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♪ 朝ドラの「なつ」は佳境に入りゆく我も空拳の歌を放たん‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 短歌賞に応募してみる。それも締め切りまで5日を切っている有様で、尻に火がつかないと曲が出来ないミュージシャンと同じようなもの。一曲作るというのなら分かるが、30首必要なのにこの有様。 ブログにアップしているような内容のものでは到底、選考委員のところに行く前に弾かれるのがおちだ。それは良く分かっているのにこの鷹揚さはどこからくる? 単に忘れていただけの事。 それで、急いで15首ばかり詠んだがまだ半分。よく詠みこんで推敲して、ディティールや短歌的表現に注意し、観念的ではない自分がちゃんと出ている歌を心掛けたつもり。残りの15首は過去に詠んだものからピックアップして推敲を重ね、今この時の想いを重ね合わせていく。 ようやく30首揃え、プリントアウトして確認する。手書きのものだと誤字が有るかもしれないし文語表記が間違っているかも知れないので、確認の意味でもこの手間は省けない。 通し番号を打ってプリントアウトしたものを更に推敲する。それを歌ごとに短冊に切り離し、構成を考え乍ら順番を入れ替えていく。その順番に合わせて再プリントしたものをもう一度確認する。そんな事を繰り返してようやく30首のリストが出来上がった。 B4の原稿用紙に、1ページ10首以内の規定に合わせて書き込んでいく。6首がちょうどいいことが分かり都合5ページ原稿が出来上がった。 別紙にタイトルや住所氏名、年齢性別、歌略歴、職歴などを書く必要がある。誰にも師事せず誰の教えも受けずにやって来たので書くべきことなど何もない。 有名大学の文学部出身者や現役の学生などが先生の指示のもとに応募してくる賞だ。審査委員にも関りが有るかもしれない。こんな70の爺さんが受賞することなどハナから期待できない。でも、何でもそうだが、出品せず只の傍観者として公募展を見るのと、そうではない立場でそれを見るのとでは大違いで、見えてくるものが違う。 出品するまでに努力したものが一つの形になって降りて来る。それは体験した人でなければ分からない事だ。 まあ、「そんな事はどうでもいい」と思っている人でも、他人の失敗談を聞くのは楽しいでしょう。「人の不幸は蜜の味」だ。つまり私はミスを犯してしまったという事。必要項目を別紙に書いていて、職歴には思い入れがたくさんあってあれもこれもと書く訳にもいかない。ほんの小さなスペースに掛けることは限られているが、最低でも書いておきたいことを即興で書いていく。 これで良し! となって封筒に入れ宛先を書いて、応募作品であることを朱書きして完成。投函と相成った。5月末日〆切の当日消印有効なので、首尾よく間に合ったわけだ。 解放感に浸っていると、ん? 何か忘れている気がする。 あっ! 住所と電話番号が書いてない。公募展で必要事項の記載漏れは致命的だ。気づいたのは良いが、今日が〆切で後がない。どうしようか? 次の集荷は確か午後4時10分とポストに書いてあった。そのタイミングを見計らって封書をピックアップし、不足条項を書いた紙を封入するしかない。それで鋏とテープを用意して、少し早めにポストへ行って封筒を開けて紙を挿入する事にした。 午後4時前に行くと、丁度集荷の赤い郵便自動車がやって来た。「早めに来てよかった!」「ちょっと早いんじゃないの」と言うと、「 “ごろ” とあるでしょう」と集荷のおねえさん。 理由を説明すると名前を確認さ、てようやく先ほど投函した定形外郵便に再会。用意した鋏で封を開け、片を入れ込んでテープで封をする。「気付かない人が多いのに、よく気が付きましたねー」なんて適当なことを言うお姉さん、「今日の便に乗りますよ」との声を聞いて、安堵して帰って来た。 2019年11月号(10月25日発売予定)の誌上で結果が発表される。
2019.05.31
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♪ 渾身の一首ではなくよろこびを素直に歌いて詠進とせむ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 平成最後の「歌会始」の入選作を私なりに何時ものように考察してみた。今回のお題は「光」。 単に頭で考えるのとは違い、こうして文章にすることで見えなかったものが見えてくる。飽くまでも私の個人的な感想で、読み違うことがあるとも思うが、まあ、どんなコンペでも審査員の意見は大きく分かれるもの。ですから、他人の事はさて置いて感じたことを記録するつもりで書いておくとします。歌の分類は、今回はしないでおく。☆ 土佐の海ぐいぐい撓ふ竿跳ねてそらに一本釣りの鰹が光る 「ぐいぐい撓ふ竿跳ねて」がいい。鰹が掛かって引っ張り込 む、それを想いっきり跳ね上げていく一連の様子が過不足なく描 かれ、「そらに一本釣りの」が10音で大きく字余りになっている ことで、弧を描いてスローモーションのように釣られる鰹を目が 追っていく。心憎いまでの技術の勝利。 ☆ 剪定の済みし葡萄の棚ごとに樹液光りて春めぐり来ぬ 剪定、葡萄、樹液、畳みかけるように詠われて、巡りくる春が 光り輝いて眼前に浮かんでくる。ストレートに素直に、何の脚色 もなく提示されることで、読み手は安心して心を預けることが出 来る。捻ったり異化された歌は好まれない。 ☆ 湿原に雲の切れ間は移りきて光りふくらむわたすげの絮(わた) 情景描写が的確。時間の推移と視点が雲から湿原に移動してわ たすげがクローズアップされる。ふくらむのがわたすげの絮では なく「光りふくらむ」と先に置いたことで、光が強調された。 ☆ 大の字の交点にまづ点火され光の奔る五山送り火 大の字の一か所の交点は金尾あるいは金輪と呼ばれ、そこに先 ず火が入った後一斉に五方向に向けて火が点けられる。余分なこ とには一切触れず、この一点に焦点を当てたことで至近距離で見 ている様な臨場感を産んでいる。松明の熱さまでが伝わってくる ようだ。 ☆ 分離機より光りて落ちる蜂蜜を指にからめて濃度確かむ 毎年、同じ場所で採ったものでも天候や花の具合によって味も 変わる。それを今年はどうかと確かめる、収穫の喜びの中の緊張 の瞬間。「光りて落ちる蜂蜜」と呼応して、プロの厳しい目の輝 きをも連想させる。情景が的確に表現されて動きが手に取る様に 眼前に浮かぶ。 ☆ 光てふ名を持つ男の人生を千年のちの生徒に語る 源氏物語は架空の人物を描いているにも関わらず、千年の間受 け継がれてきた事によってあたかも歴史上の人物のごとき存在 感。IT社会の現代においてもなお語り継げることの驚きと喜 び。それを感じながら教壇に立つ教師冥利を想う。あえて「名を 持つ男の」と字余りにすることで、歌が流れてしまうのを避けて いる。 ☆ ぎりぎりに光落とせる会場にボストン帰りの春信を観る 海外に流出してしまい、そのアメリカで大切にされている浮世 絵が里帰りした。ギリギリまで照明を落として大切に扱われてい る今。価値を見出せなかった当時の日本人が見たらどう思うだろ うか。感慨深い思いで観ているが、浮世絵そのものには触れてい ない。 ☆ 無言になり原爆資料館を出できたる生徒を夏の光に放つ 原爆の悲惨な状況を見て重苦しい気持ちで一杯の生徒たち。そん な生徒に幸せな光に満ちた今を実感し、「大切なのは繰り返さな い事」だと気付いてほしい先生。「夏の光に放つ」というストレ ートな表現でその思いを的確に表現してみせた。 ☆ 風光る相馬の海に高々と息を合はせて風車を組めり 風力発電の風車を海岸に組み立てている。きらきらと輝く海に風 を受け、発展の象徴として回り始める。組んでいる本人は地元出 身なのだろう。誇らしげでもあり、喜びでもある。「光る」「高 々」という言葉にその雰囲気が良く出ていて、こちらの心にも希 望の情景が広がっていく。「相馬」の地名も効いている。 ☆ ペンライトの光の海に飛び込んで私は波の一つのしぶき 初々しい青春の一頁。多分、初めての経験なのだろう。「光の海 に飛び込む」にその感じがよく出ている。結句で「一つのしぶ き」と言い切ったことでその場の作者の喜びが良く出た。ペンラ イトの光が左右に動く中で青春を楽しんでいる様子が伝わってく る。 平明で素直な中によく考えて作られているうたばかり。テクニックよりも情感と情動がいかに素直に外連なく描かれているかが評価のポイント。 どの歌にも通底しているのは「よろこび」でしょうか。正月の歌として読んで晴れ晴れするような歌が求められるのは、趣旨から思えば当然の事かも知れません。 次回のお題は「望」です。
2019.05.30
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♪ 国権と戦う勇気 健体にあらざりて尚美しきかな‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 生まれて初めて裁判の傍聴に行って来た。イラク派兵で負傷し、その後の公務災害認定の遅れと打ち切りによって後遺障害が発生。パワハラによる退職強要とも闘ってきた航空自衛隊元3等空曹の池田頼将さんを原告とする自衛隊国家賠償裁判。 先日、ムスリムと一緒に揖斐川町で交流のあった田中氏が一緒なので心強かった。彼はこういう裁判にも顔を出していて、国家というものへの監視と不正の追求に目を光らせている。反戦、反原発、自衛隊の海外派遣など、国民を蔑ろにする国家に反旗を翻すアグレッシブな活動家でもある。 内容が分からない私はネットで調べて、そのあらましを頭に入れて傍聴に臨んだ。その記事の中に原告・池田元3等空曹の訴えたい事が詳しく載っていましたので、それを引用しておきます。「原告・池田元3等空曹のアピール」 戦争を止める力は私たちにある 自衛隊イラク派兵の任務で2006年7月4日に負傷し、その後、自衛隊からパワハラ・退職強要を受け、国家賠償裁判を闘っている元自衛官の池田頼将です。口頭弁論再開にあたって、全国の仲間に傍聴を訴えます。 (1)今、自衛隊は国連PKO(平和維持活動)に部隊を派遣できていません。南スーダンでは、停戦合意も「戦闘地域ではない」という原則も崩れていたことを隠蔽(いんぺい)してきたために、今でも多くの隊員がPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しみながら、「何のために、誰のために派遣されたのか」わからないままでいます。 もともと、私が派遣されたイラク戦争が大きな転機でした。当時小泉政権は「非戦闘地域」での「復興支援」だから大丈夫だと言っていました。 しかし、イラクのサマワに基地をおいた陸上自衛隊も、隣のクウェートに基地をおいた航空自衛隊も、米軍と一緒に攻撃される状態になっていたのです。 私がけがをした相手も直接は米軍関係の車両でした。米軍がらみの事故であることが不都合であるかのごとく、その後も国会での報告では私の事故のことや治療が長引いていることは隠され続けたのです。 公務災害の認定が遅れたこと、また公務災害の治療費を打ち切ったことに違法性があることをしっかり裁かせたいと思います。 (2)都合の悪いことは隠すという自衛隊のありかたに裁判所が手を貸すことを許さず、真実を突き止め、責任を明らかにさせるということです。 特にこの事故への自衛隊の適切な対応がなかったために私がなかなか体力も回復せず、精神的にも参っているなかで昇進の機会を奪われるような仕打ちを受けたこと、また、私を悪者扱いするために新潟救難隊での暴行事件では暴行した加害者をかばい、私を通信隊から排除したことです。 名古屋地裁に「警務隊記録」の文書提出命令を出させる決定をさせるためにも多くの傍聴が必要です。 (3)戦争にはうそがつきものです。 「テロとの闘い」を掲げたアメリカ・ブッシュ政権は、イラク・フセイン体制を「テロ国家」と規定して攻撃し占領します。しかし、「化学兵器も核兵器」も見つかっていませんし、不正義の侵略戦争だったということです。 そのため、イラク戦争やアフガニスタンでの戦争に動員されたアメリカの兵士が、今なお多くの自殺者を出し続け、押し付けられた「愛国心」に対する反逆ともいうべき事件を起こしています。 安倍政権の狙いは「国益のために戦争をしてもいいんだ。そのために侵略戦争もできる軍隊に自衛隊を変えていくんだ」ということです。このことに、自衛官やその家族は誰も納得していません。