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梅酒の仕込みが完了しました。自家製の梅なので多少不ぞろいです。大きいのはブランデー漬けにしました。今度はラッキョウ漬けです。2月26日に仕込んだ味噌はよい味に熟成しました。楽しみで一杯の毎日です。友人の中には燻製、ピザ作り、そば作りに挑戦している人もいます。類は友を呼ぶではないですが、加工食品仲間との付き合いも楽しいものです。
2023.05.31
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生活の発見誌4月号から高良武久先生のお話です。学校の先生がここに入院していたけれど、その人は学校で時計がなくなったときに、自分が疑われたような気がして、非常にいやな思いをして、それから時計を自分で持つことも苦痛になったというんだね。時計っていうと、すぐにそれを連想するから。我々はそういうとき、疑われちゃ困るという気持ちが起こるけれどね、どこに重点を置くかというと、「自分は時計を盗んでいない」という事実に重点を置くわけだね。他人がどう思うかってことは、これは二の次なんだよね。そういうふうに嫌疑をかけられることを恐怖するのを、嫌疑恐怖というんだけれど、そういう人は、他人がどういうふうに思うかってことに重点を置くんだな。自分が実際そういう悪いことはしなかった、ということに重点を置かないでね。実質に重点を置くか、あるいは仮の自分、見せかけの自分に重点を置くかで、大変違うんだね。それを極端に言えば、自分は貧乏であっても困らないけれど、人から貧乏だと思われるのがいやだ。自分は気が変であってもかまわないけれど、人から気が変だと思われるのはいやだ。極端に言えば、そうなんですね。自分の実質を良くすれば、次第に人も自分の実質を認めてくれて、大体正当な評価をしてくれるようになるんだけどね。他人の思惑というものを、ある程度気にしなければ、人間はエチケットも守れないね。人が自分をどう思うかということを、ある程度気にするということが必要なことなんだけれども、人の思惑ばかりを非常に重大視するようになると、これはマイナスになるね。我々が服装を整えたりするってこともね、自分として気持ちがいいということの他に、他人から見ていやに思われないようにしたいという気持ちがあるわけです。だから他人の思惑というものは、対人関係においていつも、我々が意識しなくてもあるんだな。だけど、そればかりを意識してもしなくてもあるんだな。だけど、そればかりを意識しだしてくるとね、自分が非常に束縛される。こうやったら人がどう思うだろうか、こういうふうなことを言ったら人が自分に対してどう思うだろうか、どう反応するだろうか、ということをいつも問題にするから、ぎこちなくなるね。自分の起居動作、言葉というものをいつも意識しなくちゃならないからね。つまり、人からどう見られるかという「見せかけの自分」というものに非常に重点を置いている生活態度だね。対人恐怖症の人は人の思惑がとても気になります。「見せかけの自分」ではなく、「実質の自分」に重点をおいて生活するためにはどんなことを心かけていけばよいのでしょうか。長くなりますので明日の投稿課題といたします。出雲大社
2023.05.31
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高良武久先生のお話です。昔、僕が若いころ、森田先生が1週間ぐらい温泉に行かれた。で、帰られたときに、僕が「1週間も温泉に行っていたら退屈するでしょうね」と言ったら、「僕は退屈するなんてことは全然ない」と言われるんだね。何かやるんだな、やっぱり。そのへんを歩きまわったり、いろいろなものを観察したり、書きものをしたり、活動的な人っていうのは、何か外界のものごとに関心を持つことが多いから、退屈する暇がないというんだね。自分の状態ばっかり観察している人間は、非常に空虚になりますよ。外界のものごとに触れて、そして、それに手をかけていくという生活態度になれば、非常にはつらつとしてくるんだね。私たちの精神というものは、ものごとに接触して、はじめてはつらつとしてくるんだから、一人じっとして、ただ自分の反省ばかりしていると空虚になりますね。いつも外界のものに心を向けて、そしてそれに関心をもって働きかけていくというような生活態度になれば、内向的な神経質的なとらわれから、自然に解放されていくんだね。(生活の発見誌 2023年4月号 7ページ)外界のものに心を向けるために、規則正しい生活習慣を作り上げることが大切だと思います。毎日のルーティンを確立することです。同じ時間に同じことをするという習慣をつくる。気が向いたときに気が向いたことをするというのは、あまりお勧めできません。私は30分おきに次々と取り組むことを変えていくのがよいと聞きました。これは「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」の応用です。まず朝起きる時間を同じにする。そして就寝の時間も一定にする。これは休みの日も一緒にすることです。それから毎日の生活の軸になるものを作る。多くの人は仕事になるでしょう。あるいは家事の人もいるでしょう。子育ての人もいるでしょう。またボランティア、趣味の活動という人もいるかもしれません。毎日のコアになる活動が決まらないと、精神的には不安定になります。その間にもやるべきルーティンワークは様々あります。それを同じ時間に組み込んで自分の生活スタイルを作るのです。そういう習慣が出来上がると、自然に体が動いていくようになります。これはリズム運動と同じということになります。前頭前野を休ませて、手足を動かすことが多くなれば、心身とも健康体になれます。これをせわしないとみるのか、心を外向きにするコツの一つと思うのかは大きな違いです。山口県岩国市吉香公園
2023.05.30
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マンションの大規模修繕の現場監督から聞いた話です。ほとんどの現場では2人一組になって仕事をしているそうです。その際誰と組むかが作業効率に大きく影響してくるということでした。その監督は指示しなくても次々と自分の仕事を見つけ出してくる若手を指名しているということでした。1つ指示をすれば、それに付随して2つも3つも課題を見つけることができる人です。そしてこまめに動く人であれば最高です。始末が悪いのは指示したことしかしない人です。現場監督が指示するまで待っている。いちいち指示しないと、動かない。一旦指示したことが終わると、次の指示を何もしないで待っている。はずみがついて次の仕事をかたづけておこうという気持ちにはなれないようだ。時には指示したことに「それはできません」と反発してくる。そういう人と一緒に仕事をしているとイライラしてくる。疲れがたまる。むしろ一人でやった方がうまくいく。この話を聞いて入院中の水谷啓二先生の話を思い出した。いつまでも庭にしゃがんでいるのも、なんだか格好がわるいので、私はジョロに水を入れて来て、その草花に注ぎかけました。すると、いつの間にか、また森田先生が縁先に出てこられ、「君は何をしているのかね」と聞かれます。「はあ、草花に水をかけています。土が乾いていましたから」と答えました。すると先生は、「見給え、これは1年きりの草花で、盛りはとっくに過ぎて、まさに枯れようとしている。君は枯草に水をやってどうするつもりかね」と笑われてしまいました。森田先生は、その枯れた草花を根ごと引き抜いて、庭土の上に放り出されました。私がそれを拾って、ゴミ捨て場に捨てに行こうとしますと、「待ち給え」と語気するどく呼び止められました。「大の男が、枯草一つ持ってどこへいく。そんなことをしていては、何一つできないうちに、日が暮れてしまう。この花を身給え。盛りを過ぎた草花が、まだたくさんあるではないか。みんな引き抜いておき給え。あとでほかのものを買って来て植えよう」と言われました。(生活の発見誌 1970年(昭和45年)5月号 8ページ)私たち神経質者は高性能のレーダーを標準装備しているといわれます。普通の人と較べると、もともと気づく力は旺盛なものがあります。神経症に陥っているときは症状にフォーカスしているためにゆとりがないのです。神経症から回復すると次々に気づきや発見が生まれてくるようになります。感情が動き出すと、行動したいという意欲が湧いてくるようになっています。
2023.05.29
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田舎にある梅の木から5キロの梅が収穫できました。早速梅酒作りに取り掛かります。昨年11月に植えたタマネギも収穫しました。夏野菜のカボチャ(左)とナス(右)などはやっと根付きました。自動灌水設備が威力を発揮しています。
2023.05.28
