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「馬出し」 『3の丸』に来たど。 現在の『3の丸』は公園になっててな。いろんなものがこさえられている。 北の半分ぐらいは、花壇と子供用の遊具、そして、見晴し台がある。 ただし、復元したもんじゃなくってコンクリート製のやつ。 見晴は良さそうだけんど・・・城址には、似合わないべ。 だども、隅っこさ見てみっと こんなのや こんなもんが、あちこちにあった。 まるで、工事のあとで、ほったらかしにされた土山みたいだべ。 これは、土塁の残りらしい。 んでな。ここが『3の丸』一番のみどころ!『馬出し』って呼ばれる堀の跡だど。『馬出し』の仕掛けは、『虎口』っていわれる城の入口にこさえられる防御・攻撃に用いられる仕掛けだど。 普通は、土塁の壁があるはずなんだども、ここは堀だけ。 橋は『3の丸』の西っ端にあってな。 堀は西から東に走ってきで、真ん中あたりで、南に曲がってだ。 曲がり角んとこで撮った写真だど。 遠くに見える赤い橋は、『3の丸』と『2の丸』を隔てる、堀に掛けられたもの。 やっぱし、土塁か壁がないと、向こうが丸見えだべな。 今は林になってっけど、戦国時代は林じゃあないもんな。 それとも、わざと見せる作戦? なんかな? んで、『馬出し』の堀の話だどもな。 堀は、橋のちょこっと前で、止まってる。 敵は、その小さな道を狙って攻めてくっから、城側は、そこんとこさ目がけて、弓を射る。 そうすっと、やすやすと、敵を倒せる、って寸法だど。 昔の地図さ見てみっと、城内の入口には、他にもいくつか『馬出し』が仕掛けられていたみたいだべ。 ってことは。 簡単なつくりのもんでも、結構な効果さ、あったんだべな。 そうそう。 この『馬出し』はな。全国の城で使われている仕掛けなんだけどな。 最初に発達したんは、東日本なんだと。西日本では『枡形』っていう箱型が発達したとか。 こんなとこにも、東西で、違いがあんだね~。《参考》【送料無料】近世栃木の城と陣屋改訂増補価格:1,995円(税込、送料別)【送料無料】関東の名城を歩く(北関東編(茨城・栃木・群馬))価格:2,310円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.29
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「曲輪の名前」 堀にかかる橋を渡って、次の曲輪へ来たど。 ここは本丸跡の隣、『3の丸』にあたるとこだど。 ここで、問題発生! っつっても、橋がらおちた、とか 蛇がでた! ってわけじゃないから、安心しとこれね。 問題ってのは、今いる曲輪の名前のことなんだ。 ブログを書きながら、本さ見てたらな。『塚田曲輪』ってのがあんだ。ここの曲輪のことらしいっぺ。 曲輪に人の名前が付けられることは、よくあるみたいだから、名前自体に問題はないど。 じゃあ、なにが、問題かっていうとな。 別の本では、昨日書いた『北の曲輪』んとこに『塚田曲輪』って書いてあんだよ。 んで、その先。今はお寺になってっとこが、『北の曲輪』になってる。 一個ずつ、ずれてんだ。 どっちかが、古い資料なんかな? 本をたしかめてみたけんど、 ほぼ同じ時期に出版されてっし、どっちも、ちゃんとした研究者の記事なんだ。 さあ~て、困った。 ブログに書くんなら、ちゃんとした名前で書きたいもんな。 だども、生憎と、手元にある資料は2冊の本だけ。 ネットで調べてみたけんど・・・みつかんない。 そだ!現場の案内板はどうだんべ? 写真さ確認してみた。 ・・・『曲輪』? そんだけ? 名前はなし?なの? しょうがないんで、このブログでは、『3の丸』と書かせてもらうど。 そうしないと、話さ先に、進まないかんな。 ってことで、明日こそ、『3の丸』さ紹介すっかんね~。 《参考》【送料無料】近世栃木の城と陣屋改訂増補価格:1,995円(税込、送料別)【送料無料】関東の名城を歩く(北関東編(茨城・栃木・群馬))価格:2,310円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.28
