馬、水谷啓二、高良武久、岡本常男研究には欠かせない本となっています。この主人公である布施甚五郎は、典型的な対人恐怖症、表情恐怖で苦しんでいた。ある日、家老の鬼頭弥太夫に呼ばれた甚五郎は、藩主の血縁織部正の討手を仰せつかります。甚五郎が藩随一の剣の遣い手と知られる藤井源助と互角の力量をもつ、剣の名手であることから、指名されたものです。ところが甚五郎はこの大役を断ります。その理由は、緊張した場面になると、鼻腔の奥に微かな搔痒感が動くのを感じ、突然くしゃみが出てしまうということだった。実際にこのくしゃみ恐怖症のせいで、散々な思いをしてきた。最初に気づいたのは、元服して初めて藩主のお目見得のため登城したときのことです。甚五郎は大広間に入った時から緊張し、自分の番がきたときには完全に上がっており、「手足はこわばり、体全体が自分のものではないように、心細く、それが鼻腔をくすぐられるような掻痒感となり、甚五郎は必死になってそれをこらえようとした。しかし名前を呼ばれた途端に大きなくしゃみをしてしまった。初お目見得が散々な結果に終わり、大勢の失笑を買い、父親にまで肩身の狭い思いをさせたことが、甚五郎にくしゃみへの恐怖を募らせました。恒例の八幡神社での奉納試合でも、決勝までは難なく勝ち上がってきたのですが、優勝のかかった藤井源助と合うと、練習試合では勝てるのに、緊張しくしゃみが出そうになって、注意がくしゃみに向いているうちに、あっけなく敗れた。妻の弥生とのお見合いも、くしゃみ恐怖のために危うく流れるところでした。その日二人きりになって、「なんと可憐な人だ」と心が動き、何とか言わなければならぬ、と思った途端、舌がこわばり、くしゃみの予感がしてきました。「これはいかん」と甚五郎は狼狽し、鼻を曲げ、口を歪め、目を開いたり閉じたりして、くしゃみを押さえこもうと、絶望的な努力をしました。その時でした。つつましくうつむいていた弥生がつんと顔を上げ、甚五郎の奇妙な表情を見て言います。「わたくしを愚弄なさるおつもりですか」弥生は甚五郎の必死の表情を、自分を嘲笑しているととったのです。「不器用は自分で承知しております。でもそのようなお顔をされるいわれはありません」と涙ぐんでしまいます。この話は緊張感で頭が真っ白になって動揺してしまう方は共感できるのではないでしょうか。岸見氏は表情恐怖の甚五郎が首尾よくお役目を果たしたかどうかは、原作をじっくりとお読みくださいと紹介されておりました。なお岸見氏は、市井ものの藤沢周平作品は、山本周五郎の作風を思わせるものがあるといわれています。これを機会に山本周五郎作品も読んでみたくなりました。
2023.10.05
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森田では、「見つめる」ことを重視しています。見つめていると、問題点や課題が見えてきます。すると感情が動き出してくる。気づきや発見がある。興味や関心が湧き起こってくる。それが積極的な行動につながるといいます。交通事故は前後左右をよく確認していないときに発生しています。事実を確認しないで、「こんなところにまさか対向車は来ないだろう」「まさか動物や人が飛び出すことはないだろう」という「まかさ運転」は事故につながります。追い越しをかける時は、見通しのよいところで行えば、正面衝突することはありません。一時停止の標識のあるところでは、車が来ていないので一時停止しなくても大丈夫というのは軽率です。そういうところには警察官が違反の取り締まりをしているかもしれないので、車がいるかいないかに関わらず白線の前できちんと停止することです。そうすれば違反切符を切られることはありません。また心がうわの空になって他のことを考えている時も危ないです。ナビや運転以外の操作方法に気をとられて、目を離して運転することも危険です。居眠り運転はもってのほかです。広いところやサービスステーションでしばらく寝ると眠気はふっ飛びます。私は沢登りに凝ったことがあります。20mくらいな崖をよじ登るスポーツです。この時は3点確保が大事になります。そして目先の確保点を探すことになります。ここで大丈夫という確保点を見つけながら手足を徐々に移動していきます。このとき一番大事なのは目線です。目線は常に目の前か目の上の次の確保点に置いておくことを指導されました。仮に目線を下に落とすと、恐怖心で身体が硬直してしまいます。命綱はつけているのですが、怖くてそれ以上登れなくなってしまうのです。