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商品化するとのうわさは聞いていたものの半信半疑だったがホンマにやりよった。まだ三分の一しか観ていないが、ステージはこんな感じだったのか。当日ステージ脇2階席で観戦、だいぶ印象が違う。狭そうに見える。撮り方がおかしいのか?撮り方といえば一部のカメラのみブレブレ。気になって仕方がない。似たようなアングルも多い。今までのLIVE映像とは明らかに違う。もうちょっとこういう撮り方があるだろ?と思いながらの鑑賞。LIVEの商品化は約10年ぶり。自分で電話を掛けて会場の交渉もするぐらい経費を節約しているので安いスタッフで妥協したのかもしれない。スタッフを入れ替えたのかもしれない。その点だけが残念だが、商品化してくれただけでも奇跡なので信者は素直に受け入れる。それにしても75歳でこのパフォーマンス。走りながら歌ったと思えばピタッと止まってバラード。息切れなし。『河内音頭』もアカペラで熱唱します。『河内音頭』の壮絶な歌詞に絶句。そんな感じで歌いまくりの3時間。還暦ドームツアーの時もすごかったがもっとすごいことになっている。すげーよ。。。今年で76歳。
2024年01月25日
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切ないなあ。大忠臣蔵 第13話「討ち入り 後編」浅野家を去った後、松平綱豊のお手付き中臈となっていたおきよは綱豊に赤穂浪士たちの刑を嘆願する。カワイイおきよに頼まれ困っちゃった綱豊は学問の師匠・新井白石(石濱朗)に相談する。世間の声は圧倒的に赤穂浪士たちを支持している。「天下万民の声を心とする。そのお気持ち尊く存じまするが、浅野浪士の件は今しばらくお待ちあそばしませ。天下の法にかかる大事、柳沢と荻生徂徠がどう発言するか」。「大事を成し遂げて既に半月。異常に高ぶった気持ちも静まり誰もがふと我に返っていた。一人の人間に戻って親を思い、子を思う」(ナレーション・城達也)。片岡源吾右衛門は父親と兄に宛てた手紙を書いていた。二人には仕官のため江戸へ行くと嘘を言って別れたのだ。果たして手紙を読んでくれるか。原惣右衛門は仇討ちの決意に迷いが生じないよう自害した母親のことを思い出していた。水野邸では些細なことで喧嘩、それを神崎与五郎が仲裁、矢頭右衛門七が母親と妹たちのことを思い出していた頃、母親の許を寺坂吉右衛門が訪ね、無事に本懐を遂げたこと告げ、右衛門七からの金子をそっと手渡していた。松平邸では年越し蕎麦が振る舞われていた。やっぱり蕎麦は豊岡が一番、わざわざ買いにいったなーと不破数右衛門と堀部安兵衛が懐かしそうに話す。豊岡と聞いて大石主税は母・理玖や妹たちのことを思い出す。妹たちは父・内蔵助と兄・主税が帰って来ても良いように年越し蕎麦を用意していた。理玖は主税との別れを思い出し涙を流す。そして元禄十六年。細川邸から母子鶴の凧が見える。富森助右衛門の妻・るんと息子が上げている。細川家の家臣は富森助右衛門に凧をあげるよう父鶴が描かれた凧を持ってくる。互いに手繰り寄せて父鶴と母子鶴が近づく。微笑ましい光景に堀部弥兵衛や奥田孫大夫たちがあやかりたいと一緒に凧をあげる。内蔵助もにっこり。そんなこんなで柳沢吉保は荻生徂徠の考えを綱吉に報告する。「それは内蔵助たち討ち入りは確かに情においては称賛されるべきだが、法律の上では罪人である。情に絡まれて法を曲げては世の乱れの元となる。罪は罪として裁き、武士の礼を持って死なせてやれば情理共に立つという論だった。武士の礼を持っての死とは切腹である。こうして浅野家遺臣たちの処分は決定した。綱吉の裁断は下り、お預かり先の細川家ほか三家に対し通告がなされた。切腹は明日午後二時と決まった」(ナレーション・城達也)。その夜は雨。皆寝付けない。しかし皆が傍にいるような気がする。元禄十六年二月四日午後二時。内蔵助たちに改めて切腹が申し渡される。同時に上野介の養子・吉良義周も仕方不届を理由に領地召し上げの上、諏訪へ預かりになったことが伝えられる。「内蔵助の言葉通り今回の一挙により公儀を動かしたこと、まさに一堂にとっては本懐であった。吉良左兵衛義周は信州高島・諏訪安芸守の許にお預けとなり吉良家は十八代にして断絶となる。戦いは終わった。武士の面目を立てるとはかくも辛く惨いものかと色部は思った。赤穂城、幾多の辛酸をなめた浅野家遺臣の夢の跡。今この静かなる姿を眺め万感胸に迫る瑶泉院であった」(ナレーション・城達也)。こうして切腹が行われる。不破数右衛門と堀部安兵衛に笑顔で見送られる大石主税「あふ時は かたりつくすと思へども 別れとなれば のこる言の葉」。堀部安兵衛「梓弓 ためしにも引け 武士の 道は迷わぬ 跡と思はば」。そして内蔵助の名が呼ばれる。「畏まってござる。方々お先に参る。さらばじゃ」。切腹場所へ向かう内蔵助。「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」。「元禄十六年二月四日午後四時、大石内蔵助ほか四十五人は旅立った。春遠からぬ夕空に寒月、但馬豊岡の実家で同じように見たであろう大石理玖は夫と長男の切腹を知ると髪を降ろした。法を犯した者の罪は家族にも及び遠島流罪、残された家族にとって二重三重の悲しみである。心痛めた浅野内匠頭の未亡人・瑶泉院は減刑歎願を幕府に願い出たのである。その甲斐あって三年後には許されることになった。年月が立つと浪士たち賛美の声は満天下に広がった。義士は武士の鏡であると残された遺児を大名たちは召し抱えに懸命となった。大石の三男・大三郎も広島浅野本家に千五百石の高禄で召し抱えられた。義士たちの思いは残された家族たちを温かく包み、その心は長く生き続けて行った」(ナレーション・来宮良子)。お・わ・りこりゃ何とも凄まじい話だなあ。。。
2024年01月21日
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今日も寒いな。大忠臣蔵 第12話「討ち入り 中編」上野介は見つからない。もうじき夜明けでやべーよ。内蔵助は静かに探し出せと命令する。物音を立てれば警戒するつうの。そこでコッソリ探しまくったところ小屋の中に隠れている上野介を発見。小屋から出てきて赤穂浪士四十七士と御対面。「我らは故浅野内匠頭の遺臣。亡君の鬱憤晴らさんがため推参つかまつった。さ、武士の作法に則りお腹を召されませい」。上野介あっさり切腹&介錯。じーん。「御一同・・・勝鬨!」「えいえいおー・・・えいえいおー!・・・えいえいおー!!」。お隣の土屋主税もじーん。「吉良邸の火元を全て消し、上野介の遺骸も居間に安置し、なお上杉の追手の掛かるのを回向院表門で待ち受け追手掛からずと見て、亡君内匠頭の眠る高輪泉岳寺へと向かった。屈辱の城明け渡しから一年と八ヶ月後であった。明けて元禄十五年十二月十六日、主君の仇を討った浪士たちを眩い朝の光が包んでいた。この時、刃傷以来一年有半に渡る様々な出来事が大石内蔵助の脳裏をよぎった。それは亡君浅野内匠頭の無念であり、愛する妻子たちとの別れであり、そして志半ばに脱落していった同志たちの姿であった。赤穂浪士討ち入りの報が江戸の町を旋風のように駆け抜け、その姿を一目見ようとして群衆が我も我もと押し出してきた」(ナレーション・城達也)。蕎麦屋の久兵衛は神崎与五郎に駆け寄って大感激。「でかしたーでかしたー!アンタたち立派だヨー!お侍の鏡だー!」。畳屋の政吉(五木ひろし/主題歌担当)も駆け付けましたよ。富森助右衛門の妻るんは声を掛けることができない。るんが傍に駆け寄っていることに富森助右衛門は気づかない。