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ヤクルトの高津臣吾監督は亜細亜大学、ヤクルト、大リーグのホワイトソックス、韓国、台湾でプレーし、引退後はヤクルトの一軍投手コーチ、二軍監督を経験して、現在は一軍監督としてすばらしい実績をあげられている。高津臣吾氏はプロ野球選手として生き残るために必要なものは、「とんでもない特徴を少なくても1個は持っている選手」だと言われている。投手としてすべてが合格点、スピードも140キロ出せて、コントロールもまずまずというバランス型の選手が居場所を見つけるのは難しい。それよりも、めちゃくちゃ球が速い選手や、とんでもなくコントロールがいいとか、えげつない変化球を持っている選手のほうが将来性がある。僕が入団した時、内藤尚行投手がいた。同い年です。彼は入団5年目でチームの中心選手でした。キャンプのブルペンで見ていたら、キャッチャーが構えたところにボールがビュンビュン行く。それこそ百発百中だ。その横でやはり同級生の西村龍次が投げていた。彼のカーブは半端ではなかった。昔でいうドロップのような感じで、今でいえばパワーカーブのような感じ。後輩の石井一久さんを見た時も驚いた。誰が見ても超一流のスピードボールを持っていた。しかし制球力はなかった。10中8、9は狙いが外れる。しかしそれが打者からは狙い球が絞りずらくなるという利点を生み出していた。球が遅い選手でも、とてつもないコントロールを持っていたとしたら、プロで生き残れるだろう。フォーシーム(いわゆるストレート)135キロで、カーブ、スライダーも大した威力がないとしても、すべての球種を狙ったところに投げられれば大丈夫だ。ただし、100発100中でなければならない。高津臣吾氏はシンカーに磨きをかけた。沈む球だ。全力で投げても100キロくらいの球速しかできないものに仕上げた。ストレートと同じ腕の振りなので打者は見分けがつかない。これが最大の武器となりヤクルトのクローザーを長年務めることができた。とんでもない特徴は、長所だけに限らない。短所と思われることだってかまわない。短所は一面的な見方であって、裏から見ればとてつもない強みだという例はいくらでもある。それを意識することが大切になる。それを磨けば光る球になると信じる事だ。原石を磨き上げて光り輝くようになれば、誰もが欲しがる宝物になる。でもそれは自分に元々備わっていたもので、他人が容易にまねをしてものにすることができるようなものではない。私たちもこの手法を取り入れたいものです。そうすれば自信が付きます。自己肯定感が出てきます。生きていくことが楽しくなります。
2023.05.28
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禅に「鐘が鳴るかや 撞木が鳴るか 鐘と撞木の間が鳴る」という話がある。狐につままれたような言葉です。これについて森田先生は次のように説明されている。これは一定の性質を備えた身体があって、これに外界の刺激が加わるときに、はじめて精神活動の起こるものであるということを示したものである。しかも精神は、鐘と撞木の中間に存在するものではない。精神という固定した実体があるのではない。薪が燃えるときに、刹那もそれが一定の形を保つことができないように、内界と外界との間に、相関的に絶えず流動変化しているもの、それが精神というものである。薪でもない、酸素でもない。燃焼の現象が、そのまま精神である。外界の事象である撞木が当たって、はじめて内界である鐘の実質の震動を起こす、そこに精神現象がある。「鐘と撞木の間が鳴る」のではない。「撞木が当たれば鐘が鳴る」のである。潜在意識という特殊な活動体があって病が起こるのではない。(神経質の本態と療法 森田正馬 白揚社 34ページ)不安や恐怖の感情は、外界から刺激が加わることによって発生しているものである。外界の働きかけに応じて初めて精神活動が起きているということです。しかも精神活動は常に流動変化しているものであると言われています。同じ刺激であっても、それをどのように受け取るのかは人によって違います。高性能のレーダーを標準装備している神経質者の場合はより敏感に反応します。その刺激をどのように受け取るかは、感情は自然現象ですのでどうすることもできません。ここで肝心なことは、外からの刺激に対して、きちんと向き合っているかということです。たとえば夜道を一人で歩いている時、ザワザワと音が聞こえると、近くに幽霊がいるかもしれない、あるいは熊やマムシのような動物がいるのではないかと思うと怖くなります。前後不覚になって急いで駆け出すと、不安や恐怖はどんどん大きくなっていきます。慌てふためいてしまうので、思わず石にけつまずいて大けがをするようなことにもなります。こういう恐怖体験を持っていると、もう二度とその道や夜道は敬遠するようになります。この場合、怖いけれども、冷静になってザワザワの正体を突き止めてやろうという態度が大事になります。少し離れたところに逃げてもよいので、しばらく様子を見る。観察する。あるいは棒切れのような戦う道具を用意する。ネガティブな感情にきちんと向き合うことができれば、不安や恐怖に後ろから追いかけられてますます窮地に追い込まれることはなくなります。きちんと向き合うだけで、不安や恐怖の勢いは急速に衰えてくるものです。外からの不安、恐怖、違和感、不快感から逃げることばかり考えている人は、それらを取り除こうとしている人と同じです。強迫観念に追い掛け回され、神経症で苦しむことになります。
2023.05.27
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野村克也氏のお話です。野球選手としての素質として、足が速い、肩が強い、打球を遠くへ飛ばすのが基本であると同時に、持って生まれた才能であり、後でいくら訓練しても育たない。ドラフトにかかる選手は、少なからずその素質は持っているようです。ただ3拍子揃って超一流という選手はめったにいないそうです。俊足だが、弱肩、非力な選手とか、つぼにはまると大きな打球を飛ばすが、守備はお粗末であるとか様々な特徴を持った選手がいます。こうした欠点はあるが、なにか一つだけ他の選手にはない、キラリと光るものを持っている選手こそがプロ野球の選手として大成することが多い。すぐにダメになるになるのがすべての面で平均点の選手だそうです。高校、大学、社会人で鍛えられて、欠点を修正して全ての面でそつなくこなすことができる。しかし走攻守のどれも人並みであるが、差別化できるほどのものではない。目立つ欠点もない代わりに、他の選手と差別化されたセールスポイントがないのです。このような選手は監督としては使いようがないのです。それよりは欠点だらけだが、チャンスで代打に出す相手に嫌がられる選手、守備ではめったにミスをしない、送球が正確である、代走に出すと飛び抜けて足が早い、ピッチャのモーションを盗むのがうまい、常にベンチで味方を鼓舞してくれる選手はベンチに入れたくなる。欠点や弱点を持っている人は、その裏に長所や強みが隠れていると考えるのはどうでしょうか。「谷浅ければ山低し、谷深ければ山高し」と言います。半端でない欠点や弱みを持っている人は、半端でない長所や強みを持っている人です。大きな欠点や弱点を持っている人は、大いに喜ぶべきことなのです。欠点や弱点のない平均的な人は、将来大きく飛躍することは難しいと言えます。私たちは、欠点や弱点があるとそこに注意や意識を集中させて、なんとか人並みに引き上げようとします。たとえば、ハゲである、背が低い、太っている、容姿が悪い、勉強ができない、学歴がない、能力がない、過去の忌まわしい経歴、神経質性格などです。気になるのは自然現象ですから仕方ありません。でも欠点や弱点にこだわり過ぎて、もともと持っている長所や強みを鍛えて伸ばすことを忘れてしまうのは大きな問題だと思います。コンサルタントの堀紘一氏は、欠点や弱点を人並みに引き上げようとしていると、もともと自分持っている長所や強みにやすりをかけて削っていくことになると言われている。そちらにエネルギーが吸い取られて、元々持っていた長所や強みが目減りしてしまうのです。またそういう人は、欠点や弱点をごまかして隠すようになります。そういう傾向のある人は安心して付き合うことができなくなります。気にしながらも、自分の長所や強みに目を向けて、勝負を賭けていく姿勢を持つことが肝心ということになります。
2023.05.26
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遺伝子学者の村上和雄氏のお話です。2003年にヒト・ゲノムの暗号解読がすべて終わりました。遺伝子の本体はDNA(デオキシリボ核酸)と呼ばれる化学物質で、これが親から子へと受け継がれています。遺伝子はA、T、C、Gという4つの化学の文字で書かれています。Aはアデニン、Tはチミン、Cはシトシン、Gはグアニンという化学物質の頭文字で、AとT、CとGが絶対のペアを組んでいます。私たちは父親と母親から32億の遺伝情報をもらいます。遺伝子にはスイッチがあり、オン・オフの機能がついています。遺伝子のスイッチの切り替えは、遺伝子と環境の相互作用によって行われています。たとえば病気の遺伝子を考えますと、病気になる遺伝子は誰でも持っています。生活環境や食習慣の影響を受けて、遺伝子の働きがオンにならなければ病気にはなりません。村上先生は、そこにストレス、不安などへの対応方法が絡んでくると言われています。それらの対応次第では、悪影響を及ぼす遺伝子のスイッチがオンになり、様々な病気や精神疾患が発現してくるのです。(君のやる気スイッチをONにする遺伝子の話 村上和雄 致知出版 参照)村上先生は、心の持ち方が大きく影響していると指摘されています。その対応方法を誤らないようにしなければなりません。私はその対応方法を森田理論から学びました。心がけていることは次のようなことです。1、規則正しい生活、凡事徹底の実践です。2、日々目標や課題を持って生活すること。3、腹が立つこと、不平不満などの感情は自由に泳がしていくこと。4、感情と行動は切り離すこと。その時、その場で適切な行動を選択すること。5、気分本位になって、なすべき行動から逃げないようにすること。6、観念主導で「かくあるべし」を押し付ける態度を改めること。7、事実を優先する態度を身につけること。これ等を心がけ、好ましい遺伝子のスイッチをオンにしたいと思っています。
2023.05.25