よく見るということでは、子供ができたら子供の動向から目を離さないようにすることが大切です。そのためには、子供の近くにいることが欠かせません。特に1年6か月までの愛着の形成期間は、基本的に子供から離れてはいけません。心の安全基地の形成ができなくなり、安心安全な後ろ盾を持てなくなってしまいます。親の愛情を受けて育つと、時期がくればしだいに親から離れて自立してゆきます。愛着の形成期を無事に通過したら、つぎに子供の成長期に合わせて、能力を伸ばすことが必要になります。子どもの能力はモンテッソーリ教育によると10項目ぐらいあるそうです。それぞれの項目を習得する時期はほとんどわずかの期間に限定されています。その期間を逃すと後でいくら身に着けようとしても手遅れになるそうです。ここではモンテッソーリ教育などの親業を学習して、子供の成長段階を見極めることが必要になります。子供の成長段階を注意して見極め、刺激を与えることができれば、子供はすくすくと成長していきます。神経症に陥り子供のことは無関心という状態になると、子供への悪影響は計り知れません。森田理論の学習は、通り一遍の学習を繰り返しているだけでは、自分の生活を変化させる起爆剤としての役割は期待できません。目の前の事実をよく見るという点に関しては、このような視点から学習を深めていくように心がけたいものです。
2023.10.04
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池ポチャの法則は、ゴルフで絶対に球をフェアウエイに乗せたいと意識する時に起きます。細心の注意を払っていると、そんな愚かなミスをするはずがないと考えがちです。そう考えながら球を打つと、池に引き寄せられるように、心配していたことが現実となってしまうという現象です。「池に打ち込んではいけない」ということはよく分かっているのに、どうしてそのようなミスを犯してしまうのでしょうか。今日はこの問題を取り上げてみました。これはゴルフだけに限りません。楽器の演奏でもそうです。過去に間違えたところは、今度は絶対にミスをしてはならないと考えていると、今度もまた同じところでミスをしてしまう。ミスしたところにさしかかると「間違いなくできるだろうか」という不安が生まれます。小さなパニックに陥ります。その不安はすぐに前頭前野に伝えられます。前頭前野は早速ミスをしないための方法を考え始めます。つまり意識をいつまでもその部分に固定してしまうのです。演奏は側頭葉や運動野に蓄えられた長期記憶を基にして行われています。意識的行動ではなく、無意識的な行動です。練習ではほぼ正確に演奏できても、本番で前頭前野が介入してくるととても厄介なことになります。ケガをして出血しているときは急いで止血しなければなりません。前頭前野の介入は、止血が必要な時に、ケガの原因究明をしているようなものです。大量出血をすると命にかかわるようなこともあります。前頭前野は事前に問題が予想されるとき試行錯誤する時は役立ちます。ただし十分な練習をして、あとは本番で成果を出し切ればよいという時には何の役にも立ちません。むしろ弊害が大きくなります。手先が金縛りにあったようになります。この場合は前頭前野に不安の情報を送らないことが大切になります。しかし人間は考えないということはできません。せめて意識を一点に集中しないように心がけることは必要になります。イチロー選手や羽生結弦選手はルーティンワークを心がけていました。これに意識を持ってくることで、分散化が図られているのだと思われます。私はサックスの演奏をしていますが、最初にソロで演奏する時に不安が高まります。その時は1時間前に不安を多少和らげるデパスという抗不安薬を飲んでおきます。精神科医によると私の症状はよくあるそうです。これを名づけて、「パフォーマンス限定社交不安障害」と呼ぶそうです。次に本番ではまずゆっくりと運指を音を出さずに確認します。そして時間を置かずにすぐ演奏に移るようにしています。あとは同じサックスの人が高齢で、「私がしっかりリードしないでどうするんだ」という意識を持つようにしています。この3つ以外にもいろいろと工夫してきましたが、それらはすべて症状の強化につながりました。シンプルイズベストという結論に達しました。
2023.10.03