そしてお忍びで来た浅野家の元側室おきよも不破数右衛門にねぎらいの言葉を掛ける。「生類憐みの令を犯してお犬様の危難から救ってくれた男のことをきよは今も想い続けていた。初恋であった」(ナレーション・城達也)。そんなこんなで江戸は朝から大フィーバー。その頃、内蔵助から任務を受けた寺坂吉右衛門(吉岡祐一)は三次浅野屋敷へダッシュ。瑶泉院に本懐を遂げたこと、一人も欠けることなく高輪泉岳寺へ向かっていることを報告する。瑶泉院じーん。その頃、内蔵助たちは泉岳寺に到着。内匠頭の墓前にお手紙と蝋燭、線香が置いてあった。「それは最後まで表舞台には出ず、黒子に徹した大野九郎兵衛の亡き殿への忠義であった」(ナレーション・城達也)。内蔵助じーん。そして上野介の首を墓前に置くと「恐れながらご報告致しまする。上野介殿をこれに召し捕らえて参りました。今こそ積る御鬱憤をお晴らし下さいまし。殿の即日の御切腹、御家は断絶、しかも上野介殿には何らお構いなし。係る公儀の理不尽に対し我らがなすべきことは唯一つ、上野介殿を討って天下の御法を土足で踏みにじることでございました。思えば去年四月十九日、内蔵助の一存にて赤穂の御城を明け渡しました。長きに渡り浅野家から極運賜りながらただの一戦も交わることなく引き下がりましたる段、誠に申し訳なく内蔵助、幾重にも・・・幾重にもお詫び申し上げる次第でございます。ここに控えております者共、妻子を捨て、父母きょうだいに別れ、赤貧に耐え、世間からは罵られ蔑まれ、ただひたすら今日のこの日の来るのを待ち侘びて参りました。殿、何卒、何卒この者共にお言葉を賜りとう存じます」。全員じーん。感極まって切腹しようとするがそれダメ。「我々の本懐は吉良殿の御首級をあげることだけではなかったはずだ!亡き殿の吉良殿への恨みは晴れもうしたが、公儀に対する無念は晴れておらん。喧嘩両成敗は鎌倉幕府以来の武家の法。建前のみに囚われてこの不公平な裁きを下した公儀の者共一人一人、今一度我々が命を懸けてその非道さを思い知らせてやることが真の赤穂魂ではないのか」。じーん。「大石は旧浅野家臣とは名乗らず播州赤穂浪士と名乗った。それは幕府の凶悪政策のため三万人を数えたと言われる浪人たちの怒り、その思いを背にして立ち向かったのであり、碌を失った内蔵助の気概でもあった」(ナレーション・城達也)。そんなこんなで上野介が討たれたことが大目付を通じて柳沢吉保にも届く。そして「泉岳寺から大目付・仙石伯耆守の屋敷に移された浪士たちは今や遅しと公儀からの沙汰を待っていた。お預け先は細川越中守、松平隠岐守、毛利甲斐守、水野監物の四家と決まった」(ナレーション・城達也)。赤穂チームは別れを惜しむ。友情パワーでさわやか笑顔の大石主税と矢頭右衛門七。「如何に主君のためとはいえこの二人、大石主税が十五歳、矢頭右衛門七が十七歳である。哀れというほかない」(ナレーション・城達也)。内蔵助も主税と別れの挨拶を交わす。「思えば其方の顔をこれほどまでにまじまじと見つめたことは無かった」。「こうして赤穂浪士四十六人は四家に分けられ、そして今これが今生の別れになるのだった。一方、幕閣では諮問機関の評定所に対して答申を求めた。定例であれば寺社奉行、勘定奉行、町奉行の三奉行で評議するのだが、ことがことだけに大目付も立ちあった最大級の評議となった。答申書を提出したのは十二月二十三日。内容は一言で言うなら浪士に対して同情的であり情状酌量を強く訴えたものだった。報告を受けた幕閣は将軍綱吉に献上、併せて諸大名から寄せられた意見も具申した。処刑か、宥免か。いずれにしろ答えは二つに一つしかない。ただ数の上では圧倒的に宥免派が多かった。綱吉はさらに学者の意見を求め、今回の一挙に対する見解をまとめるよう指示した。このような慌ただしい公儀の動きをよそに一向に動こうとしなかったのが柳沢吉保である」(ナレーション・城達也)。柳沢吉保は荻生徂徠(楠年明)に意見を求めていた。「法で裁き、情を立てる。情理を尽くした論法が上様を納得させうるものであれば良い、と存じます」。それには時期将軍と噂される甲府宰相・松平綱豊(中村吉右衛門)の動向を見極める必要があった。松平綱豊が助命派ならことは面倒、ブレーンに新井白石がついている。つ・づ・く次回感動の最終回。
2024年01月21日
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雨がしとしと日曜日。大忠臣蔵 第11話「討ち入り 前編」「東京都墨田区両国三丁目十三番地。その昔ここで起こった事件が天下を震撼させた。元禄十五年十二月十五日午前四時、本所一つ目回向院裏を進む黒ずくめの異様な集団がいた。それは吉良邸へ討ち入る赤穂浪士四十七人だった。火事装束は役人に見咎められないためであった。失敗は許されない」(ナレーション・来宮良子)。つうことで吉良邸到着。ミッション開始!「御家断絶から二年。二百有余の家中から今、命を懸けて戦っているのは四十六人。そしてこの戦いに勝っても待っているのは法による処罰である。ある者は主君と家を守り得なかった自責の念に燃えていた。ある者は亡き父の志を継ぎ母と妹たちを残して僅か十七歳の若い命を燃やした。ある者は町人姿で耐え忍んだ二年の屈辱に晴れて武士姿で立ち向かった。ある者は生涯に二度も仇討ちをする運命に耐え、ある者は既に浪人なのに九州浅野家に殉じた」(ナレーション・城達也)。片岡源吾右衛門、矢頭右衛門七、前原伊助(米屋五兵衛)、堀部安兵衛、不破数右衛門のエピソードをさらっとおさらいしながら吉良邸に侵入、ついに赤穂チームVS吉良チームが激突する。太鼓を叩きまくる内蔵助。「東西七十三間三尺。南北三十四間二尺。総坪数二千五百坪の吉良邸には家臣たち、上杉家や浪人取り立ての付け人たちが厳重に守っていた。表から侵入した隊は四手に分かれ、内蔵助たち指揮班と屋内へ切り込む片岡源吾右衛門ら九人、長屋からの付け人たちを遮断して倒す神崎与五郎ら六人、同じく長屋から表へ脱出しようとする者に備える堀部弥兵衛ら五人。西すなわち隠居所のある裏門から突入した堀部安兵衛ら十人、内堀を越えて庭へ入った大石主税ら十一人、裏門を固めた吉田忠左衛門ら三人、これが裏門隊の算定二十四人である」(ナレーション・城達也)。早朝からの大騒ぎにお隣に住んでる旗本・土屋主税(中村智太郎)もファイティングポーズ。しかし事情を知ってじーんとしたね。ウチに逃げ込んだ奴は吉良邸に追い返せと家中たちに命令する。つうことで吉良チーム劣勢。そこで吉良チーム最強家臣・清水一学を投入、山吉新八郎&小林平八郎コンビと共同戦線、夜明けまでにケリ付けよーぜ。しかし上杉家からの応援は無い。一方、赤穂チーム激進しまくりぶっ殺しまくるが上野介が見つからない。いっそ火を着けて炙り出す?さすがにそれはダメ。そこで内蔵助は誘い出す作戦を考案「潔く死を覚悟している者どもだ。戦いを恐れず血の気も多いはず。卑怯未練と罵れ。必ず出て来る」。つうことでブーイング作戦開始。「おめーら超ダセー。ガハハハ」などうんこチンチンレベルの挑発にまんまと乗っかる清水一学。吉良チームの体制が乱れ始める。山吉新八郎は女を逃がそうとするが、女物の着物を羽織って脱出しようとした小林平八郎だった。「もう守り切れん。今となっては上杉の力を借りるよりほかはない!」と主張する小林平八郎、徹底抗戦を訴える山吉新八郎。結局、小林平八郎は脱出に失敗、上杉家からの援軍が叶わないまま討ち死にする。その頃、色部又四郎は援軍を送ろうとする上杉綱憲を必死に止めていた。上杉家は関ヶ原合戦で百二十万石から十五万石まで減俸、辛うじて生き永らえている弱小藩、これ以上幕府に目を付けられたら御家断絶でやべーつうの。「恐れながら殿は御一代、御家は万代にございます」。坊やにはそれが分からない。「色部又四郎は一身を掛けて綱憲を押し留めた。上杉謙信以来、五代に渡ってきた藩の歴史とその家族たちの生活を失うことを断固拒んだのである。色部又四郎も家老としての生命は終わった」(ナレーション・城達也)。つうことでなかなか上野介が見つからない中、ラスボス・山吉新八郎と対決する赤穂チーム。山吉新八郎は名乗らないまま赤穂チームに敗れる。不破数右衛門は絶命寸前の山吉新八郎の声を聞く。「冷たい・・・冷たくなってきた・・・斬れ!」。とどめを刺す不破数右衛門。つ・づ・く