うそとペテンで戦争をさせることに絶対反対です。 (4)真実を隠して自衛官や労働者に「国のための犠牲になれ」という社会は間違っています。強権的に戦争に動員することは国家犯罪です。この国家犯罪を繰り返させないための仕組み、約束が憲法にほかなりません。 裁判が始まって名古屋に移ってから、自衛隊は私の住居に10台以上の監視カメラをつけてプライバシーを侵害しています。集合ポストの真上にも高感度監視カメラがつけられ各戸に配達される郵便物の宛名や送り主まで盗撮しています。 裁判を始めたことがそれほど国や自衛隊に不都合なのでしょうか。このことは「国益のため」という権力者の常套(じょうとう)文句が、実は労働者や住民の権利を侵害しても罰せられない仕組みであることを物語っています。憲法第9条の改悪は絶対に認めることができません。 (5)私の裁判は、「国は約束を守れ」「自衛官は使い捨ての将棋の駒ではない」ことを明らかにする裁判です。不正義の戦争や侵略行為を止める力を持っているのは私たちです。 イラク派兵での負傷が隠され、私は適切な検査と治療を受けることができませんでした。事故にもとづく後遺障害や心身の打撃から私はいじめを受け退職を強要されたのです。再び戦争の惨禍によって自衛隊員が犠牲になることのないよう、真実を突き止め、しっかり不正行為を裁かせなくてはなりません。週刊『前進』02頁(3011号02面03)(2019/02/14) 名古屋地裁で始まったこの裁判。2月26日、3月5日は自衛隊側の証人、そして原告の池田氏が証言に立ったのが5月22日。そして、昨日28日に反対尋問が行われるという運びとなって、それを傍聴して来たわけです。 被告の国側の弁護団は10人、原告側は4人でした。原告側のリーダーはテレビでも時々見かける〇〇弁護士でした。最初は共産党系の弁護士が付いていたが途中で引き下がってしまったと聞く。何だか裏側にはそれぞれの都合が交錯していて、見えないところでの駆け引きや損得勘定などが働いているらしい。 被告側の女性弁護士が小さな声で小さな事をくどくどと質問し、障害を負っているために会話もスムーズにはいかない原告が腹を立てる場面が何度かあった。 どんな風に展開していくのか見守っていたわけだが、ごく限られた部分に終始し1時間半ほどであっという間に終了してしまった。どうやら被告の国側はこれ以上拗らせない方が得策と考えている様で、予定していた5人の証言もキャンセルしたようだった。 次回にはもう結審してしまうらしい。支援者たちも呆気に取られている風だった。一階の平面図 内部は二つの棟に分かれている 裁判つぶしを狙った不当な弾圧と生活破壊を労働組合や仲間に支えられて乗り越えながら、安保=戦争法案の強行や憲法改悪に反対するデモや集会に参加してきた池田氏。 「隊員は使い捨ての駒ではない」と自衛隊の違法行為を追及する裁判闘争は、安倍政権の改憲の狙いを暴き、労働者の国際連帯で戦争を止める闘いでもあった タイミングとしても、「イラクでは日本の自衛隊はアメリカ軍の同盟軍として見られていた。」というような新聞記事がでたりする中での裁判。戦争を出来る国にしたい安倍政権にとって打撃になるのをいかに小さく抑えるかという裏工作が始まる。 極々軽い判決が出てうやむやに終わらせられる様な、いやな予感がしてしょうがない。文句あるなら上告して見ろ! そうなれば何年かかるか分からんぞ! と暗黙の脅しをかけて来るような・・ 40席ほどしかなく、座れない人は傍聴することは出来ない。40分ほど経過した何の区切りもない不自然な状況の中で、身なりのきちっとした若い男性5-6人が一斉に退席した。本当の所は良く分からないが、「席を支援者に与えないために来てたんじゃないか」と田中氏。 国家賠償裁判という一般にはあまり馴染みがない裁判だったが、ノンポリの私にはいい経験になった。弁護団や支援者らの漏らすことばや会話が耳に入って来て、眠っている何かが刺激を受けて少しばかり泡だった。
2019.05.29
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♪ 恋なんか面倒臭い愛犬と幸せホルモン出し合っている‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨晩、BS1スペシャル「ベイリーとゆいちゃんが教えてくれたこと」を観ていて、とてもとても感動した。 日本最初の「大病院専属セラピー犬」のベイリー。そのベイリーに支えられながら、重い病と決別する大手術を受ける少女、ゆいちゃんの日々を追った番組。その中で展開されるセラピー犬の神秘的ともいえる行動の数々。 人と犬の間には、種が違うにもかかわらず「互いに愛情を感じ、心を癒やし合う仕組み」が確かに存在するという事実。犬と人が見つめ合う時、「オキシトシンが、人だけでなく犬の方にも同様に分泌されている」という驚きの研究が・・。 ハンガリーのエドベシュローランド大学で犬に人間のさまざまな声を聴かせ、脳の活動を調べる実験を行った。その結果、犬の聴覚野には人間の声色から感情を読み取る場所があることが分かってきたという。 まずは、犬に人の笑い声やうれしい声を聞かせると、聴覚野の活動が活発になる。つぎに、不機嫌な声を聞かせると、活動は低下した。似たような仕組みが、人の脳にも備わっている。 つまり、犬には人間と同じように、人の喜怒哀楽を読み取る能力があると考えられるというのだ。 さらに、4年前にアメリカの科学雑誌サイエンスに掲載された、犬の研究の世界的権威・麻布大学の菊水健史さんの研究は、犬だけが持つ人との特別な関係を明らかにしたもので世界の研究者を驚かせたという。 菊水さんの実験に参加した犬とその飼い主。互いに見つめあったときに人の体内で、脳の下垂体から「オキシトシン」というホルモンが分泌されることが分かった。相手への愛情を深め、絆を強めるホルモンである。幸せホルモンと言われるものだ。 オキシトシンには心を癒やしたり、体の痛みを和げたりする働きもあり、犬と見つめあったときに人間の体内のオキシトシンは3倍以上に増加。これが、犬のセラピー効果の大きな理由だと考えられるというのだ。 ベイリーは10年前に、アメリカで医療犬として特別な訓練を受けている。訓練は1年にも及び、森田さんも一緒にトレーニングを受けている。 9年前に日本初の「大病院専属のセラピー犬」として活動を始め、これまで3,000人以上の子どもたちを支えてきた。今回の病院は神奈川県立こども医療センターで、月曜日から金曜日の朝9時にやって来る。 この病院に入院している子どもはおよそ400人。脳腫瘍や白血病の治療で、生まれてから一度も病院の外に出たことがない子もいる。セラピー犬の役割は、長期の入院で心が沈みがちな子どもたちに寄り添い、治療に前向きになってもらうことだ。 しかし、ベイリーは人間ならもう80歳のおじいちゃん。大きな手術を目前に控えているゆいちゃんを退院まで見届けるのが、引退間近のベイリーに任された最後の大仕事。 手術室の前まで同行し、ゆいちゃんが手術室に入ったあとでも、閉じられた扉を見つめたままベイリーは動こうとしない。 5時間に及んだ手術は無事に成功。しかし、ゆいちゃんは痛みがひどくてほとんど眠れず、翌朝になってもグッタリと横になっていた。しばらくは、刺すような痛みが続くという。そこに、森田さんに伴われてベイリーがやってきた。痛みで体が動かないゆいちゃんのために、ベイリーがベッドに乗って添い寝をした。 30分後、森田さんがそろそろ行こうとベイリーを促すが、ベイリーは動こうとしない。いつもは森田さんの指示に忠実なベイリーだが、引っ張っても従わないのである。そうしているうちに、ゆいちゃんが眠りにつくと、安心したベイリーがようやくベッドから離れた。ベイリーと行動をともにしている「ハンドラー」の森田優子さんは看護師。ファシリティドッグのハンドラーは、看護師や臨床心理士など医療従事者である必要があるという。 珍しく指示に従わなかったことについて、森田さんはベイリーの行動に理解を示す。「ベイリーが自分がそこに求められているというのが分かっての行動なので、今までの経験値から考えてるのかもしれないなと思いますね。」 この件(くだり)を観ていて、じんわりと涙が湧いて来て仕方がなかった。犬にも当然ながら心がある。させられているのではなく、自分の心が判断して思いやりを持って対応している、その十二分に分かっていることの凄さ、そして気高さ。 この犬と人の不思議な関係を追及するため、「オオカミはどのようにして犬へと進化したのか?」を考察する研究も合わせて紹介している。ロシア遺伝学の父、ドミトリー・ベリャーエフ博士が始めた研究は、繁殖の難しいオオカミの代わりにキツネを使用している。 詳しくは「重い病の子どもたちを支えるセラピー犬 ベイリー」に詳しく書いてあります。 5月30日(木) BS1スペシャル、午前9時00分に再放送がある。 セラピードッグと言えば日本初の「名犬チロリ」を忘れる事は出来ません。是非この一冊も読んで下さい。涙無くしては読めません。 ゴミ箱に子犬たちといっしょに捨てられて、殺処分寸前に助けられたチロリ。人間にたくさんいじめられてきたにもかかわらず、ラピードッグとしてやさしい笑顔と深い思いやりで、弱った人間の心をいやす。不幸のどん底からはいあがってきた一匹の犬が、献身的にお年よりをケアする姿・・・
2019.05.28
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♪ 太陽に責任はないこの暑さ夏の五輪は自粛と決める‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日(26日)、北海道佐呂間町で午後2時7分に39・5度を記録し、5月の全国の最高気温を更新。5月でなくとも北海道でこの気温は空前絶後の驚天動地的大事件だ。 帯広市で午後1時12分に38・8度、足寄町で同16分に38・7度、池田町で同20分に38・6度を記録するなど。各地で猛暑日(35度以上)となった。フェーン現象のせいらしい。帯広市のJR帯広駅前 一方で、午後2時現在で全国で最も最高気温が低いのは、北海道えりも町の襟裳岬で14・3度。佐呂間町とは約250キロ離れているが、気温差は25・2度に達したという。襟裳岬の14・3度が普通で、佐呂間町の39・5度が異常なわけでわざわざ気温差を論うのはどうかとも思うが、その異常さには天の神様もビックリだろう。 去年、埼玉県熊谷 41.1度、東京都青梅40.8度、岐阜県多治見40.7度、山梨県甲府40.3度という最高記録を更新したが、これは7月の最も暑い時期のことだ。今からこんなんでは来年夏の東京オリンピックが一体どうなるのか、心配が一層深刻になって来る。死人が出るかも知れない。 “トランプが来たせいじゃねーの” って声が聞こえて来そうな・・。 TPPを無視して、個別に圧力をかけて来るやり方にもうウンザリしているわけだが、ポチは嬉しそうに寄り添って、千切れんばかりにシッポ振って。大きな手土産まで用意して・・。 安倍首相が、外務省や国家安全保障局との勉強会で自ら「どうすればトランプ氏の機嫌が良くなるか、さまざまな趣向を凝らしたい」と指示ししたりしている。 天皇にもしたことのない特別扱いで升席を用意。通常、VIPは2階の貴賓席に座るの慣例だ。スリッパを履いて土俵に上がるなんて相撲を冒涜するのも甚だしい。 「トランプ接待」のための天皇までを政治利用している安倍総理。すべて自分の都合のようにやっている専制君主のごときもの。合法をかさに着た暴君なのかも知れない。 バッカじゃねーねの! ひでぇもんだわ! って、焼けた大地の下から聞こえてきそうな一日だった。 農産物の関税問題についての具体的な交渉を参院選が終わるまで待ってもらおうと、安倍首相はこの間、媚びまくってきた。「2020年秋の大統領選のことはきちんと考えている」と説明したという。「参院選以降なら関税大幅引き下げに応じる」という密約を結んでいるのだ。 トランプ大統領はゴルフ後の26日13時39分、自身のTwitterにこう投稿している。〈Great progress being made in our Trade Negotiations with Japan. Agriculture and beef heavily in play. Much will wait until after their July elections where I anticipate big numbers!〉(日本との貿易交渉で非常に大きな進展があった。農業と牛肉でとくに大きなね。日本の7月の選挙が終われば大きな数字が出てくる、待ってるよ!)(訳はLITELA編集部)。July electionsと複数形で書き、ダブル選挙まで暴露している。 先に「安倍首相は、日本企業が400億ドル(約4兆4600億円)を米国の自動車工場に投資すると話した」「日本は大量の防衛装備品を買うことに合意した」とも発言している。 マスコミ封じも上手く行っていて、新聞もテレビもNHKまでもが批判的なことを言わず書かずで、見て見ぬ振りをしている。
