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バングラデシュは以前東パキスタンだったことを知っているだろうか。1971年に独立戦争がありパキスタンからバングラデシュとなった。 およそ50年ほど昔のことになるが、私はバングラディシュでアンモニア尿素肥料工場の建設業務に携わっていた。途中でその独立戦争があって一時日本へ退避、独立後に工場再生のために再入国、そして完成後の運転指導まで関わっていた。また14年後に大規模改造工事があり再び入国するなど、付き合いの長かったバングラデシュだ。 バングラデシュ肥料公社は、その後中国などの援助でいくつかの化学工場を建設しており、現在は産業が発達し国勢は上昇して、昔日の最貧国の面影はなくなっているようだ。 最近、その肥料公社のウエブページを検索していたら、私が関わった工場が出ていた。その肥料は輸出産業として外貨を稼ぎ、自国の農業にはあまり使われてないようだ。 バングラデシュ肥料公社のHPにあった懐かしき工場全景
2022年04月29日
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先日、突然一つの小包が届いた。今のところ通販の配達もないはずだし、と送り主を見ると徐さんからだった。えーと徐さんて誰だっけ、と思い浮かばない。私は韓国人の友達が何人かいるが、知っている徐さんは女性だった。 私は会社を退職してから養成講座を受け、日本語教師となり10年ぐらい東京で教えていた。退職後の人生を今までとは異なる道を歩いてみたかった。実は年金生活の助けになればとの考えもあったことは事実だ。しかし収入としては小遣いぐらいにしかならなかった。国語はもともと好きだったので職業というより趣味として楽しんでいた。更に、若い人たちとの交流は精神的にもよいものだった。 その頃の日本語学習者は韓国人が多く、他に中国人やフィリピン人もいた。彼らは日本語学校入学のビザで入国する者がほとんどだったが、数年後に私が日本語教室を開設してからは錦糸町のクラブやバーの女性が増え、その後日本在住の韓国人クリスチャン仲間、主に奥さん方に日本語を教えるようになった。彼女たちは熱心な信者で、人類は神によりアダムとイヴが創始されたとの聖書を信じ、ダーウインの進化論を認める私はみんなに責められた想い出が蘇った。 届いた小包、菓子折のことになるが、その箱に同封されていた手紙によって徐さんの記憶がうっすらと蘇ってきた。彼は日本にいてキリスト教の伝道師になっているようで、聖書普及会を開いており、ぜひ私にも一度講演会を聞きに来てほしいと手紙に記されていた。その中に「謙る」と書いてある読めない漢字がありネット辞書で教えてもらった。(へりくだる) さて、ご招待を受けて行くべきか放っておくか悩んだ。今は東京の人ごみに入りたくないし、新型コロナ感染が始まったころ、韓国の教会では多くの集団感染が発生して問題となったことも頭を過る。だいたい現在私が何歳になったか知っているのだろうか。知らんふりもできないので、記してあった電話番号に電話した。私が思い出せないのでちょっとがっかりしたようだが、講演会には来られなくても5月からネットで発表するのでぜひ見てください、と言われわかりましたと返事した。その聖書普及会はアメリカの団体でその普及員のような役割を負っているようだ。 滑り台と桜
2022年04月19日
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毎年長野の従弟から「サンふじ」が送られてくるし、Amazonからも長野のリンゴ農家の「サンふじ」を購入していた。今年はAmazonへの発注が遅れてしまい、既にいつもの「サンふじ」は姿を消していた。やむを得ず青森の生産者に、同じ「サンふじ」をAmazonから発注した。訳ありリンゴだが少し安く不満はない。 やがて届いた段ボールを開けてみると、同梱説明書に「ふじ」とあった。訳ありだから少し傷があり色むらがある。注文の「サンふじ」と異なるのでAmazon経由で出品者にメールで問い質した。翌日出品者から返事が届き、品物は「サンふじ」に間違いなく、説明書の文が誤解され易く申し訳ないとあった。その説明書をもう一度見直したが、やはり「ふじ」と書いてある。次いでネットで両種の何たるかを調べてみた。それによると、「ふじ」も「サンふじ」も同じ種類で、袋をかけたのが「ふじ」、無袋で育てたのが「サンふじ」とあった。太陽を浴びて育つので「サンふじ」と名付けられたそうで、味はいいが無袋のために虫食いや色むらが出やすい。 と言うことで、納得したところだが、それにしても、同じ「サンふじ」でも長野と青森では味が異なるのに気が付いた。私が「サンふじ」を気に入っていたのは、甘みと酸味がほどよく調和しており、シャキシャキ感が昔の国光を感じさせるからだった。ところが青森の「サンふじ」は酸味もシャキシャキ感も少なく期待したものではなかった。4月という時期的に遅かったことや、保管方法が異なったりするからかも知れない。 やはりリンゴは長野、と信州人は呟いているところだ。 花見川の釣り人
