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公民館活動で「男の料理教室」に行きました。私は常連です。チンジャオロース、白菜の甘酢漬け、杏仁豆腐、中華コーンスープを作りました。いずれも絶品の味でした。特にチンジャオロースがこんなにうまいとは思わなかった。実際に先生の指導の下で自分たちで作るということに意味があると思います。私は果物たっぷりの杏仁豆腐が好きなのですが、これでいつでも作れるようになりました。私は森田を学習をしていて思うことは、体験学習は人生を豊かに彩るということです。
2023.09.30
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柳井市名物、縮小版「金魚ちょうちん」作りは森田実践になります。入院森田では、夜「事実唯真」等の彫刻をされていたそうです。金魚ちょうちん作りはそれに近いものがあります。ちなみに森田療法学会では、歌う森田、踊る森田があると聞きました。これは実際に取り掛かってみると、なかなか思い通りに作れません。工夫、改善の連続です。そこが面白いのです。人生と同じです。1匹の製作時間は1日30分として、約1週間です。糊やボンドが乾く時間が必要ですので、一挙に完成させることはできません。興味のある方のために私の作り方を紹介しておきます。1、36cmの竹ひごを買う。私はネットで買いました。2、75度のお湯に漬けて折れないように真ん中を曲げて癖をつける。真っすぐな竹ひごが見事に曲がります。急ぐと竹ひごが割れます。楕円形になります。それを針金で止める。左上のような形にする。交差するところは木工ボンドで固定する。一晩おくと透明になって固まります。3、上部は直径5cmの針金で作った輪を取り付けます。上部は障子紙を貼らないので空洞になります。4、障子紙を貼り付けます。張る前に霧吹きで水をかけるとピンと張ります。右上の写真。糊は障子紙用の糊を使います。張るときは8つに分けて貼ります。その際三角形のとがった方から三角形の広い方に向かって膨らませるように張ります。このコツはやりながら会得してください。5、目玉と眼の縁取り、口を黒マジックで書きます。手が震えます。やり直しがききませんので、型を作っておくとよい。6、尻尾とひれを作ります。私は左下のような下絵を作っています。上が尻尾です。これに赤のアクリル絵の具を裏表に塗って切り離します。7、バランスを意識して全体に赤のアクリル絵の具を塗ります。最後に尻尾とひれを取り付けて完成です。お気に入りの場所に飾ってください。本格的な金魚ちょうちんを作りたい方は、下記のホームページをご参照ください。必要な小道具と作り方が詳しく説明されています。(株)佐川醤油店オフィシャルサイト 金魚ちょうちんの作り方やり始めるともっと上手に作りたくなります。私は早くも9匹作りました。8匹目からやっと満足のいくものができるようになりました。増えてきたら集談会などで欲しい人にプレゼントするつもりです。集談会でも実際にこういう創作体験を取り入れると楽しいと思うのですが・・・。
2023.09.30
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私に定期的にエッセイをメール送信してくださる方は、壮絶なガンの闘病体験をされている。現在はガンで苦しんでおられる人たちの支援をされています。ご本人の承諾を得てその一部をご紹介します。2006年1月、岡山大学病院に入院し、検査。腹膜播種したスキルス胃がん、腹水もあり、そこにもガン細胞がある。現状では手術ができないので抗がん剤による治療を優先。抗がん剤がよく効いたので8月28日、胃・胆のう・脾臓を全摘。ホッとしたのも、つかの間、腸閉そくを起こしており、9月9日腸閉そくを治す手術。10月になり退院するが、「5年生存率は10%程度。元気になった人の前例はないといってもよい」と言われる。これを聞き、「前例がなければ、私が前例となるような生き方をしたい」と思う。そして今回17年目の記念日を迎えた。その間、職場復帰し、フルマラソンを5回完走。前例となるような生き方をしたといってもいいのでは。この話は多くの人に勇気を与えます。この方はガンを克服して、もう定期検診の必要はないと言われたそうです。毎日近くの福祉施設で清掃の仕事をされています。その他自家用野菜作り、毎日のジョギングに精を出されている。本もよくよまれていて、エッセイも感動的な内容のものが多い。今では県内外で闘病体験を語り、ガン患者の支援をされています。マスコミで取り上げられたことも数多い。この方の生きざまは、「生きがい療法」のすばるクリニックの伊丹仁朗先生も高く評価されています。私達も形は違いますが神経症で七転八倒の苦しみを味わいました。うつ病や胃潰瘍を併発して人生に絶望した人も少なくないと思います。私もその一人です。そんな中で森田療法に出会いました。関わり続けて、気づいてみるともうすでに36年になります。今振り返ると、どん底を味わった人が復活すれば、精神的には一回り大きな人間に成長できるような気がします。神様が出された難題に自分なりの答えを出せたことはうれしいことです。思い返せば、神経症を克服したら森田から離れるつもりでした。学習を続けるうちに、森田理論は神経質者の生き方を提示していることに気が付きました。人生90年時代と言われる中で、強力な味方を得たような感じです。今後は難しいことですが、このブログを通じて、森田理論の持つ人生観の語り部となって、一人でも多くの人に伝えていきたい。これが生きがいになるとは、神経症でのたうち回っていたころは思いもしませんでした。
2023.09.29
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自己肯定感を分析すると、次の6つがあります。自己受容感、自己信頼感、自尊感情、自己決定感、自己効力感、自己有用感です。1、自己受容感・・・ありのままの自分を否定しないで受け入れることができる。自分を分析してみると、思い通りにならないで苦悩している自分とそれを雲の上のようなところから非難・否定している自分がいることに気づきます。森田理論では雲の上の自分が、現実や現状に寄り添うことが大切であると教えてくれています。2、自己信頼感・・・困難な状況に出会ったとき、自己信頼感が育っていないとその壁を乗り越えていくことは困難です。自己信頼感は他者信頼感と対になっています。他者信頼感は1歳6か月までの間に主として母親との関係性の中で獲得されます。この期間は人間関係でいえば愛着の形成期と言われています。愛着の形成期を無難に経過すると、心の安全基地ができて、注意や意識を外に向けることができるようになります。不幸にして愛着障害を抱え人でも、それ以降の人生である程度は修復することができます。その方法は岡田尊司氏が教えてくれています。3、自尊感情・・・人間には欠点や弱点もあるが、同時に長所や強みもある。欠点や弱点にとらわれるのではなく、長所や強みに注意や意識を向けていくことが自尊感情を高めてくれます。神経質性格は類まれなすばらしい性格ですから、これを大いに活用すれば自己肯定感が育ってきます。自尊感情は自己信頼感に支えられています。4、自己決定感・・・最初は相手の意見や要望を聞くことが大切ですが、次に自分の気持、意志、欲求、考え方を明確に打ち出すことができる能力です。本音や潜在意識を尊重するということです。建前や他人に振り回されていると、ストレスが蓄積されて心身の病気を招きます。5、自己効力感・・・少し困難な課題や目標があるとき、何とかなると思える感情です。これは幼少期からの小さな成功体験の積み重ねがものを言います。日常生活の中で小さな成功体験、感動体験、感謝体験の持つ意味は大きい。この経験がない。もしくは非難否定されて育ってきた人は、自己無能感でいっぱいです。森田を学習している人は、規則正しい生活と凡事徹底の中で日々小さな成功体験と楽しみを味わっている人です。6、自己有用感・・・人間の仕事は分業制になっています。自分の生活費を得るためだけを目標にすると仕事はつらいものになります。仕事は人に喜ばれるように心がけることでやりがいが生まれてきます。仕事は自分以外の人に感動をお届けするという気持ちが大切です。自分の能力の範囲で、他人のために役に立つことを心がけている人は自己肯定感が高い人です。これらは森田理論学習の中で取り上げられています。森田理論学習で自己肯定感を身に着けていきたいものです。
2023.09.28
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最近は過去の記事を読み返して、自分で自分に刺激と感動を受けています。その中で涙が止まらない記事がありましたのでご紹介します。2013年9月18日投稿記事です。ある小学校の女性の先生です。クラスの中で一人服装が不潔で、だらしなく、遅刻を繰り返し、授業中居眠りをする少年がいた。先生はその少年を毛嫌いするようになった。学習記録にその少年の悪いところばかり書くようになった。あるとき、その少年の1年生からの生活記録が目に留まった。この続きは、当日の記事をごらんください。結婚式で亡くなったお母さんの席に座ってくださいと言われたという。これは先生冥利に尽きる言葉ですね。たぶんあなたも感動の涙があふれてくると思います。「新着記事一覧(4672)」をクリックすると別枠が開きます。その中の「月別記事」をクリック。2013年9月18日の「人を先入観で決めつけてはいけない」を選択してください。
2023.09.27
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「料理の達人」「経営の達人」などという言葉があります。この人たちは、料理や経営の分野で卓越した理論を身に着けています。しかし理論を身に着けているだけでは達人とは言いません。料理の達人は、実際に人を感動させるような料理を作ることができます。経営の達人は、瀕死の企業の再生を成し遂げることができます。誰もができないようなことを平然と成し遂げてしまいます。達人と言われる人は、畏敬の念を抱かせるような人です。「森田の達人」と呼べる人が存在するとすれば、森田理論をより深く深耕していると同時に、仕事や生活の中で縦横無尽に応用・活用している人だろうと思います。さらに気づきや発見、アイデア、夢や希望がどんどん膨らんでいて常に前向きです。集談会には、あの人のようになれたら人生は楽しくなるだろうなという気持ちにさせる人がいます。私は真摯に森田道を究めている人を、畏敬の念を込めて「森田の達人」と呼ばしていただきたいと思います。そういう人の特徴をまとめてみました。1、凡事徹底を貫いている。物そのものになりきることができる。2、心身ともに健康で規則正しい生活を続けている。3、不安取り扱い方を心得ている。不安を一つに絞ることがない。いくつもの不安を同時並行的に抱えている。状況に応じて気になる不安が次々に変化している。時と場合に応じた切り替えが上手である。現実的な不安と神経症的な不安の見極めができている。そして2つの対応方法が的確である。4、神経症的不安は欲望の裏返しということがよく分かっている。不安と格闘するのではなく、生の欲望の発揮にエネルギーを投入することが大事だということがよく分かっている。活動的である。工夫や発見、アイデアがどんどん湧きあがっている。そして不安が持っている役割についてもよく分かっている。欲望の暴走を制御するために不安を活用している。5、観念で現実や事実を否定することがない。事実や現状から物事を発想している。事実が主で、観念が従となっている。エネルギーの無駄遣いがない。そのエネルギーを課題や目標に投入している。感じから出発して、理知で調整するという基本がしっかりしている。「かくあるべし」の弊害がよく分かっている。変化への対応力がある。純な心(素直な心)を活用している。両面観、バランス・調和を意識している。人間関係では不即不離を応用している。傾聴、共感、受容、許容力が鍛えられている。包容力がある。6、生きとし生けるものにはすべて存在価値があると考えている。すべての生き物は命ある限り生き尽くすことが大事だということがよく分かっている。己、他人、物、時間、お金もその存在価値を最大限に活かす方法を考えている。適材適所に人や物を配置することを心がけている。森田でいう「物の性を尽くす」ことを心がけている。