2024年01月21日
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そろそろ俺に国民栄誉賞を与えて下さい。大忠臣蔵 第10話「いのち雪に散る 後編」「ここにも辛い忠義があった。浅野家とは異なる上杉家の武士の辛さが。様々な人生の危機を孕んで時は次第に迫った。十二月三日、大高源吾は山田惣円から吉良邸に茶会があることを聞き込んだ。十二月六日、早朝からの茶会であった。それならば五日の夜、上野介は必ず在宅する。内蔵助は決行を決めた。がその茶会が不意に中止されたのである。将軍綱吉の柳沢吉保邸へおなりが急に決まり、それに遠慮しての中止だとして。すると内蔵助は討ち入りを延期したのである。全員が反発した」(ナレーション・城達也)。しかし却下。「数日後、江戸に本格的に雪が来た日、再び吉良の情報が入った」(ナレーション・城達也)。十四日の夜に茶会が決定。「十四日の夜、上野介は確実に在宅する。内蔵助は直ちに茶会の情報の確認と出動の準備を命じた。そして十四日」(ナレーション・城達也)。内蔵助は大野九郎兵衛から瑶泉院の化粧代六百九十一両を回収し受け取ったことを確認する。大野九郎兵衛は内蔵助に伏見でのばか遊びについて質問。あれは敵の目をくらますだけだったのか?内蔵助は目を細めて楽しそうに答える。「楽しかった・・・楽しかった。忘れられん・・・」「それが貴方にとって華やったんですな」。その後、内蔵助は瑶泉院の許を訪ねる。戸田局(チャータム)や腰元たちに囲まれ討ち入りのことをあれこれ聞かれるが「はて?」とボケまくり。さらに今回の一件を「それは申しにくいがあの一件は謂わば殿様御短慮ゆえの身から出た錆と申しますか・・・」とさらっと暴言ぶち込ます。それを聞いた瑶泉院ぶち切れ、化粧代も武器購入に充てるはずだったが「はて?私は浪々の者共が身を足すための御志と・・・」と言って六百九十一両の明細書を渡そうとするが屋敷から追い出されてしまう。その際しれっと残した明細書を新入り腰元・お梅(斎藤絵里)がゲットするが、挙動不審っぷりからあっさり取り押さえられる。お梅は吉良チームのスパイだった。明細書には討ち入り準備にかかった費用の内訳が記されていた。瑶泉院じ-ん。屋敷を後にする内蔵助の後ろ姿に向かって手を合わせる。そして討ち入りが決定する。最終トレーニングに打ち込む毛利子平太。子どもと凧あげを楽しむ富森助右衛門。「本所一つ目の蕎麦屋が集結場所だ。まだ蕎麦の普及したてで蕎麦とは言わず蕎麦切りと言われていた頃である」(ナレーション・城達也)。続々と二階に集結する胡散臭い男たちを胡散臭く思う主人の久兵衛(原哲男)。酒と蕎麦切りを四十八人分注文される。その頃、毛利子平太は角屋・まゆ父娘から婿入りを懇願されていた。もちろんお断り。「何故まゆを娶っては下さいませぬ!?」「まゆ殿・・・私は赤穂の浪人なのだ」。アンヌ隊員のようにショックを受ける角屋・まゆ父娘。「では・・・もしや今夜が!?」。まゆは諦めることが出来ず、祝言を上げ妻として毛利子平太を送り出す。一方、蕎麦屋の二階では全員ユニフォームに着替えて殺る気満々。その様子を見た久兵衛びっくり。「強盗に出す酒はねー!」。しかし、あら、ひょっとして・・・「それじゃ皆さん赤穂の・・・大石様で!」。慌てて酒を用意する。そして吉良邸でも山吉新八郎と小林平八郎が最終決戦に向けて思いをはせていた。「山吉には死の予感があった。何のために戦うのか、何のために死ぬのか。武士道とは詰まるところ死に行く者の道であった」(ナレーション・城達也)。上野介は予定どおり茶会を開いている。毛利子平太が蕎麦屋へ向かおうとした頃、内蔵助はシャウト。「いよいよ討ち入りとなりもうした。目指すは吉良殿只一人。御首級頂戴できず事失敗に終わった時は一同直ちに自決。我らはこの一挙に加われなかった者たち、我らを支えてくれた人々に成り代わって武士の面目、浅野家の面目を立てんため潔く戦おうではないか!」。門屋・まゆ父娘は毛利子平太を見送るが、その直後に強盗が押し入る。門屋は重傷を負いながらも毛利子平太を追いかけ、まゆの助けを求めて息を引き取る。毛利子平太はまゆを助けるため強盗一味と激突。そして鐘が鳴る。「寅の一点、午前四時。武士の世界の故実では討ち入りの時とされている。その鐘が鳴った」(ナレーション・城達也)。毛利子平太は内蔵助たちの前には現れなかった。「子平太には子平太の生きる道が出来たのであろう。では御一同・・・参ろう!」。毛利子平太はまゆのために戦っていた。「それが子平太の初めての生き甲斐、そして死に甲斐」(ナレーション・城達也)。まゆの目の前で何度も斬り刻まれる毛利子平太。吉良邸に向かう内蔵助たち。毛利子平太はまゆを守って絶命する。「子平太は幻の討ち入りを見た。同志たちの討ち入りを。それはこの討ち入りのために身を捧げ、死んでいった者の討ち入りだった。三平が、お軽が、田中が、郡兵衛が、おてつがいた。そして子平太自身の姿も」(ナレーション・城達也)。白装束姿で吉良邸に討ち入る萱野三平、お軽、田中貞四郎、高田郡兵衛、てつ、毛利子平太。そして内蔵助たち。つ・づ・く
2024年01月20日
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白飯とこんにゃくを食べながら考える。大忠臣蔵 第9話「いのち雪に散る 前編」「大石の復讐の決意を聞いて分裂寸前の同志が再び団結を契り合った丸山会議ののち、上方の同志が江戸に集まった。吉良の屋敷のある本所松坂町。隅田川から程遠からぬ相撲で有名な両国国技館の近く、東京都墨田区両国三丁目十三番地である。この本所付近に名を偽り、決行の日に思いをはせながら耐えて忍ぶ浅野の家臣たちの苦闘の日々が続いていた。戦いは浅野家の男たちだけでなく、吉良家の家臣、上杉家の付け人たちの戦いでもあった」(ナレーション・来宮良子)。清水一学ら吉良チームが押し込み強盗を装って赤穂チームを襲撃する。重軽傷者続出。「浅野方も吉良方も事件を伏せたので公にはならなかった。顛末を聞いて衝撃を受けたのは吉良家防衛を陰で支える上杉家の家中だった」(ナレーション・城達也)。色部又四郎は吉良チームの暴走に激怒、これでは幕府の思うつぼ。浅野家、吉良家だけでなく上杉家も潰されてしまう。「衝撃は浅野側をも襲っていた。これほどの積極的な攻撃を吉良側が見せようとは思いもかけなかったのである。江戸の同志たちには焦りがあった。そして江戸に続々と下りつつある上方の同志たちにはまた別の悩みがあった。家族を残す者は生活費を置いて行かねばならず、家族を連れて来る者は旅費がいった。上方から江戸まで百三十里、所要日数十二、三日、旅費一人ほぼ三両。大金である」(ナレーション・城達也)。しかも女には女通行手形が必要だ。母親と三人の妹を連れていた矢頭右衛門七は十六歳、世間慣れをしておらずめんどい規則があることを知らず、母親に説得され一人江戸に向かう。神崎与五郎も道中、ちんぴら馬子の丑五郎(粟津號)に絡まれる。人目につかないよう穏便に事を済ませようとするが、調子に乗って詫び状を書け(※漢字が読めないのでひらがな限定)だの生ケツを披露して股の下をくぐれだのパワハラ三昧。