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「北の曲輪」『小山城址公園』の裏口から入ると、右の方向に広い空き地が見える。 広いべな~。 ここが、残っている城址で、一番北に位置する曲輪だど。 草や落ち葉はないけんど、あんまし手を入れてないみたいだな。 地面は、でこぼこ。木も生え放題。 いいな~。ここw。なんだか、ほっとすんねw。 意味もなく、うろうろしてみる。これが、たのしいんだ~。 んで、右をみると 奥の方に、土塁跡みたいな土手っこがあった。 さらに右には 上にあがれる階段が! こりゃ~、登るっきゃねえべな! 登ってみっと、小さな空き地になってたど。 一段高くなっでるってことは、ここには、特別な施設があったんかもしんないね。 小さな広場から、下さ覗くと 昨日紹介した、堀の底が、はっきりと見えた。 上からみっと、また、感じが違うっぺ。 こわ~! 崖っぷちは、崩れやすいから、よけいに怖い。 そろっと、そろっと、退散だっぺ。 さらに、うろうろと歩き回って、西の方へいくと、崖の向こうに思川が見えたど。 そして、目の前には、新たな堀が出現! よし!気合を入れて、次いくど~♪《参考》【送料無料】近世栃木の城と陣屋改訂増補価格:1,995円(税込、送料別)【送料無料】関東の名城を歩く(北関東編(茨城・栃木・群馬))価格:2,310円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.27
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「祇園城の堀切」 まずは一番外の堀から散策。『小山城址公園』では、一番北んとこだど。 青い橋の下を潜って、奥へ進むと・・・ 見上げるような高い壁につきあたっだ。 4~5mぐらいは、あったかな。 ほれぼれと見上げていると、右と左に堀さ分かれてた。 右へ行ってみると、住宅地とお寺があったっぺ。『天翁院』っていうお寺」でな。小山氏のお墓があるらしい。 だども、今回は、城址散歩なんで、お寺は寄らずに引き返したべ。 左側の掘を行くと・・・ 何だべな? 鉄塔みたいなもんが建ってる。 鉄柵もあって、立ち入り禁止みだいだ。 もちっと、さきまで行くと、思川が見えんのにな~。 残念だども、引き返すしかないべな。 左右の崖を見上げながら戻る。 堀幅は広くて、邪魔なもんはないから、上を見上げてても、だいじだど。 おや? 坂道になってんど。 来るときはあんまし気になんなかったんだけど、堀が斜めになってる。 昔っからの傾斜かな。 川が近いかんな。もしかしたら、洪水の時、逆流してきた水を止めるしかけかも・・・ なんてな。 実際にここまで水が来たかどうか、知らないけんど。 歩いてみた感じだと、ありえそうな気がしたど。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.26
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「小山城 全体図」 先に進むまえに、『小山城』について、ちょこっと書いてみっかな。『小山城』っていうと、小山氏が居城したといわれる『祇園城』のことなんだけど、 小山市には、他にも城址がいくつかあんだ。 思川沿いには上流から、『祇園城』『長福寺城(城址碑)』『鷲城』の三つの城が、あったんだ。 そんで、茨城県に、『中久喜城』ってのがあって、小山氏が築いた城の址なんだって。 小山氏の一族は、これらの城を上手く使ってな。 居場所を変えていたらしいんだ。 だもんだから、思川沿いにある城址の中で、どれが『祇園城』なのか? わからなかった時期も、あったらしい。 今は研究が進んで、発掘の成果もあったんだべな。 かなり詳しいとこまで、わかってきて、城の名前も、間違いないってことになったみたいだど。 さてと。『祇園城』の話だべな。 これは、街道沿いの入口にある案内版だど。 下が南で、入口があっとこだんべ。 茶色いとこが、堀のあっとこだど。 んで、下から説明すっと、最初の広い場所が2の丸なんだ。 昔はその奥に、土塁で囲まれた一角があってな。そこが本丸だったらしいど。 深い堀を挟んで、3の丸らしい曲輪。その左っ側に、曲がった堀に囲まれた場所がある。 案内版には、『馬出し』って書いてあったど。 そして、もうひとつ深い堀をこえて、曲輪がある。 この辺までが、公園内で、その先に、もうひとつ深い断崖さ、あるんだ。 断崖の向こうにも、曲輪があったらしいんだけんど、今はお寺の敷地になってんだど。 公園周りの住宅地も、曲輪だったらしい。 へえ~!『祇園城』は、でっけ~城だったんだな~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.25