2023.09.27
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マイナス感情には、不安、おびえ、怒り、不快、憤慨、憂うつ、嫌気、イライラ、心配、悲しみ、嫉妬、恥辱、惨めさなどがあります。プラス感情には、嬉しい、楽しい、愉快である、ワクワクする、ウキウキする、晴れやか、満足、しあわせなどがあります。誰でもマイナスの感情はできるだけ回避したいと思いがちです。そしてプラスの感情は数多く味わいたいという気持ちがあると思います。マイナスの感情を避けていると、次のような問題が生まれてきます。目先の短絡的な快楽や刺激を追い求めるようになります。絶えず気分が高揚するような快楽や刺激を求めるようになります。一時的にカンフル剤的な高揚感はありますが永続性はありません。高揚感が途切れた時は虚しさが襲ってきます。それとともに感じる力が鈍化して、小さな楽しみや喜びでは満足できなくなります。快楽や刺激を追い求める生活は欲望が暴走しやすくなります。ある一定限度を超えると、自ら制御することはできなくなります。ブレーキの壊れた自動車が坂道を疾走するような状態になります。さらに他人から与えられる快楽や刺激に注意が向くようになります。自分で課題や目標を設定して努力した結果得られるような喜びや達成感は、しんどいばかりでつまらないと考えるようになります。自ら努力することを放棄して、他人から与えられる快楽や刺激をより多く求めるようになります。特に面白いことは何もない、何も興味が湧き起こらない、とにかくやる気が起こらないというのは、他人から与えられる快楽や刺激を追い求めている人の特徴です。そういう人は、神経質性格者であっても感性が鈍化しています。さらに感情の動きが停滞気味です。本来感情は、谷あいを勢いよく流れる小川のような状態が理想ですが、お城の堀の水のように淀んでいます。その結果ますます、無気力、無感動、無関心な気持ちが強くなっていきます。その不快な気持ちを払拭するために、何とか打開策を求めて動き回りますが、どうすることもできなくなります。この悪循環に陥らないためには、仕事や日常生活の中で、小さな課題や目標を設定して丁寧に取り組むことが大切になります。目標としては、規則正しい生活の継続と凡事徹底です。小さな成功体験の中に無上の喜びや感動を味わうことができるような生活習慣を作り上げることがとても重要になります。熊本 五高記念館(森田先生や水谷先生が在籍されていました)
2023.09.26
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プロ野球でデットボールをよくみかけます。その中でも頭部や顔面にあたるデットボールは見ている人も恐怖感を抱きます。当てられたほうも痛いが、実は当てた方も痛いのです。まずは危険球で一発退場となります。それ以上に、精神面で大きなショックを受けます。相手を再起不能に陥れるかもしれないのですからもっともなことです。その後、「ぶっつけてはいけない。今後は頭や顔に当てるのは何としても避けなければいけない」という気持ちになるのです。つまりまっさらな気持ちで真剣勝負ができなくなります。相手打者をいかに抑え込むかという本来の目的が希薄になるのです。注意や意識をそこに集中させていると、吸い寄せられるようにまた同じ失敗をくり返してしまうのです。注意や意識の集中が強まれば強まるほどマイナスの悪循環か止まらなくなります。何も対策を立てないで、そのままにしておいても収まることはありません。むしろ自己内省力が強く働いて、自己否定するようになります。後遺症で苦しまないために、監督によっては、すぐに次の登板をさせることが多いようです。でも最初のうちはどうしても思い切った投球はできません。外角一辺倒で逃げ腰になります。大野豊さんは、2ストライク後に相手打者の頭に当てたことがあった。その後、「2ストライクになるたびに、ああ、またぶっつけちゃいけないと思うようになった」そうだ。そういうときは、キャッチャーに次のようにお願いした。「ノーボール、2ストライクになったら、内角のサインは出さないでくれ。ワンボールになったら、内角にも投げるから」ボールを一球投げて、自分の気持を整理したというのです。一旦ケリをつけて新たな気持ちで投球するようにした。これで過去の呪縛から解き放されたということでした。私は数字でいえば、1、11、111が嫌いです。ある日家族の命日が、1、11が絡んだ日だと気が付いたからです。それ以来、1、11という日は呪いの数字だと思うようになりました。読書のときも111ページに差し掛かると、急にページ数が気になるのです。そのときは早めに111ページを通過するようにします。バイクや車を運転しているときは、車のナンバーが気になります。そういう意識で前方の走行車を見ているせいか、1、11、111、1111をつけている車がとても気になります。そのまま放置していると自分に禍が降りかかってくるような気がして仕方がない。その人たちにとっては栄光のナンバープレートなのでしょうが、私にとっては不幸をもたらすナンバーなのです。この場合は自分なりのおまじないをすることにしています。ここに書くことが気が引けるようなおまじないですが、これをすると、先ほど見た忌まわしいナンバーの悪い予感を払しょくできたという気持ちになれるのです。一旦キリをつければ、禊が済んだ気分になり、いつまでも気にすることはなくなります。後には引かないと心の底から思えるのですから不思議なことです。脳はマイナス感情で覆われても、それをご和算にするようなプラスの情報をインプットしてやれば、簡単にひっくり返ってしまうということではないかと思っています。この話は西田文郎さんから学びました。脳は100回否定しても、101回目で肯定してやれば、その情報のほうを信じてしまう。たとえそれが嘘であっても、それを本当だと信じてしまう。形から入れば、脳は簡単に洗脳されてしまうという特徴があるのです。不思議なことですがそれが脳の真実だといわれているのです。岩国城へ向かうロープウェイ
2023.09.25
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集談会に参加した人に、この学習会は楽しい、役に立つ、またぜひとも参加したいと思ってもらうための提案をしたいと思います。私は10人くらいの人とLINEのおもしろ動画のやり取りをして楽しんでいます。最近は、暑中見舞い、花火、クジャクが羽根を広げたきれいな動画、変わった犬の仕草などがありました。これらを再配信する人の中に、集談会の仲間が5人くらいいます。1ヶ月に1~2回くらい、ご機嫌伺いとして送信しています。ただし迷惑と感じる人もいますので注意は必要です。それから集談会の中にはカラオケが好きな人がいます。そういう人がいればカラオケ同好会を作ることをお勧めいたします。1ヶ月~2ヶ月に1回ぐらいのペースでの開催が長続きします。カラオケはうまく歌えなくても、ボーカルアシスト機能がありますのでそれなりに楽しめます。酒をこよなく愛している人がいます。こういう人は集談会が終わった後は居酒屋で打ち上げをするようにしたら如何でしょうか。とりとめのない話の中に大いに役立つ情報が手に入ることがあります。グルメ情報に詳しい人がいます。自分の贔屓のお店の情報提供をしてあげると喜ばれます。できればたまに仲間を誘っての食事会の開催。その他、観光地や宿に詳しい人もいますね。私は紹介されたところは、なるべく行ってみるようにしています。花や盆栽を育てている人がいます。自家用野菜を作りが趣味の人がいます。そういう人のところに出向いて見学をさせてもらうのは如何でしょうか。その後ノンアルコールで乾杯。できれば惣菜を持ち込んでの食事会の開催。パソコンやスマートフォンの操作にやたら詳しい人がいます。操作方法で困っていることがあれば、相談にのってもらうのは如何でしょうか。自分で調べるよりも簡単にマスターできます。私は先日グーグルドライブの使い方を教えてもらいました。これを利用するとファイルの管理が格段に向上しました。スマホとパソコンの同期ができるので助かっています。一人一芸の特技を持っている人がいます。ちなみに私は、アルトサックス、どじょう掬い、傘踊り、浪曲奇術などができます。宴会の余興でやってみたいという人には時間の取れる範囲で教えています。ちなみにサックスを始めた人を3人知っています。皆さんもお互いに特技や情報を開示して、興味を持っている人に教えたり、教えてもらうようにしたらどうでしょうか。何しろ集談会に参加している人は好奇心が旺盛ですし、凝り性ですのでさまざまな特技を持っている人の宝庫です。それを短時間でも応用森田・生活森田のコーナーを作って紹介し合うと楽しいです。森田理論学習に加えて、有益な情報がどんどん集まり大いに刺激を受けています。これがあるから集談会はやめられないと思っています。
2023.09.24