2019.05.27
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♪ 幼鳥を救わんとして一途なり人にこころのあるが恨めし‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ カミさんが段ボール箱に入れて、何かの幼鳥を拾って買い物から帰って来た。歩道を鳴きながら歩いていたらしく、いかにも無防備で放っておくわけにもいかず、思わず救出したんだという。 ツバメではない事は、勤め先の壁にも毎年営巣して、その巣から落ちているのを救出したことも有るのでよく分かっている。辺りを見回すとツバメの巣はあるものの、他にそれらしいものは見当たらなかったという。 家に持ち込んだのは良いが、はて? どうしたものか。猫がいるので、先ずはそれから守らねばならない。羽ばたいて飛ぶ真似をするし、親を呼んでいるらしい可愛い声でピーピー鳴いている。いじらしいったらありゃしない。一体何という鳥だろう?成鳥なら図鑑で分かるが、幼鳥は成長するにつれて羽根の色が変わったりするので良く分からない。 鳥かごがないので代わりに何かに入れてやらる必要がある。見ると玄関に傘立てがあり半分がメッシュになっている。それを横にして、寒冷紗でも張ってやれば簡易の鳥かごにはなる。それで、それらしく設えてそこに入れてやった。 野鳥は飼育してはいけないことになっているが、保護という形なら大丈夫だろう。それで、どうやって飼うか。餌は虫か? そんなの無理だなぁ、どうしようか。左手で撮ったので上手く撮れていない。 取りあえず、日本野鳥の会に電話して相談してみようと思い、愛知支部の番号を調べて訊いてみた。NHKラジオの「子ども電話相談」でもこういう相談を聞いたことがあるなぁなんて思いながら・・。事情を説明すると即座に返答が返って来た。 「何時保護しましたか?」今日です、と答えると、「飼育は出来ないので、元いた場所に戻してください。」「近くで親鳥が見ていたかもしれないし、餌を運んでくるかもしれないですから。」どうなっても、放っておくしかないんですね?「そうなんですよ。」 人間が勝手に介入して彼らの世界をどうのこうのすることは出来ないらしい。猫に襲われようが親が見捨てようが、それが自然界の掟という事らしい。飼うつもりでいても餌が手当てできず、結局は死なせてしまうことになる。そうなると不必要な責任感を背負いこむことにもなる。人間の一方的な価値観で善良を自認したところで、それは自己満足でしかないということか。 餌が虫でないタイプの鳥だったら或いは飼えるかもしれないが、生まれたばかりならいざ知らず巣立ち直前まで大きくなってしまってはもう無理だろう。 電話を切って直ぐに元の場所へ戻しに行った。目の前にあるクリーニング店のおばさんが出て来て様子を覗っていたので、事情を説明。「様子を見といてください。」と冗談を言ってそこを離れた。 振り返って見ると、そのおばさんが傍でジッと眺めていた。そんなに傍でじっと見ていたら親鳥は近づけないなぁなんて思うが、そりゃ気になるわ。いたいけな小鳥が、親を呼んでずっと鳴いているんだから・・。 人や自転車、すぐ横には車が通る隠れ場所など何もない。他の誰かが見つけて同じ様なことをしないとも限らない。一期一会のおさな鳥。心を通わすことのない弱き生きもの。人に心のあるが恨めしい。 こういうことがあちこちで起こっているらしく、日本野鳥保護連盟から注意勧告されている様です。各都道府県でも独自のパンフレットを作成して扱い方を知らしめている。 (クリックでPDFの大きな画像に飛びます) 電話で相談した時の対応が素早く明確だったのは、こういう事例が多くて対応に追われているということが背景にあるようだ。一つ勉強になった。
2019.05.26
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♪ 大陸は黄砂煤塵のみならず時期尚早の熱波送り来‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日(5月24日)、午後2時までに高知県四万十市で34・0度、福岡県太宰府市で32・8度など、全国926地点中、西日本を中心に142地点で真夏日を観測。早すぎる暑さにこの先が思いやられる。 気象庁気象研究所などのチームが、昨夏の記録的な猛暑は、地球温暖化がなければ起こっていなかったとする研究結果を発表。 温暖化で地球全体の平均気温があと1度上がると、35度以上となる猛暑日の国内での発生回数が現在の1・8倍になると推計。 チームは、温室効果ガスの濃度を産業革命前に設定するなどした「温暖化のない地球」と、実際の気候をもとにした「現実の地球」で、大気や海水温のデータをもとに約60年分の気象状況を、コンピューターで100回ずつ再現した。 その結果、日本上空が昨年7月を超える気温になる確率は、現実の地球では約20%だったのに対し、温暖化のない地球ではほぼ0%と推定された。 気象庁によると、25日から27日にかけて西日本から北日本で、5月としては記録的な高温となる見込み。26日(土)の気温と気圧予想クリックでWindyの10日予想へ この大陸で熱せられた乾いた空気が日本に流れ込んで来る。 特に東海から北日本の各地で気温が35度以上の猛暑日となる可能性がある。 24日午前11時時点の予想最高気温は26~27日に福島市で36・0度、26日に北海道帯広市や甲府市、岐阜市で35・0度、27日に北海道旭川市で35・0度など。北海道で猛暑日が観測されれば、5月で初という。 北海道で35度を超えるなんて、この時期ならずともとんでもないことだ。北海道は丁度いい気候になるのかなあと思っていたのは大間違いで、北海道から沖縄に避暑に行くなんてことが、先々に有るかもしれない。球の全体の気温が上がり、亜熱帯の日本は熱帯になるなんて考えたくもない。 ただ今回の暑さは湿度が低いので日陰に入れば涼しい。最高気温の時間帯の湿度が一番低くて40%前後なので、体感温度も気温の割には耐えられる範疇で収まっている。 しかし、体温調整がうまくいかない幼児や高齢者などは要注意。運動会や遠足をこの一番良い時期に設定しているはずなのに、こんな仕打ちを受けるなんて・・。 PM2.5分布予測クリックで、25日ー26日の動画へ
2019.05.25
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♪ 垣根ごしに見知らぬ家の主(あるじ)より朝のあいさつ五月晴れです‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 一昨日、久し振りに朝早く歩いたのが気持ち良かったのと血圧がチョット高めということもあって、今後は一日置きの朝のウォーキングと決めた。その分距負担にならないように、距離は少な目にしておく。 で、今朝も5時10分に出た。中道を通ったので行き会う人は少なかったが10人ちょっとに挨拶をして、ほぼ100%返って来たので気分がいい。 広い通りに出て歩道を歩いていると、家の庭から垣根越しに挨拶をしてくれる人が居た。想定外のことで思わず笑みがこぼれた。その時の雰囲気からして、誰にでもそうしている感じでもなかった。 もう長年ウォーキングをしているので、“挨拶をする人” として顔を覚えてくれているのかも知れない。それならいっそのこと、積極的に私が何者かを知ってもらおうじゃないか。“それには歌会始に選ばれて、新聞記事になるのが一番だなあ” なあんて、勝手なことを夢想しながら歩いてきた。 題詠である上に一人一作しか応募できない。二万数千首の中からたったの10首。その中に入ることは、プールで失くしたコンタクトレンズを見つけるようなもの。しかし、宝くじだって当たる可能性はあるし、買わなければ話にもならない。過去のお題と応募数 今回のお題は「望」で、令和最初のものとあって応募者は何時もより多いかも知れない。また、選者の心境も新たとなって、今までとは違う傾向の歌を選ぶかもしれない。 9月末が締め切りだが 、“暑い!アツイ!!” と形而下にこころ紛らわせている内、卒然として目の前に現れるというのがオチだ。暑くなる前に精神一到、一首入魂のもとに詠進歌をものし、残暑の合間を縫って乾坤一滴気分で宮内庁宛てに一首を投ずるという算段・・・。バイカウツギ(梅花空木) 宝くじは一万円が当たったことがある。可能性は少ないが、僅かであっても、目高の涙ほどであったとしても、有るにはある。運は自分で引き寄せるもの。「犬も歩けば棒に当たる」は災難に遭うの例え。「果報は寝て待て」「棚から牡丹餅」なんてあり得ない。
2019.05.24
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♪ クイズ番組見ては「あのあの」言うばかりあのさんまにもそんな日が来る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 最近のクイズ番組はつまらない。クイズ番組は昔からあるが、それぞれ趣向を凝らし個性があって面白かった。最近のそれは、人気に便乗しただけの中身の無いものが多い。人気があって続いてきたものもネタ切れで有るのにもかかわらず、視聴率が稼げるとばかりに無理やり問題をこしらえてやっている。 頭の体操だと思い、記憶と瞬発力のテストだと思って観ていたが、似たような番組が雨後の筍のように出来て、レベルの低い内容のものしか作れない体たらくに目を覆いたくなる。視聴者を馬鹿にした様なものも目立ち、小学生に出すような問題を出して、解けて大はしゃぎしているのを見せられてはうんざりだ。好きで見ていたクイズ番組が、最近は鼻について厭になった。 つくづくTV界というのは下らん世界だと思う今日この頃。歳をとって分別が付いたという事でも無くて、世の中のレベルが下がっているのがそもそもの始まり。アナウンサーの無知にはがっかりさせられるし、新聞の記事をネタにして番組をこしらえる無神経さと恥知らずにもウンザリ。 そんな番組にれっきとした大企業がスポンサーに付いている。その大企業が理念もなければコンプライアンスもくそもない、ただ金儲けのヤクザまがいの経営をしていてその自覚さえない。 天下泰平というかお人好しというか、日本が今までに築いてきたものをただ食いつぶしているだけの、三代目で身代を潰す典型のような経営者。 どこもかしこも自己保身のオンパレードで、自己中心的な信条を主張して不遜を恥じない無知蒙昧の花盛り。短絡的で深く考えない。沈黙の臓器が肝臓だけでなく全身に広がって、脳は何も感じないままただ生きているだけのようなもの。
2019.05.23
