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公明党川越支部が、さい帯血搬送ボランティア「ライフサポート川越」(石川百合子代表)らと今月初めから約2週間にわたって実施した、さい帯血移植のさらなる推進を求める署名運動の集計結果が今夜、分かった。何と72064人の市民が協力してくださった。川越市民が約33万3千人だから、5人に1人以上の市民が署名してくださったことになる。すごいことだ! 署名集めに走ってくださった皆様ありがとうございます。
2006.12.27
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挨拶回りか原稿書きかで迷った挙句、原稿に決めた。県議会へ行き、HPにアップする原稿や新年に出すチラシの原稿を夢中になって書いた。原稿を書いていると落ち着きます。おとといの話で恐縮ですが、久しぶりに小説を読んだ。浅田次郎さんの最新の短編集「月下の恋人」だ。『あなたに会いたい』に自分を重ね合わせた。すべてを引きずって生きることはできない。でも、忘れていたことも、きっかけがあれば思い出す。私は、原稿を書くが、事実関係を書くものばかりだ。政治家だから、自分で自分のことを「こんなにすごく頑張っている」と平気で書く。作家の原稿とは対極にあるような文章を書き連ねている。うーん。しばし考え込んでしまった。
2006.12.27
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12月26日は、川越市の国道16号新宿北交差点で幼い命が大型車に奪われてから1年。その命日に午前中から、西田まこと参院議員、石川りゅうじ川越市議と地元新宿自治会役員、岸町自治会役員、PTA役員の皆さんと現地を視察した。土砂降りの雨の中、献花した後、交差点の改良策についてご意見をお聞きした。岸町交番廃止後の防犯拠点でさらに突っ込んだ議論や自主防犯活動について事情をお聞きしたのに続いて、市役所に移り、職員と意見交換した。大宮国道事務所が27日に最終的な改良策をまとめるとこになっていたので、いいタイミングに西田氏が来てくださった。この後、防音壁設置要望のある国道16号のロジャース南の陸橋を視察し、ここでも自治会役員や支持者の皆さんからご意見をお聞きした。雨が降り続いていたので、背広はびしょ濡れで体は冷えきった。昼食をとることもできなかったので、余計に寒さが身にしみた。ラーメンを食べたい誘惑を乗り越え、今度は一人、川越県土整備事務所へ。要望をしていた4つの懸案事項についての回答を求めた。午後4時ごろに遅めの昼食をとり、「福の会」の懇親会の会場へ。妻とともに娘が受付担当で初めて出動してくれた。雨脚は強まる一方。ひょっとしてドタキャンが相次ぐかもしれないと最悪の事態を危惧したが、ところがどっこい。ふたを開けてみると、欠席の返事だったメンバーまで駆けつけてくださり、大きな盛り上がりを示した。「お父さんは幸せね」との娘の言葉が胸にしみた。
2006.12.27
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皆様こんにちは、私の名前は十郎りんごと申します。私達は秋田県で生まれました。育ての親は「佐藤十郎」さんです。十郎さんは、クワ一本で荒れた山々を開墾し、ランプ生活の中、私達を大事に育ててくれました。 やがて私達が立派な大木となった時に、今から10年前、十郎さんは収穫を目前に他界してしまいました。その時、切られそうになった私達を、お嫁に行った3女の保子さんが、「オラがやる!」の一言で2代目十郎リンゴがスタートしました。保子さんは人に聞いたり本を読んだり、十郎さんに比べると手荒いし、虫に食われるし、ウサギやクマさんに荒らされるし、ハラハラドキドキ・・・。保子さんのリンゴ作りは大変なものでした。 何度も何度もくじけそうになったけど、仲間達に助けられ頑張ってくれました。 しかし、そんな保子さんを待ち受けていたのは台風と収穫前の大雪でした。私達は根っこから倒れたり、あっちこっちの枝が折れたり…リンゴ史上初めての事でした。冷たく重い雪が真っ赤に色づいた私達を埋め尽くしたのです。その重さに耐えれなくなった枝がバキバキと折れ始め全滅になりかけた時、保子さんが腰ほどのある雪をブリブリと、こいで私達を手で掘りあげに来てくれたのです。雪を払う度に、リンゴと雪の重みで埋まってしまった枝が一本、また一本と起き上がって行きました。その時の保子さんの顔は、十郎さんの、あの開拓の頃の顔とよく似ていました。 倒れてしまったリンゴの木がイナバウアーをしていたり(写真参照)周りの人達に笑われたりして何回も何回もくじけそうになったけれど、、、保子さんはその度、強くなっていきました。 皆さん!辛く苦しい事の後は素晴らしい事が待ってますよ。明日が見えなくても未来は見えます。だから、どんな事があっても決してくじけることなく夢と希望をもってね、、 『蔵の財より 身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり』 遠く秋田のリンゴ山から、世界の平和と明るい未来を託し、皆さんに愛と勇気と希望を届けにまいりました。