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「小山城 または 祇園城」 昨日の雨も、すっかりあがってな。今日は、ぽかぽか陽気。 お散歩日和に誘われて、『小山城址公園』に行ってきたど。 場所は、栃木県小山市城山町1丁目。 JR小山駅から、歩いて15~20分ぐらい。 小山市の真ん中にあんだ。 ここが、公園の正面入り口。 だども、今回はこっちからじゃなくって、裏から入ることにしたど。 理由は 駐車場が、裏っ側にあったからw。今日は、車で出かけてきたんだ。 だども、駐車場さ、わかりにくいとこにあってな~。 あっちをうろうろ、こっちをうろうろ。 ぐるっと一週したら・・・公園口に戻っちゃった(泣)。 しゃーないから、いったん車を止めて、案内版をじっと睨む。 入口んとこに、駐車場の場所が書かれた看板さ、あったんだ。 だども、入り組んでて、わかんね~ど~(またもや泣)。 個人の御宅が立ち並ぶ中を、ゆっくり走行。 公園らしい林を目指して進むと・・・あった! そういえば。『小山城址公園』って、案内板がないんだね。 有名な城址だと、こっちだど、って表示版が出てるとこもあんだどもな。 駐車場の侵入口だけでも、案内板さ、ほしいべな~。 そしたら、あと30分は、早く着いたはず・・・ 気をとりなおして、駐車場に車を入れる。 車を降りると、目の前に土塁と御堀が・・・わ~お! いそいと、入口を潜って、中にはいると、 こんな感じ。 ネットで見たのと、全然景色が違う。 公園になってるっていうから、こんな景色は、期待してなかったんだ。 えへへへw。 一気に、ご機嫌モードになっちゃったっぺ。 さあ、どんどん、奥さ、いってみっぺ~! ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.24
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「思川と黒川」 壬生城は、2つの川に守られてた。 一つ目は、西側を流れる『思川』。 もう一つが、東側さ流れる『黒川』だど。『思川』は、鹿沼市にある『地蔵岳』を源流にしで、栃木県の西から南へ流れる川。『黒川』は、日光の南のある『三ノ宿山』辺りから、流れて来る川なんだと。 二つの川が合流する、ちょっと上辺りに、壬生城があんだ。 実際に言ってみっと、壬生城から『黒川』までは、そんなに遠くない。 ゆっくり歩いて、20~30分、約1kmってとこじゃないべか。 こないだブログに書いた『雄琴神社』が『黒川』のすぐそばなんだ。 これは、『雄琴神社』の側。橋の上から撮影しだ『黒川』の上流だど。 橋の反対側、下流にあたるとこには『しののめ公園』がある。 この辺は桜が綺麗でな。満開になっと、川の両岸いっぱいに桜が咲き乱れんだ。 昔の『黒川』には、河岸があって、船がたくさん行き来してたんだと。 んで、そこの管理を任されていたんが、壬生藩らしい。 昔の壬生城の地図を見てたら、『黒川』の近くに『船町』ってとこさ見っけたど。 このへんに河岸があったんかな? んで、『思川』なんだどもな。 今回は行かなかったんで、壬生城からどんぐらい離れてんのか、わからない。 だがら、地図で確認してみたど。『壬生城』からの距離は、『黒川』よりも、遠いべな。約1.5~2kmってとこ。 ちょうど栃木市の境目なってんだな。 どちらも川幅が広くて、水流も多い。昔は、氾濫したんだべな。 その分、船を浮かべて、荷物を運んだり、人を運んだりすんには、いい塩梅の川だっぺ。 夏の暑い日には、船を浮かべて、舟遊びなんかしたんかな? 城下町が発展すんにも、2つの川は、重要な役割を果たしたんだべな。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.20
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「雄琴神社の狛犬」 城址めぐりをはじめてかた、神社にも興味をもったんだどもな。 最近は、ちょこっと慣れたんか、狛犬さんも見るようになった。 一言に狛犬っつっても、いろんなやつが、いんだど。 狛犬専門のブログやホームページもあるぐらい、人気もんでもある。 といってもな。まだまだ素人なんで、違いがよくわかんないんだどもなw。 さてと。『雄琴神社』の拝殿前にも、狛犬さんがいた。 こんなの。 右っ側にも、こんなの。 2匹(2体?)づつ、鎮座しておられました。 どちらも石で掘られたものだっぺ。 手前の狛犬さんは、一目で狛犬ってわかるお顔だど。 だども、後ろのほうは、どうだんべ? ちょっと見ただけだと・・・わがんね~な。 