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♪ 放置田にギーシャカシャカとヨシキリの鋭(と)き声ひびく老いゆくはわれ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 今日から来週にかけてかなり暑くなるらしいので、いよいよウォーキングも夏バージョンに変更だ。 今朝は、久し振りに朝早くと言っても、陽はしっかり昇った5時過ぎに家を出た。 やっぱり朝は気持ちがいい。何時以来だろうか? 寒くなってからの事だろうから半年ぶりというところか。さすがにこの季節の朝は歩いている人が多く、かれこれ20人程に「おはようございまーすっ」と声を掛けただろうか。その半分くらいは向こうからも同時に挨拶してくれて、朝の挨拶が定着しつつあることを実感する。以前は1割ぐらいだったのだからずいぶんな変わりようだ。残り半分のそのまた半分は全くのノーリアクションで、これは殆どが男。これは今後もずっと続くのだろう。 しかし、私に挨拶してくれる人が他の人にも同じようにしているかと思って見ていると、どうもそうでもないらしい。私の顔を覚えてくれていて、条件反射的に挨拶してくれているような気がする。それはそれで嬉しいし、そえをきっかけに誰にでも挨拶する様になってくれれば尚さら嬉しい。 声の大きい元気そうなお婆さんがいて、何度か言葉を交わしたことがあった。今朝も久し振りに立ち話をしていたところに通りかかったので、当然あいさつをした。すると、今まで話ししていた人そっちのけでこちらに話を向けたきた。話し好きなので話し始めると止まらない。今まで相手していた人もちょっと困っていたらしく、これ幸いに行ってしまった。 適当に切り上げたいがなかなか区切りがつかずもじもじしていたが、足止めしていることに気付いてくれたのか、突然切り上げて行ってしまった。まあ、いろいろあるわ。 古希となってさすがに体力は落ちてきているが、気分は10年前と変わっていない。しかし、二か所の階段を駆け上がり “おおまだまだいけそうだ” と思っていても、後半はちょっと草臥れてきて、70という歳を思い知らされている。 歩道を歩いていて煙草の空き箱が落ちていた。如何にも真ん中に転がっているので足で蹴ってやった。そしたら重い手ごたえがあった。拾い上げてみると、なんと封も切ってないまっさらなヤツだ。自転車か何かで通った人が落として気づかず行ってしまったらしい。 拾っちまった以上またそこへ戻すというのも何だか変。なので一応貰っておこうかと。でも気づいて引き返してくるかもしれない。いや、他の誰かがまた拾うかも知れない。財布ならまだしも、煙草一箱を交番に届けるわけにもいかない。 そんなことを考えながら、煙草を手に持ったまま足は前へ動いている。パッケージにメビウス・プレミアムメンソールとある。はて、どうしようか? 自分はとうの昔に禁煙しているし、身内にも吸ってるやつはいない。アイツも、あの人も最近やめたし・・・。 外国煙草なんかパッケージに髑髏の絵が描いてあったりして、害が有ることを強調して注意勧告しているが、日本たばこ産業は表記がぬるい。 元々は専売公社が、塩と同じ扱いをしていたもので、国策で税収を当てにしているために厚労省と財務省がむにゃむにゃやって販売を続けている。 スクランブルの交差点に差し掛かった。東西の信号が赤からすぐに青になり、南北の信号が青かとおもって出掛かった車が横断歩道まで飛び出して慌てて止まった。スクランブルの歩行者用が青信号になったのだ。その飛び出しているダンプカーのところまで行って、窓に煙草をかざして指を差しながら運転手の顔を覗き込んだ。すぐに窓を開けたので「煙草吸う?」と聞くと「吸うよ」というので、「上げるわ」と言って渡してやった。嬉しそうな顔をしてお礼を言いながら受け取ってくれた。 今、煙草は幾らするのかと思ったら、タール:1mg ニコチン:0.1mgの一番軽いのでも480円もするんだねぇ。一本24円が安いのか高いのか、人それぞれだろうが・・。肺がんのリスクは高まると言っても立証はされていないと聞いたことがある。注意書きには色んなバージョンがあるらしく、その一つが書いてある「喫煙はあなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます。疫学的な推計によると、喫煙者は心筋梗塞により死亡する可能性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります。」 2時間をほぼノンストップで歩き、13,000歩ほどだった。歩く速度はかなり遅くなっているの筋力の衰えは否めない。これから真夏に向かって、年々長くなる夏対策のためにはあまり疲れない方法で効率のいい運動を心掛ける必要が有りそうだ。
2019.05.22
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♪ 苛々と蠢いている虫たちを溶かしはじめているヴァイオリン‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ YouTubeで「Hilary Hahn」のヴァイオリン奏者を観ていて気が付いた。顎にハンカチを当てたりして演奏していない。長年ヴァイオリン奏者を続けていると左のあごの下にタコができると聞く。しかし、このヒラリー・ハーンは「肩当て」なるものを使っている。顎当てとセットになっているのだろう。彼女が使っているのは「Bonmusica」かな? 今はこの様なスタイルが主流のようだが、何時からこういうものが登場したのだろう、ちっとも知らなかった。私の知っているのはメニューインとかハイフェッツ、グルーミオそしてパールマンなどで女性は一人もいない。日本人では辻久子、五嶋みどり、前橋汀子、千住真理子、諏訪内晶子、川井郁子、高島ちさ子なんか知ってるが、「肩当て」なるものを使っている人はいなかった。そうそう古澤巌とか葉加瀬太郎、変わりどころでは寺井尚子なんかも活躍しているが、そんなのしてるのを見たことがない。気づかなかっただけ? 確かにハンカチを当てて演奏している人など今はもう皆無で、顎にタコがある人なんかいない。顎当ては早くから使われているのだろう。遅れていると言われればそれまでだが、知らないうちにあらゆるものが急速に変化している時代。すべての事に目が向いているわけではないからねぇ。 Shouldrres List(肩当てリスト)のサイトに飛べます。 首の長い人は使った方が楽らしいし、確かに安定して演奏しやすそうだ。高さの調整が出来るものが主流らしいが男の演奏家も使っているのだろうか。肩当てとバイオリンには相性があって肩当て一つ違うだけで、バイオリンの鳴り方に差が出るというから、疎かには出来ないらしい。「シベリウス ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品47」フランス放送フィルハーモニー管弦楽団(クリックでYouTubeへ) 赤い衣装がいかにも気の強そうな気配をうかがわせて、タイトな演奏の中に迸るようなエネルギーが画面から伝わってくる。グラミー賞を3 度受賞している実力が納得できる。 バックのオーケストラの、特に女性陣の魅力的なこと。いい顔をして演奏していて十二分に楽しめた。 ヒラリー・ハーンのバッハ(ソナタとパルティータ)が昨年、CDとLPの両方でリリースされている。 デビュー盤がバッハの無伴奏作品(ソナタ第3番、パルティータ第1番&第2番)で、このデッ カからリリースされる『ヒラリー・ハーン・プレイズ・バッハ』をもって、20年の時を経て『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲が 完成することになるらしい。 今は、CDとLPの両方で出るという時代だ。アナログが見直されているのは良いことだ。聴き比べれば、ダイナミックレンジには現れないかも知れないが、その音の深さには心を奪われる。最高級のCDプレーヤーを持っていても、カットされて録音されていない音は再生できない。 聴き比べが出来るチャンスが有ったら是非、その違いを体験してみてください。(アナログレコードであればすべて音質がいいというわけではない。録音が良くてカッティングにも気を使ったものを、上質(高価)な再生装置を使用して初めて音質がよくなる。平均的なレコードの再生音質がすべていいというわけではありません。)
2019.05.21
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♪ 黒光りしてウイニングランをするラブズオンリーユーはミーの娘(こ)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 二度目のぶどうの摘芯・摘果、誘引をした。先端ばかりに養分が行ってしまうので途中から出た枝に付いている実はまともに育たない。それを考慮して摘芯・摘果しなければいけないと分かっていながら、やっていることは「テキトー」そのもの。 来年の枝ぶりを考えて「切るべきもの、残すべきものを配慮する」なんてことを、はなから無視してしまうのが素人の浅はかさ。適当に判断して、取りあえずこれだけ切り落とした。 一度試してみたいと思っていて出来なかった葡萄の若芽の天ぷら。今年は最後のチャンスとなるだろうから、カミさんが卓球の試合でいないことをいいことに、いざ試食。 葡萄の新芽だけでは興がないので、庭のユキノシタの若葉も摘んで仲間に加えて・・。少しづつ揚げたためかどうってことない味だった。もう少し重ねてボリュームを出した方がよかったかなと、リベンジを誓う私であった。 オークスの中継があったので、買ってはいないが観ていた。 本命のラヴズオンリーユーが予想通り、2分22秒8のレースレコードで優勝。ラストランする姿に、何だか知らないがとても感動していた。 カレンブーケゴールドに競り勝った瞬間。 オークスは明け三歳の「優駿牝馬」レース。桜花賞は最もスピードのある繁殖牝馬の検定競走とされたのに対し、芝2400mのスピードとスタミナを兼ね備えた繁殖牝馬を選定するためのレースとされている。 東京競馬場のスタンド真近でスタートするので、馬の耳にも歓声がもろに聞えてくる。三歳の牝馬にとっては、かなり緊張も興奮もする独特の雰囲気の中での晴れ舞台だ。 優勝した「ラヴズオンリーユー」はあの「ディープインパクト」の子で、まさに競馬界のサラブレッド(この例えは本末転倒だな)。「ディープインパクト」は、2005年(平成17年)に日本競馬史上6頭目の三冠馬(無敗での達成は1984年のシンボリルドルフに次いで2頭目)。騎手の武豊は「走っていると言うより飛んでいる感じ」と言い「英雄」の称号も与えている、まさに競馬ファンを魅了し続けた驚異のレジェンド。 多くの優秀な馬を生み出していて、その中の一頭がこの「ラヴズオンリーユー」。4戦4勝でまだ無敗。1歳牝馬最高額の1億6千万円で落札された、生まれながらの駿馬。(クリックでYouTubeへ) 走るために産まれて来て、生まれた時からそのための訓練を続け、2歳でもうレースに出る。競争することが生きるだと知っている生まれながらの競走馬。パドックで愈々といういう気分を高め、本馬場へ入って返し馬、待機所での輪乗りと進んで次第に戦闘モードに入っていく、そしてゲートイン。その時々の各馬の個性を眺めるのもたのしい。♪ なだらかな美しき背に光あり駿馬(しゅんめ)は走る たてがみの波 勝ったことは本人(馬)も知っているわけで、ラストランをしている時は最高の気分だったろう。躍動するサラブレッドは本当に美しいが、全身に汗を光らせて誇らしげに歩く姿も、三歳であればこその初々しさもある。 名門ノーザンファームの最高の環境で育った幸せな奴だ。母ラヴズオンリーミーの名前を受け継いだかたちの「ラヴズオンリーユー」。ノーザンファーム(クリックでYouTubeへ) こんな大牧場ではない家族経営の牧場でダービー制覇させた夫婦がいるんだね。2006年にメイショウサムソンは翌年の天皇賞(春・秋両方)でも優勝している。放送を観て、感動して泣けて来た。 馬が好きなだけでは勤まらない厩舎や調教の仕事だが、あの優しい目と美しい姿を見ていると、そんな仕事をして暮らしている人々が羨ましく思えて来る。 オークスの結果は、12番人気のカレンブーケゴールドが2着に入り、2番人気のクロノジェネシスが3着。枠連 5-7で、よくある一番人気が1着3着という結果で、8,420円も付いたのを見れば予想が難しかったのが分かる。3連単 13-10-2 179,960円も付き、3連複 2-10-13も28,240円の万馬券となったが、この辺の数字はそう珍しくはない。 この17万9千円なんて大穴を当てた日にゃ、その時の事が頭にこびりついて、いつもいつも顔を出す。もう人生の狂いの始まりだ。 100円券でがまんして、それでも17万9千円になるのだから、ほどほどがいい。次は日本ダービーだ。
2019.05.20