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東京下町の金型、プレス職人岡野雅行氏のお話です。岡野氏は、単価の安い仕事と技術的に誰にもできない仕事を手掛けることにしている。他の町工場では、誰もができて、単価がそこそこのものをみんなが競って手掛けている。しかしそのやり方では3年経てば、競争原理が働き、商品単価が下がり儲からないスパイラルに落ち込んでしまう。またそういう仕事は発展途上国に奪われてしまう。岡野氏は逆にそういう新興国でさえも単価が安すぎて投げ出したものを大量生産していく。だから競争相手はいない。逆に言うと競争相手がいないものしかやらない。そのためには機械で自動化していく必要がある。そういう金型やプレス機は自分で一から作り上げる。ところが3年から5年すると競争相手が出てくる。そこに自分の居場所はないと判断して、プラントごと売りに出すという。一つのプラントを作り上げて、自己満足して、そこに胡坐をかいて固執していると、会社の存続の危機を招くという。常に時代の変化を読み次々と新しい仕事に切り替えていく気持ちが大切になる。技術的に誰にもできない仕事は、2~3年の開発期間がかかっても、6割方成功の見込みがあるものは引き受けるという。その一つがテルモの依頼を受けて作り上げた超極細の痛くない注射針がある。競争相手がいないので、販売価格はこちらに決定権がある。こういうものが完成すると、金型とプレス機、その後のメンテナンスまでプラントとして販売するという。特に潤滑油はプレス機独自に配合しないとうまく機能しない。開発段階では試行錯誤の連続でもどかしいものがあるが、岡野氏はそれを楽しんでいる。岡野氏の話を聞いて森田理論学習の取り組み方のことを考えた。まずは規則正しい生活と凡事徹底がキーになると思う。これはやろうと思えばだれでも手掛けることができる。しかしこの取り組みを3年、5年、10年、20年、30年と愚直に継続することはとても難しい。水谷先生は私たちは風雲に乗じて成功を遂げるタイプではない。平凡を軽視しないで20年、30年と継続すれば、極めてまれな非凡な人になれるといわれていました。私達には瞬発力はあまりないが、マラソンのようにペースを守って42.195キロを走り抜くことはできるような気がする。次に森田理論は表面的な学習だけでは変化は起きないと思っている。森田も鉱脈や水源と同じである程度掘り進まないと宝物を手にすることはできない。そのためには、・活動的な集談会や全国版オンライン集談会に参加する。・生活の発見誌や気に入った森田関係図書やその他関連図書を読む。・項目別にインデックスを付けたノートに切り抜きや書き出しをする。・学習項目ごとに自分の場合はどうなのかを考えてまとめを行う。・森田理論の中でこれはと思ったことは、積極的に生活の中に取り入れる。
2023.09.23
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私は大学を卒業後、書籍の訪問販売の仕事をしていました。今考えると対人恐怖の私がよくぞこんな職業を選んだものだと思います。この仕事は相手に断られることが多い仕事です。すると自分の自尊心が傷つけられるように感じました。不愉快な気持ちを回避するために、有力な見込み客だけに営業をかけるようになりました。そういう人から断られると、次の仕事に向かう気力がなくなります。私は目の前の仕事ではなく、不快な気持ちになることを避けることばかり考えていたのです。これでは仕事がうまくいくわけがありません。仕事をさぼり、自己嫌悪でいたたたまれなくなるのです。仕事をさぼっていると、営業能力が向上することはありません。同期の人とは差が開くばかりになりました。この仕事で成功した人は、ダメでもともとで多くに人に営業をかけている人でした。10人の人に営業をかけて1人から成約が取れれば十分という考え方でした。9人の人から断られても、それは無駄ではない。断られるという経験は営業ノウハウを高めるために大いに役立っている。自分に与えられたノルマは何が何でも達成するという意欲を持っている。仕事に対する責任感・使命感が強いのです。またライバルの中で一番の成績をあげて評価されたいという気持ちも持っている。この仕事が持っている社会的な意義についてもよく理解している。だから少々の不快な気持ちを悠々と乗り越えていけるのだと思います。次にインテリアの卸会社で営業事務の仕事をしました。得意先から電話やFAXでいただいた注文をパソコンで加工して、工場に送るという仕事でした。これはミスがないのが当たり前という仕事でした。でも悲しいかな人間のやることにミスはつきものです。数多くの仕事をこなしていると必ずミスが発生します。ミスをすると、得意先、エンドユーザー、営業マン、上司、同僚などから非難されます。一つミスをするとそれがトラウマになります。次の仕事でまたミスをしてしまうのではないのかという予期不安で苦しみます。小さなミスはごまかす。隠す。言い訳をする。自分で買い取ってなかったことにする。絶えずミスをして、叱責や非難されることに注意や意識が向いて、生きた心地がしなくなります。積極的に仕事に取り組めなくなります。仕事から逃げるようになります。私は目の前の仕事に全力投球するのではなく、他人に後ろ指を指されないようにすることに神経をすり減らしていたのです。その結果仕事は生活のためにイヤイヤするものだという考え方になりました。人生の三分の一を占めている仕事がこんな調子では生きた心地はしません。また仕事に消極的で成果が出せない人に、対人関係が追い打ちをかけます。今生まれ変わって仕事を始めるとすると、先ず自分でこれをやりたいという仕事を時間をかけて探す。興味や関心のもてる仕事、情熱の持てる仕事は必ず見つかるはずです。高校、大学生活は自分の適職を見つける期間と心得る。一生関われる仕事を見つけた人は、人生の半分は成功したようなものです。アルバイトなどでいろんな仕事を経験してみることも有効です。次に仕事にはミスや失敗や無駄や損失はつきものです。いくら努力しても成果が上がらないこともある。ですから完全主義ではますます自分を窮地に追い込みます。完全主義、完璧主義、かくあるべしの弊害は森田理論学習で理解する必要があります。ミスや失敗をしたらすぐに、俎板の鯉のような気持で、すぐに公開する。隠す、捻じ曲げる、ごまかす、報告を遅らせる、責任転嫁をするのは最悪と心得る。そうすればいつまでも苦しむことはなくなります。事後処理が終われば、リセットできます。また新たな気持ちで仕事に向き合うことができます。それから仕事は人間関係作りの為にだけするものではありません。生活費を稼ぐ。社会の中で自分の居場所を確保する。仕事の中で工夫や改善を重ねて楽しみを見つける。自己実現を図る。頭を使う仕事は脳が活性化します。身体を使う仕事は体力強化にもなります。仲間と切磋琢磨して、一人では無理な大きな目標を実現できます。人の為に役に立つことをする。会社に利益をもたらす。などの目的があります。人間関係を唯一の目的としてしまうと、そこで躓くとすべてがダメになってしまう。以上が仕事選びで失敗した私が反省している点です。
2023.09.22
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学校行事ではおもしろい珍事があるという。学校の運動会では足の速い人は足の速い人同士、遅い人は遅い同士で走らせる。学芸会では入れ代わり立ち代わり主役が何人も登場する。見ている人はどうなっているのか訳が分からなくなる。これは足の遅い人や主役になれない人が卑屈にならないように配慮しているのだという。能力的に無理な人が劣等感で傷つかないように、学校側としては生徒の身になっても、最大限の配慮をしていることです。いじめ対策を狙っているのでしょうか。このような配慮は差別をなくして平等な社会を築く効果があるのだろうか。現実は足の速い人、遅い人がいます。演技の上手な人、下手な人がいます。それ以外にも、勉強の好きな人、嫌いな人がいます。絵画、音楽、書道、運動の好きな人、嫌いな人がいます。料理、釣り、自然散策、ペットの飼育、園芸が好きな人もいます。無関心の人もいます。リーダーシップを発揮することが得意な人、反対に他人との付き合いが苦手な人もいます。神経質性格で心配性の人もいれば、発揚性気質で外向的な人もいます。人間は個性の宝庫だと思います。千差万別です。ある面では突出した能力を持っていても、他の面では人並以下というのが現実です。それを一つの分野に絞って、良い悪い、できるできない、能力があるないとランク分けするのはあまりも無謀です。その人の得意分野を見つけ出して、ほめて励まして伸ばしてあげることが肝心だと思います。私が高校生の頃は、すべての人の点数が一覧表にされて配布されていました。また教科ごとに成績上位者は名前と点数が廊下に張り出されていました。これによって成績のよかった人は益々やる気に火が付きました。その結果どんどん成績が伸びて、難関大学に合格していきました。成績の悪い人はどうなったか。当然勉強には力が入りません。ところが私の高校は高校駅伝の名門校でした。3年間マラソンに打ち込んだ人は、箱根駅伝の常連校から引く手あまたでした。さらに有名大学を卒業してもなかなか入れないような実業団チームにスカウトされていきました。現在の青山学院大学の陸上部監督の原晋氏もその一人です。原晋氏がキャプテンをされていた時は、下馬評は悪かったのですが、原氏の統率力のおかげで準優勝の快挙を成し遂げています。彼は学力はありませんでしたが、マラソンのおかげで大学卒業後中国電力に入りました。足を故障して選手としてはすぐに引退に追い込まれました。その後、営業マンとして再出発し、トップ営業マンとして復活しています。青学陸上部監督の手腕はそのときに身につけたものが多いという。私は人生というものはその分野でこれをやらせたら他の追随を許さないと思うようなものを見つけて磨きをかけるほうがよいと思います。それがどんなニッチの世界でもよい。それを見つけることが大切になります。集談会で大学の4年間は自分の得意分野を見つける活動期間に充てた方がよいという話を聞きました。世の中には12000種くらいの職業があるそうですから、神経質性格を活かした適職は必ず見つかるはずです。得意なことは自信につながりますし、益々やる気が出てきます。すべての面で人並を目指してもほとんど使い物になりません。それよりは自分の好きなこと、得意な分野をさらに伸ばしていく人生に乾杯です。老婆心ながら、それに加えて森田理論学習を続けた人は素晴らしい人生になると思います。大菊の苗
2023.09.21
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「草土記」の中に河原宗次郎氏の話がある。網代に海水浴に行った時のことだ。「波には抵抗することはできない。抵抗すれば溺れる。波に身を任せきった時が一番安楽だ。心の波も、海の波と同じように、人間の力ではどうすることもできないのだ。それをどうにかできると考えたのは、自然の恐ろしさを知らない私の思い上がりなのだ」森田先生にそのことを話すと、「それを自覚と言います。自覚とは自分の心のありのままの姿を知ることです。ふつうの人は、自分の心は自分が一番よく知っていると思っているが、それはとんでもない間違いです。あなたは人間の心の大きな事実について正しい自覚を得ました。今後、憂欝な気分に落ち込むことがあっても、それを切り抜けることができます。それが自覚というものです」と説明されたそうです。実は私も小学生のときの海水浴で溺れて死にかけたことがありました。今でも鮮明に覚えています。まだ泳げないのに、浅いところから深いところに行き足が底に届かなくなった。私は底に足がつくたびに思い切り飛び上がり、わずかに息をしては沈むという動作を繰り返していた。その動作を何回も繰り返していると、偶然近くにいた友人が助けてくれたのである。近くに友達がいなければ、力尽きて死んでいたと思う。今では穏やかな海や川でおぼれるという不安を感じることはありません。海は浮力があるので、立ち泳ぎ、横泳ぎ、犬かきをしていれば溺れることはない。万が一海の中で疲れても、仰向けになって、脱力して波に揺られて浮かぶことができれば、いくらでも息継ぎができます。そして近くの仲間に援助を求めれば大事には至らないことが分かっています。海で1.5キロの遠泳をしたこともあります。海水浴では脱力して海に浮かぶという練習をすることが先決だと思う。浮かぶことができるようになると、海に対する恐怖感がなくなります。一番ダメなのは、浮かぶことができない状態で海に入ることだ。制御力を失って、パニックになり、力いっぱい手足をバタバタと動かすと、すぐに体力を消耗して溺れてしまう。浮かぶというのは自力ではありません。海水の持つ浮力を利用して、自然に身を委ねるという他力の気持が必要になります。神経症も森田理論学習によって、原理原則を理解する。それを日常生活の中で応用・活用することで自然に治っていきます。生活の発見会という自助組織があるわけですから、仲間と励まし合いながら行うことをお勧めしています。