2006.12.26
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県議会で仕事をしてから夜は東松山市で会議。終了後、明晩の「福の会」で配布していただく資料を事務局へ届けた。最高にうれしい出来事があったのは、その後。10時前にファミレスで落ち合って話し合った結果が、そのこと。うれしくて、うれしくて。元旦までの無事故とご本人の人生勝利を祈ります。
2006.12.25
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きのうも書いた通り会議の連続だった。でも、今年もあと1週間ということで、終わりが見えてきたことの気安さもある。なんて書き始めたらまだ積み残している課題、引きずっている問題がよぎった。土木事務所へ行ったり、相談ごとの相手先を訪問したり、年末の挨拶回り。2週間、議会にはりつけだったから、少し動くのが億劫な感じになっているけれど、気を取り直して、明日からまた、一生懸命頑張ります。
2006.12.24
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22、23日とお酒の席が2日続いた。久しぶりのビールとチューハイがうまかった。カラオケも歌い、2日間で約150人と握手し名刺をお渡しすることができた。県議を私ひとりだけ招いてくださる忘年会はとてもありがたい。カラオケも歌った。最近は、かなり古いが森昌子さんのデビュー当時の歌を口ずさんでいる。「同級生」はもともとよく歌うが、CDを借りて録音した「中学3年生」「記念樹」が大好きだ。「県議は純情路線ですね」なんて言われた。実は純情です。西郷輝彦の「君だけを」、三田明の「美しい十代」も十八番だ。でも、エレキアゲインでは舟木一夫の「高校三年生」を歌う予定だ。ここまでご紹介した曲の中で、寺内タケシさんの歌のない歌謡曲のCD6枚組みに入っている曲が「高校三年生」だけだから。この歌が流行った頃、私はまだ小学生だった。「ロッテ歌のアルバム」を毎週、見ていた。小学生の私にとって「高校三年生」という歌は、将来、自分がなるであろう高校生への憧れを抱かせた。青春のバイブルのような歌である。流行っていた頃は、就学旅行のバスの中でみんなが順番に歌を歌うのだが、御三家の歌は定番だった。私は、音痴だったから、あまり歌わなかった。40年以上が過ぎた今、歌うと、聴いている人は、正確なメロディーを歌っているかどうかよりも、懐かしさに拍手をしてくださる。でも、だから歌うのではなく、純情だから歌うのです。きょうとあすは会議が続いています。明年の大勝利のための。最後に、私の人生で、一番楽しかった時代のひとつは「中学三年生」です。すべてに憧れを抱くことができた年頃だったから。
2006.12.23
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きょうも慌ただしく過ごした。県議会の特別委員会では電子県庁について質問に立ち、総務事務センター設置による人員削減効果を質し、電子県庁の整備から今後は本格的な利活用の段階に入ることを踏まえて、人件費削減効果が生まれる提言した。ウイニーについてもお聞きしたが、埼玉県庁では何の影響も起きていないとの答弁だった。忙しくなったのは、委員会終了後。まず、マスコミ各社による選挙前恒例の顔写真撮影。ポスター写真と違い、簡単に終わるのはいいが、よい表情で撮影してもらえたかと思うと、もともといい男ではないので、不安が残る。その後、団会議。さまざまな意見が飛び交う。団幹事長の私としては、この会議の運営が最も神経を張り巡らす会議の一つ。きのう作成した研究文書も、A4版で10ページ分、全員に配布した。その後は、来客のラッシュ。臍帯血について公明党川越支部で展開している署名の提出法についても国会や関係者と電話で協議した。農業関係についての提案のメールも頂戴した。市民相談は3件。1件は極めて切迫していた。パソコンで原稿を書いていた勢いで、夜の会議に遅れることを承知で、ついついブログも書いてしまった。
2006.12.20
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赤松正雄代議士が今夜、所沢市内で行われた公明党の時局講演会に来てくださった。私は県本部の幹事会に出席したため、お会いできなかったが、西山県議によると、公明党らしさのよい面について、とても分かりやすくて、説得力のあるお話をしてくださったそうだ。赤松代議士は、公明新聞時代の先輩だ。すべての面において、大先輩である。私の机は、赤松さんのはるか後方だったが、政治部と関西支局で一緒に仕事をさせていただいたことがある。「日程が合えば応援に行くよ」とおっしゃってくださった。先輩はありがたい。過去三回の県議選では、太田昭宏代表に本番中の街頭演説会、時局講演会に来ていただいた。太田さんも公明新聞の先輩である。今年から太田代議士は公明党代表に就任されている。未熟な私が曲がりなりにも今日あるのは、太田さんや赤松さんをはじめ数多くの先輩が激励し、鍛えてくださったおかげである。