もしかして、首なしの狛犬? に、見えっと。 恐る恐る、近寄って、まじかから、じ~っとみる。 古くてわがんねな。 ちょこっと、顔を突いてみる。 あ、歯があった! っていうか、顔の半分が、歯?なんけ? さらに、じーっと見てたっくれな、お顔が見えてきたっぺw。 凛々しいお顔の狛犬しか、見たことなかったかんな。 判別に、手間取っちまったべ。だども、たしかに狛犬さんでした。 ふ~む。改めてよく見っと、全部ちがう顏さ、してんだな。 首んとこの巻毛の形もちがうべ。顔を向けてる方向も、みんな違う。 これは、地域とか年代なんかの関係かな? それとも、宗教上の意味でもあんのけ? 狛犬さんにも、独自の歴史があんだべな~。 またまた、勉強のネタが、増えちまったっぺな。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.17
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「雄琴神社の随神門と拝殿と本殿」 『雄琴神社』の正面にある門は、『随神門』っていうんだと。 古い門だべ~。 さらに奥に進むと、拝殿がある。 こっちも、古めかしい趣があんべ。 ここの屋根は『入母屋造り』っていうらしいど。 さらに奥には、本殿があんだけど・・・木の奥でよく見えなかったっぺ。 本殿のほうは『一間社流造り』なんだって。 本殿は天和3年(1683)に普請をはじめて、貞享3年(1686)に完成。 300年も前の建物なんだっぺ。 そんで。『雄琴神社』に祀られているんは、『天照大御神』『天武天皇』『舎人親王』。 嘉保2年(1095)に創建されたんだと。 そんころは『藤森神社』って呼ばれてたんだ。 寛政3年(1462)に、小規彦五郎胤業(のちの壬生胤業)が、近江国(滋賀県)の御琴神社から、『小規今雄』の神霊を勧請。 名前を『雄琴神社(御琴大明神)』に改めたんだと。 へ~。ここの神社は、壬生氏とつながりがあったんだっぺな。 知んなかったっぺ。《参考》 『みぶの文化財』壬生町教育委員会・発行 (壬生城址公園内にある『壬生町歴史民俗資料館』にて購入) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.15
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「雄琴神社の銅製鳥居」 『壬生城址公園』から、ず~っと歩き通しだったんで、そろそろ、休憩したいべ~。 って、思い出したころ。やっと、神社さ見えてきだ。『雄琴神社』だど。古めかしい感じだべ~。 立派な鳥居だべな。 だども、他の神社の鳥居と、ちょこっと雰囲気が違うど。 木じゃないし、石でもない。なんだべな? 鳥居の横には、神社の由来が書かれた看板が立ってた。 どれどれ、鳥居のことも、載ってっかな? 覗き込んだら、かわいいもんを、見っけちゃったどw。 これ、なんだかわかっけ? ちっこい狛犬だべな。 それとも、唐獅子だべか? 左っ側の根元にも、同じもんが、ちょこんと座ってる。 かわいいべ~。お守りかな? 郷土資料館で手に入れた『みぶの文化財』って本によるとな。 この鳥居は、『銅製鳥居』っつってな。銅で出来てんだと。 安永7年(1778)壬生の豪商・加藤作太夫が寄進したもので『稲荷鳥居』っていう作りなんだと。 あ、狛犬んことも、書いてあっと。『根巻には八双飾りがあって、台石には唐獅子の鋳物が配されてる』って。 そして、こう続く。『天明鋳物師を代表する丸山一族の作で、均整のとれた優美な銅製鳥居です』 え? それって、もしかして、佐野のやづけ? 前にブログさ書いたんだども、天明鋳物っつったら、佐野市の名産品なんだっぺ。 場所も近いし、あり得るべな。 本には、鳥居に刻まれた碑文も載ってたんだどもな。 右柱には、寄進した加藤作太夫の名と日付があった。 んで、左柱には 『下野佐野鋳物師・丸山善太郎藤原易親』 やっぱし。佐野だっぺ。 この時代には、すでに、名品になってたんだべな。 こったらとこで、佐野と壬生がつながってだなんて、なんか、うれしいっぺ~。 《参考》 『みぶの文化財』壬生町教育委員会・発行 (壬生城址公園内にある『壬生町歴史民俗資料館』にて購入) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村
2012.02.13