2023.09.20
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森田先生がダンスをされていたというのはあまり知られていない。森田先生はダンスからリズムの研究されていたのです。そもそも我々の注意作用には、緊張と弛緩のリズムがあって、一つのことに対して、いつまでも同じ強さの緊張で、注意を集中することはできない。視覚でも聴覚でも、ある一定の物あるいは音に対して無理に注意を集中していると、はじめはそれに注意が向いているけれども、いつとはなしに注意は散漫かつ、漠然となり、無意識の状態になってしまうのである。そして時間の経過とともに、また新たな緊張が生まれてくるのです。私達の日々の生活、一週間の生活、四季ごとの生活、一年の生活を振り返ってみたとき、緊張と弛緩のリズム運動によって成り立っていることが分かります。絶えず緊張している人は、気が張っていてよいように思いますがこれでは身体が持ちません。最後には疲れ果ててしまいます。緊張状態の後で弛緩状態が訪れることで、疲れが癒されてエネルギーが補給されます。そのおかげでまた緊張状態に戻って活動できるのです。緊張と弛緩は常にセットで機能しているという認識が必要になります。これは海の波を思い浮かべれば分かりやすいと思います。底の波は、いつまでも底にいるわけではありません。自分が意識していないにもかかわらず、自然に上の方に持ち上げられます。上の方に持ち上げられて有頂天になっていると、いつの間にかまた底に沈みこんでしまいます。一定の周期で持ち上げられたり、沈み込んだりしているのが真実です。人間の一生も順風満帆の時もあれば、何をやってもすべてが裏目に出てしまうこともあります。石原加受子氏は人間の人生は6年周期で隆盛と衰退を繰り返していると言われています。戦国武将の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の一生を調査して説明されています。「意識の法則と6年周期のリズム」(長崎出版)という本です。興味のある方はこれを読んで自分の人生を分析されてみるのは如何でしょうか。日々の生活、一週間の生活、四季ごとの生活、一年の生活がリズムで成り立っているのならば、そのリズムに合わせていく生き方を目指すのが理にかなっているように思われます。人生の波が下降途中や底の場合・・・その波に合わせて膝をたたんで、重心を落として、身体をそのリズムに合わせていく。人生の波が上昇局面や天上に入る場合・・・膝を伸ばし、大きく両手を拡げてジャンプする。これとは逆の行動をとる人が多いように思います。人生の波が上昇局面や天上に入る場合・・・人生が順風満帆の時は、安心して危機意識がなくなってしまう。現状に胡坐をかいて課題や目標を見失ってしまう。人生の波が下降途中や底の場合・・・慌てふためいて、再起の道を血眼になって探し始める。これは川下に向かって泳げば天を味方につけてスイスイと泳げるのに、敢えて流れに逆らって川上に向かって泳ぐようなものです。どんな天才スイマーでもいつか力尽きます。リズムをつかんで、リズムに合わせる生き方は理にかなっています。森田でいえば、変化を掴み変化に飛び乗る生き方のことです。広島県三次市 常清の滝(日本滝100選)
2023.09.19
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傾聴とは相手の話に耳を傾けて、相手の感情、気持ち、考え、立場、行動を理解しようとすることです。しかし傾聴できたが、とても共感、受容できないこともあります。例えば、幼児を連れてスーパーに言ったとき、欲しいものを見つけて、願いが叶わないときに、床に身を投げ出して泣き叫ぶことがあります。そういうとき、子どもを叱りつける。懲らしめる。欲しいといったものを買い与える。機嫌を取る。険悪な事態を避けるために、とりあえず丸く収めることを考えるようになります。短絡的な思い付きを手あたりしだい実行して問題を解決をめざす。「今回だからね」と子どもに迎合するのは簡単ですが、後につながらないので後味が悪いものになります。これに対して森田先生曰く。神経質者はどちらかに態度を決めなければ気が済まない。つまり、白か黒かどちらかに態度を決めたがる傾向が強い。宙ぶらりんな精神状態は居心地が極めて悪いのです。せっかちに、対症療法のその場しのぎで対処しようとする。こういう短絡的で思い付きの行動は、どう転んでもよい結果をもたらさない。かえって火に油を注ぐようなことになってしまう。どうしてよいか分からないときは、困ったものだという純な心のままにして態度を保留にすればよい。困ったものだ、恥ずかしい。どうしてやろうかとああも思い、こうも工夫して、子どもを観察したり、他のことをしていると、いつとはなしに、子どもは泣きやんでくる。親が気をもんでいるうちに、子どもは自分一人で折り合いをつけて元の状態に戻ってくる。そんな理想通りに事が運ぶはずはないと思ってもこれが事実です。これとは逆に短絡的、思い付きでその場を何とか収めようとする対応は、相手を益々反抗的な態度にしてしまいます。度重なると親子の人間関係は壊れてしまいます。どうしようかと迷い、不安定な精神状態のままでいることは、落着かなくて不快感で押しつぶされそうになります。ここをぐっと我慢する。子供にとっては不満に付き合ってくれるはずの親がいないことになります。自分で自分の不満不平と向き合わざるを得なくなります。そういう状況になれば、子供は一人で自分なりの解決策を見つけだすようになるのです。これは親がその場しのぎの対応をするよりもはるかによい結果を招きます。
2023.09.18
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藤井英雄氏のお話です。傾聴とは「相手を理解したいと願い、相手の言葉に耳を傾けること」です。受容し共感することは傾聴ではありません。傾聴によって相手を理解できた時に、その結果として相手を受容できたり共感できたりするのです。もしかしたら傾聴し理解した結果、それでも受容・共感できないかもしれません。それがあるがままのあなたの気持であればそれでよいのです。「あなたの気持は理解した。でも受け入れることも共感することもできない」と素直に言ってもよいのです。例えば、自分の子どもが登校拒否を起こしました。普通の親ならなんとか登校させたいと思うでしょう。そのためにアドバイスしたりなだめたり、最後は脅したりと、様々なテクニックを駆使します。「学校に行けば気分が変わるかもよ」「1時間目だけでも、とりあえず行ってみたらどう」「保健室に行くだけでも」「このままじゃずるずる休んで、もっと行けなくなるよ」「高校くらい出とかないで、将来どうするつもりなの」しかし親が登校させようとすればするほど、自分の気持が分かってもらえないことで、子どもの不安は増大します。結論から言えばそんな時こそ傾聴です。傾聴されると、親が理解しようと努力してくれているとわかり、安心します。すると、自分の中からすばらしい解決策が生まれてきます。「そうだ、1時間目だけでもとりあえず行ってみようかな」など。親のアドバイスとして聞いた時には反発心が湧いたことでも、自分の中から出てきたアイデアはとても素晴らしく思えます。それも、親が傾聴することで安心できたからこそです。安心できればさらに悩みを打ち明けてくれるかもしれません。「勉強についていけないんだ」「嫌な奴がいるんだよ」「朝起きられないんだ」それからさらに傾聴が続くのです。(マインドフルネス「人間関係」の教科書 藤井英雄 クローバー出版 153ページ)傾聴の反対は、批判、否定、同情、指示、命令、提案、脅しなどです。これらは、森田でいう「かくあるべし」の押しつけであり、相手に寄り添う態度ではありません。傾聴とは、相手の考え、思い、悩み、苦悩、欲望などをできるだけより深く理解したいという態度で接することです。傾聴のメリットは相手が心を開いてくることです。相手に信頼感や親近感が生まれると、さらに自己開示するようになります。積極的な自己開示によって、自分の葛藤や苦悩の解決策を見つけ出してしまうのです。指示命令されたことでやる気は生まれませんが、自分が見つけた解決策は俄然やる気が出てきます。傾聴によって相手に良い変化をもたらすものであるならば、活用しない手はありません。
2023.09.17
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「生の欲望」 (森田正馬 水谷啓二編 白揚社)という本からの引用です。腹立ち、不平、疑惑などは、われわれの心に折にふれて当然起こる感情であるから、その感情のままにあるのを「自然に服従する」と言い、親のいましめにいやいやながらも従い、職業上やらねばならぬことをいやいやながらも実行するのを「境遇に従順である」というのである。それはたとえば先生の言葉が無理のように思われても、ひょっとしたら先生の言うことが正しいかも知れないと考えるのを科学的には「仮説」といい、先生の言うとおりに実行するのは「実験」に相当し、その後年月を経て先生の言われたのは正しかったと分かるのが「証明」である。このような、従順な態度は仮説―実験―証明という科学的研究の法則にもかなっているのである。すなおな心ほど安楽なものはない。なぜなら、それは間違いのない事実そのものに従うからである。またすなおな心ほど発展をもたらすものはない。なぜなら、事実を基礎にして確実に進歩していくからである。(同書 40ページ)この話は不快な気分に振り回された行動は控える必要があると言われています。行動としては、納得できること、意味のあること、楽しいこと、快感をもたらすもの、やりがいのあることだけを追いかけまわしてはいけない。人生は、納得できないこと、ムダになるかしれないこと、損をしてしまうこと、我慢してやらなければいけないこと、できれば避けて通りたいことはいくらでもあります。そういうイヤなことが次々に押し寄せてくるのが人生です。私たちは不快な感情が湧き上がると、憂うつになりすぐに逃げてしまいやすい。しなければならないことがあってもすべてを放り投げてしまう。さらに指示・命令されたことには積極的にかかわろうとしません。イヤイヤ行動すると、ミスや失敗を招いて悲惨なことになると思い込んでいる。納得できないことを手掛けて失敗すれば、貴重な時間とお金が無駄になる。エネルギーを消耗するだけで何の成果もないのは意味がないと考えます。こう考えている人は、行動する時は事前にやる気を作り出す必要があると考えています。いかにももっともらしい考え方ですが、意志の力でやる気を作り出すことは不可能です。この考え方で仕事をしていると仕事を選り好みするようになります。気分に左右されるので、仕事は雑になります。そして気が向かない仕事は手を抜くようになります。イヤな仕事は後回しになります。仕事をさぼることも多くなるでしょう。お荷物社員になると、降格、転勤、出向、退職勧奨などの対象者になります。社内での人間関係も悪化してきます。この弊害に対して、森田先生は、すなおな心で対応することが肝心であると説明されています。すなおな心とは、目の前の承服できない出来事や感情に対して反抗的な態度をとらないということです。本音の部分が猛反発していても、まずはすなおに従うということになります。イヤで不快な感情を持ったまま、目の前のことにイヤイヤ仕方なしに手を出していく。森田先生から指示・命令されたことに対しても、一旦は信頼して寄り添ってみる。すると時間の経過とともに、イヤで不快な感情はどんどん変化していく。イヤで不快な感情に慣れてくる場合もあるということです。時には問題点や課題を発見することもあります。興味や関心が生まれてくることもあります。そして気づきや発見やアイデアが生まれてくる。次第にやる気に満ちてきます。後から振り返ると、気分に振り回されないでよかったということになります。