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♪ 傷みたるピアノ楽譜を修理せり聴かせてよあのあの、ノクターン‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ピアノの楽譜の修理をやっつけた。頼まれていたというより、傷んでいるまま使っているのを見かねて、こっちから修理を申し出たというのが真相なんです。 久し振りの製本作業で「どうやるんだったかなぁ?」という感じで、要領がつかめない。改めて本や過去の制作メモなどを眺めるだけで一日が経ってしまった。昨日、なんとかやれそうな気がして来たので、さっそく嬉々洋々で取り掛かった。 見返しも何もない無線綴じの本は、構造が簡単なので特別神経を使う部分は少ない。 表紙を丁寧に外すも、本体と表紙の背の部分にボンドの跡が残ってしまって凸凹している。それでは具合が悪いのでカットしてしまうことに。 それで切ったのはいいが、カッターの刃の角度が悪かったため、斜めに切れてしまった。カッターの刃(大)は両刃になっていて厚みがある。1センチ以上ある本をそのまま垂直に刃を当てて切ると、徐々に外側に逃げて行っていってしまうのでわずかに外側に倒して切る必要がある。せっかく身につけたはずの勘が狂っていた。 仕方がないので小口側もカットして調整。全体に1センチほど本の奥行きが狭くなった。擦り切れて汚くなっていたのがきれいになる事だし、使用するにも問題はなさそうだ。 左はカットした本体と切れはし。右は見返しを付け、背固め前の状態。 次に、もともとなかった見返しを貼り付ける。これが無いと、表紙と本体を一体化させることが出来ない。4mmほど糊シロを取って貼り付けた。 次は背固めだ。柔軟性のあるタイプの製本用ボンドをたっぷり付け、和紙で補強した上にハトロン紙を被せるように貼る。ここが一番の重要ポイント。ここまでやって来て要領を思い出してきているので、 “多分うまくいったはず” と、少し不如意だった心持ちが俄かに確信に変わっていた。左の奥に、背固めした部分を板で固定し、乾かすために置いてある。 背固めのボンドが固まるまでの間を読書に当てる。先日作った書見台がここで役に立った。形も良いしとても使いやすい。“なんか良い感じだなぁ” と自画自賛。 背固めが乾けば、次は、見返しを表紙に貼り付ける作業に入る。背が厳密には平らになっていないので、ともすると表紙がずれてしまう恐れがある。先ずは背の部分だけを先に貼り付けることに。ここで焦って失敗しては元も子もない。密着する様に固定して、30分ほど乾かしておく。 二たび書見台を手前に持って来て、読書をつづける。いろいろなものが周りに置いてあるが、書見台の本はどんな姿勢でも、多少距離が離れていても読めてしまうからうれしい。ジャーン! 完成 どうだい、立派なもんだ。スピン(栞ヒモ)まで付けてもらって、還暦のお祝いをされているみたいだろう!? さすがに化粧を施すという訳にはいかず、くすみや汚れはそのままだ。それが長年生きて来た証しなんだからねぇ、良い味わいが出ているってもんだよ。サイズが小さくなっていることなんて、言われないと分からない。 で、カミさんに見せた。「ああ、出来たんだね。」と言いながら、背が取れてバラバラになっていた辺りを開いて確認しただけ。スピンには気付いたが、見返しが付いてい立派になっている事には気が付かない。 「わー!!キレイになったね~」なんて言葉を期待していたが、拍子抜けするほど素っ気ない。“滅多に弾かなくなったピアノだし、今更どうってことないなぁ” なんて言葉が、無声映画の字幕となって私の脳裏に浮かんで消えた。 同じシリーズの本と重ねると、小さくなっているのが分かる。下になっている第3集の方が新しいが、これもやっぱりページが離れてしまっているところが有る。でももうやってやらない。
2019.05.19
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♪ ポロロッカの遡りくる満月の真夜に胃液が喉を焼きたり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨夜の夜中の3時半頃、ジェット機が家の向うに墜落した。 厳密には墜落した夢を見た。 何となく外を観ていたら、後方から音もなく飛んで来たジェット機が、変な飛び方をしているなあと思ったら急に真上に上昇して、そのまま失速して落下してしまった。100mぐらい先かと思ったが、よくよく考えれば数百メートル先かと思う。「うわぁぁ!!」と声を上げて、咄嗟に身を屈めた。墜落の衝撃で機体が大破し、飛び散った部品が家の中まで飛び込んで来た。隣室にいたカミさんがけがをしたらしい。「大丈夫かー!」 「救急車!!!」、「消防!!」とか叫んでいる。燃えている状況をカメラ動画で撮って、報道陣が来たら渡そうとか思っている。そのうちに、夢はフェードアウトしてしまった。 それでうとうとしていて、うつ伏せに寝返りをしたら突然、胃液が逆流してきた。喉が焼ける。慌てて階下に降り、お茶をがぶ飲みする。ヒリヒリ感はすぐには取れない。布団に戻り、つばを何度も何度も飲み込んでいるうちに徐々に痛みは取れていった。以前にもこういうことはあったが、ベッドに傾斜を付けてからはほとんど無かった。四谷メディカルキューブより 逆流性食道炎。肺炎の原因にもなる。以前、原因不明の発熱が1年に一二回あってベッドを頭の方を高くして寝るようにしたら、てきめんにそれは収まった。噴門が緩くなっているのだろう、食べ過ぎたり飲み過ぎたりすると起こりやすいが、昨夜はそんなこともなかった。なのに、突然起こった。pH1.0〜1.5の強酸性の胃液が、食道を通る時はまったく痛みを感じないのに喉まで来ると途端に焼けるような痛みが来る。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」それだけ喉はデリケートに出来ているわけだ。センサーの役目を果たしているのだろう。ポロロッカ 明日が満月で、あのアマゾンのポロロッカも満月の前後に起こる。傾斜させて寝ている食道を遡って来るのは、引力にも逆らって来るわけで相当なエネルギーを持っているとも言える。まるでポロロッカだ、と思ったわけ。時速65キロメートルの速度で逆流し、沿岸より800キロメートル内陸まで達することがあるというあれだ。 ジェット機が落ちた夢と逆流する胃液との因果関係はないだろうが、飛ぶはずのものが落ち、上がってくるはずの無いものが逆流してくるという非日常的なことが、ほぼ同じ時にわが体内で起こったのは事実。 そのせいでそれ以降は寝付かれず、4時半には床を抜け出してしまった。 トイレからいい具合に眺められるバレリーナ。濃いグリーンに塗った窓枠がちょうどいい額縁となっている。
2019.05.18
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♪ しののめの薔薇の静もり特急の白きヘッドが引き裂いてゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥♪ ななめから朝日のさせば眩しくてきょう一日の気温をおもう ♪ 屑入れを乗せられている吾が椅子の猫と取り合いされる憂鬱 ピピは布団の上で寝ることはさすがに無くなっていて、座布団の上で寝るのがこの頃の習わしだ。この椅子も狙われていて、うっかりするとちゃっかり寝ているので油断できない。♪ 時々に場所を替えては吾が椅子にくつろいでいる五月猫とぞ 「五月蠅い」と書いて「うるさい」と読む。「五月猫」と書いて何と読ませようかと思ったが、取りあえずはそのままで。俳句の季語にも有りそうな気もするが、無いんだなこれが。暑かったり涼しかったりの五月は、温度に敏感な猫にとっては落ち着かないこともままある季節だ。
2019.05.17
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♪ 五月雨のまた降るらしき晴の間を整えるべきは我がこころなり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 右ひじが痛いのでPCのマウスを左手で操作しているが、3日目にしてだいぶ慣れてきた。 コピペや一部の文字を消したり移動させたりするのに、カーソルをピタッと止めるのが難しい。最初はどこかに行っちゃったりもした。写真のリサイズ、画像調整、画面のスクロール、ページの切り替えなどを頻繁にやる。右クリックも多用するので、左手でやるのは面倒に思っていたがそれもあまり感じなくなった。キーボード操作は右手やっても痛くない。左手が自在に使えるようになれば両手使いが上手くなるだろう。右脳の刺激にもなるし、これ幸いとばかりに不便を楽しんでいる。 「雪ノ下」に花が咲き、「ヒペリカム・トリカラー」の先端にも丸い蕾が膨らんできた。どんな花が咲くのか楽しみだ。 サボテンの花がようやく咲いたがとても小さな花で、イメージしていたものとは大違いだった。あまり期待はしない方が良さそうだ。 “ピアノの楽譜が 傷んでページがバラバラになってしまう” と、カミさんから修理を頼まれた。高校時代から使っているので50年近く使っているわけで、傷むのも当然だ。 とは言っても、頻繁に使っていたのは結婚する前までだろうから、その後は時どき開いていたに過ぎない。経年変化で紙そのものが弱ってくるので、良く持ったと思うべきだろうか。そこそこ良い紙が使ってあるのだろ。前奏曲集:24の前奏曲op.28/前奏曲嬰ハ短調op.45 練習曲集:12の練習曲op.10、op.25/3つの新練習曲遺作:1)ヘ短調 2)変イ長調 3)変ニ長調 私も大好きなショパンのプレリュードとエチュード集。直さないわけにはいかない。 扉がなく中表紙の次からいきなり譜面になっていて、奥付もない。「無線綴じ」で見返しもない、最も簡単な製本形式で出来ている。フラットに開くように背固めがしてないので当然使っているうちに傷んで来る。 「春秋社」には未だに1951年の初版本の在庫がある?らしい。1900円の値があり当時のままだとしたら、50年前の本としてはかなり高価なものだっただろう。ここにあるのは1974年の第13刷版で、値段がどこにも印刷されていない。 カミさんの師事した先生が、この本の編集・校訂をした井口基成氏の弟子だったことから、この本を薦められたらしい。出版されている楽譜は、出版社によってそれぞれ個性があり、同じ作品の楽譜でも校訂者や出版社が違うと必ずどこかに違いがあるという。音の高さそのものが異なっていることもしばしばあるというから困る。 「全音」のものより高いらしいが、表紙のデザインはこちらの方が抜群に良い。 久し振りに製本作業をするのもいい。やりかけで止まっているのも有るので、この際それもやっつけてやろう。楽しみがまたひとつで来た。
2019.05.16
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♪ 珈琲を少し苦めに淹れてみる夏日のあとのあめの降るあさ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 本を読む時、ぶ厚い本は始めところと最後に近くなるとどうしてもページが閉じてしまい、文鎮で押さえたりして読んでいる。いっそのこと書見台でも作ってそれを解消してやろうと思った。 掛けているレコードのジャケットをスピーカーの上に立てるのに使っていたものを代用する。への字形にして斜めに立てかけるもので、そのままでは使えないが、ちょっと手を加えれば何とかなるかなと。 蝶番が付いているのでそれを利用して、斜めのVの字にして本を乗せれば良いかと思ったが、下が閊えてうまく立たない。やはりフラットにするしかないようだ。裏側は一点で支える形にしたので、蝶番を表側にしないといけない。邪魔になるが大丈夫だろう。 固定するための三角の板を用意し、その上にストッパーの板を取りつけ、本体の角度を決めて背を支える棒を取りつける。本体は取り外しできるようにして完成。 開いた状態を固定するために、ステンの丸棒(1mm)を曲げて固定用金具を作った。これは以前、猫のオーナメントを作った時のやり方が大いに役に立った。 角材に釘を何本か打ち付け、釘で抑えて90度に曲げる。ステンレスはかなり硬いので、直角に曲げるのはコツが要る。木々の位置をもう少しきちんと決めてやった方が良かったかも知れない。丸棒に寸法を記しておき、端から順に曲げていく。それはペンチでは無理なので、9mmのパイプを差し込んで曲げた。 使わない時は板に挟んでおくが、使う時は本に直接取り付ける。 これはピアノの楽譜にも使える。教則本とかピアノ曲集はぶ厚いものが多く、フラットに開かずどうしても閉じてしまう。特に子供のピアノ教室の練習時には欠かせない。 書見台なんか使ったこと無かったが、使ってみるとなかなか良い。本から目を30cmぐらい離して読む様にと言われていた気がするが、30cmはいかにも近い。ちょうどいい距離を測ってみたら、40cmほどあった。 胡坐をかいた状態でも使えるし、腹ばいになった時はクッションでも胸に当てればいいだろう。メモを取る必要が有る時など、手前にノートを置けるので都合がいいし、いろいろなシチュエーションで使えそうだ。 市販のものにはいろいろあって、角度が変えられるようになっているのが一般的。しかし、自分一人が使う分にはその必要も無さそうだ。ページを固定するための装置が左右一対、それぞれに工夫されたものが本体に取り付けてある。特殊な書見台中心部に組み込まれたスプリング内蔵の「ウェイト・コントローラー」によって、分厚く重い本でも左右のページが常に同じ高さになり読みやすくなるという優れもの。 学術的専門分野の学者、研究者、また書物を財産とする教会、図書館等のため考案されたプロ用高機能書見台また博物館の展示用ディスプレースタンド、教会のバイブルスタンド(聖書台)としての書見台だそうだ。