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「雄琴神社」 運のいいことに、魚屋さんの隣に、町内地図があっだ。 迷子の強ええ味方だっぺ。 市販の地図じゃわかんないとこも、細かく載ってっかんな。 こういう地図は、見ててもたのしい。 んで、『雄琴神社』は・・・うん。そんなに遠くないみたい。 ちゃんと、載ってだっぺ。 曲がっとこさ間違えて、行き過ぎちまったみたいw。 しっかり覚えた地図通り、歩いてく。 周りは、最近できたんかな。 綺麗な家がたくさんある、道だべな。 ひたすら、まっつぐ歩いてく。 歩き飽きたころに、赤い鳥居さ、発見!『雄琴神社』だど。 だども、イメージと違うな。 もっと、古めかしい感じの神社かな? って考えてたんだどもな。 真っ赤な鳥居いが、いまどき風。 おしゃれな観光神社だったら、どうすべ~。 鳥居の横には、『雄琴神社』の石碑。 こっちは古そうだべな。 ってことは、だいじかな? 鳥居の中を覗いてみたっくれ、まっつぐに伸びる・・・道。 たぶん、参道なんだべな。両脇は、杉並木になってっと。 だども、長いど~。神社の陰も、見えねえど~。 こないだの『精忠神社』といい、『雄琴神社』といい、 なんで、こんなに、長~い道なんだべな~。 お参りする前に、くじけっちゃ~ど~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.12
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「壬生町」 『精忠神社』を見た後は、壬生町を歩いてみたど。 目的地は、近くにある『雄琴神社』。 地図によると、壬生城公園の前の道を、東に向かっていけばあるはずなんだ。 風は強いけんど、いい天気だし、るんるん♪ 気分よく歩いてったら、 ・・・迷ったっぺ。 地図だと、まっつぐなんだどもな~。 信号に突き当たったとき、道がちょこっとずれてたんだ。 んで、右のほうか、左のほうか、って迷ったんだどもな。 そこで選び間違ったみだいだど。 方向はあってっから、いつかつくべ~ って、歩いていったら、小さい神社さ、見っけたっぺ。 『雷電宮』って書いてあるど。 後で調べてみたんだどもな。『雷電神社』ってのは、らいさまを祭った神社で、雷避けになんだと。 関東を中心に、全国にあんだって。 栃木県は、雷が多いがんな~。壬生にも、らいさまさ、落ちてくんだべな。 手を合わせて、お参り。 小さな広場みたいになっててな。休憩用のベンチもあって、日向ぼっこしたくなるような神社だっぺ。 他にも、こんな広場を見つけたど。 こっちは、修理中なんかな。中には入れなかったんだども、面白いべ。 さらに、こんな建物も、見っけたど。 道路脇から撮ったんで、車が入っちゃったんだどもな。わかっかな? 長屋門みたいだべ! 正面はお店になってんだけど、昔の雰囲気が残ってだ。 門の奥を覗いてみっと、向こうは住まいになってたみたい。 あんまし、じろじろ見てっと、不審者に思われっちゃうから、ちらっと見ただけだけんどな。 他にも、昔風の塀をもった家とか、古い建物がいくつか残ってた。 迷ったおかげで、いいもんみたっぺw。 さてと。そろそろ『雄琴神社』さ、行きたいんだどもな~。 ・・・ どういったらいいんだべな? ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.10
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「精忠神社の本殿と畳塚」 お参りも済んだんで、神社の裏へまわってみたど。 ちゃんと石でこさえた道があったから、入っても、いんだべな? どきどきしながら、歩いていぐと、本殿が見えだ。 本殿は塀で囲まれて、中に入れないみたいだべ。 この奥に、鳥居元忠公の霊が祭られてんだべな。 派手な彫刻なんかないけんど、渋いっていうんかな。 木の風格がいいべ~。 さらに奥へ進んでいくと、ほぼ真後ろの位置に、石碑がたってたど。 う~んとな。案内版によると『畳塚』ってかいてあんな。 おお、思い出したっぺ! ネットで調べてた時、みたやつだ! こんなとこさ、あったんだ~。 うっかり、見逃すとこだったど。 周りは木が生い茂ってっし、神社の真後ろだがら、正面からは、みえねえし。 だども、これは見とかないと、後悔すっと。 神社に祀られてる、鳥居元忠公に関係する碑だかんな。 ええ~っとな。案内版によるとな。 鳥居元忠は、慶長5年(1600)徳川家康の命令で、伏見城の守りを任されたんだどもな。 石田三成方の大軍に攻められ、1か月、守りぬいたんだ。 