屈辱スパーク寸前。「ならぬ堪忍、するが堪忍。有名な神崎与五郎の股くぐりである。この丑五郎は討ち入り後、四十七士に神崎の名前があるのを知り、驚き、後悔し、頭を丸めて生涯神崎の墓の墓守になったと伝えられる」(ナレーション・城達也)。そして内蔵助と主税ほか五人の行方が分からなくなる。色部又四郎は山吉新八郎におばかな吉良チームから内蔵助を守り、無事に江戸へ入れるよう命令する。内蔵助が江戸に入れば赤穂チームは結集する。結集すれば徒党を組んだことで罪になる。赤穂チームを幕府に潰させる作戦だ。「忽然と消えた内蔵助はこの草津にいた。大石内蔵助の名前ではなく京の公家、日野家の用人・垣見五郎兵衛として。大石家は摂関・近衛家の筋であり、その手づるで日野家の用人に成りすましたのである。しかし本物の垣見五郎兵衛もまたこの草津の宿に入った」(ナレーション・城達也)。本物の垣見五郎兵衛(片岡孝夫)はビッグな男なので直接偽物に接見。「なんだチミは?」「お前こそなんだチミは?」など延々とボケ合戦展開。スーパービッグな内蔵助は本物に向かって「さてさて肝の太い偽物じゃ」と余裕ぶっこき、近親者の名前、誕生日まですらすら回答するが、少納言公認の往来切手を持っているかと聞かれるとちょいビビり「止むを得まい。そなたのみ披見許す」と言ってただの白紙を差し出す。しかし紙切れを包んでいた風呂敷には浅野家の家紋が記されていた。垣見五郎兵衛は全てを悟ってじーんとする。「恐れ入った。偽物はいかにもこの方。先ほどの無礼お許し下さい」。狼狽する本物の侍従たちを内蔵助一喝。「控え!よくよくの事情もあろう。これは見逃して遣わす。密かに立ち去れ」「ありがたきそのようなお言葉。しからば某が所持いたす偽りの往来切手、御貴殿に引き渡し申すことに。如何様にもご処分あれ」。超ビッグな男二人。その頃、江戸では赤穂チームのメンバー・毛利子平太(石原良純)がちんぴらに絡まれていた門屋伝右衛門・まゆ父娘を助けていた。このことがきっかけで門屋(中田浩二)とまゆ(大西結花)に気に入られ店にスカウトされる。門屋は商売柄、権力者たちとの付き合いが多く、吉良家もその一つだった。「十一月五日、内蔵助は鎌倉や川崎の仮住まいを経て密かに江戸へ入った。直接入らなかったのは幕府や上杉家を警戒してのことだった」(ナレーション・城達也)。江戸の赤穂チームは既にユニフォームを注文、武器の手配、合言葉も決定など着々と準備を進めていたが、吉良邸の絵図面だけは入手できずにいた。ある日、毛利子平太はまゆの付き添いで吉良邸へ訪問、庭の造りをばっちり観察。上野介も目撃、米沢へ隠居する話までゲットする。その話を聞いて内蔵助は柳沢吉保が浅野家、吉良家、上杉家を衝突させ一気に潰そうとしていると考える。敵は吉良家でも上杉家でもない。「相手はご公儀。これは御定法を無視しての理不尽なご採決への我らが物言いじゃ。そのためにこそ上野介を討つのだ。狙うは吉良一筋」。ではいつ上野介を狙うか?上野介が茶の湯マニアと聞いて俳諧の心得のある大高源吾(佐古正人)をスパイとして送り込む。その頃、上野介は色部又四郎相手に我がまま言いまくり。色部又四郎はのらりくらりかわしながら上野介を江戸に留めようとしていた。上杉家を守るため上野介を見殺しにする。「防ぐのだ。防ぎ抜くのだ。それが上杉の面目だ」。防ぎ切れなかった時は死んで上杉の面目を果たせ。つ・づ・く
2024年01月15日
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お餅食べようかな。大忠臣蔵 第8話「吉良の逆襲 後編」「この時、理玖は三十八歳。但馬豊岡の実家へ帰った時、五人目の子どもを出産した。大三郎と名付けられたその子の顔を無論大石は一度も見ることが無かった」(ナレーション・城達也)。つうことで高田郡兵衛脱落にがっかりだよ。熱いものは冷めるのも早い。脱落者が続出しないか心配だが「それにしても何故あの郡兵衛が・・・?」。その頃、婿養子入りした高田郡兵衛は今ももやもや。そこに謎の覆面侍たちが襲撃「裏切り者は許しておけぬ!」。内蔵助の指図で自分を消そうとしているのか?高田郡兵衛の推理ハズレ。覆面侍たちの正体は清水一学率いる吉良チーム、赤穂チームの攪乱が目的だった。お蓮のゲスなやり方に山吉新八郎はやり過ぎるとブーメランが帰って来るぜと忠告する。高田郡兵衛はすっかり疑心暗鬼。その頃、内田三郎右衛門は懇意な間柄だった色部又四郎を訪ねていた。色部又四郎は高田郡兵衛を婿養子に迎えたことを知る。内田三郎右衛門は高田郡兵衛にベタぼれ、娘のてつは色部又四郎の父親が斡旋した養女であり血のつながりは無いが嬉しくて仕方がない。「まこと人生とは・・・色々あるものですな」。色部又四郎は複雑な表情を浮かべる。てつはお蓮の妹だった。そんなこんなで内田三郎右衛門が色部又四郎と繋がっていたことを知った高田郡兵衛は被害妄想びんびん、問答無用で斬り捨てる。この件で町方から追われ、早速浪士たちの耳にも入る。そして翌朝「高田郡兵衛は高輪・泉岳寺にある浅野内匠頭の墓前で切腹して果てたのである。良くも悪くも情熱的な男の非業の死であった。悲劇はそれだけに終わらなかった。郡兵衛が自刃した翌日、祭りで賑わう両国橋の川瀬で若い女の水死体が発見した」(ナレーション・城達也)。お蓮はてつが身に着けていたお守りを握りしめて号泣する。色部又四郎は山吉新八郎にすっかり腑抜けになったお蓮を始末するよう命令する。山吉新八郎は色部又四郎のやり方に憤り泣き崩れるお蓮に「江戸を出ろ」と告げると男と女のビッグラブ。「元禄十五年の春から夏にかけて赤穂方、吉良方共に目立った動きは見られず、浅野大学による御家再興も膠着状態の様相を見せ始めていた。その頃、伏見の撞木町を中心に島原、祇園さらには大坂、奈良の遊郭まで股に掛けた遊蕩児の存在が世間の噂になっていた」(ナレーション・城達也)。内蔵助、大勢のホステス相手に連日遊びまくり。それに付き合う小野寺十内らも毎度朝帰り。妻に迷惑かけて悪いなー。「大石放蕩の噂は地元のみならず江戸にまで届いていた。在府の同志たちはこの事態に対処すべく協議を行った」(ナレーション・城達也)。一致団結を誓ったはずなのに江戸の連中は未だに内蔵助への不信感を払拭できず。「元禄十五年六月十八日。堀部安兵衛と奥田孫大夫の二人が江戸を出立、一路京へ向かった。在府の同志たちを代表して大石の真意を正し、場合によってはこれを斬るのが目的である。六月二十九日、京へ到着した二人はとりあえず上方在住の同志たちを訪ねて大石の動向を聞き、乱行の凄まじさを改めて知らされた。そして」(ナレーション・城達也)。堀部安兵衛はハレンチな遊びにうきうき&ぐでんぐでんの内蔵助に斬りかかるが、振り下ろした刀を瞬時にかわされる。その時、浅野大学に知行召し上げ、身柄を松平安芸守に預けられることが決まったとの知らせが入る。御家再興は完全に断たれた。「どうやら戯れもこれまでじゃ。かくなる上は・・・討ち入りあるのみでござる」。その言葉を聞いて堀部安兵衛と奥田孫大夫は内蔵助に土下座&号泣。「元禄十五年七月二十八日、辰の刻。京都丸山・安養寺に宿坊に赤穂藩士十九名が参集し、今後の方針について重大な協議が行われた。世に有名な丸山会議である」(ナレーション・城達也)。「御一同よくぞこの不甲斐ない内蔵助を見捨てることなく・・・ついて来て下された。内蔵助、心より御礼申し上げる」と深々と頭を下げると「この上は我ら一同、心を一つにして吉良邸に討ち入り亡君の恨みを晴らそうではござらぬか」と宣言。その話を天井裏で聞いていた忍者を不破数右衛門が始末する。忍者の正体は不明。内蔵助はこの機会に不破数右衛門の仲間入りを提案する。皆イエーイ。「次に一同が集まるのは討ち入りの時である。その日が確実に来ることを信じながら一抹の不安を感じざるを得ない大石内蔵助であった」(ナレーション・城達也)。つ・づ・く