2019.05.15
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♪ 早朝のしじまを裂きて響(どよ)みだすハシボソガラスの声の狼藉‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 急に暑くなり体がそれに追いつかずにバテてしまうのを避けるため、汗腺トレーニングをする必要がある。それで、昨日は前日ほどの暑さではなかったが、毛穴を刺激するためにウォーキングに出た。ちょうど中三日のGT(グッドタイミング)だ。 「茶房じゅん」に用事も有ったので、北回り片道5キロ弱コースへ。 東海市は、街並み景観を意識しているのか、開発された駅前の建物には配慮がなされている建物がいくつかある。 エビせんべい「音羽屋」は大正 9年創業の老舗で、2018年に改築されたらしい。東海市は市制50周年記念事業として「市街地再開発事業」を実施し、駅前が大きく変わた。それに伴っての改築だった様だ。 それまではこんな感じの店舗だったが、「店舗+工房+住宅プロジェクト」を組んでの一大事業として、これを機に全てを一新。現在は四代目で、愛知県の「えびせんべい生産量全国一」の一角を担って頑張っている。 駅前にはこんな大型駐車場(東公共駐車場)があって、その壁面が独特の構造になっている。蔦を垂らしてあって、全体を緑化することで地域の緑景観形成を図っている。カセットタイプとパネルタイプの工法を組み合わせてあるらしい。東側の壁面 カセットタイプとパネルタイプの工法を組み合わせてあるというから、上部がカセットタイプで下がパネルタイプなのだろう。 カセットタイプはこんな感じになっている。保水・給水はどうなっているのだろう。内側からはこんな風に見える。駐車場と市民交流プラザは繋がっている。 看板の後ろに見えるのは消防団の建屋で、この裏側は山車の倉になっていて建物の様式が統一してある。駅周辺の空撮中央が太田川駅。西側に東海市芸術劇場、東側に市民交流プラザがある。 「茶房じゅん」に着いた時は午後も3時半を回っていて、この店としては遅い時間帯。駐車場に車が一台も無いので休みかと思ったが、看板はopenとなっている。月曜ということもあってか客はおらず、オーナーとゆっくり話をすることが出来た。1時間程、喋っていたかな。 帰り道でこんな建物が目に留まった。何かの店らしいが「ウサギ商店」とだけあって良く分からない。ググッてみると「ウサギ洋装店」というサイトがあり、どうやら着物から洋服、バッグなどを作っているリメイクショップらしい。 帰りは風も出て涼しくなり汗もほとんどかかず、往きに少しだけかいただけだった。汗腺トレーニングとまではいかなかった。この日の13,000歩ほどのウォークは、徐々に体を慣らしていくには良かったんじゃないかな。★ いい汗は “限りなく水に近い” そうで、小粒でサラサラしていて無味無臭で乾きやすいんだとか。しかし、現代人の汗はしょっぱくて、べとべとしがち。大粒で流れ落ちてしまう無駄汗が多いという。 「汗の素材は血液の液体成分である血漿(けっしょう)。これを汗腺が毛細血管から取り込み、皮膚に送りだす。ふだんから汗をかく生活をしていると、血漿中の塩分やミネラルは途中で血液に再吸収され、体はほぼ水分だけを出すようになる。」らしい。 それが、汗をあまりかかずにいると汗腺機能が衰え、塩分やミネラルが再吸収されないまま汗として出てしまう。これが悪い汗で、乾燥しづらく、流れ落ちた分、余計に汗をかかないといけなくなる。そして、汗にまじるアンモニアや乳酸が、汗臭さのもとにもなるようなのだ。汗腺トレーニング(朝日新聞より) もともと人が汗をかくのは体温調節のため。蒸発する汗が皮膚の熱を奪い、体温を下げる。100ミリリットルの汗で体重70キロの人は体温を1度下げることができるという。夏場に真価を発揮する冷却装置。 日本生気象学会や環境省は、「インターバル速歩」を紹介している。3分間の早歩きをし、次の3分はゆっくり歩く。夏前の5~6月にこれを一日に5回(30分)以上。中高年や体力のない人でもでき、血液や汗の量を増やし、体温調整能力の向上が期待できるとか。 しかし、なかなか1日に5回は出来ないし、この程度では真夏でもない限り大して汗もかかないだろう。汗をかく能力は個人差が大きいので自分に合ったやり方を見つければいい。
2019.05.14
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♪ 雲のたつ朝のしじまや虫の声 遠く小さくわが耳の中‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥♪ 花房を付けてつんつんぶどうの芽すんと湧き出(で)しアイデア一つ♪ 祭礼の人ごみに座すバーニーズ・マウンテン・ドッグのハーネス外されており♪ 鴬の声聞かざりし母の日のただ静やかに過ぎて行くなり♪ 血圧の値が高いことなどを話しおる間に耳鳴りは消え♪ 雉鳩の声おもむろに降りて来ぬ何か言いたき事のあるがに
2019.05.13
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♪ 思い出は有為転変の函の中美化されながら固まってゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 昨日は各地で夏日、30度を超えた地域も有った(京都で30度5分、奈良で30度1分、山口で30度4分)ようで、5月の半ばからもう夏だなんて洒落にならない。今日も暑くなりそうだ。今朝、5時過ぎの東の空 朝ドラ「なつぞら」の舞台は北海道十勝だが、知っている様であまり知らない十勝のこと。どの辺だっけ?と調べてみてたら、おやおや帯広の隣じゃないか。 若い頃に1年近くを費やして全国を旅していて、一カ月ほど滞在した北海道。帯広へは、屈斜路、阿寒湖方面からヒッチハイクで襟裳岬方面に行く途中だったと思う。ライトバンが停まって呉れ、「農家を二三軒回っていくけど、いいか?」と聞かれ、「どこへでもお供します。」とか何とか言って乗せてもらった。予定も計画もなにも無い自由な旅だ、遠回りしようが寄り道しようがなにも問題ない。却って嬉しいぐらいのもの。 「イセキ」のセールスエンジニアで、農機具の部品を農家に届ける途中だったらしい。7月の中旬だったろうか。チロル地方のような緑の平原の中に赤い屋根の建物が建っていたりして、まるでアルプスの少女ハイジの一場面を見ているような景色に目を奪われ、最も北海道らしい風景に出会ってハイになってはしゃいでいた気がする。「十勝郡」 丘陵地をぬって走りながら「鹿やウサギが、道路を横切ることもあるんだよ。」と言う。熊だって出る北海道だが、鹿をこの自然の中で見てみたかった。観光コースを旅行するのとは違う、行き当たりばったりのヒッチハイクならではの予想外連続の旅。地元の人でない限り絶対に行く事のない風景に出会って、ヒッチハイクの面白さや楽しさを体中で満喫していたことを思い出す。 もう50年近くも前の事で、あれからずいぶん長い時間が流れたものだなぁと「なつぞら」を観ながら、十勝平野を思い描いては一人懐かしがっている。参考写真(ここへは行ったことがない。)ナイタイ高原牧場(河東郡上士幌町上音更85-2)ー地図ー帯広よりもずっと北、然別湖の東側にある 「広瀬すず」が演じるヒロイン「奥原なつ」が共に暮らす柴田家の長女「夕見子」の今を、演じている「福地桃子(21歳)」は、俳優・哀川翔の次女だってこと、ついさっき知ったばかり。 独特の雰囲気があってとてもいいけれど、子供時代を演じていた「荒川梨杏(あらかわりあん)10歳」の方が印書が強くて最初、ピンとこなかった。この荒川梨杏子ちゃん、小供なのに妙に大人びていて、その存在感のあるタレント性を感心しながら観ていた。「荒川梨杏」出演時10歳 とても印象に残っていたので、大きくなって役が変わった時はイメージが合わず、ちょっと寂しい思いがしていた。視聴者からは「そのまま大きくなったみたい」と、“演技の引き継ぎ” が話題を呼んでいたらしいが、私はちょっと前を引きずっていたのでそうは思わなかった。 最近はだいぶ慣れて、この「福地桃子」の演技力と存在感にも目が向くようになった。 「なつぞら」はオーディションで掴んだ役で、「自分を取り繕わないで伝えることの大事さ」を学んだという。「オーディションって短い時間の中で自分を良く見せたいと思ってしまって背伸びしてしまいがちなのですが、今の自分はこうなんです、これしかできません、でもやれることは全力でやらせてくださいという思いを持って臨めたのが良かったのかな」と思い返すと、「それこそ自分の母が北海道出身ということもあって、『なつぞら』との縁を感じることができたので、決まってうれしかったですね」と。感性も頭も良くなくちゃこうはいかない。 「ちび夕見子ちゃんから感じたことや雰囲気を崩さず、大事に受け継いで演じたつもりなので、そこは絶対に見てほしいなって思います。」とも言っていて、まだデビューして2年ちょっとだというのに、ホント、頼もしい。 スポーツでもタレントでもどんどん若い若い有望株が現れてきて、往年の役者の出る幕が無くなっていく感じ。そういえば「なつぞら」には、あの「おしん」で名子役を演じた「小林綾子」が、天陽の母役で出ているね。
2019.05.12
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♪ 厭わないなんてありえず考える楽を探してホモルーデンス‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 気付くのが遅くやりそこなった葡萄の芽欠き。代わりに摘穂(てきすい)なるものを適当にやってみた。昨年は伸びすぎたのでバッサリと大胆に切り詰めたため、今年は空間に余裕がある。日照の問題も心配せずに済みそうないい感じになっている。 このぐらいの枝葉を落とし、去年がヒッピーだとすれば今年はスポーツ選手のようにスッキリだ。ついでに、誘引し先端の強い枝が伸びすぎないように芽摘みもしておいた。 何もない部分があって空間がモッタイナイ気もするが、来年のための枝を残して剪定するなんて芸当は出来ないし、成り行きに任せることになる。もう一度、全体を見て混み入っているところを摘穂し、摘果もしてスッキリさせる予定。 ぶどう棚を撮影した時、屋根にぶわーッと広がった白い斑紋に気づいた。かなり大きな鳥の糞だ。屋根の上の方に電線が何本も平行に通っている。そこに止まってやったのなら斜めに散らばるはずがない。飛びながら落したのか。いったい何の鳥だ? 今年は色んな種を播いた。時期外れのものもあるし、どれだけの芽が出るのか分からないが楽しみだ。シロバナタンポッポは秋にならないと芽が出ない事は分かっているし、テーダマツとナツツバキは4月7日に播いたが、まだその気も見せていない。椿は根が3cm以上伸びたので、9日に先端を切ってポットに移した。朝顔は4月23日に2種類を歌壇に直に播いたが、芽が出たのは今のところ1種類だけ。オジギソウはきのう、60度の湯に30分浸けてから播いた。 ピピが雨の日に、屋根の下で砂浴びするのを防ぐために人工芝が敷いてあった。それを取ってしまったので代わりに、半割の竹が余っていたので埋め込んでやった。たぶん、これで砂浴びは無理だろう。が、他でやって来るので同じ事ではある・・。 テイカカズラがたくさん伸ばした蔓からやたらに新芽が出てきてとても勢いがいい。根元に米糠で作った乳酸菌を撒いた効果らしい。ツルニチソウも伸びているし、ユキノシタの繁茂に塩ビのパイプも隠れ気味になってきた。 薔薇のカクテルの花がなんだか貧弱で数も少ない。剪定と肥料のバランスが悪いせいか。バラゾウムシはまだの様だが、目に見えない虫が花の根元に悪さをするらしく、花の形が歪んで咲いたりする。やはり消毒を小まめにやらないとダメか。チュウレンバチの卵が大きくなってきたのを発見し、竹串で潰したり、薔薇は何かと大変だ。 ネジバナは、今年初めて株分けして植え替えた。以前はひょろひょろと貧弱だったが立派な株になった。今年は期待できそうだ。