だども、最後は、伏見城で自刃したんだと。 家康公は、元忠の忠義を称え、自刃した際の血染めの畳を、江戸城の伏見櫓の階上に置き、元忠の忠義をしのいだんだ。 明治時代になって、江戸城が明け渡されたとき、ここへ納められ、碑が建てられたんだと。(現地の案内板を参考にしました) へ~。そったらことが、あったんだ。知らなかったな。 まだ、鳥居元忠公について、あんまし知らないから、感動が薄かったんだけんど。 知ってる人から見たら、すごいもんなんだべな。 だども、興味はでてきたど。 史跡めぐりさしてっと、こんな風に、知らない出来事がちょこちょこ、でてくんだ。 けどな。 本で見てる時と違って、実際に目にすっと、興味がぐんぐん、わいてくんだよ。 勉強する楽しみも増えるw。 そったらとこも、史跡散歩の楽しみだべな。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.08
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「精忠神社 2」 半分ぐらい歩いたとこで、やっと、鳥居らしい影が見えて来た。 道に迷ったんじゃなかったんだ~。いかったな。 右に見える建物は、公民館の壁なんだどもな。 よう~く見っと、建物の横に通路状の道があったんだ。 そっから、奥を覗くと、本丸跡公園がすぐそこ! 本丸跡から、直接、精忠神社に抜ける道が、あったんだっぺ! わざわざ、遠回りしてきちゃったみたい。ちょっと、ショックだべな。 ま・まあ、いいべ。一杯歩いたほうが、運動になんべかんな~。 って、気を取り直して、神社へ足を運んだど。 これが、正面の門。奥に神社が見えるっぺ。 これが、拝殿だど。両脇には、狛犬さまと石灯籠が並んでる。 狛犬さまは、建設当時のものかな? 古めかしい、きりっとした顔をしていたど。 精忠神社は、嘉永2年(1849)に建築されたんだども、今もほとんど建物が、当時のまんま残ってんだって。 だども、拝殿の庇部分は、明治5年(1872)ごろの改修で唐破風から流れ破風にかわっちまったらしい。 なんで、変わっちまったんかな? 素人目では、どこんとこが違うんか、わかんないけんど。 全体的に調和してて、変な感じはなかったど。 敷地内は、狭くって、見学するとこは少ないけんどな。 手入れさ、よくされてて、綺麗だべ。 派手な彫刻や飾り物はないけんど、ほっと落ち着ける雰囲気の神社だっぺな。《参考》【送料無料】近世栃木の城と陣屋改訂増補価格:1,995円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.07
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「精忠神社」 壬生一族が滅亡した後も、壬生城は残ったんだどもな。 次々と、新しい城主がやってきては、去っていった。 その間に、城内も整備され、門の位置も街道沿いに移されたらしいど。 んで、正徳2年(1711)水口藩から、鳥居忠英がやってくる。 忠英は3万石の大名だったんだと。 そんでな。この後幕末まで、鳥居の一族が壬生城の城主になったんだっぺ。 鳥居忠英は、壬生の町に、干瓢栽培を広めたことでも、有名なんだ。 その鳥居家の先祖に、鳥居元忠って人がいるんだどもな。 徳川家康の元で、活躍した人なんだと。 だからかな? 壬生城の隣には、元忠公を祭った神社があんだよ。 それが『精忠神社』だっぺ。 これが入口。 壬生城公園から、歩いて1~2分のとこにあるんだ。 さっそく、お参りだ~! って、歩きだしたんは、いかったんだどもな。 なかなか神社に辿りつかない。 道っこさ、間違えたんかな? 大きな看板さ、あったのに? ちっと不安になっできたべ~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.06