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鍵山秀三郎氏のお話です。鍵山氏は、掃除をしている時は無心になれると言われています。掃除はすべて手を使います。便器も素手で洗います。手で感じる感性を大切にしているからです。手で感じたことは頭にも心にも響きます。自らの至らない人間性を少しでも向上させるためには、手で感じないと駄目なのです。目は臆病ですが、手は勇気があります。たとえば、トイレを目で見ると、汚いな、嫌だなと思います。でも、手で触れてみると、手は本当に勇気がある。小さな汚れや髪の毛1本でも指先で感じ取って、きれいにしようとします。結局、それは問題の本質に近づくということでもあるのです。大事なのは、目の前の問題から逃げるのではなく、できるだけ近づいて対応することです。(二度とない人生を生きるために 鍵山秀三郎 PHP 75ページ)実際に掃除を始めると、気になるところが次々にでてきます。鍵山氏は掃除の効用の一つは、「気づく人」になれることだと言われています。損得に気づく人は多いのですが、そうではなくて、今何が大事か、どうしたら人が喜ぶのかということに気づいて行動できる人になるのです。森田先生は行動する時は「なりきる」ことが大切だと言われています。わしは、風呂を炊く時には、風呂焚きになりきる。どうしたら、ゴミの整理がうまく出来るか、どうしたら少ない燃料で、もっとも早く風呂をわかすことができるか、真剣に研究し、工夫する。風呂を炊く時には風呂焚きになり切り、将棋をさすときには将棋さしになり切る。つまり、何をやっても自分の全力を尽くすのだ。そこには価値批判はなく、風呂炊きも診察と同じように興味があり、張り合いがある。これがもし、下手な価値批判にとらわれ、風呂を炊くより原稿を書いた方が得だ、原稿を書くより診察のほうがもうかる。診察より病院の経営をやった方が利益が多い、という工夫に損得ばかりを基準にして考えていくと、しまいには何もすることがなくななって、手をこまねいているか、あるいは詐欺をやった方が金儲けの早道だ、というようなことにもなりかねない。・・・風呂炊きでも飯炊きでも何でもよい。価値批判を抜きにして、とにかく気軽に手をつけさえすれば、いつの間にか興味が出て来て、研究と工夫を重ね、仕事はそれからそれへと発展して、社会に役立つ働きができるようなものだ。(生活の発見誌 1970年(昭和45年)5月号 9ページ)圓鍔勝三彫刻美術館(広島県尾道市)
2023.05.24
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私は毎日マンションで掃除をしているのですが、指導員からこんな話を聞きました。人が見ていなくても、また汚れが目立たなくても、毎日同じ時間帯に、同じ場所を心を込めて取り組むのが掃除の基本です。心を込めて取り組んでいると、その人の人格が磨かれることになります。掃除が行き届き、身なりがきちんとしている人には、相手もそれなりに対応してくれます。他人から指摘される、あるいは汚れを確認して、これ以上放置できないなというときに始めるのは掃除ではありません。それを言葉で表現すれば「手抜き」です。「手抜き」仕事は、周りの人を不快にさせるだけでなく、やっている本人も面白くありません。この話を基にして凡事徹底について考えてみました。規則正しい生活は、生活にリズムが生まれます。生活のリズムに沿って生活していると、頭を酷使することがなくなります。特に神経質者は時間的な余裕が生まれると、悲観的なことばかり考える傾向がありますので、それを防止することができます。掃除に丁寧に取り組んでいると、他の気になるところが次々に見つかります。それをメモして、自分の課題として取り上げると生きがいになります。改善点を工夫するようになると頭の回転がよくなります。掃除は体を使います。まずよく歩くようになります。階段上りはとてもよい運動になります。足の筋肉が鍛えられます。毎日丁寧に掃除をしていると、周りの人から評価されるようになります。そしてねぎらいの温かい言葉をかけてもらえるようになります。思いやりのある温かい人間関係はとても気持ちがいいものです。掃除以外で毎日取り組むことに料理、洗濯、整理整頓、身だしなみを整えることなどがあります。ペットや観葉植物の世話をすること等があります。これらにも手抜きをしないで、丁寧に取り組むことが、神経症を防止してくれることになります。キーワードとして「凡事徹底」を心がけるということになります。バナナのたたき売り
2023.05.23
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なにもやる気が起きないことは誰にも起こります。私たちの場合は、「失敗したらどうしょう」という考えに振り回されて行動することを躊躇してしまいます。最初はイヤイヤ仕方なく取り組んでいるうちに弾みがついてくるということを軽視する傾向があります。また、やり始めたとしても、途中で解決困難な問題が立ちふさがってくると、すぐに退散してしまうこともあります。森田先生は行動する時、気分に振り回されてはいけないと言われています。イヤだ、面倒だ、わずらわしい、不安だ、気が重いといった感情に振り回されてしまうことです。そういう気持ちが湧き上がってくるのは仕方ありませんが、当然なすべき行動を回避するのは考えものということになります。たとえば、富士山の強力をしているようなものは、平常は百姓などをしていて夏は強力になる。毎年初めて登るときは強力でもやはり普通の人間であるから人並みに足も痛む。翌日はなはだしいときは、便所でかがむことができないほど股やふくらはぎが痛いそうです。そこで2~3日ほど休めば回復するそうですが、それでは仕事にならない。仕方がないので痛いのを我慢して、足を引きずるようにして、しいて登山を続ける。そうすると1週間も経たずに、いつとはなしに足の痛みもなくなり、夏中ずっとその仕事を続けていくことができるそうです。(森田全集 第5巻 566ページ)どうしてもやる気が出ない時にどうすればよいのか。そのヒントを矢野惣一氏の本の中から見つけました。動物が行動を起こすときの動機付けは2つほどあります。1、苦しみから逃れたい。2、もっと気持ちよくなりたい。これを活用することで気分本位に流されることを抑制できます。たとえば、月曜日になって会社に行く気が湧いてこない時にどう対応するか。まず仮病を使って有休をとった場合のデメリットを考えてみる。しばらくはほっとするが、そのうち罪悪感が出てくる。暇な時間を持てますようになる。他の人に迷惑をかけることになる。次の日みんなエンジン全開で仕事をしているのに、自分は慣らし運転から入らなくてはいけなくなる。次に仕事に行くことのメリットを考える。仕事をすることで生活費を稼ぐことができる。身体を動かせば運動にもなるし体を鍛えることができる。晩酌のビールをおいしく飲める。孤立することなく、人と付き合う機会が持てる。自分の居場所や活躍の場が確保できる。丁寧な仕事を心がけていると人から感謝されることがある。相反する2つの気持を分析して、できるだけ正しい行動を選択するというのは如何でしょうか。
2023.05.22
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森田先生は、「心身同一論」の立場をとられています。心身は単に同一物の両方面であり、ただその裏表の観方を異にするまでのことだ。心と身体はコインの裏表の関係にあると言われています。これは理解することが難しいところです。そこにはどういう意味があるのでしょうか。水谷啓二先生は次のように説明されています。この「心身同一論」が、なぜ森田療法の基礎として重要な意義をもつのか、ということについて、もう少し説明しなければならない。ほとんど無意識的に(完全なる無意識とはちがい、いわゆる無心の状態で)いとなまれている、われわれの日常生活においては、自然に、自ら巧(たく)まずして、心身同一的な生活をしているものである。そこには、心身はただ一体的に活動しているものである。大いに働いたあと、腹が減っておいしく食事をし、夜は家族と談笑しているうちにしだいに眠くなり、寝室に入って寝床に横たわっているうちに、いつとはなしに眠りに入る。そういう・きわめて自然な生活をしている時、私どもは心身一体的な生活をしているわけであって、当たり前のことながら、そこには神経質のとらわれといったものはない。(生活の発見誌 1968年(昭和43年)12月号 44ページ)水谷先生は、心身一体的な生活をしていると、心身ともに健康的になれると言われています。ここで肝心なことは、欲望が暴走するような生活態度では身体の健康は維持できないということです。例えば食べ物でいえば、美味しいものを腹いっぱい食べたい気持ちは誰でも持っています。またアルコール好きな人は、お酒を心ゆくまで飲みたい気持ちも持っています。こういう観念的な欲望が暴走してしまうと、身体の健康はすぐに損なわれます。身体の健康が損なわれると、今度は心の健康が損なわれます。悪循環が始まります。欲望が暴走しないように制御しないと、心と身体の両方が不健康になります。藤田紘一郎氏は、脳が喜ぶものを食べると健康が損なわれてしまう。反対に腸が喜ぶようなものを食べると、腸内環境が改善される。善玉菌、悪玉菌、日和見菌のバランスがよくなる。精神を健康に保つセロトニンの前駆体もたくさん作られると言われています。心が身体を、身体が心をリスペクトするようになることが大切になります。こうなると精神を病むこともなくなり、重大な身体疾患になることも格段に少なくなっていくのではないでしょうか。森田先生の心身同一論は、精神と身体が対等でお互いを思いやる関係を作り上げることが大切なのだと教えてくれているように思います。
2023.05.21
