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ソニーの4K液晶テレビを購入してから1か月が経った。最近の調査によると、私が買ったソニーのこのテレビは全機種国内売り上げランキング4位となっていた。また、最近のテレビ情報では有機ELテレビが話題の中心となっており、私が2年後と予測した有機ELだが、テレビ界の主流へはもっと早まりそうだ。メーカーは新型で売れ筋を広げ、売り上げを伸ばそうとしている。現在の液晶並みに、もう10万円下がったら一挙に液晶から有機へと変わっていくだろう。その液晶の方だが、私が買ったテレビが現在軒並み購入当時より15%ぐらい高くなっている(ネット専門店を除く家電量販店基準)。品薄なのかどうか知らないが、いい時に買ったと気分をよくしている。 さて、4Kテレビの使い心地を報告しよう。そのテレビはいい?と聞かれれも返事に困る。なぜなら昔使っていた古いテレビよりはいいに決まっている。見始めのころは、画面が大きい、画像が鮮明、色がきれい、音がいい、など感じていたが、それらはすぐに慣れてしまう。白内障手術後に感じた鮮明さや色彩が一週間後には慣れて普通になってしまった、のと似ている。4K放送はあまり見たい番組がない。毎日朝刊の番組表で4K放送の番組を確認しているが、ほとんど見たい番組がない。しかも7割が再放送だ。それに地上波と4KBSを比べてもそんなに大きな違いはない。今の液晶テレビでの地上波やBSは、HDRなどの進化した画像技術できれいに見えるようになっている。期待のオリンピック4K放送はどうだろう。 アンドロイドテレビとしては、YOUTUBEやTVerなどを大画面でよく見るようになった。やはりパソコンやスマホで見るより大画面は気分がいい。カラオケも時々YOUTUBEでやってみるが、もう声が出ないのであきらめた。Jcomの料金も画面で確認できる。テレビの音声操作は、音声操作よりリモコン操作の方が早く、またAIスピーカとしての操作もあまり興味がない。今のところその便利さを感じていない。 画質や音質もスタンダード、スポーツ、シネマ、ミュージック、等それらの状況に合わせて、リモコンで簡単に制御できるのだが、そんなに大きな差はないのでめんどうくさくてスタンダードで見てしまう。シネマやスポーツやコンサートにどれだけの人が合わせているだろう。もう少し進化して、それらの状況に合わせてテレビ側で自動的に変更するようになればいいのにと思う。総体的には、今のところ満足して見ており、テレビを点けている時間が増えたような気がする。 茜浜の落陽-2
2020年01月31日
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本書は韓国でベストセラーとなったが、日本ではそれを上回る売れ行きとのことだ。図書館での申し込み者の多さを見てもその人気ぶりが窺える。本書で言うところの種族とは何かだが、民族と異なり、ある共通の意識を持った集団を指すようだ。本書での「反日種族主義」は反日に固まり嘘をつき嘘を受け入れる一部民族を指している。韓民族全体のことではない。日本人が読みたがる理由は想像できる。韓国の学者が書いた韓国のこの近代史が、今までの韓国の通念と異なり、かなり日本側に立っているようになっているからだ。植民地問題、慰安婦問題、など従来の韓国人の知識を根底から覆すものだ。今回、本書を読み終わって、現在韓国内で噴き出している反日への数々の現象が、これで少しは変わるのだろうか、と気になった。現在の韓国民はこの本をどう受け取っているのだろう。先ず真っ先にメディアが本書をこき下ろしている。史実に反すると。政権側研究院も日本帝国擁護だ法律で処罰すべきだと。公共の図書館でも続々と本書を閲覧や借入不可としている。社会もネットもこの共著者6人を脅迫し、また事実に反すると損害賠償を求めたり、また直ちに反抗本「日帝種族主義」が出版されたり、と圧力は相当なもののようだ。言うなれば、反日種族主義者が怒りまくっている、の様相だ。しかし、反日種族主義が韓国内でベストセラーとなっていることは、韓国民にとって関心があるこてであり、これからは韓国民が政権から与えられた歴史について鵜呑みにしないで、自分たちで考え議論し判断する契機となれば、と思う。そして反日種族主義から親日民族主義へと変わっていくことを願う。 茜浜の落陽-1
2020年01月26日
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いつものごとくイヤフォンでラジオ(radiko)を聞きながら、3日前の久米宏の番組だが、散歩していた。この日のリスナー(聴取者は尋問室を想像するので使いたくない)の手紙は、25年前に何をしていましたか、を問うものだった。25年前とは阪神淡路大震災のあった年で、手紙の多くはこの大震災に関わるものが多かった。私の息子もその当時神戸の会社の寮にいたが、幸い大きい被害には遭わなかった。私は前年退職し、日本語教師養成講座を卒業して、小岩の日本語学校で非常勤講師として働き出した。講師といっても週3日の気楽な勤めで、若い外国人たちとの付合いを楽しんでいた。その翌年は夫婦でアメリカに旅し、東部各地で10日間過ごした。私にとっても1994、1995、1996、この3年はいろいろあった記憶に残る年だった。 メトロポリタン美術館の賑わい