2023.09.16
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集談会に初参加の人がいらっしゃる場合の注意点について考えてみました。1、はじめて参加する時は勇気がいるものです。よくおいでくださいました。抵抗はありませんでしたかと聞いてみる。2、この会はどこでお知りになりましたかと聞いてみる。3、どんな心の問題を抱えていらっしゃいますか。差支えのない範囲で教えていただけますか。4、相手が話した内容を繰り返す。5、その内容で間違いないかどうか、相手に確認する。6、相手は自分の心の問題に対して今までどのように対処してきたのか聞いてみる。7、あるいはこれからどのように対応しようとしているのか。8、森田療法に対するイメージはどんなものかあるのか聞いてみる。9、生活の発見会の組織や歴史について伝える。10、集談会の歴史、運営方法、学習内容、先輩会員の様子などを伝える。11、とにかく相手との信頼関係を築くことに専念する。よくありがちなのは、1、初参加者に対してすぐに声掛けをしない。孤立させてしまう。勇気をもって参加したことに対して、ねぎらいの言葉がない。2、相手が抱えている問題を吐き出させるという気持ちが希薄である。3、傾聴、受容、共感、包容の姿勢が欠けている。4、先入観、思い込み、決めつけで相手の心の問題点を理解したつもりになる。5、相手が質問していないにもかかわらず、唐突に森田理論の説明を長々と行う。初参加の人は藁にもすがる気持ちで来ています。あまたある解決策の中から自分に合った精神療法を探しています。初参加の時点では、森田療法にも一縷の望みを持っています。初参加者は、森田理論の内容を知りたいのではなく、森田療法が自分に合うのか、合わないのかを知りたいのです。それを間違えると、いきなり森田の説明に入るようなことが起きるのです。初心者対応を間違えてしまうと、1回の参加で見切りをつけてしまいます。せっかくの学習機会を相手から奪ってしまうことになります。初心者対応をカウンセリング技法などで学習して、対応を間違えないようにすることは先輩会員の務めだと思います。岡山市 後楽園
2023.09.15
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依存症には、アルコール、ギャンブル、ネットゲーム、買い物、過食、性衝動、薬物などがあります。依存症は脳が快楽に乗っ取られたような状態だと思います。正常な脳の機能が破壊されたような状況です。欲望が暴走を始めると、自分では制御不能となります。冷静な時にはいけないことだと頭ではよく分かっているのですがつい手が出てしまう。やらずにはおれない精神状態に追い込まれます。依存症はあなたが悪いのではない。脳の障害だと言っても、その弊害は深刻です。ひどくなると、自分の健康破壊、自己破産、家庭崩壊、人間関係の悪化、懲戒解雇、社会からの永久追放をもらたしています。そこまで至らなくても、依存症予備軍の人は多いように思います。普段から欲望が暴走しないように注意して過ごすことが大切です。森田理論では人間には精神拮抗作用が備わっているといいます。これは欲望の暴走には不安が役立っているということです。車でいえば欲望はアクセル、不安はブレーキのようなものです。アクセルを踏み込めば、車は目的地に向かって動き出します。一旦動き出した後は、ブレーキを活用してスピードを制御しなければなりません。ブレーキが故障すると、双極性障害の躁状態になります。普段から生の欲望の活性化に力を入れつつ、適宜不安を活用してバランスをとる必要があります。例えば、今日の懇親会で好きな酒を心ゆくまで飲みたいと思っても、二日酔いで次の日に頭が痛くて寝込んだことを思い出して自制心が働くようになっています。この問題に対して、私は次のように心掛けています。私はビールを注文する時に、お冷も頼みます。これは酒豪の女性に教えてもらいました。今ではビールを飲むたびに、お冷を飲むことにしております。次に一杯のビールを飲み干すのは、なるべく一番最後になるように心がけております。駆けつけ一杯で誰よりも先に飲み干すというのは、元気があってよさそうに見えますが、二日酔い一直線です。最初は前菜や野菜サラダなど腹が膨れるものを食べるようにしています。腹を落ち着かせると酔いが回るのを抑制できます。つぎに酒の好きな人は、ビールだけでは収まらず、焼酎、ワイン、日本酒、カクテル、ウィスキーなど手あたり次第手を出す人がいます。飲む量も増えます。これが悪酔いする原因だと思っています。欲望を制御する方法が分かったら、即実行することが肝心です。
2023.09.14
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対人恐怖症の人の思考パターンを、私に当てはめて考えてみました。他人から非難される。否定される。馬鹿にされる。無視される。からかわれる。とにかく少しでも自分が傷つくことが嫌なのです。反面人から羨望の目で見られる、評価されることには強い関心がある。相手の言動に神経を集中させています。神経が過敏になっています。対人恐怖症の人は、不愉快なことがあるとすぐ態度に出ます。自分を非難・否定する人から逃げ回っています。石原加受子氏はこれは他人中心の考え方であると言われています。他人中心から自分中心の考え方に変えることで問題が解決すると言われています。他人中心の考え方では注意や意識はどこに向けられるのか。1、相手が自分のことをどう思っているのか。2、相手が自分のことをどう評価しているのか。3、相手が自分のことをどう考えているのか。4、相手が自分に何を期待しているのか。5、相手が自分をどう取り扱おうとしているのか。自分中心の考え方では注意や意識はどこに向けられるのか。1、自分は相手のことをどう思っているのか。2、自分は相手のことをどう評価しているのか。3、自分は相手のことをどう考えているのか。4、自分は相手に何を期待しているのか。この2つの考え方は、相手を見ているのか、自分を見ているのかの違いです。他人中心の人は主に他人の感情、気持ち、意志、欲求などに注意や意識を向けています。反対に、自分の感情、気持ち、意志、欲求などは抑圧しています。本音、無意識、潜在意識を抑えて、建前、有意識、顕在意識を重視しています。自分の気持や感情を軽視していると大変なことになってしまいます。葛藤や苦悩が生まれ、神経症に陥ってしまいます。それは自分の本音、無意識、潜在意識が猛反発してくるからです。森田でいう思想の矛盾に陥っているのです。他者中心の人は、心を他者に奪われているために、相手の言動や、相手によって傷つくことには敏感です。反対に、自分の感情や感覚に気付くのが鈍感になっています。断りたいと思った。けれども、どのように断ったらいいのか分からない。争いになったらどうしよう。関係が悪くなったらどうしよう。他人中心になると、絶えず相手と戦闘モードで対峙している。絶えず勝ち負けを気にするようになります。他者中心の人は、自己主張するのが怖い。自己主張すれば言い争いになってしまう。そして戦いに負けて自分が傷つくことにおびえているのです。自分中心の考え方は、自分が幸せであることは、結果として相手も幸せになる。まず自分を愛することができれば、相手と戦闘モードになることがない。人間関係はむしろ良くなっていくという考え方です。遣唐使船の復元
2023.09.13
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森田先生は気分本位、理知本位の行動ではなく、基本的には事実本位の行動を推奨されています。気分本位というのは、その時に湧きあがった不快、嫌いという感情のままに行動することです。イヤだ、ダメだ、ムリだ、無駄だ、面倒だ、辛そうだ、やる気がしないなどという気持ちが少しでも湧き上がってくると、その感情のままに行動する態度です。気分本位は努力は必要ありませんので、誰でも陥りがちです。その結果その時その場で必要な行動を回避するようになります。仕事をさぼる。ドタキャンする。自分に与えられた責任を果たさない。挨拶しない。葬式に行かない。社会的なしきたり、慣習を無視する。ギャンブルに凝る。深酒をする。依存症に陥る。絶えず相手に不平不満、グチをこぼす。相手を非難、否定する。他人に非難され、自分では暇を持て余すようになる。理知本位というのは、目の前の問題や課題に対して、自分の過去の経験や知識を参考にして、観念的な対策を立てて問題を解決しようとする態度のことです。この態度になると、現実はほとんど見ていない。また見ようともしていない。見る必要はないと考えている。現実は時間の経過とともにどんどん状況が変化しています。事実を軽視しているので変化対応力はありません。現実にマッチしない対策を立てて無理やり実行に移しています。当然ミスや失敗が多くなります。こんなはずではなかったと思った時は後の祭りということになりやすい。他人を巻き込んだ場合は、他人を取り返しのつかない不幸に陥れます。理知本位というのは「かくあるべし」を自分、他人、自然に押し付けることです。その反動は、思想の矛盾(頭で考えたことと現実が乖離して苦悩すること)で苦しむことになります。事実本位とは目の前で実際に起きている事実にきちんと向き合う態度のことです。湧き上がってきたマイナス感情、予期しない自然災害、突然の経済変動、紛争や戦争などをあるがままに認めることです。是非善悪の価値批判をしないで、事実を事実のままに認める態度のことです。隠す、ごまかす、捻じ曲げる、言い訳、責任転嫁をしないで素直に受け入れることです。事実本位になると「かくあるべし」を押し付けないので精神的には楽になります。事実本位はエベレスト登山でいえばベースキャンプを作るようなものです。エベレストの登山に挑戦する時はベースキャンプが非常に重要な役割を果します。ベースキャンプは登山の司令塔的な役割を果しています。酸素の少ない高地に順応する体づくりの基点となります。ベースキャンプをきちんと作り上げられるかどうかで、その後の成否が決まるといっても過言ではありません。事実本位になると事実を否定することはありませんので、エネルギーの無駄使いや消耗を避けることができます。そのエネルギーを活用して課題や目標にチャレンジすることができます。これは、下から上目線で課題や目標を見上げるということです。上から下目線で批判・否定しているわけではありません。この差は時間の経過とともに雲泥の差となってきます。課題や目標が大きければ、必ずしも成功するとは限りませんが、少なくとも森田でいう努力即幸福という体験はできます。事実本位は、森田理論の核心部分の学習になります。岡山城