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「再び 壬生氏 対 宇都宮氏」(壬生城の正面。本丸跡の土塁だど)天正7年(1579) 壬生城を納めていた周長が、倒れた。 後を継いだのは、前城主・綱雄の息子、壬生義雄だった。 義雄は、宇都宮一族から、自立しようとしてた人物でな。 本拠を鹿沼城に移して、小田原の北条氏と手を組んだんだと。 北条氏の援助を得た義雄は、ぐんぐんと、勢力を伸ばしていった。 だども、ここで、最大の戦がはじまんだ。 豊臣秀吉の『小田原城攻め』だっぺ。 天正18年(1590)ころ。豊臣秀吉が、小田原城攻撃を始めた時。 壬生義雄は、北条氏側に参陣してたんだ。 こんとき、宇都宮城主だったんは、宇都宮国綱。 宇都宮国綱は、豊臣秀吉側についた。 またもや、壬生氏と宇都宮氏は、敵対関係になっちまったんだ。 小田原城攻めで、勝利を収めたんは、豊臣秀吉だべな。 宇都宮国綱も、秀吉のもとで、活躍したらしいっぺ。 壬生義雄は、戦で死ななかったらしいけんど、壬生城は接収されちゃったそうだど。 義雄が亡くなったあとは、壬生氏を継ぐ者もなくってな。 壬生氏は、滅亡してしまったんだと。《参考》【送料無料】近世栃木の城と陣屋改訂増補価格:1,995円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.04
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「壬生氏と宇都宮氏」(真下から見た、土塁の写真だべ) 天文18年(1549)ごろの話だどもな。 宇都宮と那須の間にある早乙女坂ってとこで、合戦があったんだ。 こんときの合戦は、宇都宮氏 対 那須氏の戦いだったんだどもな。 宇都宮城主・宇都宮尚綱が、負けて、討ち死にしたんだ。 このころ。壬生城の城主だったんは、3代目の壬生綱雄って人なんだけんどな。 宇都宮の勢力が弱まったとこをついて、宇都宮城を乗っ取っちまったんだって。 で、この後、壬生綱雄が宇都宮城主を務めることになったんだ。 ところが。 8年後に、宇都宮尚綱の息子・広綱が宇都宮城に復帰すんだ。 どういう経緯で、尚綱が宇都宮城主になったんか、わかんないんだけんどな。 こんときは、合戦があったわけじゃあ、ないみたいだべな。 壬生綱雄は、広綱の城代として、務めることになったんだと。 普通は、城さ乗っ取ったりしたら、打ち首とか、追放とか、何らかの処断を下すもんじゃないんかな。 それとも、なんか事情があったんだべか。 この辺は、もちっと調べてみないと、わかんないべ。 壬生綱雄は、永禄5年(1562)に暗殺されっちまう。 この辺の事情も本には書いてないんで、調べて見ないとわかんないんだけんど。 壬生一族の中で、揉め事があったみたいだべ。 宇都宮氏の味方に付くか、他の誰かに付くか。 それとも、独立して、独自の勢力を作るかって問題が、あったみたいだど。 壬生綱雄の暗殺後。 後を継いだんは、弟の周長って人なんだ。 この人は、宇都宮氏に味方する考えの人だったんだと。 だがらかな。 周長の納めたころは、宇都宮氏とも、大きな揉め事はなかったみたいだど。《参考》【送料無料】近世栃木の城と陣屋改訂増補価格:1,995円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.03
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「壬生氏」 壬生城をはじめに築いた人物は、壬生胤業という人。 寛正3年(1462)ごろだども、当時の城はもう少し北東にあったらしいべ。 現在の場所に城が建てられたんは、2代目の壬生綱重になってからだど。 壬生氏は公家の出って説も、あんだどもな。 今は、宇都宮氏の一族が別れたんじゃないかって説のほうが、有力なんだ。 そういえば、壬生城に、こんな紋があったど。 三つ巴紋だべな。 これは、宇都宮氏の家紋と同じなんだど。 んでな。前にちょこっと書いたけんど、宇都宮氏の一族は、皆三つ巴の紋を使ってんだ。 門のとこについてる紋は、壬生氏の家紋なんかな? ほんもんだったら、宇都宮一族って話にも、信憑性が出てきたっぺな。 それからな、こんな話もあるど。 2代目・綱重の『綱』の字は、宇都宮氏の重臣として与えられた字なんだと。 主人からもらった、特別の名ってことだべな。 さてと。 壬生綱重は、壬生城から北へ向かって、勢力を伸ばしていったんだ。 鹿沼城を落とし、日光山辺りまで納めたんだと。 当時は、壬生城と鹿沼城の2城を支配し、勢力も拡大していった。 このころは、宇都宮氏とも協力して、下野国の中央部を支配してたらしいんだけんど・・・ この後、宇都宮氏と壬生氏の間で、問題が発生。ひと騒動あんだどもな。 続きは、また明日、な。《参考》【送料無料】近世栃木の城と陣屋改訂増補価格:1,995円(税込、送料別) ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.02.02
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