2020年01月23日
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今年も風邪をひいた。毎年一回は罹るようになっている。ちょうど最悪時に連休となり、病院に行きそびれてしまったが、その後次第に快方に向かう。しかしなかなか完治しないのでやはり病院に行く。医者は大丈夫でしょうと、風邪の治りかけにと体力回復のための漢方薬を処方してくれた。処方してくれた漢方薬は「補中益気湯」。これから老人会主催のコンサートの段取りで忙しくなるので早く体力を回復しないと。 暮れなずむ団地
2020年01月20日
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昨年は、喪中に付き、という挨拶状が多かった。私も義兄が3月に亡くなったので喪中にすべきかどうか迷った。ラジオで久米宏も最近は喪中案内が多い、と言っていた。久米さんも私も歳のせいで多くなっていると思うが。それでは喪中とはどのような決まりががあるのだろう。そんな法律があるわけではなく、坊主やマナーコンサルタントや葬儀屋の弁として、一般的には喪中案内は二親等までとあった。民法に定める二親等とは、本人の祖父母、兄弟姉妹、孫、およびその配偶者、本人の配偶者の祖父母、兄弟姉妹、までとなる。そして、その喪中期間については、明治7年に定めた法令があったが、戦後撤廃されるも、現在はそれが仏事の慣例として目安にされている。それによると、二親等である兄弟姉妹の配偶者は90日とあった。しかしこれにはいろいろな流儀があり、6か月と言うもあり、中には一年にしておけば間違いなしと言うもある。間違いないと言う意味は周りからとやかく言われないと言うことだろう。私は思う、あまりしきたりに捕らわれることなく、亡き人との関わりや自分の気持ちで喪に服すればいい。私は一応しきたりを鑑み、標準的な3か月を採り、義兄は3月に亡くなったので、既に喪は明けているとして、喪中案内は出さなかった。厳しく言えば、喪中は注連縄や鏡餅、お節料理やお屠蘇なども控える。お年玉ではなくお小遣いとして上げればいいとあった。私と妻は義兄とは親しかったので、葬儀と四十九日に参列し、次の一周忌にも行きたいと思っている。遠いので二日がかりとなるが、当方閑人でもあるしまだ歩けるからとの気持ちもある。しかし、もう次の法事には行かれない、あるいは行かないかもと思っている 姉と弟
2020年01月09日
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例年の如く、年が明けたら我が家に集まる千葉埼玉の親類一同が、今年もほぼ全員集まった。ほぼ、と言うのは、一人主要な呑みおやじが年末に骨折して不参加となり、私の酒の相手が一人欠けていた。3歳から80歳台まで総勢17人で、狭い我が家は大賑わいだ。毎年私が全員写真を撮るが、今年は一眼レフを使わず、スマホで撮ってみた。三脚自動撮影ができないので、最初私が撮り、次にもう一人の若者に撮ってもらい、2枚の画像を合成して全員写真とした。この手の画像作成は私の得意とするところで、できはまぁ悪くはない。明日は町会の新春交礼会で、全員の集合写真の撮影を頼まれている。これはスマホでは失礼なので一眼レフと三脚で撮る撮ることにしている。そしてこの撮影を以って60年の写真歴(間で10年以上の空白があるが)の幕を閉じることにしている。撮影道具は一式全て孫に譲ると宣言したのでもう後戻りできない。写真を止めると言っても、散歩の途中で気が向いたらポケットからスマホを取り出し被写体に向けるだろう。ブログに使う画像としては最近のスマホは十分に使えるようになっている。 玄関を埋めた様々な靴
2020年01月04日
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明けましておめでとうございます。暮れに出した年賀状では、今年は目標を立てず、と書いたが、今の自分に可能と思われる目標はあるのだ。目標と言うべきか日常事と言うべきかは人によって異なるとは思うが。ブログを続ける、老人会の役目を果たす、五輪テレビを見る、朝夕新聞を読む、毎日散歩する、心情に響くものを撮る、映画を見る、海外推理小説を読む、日韓問題を考える、検診を受ける、・・・。またぐだぐだと長くなってしまった。特に日韓問題は私にとって気にかかる事態だ。年が明けたら読もうと思って「反日種族主義」を購入した。図書館に予約を入れたら蔵書は9冊あるが、予約者が265人もいた。これでは数年先になると大晦日に楽天のポイントで購入し、元日の朝年賀状と共に届いた。楽天市場は送料で内紛が起きているが、楽天ブックスは全て送料無料だ。Amazonと太刀打つには送料が問題のようだ。 梅一枝
2020年01月01日
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