2022年04月15日
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私と小学、中学、高校まで一緒だった友人がいる。彼は一橋大学へ入り、ボート部へ入った。一橋のボート部は伝統があり、その歴史の中でも東大と争う東商戦が名高いし、早慶レガッタも伝統がある。彼はひょろ長くやせっぽちだったが、何年か後に会ったときは筋骨逞しい男になっていた。更に何十年か経て、中学の同級会で会ったときも、体格は変わってないように見受けられた。老人と言われる年代だが、彼は大学の仲間とボートを漕ぎ続けていたのだ。 一度、戸田へ来て写真を撮ってくれと言われ行ったことがある。競艇しか知らない私が漕艇を初めて見たのだ。競艇と言うとギャンブルのボートレースのことらしい。スポーツでは漕艇と言い、英語ではレガッタと言う。 ときどき電話をかけてきて、同級生の噂などを話しているが、彼は未だにボートを漕いでいると言う。いくつかの病を経験し、また私と同様に今でも老人特有の病を持っているのにだ。私はあまり参加してなかったが、毎年催していた小学校同級会も数年前から取り止めになった。集まりが悪くなったので中止したようだ。彼は疎開で、私は引き揚げでこの田舎の学校に編入していた。いつの日か年賀状が届かなくなる日がやってくるのだが、その日は彼に負けそうだ。 一橋OB漕艇部
2022年04月11日
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キエフ近郊から撤退したロシア兵の置き土産は、破壊された町、国際法違反の地雷、そして民間人の死体、暴行されて殺された女性、と凄まじい戦禍が残されていた。ロシア軍の先鋒はチェチェン兵だと言う。ロシアの正規軍より雇われ兵が多いようだ。 この話を聞くと、終戦後の朝鮮に入って来たロシア兵を思い出す。8年前にもこのブログで書いたことだが、その時の記事を読みながらもう一度書き出した。終戦後、日を経ずしてソ連軍がわが町、現在の北朝鮮沙里院、に進駐してきた。粗暴な兵隊たちは日本人を襲い物品を強奪し、奪った腕時計を二つも三つも着けて悦に入っていた。さらに婦女子を襲い、抵抗して殺された者もいた。若い日本人女性は髪を切り、顔に墨を塗って、隠れていた。その軍隊は囚人部隊だったと後に知った。 そんなソ連軍の中にも良識派がおり、ソ連軍のある軍医は発疹チブス発症者の医療に尽力したと記録されている。当時の朝鮮では発疹チブスが流行り、我が家でも母と姉が罹り、姉は助かったが、母は伝染病院で息を引き取っている。また我が家はソ連将校の宿舎として接収されたが、将校たちは友好的で恐怖感はなかった。 ロシア外相が、ロシア軍はそんなことはしてない、西側のフェークニュースだと息巻いているが、前線の状況が的確にロシア上層部に届いているとはとても思えない。 桜の構図
2022年04月05日
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今年は、毎年桜撮りに行っている近くの神社へは行かず仕舞いで終わりだろう、と思っていたら、今日も午前中は晴れ間ありとのお告げで急いで朝飯を終え出かけてきた。と言っても既に10時半を過ぎていた。毎年1月2日に初詣し、3月末に桜撮りにだけ来る神社だが、お参りしお賽銭だけは投じてくる。今年は境内の桜が以前より少ないなと思ったら、なぜか伐採されていた。それでも付属する駐車場の桜は見事に咲き誇っていた。4枚目は帰りがけに撮った道端にある祠を覆う桜で、梅雨時になるとアジサイが周囲を青く染める。祠にはお酒が1本供えられていた。 神社の桜
2022年04月03日
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今日は午前中は薄曇りとの予報を信じ、バスで15分ぐらいの、運河の桜並木へ。予報通り薄曇り、ときどき青空が見られる好天だった。今日を逃したらもう今年は終わりと、私と同じ気持ちの多くの人が花見に来ていた。 この小さい川は運河らしいが、河川名は不明、源流は不明、川下は東京湾に注いでいる。と言っても通常は僅かな流水で、下流に行くに従って水量が多くなっている。どうも住宅の排水が集まってきているように見受けられる。と言っても汚水ではないようだ。 この両岸に見事な桜並木が続いている。両岸を護る矢板を支える桁が邪魔だが、土手の崩壊を防ぐためだろう延々と続いている。それがなく、もっと流水があれば、もっと見応えがあり写真写りもいいのだが、それでも小目黒川かの景観を見せている。 近くに屯田があり、幸楽苑があるので昼飯に寄ろうかと思ったが、花見客たちか、混んでいたので諦めて帰宅した。 運河の桜並木
2022年04月01日
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