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矢野惣一氏のお話です。脳には2つの大きな特性があります。「安定化指向」と「可塑性」です。安定化指向とは、変化することよりも現状を維持しようとする特性です。可塑性は、形を変えた変化を保持する特性です。粘土を指で押すと指を離した後も、へこんだまま形が維持されます。脳は、あるきっかけによって何らかの変化を起こすと、その変化のきっかけがなくなっても変化したままの状態を保ちます。(問題解決セラピー 矢野惣一 総合法令出版 92ページ)現在の生活にある程度満足すると、リスクを冒して変化に立ち向かうことを回避するようになります。これが安定化指向と言われるものです。その結果、消極的、保守的、回避的な生活に陥りやすい。考えることや生活内容が、しだいに内向きになります。これに対して森田理論には「生の欲望の発揮」という考え方があります。課題や目標を設定して、前向きに挑戦する生き方のことです。積極的、生産的、建設的、創造的な生き方になります。森田では日常生活の中で小さな課題や目標を持つことが肝心であると言います。目の前の必要なことに真摯に取り組むことが大切になります。凡事徹底とも言います。可塑性というのは、好ましくないことが習慣化して固着してしまうことです。例えば、生まれてから1歳6か月までの間に愛着の形成が十分になされないと、他人に対する信頼感は持てなくなると言われています。他人が怖いから人を避けるようになります。孤独になってしまいます。常に警戒するようになります。絶えず敵対するようにもなります。一旦愛着障害に陥ると、その後の人生は人間関係で苦しむことになります。愛着障害の克服はかなり難しい問題となります。岡田尊司氏よると、次のような方法で、愛着障害はある程度克服できると言われています。私はこの考え方を応用しています。その後の人生で安全基地(安心して立ち寄ることができる母港)となる人を作る。私は同じ神経症で悩む人の自助組織生活の発見会の集談会で見つけました。傾聴、受容、共感、許容、激励の態度を身につけた人を見つけたことが役立ちました。困った時はあの人に相談しようという人を持っていると安心感があります。もう一つは自分から愛情を注ぐものを見つけて世話をすることが役立ちます。私は毎月の集談会で長らく世話活動を続けてきました。その他、メダカの世話を毎日しています。ベランダでは四季色とりどりの草花を育てています。田舎では家庭菜園に取り組み野菜の世話をしています。その他、庭木、柿、梅、栗、ゆずなども育てています。これ等が愛着障害を緩和してくれているのです。
2023.05.20
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子どもを叱るということは、「かくあるべし」押しつけることでいけないことなのでしょうか。藤崎達宏氏は、子どもを叱ることは必要だと言われています。子ども自身が大ケガをすることが予想されるとき、人様に多大な迷惑をかけることなどは心を鬼にして真剣に叱らなければいけません。子どもの時に、しっかりと叱らないと、同じことを繰り返すようになります。時には命取りになることもあります。叱るというのは、「わが子が将来生きていくのに必要な価値観を真剣に伝えること」です。この部分さえブレていなければ、体罰は論外として、親は自信をもって𠮟るべきです。逆に、𠮟るのがめんどくさいから、子どもに嫌われたくないからといった理由で、わが子の正すべき行為を見逃すのは、愛情不足と言わざるを得ません。3歳を過ぎた子どもは言葉が分かるようになります。ごまかす、言い訳を言う、話をそらす、笑いをとるなどの様々な対応方法を持ち合わせるようになります。そこで、より必要になるのが、「親の真剣さ」です。目を直視して逃げを許してはなりません。注意点は「ここぞ!」という瞬間にスイッチを入れることです。そしていつまでもダラダラ叱らないということも大切です。短く、真剣に叱った後は、「わかりましたか?」、返事は「はい」もしくは「ごめんなさい」、ここで切り替え、すっぱり日常生活に戻ることが大切です。(モンテッソーリ教育で自信とやる気を伸ばす 藤崎達宏 三笠書房 183ページ)森田理論を学ぶと叱責は「かくあるべし」を相手に押し付けることと学びました。叱責は悪いことだからしてはいけないという考え方に染まっています。子育てにおける叱責は、子どもへの愛情の裏返しということが分かります。注意点としては、子どもを叱責する場合、いつまでもネチネチと叱責し続けることがあります。また、過去の過ちを蒸し返してしまうこともあります。これは百害あって一利なしと心得たいものです。
2023.05.19
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森田先生はモンテッソーリ教育を評価されています。自信とやる気、自己肯定感を身に着けさせるために有効だということだと思います。この本によると、3歳から6歳までの子供に両親がどうかかわるかが、その子の人生に大きな影響を与えていることが分かります。たとえ神経症で苦しんでいても、子供がいる方は、子育てを優先する必要がある。神経症で格闘するよりも、子育てで格闘する方がより建設的であるということになります。この著者である藤崎達宏氏によると、子供の成長過程はほぼ解明されているという。つまり何歳何か月になると、どの成長過程に入るということはすでに分かっている。このことを「敏感期」と言われています。敏感期には、運動能力、言語能力、社会のルール、社会性、興味や関心、好奇心、感性、読むこと、書くこと、数へのこだわりなどがあります。敏感期を逃してしまうと、その分野を後から獲得することが困難になる。そのことを親が十分に理解して子供に寄り添うと、子供の潜在能力はどんどん大きく発展させることができるそうです。そして自信とやる気が育ち、自己信頼感、自己肯定感が育つ。他者への信頼感、思いやりも育ちます。子供を持った親は、子供の成長過程を学習して、子供の能力を最大限に伸ばすという使命感を持つ必要があります。子育てに失敗したと思っている人は、今現在子育てで奮闘している親たちに、反面教師になって、このことを伝えていくことが有効です。(実践版 3歳から6歳までのモンテッソーリ教育で自信とやる気を伸ばす 藤崎達宏 三笠書房)
2023.05.18
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1、昔は飛ぶ鳥を落とすほど活気に満ち溢れていたが今は見る影もない。2、昔は経済的にも精神的にも厳しかったが、年齢を重ねるにつれて安定してきた。「どちらの生き方がよいと思いますか」と尋ねられれば、ほとんどすべての人は2を選択されるのではないでしょうか。過去どんなに大きな問題を抱えていてもその後の人生で帳消しにできる。過去どんなに辛い人生を歩んできたとしても取り返すことができる。神経症で長らく苦しんできたとしても、乗り越えられれば問題ではない。人様に迷惑をかけて後悔で悪夢にうなされることがあっても、その穴埋めができれば問題にはならないということだと思います。その後の人生で多少なりともつじつまを合わせることができたならば、それで十分ということだと思います。終わりよければすべてよしです。尻すぼみの人生よりも、末広がりの人生を目指していきたいものです。そのためにはいつまでも辛くて苦しい人生を嘆き悲しんでいてばかりではいけません。忌まわしい過去にしっかり向き合い、過去を素直に受け入れることです。そしてそこで消費されるエネルギーをため込んでいくことです。エネルギーをため込むことができれば、膝を曲げて飛び上がることが可能になります。課題や夢の実現に向かって歩みだした人の人生は光り輝いています。このことを森田では、生の欲望の発揮と言います。忌まわしい過去にいつまでもとらわれることはやめましょう。過去の不祥事はその後いくらでも取り消すことができると信じて、これから将来の人生を生産的、建設的、創造的にしていきましょう。森田理論はそのことを教えてくれているように思われてなりません。
2023.05.17
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福島正伸氏のお話です。あるレストランのシェフとお会いした時次のようなお話をしてくださいました。一人で、厨房で仕事をしている間は、ずっと集中し続けなければなりません。一時も気を許すことができない作業が続きます。でも、毎日それができるのには、はっきりした理由があるんです。それは、今つくっている料理を召し上がっているお客様の笑顔が見えるからです。そして、そのお客様が家に帰って、家族に今日の料理の自慢話をしてくださっている姿も見えます。さらに、その話を聞いた家族が「私も連れて行ってほしい」と言っている姿も目に浮かびます。そして、その家族が友人に電話をして、一緒に私のレストランに来る約束をしている姿も見えます。そして、友達をたくさん連れて、お店にみなさんが笑顔でやってきてくださる姿が見えるのです。・・・すべて、ただの妄想かもしれませんけどね。でも、そう思うと、今やっていることから、手を抜くことができなくなるんですよ。ところが、無意識で仕事をしている時は、そのイメージが消えてしまっています。そんな時は、仕事に集中し続けることはできません。どのように1回塩を振るかで、お店の未来、地域の未来、自分の未来が変わる、という感覚が必要なんです。(どんな仕事も楽しくなる3つの物語 福島正伸 中経文庫 80ページ)仕事は生活費を獲得するために避けて通れないものという考え方に固執していると、仕事は大変つらいものになります。このシェフはそれ以外に仕事をする意味があると言われています。それは仕事で周りの人に感動を与えたいという目標を設定して、その目標を達成するために惜しみない努力を積み重ねるということです。値段に見合った料理だけでは、また来店してくれるかどうか心もとない。値段以下のまずい料理を提供しているとリピート客はまず来ないでしょう。店はどんどん活気がなくなってきます。おいしい、安い、早い、接客態度がよかった、交通の便がよい場合は、また来店してくれる可能性はあります。こんなおいしい料理を食べたのは初めてだという場合は、ぜひまた来店したいと思うでしょう。そのお店のことは友達に知らせたくなります。口コミで評判になります。家族も連れて行きたくなります。店は繁盛店になります。仕事をする目的を給料をもらうためだけに絞ってしまうのは問題だと思います。それに人を感動させてみたいという目標を付け加えるだけで、仕事はとても面白いものに変わっていきます。なお仕事を面白くするためには、目的を5つぐらいに広げるとかなり変わります。興味のある方は、2023年1月5日の投稿記事も併せてご参照ください。
2023.05.16