2019.05.11
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♪ 終点の電車に眠る若者の白き腕(かいな)に初夏の陽が射す‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ファイスブックにこんな面白く興味深い動画がアップされていた。 「homemade labor tools」と題して労働のために考案した手造りの道具の数々。世界中の人々のそのグッド・アイデアには感心させられる。 もっと楽に出来ないものかと誰かが知恵を絞った、まさに「必要は発明の母」と感心するものばかり。動力を全く使わないところがいい。これが人間の底力というものか。 リヤカーの輪を外して支柱を取りつけ、棒を渡してテコの原理で持ち上げてそのまま運ぶもの。腰痛にもならないし、その場で組み立て分解できそうで、持ち運びも楽。 トウモロコシの実を外す道具。板に釘が斜めに打ち付けてあるだけのものだが、非常に使い勝手がよさそうだ。実はつぶれても問題ないのかな。 これもテコの原理でモノを高いところへ持ちあげている。体重と同じ重さなら軽々と上がるという訳だ。支点を移動させれば使う人の体重差も解消できそうだ。 砂を簡単に袋に入れる優れもの。スコップも使わず、テコを使ってザク、ザクッとワン・ツゥータッチ。小さな車が付いているのがミソ。 ピーナッツの実を根から取り外すのに自転車のフォークを使うアイデア。ペダルが閊えない高さに自転車を倒すだけのこと。 たぶん韮だろう。如何に早く細切れにするかを考えたらこうなった。板に穴を開けて、韮の束を穴から少しずつ出しながら板に沿って包丁を上下させるだけ。絶対に安全だし、効率もいい。板を足で固定できるようになっている。 ほうれん草を束ねる道具。四本の棒を立て、紐を置いた上に重ねていく。量も一定になるし四角く束ねるため、積み重ねるにも都合がいい。 日干し煉瓦の制作道具。木枠を積み重ねて上から土を入れ、糸で木枠ごとにカット。木枠を横に開いて外す。木枠の構造が良く考えられている。 畑のマルチング作業を一人で簡単にやる方法。ローラーに巻いたビニールを紐で腰に括りつけ、張りながら土を両サイドから掛けて移動してゆく。鍬で土を掛けるのがけっこう難しそう。足で真ん中を踏んでゆくのが欠点ではあるが・・。 非力な女性が力を合わせての道路工事。一人がスコップを使い、もう一人がそれに結んだ紐を引っ張って持ちあげる。息が合わないと出来ない作業だが、日本ではまず考え付かない方法だねぇ。 草刈り機を使った稲刈り。思わず笑ってしまった目から鱗のアイデアで、これなら腰も痛くならないし早い。現地ではこれが「稲刈り機」というものなのだろう。 まだ他にもあるので、「動画」の方をぜひご覧ください。
2019.05.10
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♪ うぐいすの頭上で啼きて声韻の玻璃緊りして空へぬけゆく アラブ人と二日間を共にして、草臥れて帰って来た後はまったく動かずにいた。天気も良い事だし、久し振りのウォーキングに出ることに。1日の日に図書館まで往復を歩いて以来となる。 この時期はどこへ行っても新緑に包まれ、清々しい気分になれる美しい風景が広がっている。里山の脇道に入って、にわか詩人にでもなった気分で散策するのは良い気分だ。 このスギナの群生は独特の雰囲気をもって下草としての地位を確立している。木洩れ日のわずかな陽の光の中でひっそりと、しかし大らかに、そして満足げに濃い緑色の茎葉をばしている。その姿をまるで敬虔な営みのように思ったりしながら眺める。 いつ行っても誰もいない。入り口近くで老人が一人、四葉のクローバーを探す姿があったきりだ。静かな木々に囲まれた中で一心に四葉のクローバーを探す。太公望にも似た心境だろうか。 杜甫や李白なら何かしら詩を書きそうな、とても静かな午後だ。 犬を散歩させる人もいるらしいが時間帯がズレているのか、一度も会ったことがない。この時期が最も快適で、気温が上がるとやぶ蚊がすごくて、とてもノンビリ散策などしてはいられない。 この「なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)」の木は、揖斐川周辺にもあった。 竹林の中に設けてあるこの散歩道。ほとんど手入れのされていない竹林の中から時どき「パン」という乾いた音が聞こえてくる。強い日差しを受けて、倒れている竹が割れる音のようだ。静かな竹林で何かを暗示するかのごとく響く音。このアクセントのようなひびきを、武満徹ならどう表現するだろうか。 そういえば、アラブ人にとって詩はとても重要なものだと言っていた。普段の会話の中にも使われるという。空の青と自然の緑、そして美しいもの(女性)その三つが重要で、生活と心の中に何時もあって支えになっているらしい。 また、アラブ地方はニュース映像で砂漠地帯しか映らないが、野菜も豊富だし果物もサクランボや無花果、ザクロやオレンジなどあって、砂漠のようなところだと思うのは大きな間違いらしい。 ダメもとで佐布里の藤を見に行ったが、やはり時すでに遅しで、ほとんど散ってしまっていた。揖斐へ行っている間が見頃だったのかも知れない。向うの山にも山藤があちこちに咲いていたのを考えると、暖かい分こちらの方が早いだろうからもっと前だったかもしれない。 あずま屋でギターをつま弾く人が居た。連休明けの閑散とした佐布里池に、ポピュラー音楽の弦の調べがたおやかに響く。ちょっと自信が出て来たころなのだろうか。 揖斐地方で山菜採りが出来なかったのをウォーキング中に思い出し、ついでに野草を摘んで帰って、天ぷらでもしてやろうと思い付いた。 身近にも結構食べられるものは多い。新芽なら天ぷらにすれば大概のものは食べられそうだが、取りあえずは良く知られたものを中心に摘むことに。 ウドの新芽がやはり一番美味い。どれも美味かったが、三つ葉は油の温度が低すぎたのか、水気が多かったいせいかべちゃっとしてしまった。カラスノエンドウの莢は固くて食するには、極小さなものでないとダメのようだった。 葡萄の新芽も食べられるのを今、思い出した。次の機会に譲るとしよう。
2019.05.09
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♪ 目の前に鼬あらわれすわダッシュしなやかにしてやわき物体がゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 田んぼの横のパチンコ店の駐車場に差し掛かった時、民家との間の草むらからイタチがひょっこり現れた。私の姿に暫し躊躇していたが、意を決して一気にダッシュ。 広い駐車場を横切って向こう側に消えて行った。太くて長い尻尾をまっすぐに伸ばし、小さな体で一目散に駆けて行く姿がいじらしい。 田園のある田舎町ゆえ、まだまだ狸や鼬が棲んでいる。田んぼにも水が入り田植えも始まっているので、しきりにツチガエルの声がにぎやかに聞こえてくる。ツバメも飛び交って、5月の田園は賑やかだ。 そのツバメが駅舎の天井にたくさんの巣を掛け、盛んに出入りするのがこの頃の風物詩。なのに、今年はそれが許されなくなっている。 久し振りに電車に乗るために駅へ行ったら、ツバメ除けのテープが張り巡らせてあって驚いた。ここを子育ての場所として渡って来て、長年受け継がれ当てにされてきたものが今になって急にこんなことになるのはどういうことか。 会社の方進か、あるいは駅長の判断か。乗降客からの苦情もあるのだろうが、共存共栄し保護する立場の人間が、身勝手に彼らを虐げるようなことをするのは如何なものかと思う。そりゃあ確かに床は汚れるし、段ボール箱など置いてあると通行の邪魔にもなる。実際に床の掃除はかなり大変と聞く。 しかし、ツバメの数が減っているという憶測から日本野鳥の会も調査を続けている。都心部では減っているものの平均すると減少を確定するには至っていないらしいが、予断は出来ない。 あの「未来工業」社が、ツバメの糞受け「スワローサポート」という商品を開発して、昨年は限定300名でモニターを募集していたらしい。同社の開発担当者は「ツバメにも人にも喜んでもらえるものにするためどんどん改良を重ねます!」とのことで、良いものが出来て公共の場所でも活用されるようになるか。 わが駅でも採用し、ツバメを受け入れてくれることを願うばかりです。クリックで拡大 「学校や公共施設、店舗等の燕巣下に設置し、ツバメの赤ちゃんの糞を許容しながらスダチを見守る、ほんわかした人間味のある暖かい愛情を育てられる衛生向上・道徳心高揚を兼ねた商品。」とある。 *バイオマス No.080034の材料を使用。「燃えるごみ」として処分することが出来る。
2019.05.08
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♪ 揖斐川に立夏の風のひかりあり麦の穂ゆれてきらめいてゆく‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ とうとう隣家が売りに出されたようだ。主が高齢となり管理が出来ないという事らしい。下見に来る人は多いもののまだ買い手がないとのこと。弟さんが代わりに家財道具を整理したりしていて、時どき来ては下見の客の対応などもしているらしい。 どうなっているのか気になっていたので、丁度来ていた弟さんに二階から声を掛けた。それであらましが分かったというわけ。彼は小3から小6まで住んでいたらしく、私がここへ来た時にはすでに引っ越していて接点が全くなかったことが分かった。存命だったお祖母さんのことや、2年ほど住んでいた娘さんの子供(3-4歳のころ)にカミさんがピアノを教えていたことなど、上と下との塀越し対話。 歳を聞けば私とおなじくらいだと言うので確かめたら、四軒先の長男と同級生で61歳だという。ずいぶん若く見られたものだ。「夜目、遠目、笠の内」ということばがあるが、10mほど先の大仏を下から眺めた風で、ちょっと違った印象を受けたのだろう。 昨日も人が出入りしていて、不動産業者が興味を持った客を連れて来ていたようだった。2,000万という声が聞こえたので、それが売り出し価格らしい。家は古い平屋(蔵もある)で価値はゼロに近いだろうが、庭は整備されているし、かなり広い。土地代だけでそのぐらいの値になるのだろう。 細い路地で車が入れないことと、玄関が名鉄の線路わきにある。すぐ横を電車が通ればかなり喧しいというところも大きなネックで、建て替えもかなり手間がかかることを考えると、なかなか買い手は付かないかも知れない。 悲しいかな、直ぐ傍にある放置家屋の仲間入りをする運命かもしれない。 ここのお庭の恩恵を受けている我が家としては、誰かが住んでくれないと荒れ放題になってしまうので、そればかりは回避できないものかと気になるばかり。木は伸び放題になり、草が生い茂っては広い庭がかえってアダになる。ハクビシンなど入り込んでは堪らないし、やぶ蚊の巣になっても困る。 雨上がりなのにカラッとした爽やかな風が吹き、さぞ強かろう紫外線を含んだ五月の陽射しが樹々の葉を照らしている。先日行った揖斐地方の麦畑が思い起こされる。生まれ故郷の茨城県にも麦畑があって、ストローの語源でもある麦のあの特徴的な茎と穂が意味もなく好きだった。 小満の頃になるといよいよ麦秋が近づき、やがて刈り取られて夏野菜の栽培に取って代わられる。麦畑はやや寒冷な地でしか見られないので、そんな風景に出会うととても懐かしい。 大きな事故もなく無事に終わった10連休。連休明け初日の朝、会社ではエンジンが温まるまで少し時間がかかるんじゃないのかな。
2019.05.07