2023.09.12
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高校のときの現代国語の先生の採点方法は変わっていた。間違った部分に×をつけてある。正解の部分には○はつけない。テストが返却されると、間違いばかりを指摘されているようで悲しかった。今思うと、その先生の人生観は減点主義だったのかもしれない。100点満点のところに視線をおいて、間違っている部分を見つけだして否定する態度が強かったのかもしれない。100点満点が当たり前であって、間違いは許さないという気持ちが強いのかもしれない。ことさら問題点を指摘して、減点していくやり方は自他ともに不幸になるように思う。上から下目線で現実、現状を否定していくので、次第に生きることがむなしくなっていくのだ。自信や自己肯定感が育つことは難しい。森田理論の考え方は加点主義にあるように思う。斉藤光人元理事長が言われるように、どんなに人格者と言われるような人でも、内面には猥雑なもの、醜いもの、汚いもの、好色なもの、意外と稚拙なもの、狡猾なものなどを持っている。(生活の発見誌 1993年6月号 32ページ)そこに焦点を当てて自己嫌悪、自己否定するよりも、自分が持っているもの、強みや得意なものに光をあてて、それを伸ばしていくような生き方をしたいものです。山崎房一さんに「無理して自分に100点満点をつけよう」という詩がある。人間は、だれでも欠点があるその欠点を見て、自分に40点をつけると40点のような気分になって40点の行動をするから40点の人生を送ってしまう自分は40点だ、と思い込んでいるといくら努力しても40点を50点にすることは不可能だ自分に100点満点をつけよう自分は40点だな、と思っていても無理して100点満点をつけていると自然に自分の古い殻が破れて、新しい自分に変わる自分にとって、一番恐ろしいことは、自分が他人の目で、自分の欠点を責め立てて自分の存在を否定すること、自分にとって、一番心強いことは、どんなことがあっても自分が自分の味方になって、自分を守ることです自分にとって自分は、自分の安住の地でなくてはなりません。(きっと自分を好きになる 山崎房一 PHP研究所)弱みや欠点は寛大な気持ちで許容して、強みや長所はどこまでも伸ばしていく。神経質性格にはマイナス面だけではなく、プラス面もあります。プラス面を見つけ出して、それで勝負していくしか、我々神経質者の生きる道はない。岡山県 牛窓
2023.09.11
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森田理論に砕啄同時(そったくどうじ)という言葉があります。砕は卵から雛が生まれるときに、自然に成熟して殻を破って出てくることである。啄というのは、母親がそれを嘴でツツキ破ってやることである。これがもし親鳥が慌てて早く殻を壊せば、雛は早熟で生育することはできない。これに反して成熟した雛が、殻を破ることができなければ、窒息して死ぬことになる。すなわち雛が完全に生育するには、砕と啄が同時でなくてはならない。(森田全集第5巻 40ページ)モンテッソーリ教育では、赤ちゃんには11の敏感期があるという。敏感期というのは子どもが人間として必要な能力を獲得する期間のことです。その時期に十分な環境を整えてやれば、子どもはきちんとその能力を身に着けることができます。その時期を見逃してしまうと、後から習得することがとても難しくなってしまう。ここでは敏感期の一例をご紹介します。・言語・・・-0.6歳~5歳半ぐらい・・・胎内で親の声を聞いています。周囲の言語をイントネーション、アクセントも含め難なく習得できる時期です。・秩序・・・1歳半~2歳半が特に強い・・・順番・場所・やり方・位置などにとてもこだわります。いつも同じことが安心感になります。順序だって考え、行動する力が付く時期。・感覚・・・0歳~3歳半、触角は2歳~3歳半・・・視・聴・触・嗅などの感受性が敏感になる。感覚印象の吸収期を過ぎると、およそ2歳半を境に印象を分類・整理する時期へ移る。豊かな感性や感受性を身につける時期です。・数・・・4歳~6歳・・・量や手順などに興味を持ちます。置く場所、順序、多い、少ないなど、日常生活の中の数的な要素に敏感になる時期。・挨拶や礼儀・・・3歳半~6歳・・・「おはよう」「こんにちは」「ただいま」「おかえり」が大好きになる。朝晩の挨拶をはじめ、季節や年中行事の挨拶、外国語の挨拶にも興味をもちます。人間関係の基礎的能力を身につける時期です。親になる人は敏感期の内容と時期を学習することが大事になります。そして子どもをよく観察して、環境づくりを心がける。これだけで子どもの能力は飛躍的に伸びることになります。神経症で格闘している人も多いのですが、子どものしつけや教育は待ったなしです。森田の学習と同時進行で取り組む必要があります。詳しく知りたい人は、「モンテッソーリの子育て」クレヨンハウスをごらんください。
2023.09.10
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生活の発見会元事務局長の寺田和子氏のお話です。去る4月8日のメンタルヘルス岡本記念財団主催の東京講演会のことです。終了後の会食の席で、Sさんはしみじみと語られました。『人を評価する、ほめることは大切なこっちゃ。自分が昔「治るとはどういうことか」を書いたときに、あんな文章でええのかと不安でいっぱいやった。それを編集後記で寺田さんが「会心のホームラン」と言ってくれた。どんなにうれしく、励みになったことか。以来、毎月の発見誌の中で、一番心に残った記事を書いた方に、苦労をたたえ(慣れないものが原稿を書くのはえらいこっちゃから)、激励のハガキを出している。それが、先輩としての自分のつとめと思う』生活の発見誌にはモニター制度というものがあって、自分が投稿した原稿に対してモニターからの感想文が送られてきます。感想文には、感謝、感動、激励の言葉が並んでいます。それが多いときは20名近くの人からコメントがいただけるのです。そんな感想文が送られてくるとは夢にも思っていなかったときは感激しました。少なからず影響力があったことに驚くばかりでした。自分にも自信がでてきて、生きる励みになりました。このブログでも会うたびに評価してくださる方が何人もいらっしゃるんですね。毎回「いいね」マークをつけてくださる方にはとても感謝しています。これがモチベーションの維持に役立っています。さらに私のブログを自分のブログの「お気に入り」に入れて下さっている方が17名もいらっしゃいます。ありがたいことです。さらに自分のエッセイを定期的に送ってくださる人もいらっしゃいます。おもしろ動画を配信してくださる人もいます。ご機嫌伺いや相談メールや電話相談の連絡も時々あります。また私の森田の学習テキストもすでに150部以上メール配信しました。森田理論学習全体像の考え方が役に立つことを願って送り出しています。森田理論の学習方法についての要望に応えて、「森田理論学習のすすめ方」というホームページも立ち上げることができました。これも詳しい人のご協力のたまものです。思えば、このブログは、多くの人たちに支えられて、10年以上も毎日続いてきたのです。評価してくださる方は私の宝物だと思っています。いま振り返ってみると、後悔の多い人生でしたが、ムダにはなりませんでした。全て貴重な経験として宝物に変わりました。以前集談会で聞いた、鉛を金に変える錬金術を身につけることができたのです。森田が深まり、森田を通じた交流の輪が広がり、結局は自分自身が一番得をしていました。「我が人生に悔いはなし」この言葉は、広島カープの元投手大野豊氏の引退の言葉ですが、私も同じ気持ちです。さて、集談会は相手を評価して称え合い、お互いを乗せ合う場にしていきたいと思います。集談会は神経症で悩んだ人同士のアットホームな人間関係が一番の強みです。こういう集まりは世間一般では味わうことはほぼ不可能です。そのために心掛けることは、1、相手の話をよく聴く。ポイントをメモする。2、発言する機会があれば、評価できる点を説明する。3、休み時間に「すごいですね。頑張っていますね」とひと言かける。4、次の集談会で「前回の話とてもよかったですよ」と伝える。「その後どうですか」と聞いてみる。これらは意識して心掛けないと定着しません。集談会がこうなると、開催日を指折り数えるようになります。
2023.09.09
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自分中心の生き方は、他者よりも、まず自分の気持や感情を大事にします。こんなふうに書くと、わがままで身勝手という「自己中心的」なイメージを持つ人もいるでしょう。けれども実はその反対で、他者のことを思いやれない人、自分の主張を一方的に通そうとする人、そして争ってでも自分の我を通そうとする人たちこそ、自分を大事にできない「他者中心」の生き方をしてきた人です。(母と娘のしんどい関係を見直す本 石原加受子 学研 38ページ)石原さんは、自分の気持ち、感情、欲望、欲求、意志、行動、希望、夢、生き方を何よりも大事にすることを勧められています。これが自分中心の生き方になります。自分中心の生き方は、潜在意識、本音、素直な気持ちを大切にする生き方になります。抑圧しないで優しく寄り添う、きちんと向き合う生き方になります。森田理論でいう事実本位の生き方のことです。事実にしっかりと足場を築いて、自分にとって住みやすい家を建てることが大切になります。自分中心の生き方の反対は、他人中心の生き方になります。他人中心の生き方は、顕在意識、建前、常識に振り回されています。観念優先、「かくあるべし」、早合点、先入観、決めつけ、思い込みと親和性があります。理想や観念は現実と衝突することが多くなります。現実を理想や観念に合わせようとしています。現実を基本にして、理想や観念や常識を補助的に活用することが肝心です。人間の葛藤や苦悩はその順序が逆になってしまうことから発生しています。相手の言葉をすぐに否定してしまう人は、相手の言葉を受け入れることは自分が負けることだと思っています。「でも」「しかし」「そうはおっしゃいますが・・・」などの否定語が口癖の人は、他人中心の生き方をしている人です。そこから出てくるのは、怒り、憎しみ、恨みなどです。そんな人が良好な人間関係を期待しても当てが外れます。
2023.09.08
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100均で竹ひごを買ってきて、山口県柳井市名物の金魚ちょうちんを作ってみました。本来はこの倍くらいあります。検索すると作り方の説明があります。改良点が多いのですが、初作品を投稿してみます。難しいのは真っすぐな竹ひごを丸く曲げることです。熱湯の中にしばらく浸けて癖をつけていくのです。それを何回も繰り返すとまっすぐな竹ひごが輪っかになるのですから不思議です。それから紙を張り付けていくのですが、張る面は全てカーブしています。ふくらみを持たせて、左右均等に貼るのが難しい。型紙があるようですが、私は手ずくりで工夫して貼りました。自己流は今一つです。今後の課題です。張る技術を習得するために日夜奮闘しています。これを5個くらい一斉に天井からぶら下げて、森田のバランス感覚の意識づけに使いたいと思っております。