2006.12.18
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きょうは素敵なお話をお聞きした。自殺した中学生の出たA中学校へ、800個の「十郎リンゴ」が届けられた話だ。リンゴは、「皆様こんにちは、私の名前は十郎リンゴと申します」という表題のメッセージを記した紙に1個、1個、丁寧にくるまれていたという。校長先生が読み、生徒たちが涙に濡れたという。深く感動したので、その全文を書き写した。で、写し始めたら、深刻な相談事の電話が入り、約1時間。結局、午前0時を過ぎ、しかも、これから長男が会社の忘年会のため川越市駅にこれから到着するというので、迎えに行くことになりました。後日、書きます。きのうも、きょうも、寒さを感じさせない夜でした。
2006.12.16
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毎晩、この時間になってしまう。きょうは、国と県と市の「メンツ」のかかった案件について相談を受けた。さまざまな人が、それぞれの思惑で発言なさっている。原点に立ち還って整理しなければならない。きょうは15日になっていたのだが、忙しすぎたせいか、12日だと思い込んでいた。頭が回転していないようだ。これが議会開会中の怖さだ。案件が舞い込みすぎて、おかしくなっている。 そういえば新聞もまともに読んでいない。教育基本法改正案を参院で「強行採決」と報じていた朝刊もあったが、民主党の改正案と審議の中身を知りうる立場にある新聞社がが、よくもそこまでいえるものだ。「この前もお聞きしましたが」なんて切り出しの質問なんかを繰り返すことに意味があるのだろうか。私のHPにも「公明党に失望しました」といった抗議メールが届いていたが…。話は変わるが「義務教育は無料でしょ」と言って給食費を支払わない親、子どもが石を投げて学校の窓ガラスを割った時に「学校に石があること自体が悪いでしょ」という親などの例がきのうの本会議で紹介された。私自身もある保育施設の園長さんから、「発表会の時に、やけに陽気に声を発するお母さんだなと思っていたら、終了後、園のゴミ箱にチューハイの空き缶が捨ててあった」という話をお聞きしたことがある。「………」って感じです。
2006.12.15
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きょうが12月定例会の一般質問最終日。最後の質問が残念だった。まず、過去にご自身が質問したことについて、その後どうなっているのかについて聞きたいと前置きした後、10項目ほどの質問項目の表題を読むだけだった。議場に座っている議員の大半は、この議員の質問内容を記憶していない。だから何の説得力も持ち合わせない。その後、30分の持ち時間のうち20分近くを地元問題に費やした。どれもこれも、私が県政に送っていただいてから20数年間、取り上げてきたと話しながら、地元のことを大声で聞いていた。数多くの傍聴を呼びかけた努力は大きいものがあったかのかもしれないが、一般質問は、「地元のことに熱心だ」ということを見せつけるショーではない。この議員以外の議員は全員、地元問題は、最後に5分程度という暗黙のルールを遵守している。この議員は、これまでにも「オオトリ」の一般質問に立ったことがある。その時も、ほとんどの時間を地元問題に費やしていた記憶がある。懲りない。話が前後するが、その質問をしなければならない必然性について、全く述べずに項目だけを並べる質問の仕方は、今年の9月定例会でも同じ会派の議員が行い、ひんしゅくをかった。項目の表題だけを述べて見解を求めるのであれば、小学生だってできる。私が当選させていただいてから、間もなく12年になろうとしているが、この間、2人だけである。こんな質問をしたのは。情けない。苦りきった表情のまま、お誘いを受けた忘年会に駆け込んだ。額に汗して働く若い労働者が多く集っていた。そうした人たちと同席できたこと自体が、心地よかった。昼間とは対照的に、とても、さわやかなひとときを過ごすことができた。
2006.12.14
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目黒区オンブズマンのホームページによると、今度は自民党、民主党、社民党に住民監査請求を起こした。やはり、共産党は、対象から外れている。政務調査費をめぐる全国的な特徴だが、なぜか共産党だけは、対象にならない。共産党議員団の、政務調査費の使い方の最大の特徴は、「人件費」への支出の多いことだ。議員団の職員の社会保険料まで政務調査費を支出している。共産党以外の会派で、常勤の議員団職員を社会保険料込みで雇用している例は、寡聞にして聞いたことがない。目黒区の共産党のことは知らないが、私の知っているA県でも、共産党以外の会派を対象として「この視察は、本県の議会の政務調査活動には不必要だから返還を」という提訴がなされている。だが、共産党の人件費については「四六時中、政務調査に携わっているの?」という疑問符を、投げかけられていない。A県の場合は、面白い。県内視察は議員だけで出かけていても、泊りがけと思える視察には職員を同行させている。