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ケリー・ターナー氏は「がんが自然に治る生き方」という本の中で、余命宣告を受けてから「劇的な寛解」に至った人たちを調査した。それによると次の9つがあるという。1、抜本的に食事を変える。2、治療法は自分で決める。3、直観に従う。4、ハーブとサプリメントの力を借りる。5、抑圧された感情を解き放つ6、より前向きに生きる。7、人の支えを受け入れる。8、自分の魂と深く繋がる。9、どうしても生きたい理由をもつ。(コロナの暗号 村上和雄 幻冬舎 82ページ)この中でターナー氏は、治療者は自分であって、医療者はあくまで補助するだけであると指摘されている。この点、生きがい療法の伊丹仁朗医師も、自分が主治医になったつもりで治療に取り組むことをあげておられます。この中で、私がこれはと思ったのは3、5、6、9番です。5番で、抑圧された感情を解き放つと言われています。森田では自分に「かくあるべし」を押し付けると、理想と現実に苦しむようになると指摘しています。どんなに困った状態にあろうとも、現実に寄り添う態度になれれば、苦しいことには変わりありませんが、葛藤や苦悩はなくなります。私は完全にはその心境には至っておりませんが、この考え方を学習できたことは生涯の宝物だったと思っております。3の直観に従うということですが、森田では「純な心」で学習したことです。直感、第一に感じた素直な感情、初一念のことです。誰でも最初は純な感情は生まれているのですが、その感情をキャッチしようと思わないと、すぐに飛び去ってしまいます。そして、観念的な第二次感情にとって代わり、言い訳、批判、否定するようになります。6番と9番は、課題や目標を持って生きるということです。5番で事実に寄り添うことができるようになると、今度はそこを基点にして、上を見上げることが可能になります。余ったエネルギーの有効活用ができるようになります。生きがいを持って目標を追いかけていると、病気が近寄らなくなります。このことを森田理論では生の欲望の発揮と言います。森田的な生き方は、がんの寛解に役立つということだと思います。
2023.05.15
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河原宗次郎氏のお話です。私は、店の社員の全部、つまり20数人を常時見つめているわけですが、どんなに人から「あれはよくない」「こういう短所がある」といわれている者でも、よくよく見つめていると、どこかに長所があることが、わかってくるものです。「悪いところばかりで、よいところが一つもない」というのは、結局のところ、見つめ方が足りないからではないか。少しでも良いところを見出そうと思って、見つめていると、かならずそれぞれに良いところがあるのが、目についてきます。そうすると、悪いところを非難するより、その良いところを認めて、それを発揮させてゆけばよいわけだから、人に対してあまり不平がなくなってきます。その良いところだけを見つめて、それを適当に活用すればよいわけです。(生活の発見誌 1968年(昭和43年)9月号 38ページ)誰でも問題点を発見し、あるいは少しでも気に入らないことがあると、他人や自分を非難、叱責、否定します。神経質性格、両親、子ども、友人、仲間、境遇、運命、忌まわしい過去の出来事などあらゆることに及んでいます。これは自己中心的観念性の肥大化によるものです。成長の過程で、目の前の出来事を良い悪いと価値判定する生き物になってしまったのです。しかも良い点は当たり前のことで、ことさら評価するには値しない。悪い点は放置しておくと大変なことになるのですぐに修正するか、無くさなければいけないという考え方に取りつかれてしまっているのです。放置すると将来の禍につながるものは何としても排除しなければならない。問題がないものは、別に注意を払わなくても生命の危険はないというDNAが引き継がれているのかもしれません。これが反対になった場合を想像してみましょう。つまり悪い点は目をつむって見逃す、寛大な包容力で許容する。良い点はどんな些細な事でも大いに評価して、大事にして伸ばしていこうとする。こういう考え方、ものの見方ができる人は、人間関係の問題が激減し、自己肯定観が強まり生きることが楽しくなります。この考え方を手に入れるためには、森田理論の両面観を学習することが大切になります。そしてバランスのとれた見方・考え方を身につけることです。そのためには、意識改革が必要になります。つまり問題点、悪い点を見つけることはとても上手になっていますので、この方面にエネルギーを投入することはいったん棚上げにする。それよりはほぼ全部のエネルギーを良いことさがしに向けることです。それでやっとプラスとマイナスのバランスがとれてくると心得ることです。最初は意識しないとできません。そのために日記に書くことが有効です。それが習慣になると、無意識的にできるようになります。その暁には他人と対立することが少なくなります。自己信頼感、自己肯定感が出てきます。生きることが楽しくなります。人間に生まれたことを感謝できるようになります。
2023.05.14
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日本三景の宮島はサミットで入島制限の対象地区になります。
2023.05.13
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生活の発見誌は1957年(昭和32年)10月に産声をあげている。水谷啓二先生が始められたものである。最初は季刊誌だった。昭和35年10月号から隔月となった。昭和36年10月号から月刊誌となった。そのときに我々の先輩の山中和己氏が編集発行人として奮闘されている。その後一度も休刊することなく、昭和43年7月号を持って100号を迎えた。(ちなみにその後も60年以上にわたり継続されている)100号を記念して、昭和43年11月10日新宿の太平会館で記念式典が行われている。270名の参加者があった。そうそうたる顔ぶれです。最後に水谷啓二先生の音頭で「生活の発見誌、森田療法、森田生活道、森田神経質の人々、更に全世界人類の繁栄と幸福」を祈って、万歳三唱をした。これは大変意味のある言葉と思います。世界人類の繁栄と幸福は森田理論の学習と実践にあると言われている。それだけの内容を森田理論は持っているということでしょう。その時の横断幕に「大調和と大独創の世界」「事実唯真 智悲円満」とある。「大調和と大独創の世界」という言葉は、生活の発見誌1968年12月号、1969年1月号、1970年5月号の副題となっている。森田理論の考え方は、調和、事実唯真、独創、智悲円満にまとめられるということかも知れない。両面観の考え方見方でバランス・調和を心がる。観念を前面に押し出すやり方を、事実を優先するするやり方に改める。生の欲望の発揮に邁進する。他人、自分、自然、物、時間、お金に居場所と活躍の場を与えて、持てる力を存分に発揮してもらう。智悲円満は、森田の考え方と相手を思いやる心が車の両輪となって動き出すと、社会が丸く収まっていくということだと思います。水谷啓二先生は1970年2月号の生活の発見誌によると「中和生活研究会」(仮称)構想を発表されていた。森田療法の本質を貫く人間教育を、神経症治療の場からさらにひろい舞台に展開しようとするものであった。危機に瀕している現代の人間の回復を目指すものであった。(生活の発見誌 1970年5月号 2ページ)水谷先生は、神経症治療としての森田療法の活用のほかに、森田理論を活用して人間の再教育を目指しておられたようです。共同通信社での仕事をこなしながら、啓心会診療所、啓心寮の運営、寮生指導、地方支部の結成援助、講演旅行、生活の発見誌の編集発行、森田関連図書の執筆など活動は多岐にわたっていました。私たちもその後継者として、後世に先生の意志を伝えていきたいものです。
2023.05.13
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5月9日に「感情を自由自在に泳がす」という記事を投稿しました。これは「言うは易く行うは難し」と感じています。絵にかいた餅になりやすいのです。すぐにものにできないからと言って自分を卑下する必要はありません。最初は10個の内1個できれば上出来と考えることです。そして徐々にその数を増やしていくことです。うまくいかないのは、不快な感情をすぐに取り除くか逃げるということが習慣になっているからだと思います。今までの習慣を新しい習慣に変えることはかなりのエネルギーが必要になります。では失敗した時どうすればよいのでしょうか。もし感情を爆発させてしまったなら、「さっきは言い過ぎた。どうかしていた。ごめんなさい」と謝ることはできると思います。これができるようになれば、もうすでに時遅しということがあるかもしれませんが、すべてが壊れることをなんとか防止できることがあるように思います。たまには、相手のほうも「俺の方も悪かった」と言ってくれることもあります。まずは10回の内1回はこの方法を試してみるというのは如何でしょうか。次に不快感や不平不満を我慢できないと思ったら、すぐにトイレに駆け込むようにする。別にトイレでなくても構いません。肝心なことは、相手からいったん離れることです。森田では人間関係に「不即不離」を活用することをお勧めしています。いくら親しい関係でも気まずい関係になることはいくらでもあります。その時はすぐにその場から離れることが大事になります。時間が経過したらまた近づいていく。暴言を吐くということは、逆に相手に近づきすぎているのです。そしてボヤでするところを大火事にしているのです。油を使って天ぷらを揚げているときに、一滴でも水を垂らせば激しく反応して大変なことになることは誰でもよく知っています。ほとぼりを冷ませば、激しい怒りや不平不満はやがて収まるようになっています。感情の法則の1は生活の中で活用しなければ宝の持ち腐れになってしまいます。
2023.05.12