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♪ アラビア語の辞書を縁(えにし)に話す夜演歌が好きとムスリムが言う アラブと親交のある知人に誘われて、岐阜の揖斐地方へ一泊でアラブ人と密度の濃い交流をして来た。 最高の天気で、青い空に映えて新緑がとてもきれい。ミスター田中の運転する車に揺られながら、20代の時、同じ時期に高山からヒッチハイクで上高地に行った時の事を思い出していた。木々の芽吹き始めた頃で、その木によって若芽の色が違う。緑ばかりではなく赤いのや紫がかったもの黄色や茶がかった色など、パレットの色全部を使って混色した言葉では表現できないような複雑さ。自然界の見せる色の神秘にいたく感動したものだ。「岐阜のマチュピチュ 天空の茶畑」クリックで池田町のサイトへ JR東海道線で大垣まで行き、養老鉄道で終点の揖斐駅へ。 日中の空いた時間帯に自転車の持ち込み可能になっているのが何ともユニーク。オランダを思いながら、嬉しくなって眺めていた。 単線の列車に乗るのも久し振り。ワンマン運行で、男の車掌が乗り込んだり降りたり。 揖斐駅でアラブ人等と合流し、い座「岐阜のマチュピチュへ座」。最近になって知名度が上がり、多くの見物客が訪れる様になったらしい。 少ない駐車スペースを住民が休日返上で交通整理。お寺の敷地に誘導されて、ここで軽い昼食を済ませる。鐘楼の鐘の下。 高台までの遊歩道があり、みどりの空気を吸いながらの~んびりと登って行く。 いい眺めだ。岐阜方面が一望できる場所がある。岐阜は山国、随所にこんな眺めを堪能できる所があるのだろう。 畑には猪除けのネット。鄙びた山間部ゆえまともな商店など無く、小さな八百屋兼雑貨店で野菜を買って、一泊お世話になる古民家へ。適当にブロックを重ねて、サバイバル風のバーベキュー。 ミスター田中が、パレスチナで危険を冒し撮影、編集した貴重なDVDや、パレスチナの悲惨な現状のドキュメンタリー「壊された5つのカメラ」(クリックで紹介ページへ)を観る。これは、第41回国際エミー賞ドキュメンタリー部門で受賞し、第85回米国アカデミー賞・長編ドキュメンタリー部門にノミネートされたもの。イスラエルの無謀な侵略、その現状をまざまざと見せられて、ただただ言葉を失うばかり。 少し冷えて来たので囲炉裏に火を入れ、暖を取りながら様々な話をする。アラビア語と英語と日本語とが入り混じる。3人がトライリンガルで、日本語しか出来ないのは私ともう一人。単語の意味が分からないので何ともならない。 ナン風のパンにクリームチーズを乗せて、話の肴に・・。 多方面に話題は広がって尽きることなく1時すぎ迄話し込む。一人は堪らずに先に寝てしまった。 前日に行きそこなった温泉に行き、朝風呂と洒落こむ。マス釣りもする予定だったが、時間に間に合わず断念している。クリックで拡大 アラブ人も慣れたもの。朝の陽を受けながらの露天風呂は最高だった。長島温泉とかスパー何とかと違うごく自然な新緑の中で、鄙びた温泉に浸かるのは最高の気分。 前日とこの日は三輪神社の祭礼の日で、立派な山車と神輿まで出る盛大なもの。しかし凄く静かで何だかサイレント映画を観ているよう。 二種類の神輿が町を練り歩く。真っ白な装束は神社の神輿なのだろうか。由緒正しい伝統がある神社らしく、とても神聖な感じがあって美しい。どうりで静かなわけだ。 伝統の子供歌舞伎を見るのが目的だった。あまり歌舞伎に詳しくない私は、腹も減っていた(2時なのに昼食はまだ)こともあって、途中で抜けて屋台の並ぶ通りへ。子供歌舞伎は垂井町の方が立派だという人と立ち話。 人混みの一部となってブラブラ。当然ビールが欲しくなる。アラブ人は酒を飲まないのでずっと我慢していた。空腹で2杯飲んだら神社に戻ってしばらくして、急速に眠気が襲ってきた。お堂に凭れていつしか夢の中へ。 京都へ帰るムスリムたちと一緒に大垣まで、養老鉄道で帰途へ。私にとってはとても充実した二日間だった。田中さんはすっかりアラブ人の事が分かっているので、決して先を急ぐことなくゆっくりと事が運ばれていく。自分はのんびりしている方だが、何だかいつもより疲れたのは、日本人のリズムとは時間のカウントが違うからかも知れない。 イヤス・サリム氏は京都花園在住。ミスター田中とはJAICAの仲間だったとかで、20年来の友人関係。日本語も堪能で博識もある優しい益荒男って感じ。インストラクターの仕事をしているとか。 エゴル・バスキンも京都大学で経済学を研究している20代後半の秀才。背が高くてスノーデンに似ているなんて言われたりている。日本語も堪能ではないが上手で、スマホで日本語の辞書をひらがな入力で調べ、すぐに疑問を解決する手際の良さは見事。ひらがなは直ぐに覚えられたが、カタカナは難しかったとか。 イスマイル・アラビューはモロッコ出身で、2年間の日本滞在を終えて帰国するらしい。無口なヤツでこちらから話しかけないと、自分からは何も話さない。日本語が出来ないので、この国で人と接するのに苦手意識があるのかも。前夜も真っ先に寝てしまった。帰りの電車で隣り合わせになったので、23話し掛けてみた。モロッコの夏は40度以上になりとても暑いが、冬には雪が降ることもあるらしい。日本の好きな食べ物は「お好み焼き」と「寿司」だとか。もっと色々話したかったが、電車の中では聞き取りにくい上に控えめに話すのでなお分かりにくい。もう二度と会うことはないかも知れないので、とても残念だ。 それにしてもミスター田中はもの知りだなぁ。人と話をすることが好きで、話をすればするほど記憶が確かなものになっていき、その上に知識も雪だるま式に増えていくのだろう。 田中さん、楽しいひと時をありがとう。
2019.05.06
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♪ 思い込みにふと気が付いて立ち止まる思考はいつか反転したり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 貝母に実が出来た。初めて見るその形のユニークなこと。ツルも三方に伸ばして、イミシンな感じがしないでもない。何か特別な意味でもあるのだろうか。ハエトリソウには何やら花らしいものが伸びて来た。 昨夜、偶然に見たEテレの「植物に学ぶ生存戦略2 話す人・山田孝之」(午後10時50分~ 午後11時20分)がなかなか面白かった。植物の謎めいた生態や生存戦略を山田孝之が語る。 可愛い顔をしながらワナを仕掛けて繁栄を遂げる花。悪の侵略者のように言われながらもなぜか憎まれずにいる花。美しく装いながらもわざと嫌われるように仕向ける花。地球の長い歴史の中で命をつなごうと植物たちが編み出した生存戦略の数々の隠されていた秘密を解き明かしてゆく。 前回は、青と黄が印象的な「ツユクサ」の戦略をフェルメールの絵画やドリフにたとえ、子孫繁栄の戦術をパネルマジックで解説。「セイヨウタンポポ」では名前の巧妙な仕掛けを、「ヘクソカズラ」では臭い匂いで嫌な奴を追い払い、「毛」で客を選ぶ生き方を、数々の比喩で解き明かしてみせたそうだ。 大反響を呼んだ番組の待望の新作。今回は、梅の花、チューリップ、オオイヌノフグリの戦略をおもしろい比喩を交えて、ちょっとコミカルに解説して見せた。 梅は沢山の花を咲かせることでメジロやヒヨドリに蜜を吸いに来させ、受粉させる戦略を取っている。その花にはダミーがあって、すべての花が実を付けるわけではないらしい。一見同じに見える花のそれには雌しべが無いのだ。それは、沢山の花を咲かせてすべてを結実させると体力が必要になるため、体力温存のための巧妙な生き残り戦術なんだとか。 Digital Life より この写真を撮られた方は、雌しべがない花がある事に気付いたんだね。そんな花を選んで撮影したらしいが、そこに梅の戦略が隠されていようとは夢にも思わなかっただろう。 そうだよ誰も知らないことだよ。ためしにちょっとググってみてもどこにも出てこない。もっと突っ込んで調べればあるのだろうけれども、一般的には全く知られていないのは事実だ。前回の再放送 植物は生存競争の中で様々な生き残り戦略を身に着けていて、現存するそれらは今、まさに勝ち残り組として生きているわけだ。人間だってこう在るべきだと思ったりもする。均質なものを是とする日本民族は、アラブの民のように多様性をもって進化させていかないと、この先、生き残ってはいけない気がする。 サボテンに白い綿毛のようなものが付いている。初めてのこと。 よくよく見ると、その綿の部分から蕾らしいものが顔を出している。 この綿のようなものは、サボテンが必要があって生やしたもののはず。砂漠の中で、空気中の水分を集めて乾燥を防ぎ、花芽を生えやすくするために身に着けた術なのだろうか。
2019.05.03
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♪ 猫のいて遠出のできぬわが妻の予約の本がつぎつぎと来る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ヨーロッパでは水と塩だけでパンが練られるのが普通で、日本の食パンの生地は、牛乳や脱脂粉乳で練られ、バターなどの油脂が添加されているものが多い。それで、日本の食パンの多くはヨーロッパでは菓子パンの扱いになるらしい。 トースターで焼くと、砂糖が多いものはすぐに焦げ目がついて、あっという間に焼き上がる。その焼き上がる様子で加えられている砂糖の量が凡そ見当がつく。時どきパンの種類を変えるので、その度に焼き加減が変わる。 ちょっと甘すぎるものが多い。デニッシュ・パンなんか、あっという間に焦げてしまう。 乳製品、卵、油脂を使わず、ほんの少しの砂糖(米粉も加えてある)で作られているナブレ社製(愛知生協が扱ってる)の「自然派styleパン・ド・ミ」が好きで時どき食べる。当然、焼く時間が長く、焦げ目も付きにくい。♪ 焼き上がる焦げ目で分かるパンの味パン・ド・ミはまだトースターの中 「パン・ド・ミ」とは、フランス語で「pain de mie」、「中身のパン」という意味で、基本的にフランス人はバゲットのように皮を好んで食べる。「中身を食べるパン」という意味でこの名がついているらしい。 その説明からするとこの生協のパン・ド・ミは、皮も中身もサクサクの一体感があり「中身を食べるパン」という感じではない。どちらかというと米粉のパンに似ている。 どうも、フランスパンの中身が好きな人のために作られる「ハード・トースト」という食パンがあってそれに近い感じだ。小麦粉とイースト、塩、水だけでフランスパンと同じ材料構成の生地を、食パン型に入れて焼いたものだ。生地を食パンのようにぐっと立ち上がらせるために、小麦粉はフランスパンよりさらにグルテンの多い最強力粉を使うらしい。 この「ハード・トースト」に米粉を混ぜてオリジナル性を出したのが「自然派styleパン・ド・ミ」らしい。国産原材料にこだわり、添加物に頼らない商品作りからこの名称を使っているようだ。人気の食パン「パンドミ」!あなたはパンドミの正体を知っていますか? 「食パン」は、日本の造語で、定義も「食パン型に入れて焼いたもの」ということ以外、内容については特に決まりはないというから、こんなややこしいことになる。 「ドンク」では「食パン」を「パン・ド・ミ」の名前で売っていて、こちらの方が本来のパン・ド・ミに近いのかも知れない。
2019.05.02
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♪ 平成の最後のひと日いつもとは変わらぬ空に銀の雨ふる‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 「あなたの歌には心がない」と苦言を告げられた。そうなんだよなあ、ちょっと御座成りな感が否めないなあと反省しているところです。♪ 「きょうも一日雨か」と呟いて「まだ六時半」という声をきく わけあって耳が遠いカミさんとの会話が、時として漫才のようになる。笑って済ませられる時は良いが、言い争いに発展しそうなことも度々あって困惑することも多い。♪ 改元に大騒ぎして忘れ去る私の過去もチャラにならんか 天皇の生前退位によって、昭和天皇崩御の時の自粛ムードとは大違い。まるで新しい年が始まるかのようなお祭り騒ぎ。何も変わりはしないのに。 645年の「大化」からはじまった元号は、平成までで合計247種類あり、最短元号は1年が2回あり、最長は64年続いた昭和なんだね。 令和天皇は、今までとは全く違う社会と時代にどう対応して行かれるかかなり苦慮されることと推察します。♪ じゅんわりと雨でゆるんだ庭の草 筋トレかねて中腰で取る せっかく竹で模様替えした通路。草取りしてきれいにすることで完成とする。掃除をするのは心をきれいにする作業でもある。 雨で土がゆるんだタイミングに草取りするのが一番だ。ドクダミが固まりになって蔓延っているところなんか、乾いている時などどうにもならない。 お蔭で今朝は、腿が少しばかり痛い。
2019.05.01
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