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私はマンションの管理人をしていますが、管理人さんが気持ちよく挨拶をされているところでは、多少掃除が行き届いていなくても、大きなトラブルが起きないことが分かっています。その逆に挨拶することを軽視していると、「あの管理人は愛想がない」とことあるごとに居住者が噂をし始めます。その噂が広がると、代わってもらいたい管理人として管理会社に伝わることになります。本人がなんと言い訳しようと、注意勧告、配置転換、退職勧奨の対象となります。管理会社は1年1年の契約更新ですから、それが原因で契約解除されると死活問題になるからです。笑顔で「おはようございます」「こんにちは」「お天気で気持ちがいいですね」「行ってらっしゃいませ」「お帰りなさいませ」は、あなたとは敵対しません。仲良くしたいです。警戒しなくても大丈夫ですよというメッセージの発信になります。イソップ物語の北風と太陽とマントなようなことが起きるのです。簡単なことですが、挨拶を無視、軽視している人が後を絶ちません。会社から挨拶の効用として次のように言われました。・挨拶はコミュニケーションの基本でありコミュニケーションの全てと言っても過言ではない。・良い挨拶に良い情報が集まる。・挨拶で未然にトラブルを遠ざける事ができる。・挨拶ができないだけで自己肯定感がさがる。マンションの管理人をしていると、小学生の子どもでもとても気持ちの良い挨拶ができる子供がいます。挨拶のできる子は習慣になっています。親のしつけのよさを感じます。反対に、無視しようとしたり、こちらが「こんにちは」「おかえりなさい」と挨拶をしても、無言で急いで通り過ぎる子供もいます。お年寄りでも「いつもお世話になります」「いつもありがとうございます」と話される方はとても好感が持てます。こちらも自然に笑顔になります。挨拶ができている人は、相手に好意的に接する態度が身についていると思います。・相手が気分を悪くするようなことは言わない。・相手が喜ぶことは積極的に手を出す。・相手に迷惑をかけることはしない。・世間の慣習を大事にしている。
2023.10.02
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「こだわり」と「とらわれ」という言葉は、どちらもある特定のところに注意を向けて、感情や意志をとどめている点は同じです。ところがその中身は180度違うように思います。こだわる人は、気に入ったものを見つけるとそれ以外のものは受け付けない。他人の意見に安易に流されない頑固さを持っています。自分の意志の強さを感じます。主体性があります。例えば気に入った道具などを見つけると、それ以外のものは受け付けられなくなる。出張先で宿泊するホテルもいつも同じところに決めている。ビールや日本酒にしても銘柄を指定してくる。ルーティンワークにこだわっている人もいます。サプリメントにこだわっている人もいます。無農薬野菜や有機野菜にこだわっている人もいます。森田理論学習にこだわっている人もいます。こだわることに快感を感じるのでしょう。居心地がよいのです。どうしてそこにこだわっているのかきちんと説明できる。人にもその良さを伝えたくなるようです。特にこだわりの強い人は、うんちくを話し出したら止まらなくなる。こだわっている人を見ると、頑固だな、融通がきなない人だなと思いますが、いやな気はしません。むしろ自分の気持を尊重して、自分のスタイルを押し通そうとしているところに共感を覚えることもあります。これに対して、とらわれる人は容易に他人に振り回されてしまう。主体性が乏しい。自分の気持、感情、意志、欲求、欲望が明確になっていないので、まともに周りの影響を受けてしまう。不安、恐怖、違和感、不快感にとらわれる人は、事実をよく見ていない。先入観、思い込み、決めつけ、人のうわさ話などで対策を立てようとする。そして問題を深刻化させて後悔することになります。神経症に陥る人は、一番気になる不安に集中してとらわれています。精神交互作用でどんどん蟻地獄に落ちていく。とらわれる人は、こだわる人を参考にして、自分の気持、感情、意志、欲求、欲望を見つめ直すことが大切になると思います。そして日々の生活に丁寧に取り組んでいく。そうして、やりたいこと、課題や目標が見つかると、とらわれる人からこだわる人に変身できるのではないでしょうか。我マンションの遊具です。
2023.10.01
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