全10件 (10件中 1-10件目)
1
スポーツ界の大きな話題となっているハンドボールのオリンピック再予選を見に行ってきた。ほんとうは男子の部を見たかったのだが、チケット発売直後に完売で入手できず、チケットが残っていた女子の部の観戦となった。会場も、テレビでも報じていたように異様な熱気で、多分にマスコミの煽りによることが大きいと思うが、マイナースポーツ競技としてはいい宣伝になったようだ。試合は男女とも韓国が勝ったが、さてアジアハンドボール連盟はどう出て来るだろうか。政治がらみ金まみれは、他のスポーツ競技でも多々あるが、「中東の笛」と名付けられたアジアハンドボール競技界はほんとに情けない。実は、私も高校時代にハンドボールをやっていた。国体にもインターハイにも出場したことがあったのだが、当時長野県はチーム数が少なく、あまり強くない我々でもいつも上位に入っていたので、よくあちらこちらと遠征したものだ。当時は屋外でサッカーと同じ選手数で同じようなルールで、足でなく手で行っていたのだが。競技名も送球と呼ぶことが多く、高校のクラブ名も送球部と言っていた。いつからか屋内競技に、そして7人制に変り、送球の呼称も聞かれなくなった。 跳躍
2008年01月30日
コメント(0)
電車で15分離れた船橋の市民写真展に行ってきた。私がこの写真展の最終日に行ったのは、一般市民の300点以上の写真を見ることよりも、授賞式の後に行われる審査員による解説を聞くためだった。受賞作品の解説を公開でやることは非常に珍しい。今回は、入賞者が作品の意図などを説明し、二人の審査員が入賞作品として選んだ理由を説明してくれる。審査員はもちろんプロカメラマンであり、その一人は写真学校の教師であり、もう一人は写真評論家しても活躍している方々だ。写真展では入賞作品の下に賞の種別が張り出されていた。それらの作品をじっくり鑑賞してみたが、私としては、どうも入賞が納得いかないように思う作品が多かった。私などそんな生意気な口を利けるほどの者じゃないこと重々承知だが。思ったのは、通常の写真コンテストと今回のような市民参加型のものでは、審査の選考方法も異なるものなのかなと思えたことだ。解説会のとき隣に座っていたベテラン、彼は写真連盟所属で2点出品していたが落選していた、も私と同じように感じていたようだ。それにしても、この世界も女性の進出がすごい。全入賞者38名のうち、女性が半分を占めていた。男性とは異なる感性で写し取る世界は私も認めるが、今回は初心者らしき方々の入賞も多い。市民写真展としての考慮もされたのかな。審査員は出品者の名前を見ないで選考したと言っていたが。 親子
2008年01月28日
コメント(0)
家から歩いて40分ぐらいのところにイタメシ・チェーン店「マンマパスタ」があり、たまに散歩がてら出かける。量が多くて割と美味くまあまあの値段だからいつも混んでいる。店までの途中は田舎道で、両側に田んぼや畑が広がっている。その畑に囲まれた道路端に一軒の骨董屋がある。骨董屋と言うと聞こえはいいが、ここは言って見ればガラクタ屋である。ジャンク屋とも言う。ある日おやじさんがいたのでちょっと話してみた。「こんな所では商売にならないでしょう」「なあに私の趣味でやってるんだから売れなくてもかまわないんだ」「こんな物どこから持ってくるんですか」「東京の骨董市に行って探してくるんだ」「こんなに道端に並べていて夜仕舞うのがたいへんでしょう」「ほとんどそのままだが、盗っていく者なんかいないよ」おやじさんの人柄に惚れて、何か買おうかと思ったが買いたい物がなかった。 我が家近くの瓦落多屋
2008年01月25日
コメント(0)
先週は風邪気味で外出をなるべく控えていた。すると気分まで落ち込んでしまうので、だいたいよくなったのを見計らい、蝋梅の撮影かたがたちょっと離れた公園を散歩してきた。今日は寒いと感じたのも道理、公園の池はかなりの範囲で氷が張っていた。公園管理の方に、公園の蝋梅はもうちょっと遅いですよ、と言われ、近所の蝋梅を紹介された。そこは果樹園のように、蕾から散り始めまで何十本もの蝋梅が咲き誇っており、馥郁たる香りに満ちていた。蝋細工のような梅に似た花、とあったが、梅の花とはちょっと違うな。梅はバラ科でこちらはロウバイ科とぜんぜん別のものだ。学名、Chimonanthus(チモナンサス)は、ギリシャ語が語源で、「冬の花」を意味する。 蝋細工のような感じを出せなかったのは三脚持参をサボったせいだ。 この公園でも、カワセミを狙うカメラマンが放列を敷いていた。 蝋細工に見えない蝋梅(千葉市泉自然公園隣)
2008年01月22日
コメント(0)
東京オリンピックの総予算は8000億円とも言われているが、いつもの如く役人の甘い見積もりでは、意図的な積算かも知れないが、終わってみるとその2倍に跳ね上がっていることだろう。(長野冬季オリンピックでも当初予算の2.3倍になっている)北京の次のロンドンでは、当初予算の4倍に膨れ上がっているそうだから、役人の予算見積もりは万国共通なのか。はたまた、政治家の魂胆が反映されているのか。なんて考えていたら、最近の新聞にイギリスのオリンピック費用は1兆9000億円だったが、さらに2000億円は不足しそうだと出ていた。東京がいくら既設を利用できるからと言っても、世界の人々が憧れ訪れる東京、とか言って都市改造を進めているからには、8000億円ではとても賄いきれないと思うのだが。それとも、それはオリンピック費用とは別勘定なのだろうか。世界一の借金国家が飽きずに国威高揚を狙っていると思う。今は亡き青島さんのように金喰いイベントを止められる対抗馬は出ないのだろうか。 登って来るのか