2024年01月15日
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旨いコーヒーを飲んでるのは誰だ?大忠臣蔵 第7話「吉良の逆襲 前編」「赤穂の地を離れた大石は京都山科・西野山村に居を移した。京都は王城の都である。大石が京・山科を選んだ理由は交通が便利であり、人の動静、江戸の情勢を掴むのに地の利を得ていたからである。大石はこの地に一年と四ヶ月滞在し、二度と赤穂の地を踏むことは無かった。元禄十五年十二月十五日、吉良邸討ち入りにあたり裏門からの攻撃を受け持ったのは大石主税を始めとする二十四名の浪士たちであった。中でも目覚ましい働きを示したのは六十一歳の高齢ながら元京都留守居役・小野寺十内である。この時、小野寺は一年前、主税が同志に加わった日のことを思い出していた」(ナレーション・来宮良子)。元禄十四年の暮れ、松之丞は元服して主税にバージョンアップ。主税はまだ十五歳だが仇討ちに加わることを熱望する。内蔵助の妻であり主税の母である理玖(岩下志麻)は微妙、小野寺十内も父・内蔵助の本心では微妙なんじゃね?と思っていた。「その頃、江戸では大石の説得で隠忍自重を余儀なくされた急進派の同志たちが来るべき一挙の日に備え、情報収集活動を行っていた。前原伊助は元金奉行配下の軽輩ながら商才が豊かで、吉良邸の裏門に近い本所相生町に米屋を開業、屋敷の出入りを窺っていた」(ナレーション・城達也)。店には常連客を装ったお蓮が出入りしていた。何だか怪しいぜと連日ピリピリしている高田郡兵衛。ある日、酔っぱらい侍に絡まれていた御譜代組与力・内田三郎右衛門の娘・てつ(森口瑤子)を助ける。てつは高田郡兵衛にZOKKONマイラブ。しかし追い払った侍たちは吉良家の付け人だった。やべーことしてくれたなーと堀部安兵衛たちに怒られる。そりゃそうだ。「一挙の目途も立たぬまま元禄十四年は暮れ、明けて元禄十五年の一月。予てより江戸に下向していた原惣右衛門が京に帰着した」(ナレーション・城達也)。つうことで内蔵助たちに上野介の隠居が決定、四月には上杉本家の米沢へ引き取られるらしいなどの最新情報をお届けする。内蔵助は色部又四郎が上杉本家を巻き込むことはしないだろうとコメント、Xデイを待つよう浪士たちに促す。来たるXデイは来年三月まで。その頃、色部又四郎はXデイに備えて山吉新八郎に小林平八郎と共に吉良家の付け人になるよう命令する。その夜、引っ越し準備中の山吉新八郎をお蓮が訪ね、何となく身の上話を披露。侍の娘だったが色々あって上杉家の隠密の養女となり、年の離れた妹はどこでどうしているやら。つうことで山吉新八郎と小林平八郎が吉良チームに電撃入団するが、清水一学ら生え抜きたちは面白くねー。そこで赤穂チームが動き出す前に先手を打つことになる。まず以前から目を付けていた米屋の前原伊助を拉致「おめー赤穂の侍だろ?」とぼこぼこに拷問しまくるが、小林平八郎&山吉新八郎コンビが止めに入る。前原伊助が赤穂の侍である証拠はない、このまま殺せば吉良家に迷惑が掛かるぜ。仮に赤穂の侍だったとしてもまだ何もしていない。そんなエライことになっている一方、高田郡兵衛は内田三郎衛門の熱烈ラブコール&てつのボディアピールを受け、内田家へ婿養子入りする話が急浮上。人生の潮目が変わってきたよ。しかし同志たちを裏切れねー。しかし内田三郎衛門に吉良邸襲撃計画をチラっと知った以上、黙っとくわけにはいかねーよと言われ、悩んだ末に婿養子入りを選択。そっちかよ。堀部安兵衛と奥田孫大夫に内田三郎衛門の口封じ、一挙の計画を守るためと説明するが、なんだか説明が苦しいなー。しかし二人は高田郡兵衛を温かく送り出す。こうして急先鋒で超タカ派の高田郡兵衛はあっさり脱落する。内蔵助は堀部安兵衛からの手紙でそのことを知る一方、理玖に離縁状を渡し、子どもたちを連れて豊岡へ移るよう告げる。その時、理玖から身籠っていることを聞かされる。お盛んですな。「大石内蔵助と理玖、これが今生の別れであった」(ナレーション・城達也)。つ・づ・く
2024年01月15日
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カレー食べたいな。大忠臣蔵 第6話「浪士の危機 後編」つうことで駕籠に乗った上野介を田中軍団が襲撃するが、吉良家最強のボディガード・清水一学(河原崎建三)と上杉家の猛者・小林平八郎(宅麻伸)に返り討ちにされて全滅。田中貞四郎はその場で切腹するが、実際はかなり悲惨な末路だったみたいです。報告を受けた色部又四郎は内蔵助が分裂状態の浪士たちを結集させるため江戸に来るんじゃね?と考える。一方、内蔵助も原惣右衛門からの手紙で事件を知り、江戸に向かうことを決める。「ではいよいよ殺るんですね!」と早とちりする萱野三平。目的はあくまで江戸の浪士たちを諫めること、変なことやらかして幕府を刺激するようなことになれば御家再興は果たされない。内蔵助は萱野三平を呼び出すと浪士から外すと告げる。理由は「お主がよそ者だからだ」。大島家の者を借りて仇を討ったとあっては聞こえが悪い。しかし本心はお軽と共に生きることを願っていた。そんな内蔵助のハートフルな気持ちに気づかない萱野三平は手酌酒一人酒。次の日も朝からモーニングアルコール。泥酔状態&内蔵助への被害妄想びんびんでお軽を訪ねる。つうことで「元禄十四年十月二十日、大石内蔵助は山科を出立して江戸へ向かった。表向きの出府の目的は赤穂城開城の検視・荒木十左衛門と榊原采女への表敬、泉岳寺に葬られている故浅野内匠頭の墓参および御家再興運動となっていた。山科から江戸まで約百二十五里。道中好天に恵まれて出立から十日目の二十五日、岡部と丸子の間にある宇津ノ谷峠に差し掛かる」(ナレーション・城達也)。不破数右衛門は尾行していた山吉新八郎を斬ろうとするが、内蔵助がピンチだと教えられる。内蔵助一行を狙撃しようとしていたお蓮たちを不破数右衛門&山吉新八郎が撃退。山吉新八郎は内蔵助の人柄に惹かれていた。そして幕府を相手にどこまでやれるか見届けたくなっていた。そんなこんなで摂州萱野村へ戻っていた萱野三平の許にお軽から廓に身を売って作った金五十両が届く。手紙には仇討ちの支度金に使ってほしいと書かれていた。萱野三平は五十両でお軽を身請けしようとするが、お軽には五百両のプレミアがついていた。「十一月三日、大石は無事江戸に到着。予てからの知己、三田松本町・松本忠太夫宅に入った」(ナレーション・城達也)。早速、江戸にいる高田郡兵衛、奥田孫大夫、堀部安兵衛らと会見し自重するよう求めるが、我慢に限度があると言われ来年の三月を期限に示す。「来年の三月には亡き殿の一周忌がある。その時までに大学様のご処分定まらぬ場合、討ち入りの期日を決定することにいたそう」。納得。「大石の下向が功を奏し、まさに一触即発の危険が孕んでいた急進派の抜け駆けは抑えられた。その後、大石は所定の日程を滞りなく済ませ山科への帰途についた。江戸に逗留したのは僅か二十日間だった」(ナレーション・城達也)。その頃、萱野三平はお軽、浪士へのカムバック、大島家への仕官を勧める父親のことで超板挟み状態だった。義理やら忠義やらで気持ち揺れまくりのブレまくり。もうどないしたらええねん。悩んだ末、廓でお軽に会うと「二人だけで・・・遠いところへ行こう」と告げる。「数日後、江戸から帰った大石は理玖を伴って二人の墓を詣でた。萱野が遺した遺書には二人の主君の板挟みになり、武士の道に背くと生きてはいけなくなった旨が記されていた」(ナレーション・城達也)。つ・づ・く