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鈴木知準氏のお話です。中村久子という岐阜高山出身の63、4歳位の夫人がある。その人に「私の超えて来た道」という著書がある。それによると、この人は4歳のとき脱疽によって肢関節の下で両上肢を、膝関節の下で両下肢を切断している。彼女はこの不具の体で、日常の諸動作を工夫して生活せざるをえない環境にあった。貧困であった彼女は見せ物に出され、これらの手足なしに行われる諸動作の興行などで全国を流れ歩く10数年をおくっている。このような不幸な境遇を通して達し得た最後のものは、この自分の運命に対して、感謝することであった。鈴木先生は10年前静岡臨済寺においてはじめてお話を承り、その喜びに輝く目ざしに接したとき、全く私の心は驚きと畏敬以外のなにものもなかった。その不幸な運命を担いながら、運命を生かして、現在に最大をつくして前向きに生き、自分の運命を感謝している態度にうたれたのである。この人の著書の巻頭に「ある、ある、ある」という詩が載っている。さわやかな秋の朝。「タオル、取ってちょうだい」「おーい」と答える良人がある。「はーい」という娘がある。歯をみがく。義歯の取り外し。かお洗う。みぢかいけれど指のないまるい、つよい手が何でもしてくれる。断端に骨のないやわらかい腕もある。何でもしてくれる短い手もある。ある、ある、ある、みんなある。さわやかな秋の朝。なんと明るい、喜びの詩ではないか。彼女は短い腕をつかって洗顔、歯みがき、お掃除も米とぎもできる。口と腕との共同作業で習字、裁縫、ヘラ付け、針に糸を通すこと、糸先の結び球、運針もできる。着物の仕立てに要する時間も手のある人達とほとんど同じ時間でできるという。とにかく万事日常の諸動作を工夫と努力によって特別のものを除いてやれるようになっている。彼女はこの書の巻末に、「日常生活中、衣服の出し入れ、お茶を入れる、書状の扱い、仏前にお線香を捧ぐ、などの数々、左腕と口にしたへら形の棒が一切やって私を助けてくれることは、ほんとうに有がたいことです。一にも努力、二にも努力、努力以外の何物もありません。いか程重い障害をうけていようと、必要に迫られれば、人間には限りなくもそれからそれへと独創の世界がくり展げられることは、「生かされる者」のみが受ける宇宙の偉大な恩寵なのであります。(生活の発見誌 1969年(昭和44年) 1月号 36ページ)ピアニストの辻井伸行さんは目が見えません。でも卓越した音感を磨き上げて世界中の人を感動させることができます。目が見えないことがハンディというよりも、むしろ音感を鋭くさせているのではないかと思われます。車椅子テニスの国枝慎吾さんは9歳のとき脊髄腫瘍で下半身不随になりました。でもそこで将来をあきらめることはありませんでした。過酷な現実を受け入れて、運命を切り開いていかれました。車椅子テニスで世界ランク1位になりました。数々の大会で優勝し国民栄誉賞を授与されました。大きなハンディを持っていても、好奇の目にさらされながらも、悲観や否定しないで、そこを出発点にできた人の生きざまは素晴らしい。それだけで人を感動させることができます。私たちも神経症になりましたが、それを受け入れて、財産や宝物に変えて、自分のできることに精魂を傾け続ければ、人を感動させる生き方ができるのではないでしょうか。
2023.05.11
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茶道の千玄室氏のお話です。たびたび海外に行っているので、人からよく「師匠は時差ボケをされませんね」と不思議がられます。私は、そういう人には、「あなた方は、時差ボケ自体をいつも頭の中に思っているから、時差ボケをするのです」と答えています。「飛行機に乗ったら、すぐに目的地の時刻に合わせなさい」と。振り返ってみると、私は昔から時差ボケということを考えたことがありません。飛行機に搭乗したら、すぐに時計の針を目的地の国の時間に合わせて、その時間に自分を向けていくようにしています。ですから、日本を朝に出発しても目的地の時刻が夜であればすぐに寝てしまうのです。これは、なにも時差ボケに限った話ではなく、生き方として持っていなければならないことではないでしょうか。いつまでも出発地にとらわれてはいてはいけません。人生は後ずさりはできない、前に進むだけです。過去を振り返っていてはダメです。現在、そして次の瞬間を思う。だから「forward-looking posture」前を向く姿勢が大事なのです。(生涯現役の知的生活術 育鵬社 75ページ)これは変化に合わせて、自分を変えていくということだと思います。森田先生も変化対応という点では同じようなことを言われています。「わしは、電車の中で立っているときには、体操のときの休めの姿勢をとっている。つまり両足を開き、片足に全身の重みをかけ、他の方の足は浮かして、その足先で軽く床に触れるようにしている。これは不安定の姿勢であるが、この姿勢でいるときは、浮かした方の足先が鋭敏に体の動揺を感ずることができ、周囲の変化にたいして最も迅速に、しかも適切に反応することができる。それは不安定の姿勢の上に立って、しかも自然の心にしたがい、どこにも固執する人はないからだ」神経症に陥るような人は、変化することを嫌がる傾向があるのではないでしょうか。不安を抱えたまま、なすべきことに取り組むと間違いだらけになってしまう。不安を払拭したあと、すっきりした気持ちで目の前のなすべきことに取り組むべきである。こういう考え方をしていると、いつまでも不安と格闘してしまうことになります。精神交互作用によって最後には神経症として固着してしまいます。そして、目の前のことが蚊帳の外になってしまいます。森田では神経症的な不安は欲望の裏返しとして生まれてくるものだと言います。不安は横に置いておき、目の前の変化をよく観察し、変化の波に素早く乗るという態度を持ち続けることが肝心ではないでしょうか。
2023.05.10
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5月号の生活の発見誌に「職場でよくあるストレス」という記事があった。それによると人間関係の問題が大きいようです。・気の合わない同僚と一緒に仕事しなければならない。・仕事をしない同僚、上司、部下にイライラする。・仕事以外の付き合いに辟易する。・各種ハラスメントを受けている。この記事では、「職場は相性が合わない人々と高確率で出会う場」であると説明されていました。確かに会社勤めは絶えず他人と衝突しますので、その気持ちはよく分かります。自分の感情や気持ち、意志や要求を相手に押し付ける人は、利害が衝突しやすい会社に勤めることはストレスだらけになります。しかし自分と家族の生活を維持するために会社で働かざるを得ません。最低限の人間関係を維持するために心掛けることがあるように思います。私はこれを森田理論の感情の法則から学びました。これを厳守するだけで、人間関係を良好に保つことができると考えています。それは腹が立ったときや不平不満で一杯になったとき、そのマイナス感情を自由自在に泳がす能力を身につけることです。マイナス感情を素直に受け入れるというアドバイスをよく聞きますが、私にとってはあまりピンときませんでした。私にとっては、「マイナス感情を自由自在に泳がす」という言葉がぴったりです。マイナス感情を一歩下がって眺めることができるようになることです。自然に湧き上がるマイナス感情を押さえつけて耐えることではありません。日本庭園に行くと色とりどりの錦鯉が悠然と思い思いに泳いでいます。「錦鯉よ、自由に思い思いに泳ぎなさい」といった心境なのです。これは一見誰でも出来そうなことですが、簡単なことではありません。森田理論を深耕して高みに達している人でも、時として、いやむしろ頻繁にマイナス感情を相手に表出しているのです。いとも簡単に人間関係を悪化させる名人の人が実に多いように思います。裏を返せば、この能力を身につけた人はとても稀有な人ということができます。一旦この能力を身につけた人は、人間関係で大きく躓くことはなくなります。森田理論の学習と実践はこの能力を獲得することを目指しているのです。次に感情と行動は水と油のように全く別物と考えることです。これも、感情を自由に泳がすこととセットでものにする必要があります。つまり感情は感情、行動は行動と全く別物として取り扱うようにするのです。感情に振り回された行動は犬も食わない代物となります。行動は、その時その場で適切な行動を選択していくようにする。マイナス感情、衝動や気分に振り回された行動は厳に慎むようにする。「感情と行動の法則」を森田理論学習で身につけてから、利害関係で衝突しやすい会社生活に入って行くことで人間関係で躓くことは回避できます。特に神経質性格の人は必須科目ではないかと考えています。よくテクニックで人間関係をよくする方法について説明されていますが、この考え方が基礎にないと、ザルで水を掬うようなことになってしまいます。
2023.05.09
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田原綾さんのお話です。先生は、何にでも興味を示されましたが、手品にも大変関心を持たれ、盛んにご自分でも研究をなさいました。近くにお祭りなどがあって、手品をやっているのを、自分で見て来て、帰って来てから私達に、「タネを見てこい」と言ってお金を下さるのです。行って来て、タネを報告しますと、「やっぱり自分の思っていた通りだった。それ見よ!」と大変な喜びようでした。ある時は、露店で手品をやっているのをそっと見ていて、「種を明かしたら、その道具を全部くれるね」と約束させ、本当に種を明かして、その道具を全部もらって、さっさと帰って来てしまいました。ちょっと常識はずれの、そのような行動をよくなさいましたので、私たちはハラハラしたり、また、恥ずかしいのでご一緒するのを・嫌がったりいたしました。(生活の発見誌 1968年(昭和43年)12月号 69ページ)私は一時森田理論学習に飽きてしまったことがあります。その頃森田先生の「鶯の綱渡り」という宴会芸の話を知り、「そうだ、みんなが喜んでくれる宴会芸を身に着けよう」と思いました。手品、チンドン屋、アルトサックス、ドジョウ掬い、高知のしば天踊り、浪曲奇術、アナウンサーの口上、腹話術、傘踊り、カラオケなどに取り組みました。今では毎日の生活の一部になり、忘れないように毎日練習に励んでいます。生活に張りや楽しみが生まれました。市には一人一芸を持っていて、ボランティアで余興を披露しているグループがあります。私たちのチンドン屋の活動はそこを通しています。私はそういう活動をしている人たちとの交流の輪が広がりました。私にとっては貴重な人間関係です。今はしつこい対人恐怖症を持ったままで、毎日楽しく愉快に過ごしています。神経症を治すために、興味や関心のあるものに取り組んでみるという方法もあるということだと思います。