2008年01月17日
コメント(0)
隅田川の東側を墨東と言うなら西側は墨西か、とはあまり聞かない。墨西ではメキシコになってしまいそうだ。両国へ行ったとき隅田河畔の遊歩道を歩いてみたが、堤防が相撲絵図のギャラリーとなっていた。対岸の台東区柳橋の堤防には延々とナマコ塀が連なっていた。東京が目指す10年後の姿という宣伝文の中に、世界の人々が憧れ訪れる東京、との謳い文句があり、その一つに「隅田川の舟運と水辺の景色」を挙げている。東京都は税収が豊かだから、隅田河畔とか公園とかの整備も着々と進められている感じがする。オリンピックに向けての第二次都市改造が始まっている。 隅田川の舟運と水辺の景色
2008年01月13日
コメント(0)
江戸東京博物館で展示中の北斎特別展を見てきた。入り口付近はゆっくり見る人が多くてなかなか前へ進まない。しかし、その膨大な展示品に、丹念に解説を読み念入りに観るのは最初だけ、やがて疲れ果て読むのを止め、やがて足早に目をやるだけで通り過ぎて行く。かく言う私も同様で、途中で一休みする仲間に入る。富嶽三十六景や浪裏などが有名だが、北斎の天才ぶりはあらゆる描画に及び美人画も勿論、鳥獣戯画や漫画と称するスケッチ画、妖怪から踊りのレッスン書らしきものもあった。当時、長崎のオランダ商館長が集めた北斎の絵画や、シーボルトが蒐集した日本の資料の中にも多くの北斎の画が含まれていた。これらの絵画はオランダとフランスの博物館に収蔵され、その一部が今回里帰り展示となった。その中で、江戸や地方の風俗を描いたリアルな作品の数々に興味が惹かれた。 日本橋辺風俗(部分)
2008年01月11日
コメント(0)
初日の出と富士山の写真を撮りに行った時、コンパクトデジカメでも撮ってきた。コンデジの写真を見ると、一眼レフより面白いものが撮れている。広角だから周りの情景が入っているし、太陽がクロスフィルター効果を出している。横で大砲レンズを構えているのは、よくここで出会う写真愛好家。お日様の横の鉛筆ビルは、一時テレビでよく見た女性社長で有名な「アパホテル&リゾート<東京ベイ幕張>、(旧プリンスホテル)。 初日の出再び
2008年01月09日
コメント(0)
地中海に面したトルコ東部地方の古都アンタキヤの近くにしばらく行っていたことがある。ビザンチン帝国時代には西の首都コンスタンチノープル(現在のイスタンブル)に対し、東の副都として栄えた町だ。 アレキサンダー大王亡き後、その広大な帝国は輩下の将軍たちによって分割統治され、16のアンティオク市が建設された。その中でシリア地方を統治したセレウコス朝の首都が現在のアンタキア市だが、その後のビザンチン(東ローマ帝国)時代に、再び台頭してきたペルシャの抑えとしてこの町は重要な拠点であり、ビザンチン帝国の副都として副皇帝が統治していた。「この町の郊外ハルビエは、ローマ多神教時代にダフネ神域と呼ばれ、多くの神殿と偶像が立ち並ぶ聖地であったが、キリスト教の浸透によりすっかり荒廃してしまっていた。キリスト教から古ローマ教へと改宗して背教者と呼ばれたユリアヌス皇帝は、ペルシャの首都クテシフォンへの遠征を前に、この荒廃した神殿を復元させ、数日間百頭の牛を生贄に捧げ、勝利の祈願を行った後遠征に赴いたが、結局敗れ皇帝も命を落とすことになる」(「背教者ユリアヌス」辻邦生著より) 1700年前のダフネ神域の跡か、あるいはもっと後世のものかは不明だが、苔むした石垣がわずかに残っている。しかし、谷間に緑樹が茂り、流れる小川は水冷たく、小さな滝は涼風を呼び、かつての神域にふさわしい雰囲気を保ち当時を偲ばせるものがある。 そして今、歴史に無頓着なアンタキアヤの市民にとってこの地は単なる憩いの場所でしかない。この地を訪れた私は、彼らの席に招かれてタルキッシュコーヒーを振舞われ、トルコ語で話しかけてくる純朴そうな彼らに親しみを感じていた。 アンタキア市民が憩うハルビエの泉
2008年01月05日
コメント(0)
今年は子供も孫もやって来ない静かな正月となった。そこで元日の朝、天気予報を信じて、近くの海岸、習志野市の茜浜で初日の出と富士山を拝観することにした。来てみて驚いたことには、海岸線に沿った道路の両側にびっしりと車の列ができていた、がやっと一台分のスペースを見付けて何とか入り込む。遊歩道は日の出を待ちわびて歩く人ジョギングする人で混雑しており、防波堤上は人垣ができている。6時56分時の日の出、7時9分時の富士山の映像である。焦点距離はそれぞれ300、170mm(EOSkissでは1.6倍で480、270mmとなる)富士山までの直線距離は約120km。半分雲がかかり、富士らしからぬ形状となったが、まずは晴天での初撮りに満足す。手前のビル群は浦安市で、その後ろ側がディズニーランドとなる。今年もご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。 初日の出と富士の初姿(習志野市茜浜)
2008年01月01日
コメント(4)
全10件 (10件中 1-10件目)
1