2024年01月14日
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ファンの皆さんへ大切なお知らせ。大忠臣蔵 第5話「浪士の危機 前編」「瀬戸内の海に面した播州・赤穂は今日も穏やかで歴史の重みを感じさせる風情がある。元禄十四年三月十四日、赤穂藩五万三千石・浅野内匠頭は切腹、御家断絶。よりどころを失った浅野の家臣たちはやり場のない怒りと失意のうちに早ひと月が経った。前途の望みを失った者たちは櫛の歯を引くように赤穂を去り、散っていった。しかし復讐の念に駆り立てられる者たちは不屈の意思と行動力を持ち、大石内蔵助の許に残ったのである。元禄十五年十二月十五日、本所・吉良上野介の屋敷に討ち入った赤穂浪士の数は四十七人。しかし彼らがここに至るまでの間、志半ばで倒れた数多くの浪士たちがいたのである。この男・萱野三平もまたその一人である」(ナレーション・来宮良子)。つうことでいきなりブルーな萱野三平登場。オレ生きてる資格ねーよ。凡友の神崎与五郎(柴田侊彦/『大草原の小さな家』の父親の声)がエエ声で心配する。「元禄十四年四月十八日。公儀目付・荒木十左衛門と榊原采女ほか二名の検視が赤穂に到着。城明け渡しに先立つ検分が行われた。この時、城内は塵ひとつ留めず整然と掃き清められ、検視一行を迎える藩士たちには亡国の城兵とは思えない迅烈たる士気がみなぎっていたという」(ナレーション・城達也)。検視役の二人は何から何までの行き届きっぷりにサティスファクション。しかし内蔵助から城明け渡しと引き換えに御家再興を半ば脅しのように要求されてビビるぜ。しかも内蔵助の考えは赤穂藩でも下々の連中にはナイショのままだった。そのせいで赤穂藩もほぼ分裂状態。そんな大変な時に萱野三平は場内で腹を切ろうとする。せっかく綺麗な状態で明け渡しが決まったのに汚すんじゃねーよ!と叱られる。そりゃそうだ。それにしても何でそんなに悩んでるの?実は内匠頭が刃傷に及んだ日に阿久里の腰元・お軽(坂口良子)とラブホテルでエッチしていたのだ。公認の関係だったがなんつー不義不忠者。「翌十九日。赤穂城は完全に明け渡され、藩士一同うち揃って河口門から城を出た。藩祖以来三代、五十七年に渡った播州浅野家も遂に終焉を迎えたのである」(ナレーション・城達也)。しみじみしている内蔵助、長男の松之丞(市川染五郎)、不破数右衛門の前に劇画チックに山吉新八郎登場。カッコいいコメントを残して劇画チックに走り去る。「見事な無血開城を指揮した大石。城を去る家臣たちに涙する大石。いずれが真の大石か。それを見届けるまでは死なせる訳にはいかん」と劇画チックな独り言。その頃、ボスの色部又四郎は新たなヒットマン・お蓮(神崎愛)を赤穂へ送り込む。つうことで「赤穂城開城のあと、萱野三平は生まれ故郷の摂州萱野村に帰り失墜の日々を送っていた。萱野三平は浅野家に仕える以前、萱野村の領主・大島伊勢守の小姓であった。当時十三歳だった三平の才気に目を掛けた内匠頭は親交あった伊勢守に懇願し、仮勤めのかたちで浅野家の家臣になっていたのである」(ナレーション・城達也)。そこへ大島家へ再仕官のニュースが飛び込むがお断り。そしてお軽と再会、一緒になりたいとすがりついてくるがお断り。ラブホ事件がトラウマになってるんです。「一方、吉良上野介は高家筆頭職の辞任を申し出ていた。それはあくまで形式的なものであり、上野介自身当然慰留されるものであろうと思っていたのである」(ナレーション・城達也)。しかし柳沢吉保から後進に道を譲ってはどう?と言われ「ちょマジかよ!」。内蔵助も作戦会議。吉良邸が本所へ引っ越しと聞いて上杉家と吉良家を切り離すのが目的か。上杉家は吉良家が迷惑なんでしょうな。色部又四郎の意向ですよこれは。江戸にいる連中が過激なことしなければいいけどなー。そんなこんなで内蔵助らを襲撃するお蓮を山吉新八郎が劇画チックに撃退したり、萱野三平とお軽が懲りずに密会したり、逆恨みしたお軽が内蔵助を襲撃したり。「その頃、江戸に在住する赤穂浪人の数は二十名を遥かに超えていた。そのほとんどが大石の浅野大学様を擁しての御家再興に批判的な立場を取り、一日も早い上野介への復讐の機会を窺っていたのである」(ナレーション・城達也)。その急先鋒・田中貞四郎(加納竜)は早見藤左衛門、高田郡兵衛、堀部安兵衛、奥田孫大夫に説得されるが納得できねーよ。つうことで田中軍団のみで吉良邸襲撃を計画する。ある日、暇になった上野介が息子・綱憲を訪ねるため駕籠に乗っているところを目撃。これはぶっ殺すチャンス!その頃、上野介は色部又四郎にぶっちゃけオレのことウゼーって思ってんだろ?と直球コメントをブッ込んでいた。つ・づ・く
2024年01月14日
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味噌汁がまいうー。大忠臣蔵 第4話「風雲赤穂城 後編」本日も赤穂城では大会議。幕府の理不尽な裁きに皆激怒。しかし結論は出ない。内蔵助は浅野大学を迎え御家再興、上野介の処罰を求めるため一同切腹による嘆願を考えていた。マッチョすぎる作戦に大野九郎兵衛が幕府に対する脅しにあたると待ったをかける。歎願が通らなければ無駄死に、御家再興どころか本家にまで迷惑が及びかねない。しかし内蔵助の考えは変わらず。内蔵助のマッド思想について行けず会議を重ねるごとに脱落者続出、三百名いたのが現在は百名。そんな最中、内蔵助は数右衛門と再会、共に切腹すると言う数右衛門を止めると反対派を斬るよう命じる。「たとえ親しい同輩、友人でも。江戸強行派、堀部安兵衛、奥田、高田郡兵衛を説得し手の余らば・・・斬れ」。その夜、数右衛門はお鍋パーティ中の堀部安兵衛と高田郡兵衛を訪ねる。内蔵助の命令で来たと知らず二人は数右衛門を歓迎。そこへ片岡源吾右衛門が来て吉良邸襲撃を呼びかけるが、二人は赤穂城に立て籠って徹底抗戦を主張する。皆考えがバラバラですな。「揖保斑鳩に公儀派遣の城受け取り目付と代官が入ったのは四月十五日。同時に城受け取りの大名・脇坂家と木下家の軍勢が切り出した。脇坂家四千五百、木下家千六百という圧倒的な人数であった。一方、内蔵助の出した歎願使は公儀の城受け取り目付と行き違い、使命を果たさずおめおめと戻ってきたのである。行き違った上に嘆願の内容を江戸家老たちに漏らした。家老たちは仰天して内匠頭の弟・大学や親戚・戸田家に相談し、これも仰天した戸田家や大学はそんな企てはご公儀への反抗であり従順に城を明け渡すことが御家への忠義であるとその旨の手紙を使者たちに持たせた」(ナレーション・城達也)。これで一同切腹はできない。そのことを知った堀部安兵衛と高田郡兵衛は籠城するため城受け取り目付をぶっ殺そうと決起。殺る気まんまんで飛び出す。数右衛門は止めようとするが、素直に従うはずもなく乱闘。そこへ虚無僧や巡礼者に扮したスパイも加わっての大混戦。その様子を窺う山吉新八郎。その頃、大野九郎兵衛は密かに内蔵助へ五百五十両もの大金を渡していた。「内匠頭夫人・阿久里は嫁入りに持参した手許金を製塩業者に貸し付け、利子を化粧料とし、それを内蔵助は機密費に借りたのだ」(ナレーション・城達也)。そして引き続き機密費を集めると約束する。その帰り道、赤穂藩士たちに襲撃されるが、山吉新八郎に助けられ何のために内蔵助に会っていたのか問い質される。「それはお答えできませんな。断じてお答えができません。こんな老いぼれの命を取ったところでしようがないでしょ」。そして今夜も会議が行われる。城に向かう内蔵助を堀部安兵衛と高田郡兵衛が襲撃しようとするが「斬るのはいつでも斬れる。わしの話を聞いたうえ、皆の眼前で斬れ!さすれば戦う気勢も上がるだろう」と内蔵助に諭される。集まったのは四十四人。内蔵助はまず城を明け渡すこと、そして御家再興と吉良家への処罰を訴え続けると改めて主張するが「それが叶わぬ時は・・・吉良殿の御命、戴こうと存ずる。ご同意頂けるか?ここにおられる四十四人の命、この内蔵助に預けて下さるか?」。一同じーんと感動する。「山吉新八郎は内蔵助の腹をようやく見たと思った。大野九郎兵衛の密かな訪問、堀部安兵衛らの襲撃に対する態度。内蔵助は必ず立つ。それも死を決した精鋭を結集して」(ナレーション・城達也)。つ・づ・く