2023.05.08
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遺伝子研究の村上和雄先生のお話しです。長寿遺伝子は7種類判明しているそうです。その一つが「サーチュイン遺伝子(サーツー遺伝子)」の名称で知られているものです。この遺伝子はすべての人が持っています。この遺伝子は、老化を早めたり、発がんの原因となる活性酸素の発生を抑えたり、発生した活性酸素を無毒化する働きがあるとされています。通常、サーチュイン遺伝子はオフの状態ですが、これをオンにできる人が若々しさを保ち、長生きできる可能性が高くなります。スイッチをオンにする方法の一つが、摂取カロリーを制限することです。私たちが1日に必要とされているカロリー量は、成人男子で約2500キロカロリー、成人女子で約2000キロカロリーと言われていますが、これを70%に抑えることで、サーチュイン遺伝子のスイッチがオンになるそうです。暴飲暴食をしていると、サーチュイン遺伝子はオンにはなりません。これ以外にもサーチュイン遺伝子をオンにする方法があります。例えばレスベラトロールを摂取することです。これはポリフェノールの一種で、ブドウの果皮やピーナッツの薄皮、赤ワインなどに含まれます。また、タマネギの皮、ブロッコリー、モロヘイヤなどに含まれるケルセチンというポリフェノールも、サーチュイン遺伝子を活性化することが知られています。さらに、ストレッチや筋肉トレーニングなどの運動によっても、長寿遺伝子のスイッチがオンになります。ストレッチ体操は筋肉や関節の柔軟性を保つためによいとされていますが、それにとどまらず、長生き遺伝子や若返り遺伝子のスイッチをオンにするのです。(望みはかなう きっとよくなる 村上和雄 海竜社 198ページ)遺伝子は、情報そのものを自ら書き換えることはできませんが、外からの刺激によって必要な遺伝子のスイッチをオンにしたり、不必要な遺伝子のスイッチをオフにしたりすることで、生体をコントロールしているのです。(同書 37ページ)遺伝子は家の設計図のようなものです。しかし家の設計図があるだけでは、家を建てることはできません。実現に向けて建設資金を用意し、実行に踏み切る必要があります。サーチュイン遺伝子もこれと同じで、設計図に従って作動するかどうかは、本人の意思が大きくかかわっているということです。サーチュイン遺伝子を活性化する方法として、このブログで何度も取り上げているセロトニン神経を鍛える方法が役立つと思います。例えば、2022年2月13日の投稿記事です。人生90年から100年時代を迎えています。長生きをしてもボケたり寝たきりというのではやり切れません。心身ともに健康で長生きするために、7つのサーチュイン遺伝子の学習は役立つと思います。
2023.05.07
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今日は2009年(平成21年)10月号の生活の発見誌の記事からその一部をご紹介します。この記事を読むと、日常生活の創意工夫が無上の喜びをもたらしていることが分かります。わが家の庭には、子猫のヒタイほどの畑がある。何も手を加えないので、ひどく痩せた土地になってしまい、野菜のできが悪かった。ある時、草を取っていて「この取った草を干して畑に入れれば、肥料になるのではないか」と思い、やってみた。それまでは、袋詰めにし、ゴミとして出していた。やがて次から次へと考えが発展して、庭木の剪定した小枝も、葉っぱと枝を分別して、葉っぱは干して畑に、小枝だけはゴミ出ししていた。そのうち、小枝もよく乾燥させ燃やし、その灰が土壌改良になった。いつの間にか、庭のゴミがすべて資源になり、捨てる物がなくなった。それだけではない。妻も米のとぎ汁を花鉢や果樹、野菜にやってくれ、毎日出る生ごみも分別して、畑に埋められる物を、私に渡してくれる。貝殻、卵の殻は砕いて、野菜のクズなどはそのまま埋める。畑には、ミミズやら小さな虫たちが多く住むようになり、その排泄物も肥料になっているのであろう。野菜が良くできるようになった。おもしろいのは、埋めた生ゴミから、カボチャの種やジャガイモの皮から芽が出て、それからも収穫がある。ジャガイモは少し小ぶりだけど、収穫してすぐにふかして食べる。あてにしていた物でないだけに、特別に美味しい。今、隔週ひとり暮らし(奥さんは実家の親の介護に隔週で出かけている)をするようになって思うことは、以前から、風呂の掃除、作業着の洗濯、昼食後の食器洗い、玄関の掃除、月二回の料理をしていたので、自分では家事手伝いを、よくやっていると思っていて、大きな顔をしていたが、実に恥ずかしい限りであった。これまで家事全般を妻にまかせっきりで、よく見ていなかったが、毎日の生活は実にやることが多く、妻のありがたさが、身にしみてわかった。今はまだひとり分の、最低限の家事だけではあるが、掃除のときに気づいた、手の懸かる器具等の手入れなどを、少しずつやるようにしている。もちろん何事も全力で。
2023.05.06
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今日はフラダンスショーに行ってきました。ハワイから来られたバック演奏者兼歌手の男性は今年88歳だそうです。歌って演奏して、女性のフラダンスを後ろから鑑賞するのが長生きのコツだそうです。趣味と実益を兼ねて、それは長生きするだろうと納得しました。
2023.05.05
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女子マラソンの高橋尚子さんや有森裕子さんを指導した小出義雄氏は、オリンピックでメダルを獲るような選手は素直であるという。「こうすれば強くなれる。今日はこの練習をやって、明日はこれをする。明日はきついけどこれをやるよ」と指導すると、自分なりに納得して素直についてくる。時にはきついから休みたいと思うこともあると思う。そういう気持ちを持ちながら監督のいうとおりに従うのである。強くならない人は、素晴らしい素質を持っていても、「監督、こんなにやったら疲れちゃいます」「今日はジョグだけにします」「私はこうやりたいんです」などと言って、練習方法を自分で勝手に決めてしまう。中には私の練習方法についていけないと言って辞めてしまう人もいる。実にもったいないことだ。監督の指示に素直であるか、自分の意向や意志を優先するかで、その後の成長に大きく差がつくと言われている。監督の指示に素直に従う人は、自分気持ちや意志がないように思われがちだ。しかし実際にはそんな気持ちが湧き上がらない人間はいないだろう。人間である以上、しんどい練習はできるだけ避けたい気持ちもある。苦しい練習よりもおいしいものを腹いっぱい食べてリラックスしたい。好きで楽しいことをして生活をエンジョイしたい気持ちもある。オリンピックで優勝して脚光を浴びたいという気持ちとともに、苦しい練習はできるだけ避けたい気持ちも同居しているのです。「休みたい 楽をしたい 人が見ていなければさぼりたい」という気持ちも持ち合わせているのが、普通の人間なのかもしれません。高橋さんや有森さんも例外ではなかったと思われます。どうして楽な方向に流されなかったのでしょうか。そういうネガティブな感情を素直に認めていたからではないのか。よくありがちなことは、その感情を抑圧してしまうことです。そんな怠惰な考え方を起こしてはいけない。そんなことではオリンピックでメダルを獲得することなど不可能だ。もしメダルが取れなかったら外出できなくなる。お世話になった人に顔向けができなくなってしまう。そんな気持ちを無理やり払いのけて悲壮な覚悟で自分を追い込んでいく。感情の事実を否定することはそこに莫大なエネルギーを消費します。ネガティブな感情を素直に受け入れた場合はどうなるのか。そうだよね。同年代の人は毎日の生活を楽しんでいるよね。結婚して、子供が出来て、子育てを楽しんでいるよね。確かにそれはうらやましいことだよね。でも今の私には大きな夢があって、それを追い求めている。そういった楽しみは後にとっておいて今は練習に打ち込んでいこう。監督の指導に素直に従っているとなぜだか夢がかないそうな気がする。感情の事実を素直に受け入れると、観念と事実が対立しなくなります。感情の事実を受け入れて、事実一色になると、エネルギーの無駄遣いがなくなります。その有り余ったエネルギーの有効活用が可能になります。ネガティブ感情を受け入れると、目的本位にエネルギーを集中させることができます。その結果として、運も味方してメダルを獲得されたのではないでしょうか。
2023.05.05
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現在のベランダです。シクラメンはまだきれいに咲いています。アジサイはもうすでにつぼみをつけています。
2023.05.04