2023.09.07
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森田先生は集中するということについて次のように説明されています。人間の自然な心は、常に目的物に向かってのみ注意が集中するのが普通である。薪を割ろうとすれば、薪の中心に向かって注意が集中してくるのである。ところが神経症の患者は、打とうとする斧に添えた手の動かし方や、自分の姿勢のことばかりに注意が向いて、さらにそんな姿を人はどう思うだろうかというふうに発展して、益々注意の向けどころが間違ってくるのである。これはたとえば戸締りが気になる人、ガスの元栓が気になるという人は、確認行為をしている時はそのことに注意を集中しなければならないということだと思う。色々と雑念のようなものが湧き上がってくるが、「今、ここに」注意や意識を集中しなければならない。他のことを考えながら上の空で確認行為をしてしまうと、時間が経つときちんと確認をしたのかがとても不安になります。念のために家に引き返して再確認ということにもなりかねません。確認行為に意識を集中して、2度か3度繰り返せば、意識的行動になりますので、確認行為は「大丈夫だ」という安心行動につながります。これは現実的な不安を感じたときは、一旦は好むと好まざるにかかわらず、価値判断しないでその不安にきちんと向き合うことが肝心だということです。不安を感じたときに、きちんと向き合うことを軽視していると、その不安は膨れ上がってしまいます。つまり神経症の原因になるのです。森田先生はそれとは別に、集中することは「無所住心」ことだと言われています。井上常七氏に、「僕は今君の診察をしているんだけれど、(庭で作業をしている患者が見えるんですね)あの作業は間違っていないか、どうしているかなと見たり、それも気になる。外来の患者が気になったり、いろいろ気にしながら、君のことを見ているんだ。少なくとも3つ4つのことに心が流れているんだ」昆虫の触角のように四方八方にアンテナを張って、その時々の気になることに一旦注意を向けている状態が集中していることだと言われているのです。何事も一旦は気になりながらも、確認が終わればすぐに次の気になることに関心が移っていく。神経を一つのことだけに集中させている状態は、集中している姿ではない。これでは周囲の変化に迅速に対応することができなくなってしまう。流れゆく目の前の変化に、次々に注意や関心が流転している状態が集中しているということである。この2つはまるで反対の考え方のように見えますが、不安の取り扱い方としては、2つとも大切なポイントだと思います。まず不安が立ち上がってきたら、その不安にきちんと向き合うことが肝心です。神経質者の場合は不安からすぐに逃げてしまうことが多い。不安を悪者と決めつけてすぐに取り除いてしまおうとする人もいます。次に不安に注意を向けて、たいした問題でなかったら、その不安からすぐに離れることが必要になります。人間は誰でも、生活の中で大小さまざまな心配事や不安が湧き上がります。きちんと生活している人は、いつまでも一つの不安と関わる余裕はないはずです。ここで肝心なことは、次の心配事や不安に注意や意識を振り向けていくことです。そして処理できることはすぐに処理をする。処理できないことは性急に処理しないで、後日の懸案事項として残す。とりあえず目の前に現れた心配事や不安の方に集中して対応していく。不安に集中する考え方は、2023年8月25日と7月27日にも分かりやすく説明しておりますので、興味のある方はご参照ください。京都 醍醐寺五重塔
2023.09.07
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今日は、1、自分が自分に「かくあるべし」を押し付けている場合の弊害を取り上げてみました。自分をよく観察してみると、二人の自分が住みついていることが分かります。一人は思い通りにならない現実のなかで何とか生きている自分です。もう一人の自分は、その自分を雲の上のようなところから批判している自分です。二人の自分が敵と味方に分かれて内戦を繰り返しているのです。本来は二人の自分が一枚岩になって、目の前の課題や問題に対処しなければならないのに、エネルギーの大半を内戦に投入しているのです。注意や意識は内向きになります。注意や意識の外向化は起きにくくなります。周りの人はそんな自分を見て、あきれ果てているのですが、自分ではそのことに気づいていません。本来は雲の上にいる自分が、現実の自分に寄り添ってくれるようになればよいのです。どんな状況になっても味方になって、自分を最後まで守り抜くことが大切です。森田では観念主導で事実を取り扱う態度が問題であるという考えです。これを逆転して、まず事実に絶対服従する。そして次に理知で調整して行く。この順序をきちんとわきまえることが肝心です。どんなに受け入れがたい現実や事実であっても、先ずは素直な気持ちで向き合う。是非善悪の価値批判はしないことです。最終的にはあるがままに受け入れていく。この理屈が理解できれば、後は実践に移ることです。事実本位に移行する方法はいろいろとあります。手始めに森田理論の「純な心」から入るのはどうでしょうか。「純な心」は、物に接して最初に浮かんだ素直な感情、直観、初一念を思い出して行動するということです。「純な心」の特徴は、すぐに忘却の彼方に飛び去って行くということです。絶えず意識しないと捕まえることは非常に困難です。そして「かくあるべし」を含んだ第2の感情、初二念、初三念が次々に沸き起こってくるようになっているのです。これは前頭前野が大きく発達した人間の宿命です。せっかく森田理論で「純な心」を理解したのですから、これを生活の中で活用していきませんか。これを身につけると、二人の自分が一人に統一されてきます。内戦が収まり、エネルギーを生産的、建設的、奉仕的に使うことができるようになります。
2023.09.06
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昨日の続きです。今日は、2、自分が他人に「かくあるべし」を押し付ける場合を取り上げてみました。相手の存在、言動、感情、気持ち、意志、欲望、考え方を非難、否定する場合です。相手を自分の意のままにコントロールしようとする態度に出ることです。「かくあるべし」を他人に押し付けていると、そのときはストレスを吐き出したので少しだけすっきりします。しかしその結果は恐ろしいものがあります。当然相手は反発してきます。言い争いになります。喧嘩になります。相手との力関係に差がある場合、あからさまな反発がない場合もありますが、その怨念は潜在意識の部分にしっかりと刻まれます。しかもそれは多くの賛同者に拡散してしまいますので、自分が孤立することになります。社会から排除されると生きづらくなってしまいます。強迫神経症の人は一匹狼的なところがありますので注意が必要です。それを避けるために、自分の感情、気持ち、意志、意向、欲望などはできるだけ抑圧する傾向があります。自分の本音、素直な気持ちを軽視、無視するようになるのです。それが習慣になって気が付かなくなります。そして生きることが辛くなってくるのです。自分を粗末に扱っていると、大きなストレスで苦しむことになります。この悪循環にはまらないようにしたいものです。どうすればよいのでしょうか。自分の感情、気持ち、意志、意向、要望を相手に伝えたいとき、勢いにまかせて伝えることは考えものです。その前に相手の気持ちや考えを十分に確認する必要があります。相手の気持ちに耳を傾けることを最優先する必要があります。この気持ちが欠けていると、相手は身構えてしまい、戦闘態勢に入ってしまいます。これではまとまる話もまとまらなくなります。その次に満を持して自分の気持ちや要望を述べる。そして二人の間に横たわっている溝を二人で確認し合う。明確にすることです。溝を見つけることができれば、その溝を埋めるために話し合いをする。交渉の過程で譲るところがあれば譲る。妥協できるギリギリの交渉を続ける。この順序を間違わなければ、自分の「かくあるべし」を一方的に相手に押し付けることを回避できます。
2023.09.05
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森田理論を学習していると「かくあるべし」を押し付ける態度を問題視しています。「かくあるべし」というのは、頭で考えた観念の世界を最優先する態度のことです。その時事実や現実の世界は置き去りにされています。観念で事実をコントロールしようとすると様々な問題が発生します。「かくあるべし」は3つのパターンがあるように思います。1、自分が自分に「かくあるべし」を押し付けている場合。2、自分が他人に「かくあるべし」を押し付けている場合。3、他人が自分に「かくあるべし」を押し付けている場合。今日は3番目の「かくあるべし」の弊害を取り上げてみました。相手が自分の感情、気持ち、意志、意向、欲望を一方的に、自分に押し付けてくる場合です。それに対して、自分の立場を明確にしないと、相手の都合のいいようにコントロールされてしまいます。建前では相手を受け入れている形になりますが、本音の部分、潜在意識の部分では反発しています。そのままにしているとストレスが蓄積されてきます。そうならないためには、自分の感情、気持ち、意志、意向、欲望を明確にすることが大事になります。自分の本音はどうなのか。潜在意識ではどう感じているのか。これを石原加受子氏は「自分中心の生き方」と言われています。自分の感情、気持ち、意志、意向、欲望を軽視あるいは無視することは「他人中心の生き方」になるといわれています。次に相手に対して、自分の気持や意思をきちんと伝えることが肝心です。他人に嫌わることが恐ろしいと感じている人は、とても難しいことかもしれません。対人恐怖症、社交不安障害を抱えている人はしり込みしてしまうかもしれません。ここでは相手と勝ち負けをかけて勝つか負けるのかという喧嘩をするのではありません。自分の感情や気持ちを大切に取り扱い自分を癒していくのです。相手と自分の溝を少しでも埋めるための話し合いをするのです。交渉ですから、譲ったり譲られたりということが起きます。相手とけんか腰にならないためには、「あなたメッセージ」ではなく「私メッセージ」の手法が役に立ちます。
2023.09.04