2024年01月10日
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保湿成分たっぷり。大忠臣蔵 第3話「風雲赤穂城 前編」「江戸城。三百九十八年前、徳川幕府を開府した征夷大将軍・徳川家康の居城であり現在の皇居である。元禄十四年三月十四日、ここ江戸城本丸松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介の度重なる仕打ちに堪忍ならぬと刃傷に及んだ。内匠頭の激情は恥を注ぐため家を捨て身を捨てたのである。一年後の元禄十五年十二月十五日、主君の愧辱と幕府の不公平な裁きに家臣たちは命をかけた戦いを挑んだ」(ナレーション・来宮良子)。つうことで江戸城爆裂の超大騒ぎ。「変事の噂は江戸城に参集していた諸大名の家臣たちを津波のように襲った」(ナレーション・城達也)。そこで浅野内匠頭が吉良上野介を斬り付けたととりあえず公式発表、阿久里にもその知らせが届くが真相は分からない。つうことで赤穂の内蔵助に知らせるため使者を出発させる。その頃、内匠頭は目付二人から取り調べを受けていた。今回の動機は上野介への遺恨と述べるだけでそれ以上のことは明かさなかった。しかし目付の一人・多門伝九郎(中村勘九郎)は上野介による数々の振舞いを耳にしていた。取り調べの結果は柳沢吉保から将軍綱吉に伝えられ内匠頭は切腹、上野介には御咎めなしが決定。この決定に多門伝九郎ぶち切れ。「喧嘩両成敗は鎌倉幕府以来の武家の御定法!喧嘩には訳がござりまする。まずは一応御調べを申し上げる!」と猛反対。これでは諸大名に示しがつかない。ついでに柳沢吉保に「貴方様は吉良殿とご昵懇との噂これあり!貴方様ご一存の裁きとのお噂もござりまする!」と食い下がるがあっさり却下。「内匠頭は奥州・一ノ関藩藩主田村右京大夫の屋敷にお預けとなった。刃傷の起きたのは午前十時頃、切腹の採決が午後四時頃。僅か六時間のうちに浅野家五万石は御家断絶、約二千人の家臣とその家族は務めと暮らしの立つ木を失ったのである」(ナレーション・城達也)。その夜、内匠頭の切腹が令に反して室内ではなく庭で執り行われる。こうして内匠頭は即日切腹となる。つうことで赤穂藩は城の明け渡しを命ぜられ、明け渡し派と反対派に分裂して大混乱。反対派は吉良邸襲撃を画策していた。そして阿久里は髪を切って瑶泉院と名乗る。その頃、上杉綱憲(中村橋之助)は父親・上野介を超心配、上杉家江戸家老・色部又四郎(高橋悦史)に上野介の護衛を命令する。「米沢十五万石上杉家の当主・綱紀は吉良上野介の子であり上野介の妻・とみこは上杉家先代の妹で、その縁で綱憲は養子縁組、上杉家を継いだ」(ナレーション・城達也)。つうことで実働派の家臣・山吉新八郎(村上弘明)に赤穂藩の動きを探るよう指示、上野介も無事との報告を受ける。「死んでくれたほうが良かったのにな。死んでくれたほうが・・・良かった」。色部は赤穂藩を恐れていた。筆頭家老・大石内蔵助が精鋭部隊を率いて大勝負を掛けて来るに違いない。「もし仇討ち復讐の意図が見えたら・・・大石を斬れ」「大石を斬るのですか?」「禍が上杉十五万石に及ばぬうちにな」。そんなこんなで「三月十九日午前四時過ぎ、刃傷を知らせる第一の使者が赤穂へ入った」(ナレーション・城達也)。内蔵助の不安は的中、緊急会議を招集し内匠頭が上野介へ刃傷に及んだと報告する。さらに末席家老で大番頭の大野九郎兵衛(藤田まこと)に財政事情を確認。「その夜九時過ぎ、内匠頭切腹、御家断絶を伝える第二の使者が搦手の塩屋門から入った。総登城した一門の衝撃は吉良にはお構いなしとの一方的な裁きへの憤激と変わった。吉良上野介の所業を知っている江戸からの使者たちの怒りは事に激しかった」(ナレーション・城達也)。多くの藩士は仇討ちを訴えるが、大野九郎兵衛は御家再興を優先すべきと主張する。「赤穂籠城の噂を聞いて浪人たちが集まってきた。将軍綱吉の時代は大名の取り潰しが四十八、三万人の浪人が溢れかえり事あらば人暴れして名を上げようとひしめいていたのである。そして江戸からは内匠頭の弟・浅野大学の名で、また広島の浅野本家などの親戚筋から神妙に幕府の命に従えとの使者が次々と入り、周囲の諸藩は赤穂の暴発に備えて国境に兵を送り出し、城受け渡しの使いに任ぜられた播州竜野の脇坂家、備中安茂里・黒下家ではいくさを覚悟して軍備を整えそれら各藩が赤穂の動静を探る間諜を送り込み、大石を始め家臣たちの動向に目を配っていた」(ナレーション・城達也)。そんな中、不破数右衛門とおきよは再会。数右衛門は犬をぶっ殺した責任を取って脱藩し浪人になっていた。つうことで赤穂は浪人とスパイだらけ。山吉新八郎も情報を収集していたが、内蔵助の狙いだけは把握できなかった。つ・づ・く
2024年01月10日
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急性胃腸炎でダウーン。大忠臣蔵 第2話「刃傷・松の廊下 後編」上野介は柳沢吉保(仲谷昇/岸田今日子の元夫)とお花見パーティー。お土産がリアルお土産(赤穂の塩まんじゅう)だったことにブチ切れていた。これだから田舎者は嫌んなっちゃう。菓子箱にカネぶっ込んどくのは常識です。元禄十四年三月十一日。「明けて三月十一日。勅使到着の朝、前夜から泊まり込みだった浅野家家中総出で最後の点検に大わらわであった。特に繁忙を極めたのが勅使一行が初めて口にする夕食を設えることだった」(ナレーション・城達也)。つうことで上野介一行が下見にやって来る。特に言うことないよ。金屏風も立派。「こんな良いモノを持っているとはさすがは浅野家」と絶賛。ただし屏風の水墨画にクレーム。「できれば花鳥風月など華やかな狩野派が良いよ」と言い出す。饗応は明日なのに急に無茶を言われて内匠頭は困惑する。そんなこんなで勅使到着。内匠頭は上野介に挨拶や対応の仕方について助言を乞う。ところがやることなすこと上野介の助言とは全然逆。上野介は勅使に「私に免じて許してちょ」と内匠頭の非礼を詫びる。内匠頭ブチ切れそうになるがアンガーマネジメント。「明けて三月十二日。この日から公式の行事が始まった。将軍・綱吉と対面した勅使は天皇からの誓詞を伝え、また院使は上皇からの院宣を伝え恩賜の品を引き渡して儀式は終わる。この日の上野介はさすが公式の典礼を司る高家筆頭らしく、まさに水を得た魚のように自信に満ちた立ち居振る舞いで儀式を先導したのである。事件はその日の午後に起こった。勅使一行に饗する今夜の献立は鎌倉沖でその日の朝に水揚げされた途方もなく値の高い走り鰹を主体としたものである。擂り流し、焼き霜、銀皮造り、角煮、なまりの胡瓜加減酢、それに車海老の黄身寿司、石川芋の雲丹焼き、そら豆の塩蒸し、野菜と豆腐の煮物などであった」(ナレーション・城達也)。つうことで上野介のチェック開始。本日は精進日なのに魚介類を出すとは何事。精進料理に変更するよう言われるが、予め献立表を渡していたはず。「さて左様なものがあったかのー?」と上野介ボケまくり。