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野球解説者の古田敦也氏は、人生でスランプに陥った時は、「人生のフォアボール」を狙えと言われています。古田さんは現役のときにスランプに陥った場合、ヒットを打つなどということは考えないようにしてバッターボックスに入ったそうです。ボール球は絶対に振らない、きわどい球はファールでよいという気持ちです。フォアボールで塁に出れば、チームに貢献したことになります。それなのに現実は調子の悪いときに何が何でもヒットを打ちたくなる。不調のときに見逃せばならないようなボール球を追いかけてしまう。その結果、ダブルプレーになればチャンスは一瞬でついえてしまいます。フォアボールはボールを振らないので消極的なようですが、チャンスが拡大する積極的な意味合いを持っています。これは神経症で苦しんでいる人にとって役に立つ考え方ではないでしょうか。神経症に陥った人はその苦しみから一刻も早く逃れたいと思っています。そのために、どうしても神経症と格闘してしまいます。その結果、神経症はよくなるどころか、精神交互作用が働いてどんどん悪化していきます。ではどうすればよいのか。神経症の程度にもよると思います。観念的、行動的な悪循環で仕事や日常生活が停滞している場合は、生活の発見会の協力医に診てもらうことが必要になります。苦悩でのたうちながらも何とか仕事や日常生活がこなせている人は、古田さんの「人生のフォアボール」ねらいが有効になります。神経症の苦悩を抱えながら、なんとか細々と日常生活をこなしていくことです。生活の発見会ではこのことを「超低空飛行」と言います。このメリットは多少なりとも神経症以外のことを考えられるようになることです。5%でも10%でも物事本位になっているのがよいのです。日常茶飯事をすべて家族に丸投げして、自分は症状を治すために格闘しているというのはお勧めできません。ますます神経症が悪化するからです。最低限の日常茶飯事に取り組んでいる人は今は苦しくても希望が持てます。神経症を克服した人は全てこの道を通過しているのです。次にそういう人は神経症の自助組織に参加されることをお勧めします。現在のところ生活の発見会の集談会をお勧めします。ほとんどの県に集談会はあります。月1回半日程度の交流会です。私は集談会に36年間通い続けているのです。現在はZOOMを活用した全国単位のネット集談会も生まれました。これで一挙に全国の神経症仲間とつながりました。神経症は仲間と切磋琢磨して乗り越えていくことが必須となります。学習としては森田理論の学習をお勧めします。森田理論は、神経症を克服するだけではなく、神経質性格者の生き方を教えてくれています。特に「感情と行動の法則」「感情の自然に服従する生き方」はとても役に立ちました。神経質性格者にとっては、今後の人生を乗り切っていくための必須科目と考えています。
2023.05.04
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私は森田理論の「感情と行動の法則」がとても役に立っています。具体的に言うと、生活の発見会が出している「改訂版 森田理論学習の要点」の11ページです。色々と説明されていますが、ポイントは次の2点だと思っています。・感情は自然現象で意志によってコントロールできない。・行動は自分の意志によってコントロールできる。この考え方をアレンジして次のように言い換えています。・感情は自然現象で人間の意志の自由が効かないので、そのまま泳がせておく。・次に感情に引きずられた行動をとるとさまざまな問題が発生するので、感情と行動はきちんと切り分ける。・そしてその時その場でもっとも適切な行動を選択して実行に移す。ここで問題になるのはマイナス感情、ネガティブ感情と言われるものです。不安、恐怖、怒り、悲しみ、嫌悪感などがあります。例えば自分のことを非難、否定されると激しい怒りが湧き上がってきます。その感情は自然現象ですので湧き上がるまま泳がせておくのです。鯉が池のなかを自由に泳いでいるようなイメージです。あなたが行きたいところに行ってくださいという感じです。森田理論で説明されているように感情は自然現象で制御不能だからです。マイナス感情を押さえつけるのは問題だと思います。そのまま受け入れて味わうように心がける。「あなたの気持はとてもよく分かりますよ」「そう感じるのも無理はありませんよ」と寄り添うのがよいようです。次に行動ですが、マイナス感情に振り回されるのは何としても避けたいです。感情と行動は水と油のように全く別物として取り扱うようにする。感情はどんなに荒れていても、行動は行動と考えるようにする。これは時化で海面は大波でも、海の底はその影響を受けていない状況と同じです。怒りや不平不満を態度にだすのは我慢するように心がける。暴言や嫌がらせなどの実力行使に出ると、人間関係がすぐに悪化します。一番いいのは、腹を立てているのが傍目には全然分からない。つまりポーカーフェースというのがよいと思っています。これは常に意識しているとそのうちできるようになります。その時その場に応じて、適切な行動がとれるように努力する。これは言うは易く行うは難しです。この能力が獲得できれば前途洋洋です。感情に引きずられて後先を考えない行動は子供によく見られます。私たちはもう子供ではありません。理性のある立派な大人です。他人や社会に迷惑をかけないように、その時その場に応じて適切な行動を心がけなければなりません。「感情の法則」で説明されていることは、容易に納得できることばかりです。納得出来たら今度はそれを生活の中に活用していきたいものです。その中でもネガティブ感情は自由に泳がせておく。そして感情に振り回されないで、その時その場で適切な行動を選択するというところは、ぜひともものにしたいことの一つです。
2023.05.03
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自分の持っているものを有効活用するためには定期的な棚卸作業が大切だと思う。私たちは森田で「物の性を尽くす」ことを学んでいます。そのものの存在価値を見つけて居場所や活躍の場を提供することである。この考え方を活用していくためには、定期的な棚卸作業がとても重要な意味を持っています。自分の持っているものにはどんなものがあるか。衣類、鞄、靴、携帯、書籍、電化製品、各種取扱説明書、重要保管文書類、写真、DVD、MD、カセット、通帳、財産、道具類、生活必需品、小物など様々あります。これ等を定期的に棚卸するメリット。・掃除ができる。・整理整頓できる。・こんなものを持っていたのかという宝さがしができる。・改めて活用方法を見直すことができる。・新たな居場所や活用の場を見つけられる。・不用品が処分できる。・バザーに出すと有効活用につながる。・欲しい人にあげると喜ばれる。全部を一挙にやろうとすると疲れます。範囲を決めて定期的に継続することが肝心です。1ヶ月に1つか2つの分野に取り組んでいくというのはどうでしょうか。ボツボツ始めると、弾みがついてそのうち時間を忘れてしまいます。私もこの連休は本や写真や書類の棚卸作業に取り組みたいと思っています。
2023.05.02
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4月4日に子どもにランドセルを選ばせるときの注意点について投稿しました。そのコツは男の子、女の子向けに区分けされた中から、自分の好きな色を選ばせることが適切であるということでした。そうすれば、男の子がピンク色のランドセルを選択することはなくなります。無難な色であれば、6年間使いつづけることができます。男の子が小学校に入る前に、ピンクのランドセルを選んだ場合、高学年になったとき、後悔することは容易に想像できます。子どもに自由に選択させるというのは教育上大切なことですが、親が枠を設定して、その枠内で自由に行動させるというのがポイントでした。今日はこれを発展させてみたいと思います。相手に、「こうしなさい」と自分の意志や考え方を一方的に押し付けるのではなく、選択肢を2つか3つに絞って相手の希望や考え方を聞くようにする。その枠内で相手に自由に伸び伸びと行動させるというものです。これを心がけると「かくあるべし」を相手に押し付けることを回避できるようになります。相手の自主性が尊重されることになります。例えば幼い子をスーパーに連れて行くと、欲しいお菓子を見つけて「これ買って」と駄々をこねて親を困らすことがあります。これは買い物に行く前に子どもにいくつか提案しどれにするか選択させるのです。1、今日はお菓子は買わない。それでも買い物についてくるのか。2、100円以内のものを1個までなら買ってもよい。3、好きなお菓子を買ってもよいが、今度の誕生日には何も買わない。4、週に1回だけは自由に買ってもよい。5、今日は家で留守番をする。どれでもいいから、あなたが自由に選んでいいのよ。この方法は子どもの考えがある程度尊重されます。親子関係が良好になります。対立することが少なくなります。子どもは親の提案の枠内で自由に考えることができ思考力が鍛えられます。自分で考えて選択したことですから、前向きに責任を果そうとします。自立心が鍛えられることになります。「かくあるべし」を自分、他人、自然に押し付けることが多い私たちも、この方法を取り入れてゆきたいものです。例えば外食する時に、相手に「洋食、和食、中華のどれがいい」と聞いてみる。相手の要望に沿った料理店を選択すれば、相手もうれしいはずです。これを神経症の克服について応用すると、1、薬物療法があります。不安はある程度軽減されます。即効性があります。但し根本的な治療法ではありません。また薬を何種類も長期間飲んでいると弊害が出てきます。2、認知行動療法があります。その中に暴露療法があります。不安を何段階にも分けて、徐々に不安に慣れていくというものです。認知療法は、考え方の偏り、認識の間違いを正していくというものです。基本的に不安をなくする方向を目指しています。3、森田療法があります。不安は欲望の裏返しで湧き上がってくるという考えです。不安と欲望のバランスを取りもどして、不安を問題視しなくなる方向を目指しています。また観念優先の「かくあるべし」を押し付ける態度が神経症の苦悩を招いているとみています。そこで事実に従う態度を身につけることを目指しています。最終的には、神経質者としての人生観の確立を目指しています。どの方向を選択するかはあなたの自由です。よく考えて自分の進むべき道を選択してください。最初から森田療法を勧めるよりも相手に選択権を与えるというのはどうでしょうか。
2023.05.01
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