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あの人はいつも仕事をサボっているから許せない。そんな人は生きる価値がないと決めつけてしまう。やる気がなく怠惰な生活を続けている人をみるとつい見下してしまう。そういう人と付き合っていると自分の生気を吸い取られてしまう。絶対に近寄ってはいけないと思ってしまう。姿かたちは人間ですが、中身は動物と一緒とみなしているわけです。さらに自分がそれに当てはまると、自分で自分を責めてしまう。無気力、消極的、回避的、気分本位の自分に愛想をつかしてしまう。他人からだけではなく、自分自身で現実の自分を否定しているのですから、生きることの意義を見失い、人生は苦行のようなものになります。多くの人が無気力、消極的、回避的、気分本位の人間はクズだと思い込んでいます。そういう「かくあるべし」という思い込み、先入観が骨の髄まで染み込んでいます。この考え方ははたして間違いないことなのでしょうか。私はこれは認識の間違いだと思います。そういう人を見て、非難・否定している人は、結局最後は、自分で自分の首を締めているように思えるのです。自滅の坂道を真っ逆さまに下っているように見えます。考えてみれば、梃子でも動かないという人でも、火事になればすぐに逃げだします。地震で津波が発生すれば高台に避難します。足が悪くても何とか逃げる方法を考えます。誰でも生命の危険を察知すると、すぐに意欲的に行動します。さらに課題や目標が明確になると、途端に誰でもやる気に火が付きます。好きなことや興味や関心があることには、自然に手足が動くようになります。過去に楽しかったこと、喜びの経験を持っている人は、再び同じような喜びや感動を味わいたくなります。催促しなくても自然に意欲的になります。過去の成功体験がよみがえると、危険で困難に見えても、敢えて再び立ち上がり、挑戦の道を歩むことになります。ドーパミンやβエンドルフィンがでてきて、恍惚感、快感を味わった経験は、また何度も同じ行動を呼び寄せます。止めようとしても止まらなくなるほど意欲的になります。子どもが生まれると、オキシトシンがでてきて、献身的に子育てに専念するようになります。他人から感謝されるような経験を持っている人は、またそれ以上の感動を味わってもらうように努力精進するようになります。これはセロトニンという精神伝達物質が絡んでいるようです。これらの精神伝達物質は人間の意欲を無条件に搔き立てています。精神伝達物質の活性化は、意欲的な人間を作り上げるために大きな影響力を持っています。ここで言いたいことは、人間はその時の自分の置かれた状況によって、時に意欲的、積極的、挑戦的になったり、時に無気力、消極的、回避的になったりするということです。ですから一生を通じて、無気力、消極的、回避的な人間は一人もいないということです。そういう人でも、条件が整えば、俄然やる気が高まり、積極的に行動するようになる。人間の一生を見ると好不調の波があります。高い波と低い波が交互に繰り返されている。それが循環しているのが真実です。別の言葉でいえば、強弱のリズム運動を繰り返しているのです。そうように考えると、今現在、無気力、消極的、回避的な人がいとおしく見えてきませんか。そういうときは全面否定するのではなく、いたわりの心を持って見守ることが肝心です。その人は今大波の底にいて苦しんでいるのです。そういう人を見て石を投げつけるようなことをするのは愚かなことです。上から下目線でその人を非難・否定していると、人間関係は悪化するばかりです。その人の人間性のすべてを否定しても、双方の利益になることは何もありません。そんなことを繰り返していると、自分が不調のどん底に落ちたとき誰も味方にはなってくれません。無理をして粋がっていた人が、落ちぶれたときは目も当てられないことになります。人間誰でも好不調の波があります。積極的で行動的な時と消極的で無気力な時が交互に訪れてくるのです。そういう事実をきちんと押さえるだけで、自信がよみがえってくるように思われますが如何でしょうか。
2023.09.03
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稔るほど頭を垂れる稲穂かな今日の田舎の稲です。いよいよ稲刈りが始まりました。作柄良好です。5月中旬に植えて、9月2日に収穫ですからほんとに早いものです。私は近所の人との交流の後、夏野菜の収穫をしました。トマト、ナス、ピーマン、シシトウ、ゴウヤなどです。すごい収穫量です。そして、今日は九条ネギ、ダイコン、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリーの植え付けをしました。ハクサイとキャベツとブロッコリーは虫よけも取り付けました。今日も小さな喜びや感動を数多く味わうことができました。帰宅してからシャワーを浴びて、ミニトマトと刺身をつまみにして、生ビールとハイボールがうまかった。ちなみに刺身は5時過ぎにスーパーに行くと3割引きなんです。私は若いころは神経症で生きた心地はしませんでしたが、森田理論に出会い、それを応用するようになって、生活ぶりが一変しました。感謝しかありません。このブログでどんどん紹介していきます。
2023.09.02
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森田では課題や目標を持って積極的に挑戦していくことが大切だといわれます。でも課題や目標が大きいと簡単に達成することはできません。そのため途中で挫折してしまうことも起こりえます。ある人が昔やっていたパチンコの話をしてくれました。昔のパチンコ台に羽根ものというのがありました。これは天のポケットに玉が入ると、真ん中にある羽根ものがパカット羽根を広げます。その羽根ものが開いているときに玉が入ると、チャンス拡大になります。その玉が下の方にある3つのポケットに移動します。その時、真ん中のポケットに入ると大当たりになります。その両脇のポケットに入るとはずれになります。大当たりになると羽根ものが何回も続けて開きます。打ち続けていれば大量の玉が出てきます。天のポケットに入る確率は300回の内1個ぐらいだろうといわれていました。確率が悪いのです。時には500回挑戦しても天のポケットに入らないことがある。次に羽根ものが開いている時に羽根に入る確率は20回に1回くらいはある。そして下の方に移動して3つのポケットの中央に入る確率は3回に一回ということになります。大当たりになる確率は、これらの3つの関門をなんとか通過しないとやってこないということになります。一難去ってまた一難という感じです。その間ハラハラドキドキします。そんなに成功する確率が悪いのならやらないという手もあります。でも世の中には成功することがあるのならば、挑戦してみる価値があると考える人もいるわけです。その代表はエジソンです。電球を照らす最適なフィラメントの材料を探すのに5000回も失敗をくり返しています。エジソンはその失敗を失敗とは思わないで、フィラメントに適さない材料がまた一つ発見できたと喜んだそうです。こういう人にしか幸運は舞い降りてきません。私達は成功間違いなしと思えない限り、挑戦しない傾向があるのではないでしょうか。これでは他人が成功するのを指を咥えてみているだけということになります。また途中で失敗してしまうと、意欲がすぐに萎えてしまうこともあります。そして失意の人生に甘んじてしまう。プロ野球の選手は3割打者は一流と言われます。7割は失敗です。そんなに成功確率が少ないのならば、やるだけ無駄というのでは仕事になりません。成功することを夢見て、努力する人は見込みがあります。成功までには少なくとも3つの乗り越えるべき関門が待っている。その関門を何とか乗り越えた先に目標達成という喜びが待っている。関門がないというのは、目標に到達しても喜びは少ないものになります。あらかじめ関門が待ち構えていると予想すればそれなりに覚悟が生まれます。気分本位になって、すぐに逃げ出すことは少なくなります。覚悟ができると、その壁を乗り越えるための方法をいろいろと考えるようになります。多くのミスや失敗の経験を、成功するために必ず待ち構えている通過点と考えられるようになります。決して失敗を上から下目線で自分を否定する材料にはしない。マイナスではなくプラスに捉えられるようになる。失敗の経験は自分という人間の器を一回り大きくすると考えられるようになる。このように失敗の経験を積み重ねることを歓迎できる人間が、最終的には人生の目標を達成して、実りある人生を送ることができます。
2023.09.02
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一般的にストレスを引き起こすストレッサーには次のようなものがあります。1、物理的ストレッサー・・・暑さ、寒さ、気候の変化、ゲリラ豪雨、雷、地震など2、環境的ストレッサー・・・大気汚染、黄砂、スギ花粉、タバコの煙、騒音など3、肉体的ストレッサー・・・無理な運動、過酷な仕事、病気やケガ、ウィルスや細菌感染など4、人間関係ストレッサー・・他人や仕事での人間関係、家族や友人とのトラブル5、精神的ストレッサー・・・家族の病気や死、失恋、失敗、挫折、仕事に対する負担、健康・将来への不安など6、社会的ストレッサー・・・リストラ、借金などの経済不安、介護、オレオレ詐欺、あおり運転などストレスが発生すると、その一点に注意や意識が集中してきます。取り除くことができるものであれば、できるだけ早く取り除いた方がよいと思います。自分一人で解決困難な場合は、専門家に依頼する。でも容易に取り除くことができないストレスが多いのが現実です。同じストレスが長期間続くと心身にダメージを与えます。小さなストレスを甘く見ていると、大きなストレスを抱えてしまうことになります。ストレスは可能な限り小さいうちに、対応することが大切になります。ストレスに過度にかかわりあうのも問題です。慢性疼痛を抱えている人は、痛いところに、注意や意識を集中させることによって、実際の症状や痛み以上に強く感じてしまう面があります。日常生活に丁寧に取り組む人は、その痛みは実態以上に強くはなりません。また小さなストレスを根こそぎなくしてしまおうと考えるのは問題です。例えば赤ちゃんや寝たきり老人のおむつなどは、吸収性のよいものが販売されています。とても便利なものですが、反面イヤなものをイヤと感じる感性は鈍感になっていくそうです。赤ちゃんの豊かな感性の発達を妨げ、お母さんとのふれあいが希薄になってしまうのは問題ではないでしょうか。老人の介護ベッドはリクライニング式でとても便利になっています。余りにも便利になると歩くことを忘れてしまうのではないでしょうか。歩かなくなると足の筋肉は急速に失われます。そのまま放置しているとすぐに歩けなくなります。寝たきりになるのです。寝たきりになると、認知症になる可能性が高くなります。街中でお年寄りが電動の車椅子を巧みに運転している光景を見かけます。全く歩けない人は仕方ありませんが、歩ける人は杖をついてでも歩いたほうがよい。何しろ足は第二の脳と言われているのですから。食事を作るのがストレスだといって、全く作らない人もいます。食材配達、出前、宅配弁当、ファーストフード、外食に頼っている人もいます。ストレスを回避できたと喜んでいると、茹でガエル現象に陥るかもしれません。カエルがぬるま湯の鍋に飛び込んで、温泉気分を味わっているうちに、次第にお湯が温まり、最後には命を落としてしまうという話です。ある程度のストレスと上手に付き合いながら生活することが大事になります。生きていればある程度のストレスがあるのは当然と考えて、仕事や日常生活に精を出していくことが大切です。このことを、森田先生は「不安常住」と言われています。諸行無常は、人生の事実である。この無常・不安定を常住とするとき、はじめてそこに安心立命の境地がある。適度なストレスは、私の無二の親友であるといった心境でしょうか。大阪箕面の滝
2023.09.01
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