議員だけの視察では、調査が全うできないのだろうか。でも、A県のオンブズマンは、こうした疑問を持たないようだ。それでいて、金額の低い自民党の人件費については、牙をむいて襲い掛かっている。不思議な現象だ。共産党議員団が、税金で政務調査を補佐する職員を雇っているのは、紛れもない事実だ。埼玉県議会でも、共産党議員団の雇用する職員は、日曜日でも、真面目に一番乗りで県議会に来ている。一生懸命、議員の質問を補佐しているようだ。例えば、今は落選した共産党県議の場合、私は委員会で隣同士だった。その元議員は、本当に際立った特徴があり、毎回、ワープロ打ちされた原稿を棒読みしていた。棒読みとは、こういう読み方のことを言うのだという象徴的な例だった。女性議員が、「○○と思うが、どうか。次に△の問題だが、△は△と思うが、どうか」と男性の言い回しでずーと質問を続けるのだ。棒読みしないで、少しは自分が書いたように読めばいいのにと、いつも思わざるを得なかった。議員が議員としての質問原稿を書くのが本筋なのに、議員団職員が質問原稿を書いているとしか思えなかった。議員報酬のいただける議員は、用意された原稿を棒読みし、議員報酬のない議員団職員は、政務調査費という税金から、原稿作成の対価を得る仕組みなのかなと思ったりした。だれか、オンブズマンが共産党を追及の対象としない理由をご存知な方はいませんか。
2006.12.12
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朝一番から、さわやかな会合。チラシをさくっと作成し、必要枚数を印刷。整理部で新聞レイアウトの経験を積ませていただいたことに感謝。会議が2回。きのうは寒いし、雨。しかも、辛いことが重なったが、一転、快晴のもと、穏やかな心境で一日が過ぎていった。
2006.12.10
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これまで調査してきたスポーツ振興条例の詰めの作業、原稿の加筆修正、「ふくピー・ノート」の印刷と折りの作業、リーフレットの折りと入会申込書の印刷などをこなす間をぬって、市民相談が舞い込む。県庁幹部職員が来室する。来客が訪れる。電話がかかる。県議会控え室にいる間は、飛ぶように時間が過ぎていく。ようやく車に乗って、地元へ戻るまでハンドルを握っている間が、何となく自分を取り戻す時間。最近は、寺内タケシとブルージーンズの「ライブ・イン・モスコー」を聴いている。「いとしのエリーナ」「白鳥のまごころ」が想い出にひたれる名演だ。結婚前、妻へ最初にプレゼントしたのが、寺内さんのこのアルバム。
2006.12.07
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嵐のような催しだった。歴史に残る名演の奥底に流れている勝利への気迫が胸に迫ってきた。心に突き刺さった。えぇー、そこまで徹底してやってくださるの? 本当にありがたくて、ありがたくて。感動に打ち震えた。その後だったから、叫ばざるを得なかった。体全体の力を振り絞った。声を張り上げるたびに、足が地から離れ、飛び上がりながら五体全体の勢いを声に込めて話した。感謝の思いが口をついて出てきた。必ずや金字塔を打ち立てます。
2006.12.06
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感激に震え、感謝の思いのあふれる日が続いています。がんばります。ありがとうございます。
2006.12.05
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浦和レッズ優勝万歳!ブッフバルトが選手時代に何回か駒場に長男と観戦に行った。声をからして声援を送ったが、負けることの方が多かった。その長男がきのう録画しておいてくれたビデオをさきほど観た。感激した。昼間も、昼食をとりながら優勝を称えた新聞記事を読んでいて涙があふれそうになった。レッズ万歳!観客も埼玉スタジアムを埋め尽くす62000人強。スタジアム建設をめぐり、収容人数を6万人とするか4万人とするかで県庁、県議会が揺れ動いた時に、本会議の壇上で断固6万人を主張したのは、私だけだ。議事録に残っている。朝日新聞の県議会議員アンケートでも、公明党議員団だけが、一致結束して6万人を主張した。切り抜きを保管してある。歴史の記録である。当時、マスコミは4万人建設か、建設断念に追い込もうとしていた。大規模な公共事業批判が渦巻いていた。だから、県庁幹部職員も4万人に傾き、知事はだんまりを決め込み、県議は模様眺めだった。信念を貫き、堂々と論戦を挑もうと決めたのは公明党だけであり、論陣を張ったのは私である。当時、中学校のサッカー部でゴールキーパーを守っていた長男にも大きな影響を受けたことが懐かしい。サッカーを観戦したのも、この論議がきっかけだった。福田や福永がプレーしていた。そんな私も忙しくなり、レッズ戦を生で観戦しなくなって8年近くになる。当選1回目の頃が懐かしい。
2006.12.03
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