チーム浅野家総出で再調理、作った料理は屋敷の者たちに与えられることになるが量が多すぎて食べ切れねーよ。そこで阿久里は出入り業者たちに配ることを提案するが、おきよは捨てるべきだと進言する。饗応用の料理を町人に配ったことが上野介に知れたら無理難題を言われかねない。なるほど。「このおきよという奥女中、浅野家没落のあと、後に六代将軍となる甲府宰相・徳川綱豊に側女として仕え七代将軍家継の生母・月光院を名乗ることになる」(ナレーション・城達也)。そして「翌三月十三日。将軍より勅使・院使に対する饗応の能が催された。明十四日には最大の行事である勅答の儀が行われる。将軍が朝廷に対して御礼の言葉を述べる儀式である。それさえ済ませば内匠頭の大役も峠を越えるのである」(ナレーション・城達也)。そして勅答の儀の朝。「こうして運命の十四日の朝を迎えた。翌十五日は勅使・院使が上野寛永寺ならびに芝増上寺の徳川霊廟へ参詣、十六日は休息日となり十七日には江戸を離れることになっていた」(ナレーション・城達也)。気合の入った内匠頭は念には念をと勅使への対応について上野介に助言を乞うが「記録が残っているならそれを見たらいいよ」とそっけなく言われイライラ。そこへ同じく饗応役の伊達村豊が情報提供、上野介の指図で明日院使が休憩する増上寺の畳替えを済ませたが、肝心の勅使のほうが済んでいないと。「なぜ伊達殿には知らせて当方には・・・?」とイライラ。そこでチーム浅野家総出で畳職人たちと交渉開始。無茶すぎる依頼に誰も応えようとしないが、男気溢れる畳屋・政吉(五木ひろし/主題歌担当)だけ引き受ける。つうことで一夜で二百畳の畳を替えるビッグプロジェクトを成し遂げる。その頃、江戸城では上野介が大名たちを相手に「近頃は礼儀をわきまえないばかが多い。どこの藩とは言わないけど気が利かないと言うか、要領が悪いと言うか。アドバイスのしようがないネ。ガハハハ」と内匠頭のことをネチネチ。内匠頭は聞き捨てならないと上野介に迫るが将軍到着。皆場所移動。上野介は「御用の儀なら一切それがしに尋ねられたし。浅野殿に何ほどのことが分かり申そう」とダメ出し、内匠頭の怒りは限界に達し刀に手を掛けるが「殿中での刃傷は御法度。御家断絶、領地取り上げ。それも御覚悟の上か?不躾者めが!」。そして内匠頭は上野介に御法度である殿中での刃傷に及んだ。その頃、内蔵助は内匠頭のことを憂いていた。「今日一日・・・今日一日何事も無ければの」。つ・づ・く
2024年01月07日
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今年はサクッと行きたいねえ。大忠臣蔵 第1話「刃傷・松の廊下 前編」お正月恒例のテレビ東京12時間超ワイドドラマ。原作森村誠一。放送は昭和64年1月2日。全六部を13話に再構成。松竹が系列の京都映画と歌舞伎座テレビのスタッフを総動員した作った超大作。豪華キャストを超ぶっこみまくり。テンポが良く12時間が全然なげーとは感じません。年末ものの『忠臣蔵』を何故お正月に放送?その理由は最後まで見ればわかる。本放送当時観てましたが納得です。来宮涼子と城達也の劇場版『銀河鉄道999』コンビがナレーションを担当。「東京。今を遡ること二百八十六年前。元禄十五年十二月十四日深夜、ここ隅田川に掛かる両国橋を火事装束で渡る侍の集団がいた。十五日午前四時、江戸は本所一つ目にある高家筆頭・吉良上野介の屋敷に赤穂浪士四十七人が討ち入った。歴史に名高い島原の乱から数えて六十年有余。絶えて久しくいくさらしい戦いも無く、打ち続く泰平の世にあって江戸市民は至極安穏な日々を送っていたのである。そこに降って湧いたこの事件はまさに天下を震撼させて余りあるものがあった。なぜこのような事件が泰平の世の中に持ち上がったのか?話は一年前の正月元旦に遡る」(ナレーション・来宮涼子)。「おりしもこの日、江戸では日食が観測され市民は天変地異の前触れではないかと恐れおののいたという。この頃、江戸城では新年慶賀のためすべての大名が詰めていた。高家筆頭の吉良上野介は将軍参賀の式までのしばらくの間、時の実力者、側用人・柳沢吉保を御用部屋に訪ねた」(ナレーション・城達也)。今年は赤穂藩の浅野内匠頭(近藤正臣)に勅使饗応役を任せようと提案。赤穂の田舎者なので礼儀作法とかどうなんすかね(笑)などこっそり盛り上がっていると日輪が欠け始めて城内大騒ぎ。動じなかったのは浅野内匠頭だけだった。つうことで上様のおなーりー。ところ変わって江戸・浅野屋敷。火事ですよー。赤穂藩出動!「当時、江戸市中の防火は大名が担当していた。なかでも浅野家の火消しはつとに有名を轟かせ、広島・浅野本家の屋敷が火災に遭った時は内匠頭自ら火の中に踊り込んだという」(ナレーション・城達也)。ミッション終了、褒美の酒を振る舞われて皆イエーイ&サクサクと主な登場人物紹介。片岡源五右衛門(岡田圭)、萱野三平(坂東八十助)、高田郡兵衛(森田健作元千葉県知事)、富森助右衛門(山内としお)、磯貝十郎左衛門(小林芳宏)、堀部安兵衛(岡本富士太)、大石瀬左衛門(高峰圭二/北斗星司)、奥田孫太夫(牧冬吉/白影さん)、早見藤左衛門(藤田宗久)、堀部弥兵衛(有馬昌彦)、原惣右衛門(林成年)など。そして元禄十四年二月十日。播州・赤穂で留守番していた大石内蔵助(松本幸四郎)の許に手紙が届く。「書状のなかみは去る二月四日、月番老中・秋山但馬守から呼び出しがあり殿中・帝鑑の間にて内匠頭および四州・吉田三万石の伊達左京亮村豊の両名が本年の勅使饗応役を仰せつかったという内容だった」(ナレーション・城達也)。内蔵助はやべーことになんなきゃいいけどなーと気にかける。指南役の上野介はネチネチ系、内匠頭はキレキャラ。合う訳ねーよ。不破数右衛門(渡辺裕之/石室コマンダー)も胸騒ぎを覚えて内蔵助の許へ。つうことで二人は江戸へ向かう。その後、数右衛門は犬に追いかけられた浅野家腰元おきよ(立花理佐)を助けるため犬をぶっ殺すが、わが国最大の悪法・生類憐みの令に背いてヤバくね?その頃、内蔵助は内匠頭に吉良殿はヤベーとあれこれ進言するが、内匠頭はそんなことを伝えるために国許を留守にするとは何事かとブチ切れ。怒られ役を自認する内蔵助は一応ミッション終了、内匠頭の妻・阿久里(松坂慶子)に挨拶して赤穂へ戻る。元禄十四年二月二十九日。「徳川家年頭の使者として正月十一日に京都へ上がり、宮中に参内して献上品を届けた吉良上野介が二月二十九日、江戸へ帰って来た。これよりいよいよ勅使・院使を迎えるための本格的な準備に取り掛かることになった」(ナレーション・城達也)。つうことで吉良上野介(芦田伸介)はアドバイスを求めに来た内匠頭の使いに「形式通りでイイんだよ」と助言。しかしお土産に持ってきた赤穂名物・塩まんじゅうの箱にカネが入っていないことにぷるぷる怒りまくる。元禄十四年三月十日。「この日、つまり勅使到着の前日。浅野家の屋敷はまるで引っ越し騒ぎの感があった。勅使を迎える伝奏屋敷、今でいう迎賓館にあたるものだがそこに接待のための食器、什器、金屏風、掛け物、その他諸道具が運び込まれたのである。十一日から一週間、勅使・院使を始めとする随行の諸官たちまでもが伝奏屋敷に泊まり浅野家の饗応を受けることになるのである」(ナレーション・城達也)。つうことで内匠頭以下全員、会場をセッティング。しかし下見に来ると言っていた上野介はいつまで経っても来ねーよ。その後、急な腹痛と聞いたが庭で機嫌よくお花見をしていたとの情報が入る。そうとは知らない内匠頭はミッション達成にやる気満々でいた。つ・づ・く
2024年01月07日
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